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書法の形象性について
−王学仲・“漫請書法的形象性”− 小 林 久 麿 これは王 ̄書法研究一上策三輪に掲載された,王学仲氏の論文である。王学仲氏 は,1925年生まれ。北京京撃美術学院国画系卒。現在は天津大学教授である。 他に,中国文化部国画創作糾成員,天津市書法家協会準備委員全会長,天津靖夫 術家協会副主席,全国第4期文化会代表,をつとめ,本年1月我国】 ̄朝日20人 乳】25回記念,日本・中国書道交流展に出展,中国二書法訪日代表団代表として, 謝椎柳氏と共に来日された事は周知の通りである。近くは3月より9月に・至 る,我国神戸で聞かれたボートピア’81の,大津館に,中国代表作家と、して書・ 画が多数出品された。現在中国書壇の第一−\人者である。又我国に於ても,「書の 十二季」・「月刊美術」・「ふでびと_ぎ等に,とり上げられ,高く評価されてい る。その他,著書にl■書法挙腰_トや】 ̄書法研究_】等に論文が多く,昨年中国簡 叢刊の≡−迎春花_;は,王学仲教授の書・画の特集を組んで有名である。 壬学仲教授,名は亀,字ほ学仲,筆名は夜泊と・云う。山東省勝県の人で,王 義之の末裔と聞く。父ほ干履安と云い,有名な碑学者である。王教授の学書は, 大きく三段階に分けられる。第一1は北碑を学んだ事,後に.二王を学んだが,北 碑は王学仲苦学の起点である。第二偲妖媚を捨て,高台を追求した。蒙隷を道 秋水(号秋水道人)紅学び,西狭・婁寿。白石神君‥1川等あまねく家隷の碑帖 を臨書した。そして高台・朴犀を求めた。為に」 ̄醜拙_iの泊昧を有し,轟草隷 蒙すべてよぐするが隷書策⊥・とする事が出来る。発三は時代枯神を追求し,自 己独特の古風を試創する。草書・半画。半詩人と自称する博識で,独創性に富 み,研究心旺盛な学究者として,高く評価されている。殊紅漆苫ほ「汲家風情」 を菊し,既紅−・格を成して期待されている。 私ほ天津大学留学中に,師とし,又兄弟たる交りを許され,学ぶ処が多かっ小 林 久 應 12 た。ここに「漫請書法的形象性」を紹介する事ほ,我々讃:学者の資として極め て有意であると考えた。その説く処ほ,古典㌢こ立脚し,しかも斬新で,よく書 の本質を究めていると愚考する。ただ浅学微力で卜分に,王教授の意を伝え得 ない事を恐れ,かつお詑びし,諸発弾の御教示を伐ちたい。 (1981.9.3)
苔法の形象性について 13 漫詰寄法的形象性 中国文字ほ象形から来瀕し,文字であって又図画でもある。あるいはこれを 象形文字とよぷ。これほ中国文字の−・大特徴である。中国文字ほ,その記事符 号としての功能を完成すると同時に,刻画符号も,甲骨文字も,金文小泉も, 又刀をもって:刻したものや,毛筆で書いたものは,いずれもみな,これら図画 文字を加エし,美化し,意儲的に文字を芸術品一層法として:加工し,特有な芸 術形式を完成させたこと紅注意したい。 書法ほ既紅一つの芸術の部門として存在する以上,必然的に芸術規律上のあ る共通性を具えなければならない。そして芸術の共通性を構成する重要な点 は,芸術と生活との関係であり,それから又芸術の形象性を持つこと。例えば 美術の形象性をもつ様なもので,又苫楽舞踏も,それぞれ独自の形象性をもっ ている事と同様である。これから書法の形象性把.ついて検討してみたい。 書法と生活実践 中国文字は双重の性質がある。(1)ほ実用性であり,(2)は芸術性である。実用 性に関しては,文字の音義及び形体変化等,文字学者に.