「現代社会における文化財保護の新しい在り方 : 「パブリック・アーケオロジー」の視座から」に参加して
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(2) も過去を現代と切り離し、客観視し て理解しようとするものであるのに 対し、"文化遺産"に関しては過去と 現在を切り離さず同時並存させると いう大きな違いがあることが示され た。 そして、考古学や歴史学、文化財 と現代社会や市民との関わり方、す なわちパブリック・アーケオロジー 的なアプローチに関しては、①教育 的 ア プ ロ ー チ、 ② 広 報 的 ア プ ロ ー チ、③多義的アプローチ、④批判的 アプローチの4種類が挙げられると いう。広く行われている行政や研究 機関における発掘調査の現地説明会 や博物館での展示といった教育普及 活動が教育的・広報的アプローチに 相当し、日本では戦後から広く行わ れてきていることを、具体例を挙げ て示された。 一方、多義的アプローチは遺跡や 歴史的建造物、遺物といったものに 対して、専門家、行政、土地所有者、 民間企業、一般人など様々に違う立 場のそれぞれがどのようにそれを認 識し、利用しようとしているのかを 探求し、またその立場の差に起因す る多様な視点や解釈、利害を理解し、 考古資料の保存・活用においてバラ ンスの取れた判断を下そうとするも のと言える。 また、批判的アプローチは考古学 や歴史学の成果や解釈を先住民や少 数派の宗教など社会的に弱い立場に たってその文化財を批判的に認知す るというもので、ナショナリズムや 先住民、公的機関と考古学との関係 などを検証するものと定義された。 今後、文化財は専門家や行政だけ が意味付けするのではなく、それを 人々から愛着を持たれる"文化遺産" とするために社会に存在する様々な 意 見 や 立 場 を 踏 ま え る 必 要 が あ り、 現状よりさらに批判的・多義的アプ ローチが必要とされていくという見 通しが示された。. パネルディスカッション 続くパネルディスカッションでは 三者のパネラーが発表された。 まず、建築史が専門の名古屋大学 環境学研究科の西澤泰彦氏は、建築 や街並み保護やその調査を例に挙げ られ、特に未指定・未登録の文化財 の存在と、その保護が非常に難しい 現状を指摘された。未指定・未登録 文化財の保護については現在ある文 化財保護法だけではなく、文化遺産 的な様々な存在意義を組み合わせて それに対する関心を高め保護を目指 す必要があることを示された。 次に、考古学が専門の名古屋市博 物館の村木誠氏の発表では、名古屋. 市における開発に伴う埋蔵文化財の 記録保存について、さらに東日本大 震災の震災復興調査に派遣された経 験をもとに、開発に伴う事前調査が 行政による規制と認識され、その規 制が適用されない埋蔵文化財特区を 作 る 動 き が あ る こ と が 紹 介 さ れ た。 また、パブリック・アーケオロジー の実践として見晴台遺跡の市民発掘 の活動の例を紹介された。これまで の遺跡の保護への理解を郷土意識や 郷愁に訴えてきたこと、それが近年 特に若い世代には通用しなくなって いるという分析は非常に興味深く感 じられた。 最後に、名古屋市立大学人間文化 研究科の吉田一彦氏は文化財保護の 概念の歴史をまとめられ、明治時代 以降、国家の理念によって文化財の 認定や鑑定を行うことへの疑問を呈 され、現代においては国家のそうし た関与はすでに不要なのではないか と指摘された。さらに、文化財の修復 や復元に関してもどの程度まで手を 入れるのか、不明な部分をどのよう にするかなどに多義的・批判的アプ ローチを反映させるのが今日的なあ り方であるという考えが示された。 建築史、考古学、古代史とそれぞ れの立場で社会との関係性を具体的 な例示により説明され、社会と学問 との様々な側面でのつながりが明ら. 49.
