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経営存在論から経営発展論へ : 経営学本格化の道の探求(森俊治教授退官記念論文集)

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経営存在論から経営発展論へ

一経営学本格化の道の探求一

本  安次郎

1 序 言  1 革新時代と経営研究の新動向  今日,口を開けば誰でも,現代を変革の時代,革新の時代,転換の時代と いう。なるほど程度の差はあれ,世界中どこの国においても,その社会も経 済も文化も顕著な変化を見せている。特にわが国においてはその変化が激し く,日進月歩という言葉さえ通用しなくなったといわれるほどである。ここ 数年来の経済の成長や発展は瞠目に値いし,遂に先進の経済大国の仲間入り をし,経済活動も急速に国際化しグW一バル化し,アメリカやヨーロッパ諸 国から経済摩擦が問題とされるようにさえなった。  ところで,このような経済大国の担い手はいうまでもなくわが国の会社企 業であり,産業界である。この間わが国の企業は研究投資を競い,その成果 としてほとんどすべての業界においてイノベーションが相次ぎ,新事業の開 発,事業の転換や門下,多角化,国際化など要するに技術革新から事業革新 が行われ,企業や経営の:革新が繰り返され,経営存在そのもの,会社企業そ のものの成長発展がまことに顕著で,わが国こそエクセレント・カンパニィ の国ともいいたくなるというものである。  このような業界の状況に刺激され触発されて経営研究も当然いよいよ盛況 を見せ,学会活動なども産業構造の変化一一精報化産業社会への転換一な どに応えるものが多い。著書や論文も枚挙に暇なく,外国書の翻訳や紹介も 多く,実態調査も盛んである。新しい問題,新しい方法の提唱も応接に忙し い。例えば,組織問題におけるデシジョン・アプローチとかシステムズ・ア

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4   森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) ブローチとかコンチンジェンシイ・セオリイとかが開発される。経営研究に はインタデ/スシプリナリー・アプローチの重要性が主張されて,経営経済 学的,経営社会学的,経営心理学的研究などが協同する。マネジメント論に おいては戦略論の流行は特筆に価する。企業戦略論経営戦略論事業戦略 論,マーケティング戦略論など人によっていろいろいわれるが,今日では戦 略論が経営学の代名詞のようにさえ感じられるのである。  2 経営研究の隆盛と経営学の貧困  経営学が経営研究を離れてはあり得ないにしても,単に雑然たる経営研究 ではいかに盛んだといっても経営学のために喜ぶわけにはいかない。真に経 営学を考え,本当の経営学を求めるものには,昔クーンツがアメリカで諸学 派の経営研究の乱立の情況を前にmanagement theory jungleと嘆じたこ       1) とも理解されるであろう。サイモンのように,それらは経営研究における分        2> 業と楽観し,これを許すものもあろうが,本気で経営学を探求するものはや はり経営研究の隆盛の中で経営学理論の貧困を嘆じ,どんなに困難であろう と経営学を求め,経営学の本格化の道を探求する努力だけはやめてはならな いのである。一体経営学とは何か,どのように解したらよいか,経営学の本 格化の道はどこに求められるであろうか。これは古くしてつねに新しい問題 である。  3 問題の提起と限定  さて,それでは単なる経営研究と経営学的研究とはどこに差があるであろ うか。そもそも経営学とは何か,どのような学問と考うべきであろか。一体 経営をどのように理解しどのように研究したら経営学的といえるであろうか。 ここに一切の問題があるのである。  先ず一口に経営研究といってもそこにはいろいろなものがある。経営の経 済的研究や社会的,心理的研究は経営研究の中心としてすぐ思い浮ぶし,経 1)Koontz, H.,(ed.)Toward a翫物4ηzθoηof Management,1964.拙著『経営学の 基礎理論』ミネルヴァ書房,昭和42年,第2章,第3章参照。 2)拙著上掲書第3章参照。

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営の管理的,組織的研究もまた同様である。さらに経営の生産的,購買・販 売的またはマーケティング的研究や財務的,労務的研究など経営の分析的研 究がさまざまにあげられるであろう。もちろんこれらの経営研究もそれぞれ その関連する限りにおいて重要な意味をもっことは否定せられない。だから といってこれらを寄せ集めれば経営学になるというものでもあるまい。それ に近いような,経営学と銘うった著書がないわけではないが,それらは本格 的な意味では経営学的といえないことはもちろんである。  思うに,それらは経営研究とはいっても実は真の意味での経営研究とはい えないのである。それらの研究は実は経営そのものではなく経営についての 「エトワス」を研究するにすぎないところに問題があるのである。そこでは 経営,経営といいながら実はその経営が無視され忘れられて,経営について の「エトワス」が中心に立つのである。そこに一切の問題がある。経営が無 視され忘れられているところに,言葉で何といわれようと,経営学が成立す る筈がないではないか。  このように考えてくると,経営学的経営研究とは恐らく経営についての分 析的なエトワスの研究に止るのではなく,何よりも経営を経営として全存在 として問題とする経営研究というべきであろう。このような経営の経営的研 究が経営学的研究といってよいであろう。そうすると経営学は何よりもまず 経営存在論でなければならないことも理解されよう。  このようにして経営学はまず経営存在論でなければならないが,しかしそ れに止ってはならない。上述せる如き経営の動的発展的性格を知りまたわが 国企業経営の成長発展の現実を見るとき,経営学が経営発展論でなければな らないこともまた理解されるであろう。前に指摘した経営戦略論の盛行は経 営発展戦略論として発展させなければならないのである。経営学は今や経営 発展論として現代の経営の現実の要請に答えねばならないし,また答え得る と思うのである。ところで今日の経営発展の現実を見れば経営学が経営発展 論でなければならないのに,なぜこれまで経営発展論の著書が皆無なのか。 経営学がこれまで「経営の学」でなかったからといわざるを得ない。かく考

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6   森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) えれば経営学においては経営の理解の深化一一経営を経営としてつまり経営 存在として主体的全体的に把握すること一に鍵があるというべきであろう。  私はこれまでおよそ60年経営学の基礎理論を求めて鴛馬に鞭打ちながら何        3) とかその道に辿りついて今日に至った老書生であるが,業界や学界の現状を 顧みながら経営学のさらなる前進を願うものである。そしてそのために経営 学が経営存在論から経営発展論へ発展すべきことをここに重ねて問題として       4> 提起し,この課題に応える方法を考えてみたいと思うのである。ところで, 経営発展の問題といえば,森俊治教授はすでに古くそのライフワークともい

    5) 6)

うべき著書において先鞭をつけ,またわれわれの共著においても関説してお られる。いま教授の退官記念号に投稿する機会を与えられるに当り,このこ とを想起せずにはおれないのである。  ところで,われわれがここで提起した問題はすべて経営学理論の根本に関 わる問題であっていずれも広くして深い。その詳論にはそれぞれ一冊の著書 を必要とするであろう。ここではただその問題点について私見を重点的に展 開することに限定せざるを得ない。改めて読者の諒承を乞いたい。

