• 検索結果がありません。

雑誌名 評論・社会科学

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "雑誌名 評論・社会科学"

Copied!
36
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

風刺漫画とマス・メディアの「表現の自由」 : ム ハンマド風刺画事件の一考察

著者 李 其珍

雑誌名 評論・社会科学

号 82

ページ 31‑65

発行年 2007‑03‑15

権利 同志社大学社会学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011904

(2)

︹論文︺

風 刺 漫 画 と マ ス ・ メ デ ィ ア の ﹁ 表 現 の 自 由 ﹂

││ムハンマド風刺画事件の一考察││

李 其 珍

︵社会学研究科メディア学専攻博士課程後期︶

第一章序論

問題の所在 :

﹁表現の自由﹂はどこまで許されるのか︒二〇〇六年の初頭︑世界中のマス・メディアがこの難題をめぐる論争で燃

え上がった︒論争はメディアを通した論戦にとどまらず︑デモなど︑該当国の政府や一般民衆による直接行動を伴って

世界中に広がった︒きっかけは︑わずか一二枚の風刺漫画であった︒

二〇〇五年九月三〇日︑デンマークの有力日刊紙﹃ユランズ・ポステン︵JyllandsPosten︶﹄がイスラム教の預言者ム

ハンマドを素材にした風刺漫画一二枚を掲載したことが事件の発端である︒いずれもイスラム教に対する批判的視点か

ら描かれたものだったが︑特に問題になったのは︑火のついた導火線がある爆弾を頭にターバンのように巻いた男性を

描いたもので︑イスラム教の預言者ムハンマドを︑いわゆる﹁爆弾テロ犯﹂に仕立てたものであった︒

即座にデンマーク国内のイスラム教徒が反発し︑掲載翌月にはデンマークに駐在するイスラム諸国の大使ら一一人が

謝罪を求め︑ラスムセン首相に面会を申し入れたが拒否された︒やがて反発はデンマーク国内から海外のイスラム諸国

― 31 ―

(3)

に広がり︑外交問題に発展し始めた︒そのため︑﹃ユランズ・ポステン﹄のカーステン・ユースト編集長はすぐに遺憾

の意を表明し︑イスラム教徒の感情を傷つけたことを謝罪した︵〇六年一月三〇日︒しかし︑風刺漫画を掲載したこと

自体を謝罪したわけではない︶︒首相も︑謝罪とは程遠いが︑〇六年の新年演説で﹁個人の尊重を基本とする社会に︑

こうした行為はそぐわない﹂と述べ︑にわかに風刺漫画掲載への非難を表明し︑これで風刺漫画事件の沈静化が期待さ

れた︒

しかし︑デンマークにおける一連の動きを﹁表現の自由の敗北﹂と受け止めた一部の欧州諸国メディアが同風刺漫画

を転載して抗議することとなる︒これによって局面は問題の沈静化から一変し︑デンマーク一国を超え︑﹁表現の自由

か宗教への冒

顳ア世界のマス・メディに題敏感に取り上げられは問かに﹂を争う熾烈な攻防展の開したのである︒こ︑

﹁表現の自由﹂をめぐって同風刺漫画掲載の是非が議論される一方︑相次ぐイスラム諸国における暴力的抗議行動が強

く懸念された︒

事件から約一年が経過し︑国連や風刺漫画掲載に批判的な見方の国々︑マス・メディアなどの呼びかけ︑漫画を転載

した欧州メディアの謝罪によって︑騒ぎはいったん鎮まったように見える︒しかし︑それは表面的なものであって︑イ

スラム諸国は依然としてイスラム教に対するあらゆる表現に敏感に反応している︒一方︑同時件の国際紛争への発展が

食い止められたことを受け︑風刺漫画掲載の是非に対する議論は結論を出すに至らずうやむやに収拾されてしまった︒

しかし︑このままではムハンマド風刺漫画事件が残した重要な課題を見落としてしまうことになるのではないだろう

か︒

同事件で民主主義社会の最大価値とされる﹁表現の自由﹂が論争の的になったことは特に注目に値する︒現代のマス

・メディアとジャーナリズムにとって﹁表現の自由﹂とは何か︒今回の風刺漫画掲載は﹁表現の自由﹂の﹁行使﹂なの

か﹁濫用﹂なのか︒同事件が巻き起こした﹁表現の自由﹂論争は︑現代のジャーナリズムが直面した問題の重大さを示 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 32 ―

(4)

唆している︒しかし︑このような問題意識がマス・メディア自らによって十分に議論されたとは言い難い︒多くのマス

・メディアで見られた報道は︑風刺漫画掲載の是非とは関係なく︑今回の事件をあたかも宿命的な﹁文明の衝突﹂が勃

発したかのように騒ぎ立てるものだった︒西欧社会とイスラム社会の価値観の溝を既定事実として位置づけ︑マス・メ

ディアが抱える問題点からは目をそらすような論法である︒

一方︑ムハンマド風刺漫画事件以降︑事件の意味を分析する論考が数多く出されたが︑そのほとんどが宗教論あるい

は国際政治論からの視点に立っており︑風刺漫画やジャーナリズムの問題を重点的に指摘しているものは少ない︒風刺

漫画掲載に批判的な論考では︑主にイスラム教の教義解釈の問題︑事件の背景となる社会問題︑そして国際情勢の側面

などから漫画を問題視している︒実際ムハンマド風刺漫画事件はジャーナリズムの問題だけではなく︑現代の世界に実

在する様々な社会問題の現れである︒例えば︑近年︑欧州地域の国々で見られる移民差別問題が挙げられる︒そして︑

二〇〇一年九月一一日に米国で起きた﹁9・

11義の武力闘争対にする批判的見主理原教ムラスイで米欧︑降以﹂件事方

が強まってきたことも看過できない︒イスラム教の預言者をテロリストに描写し︑イスラム世界全体をテロ集団のよう

に風刺した今回の漫画がそのような事情を物語っている︒

このような事情を踏まえた上で︑同事件が勃発した最大原因であるマス・メディアの姿勢とその問題点を︑メディア

学の視座から眺めることが求められよう︒つまり︑問題の風刺漫画を掲載することで﹁表現の自由﹂の旗を振ったジャ

ーナリズムをどう見るかの問題である︒

本稿では︑問題となった風刺漫画掲載の是非を︑ジャーナリズム論の立場から批判的に議論したい︒とりわけ同事件

で争点となった﹁表現の自由﹂に関する論争に迫り︑ジャーナリズム理論の視点から議論を展開していきたい︒既存の

議論では︑同事件の原因となった風刺漫画や掲載主体であるメディアに対する批判的検証が十分に行われてこなかっ

た︒今回の事件では風刺漫画という表現手段が﹁表現の自由﹂を象徴する代名詞役を演じたが︑そのことが同事件の本

― 33 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(5)

質を把握するのに混乱をもたらしている︒風刺漫画がそもそもタブーを恐れない表現手段であるがゆえに︑イスラムの

教理上の理由からその表現の自由を奪ってはいけない︑という主張が蔓延した︒しかし︑そのような見方には︑風刺漫

画に内在するジャーナリズムとしての性質が見落とされている︒

今回︑風刺漫画をもって﹁表現の自由﹂が唱えられたことには︑風刺漫画をジャーナリズムから切り離して﹁表現

物﹂としての包括的な意味を与えたからである︒つまり︑風刺漫画が個人や団体を含む全ての人間による表現物の総体

として位置づけられ︑掲載主体である新聞との関連性が目立たなくなったと言える︒本来︑マス・メディアに掲載さ

れ︑論評の機能を果たす風刺漫画は︑ジャーナリズムとしての責任とマス・メディアの倫理が問われるべきである︒し

たがって︑今回の事件における風刺漫画掲載の是非の問題は︑﹁表現の自由﹂一般ではなく︑より限定された意味の︑

ジャーナリズムにおける﹁言論の自由﹂の範疇で議論することが妥当であろう︒

昨今︑﹁表現の自由﹂や﹁言論の自由﹂︑﹁知る権利﹂を掲げ︑それを盾に人権を侵害するといった報道被害が社会問

題となっており︑ムハンマド風刺漫画事件でも︑社会的弱者であるイスラム教徒の欧州移民への人権侵害の側面が強

い︒本稿では︑同事件における風刺漫画掲載の是非を︑ジャーナリズムにおける﹁言論の自由﹂の問題として議論して

いきたい︒そうするために︑まず事件の背景を検討し︑同事件を扱った報道や論考で︑どのような議論が行われたかを

検証して議論の構造を把握することにする︒

第二章事件の概要

第一節経緯と経過

ムハンマド風刺漫画事件が起きた最初の経緯は︑〇五年九月三〇日に︑ムハンマドを風刺した一二点の漫画がデンマ 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 34 ―

