書
評
伊
藤
秀
憲
著
『道
元
禅
研
究
』角
田
泰
隆
は じ め に 著 者 伊 藤 秀 憲 氏 は、 代 表 的 道 元 禅 師 研 究 者 と し て 衆 目 の み と め る 研 究 者 で あ り、 そ の 伊 藤 氏 が、 こ れ ま で の 研 究 成 果 を ま と め て 世 に 問 う た 大 著 『 道 元 禅 研 究 』 を 上 梓 さ れ た こ と は 、 同 じ く 道 元 禅 師 の 研 究 を 専 門 と す る 筆 者角
田 に と っ て、 ま こ と に 喜 び に 耐 え な い 。 筆者
は 本 書 に 収 録 さ れ て い る 研 究 業 績 の多
く に つ い て、 既 に そ の 内 容 を 熟 知 し、 ま た そ の 恩 恵 に 与 っ て い る が、 あ ら た め て 一 冊 に ま と め ら れ た こ れ ら の 業 績 を 手 に 取 っ て み る と 、 同 じ 分 野 を 専 門 と す る 者 と し て、 こ の 研 究 を 越 え る こ と は 、 伊 藤 氏 自 身 に よ っ て 今 後 な さ れ 得 て も、 筆 者 に は 難 し い だ ろ う、 と い う の が 率 直 な 感 想 で あ る 。 そ ん な 筆 者 が、 書 評 を 書 く と い う こ と は、 恐 れ多
い こ と で も あ る が、本
書 の 紹 介 を 中 心 に 述 べ て、 こ れ ま で 著 者 よ り 賜 っ た 学 恩 に 少 し で も 報 い よ う と 思 う。本
書 は 、 大 き く、 序 論 ・ 本 論 ・ 結 論 と い う 構 成 に な っ て い る。 序 論 で は、 本 書 の 論 題 と 道 元 禅 師 に 対 す る 呼 称、 ま た こ れ ま で の 道 駒 澤 短 期 大 學 佛 教 論 集 第 五 號 一 九 九 九 年 十 月 元 禅 師 研 究 の 回 顧 と 現 況、 そ の 上 に 立 っ た 著 者 の 研 究 の 目 的 と 方 法、 ま た 本 書 の 研 究 の 構 成 と 意 図 に つ い て、 簡 潔 に し て 充 分 な 解 説 が な さ れ、 著 者 の 周 到 さ と そ の 綿 密 な 研 究 姿 勢 を 知 る こ と が で き る 。 書 名 の 「 道 元 禅 」 と い う 言 葉 は、 「 道 元 禅 師 の 禅 」 の 意 で、 研 究 者 等 に よ っ て よ く 用 い ら れ る 。 し か し、 こ の 言 葉 は、 著 者 の み な ら ず 筆 者 も 含 め て 道 元 禅 師 研 究 者 が、 用 い る こ と を 躊 躇 す る 言 葉 で も あ る 。 著 者 も 言 う よ う に、 道 元 禅 師 の 仏 法 は、 禅 師 自 身 に と っ て 「 仏 仏 祖 祖 正 伝 の 仏 法 」 で あ り、 禅 師 は こ れ を 「 禅 」 と も 「 道 元 禅 」 と も 「 曹 洞 禅 」 と も 言 っ て い な い 。 い や、 「 禅 宗 」 と か 「 曹 洞 宗 」 と か の宗
称 を 否 定 し て い る こ と か ら す れ ば、 特 別 な 禅 を 思 わ せ る 「 道 元 禅 」 と い う 言 葉 は 、 禅 師 に よ っ て 認 め ち れ る は ず は な い。 こ の こ と を 明 示 し つ つ 、 著 者 は、 最 近 で は、 『 如 浄 録 』 の 研 究 か ら 、 「 道 元 禅 は 如 浄 禅 の 延 長 で は な く、 如 浄 禅 の 日 本 的 展 開 で あ る 」 と 言 わ れ る の で あ る か ら、 師 の 如 浄 の 禅 と 弟 子 の 道 元 禅 師 の 禅 と は 、 全 く 同 じ で あ る と は 言 え な い の で あ る 。 だ か ら、 禅 師 が 説 く 仏 法 を、 他 と 区 別 し て 論 じ る 必 要 か ら、 「 仏 仏 祖 祖 正 伝 の 仏 法 」 で あ る と す る 禅 師 の 意 一 四 三伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) に 反 す る こ と は 十 分 承 知 し つ つ も、 筆