II経営学本格化の道

 1 ドイツ経営経済学の特質  改めて説くまでもなく,わが国においては戦前は経営学はドイツ経営経済 学の略称とされるのが常であった。経営学を問題とするとき,どうしてもド イツ経営経済学から始めざるを得ない。  ところで,一口にドイツ経営経済学といっても時代により人ないし学派に 3)この私見については,拙著『経営学本質論』森山書店,昭和36年,『経営学要論』ミネ ルヴァ書房,昭和39年,『経営学の基礎理論』ミネルヴァ書房,昭和42年,『経営学研究 方法論』丸善,昭和50年,などをあげたい。 4)この問題については,拙稿「経営発展論序説(1×2)」亜細亜大学『経営論集』第20巻第 1号(昭和59年9月),第21巻第1号(昭和61年1月)および「経営学の本格化と経営発 展の問題」東北大学研究年報『経済学』VoL48, No.6(昭和62年3月)がある。 5)森俊治『研究開発管理論』(第5版)有信堂,昭和56年。 6)山本・加藤編著『経営学原論』文眞堂,昭和57年,第5,6章。

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よって対象も方法も学問としての性格や名称さえも区々であった。それが長 い努力を経て1920年代になって漸く経営経済学という名称に大体一致するに        7) 至った。ニックリッシュは「経営経済学は今日国民経済学と並び立つ」と宣 言した。それでももちろん考え方や中身は人によって異なるのは当然である。 ここではドイツの経営経済学の発展過程を歴史的に大観し,グーテンベルク       8) 学説の伝統をもってドイツ経営経済学の特質を代表させることにしたい。こ こでは学史ではなく学説が中心問題であるからこのような手法も許されるで あろう。  このように限定して見るとドイツ経営経済学は企業経営の経済学で,伝統 的な企業の経済学を経営の方に重点をおき経営経済(企業(財務単位)と経 営(生産単位)との統一)の経済学といってよいと思われる。その内容は端 的に経営経済における価値循環ないし資本循環の過程の解明と言うことが出 来よう。公式的にいえば,それは調達(資本の調達,資材の調達,労働力の 調達)と生産と販売の過程の研究にほかならない。だからマルクス経済学流 にい嵐その資本翻の公式G−W〈合.……P・・一W’一Gt(G+・)と示 すことも出来るのである。有名なグーテンベルクの主著『経営経済学原理』 三巻が,『生産論』と『販売論』と『財務論』とからなっていることは上述の ことを示すものといってよいであろう。  このような簡潔な記述だけからでもドイツ経営経済学における「経営経済」 が経営学における「経営」一それがどのように考えられるにしても一に とって極めて重要な意味をもっことは否定せられないであろう。われわれは 後で詳説するように現実に観察される会社経営を全体として「事業と企業と の経営主体的統一」という「経営存在」として主体的に把握せんとするもの であるが,このわれわれの立場からはドイツの経営経済(企業と経営(実は われわれの事業))は経営存在の対象的側面ないし客体的側面であり社会的基 7) Nicklisch. H., WirtschaL171iche Betn−ebslehre, 6, Aufi, 1922, S, 1. 8)上掲拙著『経営学研究方法論j191ページ以下,および拙稿「ドイツ経営経済学と統一 理論の問題」京都大学『経済論叢』第108巻第5号(昭和46年,11月)参照。

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8   森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) 盤を意味しているのである。経営経済学は国民経済学と異なるとはいっても やはり経済学として経営経済の動きを客観的,対象的,分析的に見るのであ って,経営経済を経営の方に重点をおいて経営経済の主体的な働き(動きと 働らきとは人力のあるなしによって全く世界が異なることに注意しなければ ならない。)を見ることが出来ないのである。伝統的な科学論の客観的法則性 の主張を根本にもっところから当然であろうが,そこにドイツ経営経済学の 根本的特質が見られるとともにまた限界があるのである。われわれの経営学 はこのような経営経済を地盤としながらこれを越えて主体の立場,主体の論 理から経営存在の働きを現実に即しながら把握するところに成り立つのであ る。とにかくわれわれはドイツ経営経済学の重要性とともにその限界を深く 認識し,現実の経営存在の働きに照らしてこれを越える道を発見せねばなら ない。そのためにこれと対照的なアメリカ経営管理論の特質を検討せねばな らない。  2 アメリカ経営管理論の特質  さて,アメリカ経営管理論はドイツ経営経済学といろいろな点で対照的で ある。何よりも先ずその成立の歴史が対照的である。ドイツ経営経済学は, 中世近世と主としてイタリヤからフランスにかけて発達を見せた商業社会に おける商業学ないし商業経営学の経営経済学への転換,近代の産業革命を経 て成立するドイツ産業社会の工業経営の解明を課題とする経営経済学への転 換として上述のように前世紀の末から今世紀の初めに成立し発展したもので 長い歴史的発達の産物である。これに対してアメリカ経営管理論は,後進国 アメり力合衆国の19世紀半ば頃以降の急速な産業革命を経て成立する産業社 会における企業経営特に工場経営管理の合理化運動,労働能率の改善運動と してテイラー(1856∼1915)の科学的工場管理の研究と実践をもって始まっ たことは周知のところである。第一次大戦後の不況を契機として販売管理論 や予算統制論が重要な問題となる。しかし販売の問題は相手たる購買者の動 き,市場の動向と関係し,工場の生産のように科学的には解決することは出 来ない。自然科学的,技術的な考え方は通用しない。経済学的,社会学的,

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心理学的配慮が当然必要とされる。販売管理論は急速に進歩し,マーケティ ング論はアメリカで理論的にも実際的に最も発展しているといってよいであ ろう。経済が発展し企業が大規模となりM&Aが盛んとなれば当然財務管理 論が重要となり研究が促進せられる。資金の問題は生産の問題とは異なるけ れども,調達も投資も計算可能として極めて合理的に解決出来る点似たとこ ろがあるといえよう。さらに人種問題,教育問題など特殊問題を抱えるアメ リカだけに人事管理論,労務管理論もまた重視され,発達を遂げた。  このような企業経営の分析的個別領域ではなく,企業経営全体の管理の研 究こそがアメリカ経営管理論というべくその特質が問題とされねばならない。 アメリカの経済の急速な発展とともに大規模な株式会社が成立発展し,株式 の分散も顕著となり,いわゆる「所有と経営の分離」が形式的なものから実 質的なものとなり,プロフェッショナル・マネジャーが成立し,CEOが企業 経営の中心に立つようになった。このマネジャーないしマネジメントの役割 ないし職務の研究が重視され,著書も次々に現われて,プリンシプルズ・オ ブ・マネジメントがアメリカ経営管理論を代表することとなる。これは内容 的にはフランスの管理論の創始者アンリ・ファイヨールの学説を受け継ぐ管 理過程学派を中心とするもので,その典型的なものとしてクーンツとオード   9) ンネルをあげることが出来る。管理職能はファイヨールの五要素説一計画 し,組織し,命令し,調整し,統制する一以来三要素説一計画,組織, 統制一,二要素説  計画と統制  など精粗さまざまに説かれる。私は 「管理」と「組織」とを区別し,管理作用を経営活動の「前」と「過程」と 「後」の三段階に応じて「前」の計画,「過程」の統制,「後」の批判という 新しい管理三要素説を主張して発展するマネジメント・サイクルを説いたの   10> である。 9) Koontz, H. and C. O’Donnel, Pn’nciples of Manqgement, An Analysds of Managerinl  Functionsをあげる。その他の新しい流れについては,上掲拙;著『経営学研究方法論』209  ページ以下参照。 10)拙著『経営管理論』有斐閣,昭和29年。

