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井伏鱒二著作年表稿(昭和14年~20年)補遺

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Academic year: 2021

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(1)33. 井伏鱒二著作表稿(昭和14-20年)補遺 前田貞昭* (昭和63年9月30日受理) 先に私は「井伏鱒二著作年表稿」と題して,昭和16年∼20年分を『岐阜大学教養部研究 報告』第21号(昭和61年2月)に,昭和14年∼15年分を同第22号(昭和62年2月)に発表 した。本稿はその補遺である.凡例については,再録書を一々記さなかった以外,前稿と 変わらないので省略する。本補遺の作製に当たっては,鈴木貞美氏,林真氏,堀部功夫氏, 松本武夫氏,山内祥史氏,そして故瀬尾政記氏にご教示や資料を頂戴した。また,国立国 会図書館,日本近代文学館,東京新聞・中日新聞東京本社編集局資料部,阪急学園池田文 庫,大阪府立中之島図書館,彦根市立図書館舟橋聖-記念文庫,昭和女子大学近代文庫, 岡山大学附属図書館農業生物研究所分館の資料を利用させていただいた。兵庫教育大学附 属図書館閲覧係,先の勤務先である岐阜大学附属図書館参考調査係の利用者サービスによっ て,各種の資料を利用することが可能であった。感謝申し上げる。なお,どんな些細なこ とでも,お気付きの点があれば, 〒673-14兵庫県加東郡社町下久米942-1兵庫教育大学 言語系教育講座前田貞昭宛お知らせいただければ幸甚である。. §昭和14年(1939). 名士大棋戦(第二回) *将棋対局記録 新青年20巻2号2月1日P.248 - 256 挿絵・清水丘。観戦記の筆者は鈍棋呆亭。講評は小泉兼吉である。 *井伏宅での 将棋対局の記録。対局相手は新居格。対局中の会話を録した鈍棋呆亭の観戦記と ともに,棋譜,小泉の「名士大棋戦/講評」を掲載。 サイキの根-随筆短歌研究8巻5号5月1日P.126 - 127 本文末尾に「(四月三日)」とある。 『風俗』 (モダン日本杜・昭和15年6月17日) に初収録。 *御坂上峰の茶屋では,夏でも湯冷めを防ぐため,風呂にサイキとい う薬草の根を入れる。そのサイキ採りの話などを纏めた随筆。 土佐バス(上) -随筆読売新聞第一夕刊22375号5月13日2面 14日に続載。本日掲載分はどこにも再録されていない。 辛 「先月」,御坂峠から 「帰ると,二,三日たって土佐に出かけた」。その土佐では,室戸岬の「東寺とい 3、西国霊場二十四番の札所」を訪ね,十九歳の空海が「参龍し,仏道の三昧には いったと伝へられてゐる」洞窟を見た。その洞窟の様子や,その由来を説明する 遊覧パスの女車掌のことなどを記した随筆。. *兵庫教育大学第2部(言語系教育講座).

