三四
しょう︒﹁剰余価値︑蓄積︑競争市場︑商品の流通などは︑他者性の関係である︒じつさい︑媒介はまさに貨幣である︒だが︑
貨幣とはまさに媒介としての物質であり︑必然的に︵他者︶である﹂︵p∵岩甲ふ黛︶︒まずこのように︑資本家の実践の場の他
者性の環境が明らかにされる︒このような場でなされる実践は︑たとえば﹁諸々の出来事が他者として局面︵拡大︑後退など︶
の中に刻み込まれるような時期に︑︵他者︶︵競争者︶がそうしたがゆえに︑また未だそうしていないがゆえに︑あるいはまた
︵他者︶︵集列性としての顧客︶が需要者であるがゆえに︑或る機械を輸入する﹂︵p一双茶︶ということである︒﹁こうして⁚⁝・
特定の資本家の各活動ほ社会過程の構成の中に入るが︑それは自由な相互的寄与としてではなく︑反対にその他‖指向性︹他動詞性︺transitiくitかにおいてである﹂︵p・の笥■ここでtransitiく話という語はフーコーが﹃外部の思考﹄において ﹁私は
語る﹂から︵私︶の不在を導きだしてきた際︑言語の構造を述べた用語であることを想起しよう︹本書一五ページ参照︺︒或
る意味では︑サルトル的疎外の論理がフーコー的言語の論理の中に浸透していると言えないこともないように思われる︶︒こ
のような実践ほ︑︵他者︶がそうするがゆえに私も一人の︵他者︶としてそのように行動するということであって︑たとえば
ば抑圧について言うなら︑抑圧とほこの水準においてはたんに個別的資本家の悪徳といったようなものでほなく︑︵他者︶と
しての他の資本家が行うがゆえに自分もそのように行なわざるを得ないという様相においてあらわれる︒﹁︵他者︶ の環境の中でほ︑つまり競争的遁走の擬似=全体性の申では︑抑圧は抑圧しないことの不可能性へと変化する︒あるいほ︑抑圧は白身
の必然性の経験を行なうのだと言ってもよい︒抑圧するのほもはや私でほなく︵他者︶なのだ﹂︵p.簑鷲 したがって︑﹁階級
の中では︑各ブルジョアは︵他者︶であるかぎりにおいて︑また︵他者たち︶のなかにたがいに逃れあうかぎりにおいて︑ブ
ルジョアである︒人間的なるものはこの無限の遁走でしかないL︵p一⊇N︶︒かくして︑このような水準においては人間の概念
は消滅するであろうとサルトルは語っているのである︒
もちろん︑われわれがここで考えている ﹁疎外﹂ という概念ほこのようなサルトル的疎外よりはもっとずっと広い意味においてであるが︑とにかくサルトルの以上のような記述ほ︑﹁人間﹂概念の消滅と人間の﹁疎外Lとのあいだのなんらかの関
係を暗示しているように思われるのである︒
追記 本稿ほ ﹃思想史の課題と方法﹄︵中村雄二郎編︑東大出版会︑一九七三年七月︶に収められたものに若干の加筆訂正を加えたものである︒
十八世紀における理性と情念素描
原好 男
﹁人々ほたえず情念を弾劾している⁚⁚=﹂と︑一七四六年に匿名で出版された﹃哲学断章﹄︵轟き訂敏隷属貫首旦
の第一の断章で︑ディドロは書き記している︒シャフツペリー︵Shaftesbury﹀−符丁−宗∽︶ の影響が強いと言われる
作品であるが︑ディドロの以後の思想的発展の公の出発点を画するこの作品において︑以下続く四つの断章には︑力
強い情念の復権の主張が謳歌されている︒﹁わたくしほ神について書くしと序文で明言されているように︑この作品
ほ︑啓示宗教︵キリスト教︶ を批判し︑啓示宗教にかわって自然宗教を提示するという意図のもとに書かれている︒
ディドロが︑キリスト教を批判するにあたって︑なぜ情念の復権の叫びをもって始めなければならなかったのであ
ろうか︒十八世紀において情念の復権の動きがあったとすれば︑まずこの点︑情念とキリスト教の関連︑伝統的なキ
リスト教︑フランスの公認の宗教であったカトリックの思想が︑情念をどのように扱っていたかということと︑密接
な関係があったことを︑ディドロの﹃哲学断章﹄の例は明らかに示しているであろう︒
おそらく情念︑もっと一般的なことばでほ人間の感性にかかわるものと︑理性︑精神にかかわるものとほ︑その把