(6)

ークの新聞﹃ユランズ・ポステン﹄に掲載されたことである︒同紙はデンマークで最大の発行部数︵一五万部︶を誇る

有力日刊紙である︒同紙の文化担当編集者フレミング・ローゼによると︑﹁一二点の風刺漫画は︑表現の自由と自己検

閲を論じた記事とともに掲載されたもの﹂である︒つまり風刺漫画は最初から︑表現の自由の象徴として用いられた︒

米国の社会学者エモリ・ボーガダースは︑﹁風刺漫画は﹃言論の自由﹄の試金石である﹂と述べたが︑同紙の風刺漫画

掲載は︑まさに自国における﹁表現の自由﹂の程度を試すために行われたというのである︒

問題の風刺漫画が掲載された経緯はこうである︒デンマークの作家コーレ・ブルイチェンという人が聖典コーランと

ムハンマドの生涯をテーマにした子ども向けの絵本を制作しようとした際︑絵を担当してくれる画家を見つけることが

できなかった︒イスラム教では偶像崇拝が禁止されており︑預言者を描くことで激しく抗議される恐れがあったから

だ︒これを︑イスラム教からの批判を恐れた画家たちの自己検閲であると受け止めたデンマークの新聞界が反発し︑先

に﹃ポリティケン﹄紙が﹁自己検閲﹂を懸念する記事を載せた︒これを受け︑二週間後︑﹃ユランズ・ポステン﹄がム

ハンマドを風刺した漫画を画家たちに依頼︑出来上がった一二作品を掲載したのである︒

同紙の行為は︑掲載後半年間に渡って世界中を巻き込む大騒ぎを起こしていく︒その中で︑デンマーク国内の政治環

境や社会問題︑欧州社会とイスラム移民の

鐚由因要の件事︑がどな問疑のへ﹂自藤題︑教義解釈問︑のそして﹁表現と

して浮き彫りになっていった︒

表1に掲載後の経過を時系列にまとめてみる︒

ムハンマド風刺漫画事件は次第に国際問題に発展し︑世界各国の主要新聞・テレビを事件に巻き込んでいった︒フラ

ンス︑ドイツ︑ノルウェー・オランダなどの新聞は︑問題の風刺漫画を転載︑あるいは独自のムハンマド漫画を掲載す

ることで﹁表現の自由﹂を強くアピールした︒これに対し︑米国と英国などのメディアは風刺漫画の転載を自粛し︑

﹁表現の自由﹂に対する欧州各紙との認識の相違を示した︒

― 35 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(7)

1 ムハンマド風刺漫画事件の経過

『ユランズ・ポステン』が預言者ムハンマド風刺漫画12点を掲載。

デンマーク駐在のイスラム諸国の大使11人がラスムセン首相に会談を 要請するが、拒否される。

デンマークイスラム教徒代表団がアラブ諸国に抗議を要請。

アラブ連盟外務大臣がデンマークを批判。

ノルウェーのキリスト教系日刊紙『マガジネット』が風刺漫画を転載。

サウジアラビアの宗教界最高権威の「大ムフティ」がデンマーク政府に 対し、『ユランズ・ポステン』を罰するように要請。

サウジアラビア、デンマーク製品の不買運動と駐デンマーク大使を召 還。

リビアが大使館を閉鎖、中東全域に抗議が広がる。

『ユランズ・ポステン』の編集長がムハンマド風刺漫画掲載についてイ スラム教徒の感情を害したことを謝罪。しかし掲載したこと自体を謝罪 したわけではない。

フランスの夕刊紙『フランス・ソワール』が風刺漫画12点を転載、同 日夜、編集局長が解任される。

ドイツの『ウエルト』紙、イタリアの『スタンパ』紙、スペインの『ム ンド』紙が風刺漫画を転載。

デンマーク製品不買運動がイスラム諸国全体に拡大。

デンマークのラスムセン首相が中東の衛星テレビ「アルアラビヤ」に出 演し、「風刺漫画がイスラム教への冒顳だと受け止めることに心を痛め ている」と述べる。

フランスの『ル・モンド』、『リベラシオン』は独自のムハンマド風刺漫 画を掲載し、表現の自由を主張。是に対してリヨンで抗議デモ。

英国主要紙『インディペンデント』、『サン』などが社説で風刺漫画掲載 を批判。

シリアの首都ダマスカスで、デンマーク・ノルウェー大使館が打ち焼き される。

米国『フィラデルフィア・インクワイアラ』紙が風刺漫画を転載。

マレイシア、ニュージーランド、イエメン、ヨルダンなどで新聞が風刺 漫画を転載し、編集長が解任されたり、検察当局に逮捕される。

レバノンのベイルートでデモが暴動化し、キリスト教会を襲撃、死者1 人が出る。

アナン国連事務総長などが、冷静な対応を促す共同声明を出す。

イランの最高指導者ハメネイが「欧米の言う言論の自由はイスラム教徒 への侮辱を許しても、ホロコースト神話を疑うことは認めない」と批 判。

イランの『ムハシャハリ』紙は、ホロコーストに関する風刺漫画コンテ ストを実施すると発表。

フランスの漫画週刊誌『シャルリー・エブド』は特別号を「ムハンマド 特集」とし、過激な漫画を多数掲載。通常販売部数の3倍の40万部が 売れる。

デンマークのラスムセン首相が「宗教感情を害すような表現を避難す る」と声明発表(エジプトの『アルアハラム』紙面にて)。

アナン国連事務総長は風刺漫画転載を非難する一方、イスラム諸国の過 激な抗議行動に対し自粛を求める。

ノルウェーの『マガジネット』の編集長が、1月10日の風刺漫画転載 を謝罪。

※この時系列表は、『COURRiER Japan』2006年3月2日号21頁と、『綜合ジャーナリ ズム研究』2006年4月号49〜51頁を参照して、筆者が作成したものである。

05年9月30日 10月19日 11月12日 12月29日 06年1月10日 1月25日 1月26日 1月29日 1月30日

2月1日

2月2日

2月3日

2月4日

2月5日 2月7日

2月9日

2月10日

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 36 ―

(8)

