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Vol.40 , No.2(1992)062八木 宣諦「明治期浮土高僧の名号について -徹定と行誡-」

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Academic year: 2021

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印 度 學 佛 教 學 研 究 第 四 十 雀 第 二 號 平 成 四 年 三 月 三 〇 二

-徹

誠-八

幕 末 か ら 明 治 初 期 に 浄 土 宗 を 代 表 す る 指 導 者 に 養 鶴 徹 定 ( 一 八 一 四-一 八 九 一) と 福 田 行 誠 ( 一 八 〇 七-一 八 八 八) が い る。 両 師 の 名 号 を み る と、 徹 定 は 中 国 的 な 骨 気 あ る 書 法 で 書 か れ、 行 誠 は 純 目 本 的 な 和 様 体 の 清 楚 な 筆 致 で 書 か れ 好 対 照 を な し て い る。 し か し 江 戸 末 期 迄 の 名 号 変 遷 史 か ら み る と、 両 名 号 と も 型 の 踏 襲 に よ ら な い 独 自 の 新 風 に よ っ て い て、 維 新 明 治 期 の 高 僧 の 気 慨 が 書 に 表 わ さ れ て い る こ と が 感 じ と れ る。 浄 土 宗 に は 南 北 朝 か ら 江 戸 時 代 を 通 じ て 近 代 に 至 る 迄、 南 無 阿 弥 陀 仏 の 書 即 ち 名 号 が 書 か れ て い る。 そ の 変 遷 を み る と、 官 寺 系 名 号 は 古 く か ら 師 法 相 承 の 形 で 一 つ の 型 が 伝 授 さ れ て い っ た こ と が わ か る。 ま た 捨 世 派 で は、 称 念 や 弾 誓、 徳 本 な ど 極 め て 独 特 な 意 匠 を 凝 ら し た 名 号 が 書 か れ た。 こ れ も 仔 細 に み る と 思 想 系 譜 に よ っ て 書 き 振 り が 異 な る が、 各 系 譜 ご と に 始 祖 の 型 が 踏 襲 さ れ て い っ た こ と に つ い て は 既 に 論 じ ( 1) た と こ ろ で あ る。 そ こ で 明 治 期 に 自 由 奔 放 な 気 風 で 独 自 な 名 号 を 書 い た 養 鶴 徹 定 と 福 田 行 誠 の 名 号 書 の 淵 源 を 考 察 し 卑 見 を 述 べ た い。 徹 定 の 数 多 く の 著 作 は ま だ 全 集 と し て 刊 行 さ れ て い な い。 近 年、 ﹃ 古 経 捜 索 録 ﹄ の 復 刻 や ﹃ 古 経 堂 詩 文 砂 ﹄ の 刊 行 を 機 に、 牧 田 諦 亮 博 士、 藤 堂 恭 俊 博 士 の 論 改 に よ っ て そ の 偉 大 な 業 績 が 解 明 さ れ、 ﹃ 年 譜 ﹄ に よ っ て 詳 し い 伝 歴 を し る こ と ( 2) が で き る よ う に な っ た。 そ こ で 先 学 の 業 績 に よ り 乍 ら、 徹 定 の 名 号 書 の 淵 源 を、 四 つ の 視 点 ( 一、 儒 学 を 学 び 漢 詩 を 多 く 作 ら れ た 点。 二、 古 写 経 蒐 集 に よ る 影 響。 三、 考 証 学 的 な 面。 四、 中 国 人 士 と の 文 墨 の 交 流 に よ る 中 国 書 の 影 響。) か ら 考 察 し た い。 