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日本語教育における書き言葉の表現について

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Academic year: 2021

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(1)日本語教育における 書き言葉の表現について 志. 賀. 清. 一. はじめに 日本語教育は 戦前、 戦中、 戦後の時を経ながらも 技術的には国語教育の 方法、 目的と重なりながら 進んで来た。 国語教科書における「話し 言葉」と「書き. ると、 第. 1. 1 8 9 3. 巻及び第. 2. 年. ( 明治 2. 6). 学海 2 指針 社 刊行の帝国読本尋常科用教科書の. 巻は共に「話し 言葉」. にかけて書き 言葉の表現 1 0. 1 0. 1 8 8 7. 0% で始まり、 同書第 6 巻から. 8. 巻. 0% で終わるところから、 これは児童中心主義、. 合理主義的意識の 教育界へのかかわりの. 書 ・読本は. 言葉」、の提出順及び 含有比率を見. 芽生えとも見られる。. それ以前の教科. 年文部省編纂の 尋常小学読本を 除いて、 全て書き言葉の 表. 現 で始まり、 終わりの巻も 当然のように 書き言葉の表現で 終わっている. ,。. 国語の持っ機能が 日本語としての 機能、 すなわち国語も 外国語としての 一言語. であ ることが広く 意識されたのは 日本が海外諸国と 日常生活のレベルで 否応な. るが、 そこでは日本語教育の 目的は日本の 国家目的及び 日本人を日本語を 通していかにして 紹介するか、 が問題とされた。 しに向き合うことになった 戦中であ. その初等教育での 日本語文型は 話し言葉が直接法を 中心として導入されている ことがわかる ' 。. 戦後の日本語教育はこれまでの. 教育経験や教育技術をふまえながらも、. 日本. 文化の継承や 日本人相互の 理解を目的とすることを 含む国語教育からの 独立が. 加速された。. 日本の精神文化の 伝達が主たる. 目的ではなくなり、. 日本人や日本. 社会との多様な 関係を確立する 手段としての 日本語教育を 目標とするようにな り、 話し言葉によるコミュニケーションが 日本語教育の 前面に押し出されて 来 た 。 その意味で、. 1 9 6 6. 年に出た A. アルフォン. ソ. の JapaneseLanguagePa-. tternsは、 それまでの 各書 が提出していた 文型の類型的提出順序をとらないこ. 一 55 一.

(2) とで日本語の 話し言葉表現教育への 新しいアプローチを. 提出した点と、 話し言. 葉の文型に対して 徹底的な文法上の 分析を行うことによって 話し言葉の表現の もつ法則や特性を 引き出したこと、. の 2. 点によって類書とは 異なる成果を 挙げ. た,ことは特筆されねばならない。 しかし一方で、 目標の設定が 自由になった 分、 日本語教育は、 現代日本語の 持つ二重構造とでも 言うべき、 「話し言葉」と「書き 言葉」との間の 相違につ き 当たらざるを 言舌. 得なくなった。. し 言葉を中心とした. 日本語の世界と、 書き言葉を中心とした 表現の世界と. は、 同じ現代日本語であ るということで、 全く同列・同質のものであ ると理解 しても良いものだろうか は 何ら奇異の感なく. 0. もし同質・同列のものであ るとするなら、 次の表現. 受け入れられることになる。. 「今日はいい 天気であ るから気分がいいです。. 」. 「昨日 ( さくじ つ ). は雨が降ったゆえに 外に出られませんでした 口. はじめに述べたように、 明治初期の国語教科書や 読本においてさえ、 話し言 葉 で始まった出だしが 書き言葉で終わるという 事実は 、 我々の意識の 中に二つ の世界、 二つの異なった 到達点が別々に 存在することを 示していると 言えるの ではないか。. 我々が会話の 中でさえ無意識にあ るいは慎重に 話し言葉と文語的表現. ( 書き. 言葉 ) を選ぶのはいかなる 理由によるものか、 また、 話し言葉の表現ではとら えられない書き 言葉の表現にはどんなものがあ るのだろうか、 これらの諸点を 無視して日本語教育の. 分野を通り過ぎることはできない。. 従って本論文は 次の. 点について解明しようと 試みる。. 2. 1. 書き言葉の表現が 持つ特質について Ⅱ.書き言葉特有の 表現はどのようなものか。. 一 56 一.

