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Title
雑々集「第二・三・四話」の成立 ―松井本和泉式部集との関係―
Author(s)
山口, 康子
Citation
長崎大学教育学部人文科学研究報告, 23, pp.二五-三六; 1974
Issue Date
1974-03-20
URL
http://hdl.handle.net/10069/32379
Right
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雑々集﹁第二・三・四話﹂の成立
︱松井本和泉式部集
との関係︱
山 口 康 子 一 雑々集は、上下二巻・各二十話の計四十話をもつ説話集で、上巻 の第一・八・九・十一・十二話、下巻の第二十四・四十話の計七話 を除く計三十三話は和歌を有し、いわゆる和歌説話が昭々集の中心 をなしている。 古典文庫88﹁雑々集﹂の吉田幸一氏による騰誰に・現存諸本につ いて次の諸点が明らかにされている。 ①現存諸本は、書陵部本︵古曲ハ文庫鵬に複製︶、内閣文庫本︵同 ︵注②︶ じく翻刻︶の他に、彰考館本、神宮文庫本がある。②後者二本は、お およそ、書陵部本の系統の本文をもつ。③現存本の中では、書陵部 本が比較的の善本である。④内閣文庫本は、書陵部本とはやや系統 または類を異にした監本で、その本文右側行間に、他本による校異 がイ印で傍記されている。⑤内閣文庫本のイ印の校異と一致する本 文をもつ写本は、現在のところ見出されていない。 ︵筆者要約︶ 右に従って、本稿においては、以下、特に記さない限り、書陵部 本︵古典文庫複製本︶の本文を用いて論を進めてゆく。 ︵注⑧︶ 早く、春日政治博士,が世継物語と関連づけて述べられて以来、野 々集は、内外の徴証に拠る成立年代の推定、および、所収説話の承 ︵注④︶ 接関係という面からのみ論じられてきた。今、雑々集所収計四十話 寸々集﹁二こご・四話﹂の成立︵山口︶ の類話関係を一覧すると、そのような取り扱いもまた無理からぬ構 成を、融々集自身がもっていることが分る。 下々集は、巻頭第一話から第十五話までが世継物語との共通説話 であり、残る第十六話から末尾第四十話までの計二十五話のうち、 第十六話、第十九話、第三十八話の計三話を除く、計二十二話が、 写本女郎花物語との共通説話である。世継物語・写本女郎花物語の いずれとも重ならない、計三話については、第十六話11山家集・撰 集抄・玉葉集、第十九話11睡睡笑、第三十八話11袋草紙・新古今集、 の如く、類話を共有する文献があり、従って、独自の説話は一編も ない。しかも、それら関係文献のうち明らかに滑々集に先行すると 考えられる文献に収められている説話本文と比較した場合、ほとん ど同文的な説話も多いことを考えると、雑々集は、すでに渡辺守邦 ︵注⑤︶ 氏の指摘があるとおり、 ﹁口がたり﹂の直接的な定着ではなく、大 巾に先行文献に依拠して成立したものと考えるのが順当であろう。 雑雲集が、世継物語・女郎花物語などと深い関係にあり、おそら くは、まず世継物語から雑二選前半計十五話の説話を採り、次に写 本女郎花物語を用いて残りの大半を補なって構成されたと、私もま た考えるものであるが、今、少しく観点をかえ、そのような編纂に 際し、密々集編者がとった態度について、その第二・三・四話の成 立を検討することをとおして考察してみたいと思う。 二五長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二三号 二 世継物語、もしくは宇治大納言物語という名で知られている説話 集には、三種類の異本系統があり、混乱をさけるために、 ﹁小世継 ︵注⑥︶ 物語﹂と総称することを、小内一明氏が提唱しておられる。 雑三三が、その編纂にあたって利用した﹁小世継物語﹂は、どの 系統のものであったのだろうか。この問題は、①小内氏によれば、 世継物語の三系統の異本間には本文の異同にとどまらず、説話の出 入りがあること。②亭々集と女郎花物語の関係において、輝々集 ぴ は、万治四年板本女郎花物語とは計十七話を共有するのに対し、内 閣文庫蔵写本女郎花物語とは計二十二話を共有し、質量ともにその ︵注⑧︶ 関係が深くなることが、すでに知られていること、のこ点を考えあ わせれば、決してゆるがせにできる問題ではない。先に、吉田氏 は、雑々集編者が板本以前の写本女郎花物語に拠った可能性をあげ ︵注①参照︶ ︵注⑥参照︶ られたが、今、小内氏の﹁小世継物語伝本考e﹂に扶けられて、雑 々集編者が利用した﹁小世継物語﹂の姿を、できるかぎり把えてみ たいと思う。 小世継物語の伝本は、小内氏によれば、︵甲︶世継系統、︵乙︶宇治 拾遺系統、︵丙︶宇治大納言系統の三系統にわかれる。