(2) 34. 土佐バス-随筆= 読売新聞第一夕刊22376号5月14日2面 本文末尾に「(五・七)」とある。本日分のみ『風俗』 (モダン日本杜・昭和15年 6月17日)に初収録。 * 「甲府と鰍沢を往復するバス」の乗員の横柄な態度に比 べ, 「名調子で説明案内を述べ」る, 「室戸岬行きの,土佐の女車掌」の「優雅」 さを称揚した随筆。 <児童読物に関する諸家の回答> *アンケート回答 日本文学2巻4号6月15[] P.15 本文標題は「葉書回答」とあり,その下に「一,子供の頃,いかなる本を読まれ ましたか,いかなる本に興味を寄せられましたか。 /一,現代の児童読物につい ての卸感想,又これは将来どうした方向に発展するでせうか。」という質問項目 が掲載されている。目次には「児童読物に関する諸家の回答」とある。昭和女子 大学近代文庫蔵。 * 「拝復旅行してゐたので御返事延引しました。小生子供の ときには少年世界,州紙類を読みました。押川春狼を面白いと思ひました。 /右 御返事まで,勿々。」以上,井伏回答全文。 車中偽画-楽書帳都新聞朝刊18615号8月26日1面 「別府より宮崎に向ふ/車中にて岡田三郎氏/窓外を見てゐる姿/十四年七月鱒 二画」と説明の入った「鉛筆画」一葉とともに掲載。 『風俗』 (モダン日本杜・昭 和15年6月17日)に初収録。 * 「先月,日向-行く道中」のつれづれに,車中で 岡田三郎の姿をスケッチしたという,鉛筆画の解説。 蛙-随筆俳句研究6巻12号12月1日P.100 - 102 本文末尾に「(十一月八日甲府にて)」とある。 『風俗』 (モダン日本社・昭和15年 6月17日)に初収録。 * 「私はいま甲府に来ているが,ここは例年になく豊作で 農村には何となく活気がみなぎってゐる。」 「毎晩のやうに満員」の「街の宿屋」 では, 「客室の控えの間」に泊まらざるをえなかった体験や,近郊の畦路でスフ の風呂敷で蛙をとるという「一人の婆さん」に出会ったことなどを記す。 高千穂(-) 都新聞朝刊18736号12月26日1面 12月28日まで3回連載。 『風俗』 (モダン日本社・昭和15年6月17日)所収「高千 穂」 (のち「案内記」と改題)は別文。 *斎藤茂吉の「高千穂乃峰」を引いて, 自分の居住地を「高千穂」の地とする地元の人たちの郷土意識の頑強さについて 述べながら,たまたま日向の地を訪れて以来, 「私」に芽生えてきた, 「高千穂」 が日向にあってほしい気持ちを述べる。 高千穂(二). 都新聞朝刊18737号 高千穂(三) 都新聞朝刊18738号 本文末尾に「(終り)」とある。. 12月27日1面 12月28日1面.

(3) 井伏鱒二著作表稿(昭和14-20年)補遺. 35. §昭和15年(1940). 川井騒動 サンデー毎日新春特別号19年1号1月1日P.162 168 挿絵・小山内龍。末尾に「 【終】 」とある。前稿では,推定の根拠を挙げて掲出 しておいたが,今回,堀部功夫氏にその複写を頂戴して確認することができた。 再録書などは「井伏鱒二著作年表稿(昭和14年∼15年)」参照。 人命救助の件-ユウモア小説二篇週刊朝日新春読物号1月20H P.202 - 212 日次には, 「ユウモア小説二篇」として宇井無愁の「お嬢さん大売出し」と並べ られている。挿絵・鈴木信太郎。本文末尾に「(終)」とある。 「十月三十一日」, 「十一月二日」, 「十一月五日」の「日記」。前稿では,推定の根拠を挙げて掲出し ておいたが,今回,堀部功夫氏にその複写を頂戴して確認することができた。 「多甚古村補遺」中の「人命救助の件」として『鶴鵡』 (河出書房・昭和15年5月 15日)に初収録。その他,再録書などは「井伏鱒二著作年表稿(昭和14年∼15年)」 参照?なお, 「多甚古村補遺」の初出などの問題については, 「『多甚古村補遺』 初出覚え書-二つの「多甚古村」補説-」 (兵庫教育大学言語表現学会 『言語表現研究』 ・ 6号・昭和63年3月)で詳しく述べた。 万歳(上) 東京日日新聞朝刊22816号1月24日5面 翌日に続載。 『風俗』 (モダン日本杜・昭和15年6月17日)に初収録。 * (上)で は, 「さざなみ軍記」に「万歳」ではなく「ウツフーイ」と閑の声を書いた理由 を述べ, (下)では, 「今年の夏,私は六人づれで日向に旅行して耳川の川口の美々 津といふ町に行き,ここでは『万歳』の代りに『起き起きよ』と叫ぶ習慣がある のを見た」体験を記す。 万歳(下) 東京日日新聞朝刊22817号1月25日5面 本文末尾に「(十二月二十五日)」とある。 地獄絵 帝国大学新聞796号1月29日7面 木文末尾に「(一月十一日)」とある。 『風俗』 (モダン日本社・昭和15年6月17日) に初収録。 * 「かねがね私は地獄の光景を書きたいと思ってゐた。最近になって 非常に書きたくなったので,しかし地獄の光景には初対面の私は少しづゝノート をとりはじめた。」そうした取材過程での見聞を記す。 試写見物 日本映画5巻2号2月1日P.88-89 目次には「試写を見て」とある。本文末尾に「(一月十三日)」とある。 *井伏の 原作になる映画「多甚古村」の試写を見た感想を述べる。 酋さんの語る話-小説若草16巻3号3月1日P.6 -ll 前稿では推定の根拠を挙げて掲出しておいたが,舟橋聖-記念文庫で現物を確認 することができた。再録書などは「井伏鱒二著作年表稿(昭和14年∼15年)」参.