由って研究されて:い る。そして書法が研究を要するものは,即ち書法の形式美と,その特有の芸術 規律である。 歴代書法家ほみな古人に.学び,法帖を臨書し,勤練苦労することに偏重して いる。当然これも重安な事である。然し別の而から見れば,これでほ人々の注 意を引き起さない。これほ芸術形式の一・つとしての書法であって,その源流関 係,書法と生活実践との関係が大切である。もし我々がこの一点をよく注意す るならば,書法の研究と勉強をする上で,始めて全面的な認識をする事が可能 である。前人が生きた時代(時間)や場所(環境)を根拠として創造した経験 を学ぶべきである。我々ほ現在の時と場所にあって,自然と実際を双察して得 たものからも当戯発屈し,創造すべきであって,古え紅おぼれてはならない。 我々の祖先は原始時代より大自然との闘争の中で自然界を観察し,自然界を 表現する文化活動を始めた。生活労働の必要から出発し,形象を記録し,文字 を創造した。これほ中国書法が形象化に向かい,発展した初めの形(雛形)で ある。中国文字の形象性は,更に符号化に由って消失する事はなかった。その
小 林 久 l替 1‘l 原因としてニ,たとえ多くの字が音義の作用を強調し,字形もたえず変化したけ れども,たた苔法は民衆の長い生活の中に美感の観念があった。漢字の形象は 消失したけれと,却って象形より書法の意象に転向し,形象の思惟より飛躍し て意象の創造に到った。 中国文字が孝脅された時ほ,中国原始社会の発展に随って発展し,社会生産 力の高まるにつれて,又文字の変遷と革新も促進された。文字の創造も亦先民 連が自然を観察しながら文字形象を吸取する作業を初めた。最古の記載,易系 辞にi ̄仰則観象干天,僻則観法子地,観鳥獣之文与地之宜,近取諸身,遠取諸 物_iと云う。即ち書法が自然を反映する最初の説明である。生活実践の深入に 随って人達ほ,実用価値の文字を使用するばかりでなく,芸術性に富む書法を 観賞する事を欲した。これらの要求に適応する為,書家ほ豊富な自然界から彼 等軋感受される商用なものを吸収し,自分の書法と感情を充実させた。音楽家 ほ旋律に重点をおき,書家ほ点画の節奏感に重点をおく。酋法の芸術形象ほ美 術の具体的に完整したものにほ及ばない。然し構成する形式美感ほ却って豊富 な変化と芸術的感激力は多くあり,これに.よって時代の精神を反映させる。 多くの昔の畜家が独創性の書体をもつ前にみな彼個人の生活観察をもって根 拠とした。換代の黎退は,粉刷工人の粉撼を観察することから憂 ̄飛白書」をあ み出した。伝説に王義之ほ鵜を愛して白粥を観察した。そして江北の名山紅遊 んだ。後人が彼の字を観賞し,「其所措患,皆自然万象」と感じている唐宋時代 の書家は生活に対する観察も亦細微匿儲入している。戯桑卿の朴茂塘容の書体 (筆姿)は,漏屋の水焼から啓発された。彼の書体ほ,唐代の豊厚肥朕の芸術 の特色をよく反映してこいる。彼は常に懐素と各自の生活体験を論じ合った。懐 采の狂単については,曽って嘉陵江(四川省)の水声,盈の天空の白い蛮,壁 の裂隙から変化を探し求めた。又草書家張旭は剣舞を観て筆法を悟った。それ ばかりでなく,日月星辰,草木花実から歌舞戦闘に及ぶ美しい形象を彼の書法 の意境の申に.とり入れた。又末代の二大古家は大江漫遊中紅筆意を体得した。 即ち蘇拭ほ逆流をこ舟を進める時紅,書理を悟り,遊山谷は峡谷を旅する時に, その船大の蕩渠をみて用筆の法に一つの進歩を開いた。これらの生活実感は書 家にあって想像を燃焼させ,前人の成法の基礎の上に・立って,再び創造の情熱
