• 検索結果がありません。

別海町における最近の酪農経営の変化

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "別海町における最近の酪農経営の変化"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 別海町における最近の酪農経営の変化. Author(s). 山下, 克彦. Citation. 僻地教育研究, 54: 41-49. Issue Date. 1999-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/1668. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである. Hokkaido University of Education.

(2) No.54. 別海町における最近の酪農経営の変化. 1999.12. 別海町における最近の酪農経営の変化 山 下 克 彦 (北海道教育大学札幌校). Recent Trend of Dairy Farming Regionin BetsukaiTown,Eastern Hokkaido Katsuhiko YAMASHITA キーワード:周辺地域、限界地帯、酪農地帯、農業公共事業、新規入植者. これまでの静的な「僻地」概念は、現実の地域社会を分. 1 はじめに. 析する枠組としては不十分であることば、すでに別の機. 現在の急激な経済社会構造の変動のもとで、地域社会. 会でふれた(山下,1975)。また現実の農村社会の概念. そのものも激しい変化にみまわれている。このような変. の再検討に際しては、農業生産や農村の社会的・公益的. 動の著しい地域社会を把握する際に、はたして既存の概 念が依然として有効であるのか、もしくはそうでなけれ. 機能を視野に入れた、1975年のECの条件不利地域 (mountainous andless−favoured areas)などが. ば、新たな理論的な枠組とはいかなるものかということ. 参考となる。1−. が検討される必要があろう。. いづれにしてもより動態的な概念が必要とされており、 岡橋(1997)がのべる r】周辺地域」もその一つである。. 本学の僻地研究でもこれまでにr僻地」や「僻地性」. の概念をめぐって議論が展開されており、それはわが国. その特性は1)国土の縁辺地帯にあって農林水産業地帯. の高度成長の後半に当たる時期で、過密・過疎問題のよ. として把握されることと、2)市場経済に統合されては. うに、現在と同じく地域社会に急激な変動がみられた時 期である。当時の論点の中心は北海道の農村社会の性格. いるが、都市の波及効果に欠ける「非自律的地域」(括 弧は筆者)とされている。しかもこれらの特性をもつ地. をめぐるもので、新開地とされる北海道の農村を、旧聞. 域が国の財政トランスファーへの依存を強めることによ. 地とよばれる本州の村落共同体の延長として把握するこ. り、地域経済が従属的な側面をもっこと、さらには外的. とができるのか、または独自のものとして位置づけるこ. な経済要因による再編成過程が強調されている。. これらの特性のうち、注目されるのは、国土の縁辺部. とが可能なのかというものであった。. その後は本研究施設では指導法や教授法を中心とした. にあって外的な経済要因に強く規定されるという2)の. 教育実践を指向する論稿が主流となっており、研究対象. 点である。とりわけグロ ーバル経済化のもとではローーカ. となる地域そのものへの関心は低下したように見受けら. ルな周辺地域であっても、その動きには無縁な存在では. れる。最近ではむしろアプリオリに研究対象地域を僻地. ないということである。さらに非自律的という地域の規. として規定する便宜的な傾向がうかがわれる。すでに指. 定も重要である。最近の地域経済で関心がもたれている. 摘された「学校教育は何よりも僻地社会と結びついて動. Ⅰ.ocalDevelopmentの考察では、「内発的発展_jが重. いていくものである。僻地の地域的な問題意識を欠いた. 視されている。自律地域の成立にはこの内発的発展を誘. 僻地教育論はいかに高度な技術向上をとなえてもほとん. 導する自律的な起業環境が整っているか否かが重要な要. ど役に立たない」(榎本、1990)という考えは今も重要. 素となっている。それを欠く場合には自治体などのパブ. である。. リックセクターと企業などのプライベmトセクターが連 携して、いかにその環境をつくりだすかが課題となる。. 中心都市からの僻遠という距離概念によって示される. 「僻地」の特性の一つは、情報技術の発達や交通機関の. 本論が対象とする別海町は国家的事業を通して牧草地. 普及で時間距離が縮小したとはいえ現在でもその意義は. の拡大が行われた典型的な地域といえる。戦後に限って. 失っていない。すなわち移動の制限という空間がもつ障. もこの地域にはパイロットファームと新酪農村という規. 害は完全に克服されているわけではない。しかしながら. 模を異にする二つの国家事業が展開され、そのために多 ー41−.