者
は 敢 え て 「 道 元 禅 」 と い う 呼 称 を 用 い る こ と に し た わ け で あ る。 ( 一 入 頁、 以 下、 本 書 に つ い て は 頁 数 の み 記 す ) と い う こ と で 、 「 道 元 禅 」 と い う 言 葉 を 用 い て い る 。 こ の こ と は、 こ の よ う な 理 由 か ら も 、 そ し て、 学 術 書 と し て の 著 書 を ま と め る た め に も、 適 当 な も の で あ る と 思 わ れ る 。 ま た、 「 道 元禅
」 の み な ら ず 「 道 元 禅 師 」 或 い は 「 禅 師 」 と い う 言 葉 も、 「 禅 宗 」 と い う 呼 称 を 否 定 し て い る 道 元 禅 師 に 対 し て 用 い る べ き で は な い と い う 見 解 ( 袴 谷 憲 昭 「 道 元 と 本 覚 思 想 」 ( 『 師 家 養 成 所 講 義 録 』 、 一 九 九 一 年 三 月、 曹 洞 宗 宗 務 庁 刊) も あ る が、 著 者 は、 そ の よ う な 見 解 を 理 解 し た 上 で 、 「 歴 史 上 の 人 物 に は 尊 称 を 用 い な い の が 常 で あ る 」 ( 】 九 頁 ) と し な が ら も、 道 元 禅 師 の 法 孫 で あ る 著 者 は 「 宗 祖 を 呼 び 捨 て に す る こ と に は 抵 抗 を 感 じ る 」 ( 一 九 頁 ) と し て、 道 元 禅 師 と い う 呼 称 を 用 い て い る。 こ れ ら に つ い て 敢 え て 序 論 に お い て、 四 頁 に わ た っ て こ と わ る こ と が、 は た し て 必 要 で あ る の か と 思 わ れ る 読 者 も い る か も し れ な い が、 筆者
は こ こ に 、 研 究 者 で あ り か つ 道 元禅
師 の 法 孫 で あ る 著 者 の 立 場 を 思 う と と も に、 こ れ ら を 敢 え て こ と わ る と こ ろ に、 そ の 研 究 の 綿 密 さ と 学 的 良 心 を 感 じ る。 二本
書 の 特 徴 と 基 本 的 立 場 さ て、 道 元禅
師 の 研 究 を す る 場 合、 「 歴 史 的 研 究 」 と 「書
誌 学 的 研 究 」 と 「 思 想 的 研 究 」 が あ る 。 こ れ は 「 伝 記 研 究 」 「 著 作 研 究 」 「 思 想 研 究 」 と 言 い 換 え る こ と も で き る が、 序 論 で は、 こ の そ れ ぞ れ に つ い て、 こ れ ま で の 研 究 と 現 況 を 概 観 し て い る。 こ れ は、 田中
艮 昭 編 一 四 四 『 禅 学 研 究 入 門 』 ( 大 東 出 版 社、 一 九 九 四 年 七 月 ) に 著 者 が 分 担 執 筆 し た 部 分 に 加 筆 し た も の で あ る が、 こ れ か ら 道 元 禅 師 研 究 を す る も の が、 基 礎 知 識 と し て ま ず 読 む べ き う っ て つ け の 概 説 で あ る。本