(4) 36. 鼎。なお,前稿にも記しておいたように,浅見淵「井伏鱒二論」が本誌p.5861に掲載されている。 風貌姿勢(上) 都新聞朝刊19076号12月3日1面 12月5日まで3回遵載。 (上)冒頭には「この記事は私が四年前に原稿用紙五枚 か六枚に書いた記事の続きである。しかし四年前に書いたその記事は,私が九年 前に五枚か六枚で書いた一つの記事の続きである。つまりこの原稿は九年前,四 年前,今回といふやうに三回にわかれ,或ひはまた四五年たったら続きを書くか もわからない。但しこれは私が,この記事を書くことに精進してゐるといふので はなく,正しくいへばその反対で,名簿帳に知人の住所姓名を書き足すのと同じ やうな気持のいきさつである。」という前書きが付されている。前書きの後に 「青柳瑞穂」の小見出しがある。本日掲載分(上)と翌E]掲載分(中)が「青柳 瑞穂」に当てられ, 「青柳瑞穂」として『風貌姿勢』井伏鱒二随筆全集第3巻 (春陽堂書店・昭和17年2月18日)の「風貌・姿勢」中に初収録。なお,この前 書きは, 『風貌姿勢』収録の際に削除されている。この前書きにいう「記事」と は,昭和5年8月, 10月, 11月,および昭和8年1月に『作品』に掲載された 「風貌姿勢」のシリーズを指すものと推測されるが,年数に若干の相違がある。 風貌姿勢(中) 都新聞朝刊19077号 12月4日1面. 風貌姿勢(下) 都新聞朝刊19078号. 12月5日1面. 「亀井勝一郎」の小見出しがある。本文末尾に「(十二月二日)」とある。小見出 しにあるように,本日掲載分(下)は「亀井勝一郎」に当てられ, 「亀井勝一郎」 として『風貌姿勢』井伏鱒二随筆全集第3巻(春陽堂書店・昭和17年2月18日) の「風貌・姿勢」に初収録。. §昭和16年(1941) wm サンデー毎E7新春特別号20年1号1月1日P.130 -134 挿絵・鈴木信太郎。本文末尾に「(完)」とある。 『シグレ島叙景』 (実業之日本社・ 昭和16年3月12日)に初収録。 *画家の友人と, 「漁師の釣りをしてゐる場面を 描くために漁師のかはりに私がそのモデルになる約束をしてゐた」ので,それを 思い出した「私」は,寒い日にもかかわらず,やむなく出掛けて,画家との約束 を果たす。ところが, 「私」は,帰宅しようにも夜遅くなりすぎて終電車にも乗 れず,結局,電話交換手の好意で,彼女の下宿に泊めてもらうことになる。 借着-風俗時評日本の風俗4巻2号2月1日P.42-45 * 「今までに私は宿屋のドテラ以外には二度はど他人の着古しを着たことがある」 という,二度の体験を記すOその一つは,数年前に菅平高原へスキーに出掛け, スキ-服を借りた際,初めてのスキーだったので不様に転倒したにもかかわらず,.