徹 定 は 十 四 才 の 時 と 二 十 四 才 の 二 度 に 亘 っ て、 京 都 に 出 て 儒 学 を 学 ん で い る。 こ の 事 は 徹 定 の 書 を 考 え る 基 点 に な る も の と い え る。 江 戸 後 期 に は 儒 教 を 奉 じ た 儒 者、 漢 詩 人 な ど は、 中 国 の 書 風 を 模 範 と し た い わ ゆ る 唐 様 で あ っ た こ と は し ら れ て い る。 中 国 の 董 其 昌、 文 徴 明、 祝 允 明 の 書 が 唐 様 と し

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て 流 行 し、 ま た 黄 奨 宗 の 帰 化 僧 に よ っ て 中 国 の 書 が 齎 さ れ、 儒 者 や 僧、 文 人 の 間 に、 中 国 明 清 の 書 が 流 行 し て い た の で あ る。 儒 者 は 著 述 の 他 に 漢 詩 も 作 り、 す ぐ れ た 書 を 遺 し て い る。 柴 野 栗 山 ( 一 七 三 六 ー 一 八 〇 七) 佐 藤 一 斎 ( 一 七 七 二 ー 一 八 五 九) な ど の 書 は 骨 気 あ る 謹 厳 な 書 風 を 示 し て い て、 儒 老 間 に 中 国 的 な 書 が 流 行 し て い た こ と が 窺 い し ら れ る。 詩 を 作 り 書 画 を か く こ と は 儒 教 的 な 教 養 と し て 不 可 欠 だ っ た。 徹 定 は 自 ら も 漢 詩 を 多 く 作 り、 す で に ﹃ 縁 山 詩 叢 ﹄ を 編 集 ( 3) し、 後 に ﹃ 古 経 堂 詩 文 砂 ﹄ 八 巻 と し て ま と め ら れ て い る。 漢 詩 に は 菊 池 三 渓 ( 一 八 一 九 -一 八 九 一) 石 川 鴻 斉 ( 一 八 三 三 -一 九 一 八) ら と 交 遊 し 師 事 し て、 添 削 を う け た 詩 稿 も 遺 さ れ て い る。 ま た、 南 都 で 古 写 経 蒐 集 し た ﹃ 古 経 捜 索 録 ﹄ 序 に は、 古 経 に め ぐ り あ っ た 感 慨 を 詩 に 作 っ て 題 辞 と し て い る。 蒐 集 し た 古 写 経 の 巻 末 に は 考 証 し た 践 を 楷 書 で 記 し て い る ﹁ 大 教 畏 上 梁 文 ﹂ ( 明 治 + 四) や ﹁ 塔 頭 福 聚 院 資 財 帳 序 ﹂ ( 明 治 + 八) な ど は 楷 書 で 書 か れ、 儀 礼 的 な も の は 謹 厳 な 楷 書 で 書 か れ て い る と こ ろ か ら、 儒 門 で 培 わ れ た 中 国 風 な 謹 厳 な 楷 書 が 徹 定 の 書 の 基 本 で あ っ た ろ う と 考 え ら れ る の で あ る。 徹 定 の 文 化 史 的 な 最 も 大 き な 業 績 は、 現 在 知 恩 院 に 所 蔵 さ れ て い る 古 写 経 版 経 の 蒐 集 と い え る。 嘉 永 五 年、 増 上 寺 大 僧 正 慧 厳 の 命 を 承 け て 法 然 院 に 赴 き、 忍 激 の ﹃ 大 蔵 経 対 校 録 ﹄ の 謄 写 を 命 ぜ ら れ た と き に 始 ま る。 高 麗 版 に も 誤 脱 が あ る こ と に 気 づ き、 版 経 以 前 の 階 唐 の 古 写 経 に 依 拠 す る の で な け れ ば と 決 意 し て 奈 良 の 念 仏 寺 に 赴 き、 袋 中 が 秋 篠 寺、 金 峰 山 寺、 浄 瑠 璃 寺 な ど か ら 蒐 集 し て あ っ た 古 写 経 を 購 得 し て 縁 山 の 古 経 堂 と 猶 竜 窟 に 収 蔵 し た。 