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南部タイ3県の社会的背景と近年の政治事件の増加に関する考察

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(1)南 部 タイ3県 の社 会 的 背 景 と近 年 の. 政 治事件 の増加 に関す る考察. 秦. 1.は. 辰也. じめ に. 2006年9月19日 、 タ イ で は2001年 か ら強 力 な リー ダー シ ッ プ と 資 金 力 で 政 権 を担 っ セ. て い た タ ッ ク シ ン政 権 が 、 軍 部 に よ る ク ー デ ター に よ っ て 倒 さ れ た 。1932年 の プ ラ チ ャ ー テ ィポ ッ ク王(ラ. ーマ7世)時. 代 に 人 民 党 に よ る 立 憲 革 命 が 起 こ っ て 以 降 、11. コ. 回 目の 成 功 例 で あ る。 そ の 後 は 、 元 陸 軍 司 令 官 で 枢 密 院 議 員 の ス ラユ ッ ト暫 定 政 権 へ と移 り総 選 挙 が 実 施 さ れ たが 、 そ れ 以 降2年 間 で 親 タ ック シ ン派 の サ マ ック政 権 と ソ ムチ ャ ー イ政 権 、 さ ら に は反 タ ッ ク シ ン派 の ア ピ シ ッ ト政 権 へ と 目 ま ぐる し く政 局 が 動 いた 。 現 在 も、 両 派 の 間で 「民 主 化 」 を巡 って 激 しい 駆 け 引 きが 繰 り広 げ られ て い る。 一 方 、 こ う した近 年 の 混 乱 の 中で 、 南 部 タ イ3県 の 政 治 事 件 が 急 増 し深 刻 化 して い る。 南 部 タ イ3県 ワ ー トの3県. と は隣 国 マ レ ー シ ア と国 境 を接 す る パ タニ ー、 ヤ ラー 、 ナ ラ テ ィ. の こ と で 、 タ イ 全 体 の 人 口 約6,600万 人 の う ち 仏 教 徒 が 約92%、 ヨ. ラ ー ム を信 仰 す る ム ス リム が 約4%を. イス. る. 占 め る 中 、 この3県. に お い て は78.3%が. ス ンニ. 派 を主 とす る ム ス リムで あ る。 この 地 域 で は、 古 くは16世 紀 の アユ タヤ ー 王 朝 時 代 か ら、 イ ン ドや ヨ ー ロ ッパ 、 中国 、 日本 の 影 響 を受 け 、 交 易 の 中心 地 と して 他 民 族 が 混 在 し、 周 囲 の シ リ ワ ンサ ー と ク ラ ン タ ン王 朝 の 影 響 下 でパ タニ ー 王 朝 が 君 臨 して い た歴 史 が あ る 。 ま た、 そ の後 は イ ス ラー ム が 浸 透 して ス ル タ ン体 制 と一 体 化 した が 、 ら. 1786年 か らは チ ャ ッ ク リー(バ. ン コ ク)王 朝 に征 服 され 、 分 割 統 治 や 中央 集 権 体 制 ら. の 強 化 、 イ ギ リ ス との 英 領 マ ラ ヤ 国 境 の 条 約 締 結 な ど を経 て 衰 退 した 。 さ らに は 、 日本 軍 の進 駐 や 第二 次 世 界 大 戦 を経 て1957年 にマ レー シ アが 独 立 し、 ム ス リ ムの 分 離 独 立 運 動 が 活 発 化 した。 マ ラ ヤ共 産 党 な ど 、共 産 主 義 勢 力 の 侵 入 と並 ん で 複 雑 な 歴 史. [170]. (1).

(2) 的経 緯 を辿 っ て 今 日に至 っ て い る 。 プ ー ミポ ン現 国王(プ. ー マ9世)の. い うラ ッ ク タ イ(国 体)の. 下 に、タイでは 「 民 族 ・宗 教(仏 教)・ 国 王 」 と. 強 化 が 図 られ 、軍 事 ク ー デ タ ーが 成 功 す る 度 に新 憲 法 の 起. 草 や 改正 が重 ね られ て こ れ まで 国 家体 制 が 維 持 さ れ て きた。 だが 、政 局 が 混 乱 して い る こ こ数 年 間 の動 き も含 め て 、2004年 以 降 に急 増 した南 部 タ イ3県 の政 治 事 件 の要 因 は 複 雑 で あ り、 未 だ に平 和 的 解 決 の糸 口が 見 え な い で い る。 タ ック シ ン元 首 相 が 政 権 を担 当 して か ら約3年. 後 の2004年 か ら2009年6月 現 在 まで だ け で も、8,932件 の 爆 弾 テ ド. ロ や 襲 撃 、 放 火 、 誘 拐 殺 人 事 件 な どが 起 き、 こ の 間 の 死 者 の 数 は、3 ,532人 、 負 傷 者  . は5,892人 に も上 り、 そ の 深刻 さ を物 語 って い る。 さ ら に、 こ れ まで 少 数 派 の 仏 教 徒 と多 数 派 の ム ス リム が そ れ な りに 共存 して きた 地域 で あ っ たが 、近 年 の 分離 独 立 派 に よる 政 治事 件 の増 加 か ら、一 部 仏教 徒 住 民 が 他 県へ 移 住 して い る とい う報 告 もさ れ て ユ け. いるのである。 しか し、 こ う した 複 雑 か つ 残酷 な状 況 は 、 タイ 国 内 の 問題 と して の み捉 え られ る傾 向 が 強 い こ とか ら、 海 外 に は 正確 な情 報 が 充 分 に伝 え られ て い る とは い え な い。また 、 ロ. 既 存 研 究 は 少 数 で あ り、 実態 が把 握 しに くい の が 実情 とい え る。 そ こ で 、 本 論 で は これ まで の 歴 史的 経 緯 に 基 づ き、 まず は今 日の 南 部 タ イ3県 の 社 会 的 背 景 を明 らか に し、 そ の 上 で特 に タ ッ ク シ ン政 権(2001年1月. ∼2006年9月). 下 に あ った2004年 以 降 の 政 治 事 件 の急 増 に 焦 点 を あ て る こ とに した い 。 そ して 、 第一 に こ こ5年 ほ どの 間 に どの よ うな 事 件 が起 こ っ て きた の か を詳 らか に し、 第二 に政 治. 図 一1南. (2). 部 タ イ3県 の地 図. [169].

(3) 事 件 が 多 発 す る原 因が 何 で あ るの か に つ い て 検 証 す る こ と を主 目的 と した い 。 また 第 三 に は、 これ らの 政 治 事 件 に 対 して タ イ政 府 が どの よ うに 対 応 し、 平 和構 築 の た め の 解 決 を図 ろ う と して い るの か につ い て 、 主 に 既 存 の 研 究 論 文 と専 門 家 、 有 識 者 、 宗 教 関 係 者 な どへ の 聞 き取 り、 現 地 視 察 か ら精 査 す る こ と に した い 。. 2.南. 部 タイ3県 の 歴 史 と分 離独 立 へ の動 き. タ イ に は、 首 都 バ ン コ ク を含 め 全 国 に76都 県 が あ り、 地 理 的 に は 首 都 バ ン コ クを 中 心 に、 中 部 、 北 部 、 東 北 部 、 東 部 、 西部 、 南 部 の 六 地域 に 分 け られ て い る 。 南 部 に は 14県 が あ るが 、 現 在 の 行 政 区 分 に至 る に は1892年 に チ ュ ラ ロ ン コー ン王(ラ ー マ5世) ユ  . が 手 が け た チ ャ ッ ク リー 改 革 が あ り、 また 当 時 マ レー 半 島 の 中 南 部 を 支 配 して い た イ ギ リ ス との 外 交 取 引 が あ った 。 従 っ て 、 今 日の よ うな 県境 が 敷 か れ た の は 、1955年 に ユ ヨ. 県 行 政 組 織 法 が 施 行 され 、 広 域 自治体 と して の 県(チ. ャ ン ワ ッ ト)が 誕 生 して 以 降 で. あ り、 マ レー シア との 国 境 が確 立 され た の も、 マ レー シア が 独 立 した1957年 の こ とで あ る。 南 部 タ イ3県 の 歴 史 を遡 れ ば 、現 在 の タ イ とマ レー シ ア 国 境 周 辺 に は 、2世 紀 頃 か ら16世 紀 頃 に か け て ラ ン カス カ とい う ヒ ンズ ー 教 を中心 と した 王 国(そ の 間 、 上 座 部 仏 教 が 浸 透 し、 次 い で イス ラー ム が大 半 を 占 め る に 至 っ た)が 存 在 した と され 、1500 ロ る. 年 頃 には そ の 影 響 下 に あ った 貿 易港 の パ タニ ー に 王 国 が つ く られ た 。16世 紀 の 初 め と い えば マ レー 半 島 で は イ ン ド洋 と東 南 ア ジ ア を結 ぶ 交易 の拠 点 マ ラ ッカ が1511年 に ポ ル トガル 領 とな り、 パ タニ ー に も多 くの ポ ル トガ ル 商 人 が住 ん だ ほ か 、 中 国 人 や 日本 人 、 そ して オ ラ ン ダ人 な ど も住 み 着 い た 。イス ラ ー ム は 当 時 の 国 王 に よっ て保 護 され 、 パ タニ ー を中 心 に サ ウ ジ ア ラ ビア か ら来 た イ マ ー ム(コ. ミュ ニ テ ィ レベ ル の 宗教 主 導.   ら. 者)た. ちが 活 発 に 布 教 した 。. だ が 、 そ の 頃 か らア ユ タヤ ー 王朝 に 度 々 攻 め 入 られ 、 戦 い の 歴 史 を繰 り返 す こ とに な り、1786年 に は バ ン コ ク王 朝 に征 服 され て 衰 退 を 余儀iなく され た 。 日本 との 関 係 で い えば 、 パ タニ ー 王 国 の 最 盛 期 で あ っ た ラ ジ ャ ・ウ ン グ女 王 時 代 に アユ タヤ ー 王朝 の ソ ン タム 王 の 信 任 を得 て い た 山 田 長 政(オ ー クヤ ・セ ー ナ ー ピム ッ ク)が 、 ナ コー ン シー タマ ラー トに お い て1630年 頃 に パ タニ ー 軍 と戦 い 、負 傷 した足 に毒 を 塗 られ て 死 ユ  . 亡 した と され て い る。 アユ タヤ ー 王 朝 期 に お け る 朝 貢 関 係 の 継 続 下 に お い て も、 パ タニ ー王 国 は ス ル タ ン体 制 下 に あ っ た 。 しか し、 バ ン コ ク王 朝 の プ ー マ1世 に よ るパ タニ ー の 分 割 統 治 が 行 わ れ た 後 、 ク ラ ン タ ン王 朝 の 力 を借 りる な ど して 度 々戦 い を 挑 ん だ も のの 及 ばず 、 徐 々 に勢 力 が 衰 退 して い っ た。 そ して 、1902年 に は ラー マ5世 時 代 の 行 政 改 革 が さ ら に 進 み 、 マ レー 系 ム ス リム が 多 い 旧 パ タニ ー 王 国 に も仏 教 徒 の タイ 人知 事 や官 僚 た ち. [168]. (3).