(5) 井伏鱒二著作表稿(昭和14-20年)補遺. 37. 大学のスキー部の連中から丁寧にお辞儀をされたという体験.これは,実は,鰭 りた服の胸に日本選手権保持者の徽章が付いていたからであった。もう一つは, 友人の国防服を拝借して,近所のにわか仕立ての畑に迷い込み,畑仕事をしてい るに婦人たちに「地主のやうに『やあ御苦労さま,やあ御苦労さま』と挨拶」し てしまったという体験。いずれも,借着したために,思わぬ役回りを演じてしまっ た体験である。 全然不漁-釣った話/釣られた話読売新聞朝刊23145号6月27日3面 *鮎漁解禁に際し,河津川に出掛けたが,全くの不漁であったという体験を記す。 訂正-旅よりの風俗日本の風俗4巻9号9月1 EI P.161 -163 * 『丹下氏邸』 (新潮社・昭和15年2月15日)の「序」中に, 「梓」と書くべきと ころを,故郷の誰から「茂」と誤記したことを指摘する手紙を承けての,訂正の -x* 故中島直人とタメカネ入道(上) 都新聞朝刊19402号10月28H面 10月30日まで3回連載。 *故中島直人の奥さんが遺骨を持って帰国したので,そ の追悼会を催したことから始まり,中島の交通事故死のこと,また,中島が「徒 然草」中の「為兼大納言」に取材した小説の構想を持っていたことなどを記す。 故中島直人とタメカネ入道(中) 都新聞朝刊19403号10月29日1面 故中島直人とタメカネ入道(下) 都新聞朝刊19404号10月30日1面 本文末尾に「(十月二十七日)」とある。 倉島君の病気? 南航ニュース4号7 12月6日? 1面? 前稿には, 「南航大概記」 (『増補版・井伏鱒二全集』第10巻所収)の「十二月五 日」の頃に, 「倉島君を病床に見舞ひ,その訪問記を船中新聞『南航ニュース』 に出す。 (左に切抜貼付。)」とあるのに従って, 『南航ニュース』第3号, 12月5 日と推定したが,青山毅「南航ニュース-図書妨裡(13) 」 (『図書新 聞』 ・昭和62年6月6日)によれば, 12月5日発行の第3号には,署名記事とし ては井伏のものは掲載されていない模様である。また,井伏の「南航大概記」に は, 12月3日に第2号発行の記事が見えるが,青山氏の報告では,第2号は12月 4日の発行となっている。また寺崎浩『戦争の横顔-陸軍報道班員記-』 シリーズ戦争の証言15 (太平出版社・昭和49年8月。第4刷・昭和54年6月によ る)には, 『南航ニュース』の一部が写真版によって掲げられており,それによっ て確認すれば,第2号には12月4日,第6号には12月8日,第7号には12月9日 の発行日付が記されている。とすれば,井伏の記した日付は, 『南航ニュース』 が実際に発行された日付もしくは編集された日付を指しているとするのが(すな わち, 『南航ニュース』に記された日付の前日に実際は発行されていたか,少な くとも井伏は発行日付の前日に入手できたと推定される)無理がないように思わ れる。現物の発行日付によって整理する本稿の方針に従って,青山氏も未見とさ.