(3) 山 下 克 彦. 大な財政トランスファーがなされた。このような限界地 帯では、多頭化や規模拡大によりきわめて高い生産力を 実現するまでになった。かつての限界地帯はいまや経営 の問題を内包しつつ、先進的な酪農経営のモデル地域と 目されるまでになった。 しかも同一地区で前者の事業が後者により再編成され. るというものは、道内では現苫(苫小牧西港区)と苫東 大規模工業基地との関連にも比肩することができる。 なおパイロットファーム事業は、飼養頭数の増加とい う規模拡大を実現するための草地の増反や経営基盤の強. 化が陸路となったのに対して、新酪農村の場合には農産 物の貿易自由化を控えて、上昇を前提とした乳価の低迷 が大きな障害となった。この点では岡楕が強調する外的 な経済要因のなかでも、とりわけグローバルな要素が大 きな意味をもつようになったといえる。 ここでは別海町を対象に最近における農村社会の生産. 基盤がどのように変化したかを考察する。分析では農林. 統計協会発行のCD−ROM(北海道版)に集録されて いる1970−95年間の農業集落カードをもとに農業集落を. 単位とした酪農経営の変化を整理することを企図した。 このため個別の経営の変化については別稿で改めて論じ たい。. 2 周辺地域の財政トランスファーとしての開発事業. 19従) 70 198085 19伍 ち. 85. 北海道は岡橋が指摘する二つの特性を有する地域とい 図1都道府県別耕地面積(左)・牧草地面積(右)の推移(1960−85). える。かつてと比べると全国の開発事業費にしめる北海. ChangeincultivatedIand andgrassland byprefecture. 道の割合は低下傾向を示してはいるが、1998年には10. 2%となっている。また北海道の農業・農村基盤整備事 業が公共事業費全体に占める割合も18.7%(1998)と. 年間の都道府県別の耕地と牧草面積の推移を示している。 耕地は全体として65年より漸減傾向にあり、対照的に北. なっているが、この費目は現在でも道路事業に次ぐ予算. 海道は漸増を示している。この結果、北海道は1992年に. 規模となっている。. は全国の牧草地面積の81.4%をしめるまでになり、道 内の耕地面積に占める割合も1970年の21.4%から91年. これは国による直轄および補助事業を契機に主導され. て道や団体営の事業が付随して行われ、低利用地での農. には44.3%となった。牧草地面積はこの期間に4.4倍. 用地の拡大と高度利用が推進されることになった。戦後. の増加を示したが、とりわけ前半期での増加が著しく. の北海道では開拓事業をかわきりに、国民経済の上から. なっている。このため生乳生産でも、北海道は全国の4. も農業生産の進展が強く求められ、「第三期全国総合開. 割(1996)をこえるシェアーを有するようになった。全. 発計画」ではわが国の食程基地としての拡充が企図され. 体として高い増加率を示したのは北東北の岩手や青森と. た。このような過程で新たに道東や道北などで規模の拡. 北海道である。いわば全国的にみてもこれまで農業の条. 大を押し進めることになり、それまでの集約的な主畜経. 件としては不利とされてきた耕墳外地域での農地の拡大. 営の中心地帯であった石狩や渡島から、これらの地域へ. がなされたといえる。. の酪農生産の立地移動をもたらすことになった。. さらにこれを北海道を対象にみると(図2)、1958年 より1991年の間に国営をはじめとする各種事業による開. この飼料基盤の相対的な大きさに依存した粗放的な草. 地型酪農が根釧型(保志、1975)とよばれ、自然的にも、. 発面積の累計は20万haで、これは全道の91年の牧草地. 社会経済的にも限界地帯とされた地域に成立したのは、 国の開発事業のもつ役割が大きかったことを示している。. 面積の56.3%に相当する。とりわけ根室では図に示さ れるように新酪農村事業の影響で1974年から著しく高い. 開発面積を維持している。この40年間のうち、開発面積. 図1は乳価の「不足払い制度」が発足した前後から20. ー42−.