︵甲︶は、説話 数五十六話、木板本世継物語の﹁系統に属する伝本群で、続群書類従 本もこれにあたる。︵乙︶は、説話数とその順序は︵甲︶と同じで、通 行、流布五冊本系統宇治拾遺物語の第五冊重して伝来している。春 ︵注③参照︶ 日政治博士が﹁宇治拾遺物語の一本より一世継物語私考1﹂で紹介 された﹁九州大学文学部国文学研究室蔵本﹂をはじめ、五伝本を数 える。︵丙︶は、上中下三巻五十四話で、︵甲︶︵乙︶にある六話を欠 き、かわりに︵甲︶︵乙︶にない四話を加える。説話順序も︵甲︶︵乙︶と は異なる。木板本宇治大納言物語の系統に属する伝本望である。 二六 小内氏は、系統分類の基準となった異文として、九ケ所の長文の 異同④∼①を示しておられるが、このうち◎︵世継物語第8話︶は 説話自体が雑劇集に採られていないので、これを除く八ケ所の異同 を、雑々集本文と対比し、いずれの系統に近い本文を此々集がもっ ているか見てみよう。 対校の底本は、書陵部本匠々集。本文の傍線は、校異のある箇所を示す。 校異は、本文の後にまとめて、番号に従って示す。諸本、諸系統の略号 は、内閣文庫本雑寄集︵内︶、小世継物語の三系統︵里、︵乙︺、︹丙︶とする。 系統分類に用いる長文の異文の、@∼①の記号と順序は、比較の便のた め、小内氏論文と同じものを用いさせていただく。表記のちがいは記さな い。説話番号の下の算用数字は、雑々集、古典文庫複製本のページ数と行 数を示す。 ④雑々集第十五話︵世継物語第1話︶%・8 たち ①一−一− ○宮の立さはきみをくらせ給﹃に又御涙こぼるれはついみさせたま ひなくさめ奉らせ給﹄て ①給て︵内︶︵甲︶、・﹃﹄内ノ本文ナシ︵乙︶︵丙︶、 ⑤雑一斗第四話︵世継物語第3話︶24・2︵中略︶25・8 ○くらきよりくらき道にそ入にけるはるかにてらせ山のはの月
② ③ ⑭
﹃とかきをきてかへらんとし侍けるに⋮⋮︵中略︶其時けさを給 ⑤ へるとかや式部りむしうの時にも此けさをかけたるとなり﹂ ①ぬべき︵甲×乙×丙︶、 ②よみ奉りたりければ︵甲︶、 ③御返事にけさをそ遣ハしたりける三つきてうせんとしける旦甲︶、 ④ノ部分二挿入﹁聖人より﹂︵内︶、 ⑤泣けさをそきたりける歌のとくに後世もたすかりけんと目出度事也︵甲︶ ・﹃﹄内の本文ナシ︵乙X丙︶、 ◎森々集第六話︵世継物語第5話︶32・8ρ
〇六条の大弐ほり川の大弐なと申ける人々は此伊勢大夫かまとなり②¢ けり﹃しら川の院ハ彦になんおはしましける﹄一の宮と申けるお りに ①弐︵内︶、 ②彦にてなん丙︶、彦に︵甲︶、・﹃ ﹄内の本文ナシ︵乙×丙︶、 ④雑々集︵世継物語第52話︶11・3 ⑩ ○申させたまへはうへのきかせ給て ①ノ部分二挿入﹁さきかせ給ひてそ奉りけるさ仰られけるを﹂︵甲︶、 ﹁さ 仰られけるを﹂︵乙×丙︶、 ◎世綜甲物語第8話ハ雑々集二採ラズσ ①雑々集第十五話︵世継物語第−話︶93・9 ①1 0なにごxうなく見あげさせたまへる﹃にるんにおはしませハあさ ② ③ ましくて御かほを引いれさせたまへり﹂御かたはらにそひふさせ 給ひて ①ナシ︵甲X乙︶、 ②ナシ︵内︶、 ③たまへる︵甲×乙︶・﹃ ﹂内ノ本文ナシ︵丙︶ ⑧雑々集第十五話︵世継物語第1話︶98・5 ② 1 ③ ① く ○あくりやうのみつこうの御事也﹃かんみんの大将あさみつこうの ④− 御あにxおはす﹂ ①ナシ︵内︶、 ②左大臣とハ此︵甲×乙X丙︶、 ③ノ部分二挿入﹁堀河大臣顕光と申たり﹂︵甲X乙×丙︶、但シ、︵丙︶ニオイテハ、 ③ノ挿入部分以下、﹄マデ割注トスル。④にて︵丙︶、 ⑤三々集第二話︵世継物語第2話︶17・5 わか ○物おもへばさはのほたるも我身よりあくかれいつるたまかとそ見 ⑪ る 声々集﹁二・三・四話﹂の成立︵山口︶ たき ひ おく山にたきりておつる滝津せの玉ちるはかり平なおもふそ ②− めうしん = 此歌ハきふねの明神の御かへしなり﹃おとこの声にてみ﹂に聞え けるとかや﹄ ①ノ部分、スナワチ、二首ノ歌ノ間二挿入﹁時に男のこゑして式部が耳に きこえける﹂︵丙︶、 ②ナシ︵甲×乙X丙︶、・﹃ ﹄内ノ本文ナシ︵丙︶ ①雑々集第+話︵世継物語第56話︶67・5 ① ② ○いみしくなむおほしける﹃たゴすこしいうめきたる心のあるをう ③ ㏄ しろめたくおほすなめり﹄北のかたハ ①おはし︵内︶、 ②ナシ︵内︶、 ③おほしける︵甲×乙︶、 ④ノ部分二挿入﹁の心に﹂︹里︹乙×丙︶、・﹃ ﹄内ノ本文ナシ︹丙︶、 以上、雑々集本文を小世継物語の三系統の本文に対比させた結 果、その異同を、 e雑々集・︵甲︶が一致し、︵乙︶︵丙︶と対立する型。 ④◎およびやや変形した形で⑤、 口雑三宝・︵甲︶︵乙︶が一致し、︵丙︶と対立する型。 ㊥⑤① ㊨︵甲︶︵乙︶と︵丙︶が対立しているが、雑々集はそのいずれとも共通 項をもつ型。 ④⑧ の三型に分類できる。その結果をみると、雑々集と小世継物語︵甲︶ 系統との近似関係は明らかであろう。系統分類のための異文八ケ所 のうち六ケ所まで一致し、残るニケ所もその関係を否定しないとな 二七
