新 嘗 祭 の 意 義
新 田
均
本稿は,平成24年11月25日に,一般社団法人農山漁村開発協会の主催で,明 治神宮参集殿で開かれた「収穫感謝と食の集い」における講演を活字化したも のである. は じ め に 三重県伊勢市にあります皇學館大学現代日本社会学部に勤務しております新 田均と申します.本日,皆さまの前で「開催の辞」を述べさせていただきます 事を,大変光栄に存じます. さて,私がいただきましたご案内には,この会の趣旨は,「古代から日本国 家の重要行事であった「新嘗祭」の精神を現代に甦らせ,「日本の伝統・文化」 を継承し」と書かれておりました.神道の研究者である私に,開会の辞を述べ よというわけですから,おそらく私に期待されていることは,この会が大切な 祭りだととらえておられる新嘗祭,その最高の主催者である天皇,両者の根拠 となっている神話,この三者について説明することだろうと思います. 1.日本神話の粗筋 新嘗祭は,言うまでもなく,新しく収穫された米を神様に捧げて感謝を表す 秋祭りです.その起源は古く,既に日本の神話の中で,天上の高天原を統治し ておられ,天皇陛下のご先祖でもある天照大神御自身が,新嘗祭を行っておら れたと記されています.そして,天皇陛下が行われる新嘗祭の起源は,その天 照大神が地上の葦原中国(日本)に降っていかれる孫のニニギノ尊に稲を授けられ,これで国民を養いなさいと命じられたことにあります.天皇の新嘗祭 は,この天照大神のご命令に忠実にしたがっていることの証であり,その恵み に対する感謝の表明なのです.ちなみに,降っていかれるニニギノ尊に対し て,天照大神は,葦原中国は,永久に天照大神の子孫が君主となる国であると 宣言され,さらに,「私だと思って祀りなさい」とおっしゃって鏡(八咫鏡) を授けられました. 日本の天皇陛下の第一のお仕事は,ご祖先である天照大神を祀り,稲の豊か な稔りによって国家国民が繁栄し,幸福となることを祈られることです.言い 換えれば,天皇陛下は日本最高の神主なのです. 2.神話は日本文明独立の象徴 ところで,今年は,日本の神話が記録されている『古事記』が西暦712年に 完成してから1300年目に当たります.神話が記録されているもう一つ書物, 『日本書紀』は西暦720年に完成しています.この二つの書物とも,神話,即ち 神々の話から日本の歴史を書き始めています.このように言いますと,「古代 には文明が発達しておらず,迷信を信じていたから,神話から歴史を書き始め たのだろう」などと考える人もいますが,それは誤りです. 古代のアジア世界において,一番の文明国は,何と言っても中国大陸に存在 した国々でした.歴史を書くということも,アジアでは古代中国で始まりまし た.その古代中国で,司馬遷という歴史家が出て,『史記』という歴史書を書 いたのは,紀元前87年ころのことです.『古事記』や『日本書紀』が書かれる よりも約800年も前のことです.『古事記』編纂の時代を今だとすれば,『史記』 編纂は鎌倉時代の半ばに当たります. 『古事記』や『日本書記』を書いた人々は,史記を読んでおり,その書き方 を参考にしています. それでは,その『史記』は,どういう出来事から歴史を書き始めているのか といいますと,神話ではありません.中国の伝説的な王様たちの中で,確実に 実在していたであろうと司馬遷が考えた黄帝という王様の出現から書き始めて います.
