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ブラン ドと地域振興 の方向

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中 田 信 哉

ブラン ドと地域振興 の方向

<研 究 ノー ト>

1 は じ め に

これは研 究 ノー ト以前 の研究準備 メモ とい うべ きものか もしれない。 これか らの 自己の研 究 の方向の模索の途中経過 を述べ るものである。

今年の年賀状 の中にA大学のB教授 か らの ものがあった。印刷 された紋切 り型 の挨拶 と絵 ら しきものに加 えて手書 きで 「当方は調査屋 さんばか りにな りそ うです」 とつ け加 えてあった。

A大学はマーケテイング研究では有名であ り,商学部 と商学研究科 に6人,専 門大学 院に4人 とい うマーケテ イングを専 門 とす る人たちがいて充実 している。商業学会名簿 を見 る とA大学 の会員 は26人であ り,神戸大学,専修大学, 日本大学,早稲 田大学 と並 ぶ大勢力 となってい る。学会員 には大学院博士後期過程の院生やオーバー ドクター もいるので院生 を積極 的に学会員 としている大学では会員数 は増 えるが院生がいるとい うことは指導教授がいることを示 している し,経営学 だの会計学 を専 門とす る研究者で商業学会 に所属す る人 もいるか ら数十人の会員 とな るのだろうがそれで もひとつの学会 に数十人の会員がいるとい うことは研究指導体制 も整 ってい るとい うことだろう

この ことは単 に研 究者 の数だけの問題ではな く,研 究の方向や方法 の多様化 につ なが ってい る。それは質的に充実 しているとい うことにもなるだろう。例 えば,私の流通論 とい う分野でひ とつの大学 に3人の研究者がいるとす ると一人は 「小売構造」 を専 門 とし,一人は 「卸売構造」

を専 門 とし,一人は 「流通政策」 を専 門 とす るとい うようになる。 これは自然 にそ うなるとい う 対象や研究 アプローチにおける大学内での 自己の確立,アイデ ンテ ィテ ィーの問題で もあるだろ

うし, これまで指導 を受けて きた師匠になる人のス タイルによるものだ と考 え られる。

種 々の研究ス タイルを持ち,種 々の研究対象 を持つ人たちが集 うとい うのがその大学のその分 野の研究の底上げ とカバー領域の広 さにつなが るのであろう。

そこで B教授 の年賀状 の一文であるが B教授 は もともと,マーケテ イングを専 門 としている 人 として知 られてお り,当然,A大学で もマーケテ イング担当 として採用 されているはずである がその中で も特異 な分野の研究者 として業績 を上げている人だった。

通常の理解ではマーケテ イングとい うのはある社会現象, ビジネス ・シー ンに対す る考 え方,

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対応の仕方,分析 の姿勢 を示 し,それを研究するもの とされている。 もともと,マーケテイング 思想の誕生 は20世紀の初め頃に経済問題 に対 して 「需要 (市場)の側か ら問題解決 を行 う」 とい う機制 に由来す る ものである。 したが って,研 究 においては まず,社会事象, ビジネス事象が あってそれに対 して どう考 えるか, どう対応す るか, とい うことが問われるのである。

この1世紀,マーケテ イングの研究 は進み,多 くのマーケテ イ ングの研 究者 を生み 出 して き た。マーケテ イングが科学 として,ある一研究領域 として拡大 し,それ‑のアプローチが多様化 す るな ら当然,社会事象や ビジネス ・シー ンとは関係 な くマーケテ イングその もの科学 としての 本質の探究,これまでの研究の経緯 を追跡す るマーケテイング学説の研究 なども行 われて当然で ある。メタ ・マーケテイング,科学 としてのマーケテ イング研究,方法論,な どと呼ばれる方向 である。

ひとつの大学で二桁 に上 るマーケテ イング研究者がいるとした らその中にはこうい う研究姿勢 を取 るものがいて当然である。それは研究者 自身の姿勢 として 自然 にそ うなるとい うことではな く,マーケテイング研究者 を採用す る場合,その研究体系の中でその大学 に欠 けている部分 を研 究対象 とす るス タッフを得 ようとす るか らで もある。それは採用 を行 う場合の選考委員の考 え方 に もよるのであろう。