握の仕方がどういうものであれ︑人間にとって切り離せない対概念であって︑ヨーロッパ的規模で考えても︑古代ギ
リシャにまで湖れることになるであろうし︑狭くフランスのみに限っても︑情念や理性について考察をめぐらした作
家として︑ルネッサンスでほモンテーニュ︑十七世紀でほ﹃情念論﹄という作品さえあるデカルト︑パスカル︑ラ・
十八世紀における理性と情念素描三五
三÷ハブリユイエールなどの名前をあげることができる︒
十八世紀における情念の復権の動きを考える場合︑先に例として示したディドロの場合からもわかるように︑それ
以前の時代︑とくに︑前世紀︑十七世紀における情念の位置を考慮に入れておかなければ︑十八世紀の情念の復権の
特徴を把握できないであろう︒
たとえば︑パスカルは﹃パンセ﹄の断章で︑次のように情念と理性を描く︒
﹁もし人間に情念がなくて︑理性のみを持っているとしたら⁝⁝︒もし人間に理性がなくて︑情念のみを持っているとしたら⁝︒しかし︑両方をともに所有していて︑一方と闘うことによってのみ︑他方との和平を保つことが
できるので︑人間は問いなしではすませない︒それゆえ︑人間はつねに分裂していて︑自己に対立する﹂ ︵ブラン
シュゲィック版︑412︶﹁理性の情念にたいする心の中でのこの閥いは︑心の落着きを得ようと望む人々を二派に分けてしまった︒一方
の人々ほ情念を棄て︑袖になろうとしたし︑他方の人々ほ理性を棄て︑獣になろうとした︒︵デ・バロー︶︒しかし︑
どちらの派の人々も︑そうはできなかった︒理性ほ︑つねに残っていて︑情念の卑しさと不正を告発し︑情念にと
らわれている人々の安らぎを乱し︑また情念は︑情念を棄てようと望む人々のなかにつねに生きている﹂︵ブ版︑413︶
人間の条件を鋭く洞察したパスカルのこの二つの断章は︑理性と情念の聞いにたいして︑そのどちらかの優位を明
らかにして︑一方に軍配をあげようとするものでほない︒おそらく︑理性と情念の闘いに参加せずに︑理性と情念の
隆路を縫って︑神の国へ至ることが︑﹃パンセ﹄︑準備されていたキリスト教護教諭の方法であったと想像される︒こ
こでほ︑パスカル自身の問題は別にするとして︑四一三番の断章で出てくる人名︑デ・バローという名前は注目に値
する︒このデ・バローという人物は︑十七世紀にあって︑リベルタン︑無神論者として高名だった人物で︑パスカル
のいう理性と情念の聞いが︑十七世紀において行なわれていたことを示している︒したがってパスカルが︑理性と情
念に関連して使用する単語︑理性−神−︵高貴・公正︶と情念−獣−卑劣・不正ということばの連鎖のなかにほ︑なに
か︑理性と情念についての当時の公式の評価の仕方の一斑がうかがえるのではないであろうか︒情念−獣−卑劣・不
正という系列にほ︑そのことばから判断して︑なにほどかの肯定的︑積極的な意義を読み取ることほ不可能であるし︑
理性−神1︵高貴・公正︶の系列にほ︑一方的な優位性を認めるのが︑伝統的なキリスト教の倫理であったといえるで
あろう︒情念は棄て去るべきもの︑人間性の放棄︑侮蔑すべきもの︑神の国への道の障害であると考えても︑見当ほ
ずれではありえない︒
こうした伝統的なキリスト教倫理と自由思想の潮流の葛藤は︑ルネッサソス以来の新旧宗教の争い︑近代合理主義
の発達︑地理上の発見による世界像の拡大などが主要な原因であるとともに︑経済的な発展によって︑現世の楽しみと
虚栄を肯定的に考えるという傾向によってもますます強まっていた︒経済的な発展が産み出す現世の快楽を享受でき
る貴族層や上流のブルジョワにとって︑伝統的なキリスト教倫理ほしだいにその拘束力を持ちえなくなり︑キリスト
教の側でも神を論ずるにも︑ただ信仰の対象としてでほなく︑理性の操作を通して行なわざるをえないようにもなっ
てきていた︒先に引用したパスカルの文章も︑そうした歴史の動向とほ無関係ではなかったであろう︒宗教は幸福を︑
この世を超越する幸福を説いたけれど︑この世での快楽ほ否定していた︒宗教的な原理が︑思想上だけではなく︑実
生活の諸側面からの圧力によって︑なしくずしに崩壊していくとき︑当然︑現世肯定的な思想が強くなっていくこと