書 は、 書 名 が 示 す 通 り、 道 元 禅 を 解 明 し よ う と し た も の で あ る 。 道 元 禅 と い う と、 道 元 禅 師 の 禅 風、 禅 の 特 徴 と 受 け 取 ち れ る で あ ろ う か ら、 「 思 想 研 究 」 が 中 心 で あ ろ う と 思 わ れ る が、 概 観 す る か ぎ り で は、 「 道 元 禅 の 思 想 的 研 究 」 と 題 す る 本 論 第 五 章 は、 全 体 の 五 分 の 一 の 紙 幅 を 裂 い て い る に 過 ぎ な い。 も ち ろ ん、 他 の 章 に も 思 想 に 関 わ る 部 分 も あ る の で、 そ れ ら を 考 慮 し た と し て も 、 「 思 想 研 究 」 は 半 分 に 満 た な い。 し か し、 こ こ に 本 書 の 重 要 な 特 質 と、 存 在 意 義 が あ る と 考 え ら れ る 。 著 者 は 言 う、 単 に 著 作 を 通 し て の 思 想 研 究 だ け で は 十 分 と は 言 え な い。 著 作 を 通 し て 思 想 を 知 る 。 こ れ は 大 切 な こ と で あ り、 我 々 に 残 さ れ て い る も の は 著 作 し か な い の で あ る か ら、 著 作 を 通 し て し か そ の 思 想 を 知 る こ と は で き な い 。 し か し、 道 元 禅 師 は 十 三 世 紀 に 半 世 紀 余 り を 実 際 に 生 き た 人 物 な の で あ る 。 そ の 時 代 杜 会、 家 庭 環 境、 そ の よ う な も の が、 思 想 に 影 響 を 与 え な い わ け が な い。 そ う し た、 思 想 を 育 ん だ 当 時 の 時 代 と い う も の を 知 る こ と に よ っ て、 よ り 深 く 思 想 を 理 解 す る こ と が で き る で あ ろ う。 そ の た め に は、 「 歴 史 的 研 究 」 が 必 要 と な る の で あ る 。 ま た 、 著 作 を 読 む 場 合 に も、 よ り 正 確 な 資 料 に よ ら な く て は な ら な い。 異 本 は な い の か、 『 正 法 眼 蔵 』 の よ う に 編 輯 さ れ た も の で あ る な ら ば、 編 輯 の 時 期 や 意 図 に つ い て も 知 ら な く て は な ら な い で あ ろ う 。 道 元 禅 師 の 著 作 と 伝 え ら れ る も の で、 真 偽 が は っ き り し な い も の は、 は っ き り さ せ な く て は な ら な い 。 禅 師の 著 述 で な い も の に も と つ い て そ の 思 想 を 論 じ る こ と は、 ま っ た く 無 意 味 で あ る と い う よ り も、 大 き な 過 ち を 犯 し た こ と に な る 。 著 作 を 読 む 場 合 に も、 伝 記 類 を 読 む 場 合 に お い て も、 「 書 誌 学 的 研 究 」 が 必 要 と な っ て く る 。 ( 三 四 頁 ) 長 い 引 用 に な っ て し ま っ た が、 こ こ に 著 者 の 研 究 の 特 徴 と 新 し さ が あ る と 思 わ れ る の で 、 あ え て 挙 げ た。 も ち ろ ん 鏡 島 元 隆 博 士 は じ め、 思 想 的 研 究 の 基 礎 と し て 歴 史 的 研 究 や 書 誌 学 的 研 究 に 力 を 注 い だ 学 者 は い る 。 し か し、 著 者 は そ れ ら の 学 者 の 研 究 を、 さ ら に 大 き く 前 進 さ せ た こ と は 間 違 い な い 。 特 に、 伝 記 資 料 の 研 究 や、 著 作 の 撰 述 ・ 説 示 年 時 の 研 究 な ど、 著 者 に し て こ そ な さ れ た 綿 密 な 研 究 で あ り 、 筆 者 は じ め 多 く の 後 学 が そ の 恩 恵 に 与 っ て い る。 筆
老
が こ れ か ら 論 を 展 開 し よ う と す る 「 道 元 禅 研 究 」 は、 単 な る 思 想 的 研 究 で は な く、 歴 史 的 研 究、 書 誌 学 的 研 究 を も 視 野 に 入 れ た、 道 元 禅 師 の 全 体 像 を 捉 え よ う と す る 総 合 的 研 究 で あ る と 考 え る。 ( 三 五 頁 ) と 言う