(3) かになったかと思う。. 講演とシンポジウムに参加して 考古学という学問自体それほど古 いものではなく、日本での導入から も百年余りだが、社会との関わりに ついてはかなり早い段階から意識さ れてきたように思われる。特に戦後 から現在に至るまで、日本では一般 の人々(まさにパブリック)の考古 学への関心は非常に高く、しばしば 新聞の一面を発掘調査での新発見の ニュースが飾り、筆者の住む奈良周 辺で行われる遺跡の現地説明会では 千人単位の人々が集まるなど、発掘 調査で得られた遺構や遺物が現地で 公開され、かつそれに応じて多くの 一般の人々が参加することが珍しく ないという状況は海外からも非常に 珍しく映るようである。こういった 点だけをみれば日本のパブリック・ アーケオロジーの広報的アプローチ に関しては世界的に見ても非常に進 んでいると言えよう。これは、原因 者つまり開発者がその費用を負担す ることで、世界でも類を見ない件数 の発掘調査を開発の前の記録保存で ある「事前調査」として行なってき たために、否が応でも考古学や事前 調査の公益性という問題に晒されて きたという経緯が大きく影響してい. ると考えられよう。 また、公共事業削減や文化行政に かかる予算の削減、阪神・淡路大震 災や東日本大震災の復興調査などの 諸問題から近年ではさらに考古学の 費用対効果、特に社会還元の度合い が強く意識されるようになりつつあ る。こうした状況下で、社会と考古 学の関係全体を見渡そうとする松田 氏の姿勢には共感できることが多々 あった。 ただ、今回の講演とシンポジウム を拝聴して、行政や専門家が認定し た文化財に対して、人々に愛される 文化遺産という対比が何度も語ら れ、国の関与しない文化財保護の可 能性までが話題にのぼった。博物館 に勤務し、文化財の展示活用・教育 普及、文化財の修理や保護全般を担 当し、そして博物館に来られる一般 の お 客 様 と 実 際 に 触 れ 合 う 立 場 で、 今回の議論について感じる問題を述 べてみたいと思う。 パブリック・アーケオロジーの立 場で考古学・歴史学と社会や一般の 人々をつなぐのは人々の誇りや愛 着、アイデンティティを感じさせる 「 文 化 遺 産 」 で あ っ て、 そ れ が 鍵 と なっていくという見通しや考え方が 講演・シンポジウムの大きな流れを. 作っていた。挙げられた例はそのほ とんどがその文化遺産が考古学と社 会や人々とをリンクさせるのにうま く機能しているものであったが、そ れがどれだけ汎用性があるのか、そ れがうまく機能しない場合、文化遺 産になり損ねた文化財はどういう扱 いになるのかといったビジョンは見 えてこなかったように思う。文化財 を文化遺産にできるだけの人々の愛 着はどこまでのものなのか。このこ とは筆者自身が博物館に勤務しなが ら危機感をもって考えているテーマ でもあった。それは日本人全体の文 化財を含む古いものへの純粋な関心 は加速度的に失われていると感じら れるからである。 数年前の東京国立博物館での阿修 羅展や毎年秋に奈良国立博物館で行 われる正倉院展など社会現象になる ほど多くの人々が殺到する展覧会を 思い起こされた方は信じられないか もしれないが、これらは大規模に広 報を打ち、雑誌やテレビで特集を組 み、ある意味イベント化された展覧 会ということができる特異な存在と も言えるのである。これに対し、特 別ではない館蔵品展や常設展には殆 ど人が来ないという状況も実際に起 きていることで、これは海外の美術 館・ 博 物 館 に 比 し て 顕 著 な 特 徴 と なっている。. 50.