(4) が 派遣 され る よ う に な り、 税 の 徴 収 が 始 ま るな ど して 中 央 集 権体 制 が 進 ん で い っ た の エア. で あ る。 他 方 、 イ ギ リス との 間 で は1909年 に ア ン グ ロ ・シ ャム 条約 が結 ば れ て 領 土 が 確 定 し、 旧 王 国 の 北 半 分 の み が タ イ領 内 に 残 り、 南 側 の ク ダー 、 トレ ンガ ヌ 、 クラ ン タ ン は英 領 マ ラヤ(現 マ レー シア)と な っ た 。 こ う した 中 で1916年 に は ス ル タ ン制 度 も廃 止 され 、 旧 パ タニ ー 王 国 の 主 要 リー ダー の 一 部 は 英 領 マ ラ ヤ へ と逃 れ て 抵抗 運動 ユ お. を組 織 した り、 バ ン コ クへ の 移 住 を余 儀 な く され て い っ た の で あ る 。 しか し、 これ らの 歴 史 を さ ら に複 雑 化 させ 、 南 部 タ イ3県 の 分 離独 立 運 動 へ の 動 き を加 速 させ た の は 、 第 二 次 世 界 大 戦 を挟 ん だ タ イに お け るナ シ ョナ リズ ム の 強 化 で あ り、 軍 事 政 権 下 で の 民 族 主 義 に基 づ く国 民 の 醸 成 と国 家 体 制 の確 立 で あ っ た 。1932年 の 立 憲 革 命 後 に 実 権 を掌 握 し、1938年 か ら首 相 を務 め た ピブ ー ン元 帥 は 、 翌39年 か ら 「ラ ッ タニ ヨ ム(愛 国 勅 令)」 とい う12項 目の 勅 令 を下 し、 体 制 強 化 を図 った 。 この 勅 令 の 第3項 で は 、 華 僑 や ム ス リム に対 す る タ イ名 へ の 変 更 と タ イ人 へ の 同 化 、 第9項 で  . は タ イ語 の 普 及 と強 要 、 第10項 で は 洋 服 の 着 用 な どが 義 務 付 け られ た 。つ ま りそ れ は 、 の. マ レー 系 住 民 の 言 語 で あ るマ ラユ ー 語 の 公 用 語 と して の 使 用 を禁 止 し、 教 育 言 語 が タ イ語 に統 一 され る こ と を意 味 したほ か 、 ム ス リム の 服 装 を禁 止 し、 尚 且 つ イス ラー ム 法 の 使 用 を禁 止 す る こ と も意 味 した 。 よ って 、 と りわけ 南 部3県. を含 む 周 辺 地 域 で は  エ. 放 火 事 件 や 仏 教 徒 の 村 長 が 殺 害 され る な ど、 大 き な反 発 を招 くに至 った 。 こ れ らの 抵 抗 運 動 下 で1945年 に パ タ ニ ー 県 で は イス ラ ー ム 評 議 会 が 設 置 さ れ 、 マ レ ー系 住 民 か ら絶 大 な信 頼 を得 てい たハ ジ ・ス ロ ンが 議 長 に選 出 され た 。 そ して 、 ハ ジ ・ス ロ ン議 長 らは 当時 の タム ロ ン政 権 に対 して 、① サ トゥ ン県 を含 む南 部4県 を同 一 の 行 政 区 と し、 ム ス リ ム を 中心 と した 官 僚 体 制 に変 更 して 、 人 事 権 を移 譲 す る こ と 、② 初 等 教 育7年 生 まで の カ リ キ ュ ラ ム にマ ラユ ー 語 を含 め る こ と、 ③ 南 部4県 の 納 税 額 につ い て は 、南 部4県 に のみ 充 て る こ と、 ④ 南 部4県 の 公 務 員 の85%を. ム ス リム に. す る こ と、 ⑤ 公 用 語 と して タ イ語 とマ ラユ ー語 を併 用 す る こ と、 ⑥ 県 の イス ラー ム 評 議 会 に南 部4県 の 行 政 に 関す る 立 法 権 を与 え る こ と、⑦ マ レー 系 ム ス リ ム住 民 の 司 法 制 度 に つ い て は、 イ ス ラ ー ム 法 の 適 用 に変 更 す る こ と、 の7項 目の 承 認 を 訴 え た 。 し か し、 この 要 求 は 聞 き入 れ ら れず 、 そ の 後 の ピ ブー ン政 権 に よ って 彼 は 逮 捕 され 、 最 高 裁 で も有 罪 判 決 と な っ た 。 そ し て4年8ヶ 月後 に 刑 を終 え て1950年 に 釈 放 さ れ た も の の 、直 後 に誘 拐 さ れ 、殺 害 され たの であ る。 パ タニ ー王 国最 後 の ス ル タ ンで あ るパ ヤ ・ウ ィチ ッ ト ・パ クデ ィの 長 男 で 、 ハ ジ ・ ス ロ ン らが 支 持 して い た テ ンク ・ムハ マ ド ・マ ハ イ デ ィ ン は 当時 マ レー シア の ク ラ ン タ ンに 逃 れ て い た が 、1945年 にKUMPRA(そ. の 後BNPPに. 改 名)を 組 織 して 活 動 を. 始 め た。 また 、1957年 に は英 領 マ ラ ヤが 正 式 にマ レー シ ア と して独 立 を果 た した こ と で 、分 離 独 立 運 動 へ の動 きは よ り一 層 活 発 化 した。 タ イ政 府 はマ ラ ヤ共 産 党 と分 離 独 立 運 動 の 連 携 を危 惧 して い た が 、 他 に もBRNやPULO、GMP、BERSATUな. (4). [167]. どの 分.

(5)  . 離 独 立 運 動 組 織 や 過 激 派 グ ル ー プが1990年 代 にか けて 結 成 され 、 再 編 を繰 り返 して い る。 専 門家 に よ れ ば、 近 年 頻 発 して い る一 連 の 政 治 事 件 の 中 で は 、 特 に活 動 歴 が 長 い BNPP(BIPPと. も呼 ば れ る)とPULOの. 他 に 、新 しい流 れ を くむBRN-Coordinateの. 活 動 が 活 発 だ と され てお り、 タ イの 治 安 当 局 か ら青 年 組 織 の 動 きが 注 視 され て い る。. 3.南. 部 タ イ3県 の 経 済 、 教 育 状 況. こ こ でパ タ ニ ー、 ヤ ラ ー 、 ナ ラ テ ィ ワー ト各 県 の 概 要 と経 済 、 教 育 状 況 に 触 れ て お き た い 。2005年 の タ イ国 家 統 計 局 の デ ー タに よれ ば 、 パ タニ ー 県 の 人 口 は635,730人 、 ヤ ラ ー 県 は468,525人 、 ナ ラ テ ィワ ー ト県 は707,171人 とな っ て い る。 ま た 、2000年 に 行 わ れ た 国 民 調 査 デ ー タ に よ る と、 パ タ ニ ー の ム ス リム は80.7%、 ヤ ラ ー は689%、 ナ ラ テ ィワ ー トが82%と. な っ て い る。 地 元 の 有 識 者 や 専 門 家 に よれ ば、 ムス リ ムの9. 割 以 上 が ス ンニ派 に属 して い る。 タ イ国 家 経 済 社 会 開 発 庁(NESDB)が2008年. に 発 表 した 国 民 総 生 産(GDP)の. 資. 料 で は 、 南 部3県 の 経 済 状 況 は、 農 業 や 漁 業 な どの 第 一 次 産 業 が38.9%で あ り、 そ れ 以外 の 部 門 が61。1%を 占 め て い る が 、表 一1が 示 す よ うに 、 一 人 あ た りのGDPを. 全国. レベ ル で比 較 した場 合 、 南 部 地 域 は タ イで 最 も貧 しい と いわ れ る東 北 部 や 北 部 地 域 よ り も高 い 数 字 が 示 され て い る。 ま た 、 そ れ ぞ れ の 県 の2007年 の 一 人 当 た りの 県 民 所 得 は 、 パ タ ニ ー が56,927バ ー ッで76都 県 中48位 、 ヤ ラ ーが82,745バ ー ツ で31位 、 ナ ラ テ ィ ワー トが61,487バ ー ツ で44位 と決 して 低 い 方 で は な い。 因 み に 最 も高 い の は工 場 が多 い 東 部 ラ ヨー ン県 の1,035,536バ ー ツ で 、最 も低 か っ た の が 東 北 部 シ ーサ ケ ー ト県 の29,174バ ー ツで 、 バ ン コ クは6位 の324,039バ ー ツで あ った 。 も と も と年 間 降 雨 量 が 全 国 平 均 の1500∼1600㎜ 表 一1タ. に 対 して1200㎜ 前 後 と少 な く、 灌. イ の年 間 一人 当 りのGDP,GRP,GPPの. 地 域 ・県/年. 推 移(バ. 2004. 2005. バ ンコク首都圏 東北地域 北部地域 東部地域 西部地域 中部地域 南部地域. 262,438. 279,804. 30,897 47,742. 32,162. タ イ全 体. 100,564108,956119,579128,606. パ タニ ー. ー ツ). 2006 296,676. 314,387. 2007. 36,062 57,914. 40,144 63,088. 223,510. 51,745 257,614. 293,808. 324,609. 76,287. 82,601. 91,003. 96,714. 157,619. 168,517. 186,780. 203,245. 74,889. 80,445. 90,724. 93,812. ヤ ラー. 49,46350,77555,45256,927 59,31467,62677,73082,745. ナ ラテ ィ ワー ト. 44,14449.04657,92361,487 出所NESDB(2008). [166]. (5).

(6) 概 用 水 も整 って い ない 東 北 地 方 と比 較 して 、南 部 は2000mm前 後 と雨量 が豊 富 で稲 作 や 果 物 、 ゴム や パ ー ム 椰 子 な ど換 金 作 物 の 栽培 に も適 して い る 地域 で あ る。 ま た 、 パ タ ニ ー とナ ラテ ィ ワー ト県 は 海 に も面 して お り漁業 が可 能 な ほ か 、 マ レー シ ア との 国境 で あ る こ とか ら商 業 も活 発 で あ る 。 こ う した 地理 的環 境 か らい え る こ とは 、 分離 独 立 運 動 へ の 動 き と政 治 事 件 の 多 発 が ム ス リム 住 民 の 貧 困 問 題 に あ る の で は な い か とい う 一 般 的 な懸 念 もあ る もの の 、 相 対 的 に は 貧 困 の 度 合 い と して は深 刻 で あ る とは い い難 コご う. く、 あ くまで も政 治 的 要 素 が 強 い 点 が 窺 え る の で あ る 。 次 に、 教 育 状 況 につ い て で あ る が 、南 部3県 に お け る教 育 制 度 は 、 初等 教 育 か ら高 等 教 育 まで の タ イの6-3-3-4制. に 準 じて い る もの の 、 ム ス リム が大 半 を 占 め て い る. こ とか ら他 の 地 域 と比 較 して そ の 違 い を読 み 取 る こ とが で きる 。2000年 に 行 わ れ た タ イ世 論 調 査 に よれ ば 、 パ タニ ー で は 県 民15歳 以 上 の平 均 就学 年 数 が6年 で 未 就学 者 が 人 口 の39.4%、 ヤ ラ ー で は6.6年 で34.9%の 未 就 学 者 、 ナ ラ テ ィ ワー トが5.9年 で38.2% の 未 就 学 者 と な って い る。 また 、 世 論 調 査 の 結 果 か ら算 出 した南 部3県 の 初 等教 育 か ら大 学 院 まで の 就 学 者 数 を分 析 す る と、 仏 教 徒 とム ス リム の 正規 教 育 制 度へ の ア クセ ス度 の 違 い が 顕 著 で あ る(図 一2参 照)。 例 えば 、 初等 教 育 しか 受 け て い な い 人 の 比 率 が 、 仏 教 徒 が49.6%で あ る の に対 し、 ム ス リム は698%に. も上 る 結 果 とな っ て い る 。. 南 部 タ イ3県 の ムス リム の 人 々の 教 育 状 況 は 、 全 国 で も東 北 部 や 北 部 と並 ん で低 い 状 況 にあ るが 、 この 数 字 の 背 後 には 、 特 に1960年 代 以 降 に 執 られ た タ イ政 府 に よる教 育 を通 した 「同 化 政 策 」 の 影 響 が あ る。 タ イ政府 は 、 南 部 タ イの イス ラー ム コ ミュ ニ テ ィ にお い て トック ・グ ルー(宗 教 指導 者)に. よ って 伝 統 的 に 行 わ れ て きたポ ー ノ(マ. レ ー語 で は ポ ン ドッ ク)と 呼 ば れ る 宗 教 学 校 で の 無 償 の 生 涯 教 育 を問 題 視 し、 制 度 化 を図 る ため に資 金 や タ イ 人教 員 を導 入 して タ イ語 カ リキ ュ ラム の 教 育 を強 要 した 。 も と も と ポー ノ に は成 績 評 価 も卒 業 証 書 も なか っ た こ とか ら、 そ れ を タ イの 公 教 育 制 度 ユア. に組 み 込 み 、 雇 用 を促 進 させ 、 タ イへ の 愛 国 心 を育 て る の が 目的 だ った の で あ る 。 タ イ政 府 は 、1971年 まで にポ ー ノの 登 録 を促 進 させ 、 新 しい ポ ー ノが 設 立 され る こ. 図一2南. 部3県 の正規教育制度への就学者数比率 ■初 等教 育 中学 教育 曜高校 教育. 仏教徒. 劇職訓 学校 日高専 学校 ム ス リム. 大学 『大学 院 0%. (6). 20%. 40%. 60%. [165]. 80%. 100%. その 他.

