語順と形態論

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「自由語順」と形態論:日・英・独語間の「域際的」対照から普遍論へ 藤縄 康弘 1. 語順の変異と格 語順の決定は,言語表現が常に線状的であるため,どんな言語の文法でも不可避の課題 である。これは一面,個別言語的課題と捉えられるかもしれない。というのも,文法関係 (S, O, V など) がどんな語順で実現され得るかは言語によって異なるからである。反面,地域 の枠を越え,「域際的」に言語を対照すると,高度に普遍的と思われる性質も認められる:

(1)a. He (S) hit (V) me (O) in the face. b. I (S) don’t know (V) the man (O). c. John (O) I (S) met (V).

d. Who (O) did you (S) meet (V) yesterday?

(2)a. あいつは(S) 俺を(O) 殴ったんだ(V) b. 俺を(O) あいつは(S) 殴ったんだ(V)

c. 一行は(S) ついに見つけた(V),あの巨大な滝を(O)

d. 事故を(O) 呼ぶ(V),酒が,疲労が,スピードが(S) (角田 1991)

(3)a. Der (S) hat mich (O) ja ins Gesicht geschlagen (V). (「= (1a)」) b. Da hat mich (O) ja der (S) ins Gesicht geschlagen (V).

c. Ich (S) kenne (V) den Mann (O) nicht. (「= (1b)」) d. Den Mann (O) kenne (V) ich (S) nicht.

英語(1)には,SVOの語順(a/b)も,OSVの語順(c/d)も可能ではあるが,後者は強調や疑問の 環境でしか許されないのだから,この言語における語順の変異は極めて限定的であると言 える。これに対し,Vが(基本的に)文末に現れる日本語(2)やドイツ語(3)には,SOV語順(a) に加え,英語に見られたOSV語順(b)やSVO語順(c)も見られるし,さらに,英語ではまった く不可能なOVS語順(d)も可能である。1) 英語に比べ,日本語やドイツ語の語順の変異は幅広 く,しばしば「自由語順」とも称されるが,これには名詞句で表示される格が関与的であ ると考えられる。「固定語順」を取る英語の場合,もっぱら名詞句の限定に用いられる所有 格を除けば,人称代名詞でしか格の区別は行われない。主格と対格(目的格)が区別され るが,同様の区別を,日本語やドイツ語は,名詞・代名詞を問わず,一貫して行うし,与 格など,さらなる格も区別する。 語順の変異と格の豊かさは,他言語の事情を考慮に入れてみても,おそらく偶然以上の 確率で相関的でないかと思われる。しかし,なぜ,格が豊かであると語順が「自由」にな るのだろうか。そもそも,格が豊かであるとはどういうことなのか。

1) もっとも,SVOとOVSは,日本語では文体的にやや特殊だが,ドイツ語ではごく普通に 通用する,という相違は認められる。

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2. 格の機能 ひとつの仮説としては,格が名詞句の機能(意味役割または文法関係)を示すためと考 えられるかもしれない。単文中に複数生起し得る名詞句は相互に区別できなければならな いが,豊富な格があれば,これでその目的を達せられる一方,乏しい格ではそれが叶わな いため,語順を固定して区別を明確にする必要がある,というものである。 しかし,豊かな格が名詞句の意味役割や文法関係を絶えず明確にするとは限らないし(cf. (4)∼(6)),形態的に格の区別が失われたからといって,語順が即不自由になるとも限らない (cf. (7)∼(8))。また,格の示す機能が言語ごとに大きく異なる現状(cf. (9)∼(10))から,普 遍性の極めて高いと思われる,格と語順の相関性が導かれるのかどうかも疑わしい: (4) 太郎は 花子が(Nom) 好きだった (Nom=感情の対象 or 感情の主体) (5)a. 太郎が(Nom) 手摺に(Dat) 掴まった (Nom=行為者,Dat=対象)

b. 太郎が(Nom) 警察に(Dat) 捕まった (Nom=対象,Dat=行為者)

(6)a. Er (Nom) fürchtet mich (Acc). (Nom=感情の主体,Acc=感情の対象) b. Er (Nom) ängstigt mich (Acc). (Nom=感情の対象,Acc=感情の主体)

(7)a. Die Tochter sucht die Mutter. (「娘が母親を探す」or「娘を母親が探す」) (8)a. A horrible thought (S) crossed her mind (O).