第二節事件の背景

ムハンマド風刺漫画事件はなぜ欧州︑デンマークで起きたのか︒事件の経過で見られるように︑事件には様々な要因

が見え隠れする︒ジャーナリズム論として風刺漫画の是非を論じる前に︑問題の風刺漫画が描かれるようになった社会

的背景を探っておきたい︒特に風刺漫画は常に現実問題を表現の題材としており︑作品が生まれる社会的背景を理解す

ることは不可欠である︒

同事件における社会的背景は︑第一に宗教的背景︑つまりイスラム教の教義解釈の問題である︒第二は︑西欧社会が

抱える移民問題である︒

︵一︶イスラム教の偶像崇拝禁止

イスラム教では偶像崇拝が徹底的に禁止されており︑神はもちろん預言者を描写することも固く禁じられている︒ム

ハンマド風刺漫画が問題となったのはそのためだ︑という見解が事件後の議論の主流である︒﹃ユランズ・ポステン﹄

紙の文化担当編集者のローゼは﹁イスラム教徒ではない人間にまでタブーを押し付けるとしたら︑私に敬意を払わず服

従を求めることである﹂と述べ︑イスラム教徒からの抗議に反論している︒問題の漫画が預言者を描写したこと自体が

イスラム教にとって問題だとするこの議論は︑同事件をイスラム世界と西欧世界の文明・価値観の衝突と見る見解を支

えている︒

ところが︑イスラム研究者の田中考は︑風刺漫画が偶像崇拝の禁止に抵触する︑という話はまったくの誤解だと説

く︒田中は﹁同事件をイスラムの偶像崇拝の禁止によって解説し︑西欧の表現の自由の対立として捕らえる見方﹂に反

論し︑﹁偶像崇拝の禁止は︑ユダヤ教︑キリスト教︑イスラム教のセム系一神教全てに共通しており︑イスラムだけの

教えではない﹂と主張する︒田中のイスラム教の教義を分析によると︑預言者を描写することが問題なのではなく︑

― 37 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(9)

﹁預言者について嘘を述べること﹂つまり︑﹁預言者について間違ったイメージを与えること﹂である︒実際に︑前近代

のイスラム世界には宗教画が存在し︑その中にはムハンマドの肖像も含まれているという︒田中は︑﹁風刺漫画がムス

リムたちの怒りをかった原因は﹃預言者の誹謗﹄である﹂と言い切る︒例として︑イスラム諸国のムフティー︵イスラ

ム教義諮問官︶ら四二人が連名で出した声明文に︑﹁偶像崇拝の禁止﹂に関して一言も言及されていないことを挙げて

いる︒

このような意見は︑主にイスラム教に関わる専門家や信者自らによって主張されている︒エジプトのアズハル・モス

ク︵礼拝所︶のイード・アブデルハミド・ユセフ師は﹃読売新聞﹄とのインタビューで︑﹁なぜ教徒が怒るのか﹂の質

問に対し︑﹁ムハンマドをテロリストとして描いたからだ﹂と答えている︒

このように︑ムハンマド風刺漫画事件の背景には︑まず︑イスラム教の宗教的信念と行為に対する西欧社会の誤解と

反発があると考えられる︒その上に︑宗教問題を超えるより複雑な社会的要因が絡んでいる︒したがって︑単純に︑ム

ハンマド風刺漫画が預言者を描写したから反発されている︑という解釈は妥当ではない︒イスラム世界からの抗議を教

義上の問題のみに矮小化する見方は︑イスラム教を否定的な観点からとらえるあまり︑﹁宗教の教義﹂対﹁表現の自由﹂

の敵対的構造を作り上げている︒

︵二︶西欧社会の移民差別問題

事件の舞台となったデンマークは︑欧州の中でも特に﹁外国人問題を敬意むき出しで論じ︑移民法を大幅に厳しくし

の事指摘する︒同紙は今回の件紙がデンマークで発生したは﹄ラウ﹂だと︑ドイツの﹃フンたクフルタールントシャ国 !

は偶然ではないと述べ︑デンマークの政治状況と事件との関連性を次のように分析した︒

﹁五年前に右派連立政権が発足して以来︑移民の家族呼び寄せは三分の一に︑難民の受け入れは四分の一に減った︒ 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 38 ―

(10)

難民の家族は以前の半分の生活保護費に甘んじている︒︵中略︶

デンマークの主要なメディアは外国人をひとくくりに問題の種として扱うことが常で︑彼らを︑﹃人的な資源﹄とみ

なすことはない︒極右の国民党議員たちはイスラム教を﹃癌﹄であり﹃テロの源﹄だとみなしてきた︒︵中略︶

掲載から四ヶ月経って突然火がついた風刺漫画問題について︑ラスムセン首相が批判の声を上げないことや︑イスラ

ム諸国の大使たちによる調停の求めをすげなく却下したことに驚きはないだろう︒彼はイスラム教徒たちをデンマーク

の価値観に従わせようという姿勢を有権者にアピールしている﹂︒

でク住の米国人ケビン・マグンウィンの論考から明らか在ゲでーの分析が決して大げさは同ないことは︑コペンハ紙 !

あろう︒マクグウィンはデンマークのイスラム教徒たちが﹁風刺画を見て疎外感を深めた﹂と情況を報告する︒デンマ

ーク国内にはムスリムがおよそ二〇万人住んでおり︑彼らのほとんどが暮らすのは市内南部の低所得者用公共住宅だと

いう︒﹁スカンジナビア系住民と移民の間に存在する溝がデンマーク社会に重い影を落としている﹂ことは間違いない

と見て良いだろう︒

デンマークだけではなく︑現実に︑西欧諸国に移住したイスラム教徒が社会的弱者として生きている︒法政大学大学

院教授の青木保は同事件に関する論考で︑﹁イスラム以外のアジア系人やアフリカ系人よりも︑イスラム諸国からの移

欧︑と述べる︒さらに青木はイるスラム教徒は﹁多くの西﹂あ﹄がちに﹃少数者・異端者と民しての圧倒的な存在感た "

社会では同じ﹃市民﹄ではあるが︑﹃移民﹄であり︑一段と低い存在﹂︑つまりマイノリティであると強調する︒そして

彼ら移民は﹁西欧植民地支配の遺した結果であり︑また西欧資本主義社会のもたらした結果である﹂のにもかかわら

ず︑いまや﹁EU︑あるいは西欧諸国の﹃厄介者﹄になったイスラム教徒移民への侮蔑と排他的感情﹂が蔓延してお

り︑風刺漫画事件はそのような感情の反映だと主張する︒

西欧社会の新聞がムハンマド風刺漫画を掲げて﹁表現の自由﹂を唱えたことは︑イスラム移民との根深い

鐚藤・不調

― 39 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(11)

和という現実と無関係ではない︒このことは事件当事者﹃ユランズ・ポステン﹄紙のローゼの発言で明白だ︒﹁これは

文明の衝突であり︑要は社会が移民と一体化するためにどこまで妥協できるかという論争だ︒と同時に︑移民が社会に

︒いけないか︑とうと問題である﹂いいど溶し協妥でまこなにめたむ込け !

欧州における反移民感情の気流に︑二〇〇一年の﹁9・

1=1の﹂トスリロテ徒教ムラスイ﹁︑たっが広降以﹂件事イ

メージが大きく影響したことは言うまでもない︒今回の風刺漫画も︑﹁暴力﹂や﹁テロ﹂のイメージをイスラム教徒全

体に適用している点で︑基本的に反移民派︱保守右翼勢力の利害に相応したものだと言える︒当然︑﹁表現の自由﹂を

︒い別﹂を行ったとう族批判も聞こえる差民ス﹁に︑公然とイラ口ム教徒に対する実 "

第三章事件をめぐる議論の構造分析

本章では︑前章に考察した事件の経緯・経過と背景を踏まえて︑ムハンマド風刺漫画事件に関連する議論を検証し︑

その全体構造を把握したい︒前章で既に︑事件の経緯や背景を理解するために論考の一部に触れたが︑ここではさらに

対象を広げて︑ムハンマド風刺漫画事件に対するあらゆる意見を検証したい︒

考察の対象は日本で出された議論を中心とするが︑海外のマス・メディアで論じられている内容も一部取り上げるこ

とにする︒そして︑考察の対象となる論考は︑学者・専門家による論考と新聞の論評である︒分析枠は︑同事件におけ

る核心的な論点として第一︑宗教的観点︱イスラム教義解釈の問題︒第二︑西欧とイスラム圏の社会問題︱移民・差別

など︒第三︑国際情勢・政治的要素︱事件の政治的利用︒第四︑風刺漫画とジャーナリズムの問題︱﹁表現の自由﹂論

争︑の四つを取り上げる︒ 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 40 ―

(12)