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二三号 れば、雑々集が拠っている世継物語は、小内氏のいわれる︵甲︶世継 系統であると決定してさしつかえないと考える。雑々集の成立に関 しては︵乙︶宇治拾遺系統、︵丙︶宇治大納言系統は、一応、考察の対 象から除外してよいであろう。︵甲︶世継系統の各戸本の関係は判明 せず、この系統に属するどの写本又は板本を用いたかは、勿論決定 できない。小内氏の続稿﹁小世継物語伝本考﹂⇔、国を期待した い。しかし、さしあたっての問題は、雑々集の編者が、小世継物語 伝本三系統のうちのいずれに属するものを使用したかということで あり、その点に関しては︵甲︶世継系統と決定することができる。当 面は、︵甲︶系統に属する、続群書類従本﹁世継物語﹂を用いて論を ︵注⑨︶ すすめることにしたい。 三 墨継集第一話から第十五話までを、続群書類従本世継物語の関係 説話と対比してみると計十五話のうち十話までが、ほぼ同文である ︵注⑩︶ ことに気づく。これらの十話においては、各号の中の逸話の配列 や、和歌をもつ場合その和歌が、同じであり、わずかな語句の脱落 や挿入がみられるだけで、同一説話集の異本関係の如き相違しかみ られない。 説話の構成が異なっていたり、和歌に出入りがあったり、長文の 脱落部分や挿入部分があるなど、世継物語そのままとはいえないも のは、雑底値第二・三・四・六・七話の計五話である。 今、この中の第二・三。四話をとりあげ、喜々集においてどのよ うに形成されたかを考えてみたい。特に第二・三・四、話をとりあげ る理由は、 ω第二・三・四話は、いずれも和泉式部関係の説話であって、一連 のものであること。 二八 ︵注⑪㌔ ②世継物語との出入りが、第六・七話に比して大きく、その出入り の⋮様相も複雑”であること。 ㈲全編中、この一ケ所だけが、世継物語︵第2・3話︶とも、写本 女郎花物語︵第35・50話︶とも重なっていること。 の三点からである。 麗々集巻頭第︸話から第十五話までは世継物語から、そのあとは 主に写本女郎花物語から説話を蒐集したとする立場からみれば、第 二二二・四話は世継物語をひく部分にあり、写本女郎花物語につい ては考えなくてもよいことにもなろう。しかし屡々集第ご・三・四 話と世継物語第2・3話の対比によって提示される事実は、後述す る如く、事柄がそのように単純ではないことを示している。今ここ で三者の関係を明らかにしておく必要があるゆえんである。 ︵注⑱︶ 雑々集第二・三・四話、世継物語第2・3話、写本女郎花物語の 三者を比較すると、次のことがいえる。 ①写本女郎花物語では、全五十五話のうち、和泉式部・小式部関係 の説話が、第以・35・42・50・55話と分散しており、その中の第35 話、貴布禰明神の説話と、第50話の一部、すなわち第50話胃頭の 小式部追悼歌と末尾の熊野権現詣での説話とが、雑々集との共通 説話である。それに対して、世継物語では、全五十六話のうち、 和泉式部・小式部関係の説話は第2・3話とまとめられて居り、 歌数にこそ相違はあるが、逸話および和歌の配列の順序は、雑々 集と同じである。、すなわち、事々集第二二ご・四話、世継物語第 2・3話をそれぞれ、和泉式部関係説話として一連のものとして 眺めてみると、その構成の骨組みは両者共通であり、山々集は世 継物語のあちこちに、世継物語にみえない和泉式部関係の逸話ど 歌をはさみこんで増補している形である。
②写本女郎花物語と共通の部分については説話自体は同じであって も、文脈の流れや語法に差異がみられるのに対し、世継物語と共 通の部分については、両者は、ほぼ同文的といえる。 三者共通であるのは、一々集第二話の貴布禰説話の部分のみであ るから、この部分について比較してみるのが便利であろう。 和泉式部の貴布禰詣での歌と、貴誌禰明神の返歌は有名な逸話 で、多くの歌集・説話集・歌学書などに採られているが、その伝承 には、明らかに次の二系列︵あるいは三系列︶が跡づけられる。 ω﹁後拾遺﹂系の伝承 ︵注隅︶ この系列の本文としてまず後拾遺和歌集がある。次に示す。 ④ ② 男に忘られて侍りける頃、貴ぶねにまみりてみたらし川に螢のとび侍りけ るを見て詠める。 和泉式部 物思へば沢の螢も我身よりあくがれ出る玉かとそみる ③ 御かへし 奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉ちるばかり物な思ひそ ④ ⑤ ⑥ 此歌はきふねの明神の御返しなり、男の声にて和泉式部が耳に聞えけると なむいひつたへたる︵後拾遺和歌集濁世二十︶ この系統の本文の特徴は、傍線部①∼⑥にある。