音声言語医学 59:303 ─ 310,2018
総 説
(第 62 回日本音声言語医学会シンポジウム:音声障害治療のピットフォール
―失敗例・難治例から学ぶ―)
声帯内注入術の治療効果と問題点
―難治症例を中心に―
深堀光緒子 千年 俊一 佐藤 公則 梅野 博仁 要 約:声帯内注入術は,声門閉鎖不全に対する頸部外切開を必要としない低侵襲な音声外 科的治療法の一つである.当科では,全身麻酔が可能で生命予後に問題がない場合は全身麻酔 下に自家脂肪を,外来治療を望む場合やるい痩がある場合は局所麻酔で経皮的にコラーゲンを, 悪性疾患ターミナルで余命の少ない症例には経皮的にシリコンを注入材料として用いている. 当科における声帯内注入術の治療成績と経験した難治例 3 症例を提示した.症例 1 は複数回の コラーゲン注入を行った声帯麻痺,症例 2 は脂肪注入術後に患側声帯が下方に位置する声帯レ ベル差が判明した声帯麻痺,症例 3 は瘢痕除去術と脂肪注入術を行ったが音声が改善せず bFGF 注入術を行った声帯瘢痕である.それぞれ,注入材料の吸収による効果減弱,注入によ る披裂軟骨の内転効果,既存の注入材料による声帯瘢痕への音質改善効果に問題点があった. 注入術の原理と注入材料の特性を理解し,声帯内注入術によって音声改善が得られない病態を 把握する必要がある. 索引用語:声帯内注入術,自家脂肪,コラーゲンTherapeuticEffectivenessandCurrentIssuesofInjectionLaryngoplasty
MiokoFukahori,Shun-ichiChitose,KiminoriSatoandHirohitoUmeno Abstract:Injectionlaryngoplasty(IL)isoneofthelessinvasivephonosurgicalmethods requiringnocervicalincision.Inourinstitution,transoralfatILisperformedundergeneral anesthesia forpatientswithgoodprognosisandgeneralcondition. Ontheotherhand, percutaneousILunderlocalanesthesiaisperformedforpatientsrequestingoffice-based treatmentorpresentingemaciation;here,collagenmaterialisnormallyused,exceptin patientswithpoorprognosisduetomalignantdiseases,inwhichcasesiliconmaterialisused. Threeintractablecasesweredescribedinthisreport.Case1,withunilateralvocalfold paralysiscausedbylungcancer,wastreatedbycollagenILtwice.Case2,withunilateral vocalfoldparalysiscausedbybreastcancer,wastreatedbyfatILtwice.Case3,withvocal foldscarring,wastreatedbyresectionofthescarfollowingfatIL.Eachcasepresented particularissues:incase1,absorptionoftheinfusedcollagen;incase2,effectivenessin 久留米大学医学部耳鼻咽喉科・頭頸部外科学講座:〒830-0011 福岡県久留米市旭町 67 番地 DepartmentofOtolaryngology-HeadandNeckSurgery,KurumeUniversitySchoolofMedicine:67Asahimachi,Kurume-shi, Fukuoka830-0011,Japan 2018 年 2 月 6 日受稿 2018 年 6 月 21 日受理は じ め に 声帯内注入術は,声門閉鎖不全に対する頸部外切開 を必要としない低侵襲な音声外科的治療法の一つであ る.