〈書 評〉
森
俊治著「研究開発管理論〔第5版〕』
有信堂高文社,1981
片
岡
信
之
今回刊行された森教授のこの著書は,実に息の長い本である。初版(1963),第2版 (1967),第3版(1969),第4版(1973)とその都度の改訂・増補を加えつつ,今回の第 5版を数えるに至った。このように星霜に耐え残った,いわば古典的価値をすらもつ本書 を,今さら書評として取りあげるにはそれなりの理由がある。すなわち本書第5版は第4 版に加えて,著者のかねてよりの主張をヨリ直裁に示す最近の諸論文が追加され,装いが 一新した感すらするからである。本文だけで実に422ページにも及ぶ大著を,限られた枚 数で,しかも専門外漢が書評をするというのは,無謀極りない事である。しかし,本書に はそれをさせる刺激的かつ積極的な,興味深い理論的指摘が数多く見られるのである。 本書を一貫する主題は「経営管理における研究開発管理の位置づけを試みること」 (第 2版序2ページ)にある。詳細は後述するが,要するに,従来のように研究開発を生産過 り 程の外で位置づけるのでなく,生産過程の重要な一環として中で位置づけること,したが って研究開発は通説によくみるようなスタッフ的職能(著者の言葉ではスペッシャリス ト・ワーク)ではなくて,逆に,ライγ的職能(著者の言葉ではオペレーショナル・ワー 1) ク)であることを論証しようとするところにある。 これは今日においても,そして初版が出た約20年程前においてはなおさら,実にユニー クな見解であるし,そうであった。 それゆえこのような見方は「経営学会等でいくたびか報告の機会をもったが,容易に受 け容れられるところではなかった」(第2版序文)。しかし驚くべきことには,著者と同様 の見解は,著者の日本での知的営為とは相互に独立に,イギリスやアメリカにおいて,時 1)初版ではスタッフ,ライン概念で言及されていたものが第2版以後では,W. Brownからの 影響もあって,一定の理由から,specialist work, operational work概念に置換されている。〈書評〉森 俊治著『研究開発管理論〔第5版〕』 133 期をほぼ同じくして出てきつつあったのである(W.Brown, L. A, Allen, G・G・Fisch)。 しかも,外国の論者の主張が単なる観察的実感記述(現象論的)の次元にとどまるのに比 し,著者はその域を克えた理論的記述(本質論的)レベルにまで沈潜しようとしている。 著者においても,最初の問題意識自体は工場(現場)の現実に接する中から生れたのであ るが(第2華華),それを長年の思考の中で理論的に練り上げられてきている点に本書の 価値があるといえよう。 さて,上の主題に立ち入る前に,幾つかの前提的説明を加えよう。まず本書における 研究開発の概念である。これは「企業における製品の技術的研究開発」(13ページ)とされ る。大学ではなく企業,工程開発ではなく製品開発,組織開発等ではなく自然科学e工学 技術的開発の含意である。また.研究開発はしばしばR&D(Research&Development) と呼ばれ,語源的にはRとDは別々だが,今日ではRとDを分割して考えるのは正しくな いと薯者はいう。昔のようにRは研究者任せでDのみに経営者が関っていた時代ならとも かく,今日ではRもDも含め統一一一一・的に経営老の:方向づけがなされており,両者は統一的に 捉えられねばならない(58∼59ページ)というのである。 もうひとつの強調点は,大学の研究と企業の研究を峻別しなければならぬという点であ る。大学では科学的知識の獲得それ自体が目的であるが,会社ではその会社にとって最も 関心のある製品分野,利益目漂,成長計画等を含む「会社製品日的」 (56ページ)が研究 を方向づける。大学と企業の違いが最もあらわれにくいと思われる基礎研究の領域におい てすら,大学は「純粋基礎研究」に,会社は「目的基礎研究」にと,特質が分れるのである (応用研究も同様,260ページ)。こうした著者の立場はNatlonal Science FoundatiG皿報 告(1961),UNESO報告(1961)等での立場と共通な立場であると考えられる。 この立場から著老はR.N. Anthony&J. S』ay, C. C. Furnasらを批判する(35ペ ージ∼)。彼らは企業の研究開発が純粋基礎砥究→応用研究→開発研究の順に進められる とするのであるが,これに対して著者は「すぐれて計画的な研究開発を展開する企業にあ っては,研究開発は基礎研究から始まるのではなく,……応用開発研究から始まる」(63ペ ージ)というテーゼを対置するのである。 さていよいよ主題に入ろう。著者は通説的研究開発把握を強く批判する。ここに通説と は「研究やPR担当の取締役の活動は,企業活動の主流(いわゆるラインー片岡)に対し て助言的(いわゆるスタッフー片岡)となる」(H.Koontz&C. O’Donnell)という類の 見解である。もちろん外国にもこの通説と対立して研究を主流的活動と規定する見解が,