(6) 38. れる12月6日付けの第4号に掲載されたと推定する方が相応しいように判断され るので,前稿を訂正したい。. S昭和17年(1942) 昭南市の大時計 東京日日新聞朝刊23695号6月27日4面 * 「いま昭両市の野戦郵便隊の使用してゐる建物は,戦前には,新嘉披市公会堂 の正庁であったといふことである」が, 「建物自体の外側壁間には,大きな文字 で"OUR CLOCK"と記されてある。」その由来を「英国人統治の時代から反英 運動をっづけて来た」 「レンベルガンといふ五十歳あまりの大男の記者」に尋ね ると, 「去年の十二月,日本軍と英軍の戦争が始まる前,シンガポール市公会堂 の正面に大きな文字で"THEY CAN NOT STOP OUR CLOCK"とい3、看板が 懸けられた。」ところが,相次ぐ日本軍の空襲によって,まず"STOP OUR CL OCK"という文字だけが残り,やがて, "OUR CLOCK"という文字だけになっ てしまったというのである。 「私はこの話を面白いと思ったので,その通りレン ベルガンに記事を書かせ,私の編輯してゐた新聞に発表した。」 昭南風物① -捕虜の英国兵一 都新聞朝刊19709号9月1日6面 「陸軍報道班員」との肩書きが井伏の名前の上に冠されている。 9月7日まで7 回連載。いずれの回も,井伏の文と組み合わせて,本文より大きめの写真が掲載 されている。その撮影者については, 【写真は陸軍報道班員本社且石井幸之助撮 影】とのキャプションがある。いずれも, 「昭南島」の風俗を写したものである。. 昭南風物②一交通巡査は大男一 都新聞朝刊19710号 昭南風物③ -ハンガリー人一 都新聞朝刊19711号 昭南風物④ -マレーの女達一 都新聞朝刊19712号 昭南風物⑤一思案の果て一 都新聞朝刊19713号. 9月2日6面 9月3日6面 9月4日6面 9月5日6面. 昭南風物⑥ -酒保の売子達一. 都新聞朝刊19714号 昭南風物⑦ -おとなしい牛都新聞朝刊19715号 本文末尾に「(をはり)」とある。. 9月6日6面 9月7日6面.

(7) 井伏鱒二著作表稿(昭和14-20年)補遺. 39. §昭和18年(1943) 対談最近南方みやげ話*対談 家の光19巻2号2月1 [] P.44-47 大木惇夫との対談。なお,本文の前に「出席者」として, 「ジャワ方面(詩人) 大木惇夫/マライ昭南島方面(作家)井伏鱒二」という紹介がある。 * 「黙々挺 身の兵隊さん」, 「昭南島の目覚ましい復興ぶり」, 「四季が一度に来るジャワ風景」, 「日本にバナナを持ってきたい」, 「丸坊主が大流行」, 「九人の家族が二十円で」, 「当ての違った敵国人」,以上の小見出しで理解されるように,シンガポール・ジャ ワ島方面の従軍体験・占領地の体験を語り合ったもの。 マライの禁札(上) 東京新聞朝刊138号2月16日3面 2月18日まで3回連載されたと推定される。 * 「私はマレー作戦に従軍中,英国 軍の掲示してゐた告示やポスターをずゐぶんたくさん蒐集した。それは○○班の ○○部隊員であった私の任務の一部にも属したが,かねがね私は古人の断簡寸墨 などの場合にも蒐集癖があったので,この任務は自づから私の性分に適合した。」 しかし,今から思うと残念なことに,その折角集めたものも,ほとんどは内地帰 還の際に焼却してしまった。わずか,ズボンのポケットに「敵性の公報原稿が二 つ見つかった。」その一つについての紹介が(中)にあり,未見の(下)におい ては,もう一枚の公報原稿についての紹介があるものと推定される。 マライの禁札(中) 東京新聞朝刊139号2月17日3面 マライの禁札(下)? 東京新聞朝刊140号? 2月18日? 3面? 本日分の『東京新聞』朝刊は,国立国会図書館,東京新聞・中日新聞東京本社編 集局資料部にも保存されていず,現物は未確認。前後の同紙により推定。 朗読文学 日本読書新聞242号3月27日1面 本文末尾に「(筆者は作家)」とある。 *リードに「昔,青銅が品切れになって木 像が現れたやうに,紙の不足は"聞く文学"を産み落す」とあるように,読売節 聞事業部の企画で,自作短編小説を朗読する機会を得た際の「朗読文学」につい ての感想。 マライ・昭南の出版物(上) -戦塵の中から- -陣中文芸朝日新聞(東京本社)朝刊20519号. 5月8H面 「"建設戦"一昭南の陣中新新聞(1) -」として,前稿には大阪本社版掲載 のもの(昭和18年5月20日)を掲出しておいたが,東京本社版では,本文は同一 だが,標題・掲載日付が異なっているので念のため再掲しておく。 マライ・昭南の出版物(下) -床しい兵士の歌- -陣中文芸朝日新聞(東京本社)朝刊20520号5月9日4面 「兵士の歌一昭南の陣中新新聞(塾『建設戦』 -」として,前稿には大阪本社版掲 載のもの(昭和18年5月21日)を掲出済み。.

