井上円了と真宗
著者
田村 晃祐
雑誌名
井上円了研究
巻
6
ページ
96-112
発行年
1986-12-27
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006781/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja一 はじめに ﹁井ヒ巴了と真宗一‘.一い・、、テ‘ーマでしばらくの間、私の見るところの学祖︵井上円.・−︶の真宗理解の特徴というよ うなと、∪につい︹、、お話﹁三甲し﹂げたい−.苗心います。W子祖は新潟県の真宗の大谷派の茅院に生まれて、本来ならばお 寺を継いでお坊ン.﹂んになられる立場であ︹.一たわけでし、参うけれども、いろいろなものを読んでみますと、どうもr供 .の時はお析切㌔、丁んになることに反戌心をも・、 、い一、、﹁鎖を剃っデ、数珠などをもってまわリメへにム云うのは嫌だったよ・つですe 学゜阻は﹁仏教には道理がないと思っていた﹂という理.論の面もあっ、たでしょうが、感情的にも僧侶という存在に反発 しげ、いたような感じがいたします。それで儒教を学ぶわけです。儒⋮教に対してもあまり真理性を認められないという こ三で、そわから洋ぷ.寸、英語なビを学び、キリスト教に対してもあまりそれを受け入れるような気持ちになれずに、 それで.西洋の哲学を学ぶにいたった..哲学を学んでみて、その立場から逆に仏教を見返してみると、仏教の中には西 洋の哲学に通ずる道理が含まれていたという思想的な遍歴を経た方のようです。明治十八年、大学を卒業する年でしょ
田村晃祐
︵東洋大学文学部印度哲学科教授井上円了と真宗
96うか、自.分は仏教という己、﹁ノを見直すに至ったんだというようなことが書いてあるもの.もあります。 それでどうh∵z‘、・形で仏教の中に真理性を認め、道理を認めることになったか︼いニノと、どうも仏教で称すろ中道と いいますか﹁裏ん中の道.﹂に、西洋哲声子に通ずるもの.を発ロ兄したようです。私はよくわかりませんけれども、ロック が経験論で、ラ./.−.フ .・一.ソ.Vか本然論、そしてカントがそれを統合する、あるいは唯物論と唯・七論とを、他の人が統合 した説とえ、あ.○いは・.F.顯∵砲と.客.濁㌣爾を紡⋮ムロしたへーゲルの∼埋相心論だとか、いろいろなことを考えまして、二︵ごの.極 端な考え方を統合したところに道理杉﹂認めろこヒが、学祖’の西洋折口学に対す.夕見方でちったよ当ノです.。﹁.総ムロ﹂と 言わ ずに﹁.統ム[∵と∵・、、.言葉を使ってい撒・U..そ二・.いう立場で仏教をみます・二、仏教は中道、真ん中の頂τいうこ・・︸11︶主 張じております、例えば仏教の中に口含経、小乗仏教の教えがあるけれども、これば.い﹁法が有る﹂という働.圓を強調 する教えであるのに対﹂して、.恨若経.二いうのは一切皆空二いうことを・︸↑]張するわけですけれども、いうなれば﹁有﹂ に対、しては⋮..紐い.の鰺∵.・三Lある口.それに.対﹂じ・て法華ば杜レ一か、浬般ポ経といえノのは中嚇迫で.右どし一﹁空.﹂を中にA弓んだ・ら一 いう融合した立場である.....川巳融﹁という円く融﹃.合う.という言葉を使いますけ.れども、あついは倶舎論が唯物的’、、あ り、,法相占示W.已唯・心的、であン﹁﹂に汁、..二..、r入・ぢが巾㍑⋮巡で仁初るレ.一か、いろいろなことを⊂争.げまLぐ︸、〃⋮教・目・身の.直︹理知飢が山. 道にあ川、、,統今ニニか一中一ん・七張斗・る点で道理㌢.一認めるとい㌧つ舷㌣、仏教の.真理を認め、たよう一\ナ.ですから、そ∴.ノ いう立場で亘、宗の教理の基本をみて㌧く..・ ころが、円了の見.方の一番.の中心でもあるし、これはまた真宗教学の本流 に根差﹂す・口のであ.三とい・つ..= ]い.万、を㌧てもいいのではないかと田心います曳基−本はプてう.いう‘こころ.にあります・けれども、 もう少し細かなL二こz、.をみてい.’.二’・・☆.こ、学阻白︺.身が少.し.ずつ考え方や見方が変わるというレ.一ころ.もありまして、少 し面白いと思う・﹁ごつクところ・もあり£丁ので、それを少しご紹介していきたいと思います。 97