そ の 間 各 寺 を 尋 ね て 記 録 し た 古 写 経 類 を ﹃ 古 経 捜 索 録 ﹄ 二 巻 に ま と め た の で あ る。 そ の 序 に は、 念 仏 寺 の 他、 東 大 寺、 法 隆 寺、 唐 招 堤 寺、 西 大 寺、 高 山 寺、 妙 法 院、 大 徳 寺、 園 城 寺 を 歴 訪 し て 捜 索 し、 五 百 巻 に な っ た と 記 し て い る が、 念 仏 寺 か ら 得 た 古 写 経 が 何 巻 で あ っ た か は 明 ら か で は な か っ た。 藤 堂 博 士 に よ り 研 究 が 進 め ら ( 4) れ、 四 十 七 部 を 購 得 し た こ と を 究 明 れ さ て い る。 ま た 序 に は 購 得 し た 経 緯 を 述 べ、 古 写 経 に 接 し た 感 激 を 七 言 絶 句 十 首 に 示 し て い る。 ﹃ 古 経 捜 索 録 ﹄ が も と に な っ て、 更 に ﹃ 訳 場 列 位 ﹄ ﹃ 古 経 題 践 ﹄ ﹃ 続 古 経 題 践 ﹄ と な っ て 完 成 し た。 現 在 知 恩 院 所 蔵 の 古 写 経 の う ち、 十 九 種 に つ い て は 巻 末 に 徹 定 自 ら 成 立 の 由 来 や 考 証 を 書 い た 祓 文 が あ る こ と が 確 認 さ れ て い る。 徹 定 百 回 忌 の 展 覧 や 図 録 に よ れ ぽ、 徹 定 の 書 に、 蒐 集 し た 古 写 経 書 風 か ら 鑑 賞 眼 を 養 い、 影 響 が あ っ た こ と が 窺 い し ら れ る。 儒 家 の 厳 格 な 書 に や わ ら か な 雰 囲 気 が 加 味 さ れ て 独 自 の 楷 書 に な っ て い っ た こ と が 経 巻 末 尾 の 践 文 の 書 か ら 看 取 さ れ る の で あ る。 三 つ 目 に は 徹 定 の 考 証 学 的 面 か ら、 そ の 書 並 び に 名 号 を 考 え て み る。 徹 定 が 早 く に 書 誌 学 的 な 造 詣 が 深 か っ た こ と は、 明 治 期 浄 土 高 僧 の 名 号 に つ い て ( 八 木) 三 〇 三

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明 治 期 浄 土 高 僧 の 名 号 に つ い て ( 八 木) 三 〇 四 三 十 八 才 に 浄 土 宗 の 曲 ハ籍 を 蒐 め た ﹃ 闊 山 取 蔵 古 本 捜 索 録 ﹄ や ﹃ 諸 山 蔵 経 考 ﹄ が あ る こ と に よ り し ら れ る。 そ れ は 儒 門 に 学 ん だ こ と か ら、 実 証 的 学 問 と し て 考 証 学 が 重 視 さ れ て い た こ と の 影 響 が あ っ た で あ ろ う。 晩 年 の 明 治 十 七 年 に は、 当 麻 奥 院 蔵 選 択 集 古 紗 本 や 末 代 念 仏 授 手 印 を 考 証 し た ﹃ 祖 跡 祓 文 ﹄ な ど も 刊 行 し て い る。 最 も 多 く 考 証 を 加 え た の は、 最 大 の 業 績 で あ る 蒐 集 の 古 写 経 類 に つ い て の も の で あ ろ う。 そ の 成 果 が ﹃ 古 経 捜 索 録 ﹄ に 始 ま る 写 経 考 証 の 著 述 類 の 完 成 で あ り、 現 存 の 各 経 巻 末 に 記 さ れ た 考 証 の 践 文 で あ る。 