物語とは何か(6)物語パターンの研究:審判型物語
Esquisse d'une typologie du récit (6) : Type à arbitrage
森 田 秀 二
Shuji MORITA
はしがき 物語は一般的にCM などに典型的に見られるように<不均衡な初期状態>から<均衡した最終状態 >への移行プロセスと考えることができる。ダイエットのCM を支える説話構造は<太りすぎ=不均 衡>に始まり<スリムなボディ=均衡の獲得>に至るプロセスである。尤もCM の説話エコノミーに よりこの移行プロセス自体はブラックボックスに入れられ、初期状態と最終状況だけが明示されること が多い。修正すべき欠陥(太りすぎ、頭痛、ストレス)や充足すべき不足(喉の渇き、栄養、睡眠)が 初期状態として想定され、その解決方法として製品やメソッドが提案される。要はCM の物語では初 期状態は不均衡でなければならないのである。 一般的な物語の世界も基本構造は同じである。致富譚では<貧乏→長者>への移行プロセスが語ら れ、女性の致富譚とも言うべきシンデレラ ・ ストーリーでは<虐待→自立>と<庇護者の欠如→庇護者 (パートナー)の獲得>の二つのプロセスが同時的に展開される。神話から現代のスーパー・ヒーロー に至る龍(モンスター)退治の冒険物語では社会的な次元が加わり、脅かされた<共同体の平和>が英 雄的行為により回復される(今日の龍はしばしば犯罪シンジケート、国家、会社組織などの形をとる)。 探偵物語では<情報の欠如>から宙づり状態(サスペンス)におかれた物語が探偵の活躍によりやがて 大団円を迎え、情報が充填される。こうした不十分な情報により生じるサスペンスはなにも探偵物語の 専売特許ではなく、ラブ ・ ストーリーや冒険物語の重要なシークエンスをなす構成要素でもあることは つけ加えておこう。 物語の初期状態から最終状態への移行は登場人物たちの属性目録(バランスシート)の変更として も提示できる。致富譚の一つ「瘤取り爺」の例がわかりやすい。爺A(無欲の爺)と爺 B(隣の欲張り 爺)は物質的 ・ 身体的レベルではともにコブを一つもっているので初期値はともに[-1]であるが、 最終状態でA は身体的マイナスをなくし、逆に B は[-2]となる。属性にはこうした外的な物質的 ・ 身体的属性がまず挙げられる。これとは別に内的な心的属性(性格)がある。親切なA の心的属性を [+]、意地悪なB のそれを[-]とすれば、この心的属性を A は資本として投資し、外的属性の符号を[-] から[+]に変えるのに役立てる。これが致富譚の基本的な展開である。このとき、心的属性の方は初 期値と最終値が一般的に変わらない。ビルドゥングス・ロマンなどと異なり、善人は善人のまま、意地 悪は意地悪のままというのが致富譚のようにシンプルな物語のエコノミーなのである。 さて、ここまで初期状態と最終状態をスタティックな状態としてとらえ、移行のプロセスそのものは いわばブラックボックスとして問題にしてこなかったが、それではブラックボックスの中身はどうなっ ているのであろうか。一言で言うなら、ブラックボックス内ではテストが行われている。筆者はかって このテストの内容に依る大きな物語パターンとして、男の子型の物語と女の子型の物語を対比して論じ たことがある1 。難題の解決を通して自らを英雄に仕立て上げる英雄(冒険)物語を男の子の物語系列 の典型とするならば、女の子の物語の典型をシンデレラ ・ ストーリーに見た。シンデレラ ・ ストーリー をはじめとする女の子が主人公の伝統的な物語では、ヒロインは過酷な運命を持ち前の才である程度和 らげることができるにしても、所詮は救世主(他者)の登場を待たねばならない。本稿ではこのシンデ レラ・ストーリーを再考し、さらに日仏民話の比較を通じた新たな物語類型を提案する。女性の致富譚:「シンデレラ」と「仙女たち」 ペロー版「シンデレラ」についてはすでに親族構造を中心に据えた分析をおこなったが、ペローの 『童話集』2 には「シンデレラ」のほかに「仙女たち」というもう一遍のシンデレラ・ストーリーが収め られている。