通 り、 本 書 は ま さ に 道 元 禅 師 の 総 合 的 研 究 で あ る 。 と こ ろ で、 本 書 に は 、 鏡 島 元 隆、 河 村 孝 道、 水 野 弥 穂 子 等 の 宗 学 者 の 名 前 が 多 く 見 受 け ら れ る。 こ れ ら の 宗 学 者 の 研 究 を ふ ま え て、 多 く の 研 究 が 進 め ら れ て い る こ と を 意 味 す る。 ま た、 袴 谷 憲 昭、 松 本 史 朗、 石 井 修 道 等 の 学 者 の 名 前 も 随 所 に 登 場 す る 。 本 書 の 研 究 が、 最 近 の こ れ ら の 学 者 の 道 元 禅 師 研 究 に 関 わ る 新 た な 提 言 に 対 し て も 柔 軟 に 対 応 し、 積 極 的 な 議 論 を 行 っ た も の で あ る こ と を 示 し て い る。 こ の こ と も ま た、本
書 を 紹 介 す る 上 で 、 重 要 な 点 で あ る 。 三 本 論 の 構 成 伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) さ て、 本 書 の中
心 を 占 め る 本 論 は、 六 章 よ り な り、 そ の 章 節 を 示 せ ば 次 の よ う で あ る 。 第 一 章 道 元 の 伝 記 史 料 に つ い て 第 一 節 伝 記 史 料 の 検 討 第 二 節 『 三 大 尊 行 状 記 』 の 成 立 第 三 節 『 建 撕 記 』 の 諸 写 本 の 特 徴 と 成 立 第 二 章 道 元 の 伝 記 に つ い て 第 一 節 在 宋 中 の 動 静 第 二 節 遺 偈 と 鎌 倉 行 化 第 三 章 道 元 の 著 作 に つ い て ー 『 正 法 眼 蔵 』1
第 一 節 『 正 法 眼 蔵 』 の 撰 述 示 衆 ・ 書 写 の 年 時 処 に つ い て 第 二 節 『 正 法 眼 蔵 』 の 示 衆 に つ い て 第 三 節 『 正 法 眼 蔵 』 の 編 集 第 四 章 道 元 の 著 作 に つ い て ー 『 永 平 広 録 』 そ の 他 ー 第 一 節 『 永 平 広 録 』 の 説 示 年 時 に つ い て 第 二 節 そ の 他 の 著 作 に つ い て 第 五 章 道 元 禅 の 思 想 的 研 究 第 六 第 第 第 第 第 第 第 章 七 六 五 四 三 ニ ー 節 節 節 節 節 節 節 般 若 に つ い て 道 元 に お け る 禅 と 学 仏 性 に つ い て 『 正 法 眼 蔵 』 に 見 ら れ る 釈 尊 観 『 正 法 眼 蔵 』 に 見 ら れ る 祖 師 評 価 『 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』 の 説 示 『 宝 慶 記 』 の 問 と 答 『 正 法 眼 蔵 』 の 語 法 の 特 徴 一 四 五伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) 第 一 節 第 二 節 第 三 節 第 四 節 第 五 節 さ て、 あ る の で 、 に さ れ た こ と を 筆
者
な り に ま と め、 わ る 部 分 に つ い て、 『 正 法 眼 蔵聞
書 抄 』 に つ い て 『 聞 書 抄 』 の 『 正 法 眼 蔵 』 解 釈 − 否 定 的 表 現1
『 聞書
抄 』 の 『 正 法 眼 蔵 』 解 釈 − 疑 問 詞 と 疑 問 の 助 詞1
『 聞書
抄 』 の 『 正 法 眼 蔵 』 解 釈 ー 打 返 し の 表 現 ー 『 聞 書 抄 』 の 『 正 法 眼 蔵 』 解 釈 − 数 量 表 現1