少数ながら,ないわけではなかった。A. Brown(1947), L. A. Allen(!958), W. Brown (1960)JG. G. Fisch(1961)らがそうである。著者は通説に対立するという一点におい ては,これら諸論者に賛成しつつ,しかし,他方ではこれら諸論者の理論の不充分さを批 判する。例えば“Research is a Primary activity of the business in some comPanies・” (L.A. AIIen)という規定では.研究開発をprimary activity=第一次活動と見る点で 通説の誤謬を克服しているが,しかし,in some companiesとしている点に問題を含むと する。some companiesでは研究は主流であるがother companiesでは助言的であるとい うようないい方は,結局.事態が企業ごとに違い,さらに同一企業でも時期や状況により 異るというような,没理論的言明にすぎないことになる。もし「研究開発は主流活動であ る」として確と位置づけたいのであれば,ひとまず経営の職能的構造の基礎理論の地平に まで沈潜し,その地平でく企業(経営)に一般的・統一的に妥当するprilnary activityと は何か〉を確と見すえたうえで,それに立脚して論証されねばならないであろう(第5版 序5ページ,273ページ,284ページ),というのが著者の立場である。この点からすれば, 前記諸論者の言は論証放棄の単なる経験的言明にすぎないとさえいえるのであって,著者 が諸論者を批判する点も,まさにそこにある。 しからばその論証如何。それを果すための理論的準備作業として,著者は現代企業に関 する独自の見解を展開する。「今Hの企業が,競争に耐え成長を遂げてゆくための必須の 条件は,競争企業が容易に真似のできないような,顧客が真に価値ありと評価するよう な,新製品をつぎからつぎへと生みだしてゆくことである。このような研究開発に積極的 な努力を傾注する企業こそが,現代の主流であり,かかる努力なくして経営を維持しうる 企業があるとすれば,それはむしろ例外である」 (!39ページ)。企業は現行製品の売れ行 きが著しく落ちる前に代替製品を開発しておく必要がある。しかも,研究開発の結果を市 場に持ち込むのではなく,市場の要求を研究開発に持ち込むことが肝要である。かくて 企業は顧客の創造を基本方向としJ 「顧客志向的研究開発」 (73ページ)によってコンス タントに新製品を開発していかねばならぬという論理的帰結となる。この場合さらに言及 さるべきは,t‘People don’t buy products.”という点である。石鹸会社が④「作った石鹸 を売る企業」から③「売れる石鹸を作る企業」へと顧客志向姿勢を取り入れたとしても, それだけではまだ不十分である。市場調査をやりながら,ときたま,不定期的に,石鹸以 外の洗剤も研究開発して売りだすというのでもまだ十分ではない。まだ企業は石鹸という 特定製品に執着しすぎている。その域を克え◎「清潔にするものを売る企業」と自らを定
〈書評〉森 俊治著『研究開発管理論〔第5版〕』 135 即しなおし,継起的(連続的)に「清潔にずるもの」を研究開発する企業のみが,石鹸以 外の化学洗剤等が主流の時代にスムーズな対応をなしうるのである。④⑬が特定製品にこ だわり続けている「特定製品生産型企業」(Product−producing Company)であるとすれ ば,◎は「清潔にする」という効用に焦点をあわせ,特定製品がつねに変転(石鹸→化学 洗剤)することにこだわらない「便益生産型企業」(Benefit−producing ComPany)であ る。(この用語については220ページ参照)(けだし,④はヨリ特定製品志向的であり,⑬ はヨリ便益志向的であるという,程度の相違はあるが,④⑥とも便益生産的にまでつき進 んでいないという意味で④⑧e◎の対立概念でとらえうるのである。なお,208ページ図 参照)。Product−producing Cornpanyでは特定製品に重点があり便益はつけたし的扱いで あるが,Benefit−producing Companyでは特定製品は容れ物,外形にすぎず,「非特定製 品的諸便益の総体」を売ることに視点がいっている(230ページ)。