(7) と を規 制 した 。 しか し、 マ レー系 ム ス リム住 民 た ち に 別 の 民族 の言 語 を使 っ て 非 ム ス リム の 教 師 が 実 施 す る この"教 育"は 受 け 入 れ られ る もの で は な く、登 録 作 業 は思 っ た ほ ど進 まな か っ た 。 そ して 住民 た ちは 、 そ の 後 多 くの子 ど もた ち を 中 東 の イ ス ラ ー ム 校 へ 送 る よ うに な っ た の で あ る 。 しか し、1982年 に 私 立校 の 教 育 制 度 が 見 直 され 、 ポ ー ノに よる イ ス ラ ー ム教 育 が 大 きな 変 化 を遂 げ て い く こ と とな っ た 。特 に 中等 教 育 に お い て 、 イ ス ラ ー ム の教 育 とセ キ ュ ラー な カ リキ ュ ラム が 二 言語 に よっ て 行 わ れ る形 とな り、 国が 補 助 金 を 出 す こ と で 私 立 の イ ス ラー ム 学 校 が 拡 大 した 。2007年 現 在 にお い て 、南 部3県 で136の 私 立 の イス ラ ー ム校 とポ ー ノ が 登 録 され 、91,981人 の 生 徒 が 通 っ て い る ほ か 、15,071人 の 生 徒 が そ の 他 の249の ポ ー ノに 通 って い る。 ま た 、小 学 校 にお け る教 育 で は イス ラ ー ム の 教 育 が 不 足 して い る との 認 識 か ら、 タデ ィカ と呼 ば れ る モ ス ク に併 設 した コ ミュ ニ テ ィ レベ ル の 幼 児 ・初 等 レベ ル か らの イ ス ラ ー ム を 中心 と した(学 校 外)教. 育施 設 も. 拡 大 し、2007年 現 在 で1,343施 設 が 登 録 され 、3,924人 の教 師 に よ っ て136,768人 の 子 ど ヨむ. もた ちが 毎 週 土 日 を利 用 して 学 ん で い る 。 しか し、 タ イ 政 府 が 掲 げ る 「民 族 ・宗 教(仏. 教)・ 国 王 」 と い う国 体 を中 心 に据 え. た 教 育 制 度 と、 南 部 の マ レー 系 ム ス リム住 民 が伝 統 的 に培 っ て きた教 育制 度 との二 重 構 造 は、 今 日に お い て も融 合 で きず に様 々 な 摩 擦 が 生 じて い る現 状 が あ る。 そ れ は 、 2004年 か ら2009年 に か け て 、 特 に ム ス リム が運 営 す る290校 に も及 ぶ学 校 が放 火 され 、 ヨエ. 少 な く と も111人 の 教 師 や 教 育 関 係 者 が 殺 害 され て い る こ と か ら推 察 さ れ る 。 ま た 、 タ イ治 安 当 局 は 、 イス ラ ー ム 校 に パ キ ス タ ンや 中 東 、 ス ー ダ ンな どか ら帰 国 した 多 く の 若 手 教 師(ウ ス タズ)が 宗 教教 師 と して採 用 され て い る とい う現 状 か ら、分 離 独 立 ヨ . 派 の 草 刈 り場 に な っ て い る 可 能性 が あ る 点 を 強 く懸念 して い る 。 こ れ まで マ レー系 ム ス リ ム の 子 ど も た ち に対 す る 高 等 教 育 へ の ア ク セ ス不 足 を補 う必 要 が 指摘 さ れ、 初 等 ・中 等 教 育 施 設 の 充 実 が 図 られ て きた 一 方 で 、学 校 教 育 制度 とそ の 成 り立 ち が 、宗 教 と民 族 の 根 本 的 な 違 い と、 長 年 に亘 る歴 史 的 な背 景 の 中 で重 ね られ て きた タイ 国 家 に対 す る 抵 抗 を促 進 させ る の で は な い か とい う障壁 とジ レ ンマ が 、 こ こ に大 き く関係 して い る とい え る の で あ る 。. 4.南. 部 タイ で 急 増 す る政 治事 件 の 内容 とそ の原 因. 2006年 か ら専 門 家 とジ ャー ナ リス トな どが 集 まっ て結 成 され 、 ソ ンク ラ ー大 学 パ タ ニ ー 校 に 拠 点 を 置 くNGOシ. ン ク タ ン クDeepSouthWatch(DSW)の. 調 査 と、2005年. に タ ッ クシ ン政権 下 で ア ナ ン元 首 相 を委 員 長 に48人 の 委 員 で構 成 され た 国 家和 解 委 員 会(NRC)が. 発 表 し た報 告 書 の 統 計 を 統 合 す る と、 南 部3県. 政 治 事 件 の 数 が 急 増 した こ とが 明 確 に示 さ れ て い る(図. [164]. に お け る2004年 以 降 の. 一3参 照)。 特 に 、2004年1月. (7).

(8) 図 一31993-2009年6月. ま で の政 治事 件 の発 生 件 数. (NRCとDSWの. 統計資料 をも とに筆者作成). か ら2009年6月 まで の 発 生 件 数 は8,932件 に も上 り、 そ の残 虐 性 が 窺 え る。DSWの. シー. ソ ム ポ ップ 所 長 に よ れ ば 、 この 間 に死 亡 した 人 は3,532人 、 負 傷 者 が5,892人 で 、直 接 事 件 の 影 響 を受 け た 人 々は 少 な くと も6万 人 近 くで あ ろ う と推 定 され て い る 。 ま た 、表 一2が示 す 通 り、 特 筆 す べ き点 は そ の 多 発 性 に あ る の と同 時 に、 軍 や警 察 な どの 施 設 や 隊 員 へ の 攻 撃 が 頻 繁 に行 わ れ 、 尚 且 つ 無 差 別 な テ ロ行 為 に 加 え て 仏教 僧 や タ イ 人教 員 、 公 務 員 な ど も標 的 にな って い る点 で あ る 。 タ イの 英 字 紙 は 、 南 部 タ イ の警 察 の発 表 と して 、 過 去5年7ヶ 月 間 で94人 の 教 員 と7人 の 仏 教 僧 が 殺 害 され た と報 お. じた。 そ れ に加 えて 、マ レー 系 ム ス リム 住 民 の 過 激 派 グル ー プが タ イの 治 安 当 局 や 軍 部 か ら取 り締 ま りや 攻 撃 を受 け る際 、 多 数 の 一 般 住 民 が 巻 き添 え にな り、 被 害 を受 け てい る可 能 性 も高 く、問 題 を さ ら に複 雑 に して い る。 シー ソム ポ ッ プ所 長 は 、2009年 1月 に ハ ジ ャ イで 開 か れ た セ ミナ ー で 、2004年 か ら2008年 の5年 間 で1,090億 バ ー ツ(1 バ ー ツ 二約2.8円)の. 治 安 維 持 費 と6万 人 以 上 の 治 安 維 持 部 隊 が 投 入 され て きた が 、 今. 後 も同 様 の 政 策 が 継 続 さ れ れ ば 、 追 加 予 算 と して さ らに 約2,360億 バ ー ツが 必 要 に な ヨほ. る と懸 念 を 訴 え て い る 。 そ れ で は 何 故2004年. 以 降 に急 激 に政 治 事 件 が 多 発 す る よ う に な った の か 、 こ こか ら. は そ の 原 因 につ い て の諸 説 を検 討 した い。 こ こで 特 に検 討 す べ き点 は、 事 件 が 急 増 し 始 め た 当 初 の タ ッ ク シ ン 政 権 と の 関 係 で あ り、 そ の 後2006年. に 起 こ っ た 軍 事 クー デ. タ ー と そ れ 以 降 の 政 権 と政 治 事 件 の 関 連 性 に つ い て で あ る 。 南 部 タ イ3県. に 関 す る 近 年 の 既 存 研 究 で ま ず 指 摘 さ れ て い る の は 、2001年. ク シ ン 政 権 が 発 足 し た 翌 年 の5月. に 、1980年. に タッ. の プ レー ム 政権 時 代 か ら そ れ まで 機 能 さ. せ て き たSouthernBorderProvinceAdministrativeCenter(SBPAC)とCivil-PoliceMilitaryJointCommand(CPM43)を 1981年1月. (8). 解 体 した 問題 で あ る。 こ れ らの ユ ニ ッ トは、. に 設 置 され 、 共 産 党 と分 離 独 立 運 動 の抑 え 込 み を 目的 に 、サ トゥ ン県 と プ. [163].