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10  森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号〉  それはともかく,アメリカ経営管理論をこのように解すれば,ドイツ経営 経済学と明瞭な対照を示していることも理解されるであろう。すなわちドイ ツ経営経済学が「経営存在」の経済的過程という客体側を分析的に解明せん とするに対してアメリカ経営管理論は「経営存在」の経営管理の過程という 主体側を分析的に取扱っていることである。分析的,対象的見方は両者共通 である。そしてこのような特質は同時に限界であり,欠陥であることも直ち に看取されるのではあるまいか。そして経営学の進むべき道もまた明らかで はあるまいか。  3 経営学本格化の道  以上のようにドイツ経営経済学説とアメリカ経営管理学説との特質を比較 しながら考えて見るとそれぞれの特質の故にまたその欠陥も見えて来て,自 ら批判的となり,経:営学本格化の道の所在も見えて来るのである。  経営経済学がドイツ経営学といわれ,経営管理論がアメリカ経営学といわ れるけれども,厳密にはそれらはそれぞれ経営存在の一部門然るものとして 問題とするにすぎず,本当は経営学とはいえない筈である。また経営労務の 経営学とか経営財務の経営学とか共同決定の経営学とかいわれるけれども, それらも経営存在の分析的な一部を問題とするもので厳密には経営学とはい えない筈である。それらが問題とするのは,経営経済であり,経営管理であ り,経営労務であり,経営財務であり,経営意思決定であり,要するに経営 存在の一部であって,そこでは上で指摘したように,経営が忘れられている のである。経営学というからには何はともあれ経営が経営として問題となら なければならない筈である。ところが,この事実が見方によって見えないと ころに根本問題があるのである。思うに,新カント派の対象論理やカルテジ アンの分析論理の立場からは経営は経営存在としては問題となり得ないので ある。例えばこの立場の故池内信行博士は大体,こういうのである。複雑な 経験対象は一単純な認識対象に分析されて初めて科学の対象となるのである。 複雑な経験対象たる経営存在など全体として科学の対象とはなり得ず,一定 の見地から分析され経営経済とか経営社会とか経営心理とかなどとして初め

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て認識対象となるのであって,経営学など不可能であると主張するのである。 「経営一般を対象とする学問などというものはひとりありえないのみならず,        11)じっさいまだどこにも生れていない。」このような主張は逆に見れば経営学の 本格化にはどうしてもパラダイム・レボリューションが必要だということを         12) 示すものといえよう。しかしそれは如何にして可能であろうか。私はこの疑 問に苦闘の末活路を見出すのである。 III私の経営学説  1 経営存在  事業と企業との経営主体的統一  さて,上述のところがら明らかなように,われわれにとって経営学は何よ りも「経営の学」であり,経営を経営として主体的に経営存在と把握し,そ の成立発展の構造と過程を原理的に解明することを課題とする学問である。 経営は企業経営であり事業経営であり,両者の統一として経営存在である。 現実には一定の企業が一定の事業を一定の仕方で経営しているのである。何 よりも先ずこの三構造要素説を認識する必要がある。もちろんその際経営存 在が歴史的社会的な経営的世界一経営環境という世界一から生れ,経営 的世界でしか生活できない歴史的社会的存在であり,従ってその生活は経営 的世界すなわち経営環境の中で経営環境の変化に応じ社会的必要の変化に応 じて「事業と企業との経営主体統一」を実現することである。経営存在はこ のような主体存在なのである。われわれが経営を企業の事業経営と把握し, 歴史的社会的な環境の中でこれに規制されながら事業経営し逆にその事業経 営によってこれに影響を与える主体存在と把握するのである。この意味で経 営存在は「事業と企業との経営主体的統一」の過程と規定されるのである。 11)池内信行『現代経営理論の反省』森山書店,昭和33年,38ページ。 12)すでにドラッカーは経営学の基礎を求めて「全体は部分の和である」というデカルト  の命題を批判して,分析論理に代る総合論理を主張して「新しい世界観」の必要を説い  た。Drucker, P. F., The Landmarks of Tomorrow.1957. p lff.その後問題にしなくな  つたことは惜しまれる。

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12 森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) 図1 経営存在の基本的構造(1>       企業(資本結合) サ ロ ロロ の   ロ コ ロ ロ       コ   の   ロ ロ   コ ロ ロ リ コ       ロ コ ロ ロ       コ コ コ の コ ロ \F       G/   \       一般公衆       /       ノ    \E      (general public)     Hノ!   株 主 (shareholders)       取締役会 決定的(determmative) (board of directors)取締役(dlrectors) 経乍幸白勺 (adm{mstrative)    、 営、、、  “、  一、、、  η’ 経7,    ! 経営者 (ma【1agemen亡〉 管理的(executlve) 管理者(managers) 作業的 (operative)

BC

職長(foremall) 経 営︵ヨ雪mひq①ヨΦ=け︶ 労働者 (workers)

A

D 設計 (design) 設 備 〈equip− ment>

作業比較統制

(opera一 (compar一 (control)  t]Oll) ISOII) 財 務  配 給 (finance) (distribution) 経営︵体︶ ︵ヨ鋤8αqΦヨΦ巳 事 業(財貨・用役の提供) P この図は古典的なADDennmg, S( i〔・nhtic Fa( tc〃i・.Maiiage〃ic’)tt,1919, p 50にピンiを得たもの  てある 事業・企業・経宮の三要素を示している。 2}ABCD内の従業員は労働者て「仕事の半分」をや1,,人数は他の従業員のおよそ8∼12倍に達  することを示す。tsお.この割合が技術革新の結果次第に縮小しつつあることはいうまでもない。  今Rでは逆転し,「経宮革命」の一指標といわれる。 3〕 EFGHは一般公衆の利害の重要‘14.を示すものである。環境問題の重要性は図2の経営の過程的  構造を見ればいよいよ明白となる。 4)上の逆三角形〔出資関係)とドの三角形(事業関係)との接点はいわゆる「所有と経営との関係」  を示し,ノイローがいうように統一時代から分離時代に進み,新しい統合時代が問題となっている  ことを示すものてある. 5}下の三角形は図3の円錐ての経営の職能構造を示すことは明らかで,その根底に経宮の事業過程  のあることも説明を要しまい。

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      13) これは現実の経営体験による相当古くからの私見であり,最も現実的であっ て,経営学本格化の道はこのような認識以外にはないと確信しているが,な かなか理解して頂けないのは残念である。私見の理解を助けるために第1図 を示し,基本的な二三の点につき説明したい。  私見の特質の第一は企業と事業との概的区別を明確にし,両者の関連を主 体と客体との関係として行為的に規定せんとするところにある。伝統的な考 え方に慣れた経済学者や経営学者は固よりジャーナリズムも企業と事業とを 混同するのが普通のように思われるが,経営学本格化の道がここから始まる と考えられるキーポイントであるから特に注意しておきたい。  先ず企業は第1図の示すように「資本結合」ないし「資本所有の組織」と して成立する経営主体であって,それは主体概念に属する。これに対して事 業は第1図からも分るように資本投下の対象たる産業の一分野で,社会の要 求する商品またはサービスを継続的に提供する仕事である。事業は主体たる 企業の経営活動の目的であり対象であり,客体概念に属する。どんな会社も 事業会社であって事業を離れては存在し得ない。事業は会社を支持する基体 でもある。会社ないし企業はこの事業を通して社会的要求に応えることが目 的であるから事業は会社のレーゾン・ゲートルを意味している。この点常識 的に判り切ったところと思われるのに,経営学者の多くの人びとに承認され ないのは理解し難いところである。この事業概念の重視が私見の基礎である。 ドイツ経営経済学におけるBetrieb§wirtschaftは財務単位たるUnterneh− mungと生産単位たるBetriebとからなるとされ,わが国ではこれを文字通 り企業と経営と読むところがら議論が混乱し今日まで尾を引いて事業概念が 無視されて来たのである。古くからわれわれが主張しているように,内容か ら企業と事業と読むべきであったのである。近時マーケティング論や戦略論 13)私は大学院生の頃(昭和8年かち14年の頃まで)石鹸やモノゲンなど洗剤の製造を目  的とする京都の第一工業製薬株式会社へ社長の依頼で,今日でいえばコンサルタントと  して毎週1回会社へ通い,予算統制制度の導入や販売管理の実務の指導に当り,会社や 工場の経営の実務を体験した。生きた経営学の勉強といってもよいであろう。