つまり「二つのタイプ は商品の論理構造が根本的に違っている」(230ページ)のである。今日の転変極まりない 経済社会において特定製品志向の態度をとり続けることは致命的誤謬であり,著者はこれ をT.Levittにならい「近視眼的経営(Management Myepia)」と呼ぶ。 このように今日の企業は従来とは質的に異ったものになっている。そして「現代の主流 をなす企業においては,その中心をなす職能が『製造活動』から『研究開発活動』へと移 行している事実が注目されねばならない」(84ページ)。生産過程が変質するのである。す なわち「製造」即生産過程の段階から「研究開発プラス製造」としての生産過程へであ る(221ページ)。しかも製造よりも研究開発の方がヨリ重要化してくる。そしてそれは rR&Dcompanyともいうべき製造企業の成立」(第5版序)を意味することとなる。 企業の変質と並行して,著者は研究開発そのものも大ぎく変ってきたことを説く。第一 次産業革命(!8C後半一一!9C初頭),第二次産業革命(19C第4・4半YS一一一20 C初頭)を へて第二次大戦前までは,研究開発は基本的に偶発的発見によっていたといわれる。しか るに第二次大戦以降,計画的発見に力点がおかれるようになり,第三次産業革命を媒介と しっっ,その様相を一層深めてゆく。 偶発的発見依存段階の研究開発は,テーマ設定,採算,運営を含めて,基本的に研究者 まかせであり,経営者による管理・方向づけは存在しない。とにかく研究者の好きなよう にやらせて偶然や霊感によって生れるかもしれない結果にのみ経営者は関心を持つ(16∼ 1gページ)。ところがこうした研究開発のあり方は次の3つの難点を有するのである。① 経営意思から切り離された研究活動になってしまうこと②市場動向とは全く切断された形
の,純粋な自然科学的・工学技術的研究活動におちいること③大学と企業との間の,研究 に関する適切な社会的分業関係という観点からしても適切でないこと(258ページ)。かく て,偶然の産物や孤独な天才に依存した研究開発は,もっと違った形を求めて発展せざる をえ一ないこととなる。 第二次大戦後は,製品のライフサイクルの短縮化と他方での研究開発の懐妊期間の長期 化傾向の中から,計画的発見が志向され始める。そのうえ「研究開発したものを売るので はなく,顧客にとって便益をもつもの.すなわち売れるものを研究開発する」(78ページ) という市場志向性は,研究開発を,市場動向によって方向づけられ,かつ計画的なものに する必要を強く感じさせる。かくして研究開発は,従来と異り,経営との関連の明確化, 経営者による方向性指示の重視偶然的発明期待よりも「何を研究するか」の初期段階に 関心をおいた「意識的発明」「計画的研究」へと向うことになるのである。したがって経 営者による製品戦略意思決定は,従来の如く研究開発に後続するのではなく,むしろその 前になされるという特徴があらわれる(84ページ)。そして研究開発が,財務一労務一購 買一生産一販売といった資本循環サイクルの不可欠な一環として組み込まれることとなっ てくるのである。そうした論の運びから著者は,研究開発が生産過程内部にとりこまれた ところのオペレーショナル・ワークであると結論されるに至る。その点を詳しくきこう。 「通説では.研究開発は生産過程の『そと』でとらえられている。それゆえ研究開発は いわゆるスタッフ・ファンクションをなすとされているのである。この通説は,かつての 時代にあっては現実をよく説明しえたし,今日でも一部の企業には妥当する。しかしなが ら,その製品がつねに変転するというすぐれて創造的な現代的企業の現実は,上記の通説 では説明しがたいのである」(第5版序)。現代的企業=便益生産型企業では製品が常に変 転しているということが大切である。それが研究開発にサイクリカルな日常的オペレー ショナル・ワーク(いわゆるライン活動)の一環としての性格を与えざるをえないゆえんで 2) ある。著者はこのような性格をもつ研究開発を財務,購買,労務,生産,販売の諸過程の うちの生産過程の内部に位置づけて理解しようとする。生産過程は従来の如ぎ単なる「製 造」から「研究開発プラス製造」に変化し,研究開発は生産過程の「そと」から「なか」 へ入るのである。 2) ここで想定されているのは応用開発研究であって,これがオペレーショナル・ワークだという のである。基礎研究は,著者にあってもスペッシャリスト・ワークとして理解されている(140 ページ)。