(4) No.54. 別海町における最近の酪農経営の変化. 1999.12. の累計は60年代前半は石狩や胆振などが高く、 80年代の後半はむしろ根釧や網走・十勝など. の限界地帯の比率が大きくなっている。なお 85年までの実績では根釧地区は全体の累計面. 積のばば4割弱(根室22.6%釧路15.4%) を占めるまでになっている。 ただし、牧草地の造成は網走では畑地から の還元が多いのに対して、根釧では未墾地か. らのものが多く、実質的な耕墳の拡大は、根 釧において顕著であった。. 飼料基盤の拡充は、飼養頭数の増加をもた らす。図3と図4の市町村を単位とした1戸. 当たりの平均飼養頭数の分布は、上でふれた 牧草地面積の増加を反映している。すなわち 65年では根釧の一部に60頑以上の集落も散見 されるが、全道では20頭以下の規模が広くみ られ、いわば飼養頭数は地域的には平準化さ. れている。その後85年には多頭化が著しく進 展し、道央と道東・道北との間には格差の拡 大がみられる。しかも十勝の山麓部の一部や. 天北、オホーツク沿岸と共に根釧にも71頭以. 上の飼養規模が出現した。. 3 別海町酪農の変化 表1は1970年より95年までの酪農生産の推 移をみたものである。最近25年間では別海町. 図2 支庁別草地開発面積の推移(1958−91). Changein grass[anddeveloped by sub−PrefectureinHokkaido に比較して北海道の農家数の減少が大きく、 とりわけ酪農家数は95年には70年の1/3弱 となっている。耕地面積も北海道全体では停 滞傾向にあるが、別海では先にふれた国家事. 業の影響もあり、急激に増加した。それも90 年以降はほぼ頭打ちとなっており、牧草地開. 発の限界を迎えている。乳牛頭数も対照的に 70年に比べて2.6倍に増加している。この. 結果、別海が全道の乳牛頭数にしめる割合は 70年には8.2%であったが、95年には12.4 %となった。85年以降も耕地面積を上回る増 加を示しており、飼料基盤が脆弱になってい ることをうかがわせる。すなわち必要とされ る草地更新に余裕がなく、このため経年化に 伴う牧草の単位収量の低下に連なる。. なお統計分析の単位となる農業集落は1975 年には107であったが、その後隣接の農業集 ■◆−−−−◆−−−−◆−−−−◆−−−−◆−−−−●一一−−◆−−・・・・−◆−−−−●−−−−◆−一−−◆−−−−◆−−−−◆−−−−●−一−−◆−−−−◆一一−−◆−−−−◆−−−−◆■・一・−−◆−−一−◆・. 落への統合が行われて、95年には85の調査区 に編成されている(図5)。図の調査区の破. 図3 飼養農家当たり乳牛頭数の分布(1965). Distribution of sizeof keeping mjlk cows per farm household(1965) 線は、隣接する集落への統合がなされた集落. −143.