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14 森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) 図2 事業経営の過程

経、一G,嵯市磐K.Kt

       財 務 Pm

駿粘市場

G

購買

   労 務

A磐働市場 G

環  Wr   嚇 販  口 恥  市 Gr 営 境 Dこの図はマ1レタスの資本公式といわれるG−Wく含m・・ P・W’一G’や,トイツ経當経済学に伝統的な調達  (Beschaffung),生産(Produkt]on),販売(Absatz)の 三過程的思考を,経営学的に修正整理したもので,著者苦 心の構想になるものである。つまi},資材の調達,資金の 調達,労働力の調達は,等しく調達とはいっても,対象の 性質が異なり,市場も異なるから調達の重要性も方法も異 ならざるを得ない。経営学的にはそれぞれ区別し,独立さ せる必要がある。つまり五過程説が成立する。そこでは. 事業経営過程の構造は生産過程を中心とする四つの市場 一購買市場,販売市場,金融市場,労働市場一からな  り,その過程はそれぞれの市場や環境に影響するととも に,逆にそれらによって規定せられるのである。 2) 図において,Pmは生産手段(労働手段と対象), Gは貨 幣,Aは労働力, P・はAによってPmを結合する生産 過程,W’は購入された商品(マルクスはAとPmも商品と 見る)とは異なる生産された商品,G’は投下資本の回収さ れたG+9〔利潤)である。G−G’は短期金融(貨幣市 場),K−K’は長期金融(資本市場)を示す。 3〕 この図によって,さらに,資本主義社会における労働と 資本との地位を示し,また七会主義社会における労働の重 要性を示さんとするものである。 の発展につれて事業の問題が漸く 取り上げられるに至ったことは喜          14) ばしい現象であるが,さらに一歩 進めて企業と事業とを主体客体の 関係として経営活動を具体的に考 察することが望ましいのである。  さて,事業といっても業種,業 態,業域は千差万別である。第一 次,第二次,第三次産業と大別し ても今日第三次の産業革命が説か れるほど技術革新が進行しコンピ ュー^を中心に情報産業,知識産 業が飛躍的に発展して第三次産業 のウェートは増大し,脱産業社会, 情報化社会が唱えられる。しかし 情報化社会は脱産業社会ではなく むしろ産業社会の高度化であって 高度情報化産業杜会とでもいうべ きであろう。コンピュータにせよ 情報産業にせよ第二次産業たる生 産事業の成果であることを忘れて はならない。  このように考えると経営学にお ける事業は今日の社会生活の最も基礎的な第二次産業たる生産事業すなわち 工業をもって代表させ典型的な事業経営と考えることが許されるのではある 14)伊丹敬之・加護野忠男『経営学入門』日本経済新聞社,平成元年,第3章事業構造の  戦略,参照。AbeII, D. F., Defining the Bzssiness. The Starting Point of Strategic Planning.  1980.石井淳蔵訳『事業の定義』千倉書房,昭和59年。

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  15) まいか。それは上述のドイツ経営経済学の内容に当り経営存在の客体側の事 業で,これを第2図に示すことが出来ると思う。  私見の特質の第二は経営を主体的形成作用の担い手と規定することである。       16) いわば経営者革命を認める立場である。経営を経営存在の主体的契機と考え ることは今日ではさほど奇異の感を与えないであろう。アメリカ経営管理論 のマネジメントも上述せるようにこれに近く,経営過程の現実を見るものは そこに経営者の主体的活動を見ない訳にはいかないからである。しかし少く とも二点についての説明が必要であろう。  第一は企業の主体と経営の主体との関係についてである。いわゆる古典的 資本主義の時代以来企業は資本所有の主体であり同時に資本運営の主体であ った。owner−managerの時代で所有と経営の統一時代といわれる。上にも触 れたように資本主義が高度化し株式会社が大規模となり株式の所有が多数の 株主に分散するにつれ「所有と経営」が形式的に分離し,やがて実質的にも 分離して,やがて所有と経営,ownerとmanagerの分離が見られ,所有と 経営の分離時代に入り,企業の主体性が薄れ次第に客体化し経営の自立化, 主体化が現実のものとなる。今日professional managementの時代といわ れ,企業の客体化が明瞭となるに至った。かくてわれわれもこの経営を経営 存在の主体的契機と考え,経営存在を「事業と企業との経営主体的統一」と 規定するのである。ところで,このような事業と企業とを社会的要求の変化 に適合させ経営主体的統一を具体的に実現するのは経営組織と経営管理との       17) 働きを通してであることはいうまでもあるまい。われわれはこれを第3図で 示すことが出来ると思う。 15)拙稿「工業経営研究の経営学理論に対する意義」呉女子短大「紀要』第2号(昭和63  年3月)参照。 16) Chandler, A.,Jr. The Visible Hand. The Managen’al Revolution in Amen’can Bztsi−  ness. 1977. 17)組織と管理,管理と組織とは密接に関連していて,両者の区別と関連を的確に確定す  ることは難しい。これを試み,経営組織論と経営管理論とを区別すべしとしたのが,上  掲拙著『経営管理論』である。

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16 森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) 図3 経営と組織と管理(経営存在の基本構造②)       経 営(行為として)   (取締役会)  組織︵構造・過程︶ 経営︵体X存在として

長会長

 結

社音部

トノブ・ マネノメント       ミドル・ 課  長      マネジメント 第一線 監督者 ローワー・ マネジメント

  経営職能

管理︵計画・統制・批判V 作 業 員 作業

D この図は,図1の上の逆三角形と1・の三角形とを中心から折って,経宮す なわち事業経営の側のみを示したものて,いわば経営の職能構造図である。 2〕 ここでは経営は一方では経営行為(management)として,他方では経営 存在(managernent as a“hole>として,つまり側目体として考えられて いる。経営とは行為と存在との統一て’ある。 3} なお,経宮は組織と管理との相互媒介的な統一として把握される。経営 の主体性は組織と管理とによって実現せられる.経学は図2で示す基本的 過程構造の示す通り。生産組織と生産管理,購買組織と購買管理,販売組 織と販売管理,財務組織と財務管理,労務組織と労務管理,の相互媒介的 統一として把握される。  第二は主体とか主 体的ということの意 味についてである。 上にも触れたように, 今日では経営者が主 体であり,経営活動 や経営過程が単なる 運動ではなく主体的 意識的な働きである ことについては誰で も知っている。アメ リカ経営管理論も経 営存在の主体側たる マネジメン玉の役割 を説くものであると いった。しかしそれ         ヘ   へはわれわれのいっ狂 体や主体的と意味が違うのである。われわれが人間を主体存在というのは人       ロ   つ    聞が単に意識したり考えたりするからではなく身体的に働らき物を作るから である。「我思う故に我在り」というのではなく「我働らく故に我在り」とい うのである。単なる思考的人間ではなく身体的に働らく実践的人間こそ主体       18) 存在というべきであろう。アメリカのマネジメントにおいても計画,組織 統制というような思考作用に止らず事業計画,事業組織事業統制として経 営実践過程と結びつくのでなければならない。主体は意識主体ではなく実践 主体こそ現実的といわねばならない。その意味にて経営存在はその身体とし ての経営組織を媒介に管理し経営するのである。経営存在はこのようにして 18)主体の論理を説く西田哲学において「身体」が極めて重要な役割を演ずることとなる。  論文「論理と生命」『西田幾多郎全集』第8巻,273ページ以下参照。