B大学の場合,マーケテイング研究者たちの中で年長であ り,指導力のある人がいてその人が こうい う分野の人間を欲 しい と考 えて採用 をす るとい うことがあったのであろ う。B教授 はこう して採用 された と考 え られる。 しか し,そ うい う見解 を持つ人たちが定年 とな り,あるいは他大 学 に移 った とす ると次の採用でその補充 とい うことになるとい う保証 はない。

多分,A大学では どうい う経過 かはわか らないがB教授が考 えてい る研 究分野の人が新 たな 採用 にな らなかったのであろう。B教授 に近い研究ス タイルの人がいな くな り,B教授が弧塁 を 守 る とい うこ ととなった と推察 され る。その こ とがB教授 を して 自分 以外 の人 を 「調査屋 さ ん」 と言わせ たのであろ う。おそ らくB教授が調査屋 さん と呼ぶのは現実のマーケテ イング事 象だの企業の行動 を知 り,それをベース としてある分析 を加 え,理論 な り傾向な りを導 き出すの を研究のス タイル とす る人たちであろう。その人たちがた とえ先人の研究の業績 を元 に研究 をし た として もその先人はやは り実際のマーケテイング事象 などか ら自らの理論 を導 き出 しているの で同様である。

この ように実際のマーケテ イング事象 に基づいて何 らかの研 究 を行 う人 を B教授 は調査屋 さ ん と呼んだのである。

私 はB教授のこの短い言葉の文 を読んで考 え込んだ。「私 などこのB教授の言 う調査屋 その も のではないか。いや,それ以外の何者で もない」。私 は15年間,ある公益法人であ り学術 団体で ある研究所 において調査 に携 わっって きた。20歳代の終 わ りか ら40歳 までであ り,それ を研究 と呼ぶな ら調査以外の研 究を知 らない。

研究所時代 はほぼ1年 中,調査 に明け暮れた。例 えば,1週 間7日だ とす る と4日間は現場で

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ブランドと地域振興の方向 75 調査 を行 う。営業 (クライアントとの折衝 ・打ち合わせ)や費用計算 な どの事務が 1日,調査 に基づ

く報告書の作成のための原稿書 きが2日間 といった調子である。

大学 に来て驚いたのはこの調査 にかける時間が極端 に短い ことである。教育や学務 に関係す る 時間が長 く,現地の調査 に行 く暇はない。春休みや夏休みに1週間程度の時間を割いて調査 に行

くとい うことは可能だが研究所の レベルか ら言 うな らこうい うのは調査 とは言 えない。調査 は定 点調査でなければな らず,経年調査でなければならない。ある企業 な り消費者 な りに 目標 を設定

し,長時間にわた り,その推移 を見てい くのである。

科学 における方法か ら言 えばこれは当然の ことであろう。人間 ドックで異常が見つかった とし た らこれは必ず精密検査が時間推移の中で行われる。動物生態学でゲラダヒヒを研究す る場合, 研究者は現地 に長時間滞在 し,ゲ ラダヒヒの群れを追い求め,追跡 をし,個体 の行動 を記録 し, それを群れ全体 に拡大 してい くという方法 を採 るはずである。

この ように して調査 を行 う。 自然科学ではこうい うのが普通である。 しか し,社会科学 におい ては先人の研究 を学び,それ らを取 り纏めて 自己の見解 を打 ち出す形 をとることが多い。それ ち ひ とつの研究ス タイルだろう。

しか し,私 はそ うい う行 き方 をしてこなかった。現在で もつ とめて企業人 と会い,彼 らの話 を 聞 く機会 を作 ろうとしている。かつ て,研 究所 の会長であった故 山中篤太郎先生 (元一橋大学学 長)か ら 「他人の言 っていることを言 うな。 自分の耳 と目で確認 した ことだけを言 え」 と言 われ たことがある。 山中先生は大学院で教 えた研究者の卵 にどうい うように言われたかはわか らない が私 たちが研究所の研究員だか らそ うい うように言われたのか もしれない。その言葉 は私 に とっ ての宝物 となっている。