(5) 山 下 克 彦. ■◆▼▲l:l▼l◆▼▲=▼▲■▲▼一◆一l■▲〓▼●t▲. 二と常盤がそれぞれ2戸の増加をみている。 倍増を示した二つの集落は、新酪農村事業の 入植予定地となったところで、町内の他地区 からの転入による増加をみた地区にあたる。. ◆■−−−●一−■■●●●一−◆−−■■◆■●一●◆■−−■◆−−●−◆●●−一◆. ●. 一方減少率が最も高いのは海岸沿いの尾岱 l. 8. ‘. ▲▼・●. ︻一︻一 t一. ’. ▲.. ▲▼. ’1. ■一 ’■. ▲▼. ‘. ▲. ▲▼. 5 ち ! さ ’. ▲−. 沼が、73.5%で、34戸が9戸に激減した。 それに次ぐのが富山で71.4%、美原中央区 の70.4%となる。とくに美原はパイロット ・ファーム以来の入植地区で、離農に加えて. S 5I T. 丁 5 ダ丁‘, T l l. 先にふれた新酪事業への転出が多かった地区. I. 5. 丁. ▲. !. 5 ▲. ▲ l. 9 9. である。この25年間に50%以上の半減を示す 集落は25で、それに40%台の減少を示すのを 加えると46に達し、両者で全体の半数をこえ る。40%以上の減少を示す地区は、かつての. 1. Mkm. パイロット・ファームの事業が行われた豊原. と美原地区に多いのが特色である。 5年毎の増減をみると、1985…90年が減少 凡例は図3に同じ(図の中に挿入) 率が最も少なく、戸数の増加をみたのは6で Distribution ofsizeofkeeping milkcowsperfarm househoJd(1985). 図4 飼養農家当たり乳牛頭数の分布(1985). あるが、それに増減がなかった集落が39に及. ibid.in Fig.3. んでいる。一方高い減少率を示す集落数が多. いのは1970−75年で、ついで75−80年となっ ている。全体的には大規模事業との関連が弱. 表1北海道と別海町の酪農業の推移(1975−1995). Change.nnumberofdairyfarmer,keep川gmiIkcowandcultivatedlandinHokkaido・Betsukai. かった西春別や上西春別地区ではさきにふれ. 海. 北. 道. 別. た富野中春別などを除くと、25年間の増減率. 町. 海. 農家数 酪農家数 耕地面積 乳牛頭数 農家数 酪農家数 耕地面積 乳牛頭数. は各集落とも平準化されている。. 1970 165,978 39,290 987,100 489,200 1,833 1,696 35,236 40,184 これに対して美原・豊原地区および矢臼別. 四 100 四 田 田 四 四 四. や風連地区などではこの間に著しい増減を繰. 1975. 80.9. 65.1. 92.0. 121.0. 86.3. 86.3. 177.3. 155.4 り返している。これは離農跡地の集積に伴う. 1980. 72.1. 49.2. 98.1. 143.4. 79.9. 78.9. 159.2. 206.0 農地の拡大がなされて、所有地の分散が生じ. 1985. 65.9. 41.8. 102.7. 158.1. 72.3. 74.9. 171.1. 232.6 たため、大規模な交換分合が行われたことと、. 1990. 57.5. 36.4. 104.5. 168.6. 68.2. 69.6. 176.6. 249.3 新酪農事業による「建て売り牧場」への入植. 1995. 48.8. 29.5. 103.7. 171.9. 61.6. 63.6. 175.5. 260.6 による移動がなされたほか、規模拡大に伴う. 資料:各年の農業センサスを集計. 営農不振などによる離農など、いくつかの要 因が関連している。. b)耕地面積と乳牛頭数の変化. 坤70−95年の間の耕地面積は、75・5%の増加をみて. を示している。各集落が属する調査区は注に一括してま. いる。表3の統計数値が不備な桜ケ丘を除く94集落のう. とめている。2) a)酪農戸数の変化. ち、減少をみたのが4集落、増減がなかった1集落を含. 1970−95年の間に別海町では酪農家数が617戸の減少. めて10%以下の僅かな増加を示したのが6集落である。. をみて、その割合は36.3%の減少となった。この間の. 最大の減少を示したのが美原中央区で、47.7%ときわ. 減少率は1970岬80年が21.1%で、85−95年は15.3%と. だっている。とくに90年以降の減少が大きく、農家数の. 前半の期間がやや高くなっている。. 減少により生じたと思われる。一方100%以上の高い増 加を示すのが、26集落があるが、そのうち、北泉川、福. これを集落別にみると、この25年間に戸数の増加をみ たのは95の集落のうち、5つのみで、増減の変化がなかっ. 岡、宮城、協和のほかは全て新酪農相関連地区となって. たのが3集落である。このうち最も増加したのは富野中. おり、緑と奥行地区の増加は4倍以上となっている。. 春別で4戸が11戸に、また緑は12戸が26戸と倍増してい. このように入植の歴史が古い西春別や泉川地区では増. 加率が50%前後の集落が多く、この地区ではすでに農地. る。このはか、福岡が1970年の4戸から5戸に、広野第 −44−.

(6) No.54. 別海町における最近の酪農経営の変化. 1999.12. 図5 別海町における農業センサス調査区の分布(1995) Distribution of$tati$ticar. unit by agrlCulturalsettlement. の拡大に限度があり、既存の所有耕地を前提にした農業. を示した美原中央では、頭数増加は僅かに4,1%に止. 経営が指向された。戦後の入植地となるパイロット・. まっている。. ファームの地区ではすでにふれた農地の拡大が規模の拡. 次に2才以上の乳牛1戸当たりの頭数は70年には. 大に連動した。いわば短絡的に表現すれば前者は「マイ. 17.0頑であったが、95年には3.5倍に増加して弧7. ペース」型酪農をめざす農家が多いのに対して、後者は. 頭となった。表3からもうかがわれるが、全体として頭. 数規模の分散は小さいが、規模拡大の過程で格差が拡大. 「ゴールなき拡大」とよばれた多頭化が経営の中心とさ. れることが多かった。このため1998年には、一つになれ. している。地域的にみても70年には上春別や西春別地区. ば全国最大の規模になるといわれた町内4農協の合併は、. の方がむしろ飼養規模では、美原・豊原の一部を除くと、. 前者の西春別と上春別が他の農協の財務体質に懸念を. パイロットファームや新酪農村の新開地をやや上回って. もったため、実現には至らなかった。この背景には相対. いた。しかし95年にはその状況は逆転し、むしろ町平均. 的に旧開と新開地区との差が入植の歴史、規模拡大の条 件等、これまでの経営路線の遠いとなって反映されたも. をこえる70頭以上の地区は後者の集落で多くなった。な かでも桜ケ丘、奥行や東平糸では80頭をこえる規模と. のといえる。. なっており、前二者には新酪農村事業の入植者が多い。. 農地の拡大は、乳牛飼養頭数の増加と相関している。 1970−95年の問に別海の乳牛頭数は2.6倍に増加した。. 一方旧聞の農業集落では80頭をこえる集落はなく、福山. 集落単位では全町の平均をこえる増加を示したのは94集. 300%以上の増加を示す集落が最も多いが、500%台を示. 落のうち、28を数える。上でふれた耕地面積の増加率が. す集落は全て別海と中春別農協に属しており、最も高い. 高い集落は頭数の増加率も高くなる傾向がある。耕地が. のは、尾岱沼で8.4倍となっている。. の75.4頭、北栄の73.3頑が最も高い。この25年間に. 3.4倍に増加した尾岱沼は、頭数の増加が8.4倍と最. も高く、農地が4倍の増加をみた奥行や緑でも頭数は5 倍と7倍に増加している。唯一の減少を示したのは、豊 原西区で耕地面積も減少しており、耕地が最も高い減少. ー45−.