第一節宗教論の視点から││イスラム教義解釈の問題

とりわけ︑日本で出された論考の特徴と言えば︑宗教学の知見から風刺漫画の掲載を批判する傾向が強いということ

である︒前章で挙げた田中のように︑イスラム専門家として教理を正確に理解した上での論考もあるが︑より多い議論

は田中が批判する単純論法である︒イスラム教が偶像崇拝を禁じているため︑風刺漫画の掲載は信仰の自由を侵害する

恐れがある︑という解釈である︒例えば︑﹃毎日新聞﹄〇六年二月十一日付国際面の記事では︑﹁イスラム世界の怒りは

︿一﹀預言者ムハンマドが漫画でからかわれた︿二﹀イスラム教は偶像崇拝を禁じているのに︑絵という形で預言者を

偶像にしたこと﹂だとまとめている︒﹃朝日新聞﹄も社説︵同年二月七日付︶で︑﹁イスラム教は偶像崇拝を禁止し︑預

言者を描くことも禁じている︒イスラム教徒の目には︑これらの漫画は宗教上のタブーに正面から挑戦し︑自分たちの

宗教を侮辱するものと映った﹂と分析している︒

一方︑同じく宗教的観点からのアプローチでありながら︑風刺漫画を擁護する議論もある︒池内恵︵国際日本研究セ

ンター助教授︶は︑イスラム教義の偶像崇拝禁止を問題の引き金とみなし︑イスラム世界を批判する代表的な論者であ

ン触諸国の思想や言論情況にれーている人間として︑ムハムラ六ス池内は﹃論座﹄二〇〇年る四月号で︑﹁筆者はイ︒ !

マドの顔を描くという行為がいかに重大な違反や挑戦と受け止められるか︑認識している﹂と述べた上で︑﹁イスラー

ム教徒の主張に膝を屈するしかない︑という形の要求が︑西欧諸国の多数の市民にとって納得の行くものではないだろ

う﹂と︑イスラム教義の排他性を問題視している︒池内は︑﹁西欧諸国の日々の新聞では︑この程度の表現はありふれ

たもの﹂なのに︑﹁ムハンマドの図像を描くという行為自体によって大罪が起こされているのであって︑ムハンマドを

題材にした場合にどの程度の揶揄や批判までは許されるのか︑といった交渉の余地のない﹂イスラム教義に問題があ

る︑と主張している︒

以上のように︑日本では風刺漫画﹁擁護派﹂︑﹁批判派﹂に関わらず︑教義上の問題が数多く指摘されたが︑風刺漫画

― 41 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(13)

の内容と掲載行為の是非を問うた議論は比較的に少なかった︒

第二節西欧とイスラム圏の社会問題││移民・差別など

この争点は︑前述で既に青木やマクグウィンの見解を取り上げたように︑西欧社会が抱える現実問題︑即ちイスラム

移民への反感と差別を問題視する主張である︒イスラム専門家のオリビエ・ロワの見解はより鮮明だ︒ロワは

﹃NEWSWEEK﹄〇六年二月二二日号︵日本語版︶で︑﹁欧州のイスラム教徒にとってネックとなったのは︑教義上のタ

でがらす主流のイスラム教徒訴にえるのは﹁平等と融和﹂暮州断欧よりも﹃差別﹄だ﹂と言ブした︒ロワによると︑ー !

あり︑彼らは共通の価値観を守るために長年︑他の宗教と力を合わせてきた︒なのに︑今回の風刺漫画ではイスラム移

民に対して西欧社会の﹁二重基準﹂が適用されたと言う︒﹁同性愛者やマイノリティへの不当な扱いを禁止する国も増

える一方﹂︑﹁なぜ︑イスラム教徒を︵特に人種差別ギリギリの表現で︶風刺することは社会的に容認されるのか﹂とい

うわけだ︒ロワは他にも同事件を政治的に利用し︑欧州でイスラム教の影響力を広げようとする動きにも警鐘を鳴らし

ている︒

山内昌之︵東京大学大学院教授︶は︑西欧とイスラムの両方に対して批判的でありながら移民への差別問題を取り上

をら事件が﹁いまだに消えやぬ回西欧の植民地支配の記憶の今に︑︒﹃潮﹄〇六年四月号掲げ載された論考で山内はる "

イスラーム世界やアジアの人々に呼び覚ました﹂と言及した︒さらに﹁テロとの戦いの一環として﹂行われる世界各地

でのイスラム住民への圧迫を承認する雰囲気が強い欧米の政府や世論に対する反感にも注目する︒そして︑西欧社会に

は︑﹁ムスリムの住民たちはヨーロッパ社会の自由主義や個人尊重の価値観を共有せず︑差別や疎外といった否定的面

だけを問題にしようとする傾向﹂に不満があったはずだと︑イスラム移民者の問題点も指摘した︒

この他︑伊藤光彦︵和光大学教授︶は︑デンマークの政治状況を取り上げ︑反移民感情の強まる国内情勢を説いてい 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 42 ―

(14)

ての路線であることが︑今回風寄刺漫画騒動の背景となっり右治る﹁現在のデンマーク政がる自由党︑保守党から成︒ !

いる﹂とのことだ︒この保守政権は極右ナショナリズム党の﹁デンマーク国民党﹂の閣外協力によって成り立っている

のだが︑﹁当然︑国内に住む外国人︵ほとんどがムスリムである︶に厳しい目を向ける︒﹂しかし︑伊藤は必ずしもデン

マーク政治風土が風刺漫画事件のバックグラウンドとは言えないことを喚起する︒

第三節国際情勢・政治的要素││事件の政治的利用

ムハンマド風刺漫画事件で︑イスラム諸国では暴力を伴う抗議行動が続発した︒〇六年二月三日にはシリアでデンマ

ークとノルウェーの大使館が焼き討ちされ︑翌日はレバノンでキリスト教会が襲撃されている︒デンマーク製品不買運

動や︑﹃ユランズ・ポステン﹄へのテロ脅迫なども激しい抗議行動の一環として起こった︒一連の過激な抗議行動につ

いて︑事件が特にイスラム諸国の政府によって政治的に利用されているとし︑批判する声も高い︒

青山弘之︵アジア経済研究所研究員︶は﹃世界﹄〇六年四月号で︑今回の事件における﹁イスラーム教徒の対応﹂は

抗青している﹂と主張した︒山をはシリアとレバノンでのな味固意のほとんどが当該国に有﹁の政治的環境のもとでそ "

議行動を取り上げ︑それらが﹁官製デモ﹂の性格であったとし︑﹁デモへの動員を通じて権力基盤が盤石であること﹂

を欧米各国に暗示しようとしたと述べ︑イスラム政権を強く批判した︒しかし風刺漫画の内容や掲載の是非については

言及しなかった︒

はる﹁問題の認識を誤らせもはの﹂だと反論する︒池内︑内上池に対し︑イスラム教義のこ排他性を批判しているれ #

抗議行動が政府の扇動や一部過激派の仕業ではなく︑あくまでも教義を崇拝するイスラム教徒全体によるものだと主張

する︒﹁むしろ社会の側から自発的な動きに突き上げられ﹂たものだと言うのである︒

一方︑前掲のオリビエ・ロワは︑青山と同じく︑抗議行動の根底にある政治的な思惑があり︑それは﹁もっと現実的

― 43 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(15)

︶敵﹄の側に立ち︑国内の政︵正大半はイスラム武装組織論﹃よで由﹂だと言う︒ロワにるなと︑﹁ねらいは宗教戦争理 !