〈書評〉森 俊治著『研究開発管理論〔第5版〕』 137 以上が「第一編総論 経営管理と研究開発管理」の中心的論点であり,かつ本書全体の 核心でもある。 なお第一編には,この方面の文献としては,現在までのところ,日本で唯一の貴重な研 究と目しうる「西独の研究開発管理論」が収録されている。ここではふれる余裕はない が,関心のある読者は是非一読されたい。この部分についてのコメントは,いずれ評者 (片岡)よりも適任の人によってなされる機会もあろう。 第二編は各論として,研究開発の長期計画,研究開発費計画と研究評価,製品原価の低 減と研究開発,品質管理と研究開発研究開発過程の合理化,研究開発の創造的特質とそ の管理の諸問題が詳細に論じられている。類書の多くない状況の中では,これらのいずれ もが貴重な内容をもつものといいうるのであるが,ただ紙幅の都合で各論の紹介ができな いのは残念である。 簡単な紹介であったが,上記をもとにして,いくつかの点について私の所感を述べてみ 3) たい。第一は,研究開発をプロセス・ファンクションないしオペレーショナル・ワークと して理解する著者の立場を基本的に受けいれた上でのコメントなのであるが,著者が研究 開発をオペレーショナル・ワークとされる論理(=企業の質的変化)からすれば,調査, 計画といったように従来はスペッシャリスト・ワーク(一スタッフ活動)とされてきた活 動もまた,同様に,オペレーショナル・ワークとして理解することになるのではないかと 思われるのであるが,この点著者はどう考えられておられるのであろうか。著者によれ ばオペレーショナル・ワークとは,企業の基本的職能(不可欠な有機的職能)で,いっで も,だれかによって遂行されていなければ,経営活動が停止のやむなきに至るがごとき職 能(136ページ)であり.スペッシャリスト・ワークとは,オペレーショナル・ワークの どれかに関連する特殊の集中された知識に責任を負う立場にある人々の仕事,経営目的の 達成に間接的(補助的・促進的)に貢献する仕事とされている(276ページ)。そしてま た,著者によれば,本書の基本的「経営観」は①計画的・総合的管理たること②創造的・ ダイナミックであることの二点に求められている(第2版序)。オペレーショナル・ワー クが上のように定義されたものであり,また,計画が現代企業(便益生産型企業)にとっ て不可欠な基本的職能であるとするならば,計画(やそのための調査)は当然オペレーシ 3) ここでのプロセス・ファソクシ・ンの意味は,計画一組織化一統制一指導というようなマネジ メント・プロセスの意味ではなく,調達一生産一販売といった過程的・並列的職能であると著者 は断っている(282ぺh一ジ)o
4) ヨナル・ワークだという論理的帰結になるのではなかろうか。とするならば,経営職能に 関する理解の仕方が,従来の通説とはかなり異った斬新なものになってゆく可能性を含む ものといえよう。 このように,研究開発管理を主題とし,(この研究開発管理における)管理の対象とし ての研究開発が,オペレーショナル・ワークであることを主張することにのみ,さしあた りは意を注いでいるかに見える本書の主張は,ただちに,経営学全体に睡る重大な問題提 起となってはねかえってくる性格をもっているのである。著者が次のように言われる時, このことが含意されているものといってよいであろう。 「生産過程が変るということは,経営の構造に本質的な変化をもたらすことになり,新 しい経営理論の創出を要請する」(269ページ)。 「生産が変われば財務労務,購買,販売もまた変わって来るのであるが,その結果 生産管理のみならず,これら諸分野の管理,またその総合管理としての経営管理全体が変 わることとなるであろう。……この重要かつ困難な課題の解明は,本書の研究から出発し て,さらに他日を期さねばならない」(第5版序)。 上記のような著者の論理は,他方で,オペレーショナル・ワークを財務労務,購買. 生産,販売としてほぼ従来の枠組に沿って理解するという立場表明(289ページ)と完全 に整合するものであるか否か一今後のヨリくわしい展開をもっと聞きたいものである。 第二に,上記と関連して,著者が,ライソースタッフ概念に代えてオペレーショナ ル・ワーク スペッシャリスト・ワーク概念を採用される積極的理由を,一層詳細に開 陳していただきたいということ,および,その代置が経営学の内容全体にどう影響してく るかについてもご教示いただければ有難いのである。 第三に,特定製品志向型企業→便益志向型企業となるにつれて,労働内容も肉体労働 中心→精神労働(知識労働)中心となることが指摘されている(119ページ)ことに関 してである。この場合,研究開発にたずさわる知識労働は「直接に生産的協働の結合に織 り込まれている労働なのである」(290ページ)といわれる。また,現代企業においては何 を研究するかをトップ・マネジメントが決め,研究そのものを研究所員が行う(20ページ r一jといわれる。こうした指摘からイメージされる研究者は,まさに研究(賃)労働者と 4)但し,これは評者(片岡)の推論であって,著者がそう主張されているわけではない。著者が 本書で示されている限りでは,オペレーシ。ナル・ワークは財務,労務購買,生産(研究開発 十製造),販売の五つと限定されているg