になるであろう︒デカルトの後継者であるマルブランシュほ︑﹃真理の探究﹄ ︵bq㌻⊥ぎ已§已針孔町訂︼よ‡㌫−笥加︶
において︑人間の心理的な考察から︑快楽と幸福を結びつけるし︑フォントネルほ﹃幸福論b︵bざhぎ已訂弓−−冠eを
書き︑現世での幸福を主張する︒こうした動きは﹁ヨーロッパ意識の危機﹂といわれる十七世紀末にほますます顕著なものになっていた︒現世における幸福の探究は︑当然ながら情念の復権の主張を伴なうことになった︒
﹁あらゆる情念はよいものである︒あまりに貴重なものであって︑そのなにものをも失なってはならない︒情念
を利用しなければならない﹂︵RかmOnd de Saint・Maa⁚旨萱望学課倉吉乙学課且
十八世紀における理性と情念素描三七
三八
右のような︑情念の積極的な意味を主張する文章を拾い出せるのは︑一七一一年のことである︒
したがって︑ディドロの﹃哲学断章﹄の情念の復権の主張も︑それまでだれも□にしなかったことが︑突如として
主張されたわけではなかった︒十七世紀末から十八世紀初頭にかけての新旧論争︑ニュートン学説の紹介︑ロックな
どのイギリス感覚論の移入︑経済的な発展による現実主義的なブルジョワジーのさらなる拾頭︑世界観︑人間観の全
体的な変化の徴候︑神中心から人間中心主義へ︑永遠の柏において世界や人間を考えようとする垂直的な世界観︑人
間観から︑相対の相において世界や人間を考える水平的な世界観︑人間観への移行の過程で現われたのが︑ディドロ
の情念復権の叫び声であったといえる︒
十八世紀前半に活躍した作家のなかにも︑すでに︑情念の復権の動向は現われている︒プレヴォー︵PaくOSt︑︼受3﹁
−づの∽︶ の小説の主人公たちは︑すでにロマン派的な悪に悩まされ︑人間の情念ほあ督すところなく描かれている︒も
ちろん︑情念を描くことならば︑十七世紀の作家も行なってきたのであるが︑例えば ﹃マノン・レスコー﹄ ︵bかSQ3
ト空亡き叫﹀−詔−︶において︑作者ほ十八世紀小説の常会ともいえる序文のなかで︑作品の倫理的意図 − 情念の及ぼす
害悪 − を強く主張するが︑読者の反応の仕方ほ︑十七世紀の読者が十七世紀の作品に対する場合の反応とは違って
いたことほ︑次のモンテスキューの読後観を読めば明らかであろう︒
﹁本日︑一七三四年四月六日︑プレヴォー師の作となる小説﹃マノン・レスコー﹄を読了︒主人公はならずもので
あり︑サルベトリエールに送られる女主人公ほ娼婦であるこの小説が面白いからといって︑驚きはしない︒という
のほ︑主人公デ・グリユーのすべての悪行の動機は︑愛であるからである︒行為がいかに低劣であろうと︑愛とい
うものはつねに高貴な動機である︒マノンもまた愛している︒これが彼女の他のすべての性格を赦してしまうのだ﹂
︵臣官冬ぎ耳n︒∽遥︶
こうした反応が十七世紀に可能であったであろうか︒主人公の置かれている立場は違うにせよ︑ラシーヌの﹃フェ
ードル﹄における情念の発露を肯定的に受け取ることが十七世紀において可能であったであろうか︒おそらく不可能
であったであろう︒
情念の復権の鼓動を伝える作家としては︑十八世紀前半では︑さらに︑フランスのモラリストの伝統を受け継いだ
といわれる︑若くして死んだヴォヴナルグ︵くauくenaぷueS.−ヨ玩⊥苛︶がいる︒ヴォルテールの助言によって出版さ
れたという﹃省察と横言﹄︵知念冥叫Q3叫諷旨訂鼓ヨ巴︸−↓余︶やその他の作品に︑古典的な審美観の継承者といわれなが
らも︑はっきりと十八世紀的な色彩が濃くにじみ出ている︒
﹁偉大な思想ほ心情からくる﹂︵﹃省察と蔵言﹄︑127︶
﹁理性は人間の本性よりも︑もっとしばしばわれわれを歎す﹂︵同書︑123︶
﹁情念はときには思考以上に大胆な助言をするが︑それは情念が実践にたいして︑より多くの力を発揮するから
である﹂ ︵同書︑讐
﹁われわれの情念は︑われわれから分け隔つことはできない︒われわれの魂の基本となっているにちがいないすべてのもの︑魂の実体をなすすべてのものが情念であるからである﹂︵ヽ邑⊇計へ許3計訂cQ33軋訟§へ〜軒〜√葛註