そ れ ら を み る と、 ﹃ 古 経 捜 索 録 ﹄ の 序 に 示 さ れ た 感 懐 の 詩 に よ れ ぽ、 中 国 の 書 に つ い て の 深 い 洞 察 の 眼 が あ っ こ こ と が 察 せ ら れ る。 ﹃ 菩 薩 処 胎 経 ﹄ に つ い て ﹁ 陶 家 不 譲 二 王 法 堪 レ 擬 焦 山 痙 鶴 銘 ﹂ と い い、 ﹁ 按 偏 文 斎 書 画 譜 云、 東 魏 大 覚 寺 碑 韓 毅 隷 書 蓋 今 楷 字 也。 庚 肩 吾 日、 自 唐 以 前 皆 謂 二 楷 字 一為 レ 隷、 如 今 此 経 皆 隷 字 也、 是 以 観 三 ハ 朝 之 書 体 一也 ﹂ と い っ て、 他 に ﹃ 東 観 余 論 ﹄ ﹃ 広 川 書 祓 ﹄ の 書 論 や 書 人 名 な ど 書 道 の 専 門 的 知 識 を 駆 使 し て 写 経 を 考 証 し て い る。 嘉 永 五 年 三 十 九 才 の 時 に 成 っ た も の で、 現 存 写 経 題 践 も、 文 久 元 年 -慶 応 元 年 に 集 中 し て お り、 三 十 九 才 以 前 に 既 に 中 国 書 法 に つ い て の 研 鐙 が あ っ た こ と が 推 測 さ れ る。 こ れ ら は 徹 定 の 知 恩 院 入 山 以 前 の 事 柄 で、 浄 国 寺 住 職 時 代 の も の が 多 い。 儒 学、 漢 詩 を 通 し て 中 国 書 に 対 す る 深 い 鑑 賞 眼 を 養 い、 古 写 経 蒐 集 と い う 実 物 に 接 し て 更 に 高 ま っ た と い え よ う。 そ し て 知 恩 院 入 山 後 も、 中 国 人 士 と の 交 流 に よ っ て、 経 巻 末 の 題 践 と し て 遺 さ れ て い っ た 経 緯 が 推 察 で き る。 そ こ で 四 番 目 に、 中 国 人 士 と の 文 墨 の 交 流 に ょ る 中 国 書 の 影 響 か ら 考 え て み る。 ﹃ 菩 薩 処 胎 経 ﹄ ﹃ 大 桜 炭 経 ﹄ な ど 八 点 に は 清 公 使 何 如 璋 ら 四 人 の 践 が み ら れ る。 明 治 の 始 め 金 嘉 穂 に み せ た と こ ろ か ら、 日 本 遺 存 の 古 写 経 に つ い て 中 国 の 学 者 が 注 目 す る よ う に な っ た と い う。 金 嘉 穂 の 祓 は 同 治 十 年 ( 明 治 四) で あ る。 石 川 鴻 斎 伝 に は、 徹 定 が 横 浜 に 来 て 何 如 璋 と 往 来 が あ っ た と 伝 え、 ﹃ 菩 薩 処 胎 経 ﹄ 何 如 璋 の 践 に は ﹁ 予 光 緒 丁 丑 ( 明 治 +) 江 戸 二 至 ル。 明 年 僧 徹 公、 菩 薩 処 胎 経、 大 桜 炭 経、 華 厳 音 義 私 記 ヲ 携 エ テ 西 京 二 来 ル ﹂ と 記 し て い る。 明 治 十 一 年 に 徹 定 は 知 恩 院 よ り ﹃ 菩 薩 処 胎 経 ﹄ な ど の 経 巻 を 携 え、 石 川 鴻 斎、 秦 義 応 ら と 芝 の 清 国 公 使 館 を 訪 れ た 時 の 祓 文 で あ る。 古 写 経 に は、 金 嘉 穂 の 他、 何 如 璋、 張 斯 桂、 金 郡 ら の 践 文 が 附 せ ら れ て い る。 明 治 期 の 本 格 的 な 書 の 交 流 は、 明 治 十 三 年 楊 守 敬 来 朝 が ( 5) 始 ま り と さ れ る が、 そ れ 以 前 に、 古 写 経 を 通 し て 日 中 の 交 流 が 既 に 行 わ れ て い た こ と が し ら れ る。 文 墨 の 交 流 に よ っ て 徹 定 に は 中 国 書 が 大 き な 影 響 を も た ら し た と 考 え ら れ る。 こ の よ う に、 徹 定 に は 中 国 書 の 専 門 的 見 識 と 深 い 鑑 賞 眼 が あ っ た こ と が し ら れ、 現 存 の 書 跡 を み て も、 中 国 書 を 本 領 と