〈書評〉森 俊治著『研究開発管理論〔第5版〕』 139 いうにぴったりであり.科学技術の企業資本へのヨリ直接的な取りこみを意味するであろ う。著者の上述の指摘は,研究(賃)労働者がヨy一層直接的に生産過程に組みこまれる ことによって,マルクス主義でいうところの(生産的労働の本源的規定の意味でも歴史的 規定の意味でも)生産的労働者になっているということを,マルクス主義とは別の視角か ら指摘したものということもできよう。この点は評者(片岡)にとって興味深いものであ った。 第四に,特定製品生産型企業と便益生産型企業とに資本主義企業の発展過程やタイプを 分けるという,著者独自の主張の意義,当否に関してである。これは,著老自らも記して おられるように「People don’t buy products、という事実に基づいて資本主義経営を二つ に分ける……という……まことに大胆な主張」(第5版序)である。 特定製品生産型企業(product−producing type)一→便益生産型企業(benefit−producing type)に移行するにあたり,そこには一定の変換点(transforming point)カミ存在する (132ページ)。この変換点を著者は1950年代に求められている(130ページ)。すなわち, 著者は,資本主義企業を二つのタイプに分類され,遠くは第一次産業にさかのぼり1950年 代にいたるまでのタイプとそれ以降のタイプとに分けるべきことを主張されているわけで ある。便益生産型企業は「現代的企業」とも呼ばれていることから,この変換点は現代的 企業とそれ以前とを分ける分岐点とも考えられていることになる。 研究開発が生産過程の外から中へとりこまれるようになったということの論証には,著 者の二分法は説得的であり,成功しているといえよう。そして,本書が研究開発管理論を 扱った著書であるという限りでは,この二分法以外の分類にふれる必要はなかったともい えるであろう。しかし,今後.扱う領域が研究開発以外の部分をも含めた領域に拡がると なれば,この二分法以外の区分(例えば産業資本主義段階の企業と独占資本主義段階の企 業といった如き区分で,当然,質的転換時点も内容も異ってくる)も容れて相互関連性の なかで考察することが必要となるのではなかろうか。著者が将来「本書の研究から出発し て」「経営管理全体」の考察を予定されている(第5版序)だけに,もし先の二分法だけ でっき進まれるならば,多少の問題を今後生じてくるかもしれないと危惧されるのであ る。 第五に,著老が本書中で提出されているresearchとstudyの区別という視点(4ペー ジ,250ページ)は,研究開発および研究開発管理の基礎理論の進展のためのみならず. 経営学の性格規定をめぐる方法論争の決着にも,ひとつの重要な鍵を提出していると思わ
れる。経営学が諸科学と密接な関連をもちながら論じられる学問であることは明白である が.そのさいに経営学が何をresearchし何をstudyする学問なのかを区別しておくこ とは,経営学の性格を見極めるために重要であると思われるからである。 最後に,第二編(各論)において.著者の第一編における積極的主張をもっと大胆に具 体化して展開されてもよかったのではなかろうか。例えば,便益生産型企業においては, 相次いで開発する新製品にどう市場動向を直結してゆくかの方法についての具体的展開 を,もっとページをさいて記述されたら,第一編と第二編がもっと強く結びつけられた形 で読者に印象づけられるのではなかろうか(もっとも,すでに400ページをはるかにこえ る本書に,これ以上のページをさくことはできなかったとも思われるが)。 以上,思いつくままに,遠:慮のない読後の印象批評を書き綴ってみた。達意の文章で, 数多くのユニークな主張を盛りこんだ本書は,既述の如く,単に研究開発管理論の進展に 大きな貢献をなしたにとどまらず,経営学そのものに対しても種々の問題提起をなしたも のとして,今後も永く読みつづけられていくであろう。