b. There crossed her mind (O) a most horrible thought (S). (中右 1994)

(9)a. 男が/*男を(Nom/Acc) 通り過ぎるのを見ていた (Nom/*Acc=S: 行為者) b. 高校生に(Dat) この問題は解けない (Dat=S: 行為者) (10)a. Ich sah *der Mann/den Mann (Nom/Acc) vorübergehen. (*Nom/Acc=S: 行為者) b. Diese Aufgabe ist *dem Oberschüler (Dat) nicht zu lösen. (*Dat=S: 行為者)

名詞句の機能の違いを,格がある程度,示すのは事実だとしても,それが語順の変異を可 能にすると断定できるほど,根本的な要因とは思われない。格のそうした機能はせいぜい 誘因に留まるだろう。件の問題の究明には,もっと形式的な原理の追求が必要である。 3. 形態論の位置づけ 格が語順の変異に果たす役割について,一般的な考察を進める前に,格の示し方・読み 取り方が言語によって異なることを押さえておかねばならない。日本語には格の潜在化, ドイツ語には(格とは一見,無関係に思われる)動詞の移動という特殊事情がある。 3.1 日本語における格の潜在化 日本語の格がいくつ区別されるのか,議論の余地はあるものの,主格・対格・与格が区 別されることに異論は少ないだろう。これらの格は,格助詞「が」「を」「に」によって示 される(e.g. 男が/を/に)。後述のドイツ語など,印欧語に見られる格が「屈折的」と言わ れるのに対し,日本語の格は「膠着的」と言われる。というのも,ドイツ語などでは,格

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は性・数など他の範疇と同時にひとつの形態(語形)に収められ,しばしば,同じ形態が 異なる格を示すこともある一方(e.g. der Mann「男(Nom.m.sg.)」− der Frau「女(Dat.f.sg.)」), 日本語の場合,各々の格助詞は,常に一定の格を表示する(e.g. 男が (Nom) − 女が (Nom))。 屈折的な格は,他の範疇ともども名詞句内部に,いわば「折り込まれて」しまっている ので,そこから抜け落ちることはない。名詞句が現れる限り,格は必ず示される。これに 対し,名詞句に「膠着」しただけの日本語の格は,剥脱もまた容易である。すなわち,格 助詞「が」「を」は,係助詞(「は」など)の下では姿を消す(e.g. 男は−*男がは/*男をは)。 その際,格助詞の消滅は単に形態の消失に過ぎず,主格や対格の範疇自体は生きているの か,それとも,これら範疇まで「消える」,つまり,解釈されなくなるのか,問題である。 明示的な格助詞が不在であっても,主格や対格の範疇はなお有効であるとするには,「X が/を」の表現にも,「X は」の表現にも,等しく適用され,かつ,その手続きに格の範疇が 決定的であるような統語過程の存在を確認しなければならない。候補には,再帰代名詞の 先行詞決定や尊敬語化,態の変更などが挙がるかもしれない: (11) 太郎は/が 自分の過ちに 気づいた (「自分」=「太郎 (“Nom”)」可) (12) 先生は/が 生徒を お叱りになった (尊敬語 →「先生 (“Nom”)」) (13)a. 先生は/を 山田が 出迎えた (能動:“Acc”) b. 先生は/が 山田に 出迎えられた (能動:“Acc”→直接受動:“Nom”) c. 先生は/を 山田に 出迎えられた (能動:“Acc”→間接受動:“Acc”) (11’) 太郎に(は) 自分の声すら 聞こえなかった (「自分」=「太郎 (Dat)」可) (12’) 先生に(は) お子さんが いらっしゃる (尊敬語 →「先生 (Dat)」) (13’)a. その客に(は) 山田が 応対した (能動:Dat) b. その客は/が 山田に 応対された (能動:Dat→直接受動:“Nom”) c. その客は/(?)を 山田に 応対されてしまった (能動:Dat→間接受動:“(?) Acc”) 確かに,これら統語過程の適用対象は,(11)∼(13)を見る限り,格助詞の顕在・潜在に関係 なく,主格または対格の項であるように思われる。再帰代名詞の先行詞や尊敬語化の対象 は,顕在的であれ,潜在的であれ,「主格」に定められそうであるし,態の変更でも,格表 示がどうあれ,能動態の「対格」が「主格」に置換わるかどうか,という格の異動が焦点 であるように見える。 しかし,同じ過程が与格にも及ぶ(11’)∼(13’)より,これら統語過程の適用は,結局のとこ ろ格の範疇で決まるのでないことが明白である。ここで決定的なのは,むしろ文法関係の 範疇と考えられるだろう。すなわち,再帰代名詞の使用や尊敬語化は,主格ではなく,主 語を対象に行われる(ゆえに,与格でも主語であれば関与し得る)のだし,直接受動は, 対格を主格に置換する過程ではなく,目的語を主語に置換する過程である(ゆえに,与格 でも目的語ならば変化を被り得る)と捉えるのが妥当と言える (cf. 角田 1991)。 格助詞の有無に関わらず,格の範疇に基づいて適用される統語過程が,現にこうして見 出せないとすると,日本語では,格助詞の剥脱により,主格や対格の表示形態だけでなく, それら範疇自体も認識されなくなると見て差し支えないだろう。すると,係助詞を伴わな