の出はなをくじいて︑欧州の移民社会に対する影響力を強化することだ︒﹂ゆえに︑今回の事件は﹁権力と既得権益に

固執しようとする保守派と︑欧州を中心に拡大している現代的なイスラム共同体の対立﹂であると分析する︒

第四節風刺漫画とジャーナリズムの問題││﹁表現の自由﹂論争

ムハンマド風刺漫画事件で︑もっとも重要なキーワードは﹁表現の自由﹂である︒風刺漫画を用いた表現が直接的な

引き金となり︑それを掲載したメディアは︑風刺漫画を使って﹁表現の自由﹂の擁護を唱えた︒フランス︑ドイツ︑ノ

ルウェーなど︑欧州のおよそ一〇カ国のメディアが﹃ユランズ・ポステン﹄の行為を﹁表現の自由﹂の観点から擁護

し︑風刺漫画を転載︑掲載し続けた︒

︵一︶﹁擁護派﹂の主張

〇六年一月三〇日︑﹃ユランズ・ポステン﹄が謝罪を表明した翌日に︑フランス紙﹃フランス・ソワール︵France

Soirて的宗教上の教義も︑民主世でな俗的な社会に強要されるいか題︶﹄︑ドイツ紙などが問の風刺漫画を転載した︒﹁ "

︒集の理由だった︵同紙の編長決はこの件で解任された︶断載﹃転けない﹂ということがフはランス・ソワール﹄のい #

同紙は社説で︑漫画掲載の決定を擁護し︑このように論じた︒﹁もし社会が世の中にある様々な宗教のタブーを守らね

﹂をったり来たりする自由こ︑の世に残せるだろうか︒行由か自らないのであれば︑いにばして考える自由︑話すな $

フランスでは同紙に続き︑﹃ル・モンド﹄や﹃リベラシオン﹄などが独自のムハンマド漫画を掲載する動きを見せ︑

﹁表現の自由﹂への抑圧を強く警戒した︒そのなかで︑フランスに暮らすイスラム教徒から最も強い反発を受けたのが

漫画週刊誌﹃シャルリー・エブド﹄である︒同誌は二月八日発行の誌面で︑一一ページにわたる宗教関連漫画を掲載し 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 44 ―

(16)

たが︑例えば﹁ムハンマドが﹃アホに好かれるのもつらいで﹄と両手で顔を覆っている﹂ものなど︑ムハンマドを素材

とした風刺がほとんどだった︒同誌のフリップ・バル編集長は︑﹃フランス・ソワール﹄と連携し︑﹁民主主義とその柱

︒りたべ述と﹂たっかた守を由自の現表るあで !

同じく漫画を転載したドイツの﹃ヴェルト︵DieWelt︶﹄の編集者︑ロジャー・コペルは︑﹁デンマークの謝罪は降伏

だ︒表現の自由を守る代わりに︑暴れる雄牛に屈してしまった︒今度はヨーロッパの残りが明確な態度を打ち出すべき

だ﹂と転載の経緯を述べた︒ "

さらに︑ドイツの保守系日刊紙﹃フランクフルター・アルゲマイネ﹄は︑アラブ諸国によるイスラム教徒への扇動に

対して欧州人は﹁毅然とした態度をとらなければならない﹂と主張した︒同紙は︑﹁われわれが生活する市民社会にお

いては︑思考上のタブーがあってはならない﹂とし︑﹁イスラム社会は︑自らの文化について根本的な批判を行ってこ

︒をたし判批く強手相と﹂たっかな #

欧州では他にイタリア︑スペインの新聞が漫画を転載し︑ニュージーランドやアラブ圏の国ヨルダンやイエメンでも

同様の主張をもって漫画が掲載・転載された︒

︵二︶ムハンマド風刺漫画掲載・転載への批判

﹁擁護派﹂の主張は多数の論考で反論されており︑主に﹁表現の自由﹂の限界が指摘されている︒日本では︑例えば

山内が︑同事件で﹁メディアの公平な認識﹂が問われたとし︑﹁表現や批判の自由とは︑他者の健全な信仰という心の

領域を侵すことを意味しない︒﹂﹁果たして︑異なる世界観や感受性への責任や尊敬心をもたない自由や権利というもの

がありうるだろうか︒﹂と述べ﹁表現の自由﹂を掲げたムハンマド風刺漫画掲載を批判した︒

青木も︑同事件を﹁﹃言論・表現の自由﹄の問題として論じるのには無理がある︒﹃言論・表現の自由﹄の名の下に正

― 45 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(17)

当化することはできない﹂と述べ︑その理由を﹁今回風刺漫画を掲載した西欧諸国におけるイスラム教徒は圧倒的に少

数派である﹃弱者﹄である﹂からだと説く︒

山内の言う﹁メディアの公平な認識﹂が示す思考の範疇は広く︑また︑﹁他者の領域﹂への尊重がイコール﹁メディ

アの公平﹂を意味するとは限らない︒そこには﹁メディアの公平﹂を測るための物差しが必要であろう︒例えば︑青木

が論じた﹁社会的弱者﹂言説を持ち込むことで︑﹁メディアが社会的弱者に対して公平か否か﹂を議論することができ

よう︒つまり︑この場合︑漫画を転載したメディアにとって︑風刺される側としてのイスラム教徒が辛辣な風刺︵誹謗

に近い︶に値するほどの社会的存在であるかどうかが自問されなければならない︒

︵三︶世界の言論界が下した風刺漫画掲載の是非

風刺漫画の波紋が世界中に広がるとともに︑欧州以外の地域のマス・メディア編集者らは︑同漫画の掲載・転載に対

して判断を下さなければならなくなった︒米国と英国のメディアのほとんど︑そして日本のメディアは風刺漫画転載に

否定的な考えを示した︒

米国ではほとんどの主流メディアが問題の風刺漫画を掲載しないことを決めた︒﹃ニューヨーク・タイムズ﹄﹃ワシン

トン・ポスト﹄﹃ロサンゼルス・タイムズ﹄﹃シカゴ・トリビューン﹄などは︑問題の漫画を掲載しなくても︑その攻撃

ジにタイムズ﹄は自らの紙面︑ク﹃ウォールストリート・・ー判ヨ内容が十分に伝わると断的したのである︒﹃ニューな !

立あ的に漫画掲載に否定的でる間ことを示したが︑自社の接︑編でナル﹄など他メディア集ャ者の見解を載せることー "

︒し・プレス﹄の取材に対てンはコメントを断っているスラ︒フ明白に述べてはいない例場えば﹃エージェンス・を #

一方︑﹃ワシントン・ポスト﹄は社説で︑﹁なぜ︑問題の漫画を載せない﹂という読者からの質問に答え︑﹁︵﹃ワシン

トン・ポスト﹄は︶毎日のように旺盛に表現の自由を働かせている﹂が︑﹁あの漫画を掲載することは︑我々の原則に 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 46 ―

(18)

!

﹂なったくのニュース価値のい﹁︑事実とかけ離れたものま︑たをると判断した﹂と述べ︒反しかも同紙は問題の漫画す "