(4) て発生する場合も非常に多いという 逆説的な状況が起きていることを示 していると言えるのではないだろう か。 我々博物館に勤める者はもちろん 専門家及び専門外の一般の人々"パ ブリック"がより関心を持ち楽しめ る展覧会となるよう準備している が、その一方で人々から顧みられな い、人気のない、さらに言えば愛着 を持たれず"文化遺産から落第した" 資料にも専門家として価値を見出す ことが多々ある。明治時代の廃仏毀 釈がその一例かと思うが、人々の愛 着、文化遺産は社会背景などによっ てより大きく変動する可能性があ り、もし、文化遺産として社会に要 請された資料に偏った保護をしてい れば、廃仏毀釈の時代のような文化 財の毀損や海外流出といった事態が 再び起きる可能性もあるのではない だろうか。もちろん、行政や専門家 も万能ではなく、その判断が社会背 景によって規定されることもありう ることには注意が必要だが、行政や 専門家も含めたある程度客観的な判 断ができる主体によって保護すべき 資料が認定されることは今まで通り 必要なことではないかと思われた。 人の持つ愛着が可変的すなわち文 化遺産が時代や社会背景によって変 化するということを踏まえた時、文. 化財でありながら人々から愛着を持 たれないままで文化遺産に至らない 資料はパブリック・アーケオロジー ではどう位置づけられるのだろう か。社会からの要請がなければその 資料的価値は下がるのだろうか。今 はまだパブリック・アーケオロジー の成功例に注目が集まりがちである が、うまくいかない部分を多義的・ 批判的に論じて、議論を深めていく 必要が感じられた。. 同時に、松田氏の言う多義的なア プローチや批判的アプローチがさら に広く行われるようになるには、具 体的にどのようにすればいいのかと いった視点についても言及がなかっ たことについても、議論をさらに期 待するところである。この点につい て筆者の個人的な感想を言うとする ならば、考古学・歴史学もしくは文化 財行政などのもつ情報が専門外にむ けてどの程度公開されるかが非常に 重要なのではないかということであ る。考古学や歴史学の専門的な情報 となると、文化財行政に携わる行政 機関、もしくは大学などの教育機関 や研究機関だけが独占しているので は、多義的または批判的なアプロー チを専門外の一般の人々が行うのは 材料に乏しく難しい。 しかし、現状ではそれらの機関の. 51. 意地悪く言えば、日本人は文化財 に対しても世界の中でもよりブラン ド志向が強く、「国宝」「新発見」「最 古 級 」「 初 公 開 」 … そ う し た 言 葉 に 非常に敏感に反応する国民性がある ともいえるかもしれない。実際、特 別展期間中の問い合わせには「国宝 が何件展示されていますか?」とい うものが非常に多く、期間限定で展 示される国宝の仏像を見たい、○○ 年ぶりで展示される教科書に載るこ の絵が見たい、そんな動機で展覧会 に多くの人々が殺到するのが現状な のである。このことはつまり、文化 遺産を規定する人々の愛着が、行政 や専門家による認定や鑑定に依拠し. 【正倉院展の盛況ぶり(奈良国立博物館)】注⑴.
(5) 持つ情報公開力には予算の問題一つ をとってもそれほど期待はできない ことから、松田氏の言うようなアプ ローチには、問題意識を共有した専 門家の活躍もさることながら、マス コミなど各方面も一体となった働き かけが必要になるのではないかと思 う。 さらにいえば、言葉の定義だけで は な く、 今 起 き て い る 現 実 に パ ブ リック・アーケオロジーが直面した 時にどう対応するのか。その学問領 域を考古学や歴史学から独立して成 立させたことがどういう意義を持 ち、どういったメリットがあるのか ということにも踏み込んだ議論がほ し か っ た と こ ろ で あ る。 パ ブ リ ッ ク・アーケオロジーに関わるとされ る分野は社会や政治、先住民問題や ナショナリズムの問題と膨大に幅広 く、実際に単一の学問領域として対 応しうるのだろうか。 今回の講演やシンポジウムではパ ブリック・アーケオロジーの概念と、 いくつかの教育普及に関するケース スタディを知ることができた。パブ リック・アーケオロジーが定着する ためにはさらに議論を深め、現実問 題に対応させていくための作業が必 要なのではないかと思い至った。 とはいえ、ESD(持続可能な開発. のための教育)とパブリック・アー ケオロジーの概念は重なる部分も多 く、聴講者の多くにとってはもう一 度 身 の ま わ り の 考 古 学 や 歴 史 学 と、 自分自身や社会とのつながりに思い を致すよい契機になったのではない だろうか。 最後に、大学が地域の各団体と連 携して学問を市民にフィードバック しようとこうした企画を継続的に行 なっておられることに敬意を表する とともに、このようなよい機会を準 備された関係者各位に感謝いたしま す。. [注]. . (佐々木香輔撮影)。. ⑴ 写 真 は、 奈 良 国 立 博 物 館 提 供. 52.
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