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西 山 学 報 か く し て 亠 ハ
度
を成
就 さ せ る方
便 が 菩 薩 道 の 重 要 な 徳 目 の 一 つ と 考 え ら れ 、 方 便 波 羅蜜
と し て 加 え ら れ て く る の で は な い で あ ろ う か 。 ( な お 、 詳 し く 別 に 論 じ た い )選
択
集
草
稿
本
の
省
略
部
分
に
於
る
一考
察
堀
本
賢
順
ノ 深 草 堯 恵 上 人 の 「 選 択 私 集 抄 」 に 「 有 二 選 択 広 略 ハ ノ チ ハ ニ 本 一 也 略 本今
本 也 即 高 覧 本 也 広 本 真 観 房 ノ ニ ニ ノ ノ カ ヘ タ リ ヲ ノ ニ ヒ 後 日 為 二 初 心者
一 聊 加 二勘 文 一
広
略 二 本中
縦 リ ト モ ス ル ラ キ ニ 有 二参 差 事 一
専
可 レ 依 こ 略 本 一 者 也 」 と あ り 選 択 集 に 広 略 二 本 あ る こ と が わ か る 。( 新 旧 二
本
、 稿 刪 正 広 四 本 と も 云 わ れ て い る ) と ・ ろ で ・ の 「 広覆
」暑
井 教驀
「鸛
法 然 上 人 全 集 」 に 収 録 さ れ て い る が 、 第 九 章 農 迄 で第
十 章 段 以 後 を 記 さ れ て い な い 。 而 る に 今 云 う 「 省 略部
分 」 は 草 稿 本 第十
二 章段
中 の も の で あ り 、 こ れ を 良 患 が 「浄
ク 土 宗 要 集 」 に 「 広 選 択 云 」 、 石 井 氏 も 「 法 然 上 人 全 ニ ク 集 」 に 「 広 選 択 云 」 と そ れ ぞ れ 同 様 の 引 用 を さ れ て い る 。第
九 章 段 ま で し か な い ( ? ) 広本
に も 拘 ら ず 略 本 第十
二章
段 の 一 部 が 広 選 択 と し て 用 い ら れ て い る 。 こ の こ と は 今 後 の 研 究 に 待 ち た い が 愚考
す る に 、 広本
も 略本
同 様 第 十 六 章 段 ま で あ っ た が 、 何 ら か の 理 由 で 第 十章
段 以 下 は 流 布 さ れ ず 、 た ま た ま第
十
二 章 段 の 一 部 の み が こ れ 又 何 ら か の 理 由 で 後 世 の 人 の 目 に 止 ま り 広 選 択 ( の 一 部 ) と し て, 残 さ れ て い る の で は な か ろ う か 。 さ て 草 稿 本 の 第 十 二章
段
に は 五 百 七十
二 文 字 が 省 略 さ れ て い る 。 ( 原 文省
略 、 要 旨 の み 述 べ る ) 一 、無
量 寿 経 ( 大 経 ) と観
無 量 寿 経 ( 観経
) の 説時
に つ い て 、 事 の 面 よ り見
れ ば 「 大 阿 弥陀
経 」 ( 大 経 の 同 む 本 異 訳 ) に 「 阿 闍世
王 太子
」 と 説 き 、 「 観 経 」 に 「 有 一 太 子 名 阿 闍 世 」 と 説 く 故 に 、 「 阿 闇 世 」 と 「 阿 闇 世 王 」 と を 比 較 し て 観前
寿 後 と い う こ と に な る 。 二経
を 理 の 面 よ り見
れ ば 寿 前 観 後 で あ る こ と を 三 の 一114
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理 由 よ り 説 明 さ れ て い る 。 一 つ は 法 蔵 の 修 因 感 果 を 前 に 説 か ず に 、 ど う し て 行 者 の 定 散
修