(8) 40. ひかげ池(1)老人のこと(-) 中部日本新聞夕刊252号5月13日1面 挿絵・都竹伸政。昭和18年7月31日まで67回連載。 *配給制度などに縛られた戦 時下にあっても善良に生きる人々の姿を,挿話の連鎖というかたちで描いた作品 であるが,注目されるのは,戦時下抵抗を示した作品と評される「鐘供養の日」 とほとんど重なる挿話がこの作品の中にあることであろう。 ひかげ池(2) 老人のこと(二) 中部日本新聞 夕刊253号 5月14日1面 ひかげ池(3) 老人の事(≡) 中部日本新聞 夕刊254号 5月15日1面 ひかげ池(4) 老人のこと(四) 中部日本新聞 夕刊255号 5月16日1面 ひかげ池(5) 老人のこと(五) 中部日本新聞 夕刊257号 5月18日1面 ひかげ池(6) 看護(-) 中部日本新聞 夕刊258号 5月19日1面 ひかげ池(7) 看護(二) 中部日本新聞 夕刊259号 5月20日1面 ひかげ池(8) 看護(三) 中部日本新聞 夕刊260号 5月21日1面 ひかげ池(9) 看護(四) 中部日本新聞 夕刊261号 5月22日1面 ひかげ池(10) 看護(五) 中部日本新聞 夕刊262号 5月23日1面 ひかげ池(ll) 看護(六) 中部日本新聞 夕刊264号 5月25日1面 ひかげ池(12) 看護(七) 中部日本新聞 夕刊265号 5月26日1面 ひかげ池(13) 病人よろこぶ(-) 中郡日本新聞 夕刊266号 5月27日1面 ひかげ池(14) 病人よろこぶ(二) 中部日本新聞 夕刊267号 5月28日1面 ひかげ池(15) 病人よろこぶ(三) 5月29日1面 中部日本新聞夕刊268号 ひかげ池(16) 病人よろこぶ(四) マ`7. 中部日本新聞 夕刊269号 ひかげ池(17) 病人よろこぶ(五) 中部日本新聞 夕刊271号 ひかげ池(18) 病人よろこぶ(六). 5月30日1面. 中部日本新聞 夕刊272号 ひかげ池(19) 病人よろこぶ(七). 6月2日1面. 中部日本新聞夕刊273号. 6月3日1面. 6月1日1面.

(9) 井伏鱒二著作表稿(昭和14-20年)補遺. ひかげ池(20)病人よろこぶ(八) 中部日本新聞夕刊274号 ひかげ池(21)病人よろこぶ(九) 中部日本新聞夕刊275号 ひかげ池(22)病人よろこぶ(一〇) 中部日本新聞夕刊276号 ひかげ池(23)病人よろこぶ(一一) 中部日本新聞夕刊279号 ひかげ池(24)闇人口(-) 中部日本新聞夕刊280号 ひかげ池(25)闇人口(二) 中部日本新聞夕刊281号 ひかげ池(26)闇人口(三) 中部日本新聞夕刊282号 ひかげ池(27)闇人口(四) 中部日本新聞夕刊283号 ひかげ池(28)闇人口(五) 中部日本新聞夕刊285号 ひかげ池(29)闇人口(六) 中部日本新聞夕刊286号 ひかげ池(30)闇人口(七) 中部日本新聞夕刊287号 ひかげ池(31) 訪問(-) 中部日本新聞 夕刊288号 ひかげ池(32) 訪問(二) 中部日本新聞 夕刊289号 ひかげ池(33) 訪問(≡) 中部日本新聞 夕刊290号 ひかげ池(34) 訪問(四) 中部日本新聞 夕刊292号 ひかげ池(35) 訪問(五) 中部日本新聞 夕刊293号 ひかげ池(36) 訪問(六) 中部日本新聞 夕刊294号 ひかげ池(37) 訪問(七) 中部日本新聞 夕刊295号 ひかげ池(38) 訪問(八) 中部日本新聞 夕刊296号 ひかげ池(39) 訪問(九) 中部E]本新聞 夕刊297号 ひかげ池(40) 訪問(一〇) 中部日本新聞 夕刊299号. 6月4日1面 6月5日1面 6月6日1面 6月9日1面 6月10日1面 6月11日1面 6月12日1面 6月13日1面 6月15日1面 6月16日1面 6月17日1面 6月18日1面 6月19日1面 6月20日1面 6月22日1面 6月23日1面 6月24日1面 6月25日1面 6月26日1面 6月27日1面 6月29日1面. 41.