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い無題文(14)(15)の場合は,主格や対格の範疇が統語構造に完全に読み込まれ得るが,有題 文(16)(17)では,たとえ項が完全に実現されても,一部の格は読み込まれないままとなる:

(14)a. あいつが(S: Nom) 俺を(O: Acc) 殴ったんだ b. 俺を(O: Acc) あいつが(S: Nom) 殴ったんだ (15)a. 俺が(S: Nom) あいつを(O: Acc) 殴ったんだ b. あいつを(O: Acc) 俺が(S: Nom) 殴ったんだ (16)a. あいつは(S: ___) 俺を(O: Acc) 殴ったんだ b. ??俺は(O: ___) あいつが(S: Nom) 殴ったんだ (17)a. ??俺が(S: Nom) あいつは(O: ___) 殴ったんだ b. あいつは(O: ___) 俺が(S: Nom) 殴ったんだ 格の解釈が不完全に終わる(16)や(17)では,格の区別は機能しない。その結果,語順の入換 えが,1.で確認した格と語順の相関性から察せられるとおり,困難になり得るのである。2) 3.2 ドイツ語における動詞の移動 動詞の移動は,ドイツ語に限らず,英語以外の現代ゲルマン語に見られる現象で,一般 に「定形動詞第 2 位」と呼ばれる。おおむね主語にあたる文要素と人称・数の一致する定 形動詞(本動詞Vfinまたは助動詞Auxfin)が,平叙文で 2 番めの位置を占める:

(18)a. [ S Vfin [ …O… ] ] 定形動詞第 2 位文 b. [ S Auxfin [ …O…Vinf ] ]

(19)a. [ Comp [ S…O…V(inf Aux)fin ] ] 定形動詞後置文 b. [ ø [ ø…O…V(inf Aux)inf ] ] 非定形文

その際,述語動詞が本動詞単体(Vfin)であれば(18a),これ自身が定形動詞として 2 番めの 要素となり,SVOの語順が実現する。もっとも,現代のドイツ語では,法・時制・態が, 非定形の本動詞(Vinf)と定形の助動詞(Auxfin)の複合体で示される傾向が顕著である。こ の場合(18b),助動詞だけが前方に現れ,本動詞自体は文末に立つので,SVOの語順にはな らない。3) 結局SOV語順が頻繁に生起し,これが無標の語順ということになる(cf. (3a))。 そもそも,なぜ動詞の位置が変わるのか,その理由はよく分かっていない。現象面では っきりしているのは,補文化詞(Comp)を伴う補文(19a)では,定形動詞は前方に立たず, 文末に留まるということ(定形動詞後置),そして,たとえ補文化詞がなくとも,非定形の 文(19b)では,動詞は前置されないということである(cf. (20)):

2) 有題文で格が無効になることで,語順の入換えがまったく不可能になる,というわけで はない。語彙的条件を一定に保って比べた場合,無題文で問題のない語順の変異が,有題 文では閉ざされることがある(そして,恐らく,その逆は成り立たない)ということであ る。

3) ただし,Oが補文の場合,この限りではない:e.g. er (S) hatte doch gesagt (V), dass er kommen

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(20)a. Ich fürchtete, ich (S) hätte (Vfin) Fieber (O). (「私は熱があるのではと心配だった」) b. Ich fürchtete, dass (Comp) ich (S) Fieber (O) hätte (Vfin). (「= (20a)」) c. Ich fürchtete, Fieber (O) zu haben (Vinf). (「= (20a)」)