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図4 経営と組織と管理(経営存在の基本構造〔3))    (取締役会)経営(行為として) 経  組織 営︵存在として︶ 経1 社  長

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経営職能

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 1W’  :  雪 販  販 売’売   1庁  碧  G’ 環          17 「事業と企業との経営 主体的統一」を実践す るのである。われわれ の経営存在はバーナー ド流にいえば経営協働 体系である。そこで第 2図と第3図とを統一 する第4図を掲げるこ とにしたい。このよう な経営学が期せずして ドイツ経営経済学とア メリカ経営管理論との 統一の可能性を示して いることはいうまでも なかろう。  2 「経営の論理」 の発見  以上述べたところが らも明らかなように, 経営学本来の対象たる 経営存在は歴史的社会的に成立する主体的存在であって「主体の論理」を「経 営の論理」として存在し発展しているのである。しかしこのことはドイツ経 営経済学やアメリカ経営管理論を別々に研究している間は思いも及ばないの である。今日でもこのことが理解できない人の多いのはそのためであろう。 ドイツ経営経済学は伝統的な「企業の論理」「資本の論理」から脱出しようと       19) 努力はしたが成功したとはいえなかった。またアメリカ経営管理論は管理作 19)拙著『経営学本質論』第2章,第4章。上掲拙稿「ドイツ経営経済学と統一理論の問  題」『経済論叢』第108巻5号,昭和46年11月,参照。

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18  森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) 用の「合理性の論理」を追求し,やがてその限界から人間性特に「情感の論        20) 理」を考慮せざるを得なかった。ここでも人間の理性や感性は問題となって も人間存在の主体性は問題とならなかった。しかし一度比較経営学の立場に 進み,さらに内在的から超越的批判の立場に進めば,事態は一変し,上に示 したように,否応なしにパラダイム・レボリューションを要求せざるを得な いのである。  顧みれば,まことに古いことになるが,私は昭和15(1940)年満洲国建国 大学に赴任,五ヶ年計画下の満洲建設経済を担う特殊会社の経営の実態を検 討しながら会社制度から公社制度への転換の問題を考え,現代経営学の基礎         21) 理論を求めて苦悩し,その打解のために哲学専攻と経済学専攻の同僚と哲学 研究会を結成し,主として当時続刊されていた西田幾多郎博士の『哲学論文 集』をテキストに徹底的な研究を試みたのであった。どの論文も難解であっ たが,歴史的実在の世界の論理としての弁証法的論理の解明は大変興味深い ものであった。特に「行為的直観の立場」や「行為的直観」や「論理と生命」       22) の論文において行為的主体存在の論理すなわち「主体の論理」を発見,これ を長く求めて来た「経営の論理」と解することによって「本格的な経営学」       23) が可能となると確信するに至ったのである。西田博士はこれを「作られたる ものから作るものへ」とか「作られたるものが作るものを作る」というよう に表現される。西洋哲学の伝統的な主観客観ではなく,身体を道具として持 つ人間存在が主体として客体に働きかけ「もの」を作る世界,実践の世界こ そが現実の歴史的世界とすれば,経営存在の世界もまさにそれではないか。 環境の世界から作られた経営が,主体として作った環境の世界を逆に作って いく。経営の世界も作られたもの「事業」が却って作るもの「経営」を作る 20) Roethlisberger, F. J. and W. J. Dickson, Management and the PVorfeer. 1939. pp.  551ff. Roethlisberger. F, J., The Elzesive Phenomena, 1977, 21)この時代のモニュメントが拙著『公社企業と現代経営学』建国大学研究院,昭和16年  である。 22) 『西田幾多郎全集』第8巻。(哲学論文集第一,第二)。 23)拙稿「経営学と西田哲学」滋賀大学「彦根論叢』第164・165号(昭和48年11月)。

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のである。経営は事業を営むことによって真に経営となるのである。経営は 主体的存在として組織を道具として目的実現のため事業を営むのである。経 営存在は経営的世界の中でその変化に応じて「事業と企業との経営主体的統 一」を実践し,そこでは「主体の論理」が「経営の論理」として貫徹してい るのである。経営学本格化の道はこの論理を外にしてはないのである。  3 実践理論科学説  さて,それでは経営学はどのような性格の学問であり,その科学的性格は どのように考えたらよいであろうか。私は実践理論科学説を主張したい。  先ず科学といえば誰でも自然科学を考え物理学を思うであろう。しかし今 日では社会科学を忘れることは出来ない。そして共に科学といわれるけれど 対照的な相異点をも見落してはならない。いうまでもなく自然科学はいわば 「自然的自然」について普遍妥当性をもつ法則を認識目的とするが,社会科 学は当然のことながら歴史的社会的に限定された広義の社会現象いわば「社 会的自然」について限られた妥当性をもつ杜会法則を認識目的とする。これ に対してわれわれの経営学ももちろん社会科学に所属する外はないが,社会 科学の代表と考えられる経済学や社会学とはその性格を異にするものである。 その限り社会科学の概念の拡張を要求することとならざるを得ない。恰も昔 科学は自然科学であったが,社会科学の出現によって科学概念が拡張された ように。ところで経済学や社会科学は経済現象や社会現象におけるいわば「社 会的自然」の法則性,規則性の認識を目的としている。それはいずれかとい えば,自然科学的,計量的方法に志向するといってよいであろう。これに対 してわれわれの経営学は,上に詳述せる如く,歴史的社会において目的あり 計画ある主体的な営みとして事業経営の実践過程を対象とし,経営存在の成 立,存続,発展を規定する主体的客体的諸条件いわば「実践的自然」を解明 し,経営実践の原理,原則を認識目的とする。その妥当性はさらに限定され たものにならざるを得ない。  このように同じく社会科学とはいっても経済学や社会学が「社会的自然」 を問題とし「対象論理」によって考察するとすれば,経営学は事業経営の主