こ の 「 本 論 」 を 総 括 し た 形 で ま と め ら れ た の が 「 結 論 」 で こ の 「 結 論 」 の 記 述 を 参 照 し て 「 本 論 」 の 研 究 で 明 ら か そ の 中 で、 主 に 筆 者 の 研 究 と 関 若 干 の 批 評 を 述 べ る こ と に し た い 。 四研 究 の 概 要 「 第 } 章 道 元 の 伝 記 史 料 に つ い て 」 で は、 ま ず 道 元 禅 師 の 伝 記 史 料 ( 十 九 種 ) に つ い て 概 説 し 、 そ の う ち 特 に 『 三 大 尊 行 状 記 』 と 『 建 撕 記 』 を 取 り 上 げ て 論 じ て い る 。 「 三 大 尊 行 状 記 』 は 正 し く は 『 元 祖 ・ 孤 雲 ・ 徹 通 三 大 尊 行 状 記 』 で あ り、 道 元 ・ 懐 奘 ・ 義 介、 永 平 寺 三 代 の 三 禅 師 の 行 状 を ま と め た も の で あ る が、 誰 が 撰 述 し た も の で あ る の か は 定 か で は な い 。 著 者 は、 懐 奘 伝 ・ 義 介 伝 に つ い て は、 東 隆 真 博 士 の 説 ( 『 三 大 尊 行 状 記 』 全 体 を 瑩 山
禅
師 の 撰 述 で は な い か と す る ) を う け て 瑩 山禅
師 撰 述 と 考 え て よ い と す る が、 道 元 伝 は そ れ ら 二 伝 よ り も 成 立 は 古 く、 道 元 禅 師 示 寂 後 間 も な く か ら 義 介 の 永 平 寺 住 持 以 前 と 考 え ら れ る と し、 作 者 は 義 介 で は な い か と 推 測 す る 。 ま た 「 建 撕 記 」 は、 永 平 寺 十 四 世 建 撕 ( 一 四 】 五 ー 一 四 七 四 ) が、 道 元 禅 師 の 著 作 に 見 ら れ る 禅 師 自 身 の 伝 記 に 関 す る 記 述 や、 , 水 平 広 録 』 『 典 座 教 訓 』 『 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』 『 三 大 尊 行 状 記 』 は じ め 永 平 寺 に 所 蔵 さ れ て い た 古 記 録 を も と に、 道 元 禅 師 の 伝 記 を ま と め た も の で 一 四 六 あ る 。 こ れ に は 現 在 六 種 の 写 本 ( 天 文 七 年 明 州 珠 心 書 写 本 ・ 天 正 十 七 年 瑞 長 書 写 本 ・ 延 宝 八 年 書 写 本 ・ 元 禄 七 年 門 子 書 写 本 ・ 元 文 三 年 書写
本 ・ 明 和 八 年 恒 山 一 川 書 写 承 天 本) が 発 見 さ れ て お り 、 そ れ ぞ れ 同 異 が 見 ら れ る。 著 者 は、 こ れ ら 六 本 の 写 本 の 検 討 を 行 い、 明 州 本 は 写 本 と し て は 最 も 古 い が 、 「 三 大 尊 行 状 記 』 に よ っ て 再 び 漢 文 体 に 戻 そ う と の 試 み が な さ れ て い る こ と、 延 宝 本 は 『 列 祖 行 業 記 』 の 影 響 を う け て い る こ と、 瑞 長 本 は 資 料 の 考 証 を 行 な い つ つ 記 述 さ れ て い る が、 他 の 写 本 は 結 論 の み を 断 定 的 に 記 述 す る 傾 向 に あ り、 瑞 長 本 が 本 来 の 『 建 撕 記 』 の 姿 を と ど め て い る と 考 え ら れ る こ と 等 を 明 ち か に し て い る。 「 第 二 章 道 元 の 伝 記 に つ い て 」 で は、 伝 記 全 体 に つ い て 万 遍 な く 触 れ た も の で は な く、 在 宋 中 の 禅 師 の 行 状 と、 鎌 倉 行 化 に 関 す る 問 題 が 中 心 と な っ て い る 。 