(7) 山 下 克 彦. 表3 農業集落別乳牛頭数・耕地面積の増減率(1970−1995) 表2 農業集落別農家戸数の増減率(1970−1995) Changeinnumberofmilkingcowandcu(tivatedJandbyagnculturaIseItJement Changeinnumberofdairyfarmerbyagriculturalsettlement. −18.2. 0. 0. 一れ 第駅. −11.1 −30.8 −25 8.3 −ヰl.丁 −83 −ヰ8.2 −38.5 ー53.8 −38.5 −38.9 −18.了 −583 −50. 0. 0. −12.5 −25 0. 18.7 −14.3 −15.4 0. −187. −333 −28.8. −22−2 −14.3 −1ヰ.ユ ー23.1 −30.8 0 −18.2 −01 18.2 一丁.了 −29.2 −12,5 −10.5 −38ヰ ー13.8 −22.2 −435 −13 −18.8 −55.8 −27.8 −38.5. 別. 栄別別別別 別別書 成. −22.2 −48.2. −187. 25. 25. 0. 一 一. ニー二. 第事案. T O. 言慧. 進連南. 19.4 15.7. 48.9 49.5. 川,8. 引.8. ほ.4. ヰ8.8. 18.8 18.7 2l.8 15 18.1 15.3 11.1. 49.4 81 83月. 49.5 73.さ ヰ8.1 33.丁. 23.8 16.5. 85.2 59.8 49.8 84.8 53 59 54. ほ2. 87.丁. 柑.5. 57.5 50.9 58.3 80.8 53.4. 13.ヰ 1丁.9. 201 20.5 22.ヰ. 21 18.9 1丁.†. 14.1 20 18.8. 4丁.3 62.5. 柑.7. 18.5 15.4 18.2 17.4 18.8 15.8 18.5. 50. ¢2,9. 88.8 5丁4. 65.5 ヰ93. 87 丁2.3. 柑.9. 22.9 25.9. 53.9. け.8. 53.9. 14.8. ¢7.4. 1臥2. 中書期 日. 内 第一 第二 別 別第一 別業二. 18.5 1g.8 18.7 19.8 25 19.5 19.8 18.9. 55.丁 82.丁. 50.2 49.1 5了.4. け.7. 13.8. ヰ98. 】3.3. 80.2 84.g. 13、5. 丁8. 14、ヰ. 用. 74.2 87.5 83.1. 17. 了5.8. 12、8. 日別 臼別. 83.4 75.4 85. 18.9 50.5 59 54.8 82.5. 19.丁. 22.8 18.5. 17.ヰ. 日朝. 7l.丁 73. 16ヱ 0. 13.1 12.5 13.3 10、8. 72.3 88.5 72.5 83.5 87.4 53.7. 柑.9. 59.丁. 1丁.7. 丁3、5. 23.8 13.3 12.8. ヰ9.9. 15.丁 18.さ. 13.T 13.5. 73.1 58、9. 85.3 63.2 d臥8 4ヰ,7. 貞リ8 貞U. 区. 8 丁 7 7・丁. 1丁.5. 80,ヰ. 18.2 20.1 11 12.2 14 13 9.8 14.3 12.2. 57 79.1 83.3 83.7 81.5 50.5 55. 7 7 丁 7 丁 8. T’J7・8888bq888880V09▲p. 7. 70.1 809 85.3 30.4. 丁一丁T. ▲6. 63.2 58,8. 一. ■V一〇. 70.タ. 22.7 22.7 23,3 19.8 20 23.1 20.5. 7. 8. 柑.5. AV68血○食V7. 貞V 0q. b−▲9. 8. ー46−. 1卯0頭数/戸. −. 一缶二b■b55丘V■U88AV. .. 区. 8. 区央区区区区区 区央 北中西‡南西南 ‡中 糸糸. 23・458901−丁. O88−358﹂. 23458了8g∧U12345一U7・89︵U・− 8 8 8. 573032.8.9−0−〇.7.3850〇.3.535−033.330フナ3−0﹂∵﹂.8.55340 相川川T〓柑 2〇一67 ︼−−−︼− −一: :一 −. .. 別別. 日臼. T89︵U・−. 4−.3282085﹂J. 24〇. 日. 別. 諾諾1. −57.2 −5丁.1 0 −38.8 −5.3 −29.4 −13.3 −8.丁 一丁.1 −20 −10 −11.1 −375 −2丁.3 0 −31.6 5.3 −18.8 −48.2 一丁.7 −12.5 −50 −30 −23.1 −80 −40 −25 −48.3 −172 −11.8 −ヰ8.之 一23.l −22.2 −22.2 −11.1 −125 −48.3 −り.2 −28,8 −55.8 −11.1 −33.3 −30 −20 −12.5 0 −9.1 −9.1 −3ヰ.4 −12.5 −12 0 −288 −21.4 −44 −12 −30 175 1丁5 −8.3 −33.3 −18.7 −1ヰ、3 −29.之 −42 −15 −20 −10 −5,9 一ヰ2.1 −31.8 −15.4 15.3 23.5 −l.3 −ヰ5.8 −20.8 −18.8 −52.2 −28.1 −15.4 −35 −15 −18.8. 9 3つV33︵J33︽J 4ヰ 5ヰ44ヰ4ヰ4.4 01−234■8月V. 12345789柑‖ほ相川相川18柑20封222324252827282930∽∽3435383789.㈹ 利 3 叫 1 咄 ヰ 0 5 2 5 ヰ8 T 根 a9ヰ 012 ︷J ヰ5埴 貞リ4 ー8 89 0 7 −23 45 色−8 了85 901 23 ヰ51 875 88− ︵V 123 3▲T5. 区 地 前二. 進進進 釈第川. 8qY11O 2■ 3− 4■5 q■ V−2 O22− 4 V 7 入Uー クー3 つり▲ 血・5 ■U 70 ﹀08 −9 2345878 1 − 1 ■ t丘 −U 181 22ク 2 2 2 2rコ月 2. 柑7ひ−19951970−柑80柑85一柑95 −16.7 −1l.1 0 −28.8 −28.8 0 −21.4 −14.3 −8.3 −30 −10 −12.5 −27.8 5.8 −7,l 】33.3 8.3 −11.1. 丁.3. ¢9.1. 7丁.4 丁ユ5. 89.5 80.1. 88 8 8.