事実 を知 る。それを分類す る。 これが科学の原点であろう。ただ,こうい うことを考 えて私 は 調査 を していたわけではない。ただ,好 きだか らそ うしていたのである。広告だのブラン ドだの 小売店だのシ ョッピング ・セ ンターだの トラックだの,好 きだか らそれを見て歩 いた。それが 自 分の商売 となった, とい うわけである。

今,私 は自分の原点に戻 ろうか と考 えている。それは調査屋である。長い間,学務 に追われ, 調査 に歩 く暇がなかった。そ して,あ と5年で定年 とな り,大学勤務が終わる。その後 も研究者 としての人生 を続けるとした らどうした らよいだろうか, と考 えた時に 「調査屋 に戻 る」 とい う 選択肢 しかなかった。

問題 は調査屋 に戻 るとして も 「何 を調査す るのか」 とい う目的の設定がなければな らない。好 きな もの,陶磁器だのお城だの湖だの シ ョッピング ・セ ンターだの外航船だのをむやみ と見て歩 いて もそれは単なる見物であ り,観光である。調査の 目的,つ ま り 「研究テーマ」 こそ重要であ る。

このテーマ をここしば らく考 えていかねばな らない。 この研究 ノー トはそのテ ーマについて考 えてみることを目的に記 したものである。

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2 地場産晶 とブラン ドの関係

現在,考 えているのが これまで興味 を持 っていた ものの組み合 わせである。それはマーケテイ ング研究の中の 「ブラン ド」であ り, もうひとつが地域振興 の中での 「地場産品」である。 この 二つの ものを組み合 わせた研究 をこれか らの調査屋 としてのテーマに しようか と思 っている。

ブラン ド研究は現在のマーケテ イング ・マネジメ ン トの研究の流行 とも言 える。 自分の経験で 言 うがマーケテイングに興味 を持 った人の場合,その多 くがブラン ドを研究 しようとす る。ゼ ミ ナ ールの卒業論文 において もテーマ設定 をす る と20人中3人 くらいが常 にブラン ドを個人研究 テーマ として卒論 を書 く。卒論 のテーマはマーケテ イング分野だけで な く物流 や小売業 のス ト ア ・マネジメ ン トや産業構造 に興味 を持つ もの もいるのでマーケテイングをテーマに した ものの 大半 は広告かブラン ドになる。

これは私の経験で もそ うである。私 は大学ではマーケテイング関係のクラブに所属 していた

その中でマーケテ イング ・マネジメ ン トの花形 は広告 とブラン ドだ と思っていた ものである。や がて,実務 も経験 し,チ ャネル政策が もっとも重要だ と思い始めたのが流通分野 に研 究テーマを 移 した きっかけであったが当初 は広告 とブラン ドこそマーケテ イング ・マネジメン トの花形だ と 思 っていたのである。

現在 は流通 を専 門 とす るということになっているがそこで気がついたのはブラン ドとい うもの が流通変化 を理解す る上で きわめて重要 な ものであ る, とい うこ とである。流通 の変化 を 「ナ シ ョナル ・ブラン ド (メーカー ・ブランド)対 プライベー ト ・ブラ ン ド (ス トア ・ブランド

)

」の構 図 で見てい くことが可能だ し,メーカーの流通政策は 「ブラン ド浸透」であ り,小売業のマーチ ャ ンダイジング政策は 「ブラン ド選択」で もある, ということである。それ以上 にブラン ドその も のを考 えてみることは楽 しい。

もうひとつが地域 における地場産品である。 これは地域 ブラン ドとしてみてい くことが可能で ある。現在,流通問題 におけるひとつの大 きなテーマが 「中心商業集積 の復興」である。中心市 街地活性化法 を核 とす る 「まちづ くり三法」が改正 され,私 も流通の専 門家 とし, また,神奈川 県 ・横浜市 などの地域商業の各種施策に関係 していることもあって経済産業省の中心市街地活性 化法関係 の委員 を引 き受けて全国各地の都市 中心地の商業集積 の今後のあ り方な どを考 える作業