(9) レ ー ム の 出 身 地 で あ る ソ ン ク ラ ー 県 を 含 む南 部 タ イ5県 にお い て 、 前 者 は 開 発 事 業 と広 報 活 動 を主 に 行 政 業 務 を 司 り、 後 者 は 治 安 維 持 を 目的 に、 南 部 担 当 の 陸 軍 第4 ヨ  . 管 区 を 中心 に 設 計 さ れ た特 別 な 機 構 で あ っ た 。 マ ッ ク カ ー ゴの 論 文 で は 、SBPACと CPM43が20年. 以 上 の 間 に 南 部 の 政 治 問 題 に強 い 関 心 を寄 せ て い る王 室 と枢 密 院 を 中. 心 とす るネ ッ トワー ク、 さ らに は南 部 に 強 い 政治 基 盤 を 置 く民 主 党 との 関係 や 、宗 教 指 導 者 、 地 元 の マ レー 系 ム ス リム住 民 との 人脈 な どを 通 して微 妙 なバ ラ ンス の上 に成 立 して 治 安維 持 と開 発 を 図 っ て きた南 部 に お い て 、2001年 に政 権 の座 につ き、 強引 と もい え る 人事 権 の 行使 や 軍 か ら警 察 機 構 へ の権 限移 譲 な どを通 じて南 部 の 政治 基 盤 の ヨア. 切 り崩 し を図 っ た タ ック シ ン政権 へ の激 しい 反動 が 述 べ られ て い る。 ま た 、 タ ック シ ン首 相 の 顧 問 を務 め た ケ オ デ ー ン は、 「こ れ らの ユ ニ ッ トが 解 体 され た 目的 は 、 テ ロ リス ト対 策 と共 に何 人 か の 政 治家 の狙 い に徹 した もの で あ る。 一 部 の警 察 や政 治 家 た ち か ら これ らのユ ニ ッ トの解 体 を求 め られ た タ ック シ ン首 相 は 、 こ れ らの計 画 を よ く 承 知 して い な か っ た 。 彼 は 側 近 を送 っ て調 査 させ た が 、側 近が 情 報 を充 分 収 集 で きな か っ た か も し くは 誤 っ た 情報 を収 集 した こ と で 、 タ ック シ ン首 相 は こ れ らのユ ニ ッ ト を解 体 し、権 限 を警 察 へ と移 譲 した 。 軍部 は移 動 させ られ 、警 察 か ら要 求 さ れ た時 の み 出 動 す る体 制 に な っ た 。 これ は政 権 と して の 深 刻 な誤 りで あ っ た 」 と記 して い る。 事 実 タ ッ ク シ ン首 相 は 、 当 時 ジ ョ ・ア イ ロ ン 軍事 施 設 で の事 件 が 起 こ っ た 際 、南 部 タ イで 起 こっ て い る 問題 に つ い て 、 「 大 した 問題 で は な い」(ジ ョー ンク ラ チ ョー ク)と ヨ . 公 言 しメ デ ィア か らの批 判 を 一斉 に浴 び た こ とか ら も、如 何 に一 連 の 問題 を軽 視 して い た か(あ る い は 認識 不 足 で あ っ た か)が 窺 え る。. 表 一2南 2002年 5月1日. 部3県 における近年 の主 な政治事件 と政権の動 き. ・タ ッ ク シ ン政 権 は 、SBPACとCPM43を. 解 体 し、 治 安維 持 に 関 す る 権 限 を軍. 部から警察に移譲 2003年 4月26日 7月3日 2004年 1月4日. ・ナ ラ テ ィワ ー ト県 ラ ンゲ ー 郡 で 、 国境 警 備 隊 の 警 官2人 が 暴 行 を受 け殺 害 ・パ タ ニ ー の検 問3ケ 所 で 警 察 と武 装 グル ー プ が 衝 突 し、 警 官5人 と市 民1人 が 死亡 ・ナ ラ テ ィワ ー ト県 の ジ ョ・ア イmン 軍 事 基 地 が 襲 撃 され 、4人 の 兵 士 が 死 亡 。 403丁 の 武 器 が略 奪 。 同時 に 、学 校 や 検 問 所 な ど22ヶ 所 で 放 火 事 件 が 発 生. 1月24日. ・ヤ ラ ー 県 のバ ジ ョー 郡 で少 年僧 を含 む仏 教 僧3人 が 襲 撃 され 、2人 が 死 亡. 3月12日. ・ム ス リ ムの 弁 護士 の ソ ムチ ャ イ ・ニ ラ パ イチ ッ ト氏 が バ ン コ ク で 行 方 不 明 に 。警 察 関係 者 が誘 拐 し、 殺 害 した との 見 方が 有 力 ・パ タ ニ ー 県 の ク ル セ ・モ ス クで 軍 部 が 武 装 した ム ス リム に 対 して 銃 撃 を行 っ た ほ か 、12ヶ 所 で 同 時 に 襲 撃 事 件 が 発 生 し、105人 の ム ス リ ム と5人 の 治 安 部 隊 、1人 の市 民 が 死 亡 ・ナ ラ テ ィワ ー ト県 の タ クバ イ郡 警 察 署 付 近 で 大 規模 デ モ が 行 わ れ. 、7人 の デ モ 隊 が 撃 た れ て死 亡 。 また 、 逮 捕 さ れ た デ モ 隊1.300人 を トラ ッ ク で 輸 送 中 に78人 が 圧死 ま た は 窒 息死. 2005年 2月17日. [162]. (9).

(10) 弓 ・噛、. 3月1日. ・タ ッ クシ ン首 相 が 、 ア ナ ン元 首 相 を委 員 長 に国 家 和 解 委 員 会(NRC)を. 7月14日. ・ヤ ラー 市 内 の ホ テ ル 、 レス トラ ン 、 コ ン ビニ な ど で爆 発 事 件 が 発 生 し、 警. 7月16日. 官2人 が死 亡 、7人 が 負 傷 ・タ ック シ ン政 権 が 南 部 タ イ に対 して 、 非 常 事 態 を発 令 ・ナ ラ テ ィ ワー ト県 ス ンガ イパ デ ィ 郡 で 宗 教 指 導 者 の イマ ー ム ・ナ トパ ・ユ. 8月30日. 設置. ソが 殺 害 。 その 後 、 村 人 な ど関 係 者131人 が マ レー シ ア側 に出 国 ・ナ ラ テ ィワ ー ト県 ラ ンゲ ー 郡 で2人 の ム ス リム が 殺 害 。 その 後 、住 民 が 海 兵 隊2名 を殺 害 ・パ タ ニ ー 県 パ ナ レ 郡 の ブ ロ ン ブ ラ シ ッ ト寺 院 で 、1人 の 僧 侶 と2人 の 青年 僧 が殺害 ・約60人 の ム ス リ ム が ヤ ラ ー 県 バ ンナ ン グ ス タ郡 の 警 察 署 と 郡 長 の 家 を 襲 撃 。 ま た 町役 場 が 放 火 さ れ 、保 健 所 も襲 撃 を受 け る な ど して4人 が 死 亡 ・ナ ラテ ィワ ー ト県 ラ ンゲ ー郡 で 子 ど もを含 む9人 の ム ス リム住 民 が 殺 害 され る 2006年 1月18日 2月2日. の26ヶ 所 で 放 火 事 件 が 発 生 し、 警 官1人 が 死 亡 し、 軍 人 らが 負傷 ・ナ ラ テ ィ ワ ー ト県 の3ヶ 所 で 爆 弾 事 件 が 発 生 し、 警 官 ら3人 が 死 亡 。 同 日、. 6月5日. 他 で も警 官 ら3人 が 死亡 ・パ タニ ー 布 内 で オ ー トバ イ が爆 発 し、 妊 婦 を 含 む2人 の 教 師 と兵 士1人 が 死 亡 、16人 が 重 軽 傷 ・ア ナ ンNRC委 員長 が 、和 解 計 画 案 を 発表. 6月15日. ・南 部3県. 8月6日. ・南 部3県. の 公舎 な ど50ヶ 所 で 爆 弾 が 爆 発 し、3人 が 死 亡. ・ナ ラ テ ィ ワ ー ト県選 出 の フ ァ ル デ ィン ・ボ トー上 院 議 員 が. 9月19日. 、 銃 撃 され る ・ヤ ラ ー 県 内22ヶ 所 の 銀 行 で 、 爆 弾 が 爆 発 し、1人 が 死 亡 、24人 が 負 傷 ・国 家民 主 改 革 委 員 会(CDR)に よ る 軍 事 ク ー デ ター が 成 功 し、 タ ッ ク シ ン. 10月1日. 首相 が 失脚 ・元 陸 軍 司 令官 の ス ラユ ッ ト ・チ ュ ラ ノ ン枢 密 院議 員が 首 相 に就 任. 10月16日. ・軍 部(CNS)と. 2007年 2月18日. ・中 国 正 月 を挟 ん で 南 部3県. 8月31日. 内 務 省 が 、 タ ッ ク シ ン政 権 時 に 解 体 され たSPBACの 再 生に合意 ・タ ッ ク シ ン政 権 時 、 ム ス リ ム初 の 内 相 を務 め た ヤ ラ ー 出 身 の ワ ン ・ノ ー 氏 が 、 政 治 活動 停 止 を 発 表 ・ス ラ ユ ッ ト暫定 首 相 が 、2004年10月 に 起 こ っ た タ ク バ イ事 件 に 関 して 謝罪. 3月2日. で71件 の 事 件 が 発 生 し、 少 な くと も3人 が 死 亡 、 49人 が 重 軽傷 ・ナ ラ テ ィ ワ ー ト県 ラ ン ゲ ー 郡 で 軍 部 が過 激 派 と み ら れ る ム ス リム8人 を 殺 害. 3月14日. ・ヤ ラ ー 県 で トラ ック バ ス に乗 車 して い た8人 の 仏教 徒 が銃 殺 さ れ る. 4月21日. ・ヤ ラ ン郡 で 軍 の 装 甲 車 両 が攻 撃 さ れ 、3人 の 兵 士が 死 亡 ・ヤ ラ ー 県 内 で女 性 や 子 ど も を含 む ム ス リ ム住 民 が 、 夜 間 外 出 禁 止 令 へ の 抗 議デモ ・パ タニ ー の モ ス クで 治 安 部 隊 の 職 権 乱 用 に 対 す る 大 規模 デ モ. 4月26日 5月31日 8月19日 12月23日 2008年 1月29日 3月15日 6月21日 9月9日. ・一 部 戒 厳 令 下 の 国 民投 票 で. 、新憲法が承認 ・総 選 挙 で 、 タ ッ クシ ン 支 持 派 政 党 が 勝 利 ・タ ッ ク シ ン支 持 派 の サ マ ッ ク ・ス ン トラ ウ ェ ー ト元 バ ン コ ク 都 知 事 が 首 相 に 就 任 。6党 連 立 政 権 が 誕 生 ・CSパ タ ニ ー一ホ テ ル で 車 に 仕掛 け られ た爆 弾 が爆 発 し、2人 が 死 亡 ・ス ンガ イ コロ ッ クー ヤ ラ ー 間 の 列 車 で 、 警 官 を 含 む4人 の 乗 客 が 殺 害 され る ・憲 法 裁 が 料 理 番 組 に 出 演 した サ マ ッ ク首 相 に 有 罪 判 決 を下 し、 サ マ ッ ク首 相が辞任 ・タ ッ ク シ ン 元 首 相 の 義 弟 で ソ ム チ ャ ー イ ・ウ ォ ンサ ワ ッ ト元 法 務 省 政 務 官. 12月2日 12月15日. が首相に就任 ・憲 法 裁 が 選 挙 違 反 で 与 党 三 党 に 解 党 命 令 を 下 し. 、 ソム チ ャー イ政 権 が 崩壊 ソムチャーイ ・ウォンサワット ・野 党 民 主 党 が 連 立 政 権 に 返 り咲 き、 ア ピ シ ッ ト ・ヴ ェチ ャ チ ワ氏 が 首 相 に ア ピシ ッ ト ・ヴェチ ャチ ワ 就任. 2009年 5月29日 6月8日. (10). ・ソ ン クラ ー 地 方 裁 が 、 タ クバ イ事 件 の 裁 判 で 治 安 当 局 に 無 罪 判 決 ・ナ ラテ ィ ワー ト県 で モ ス クが 襲 撃 され 、10人 が 死 亡. [161]. ア ピシ ッ ト ・ヴェチ ャチ ワ.