(3) 1. 書き言葉の表現がもっ 特質について. 「先生は頭が 曳い人ですと 自分は思、 ぅ のであ. る」. 日本語教育の 分野に 払 いては話し言葉の 表現、 つまり「ですⅠます」の 表現. による会話や 文の学習をべ. ー スにして、 次に書き言葉の「. だ / であ る」の読み. 書きの表現へと 移行するのが 普通であ る。 しかし何故そ う するのか、 学習する側に 理由が明確に. 理解され、 また教授する. 側にも区別についての 方法や意味が 理解されなければ 日本語の基本的な 部分に. ついて意識しないまま 過ぎてしまうことになる。 日本語の表現の 中での話し言葉と 書き言葉が一 つに 混じり合わない 性格の本 質はどこから 来るものなのだろうか。. 1. Ⅱ.. 言舌. し 言葉と書き言葉の. 相剋. 歴史的に見ても、 話す表現と書く 表現との相違を 意識し、 あ えて話し言葉に よる表現の記述がなされた 事例は幾っかあ る。 最古のものとしては 万葉集の東 歌 とされている。 下って室町時代の 禅宗の僧侶の. 説教の記録,、江戸時代の心. 学者の講話の 記録の事例があ りご明治になってからは 前島密であ るとか福沢諭. 吉らが話し言葉による 表記の重要さを 述べている。 そしてこの文語とロ 語という二つの 表現をできるだけ 近 づけようとする 試み がなされたのは 何といっても 言文一致運動であ ることは論をまたない。 現在我々 が 言文一致運動の 成果について 理解していることは、 この運動によって 口語文 の表現と文語文の 表現とがかなり 接近して来たことや 口語文の表記の 基準が整. 理 され始めたことなどであ る。. とは言え、 た 溝があ. 「話す表現」と「書く 表現」との間には 表現意識の上で 厳然とし. ることは、 文頭に挙げた 例を見ても分かる。 まして当時言文一致運動. を推進させるについても 全て順風満帆の 進行状況であ ったと言えるものではな {. この運動に対しても 一大反対勢力が 存在していた。。 また、 一個人の内部. 一 57 一.

(4) にあ. っても、 例えば尾崎紅葉のように 最初は熱烈な 反言文一致論者であ り、 文. 語表現論者であ ったものが後に 言文一致論者に 変身するという 事例もあ り、 更. に社会全体の 風潮も西欧化主義の 反動として現れた 国粋保存の思潮 年一. 2 7. ( 明治 2 3. 年 ) によって言文一致運動が 下火になる,というように、 対立、 個人. の内面の変化、 社会全体の変化というさまざまな 要因によってあ る時は賛成、 またあ る時は反対という 対立を持ちながら 進んでいたのであ る。 この対立の根 底にあ ったものは当然「話し 言葉」と「書き 言葉」の違いであ った。 話し言葉 の世界に生きることと 書き言葉の世界に 生きることとはそれぞれ 異なった世界. 観、 価値観を持っことを 意味したといえる。 1 .1.1.対立する勢力 言文一致運動の 背景には福沢諭吉の 率いる洋学の 拡がりがあ ったと前田愛 は 指摘する,。 その洋学の拡がりに 反対していたのは、 漢詩を愛好するグループ であ って主な勢力は 大沼 枕 山 (1 8. 8∼. 1. 1. 8. 9. 1) の下に結集した。 朝野新. 聞は漢詩風の 詩のためにコラムを 設け、 また、 別のコラムには 大槻磐渓 (1 8 0 1 一 1 8 7 8) が定期的に時についてのエッセ ( 一 ?). ーを 書いている。 藤野海南. は文語を愛好する 著述家、 作家、 詩人を集めて 旧 両社と呼ぶ文壇を. 作っ. た 文語グループの 支援を得て漢詩の 詩人であ る森春濤 (1 8. 1 9. 一. 1. 8 8 9). は詩の雑誌「新文話」を 発行した。 この雑誌に自作の 詩を寄稿した 人々の多く は 明治新政府の 高級官僚で占められており、 文語で書かれた 詩の分野がいかに. 強力であ ったかがわかる。 前田愛が挙げた 寄稿者リストの 中に我々は次の 著名 な人々を見出す。 伊藤博文 (1 8 4 9 2. 2) 、 後藤象二郎 (1 8. 3. 8. 1 一. 一 1. 8. 9. 1 9 0 1) 、 山県有明 (1 8 3 8 一 1. 7) 、 谷干城 (1 8. 3 7. 一. 1 9 1. 1). などであ る。. 歴史上の同じ 時期の同じ社会で、 二つのグループがそれぞれ 異なる言語観を 持つという事実によって 文語と口語という 二つの表現の 性質が根本的に 異なる ということが 理解される。. 一-58 一.