を行 っている

各地の中心市街地の復興 ・活性化 においては 「地域 ブラン ド」 とい うものが大 きな力 を発揮す るとい うことに気がついた。 これは地域 ブラン ドとい うものが差別化 と集客 において大 きな威力 を発揮す るか らである

それ よりは実の ところ,私個人の趣味 として以前か ら全国各地の工芸品,特産品,ローカル ・ ス トアや ロー カル ・メー カーのス トア ・ブラ ン ドや商品ブラン ドに興 味 を持 っていたか らであ る。

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ブランドと地域振興の方向 77 この二つの ものを組み合 わせて 「地域の商業振興のためのブラン ドづ くり」 とい うことをテー マ としようとしたのである。特 に 日本 における地域 (地方)とブラ ン ドの関係 を明 らか に してい

きたい と思 ったのである

そこで まず, この関係 を分類 してみたい。地域 とブラン ドの関係 としては次の3つのパ ター ン に分 けることがで きよう。

(1)地域か ら生 まれ地域 を離れてナシ ョナル ・ブラン ド化す るもの‑ 地域離脱型 (2)地域その ものが ブラン ドとな りナシ ョナル ・ブラン ド化す るもの‑ 地域代表型 (3)地域 と地域ブラン ドが同時にナシ ョナル ・ブラン ド化す る もの‑ 双方発展型

地域離脱型 とはもともとが地方で誕生 したメーカーあるいは小売業でその商品ブラン ドやス ト ア ・ブラン ドがやがてナ シ ョナル化 した ものである。一部の初 めか らナ シ ョナル化 を前提 に開 発 ・開業 した ものの方が少 な く,多 くはこのパ ター ンの中で生 まれている。た とえば清酒の 「大 関」 を始め とす る多 くの清酒のナシ ョナル ・ブラン ドは当初,限定 された地域の地場商品 として 生 まれている。それが次第 にナシ ョナル化 し,企業 も大規模化 していって当初の地域 ブラン ドで はな くなって きた とい うことであるし,消費者 もそれが元 々 どこの商品であったかはわか らな く なる。完全 に特定地域離れが起 こるのである。小売業の場合 はこれが普通のパ ター ンである。百 貨店 においては三越 (東京),高島屋 (京都),大丸 (大阪),松坂屋 (名古屋)といった地域小売店 であった ものが現在では全 国型小売業 となっている し,新興の大型店で もダイエーに しろイ トー ヨー カ堂に しろジャス コ (現 ・イオン)の前 身である基幹企業 の岡田屋 もそれぞれ大阪,東京, 四 日市のローカル ・ス トアであった。最近のユニクロ,洋服の青 山などもすべて地方限定の小売 業であった ものがナシ ョナル化 した ものである

このパ ター ンにおいてはナシ ョナル化 した結果,地方色 は完全 にな くなっている。企業が大規 模化す るにつれ,販路や出店が全 国化 し,消費者か ら見 るともともとのス ター トした地域 はそれ が どこであるか まった く関係が ない し,そのオ リジ ンの地域が商売 にはまった く影響 を与 えな

い 。

一方,地域代表型 とい うのは地域の特産物が地域 ブラン ドを形作 っているものである。た とえ ば, ドイツのゾ‑ リンゲ ンやアメ リカのサ ンキス トとい うのは特定 メーカーな どのブラン ドをい うものでな く,地域や地域の出荷組合 などの名前がブラン ド化 した ものである。 ゾ‑ リンゲ ンで はヘ ンケル とい う特定企業のブラン ドが有名ではあるがやは り 「ゾ‑ リンゲ ン」 としてブラン ド 名が行 きわたっている。 日本 に もこうい う例 は多い。松坂牛や米沢牛,関サバや関アジや城下 カ レイ,稲庭 うどんや讃岐 うどん,金物の燕三条や信州木工や陶器 の備前焼 ・益子焼 ・有 田焼 ・九 谷焼,漆器の山中塗,高岡の銅器 な どである。 これ らはすでにナシ ョナル ・ブラン ド化 している があ くまで も特定地域で産出 ・製造 されているところにポイン トがある。いかにナシ ョナル化 し た とはいえ, どこで生産 されて もよい とい うものではない。あ くまで もその地域 において産 出さ れた ところに意味がある。