二 学祖の亘 宗観 学祖は仏教の中で、真宗がどうい二,位置をしめるかということを、いろいろな形でみています.。主なところは同じ ですけれビも、少しずつ違う図表が書いてあります。ここに出した表は;、日本仏教﹂という書物の中に書いてあるも のを中心として書いたもので丁けれども、これですヒ仏教の中でヒいっても口本のことを中心にして書いています。
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築 U,﹂..﹂一R訂二ー μL 刊↑日目、延、 一 日本仏教ー⋮ ﹁ 一 [ 実 際宗 rL}感智
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.権大乗 ﹁実人﹀乗 .世間道 ここでは日本仏教を出世間道と世間道の二つに分け︹、いる..これはどの宗派が・出世間道で、どの宗派が世間道であ るかというふうに分けているわけではありませんで、同じ︷示派の中でも出世間、即ち悟り自身に関するもの、仏教の 本質に関するものと、それから世間道というのはそういうものを世俗的に生かしていく道と、そうい・つ二面性がある というところで世間と・出世間と,分けておりまして、宗派によってこの宗派は出世間だ、この宗派は世間だというふう に分けているわけではありません.、ただ出世間㍉兵迫の中を理論宗と実際宗、理論宗は道理宗という言葉を使っているヒ ころもあるようですけれども、理論宗と実際宗に分けているわけですけれども、理論宗というのは大体奈良時代、そ 98れから平安時代の仏教を理論宗と呼λで、鎌倉時代の仏教を実際宗と呼んでいるようです。理論と実際というものを ビこで分けているかというと、理論宗は理論を表に出している宗派ということです。例えば天台宗では、理屈から言 うヒ﹁凡てのものは本来仏である﹂・こいう立場を取るわけですね。本来仏であるという立場を貫けば、生まれながら にしてはじめから凡てのものが仏であるヒいうならば、修業なんかいらないじゃないかというようなことになるわけ です..ヒころが実際には迷っている人間だから、道理からいえば仏であっても、修業して悟りに達するということが なければ仏教としての実際の役割は果たすことができないという面がありまして、そういう面がいろいろな形で取り 上げられて、例えば道元なんかもそういうことを取り上げて問題を提出し、凡ては本来仏であるという一線で修業の 理論化を行っていくということになるわけです..そういう二つの矛盾した面を持つ中で道理の面を表にしていくもの を理論宗、それに対して実際に自分達が悟りに到達するという面を表に出しているものを実際宗と区別をしたようで す. それで先程、中道あるいは融合、円融という言葉を使いましたけれども、こういうのも理論宗と実際宗というもの はどっちを表に出しているかというものであって、決して理論宗ならば理論一点ばり、実際宗ならば実際だけで理論 がないというようなわけでないとみているようです。ですから奈良時代、平安時代の仏教は理論を表に出した宗派、 言うならば・実際の修業よりも理論を表.面にし、重視している。鎌倉時代の仏教は理論的な面よりも実際に悟ることを 中心にしている宗派だという意味で分けていったようです。理論宗のなかを哲学門、宗教門、あるいはそれを小乗、 大乗、権大乗、実大乗と分けてありますけれども、それは出世間道、世間道の場合と同じように、理論の中の哲学的 な面と宗教的な面ヒいうこヒで分けていって、宗派による区別というわけではない。権大乗、実大乗、ここのところ は宗派に対する分類になっておりまして、権大乗というものは大乗的なといいましょうか、大乗に準ずるようなもの 99