(8) No.54. 別海町における最近の酪農経営の変化. 1999.12. 口 稲作. ■ 稲作雑食. ▲ 野菜・果樹・花井. ● 酪農. ●. ▲. ○ 肉牛・畜産・その他. −△告 −′∼ヽ1′′. ●▼●. √ヽ) ′. ●. し. ■一. l、. 、. 一■. ▲ −_ ▲人. 一′. ▲く・ ▼■ ̄【. 。. ︳. ﹁ぺ㌧㌦蜜▲鼠ノ. △ 畑作. ′. ′ヽ. ′. .. ♂. 1如. 図6 本州からの新規就農者による経営形態別入植地の分布 Distribution of new farmer from mainland by type of agrlCulture. とした、既存の農村社会の再編成の意義をもっている。. 4 ま と め. この点でかつてのパイロット・ファームが道内各地から. 農業集落を単位とした最近25年間の別海町の酪農の変. の入植者によって新しい農村の建設を企図した点とは異. 化は、入植の歴史が古い西部の相対的に規模の小さな農. なる性格といえる。. 家よりなる地域と、東部や南部のように国家的な事業に. この事業を通して、上水道の普及のほか集乳路線の整. より規模拡大をなしとげた地域と大別される。いわば後. 備のため、農道が拡充された。これは同時に学校統廃合. 者の「高生産性農業」実現の根拠となる規模拡大の余地. を加速させ、地域のサ【ビス中心地である中標津町の地 位を高めることにも寄与している。このように周辺地域. が残されている地域が投資の対象となったともいえる。 しかしながら、既存の経営規模を凌駕するかたちで策. の国家事業による財政のトランスファ】は、地域社会全 体の変容に大きく関わることになる。. 定された新酪農事業の優位性は、最初の2年間の入植者. しかし一方では、高い離農率は新たな就農の場を提供. を除くと、乳価の低迷など各種の理由からその効率性を 実現できる状況にはなっていない。また農業経済学の分. することにもなっている。図6は1970年以降の新規就農. 野でも新しい農業基本法のもとでの酪農経営については、. 者のち、本州出身者311人の入植地の分布を示している。. 小規模経営と大規模経営の共存が示唆されているが、存. このうち半数は酪農に従事している。酪農の入植地は天. 立基盤は必ずしも明確なものとはなっていない(北海道. 北や北紋などのはか、根釧地区とりわけ、別海と浜中町. 地域農業研究所、1998)。. へ集中している。これには道の補助制度のほか、町や農. 新酪農村事業に関連して入植や移転をした農家は、全 体で226戸に上ったが、1996年現在でそのうちの1/5 にあたる48戸が離農している。とりわけ78−80年の入植. 協の研修制度や助成制度が影響している。今後の地域社 会の維持を考慮した場合、これらの新規就農者の存在は 重要で、新たな人的ネットワークの形成による地域振興. 者の離農は70%近くに達している。新酪農村事業の考察. のはか、とくに別海では膨大な公共投資の成果を有効に. は別の稿にゆずるが、この事業は酪農経営の単なる新し. 活用するという視点からもその意義は大きいといえる。. いモデルの提供に止まらず、町内の酪農家の移動を前提 ー47….