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小売店や飲食店で もその地域 において販売,提供がなされない と意味がない。最近では地域の 意味 を加 えた形で全 国出店 しているもの もあるがそれは地域性 とい うよ りもス トア ・ブラン ドが 地域名 を冠 としてナシ ョナル化 した とい うことだろうか。一部の例外 を除いてこうい う場合,也 域その ものを売る形 にはな らない。 もちろん,地域の出荷 品に付加価値がつ き,販売量が増 える ことは地域振興 につながるが地域その ものを売 るとい うことではない。 この場合,多 くは観光 に 結びつ くことをい う。地域が有名 とな り,観光客が来ることによって地域振興 に結びつ くとい う

ものであるが地域 を冠 としたブラン ドの普及が観光 を推進す るものではない。

これに対 して双方発展型は地域 ブラン ドではな く,特定企業の地域 限定のブラン ドがナシ ョナ ル化 してい くがそれは地域の観光 に寄与す る形で行われ,地域 の特定企業 ブラン ドの発展 はその まま地域の観光資源 となるものである。同時にその特定 ブラン ドを持つ企業が地域の観光振興 に 力 を入れ,地域 を売 ること自体がそのブラン ドの発展 につ なが っているとい うものである。

近年, こうした形の ものが登場 し始めている。私 は今後, このパ ター ンに興味 を持 って研究調 査 をしていこうと考 えている。今,私 は二つの企業 に注 目している プロダク ト ・ブラン ドとし て三重県伊勢市の 「赤福」 とス トア ・ブラン ドとしての島根県大 田市の石見銀 山の 「群言堂」で ある

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伊勢の 「赤福」 と石見銀山の 「群言堂」

伊勢の赤福 は1700年代初頭 に初代治兵衛 が伊勢神宮 内宮 の五十鈴川のほ と りで餅 を商 うこと か ら始 まる。お伊勢参 りの客 を対象 として餅 を売 ったのであ る。その餅 を 「赤福餅」 と称 し,

「赤心慶福」か らとった ものだ といわれる。それ以来,300年,今 も同 じ場所 で製造販売 が行 わ れている。

現在 は株式会社赤福 であ り,会社の設立 は1954年,資本金は7700万 円,従業員 は436名であ る (平成18年現在),代表取締役社長は溝 田典保氏。商品はほ とん どが赤福餅 であ り,季節 ごとに 異 なった餅 を製造販売 しているが伊勢の内宮のお店以外で買 えるのはおおむね箱入 り赤福餅 に限 定 される。

赤福 は伊勢 を代表す るブラン ドとなった。全国に通 じるブラン ドではあるが販売地域 は伊勢志 摩か ら東が名古屋,西が神戸 までに限定 されてい る (全国の百貨店などの催 しは除く)。その理 由 と

して赤福 はおみやげ商品であるためその地域 において購入 して もらうということであ り, もう一 つの理由は生 ものであるため品質管理が難 しいか らである, とされる。 しか し,おみやげ品 とし て有名であ りなが ら全 国で売 られているものは多 い し,品質管理 は工場 を分散すれば良い。それ をしないのは赤福が伊勢 とい う 「地域性」 を自らのマーケテイング ・コンセプ トとしているか ら であろう。赤福が全 国型の和菓子 メーカー となるのは可能性 として大 きい。ただ,ナシ ョナル ・ ワイ ドのマーケテ イング競争 に入 る上での問題 を考 えるか らであろう。それ よ りも300年続いた