(10) 42. ひかげ池(41)村化室(-) 中部日本新聞夕刊300号 ひかげ池(42)解化室(二) 中部日本新聞夕刊301号 ひかげ池(43)粁化室(≡) 中部日本新聞夕刊303号 ひかげ池(44)粁化室(四) 中部日本新聞夕刊304号 ひかげ池(45) 粁化室(五) 中部日本新聞 夕刊306号 ひかげ池(46) 雑事雑用(-) 中部日本新聞 夕刊307号 ひかげ池(47) 雑事雑用(二) 中部日本新聞 夕刊308号 ひかげ池(48) 雑事雑用(三) 中部日本新聞 夕刊309号 ひかげ池(49) 鐘供養のE] (-) 中部E]本新聞 夕刊310号 鐘供養の日(二) ひかげ池(50) 中部日本新聞 夕刊311号 ひかげ池(51) 鐘供養(三) 中部日本新聞 夕刊313号 ひかげ池(52) 鐘供養の日(四) 中部日本新聞 夕刊314号 ひかげ池(53) 鐘供養の日(五) 中部日本新聞 夕刊315号 ひかげ池(54) 鐘供養の日(六) 中部日本新聞 夕刊316号 ひかげ池(55) 鐘供養の日(七) 中部日本新聞 夕刊317号 ひかげ池(56) 鐘供養の日(八) 中部日本新聞 夕刊318号 ひかげ池(57) 鐘供養の日(九) 中部日本新聞 夕刊320号 ひかげ池(58) 再三再四(-) 中部E]本新聞 夕刊321号 ひかげ池(59) 再三再四(二) 中部日本新聞 夕刊322号 ひかげ池(60) 再三再四(三) 中部日本新聞 夕刊323号 ひかげ池(61) 再三再四(四) 中部日本新聞 夕刊324号. 6月30日1面 7月lR l面 7月3日1面 7月4日1面 7月6日1面 7月7日1面 7月8日1面 7月9日1面 7月10日1面 7月llR l面.  ̄7"7. 7月13日1面 7月14日1面 7月15日1面 7月16日1面 7月17日1面 7月18日1面 7月20日1面 7月21日1面 7月22日1面 7月23日1面 7月24日1面.