﹂ぎ遠岳耳−i∃のⅠⅠ−Chap.傘N⁚bqゎー官邑表ゎ鴫3g㌻恥⊇㌣︻ゴ㌫︶
心情ということばで︑われわれはパスカルを思い浮べるかもしれないが︑パスカルにおいては︑心情ほ神の存在を
知るためのものであったのにたいして︑ヴォヴナルグの場合には︑﹁偉大な思想Lというだけで︑その表現からも︑
十八世紀における理性と情念素描三九
四〇
思想の俗化の傾向を読みとることができる︒また︑人間の行動における理性の限界を指摘するのも︑パスカルと同様
である︒こうした考えほまたモンテスキューにも見出せる︒
﹁奇妙なことだ︑理性的なことをなすのは︑ほとんど理性ではなく︑理性によって理性にたどり着くことはほと
んどない﹂︵云卦思ぇぎn︒−誤−︶
ヴォヴナルグの場合には︑しかしながら︑情念の積極的︑肯定的な考察とともに︑信仰心も深く︑こうした︑十八
世紀の啓蒙主義的な思想と神の問題の相剋を解決するまえに死んでしまった︒
﹃省察と蔵言﹄の出版された年に︑コソディヤックの﹃人知起源論﹄︵h打岩町旨こ︑ぎ官房浄書§萱ぎ室蜜ぎき卦見が出版された︒これは︑イギリスの感覚論の影響が強い作品であるが︑ここでも︑情念は︑人間の活動の根源として︑
きわめて強く肯定されている︒
﹁情念の影響はあまりにも大きくて︑しばしば情念の影響なしにほ︑理解力はほとんど働くことがないし︑精神の力を得られないのは︑ときとして人間に情念が欠けているからである﹂
十七世紀と十八世紀の情念の扱い方の違いで注目すべきことは︑情念を宗教的観点から把握するという方法からの
バツシフ離脱とともに︑先に名前だけあげておいたデカルトの﹃情念論﹄のなかでは︑情念が︑愛憎︑快苦など︑受動的なも
のとして︑考察されていたのにたいして︑十八世紀でほ︑能動的なもの︑人間を行動に駆り立てるものとして考えよ
うとする傾向が強くなったことであろう︒十八世紀においても︑もちろん︑デカルト的な情念の考え方ほ踏襲されて
いて︑ディドロ︑ダランベールの﹃百科全書﹄の﹁情念﹂の項目にも引き継がれているけれど︑﹃百科全書﹄には︑そ
れに加えて︑情念を人間関係︑社会のなかで捉えようとする考え方があり︑情念の能動的な働きを認めている︒
﹁すべてのものを動かし︑この宇宙の光景を活気づけ︑いわばこの宇宙のいろいろな部分に魂と生命を与えるのほ
情念である﹂ ︵﹃百科全書﹄︑﹁情念﹂の項目︶
人間生活における情念の復権は︑しかし︑﹃百科全書﹄の場合にも︑情念の絶対的な肯定ではない︒情念のもたら
す破壊的な力の恐ろしさほ認識されていて︑そうした情念の跳梁を抑えるのは理性である︒こうした考え方も︑もち
ろん新しいものではなく︑デカルトの﹃情念論﹄にも︑情念は理性によって統御されなければならないと︑述べちれ
ている︒神の支配のもとにおいても︑ヴォヴナルグも︑﹁信仰についての瞑想﹂︵定言叫計3h弓訂き叫iロ向訂g取乱
b叫宗旨3−−道づのなかで語るように﹁理性は人間の情念を鎮めるために与えられている﹂のであった︒したがって︑
ここでもまた︑■十八世紀において︑理性と情念の関係の俗化が起こったといつてもよいであろう︒
破滅をもたらす情念の作用にたいする恐怖は認めてはいるとしても︑十八世紀においては︑日常的な情念ではなく︑
強く偉大な情念が讃えられていることにも注目しなくてほならない︒この章の冒頭で引用した﹃哲学断章﹄のなかで︑
ディドロほ︑﹁魂を偉大なものへと高揚させることができるのは︑情念︑偉大な情念しかない﹂と書いている︒しかし︑
ここで︑ディドロが偉大な情念という場合︑﹃マノン・レスコー﹄ で描かれ︑モンテスキューが容認した愛のような
激しい情念を賞揚しているわけでほない︒なるほど︑﹁情念なくしてほ︑風俗にも作品にも︑崇高さはもはやなくな
り︑芸術は幼年時代に逆戻りするし︑美徳は重箱の隅をほじくるようなものになる﹂のでほあるが︑情念が放縦なも
のであれとは︑ディドロは主張しない︒
﹁では強い情念を持つことが幸福なのかと︑わたくしに問うであろう︒疑いなくそうだ︒もしもすべての情念が