すなわち む む む む ①﹁男︵又は保昌︶に忘られて﹂という表現 ②﹁みたらし川﹂という地名をいれること ③二首の歌の間には﹁御かへし﹂とだけあるか、もしくは歌のみを 二首連続して出す。 ④二首を提示したあと﹁此歌は⋮⋮﹂と左注的に説明する ⑤﹁男の声にて﹂という表現 ⑥﹁耳に聞えける﹂という表現 小異はあっても、おおむねこの型に属する文章を伝承しているの ︵注⑯︶ ﹁注⑮︶ が、右、後拾遺和歌集の他に、古本説話集、世継物語、松井本和泉 心々集﹁二・三・四話﹂の成立︵山口︶ ︵注⑯︶ ︵注⑰︶ ︵注⑱︶ 式部集、一環口伝集︵俊頼髄脳︶などであり、雑々集も、前章二、 の⑤に掲げたとおり、この系統に属するものと考えられる。 世継物語では、①の﹁男﹂が﹁やすまさ﹂とあり、④の﹁御かへ し﹂を欠くという二点の他は、後拾遺集本文と一致している。雑旧 臣では、前におかれている保昌関係の逸話との承接関係から﹁物思 ふね へば⋮⋮﹂の歌の前の部分は、 ﹁その眠き船にまいりけるにほたる を見てしきふ﹂︵﹁にほたる﹂は傍注の形︶と異文になっているが、歌 の直前に﹁しきふ﹂と作者名をあげるなど後拾遺系をひく型が明ら かであり、③④⑤⑥については、世継物語の場合と同様、後拾遺集 とほぼ同文である。世継物語・三々集ともに、後拾遺系の本文を伝 えることは明らかであろう。又、歌学書という性質上、非常に変形 ︵注⑲︶ されてはいるが、袋草紙の﹁貴地禰御歌﹂の項も⑤⑥の特徴を有す るところがら、やはりこの系統の中に数えられる。 ω﹁十訓抄﹂系の伝承 ︵注⑳︶ この系列の本文としては、十訓抄がある。次に示す。 ① 和泉式部が男のかれがれになりける比、貴船に詣たりけるに、ほたるの飛 を見て 物おもへば沢の螢もわが身よりあくがれ出る玉かとそみる ② ③ ④ とながめければ、御社の内よりしのびたる御貰にてかくきこえけり おく山にたぎりて落る滝つせの玉散ばかり物なおもひそ ⑤ そのしるしありけるとそ。 この系統の本文の特徴は次の如くである。 む む む む む む む
①舅のかれぐになるしという窺
②二首の歌の間に﹁おく山に⋮⋮﹂の歌の説明があること ③﹁御社の内より﹂という表現 ④﹁しのびたる御声にて﹂という表現 二九長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二三号 ⑤﹁しるしありける﹂という表現 この系統に属する本文を伝承しているのが十訓言の他、古今著聞 ︵注⑳︶ ︵注⑳︶ ︵注璽︶ ︵注⑳︶ 集、沙石集、東斎随筆などであり、写本女郎花物語、板本女郎花物 注︵㊧︶ 語もこの系列に属する。すなわち、写本女郎花物語においては、④ の﹁御声﹂が﹁こゑ﹂であり、説話の末尾の部分⑤が、女訓物の面 目どおり、教訓的な言辞﹁そのしるしありておとこあはれひてもと のことくありけるとなんあらたなる神の御ちかひもありがたくこそ 侍れ﹂になっていることの二点の他は、十訓抄本文に一致する。 又、板本女郎花物語においても⑤が﹁かの御利生にや﹂という異文 になっている他は同文である。貴布禰説話の部分に関しては、女郎 花物語は後拾遺系本文と接触することなく、直接、十訓魔窟の本文 をうけついでいると考えてよいであろう。 ㈲混一・﹁無名草子﹂系の伝承 貴布禰説話の伝承形態には以上の二系統の他に、その両者の三態 と考えられるものがある。無名草子や、下って百人一首一夕話など ︵注⑳︶ にみられる本文の形である。無名草子は、﹁やすまさにわすられ て﹂と、後拾遺系本文の①の特徴をもつが、②③④⑤⑥の特徴はな く、詰屈抄系との接触のうかがえる異文である。次に、百人一首一 夕話は、後代のものであるが、後拾遺系の特徴①②と、一心抄系の 特徴③⑤をあわせもっていて明らかに混態である。 右のとおり、和泉式部と貴布禰明神との贈答歌は多くの文献に残 されているが、雑乾鱈は、世継物語と同じくω後拾遺系の本文をも ち、写本および板本の女郎花物語は②十訓抄系の本文をもってい て、お互いに接触した形跡は認められない。従って、垂々集は、こ の貴布禰説話に関しては、世継物語とも女郎花物語とも共通説話を もつが、明らかに世継物語の本文をうけついでいる。 三〇 四 雑々集第二・三・四話を、世継物語第2・3話と比較してみる と、大方の骨組みが︸致していることは既述のとおりであるが、和 歌を中心にその出入りの状態をながめてみる。 ◎第e表﹁嬉々集第二・三・四話の和歌対照表﹂について ・辛々集第二二二・四話中の和歌に、第二話の最初の歌から、順序に従っ て、④∼@の通し符号をつけた。以下、第二・三・四話中の和歌につい ては本論中、この符号で示す。 ・⑬の次に⑨をもうけたのは、この歌が、雑々集においては、歌として提 示されているのではなく、一見、地の文に織りこんだが如き形で示され ているからである。⑤の上句は、書陵部本本文には全くないが、内閣文 庫本にみえる、傍注の形の﹁書きこみ﹂によって補った。 ・各歌の下の︵︶内は、その歌の作者名︵寄々集における︶である。 ⑤は、和泉式部日記以下、世継物語においても﹁帥宮西﹂として示され ているが、寒々集では、説話の無理な省略が行なわれて、﹁和泉式部歌﹂ として提示されている。 ・世継物語第2・5話の中の和歌も、却々集の場合と同じ符号で示した。 配列は、三頭⑥から末尾⑨まで、④∼⑨の順に並んでいる。但し、表中 ﹁ナシ﹂と記入した和歌とそれに付随する地の文の部分は、全く欠けて いる。 ・後述する、松井本和泉式部集における歌番号も、同様の歌符号と共に、 対照の便のために、ここにあわせて、一覧表に組み入れた。歌番号は、 日本古典文学大系﹁和泉式部集﹂の通し番号による。 ・世継物語・松井本和泉式部集における歌の作者名は、轟々集とちがって いる、世継物語の③の場合のみ補った。他は雑々集と同じである。
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◎ 半纏 騨細N 臨ゆ輪 ζ翻∂桶⊃な.郷Q㌣“螂 e悩V適舶O心O!♪麗日蕪 雑々集﹁二・三・四話﹂の成立︵山口︶ ==長崎大学教育学部人文科学研究報告第二三号 右表によれば、雑忌門・世継物語の一致点は次のとおりである。 ①いずれも冒頭に④③をおくこと。②平々三彩二話︵世継物語第2 話︶の末尾に⑪⑥をおくこと。従っていずれも第二話︵第2話︶を ④③で始め⑥⑥で終えていること。③雑々集第四話︵世継物語第3 話︶の末尾が⑨であること。従って、いずれも、一連の和泉式部説 話の全体を④、粉で始め⑨でしめくくっていること。④全体の説話の 流れと歌の順序はいずれも同じであること。 そこで、浮々集第二二二・四話の成立を考えるにあたって起る次 の問題は、世継物語にない大量の和歌◎③⑪㊦⑭①⑭⑪◎㊥を、ど こから採り入れたのかということである。もう少し整理してみよ う。雑々集が用いた世継物語には ①世継物語第2話は◎③をもたない。 ②世継物語第3話の前半は①のみで、⑪⑦⑭①⑭⑲という大部分の 歌がない。 ③世継物語第3話の後半は⑨のみで、◎㊥︵熊野権現説話︶をもた ない。 この世継物語に見出せない部分を補足するのに用いられた資料と して、私は、松井本和泉式部集を考えたいと思う。 五 松井本和泉式部集は、その系統の最善本、松井簡治博士旧蔵、静 ︵注⑯参照︶ 嘉堂文庫所蔵本が、日本古典文学大系本﹁和泉式部集﹂の底本とし ︵注⑳︶ ︵注⑳︶ て翻刻されている。藤岡忠美氏、青木生子氏などの論考によれば、 松井本和泉式部集は、震翰本和泉式部集をもとに勅撰集入集歌を補 充しで作った、非常によく形式の整った﹁整理抜葦本﹂である。松 井本のもとになった震翰本の成立は、新古今集以後、新勅撰集以前 三二 ︵注⑳参照︶ と推定され、松井本は、二十一代集全体から採っていることから、 少なくとも永享十一年︵一四三九年︶以降の成立と考えられる。そ の流布状態については知り得べくもないが、現存写本が二、三にと どまらず知られているからにはそれほどの稀翻本というわけでもな かったであろう。又その形態も、雑纂形式の和泉式部正集・一揉に 比し、親しみやすいものでもあったであろう。 この松井本和泉式部集を今回集、および世継物語と対照してみる と、次の諸点が明らかになる。 ︵前掲、第e表、参照︶ O松井本和泉式部集を補充に用いたと仮定すれば、雑々集第二・三 ・四話の中の和泉式部の和歌については③を除くすべてを補充で きる。⑲は、和泉式部歌として一々集に採られているが、管見の 範囲では、他には﹁三三一枝﹂︵中神守節・文化二年以降の成立︶ に類歌が見られるのみで、和泉式部の歌であるか否かについては ︵注⑳︶ 肯定も否定もできない。三々集への採録の経過も不明である。 ︵注⑳︶ し ⇔①は、後拾遺和歌集、松井本和泉式部集に、第一句﹁よしさら ば﹂を﹁今はたゴ﹂、第五句の﹁うきふし﹂を﹁うきこと﹂と一 ︵注⑳︶ 部一句をかえて見出される。又、和泉式部続集には、第一句﹁今 はた父し第五句﹁うきふしもなし﹂の形で収められている。全く 同一の歌句をもつ和歌を伝える文献は他に見出せず、資料そのも のも右の如く少ないので、①を補充できるという点で、松井三和 泉式部町のもつ意味は大きくなる。 日雑々集第二・三・四話の構成は、松井本和泉式部集の中の歌の順 序とおおよそ一致する。松井本和泉式部集における歌の順序に従 って考えれば、隆々集第二二二・四話にそれぞれ応じる三つの群 が考えられ、群内で前後の入れかえはあるが、群の枠の外に出る 順序の変更はない。次のとおりである。