「 在 宋 中 の 動 静 」 で は 、 前 章 の 伝 記 史 科 の 検 討 を 踏 ま え、 古 伝 に よ っ て 在 宋 中 の 行 状 に つ い て の 全 体 的 考 察 を 試 み て い る。 そ の 中 心 は、 や は り 如 浄 と の 出 会 い に あ り、 如 浄 の 天 童 山 入 院 の 年 月、 如 浄 と 道 元 禅 師 の 初 相 見 の 年 月 日 、 大 悟 の 年 次 や 身 心 脱 落 の 話 の 真 偽 を め ぐ る 問 題 を 中 心 に 論 じ て い る 。 ま ず、 如 浄 の 天 童 山 入 院 の 年 月 に つ い て は、 鏡 島 元 隆 博 士 の 研 究 に よ り な が ら 、 如 浄 の 天 童 山 入 院 は 嘉 定 十 七 年 ( 一 二 二 四 ) 七 月 後 半 か ら 八 月 に か け て の 頃 で は な い か と し て い る 。 如 浄 と 道 元 禅 師 の 出 会 い に つ い て は、 諸 説 が あ る が 、 著 者 は そ の 年 月 を嘉
定 十 七 年 七 、 入 月 頃 と し、身
心 脱 落 の 話 に よ る 大 悟 が あ っ た の を 宝 慶 元 年 と 推 論 し て い る 。 と こ ろ で 『 正 法 眼 蔵 』 「 面 授 」 巻 に示 さ れ る 「 大 宋 宝 慶 元 年 乙 酉 五 月 一 日、 道 元 は じ め て 先 師 天 童 古 仏 を 妙 高 台 に 焼 香 礼 拝 す 」 と い う 記 述 の 五 月 一 日 は、 一 般 に 初 相 見 の 日 と さ れ る が、 著 者 は、 伝 法 を 前 提 と し た 入 室 が 許 さ れ て、 初 め て 師 と 資 と し て の 拝 が 行 わ れ た 日 と し て い る 。 す な わ ち 著 者 は 次 の よ う に 推 論 す る 。 道 元 禅 師 は、 嘉 定 十 七 年 七、 八 月 頃 と 思 わ れ る 如 浄 の 天 童 山 入 院 以 来、 多 く の 修 行 者 と 共 に、 如 浄 の 下 で 修 行 を 始 め ら れ た の で あ る 。 そ の 当 時 は、 多 数 の 修 行 者 の 中 の 一 人 に す ぎ な か っ た に 違 い な い 。 し か し、 そ れ か ら 十 ヶ 月 余 り の 間 に、 如 浄 は 自 分 の 法 を 嗣 ぐ べ き 人 物 を 見 出 し た の で あ る. そ れ が 道 元
禅
師 で あ っ た 。 宝 慶 元 年 五 月 一 日、 妙 高 台 に お い て 焼 香 礼 拝 し た の は、 堂 頭 和 尚 と 一 人 の 修 行 者 と の 単 な る 相 見 で は な い。 師 と 資 の 拝 で あ る 。 実 際 の 伝 法 は そ れ よ り 少 し 後 に な る が、 こ の 人 物 に こ そ 法 を 伝 え よ う と す る 伝 法 の 拝 で あ っ た と 言 え よ う。 そ し て、 伝 法 は そ れ よ り 七 月 二 日 ま で の 間 に 行 わ れ た の で あ る 。 ( 一 一 一 頁 ) 道 元 禅 師 の 大 悟・ 伝 法 は、 こ の 五 月 一 日 の 師 資 の 拝 か ら 『 宝 慶 記 』 に 記 録 さ れ て い る と こ ろ の 参 問 が 始 ま っ た 七 月 二 日 ま で の 間 で あ っ た と 推 測 し て い る 。 ま た 、 大 悟 の 機 縁 と さ れ る 「 身 心 脱 落 の 話 」 に つ い て で あ る が、 こ の 話 は、 「 行 業 記 』 や 『 行 状 記 』 に 見 ら れ る 次 の 話 で あ る。 天 童 五 更 坐 禅。 入 堂 巡 堂 。 責 衲 子 座 睡 。 日 。 参 禅 者 必 身 心 脱 落 也。 祗 管 打 睡 作 什 麼 。 師聞