「仙女たち」にはヒロインの失踪と靴履きテストの両シークエンスはないが、両話に共通 する大枠をなす説話要素として、次のようなシークエンスを取り出すことができる。 Ⅰ . 初期状況:母による姉に対する依怙贔屓(優位)と末娘に対するいじめ(劣位) Ⅱ . 授かりもの:超自然的存在(妖精)からの授かりものによる姉妹の優劣の逆転 Ⅲ . 結婚:授かりものを原資とする王子との出会いと結婚 以上の3つのシークエンスから構成される物語タイプをここでは仮に「末娘の致富譚」と呼ぶことに する。この定義を先行研究における定義と比較してみたい。 まずマリアン・ロウルフ・コックスのシンデレラ研究では、ヒロインいじめと靴テストを含むいわ ゆる「シンデレラ」型(アアルネ ・ トンプソンのモチーフ ・ インデックス番号AT510A[Cinderella ; Persecuted Heroine]に対応)に加え、父から離れた末娘が変装して幸運をつかむ「藺草の帽子」型が含 まれる。さらに後者の「藺草の帽子」型には「ロバの皮」のように娘と結婚しようとする父から姿を 変えて逃亡する型(AT510B[The Dress of Gold, of Silver, and of Stars : Unnatural Love])、及び「リヤ王」 のように父が娘に愛情テストを行った結果、末娘が追放される型(AT923[Loving the Salt])という父
娘の関係をモチーフにした二つの話型が含まれる3 。父(保護者)の存在の希薄さが特徴である「シン デレラ」型に対し、父の過剰な存在こそがモチーフとなるAT510B、AT923 という一見正反対の話型が まとめられているのはある意味では奇妙だが、いずれの場合も理由はどうあれ結果的に父と娘は隔てら れ、結末では父に代わるかのように王子がヒロインの新たな庇護者として登場する点は共通している。 コックスの研究によれば、物語の発端に差異はあるが、シンデレラ譚は以下の要素を共通に含む。< 娘の迫害><超自然的援助><王子との出会い><本人確認><結婚>の5つのシークエンスである。 特にフランス民話についてはポール ・ ドラリュが分類研究をおこない、モチーフ ・ インデックス番号 AT510A に基づきフランス語版のシンデレラ譚 38 話をリストアップしている4 。いずれの場合も<本人 確認>がシンデレラ譚の必須要素であることに変わりない。 ここで「末娘の致富譚」と名付けた物語タイプは、靴履きテストのような<本人確認>のシークエン スがあるもの(AT510A)ばかりでなく、「仙女たち」のようにこれを含まないもの(AT480 [The Kind and the Unkind Girls])をも包括した類型であることを確認しておこう。
「シンデレラ」と「仙女たち」の比較考察を続ける。 「末娘の致富譚」の定義では、初期状況におけるいじめの主体を「母」としたが「シンデレラ」の継 母に対し、「仙女たち」の母は実母である5。実母が姉を依怙贔屓し妹をいじめる理由として「自分に似 た者を好むのは自然のことですから」6 という心理学的説明が添えられている。この他、物語の初期状 況だけを比較してみても「仙女たち」では姉が一人で、父親がすでに死亡している、などいくつかのマ イナーな相違点が指摘できる。より大きな違いが見られるのは物語装置が起動した後の試練(テスト) のシークエンスである。 「仙女たち」では同じ妖精が二度現れ、はじめは水汲みにやってきた妹の性格を試し、次には同じテ ストを姉に行う。妹にはみすぼらしい老婆の姿で現れ、姉にはりっぱな貴婦人の姿で現れるなどテス ト条件は厳密には同じではない。前者のハンディの方が大きいのには理由があり、審判と魔法の授与 を司る妖精の意図がそもそも妹の気立ての良さ(honnêteté)と姉の気立ての悪さ(malhonnêteté)の品 定めにあると説明される。先ほどの実母のいじめ心理の説明といい、ここでの超自然的存在者の意図