雷法の形象性について 15 を起し,加うるに彼等は各方面の修養があって,当時に・独り一・格を建て,−・時 代の影響のある代表的な人となるのである。 今日見るところでほ.,彼等の観察体験吼 其の時代の局限性があり,完全に・ 正確とは云えない。我々ほここで,ただ書法と生活の関係を説明し,生活実践 申の感受が彼等の書法中の思想と感情に反映されている事を説明しただけであ る。王義之の「写楽教則幡多悌郁,潜画賛則意渉塊杏_!と云うほ,そ・れぞれの 情緒の流露である。唐代審理論家の孫過庭も,このことを指摘して−,「故可達其 性情,形其哀楽._lと言っている。もし書家自身が何の思想も感受性も持たない ならば,観衆にアピ−ルする作品ほ出来ないであろう。 自然に由来する意象 歴史の発展に随っで形象生動の象形文字があるけれど,極めて不統一で,不 便であるため制限を受けるこ.とになる。社会の発展ほ,象形の成分が逐次減少 し,符号の成分がだんだん多くなる事を要求する。iliに・魯迅先生が云う様に. 「ある事物ほ画を出でず,ある事物は画から来たらず,例えば松柏がそれで,菓 形は.不同で,元は分けてあったが,写字は結局写字で,絵画の様に・椅エに象ど ることほ出来ず,到底無理に.頑張ることば出来ない■;と。中国には書画一・体の 云い伝えほあろけれど,文字と図画との機能は別である。象形ほただ文字の最初 の段階のものである。書法の形象を造ろうとすれは巨象形紅顔る拳は出来ない。 そして意象にカを借りなけれほならない。即ち書家は,大自然の中から獲た美 感を,書法形象の中に概括するのである。後漠の書家葬塾はl ̄凡欲結構字体, 皆欲象英一−−−■・物,若鳥之形,若虫食私 若山若樹,縦横有托,運用合皮,方可請 =乱iと。書家ほ如何紅これらを本当紅描こうとしているのか。音楽家は旋律と 音符を芸術形象に反映しているのと同様に,古家は自然界を象徴する線条・書 体(筆姿)によって讃家の思想感情を反映するものである。即ち後世の人が王 義之・王献之の作品を観羞して感受するものは,<蘭亭叙>は人に悠然興会の 感を懐かしめ,く洛神威>ほ大仙と水神とが,水面上に遊遊している様に感じ させる。もし脊作占.!,上に,ただ蘭亭と洛神を描出するだけなら,それは書法芸 術でなくなってしまう。よって書法の表現する処ほ,具体的形似ではなく,具 体的形式から,集中概括を経過して,抽象的意象と変る。これは即ち,書法芸
小 林 久 麿 16 術は古来より玄妙なところと認められて−いる。実際紅書法と生活実践との関係 を理解出来れば,何も口で伝える事は出来ない様な奥秘はない。 書家に綜合される意象は多方面のものである。先づ人から云うと,書家鍾顕 は「流美者人也」と,書法美の形式は人紅あると考えていた。孫過度もー ̄況書 之為妙,近取諸身」と云った。従って書法芸術に於ては,人が意象感受を獲得 する主要対象である事が分る。例えば,長短比例の度合,起伏節奏の調和・情 緒哀楽の表現等は,書を書く人がみな常に書法中に実証しているものである。 姜変は草書をI ̄如人坐臥行立,揖遜怠争,乗車鉄馬,歌舞揮踊」と云っている。 彼は殆ど人の動作活動をとって包括し,あますところがない。妻変のこの種の 想法も亦,多くの書家が実証して来たものである。先述の唐代の張旭は剣舞を 見て啓発されたが,剣舞は非常に健美的舞踏芸術である。張旭はリズムのある 舞の中から豊富な狂草の書法をあみ出した。彼は又,ニ人のかつぎッ子が道を 争って過ぎて行った。この争いあり,譲りあいのふ㌧現象に書家として布自結構 の構恩を啓発されたのである。