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し て 書 か れ て い た こ と が わ か る。 儒 門 に 入 り 漢 字 を 書 き、 古 写 経 の 書 か ら 書 風 を 吸 収 し、 中 国 人 士 と の 交 流 を 通 し て 徹 定 ( 6) 独 自 の 書 が で き 上 っ た も の と 考 え ら れ る。 さ て 名 号 は、 権 大 教 正 署 名 (明 治 五 年 七 月 よ り) の も の ー 五 十 九 才-六 十 一 才 の 名 号 (知 恩 院 蔵) と、 大 教 正 署 名 ( 明 治 八 年 三 月 よ り) 以 後 の 名 号 が あ る が、 殆 ど 草 書 で 同 じ 書 風 の も の で 漢 字 の 古 典 書 法 に の っ と っ た 本 格 的 な 書 法 で 書 か れ て い る。 徹 定 の 書 の う ち、 儀 礼 的 な も の は、 儒 門 で 培 わ れ た 楷 書 で 書 き、 序、 践、 書 作 品 な ど 自 由 奔 放 に 書 い た も の は 草 書 体 ( 7) が 多 く、 名 号 も 草 書 で 独 自 の 型 を 作 り 上 げ た。 随 っ て 徹 定 の 書 の 本 領 と す る と こ ろ は 草 書 で は な か っ た か と 思 わ れ る。 名 号 の 書 の 各 字 も そ の 淵 源 を た ど る と 殆 ど は 中 国 古 典 の 書 に 基 づ い て い る こ と が 了 解 さ れ る。 次 に 行 誠 の 名 号 に つ い て 検 討 し た い。 行 誠 の 伝 記 著 作 に つ い て は 早 く に ﹃ 行 誠 上 人 全 集 ﹄ に ま と め ら れ て い る が、 漢 字 の 筆 跡 や 名 号 に つ い て 研 究 さ れ た も の は な い。 行 誠 は 持 戒 清 浄 の 清 僧 と い わ れ、 学 僧 で も あ っ た。 徳 本 門 下 の 伝 通 院 驚 州 に 宗 学 を 学 ん だ と い い、 叡 山 の 慧 澄 に 天 台 及 び 倶 舎 を 学 ん で い る。 小 石 川 の 清 浄 心 院 に 住 し て 以 後、 講 莚 に 寧 日 な か っ た と 伝 え る。 学 系 に つ い て は 自 ら、 通 仏 教 は 慈 雲 尊 者 を 師 と し、 浄 土 宗 に つ い て は 四 休 庵 貞 極 で あ っ た と い っ て い る。 漢 詩 も 作 ら れ た が、 歌 人 と し て の 方 が 著 名 で、 ﹃ 釈 教 百 首 ﹄ ﹃ 於 知 葉 集 ﹄ な ど の 歌 集 を 遺 し て い る。 書 も 遺 墨 集 に よ れ ば、 和 歌 を 書 い た も の が 多 く、 漢 字 も 江 戸 時 代 以 来 の 国 学 系 の 和 様 の 書 き 振 り で、 書 の 本 領 と す る と こ ろ は 短 歌 を 書 く 為 の 仮 名 書 で あ っ た こ と が 推 察 さ れ る。 