の補足といい、本来心理学が介入しないはずの民話的ディスクールに心理的リアリティ(「本当らしさ (vraisemblance)」)を担保しようとする配慮が窺える。17 世紀古典主義を生きたペローの文芸創作者と しての手の内が透けて見える瞬間である。 「仙女たち」で最も重要なこの性格判断テストのシークエンスが「シンデレラ」ではそっくり落ちて いる。 「シンデレラ」の場合、問題になるのはハレの場、つまり王子との出会いの場となる舞踏会への出場 資格なのだが、姉たちにはこの資格が予め与えられているので、付け黒子、ドレス、髪型の準備などに 余念がない。一方、シンデレラの方はと言えば出場資格そのものをまずは獲得しなければならないとい うハンディを背負っている。そのためには家事労働を済ませ、ハレの場にふさわしい身繕いを整える必 要がある。この難題を解決してくれるのが妖精からの授けものだ。「仙女たち」とは異なり、シンデレ ラが授かりものを受けるのに相応しい人物かどうかを見極めるための資格審判は行われない。判断は 「授与者」である妖精によって予めなされていると考えるべきか、あるいは妖精がシンデレラの名付け 親(代母)だからそもそも始めからシンデレラを守る義務を負っていると解釈すべきか。民話のエコノ ミーからすると、「名付け親」という庇護者としての名目付けはヒロインの心的属性[+]の価値付け と不可分のものであろう。 「仙女たち」ではテストが行われ、その結果、妹は口から出る内容と言葉数に応じて金銀宝石が、姉 の口からは同様に魑魅魍魎が飛び出す、という具合にテスト結果が即座に賞罰として実現される。この 第1段階での賞罰が第2段階(最終段階)の賞罰を招来させることになる。母親は姉妹をそれぞれ異な る理由とはいえ二人とも家から追い出し、その結果、姉は森で野垂れ死にし、妹は森で王子と出会い、 結婚することになるからである。「シンデレラ」ではハレの場への出場資格が問題とされたのに対し、「仙 女たち」ではヒロインが家から追放されることが王子との出会いの条件になる。 「シンデレラ」では、ハレの場での出会いの前には物語内ではテストは行われないが、出会いの後に はテストがある。あの靴テストである。「仙女たち」では王子との出会いと結婚の申し込みは同時にな されるのだが、「シンデレラ」では出会いと結婚の間に遅延(サスペンス)機能をもつサブ・シークエ ンスが加わるのである。結婚が遅延されるのはシンデレラが失踪するからだ。ここでシンデレラは慌て て失踪しなければならない。なぜなら次のシークエンスで本人確認に役立つ証拠(授かりもののなかで 唯一魔法に時限がないあのガラスの靴)を不本意に残していかなければならないからだ。そのための 道具立てが 24 時に切れる魔法とその 24 時を正確に告げる(ルイ 14 世の時代にあっては超近代的なガ ジェットであったはずの)時計である。グリム版では単に母姉たちよりも前に帰宅していなければなら ないという理由付けだったのに対し、ここではすでに時計に支配されるシンデレラの近代的精神こそが 彼女を慌てさせ、靴の片方を忘れさせるのである。続くシークエンスではアイデンティティを簒奪しよ うとした姉たちに対し、シンデレラはこの靴のおかげで本人証明ができる。靴テストのサブ・シークエ ンスにより結婚は遅延される一方で、その分、褒賞としての結婚の説話的価値はいやがうえにも高めら れるのである。王子との結婚こそが最大の授かりものであることを強調するのがこのサブ・シークエン スの役割と言えよう7 。 女性の致富譚:農民版 フランスにおけるシンデレラものはペローのような貴族版の民話だけではなく、19 世紀後半から 20 世紀にかけて採話され編纂された農民版民話集のなかにも数多くある。ここでは農民版の一つ「小さな アネット」を取り上げてみよう8