だと厳しく非難した︒

英国のメディアはフランス︑ドイツなどの欧州諸国が一斉にムハンマド風刺漫画を転載するなか︑それに対して懐疑

的な姿勢を見せた︒﹃ガーディアン﹄は記事で︑﹁ムハンマド漫画の内容の是非に関係なく︑それを掲載する自由は保障

されなければならない﹂と︑﹁表現の自由﹂の普遍的価値を述べた上で︑﹁しかし︑問題はそこで終わらない︒﹃表現の

ば︶﹁あるものを出版︵掲載すはる権利が︑そうしなけれ︑事る記﹄には限界と境界があ﹂自と問題を提起した︒同由 #

ならない義務を意味するわけではない﹂﹁現在︑議論になっているからといって︑問題の漫画を掲載する義務はない﹂

として︑例えば﹁ナチ・ドイツでは当たり前だった反ユダヤ漫画を︑︵だといって我々が︶掲載することは不適切であ

ると同じように﹂と︑同紙のスタンスを明らかにした︒

﹃BBC﹄は〇六年二月二日に欧州各紙に風刺漫画が掲載されている様子を放映したが︑放送直後に報道局長が︑﹁視

︒ばたし明表と﹂るす罪謝らなたっ思に快不が者聴 $

日本の﹃朝日新聞﹄﹃読売新聞﹄はそれぞれ社説で同事件を論評し︑風刺漫画掲載に批判的な考えを明らかにした︒

﹃朝日﹄は︑風刺漫画掲載とイスラム諸国の暴力的抗議行為に対して両者批判し︑﹁表現の自由﹂に関しては﹁かけがえ

的を配慮は欠かせない︒節度保へちたい﹂と述べた︒基本のど心ないものだ︒だが︑人がののよりどころとする宗教な %

に風刺漫画掲載に批判的ではあるが︑論評は情勢分析に近いものであり︑ジャーナリズムの問題には積極的に踏み込ま

ず﹁節度﹂と﹁寛容﹂に言及する程度にとどまっている︒

た事画を転載しなくても︑記だ﹁けで中身は十分﹂だとし漫︒対る売﹄は風刺漫画掲載にし﹃て多少強く批判してい読 &

上で︑漫画掲載の欧州メディアを﹁いたずらに他者を傷つけることだけが目的のような無責任なジャーナリズム﹂だと

批判した︒さらに﹁表現の自由︑言論の自由には重い責任が伴う﹂とし︑ジャーナリズムの﹁責任﹂に迫っている︒

― 47 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(19)

こん尾に﹁本紙は掲載しませ﹂のという趣旨を記した︒﹁末事月記日新聞﹄は︑〇六年二一﹃〇日付の紙面で︑関連毎 !

れを掲載した欧州諸国の新聞は﹃表現の自由﹂﹄﹃言論の自由﹄を盾にとって﹂いるが︑﹁表現の自由は節度を伴わなけ

ればならず︑言論の自由は良識の裏付けが必要﹂であり︑同風刺漫画は﹁節度も良識も欠いて﹂いると判断したからだ

という︒

︵四︶ムハンマド風刺漫画批判論の落とし穴

以上でマス・メディア自身による風刺漫画掲載批判の議論を取り上げてみたが︑一つ釈然としない点がある︒それ

は︑各紙が問題の漫画を掲載しないと決めた理由である︒米国の新聞界は﹁イメージを掲載しなくても意味が十分に伝

わるから﹂だとしており︑英紙﹃ガーディアン﹄は﹁﹃表現の自由﹄における限界と境界﹂を提示するが︑どこまでが

境界で限界なのかが不明である︒日本の新聞も﹁寛容﹂﹁節度﹂そして﹁責任﹂を言及しているが︑それらの倫理規範

については具体的に論じていない︒要するに︑同漫画がイスラムの人々を傷つけるものであり︑﹁無責任﹂で﹁節度﹂

がないから掲載をやめるといった理由は妥当であるが︑ジャーナリズムにおける﹁表現︵言論︶の自由﹂を自らの行動

規範・原則の中で定めるための議論には至っていない︒

例として︑一つの興味深い論考を挙げよう︒英国誌﹃エコノミスト﹄の編集長ビル・エモットは﹃潮﹄〇六年四月号

さえ論じた︒エモットは︑例ば非日本で皇室への侮辱が許を是てのジャーナリズム論としムでハンマド風刺漫画掲載︑ "

れないことを挙げ︑﹁表現の自由﹂は﹁その国特有の文化に基づくタブーによって制限されることがある﹂と述べる︒

つまり﹁良識﹂に基づく﹁表現の制限﹂である︒したがって︑デンマークの編集者は﹁表現の自由﹂の権利があるから

風刺漫画を掲載できたものの︑﹁良識﹂から外れていたため︑その自由が彼らの行為を正当化するものではない︑とい

うのである︒ 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 48 ―

(20)

エモットは同時にイスラム諸国による抗議に対しても懐疑的である︒理由は﹁イスラム圏の新聞︑少なくとも中東諸

国の新聞は他の文化︑中でもユダヤやアメリカ大統領を侮辱する風刺漫画を︑連日のように掲載している﹂からだと言

う︒しかし︑一見正論のように思えるエモットの議論は︑実は一般化の誤ちをおかしている︒確かに今回の場合︑イス

ラムに対する﹁良識﹂を欠く侮辱的な表現が問題になったが︑全ての批判的表現が﹁良識﹂を欠くものとは言えないか

らだ︒例えば︑批判されて当然の腐敗した政府・政治家を風刺することや︑他国・他民族に対して不当な暴力や抑圧を

加える権力への風刺が侮辱的な表現を用いたとしたらどうだろうか︒問題は︑何に対する表現︵言論︶なのか︑何のた

めの表現なのか︑である︒イスラム圏の新聞が︑イラクを武力侵攻した米英の指導者や︑パレスチナに対する不当な軍

事行動を続けるイスラエルを批判することは正当である︒弱者が強者による不当な権力行使を批判する手段として︑風

刺漫画は存在意義を持つ︒ジャーナリズムに関しても同様であろう︒

エモットの議論の矛盾点から明らかであるように︑今回の事件で言論界は︑ジャーナリズム﹁節度﹂や﹁寛容﹂︑﹁良

識﹂の範疇に留めるのではなく︑ジャーナリズムの﹁原則﹂﹁基準﹂を提示するための議論を行うべきだったのではな

いだろうか︒メディアは自らにとって﹁ジャーナリズムの原則とは何か﹂を根拠に︑風刺漫画掲載の可否を判断し︑そ

れを読者・視聴者と共に議論すべきであったと言えよう︒

以上で︑ムハンマド風刺漫画事件後︑これに関連して論じられた様々なテクストを取り上げ︑その争点を抽出して考

察した︒結果︑主な争点に少なくとも四つ以上が挙げられ︑なかでも最も多く語られたことは︑イスラム教義における

タブーに関連付ける議論であった︒しかし︑宗教の教義上の問題は長い歴史を背景とするきわめて専門的な領域である

ため︑同じイスラム研究者の中でも意見が分かれる︒したがって︑教義上の問題としてのみ同事件を片付けることは容

易ではないだろう︒しかも︑宗教的側面だけでは説明できない事象が︑この事件では多く発生している︒イスラム世界

― 49 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(21)

を取り巻く国際的・地域的

鐚潜るあでらかるいでんが藤どなムーゲーワパ︑︒

社会的環境の問題として︑二つ目に︑西欧社会が直面している現実問題︑即ちイスラム移民に対する民族差別や反移

民感情を同事件の背景と指摘する議論も多かった︒この議論では﹁表現の自由﹂が西洋的価値観の象徴として︑それを

受け入れない移民を含むイスラム世界に対する﹁政治的攻撃﹂が懸念された︒背後には移民社会に敵意を持つ人々と︑

それによって支えられる右翼政治がある︒マス・メディアは﹁表現の自由﹂を謳ったが︑全体図から見れば︑イスラム

世界に対する西欧社会の苛立ちの現われに他ならない︒西欧社会でイスラム移民︵教徒︶は明らかな﹁社会的弱者﹂で

あり︑それは欧米がイスラム世界を植民地支配していた時代の名残でもある︒果たして﹁社会的弱者﹂に対する欧州各

紙の風刺漫画攻撃は正当なのか︒これが議論の争点となっている︒

三つ目に︑同事件が政治的に利用されているという見解だが︑近年︑米英によるアラブ諸国へのさまざまな圧力行為

やパレスチナ情勢など︑実際の局面を無視することはできない︒しかし︑この議論は同事件が示す問題の本質とは無関

係であり︑付随的な議論である︒

最後に︑マス・メディアを中心に繰り広げられた﹁表現の自由﹂論争について︑本章では特に注意深く取り上げた︒

問題のムハンマド風刺漫画を掲載するか否かをめぐる実質的な判断の必要により︑新聞や放送︑雑誌の﹁表現の自由﹂

に対するスタンスが披露されたのである︒議論は︑一部欧州諸国のメディアによる﹁風刺漫画擁護論﹂と︑英国︑米

国︑日本など︵無論︑ここで取り上げていな地域のメディアも含む︶の﹁批判論﹂︵もしくは﹁自粛論﹂︶に分かれた︒

しかし︑﹁擁護派﹂メディアは言うまでもなく︑﹁批判派﹂メディアでも︑﹁表現の自由﹂をマス・メディア自身の行動

規範︵倫理綱領︶の範疇で具体的に議論するのではなく︑一般的な言及にとどめていることが問題として浮かび上がっ

た︒

一部専門家による論考でも見られた傾向だが︑﹁表現の自由﹂を︑西欧的価値観を代表する概念とみなし︑イスラム 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 50 ―