表 ⇔ 第 第二話 第三話 第四話 松井本和泉式 部集の歌番号 醐
禍∼錨一
儲 醐 52`認二
つム リ乙 傑 醐膨・㎜三
傭 内 訳 ④秘 ◎脳 ⑪刎 ⑪鵬 ⑥卿①鯉①畑⑭鰯①鰯⑭卿
⑲5 2 ⑨鵬⑨卿 。松井本和泉式部集歌番号は、日本古典文学大系本の通し番号。 ・④以下の符号は、第e表における歌の符号である。 右の三点を考えあわせると、雑々集第二二二・四話は、世継物語 を骨組みとして大枠はそれに従い、その上に、松井本和泉式部集に よって肉づけ補なったと考えることが許されると思う。その場合、 松井本和泉式部集を利用する態度は、必らずしもその詞書に忠実で あったわけではない。 例えば、◎において、松井本和泉式部集には単に﹁もの思ひ侍し ころ﹂とのみあるのを帥宮挽歌として収めたのは、むしろ本来的な 姿を貯え得ているにせよ、①の場合、松井本和泉式部集の﹁敦道親 ︵注⑳︶ 王にをくれて﹂という詞書を無視し、歌句をややかえて、 ︵前述の 如く他には、異同のない文献が見出せないので、雑々集への採録の 段階での改変と、今のところ考えざるを得ない。︶小式部内侍追悼 歌として採録した。その理由は、この歌が、松井本和泉式部集にお いて、一連の小式部内侍挽歌群︵4 0QOQ∼OQ2 ∩∠︶のすぐ前︵一首おいた鯉 ︶に納められているからであろう。 白々集﹁二二二・四話﹂の成立︵山口︶ このような操作も、結局、松井本和泉式部集に従ったためのもの であり、⑭①⑭︵松井本和泉式部集353637︶の一連の歌は詞書とも のよつム ども一・二文字の助詞など以外、ほとんど過不足なくそのまま採ら れていることなど、松井本和泉式部集と門々集の密着度はきわめて 強いものといえる。 六 雑々集第二・三・四話には、世継物語と松井本和泉式部集を重ね 合わせて尚その上、補充できないと思われるものは前述の⑥以外に はないだろうか。 松井本和泉式部集には、当然のことながらわずかな例外を除いて 和泉式部以外の作になる和歌は収められていない。 緊々集第二二二・四話における和泉式部自身の歌ならざるもの ︵注⑳︶ は、⑥⑪①②である。このうち、⑥︵︵貴布禰明神返歌︶は、世継 物語に贈答歌として収められているし、①︵上東門院返歌︶は松井 本和泉式部集に贈答歌の形で収められているので問題はない。出所 が聞題になるのは、⑪︵小式部内侍歌︶と㊥︵熊野権現返歌︶の二 首である。 なゆ 小式部の﹁大江山⋮⋮﹂の歌は、金葉和歌集以下、幾多の説話 集、歌学書、私撰集などに採られている有名な歌である。その一群 の文献の中で、雑々集のきわだった特徴は小式部内侍に問いかけた 人物の名を伏せ、﹁ある殿上人﹂としていることで、他に例をみな い。他の主な文献が殆んど欠かさず﹁定頼中納言﹂の実名をあげる 中で、融々集のみがこれを欠くのは、この部分は文献を下敷に書い たものではなく、雑々集編者が自分の記憶に基づいて記したものと 解し得ないであろうか。雑々集第二話につづいて、世継物語第3話 三三長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二三号 のもつ二首のうちのはじめの一首①を基に、雑々集第三話を構成し ようとして﹁こしきぶの事﹂というテーマを考えた編者が、 ﹁小式 部﹂についてまず頭に浮かぶのは、 ﹁大江山⋮⋮﹂と詠んだ彼女の 歌才であり、その逸話を胃頭において一応題名にふさわしいものに した上で、あとは松井本和泉式部集の一連の小式部哀悼歌を組み合 わせて雑々集第三話を形成したと考えてみたい。 次に、第四話に増補されている熊野権現詣での逸話はどこから 雑々集の中にとり入れられたのであろうか。この逸話ば、記憶に頼 ったと考えてよいほど著名ではなかったらしく、文献としても、贈 答の形で◎㊥二首を記載する資料は追々集の他、管見の限りでは、 ゆ 風雅和歌集と写本女郎花物語第50話しか見出せない。風雅和歌集で は、熊野権現の返歌が先に記され、 ﹁是は⋮⋮﹂という左注的な記 述になっているため歌は、⑪◎と逆の順序に示されているが、その 他の点では、恐々集をふくめて三者は、全く同文といってもよい程 の類似を示している。 今、本文の実態の相互関係から推察すれば和泉式部の歌◎﹁はれ やらぬ⋮⋮﹂までは松井本和泉式部集を用い、そのあとの熊野権現 の返歌㊥は、写本女郎花物語第50話によって継ぎ足したのではない だろうか。雑念集第十六話以下との関係から考えて、写本女郎花物 語は、当時すでに月々集編者の手元にあったと考えるのが順当であ ろう。