手術の対象疾患は主に一側の声帯麻痺であり,声 帯萎縮,声帯溝症,声帯瘢痕や喉頭癌術後などにも応 用されている.一側の声帯麻痺による声門閉鎖不全の うち発声時声門間隙が小さい症例が良い手術適応であ り1),声帯の容積増加と内方移動によって手術効果が 得られる.逆に発声時の声帯突起間距離が大きい症例 や左右声帯に上下のレベル差がある症例は適応外とな る場合が多い2).注入方法や麻酔方法は施設により 様々であり,喉頭所見に加えて患者の全身状態を考慮 し決定される.注入物質として,古くからシリコンが 汎用されてきたが,副作用の問題により近年では自家 脂肪3),コラーゲン4),リン酸カルシウム骨ペースト5) が主に用いられ,さらにヒアルロン酸6)やカルシウム 水酸化アパタイト7)などを用いた報告もある.また再 生医学的アプローチとして塩基性繊維芽細胞増殖因子 (basicfibroblastgrowthfactor:bFGF)などの増殖因 子の注入も試みられている8). 本稿では当科での声帯内注入術について解説し,難 治症例を提示したうえで声帯内注入術における問題点 について見解を述べる. 声帯内注入術の適応と注入材料の選択 声帯内注入術は声帯の容量増加と内方移動により声 門閉鎖不全を改善させる術式であり,発声時声門間隙 が小さく,左右声帯レベル差がない症例が良い適応で ある.また,頸部外切開を望まない症例は注入術の適 応となる.当科では全身状態と喉頭所見,患者の希望 を考慮し治療法を選択する9)(図 1).全身状態が悪い 場合,担癌などにより予後不良な場合,また外来治療 を希望する場合は,副作用について同意が得られれば 3%アテロコラーゲン(高研)やシリコンの注入を行 う(これらの注入材料は声帯内注入術における保険適 応はなく,使用に際しては副作用を含めた十分な説明 を行い患者さんの同意を得る必要がある.またシリコ ンに関しては副作用の観点から現在医療材料として供 給されておらず,悪性疾患ターミナルなどの予後不良 例で,シリコンの危険性や副作用に関して十分に説明 を行い同意が得られた場合のみに用いている).予後 に問題がなければ入院手術とし,発声時の声帯レベル 差がなく声門間隙が小さい場合で,全身麻酔可能で臍 下部からの脂肪採取が可能であれば自家脂肪注入術を 行う.るい痩のため臍下部からの脂肪採取が困難と判 断した場合は甲状軟骨形成術Ⅰ型を行い,発声時の声 帯レベル差がある場合や声門間隙が大きい場合は甲状 軟骨形成術Ⅰ型に披裂軟骨内転術を併用する.声帯麻 痺症例で自然回復の可能性がある場合は,発症から約 半年から 1 年の経過観察を経て,麻痺が固定した段階 で手術を検討する.ただし,嗄声や誤嚥により日常生 活に支障が生じる場合には,QOL を考慮し半年を待 たずに自家脂肪またはコラーゲンの注入術を行うこと もある. 注 入 方 法 外来手術の場合,間接喉頭鏡下の経口的注入法,喉 頭ファイバースコープ下の経鼻的注入法,経皮的注入 法を選択できるが,当科では甲状舌骨間あるいは輪状 甲状間経由での経皮的注入法を好んで行っている.4% キシロカインを用いて,約 20 分間の吸入麻酔を行っ た後,処置用喉頭ファイバースコープ下に喉頭粘膜へ の注入麻酔を行う.コラーゲン注入の場合は座位にて, sniffingposition で行い,シリコン注入の場合は仰臥 位にて,上半身を 15 度程度ギャッジアップして行う. 助手が喉頭ファイバースコープを経鼻的に挿入し目的 とする喉頭の部位をモニター上に写しておく.コラー ゲン注入の場合は甲状舌骨間経由で,シリコン注入の 場合は輪状甲状間経由で経皮的に針を刺入し声帯内へ 注入する.脂肪注入の場合は,全身麻酔下に臍下部皮 下から 18G 針で吸引採取した脂肪を処理したうえで, 直達喉頭鏡下に 19G ラリンゴ用注射針を用いて声帯 内へ注入する10).