(11) こ の他 に も、警 察 出身 の タ ッ ク シ ン首 相 が 警 察 権 力 を行 使 して 全 国 規 模 で 麻 薬 取 り る む. 締 ま り強 化 を 図 る 中で 、 多 数 の法 廷 外 で の 殺 人 事 件 が 起 こ り、 南 部 タ イ3県 もそ の 例 外 で は な か った こ と や 、2002年5月 に は ム ス リム と して初 め て 強 力 な政 治 ポ ス トで あ る 内務 大 臣 に ヤ ラ ー県 出 身の ワ ン ・モ ハ メ ッ ド ・ノー ・マ ター 元 国 会 議 長 を起 用 した も の の、 治 安 の安 定 化 が う ま く図 れ ず 、 逆 に地 元 住 民 か らの 反 発 を招 い た こ と な ど も  . 指 摘 され て い る。 い ず れ に しろ複 数 の 要 因 が 重 な った こ とは 間 違 い ない と推 察 され る が 、政 治 事 件 多 発 の 直 接 の 引 き金 と な った 事 件 は、2004年1月4日. に発 生 した ジ ョ ・ア. イ ロ ン地 区の 軍 事 基 地 が 何 者 か に襲 撃 され 、4人 の 兵 士 が 殺 害 され 、403丁 もの 武 器 が 盗 ま れ た 事 件 で あ っ た 。 そ して 、 そ の 後 の4月28日 の クル セ ・モ ス ク事 件 、 さ ら には 10月25日 の タ クバ イ事 件 と い う極 め て非 人 道 的 で 残 酷 な事 件 へ と発 展 し、 事 態 が 悪 化 して い っ た の で あ る。 しか し、近 年 の一 連 の 政 治 事 件 の 中で も最 も象 徴 的 で あ り2004年 に起 きた これ ら三 つ の事 件 の 真 相 につ いて は、 様 々 な憶 測 はあ る もの の 誰 が 何 を 目的 に起 こ した 事 件 で あ る のか につ い て は、 現 在 に至 って も究 明 され て い る と はい い 難iい。 例 えば 、2005年 5月 にlnternationalCrisisGroup(ICG)が. 発 表 して い る レポ ー トで は 、BRNかGMIP. も し くは タ イ陸 軍 か 警 察 に しか これ ほ ど大 胆 か つ 組 織 的 な攻 撃 を実 行 で き る組 織 は な い と した上 で 、軍 事 基 地 の 襲 撃 と並 行 して 学 校 な どの 放 火 を同 時 に実 行 して い る手 口 や 、仏 教 徒 の み の兵 士 しか 殺 され て い ない こ と な ど に言 及 し、60年 代 か ら80年 代 に分 離 独 立 を 目指 して きた組 織 の流 れ と、 近 年 の イス ラー ム 過 激 派 グ ルー プの 行 動 を疑 問 視 して い る。ま た 、 限 ら れ た範 囲 で の 聞 き取 り調 査 に よれ ば、 全 く証 拠 は ない もの の 、 軍 事 施 設 で 武 器 が 盗 まれ る こ と 自体 が 不 信 な 事 件 で あ り、 軍 の 一 部 が 関 与 して い る可 能性 が 捨 て きれ な い点 や 、 海 外 へ の 武 器 の 密 輸 との 関 連 性 につ い て も思 料 され た。 い ず れ に しろ 、 こ の事 件 後 に地 元 の 政 治 家 や イ ス ラ ーム の 教 師 な ど何 人 もの 容 疑 者 が 逮 捕 さ れ取 り調 べ を受 け て い るが 、 今 日 も確 信 的 な証 拠 を掴 ん で い る と は言 い 難 い 。 さ ら に 、疑 問 点 と して 浮 か び 上 が るの は、2006年9月 に王 室 と枢 密 院 の 理 解 を促 す 形 で 軍部 が 成 功 に導 い た ク ー デ タ ーで タ ッ ク シ ン政 権 そ の もの が 崩 壊 した 後 も、 政 治 事 件 が継 続 的 に多 発 して い る点 で あ る 。 と りわ け、SBPACを. 回復 させ る と約 束 した クー. デ タ ー直 後 の ス ラユ ッ ト政 権 時 に も、1,800件を上 回 る 政治 事 件 が起 こ っ て い る 。また 、 2006年11月 に は ス ラユ ッ ト首相 が 公 式 謝 罪 した タ クバ イ事 件 に つ い て 、2009年5月29   . 日 に ソ ンク ラ ー 県 の地 方 裁 が 治 安 当局 へ の 無 罪 判 決 を下 した こ と は、 と りわ け政 治 事 件 とは無 関係 の 中 で犠 牲 に な っ た遺 族 の 心 情 を逆 撫 で す る結 果 と な っ てい る。 以 上 の 点 か ら推 察 さ れ る こ と は 、結 果 的 に2004年 以 降 の 政 治 事 件 の 多 発 を誘 導 す る こ とに な っ た 当初 の きっ か け は 当時 の タ ック シ ン政 権 の 対 応 の 誤 りに原 因 が あ り、 並 行 して南 部 タ イ3県 の統 治 に 関 して 国家 権 力 を巡 る闘 争 が あ っ た可 能 性 が 極 め て 高 い. [160]. (11).

(12) とい う こ とで あ る 。 しか し、 タ ック シ ン政 権 以 降 に も続 く政 治 事 件 の 多 発 性 が 示 して い る よ うに 、 明 らか に別 の 要 因が 大 き く働 い て お り、 す な わ ちそ れ は これ まで の タ イ の 国 家 体 制 に対 す る分 離 独 立 運 動 も含 め た抵 抗 闘 争 と い う こ と に な る 。 現 地 の 政 治 事 件 の 分 析 や 一 連 の 問 題 を研 究 し、平 和 構 築 につ い て 提 言 活 動 を行 っ て い るDSWの 関係 者 は 、 「タ ッ ク シ ン政 権 時 代 のSBPACとCPM43の. 解 体 、 麻 薬 取 り締 ま りの 問 題 、. 警 察 と軍 部 の 権 力 闘 争 、 与 野 党 の 政 争 な ど も含 め て 、 す べ て 従 た る問 題 で あ り、 主 た る問 題 は タ イ 国家 との 問 題 で あ り、 こ こ約10年 間 で 醸 成 され て きた 新 しい 政 治 闘 争 で あ る」 と指 摘 した。 次 章 で は 、 「新 しい 政 治 闘争 」 とは どの よ う な動 きな の か につ い て 、検 討 を加 え る こ と に した い。. 5.近. 年の分離独立運動の動 き. 2004年 以 降 に多 発 す る政 治 事 件 の原 因が 何 で あ り、 そ れ らの 事 件 に どの よ う な組 織 が 関 わ っ て い る の か を明 らか にす る こ と は、 そ の 間の 政 府 の 対 応 と今 後 の 問 題 解 決 を 探 る上 で 、根 本 的 な課 題 で あ る。 こ こで は どの よ う なマ レー 系 イ ス ラー ム 組 織 が 南 部 タ イ3県. で 活 動 して い る の か を 概 観 し、 「新 しい 政 治 闘 争 」 と は何 を 意 味 す る の か 、. ま た そ れ に対 して タ イ の有 識 者 や専 門家 が ど の よ う な解 決 策 が 望 ま しい と考 えて い る の か を 中心 に述 べ る。 1960年 代 か ら活 発 化 した分 離独 立 を主 目的 とす る組 織 や グ ル ー プの 数 は 、 今 日 も10 む. 前 後 に 上 る と見 られ て い るが 、 地 元 の有 識者 や 専 門 家 に よ る と、 先 に も述 べ たBNPP (BIPP)、PULO、BRN-Coordinateの. 三 派 が 有 力 で は な い か と見 られ てい る。ICGの. 報 告 な どに よる と、 そ れ ぞ れ の組 織 背 景 の 概 略 は 、表 一3の 通 りであ る。 BNPP(BIPP)やPULO、BRNな. どの 分 離 独 立 派 組 織 は 、 い わ ゆ る 古 い 歴 史 の 流. れ を汲 む組 織 で あ る が 、BRN-Coordinateは. 比 較 的 新 しい 流 れ で あ り、 これ ら の 他 に. も1985年 に 設 立 され たGerakanMujahidinPattani(GMP)や 年 に 作 ら れ たGerakanMujahidinIslamPattani(GMIP)、1997年 組 織 さ れ たPattaniNationalYouthMovement(PANYOM)や2000年 SrisankaroGroups、RundaKumpalanKeciユ(RKK)な. そ こ か ら 分離 して1995 にPULOに. よ って. に設立 され た どが 新 しい組 織 で あ る と見 ら. れ る 。先 の報 告 で は 、1990年 代 に タ イ 国 内 で の民 主化 が 進 ん で南 部 タ イ3県 にお い て マ レー 系 ム ス リ ム住 民 の リー ダー が 積 極 的 に 政 治 参 加 で き る機 会 が拡 大 した 一 方 で 、 タ イ とマ レー シ ア の経 済協 力 が進 み 、97年 の バ ー ッ危 機 以 降 に タ イ側 が マ レー シ ア北 部 をベ ー ス に 活 動 す る 分 離 独 立 派 の 取 り締 ま り強 化 に 圧 力 を か け た こ と で 、 複 数 の リー ダー が投 降 した り逮 捕 され て 、 こ れ らの組 織 の運 動 は低 下 した。 さ ら にマ レ ー シ ア や タ イの 中 東 な ど イス ラー ム 諸 国へ の外 交 努 力 も功 を奏 し、分 離 独 立 派 の 動 き は ほ. (12). [159].