という二とですけれども、法相宗と三論宗が権大乗で、天台宗、華厳宗、真言宗などが真実の大乗だというようなこ とで分けヱ、います。それから実際宗のなかを智力宗と感情宗という二つに分けておりまして、ここが学祖の独特のと ころになるんだろうと思います。これはその起源がどういうところにあるのか、私はむしろ教えていただきたいと思っ ているんですけれども、人間の心の働きを智力と感情の二つの面で捉えているようです。そして智力を表に出す宗派 と感情を表に出す宗派と分けていっているようです。智力を表に出している宗派がいわゆる聖道門、禅とか日蓮だと、 それから感情を表に出している宗派は浄土宗と真宗だということで、したがって真宗は日本仏教の中の出世間.道で実 際宗の感情宗というような位置付けを、学祖は与えられています.、 それで感情という言葉で実際にビういうものを称しているかとなりますと、これは二つの面があると主張していま す。 一つは人間の立場で感情中心、それからもう一つは仏の立場で感情中心というような、二つの面から感情中心だ ということです。人間の立場ぞ、の感情・中心とは人の賢愚を問わずいかなるものにても信じ得られる教義を説き、ただ 信念とか依糠、仏による・二か仏を信ずるというような立場に立っている。こうして[.信ずる﹂とか﹁依る﹂というこ とが智力に依るのではなー感情に依るのだというわけですね。したがって信仰中心といいますか、信心を中心とする 宗派であることは、すなわちわれわれ人間の感情を表としている宗派なのであり、さらにその感情について、感情に は実は高等な感情と下等な感情があるといいます。下等な感情とは、例えば雷を恐れて雷を支配している神様にお祈 りをして、雷の害を防いでいこ三ご いうのが愚民の信ずる下等な感情であるのに対して、真宗は阿弥陀仏を信ずると ㌧つことを通じて真正の徳性を啓発し真善美を包有するというような言い方ですけれども、高等な感情に属するんだ ということを主張しているわけで、す。それから仏の方も、真宗の教学では感情が表に出ているんだと主張いたしまし て、これは仏というものは智慧と慈悲という二つの徳をもっている、智慧と慈悲の二つ.の徳をもっている問で、阿弥 100
,陀仏が人を救うというの.は慈悲によるんだと、智慧によるの.ではなく慈悲によるのは智慧ヒ感情と二つに対立させれ ば感情の部分に入るんだ・二いうことで、われわれ人間の信ずるという立場も感情の分野に属す.るし、それを慈悲をもっ て救三つという仏の立田プも蔵合情の立場によるし二いうことで、亘ぶボなどは威心情︷示とい弓立場ばに人るんだと・王張しているわ けです.、ただ、聖道門と浄土門の分け方のところで、どう1ーン初期の頃は、聖道門は智力というニとに対し︹、、浄七門 は感情というこヒに当てはめていきます。浄上門は智に対するものという意味で、愚かな男性、 、、 、 ーuのなんビ㌧といーつ肯痘物で、 ン.†畑mはみてい七長トごつです。 ﹃仏教活論序論﹄明治二十年の著作に聖道門は﹁自ラ理ヲ究.メ行ヲ修ム﹂し二いうのに対して、浄土門は[唯、他ノ カニヨ⑭、テ成仏スベ・/、それから聖道門は白力に−.治る、浄土門は他力に、土る、聖道門は難行だ、浄仁門は易行だ、聖 道門は渓貝利.、汚伊土門は愚鈍なるもの、 したがって聖・適門は﹁知者きナ者︸二滴︸ス﹂、浄土門は﹁漫㌣宏愚婦二滴一スル法﹂/1︸い う分類二の仕.方をしていたわけです..ただ、これは浄土門は萬心夫禺心婦︰の教えだレ一いう規︷疋の仕方を已貝いていきます.と、 やっ.はりこれは真巨示・シ∨しては具合が悪い..真宗を信ずるものは愚かなもので、知識のあるものはみんな聖道門かとい う.︶レ︶になると具合が悪いことになるんじ⇔、ないか、学祖は、この点を後では方向を少し転換しているよ.うな感じが いたします、これは真宗自身の思想や考え方、浄土門自身の考え方の中で、例えば龍樹という昔の人は仏教には目的 に到達するのに無量の門が開かれていて、したがっ一、目的地に到達するために易行ヒ難行という二つの道があるヒい うのです.それで仁又L入志幹と圭日いてありますけれども、立派な人は困難Wな道を歩’いていきなさい、これは陸.のぺ遭を歩ジ いてい・O.亡つなものだ..それから易Lい行というのは船によっ.て目的地にいくようなもので、これは・自分が努力しな くてもただ船にさえ乗れば、船が日]的地へ運ノ八でくれる。・自分の足で歩いていくのは困難な方法であると同時に、途 中でダウ、、・してしまう可能性があるというんですね。ところが船に乗︹.ていく道は易しい道であって早:確実に日的 /{.}1