(22)

の﹁宗教的信念︵禁忌を含む︶﹂との︑二項対立の構図の中に位置づける議論の中では︑マス・メディアの存在が隠れ

てしまう︒﹁批判派﹂メディアの多くが︑ムハンマド風刺漫画に否定的でありながら︑自らを事件から切り離して第三

者的な立場をとっていたように思う︒

本稿では︑第三者としてではなく︑マス・メディア自身が当事者として今回の事件をいかに受け止めるべきか︑どの

ような議論がなされるべきかを︑引き続き考察していきたい︒

第四章風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂とは何か

第一節失敗した風刺

ムハンマド風刺漫画事件をメディア論の知見から見直すために︑まず︑風刺漫画というキーワードに注目したい︒今

回の事件で︑風刺漫画が﹁表現の自由﹂を標榜する手段として用いられ︑それの掲載をめぐって様々な側面から議論が

起こった︒前章までの考察でそれらの議論を具体的に取り上げている︒

風刺漫画は本来︑いかなる聖域やタブーにかかわらず︑表現の対象を辛辣に風刺し︑嘲笑し︑それによって抑圧され

ている不満の感情を噴出させるものとして︑昔から庶民に支持されてきた表現手段である︒このような風刺漫画の特徴

が︑﹁表現の自由﹂の象徴として持ち込まれることは非正常なことではない︒しかし︑今回の事件で︑﹁風刺漫画の表現

なら何でも許されるのか﹂という大きな疑問が生まれた︒突然のことではないが︑常識として固まっている風刺漫画に

対する一般認識が揺らされたし︑この点において︑同事件をめぐる議論がいっそう混乱したことは間違いないだろう︒

そもそも問題の風刺漫画は︑風刺と言われるほどの要件を満たしていないと思われる︒韓国の日刊紙﹃ハンギョレ﹄

い問ると批判した︒理由は︑題での漫画において﹁いったあ﹂漫刺説で︑ムハンマド風刺画はの表現を﹁失敗した風社 !

― 51 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(23)

風刺しようとする不当な現実は何であるか﹂が不明だからである︒果してその風刺漫画が見せ付けて批判しているよう

にイスラム教はこの社会の﹁悪徳と矛盾︑虚偽と不合理﹂であるのだろうか︒

さらに本稿では︑﹁風刺漫画の表現はどこまで許されるのか﹂の質問に対して︑まずこれまでの通念を見直すことを

提案する︒時代の変化とともに︑庶民の発言手段であった風刺漫画はマス・メディアの表現手段に発展した︒そして風

刺漫画はマス・メディアとしての性質と社会的機能を備えるようになった︒とりわけ︑今回のように︑新聞が掲載主体

となる風刺漫画の場合は︑新聞ジャーナリズムとしての性格を強く帯びるのであり︑一般芸術表現としての諷刺漫画と

は一線を画すと理解しなければならない︒仮に︑今回︑問題になった諷刺漫画が︑新聞に掲載されるのではなく︑作家

個人の自由意志によって出版︵もしくは展示︶されたものであったなら︑ここまで大きな波紋を呼んだだろうか︒もち

ろん個人の倫理という問題は残るが︑逆に個人の倫理にとどまる問題になったはずだ︒新聞に掲載される風刺漫画は︑

理が会的説得﹂を行う︒新聞支と持する社会思想や政治的社張評主ーナリズムにおける論のジ機能を担い︑﹁政治的ャ !

念までもが風刺漫画に反映される︒したがって︑同事件で問題となったムハンマド風刺漫画は︑単なる価値観としての

﹁表現の自由﹂ではなく︑ジャーナリズムにおける﹁言論の自由﹂に照らし合わせて︑その表現が正当だったかどうか

が問われなければならない︒

特に注意しておきたいことは︑今回の事件で風刺漫画を掲げて﹁表現の自由﹂を謳ったのが︑大手新聞︑つまり現代

ジャーナリズムの最も中心部にあるマス・メディアであるという事実である︒それらは︑あたかも風刺漫画固有の﹁表

現の自由﹂が侵されているかのように︑そうして一般的な﹁表現の自由﹂とマス・メディアの﹁言論の自由﹂が脅威に

さらされているように振舞った︒ここで問題は︑風刺漫画の表現が正当だったのかにとどまらず︑風刺漫画を盾に使っ

たマス・メディアの正当性に拡大される︒即ち︑マス・メディア自身が﹁表現︵言論︶の自由﹂を︑どのような自己基

準の下で行使しているのか︑である︒問題の風刺漫画に批判的なメディアでさえ︑﹁表現の自由﹂には限界があると語 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 52 ―

(24)

る新聞でさえ︑自らの﹁言論の自由﹂に対する原則を明らかにしていない︒﹁言論の自由﹂をダブルスタンダードに利

用してきたと思う節があるからではないだろうか︒

第二節マス・メディアの﹁言論の自由﹂とジャーナリズムの原則

ムハンマド風刺漫画事件で︑漫画を転載・掲載した一部欧州諸国の新聞以外の世界のメディアからは︑﹁表現の自由

・言論の自由﹂が絶対的な権利ではないことを再認識するような論評が出された︒

出のらによる﹃マス・コミ自ー由に関する四理論﹄で提トバ六ーような考え方は一九五年こ︑米国で︑F・S・シの !

え主理解できよう︒近代民主義略の誕生と発展に伴って支で脈関のた︑マス・メディアにすさる﹁社会的責任理論﹂れ "

られてきた﹁自由な言論市場﹂が時代の変化︵主には技術の発展による︶とともに変容し︑マス・メディアに一定の社

・れ会的責任理論﹂が提唱さた﹁︒そもそもこれは︑マス社︑務で機能を果たす責任を義付会けるようになったこと的 #

メディアの所有者が少数に集中し︑巨大化︑商業化によって︑自由主義時代から期待されてきたジャーナリズムの責務

が遂行されなくなる危険性から生まれた考え方である︒そして︑公共的問題︵PublicAffair︶を処理する際に︑マス・

︒状る現代社会の況てを反映しているいっ存メ高すますまが度ま依のへアィデ $

ところで︑同書によると︑﹁社会的責任理論﹂は以前の自由主義理論で展開されたジャーナリズムの任務を受け継ぐ

ものである︒それは六つの項目からなっており︑﹁経済的制度への奉仕﹂などの二項目に対する社会の批判・不満を認

めるうえで︑残る四項目︑﹁公共問題に関する情報や討論︑あるいは論争を提供すること﹂︑﹁公衆の啓発﹂﹁政府に対し

るリ務は依然としてジャーナズのムに期待される役割であ任﹂っと犬として働くことによてて個人の権利をまもるこ番 %

としている︒

﹁社会的責任理論﹂に基づき︑マス・メディアの﹁言論の自由﹂を考えるならば︑当然︑その自由は絶対的なもので

― 53 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(25)

はない︒マス・メディア︑とりわけジャーナリズムに要求される社会的責任が優先され︑自由は制限を受ける︒では︑

﹁言論の自由﹂を制限するジャーナリズムの社会的責任とは何か︒F・S・シーバートらの議論では﹁民

!