(5) これら対立の 中心、 文語グループと 口語. ( 言文一致 ). グループはそれぞれい. かなる意見、 主張を持っていたのだろうか。 それぞれが相手側に 対して持って いる意見を見ることによって 話し言葉、 書き言葉それぞれの. ,性質が浮かび上がっ. てくるのではないだろうか。 1.1.2. 文語グループの 見た口語 観 主な人々の話し 言葉に対する 見解、 主張は次のとおりであ る。 1. 西村茂樹 (1828-1902) 口語は低俗であ り統制ができない。 " 口語は国語の 教科書から. 追放されるべきであ る。 口語を用いるものはその 用法に大いなる 困難を覚える… ' 。. 2. 矢野文雄 (1850-193け 人間の口というものは 発せられた語の 数を少なくする 傾向を持 つ 0 従って言葉というものは 便利さという 線に・沿って 発展するも. のであ る。 ヨーロッパの 歴史はそれを 証明している。 人々は文を. 短く便利にする 漢語を捨ててはならない‥‥しかし 口語のみを用 いると本などの 文は長くなりすぎて 不便であ る。 口語には幾多の 敬語表現があ り、 使い方によっては 他の人に失 ネ しになる. 0. 口語を. 使 う 時は身ぶり手ぶりを 入れなければ 理解されにくい。 口語は散 漫で、 しかも方言が 沢山あ る…。 ". 3 . 辰 己心次郎 (1859-?) …口語は個人的なものであ. り、 地域的なものであ り、 一時的な. ものであ り、 五感に訴えるものであ り、 庶民的なものであ る。 " 口語は話し手の 年齢によって 異なる。 教育のない人が 口語を話し、 教養のあ る人は文語を 持っている…. "。. 4. 児島献言 (1866-193け 口語の存在理由は 二 つ しかない。 一つは易しく 学べること、 他 の一 つ はわかり易いことであ る。 口語は低俗で、 力強くなく、 散. 一 59 一.

(6) 漫 で、 回りくどく、 こみ入っていて 首尾一貫したところがな い…. ". 5. 吉見 経倫. ( 一 ?). …口語は単に 実用的な便利さを 目的とするものであ り、 そのた めに文の味は 死んでしまう. ". 6. 尾崎紅葉 (1867-1903) 口語は便利であ るが文の修辞学上の 美しさから見ると、 それは 無に 等しい "0 以上、 文語グループが 見た口語 観 をまとめて見ると、 口語は低俗で、 力強く なく、 遠回しであ り、 こみ入っていて、 文脈に首尾一貫性がない。 言い換えれ ば、 「口語は自由で、 具体的であ り、 複雑ではあ るが実質的であ る。」というと ころから、 口語一話し言葉一の 背後に実利主義、 合理主義、 現実主義の顔が 見 えてくるのであ る。. 1.1.3. 口語. ( 言文一致 ). グループが見た 文語 観. 主だった人々とその 意見は次のとおりであ る。 1. 杉田玄白 (1733-1817) 漢学は章を飾る 文であ るから理解のされかたが 遅く "" 。. 2. 福沢諭吉 (1834-190け 漢学はむずかしい。 文語は漢語を 用いることによって 文は雅び になるが‥・ とても今日の 用を足すことはできない "0. 3. 前島密 (1835-t919 ) 経書史伝などの 古文は深く勉強し 研究した者でさえも 理解がむ ずかしい "0. 4 . 大槻文彦 (1847-1928) 古文は文が燦然と 配列されていて、 文の法則を見つけるのに 容 男 であ. る "0. 一 60 一.