脂肪の吸収性を考慮し十分量の脂肪 を注入する.注入部位は基本的に声帯膜様部中央の声 帯筋内としているが,声帯突起間距離がある症例に対 adductingthearytenoidcartilagebyIL;andincase3,limitationofvoiceimprovementfor thescarredvocalfoldevenwhenusinganyoftheinjectionmaterials.Itisnecessaryto understandthemechanismsofILusage,thecharacteristicsoftheinjectionmaterials,and thelaryngealpathologiesthataredifficulttoimprovebyIL. Key words:injectionlaryngoplasty,autologousfat,aterocollagen
しては,さらに声帯突起外側後方(披裂軟骨楕円窩) の声帯筋内へ注入し,声門後方の内方移動と披裂軟骨 の内転効果による声門閉鎖の強化を図る(図 2).シ リコンのような硬度の高い物質を声帯粘膜固有層浅層 に注入すると声帯振動が妨げられ,術後音声の悪化に つながるため注意する. 難治例の提示 注入術後に音声障害が残存または悪化する場合があ り,その原因として術式や注入材料の選択,注入部位 などが影響している可能性がある.以下に治療効果が 十分でなかった症例を提示する. 症例 1:67 歳,女性 診断は肺癌の縦隔リンパ節転移による左声帯麻痺で ある.喉頭内視鏡検査では左声帯は副正中位で固定し, 声帯の弓状変化,発声時の声門閉鎖不全と軽度の声帯 突起間距離が見られた(図 3A,B).全身状態を考慮 し初回治療にコラーゲン注入術を行った.左声帯膜様 部中央と声帯突起外側後方へ計 1.0ml 注入した.術 後 2 週後の喉頭内視鏡検査では弓状変化がわずかに改 善したが音声の改善が乏しかったため,2 回目のコ ラーゲン注入術(初回と同部位に計 1.0ml)を行った. 注入後も声帯の弓状変化は変わらず,発声時の声門閉 鎖不全があり,加えて注入前に明らかではなかった声 帯溝症が観察された(図 3C,D).2 回注入後も空気 力学的検査,音響分析ともに改善が乏しい結果であっ た(表 1). 症例 2:77 歳,女性 診断は乳癌の縦隔リンパ節転移による左声帯麻痺で ある.喉頭内視鏡検査では左声帯は副正中位で固定し, 声帯の弓状変化,発声時の声帯突起間距離および声門 閉鎖不全が見られた(図 4A,B).頸部外切開による 音声改善手術を望まれなかったため,左声帯内自家脂 肪注入術を行った.声帯膜様部中央と声帯突起外側後 方の声帯筋内に計 2.3ml の脂肪を注入した.術後 1 年の喉頭内視鏡検査で,弓状変化は軽度改善し発声時 の声門間隙は狭小化したものの,発声時に患側がわず かに下方に位置する声帯レベル差が確認できるように なった.声門閉鎖の強化を目的に再度脂肪注入術を 行った(同部位に計 1.0ml).2 回目の注入術後 1 年 の喉頭内視鏡検査で,声門間隙は狭小化したが,患側 声帯突起が下方に位置したレベル差が顕著に観察でき るようになった(図 4C,D).最終的に,脂肪注入術 後も空気力学的検査,音響分析ともに改善が乏しい結 果であった(表 2). 症例 3:74 歳,女性 診断は左声帯瘢痕である.喉頭内視鏡検査で,左声 帯膜様部の瘢痕病変と発声時の声門閉鎖不全を認め (図 5A,B),喉頭ストロボスコープでは同部位の粘 膜波動および声帯振動は消失していた.初回治療とし て直達喉頭鏡下喉頭微細手術による左声帯瘢痕除去術 と左声帯内自家脂肪注入術を行った.声帯粘膜上皮を 剥離し温存しながらその直下の瘢痕と思われる組織を 可及的に除去した.そして剥離した声帯粘膜上皮を戻 した後,声帯膜様部中央の声帯筋内へ脂肪を 1.6ml 注入した.