補文化詞が平叙文,疑問文など,文のムードを明示する一方,非定形文は,それ自体では ムードを示さないと考えられることから,定形動詞第 2 位の訳は,文のムードの表示と関 係があるとは言えるだろう (cf. Brandt et al. 1992, Lohnstein 2000)。

動機はともかく,ここで重要なのは,この現象が,ほかならぬ格の範疇を反映している ということである。先ほど,第 2 位に現れる定形動詞について,おおむね「主語」と形態 が一致すると述べたが,この「主語」は厳密には「主格の要素」に限定される (cf. Reis 1982):

(21)a. Mir (1.Sg.Dat) ist (3.Sg.) komisch zumute. (「私は変な気分だ」)

b. Mich (1.Sg.Acc) schwindelte (3.Sg.). (「私はめまいがした」)

c. Für die Kinder (3.Pl.PP) wird (3.Sg.) gut gesorgt. (「子供らのことは心配いらない」) (21’)a. Es (3.Sg.Nom) ist (3.Sg.) mir komisch zumute.

b. Es (3.Sg.Nom) schwindelte (3.Sg.) mich.

c. Es (3.Sg.Nom) wird (3.Sg.) für die Kinder gut gesorgt.

(21)における「私」や「子供ら」は,当該文中の唯一の項であり,個体を指していることか ら,意味論的には立派に主語と見なされそうなものである。しかし,形式的には主格でな く,斜格や前置詞句で表されている。すると定形動詞は,これら項の人称・数に一致する 代わりに,3 人称・単数の形態を取る。定形動詞が特定の文要素と形態の一致を行うのであ れば,この「3 人称・単数」という範疇は,不条理にも映りかねないが,決してそうではな い。というのも,(21)には顕在化しないが,(21’)のように,意味論的主語と入れ代わりに文 頭位置で顕在化する虚辞的代名詞の es があり,これが主格で 3 人称・単数なのである。 ドイツ語の定形動詞は内容の如何に関わらず,常に主格の要素を一致相手としている。 つまり,複数の格の可能性の中から絶えず主格を選別するのであり,この格が,動詞移動 の仕組みを通じて第 2 位の位置へ転写されるものと考えられる:

(22) Der hat mich ja ins Gesicht geschlagen. (= (3a)) a. [ S Aux [ O V ] ]

b. Nom Nom Acc

(23) Den Mann kenne ich nicht. (= (3d)) a. [ O V [ S ] ]

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(24) Da hat mich ja der ins Gesicht geschlagen. (= (3b)) a. [ Aux [ O S V ] ]

b. Nom Acc Nom

例えば,(22)では,文頭に立つ主語は,主格で示されているが,その形態論的な読み取り は,動詞の一致形態論と移動を経て第 2 位で行われる。そのため,文頭位置の主語derは, 見た目には主格であっても,主格の価値は認知されない。つまり,日本語で格が潜在化す るのに比肩する状況が,ドイツ語にも見出せる。もっとも,(23)のように,いわゆる「トピ ック化」で文頭に立つ成分が,主語でなく,目的語の場合,日本語のような格の潜在化に は至らない。というのも,定形動詞の一致は,文法関係(主語)や構成素関係([NP, S])で 決まるのではなく,主格という形態論の範疇を基準に行われるため,目的語が斜格で示さ れる限り,そこからその格が奪われて第 2 位に転写されることはないからである。一方, 主格の潜在化は,(24)で比較的後方に現れる主語derにも当てはまる。この例ではさらに,統 語論で実現される語順がOSであるにもかかわらず(aレベル),形態論上は「主格−対格」 の配列が読み取られている(bレベル)。こうした不一致の可能性にも注意が必要である。4) 3.3 形態論の独立性 本節の論議をまとめると,格の示し方,読み取り方こそ,互いに異なる日本語とドイツ 語だが,格の範疇が統語論(=文法関係)の解釈から免れ得る(cf. (16), (17), (22)∼(24))と いう点では共通する。つまり,「自由語順」のこれら言語においては,格のような範列的形 態論は統語論に隷属するのではなく,そこから原理的に独立していると考えられる (cf. Anderson 1992, Wurzel 1984)。この点は,主導的な統語理論(GB 理論,最小主義理論,関係 文法,結合価文法など)では往々にして見落とされがちなだけに,極めて重要である。た とえ統語論の先験性や形態論に対する優先性が普遍的に成り立つとしても,それで即,形 態論が統語論に還元されるということにはならない。形態論には形態論独自のレゾン・デ ートルがあると仮定できるし,また,そう仮定して―つまり,形態論の原理的独立性を考 慮に入れて―はじめて,格の範疇化が,高度な普遍性をもって,語順の変異を可能にする 方法を明らかにし得るものと思われる。 4. 統語論の限界と形態論 形態論の独立性が,上述のように,敢えて強調を要する原理だったのに対し,統語論が 独自の存在であることは,一般に自明視されている。機能論的な立場から,その理由をひ とつ挙げるなら,統語論が文の表す内容とそれを表現する形式との相互対応を司るという, 極めて重要,かつ明確な使命を負うことが指摘できるだろう。 文の表す内容は,概略,発言状況に依存しない叙述的なものと,発言状況に依存する指