豁 然 大 悟 。 早 晨 上 方 丈 。 焼 香 礼 拝 . 天 童 問 云 。 焼 香 事 作 麼 生 。 師 云。 身 心 脱 落 来 。 天 童 云。 身 心 脱 落 。 脱 落 身 心。 師 云 。 這 箇 是 暫 時 伎 倆。 和 尚 莫 乱 印 某 甲。 童 云 。 伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) 吾 不 乱 印 倆 。 師 云 。 如 何 是 不 乱 印 底 。 童 云。 脱 落 身 心 。 ( 『 行 状 記 』 河 村 孝 道 編 著 『 諸 本 対 校 永 平 開 山 道 元 禅 師 行 状 建 撕 記 』 一 六 二 頁 上 段 ) 杉 尾 玄 有 氏 は、 こ の 話 を 「 叱 咤 時 脱 落 」 と 命 名 し、 伝 記 作 者 の 虚 構 と し、 石 井 修 道 博 士 は こ の 説 に 賛 同 し、 さ ら に 進 め て こ の 話 を 「 道 元 の 教 え を 誤 る 最 悪 の 話 」 と 訴 え る 。 著 者 は、 こ の 「 叱 咤 時 脱 落 」 が あ っ た か ど う か に つ い て 考 察 し、 あ っ た 可 能 性 を 否 定 す る こ と は で き な い と す る が、 瑩 山 禅 師 が 『 伝 光 録 』 の 提 唱 の 時、 道 元 禅 師 に 悟 道 の 機 縁 と な る 語 句 が 伝 わ っ て い な い た た め に、 道 元 禅 師 の 著 述 の 中 に そ れ を 求 め た 可 能 性 も あ る と 指 摘 し て い る 。 と こ ろ で 筆者
に も 、 道 元 禅 師 の 身 心 脱 落 の 時 期 と 関 わ る 考 察 が あ る ( 「 道 元 禅 師 の身
心 脱 落 に つ い て 」 、 『 駒 澤 短 期 大 学 研 究 紀 要 』 第 二 三 号、 平 成 七 年 三 月 ) 。 筆 者 は こ こ で、 道 元 禅 師 の 身 心 脱 落 の 時 期 を 宝 慶 三 年 と し て い る。 筆 者 は 著 者 の 論 証 を 理 解 す る も の の 、 未 だ に 納得
が い か な い 点 が あ る。 こ の 身 心 脱 落 の 時 期 に つ い て は、 宝 慶 元 年 五 月 一 日 の 前 日 と す る 説 ( 佐 藤 秀 孝 「 如 浄 会 下 の 道 元 禅 師 − 身 心 脱 落 と 面 授1
」 、 『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』 第 三 七 巻 第 二 号、 平 成 元 年 三 月 )、 五 月 一 日 で あ る と す る 説 ( 田 中 一 弘 「 如 浄 ・ 道 元 禅 師 の 相見
… … 御 遺 言 記 録 を 中 心 に し て 」 、 「 中 外 日 報 』 昭 和 四 八 年 三 月 二 八 日 ー 四 月 一 日、 同 「 如 浄 禅 師 と 道 元 禅 師 の 相 見 に つ い て 」 、 『 傘 松 』 】 九 九 〇 年 九 月 号、 志 部 憲 一 「 「 面 授 」 と 「 脱 落 」 に つ い て 」 、 『 駒 沢 大 学 大 学 院 仏 教 学 研 究 会 年 報 』 第 一 二 号、 昭 和 五 三 年 十 月 、 ほ か ) 、 五 月 一 日 以 降 『 宝 慶 記 』 で 示 す 七 月 二 日 参 方 丈 以 前 の 伝 法 の 時 ま で の 間 と す る 説 ( 伊 藤 秀 憲 「 道 元 一 四 七伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) 禅 師 の 在 宋 中 の 動 静 L 、 『 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要 』 第 四 二 号、 昭 和 五 九 年 三 月、 一 一 五 〜
=