因 及 び 九 品 往 生 を 説 く こ と が 出 来 る か と 云 う こ と 、 二 つ は 念 仏 の 行 相 を 前 に 説 か ず に 、 ど う し て 念 仏 の 法 が あ る こ と が 知 ら れ よ う か と 云 う こ と 、 三 つ は 大 経 で 四 十 八 願 が 前 に 説 か む む れ ず に 、 ど う し て 観 経 で 「 是 本 法蔵
比 丘 」 、 「 亦 説 法 蔵 比 丘 」 と 云 え よ う か と い う こ と 、 こ れ ら に よ っ て 寿前
観 後 で あ る と結
論 づ け る 。 二 、 大 経 は 念 仏 の 根本
、 観 経 は 念 仏 の 枚 末 で あ る と し 、 そ の 理 由 は大
経 は 本 願 を 説 き 、 観 経 は 本 願 に 依 る故
で あ る と し て い る 。 以 上 が 省 略部
分 の 大 意 で あ る が 、 何 故 に こ の 部 分 が 草 稿 本 か ら省
略
さ れ 、 更 に 完 全 に 沫 消 さ れ る の で は な く わ ざ わ ざ 括 孤 で 囲 ま れ て い る の で あ ろ う か 。 選 択 集 で は 念 仏 と 諸 行 の 比 較 が 随 所 に な さ れ 、 定 散 は 「 廃 」 の 為 、 念 仏 は 「 立 」 の 為 に 説 く と 云 う 「 廃 立 」 の 立 場 で 一 貫 さ れ て い る 。 こ の 立 場 に 固 執 す る 阪 り 廃 の 為 に 説 か れ る 定 散11
観 経 は 前 で 、 立 せ ら れ る 念 仏11
大 経 は 西 山 学 会 研 究 発 表 梗 概 後 で な け れ ば な ら な い 。 即 ち 平 面 的 に 把 え れ ば 観 前 寿 後 と い う こ と に な る の で あ る 。 こ の 場 合 は 念 仏 も 諸 行 も す べ て 「行
」 そ の も の 、 即 ち 万 徳 所 帰 の 念 仏 と い う 観 点 か ら の 把 握 で あ る と 云 え る 。 と こ ろ が今
こ の 省略
部
分 に 於 て特
に 説時
の 前 後 に 言 及 す る こ と は 、 定 散 を 単 な る 廃 の 立 場 と し て 見 る の で は な く 、本
願 を 前 説 し 、 そ の 本 願 の真
実 を 云 う 為 に 観 経 を 説 く と い う こ と で あ り 、 従 っ て 定 散 は 「仏
語 の ハ ノ 定 散 」 と し て の 意 味 を 持 つ の で あ る 。 「大
経 念 仏 根 ヲ ニ ハ ノ 本 説 二 本 願 一 故 観 経 念 仏 枝 末 依 二本
願 一 故 」 と あ る こ と に よ り 推 す れ ば 、枝
末 は 根本
よ り 出 て き た も の で あ り 、 念 仏 諸 行 は 同 一 平 面 に あ る も の を 任 意 に 選 捨 選 取 む む む す る と い う 関係
で な く 、 定 散 は 枝末
と し て 必 然 的 に 出 て く る も の で あ る と 云 え る 。 弥陀
本
願 の真
実
、 功 徳 を 説 く の が 「 依本
願 」 の 「 依 」 で あ る と 云 え る だ ろ う 。 そ し て こ の 「 依 」 に ょ っ て こ そ 定散
そ の も の が 冖. 仏 語 の 定 散 」 「 能 詮 観 門 」 と し て の 意 味 を 持 っ て く る の で あ る 。 こ 〜 に 至 っ て 「 廃 立 」 か ら 「 傍 正 」 の 義 が 出 て115
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西 山 学 報 く る の で あ る 。 廃 立 で み れ ば 念 仏 も 定 散 の 粋 を 出 で ず 説 き 尽 す こ と は 出