地につける.、ただし、これは弱い人間︵檸弱怯劣︶が採用する道であって、しっかりした人は自分の足で歩︵という 02 道を選ぶべきだという・土うなことが書いてあります。したがって、信仰の道というのはそういう弱い人のために開か ー れた道という面が最初からあるわけですけれども、親鷺なんかは浄土の思想を仏教の中で最高の道なんだと位置付け をします、、弱い人のために開かれているという見方はありますし、悪人正機とか、親鷺自身が愚禿という言葉を用い ているということで、弱い愚かな人のために開かれていると言えるかもしれませんけれども、最甘同の道なんだ、釈迦 が.︸の世に生まれてきた目的が本来は浄土教を開くためであったんだと位置付けをいたします。そういうものが微妙 に影響してというようになりますかね。 大体学祖は蓮如という人の立場を中心にしてものを考えているようですけれども、蓮如の書いたものをみても愚夫 愚婦の教えというのではなしに、愚夫愚婦も信ずることができる教え、愚夫愚婦をも包含する教えというような表現 が多いようです。この点はある程度変わっていったと言っ︹、もいいんじゃないかと思います。実際にはっきり一三口うた めにはもっと学祖の言った.一とを並べて端から調べていかなくてはならないということがあるので、そういう感じが しますという程度に止どめて置きたいと思うのです.、少し後のものになるとやっぱり学祖自身も愚夫愚婦をも含む教 え、それから聖道門と浄土門は裏表の関係であって結局は同じものなんだという位置付けをするのに努力していると いう戚心じがいたします。 三 学祖の真理観 これは平等即差別といいまし兵うか、先程申しましたように相反する両面を結びつける、溶け合わせているところ に仏教の全体の真理というものをも認めていくようですし、真宗の思想に対してもそういう面で認めていくというこ
とがあるわけです、、これは実は浄土教の思想に昔からあるもので、浄土教に限らずに仏教全体がそうですけれども、 例えば浄土の本質ヒはなにか、浄土というところはどういうところかというこレ一になるわけです。普通、経典とかい ろいろな論に表現品、﹂れている浄土の姿というのは大変美しいところだ、極楽浄土といいまして、極めて楽しいと書い てあるわけです、見た目にも非常に美しい、いつでも静かな音楽が流れていて、その音楽の意味するところは仏法の 真理を音楽で表している、それからいつでもここちよい風が吹いているという非常に感覚的な楽しさの世界という表 現がレ、㌔れているわけです。そこに大きな御殿があってその中で阿弥陀仏という仏が実際に法を説いていら’,しゃる。 それでわれわれはこの世の中ではもう既に釈迦が亡くなってから時間がたってしまって、直接仏から教えを受けるこ とができない。これは経典という形で残されたものを読むよりしょうがない..レ=︸うが極楽浄土という世界は実際に 今、仏がい㎡、、そこで仏が説法していらっしゃるんだから、極楽浄土に生まれれば仏から直接教えを聞い一、悟ってい くことがてきるというのが伝統的な浄上教の立場です。、一,伝統的なLと付け加えたのはどういうことかというと、 はそれを一歩昇前に引き出しまして、この世で念仏を称えるヒきに浄土に生まれることが約束される。それで浄上に 生まれれば、即仏になることがで長、・ると㌧つ形に転換したわけです.伝統的な浄土教でいうと、この世で念仏したも のは来世に極楽浄⊥に生まれることができる。極楽浄土に生まれれば阿弥陀仏から直接教えを聞いて、そこで必ず仏 になる二‘二ができるというのが考え庁であるわけです。こういうふうにして極楽浄土というのは非常に美しい世界、 素晴しい、楽に満ち満ちた世界という表現がなされておりますけれども、その本・質は空だヒいうわけです。空という のは本来不可思議のものであっ∠、、われわれの思惟とか、表現を超えた世界であると言うわけです.思惟・表現の世 界を超えた世界である空の世界が、空そのものにし︸どまっているならば人々を救う力を実際に発揮することができな 03 1 い。空の世界が、空自身の原理が浄土という姿に展開することを通じて人々を救う力があるレ三]うわけです。したがっ