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20  森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) 体的実践過程いわば「実践的自然」を問題とし「主体の論理」によって考察 するといえよう。前者がミクVを問題とするにしてもマクロの認識を媒介す る限りにおいてであワ,本筋はマクロの認識そのものである。これに対して 後者はマクロの中でのミクロ,ミクロのミクロ性,主体性に徹しようとする。 このように,両者は平行し対立し対照的であるが,それ故に却って互に補充 し合い互に影響し合い密接な関係にあるのである。経営学が確立されて初め て経営経済学や経営社会学その他もそれぞれ意義をもつ。とかく安易に流れ るinterdisciplinary approachも同様に重要な意味をもっことになるので ある。実践理論科学として「本格的経営学」の基礎理論を確立し発展を期す ることは,ドイツ経営経済学とアメリカ経営管理論とを総合統一して新しい 学問を形成することであり,ドイツに学びアメリカに学んだわが国経営学界       24) の歴界史的使命に応える道といってよいではなかろうか。 IV 経営存在論から経営発展論へ  1 経営存在の動的発展的性格と経営学の発展  経営存在の現実は本稿の序言で述べたように複雑な変化を示す動態の中で 激しい競争関係に立っている。経営者はかかる動態の中でそれに適応するよ う戦略を立て「事業と企業との経営主体的統一」を実践し,単に存続するだ けではなく成長し発展を期するのである。現代の経営過程は統一から統一へ, 均衡から均衡への過程であるが,他面ではその破壊から破壊への過程,創造 から創造への動的過程でなければならない。シュンペーター的にいえば創造       25) 的破壊,破壊的創造の過程である。何れにせよ経営存在はつねに動的発展的 である。歴史的に見れば明らかに経営史は経営発展史であるといってよかろ う。 24)この問題については山本・加藤編著『経営学原論』395ページ以下で論じたところを参  考にした。 25)われわれは経営存在の発展の現実から考えるのであるが理論的には経済学界に新風  を送り込んだSchumpeter, J. A.,7〕肋。痂der Wirtschafllichen Entwicklung,1912,2,  AufL 1926.中山・東畑訳『経済発展の理論』に負うところが極めて深い。

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 このように考えると,現代の経営学は経営動態論であり特に経営発展論で なければならない筈である。ところが経営学界の現状はどうか。経営学およ そ100年の歴史は経営存在論ないし経営静態論の歴史であったといえるであ ろう。ドイツ経営経済学にせよ,アメリカ経営管理論にせよ,何れも環境の 一定を前提とする資本の循環論でありマネジメントの作用論であった。もち ろん存在論にせよ静態論にせよ,事象の本質を解明し把握する基礎理論とし て重要である。経営学がこれまで存在論的であり静態論的であったことは止 むを得なかったと思う。しかし経営学は本来的に存在論であり静態論であり, それに終始すべきであるとするところに問題があるのである。上述のように 経営存在の動的発展の現実を見るとき恐らく何人も経営学はこれまでの経営 存在論を基礎にして経営発展論に飛躍すべきであると考えるであろう。  思うに従来の経営学においても環境の動的性格が全く無視されていた訳で はない。例えばアメりカにおけるマーケティング論や予算統制論の展開は第 一次世界大戦後の不況対策であったし,経営政策論や近時盛んとなった戦略 論も経営環境の変動や未来の不確定性に対処して経営存在を成長発展させる 経営方法の研究であった。だのに何故経営発展論へ飛躍できなかったのか。 私見に依ると,上述せる如く,伝統的な科学観に囚われているからで,ここ でもパラダイム・レボリューションの必要が強調されるのである。  それでは経営発展論の基本的課題はいかに考えられるか。その前に経営発 展と経営成長との相違と関連について考えておく必要があろう。先ず成長は いうまでもなく量的に大きくなることで,量的発展とも考えられる。これに 対して発展は質的に向上することで,質的成長とも考えられよう。成長が発        26) 展を意味する場合もあれば,成長しないで発展することも考えられる。産業 構造の変化を示す重厚長大と軽薄短小との関係は成長発展(量的発展)と向 上発展(質的成長)との関連を示すともいえよう。このように成長と発展と 26)シュンペーターは連続的成長と非連続的発展を区別した。エイコフは成長を数量的増  大に見,発展を質的向上に見る。だから,成長が同時に発展であることもあり,相異す  ることもある。Ackoff, R. L, Management in Small Doses.1986. p.24f.

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22  森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) は互に対立しながら現実には統一され結びつかなければならない。ここでは 経営存在の発展論において成長発展と向上発展とをともに成長発展として統          27> 一的に考えたいと思う。それでは経営発展論の基本問題は何か。  第1は,かつて述べたように,経営構造に構造変動を起し,経営過程を発 展過程たらしめる原動力つまり発展力としての革新の問題,「事業と企業との 経営主体的統一」に掩乱を与える影響力の問題である。いわば経営発展過程 の動因分析である。  第2は,発展の動因たる革新が実際に構造変動を起し,どのように経営過 程に発現し,「事業と企業との経営主体的統一」を維持するかの過程つまり経       コ      営発展過程の構造の解明,いわば発展過程の構造分析である。  第3は,経営発展の形態または発展過程の形態が考察されなければならな い。いわば経営発展過程の形態分析の問題である。以下基本的な問題につき 概説しよう。  2 経営発展論の基本問題(1)一動因論と構造論  (1)経営発展過程動因論 理論的にいっても現実に即して考えても直ちにそ の動因は革新にほかならないといえよう。しかし革新でさえあれば,どの程       28) 度,どの要素ないし領域の革新でよいであろうか。古くシュンペーターは経 済発展の動因として「新結合の遂行」をあげて革新論の先駆者となった。最       29) 近ドラフカーは革新の7源泉をあげている。ただ一般的には何とでもいえる が,現代の経営実践の立場からはもっと限定すべきであろう。バーナードは       30) 古く意思決定における戦略的要因の重要性を説いているが,われわれもこの 27)この点でシュンペーターから離れることとなると思われる。経営学としては止むを得  ないと考えるものである。 28)シュンペーターは上掲書第2章で,(1)新製品,(2)新方法,(3)新市場,(4)新資源,(5噺  組織という5つの場合をあげる。 29)Drucker, P, E, Innovation and Entrepreneurship.1985.小林宏治監訳『イノベーショ  ンと企業家精神』ダイヤモンド社,昭和60年。(1)unexpected,(2)incongruities,(3)prQcess  need, (4)industry and market structures, (5)demographics, (6)changes in perception,  (7)new knowledge.ドラッカーらしいが,検討を要しよう。 30)Barnard, C.1., Functions(of the Executive,1938. p.202.山本・田杉・飯野『新訳 経 /

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ような意味で:革新を問題とすべきであろう。その意味では事業革新が戦略的 要因といえるから,その事業に革新をもたらす技術革新一プロセス・イノ ベーションとプロダクト・イノベーションーこそが動因論の対象となるの である。  技術革新といってもその程度によって二つが区別されよう。第1は伝統的 な技術の改善や外国技術の模倣にすぎないものである。第2はこれまで知ら れていなかった,または用いられていなかった全く新技術の開発で,新製品 を生み出し,新事業を成立させ,新時代を画すような創造的なものである。 今日の技術革新はこのような先端技術の研究であり開発である。  今Bの技術革新のもう一つの特色は技術の開発の基礎研究が,これまでの 産業革命の時代と異って,会社の中で経営組織の不可欠な構成要素として行 われ,R&Dつまり研究,開発,事業化まで一貫して研究投資の対象となっ ていることである。今日では多くの会社において研究所の国際化さえ見られ,        31) 研究開発の効率化のため研究開発管理論さえ問題となっているのである。  (2)経営発展過程構造論 イ)技術革新から事業革新へ 技術革新が経営発 展の原動力であるといっても,技術革新が直ちに経営発展に繋がるとは限ら ない。自社の研究開発の結果であれ,他社ないし国家的諸機関の研究開発の 成果であれ,外国からの導入であれ,いかなる技術革新も特定の会社によっ て事業化されて初めて経営発展も実現するのである。いうまでもなく,研究 開発が新製品に結実するとは限らず,結実するにしても相当長い年月を必要 とするといわれている。経営存在における事業の基礎的重要性は特に注意す るまでもあるまい。  ロ)事業の発展と企業の発展 本来会社の事業は会社創立の時に選択され 決定されているもので,時代の変化に適応する必要上新たに事業革新が問題 となるのである。  技術革新の事業化がどのような程度,どのような業種業態をとろうとも, \ 営者の役割』ダイヤモンド社,昭和43年,211ページ参照。 31)森俊治『研究開発管理論』同文館,平成元年,参照。