Three-Eyes]の話型に属する民話だが、このなかでいじめ役として継母と複数の姉たちが登場する点は 「シンデレラ」に似ているにしても、姉の数は3人であり9 、超自然的な贈与者が妖精ではなく、農村社 会のキリスト教化の痕跡であろうか、聖母に代わっている。しかも聖母がアネットに与えるのは美しい 衣装ではなく、アネットが望むだけ食べ物を供する魔法の黒羊である。天からの授かりものが食欲の充 足である点に、ロバート・ダーントンが主張するように、慢性的飢饉に苦しんだ農村社会の現実の反映 をみることもできるかもしれない10。黒羊の存在に気づいた継母は黒羊を殺害する。アネットはその肝 臓をこっそり埋め、埋めた場所から今度は魔法の果実の木が生え出てくる。「花咲爺」を思わせるこの 魔法の授かりものの転生が最終的に王子との結婚に帰着する。というのも、ここで登場する王子もやは り腹を空かせており、唯一人果実をもぎ取ることができたアネットと結婚することにするからである。 この話では靴履きテストのサブ・シークエンスもなければ、「仙女たち」のように賞罰を判断する審判 も特に行われない。その代わりに使われるモチーフが、密偵のサスペンス・シークエンスである。継母 はアネットの秘密を暴くべく3人の姉たちを密偵として送り、アネットは二人の姉を出し抜くも最後の 三つ目の姉についに見破られてしまう。 以上とりあげた3つの民話を構成するシークエンスをすべて抽出してみると表1の左欄のようにな る。右欄には比較のためにすでに冒頭で提示した「末娘の致富譚」の構成シークエンスを挙げた。 それぞれの民話が7つの構成シークエンスのどれを含んでいるかを示したのが表2である(取消線 のある数字は含まれないシークエンスを指す)。右の3欄は3話それぞれに登場するいじめ役、贈与者、 テストが行われる舞台を比較したものである。 いずれも「末娘の致富譚」のⅠ, Ⅱ, Ⅲに対応するシークエンス1、3、5、7を共通に含んでいるこ とがまずは確認できる。同時にそれ以外のシークエンスについては、「仙女たち」では<2. 姉妹の性 格テスト>、「小さなアネット」では<4. 授かりものの隠蔽・露見>、「シンデレラ」では<6. 失踪・ 本人確認>といった具合に、各々の物語を特徴づけるシークエンスを一つだけ含んでいることがわか る。「シンデレラ」「小さなアネット」で<姉妹の性格テスト>がないのは超自然的な贈与者がヒロイン の性格と彼女が置かれている状況を予め知っている全知の存在だからであろう。 シンデレラ型の他の類話についても見ておこう。日本の男性版シンデレラとも言うべき「灰坊」11 に しても、女性版の「米福粟福」12 にしても本人確認のシークエンスを含むが、確認のために問われる能 表1:シンデレラ型の物語を構成するシークエンス 表2:シンデレラ型異話の比較 3話の構成シークエンス 「末娘の致富譚」の構成シークエンス 1. 初期状況:母・姉によるヒロインいじめ 2. 姉妹の性格テスト 3. 魔法の授かりもの 4. 授かりものの隠蔽→露見→殺害→転生 5. ハレの舞台での王子との出会い 6. ヒロインの失踪と本人確認(靴履きテスト) 7. 結婚 Ⅰ. 初期状況:母による姉に対する依怙贔屓と妹に対 するいじめ Ⅱ. 超自然的存在(妖精)からの授かりものによる姉 妹の状況の逆転 Ⅲ. 授かりものを原資とする王子との出会いと結婚 構成シークエンス いじめ役 贈与者(審判) 重要な舞台 シンデレラ 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7 継母、姉二人 代母[妖精] 舞踏会 仙女たち 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7 実母、姉 妖精 泉、森 小さなアネット 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7 継母、姉三人 聖母、黒羊→肝臓→魔法の木 魔法の木の庭