(13) 表 一3主 組織名 BNPP(BIPP) BarisanNational. (lslam) PembebasonPattani. PULO PattaniUnlted Liberationorganization. な分離独立 派組 織の概要. 設立年 と目的 1959年. 組織の活動内容. 、 マ レー 系 ム ス リム. 武 装 組 織 で 、 リ ビ ア、 シ リ ア 、 ア フ ガ ニ ス 規模 住 民 が 多 い イス ラ ー ム 地 域 タ ン な ど で 訓 練 を 受 け た200∼300人 (パ タ ニ ー 、 ヤ ラ ー 、 ナ ラ の 戦 闘 員 で1980年 頃 に 活 動 の ピー ク を迎 え テ ィ ワ ー ト、 サ ト ゥ ン)の た。 ムス リムの教 員 を通 じて学 生 を リク 独 立 を 目的 に 設 立 。1986年 ル ー ト し政 治 と軍 事 訓 練 を 行 い 、 治 安 悪 化 に名 称 をBIPPに 変 更 を 図 る 。 ク ラ ン タ ン に政 治 リー ダー を置 き、 PLO(パ レス チ ナ 解 放 戦 線)やOIC(イ ス ラ ー ム 諸 国 会 議 機構)と の 関係 を持 つ 1968年 に分 離独 立 を 目的 に 多 くの リ ー ダ ー が メ ッ カ に拠 点 を置 き 、 戦 設 立 さ れ 、 そ の 後 約20年 闘 部 隊 は ク ラ ン タ ン にベ ー ス を置 く。 支 持 間 、 最 も 影響 力 を持 つ 武 装 者 は ソ ン ク ラ ー を 含 む 南 部 タ イ4県 に 浸 透 組 織 と な る。 組 織 理 念 は 、 し、 特 に ナ ラ テ ィ ワ ー トが 多 い。 資 金 源 宗 教 ・人 種 ・本 土 ・人 道 は 、 主 に シ リア と リ ビ ア な どで 、 戦 闘 員 は 主 義 で あ る が 、 宗 教 色 よ り PLOの 軍 事 施 設 や 、 シ リ ア な どで 訓 練 を 受 も、 民 族 主 義 が 強 い. BRN-Coordinate. け た 。 中 心 メ ン バ ー は200∼600人 とみ ら れ る が 、1980年 代 のPULOの 発 表 は2万 人. 1960年 に イ ス ラ ー ム 社 会 マラヤ共産党 の消滅 とタイ政府 の経済 開発. 主 義 を 目的 に設 立 され た に逆行す る形 で発展 し、近 年では最 も強 力 BarisanRevolusiNational. な 組 織 と さ れ る 。 中 東 な ど か ら帰 国 し た教. (BRN)か ら1980年 に 分 か 員 が イ ス ラ ー ム 学 校 を 中 心 に リ ク ル ー ト れ 、 そ の 後 組 織 化 さ れ た。 し、 小 グ ル ー プ を 形 成 して戦 闘 や 様 々 な 政. 特 に 政 治活 動 に力 点 を 置 治 活 動 を行 う。 活動 メ ンバ ー は 若 者 や 他 の き、 宗 教 学 校 へ の 浸 透 と都 イ ス ラ ー ム諸 国 か ら帰 国 した 人 々 を 中心 に. 市での破壊活動を行 う. 約2万 人 とい わ れ る. ぼ抑 え込 ま れ た状 況 で あ る と見 られ て い た の で あ る 。 しか し、 こ れ らの 組 織 は 完 全 に消 滅 した わ け で は な か っ た 。 近 年 の 多 発 性 とは 比 較 に な ら な い ま で も、2000年 に 入 っ て か ら も コ ン ス タ ン トに 事 件 は 発 生 し た。 特 にPULO関. 係 者 が 協 力 関 係 を模 索 して い た と され る 東 南 ア ジ ア の テ ロ組 織 で あ る. JemaahIslamiyah(ジ. ェ マ ・イス ラ ミアJI)と. の 関 係 が 取 りざた され た の も この こ ろ. か らで あ る。JIは 、 国 際 的 な テ ロ組 織 で あ るAl-Qaeda(ア. ル カ イ ダ)と の 関 係 を持 つ. 組 織 で 、事 実JIの リー ダー で あ りイ ン ドネ シ アの バ リで起 こ っ た ホ テ ル爆 破事 件 に 関 与 して い た と され るハ ンバ リが 、2003年8月 に タイ で 逮 捕 され て い る。 また 、ICGの 報 告 書 に よれ ば 、 ナ ラ テ ィ ワ ー トに 分 派 を築 き 、 同 年6月 に バ ン コ ク の英 米 大 使 館 な どや プ ー ケ ッ ト、パ タ ヤ とい う観 光 地 で の 爆 弾 テ ロ を画 策 して い た と さ れ るJI関 係 者 3人 が タ イ当 局 に よ って 逮 捕 さ れ て い る。 これ らの 事 件 以 降 は 、 今 日 まで タ イ 国 内 で は大 規 模 な計 画 が 実 行 され る形 跡 は 見 られ ない もの の 、 こ う した 水 面 下 の 動 きが 継 続 した 中で 、2004年 以 降 の 政 治 事 件 多 発 の 時 を迎 えた の で あ る。 2008年 に タ イ陸 軍 少 将 の サ ム レ ッ ・シー ラ イが 発 表 した 論 文 に よれ ば 、 近 年 の 政 治 事 件 に 絡 む分 離 独 立 組 織 の 中 で もBRN-Coordinateの. 動 きに 軍 や 警 察 関 係 者 も特 に 注. 視 して い る状 況 が 窺 え る(図 一4参 照)。2004年 に大 きな 注 目 を集 め た ジ ョ ・ア イ ロ ン. [158]. (13).

(14)  . 図 一4南. 部 解 放 に向 け たBRN・Coordinateの. 戦闘員 の育成. {. ムスリムとして 「 ジハード」による戦 闘 強化 を図 り、この戦 い が 「 サ イード」を信 じるムスリムの 「 ジハー ドjであることを信 仰 者 たちに知 らしめ る流 れをつくる. は. 十. 日々殺 害 を 実行 す る. +き. 女 性 や子 どもも含 め、で る限 り多くの 人 々を動 員 する. 政 府 に圧 力 をかけることで武 力 行使 を促 進 させ 、激 しく抵抗 させる ・1軍部 による軍 事 的な鎮 圧 を煽 る1. 目的. 混乱 状 態 を促 進 させることで紛 争 へと導 き、ナ ショナ リズ ムを煽 って 宗教 戦 争 へ と発 展 させる. →. 目的. 実施 方法 としては、個 々の 小 グル ープが ターゲットであ る軍 と警 察 を襲 撃 する. 又. 政 治 戦 略 と その プ ロセ ス に関 す る構 図. 中. 目 的. 国際 的 な支 援 を得 ることで独 立 への 気 運 を高 め、宗 教 を認 めさせ 新 国家 の 樹立 を促 す. 一. 目的. この 状況 を政 治 的 に拡 大 させることで国 際 的 な注 目を集 め、政 府 が住 民 を武 力 で押 さえ込 もうとしている印象 を与 える。また、イスラーム諸 国 の人 々にこの状 況 を伝 え、タイの ムスリムが 置 かれている政 府 状 況 への 理 解を求 める. ←. (シー ライ[2008」の 論 文 を 翻訳 し引用). の 軍 事 基 地 襲 撃 事 件 や ク ルセ ・モ ス ク事件 、 タ クバ イ事 件 に どの程 度 こ の組 織 の関 係 者 が 関 与 して い た の か そ の真 相 に つ い て は 様 々な情 報 や報 告 書 が で て い る もの の 、解 るお. 明 まで に は至 っ て い な い 。 パ タニ ー 県 で の 国 会 議 員へ の 聞 き取 りに お い て も 、「そ れ ぞ れ の 事 件 に 関 与 して い るの は 小 グル ー プ で あ り、 大 きな 政 治組 織 の支 援 体 制 が整 っ て い る わ け で は な い た め 、 リー ダー に よる 犯 行 声 明 は 出 に くい 。 また 、非 常 事 態 が 続 く中 で 、 事 件 に 関 係 な く罪 を問 わ れ る ケ ー スが 続 出 して い る こ とか ら、誰 の 犯 行 か を 掴 む の は 難 しい だ ろ う」 との 意 見 が 聞 か れ た。 一 連 の 事 件 に つ い て も、確 た る リー ダー が 存 在 せ ず 、 政 府 側 も交 渉 相 手 が掴 み に くい こ とか ら、 個 々の 事件 解決 へ の 糸 口 が 見 つ け に くい の が 特 徴 とい える 。. 6.タ. ッ ク シ ン政 権 以 降 の 政 府 の 対応 と今 後 の和 解 策. 1990年 代 後 半 まで に一一 旦 は 沈 静 化 しか け た 分 離 独 立 派 の 動 きが 、2000年 に か け て 新 しい 流 れ と して 水 面 下 で広 ま り、 タ ッ クシ ン政 権 下 に お け るSBPACとCPM43の. 解体. や 政 権 闘 争 な どが 火 種 と な って い くつ か の 分 離 独 立 組 織 が 闘 争 を繰 り返 して い る 事 実 を これ まで 概 観 して きた 。 ま た、 政 治 事 件 の 多 発 は2006年 の 軍 事 クー デ ター 以 降 も依. (14). [157].

(15) 然 止 ま らず 、 ス ラ ユ ッ ト暫 定 政権 か ら今 日の ア ピシ ッ ト政権 に至 る ま で 、収 束へ と向 か う気 配 が 一 向 に み られ な い 点 に も注 目 した 。 そ こ で 、 こ こ で は2006年 の ク ー デ ター を挟 ん だ 政 府 の対 応 策 の 流 れ を整 理 し、 これ まで検 討 され て きた平 和 構 築 案 に つ い て 議 論 を加 え た い 。 第 一 に は コ ミュ ニ テ ィ レベ ル に お け る 治 安維 持 へ の ア プ ロ ー チ に つ い て 、 第 二 に は和 解 に向 け た 政 治 的 な ア プ ロ ー チ の 可 能性 に つ い て の検 討 を 試 み る こ とに した い 。 2001年 に始 まっ た タ ッ クシ ン政権 下 で 取 られ た 政 策 は 、 まず 警 察権 力 の 行 使 に始 ま り2004年 の ジ ョ ・ア イ ロ ン事 件 を きっ か け に 戒 厳 令 と非 常 事 態 宣 言 の 発 令 に よっ て 陸 軍 も含 め た 治 安 部 隊 の 権 限 強 化 へ と転 換 され た 。 同 時 に 、 外 交 面 で は事 態 を国 際 問 題 へ と発 展 させ な い よ う ア セ ア ン諸 国 や イス ラ ー ム 諸 国 会 議 機 構(OIC)な. どに 対 して. るフ. その 正 当 性 をア ピー ルす る こ と にあ っ た 。 タ イは 第 二 次 大 戦 前 か ら国 境 警 備 に 関 して 志 願 兵 を募 り、 また 戦 後 に至 って も タ イ 共 産 党 の 浸 透 を避 け るた め に警 備 隊(タ ハ ー ン ・パ ラ ン)に 加 え て 村 レベ ル で の 自己 防 衛 隊 員 を募 って 短 期 間 で 訓 練 を し、 準 軍 事 要 員 と して 末 端 の 治 安 維 持 や 防 衛 を行 っ ぐ . て きた 経 緯 が あ る 。 そ こ で南 部3県. で取 ら れ て きた 治 安 維 持 政 策 も、 同 様 の もの で. あ っ た。2004年 以 降 に事 件 が 多 発 し始 め た こ とか ら、 一 旦 は 北 部 や 東 北 部 で も縮 小 傾 向 に あ っ た反 共 目的 の警 備 隊 は、 南 部 タ イ3県 に お い て は 増 員 へ と向 か った 。 タ ッ ク シ ン政 権 下 にお い て 、事 態 の 鎮 静 化 を期 待 され て ムス リム と して は初 の 陸 軍 司 令 官 に 抜 擢 され た ソ ンテ ィ ・ブ ンヤ ラ ッカ リ ン将 軍(後 官)は. 、2005年11月. に 軍 事 ク ー デ タ ー を 実 行 した 司 令. に3,000人 以 上 の 警 備 隊 の増 員 を 決 定 し、 さ ら に翌 年 の2006年8 イ . 月 に も同 様 の 決 定 を下 した 。 そ して ク ー デ タ ー で タ ッ ク シ ン政 権 を 倒 し た 後 の ス ラ ユ ッ ト政 権 下 で も、首 相 が タクバ イ事 件 の 謝 罪 を した一 方 で 、2007年10月 に は増 員 を お. 発 表 し、7,560人 の 警 備 隊 を 配 置 し た。 こ れ は 、 い わ ば 地 元 か ら志 願 して くる 人 々 を 傭 兵 と して安 価 で か つ長 期 的 に活 用 す る方 法 で あ り、 正 規 の 陸軍 兵 と共 に警 備 隊 員 を 潜在 的 に危 険 な 地域 に送 り込 む こ と に な り、 マ レー系 ム ス リム住 民 の 反感 をか っ た可 うユ. 能性 が研 究者 に よっ て指 摘 され て い る。 ま た 、地 元 の政 治 家 た ち か ら も、軍 人 た ちが ム ス リム の女 性 を 強姦 す る事 件 や そ れ に よ っ て 身籠 っ た女 性 が 増 加 して い る とい っ た ら . 意 見 が 寄 せ られ 、 イ ス ラ ー ム の 道 徳 や 文 化 、 宗 教 に対 す る 冒涜 が 取 りざ た され る な ど、準 軍事 要 員増 加 へ の懸 念 が あ る こ と も事 実 で あ る。 も う一 つ の 村 レベ ル で の 自己 防衛 隊員 の 強化 に つ い て は 、 内務 省 の 管轄 下 で警 備 隊 の増 員 と併行 して 実 施 され て い る 。 こ れ に は 内務 省 直轄 で訓 練 を受 け て 武装 した志 願 警 備 員(オ. ー ・ソ ー)と 、 県 に よ っ て 雇 用 され た村 落 治 安 維 持 団(チ. ョー ・ロ ー ・. ボ ー)、 さ ら に は村 落 警 備 ボ ラ ン テ ィア(オ ー ・ロー ・ボ ー)と い う プ ロ グ ラ ム が 実 施 され て い る ほ か 、 警 察 当 局 は コ ミュ ニ テ ィ警 察 を各 町村 レベ ル に 配 置 させ て い る 。 特 に、 村 落 治 安 維 持 団 に つ い て は 、2005年10月 現 在 、 南 部3県. [156]. で47,400人 が 配 置 さ. (15).