宋代の行書家黄山谷は,自ら元祐年間の番は死 板呆痴,然し晩年入峡の折,船夫の務欒をみて,初めて啓発され,新筆法を悟 ったと。 人の筋骨血肉を観察する事を通して−,字体の肥痩と間架の均称度合を計り, 又実際上これをもって書法の優劣を評価する。 我々ほよく印刷や睡拓の原因で,原版にはられる碑帖が太くて筋力のない事 を聞いたり,又直接それらを見たりした。がこれらの要求は,運筆・運墨と相 関係する。柳公権,黄山谷の字は,点画は提頓霊活,筋絡分明,水分の強弱は 筆画の干湿を調節している。故によく干燥した渇筆で書いた字は,欠血に感じ, やせて骨ばり,肉はなく,丁度宋の徽宗のl ̄痩金蕃_Iの様な肉に欠ける感があ る。筋骨血肉が筆画を形成する事に・於て、一つを欠ければ,即ち美ならずと云 う事が分る。如何によく指腕水墨の四つの関係を調節するか。明代の豊坊は次 の様に指摘している。「指は骨を作り,腕は血を作り,墨は肉を作る」と。両者 の関係を明らかに.したものである。彼は云う「筋は腕より生ず,腕よく懸なれ ば筋脈相連りて勢が出来る。骨は指より生ず,指よく実にすれば骨体が堅くな って弱くはならない。血は水より生ず,肉は墨より生ず,水は須らく新しく汲
書法の形象性について 17 むべし,墨ほ新しく摺るべし,かくすれほ煉湿の調節が出来て,肥痩がうまく 行く」と。 書法は又常に建築の分割布局の原理をもって実証される。乎立面の画分,空 間の使用,主体と賓体の布置,柱式門窓の比例等の如く,極めて厳格さが要求 される。これら建築の美学法則は,又書法の中に体現される。一つの柱と竪画 をとって相比すると,竪の起筆の頓点と収筆の頓点は,それぞれ柱頭と柱基の 長さになる。中段も丁度柱身と相応している。この様にして始めて見よい比例 となる。もし両頭の点勢を無限に拡大すれば,竪画の中段は滅短し,筆画は必 然的に.萎縮してしまう。柱式が直接竪画と相似していると云う発見は,明代の 李樽光に.よる。彼ほl ̄努名鉄柱_lと云った。書法と器物をもって比較したもの は,例えば,横画をもって玉葉になぞらえる。ただ横画に.美感を与えるものは ● 前人はi−洪如復丹」に例える。想像するのに,沙灘の上に反殻した小舟のたと .えであろう。横画の中頃が少し高くなっている字勢と十分符合する。これほ甚 だ神味ある昏えである。 三国時代の鍾覇がi一線見方類,皆苔象之iと云うのほこの事である。彼は客 観世界の多くの物象をとり,みな筆画中にとり入れようとする。がこれは当然 少々誇張した説明である。この他,筆饉意象を説明するものに,衛夫人の「筆 陣臥」がある。長横を千望の雲陣に比し,点を高峰上から落下する石頭に・比 し,撤は象の牙歯に比し,竪ほ垂れ ̄Fる老藤に比し.捺ほ波浪の雷電に比し, 才ほ引満の弓に比す。これらの例え方は,人が筆画をもって類似の形象を作る ものではなく,象徴的紅,墜石の力量や,雲の例は非常に・広いと云う事を形容 しているのである。書家は書く時,これら自然界の意境があって,筆頭上に自 然と流露する事が出来るのである。顔責卿の濃墨の大点を書く様なものであ る。彼は何も点を書く時,墜石の運動状態を写出する事を求めているだけでは ない。時にはうずくまる,猪頭,憶の静態を強調するのである。唐代の王邑が 懐素の草書を賛鼓して,猿が老藤によじのばるのに・たと.え,壮士が,硬鉄を打 ちくだくの力鼠とはめた。これは誇張があるけれども,懐素の草苔中の何処を 見ても,人に迫るカ逼:があり,これらの形容が過分でない事が感じられる。