力は靴が履けるかどうかではなく、前者では娘の恋煩いに対する治癒力、後者では歌人としての力量で ある。失踪したヒーロー、ヒロインの本人確認がここでの説話機能だとしたら、確かに靴履きテスト以 外の確認方法もあるはずだ。他方で、靴履きテストはやはり特権的な本人確認法のようである。時間的 にも地理的にもかなり広範囲にわたって分布している。グリム版「灰かぶり姫」は言うに及ばず、ペ ロー版に先立つこと半世紀前(1634-36 年)にイタリアで出版されたバジーレ作『ペンタメローネ』13 の 1 日目第6話は完全な形のシンデレラとしてはヨーロッパ最初のものとされている異話だが、フェティ シズムに満ちた靴の描写とともに靴履き試験が行われる。段成式作の中国のシンデレラ14 は9世紀中頃 の作品だが、靴がやはり重要なモチーフになっており、王はヒロインに出会う前から履きもの自体に心 を奪われ、その履き主を何としてでも探し出して結婚することにする。同様のエピソードは古代ギリ シャにすでにあった。アイリアノスは、鷲が運んできた靴に魅せられたファラオンがその持ち主(エジ プトの高級娼婦ロドピス)と結婚するためエジプト中で探させるというエピソードを書き残している15 。 この物語に含まれるのは先に挙げたシークエンスのうち6と7だけである。このようにシンデレラの後 半箇所だけを含む物語はかなり古くからあった。とはいえ、「末娘の致富譚」という構造的類型で考え るならば、本人確認には靴テスト以外の方法がありうるし、「仙女たち」「小さなアネット」をみてもわ かるように、そもそもヒロインの失踪は王子と結婚するための必要条件ではないのである。 女性の致富譚(フランス)/vs/ 爺の致富譚(日本) フランス農民版の「末娘の致富譚」として最後に「醜い娘と美しい娘」を取り上げよう16 。 この民話では意地悪な母親は実母で、実母に贔屓され、いじめ役を演じるのが今度は姉ではなく妹の 方である。末娘のヒロインが不利な状態にありながら最終的に勝利を収めるという民話の常套から外れ ている17。超自然的な贈与者は「小さなアネット」同様に聖母マリアだが、姉妹のテストは2段階に分 かれる。まず第1段階では聖母マリアへの応対の仕方に応じて姉には金貨(賞)、妹には蚤虱(罰)が 与えられる。第2段階では聖母が授けた魔法の犬が登場し、姉妹が悪魔に対応する際のアドバイザーと なり、姉には適切なアドバイスを与えて悪魔から美しい衣装を得させる。妹には不適切なアドバイスを 与え、その結果妹は悪魔の餌食となり地獄に堕ちる。悪魔というキリスト教では本来災いのみをもたら す存在が民衆的心性ではあまり賢くなく、それゆえ使いようによってはプラスにもマイナスにも転じる 両義的な存在となっている。また、せっかく悪魔に美しい衣装を授けられながら、それを資本に王子と の結婚に及ぶというシークエンスがこの話にはない。「末娘の致富譚」の定義で挙げたシークエンスⅢ が欠けていることになる。 末娘ではなく長女の致富譚になっている点など民話としての常套をはずれた不完全さが感じられる が、<姉妹の性格テスト>、<魔法の授かりもの>のシークエンスが2段階に分かれ、贈与者の役割も 聖母から犬へ、犬から悪魔へと次々に下請けされ、(「小さなアネット」の転生に似て)多様化されてい る点に物語としての豊かさが担保されている。 これまで見た結婚を結末とする物語では<魔法の授かりもの>は結婚に至るための手段に過ぎな かった。それに対して、「醜い娘と美しい娘」のような結婚を含まない物語では<授かりもの>自体が 最終目的になり、物語としては成立するのである。それにしても、若い女性がヒロインである「醜い娘 と美しい娘」のような物語で結婚という褒賞がないのは物語として不完全燃焼感が否めないのも事実で ある。恐らく、父的形象(庇護者)が欠落した家庭でいじめに合うヒロインが再度均衡状態を得るため には美しい衣装を得るだけではなく、それを元手に父に代わる庇護者を得ることこそが物語のエコノ ミーでは必要なのであろう。
美しい衣装という<授かりもの>で終わる「醜い娘と美しい娘」は少なくとも構造上は日本の致富譚 とそう変わらない。日本の致富譚にも超自然的な贈与者が登場し、性格の良い爺と悪い爺に対するテス
トがしばしば異界で行われるからである。一例として再び「瘤取り爺」(モチーフ ・ インデックス番号
AT503[The Gifts of the Little People])を取り上げよう。典型的な粗筋はこうである。