人間社会に最初の統治者の現れた時から歴史を書き始める.これが文明国の 歴史の書き方の基本でした.そのことを古代の日本人も十分承知していた.そ れにもかかわらず,初代の神武天皇からではなくて,神話から歴史を書き始め た.ということは,意図的にそうしたとしか考えられません. 『古事記』や『日本書紀』が書かれた時代は,日本が中国文明圏から自立して, 独自の道を歩みはじめようとしていた時期です.中国から呼び名である「倭」と いう国号を排して「日本」という国号を立てた.中国の皇帝に服属する「王」と いう名称を止めて「天皇」という独自の君主名を用いるようになった.独自の年 号や貨幣を作った.中国の国家制度を参考にしつつも,独自の国家制度を作り 上げた.こういったことはすべて,『古事記』『日本書紀』が編纂されたのと同 時代の出来事です.そもそも,独自の歴史を書く,独自の歴史書を作るという 行為自体が,中国とは異なる日本の独自性を主張しようとする意志の現れだっ たと思われます. ハーバード大学教授のサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』という著 書の中で,日本を「一国一文明」だと指摘しています.彼の説が正しいとすれ ば,その歩みはこの時代から始まったと言えます. 3.易姓革命思想と万世一系思想 それでは,神話から歴史を書き始めることによって表現された日本人独自の 考え方,理想とは何だったのか.結論から先に言えば,それは,国土も国民も 統治者も,人間を超えた神聖なものから生まれてきたものである.この世に先 立つ神聖な世界があって,この世の秩序はそれが移し変えられたものであるべ きだ.だから,時代が変わっても,天上の世界が天照大神を中心としているよ うに,地上の日本の国も天皇陛下を中心とし,その基本的な国柄は永遠に変わ らないし,変えてはならない,というものです. これは古代中国の世界観,歴史観とはまったく異なった理想でした.中国の 政治思想では,この世の歴史は,天の命を受けた徳や政治能力に優れた君主 (聖人)が人民を支配するところからはじまります.そして,もしもその君主 が徳や能力を失えば,新しい血筋の君主に交替すべきだと考えられていまし
た.これを「易姓革命」の思想といいます.「易姓」というのは,国を治める 君主の姓が変わる,つまり,血筋が変わる,という意味です. 例えば,「漢」という国の皇帝の姓は「劉」,隋は「楊」,唐は「李」でした. これに対して,日本の天皇には,姓がありません.それは,血筋が変わってい ないからです. 中国の「易姓革命」の歴史思想は,統治者の有能さを重視するため,一見す ばらしいように見えますが,実は大変な問題を含んでいました.それは,統治 者に反抗し,国家を滅ぼそうとする人々の叛逆行為を正当化してしまうという ことです.力を蓄えた者が「天の命が改まった,われこそ天の命を受けたもの である」と称して,反乱を正当化できたのです.そして,武力で前の国を滅ぼ した後,その国を滅ぼしたことの正しさを歴史として書けばよい,ということ になってしまうわけです. このような中国大陸の様子をじっと眺め,そんなことになっては大変だと, 古代の日本人は考えた.そこで,先祖から伝えられた伝承を守って,大切に記 録し,自分たちの理想は神々の秩序を受け継ぐことにあり,自分たちが作って いる国家も,自分たちを治める君主も永久に変わらない,変わるべきではない, とする思想を固め,その考えに基づいて歴史を書き上げた.これを「万世一系」 の思想と言います. その結果,四方を海に囲まれて,外国からの侵略を受けにくいという地理的 な環境にもめぐまれていたこともありましたが,日本の国内では,穏やかな歴 史が続いてきました.もちろん,日本にも混乱の時期はありましたが,王朝の 交代に伴う悲惨な戦乱が繰り返されることはなく,大陸とは比べものにならな いほどの平和な歴史が続いてきたわけです. 4.神話が生きている国 日本では,神話を記録した古い書物が残っているだけではありません.記録 されている神話そのものが現在も実践されています.生きて,働いています. 神話の神々に対する祭祀は現在も,宮中や全国の神社で毎年行われ,高天原の 中心者であられる天照大神の御子孫が君主として,現在も存在しておられます.