「お伊勢様」 との関係 を切 って赤福の存在 はない と思 っているか らである。

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ブラン ドと地域振興の方向 79 赤福が全国型 ブラン ドとなっているとい うことはその販路である関西 圏で販売 されているのは 駅 ビル とその付属百貨店な ど及び駅構 内のおみやげ屋 と売店であるが神戸,大阪,京都,名古屋 の各駅 においておみやげ販売では1企業の1ブラン ド・1単品では売 り上 げ トップである とい う ことである。 これは有名な北海道の 「白い恋人」 を抜いて売 り上げ 日本一である。

この赤福の現在の戦略 (というよりも生き方)のひ とつのポイ ン トを 「おかげ横丁」 に見 ること がで きる。おかげ横丁 は赤福本店がある前の道筋であるが ここを現代 の参道 として作 り上げ,伊 勢の代表的な建築 による町並み とし, ここに伊勢名物のお店 を入れ,観光客の買い物,飲食 を行 う一種 のテーマ ・パークとしていることである。 このテーマ ・パーク型の参道作 りは赤福が 自ら の資金 によって行 った ものである

伊勢 は関西 とい うよ り日本 を代表す る歴史的な観光地だったが近代 においては観光地の分散や 宗教の観光的地位の低下,現代型観光地 としてのテーマ ・パ ークの台頭 などによって相対的に伊 勢の地位 は下が り始めている。伊勢 と合一化 された赤福 としては自らの今後の企業存続 と発展の ためには伊勢その ものを復興 させ る必要があると考 えたのであろう。

赤福 は戦前,戦中,戦後 を通 じて原材料 の不足 と需要の沈滞 によって苦 しい時代 を経 るが先代 社長の渡田益嗣氏 によって復興が され,その時に 「伊勢大神宮 と一体」 とい うことで往年のに ぎ わい と繁栄 を取 り戻すために1993年 におかげ横丁 をオープ ンさせ たのである。

これ と似 た形 に島根県益 田市の石見銀 山を本拠 とす る 「群言堂」がある。詳言堂は赤福 と還 っ て歴史がある老舗 ではない。新興の企業である。詳言堂は石見銀 山地区において生 まれたが もと もとは大 田市 に一軒の古 くか らある呉服店 に三重県か ら松葉登美 とい う女性が嫁 に来たことに始 まる。呉服店 は夫の松葉大昔が経営す る店であったが登美 はこの店で趣 味のパ ッチ ワー クを作 り,販売す る。 これが評判 を生み,登美 は1989年 に石見銀 山がある大森地 区に 「群言堂 石見 銀 山店」 を開業 した。

石見銀山がある大森地区 とい うのは現在では大田市の一部であ り,海辺の大 田市 中心部か らは 山ひとつ隔てている。 もともと,石見銀 山地区は14世紀以来,銀鉱 山 として発展 した ところで ある。戦国時代 は尼子,大 内,毛利氏が争奪戟 を演 じ,1533年 に博多商人神谷寿 貞が銀精練 に 成功 して一躍,有名 にな り,豊臣秀吉時代 は直轄領,江戸時代 に入 って大久保長安が奉行 となっ て急速 に産出量が増 えて当時の世界銀産出量の三分の一 を占めたほ どとなった。

17世紀後半 になって産出量 は落 ち始めたが明治 になってか らは藤 田組が経営 して大正末期 に 閉山 となった。往時には石見銀 山地区の人口は10万人 を越 えて賑 った とい う。 これ によって さ びれた山中の田舎 となっていったが最近 は観光地 として よみが え り始めている。近 々にはユ ネス コの世界遺産に指定 される予定である。松江,出雲,温泉津,三瓶 山,津和野,そ して山口県の 萩 といった山陰の観光地のルー トの中間にあ り,脚光 を浴び始めている。 しか し,大 田市の人口 は数万人,大森地区の人口は500人ほ どであって弱体である。評言堂はこの石見銀 山に店 を出 し た。ただ,詳言堂はそのマーチ ャンダイジングの特異 さと登美の伊勢商人的セ ンスによって次第