術後 1 年の喉頭内視鏡検査で,発声時の声 門間隙は軽度狭小化したが(図 5C,D),喉頭ストロ ボスコープで声帯振動は観察できなかった.音声検査 では,空気力学的検査,音響分析結果ともにほとんど 予後良好 外来手術 入院手術 《発声時》 コラーゲン シリコン 自家脂肪 左右声帯レベル差がない 声門間隙が小さい 局所麻酔 頸部外切開 臍下部脂肪 甲状軟骨形成術Ⅰ型 甲状軟骨形成術Ⅰ型 披裂軟骨内転術 声帯内注入術 声帯内注入術 No No No No Yes Yes Yes Yes 図 1 当科における声門閉鎖不全に対する治療方針 (文献 9 より図を改変して引用) ① VP TA AC CC ② TC 図 2 注入部位 ① 声 帯 筋 内, ② 披 裂 軟 骨 楕 円 窩, TC:thyroidcartilage,CC:cricoid cartilage, AC:arytenoid cartilage, VP:vocalprocess,TA:thyroaryte-noidmuscle
改善が見られなかった(表 3).この病態において注 入術による声帯容量増大で得られる効果には限界があ ると考えられた.声帯瘢痕に対する bFGF の効果が 報告されており,この症例に対する追加治療として bFGF 注入を試みた.Hirano8)の報告に準じ,1 週ご とに 1 回,計 4 回,左声帯の粘膜固有層浅層にトラフェ ルミンを 10μg/ 回注入した.初回は全身麻酔で直達 喉頭鏡下に,2 回目以降は局所麻酔で経皮的に甲状舌 骨間経由で注入した.注入開始から 6 ヵ月後に発声時 の声門間隙は狭小化し(図 5E,F),喉頭ストロボス コープで声帯振動が観察できるようになった.音声検 査では空気力学的検査のみならず音響分析の結果が改 善した(表 3). 治 療 成 績 2007 年 1 月から 2016 年 12 月に当科で声帯内注入 術を施行した 87 例のうち,術後 1〜6 ヵ月の間に音声 検査で経過を追えた 78 例を対象とした.疾患は,一 側声帯麻痺が 64 例,声帯萎縮が 7 例,声帯瘢痕が 4 例, 喉頭悪性腫瘍術後が 3 例であった.注入物質は,脂肪 図 3 症例 1 の喉頭内視鏡検査所見 A,B:術前.吸気時(A).発声時に声帯の弓状変化 と声門閉鎖不全を認めた(B). C,D:コラーゲン 2 回注入後.吸気時に左声帯膜様部 の溝症を認めた(矢印)(C).発声時に声帯弓状変化は 軽減したが声門間隙は残存した(D). 図 4 症例 2 の喉頭内視鏡検査所見 A,B:術前.吸気時に左声帯の弓状変化を認めた(A). 発声時に声帯突起間距離(後部声門間隙)を認めた(B). C,D:脂肪 2 回注入後.吸気時に左声帯の弓状変化は 改善した(C).発声時に左声帯突起が下方に位置する レベル差を認めた(D). 表 1 症例 1:治療前後の音声検査結果 術前 2 回注入後 MPT(sec) 2.0 4.0 MFR(ml/s) 276 166 PPQ(%) 5.2 1.4 APQ(%) 20.2 9.2 MPT:最長発声持続時間,MFR:発声 時平均呼気流率,PPQ:基本周期変動率, APQ:最大振幅変動率 表 2 症例 2:治療前後の音声検査結果 術前 初回手術1 年後 2 回目手術1 年後 MPT(sec) 5.0 7.2 6.4 MFR(ml/s) 152 132 130 PPQ(%) 2.1 1.7 測定不能 APQ(%) 10.5 3.7 測定不能 MPT:最長発声持続時間,MFR:発声時平均呼 気流率,PPQ:基本周期変動率,APQ:最大振 幅変動率