4) この関連では,心理動詞に代表される一連の動詞の存在も指摘されよう:e.g. mich (S: Acc) interessiert die Sache (O: Nom)(私はそのことに関心がある)。これらの動詞は,典型的 他動詞とはあべこべに,主語を斜格,目的語を主格で示すと考えたほうがよいと思われる。

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示的なものからなると考えられる。項に即して言えば,前者は意味役割,後者は人称や主 題性(テーマ/レーマ性)として捉えられる現象である。(25)に示すとおり,いずれの次元に おいても,相互に区別される範疇間には不可逆的な階層関係が成り立つ:

(25)a. 意味役割階層: 行為者(Ag) > 受領者(Rc) > 対象(Pt) > 場所・方向(Loc) b. 人称階層: 1 人称 > 2 人称 > 3 人称

c. 主題性階層: テーマ的(Th) > レーマ的(Rh) ↓ ↓

(26) 文法関係階層: 主 語 (S) > 目的語 (O) > 付加語 (Adv)

こうした特色を備えた内容の複合体を,統語論は文法関係に範疇化し直すわけだが,その 手続きは,原則,写像的(iconic; ikonisch)に行われると考えられる(cf. Croft 1990, Leiss 1992)。 すなわち,内容の階層でより上位に範疇化される項が,文法関係でも,より上位の範疇に 写される(26)。そこで,任意の言語が,文法関係として主語と目的語を区別する場合,必ず 主語が目的語より優位に範疇化されることとなるのである(cf. Primus 1999)。 こうした内容的基盤に立脚する文法関係の諸範疇は,さらに実際の表現に変換されねば ならないが,統語論に与えられた方法は,さしずめ連辞化,つまり語順しかない。主語と 目的語のうち,どちらを前,どちらを後ろに置くかという問題に直面するわけだが,この 問題も原則,写像的な方法で処理されると考えられる。すなわち,関係上の「上・下」が時 間的な 「前・後」に置換えられるのである。こうして,主語が目的語より前に立つ,という デフォルト的規定が理論的に得られる。これは,実際,世界の言語における語順の分布状 況に符合する。すなわち,SOV または SVO がごくありふれた語順である一方,OSV や OVS, VOS はごく稀であり,しかも,こうした語順を有する言語は,SOV や SVO など,主語が 目的語の前に来る語順も,持ち合わせているのである(cf. Hawkins 1983, 角田 1991)。 以上は,統語論の基底的要件を述べたものであり,もとより一定の理想化を含んでいる。 わけても,内容上の階層が上述のとおり「写像的」に文法関係の階層へと変換されるため には,内容面の各層(25a/b/c)が調和的であることが必要条件だが,現実には,この条件が満 たされないことは多々ある:行為者より対象のほうが,人称や主題性階層では上位に位置 するような状況は想像に難くない。そうしたケースにどう対処するか―これは,究極には 個別言語の問題である一方,その方法が言語の数だけ無数にあるとも考えにくい。よい例 が,文の態(diathesis; Diathese)である: (27) 俺は(S) あいつを(O) 殴ったんだ (29)a. Ag > Pt b. Ag > Pt (28)a. ??あいつが 俺は 殴ったんだ 1P > 3P 3P < 1P b. ??俺は あいつが 殴ったんだ Th > Rh Rh < Th (28’) 俺は(S) あいつに(Adv) 殴られたんだ ↓ ↓ ↓ ↓ S > O ??S/O ??O/S (27)では,「俺」が,「殴る」行為者として,その対象である「あいつ」より意味役割階層 で上位に位置すると同時に,人称階層でも,主題性階層でも,上位にランクされる。各々