了祖は破恒、 一、 ﹁.㎡ 一/ ノ﹁﹁い ン” .↓ 、ノ 「 ㌔、 r 、 ’ ー﹁ ・ P .← .rノ ツし一 〕 ユニ 、・ ’、 ’:一 コ罫弔 −﹂メ
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.仁’ ./ い つのと、 そ .7 、刀 v L) ﹂ .し. つ つは差別の世界の中では ノ ー \.、、 う ・〆 つ.ジ ︶ .自︶ ド一 ろで真俗 工 目「P の特 色 し 1 」 ソ ー1.. .ノ も ・ノ レ) 辿 (}.’ 兄日 三口什ロノ / \ /し ≠ミ i_ レ 1」 ’. m てお よー︹プ.\、 啓示と、 ㌧ρ、.こ との中にも平等即差別と ﹀ ー旨 ノ 、. 〉・形をみ ていーわ、﹁﹂ご+ 、 ’二 ー\ 糧.=を ’㌔ Eま︶ 、 /一\ ’ ’sL れで真宗はそういう.啓二口.の宗教である.。 量的・ま、 釈迦が啓示したものをわれわれが信 か持たないもの 1.. .lrt j・ 恥] ﹁ ; .L 撃 人間の智慧の.限界を超えた.不・可知の方から.自分の上に感知せらるるしのを啓示−こいう.んだ ,L オ ↓∠ \ 不 吋 知 )り万 から 巧:) が .L ワ一 蔵心拍﹁せらるる夕 い ︶ うノレ ー∨ ト L・ます、 人間の智慧というのは有限なものだ, 有隈な智慧しえ方とウェイトの置き方がかわっイ、いるところがあるように思います。 一番にあげたのが報謝の念仏です。このこと についグ、親・鷺はどう考えているかといわれるとちょっと困ってしまうところがあるんですけれども、報謝というのは、 仏に 二恐謝するへ.心仏L一Cあるというわけですね。これは親鷺の言葉をあげれば﹁念仏を申さんと思い立つ・心の起ると き、すなわち摂取不捨の利益にあずけ.いしめたまうなり﹂ということで、念仏を称えよう・二いう心が起こ一.たとキ、\にも う仏に救われるということが決圭るんだというふうに言うわけですね。これはそれなりの特色がありまして、それま で法然だったらおそらく実.際に口で念仏を称えるという行為にかなりウェイトをもって見ていたことになるんでし.▲ うけれども、親.鷺は念仏を称えようという心が起こったときに救われるんだといって、信ということを非常に強調す るわけ、です。そこで来世に極楽往生が決まっ、たら、すなわち念仏申そうという心が思い立っ、たら、その後はなんにも しなくていいかという問題になるわけです。ところが、念仏の行者は一生死ぬまで念仏を称え続けるわけです。それ じゃ信が確立した後の念仏とはどういう意味をもつかというと、阿弥陀仏の救いに対する報謝、ご恩に報いるための 念仏なんだというわけです.、これは親鷺の中にまったくないではないんですけれども、ほとんど親鷺はこういうこと は言わないことであると思います。真宗教学の研究家などでは親鷺の曾孫にあ.たる覚如が、信心を確立したヒの念仏 は報謝のための念仏だとい’つことを非常に強調していったし、それを受けて蓮如という人がこれを強調したんだと言 われています。実際の蓮如の書いたものをみますと、御恩報謝のために念仏を称えなさいということが終始でてきま して、報謝の念仏ということが強調されています。それで学祖の書いたものを見ると、へ.心仏を称えることは報謝の念 仏だということで、﹁.仏カノ不思議ヲ信知シテ、コレニ帰順スルヲ言ウ、其ノ心定マリタル上ぺ、其日夜・/称名へ報恩 ノ業務トシテ、仏恩ノ広大ナルニ報謝スル意ナリトス﹂と、報謝の念仏という考え方を受け入れています。そういう ことになると、学祖は親鷺自身よりも親鷺以後に発展した真宗教学の立場をそのまま受け入れているという感じがす 1〔}6