たまたま鬼の宴に出くわした無欲の爺が踊りを披露すると鬼たちは感心し、翌日も来てもらうために その保証として瘤を取り上げる。これを聞いた隣の爺も翌日踊りを披露するが鬼たちは怒り、前日取り 上げておいた瘤をつけてしまう。 欲を持つと損をし、無欲だと得するという教訓話だが、ここで鬼が審判するのは爺たちの性格ではな くあくまでも踊りの巧拙であり、しかも無欲の爺を再び来させるためにとった措置(コブ取り)は反対 の結果をもたらす。「醜い娘と美しい娘」にもみられたように、贈与者が悪魔や鬼といった審判能力が 劣る存在である場合、相手に騙されたり、あるいは自らの浅知恵から不本意に褒賞を与えてしまうので ある。不本意に贈与者機能を果たすというのが悪魔や鬼といったネガティブな超自然的存在の典型的な 説話機能である。 それではここで取り上げた日仏民話の相違点はどこにあるのだろうか。一点だけ指摘しておこう。そ れは「醜い娘と美しい娘」では悪魔をも操る至高の贈与者が聖母として擬人化されているのに対し、 「瘤取り爺」では鬼を操る高位のトリックスター的存在者が表象されていない点である。この点を確か めるためにすでに取り上げたフランス民話と日本の代表的な致富譚を比較してみよう。 表3の四話では父的形象が欠落した家庭でヒロインが母を中心とするグループにいじめられるとい う初期状況は共通している。審判を兼ねる贈与者は妖精、またはキリスト教化した妖精とも言うべき聖 母マリアである。贈与者の役割が下位存在に委譲される場合もあるが、主たる贈与者は優れた審判能力 をもつ超自然的な存在ということになる。 対して、日本の致富譚に登場する代表的なアンチ・ヒーローは「隣の爺」と呼ばれる強欲な老人であ る。賞として与えられるのは主に財宝である。通常、隣の爺によるいじめはないが、善き爺の幸せを羨 んで行為を模倣しようとする。ところが真似が完璧ではないため反対に罰をくらう。ここで善き爺と隣 表3:フランスの致富譚の構成要素 表4:日本の致富譚の構成要素 いじめ役 贈与者(審判) 重要な舞台 賞 / 罰 シンデレラ 継母、姉二人 代母[妖精] 舞踏会 衣装・結婚 仙女たち 実母、姉 妖精 泉、森 宝石・結婚 /vs/ 魑魅魍魎 小さなアネット 継母、姉三人 聖母、黒羊→肝臓→魔法の木 魔法の木 食料・結婚 醜い娘・美しい娘 実母、妹 聖母、犬、悪魔 泉、水車小屋 衣装 /vs/ 行き倒れ 強欲な人物 贈与者(審判) 重要な舞台 賞 / 罰 瘤取り爺 隣の爺 鬼 異界 コブ[0] /vs/ コブ[2] 舌切り雀 婆 雀 異界 金銀 /vs/ 魑魅魍魎 地蔵浄土 隣の爺 地蔵・鬼 浄土 財宝 /vs/ 打擲 鼠の浄土 隣の爺 鼠 浄土 財宝 /vs/ 身体毀損 花咲爺 隣の爺 犬(木臼→灰→殿様) 大判小判 /vs/ 魑魅魍魎・処罰 天福地福18 隣の爺 正夢 天井、地面 大判小判 /vs/ 魑魅魍魎
の強欲爺両者の運命を隔てるものは何なのだろうか。瘤取り爺では踊りの巧拙、舌切り雀では小さな葛 と大きな葛の対比など真似に不十分さがある。ただ、この場合でも無欲な爺の行為を欲深な爺が真似る という意図そのものが罰せられると考えることもできよう。 『日本昔話事典』は別の観点から次のように説明している。 「善良爺はどこまでいっても成功し、性悪な隣の爺はなすことすべて失敗して不幸を積み重ねていく。 このような構成は、善良爺は成功者として運命づけられ、逆に人真似爺は失敗者として運命づけられ ていることを主題としているといえよう19 。」 予め運命として定まっているというのである。それではここで運命を司るのは一体誰(何)なのだろ うか。あるいは明確には形象化されないのだろうか。 表4の「地蔵浄土」については地蔵が運命を決める主体と言ってよいだろう。ここで地蔵が鬼に役割 を委譲する高位贈与者であるところは「醜い娘と美しい娘」で悪魔を利用した聖母を思わせる。高位贈 与者がいない「瘤取り爺」の鬼と異なる点である。 日本の民話に多い動物はどうであろうか。一見したところ、鬼同様、単独では審判力、運命決定力な どもたいないように見える。「舌切り雀」は動物の報恩譚だが、柳田国男は「舌切り雀」の原型に動物 の形を借りた神霊の出現をみている20 。「鼠の浄土」のネズミについても、古来、作物などに甚大な被 害を与えてきたのにも拘わらず畏敬されてきた21。また、「花咲爺」に登場する犬は、人間を守り幸福 な生活を約束する神の使いと見なされてきたようだ22 。