協和していたらだ︒情念のあいだに正しい調和を作り出し︑その無秩序を恐れてはならない﹂︵﹃哲学断章﹄︑Ⅳ︶
十八世紀における理性と情念素描四一
四二
ディドロによれば︑強い情念を恐れるあまりに︑情念を抑圧することではなく︑情念の協和・訝和を目標としなけ
ればならないのである︒情念の無秩序を恐れるなということも︑もちろん情念の無制限の礼讃ではなく︑無秩序の彼
方に秩序が控えていて︑そこまで到達できなければならないのである︒情念の無秩序と言えば︑それを体現した人物
を︑ディドロの小説﹃ラモーの甥﹄︵訂≧鳶⁝早野責且の主人公のなかに見出せる︒才能ほ人並以上にありなが
らも︑その才能︑溢れ出る情念に統一が欠けていて︑その情念を協和・調和させることができなかったため︑これと
いった作品をも創造できず︑社会に寄生して生きていかなければなかった主人公︑ラモーの甥のことである︒
こうした情念の協和・調和の問題は︑十八世紀の作家が一般的に考えていたことであると言ってよいであろう︒一
七三四年に初版が出版されたヴォルテールの﹃哲学辞典﹄︵崇鼓き一首要点首鼠においても︑情念という項目
でほないけれど︑﹁情熱﹂︵enthOuS訂me︶という一項において︑次のように述べているのは︑まさしくディドロの場
合と軌を一にしている︒
﹁理性と情熱が結び合わせられることはもっとも稀なことである︒理性ほつねに事物をあるがままに見るところ
に成立する︒酔眼もうろうとして対象を二重に見る人は︑それだけで理性を失なっている︒情熱はまさしく潜に似
ている︑情熱ほ血をたぎらせ︑神経に強く作用し︑そのため理性はすっかり破壊される︒だが情熱ほ脳髄を活溌に
するような︑軽い刺激だけを生み出すこともある︒︹:⁝・︺理性的情熱ほ偉大な詩人たちの持ち分である﹂
ヴォルテールが理性的情熱と呼ぶものと︑ディドロの情念の協和・調和は︑同じものを示していると考えてもよい
であろう︒さらに︑ヴォルテールとディドロの理性的情熱と偉大な情念の協和・調和のもたらす働きとして︑芸術的
創造がともに強調されているところにも︑すべてを創造した神が支配していた世界から人間が創造力を奪い返えそう
とする努力を見るのは︑あまりにも大胆な推測であろうか︒
十八世紀における情念を考える場合に︑どうしても看過できない作家ほルソーであろう︒時代の児として︑ルソー
も情念の問題を避けて通ることはできなかった︒ルソーが︑人間およびその歴史を提示したのほ︒人間不平等起原論﹄
であったが︑その中で︑ルソーほ明確に聖書に基づく︑聖書的な諸事実を排け︑人間を考えて︑自然人をその出発点
とする︒自然人は善良であるというとき︑おそらくルソーにおいては︑キリスト教の︑人間の原罪に基づいて行なう人間観との対立が意識されていたであろう︒自然人ほ善良であるというが︑ルソーの自然人は︑善悪の判断を下せず︑
自己愛と自己保存の本能と自己完成能力を持っているとされている︒情念は︑﹁人間が持って生れた︑ただ一つの情
念﹂︵﹃エミール﹄︑第二篇︑如S詳こiくreII︶である自己愛であり︑感受性が︑情念の源である︒しかし︑他者を自己
の同類と認め︑自己と同化することができるようになり︑憐み︑共感が生れるとともに︑人間は社会的な存在︑意識
的な存在︑倫理的な存在となり︑善悪の区別を判断できるようになる︒そのとき︑自然人が持っていた︑ただひとつ
の情念︑自己愛は︑自己愛と自尊心に分裂する︒自尊心は相対的なもので︑他者との比較︑他者と自己を区別する作
用をする︒こうしたルソーの考え方は︑人類史にも個人史にも︑すなわち︑﹃人間不平等起原論﹄ にも︑︒エミール﹄にも︑適用されている︒
情念の問題で︑ルソーがもっとも重要視したものほ︑人間が自尊心をいかに扱うべきかということであった︒ルソ
ーほ自尊心を絶対的な悪だという評価をすることはないが︑自尊心のもたらす害悪というものを強く意識していて︑
情念のもたらす害悪にたいする対策︑すなわち自尊心の動き︑情念の動きを統御するものは︑やはり理性であった︒