るわけです.. それから、真俗二諦が大きな問題になるだろうと思うんですけれども、これは仏教の教説を真諦と俗諦という二つ の面に分けるという考え方がいろいろな分野で出てきます。いろいろな分野といいますと、三論宗は三論宗でそうい うものを出しますし、いろんな宗派でそれを持ち出すということになります。そのときに真諦とは=応考えれば宗教 的な真理とい・ユ思味で、俗諦とは世俗的な真理という意味になるわけですけれども、世俗と真実というものをどうい うところ︹.・分けて考えていくかというと、これはいろいろな段階のものがあ.りまし一、、 一概に表現することができま せん。ち.奏っと他の例を持ち出しますと、例えば維摩経という経典の中では空ということについて、文殊菩薩と維摩 居士がそれぞれ意見を出すわけですけれども、文殊は空ということは不可思議であると述べます.、不可ということは できない、思は思うですね、議は言葉で表現するということで、、空というのはわれわれの思惟を超えたものであり、 表現を超えたものである,したがって、空というのは本当はわれわれが考えることも表現することもできないものだ と文殊が言った。それに対して維・摩に、あなたならどういうふうに言うかときくと、維摩は全然黙ってなんにも応え なかった、 一言も発しなかったと書かれているわけです。そうすると言葉では表現できませんよというふ・つに、言葉 で表現した世界というのは俗諦だというように当てはめて言うこともできるわけですね。それに対して言葉で表現で きないならば黙っグ、いるよりしようがない、黙っているというのが真諦にあたる。そう言えるだろうと思います。こ ういうふうにしπ、仏教の真理そのものを無言でいるのと、言葉では表せないというように表現することとが真諦と俗 諦ということになれば、その場合は俗諦を通じて真諦を表すことができる。文殊が言葉で表現できません、考えるこ ともできませんというふうに言ブ.てくれたおかげで、維摩が黙っイ.・いることの意味がよ・、理解できる。俗諦と真諦と、 07
1
両用相まって真実の世界を開顕し、表していくということになる。そういうことは真諦と俗諦というものに対する程度の高い考え方という.︸とになりましょうけれども、真宗の教学の中で真俗二諦とい二,・こヒを強調したのが蓮如であっ、
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たわけです.. 1
蓮如は、真宗の信者は表にぱあんまり真宗の一信者らしいところを出すなというのですね.、表側にはその・二きの世俗 的な法律ヒいいますか、世間的な道徳というようなものを受け入れイ、、それを表に出していきなさい..例えば、干法 というのはm世間的な教えというこし二になり←.﹀すけれども、﹁王法をしてもととし、仁ご我を先として冊]問通途﹁の主我に準じ て﹂世間に普通に通用している・.ご・!なやり方に準じて、そして.当流の安心をば内心に深くたくわえて、外相に法流 の姿.を他家に見えぬよ・つに振舞うべしL心の中に自分の信仰というものはたくわえていて、外側にそういう信仰をもっ ているヒいう姿を示さないようにしていきな二、︶いヒいうわけです。そ二,・い・つことの巳体的な姿として﹁神社を軽しむ ることあるべからず..一それか∴、、﹁諸仏菩薩ならびに諸道を軽しむるべからず⊂﹂いろいろな他の宗派とか、他の宗教 の御堂なんかを軽んじ一、はならない..﹁諸宗諸法を誹誘すべからず。﹂他の教えを非難してはいけない。﹁.守二護地頭を粗 略・にすべからず,.﹂守護.地頭という支配者をいいかげんに扱ってはならないー。﹁国の仏教の次第非義たる問正義に赴く べきこと.﹁国の中で行なわれている仏法が道﹂理に合わないものであれば、これは内・心でL二いうことになりましょうけ れども、正しい仏教に赴・・べきだ.、﹁当流のたつるヒころの他力の信心をば内心に深く決定すべし。一自分の真宗の信 仰というのは心の中に深く確立すべきであっ、て、外側は王法、世問的な道徳、あ.るいは法律・みたいなものに従ってい ー・+うにということを蓮如は強調するわけです..親鷺はあまり真俗二諦とは言わない、そういスノ一、百葉を用いないよう に思います,.