(9) 山 下 克 彦. 標高、気候、傾斜および痩せた土壌など、永続的に不 引用文献. 利な条件をもつ地域、2)著しい人口減少がみられ、. 榎本守恵1990.『近代僻地教育の研究』 同成社 209. その結果人口密度がきわめて低い地域、3)排水が不. 岡橋秀典1997.『周辺地域の存立構造一現代山村の形成. 良か、インフラが未整備な小地域ではあるが、農地の. と展開−』 大明堂 401. 北海道地域農業研究所1998 『21世紀の北海道の農業. 保全または観光などの特別目的のために保護を必要と する地域. 2)農業集落名とその番号および所属する調査区番号は. と農村一新しい基本法の制定に向けて−』 北海道協. 以下のとおりである。. 同組合通信社170.. 1新栄:1 2西光進:2 3中光進:2 4北光 進:3 5光進:4 7泉川駅前:5 8泉川第二地 区:6 9北泉川:6 10北栄:7 11下北栄:7 12西春別第一:8 13西春別駅前:814西本別:9 15北本別:1016本別:9 18東本別:1119下本 別:1120上西春別:8 21川向:12 22北大成:13 23酪進:14 24相野:15 2512組合:16 26西春 別:17 27福岡:18 28福宝:18 29協和:19 30宮 城:20 32新富:2133上越:2134豊栄:22 35中. 保志 拘1975.『戦後日本資本主義と農業危機の構造』 お茶の水書房113【141. 山崎 朗1998.『日本の国土計画と地域開発』−ハイ・ モビリティ対応の経済発展と空間構造一 束洋経済新. 報社13−14 山下 克彦1975.過疎問題の一視角(下) 僻地教育研 究 22−1,108−121. 山下克彦1984.北海道一根釧台地の酪農 板倉勝高・井 出策夫・竹内淳彦編『日本経済地理読本』(第4版). 拓進:23 36東拓進:23 37:拓進:24 39共春:25. 所収 東洋経済新報社131−144 山下克彦1998.北海道における開発計画の特性とその課. 40大麻:26 41開進:27 42黄金:28 43春日:29. 題 地理学評論 71≠5,334−344. 44相安:30 45福山:3146福島:32 47八幡:33. 山下克彦1999.北海道一新たな豊かさを求める農業の担. 48朝日:34 49富野中春別:35 50南朝日:36 51恩. い手一 竹内淳彦・井出策夫編 『日本経済地理読. 根内:37 52栄進:38 53広野第一:39 54広野第. 本』(第6版)所収 東洋経済新報社113−122. 二:40 56高丘:4157中西別:42 58中西別第一:. Christophe.D& Patricia A.W(ed.)1995.Local. 43 59矢臼別第二:44 60然内:45 61北勝:46 62. Economic Developmentin Europe and the. 中矢臼別:47 63新興:48 64南矢臼別:49 65北矢. Americas.21−22 New York,Mansell. 臼別:50 66香川:5167常盤:53 68富山:54 69. Clout.H.1984.A RuralPolicy for The EEC?146. 奥行:55・56 70風蓮:57 71西風蓮:57 72上風. 蓮:58 73東関南:58 74関南:60 75春別第二:61. −148 London,Methuen.. 76菊水第一:62 77菊水第二:61・63 78富岡:64 79美広:65 80光和:65 81豊原北区:66 82豊原中 注. 央区:67 83豊原西区:68 84豊原東区:69 85豊原. 1)1999年の7月に成立が予定されている「新農業基. 南区:70 86美原西区:7187美原南区:72 88緑. 本法」が意図する施策の一つに、ECをモデルにした. 進:73 89美原東区:74 90美原中央区:75 91緑:. 条件不利地域への支援がある。これにより中山間地の 農家所得への特別助成がなされる。しかしこの指定は. 76 92北平糸:77 93東平糸:77 94平糸:78 95北 嶋:79 984号:80 99昭和:81100下西別:82. 傾斜の急な農業地という自然的条件を重視した内容と. 101桜ケ丘:83107崖岱沼:85. なっており、そのため山間地以外の「条件不利地域」 が助成措置から排除されるという限定的なものとなっ. ている。この点からもわが国の条件不利地域の指定の 要件はECのそれを必ずしも踏襲したものとはなって いない。. すなわち、75年のEC委員会指令75/268では所得の 補償は山間、丘陵および他の条件不利地域とされてい る(Clout.H1984)。地域指定の主旨は、農業の継続 を保証して、必要最小限の人口規模を維持するかない しは農村の保全をすることにある。このなかでは三つ の条件不利地域の類型が示されている。すなわち、1) 一48欄.

