印度學佛敎學硏究第67巻第2号 平成31年3月 (92) ― 951 ―
『法華経』「法師品」〈逆者得罪段〉の一考察
―「毀罵如来」と「毀呰法師」による罪の計量―
白 景 皓
1.はじめに
『法華経』流通分の冒頭に位置付けられる「法師品(第十)」〈逆者得罪段〉は, 如来に対する非難(SP 227.5: avarṇaṃ bhāṣet(略称:「毀罵如来」))と法師に対する悪罵(SP 227.6: vācam apriyāṃ saṃśrāvayed(略称:「毀呰法師」))による罪を記述したものとし て夙に知られている.『法華経』の諸漢訳,チベット訳及び先行訳は「毀罵如来」 と「毀呰法師」による罪の軽重について異なる二解釈を与えているが,その両者 による罪の軽重の論理を解明する研究が未だになされていないのが現状である. 本稿では,「法師品」のサンスクリット原典に基づいて,該当するチベット訳, 漢訳及び先行訳それぞれの解釈を検討しながら,法師の役割について考察を行 い,「毀罵如来」と「毀呰法師」による罪の軽重の論理を解明することを目的と するものである. 2
.〈逆者得罪段〉の二解釈
『法華経』のKN本は以下の通りである.SP 227.4–7: yaḥ khalu punar bhaiṣajyarāja kaścid eva sattvo duṣṭacittaḥ pāpacitto raudracittas tathāgatasya saṃmukhaṃ kalpam avarṇaṃ bhāṣet | yaś ca teṣāṃ tathārūpāṇāṃ dharmabhāṇakānām asya sūtrāntasya dhārakāṇāṃ gṛhasthānāṃ vā pravrajitānāṃ vā ekām api vācam apriyāṃ saṃśrāvayed bhūtāṃ vā abhūtāṃ vā | idam āgāḍhataraṃ pāpakaṃ karmeti vadāmi1)|
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』(T9.30c29–31a03)・闍那崛多 多共訳『添品妙法蓮華
経』(T9.165b15–18),Kern[1884: 222],中村瑞隆[1990: 220]及び松濤誠廉[2002: 10]は,yaḥ yaś ca 構文を逆接と理解し,「毀呰法師」は「毀罵如来」より罪が 深重であるとする.これを第一の解釈とする.またさらに,竺法護訳『正法華 経』(T9.100c13–16),チベット訳(D167a6–167b3; P98b3–98b7; S247b4–248a2)及び岩本裕
(93) ― 950 ― 『法華経』「法師品」〈逆者得罪段〉の一考察(白) [1976: 147]は,同構文を順接と理解し,「毀罵如来」及び「毀呰法師」による罪 が非常に深重であるとする.これを第二の解釈とする. しかしながら,当該長行と「法師品」重頌10, 112)は,第二の解釈を支持して いないのである.これらの重頌では,「毀罵如来」と比較して,「毀呰法師」によ る罪がより一層深重であることが明示されており,第一の解釈の妥当性が証左さ れている. 3
.「毀罵如来」と「毀呰法師」による罪
「毀罵如来」は仏の面前で非難の言葉を口にする行為である.『法華経』では, そのような具体例が挙げられていない.『本生経』「マハーパドゥマ本生」では, 旃沙女(Ciñcāmāṇavikā)が釈尊と彼の僧団の面前で「沙門ゴータマ(=釈尊)に帰 因して妊娠した3)」という虚言を語り,釈尊の名誉を損害した物語が記述されて いる.旃沙女の「毀罵如来」による罪は,生身のままに無間地獄に堕ちることで ある4).同経が「毀罵」の時間を限定していないため,旃沙女は一度であって も,如来を 謗さえすれば,深重な罪の果報を受けることになっている.よっ て,『法華経』が提示した,一劫の間(kalpam)の「毀罵如来」による罪がどれほ ど重大であるかが想定されよう. 一方,「毀呰法師」は法師に対して悪罵することである.『法華経』「常不軽菩 品(第十九)」では,法師(dharmabhāṇaka)としての常不軽菩 が登場してい る5). また,『法華経』を聴聞し,受持した上,四衆達に説き明かす常不軽菩 は, 法師であると明示されている6).同品は,常不軽菩 を悪罵する者達の罪は 「仏」,「法」,「僧」という三宝と出会う機会を失い,長時間にわたって無間地獄 にとどまることを提示している7). 4.『法華経』による法師の役割
「法師品」は,「如来として現れた者(tathāgatadarśī)」,「如来の仕事をなす者 (tathāgatakṛtyakara)」というように法師を定義している.本節では,『法華経』によ る法師の役割をより一層明示するために,法師の身分,義務,教化という三つの 方面から検討していく. 4.1.法師の身分 「法師品」を見ると,法師は性別によって限定されずに,衆生 達に『法華経』を聴聞させ,説き明かす善男子あるいは善女人である8).そし(94) ― 949 ― 『法華経』「法師品」〈逆者得罪段〉の一考察(白) て,本稿の2.に挙げたKN本が提示しているように,法師は特定の修行生活に よって限定されぬ在家者あるいは出家者である. 4.2.法師の義務 「法師品」では,法師は如来の使者(tathāgatadūta)として登場し ている.『倶舎論称友疏』では,「勝者の使者(jinadūta)」について,如来の使者は 如来の代わりに,如来の義務を遂行する者であると確認される9).如来の義務を 遂行する場合,如来からの加護を持っていることが理解される.さて,如来の使 者としての法師が遂行する義務とは何なのか.『法華経』「方便品(第二)」〈一大 事因縁段〉では,衆生達に仏智を獲得させることは如来の唯一の義務であると提 示されている10).これも法師の義務であると確認される. 5