親質自身の行なったことというのは仏法−中心、信仰中心であって信に反するものはどんなものでも排撃 していくとい・つ立場をと’,.ているわけです。したがって師の法然が流されたときに、﹁主上臣下法に背き義に違い﹂と 言って、天皇も天自の家来ビももそれから南都北嶺の昔からの仏教者達も儒教の人達も・官僚も、みんな正.義に違反して自分の師の法然を流し者にしたんだということで、非常に強く批判していることがあります。これは恐らく蓮如だっ たら、もしといλ、のが具合が悪いかもしれませんけれども、﹁王法をもととし一というようなことだったら、そんなと ころ.まで非難はしないんじ巧、ないかというようなことがあります。 ち..訴っと余談になりますが、第..次大戦中、真宗の天皇批判というのは具合が悪いということで、主﹂臣下の﹁主 上﹂というところをわざわざ抜いて印刷させたということがあります、,私の持っ.ているテキストも主上というところ が抜けているんですけれども、あるいはここを親鷺の書いたものと別に﹁.・王上の臣下﹂レニ﹁の﹂を入れさせれば、天 皇が悪くな・・て家来だけが悪か︹、たということになるというようなものがあるそうです、、それから親轡一は自分のもと の弟子であrノても、親.曾、の直接の手元から離れたときに昔からの信仰に戻っていってしまった人達のことを非常に非 難しています..そういうやり.万をしていまして、親鷺という人は王法なんてことはあ.んまり考えなかったんじゃない か、 一途に法自身を中心にする考え方をしていったんじ朽、ないかというふうに思いますけれども、蓮如︵ーついになる とこうして世俗への考慮とい∫、のが非常に強く出了、一れてーることになります。、 それで学祖は護国愛理ということをよくおっし○、いますけれども、一国を護るLということと﹁理を愛.する﹂という 両面を持っていることは、私なんかの立場からみれば学祖は蓮如教学をそのまま受け継いでいて、俗諦門をもう少し 強調した形で護国ということを主張し、それから真諦門を真宗教学、愛.理という形で生かしていって、明治的に蓮如 の真俗二諦を生かした形をとった・万だなという気持ちがします。したがって、﹁二諦兼行ヲ以テ其ノ宗,・本旨トスル、 ︵中略、真諦門につ.いては省略︶、俗諦門,・上二考フルトーキハ王法為本ヲ説キ敬神愛国﹂、国を愛するという言葉まで は、私は蓮如では出てこないと思うんですけれビも、王法を本と為すレ一いうこレ一を展開させればやっぱり国を愛する、 09 寸− 国を護るという思想に展開するλじ若.ないかと思います。﹁仁義礼譲ノ如キ世道ヲ遵守スルコトヲ勧メ、国家卜共二其
教ヲ盛ンニセンコトヲ期シタルガ如キ是ナー−・Lということを﹃真宗哲学大音心﹄という書物の中で書いておりまして、 10 こういうものをみていますヒ、学祖の思想の根底というのは蓮如教学にあ.るんだという感じがします。 1
五学祖と真宗思想
学祖の護国愛理.は私なんかの﹂巳場からみれば、真俗二諦の.生かし方であろうという気がいたします。それから次に 迷信の排撃ということで、いZ、いろ学祖はなさったわけですけれども、こういうものも真宗の立場からみると親鷺と か、真宗の立場を明治的に生かLた形であったんじゃないかなという気がいたします。親鷺という人は阿弥陀仏への 信仰ということに徹します..そうするとたとえば[口がいいだとか、悪いだとか、方角がいいだとか、悪いだとか、あ あいうものは煩悩の表現、人間の迷いの表現として表れるというふうにみていきまして、そういうものを人間がもっ ているということは悲しいことだということで否定していきます。例えば有名な和讃というもののなかに﹁悲しきか なや道俗の良時吉口えらばしめ一、悲しいことである。お坊さんも俗人もいまは良い時だとか、悪い時だとか、あるい は吉日、今日は結婚式に良い口だとか、そういう吉日を選ぶ、一、天神地舐をあがめつつ、卜占祭祀をつとめす﹂、天の 神様、地の神様なんていうのをあがめながら、占いをしたり、そういう神様を祭るをつとめとするということを非常 に嘆い一、います.