「天福地福」(AT834[The Poor Brother's Treasure]、AT834A[The Pot of Gold and the Pot of Scorpions])
に至っては贈与者は形象化されない。「福ある者と福のない者との運命の違いを最もはっきり描き分け た典型的な昔話の一つ」という評価が下される所以である23 。善き爺はひたすら正夢を信じそれに従っ て行動するだけだから、贈与者は正夢ということになるかもしれない。擬人化はされてなくとも運命の メタファーである正夢に高次の審級を読み取ることは可能である。 こうしてみると日本民話に登場する動物の形を借りた贈与者、あるいは擬人化されない運命のメタ ファーの背後にもより高次の超自然的な審級を想定することができるのではないだろうか。 まとめ 以上の考察のまとめとして「審判型物語」という物語パターンを仮説として提案したい。 広い意味での致富譚の登場人物や初期状況の性質は地域によって大きく異なる。フランス民話におけ る代表的な致富譚と言えば、シンデレラ型を典型とする末娘と姉(たち)との葛藤である。一方、日本 では「隣の爺」譚がよく知られているが、これは実際は他の地域にあまり分布を見ない日本独特の話型 である。翻って、近隣の中国大陸や朝鮮半島の致富譚はどうかといえば、我が国の「山幸海幸」のよ うな兄弟葛藤譚の分布が多く見られるようである。「カインとアベル」にも見られるこの兄弟葛藤譚こ そが人類の昔話で最も早く出現したものらしいが、そうしてみると兄弟譚に比べてはるかに葛藤の弱い 「隣の爺」譚がなぜ日本でだけ発展したのかという疑問が生じる。隣家に対する強い関心が物語の発端 となる点に注目すれば、「この形式が隣人関係を強く意識するわが国の生活意識のなかで育ったことを 示している」24 という説明はある程度の説得力をもつ。一方、この説明のように話型と集合意識に何ら かの関係がありうるとしたら、姉妹葛藤譚が一般的なフランスについては何が言えるのだろうか。興味 深い問題だが、ここでは検討する余裕はないので今後の課題としたい。 さて、姉妹葛藤型、隣の爺型、兄弟葛藤、といずれも対立しながらも近似したペアが構成する物語群 である点は共通している。しかし、姉妹葛藤型、隣の爺型ではヒロイン、ヒーローは運命、もしくはそ
れを擬人化した超自然的な審判・援助者の他力に依存するのに対し、兄弟葛藤ではヒーローが自力(知 恵、勇気、腕力)で難題に立ち向かう点が重要な違いである。したがって、ここで「審判型物語」と呼 ぶタイプは人智を超えた運命の審級に依拠するので、その対象として姉妹葛藤型や隣の爺型は含まれる が、自力で境涯を切り開く兄弟葛藤譚は基本的には除かれることになる。「審判型物語」の最小の構成 要素を挙げれば、冒頭で挙げた「末娘の致富譚」をさらに抽象化した以下のようなシークエンスになる。 Ⅰ. 初期状況:A ≦ B(A は B よりも劣位[姉妹葛藤型]、あるいは同等の状況[隣の爺型]にある) Ⅱ. 授かりもの:超自然的存在が両者を審判し、A に正のギフトを B に負のギフトを授ける Ⅲ. 最終状況:A > B(A は B よりも優位にある) これまでの考察を踏まえてコメントを加えておこう。 ・審判のための試験はA,B 双方に公正に明示的になされる場合もあれば(「仙女たち」「隣の爺」型)、 登場人物たちの性格目録を有する全知の超自然的存在が予め判断している場合もある(「シンデレラ」 「小さなアネット」「天福地福」)。 ・審判者は妖精、聖母、地蔵など高位の超自然的な存在が担う場合もあれば、動物など低位の存在、さ らには擬人化されない曖昧な審級に託されることもある。 ・贈与機能はより低位の存在(悪魔、鬼など)に下請けされることがある。 ・姉妹葛藤型の場合、<授かりものの隠蔽・露見>や<ヒロインの失踪・本人確認>といったシークエ ンスを加えることで物語を差別化するとともに活性化できる。 今回扱った題材の枠を超えて考えれば、審判機能を例えば「最後の審判」のように一神教の神という 明示された審級にみることもできる。翻って、本論では日本民話のように擬人化されない曖昧な審級 (運命、正夢)に託される可能性も見た。「審判型物語」という物語パターンの有効性はコーパスを拡げ て検証する必要があるようである。 1 「物語とは何か(2):物語パターンの研究」、『山梨大学教育人間科学部紀要』Vol.1/No.1(1999)239-249 2 Perrault, Contes, Folio/Gallimard, 1981 (éd. de J.-P. Collinet)、『ペロー童話集』岩波文庫(新倉郎子訳) 3 S・トンプソン『民間説話』上、現代教養文庫、pp.188-194
4
Paul Delarue et Marie-Louise Ténèze, Le conte populaire français, Tome II, Paris, Maisonneuve & Larose, 1977
5 1697 年版に先立つ2年前に手書き版が執筆されており、そこでは「シンデレラ」と同じ継母となっている(Perrault,
Contes, notes, p.334、『ペロー童話集』訳者解説)。
6
『ペロー童話集』、p.204
7 プロップの民話理論を受けて、パリ記号学派は妖精物語(conte merveilleux)の試練=試験(épreuve)を3種類に
わけている。「資格試験(épreuve qualifiante)」は能力の獲得(acquisition de la compétence)、「決定試験(épreuve décisif)」 は運用(performance)、「賞賛試験(épreuve glorifiante)」は再認(reconnaissance)にそれぞれ対応する。はじめの二 つは語用的(pragmatique)領域に、三番目の試験は認知的(cognitive)な領域に関わるとする(A.J.Greimas, J.Courtés,
Sémiotique : dictionnaire raisonné de la théorie du langage, Hachette Université, 1979, p.131)。シンデレラの靴履きテスト
は三番目の「賞賛試験(épreuve glorifiante)」に対応する。 8 『フランス民話集』新倉朗子編訳、岩波文庫、所収。 9 AT511 の一般的なバージョンでは三姉妹の真ん中の娘(二つ目)がいじめられるので姉妹はヒロインを含め三人 であり、密偵の場面は2回のみ繰り返される。「小さなアネット」では姉妹4人になるが、密偵の場面は3回繰り返 され、3という数字とヒロインが末娘という民話のルールが守られている。 10 ロバート・ダーントン「農民は民話を通して告げ口する」(『猫の大虐殺』岩波書店、所収)
11 『日本の昔話(1):こぶとり爺さん・かちかち山』岩波文庫、所収 12 水沢謙一『越後のシンデレラ』(池上嘉彦『ことばの詩学』所収、p.36) 13 バジーレ『ペンタメローネ:五日物語』大修館書店 14 アラン・ダンダス編『シンデレラ』紀伊国屋書店、所収 15 アイリアノス『ギリシア奇談集』岩波文庫 16 同上『フランス民話集』 17 S・トンプソン「末子の勝利」(『民間説話(上)』社会思想社、pp.188-194) 18
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19 『日本昔話事典』弘文社(「隣の爺譚」の項目pp.652-653、及び「致富譚」の項目 pp.582-583 参照) 20 同上、p.425 21 同上、p.713 22 同上、pp.66-67 23 同上、p.624 24 同上、p.653