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24  森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) それには旧設備の改良にせよ,新設備の増設にせよ,投資の問題,資本調達 の問題を離れては考えられない。事業の問題は同時に企業の問題であるとい うことである。前に述べたように,企業は資本の源泉,一所有の組織(貸借対 照表の貸方),事業は投資対象として資本運用の仕事(貸借対照表の借方)で あるからである。このように事業の革新発展のためには相当長期にわたる研 究投資や設備投資が必要であり,発展計画は投資計画であり,当然に資金調 達の問題や広い資源配分の問題を含むわけである。何れにせよ,事業発展計 画は資金調達力ないし財務力に依存することとなる。アメリカの優れた経営 者の第1条件がこの財務力にあるとされ,わが国と対照的であるのも興味  32) 深い。わが国では特殊事情から比較的融資が容易で,借金による積極的な投 資戦略がとられ高度成長時代を経験し,今日低経済成長時代といわれながら 個々の会社について見れば事業の革新や発展を目指して盛んな研究・設備投 資が行われ,事業の転換や新事業への進出から「会社の変身」が急速に行わ れ,事業分野の変更から会社のイメージ革新をめざしCI戦略として社名変     33) 更が目立つ。  ハ)事業,企業の発展と経営の発展 上述のように,新規事業への進出, 事業の転換,大規模化,多角化,国際化など事業の発展には研究・設備投資 の問題を介して企業の発展が対応しなければならない。事業と企業,企業と 事業とは互に因となり果となり,互に規制し合い促進し合う。経営存在全体 は事業発展却企業発展としてその発展過程を繰り返し,さらに新しい発展に 向うのである。  しかしこのような事業発展即企業発展はマルクシズムでいわれるような 32)日本生産性本部『経営戦略の日米比較  実態調査報告書』1969年3月。日本学術振  興会第108委貝会『80年代わが国企業の経営活力アンケート調査報告書』昭和56年11月。  4ページ参照。しかしそこにアメリカ経営の欠点があること,Hayes, R. H. and W. J.  Abernathy, Managing Our Way to Economic Decline,.HBR, July−August,1980.の指摘  するところである。 33)日本経済新聞社編『ハイテク時代 企業変身』昭和59年。『続ハイテク時代 企業変身』  昭和59年。同編『21世紀への企業戦略一有力50社が描く未来図』昭和60年,佐藤公久  『企業革命の時代』現代書林,昭和59年,など参照。

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「資本の自己運動」というような自然過程ではあり得ない。そこには「経営 主体的統一」が作用しているのである。事業発展,企業発展には当然ながら 経営の発展が対応せねばならない。思うに,事業の発展も企業の発展も実は 経営の戦略的意思決定の成果である。経営存在の発展に経済社会的要因,広 く外的環境要因の影響することはいうまでもないが,決定的に重要なのは戦 略的意思決定をする主体的要素としての経営であり,内外の情報を的確に判 断し,変動する内外の経済社会情況に自社の事業と企業とを適応して誤らせ ない経営の能力であり,そのような経営能力の発展であるといえよう。要す るに,この意味で経営の発展如何が経営存在の発展の戦略的要因といえるの である。われわれが経営存在を「事業と企業との経営主体的統一」といりの はこの経営の主体性の重要性を示している。この経営は現実には経営者ない し経営首脳者を中心とする経営組織と経営管理との機能を通して行われるこ とは上述の通りである。このように経営の戦略的意思決定が事業や企業の発 展に先行するけれども,この戦略の遂行としての事業の発展,企業の発展の 実践を通して経営首脳者の能力も鍛錬され発展するのである。アメリカのエ クセレント・カンパニーが「変容のリーダーシップGをもっているといわれ

るのもそのためであ馨.革新時代発麟代の経営者騨なる管理者的経営

者に止らず企業者的経営者でなければならない。シュンペーター的企業者職        35) 能は今日ますます重要となった。この点ペンローズも明白に認めている。ド ラッカーの新著については上に触れた。  3 経営発展論の基本問題②一形態論  (3)経営発展形態論 イ)経営発展形態の分類 繰り返し述べたように事業 は経営存在の基本である。だから経営発展戦略は当然事業戦略とならざるを 34) Peters, T. J. and R. H. Waterman, Jr., ln Research of Excellence. Lessons from  .4彿6ガ6α祉8θ訪R%ηComPanies.1982. pp.86.大前研一訳『エクセレント・カンパニー  超優良企業の条件』講談社,昭和58年,158−159ページ。 35) Penrose, E. T. The Theo73, of the Growth of the Firm, lst ed, 1959. with a new  Introdaction by Martin Slater,2nd ed.1980. p.32. footnote.末松玄六監訳『会社成長の  理論』ダイヤモンド社,昭和37年,43ページ注1参照。

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26  森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号) 得ない。事業戦略の要点はその技術ならびに市場関連から(1)業種業態,(2)発 展方法,㈲業域の三点があげられ,その選択の如何によって発展形態も区別 される。一般的に考えれば,(1)から専業的,複合的,多角化発展形態が,(2) から買収合併による多角化発展が,(3)から地方的,全国的,国際化的発展形 態が区別され.るであろう。特に多角化や買収合併や国際化についてはそれぞ れ今日重大な戦略問題として研究され著書も多いが,ここではそれらが経営 発展論の問題として体系的に取扱わるべきである点を指摘するに止めたい。  ロ)専業経営から多角化経営へ 最も単純な事業経営の形態は単一事業の 専業経営である。創業時には大半の会社がペンローズのいう固有の「生産基       36) 盤」または「技術的基盤」により一業一社を建前とし専業形態をとる。経済 社会の発展に応じて技術革新を行いながら専業のまま,いわば専業的発展形 態をとる(例えばガス,電力,自動車会社など)。他方では紡績や製鉄会社の ように,その生産基盤を水平的または垂直的に統合しながら発展するものも ある。これは統合的ないし複合的経営発展である。  以上は経済社会の変化に連続的に適応する発展形態であるが,革新時代の 今日見られるのは非連続的,飛躍的,創造的発展である。それは技術革新に よる旧事業から新事業への転換的発展形態である。生産基盤の転換,事業(本 業)領域の拡大や転換である。今日が『ハイテク時代,企業変身』が盛んで, 企業イメージの革新を目指してCI戦略として社名変更が行われているこ と既に触れたところである。この転換的発展も現実には会社の本業の業種, 業態,業階,業域や業界の競争関係などにより戦略も異なるが,今日代表的 な会社に見られるものは多角化戦略であり,多角化的発展形態である。       37)  この多角化的発展形態にも目的はいろいろあげられる。消極的なものと積 極的なものとがある。前者は本業を中心として例えば市場関連,技術関連を 36)Penrose, ibid., p.109.訳書141ページ。 37)日本生産性本部生産性研究所『わが国における経営多角化の実態』  アンケート調  査報告』昭和47年3月,27ペー一一一ジの表の要約。(1>有望市場への足掛り,(2)経営の柔軟性,  (3)技術設備の利用,(4)既存流通経路の利用,(5噺市場開拓の必要,(6)人材の活用のため,  (7)競争企業に対抗のため,(8)廃物,副産物の利用,(9)余剰資金の利用。