又、小さいことであるが、﹁はれやらぬ⋮⋮﹂の歌の前まで は、松井本和泉式部と文字通り一字一句のちがいしかなく、ほぼ同 に︵松︶ まうで︵松︶ に︵松︶ 文で﹁くまのへまいりたりける時さはり有て法へいかなはざりける に﹂とあるのに対して、写本女郎花物語の﹁くまのへまふでたりけ るににはかにさはりきたりてほうへいかなはさりけるによみ侍りけ る﹂の方がより異文的であるし、 ﹁はれやらぬ⋮⋮﹂の歌のあと、 三四 松井本和泉式部集にない部分については、 ﹁と読てねたりける夜の くまの・こんけん︵女︶ 夢に権現のつけさせ給けるとなん﹂は﹁くまのエ﹂の一句の違いし かなくほとんど同文と考えてよい。同じく同文的ではあっても﹁つ けさせ給ける﹂の主語﹁権現﹂を欠く風雅和歌集よりは写本女郎花 物語の方がより近いと考えてよいのではないだろうか。 七 以上、三々集第二・三・四話は、世継物語を第一資料として骨組 みはそれに従い、その上に松井本和泉式部集によって肉づけを行な い、更に、すでに手元に備えていたと思われる写本女郎花物語を第 三資料として増補を行なって構成されたと考えてみた。 世継物語といわばひきうつしにしたような部分が多いという、編 者の先行文献に対する態度を考える時、世継物語だけでは構成でき ない第二ニニ・四話の編纂にあたって、編者は、何らかの依拠すべ き文献を必要としたであろう。それが何であるかを考えてみた時、 さまざまのジャンル・時代にわたる多数の関係文献の中で、松井本 和泉式部集以上に関係の密着した資料は見当らない。 勿論、今後、例えば世継物語の新伝本が現われ、雑々集第二二二 ・四話と全く同文的な本文を持つことが明らかにされ、雑々集はそ れによったものと考えざるを得ないということもあるいは起り得る かも知れない。しかし、その場合でも、その新資料﹁世継物語﹂の 成立は、おそらく松井本和泉式部集と無関係ではあり得ないはずで ある。 雑々集第二・三・四話という形でまとめられた一連の和泉式部説 話がここにある。これが決して自然発生的ということはあり得ない 以上、そこにはこのような形で現出せしめた編者の手と目を想定せ
ざるを得ないみその手と目は、純粋に文芸的創造的な動機に動かさ れたものではなく、あるいは、例えば商業上の理由!出版界におけ ︵注⑳︶ る重板・類板の問題などに動かされているのかもしれない。しかし どのような動機にせよ、世継物語敷き写しではなく、他の資料を参 看しつつ増補して、一つの改変された形にまとめあげてゆくという 仕事は、現代における同様の作業とは又異なった意味で捕え直され ねばならないのではないだろうか。 それは、今、この雑々集第二・三・四話に関していえば、伝説化 されつつも時を超えて享受され続けた和泉式部の変貌の一時点でも あり、又一般に、説話というものがもっている本来的な性格の一つ なのではないだろうか。幾多の耳目に触れた話の中から、編者の 考え一つで選び出し並べかえ新らしい世界を作っていったのであろ う。寒々集の作り出した世界は何か。今ここにそれを述べる余裕は ないが、先行文献に依拠することいかに大とはいえ、雑筆集には、 第二・三・四話でみせたような、独自の構成をなす試みがあり、雑 々集全体で、一つの新らしい世界を創っていると思われる。 ︵注︶ ①古典文庫鵬﹁牛歩集﹂解説刷ぺ∼幣ぺ ②他に﹁渡辺綱也甲所蔵本﹂が、注④にあげた︹二︺高橋王氏論文に紹介され ている。 ③春日政治﹁宇治拾遺物語の︸本よりi世継物語私考一﹂ ︵文学研究昭和九 年十月。︶ ④雑々集に関する論考は︹イ︺注③にあげた春日博士論文、および︹ロ︺注①に ロ あげた吉田氏解説︵2ぺ∼4ぺ︶の他、次のようなものがみられる。︹ハ︺ 菊地良一﹁口がたりの説話について一大安寺百座法談聞書を申心としてl﹂ ︵文学、昭和ご十六年九月︶、︹二︺高橋貢﹁挙々集−資料紹介と研究﹂ ︵文学語学・第28号、昭和三十八年六月︶、︹ホ︺佐藤りつ﹁女郎花物語考﹂ 寸々集﹁二・三・四話﹂の成立︵山口︶ ︵王朝文学第十五号昭和四十三年五月︶、︹へ︺渡辺守邦﹁雑々集の成立1 ﹁女郎花物語﹂考のために一﹂︵大智女子大学文学部紀要、国語国文学論集 皿、昭和四十六年三月︶、︹ト︺渡辺守邦﹁女郎花物語考1写本における典 拠と女訓など一﹂ ︵大妻国文第5号、昭和四十六年三月︶。 ⑤注④にあげた︹へ︺渡辺守邦氏論文、引ページ。 ⑥小内一明﹁小世継物語伝本考el宇治大納言系統の成立1﹂ ︵大東文化 大学紀要、文学部第七号、昭和四十四年二月︶5ページ。 ⑦注④にあげた︹二︺高橋氏論文。 ⑧注④にあげた︹ホ︺佐藤氏論文。 ⑨続群書類従本世継物語は、第三十三話、第三十八話の二話が、一頭に﹁今 は昔﹂の書き出しを持たず、和歌もない。従って、一見五十四話しかない ようにもみうけられるが、説話内容などから考えて、五十六話をもつとみ てよい。ちなみに、前掲・小内氏論文の︹付︶︿別表1Vによれば、板本世 継物語においてもこの、第三十三話、三十八話には、 ﹁今は昔﹂の書き出 しかない。又、この二話は、︵丙︶宇治大納言系統に欠けている六話のうち の二話である。 ⑩雑々集、目録の表題で次に示す。下の︵︶内は、世継物語の説話番号。 一、小松の院御即位の事︵52︶、五、みあれのせんじの事︵4︶、八、は くがの三位の事︵50︶、九、本院のじ\うの事︵55︶、十、くにつねの卿 の北の方の事︵56︶、十一、たかふち公の事︵55︶、十二、宇治殿の御夢 の事︵45︶、十三、伊勢のさいしゅ助親事︵6︶、十四、びわの大納言事 ︵54︶、十五、小一条の女御の事︵1︶。雑々集、上巻二十話のうち、和 歌をもたない第︼・八・九・十一・十二話の計五話は、すべてこの中に含 まれ、世継物語においても同じく和歌をもたない。世継物語においては、 いずれもその後半に属する第45話以降の説話である。 ⑪第六話﹁伊勢たいふ事﹂の場合は、世継物語第5話の論難部分、紫式部の 源氏物語創作動機説話を簡略化して、題名にふさわしく、伊勢たいふ説話 にまとめているだけの違いである。第七話﹁をの\たかむら事﹂の場合 は、無数や説話内容にも相違がある。 三五
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二三号 ⑫﹁王朝文学第十五号﹂ ︵昭和四十三年五月︶所載、佐藤りつ氏翻刻、内閣 文庫蔵紺表紙本﹁女郎花物語﹂による。その、第55、50話。 ⑬テキストは、国歌大観︵11ページ︶による。巻第二十、神祇雑六、国歌大 つ 観番号、一一六四、一一六五。 ⑭山内洋一郎編﹁古本説話集総索引﹂︵風間書房︶。巻上、第六、一九オ5 ⑮聖意書類牛巻第九百五十一、雑部百一、︵第三十二輯下49ページ︶ つ ⑯日本古典文学大系︵80︶、﹁平安鎌倉私家集﹂所収﹁和泉式部集し16ページ。 ⑰続々群書類従第十五、歌文部二、88ページ、上。 ろ ⑱日本歌学大系第一巻、5ページ。 つ ロ ⑲続群書類従巻四六〇、和歌九五、 ︵第十六目下、81ページ。巻四。 ヲ ⑳新訂増補国史大系18、揖ページ。第十﹁可庶幾才能事﹂ ⑳日本古典文学大系︵84︶60ページ。巻五、和歌第六。 ㊧日本古典文学大系︵85︶58ページ。巻五末=。 ろ ㊧群書類従巻第四百八十八雑部四十三、音楽類︵第十七輯、75ページ︶詩歌 類。 ⑳注⑫にあげた、佐藤りつ氏の翻刻。69ページ ⑳日本教育文庫、考義篇72ページ。 ア ロ ⑳群書類従巻第三百十二、物語部六、 ︵第十一輯26ぺ∼27ぺ︶ ⑳岩波文庫﹁百人﹁首一夕話﹂上、駕ページ。巻の五﹁和泉式部﹂の項。 ⑳藤岡忠美﹁和泉式部集の成立﹂ ︵国語と国文学、昭和二十六年五月︶ ⑳日本古典文学大系︵80︶﹁平安鎌倉和家集﹂所収﹁和泉式部集﹂の﹁解説﹂ ⑳⑤歌については、現在のところ、関係資料ど、しては、 ﹁歌林一枝﹂ ︵日本 ろ 歌学大系第九巻、12ぺ︶巻之二、にみられる﹁ふらばふれふらずはふらじ 降らずとてとてもかわける袖ならばこそ﹂の一首をもつ説話のみである。 この説話では、﹁関東にすめる武士なりとてその名をつたへず﹂という不 明の人物が、﹁いつのころにかありけん﹂と不明の時期に、妻を離縁しよ うとした際、折からの雨に、妻がよんだ歌として、その歌の徳に、のち は、夫婦仲も円満になったという後日談とともに伝えられている。この歌 は、一句.五句が、③歌と全く同じである上、歌意や歌詞の構成が、全く 三六 同じであるので、③歌と、全く無関係とは考えられない。大きな問題を雑 々集について投げかけている部分である。 @国歌大観番号五七三。巻十、哀傷。 ⑳日本古典文学大系︵80︶17ぺ、古典大系本の通し番号、二三二。 ヲ ⑳続群書類従巻四百四十八︵第十六輯上45ページ︶ ⑳︶新古今和歌集、巻八﹁哀傷歌﹂七八三に、 ﹁弾正宿守尊親王に後れて歎き 侍りける頃﹂と詞書がある。 ⑳和泉式部続集も同じく﹁敦道親王に後れてよみ侍りける﹂の詞書をもつ。 ⑳この四首の他に、⑧は、和泉式部日記によれば⑤とともに﹁王宮歌﹂であ り、世継物語においても同じであって、 ﹁帥宮歌﹂と認めるべきであろ う。しかし雑々集においては、歌の直前に、 ﹁しきぶ﹂と作者名を明示し て、和泉式部の歌として採られている。又㊥は、第e表において説明した とおり、地の文に一部くりこまれていて、和歌としては採られていない。 これは和泉式部日記や世継物語において、⑧の前におかれている﹁こころ みに雨もふらなんやとすきて空ゆく月のかけやとまると﹂の歌を含む⋮節 を省いた結果である。歌の作者はともかくも、歌そのものは、世継物語に みえるので、この場合⑧の出所は問題にならない。 ・ ⑳国歌大観12ページ五八六番。叢書、雑記 て ⑳国歌大観55ページ。二〇九九番。巻十九、神琴歌 フ ⑳注⑥にあげた小内氏論文15ページに、小世継物語に関しての関連の論があ る。又、文学と出版の品題については、中村幸彦﹁印刷の時点e仮名草子 小考﹂ ︵文学研究、昭和四十三年四月︶参照。