が 43 例,コラーゲンが 15 例,シリコンが 20 例で, 注入回数は 1〜3 回(平均 1.1 回),注入量は 0.5〜5.0 ml(平均 1.9ml)であった.音声機能の評価には最 長発声持続時間(MPT),平均呼気流率(MFR),基 本周期変動率(PPQ),最大振幅変動率(APQ)を用 いた.空気力学的検査は発声機能検査装置 PS-77E(永 島医科器械),音響分析は CLS4500(PENTAX)を使 用した.音声評価は術後 1〜6 ヵ月の音声検査結果を 用い,術前後の各パラメータの改善の判定には paired t-test を用いた.声帯麻痺例では脂肪が 32 例,コラー ゲンが 12 例,シリコンが 20 例で,いずれも術後 MPT,MFR は有意に改善した(表 4).脂肪注入例 は音響分析結果においても有意な改善が見られた.声 帯萎縮例では脂肪が 3 例,コラーゲンが 4 例で,脂肪 表 3 症例 3:治療前後の音声検査結果 術前 手術 1 年後 bFGF 注入6 ヵ月後 MPT(sec) 9.1 9.2 14.6 MFR(ml/s) 280 207 66 PPQ(%) 測定不能 2.2 1.5 APQ(%) 測定不能 2.7 1.5 MPT:最長発声持続時間,MFR:発声時平均呼気流率, PPQ:基本周期変動率,APQ:最大振幅変動率 図 5 症例 3 の喉頭内視鏡検査所見 A,B:術前.吸気時に左声帯膜様部に瘢痕病変を認め た(矢印)(A).発声時に声門閉鎖不全を認めた(B). C,D:瘢痕除去+脂肪注入術後.吸気時(C).発声時 に声門閉鎖不全を認めた(D). E,F:bFGF 注入術後.吸気時(E).発声時に声門間 隙は狭小化した(F). 表 4 音声検査結果 声帯麻痺 (64) 声帯萎縮 (7) 声帯瘢痕 (4) 喉頭癌術後 (3) 脂肪(32) コラーゲン(12) シリコン(20) 脂肪(3) コラーゲン(4) 脂肪(4) 脂肪(3) MPT(sec) 術前 6.7±3.5 3.6±1.6 8.6±4.5 13.5±4.3 6.4±2.1 8.3±2.0 5.6±0.6 術後 12.9±7.1* 5.8±2.2* 9.1±4.8* 19.9±3.3* 7.5±1.8 11.3±2.4 8.1±1.3 MFR(ml/s)術前 364.7±186.2 352±125.8 221.7±114.8 190.6±107.4 319±100.1 301±51.7 587±104 術後 213.1±92* 258.1±120.1* 216.7±130.5* 117±45.2* 257±35.4 292.2±50.9 396±29.6 PPQ(%) 術前 1.4±1.1 2.7±1.8 1.7±2.2 1.3±1.6 2.4±0.7 0.6±0.2 0.53 術後 0.7±0.6* 2.6±3.3 1.3±1.2 1.25±0.05 1.8±0.1 1.4±0.9 0.66±0.5 APQ(%) 術前 4.7±5.4 8.0±6.6 4.1±5.4 6.6±10.2 4.9±0.7 2.7±0.1 1.9 術後 1.8±1.1* 5.9±6.2 3.3±4.5* 0.9±0.2* 5.7±3.0 4±3.1 3.2±1.0 MPT:最長発声持続時間,MFR:発声時平均呼気流率,PPQ:基本周期変動率,APQ:最大振幅変動率,*:p<0.05(paired t-test)
注入例では術後 MPT,MFR は有意に改善した.声 帯瘢痕と喉頭癌術後では全例で脂肪が用いられ,空気 力学的検査において術前後で有意差はないものの改善 する傾向にあったが,音響分析では改善が乏しい結果 であった. 声帯内注入術について 本邦での声帯内注入術における主な注入材料は,自 家脂肪,コラーゲン,ハイドロキシアパタイトである. 後者 2 つは声帯内注入材料として保険適応はなく,使 用に際し各施設の倫理委員会などで承認を得る必要が ある.注入材料の粘性の違いが声帯振動に影響するた め11),できるだけ声帯組織の構成成分や物性に近似し た注入材料を選択することが望ましい.また,注入材 料は,組織反応が少なく,吸収されず注入部位にとど まり,注入が容易にできる物質が望ましい.しかし現 時点ではすべてを満たす理想的な注入材料はない.注 入材料は注入方法を含めて,患者の希望や医師の技術 と経験によって選択される. 自家脂肪は自己の組織であるため安全性が高く,最 も用いられている注入材料の一つである.