(7) 5 . 物集高見 (1848-1929) 文語は簡単であ る " 。. 6 , 田口卯吉 (1855-1905) 文語は日常生活から 遊離していると 見るべきであ る‥‥文語は 古典的な優美さがあ り、 上品であ. る"。. 7. 三宅米吉 (1860-1929) 文語はただ外面上は 美しく見える。 " 多数の修飾が 必要であ る"。. 以上、 文語. ( 書き言葉 ). に対する口語グループの 意見をみると、 文語は「 難. しく、 文を飾るものであ って、 簡潔でもあ り、 文の体系が整っていて 優雅で 上 品 であ る。」ということになる。 これを更につきっめてみると、 文語の特質と して. 2. 美しさ. 1. 難しさ. 3. 文のスタイルを 意識すること、. の 3. 点に集. 約できる。 この三つの性質の 背後には①「難しさ」に 引かれることから 出て来 る 「権 威主義」と②「美しさ」や「文のスタイルを. 意識する」ことに. 弓. lかれる. ことによって 出て来る「形式主義」・「伝統主義」が 見えて来るのであ る。 つまり、 権 威主義と形式主義・ 伝統主義の複合した 顔が文語一書き 言葉一の 背後に見えてくるのであ る。 くこの 頃 っ づく ノ 注. 1. 本論中の書き 言葉,話し言葉の定義は日本語教育学会編,「日本語教育 事 典 」,大修館,東京, 1982 年, pp.308-9, 中村通夫の分類 (1)-(13)によるが 1. 部分 (13). 「. 2. 拙稿 Contlnuj. だ 」については 書き言葉の区分とする。 も. y of Early. Melji Educatlon ln lts Policy and ln lts. Practice , -Edo@ and@ Early@ Meiji@ Education , IV- , Appendix@ of KOgo. and Bungo. in the national Language. 1 , Ratio. Text books from. 1870. until 1945, 横浜国立大学紀要 D ., N0.38, 1991, pp.26-32.. 3. 福田恒存 編 ,「日本語 ( 創刊号 ) 」,日本語教育振興会, 1985年 4 月,東京, 一6 一 Ⅰ.

(8) 復刻版「日本語」. 第. 上巻,冬至書房新社,教育出版センタⅠ東京, 1985. 年 9 月,加藤春城 ,「日本語教授に関する二三の 感想」, 第. Ⅰ. 巻第. 1. pp,48-52.,堀 敏夫,「満州国における 日本語教育の 動向」, pp.52-9., く. 号. 同 じ. 同書,金丸四郎,「台湾に 於ける国語教育」, pp.59-62.,などに詳しく 述. べられている.. 4. 国際交流基金編,教師用日本語教育ハンドブック 別冊「教科書解題」, The Japan. Foundation, Tokyo,1983, pp.g5-8.. ( 夕刊 ),. 5. 毎日新聞. 1975 年. 7 月 22. 日の記事による.. 6. 前田愛,「幕末維新潮の 文学」,法政大学出版局,東京, 1972, pp.g5-8 7. 山本正秀,「言文一致の歴史と特色」 続 日本語講座 3, 1958, p.271.. 明治書院,東京,. 8. 前掲 書 pp.246-52.. 9.. 「日本文学論」,. ( 「 文」. 10 , v01.1,18 ㏄年 ), 山本正秀,「近代文体発生. の 史的研究」,岩波,東京, 1965, pp.689-90.. 10 ・回書 p.295. 国学院に於ける 講演の記録による. 1901. 11. 周書 pp.662-5. 「 駁 言文一致 論 」,学海之 指針. 2. 号 -4号, 1887. 12. 周書「 文 6. v01.2, 1889. 」. 13. 司書 p.709.. 「文に就きて」・. 14. 山本正秀,「近代文体形成史料集成・ 発生篇」, 桜楓社 ,東京, 1978年 3 月, pp.575-6. 千鳥」第. 4. 「読者評判記」. ( 英三 ). 『. 晶屑 の掛台 d, 1 ㏄ 9 年 10月 20 日,. 「. 百. 号より収録.. 15. 山本正秀,「近代文体発生の 史的研究」, p.62 16. 回書 p.105., 「福沢全集緒言」より 収録. 17. 山本正秀,「近代文体形成史料集成・ 成立篇」,機械社 , 東京,1979, pp.. Ⅰ. 99-200. 18. 回書. p.139. 19. 周書. p.295., 1901 年国学院に於ける 講演の記録より 収録. 20 ・司書. pp.308-10,「日本開化の性質漸く改めざるべからず」,東京・. 一 62 一. 経済.

(9) 雑誌,. 1㏄5 年. 8 月より収録.. 21. 回書 p.262. p.270 , 「かなのまな び 」第 6, 1 ㏄ A 年 2 月 ・. 一 63 一. より収録・.

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