行 誠 は 若 く し て 短 歌 の 道 に 入 り、 香 川 景 樹 の 門 流 に 学 ん だ と い う。 歌 道 は 仏 道 の 余 技 で あ っ た と 述 べ て い る が、 高 崎 正 風 歌 所 所 長 を 驚 か す 程 の 名 作 が あ っ た と 伝 え、 歌 を 通 じ て 税 所 敦 子 や 明 治 天 皇 と も 御 親 交 が あ っ た と い う。 行 誠 は 短 歌 を は じ め 文 藻 に 於 て 巧 み で あ っ た と い わ れ る が、 文 化 史 的 に 最 大 の 業 績 は ﹃ 縮 刷 大 蔵 経 ﹄ の 刊 行 で あ ろ う。 明 治 十 三 年 四 月 よ り 十 八 年 七 月 に 至 っ て 完 成 し た 八 千 五 百 三 十 四 巻 の ﹃ 大 日 本 校 訂 大 蔵 経 ﹄ で あ る。 高 麗 本 を 底 本 と し て 明 蔵 の 欠 を 補 い 校 訂 し た も の で あ る。 宋 ・ 麗 ・ 元 ・ 明 の 四 蔵 を 対 校 し て、 漢 文 大 蔵 経 の 最 も 正 確 な 経 典 を 世 に 流 布 せ ん と し た 功 績 は 大 き い。 古 典 を 厳 守 し て い こ う と し た 行 誠 と 刊 本 の 淵 源 に 湖 っ て こ れ を 考 証 学 的 に 究 明 せ ん と し た 徹 定 と は、 大 蔵 経 に 対 す る 識 見 の 相 違 と み る こ と も で き よ う。 も 一 つ 対 照 さ れ る の は 伝 法 に つ い て の 考 え で あ る。 江 戸 幕 府 以 来 伝 法 権 は 増 上 寺 や 檀 林 の み に 評 可 さ れ た 特 権 で あ っ た が、 総 本 山 お よ び 全 戒 光 明 寺、 知 恩 寺、 清 浄 華 院 の 三 大 本 山 に 於 て も 伝 宗 伝 戒 を し た い 旨 の 意 見 が 具 伸 さ れ、 明 治 八 年 に 明 治 期 浄 土 高 僧 の 名 号 に つ い て ( 八 木) 三 〇 五

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明 治 期 浄 土 高 僧 の 名 号 に つ い て ( 八 木) 三 〇 六 京 都 四 本 山 で 同 意 が 行 わ れ た。 し か し こ れ が 浄 土 宗 に 於 て 大 き な 波 乱 を 巻 き 起 し た こ と は 周 知 の こ と で あ る。 明 治 十 年 徹 定 は、 ﹃ 吉 水 正 統 系 譜 略 ﹄ を 出 し て、 明 治 維 新 後 の 諸 改 革 と と も に 京 都 四 本 山 に も 所 伝 の 譜 脈 が あ る と し て、 関 西 に 於 て も 伝 法 が 施 行 さ れ る べ き こ と を 述 べ た。 行 誠 は こ れ に 対 し て 明 治 十 八 年 ﹃ 譜 脈 私 案 ﹄ を 撰 し て 論 破 し、 明 治 二 十 一 年 ﹃ 伝 語 ﹄ を 撰 し て、 伝 法 の 改 革 を 意 図 し て 古 伝 に 復 さ ん こ と を 述 べ た の で あ る。 こ の 他、 徹 定 の ﹃ 釈 教 正 謬 再 破 ﹄ に 対 し、 行 誠 は ﹃ 釈 教 正 謬 再 破 批 ﹄ を 撰 し て 批 判 を 加 え て い て、 キ リ ス ト 教 に 対 し て も 破 邪 の 見 解 の 相 違 と な っ て い る。 