脂肪採取に 関しては,下腹部皮下から注射針で吸引採取する方法 や皮膚を切開して採取した脂肪を細切する方法12),頬 部脂肪を採取し細切する方法13)などの報告がある. 当科では,注入後の吸収性に影響を及ぼす脂肪細胞の 損傷を避けるため,18G 針を用いた吸引採取法を用い ている14).同法で吸引採取した脂肪組織の組織学的検 討では,脂肪細胞の細胞質および基底膜の構造は破壊 されず維持することが証明されている.さらに脂肪細 胞周囲に網目状構造の細網線維があるとされてい る15).この細胞周囲構造は声帯粘膜固有層浅層を構成 する細胞外基質の三次元構造16)に類似しており,脂 肪は声帯粘膜の物性に近い10).そのため声帯粘膜固有 層浅層に注入しても声帯振動を障害する可能性は低い とした報告がある17).しかし,自験例において粘膜固 有層浅層の浅い部位に注入し粘膜波動が減弱した症例 を経験しており,声帯粘膜上皮直下,すなわち固有層 浅層の浅い位置に脂肪を過注入すると声帯粘膜波動や 声帯振動の妨げとなるといえる.当科では麻痺を伴わ ない声帯粘膜の萎縮または声帯麻痺を伴う声帯筋の萎 縮に対しては声帯筋内に十分量の脂肪を注入してい る.注入後には,周囲からの血管新生により,長期経 過でも脂肪塊として維持されるため良好な治療成績が 得られる14). 医療材料として供給されているコラーゲン(コーケ ンアテロコラーゲンインプラント®)は,低温下で流 動性をもつ特徴があり細径の注射針を用いることでさ まざまな注入法を選択できる.アテロコラーゲンイン プラントは,タイプⅠとタイプⅢコラーゲンがリン酸 緩衝液に混合されたもので,なかでもタイプⅠコラー ゲンが主な構成成分である.声帯粘膜固有層の主な構 成成分であるタイプⅢコラーゲンとは異なるため18), 粘膜固有層浅層へ注入すると声帯振動を障害する可能 性がある.また,ウシ由来蛋白でありアレルギー反応 には注意が必要である.当科では基本的に声帯筋内へ 注入している. リン酸カルシウム骨ペースト(BIOPEX®)は,整 形外科などで骨補填剤として使用され,水和反応によ りハイドロキシアパタイトへ変化する.ペースト状か ら硬化し,注入後の低吸収性,持続性が特徴である. しかし常温で固化するため冷温下での素早い操作が必 要で,かつ骨様に硬化するため声帯粘膜固有層へ注入 すると声帯振動を妨げ術後の音声悪化をきたす危険が ある.よって注入は確実に声帯筋または傍声門間隙へ 行うために直達喉頭鏡下に行われる. 術後に音声障害が残存または悪化する原因として, 病変の遺残,注入材料,注入量,注入部位,手術操作 による炎症の遷延などが挙げられる.以下に当科で経 験した難治例を考察する. 症例 1 における複数回のコラーゲン注入による効果 には限界があったと思われる.アテロコラーゲンは, コラーゲン自体や溶媒の吸収により声帯容量増加の効 果が持続せず,安定した効果を得るためには複数回の 注入を必要とするとした報告がある18,19).症例 1 に対 しさらに数回の注入を繰り返すことで吸収されつつも コラーゲン量が増し発声時の声門間隙が狭小化した可 能性はある.しかし 1〜2 回の注入では効果の確実性 に乏しく,効果を得るまでにさらなる注入を必要とす るため治療効果を得るまでに時間がかかる.他の持続 性注入材料(使用には倫理委員会での承認が必要など 問題点もあるが)や術式の選択を検討すべきと思われ た.また注入により明らかとなった声帯溝症の存在も 声帯機能が改善しなかった原因の一つであろう.声帯 溝症は声帯粘膜上皮の構造や形態の異常であるため, 声帯筋層への注入によって声帯粘膜の緊張が増加し, 逆に粘膜波動の悪化をきたすことも考えられた. 症例 2 では,脂肪注入により発声時の声帯突起間距 離は短縮し声門間隙は狭小化した.しかし術後音声は 改善しなかった.輪状披裂関節には,回転する動き (rocking または rotating)と滑る動き(gliding)があ