この意味を上智大学名誉教授の渡部昇一氏はギリシャ神話に置き換えて説明 されています.トロイ戦争の時のギリシャの総大将はミケーネ王アガメムノン ですが,彼はギリシャ神話の神であるゼウスの子孫とされています.この王の 子孫が今でもギリシャに王として存在し,神々に対してお祀りを行い続けてい る.としたら,そういう状態を想像してみて下さい,というのです. この前のオリンピックは中国の北京で行われました.その前はギリシャのア テネでした.このアテネ・オリンピックでは,私が住んでおります三重県伊勢 市出身の野口みずきさんが女子マラソンで優勝しました.彼女は伊勢神宮のお 守りをトランクスにつけて走りました.伊勢神宮の主祭神は天照大神です.一 方,アテネは,古代ギリシャの都市国家の一つで,そのパルテノン神殿にはか つては「アテナ」という女神が祭られていました. アテネと伊勢,パルテノン神殿と伊勢神宮は一見似ているようですが,ギリ シャの大理石造りの神殿が廃墟であるのに対して,腐りやすく燃えやすい木と 草で作られた伊勢神宮は,今でも参拝者で溢れ,祭祀が続けられています.そ して,来年,第62回の式年遷宮を迎えます. 5.式年遷宮の由来 式年遷宮というのは,20年に1度,全部で125社からなる伊勢神宮の建物の 内,正宮2社,別宮14社他を建てかえ,その中に収められている御装束・御神 宝も全て作りかえて,神様にあたらしいお宮にお移りいただく行事です. 先程,天照大神の孫のニニギノ尊が地上に下ってこられる時に天照大神から 鏡を差づけられたというお話をいたしました.伊勢神宮の内宮のご神体は,そ の時に授けられた八咫鏡です.この鏡は第10代の崇神天皇の時まで皇居で祀ら れていました.ところが,崇神天皇は,自分のおそばでお祀りしているのを畏 れ多いと思われて,もっと丁寧にお祀りするために,御自分の娘である豊鍬入 姫命に鏡をお渡しになって,皇居を出て大和の笠縫邑というところで,豊鍬入 姫命に専ら鏡を祀るように命じられました. その次の第11代の垂仁天皇は,御自分の娘の倭姫命に,もっと鏡をお祀りす るのに相応しい場所を探させます.お父上のご命令により倭姫命は,天照大神
を祀るのに相応しい場所を求めて,ほうぼうを廻られました.そして,伊勢の 五十鈴川のほとりに来られた時に,天照大神が現れられて,「ここに住みたい」 とおっしゃったので,ここに皇大神宮(内宮)祀られることになりました.西 暦297年頃のことだと言われています. それから第21代の雄略天皇の時に,この天皇の夢に天照大神が御出現になり ます.そして,「一人で祭られているのはさびしい.私に食事をささげてくれ る神様を招いてほしい」と言われました.そこで,丹波の地域から豊受大神が 招かれ,豊受大神宮(外宮)が祀られることになりした.それが西暦479年こ ろのことではないかといわれています. 6.式年遷宮開始の意図と意義 この神宮で,式年遷宮が始まったのは,第41代持統天皇の御代の2年,西暦 で言いますと688年からです.今から1300年以上も前のことです.式年遷宮が はじまる少し前に,「大化改新」と呼ばれる大改革がありまして,中国の文明 が急速に取り入れられるようになりました.チャイナ・グローバリズムの時代 でした.そのために,日本の古き良きものが失われてしまいそうになり,それ を心配された第40代の天武天皇は,日本の伝統を残そう,洗練してもっといい ものにしよう,と努力されました.式年遷宮は,その天武天皇のお考えに基づ いて,天武天皇の皇后であった持統天皇がはじめられたと言われています. 伊勢神宮の建物の素材自体はどんなに古くても20年です.しかし,そこに使 われている技術や様式・型は千年以上も続いているものです.その技術・型・ 様式を伝えるために20年というサイクルで作り続ける.この発想はとても面白 いと思います. 20年という期間で建物を作り替えることにしたのは,技術が未熟で,長持ち する木造の建物を作ることができなかったからではありません.遷宮が始まっ た時には,もうすでに奈良では法隆寺ができていました.法隆寺はご存知のよ うに世界最古の木造建築です.ですから,木造でも,半永久的に維持できるだ けの技術はあったのです.それにもかかわらず,それをあえて拒否して,古い 型のものをそのまま作り続けるという方法を選んだ.そうやって,物ではなく