(10) No.54. 別海町における最近の酪農経営の変化. 1999.12. Recent Trend of Dairy Farming Reg10nin Bet$ukaiTown,Eastern Hokkaido KatsuhikoYAMASHITA(HokkaidoUniv.ofEducationSapporo). Most part ofeastern Hokkaido,in which Betsukaitown surveyedin this studyis situated,haslong・been regardedas one of marglnallandin term of agrlCulture.In addition to remoteness from centralplace,. those areas have conditions unfavourable for cultivation andinfrast,ruCtureSinsufficient to economic activities.These things are mainreasons that there had been alarge extent ofland kept uncultivated forlong time.Nationalgovernment reconsideredHokkaido to be a potentialarea for growing demand for naturalresources and food after the World War Second. The government set up a new ag・ency whatitis now called as Hokkaido Development Agency,. Which has a key roleinimplementing development pro】eCtS.In a couple of times,Betsukaitown was Selected to establish new modelof dairy farmlngln different plans,Those are so−Called a Pilot Farm and New Dairy Farm withlargescale pro]eCtin agrlCulture.In reg・ard to reg10naldevelopment,Betsukai. town has en]Oyed beneficialconditions toimprovingfoundation of dairy farming compared with other reglOnS・. This study discusses some characteristics of change in dairy farming which has been come out since1970. The data usedin this studyis based on agrlCulturalsettlement as the smallest statisticalunitin AgriculturalCensusinJapan.In the town dairy farmers have strikingly expanded their management to. increase number of keeplng milkcows and acreage of holdingland.Those who attained their management inlarge mostly concentratein eastern andsouthern area.Thereis also close relation of number of milk cow to extent ofland.The more cows they plan to keep,thelarger grassland they need.Much. of grassland has been converted from woodland orlowland through publicundertakings executed by nationalorlocalgovernment.In western′part farmersinhabited much earlier than thosein eastern and southern ones.Furthermore the fact that most ofland had been already developed suggests the limits toexpansion of the farming.In contrast,1arge scale project aiming at highefficient farming. was accommodatedin asterneastern and southern areas where vast extent ofland stillremain uncleared. It seems that the project general1yfacilitate farmers not only to expand the farming,but toincur great debt whichleads toinsecure operation.. The areas dominated with sizeable farming also have−experienced highdecrease of farmers.Some. Part Ofthe declineis being replaced with new ones who movedinto such areas・These mlgrantS are lessimportantto contribute to population growth.It however should be stressed that those people are generally responsiblefor maintain ruralcommunlty and to reuseinfrastructure having partly been abandoned by previous farmers.. Key Words:PeripheralreglOn,Marglnalland,Dairyfarmlng reglOn,Public undertakingin agrlCultu New farmer. ー49仙.

(11)

参照

関連したドキュメント

1.海女の町 ふげし

 我が国における肝硬変の原因としては,C型 やB型といった肝炎ウイルスによるものが最も 多い(図

捜索救助)小委員会における e-navigation 戦略実施計画及びその他航海設備(GMDSS

そこで生物季節観測のうち,植物季節について,冬から春への移行に関係するウメ開花,ソメ

最近の電装工事における作業環境は、電気機器及び電線布設量の増加により複雑化して

[r]

1アメリカにおける経営法学成立の基盤前述したように,経営法学の