さ て 行 誠 の 名 号 で あ る が、 楷 書 の 太 書 き の も の (遺 墨 集 所 載 ( 8) の 福 田 循 誘 旧 蔵 の も の、 増 上 寺 の 刺 繍 名 号 な ど) も 書 き 遺 し て は い る が、 多 く は 仮 名 風 な 細 線 で 書 い た 行 書 の 和 様 書 風 の も の で、 署 名 は 行 と 誠 を 合 し た 花 押 風 の も の で あ る。 文 藻 の な か で 得 意 と さ れ た 短 歌 の 書 が 名 号 の 書 に 大 き く 影 響 し た も の と 考 え ら れ る。 ま た 芸 術 方 面 で 行 誠 の 交 流 し た 人 物 と し て は、 画 家 の 菊 地 容 斎、 柴 田 是 真 が あ げ ら れ る。 書 道 方 面 と し て は、 小 島 成 斎 と 香 川 景 樹 門 人 の 飯 野 厚 比 (瀬 園) と も 交 流 が あ っ た こ と が し ら れ て い る。 行 誠 の 名 号 は、 瀟 洒 情 淡 と 書 か れ た 捨 世 派 持 律 の 系 統 の 細 書 き の 書 き 振 り に 似 て い て、 持 律 清 浄 の 学 僧 で あ っ た こ と が 書 に 窺 え る。 古 法 を 遵 守 し て い っ た 行 誠 と、 古 法 を 基 に 積 極 的 に 創 作 し て い っ た 徹 定 の 違 い が 名 号 書 の 上 に も 感 じ と る こ と が で き る。 共 通 す る と こ ろ は、 廃 仏 を の り 越 え て 宗 門 を 復 興 し ょ う と し た 気 慨 が 名 号 書 風 に 表 わ れ て い る こ と で あ る。 明 治 期 の 名 号 は, 江 戸 時 代 以 来 の 師 法 を 相 承 し た 型 の 伝 授 と い っ た も の は な く、 各 人 独 自 の 創 意 に よ っ て 書 か れ た 特 徴 が、 徹 定、 行 誠 名 号 に ょ っ て し ら れ る。 こ の 傾 向 は、 次 の 日 野 霊 瑞、 野 上 運 海 の 名 号 に も み ら れ る の で あ る。 ま た 明 治 以 後、 名 号 が 堂 舎 再 建 勧 進 に 大 き な 効 果 を も っ た こ と も 特 徴 と い え る。 1 拙 著 ﹃南 無 阿 弥 陀 仏 の 書 ﹄ を 参 照 さ れ た い。 2 牧 田 博 士 ﹃ 徹 定 上 人 ﹄ ﹃ 徹 定 上 人 年 譜 ﹄、 藤 堂 博 士 ﹁ 徹 定 上 人 の 古 経 捜 索 録 ﹂ (﹃ 日 仏 年 報 ﹄ 三 十 入 号 P 45 1 57) 3 師 籍 宗 安 寺 に ﹃ 古 経 堂 詩 文 紗 草 稿 ﹄ 十 三 冊 が あ る。 4 藤 堂 博 士 ﹁ 養 鶴 徹 定 の 古 経 蒐 集 と 南 都 念 仏 寺 蔵 古 経 ﹂ ( ﹃史 学 仏 教 学 論 集 ﹄ P 猫 -鵬) 5 四 年 間 在 日 し、 多 く の 碑 拓 本 を 齎 し、 北 魏 の 書 法 を 伝 え た。 6 ﹃ 詩 文 紗 ﹄ に は、 三 十 三 の 碑 と 十 一 の 鐘 銘 が み ら れ る。 7 学 系 と し て、 巨 東、 慧 厳、 慧 通、 禅 竜 が し ら れ る が、 名 号 に つ い て は 影 響 は み ら れ な い。 8 慈 雲 に 傾 倒 し た こ と か ら、 梵 字 名 号 も 書 い て い る。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 名 号、 徹 定、 行 誠 ( 武 蔵 大 学 講 師)

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