(16) れ 、2009年 まで に は さ ら に7,000人 が 増 貝 さ れ る と発 表 され て い る が 、 これ ら の 準 軍 事 要 員 が 武装 した り、 また住 民 間 の 対 立 な ど を引 き起 こ して 事 件 に絡 ん だ り、 巻 き込 まれ る 報 告 もされ て い る。 専 ら非 常 事 態 下 にお い て は テ ロ容 疑 者 へ の 取 り調 べ や 拘 束 期 間 な どに関 して と りわ け軍 人 に対 して 特 権 が 与 え られ て お り、 増 員 が か え って 人 権 を無 視 した地 元 住 民 へ の 圧 力 に繋 が る可 能 性 も垣 間 見 え る。 実 際 に2009年6月 ク ラー 大 学 パ タニ ー 校 の チ ョ ッチ ャ ノ ック准 教 授 は 、DSWの で はSPBACに. 、 ソン. 紙 面 で 「解 体 され る ま. は3ρ00人 しか い な か っ た が 、 現 在 の 国 家 治 安 維 持 司 令 部(ISOC)下. お い て は 合 計70,000人(警. に. 察 下 の18,000人 、 国 軍 下 の800人 、 陸 軍 下 の35,000人 、 海 軍. 下 の3.000人 、 空 軍 下 の700人 、 平 和 セ ン タ ー下 の7ρ00人 な ど〉 もの 人 員 が 割 か れ て お り、 そ の う ち民 間 人 は7,000人 で しか な い」 と述 べ て い る。 こ う した状 態 が マ レー 系 ム ス リム 住 民 の 心 情 を刺 激 して さ ら に多 くの 事 件 を 引 き起 こす 要 因 に もな りか ね ず 、 一概 に正 しい解 決 策 とは い え ない 点 が 窺 え る. 。. そ れ で は 、平 和 的 な政 治 解 決 の 進 展 につ い ての 動 向 は どう であ ろ うか 。 タ ッ ク シ ン 政権 時 代 に 多発 した事 件 の 解 決 に 向 け て 、和 解 案 を模 索 した代 表 的 な政 治 家 は2004年 に副 首 相 職 に あ っ た ジ ャ トゥロ ン ・チ ャ イ セ ー ン であ っ た。 元 学 生 運 動 の リー ダ ーで あ っ た彼 は 、 タ ック シ ン首 相 の指 示 で 同年3月 、 南 部3県 県職 員へ の ヒア リ ング な ど を も と に、3県. の住 民 や 警 察 、 軍 、 知 事 や. の教 育 機 構 の 改 革 や地 元 の マ レー 系 ム ス リ. ム で あ る教 員 の増 員 、 マ レー シ ア との 二 重 国籍 保 有 者 へ の優 遇 措 置 や 、2004年1月. ま ら . で に拘 束 さ れ た 人 々 の釈 放 と職 業 訓 練 の 実 施 、 開発 計 画 の促 進 な ど、7項. 目の 和 解 案. を作 成 した。 しか し、 当時 の 国防 大 臣で あ っ たチ ェ ッタ将 軍 ら に反 対 され 、 実 行 へ は らア. 移 され なか っ た 。2009年1月. にDSWと. 南 タ イ記 者 協 会 が ハ ジ ャ イで 主 催 した 南 部3. 県 で の 特 別 な 地 域 行 政 を国 家 が 認 め るの か ど うか を 議 論 す る セ ミナ ー の席 で 、 ジ ャ トゥロ ンは 「今 日の状 況 悪 化 の 主 因 は正 当性 の あ る形 で の(住 民 の)参 加 で あ る」 と した 上 で ガ ヴ ァナ ンス 改 善 の 重 要 性 を指 摘 し、 「政 府 が 明 確 な方 針 の も とに 地 域 に最 も相 応 しい行 政 シ ス テ ム を構 築 した な らば 、 よ り強 い 国 家 と して の連 帯 が 育 成 さ れ る で あ ろ う」 と述べ て い る 。   . タ ッ クシ ン政権 下 で は 、 そ の 後 は全 国規 模 で折 鶴 計 画 が 展 開 され る な ど、市 民 参 加 型 の平 和 構 築 キ ャ ンペ ー ンが 展 開 され た が功 を奏 さず 、 つ い に は枢 密 院 な どの 介 入が 図 られ て2005年3月. 、 ア ナ ン元 首 相 を 委 員 長 に したNRCの. 者 や 専 門家 、NGO、. 宗 教 者 な ど を含 む 民 間 人 を 中 心 に 翌 年 の6月. れ たNRCの. 設 置 に 至 る の で あ る。 学 に首 相 宛 に 提 出 さ. 提 案 は 、 短 期 的 に は 非 武 装 ユ ニ ッ ト(シ ャ ンテ ィ ・セ ナ)の 設 立 や 対 話 、. 相 互 理 解 の促 進 な ど を図 り、 中期 的 に は環 境 資 源 の参 加 型 管 理 や 雇用 促 進 計 画 、 人権 に 配 慮 した 司 法 制 度 の 改 善 な ど を 、 さ らに長 期 的 に は社 会 文 化 的 な 多 様 性 を踏 ま え 、 言 語 の 公 用 化 や教 育 に も踏 み 込 ん だ包 括 的 な 内容 で あ り、南 部 国境 県 平 和 戦 略 行 政 セ ン ター(SBPPSAC)の. (16). 常 設 な ど平 和 構 築 の た め の 政 治 的 和 解 を進 め る た め の 機 構 改. [155].

(17)  . 革 も練 られ た 非暴 力 案 で あ っ た 。 しか し、 こ の案 も反 タ ック シ ン勢 力 の デモ の 激 化 で 政 局 が揺 れ 、2006年9月. に は 軍事 ク ー デ ターが 起 こ っ た こ と もあ っ て陽 の 目 をみ る こ. とは な か っ た 。 そ の 後 は 、先 述 した ス ラユ ッ ト暫 定 政 権 を経 て今 日ま で 目ま ぐる し く 政 権 が 代 わ り、結 果 的 に は 政 治 的 な解 決 とい う よ り も、陸 軍 主 導 の対 応 策 が 進 行 して い るの で あ る 。 だが、 か とい って平 和 的 な解 決 策へ の 道筋 が す べ て断 ち切 られ た わ けで は な い 。DSWの. シ ー ソ ム ポ ッ プ所 長 ら は 、2008年12月 に"MinistryfortheSouth:New. GovernanceProposalsforThailand'sSouthernRegion"と. 題 した論 文 を発 表 し、南. 部 タ イ3県 で の フ ィー ル ド調 査 を も とに 、2006年 の 軍事 ク ー デ ター 以 降 に再 構 築 され つ つ あ るSBPACの. 強化 と格 上 げ を 中心 に 地 方 分 権 の 文 脈 か ら 国家 と して の 特 定 地 域   . へ の ガ ヴ ァナ ンス の 改 善 を求 め て い る 。現 段 階 で 、 国 会 の 委 員 会 な どを通 じて協 議 が 始 ま って い るが 、 この 案 に対 して 政 治 家 の理 解 度 が 高 い一 方 で 、 第 一 に イ ス ラ ー ム 文 化 へ の 理 解 も含 め て 軍 部 の 反 対 が 根 強 い こ と、 第 二 に 治安 維 持 や 防 衛 の観 点 か らの細 部 に亘 る行 政 改 革 の 検 討 が 充 分 な され て い な い こ と、 第 三 に 分 離独 立 派 の 中 で も特 に 過 激 派 に属 す る若 者 へ の 理 解 浸 透 が 図 れ る か微 妙 で あ る こ とな どが 、 課題 と して挙 げ   . られ て い る。. 7.ま. とめ. 南 部 タ イ3県 の 問 題 は、 何 世 紀 に も亘 る 歴 史 的 背 景 と、90%以. 上の仏教徒が国民で. あ る タ イ 国家 と して の イ ス ラー ム文 化 へ の 理 解 と融和 とい う観 点 か ら も、 極 め て 複 雑 且 つ 根 深 い 問題 で あ る。 歴 史的 にみ れ ば 、 この 問 題 は 特 に バ ン コ ク王 朝 期 に 入 っ て か らの 近 代 国 家 形 成 期 に お い て 、 ラー マ5世 時 代 に進 め られ た 中 央 集 権 体 制 と、 当 時 東 イ ン ド会 社 に よ る植 民 地 化 を進 め て い た イギ リス との 英 領 マ ラヤ を巡 る 関 係 に よ って 困難 な状 況 に な っ た。 ま た 、第 二 次 世 界 大 戦 を挟 ん で タ イで の 軍 事 体 制 が 強 化 され る 中 で 、 よ りマ レー 系 ム ス リ ム住 民 へ の 圧 力 が 強 ま っ た こ とが 事 実 と して指 摘 され る。 1957年 、 隣 国マ レー シ ア は完 全 独 立 を果 た し、 共 産 党 との 戦 い が 活 発 化 す る中 で 、 南 部 タ イ3県 の マ レー 系 ム ス リ ム住 民 は国 家 を 跨 い で 政 治 ・経 済 ・社 会 的 な ア イ デ ン テ ィテ ィ を求 め 、 その 一 方 で タ イ国 家 との"共 存"を 模 索 し な けれ ば な らな か った 。 そ して こ の 間 も、ハ ジ ・ス ロ ンを代 表 とす るマ レ ー系 ムス リ ム の政 治 リー ダー た ちが 殺 害 され る な ど多 くの血 が流 さ れ 、今 日に至 っ て も決 定 的 な和 解 策 が 見 出せ ず に い る のである。 だ が 、21世 紀 に入 っ て か ら急 増 した政 治 事 件 は 、 これ ら の歴 史 ・社 会 的 背 景 を依 然 と して抱 え つ つ も、 別 の段 階へ とそ の要 因が 移 っ て い る こ とが 窺 え る。 その 主 な理 由 は 、 次 の 二 つ に 集約 され る 。. [154]. (17).