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の階層関係が調和する理想的なケースであり(29a),写像的な手続きを踏むのに何ら支障は ない。これに対し,(28)では,行為者と対象が入れ代わり,人称階層や主題性階層で 「俺」 より下位にある「あいつ」が,意味役割階層では上位にあるという齟齬が生じている(29b)。 両項を主語・目的語に振分けようとする限り,意味役割階層を優先しても(28a),人称/主題 性階層を優先しても(28b),理想的な写像手続きは行えず,不自然な表現になってしまう。 こうしたジレンマを,日本語をはじめ多くの言語は,内容上の 2 項述語を,形式上はあ たかも 1 項述語として,自動詞文で表現する方向で解決をはかる(28’)。というのも,通常 テーマ的と見られる自動詞文の主語は,意味役割の面では,行為者(e.g. 僕は働いた)ばか りでなく,対象(e.g. 僕は怪我した)でもあり得るため,上例で対象に当たる「俺」が,自 動詞文の主語となることに問題はないし,また,「あいつ」についても,これを,人称/主題 性階層で下位にあることに鑑み,文法関係で下位の付加語とするのは,写像性の原理に叶 っていると言えるからである。 ただし,ひとつだけ,統語論では説明のつかない問題が残る:「あいつ」を付加語とする 際,人称/主題性階層の動機は顧みられたが,意味役割階層のほうは無視されている。仮に, この階層が考慮されれば,最上位の意味役割である行為者は,付加語のような極めて下位 の文法関係には写像され得ないわけだから,確かに,現実問題としては,この階層が考慮 されないのは望ましいことではある。しかし,そのためならば,普段は顧みねばならない 意味役割階層を随意に無視してもよい,ということにはなるまい。そのようなご都合主義 が罷り通るなら,もはや統語論の原理はあってなきが如しとなってしまう。 結局,統語論の手続きだけでは,各階層間で出来し得る齟齬には十分応じ切れない。そ こで役割を果たすのが範列的形態論である。統語論の原則違反は,統語論自身で取り繕う ことはできなくても,形態論という他者の助けで目立たなくする.......ことはできる。すなわち, (28’)では,文法関係の異同に伴って,動詞の形態も改められているが,この形態的変更(動 詞の態; voice; Genus verbi)が,止むを得ず,意味役割階層が写像的に扱われない(Pt < Ag) 事情を暗示することにより,件の問題はことさら問題として顕在化せずに済むのである。 いまは動詞の形態論を見たが,名詞の形態論にも同様の機能が認められるだろう。すな わち,格もまた,統語論の補修にあたると考えられる。授与動詞を例に取ろう:

(30) He sent Mary (IO) a letter (DO).

(30’) Er hat Maria (IO: Dat) einen Brief (DO: Acc) geschickt. (31)a. ?He sent a girl (IO) the letter (DO).

b. He sent the letter (O) to a girl (Adv).

(31’) Er hat einem Mädchen (IO: Dat) den Brief (DO: Acc) geschickt.

(32)a. Rc > Pt b. Rc > Pt c. Pt > Loc 1-3P > 3P 3P 3P 3P 3P Th > Rh Rh < Th Th > Rh

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

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授与動詞は,(30/30’)のような二重他動詞文で表されることが珍しくない。その際,受領者 が上位の目的語(間接目的語; IO),対象が下位の目的語(直接目的語; DO)に範疇化され るのが一般的である (cf. Dryer 1986)。5) これは,「人」の項として,1/2 人称であり得る受領 者が,「物」の項である対象に比べ,意味役割階層と同時に人称階層や主題性階層において も,より上位に位置する蓋然性が高いためと考えられる(32a)。 しかし,一般的に予想される蓋然性とは反対に,受領者より対象のほうがテーマ的であ る場合(32b),意味役割階層と主題性階層の間には齟齬が生じる。そしてその途端,IO > DO の範疇化は,もはや自明ではなくなる。現に英語では,この場合,両項を間接/直接目的 語として表現することは難しい(31a)。受領者を方向と捉え直して(cf. 中右 1994)対処する ことになるが(32c),そうして得られる表現(31b)は,もはや二重他動詞文ではない。英語で は,主題性階層の写像的表現を実現するため,(広義の diathesis に含まれる)文型の変更と いう方法を採るのである (cf. Dryer 1986, Huddleston & Pullum 2002, Larson 1988, Quirk & Green-baum 1973)。これに対しドイツ語では,主題性階層が写像的に表現されなくなっても, 間接/直接目的語の表現はそのまま維持される(31’)。これには,英語において区別されない 対格と与格が,ドイツ語においては区別され,表示されることが関与していると思われる。 任意の言語がいくつかの格を区別するとき,各格の間には,(33)のような,やはり不可逆 的な階層関係が当てはまると考えられる (cf. Primus 1999)。すると,ドイツ語の場合,無標 の二重他動詞文(30’)では,間接目的語と直接目的語が,語順によって写像的に表現される のと並行し,格の面では,(33)の階層とは逆行する「与格−対格 (Dat < Acc)」の配列が実 現していたことになる (cf. (34a)の最下行):