(11) 井伏第二着作表稿(昭和14-20年)補遺. ひかげ池(62)再三再四(五) 中部日本新聞夕刊325号 ひかげ池(63)再三再四(六) 中部日本新聞夕刊326号. 43. 7月25日l面 7月26日1面. 本文標題には(62)との回数表示があるが,明らかな誤りなので訂正して掲げて おいた。 ひかげ池(64) 再三再四(七) 7月28日1面 中部日本新聞 夕刊328号. 再三再四(八) ひかげ池(65) 中部日本新聞 夕刊329号 ひかげ池(66) 再三再四(九) 中部日本新聞 夕刊330号 ひかげ池(67) 再三再四(一〇). 中部日本新聞夕刊331号. 7月29日1面 7月30H面 7月31日1面. 本文末尾に「(をはり)」とある。 燕巣 文学建設5巻6号6月1日P.30-31 * 「食用の燕の巣-つまり支那料理の燕巣のことをいぶのだが-あの 料理の原料は一つの産物として,陸産物と見るべきか,海産物と見るべきか。」 このことについて,友人と論議したことから始まる随筆。 わが郷土讃 婦人公論28年8号8月1日p. 1 挿絵・矢島堅土。目次には「我が郷土讃」とある。 *郷土自慢として,西条柿, 由緒深い鞘の津の港,大朔などを挙げるが,井伏らしくそれぞれの名物がその風 土を離れると駄目になること,また,他愛ない郷土自慢を謁する. 桃莫先生の碑【上】 読売報知朝刊23953号9月17日4面 翌日に続載。 * 7月25日に除幕式が催された故田中貢太郎の記念碑の模様と病床 の貢太郎を見舞った思い出を記す。 桃莫先生の碑【下】 読売報知朝刊23954号 9月18日4面. 本文末尾に「完」とある。 その一例 知性. 6巻12号12月1日P.46-47 * 「去年,私は昭南のカセイ・ビル前の古本屋で『三十三年の夢』といふ本を見 つけ,それを立ち読みしてゐる間に買ひたくなった。しかしその本の奥付に,シ ンガポール日本人小学校の蔵書印がおしてあったのでちょっと面白くない気持ち がして単に立ち読みするだけで帰って来た。」こうした蔵書流出の背景には,開 戦直後の英国官憲の手荒な扱いがあった。今年になって,あらためて通読した宮 崎潜天の『三十三年の夢』には,明治30年頃,シンガポールの英国官憲による満 天の拘引・投獄のことが記されているが, 「『三十三年の夢』に書いてある明治三 十年頃の獄中生活と戦前の頃のそれと較べて,日本人に対する英国官憲の態度に.

(12) 44. 雲泥の相違があるのに気がついた。」. §昭和19年(1944). マライ人の赤んぼ-随筆と読み物銃後の大阪6報. 8月15日P. 38-40 挿絵・植村俊。シンガポール時代, 「私たちの宿舎」にいた「タムリンといふマ ライ人の炊事夫」の妻の出産騒ぎや,出産祝いのマレーの風俗を描いた随筆。. §昭和20年(1945). 序詩昭南所見*詩 『火樹ひらく』新太陽社. 7月20日P. 2-3. 寺崎浩『火樹ひらく』 (定価2円90銭と印刷された上に, ◎および「5円」の印 を押した紙片を貼付。 B6判3000部,井伏・序詩2p.本文304p.後記7p.) の「序詩」O 『四季』 81号(昭和19年6月27日)に初出の「昭南所見」の再録だが, 一部語句の改訂がある。. ◆校正追記(1989年1月30日記) ○前稿において未確認だった『丹下氏邸』の現物を確認したので追記する。なお,本書には<目次> は付されていず,奥付には「(臨時出版)」の文字が見える。 【丹下氏邸】 新潮社昭和20年10月25日B 6判本文117P.定価1円60銭 <収録作品> 丹下氏邸 P. 1 -27集金旅行P.36-117 「井伏鱒二著作年表稿(昭和14年∼15年)」 (『岐阜大学教養部研究報告』 22号)訂正(誤一正) ・P. 4,L.26 43井伏鱒二集中学生全集24 - 43井伏鱒二集中学生文学全集24 ・P. 17,L. 21-23 一路平安(148)離合(五)? 満洲日日新聞朝刊11934号? 6月2日? 8面? 国立国会図書館にも欠号のため,前後の日付から推定して掲出した。 巳コ. 一路平安(148)離合(五) 清洲日日新聞朝刊11934号6月2日8面 ・P. 18,L. 22 多甚古村駐在記-多甚古駐在記 ・P. 18.L. 23 P.52-72. -→. P.57-72. ・P. 19,L. 16 扉に「駐在日記/多甚古村」 -扉に「駐在日誌/多甚古村」.

(13) 井伏カニ著作表稿(昭和14-20年)補遺 ・P. 54,L. 28. 桜本富夫氏-桜本富雄氏 ◆ 「多甚古村」および「多甚古村補遺」の再録書に,以下を加える。 多甚古村角川文庫角川書店昭和32年12月30日(我物未確認). 45.

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