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に知 られることとな り,特 に 「登美」や

「 h i n a

」 といったブラン ドは地方色のあ る商品 として全 国的に受け入れ られ,全 国の百貨店な どに出店 を始め,ナシ ョナル ・ブラン ド化 し始めている

日経流通新 聞で1面 に特集 される くらい となった。

1999年 に 「石見銀 山生活文化研 究所」 とい う組織 を設立 し,詳言堂 をこの研 究所 の運営 に よ る服飾雑貨店 とした。研究所 の年商 はまだ10億 円程度であ り,規模 は小 さいが詳言堂 による利 益の大半 を全 国出店の資金 にす るのでな く石見銀 山地区に投資 している。群言堂の本店 は壊れか かった商家 を買い取 り, ショールームを兼ねたお店 として再生 させ,合 わせて他地区にあった古 い建物,民家 を買い取 ってこの地区に移築 させている

つ ま り,群言堂は石見銀山地区を歴史的町並み としてそのまま残 し,そ こか ら全 国に何か を発 信 しようとしているのである。 この町並みは次第に石見銀 山を観光地 として有名 にさせ,多 くの 観光客 を集め始めている。 もともと,石見銀 山は殺鼠剤の代名詞 ともなっていてその言葉の知名 度は きわめて高い。佐渡の金 山と並ぶ昔の坑道が見学ルー トともなっているのである。群言堂 は 石見銀 山の復興 とその経営 を一体化 させ ようとしている

赤福 に しろ,群言堂に しろ,昔か らこの地 区に存在 していた商家である (群言堂の場合は大田市 の呉服店として)。 したがって,地域 に対す る思い入 れは深 く,地域発展 とい うことが第‑ にあっ たのであろうがそ うい う故郷 に対す る思い入れや伊勢神宮や石見銀 山とい うものに対す る地域の 人 としての 「ご恩」 とい うことも当然あると考 え られるがそれ とは別 に次の ような思惑 もあると 考 えられる。

イ ベース となる場所が全国的に知 られた歴史的意味のある観光地であ り,観光地 としての将 来性 は大 きい。

ロ その知名度の高い観光地の名前が冠 として商品ブラン ド,ス トア ・ブラン ドにつ くことに よってブラン ドの価値が大 きくなる。

ハ 地域性 をな くして全国型 ブラン ドとなることによる大資本 との競争 における不利益性 を回 避す る。

ニ 地域の復興 はその まま自己の経営 に反映す ると同時に地域の発展 は 自己の今後の経営の可 能性 (多角化 など) を大 きくしてい く

ホ 近年の傾 向 として 「ローカルテ ィー」 とい うものが一種 にブーム となっているか ら地域性 を売 り物 にす ることが有利 と考 えられる し,それはその地域か ら離れない方が良い。

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地域の発展 とブラン ドの存在

地域の振興 ・発展 とブラン ドの関係 は図‑ 1の ように構成 されると考 えたい。

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ブラン ドと地域振興 の方向 81 ‑1地域の発展 とブラン ドの関係

まず,地域であるが現在,大 きな社会的問題 となっているのが中心市街地の衰退である。中心 市街地の核 となっているのが商業集積 である。中心市街地 における商業集積 といってよい。 これ らはおおむね,長い歴史の中で 自然発生的にで き上がった商店街である。 これ らが近年急速 に衰 退 を始め, シャッター通 りとか櫛引 き町 と言われる

この商店街の衰退の理由は次のことなどであると考 えられる

イ 都市 における住宅地が次第に郊外化 し始めてお り,買い物客 との物理的距離が広が り始め た。

ロ モー タリゼーシ ョンが急速 に進展 し,買い物行動が車 によるもの とな り始めた。

都市中心地 に出店の余地 をな くした大型店が郊外 のロー ドサイ ドに出店 し始めたこと,大 型店 を核 とす る郊外型 シ ョッピング ・モールがで き,十分 なる駐車場 による車対策 とワン ス トップ ・シ ョッピング対応がで きて きたことによって多 くの住民が郊外 に買い物行動の 動線 を移 したこと。