て,技術や様式・型,さらに言えば,そこに込められている心を伝えようとし たわけです. 先程少し申し上げましたが,遷宮の時に作りかえられるのは,建物だけでは ありません.建物の中に収められている神様に捧げられた着物も宝物も全て作 り変えらます.その数は約800種類にも及びますが,みな古代の古墳から出て くるような品々です.つまり,遷宮のお陰で古代の品々を作る技術が現在まで 受け継がれているわけです.それで,神宮は「生きた正倉院」とも言われるわ けです. また,遷宮には大量の材木が必要です.そのために,森を育てる林業を続け るという努力が払われてきました. 式年遷宮は,素材の新しさ,形式の古さ,それを維持するためのシステムの ユニークさという点で,文化・伝統の維持継承の方法として,もっと注目され てもよいと思います. 今まで申し上げたのは,どちらかと言えば,式年遷宮の技術的な面ですが, 宗教的には,神様の力を更新するという意味があります.天照大神は太陽の女 神ですが,ちょうど太陽が昇ったり,沈んだり,日が長くなったり,短くなっ たりするように,神様の力も弱くなったり,強くなったりすると考えられてい ました.式年遷宮には,衰えた神の力を強める儀礼だとも考えられています. 古代日本人の考えでは,罪や穢が神や人間の力を弱める原因でした.その罪 や穢は神や人間の本性に由来するものではなく,埃のように付着するもので, 禊や祓といった行事によって取り除くことができると考えられていました.式 年遷宮には,すべてを新しくするというやり方で窮極の禊祓を実行するという 意味があったとも言われています. さらに,遷宮によって,人々は20年ごとに原初の神宮創建の瞬間を追体験す ることにもなります. 7.新嘗祭の皇室にとっての大切さ 私は,冒頭で,天皇陛下が行われる新嘗祭の起源は,天照大神が,地上の葦 原中国に降っていかれる孫のニニギノ尊に稲を授けられたことにあると申しま
した.この祭りの皇室にとっての大切さについて,もう少し付け加えておきた いと思います. 天皇の御代変わりに際して,大嘗祭という祭りがおこなわれます.これは, 古来,新天皇が天皇となるためにどうしてもとり行わなければならない重大な 儀式とされてきました.この大嘗祭は,その字からも分かりますように,「大 きな新嘗祭」です.全国の田圃の中から,二つを占いで選び,そこで取れた新 穀を,新天皇が天照大神に捧げ,自らも食するというのが,この祭りの核心で す.これによって新天皇は天照大神と一体となり,天皇たる資格を身に付けら れるのです. 伊勢の神宮でも,新嘗祭と同じ趣旨の祭りが行われていますります.神嘗祭 といいます.毎年10月15日から25日かけて行われます.この神嘗祭を拡大しも のが,実は式年遷宮なのです.式年遷宮というと,建物の建て替えばかりが注 目されがちですが,祭りの本質から言うと,新しい建物に神様がお移りになっ た後で,新穀をお供えする.これこそ,遷宮の最も大切な部分なのです.した がって,式年遷宮は大神嘗祭なのです. 8.食事の意味と本会の使命 古来,日本人は,「食べる」という行為を,神聖なものと捉え,大切にして きました.神道の祭式は,突き詰めれば,食事を儀礼化したものです.食事を 通じて,神の存在を感じ,その恵みに感謝し,命の大切さを思い,生かされて いるという謙虚な気持ちを確認してきました.伝統的に,日本人が食事の前に 言う「いただきます」という言葉には,そうした意味が込められています. しかし,現代では,食事はせいぜい人と人との交流の場にすぎなくなり,自 分の存在の根源や背景に思いをいたすという意味合いは大変薄れてきてしまい ました.それどころか,人間どうしの交流さえも希薄化し,家族ばらばらで食 事をするという家庭も珍しくないようです. こうした風潮の中にあるからこそ,食べるという行為の持つ意味があらため て思い出されるべきなのでしょう.そう考えますと,新嘗祭の存在を国民に知 らせ,その意義を伝え,「食育」を促進することを通じて,日本の伝統文化を
継承し,地域を活性化しようとする本会の取り組みは,まことに意義深いもの だと思います.本会の益々のご発展と,ご活躍を心から祈念いたします.ご静 聴ありがとうございました.