したがって︑ルソーの場合にも︑情念の絶対的優位性を主張したとはいえないであろう︒ルソーにとって︑人間は理性的存在となってこそ︑人間の名に値するのである︒︒言語起原論﹄︵昏旨叫旨:︸Q↓舟叫莞軒:§g罵且 の場合にも︑
情念と理性は言語と結びつけられて考えられていて︑情念の言語の理性の言語にたいする優位が説かれているように
も思われるけれども︑﹃人間不平等起原論﹄において︑人類史の不可逆性︑自然へ帰ることの不可能性を認めているのと同様に︑情念の言語から理性の言語への歴史的発展ほ︑不可逆なものであった︒ルソーにとって最終の目標は幸
福であり︑個人的次元においては︑つねに理性によって自尊心に対処することであった︒
十八世紀における理性と情念素描四三
四四
ルソーにおいて注目すべきことは︑自分の理論を実践に移そうとしたことであろう︒ルソーが欲望の渦巻くパリを
離れるのも︑理論の実践︑自尊心の跳梁から逃れることが︑その理由の一つであったと言ってもよいであろう︒しか
し︑こうした実践も﹃エミール﹄や﹃社会契約論﹄が焚書の処罰を受け︑逃亡者として︑社会との確執のなかで生活
することを余儀なくされるとき︑大きな試練を受けざるをえなかった︒﹃告白﹄︵卜取︹Q1
3首鼠Q旦第二部︑﹃ルソー︑ ジャン‖ジャックを裁く︑対話﹄︵知Q§昌記㌧鼠町へ計青§⁚甘へ登きb㌻首罵且︒孤独な散歩者の夢想﹄︵ト認知幹箪計わぎ定言薫責弓去註訂ぎ︶ほ︑情念の沸騰︑狂気にまで近づいた情念と︑いかなる闘いをルソーが挑まなければならなかったかを知らせてくれるものである︒また︑﹃告白﹄や﹃対話﹄を書くという︑理性的な努力を通過しなければ︑﹃夢想﹄の一見透明な世界への到達もありえなかったことを示している︒ルソーの場合にはまた︑﹃新エロイーズ﹄︵ゝ−︑計﹀Qgト白>訂︶§覧屯﹂慧㌻叫きー謡N︶が︑理論的な作品とほ違って︑作品の形式が小説であるということから︑登場人物は現実のなかで行動をせざるをえず︑理論のようにほ明解な裁断ができないため︑情念と理性の柏剋を描き出してくれる︒﹃新エロイーズ﹄の主人公︑サン=ブルーとジュリーの恋は︑自然発生的なものである︒しかしサン=プルーが財産もない平民の子︑ジュリーほ封建領主の娘であるということから︑その恋には︑社会的な拘束︑障害が立ちほだからざるをえなかった︒父親の反対にたいする︑恋の成就のためのジュリーの努力も失敗に終り︑ジュリーは︑ふたつの相反する情念︑娘としての親への愛と︑恋する女としてのサン=ブルーへの愛︑社会と自然の葛藤に苦しむが︑最終的にほ社会や自然の秩序を越える神の秩序に従うということで︑親の決めた男性と結婚する︒その後︑ジュリーは良き妻︑良き母親としての生活に専念するし︑サン=ブルーは心の傷を忘れるために︑世界周航の旅に出る︒数年後︑ヨーロッパに戻ってきたサン‖プルーは︑ジュリーの一家に招かれ︑ジュリーの子供の家庭教師となる︒昔の恋人たちを同じ屋根の下に住まわせるという考えは︑﹁活きた眼﹂を持つというジュリーの夫︑ヴォルマールの人間の情念に関する考え方に基づくものであった︒昔の恋の思い出を︑忘却の底に埋め去ることが︑ヴォルマールの治療法であり︑恋の思い出はときには激発しそうになるけれども︑ヴォルマールほ成功を収めるかに思われる︒そうしたなかで︑ジュリーは幸福の絶頂にあるが︑ひそかな虚しさを心のなかに感じざるをえなくなってしまう︒充足のなかにあっての空虚感の原因はなにか︑作品のなかでほ明確に語られてほいないが︑ヴォルマールの無神論︑時間の経過による幸福の︑すべてのこの世のものと同じような風化現象などと考えられるのと同時に︑ひとつにほ︑ジュリーがサン=ブルーに死の床から書いたように︑この世で満たされなかったサン=ブルーへの愛があったと考えられる︒家庭の秩序︑理性的な現実への対応と抑圧された恋の闘いは︑ジュリーの偶然の死によって︑結着がつけられるとはいえ︑理性による情念の統初の困難さを示しているものとして︑﹃新エロイーズ﹄を読むことができる︒ルソーは︑﹃告白﹄︑﹃対話﹄︑﹃夢想﹄といった自伝的な作品においても︑小説﹃新エロイーズ﹄ や︑小説的な﹃エミール﹄の未完の続編﹃エミールとソフィーもしくは孤独な人々﹄︵昏註::茸訣ヅ昌訂:蟹ぎ計且 においても無意識であれ︑意識的であれ︑情念と理性の激しい闘いを描いているといえる︒十八世紀の後半には︑ドルバック︵dゴ○−bacF−−冠㌣00¢︶やエルグェシウス︵He−くかユusLコ㌣コ︶など︑十八世紀