(18) 第一 は 、 この 問 題 を巡 り、 タ イ国 内 に お け る 「 民 主化 」 の過 程 に お い て勢 力 を強 め た タ ック シ ン政 権 が 取 っ た 対応 策 に よ っ て 、 そ れ まで の保 守 勢 力 との 問 で摩 擦 が 激 化 し、 国 家 と して の 足並 み が大 き く乱 れ た こ とで あ る 。 そ して 、2004年 以 降の 政 治 事 件 急 増 後 も政府 と して 充 分 な対 応 策 が取 れ な か っ た ば か りで は な く、2006年 の 軍 事 ク ー デ ター を挟 ん で 政 権 交 代 が相 次 ぎ、 一貫 した政 治 主導 の解 決 策が 取 れ な か っ た ので あ る。 従 って 、 政 治 主 導 の 「対 話 」 で は な く、 む し ろ これ まで 以.ヒに 軍 主 導 の 「武 力 」 を重 視 した ア プ ロ ー チ が 貫 か れ る こ とに な っ た 。 つ ま り、 「対 話 」 と 「武 力 」 の 狭 間 で 揺 れ 動 く中 で 多 発 した 政 治事 件 が 、 結 果 と して は 法 的 に も軍 部 や 治安 当局 の権 限 を よ り強 め る こ と とな り、事 態 を さ らに 泥 沼 化 させ て い る の で あ る 。 第 二 は 、 タ イの 国 家 と して の イス ラ ー ム 文 化 へ の 対応 で あ り、 憲 法 に お い て は信 仰 の 自由 を認 め つ つ も、 仏 教徒 で あ る 国 王 を据 え た 仏 教 国 と して の 威 信 が 問 わ れ て い る 点 で あ る。 こ こ約5年 間 の 南 部 タ イの 一 連 の 政 治 事 件 を 巡 る 動 きが 、 今 日の マ レー系 ム ス リ ム住 民 へ の教 育 問 題 と司 法 制 度 とに 極 め て 深 く関係 して い る 点 は 明 白 で あ る。 従 って 、 タ イ は今 、 国 家 を超 越 した 広 い イ ス ラー ム文 化 とい う観 点 か ら だ け で な く、 タ イ国 内 の 少 数 派 と して の マ レー 系 ム ス リム住 民 が 多 数 派 を 占め る 居住 区 とい う特 殊 環 境 下 にお い て 、 最 も相 応 しい イ ス ラー ム 文 化 の 教 育 と司 法 制 度 の あ り方 を 考 え る必 要 性 に迫 られ て い る の で あ る。 本 研 究 に お い て は、 こ の 問 題 にOICや ア セ ア ン諸 国 、 国 際NGOな. ど多 くの 人 々 が. 関 心 を示 し注 目 して い る 点 に も若 干 触 れ た が 、 現 段 階 で は この 問 題 が 国 際 問 題 と して 取 り上 げ られ る状 況 には 至 って い な い 。 しか し、 今 日 も イス ラー ム 過 激 派 を 名 乗 る 国 際 テw組 織 の 活 動 は 世 界 中 で 活 発 で あ り、 南 部3県 で 活 動 す る分 離 独 立 派組 織 も様 々 な ネ ッ トワー ク を抱 えて い る こ とか ら、 対 応 を誤 れ ば タ イ国 家 と して も、 また 南 部3 県 の す べ ての 住 民 に と って も大 き な損 失 と な る こ とは 避 け られ な い で あ ろ う。 最 後 に、 結 論 と して 本 来 あ るべ きは ず の 「対 話 」 に よ る平 和 的 和 解 へ の 道 が 、 未 だ 険 しい の が 実 情 で あ る点 を指 摘 して お か なけ れ ば な ら ない 。 そ れ は 、 本 論 で は 深 め る こ とが で き なか った が 、 仏 教 徒 が 大 半 で あ る タ イ国 民 の イ ス ラー ム 文 化 や 近 年 の 新 し い イ ス ラ ー ム宗 派 の 流 れ に対 す る理 解 と一 連 の 歴 史認 識 は決 して 充 分 とは い え ず 、 南 部 タイ3県 を特 殊 な地 域 と認 識 した 上 で 、 新 しい ガ ヴ ァ ナ ン スの あ り方 を模 索 す る行 の. 政 改 革 や 地 方 分 権 を進 め る案 へ の 世 論 が 未 だ冷 た い 状 況 にあ る とい う点 で あ る。 よっ て、 マ レー系 ムス リ ム住 民 へ の 具 体 的 な優 遇 策 の 実 施 まで に は至 って い な い 。 さ らに は、 こ の 問題 が 政 権 闘争 の 道 具 と して 与 野 党 に頻 繁 に利 用 さ れて い る こ とか ら、 外 部 要 因 に左 右 さ れ ない 地 元 住 民 の 強 い 結 束 が 望 まれ る もの の 、 当事 者 た ちが 過 激 派 の 攻 撃 に翻 弄 され てい るの もま た事 実 で あ り、 突 破 口が 開 け な い状 態 にあ る。 こ う した こ とか ら も、 この 問 題 の 解 決 に は 類 似 す る問 題 を抱 え る世 界 の 様 々 な 国 が 注 目 して お り、 タ イ 国 内 のみ な らず 、 国境 を超 えた 多 くの 専 門家 に よ る さ ら な る研 究 と、 市 民 社. (18). [153].

(19) 会 の 理 解 と協 力 が必 要 で あ る こ とは 間違 い な い で あ ろ う。. 注 1ム. ス リ ム で 当 時 陸 軍 司 令 官 を 務 め て い た ソ ン テ ィ ・ブ ン ヤ ラ ッ カ リ ン将 軍 を 議 長. に 組 織 され た. 「民 主 改 革 評 議 会 」(CDRM)に. 「安 全 保 障 評 議 会 」(CNS)に. よ っ て 決 行 さ れ た 。CDRMは. その後. 改 称 し 、 新 憲 法 の 起 草 作 業 に 入 り 立 法 議 会 議 員 も指 名. した 。 2玉. 田(1992)に. 57年 、58年. よ れ ば 、 「成 功 し た も の だ け で も 、1932年. 、71年. 、76年. 、77年10月. 、91年. の10回. 、33年. 、47年. 、51年. 、. に 上 っ て 」 い る こ とか ら、 今 回 で. ll回 と な る 。 310年. 毎 に タ イ で 行 わ れ て い る 世 論 調 査 の 集 計(国. 家 統 計 局 統 計 、2000年. 〉 をもと. に 算 出 した 。 4同. 上。. 5Kaewdang(2007)p80を. 参照。. 6ビ. ン ジ ョ他(2007)pp232-239pp249-250を. 7赤. 木(2008)に. 参照 。. よ れ ば 、 「タ イ 的 価 値 」 や. せ る もの で 、1929年. 「国 体 」(国 の 状 態)と. た イ デ オ ロ ギ ー で あ り 、 ア ポ ロ ジ ー(弁. 明 書)と. し て タ イ 社 会 に 根 深 く浸 透 し て い る 。. 8ソ. ン ク ラ ー 大 学 南 部 タ イ 多 文 化 と紛 争 研 究 所(2009>年. 9同. 上。. 10Meksuwan(2009)の. い う意 味 に も訳. に サ ガ ー ・カ ー ン チ ャ ナ ク パ ン に よ っ て 書 か れ た 著 書 が 基 に な っ. 報 告 に よ れ ば 、2004年. に は 約30万. を参 照 。. 人 の 仏 教 徒 が 約7万. 人に. 減 少 し た。 11McCargo(2006,2008,2009)、Askew(2008)、Jitpiromsri(2006,2008)、 (2005)な 12ラ. ー マ5世 の 統 治 下 で 行 わ れ た 中 央 行 政 の 機 能 化 と合 理 化 を 目 指 し た 改 革 の こ と. で 、 内 務 省 を 頂 点 に 、 「州(モ ポ ン)一 村(ム. ン ト ン)一 県(チ. ャ ン ワ ッ ト)一 郡(ム ア ン)一 地 区(タ. ン. ー バ ー ン)」 を 置 い て 中 央 集 権 体 制 を 確 立 した 。 ま た 、 郡 レ ベ ル ま で. は 国 家 官 僚 を 派 遣 し 、 バ ン コ ク を ス カ ピ バ ー ン(衛 13財. 団 法 人 自 治 体 国 際 化 協 会(2004)、p79を. 14ビ. ン ジ ョ他(2007)pp65-71を. 15Kaewdang(2007)pp63-76を 16山. 上東. ど。. 星 区)に. 指 定 した 。. 参照。. 参照。 参照。. 田 長 政 に つ い て は 諸 説 あ るが 、 こ こで は タ イ と 日 本 の 文 献 の 記 述 を参 考 に し. た 。 「オ ー ク ヤ ー ・セ ー ナ ー ピ ム ッ ク 」 と は ア ユ タ ヤ ー 王 朝 の 官 職 で は 最 高 位 の 欽 賜 名 の こ と であ る。 17ビ. ン ジ ョ他(2007)pp200-239を. 参照。. [152]. (19).

(20) 181bid. 19Kaewdang(2007)pp109-111を 20タ. 参照。. イの マ レー系 ム ス リム の 教 員 の 説 明 に よ る と、 会 話 と して マ ラ ユ ー 語 を用 い 、. 筆 記 し た も の は ヤ ヴ ィ ー 語 と し て 使 用 し て い る 。 マ レ ー 語 と も類 似 し て い る が 、 異 な る言 語 で あ る。 21Kaewdang(2007)pp109-113と. ビ ン ジ ョ他(2007)pp255-258を. 参照。. 22Kaewdang(2007)pp115-116と. ビ ン ジ ョ他(2007)pp260-261を. 参照。. 231bid. 241nternationalCrisisGroup(2005)aとKaewdang(2007)pp123-132を 25DSWへ. 参照 。. の 聞 き 取 り調 査 とInternationalCrisisGroup(2005)な. 261nternationalCrisisGroup(2005)aを. どに よ る。. 参照。. 271nternationalCrisisGroup(2009)を. 参照。. 281bid. 291bid. 301bid. 311bid. 32CoalitiontoStoptheUseofChildSoldiers(2008)な 332009年8月8日. 付 タイ英 字 紙. 34Jitpiromsri(2009)を. ど を参 照 。. 「TheNation」. を参 照 。. 参照。. 35McCargo(2006)を. 参照。. 361bid. 371bid. 38Kaewdang(2007)pp138-140を 392004年1月18日. に. 参照。 「タ イ ポ ス ト」 と 「プ ー チ ャ ッ カ ー ン紙 」 を 参 照 。. 401ntemationalCrisisGroup(2005)bを 41McCargo(2009)pp75-80を 422009年5月30日. 参照。 参照。. 付 タ イ英 字 紙. 「TheNation」. を参 照 。. 43Lintner(2007)、Kewdang(2007)pp123-132な 441nternationalCrisisGroup(2005)aを 45匿. 名 を 条 件 に 、2009年8月6日. 46シ. リ ラ イ(2008)を. 47Askew(2008)を. ど を参 考 。 参照。. に 実 施 した 。. 参照 。 参照 。. 481nternationalCrisisGroup(2007)b、Ba皿(2007)pp213-274、McCargo(2009) pp88-133な. ど。. 491bid.. (20). [151].

表 一3主 な分離独立 派組 織の概要 組織名 設立年 と目的 組織の活動内容 BNPP(BIPP) 1959年 、 マ レ ー 系 ム ス リ ム 武 装 組 織 で 、 リ ビ ア、 シ リ ア 、 ア フ ガ ニ ス BarisanNational 住 民 が 多 い イス ラ ー ム 地 域 タ ン な ど で 訓 練 を 受 け た200〜300人 規 模 (lslam) (パ タ ニ ー 、 ヤ ラ ー 、 ナ ラ の 戦 闘 員 で1980年 頃 に 活 動 の ピー ク を迎 え Pembe

参照

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