(33) 格の階層: 主格 (Nom) > 対格 (Acc) > 与格 (Dat)

(34)a. Rc > Pt b. Rc > Pt c. Pt < Rz 1-3P > 3P 1-3P > 3P 3P < 1-3P Th > Rh Rh < Th Rh < Th ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ IO > DO IO > DO DO < IO

Dat < Acc Dat < Acc ??Acc > Dat

(35)a. Er hat den Brief (DO: Acc) einem Mädchen (IO: Dat) geschickt. b. ??Er hat einen Brief (DO: Acc) Maria (IO: Dat) geschickt.

Dat < Accの配列は,確かに格の階層に逆行しており,ある意味,特殊な表現6)

かもしれ

5) 直接/間接目的語という用語は,むしろ逆の階層性を想起させる(cf. Keenan & Comrie 1977)ので,必ずしも好ましいわけではない。Dryer (1986) のように間接目的語を「第 1 目 的語」,直接目的語を「第 2 目的語」とするのも一案だが,本稿では,前者の後者に対する 上位性を確認した上で,「主語」 同様,問題はあっても定着している従来の用語法に従う。 6) 人称/主題性で差のない人称代名詞ではAcc > Datの配列となることに注意:e.g. er hat es (Acc) ihm (Dat) geschenkt.

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ない。 しかし格は,既述のとおり統語論から原理的に独立しているので,格の階層が写像 的に語順に反映されねばならぬ道理はない。件の配列は,単に統語論の副産物として,余 剰的に派生した状況に過ぎない。また余剰的ゆえ,(31’)のような,まさに統語論で写像的 手続きに問題の生じるケースでは,機能を託される余地もある。すなわち,逆行的な格配 列 (Dat < Acc) は,同じく逆行的な主題性階層の配列(Rh < Th)を代理し得る(34b)。こう して,(31’)に内在的な統語論の綻びは余剰的形態の陰に隠れ,目につかなくなるのである。 一方,対格と与格の順行的格配列(Acc > Dat)は,二重他動詞文の場合,統語論から余 剰的には生み出されないので,これが実現されるとすれば,それなりの動機が必要である。 逆行的な格配列が主題性階層の非写像性を暗示したこととの兼合いで,順行的な格配列は, 主題性階層の写像的表現に繋がることが望まれるだろう。そこで,主題性階層が写像的に 表現されなかった(31’)の 2 つの目的語を互いに入換え,その写像性を回復する場合(35a), 順行的格配列は相応しいのに対し,目的語の入換えが,再び主題性階層の非写像的表現を もたらすことになる場合(35b)は,容認し難い(cf. Lenerz 1977)。統語論の写像性原理を踏み にじってまで(34c),形態論的な格の順行的配列にこだわる必要はないのである。 5. まとめ 語順の可能性を「域際的」に観察すると,豊かな格の下で,ある程度普遍的に,「自由語 順」が確認できる。もっとも,これは格が意味役割や文法関係を示すためではない。たと え,豊富な格があっても,それで「自由語順」に至るとは言えない。語順の変異に不可欠 なのは,格の範列が統語論から独立していることである。そうした独立性のもとではじめ て,格は順行的にも逆行的にも配列され得る。「自由語順」を可能にする格の豊かさとは, 余剰として生み出される格配列の任意性のことである。格の順行的/逆行的な配列によって, 主題性のような指示的範疇の写像的/非写像的表現が肩代わりされる。その限りにおいて, 文法関係は典型的題述の型から解き放たれ,「自由」な配置を許されるものと考えられる。 参考文献

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参照

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