の啓蒙思想の︑実り豊かだとほ言えないけれど︑その一つの極点ともいうべき唯物論の思想家がいる︒かれらにおいてもまた︑情念の復権の主張は反宗教的なもの︑現世的なものの肯定のためであった︒
またラクロ︵Lac︼OS︸−遥丁−筈∽︶やサド︵Sade−−づ宍T−00一心︶も︑情念という観点からも︑忘れてはならない作家で
あろう︒ボードレールをして︑﹁この作品が燃えているとすれば︑きっと氷が燃えるように燃えている﹂ と言わせた
﹃危険な関係﹄︵卜へ旬卜叫軋旨3h乱打3g雫2叫空︶−詔N︶ における︑あの氷のように冷たい︑激烈な意志と計算︑そこには情
念を理性の計算機にかける趣きがあるし︑サドの︑形容を拒否するような情念の渦巻く諸作品のなかでも︑主人公た
ちの行動は︑徹底的に理性的で︑情念ほすべて論理で武装されていて︑もし情念の発作に駆られて行動におもむく人
がいるとすれば︑サドの主人公たちには︑一顧の価値もないとみなされてしまうであろう︒
以上十八世紀の数人の作家について︑断片的にではあるが︑情念がどのように考えられ︑表現されているかを見て
十八世紀における理性と情念素描四五
四六
きた︒それぞれ個人差ほさらに厳密に明確にされなければならないであろうが︑おおよそ︑十八世紀における情念の
復権の動きは︑キリスト教的人間観からの離脱︑人間観の俗化を示すものであると言えるであろう︒十八世紀の重要
な作家ほ︑ほとんどみな︑伝統的な宗教的な人間観から人間を考えようとほしなかった︒ある場合には︑情念は反キ
リスト教の闘争の武器であったし︑ある場合には︑情念は人間の存在の現実︑自己の存在の現実の考察から産み出さ
れてきた人間観の必然的な構成要素であった︒しかし︑情念の復権の主張が︑情念の絶対的な優位性の主張であった
と考えることができないことは︑これまでみてきたことからも︑明らかである︒つねに情念の上には理性の存在が想
定されているけれども︑理性にはまた理性の働きの限界が認識されてもいた︒このことほ︑パスカルの心情の論理の
俗化と考えることも可能であろう︒
理性と情念の関連は︑革命後のスタール夫人︵Mm︒dのSta早−謡?−竺づの﹃個人および国民の幸福に情念の及ぼ
す影響﹄︵b〜〜﹀叫さ恥宍〜計h.官許責詮苧訂ぎを弓瓢讐鼓詳き=:訂買数さ一道の︶においても︑十八世紀の作
家と同じように︑幸福のためには情念は必要であるけれども︑情念を調和させる理性も必要であると考えられている︒
以上の考案からわかるように︑十七世紀においても︑情念の復権の動向はあったが︑十八世紀において︑情念の復
権は大きな流れとなったのである︒もし十八世紀を二つに分け︑前半を啓蒙期︑哲学的精神の侵透の時代︑後半を感
性の解放期︑前ロマン派の時代と考えるならば︑十八世紀における情念の復権は捉えることはできない︒もし十八世紀を二分するという時代区分に従えば︑一七五〇年以前ほ︑情念や感性を重視する主張は大きくはなく︑理性が巾を
きかせるといったことになるであろうが︑情念の復権の歩みほ︑哲学精神︑啓蒙精神の歩みと不可分で︑前世紀以来
続いた合理的な精神と分つことは不可能だった︒おそらく︑こうした時代区分が行なわれるのは︑ロマン主義の影響
が大きいと思われる︒前ロマン主義と言われるように︑十八世紀にロマン派の主要テーマの前代遺跡を求めることは
不可能ではない︒しかし︑情念︑自然︑心情︑感受性︑自我といったようなロマン派のテーマを︑十八世紀の前半︑例
えばプレヴォ一に認めることほ可能であり︑さらにほそれ以前にも潮ることも可能である︒おそらく十八世紀と十九
世紀のロマン派をわかつ決定的な差異の指標は︑理性ということばにあるであろう︒ロマン派にあっては理性が︑十
八世紀の作家にとってそれが欠かせないものであったように︑舞台の前面に登場することはない︒このことは︑文字