.「毀罵如来」と「毀呰法師」による罪の軽重の理由
5.1. 謗者の『法華経』拒絶 『本生経』「マハーパドゥマ本生」は旃沙女の「毀 罵如来」の動機が如来の利得と名誉を妬むことであると記述している11).一方, 『法華経』「常不軽菩 品」は「毀呰法師」の動機が『法華経』の一乗思想を拒絶 することであると記述している12).また,『法華経』「譬喩品(第三)」は『法華経』 への拒絶による過酷な罪について,拒絶者が長時間にわたって無間地獄に何度も 堕ちると記述している13).従って, 謗者が『法華経』の一乗思想を拒絶するこ とがあるか否かという立場から見れば,「毀呰法師」は「毀罵如来」より罪が深 重であると考えられる. 5.2. 謗者の『法華経』流通 「法師品」は,『法華経』の流通手段について,他 者に聴聞させ,受持させることを始め,説示し,ないし尊崇の心を起こすことを 提示している14).そして,同品は『法華経』流通の意義が速やかに仏果を獲得す ることであると明記している15).本稿の4.で見た「毀呰法師」の罪によれば, 法師を悪罵する者は,無間地獄にとどまり,「仏」,「法」,「僧」という三宝と出 会う機会を失う果報を受けることになるので,自ら『法華経』を聴聞すること も,『法華経』の一乗思想を衆生達に流通することもできないのである.そうす れば, 謗者自身が速やかに成仏することを妨害していると言える.一方,「毀 罵如来」による罪によって,地獄に堕ちるという果報を受けたとしても,『法華 経』の聴聞,説示などの流通の機会を完全に失うわけではないので,「毀罵如来」 による罪が速やかに成仏することを妨害することにはならない.従って, 謗者 が『法華経』の一乗思想を流通し得るか否かという立場から見れば,「毀呰法師」 は「毀罵如来」より罪が深重であると考えられる.(95) ― 948 ― 『法華経』「法師品」〈逆者得罪段〉の一考察(白) 6
.結論
「毀罵如来」と「毀呰法師」による罪はそれぞれ,無間地獄に堕ちることと長 時間に亘って無間地獄にとどまることである.法師は,在家にせよ出家にせよ, 「如来の使者」として,仏滅後,如来の代わりに,衆生達に仏智を獲得させると いう如来の義務を遂行し,『法華経』の一乗思想に関して説示する者である.「毀 罵如来」と比較して,「毀呰法師」は 謗者の『法華経』への拒絶が示唆され, 無間地獄に堕ちることは 謗者の『法華経』の聴聞から尊崇までの流通機会を阻 害する原因となる.「毀呰法師」が「毀罵如来」より罪が深重であることが『法 華経』作者達の一乗思想の流通意識を明示している. 1)TH本215b5–216a3によれば,構文上の相違がない. 2)SP 229.7–10. 3) JT 188.10. 4) JT 189.6–7. 5) SP 379.5–6. 6) SP 380.10–11. 7) SP 382.6–9. 8) SP 224.11–225.5. 9) AKVy on AKBh 2.45ab. 10) SP 40.3–10. 11) JT 187.10– 12. 12) SP 375.2–5. 13) SP 94.1–4. 14) SP 226.1–6. 15) SP 228.6–7. 〈略号〉AKVy: Abhidharmakośabhāṣyavyākhyā by Yaśomitra. Ed. U. Wogihara, Part II. Tokyo: Sankibo
Bud-dhist Book Store, 1971. D: Dam pa i chos pad ma dkar po i mdo: bka gyur. Ed. sDe dge, mdo
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KN: Saddharmapuṇḍarīkasūtra, Eds. Hendrik Kern and Bunyiu Nanjio, Bibliotheca Buddhica 10. St.
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Saddharmapuṇḍarīka Central Asian Manuscripts: Romanized Text. Ed. Toda, Hirofumi, Tokushima:
Tokushima Kyoiku Shuppan Center, 1981.
〈参考文献〉
Kern, Hendrik. 1884. The Sutra of the Lotus Flower of the Wonderful Law. Repr. New York: Dover, 1963. 岩本裕・坂本幸男1976『法華経(中)』岩波文庫. 松濤誠廉2002『大乗仏典 法華経II』中公文庫. 中村瑞隆1990『現代語訳 法華経〈下〉』春秋社. 〈キーワード〉 如来,法師,罪, 謗 (広島大学大学院)