、こ・ついうのもふ、、二・、う蓮如の諸宗諸派を非難しない、そういう御堂を軽んじないという行き方とあ. る程度違うんじ塘、ないか。正反対ですというわけにはいかないけれども、重.点の置き所が違うんじゃないかという感 じがしますし、そういうような関係のものを親鷺はいろいろ書いておりまして、.悲しきかなやこのころの和国の道俗 みなともに仏教の威儀をもととして、天地の鬼神を尊敬すL、日本のお坊さんや俗人は仏教のふりしていながら、実際 には仏教以外の天地の神様なんかを尊敬し〃、いるというようなことですね。そういうようなものを非常に批判している。それで俗に 門徒もの知らず と言われまし︹、、真宗の教徒はものを知らないレ三口われますけれども、これはた だ知らないというこヒだけではなくイ、、われわれか・つ言えば迷信的な要素を積極的に否定していーというのが真宗教 学の立場だということになります。そういう立場が学祖の迷信排撃というような立場となって現れたんじゃないかと いう感じ、これはち、本っと我田引水ということになるかもしれませんけれども、そういうところがあるんじゃないか という戚嘗しがしているんでナ。 それで以上述べたことを要約しますヒ、学祖の真宗観とは、基本はやはり真宗の昔からの教学というものを受け継 いでいて、それを新しい言葉で検討し、新しい衣を着せているというところに新しさがあ.るヒ思いますけれビも、も う一歩突っ込んで言うと親鷺自身の考えよりも、その後で発展した蓮如教学を中心にして考えているんじゃないか、. これは当然といえば当然であ二,、て、今でも大体はそうでしょうけれども、真宗の教学の中心というのは非常に大きく 蓮如の考え方に動かふ・ れ︹、いるところがあります。更に言・つならば、そういう蓮如教学を中心とし一、、外側からみて いったのが学祖の.立場じわ、ないかと思います.。これは真宗でいうならば蓮如教学というものを底一において、それを外 側というと語弊があるかもしれませんけれども、外側から眺めて新しい色合を見出だしていったところに学祖の特色 があって、それはそれなりに私は役割は果たしたんだと思うんですけれども、例えば、学祖の後で東本願寺から派遣 されて東大の哲学科を出た清沢満山、﹂という人は、真宗教学を外からみたというよりは、真宗教学を自分が.西洋哲学を 学んだ知識とか、そういうものをもとにしながら真宗教学を生きる努力をしていった人なんだろうと思うんです。そ ういうところで新し鼻、﹂が・出てくる。学祖とはちょっと違うところがあっ︹、、初期の﹃.宗教哲学骸骨﹂なんかですと、 仏教の立場でみれば華厳教学をかなり取り入れている。華厳教学をべースにして、そして西洋的なものレ一ミックスし 11 1 ている、調和をはかっているという感じにみえますし、そういうものを基礎として他力的に展開していった。他力の
哲声子レ一い・︵、のは結局、哲三子体方ボ化がア、きなかったというような批評をする人もいろよう.ですけれども、 やっ.ばり、法旧沢 師はそれに﹁生きる ﹂二いろ立場・ゲ﹁・一っている.vところがμ子祖は蓮如教巳子を.三力る﹂とい・つ∴1場・乙ニレ﹂っていたのでは ないか.、そんなー二ニノ.に学祖の真宗観.の特色があ.っ.たんではないかと思いますし、それはそれなりに明治の.初期にあっ ては恐らく大きな役割を梁た‘.ご..∵八だろうと思いま.す..この研究会の.趣旨はむしろ幕末から明治にかけての仏教の廃 仏殿釈ヒか、大教院の問題ですか、ああいうような過程から仏教がまた勢力を復.活々.﹂せていくといいますか、そうい うような過程の中で学祖の真宗観とい・つもの.、あるいは学祖自身の働きというものはこういう役割を果たしたかとい うようなことの検討が・エな目的かなという考え方もしていたんですけれビも、ちょっ.とそう.いうことをやるには時間 がありませんでした.,これ撒で私がみていた円了ぷ子祖の直ぶ示観・の.特缶]みたいなことを沐一べふへ﹂せていただいて、責め、を ふ身.﹂がせていただきたいと思うわ一▽ですc 長い間あ.り..がレ うございました。 112