ニ 個人経営の零細 ・小規模の小売店の経営者が高齢化 し始め,後継者がない まま廃業の方向 をとること

ホ 家計消費 において物財購入 よ りもサー ビス購入の方が ウエイ トを高めて きた結果,中 心 市

街地の物販店が非物販店や事務所 に変わ り,店舗 の集積が落ちていること

この中心市街地の復活が現在 の商業政策の大 きな課題 となっている。そ こでの全体的意見 とし ては復興 は 「不可能ではないか」 とい うものである。確かに商業の性格 を見 ると時代や環境 の変 化 の中で従属的に動 く性格 を持つ ものであ り,商業立地 も例外ではない。 したがって,今, 中心 市街地の復活 といって もそれは時代の変化 に 「竿差す」 ものだ, とい うことであろう

しか し,全体 的でな く個別に詰めてい くと明 らかに復活の可能性 は高い, とい う地域 はい くら もある。その場合 の復活 を実現 させ る地域の条件 として,次の ようなことが上げ られる

イ 広域の中心 ともなる地域であ り,行政機 関の立地が伴 う場合 口 近隣の後背地の人口にある程度の密度がある場合

近 くに観光地があるか観光地の中にあるか観光ルー トの拠点 となるかの場合

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ニ 地域の特殊 な産物 (特産品)があるか著名 な地域 ブラン ドがあるかの場合 ホ そ の 他 の 若 干 条 件 (中心市街 地 に新 た な大型 の 出店が可 能 な場合 な ど) そ の 他

こう考 えてい くと中心市街地 として真 に復活 ・反映が可能な条件 を持つ地域 はご く限 られた と ころだけであろう。ある省庁のある委員会 においては 「四国で中心市街地 として今後,発展可能 な都市 は3か所 ない し4か所ではないか」 とい う発言が出て,みんながそ う考 えているとい う反 応であった。 もし,それが高松,松 此 徳島,高知の うちの3,4か所であるとした らそれは県庁 所在地のみである。そ うい う条件がない地域 に望みはないのだろ うか。

その中で考 え られるのは 「観光が らみ」であろう。地域の観光 を振興 させ,それによって集客 を行 い,その地域の中心 に商業集積 を位置づ けるとい う考 え方である。そ こでは観光の核 となる ものが必要であろうがそれは寺社 であ り,歴史的遺産であ り, 自然景観であ り, リゾー ト施設や テーマ ・パークであるがそこに特産物や地域 ブラン ドを組み込 ませ るのである。

そ ういった意味で赤福や群言堂は観光 と自己ブラン ドの合一化 を図 り,観光地 としての発展 と 地域 ブラン ドのナシ ョナル化 を同時に実現 していこうとい う方向をとるのであ り, こうした ビジ ネス ・モデルは今後の地域発展 の重要 なモデルになると考 え られる

私の調査研究の方向 としてこうい うパ ター ンを取 り上げてい こうと考 えている。幸 い,中心市 街地活性化法 に関連 した行政の委員会 にはい くつか関係 してお り,デー タや資料 は確保で きる

したがって,今後の課題 は赤福や群言堂の ようなケースを探 し出 し,そのブラン ドの状況 と地域 との関係 を分析 してみたい と思 うものである。

参考資料

渡辺広 行 『日本 の御 土 産』 トラ ンス ワール ドジ ャパ ン,2002 三重 の地域 文化誌 『伊 勢 人』伊勢 文化 舎,200612,20071

日経流 通新 聞 200618日号

野村 総合研 究所 「民 間事 業 者 な どの取 り組 み に よる市 街 地 活 性 化 にか んす る委 員 会」 (経 済 産業 省 委 託) 2006年度資料

石 原武政 ・石 井淳蔵 『街 づ くりのマ ー ケテ イ ング』 日本 経済新 聞社,1992 その他 赤福群 言 堂」 な ど関連 の ホー ムペ ー ジ多 数

参照

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