による表現を担う人が︑十八世紀においては︑思想表現と芸術表現︵詩︑小説︑演劇など︶をともに実践した人々に
多かったのにたいして︑資本主義化の進んだ十九世紀では︑分巣化が進み︑専門化したのといくぶん関連があるであ
ろ六ノ︒十七世紀︑十八世紀︑十九世紀と続K歴史において︑思想および文学のうえでなにが変ったかを知るためには︑ゴワイヤールエファプルが言うように︑それぞれの世紀の︑女性を主人公とする小説︑﹃クレーヴの奥方﹄︑﹃新エロイー
ズ﹄︑﹃ボヴアリー夫人﹄を読み較べるとき︑その手掛りは得られるであろう︒終りにあたって︑十八世紀における︑′感受性︑情念と理性の関係の積極的評価を示す文章を引用しておく︒
﹁精神が知識を獲得すればするほど︑心は感受性を獲得していく﹂︵︒百科全書﹄︑﹁弱さ﹂の項目︶
註
ここでは︑十八世紀の作家の作品ほ省略し︑本稿執筆にあたって参周した参考書のみをあげる︒
P.田q空い巴﹁妄⁚ごこ豪ぎ点蔓首計℃昌をざ岳瓢ご.も●知○害わ旨ざPar耳−¢∽N
E.CASS−R買⁚ト亀や已訂旨﹂盲訂軋空トまヨ㌫r巴﹀P買is.rかed◆︻澄○
兄.H訂声S一臥⁚トへ岩︑計−岩〜〜.箋缶爵卜主知宣託芸ざ句aris︑−茂N
J.EHRAR臼‖ ト︸註計札内︑岩言ヽ内向3き一塁更∴㌔象訂瓢芸ト≒鼓㌢ぶParis︑−笥O
W.FO㌣雲ERS已⁚知己ヽq訂へ訂2叫c訂羞恥諷訂﹁Q3§エわ§♪Par小s︑−¢Nひ︵r款d.︑−宗¢︶
J.・M.GOd戸村翼OT et M.F昌≠芸⁚卜へ乳㌢訂軋空卜篭ヨ叫㌣q♪Pari∽.−∽示加
S.GOゴr声ロ・FA申呂⁚訂こま㌻患家:許﹂旨鼓ぎチ芸垣−b鳶♪P巴・訂.−笥N
G.Gu竃OR﹃⁚ト空電−㌻且ぎ:計㌢こ首蔓訂塾−裟監:穿こど象㌢ぶふarダー¢ヨ
十八世紀における理性と情念素描四七
P.HトZARD⁚
︑ヽ
R.L丙ZOBLE⁚
R.MAUN−‖
R.P山訂RC︼ER‖
ロ.MOR宅軸↓⁚
R.P︻ORT−因R⁚
R.POM珂Aq⁚
1.PRO亡ST⁚ ト白へr訂向計訂cQ3罠訂宍q昌ヽ合計33♪Paris.r計d.−裟−
とこざ鼓†賀長さ蓋蒜S∴ヨ声弓りを斉﹂aris▼r計d﹂宗∽短訂旨叫ヽq札内〜J訣内乱qゝ訂ざrq−Paris︐−望遠ト.軋訣内乱E㌻3訂§S−涙ヨ七巾叫叫㌢〜♪Paris︑−課○︵母二賢−.−黛芯︶
ト白1恥訂貿〜訂已訂3h訂訂gぎ言﹂ぎヨ已莞.−3?−詞○−ノニー訂m呂bre︑−宗○ヒ:息首空音邑紆旨崇ヲ告訂さぎ㌻許こざ董許 Pari∽︑︼詮U︵r獣d﹂麗づq訂r叫計叉QS守e軋監乱㌢訂h計hト官営叫㌢空.Gen㌢e.−父ぢと:註官吉敷こ丈ざぎ Pari∽.nOuくee監.−父芯
9容量ごこ遠耳首官むぎ勺aris.−∽示N
J.STA罪○ロ︻ウ訪巴⁚ト一計e苫認3礼へ訂〜叫訂ミ♪−3︵T−↓00¢.Gen㌢e︑−∽示A
マラルメ後期詩篇註釈ノート 2
Au seu−sOuCi deくOyagerについて 四八
松 室 三 郎
1 は じ め に
ここにとり上げようとするAu篤已sOuC−deくOyag巧︵ − ひたむきに船を進める唯一筋の念願に⁝︶ は︑一八
九九年刊行ドゥマン版﹃マラルメ詩集﹄トe h監一計一計わ旨〜訂⊇叫恥︵Deman−BruH生−e且に収められたマラルメ最
後期の創作に属すると判断される﹁海路の旅﹂をうたった詩三篇の中の一篇である︒
その三篇とは︑﹃詩集﹄の中での配列順にこれを挙げれば︑
仙 SA⊆↓︵﹁乾杯の辞﹂︶︑ 次にいずれも無題のソソネ
価 Au s咋仁−筈uCi deくOyage︻ および引 A−a num accab−ante tu
であるが︑㈲ほ﹃詩集﹄の序詩として巻頭に置かれ︑㈲および㈲はこれより遠く離れて︑﹃詩集﹄中唯一の中扉を
立てたマラルメ後期詩篇の中核︽ソンネ篇︾P⊆巴冒RS等当コ川↓S の中で最後尾の一群をなす八音級詩句のソンネ五篇
を前後から挟むように布置されている︒この後者㈲㈱の位置を今少し明らかにするために︑︽ソンネ篇︾の内容を
Au箆已sOuCi deく○叫Pgerについて四九