り20),原理的には披裂軟骨に外側から押す力を加える と披裂軟骨は内方へ滑り内転する.当科ではこの原理 を利用し,声帯突起間距離がある症例や左右声帯レベ ル差がある症例に対しても必要に応じて披裂軟骨楕円 窩へ脂肪を注入している.しかし症例 2 では,術後に 患側声帯が健側声帯より下方に位置するレベル差が確 認できるようになった.披裂軟骨の前傾により声帯突 起が内下方に移動し,声帯レベル差が顕著になったも のと考えられる.片側声帯麻痺出現後に,声帯レベル 差に変化が起こる可能性は以前から報告されてい る21).一般に,声帯レベル差がある症例に対して披裂 軟骨内転術は良い手術適応とされている22).しかし, 発声時に麻痺側声帯が健側声帯に対して下方に位置す る病態を生じることは少なく,披裂軟骨を内転すると 麻痺側声帯のレベル差が助長する可能性があると思わ れる.当科では術前の声帯レベル差を喉頭ファイバー スコープのみで評価しており,レベル差の評価が不十 分であった可能性がある.発声時や息こらえ時の喉頭 CT 検査を行い,術前に声帯レベル差を評価し,披裂 軟骨楕円窩への注入による披裂軟骨内転の必要性を検 討すべきであった. 症例 3 では,結果として bFGF 注入により声帯振 動および音響分析結果が改善した.声帯瘢痕では,声 帯粘膜固有層浅層の膠原線維は増加し,弾性線維やヒ アルロン酸は減少する.既存の注入材料による同部の 物性の回復は困難であり治療効果には限界があった. 楠山ら6)は,声帯瘢痕症例にヒアルロン酸製剤の声帯 内注入が有効であったことを報告した.ヒアルロン酸 注入後,血管新生,線維芽細胞や内因性ヒアルロン酸 の出現によって,細胞外基質が経時的に増加するとの 報告があり23),長期的な効果も期待できる.一方, Hirano ら8)が報告した bFGF の声帯内注入では,線 維芽細胞の活性化と誘導を促し,細胞外基質のバラン スが調整されることで声帯の物性が改善するとしてい る.当科でも倫理委員会の承認を得て 2016 年より声 帯瘢痕症例に対し bFGF 注入を行っている.症例数 は 9 例と少なく,十分な経過観察期間も得られていな いが,多くの症例において音響分析結果が改善してお り,声帯の物性の改善,声帯振動の回復が期待できる と考えている. ま と め 当科における声帯内注入術について解説し,治療成 績と難治症例を提示した.治療適応は声門閉鎖不全全 般であり,患者の状態や喉頭所見に応じて注入方法や 注入材料を決定する必要がある.レベル差のない声帯 麻痺では,声門間隙が大きい症例であっても注入材料, 注入量,部位を工夫することで良好な術後音声を獲得 できると考えている.しかし,麻痺側声帯への注入術 後に健側声帯より下方に位置するレベル差が見られた 症例や声帯粘膜の異常を伴う症例など,音声改善効果 が得られない症例を経験した.注入術の原理と注入材 料の特性を理解し,声帯内注入術により音声改善が得 られない病態を把握する必要がある. 本文の要旨は 2017 年 10 月 5 日,第 62 回日本音声言語医学 会学術講演会シンポジウム 2「音声障害治療のピットフォール ―失敗例・難治例から学ぶ―」において講演した. 利益相反自己申告:申告すべきものなし. 文 献 1)KingJMandSimpsonCB:Moderninjectionaugmentation for glottic insufficiency. Curr Opin Otolaryngol Head NeckSurg,15(3):153-158,2007. 2)荒木幸仁,塩谷彰浩:音声改善手術:声帯内注入術のエビ デンスは ? EBM 耳鼻咽喉科・頭頸部外科の治療 2015-2016(池田勝久,他編),中外医学社,東京,450-455 頁, 2015. 3)MikaelianDO,LowryLDandSataloffRT:Lipoinjection forunilateralvocalcordparalysis.Laryngoscope,101: 465-468,1991.
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