!

!

!

!

!

!

!

促の !

!

公と !

!

!

!

!

おなな意味で表現するら代ば︑﹁民主主義に的現﹂と︵傍点は引用者︶さりれている︒これをよ !

ける人民の権益︵PublicInterest︶を擁護し︑それに奉仕すること﹂ではないだろうか︒つまり︑マス・メディアにおけ

る﹁言論の自由﹂は︑ジャーナリズムが人民の権益のために果たす社会的責任を優先するために行使されるものであ

り︑そういった意味で制限的である︒

ジャーナリズムの社会的責任︵機能︶を具体的に言及しているものには︑浅野健一編著の﹃英雄から爆弾犯にされ

"

原てがある︒これらに共通し示なされたジャーナリズムのど﹄ら則と︑ビル・コヴァッチのて﹃ジャーナリズムの原﹄ #

則︵ジャーナリストの責務を含め︶を再構成してみると︑

第一︑権力から独立して︑それを監視すること︒︵WatchDog=番犬︶ 第二︑市民に忠実であり︑市民の支持を得ること︒︵Publicinterest︶ 第三︑社会的に重要な問題を報じ︑問題解決のために努めること︒︵AgendaSetting︶ 第四︑社会的弱者の意見を代弁すること︒︵Pickupthevoiceofvoiceless︶

の︑四項目を挙げられよう︒

現代社会では︑以上のマス・メディアの社会的責任が規範として作用し︑﹁表現の自由﹂の行使にあたっては︑倫理

的な規制を受けると考えられる︒ジャーナリズムが人民のために役割を果たすものと見なされ︑商業的な利益や︑人民

の権益に反する政治的利益のために﹁自由﹂を濫用してはいけないという発想は︑民主主義理念から見出された人類社

会の知恵である︒

ムハンマド風刺漫画事件は︑新聞ジャーナリズムを舞台に︑風刺漫画の表現が発端となった点において︑メディアの 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 54 ―

(26)

問題として考える余地が極めて大きい︒その際に︑問題の本質を的確に把握するには︑マス・メディア全体からさらに

ジャーナリズムの問題として︑﹁言論の自由﹂の意味を再度振り返る必要がある︒本稿は︑現代社会ではジャーナリズ

ムにおける﹁言論の自由﹂の権利が認められるのはその社会的責任を果たすためであり︑それ故︑﹁責任﹂が﹁言論の

自由﹂に優るという考え方を尺度にしている︒そして同時に︑この場合︑風刺漫画は広い意味での表現手段︵芸術など

を含む︶としてではなく︑新聞︑つまりジャーナリズム固有の論評機能を担当する部分として扱わなければならない︒

要するに︑一般論としての﹁表現の自由﹂を論じることではなく︑ジャーナリズムの﹁言論の自由﹂の範疇で風刺漫画

を考えることである︒

第三節ジャーナリズム論からムハンマド風刺漫画掲載の是非を問う

ムハンマド風刺漫画事件は︑前述でその発生の社会的背景として取り上げたように︑宗教が絡む社会問題の脈略を強

く帯びて勃発した︒最初に漫画を掲載したデンマーク紙や︑転載した欧州の新聞はそろって﹁市民社会の絶対価値であ

る﹃表現の自由﹄を守るため﹂だと主張したが︑実際は︑欧州各国におけるイスラム移民への差別意識︑実際の差別政

策や行為が社会問題になっており︑ジャーナリズムに反映されたと見られる︒したがって︑ジャーナリズムが社会問題

を取り上げる際︑どのような理念とプロセスが作用したかが問題になる︒

まず︑﹃ユランズ・ポステン﹄と約一〇カ国の欧州諸国新聞は︑風刺漫画を通してイスラム教への批判的な論評を行

ったが︑ジャーナリズムとして︑その批判は妥当であっただろうか︒答えは﹁

NO﹂である︒

第一に︑漫画の内容に問題がある︒西欧社会でイスラム教を信仰する教徒︵そのほとんどが移民︶は圧倒的少数であ

り︑マイノリティな存在である︒欧州がイスラム諸国を植民地支配した歴史的背景もある︒権力関係から見れば︑欧州

のイスラム教徒は被支配階級に当たるし︑ジャーナリズムは彼らの権益が不当に侵されないように︑権力側を監視する

― 55 ―

風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

(27)

責任を持つ︒それにもかかわらず︑今回の漫画は︑権力とマジョリティの考え方だけを反映し︑イスラム教徒にとって

もっとも侮辱的な表現を用いた︒漫画の意図が悪意的なだけではなく︑ジャーナリズムとしての社会的任務が完全に無

視されている︒

第二に︑掲載主体の問題である︒米紙﹃クリスチアン・サイエンス・モニター﹄が〇六年二月六日付の記事で述べて

いるように︑﹁ただ︑それが今論争になっているからといって﹂問題の漫画を掲載することは︑人民の利益に応えるこ

とではない︒欧州を中心に少なくない数の新聞が同漫画を転載し︑﹁表現の自由﹂論争に一役を演じた︒しかし︑その

報道が果たして人民の権益に重大にかかわるものなのか︑反対に︑報道される側の権益を深刻に損なうものではない

か︑といった議論は見られない︒ムハンマド風刺漫画を掲載することは︑﹁言論の自由﹂によって保障されているとば

かり主張し︑ジャーナリズムとして︑どのような社会的役割に準じた報道であるのかは語らないのである︒

ところで︑ひとつ注意すべきことは︑漫画を掲載しなかったメディアにおいても同じことが問われるということであ

る︒前章でムハンマド漫画の掲載に批判的なメディアの論評を検討したが︑ジャーナリズムとして自らの責務を明確に

示した上で反論を語った例は極めて少なかった︒その代わりに︑一般論として﹁表現の自由には限界がある﹂とか﹁表

現の自由には節度︵または寛容︶が必要だ﹂という見解が示されている︒さらには︑﹁漫画を掲載しなくても内容が伝

わるから﹂といった︑とりあえず問題を避けて行こうという安易な姿勢が見られた︒漫画の内容を批判し︑掲載を自粛

したからといって︑﹁言論の自由﹂に関する明確な自己基準を持っているとは限らない︒例えば︑ムハンマド風刺漫画

に関する議論を一般論で済まして︑その他に﹁言論の自由﹂にかかわる諸問題に対しては二重基準を適用する恐れを否

定できない︒

一例に︑日本のジャーナリズムでは犯罪報道をめぐって﹁匿名﹂か﹁実名﹂かの論争が絶えない︒実名主義を固執し

ている主流メディアに対して︑必要のない一般市民の実名と写真付き報道を自制すべきだという主張が︑浅野健一によ 風刺漫画とマス・メディアの﹁表現の自由﹂

― 56 ―

参照

関連したドキュメント

As in the previous case, their definition was couched in terms of Gelfand patterns, and in the equivalent language of tableaux it reads as follows... Chen and Louck remark ([CL], p.

The only thing left to observe that (−) ∨ is a functor from the ordinary category of cartesian (respectively, cocartesian) fibrations to the ordinary category of cocartesian

An easy-to-use procedure is presented for improving the ε-constraint method for computing the efficient frontier of the portfolio selection problem endowed with additional cardinality

The inclusion of the cell shedding mechanism leads to modification of the boundary conditions employed in the model of Ward and King (199910) and it will be

One of several properties of harmonic functions is the Gauss theorem stating that if u is harmonic, then it has the mean value property with respect to the Lebesgue measure on all

It is suggested by our method that most of the quadratic algebras for all St¨ ackel equivalence classes of 3D second order quantum superintegrable systems on conformally flat

[11] Karsai J., On the asymptotic behaviour of solution of second order linear differential equations with small damping, Acta Math. 61

We show that a discrete fixed point theorem of Eilenberg is equivalent to the restriction of the contraction principle to the class of non-Archimedean bounded metric spaces.. We