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辿って主として余剰資源の利用や危険分散やシナジー効果のため多角化する ものである。例えばブラザー工業,松下電産など。後者は技術関連を辿るに しても本業や関連技術に囚われず,積極的に新技術,新事業の開発を狙い, 本業とは関連の薄い時には無関連な広汎な分野を指向する多角化,いわゆる コングロマリット的多角化である。旭化成工業など好例といえよう。これは 積極的な設備投資による事業革新,旧均衡の破壊から新均衡の建設へ,創造 的破壊の多角化,多角化による「事業と企業との経営主体的統一」のアンバ ランスのバランス化,すなわち新しい「経営主体的統一」の実現で,現に多 くの会社で進行中の経営発展形態といってよいであろう。それは今日の事業 のライフサイクルの短縮化対策としての経営戦略ともいえる。  ハ)買収合併による経営発展形態 これまでの発展形態は何れにせよ自社 の経営力による発展形態で,自力的成長発展形態といってもよいであろう。 このノーマルで連続的な発展形態に対して,他社の開発した新技術やこれを 事業化した新事業または会社そのものを買収合併し本業の規模を一挙に飛躍 的に拡大したり,多角化したりする,いわばアブノーマルな飛躍的発展形態 がある。買収合併的発展形態がこれである。今日の革新時代では買収合併も 日常化し,むしろノーマルと見ねばならなくなった。アメリカでは「資本の

論理」によるmerger movementが容認され,大会社の経営者はmerger

maniaとさえいわれている。アメリカほど頗繁でないにしてもわが国でも戦 前から行われ,戦後も経済政策上いろいろ実施せられ,今日の大会社の多く はこれを経験している。近時「企業売買業」さえ報道され,専門雑誌さえ出 現している。普通これは三形態一吸収合併,対等合併,新設合{kが区 別され,力関係によって利害もさまざまである。  以上買収合併という外面的手段から見たが,内容的に見れば上述の専業的 発展か統合的発展か多角化的発展となり,また外国で行えば後述の国際的発 展形態となる。発展理論的には何れも等しく,買収合併によって量的拡大し アンバランス化せる「事業と企業との経営主体的統一」を質的向上を目指し てバランスさせ,新しい「主体的統一」を実現することを課題とする。社風

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28  森 俊治教授退官記念論文集(第258・259号)       38) を異にする会社の合併の場合,この課題が困難であることはいうまでもない。  二)国際化的経営発展形態 これまでの形態は業域を国内に限るものであ ったが,ここでの問題は業域が国境を越えて国際化し多国籍化しグローバル 化する場合である。法政社会経済文化を異にする国への進出であるから問題 も多く困難である。それも貿易や資本輸出入の段階を越えて直接投資の段階 に入り,さらに低開発国型から先進国型に進み,今やわが国も先進国の一員 として相互主義国際協調を志向する経営を迫られるに至ったのである。経営 国際化問題は理論的にも実際的にも重要で,それだけ困難で研究書もすでに 多い。ここでは経営国際化的発展を特に対米進出の会社の現地生産に限定し, その業域の拡大がわが国経営の発展の結果であり,それがまた新しい経営発 展の原因となる点を指摘するに止めたい。  さて,我が国の海外直接投も80年代以降特に最近は対米進出が顕著とな

 39) 40)

つた。対米投資も開発途上国投資の場合と同様に政治的交渉は大前提として, 予め経営活動に影響する自然的,社会経済的,政治法制的,文化宗教的諸事 項についての周到な現地調査に基く厳密な投資計画や立地選択の上で決定さ れることはいうまでもない。しかしどんなに詳細や計画を樹てても実際に現 地に工場を建設し,機械や原材料の手当,現地人の幹部や労働者の採用,作 業組織を作って事業を始めて見れば,いろいろな困難に遭遇すること開発途        41) 上国の場合と大差なかろう。現地子会社の経営システム,本国親会社の経営 システム,両者連続統合の全体的システムの重要性も改めていうまでもなか ろう。この関連で経営発展論にとって最も重要なことは対米進出という経営 38)買収合併についての著書としてはペンローズを初めいろいろあるが,ここでは組織統  合を問題とする,林伸二,『M&A一合併・買収と組織統合』同文館,平成元年をあげ  るに止める。 39)小島清『日本の海外直接投資』文眞堂,昭和60年,91ページ。通産省産業政策局編『我  が国企業の海外事業活動一酌10,11回』東洋法規,昭和58年,72ページ。 40)スキナー著,木下・石和田・清水・高橋訳『国際経営戦略』好学社,昭和46年,13ペ  ージ以下参照。 41)スキナー訳書4ページ参照。

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国際化が日米経営力競争を通して経営構造を変化させ新しい発展形態を生み 出すという点である。国際化する「事業と企業との経営主体的統一」の新形 成,新発展の問題の考察である。かつて私はこう述べた。「対米進出による現 地生産は主としてアメリカ市場という日米企業の競争場裡で行われる。 ………」争戦略は誰が考えても先ず品質(差別化)競争,価格(コスト)競        42) 争,サービス競争であろう。しかし決定的なものは情況に適応する戦略を策       43) 冒する経営者能力の増進や人事管理方法の確立であろう。それでは日系現地 法人はこの競争においていかにアメリカ会社と対等に或いは以上に競うこと ができるか。………日系現地法人の経営はアメリカ的経営の長短を知り自己 経営の長短を反省し,短を捨てて長を採り,日本的経営の現地化つまり新し い経営存在として革新的に環境に適応するよう質的向上を試みざるを得ない。 ……・・アれを論理的にいえば,アメリカ的経営も日本的経営も競争関係を通 して直接に影響し合い………日米経営それぞれの特殊性を一般性に転換し        44) ………ソ的に高度化するのである。今日『新次元の国際化』が問題となり, ますます複雑な相様を呈するに至ったけれども,われわれにとっては経営国 際化が実はこのような意味にて経営発展の新しい原動力となることの認識が 重大である。われわれの本格的な経営学はこのような意味で一般的経営存在 を問題とするものであり,それ故に経営学は経営発展理論でなければならな いのである。そしてこのような経営国際化を実践するものがアメリカ松下で あり,アメリカ本田であり,アメリカ日産である。われわれはいずれこのこ とを実例について実証し,解明せねばならないと思う。なお有名なヴォーゲ ルもバランソンもパスカル・エイソスもさらにまたピーターズ・ウォーター マンもむしろこのように国際化経営の発展の道を説くものと読むことができ 42)ポーターは3つの戦略1)overall cost leadership,2)differentiation,3)focusをあげ  て解説している。Porter, M. E, Competitive Strategy,1980. p。35.土岐他訳『競争の戦  略』ダイヤモンド社,昭和57年,56ページ以下。 43)石田英夫『日本企業の国際人事管理』日本労働協会,昭和61年。 44)海外直接投資研究会「海外直接投資  新次元の国際化j(上)(下)」『日本経済新聞』  昭和60年10月24,25日。

参照

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