小 林 久 麿 18 変動中に美観を求める 文字の形成と発展との過程にあってほ,そ・の趨勢を見ると,みな統一−・に.向か い,速く・便利なものへと向かっている。そして中国番法が,旧を排し更新す る事を推進して,豊富で多くの畜体を創造する様に.なった。築・隷・楷・草ほ 常に・一つの大変動中の産物であって,一つの変動は,みな新しい字体の出現を 見,又同時に−・古体に長じた書家の出現をみた。 秦の小寒ほ偏労を統一・し,偏努の位置を確定した外,声符をも統一・し,又各 字の基本筆画を准足した。これほ.実用に基づく一丁大改革である。そして李斯に よって書法の美化の手法をもって書写した。残存しているl ̄泰山刻石_l上に李 斯の書いた/ト築を見る尊が出来る。がその字形ほ.均整がとれて美観である。李 斯が小寒字形の更に完美化へ発展させる尊に対して,一億の作用を起したと説 明して1ハる。 人民群衆は文字を創造した。又続いて文字を簡化した。これは文字発展の規 律に.合致す−る頚である。淡字は家書より楷書に至るまで,多くの簡化を経過し た。唐宋以後の簡化の主要なものほ,筆画を少くする事で,併せて大義箋・の同酋 の代替字を出現させた。民間の陶器上に出現するものから,碑刻上及び手書き の写経_上のものまで,すべて看る事が出来る。 解放後人民群衆は革命の新形勢下にあって創造した大電の簡化字中,少なか らず文字改革委員会の採用するところとなった。ある書家は簡化した中国字 は,中国書法の形象美を破壊したと懸念した。が事実は簡化字を用いて書き, 刻印するなど既に多くを試し,宣伝工作申に.簡化字と横行書写形式とは,広く 使用された。多くの=書家は簡化字による手本を提供した。この事ほ簡化字が, 漢字の字形上の糞観に影響しない事を説明したこ.とに・なる。すでに簡化した偏 側字の左に向うもの! ̄J一■・ノ⊥一・ノ☆ニ_き等,右に向うもの憂 ̄雪・一■で_j等の字は,淡 字の元からある均称・均衡を打破した。だが簡化字があった後,始めて偏側字 があるのでほなく,例へば左に向う j ̄戸_き と,右へ向う1■乙・曳_j等が,原来 筆画が少ないばかりでなく,字形も亦対称のものでほない。過去の書家ほ,こ れらの字を美しく讃:く,多くの経験を積んだ。だから今は不断の実践中にあっ て,多くの経験を加え,創造する事が出来るものと信じてこいる。
番法の形象性について 19 他方から云うと簡化しない繁体字は,簸・隷・楷・行・単各種書体に包括し て,我々祖国の豊富な文化遺産として継承して行くべきもので,永遠に消す尊 ほ出来ない。書法芸術の角度から見ると,先の各書体は伝統の書写形式紅準じ, 条幅,瞳額,対聯・選抜字画等,依然伝統形式として保留する啓が出来る。 まさに我々が今日の新詩を提唱しても,旧体詩を排斥しないのと同様である。 古い伝統としての各種、の書体は,みな広範な群衆の基礎がある。祖国の育花園 間中にあって,家書も隷書も簡体字も繁体字も,何れもみな群衆の見聞して−よ ろこぶ形式である。多種の書体を書くのほ,正に、広大な群衆の多方面の文化要 求を満足させる事である。よって旧い書体は現代書家の新しい芸術実践中で, なお強力な生命力がある。一つの伝統芸術形式として各種書体の古家は今日大 いに努力すべきである。書法ほ既に一つの芸術として長期に存在した以上,人 民群衆の文化要求を満足させ,たえず書写水準を高める為,書家に希望する事 は,前人を継承する基礎の上に立って,唯一‖の源泉中紅身を投じ,生活実践中 から観察感受し,杜会主義祖国を反映する新感情を産出し,新しい書法形象, 時代精神を具有する斬新な書体を創造し,従って我国新時代の新讃風を形成す ることである。