六 頁 ) 、 九 月 十 八 日 以 降 の ほ ど 遠 く な い 時 期 と す る 説 ( 中 世 古 祥 道 著 『 道 元禅
師 伝 研 究 』 ( 昭 和 五 四 年 一 月、 国 書 刊 行 会 刊 ) 、 宝 慶 二 年 若 し く は 宝慶
三 年 に お け る 出 来 事 で あ っ た と す る 説 ( 伊 藤 俊 彦 「 道 元 禅 師 の 身 心 脱 落 の 年 次 に つ い て ー 宝 慶 元 年 夏 安 居 説 へ の 疑 義l
」 、 『 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要 』 第 二 四 号、 昭 和 四 】 年 三 月 ) ま た 宝 慶 三 年 の 嗣書
相 承 の 時 点 で は な い か と す る も の ( 鏡 島 元 隆 『 道 元 禅 師 と そ の 周 辺 』 、 昭 和 六 〇 年 四 月、 大 東 出 版 社 刊、 三 一 六 〜 三 一 八 頁 ) 等 が あ る 。 鏡 島 博 士 の 説 は、 身 心 脱 落 の 年 次 は い つ か と い う こ と が 問 題 と な る が、 私 は 諸 氏 が 主 張 す る、 禅 師 が 如 浄 よ り 菩 薩 戒 を 相 承 し た 宝 慶 元 年 九 月 十 八 日 こ ろ と す る 説 に 対 し、 禅 師 が 如 浄 よ り 嗣 書 を 相 承 し た 宝 慶 丁 亥 ( 三 年 ) の こ ろ と す る 『 三 祖 行 業 記 』 の 説 が な お 検 討 の 余 地 を 残 し て い る も の と 考 え る 。 し た が っ て、 身 心 脱 落 の 年 次 は、 私 に は 未 決 の 問 題 で あ っ て、 こ こ で は 面 授 時 と 身 心 脱 落 時 と は 別 時 で あ る こ と を 述 べ る に 留 め た い 。 ( 鏡 島 前 掲 書、 三 一 八 頁 ) と、 こ の 問 題 に 対 し て 慎 重 で あ る が、筆
者 は こ の 鏡 島 博 士 の 宝 慶 三 年 説 を 支 持 す る の で あ る 。 ま ず 、 宝 慶 元 年 九 月 十 八 日 の 『 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 作 法 』 の 伝 授 を ど の よ う に 捉 ら え る か が 問 題 で あ る 。 諸 説 は こ れ を 伝 法 以 後 の こ と と し て い る が は た し て そ う な の で あ ろ う か 。 こ れ に つ い て そ の 法 嗣 の 懐 奘 と さ ら に そ の 法 嗣 の義
介 の 場 合 を 参考
に 論 じ て み よ う 。 ま ず、 懐 奘 の こ れ に 関 わ る 行 実 を 挙 げ れ ば 次 の よ う で あ る 。 一 四 八 文 暦 元 年 ( 一 二一 二 四 ) 冬、 山 城 深 草 に 道 元 禅 師 に 参 ず 。 ( 『 行 状 記 』 ) 文 暦 二 年 ( 一 二 三 五 ) 八 月 十 五 日、 伝 受 仏 祖 正 伝 戒 法 。 ( 『 行 状 記 』 ) 嘉 禎 二 年 ( 一 二 三 六 ) こ の 年 、 伝 法 か ? ( 『 伝 光 録 』 ) * 「 師 す な は ち た ず ね い た る。 時 は 文 暦 元 年 な り 。 元 和 尚 歓 喜 し て す な は ち 入 室 を ゆ る し、 昼 夜 祖 道 を 談 ず 。 や や 三 年 を す ぐ る に 今 の 因 縁 を 請 益 に 挙 せ ら る 」 ( 『 伝 光 録 』 ) 嘉 禎 二 年 ( 一 二 三 六 ) 十 二 月 二 十 九 日、 道 元 禅 師、 懐 奘 を 興 聖 寺 首 座 に 充 て 秉 払 せ し む。 ( 『 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』 ) 嘉 禎 二 年 臘 月 除 夜、 始 請 懐 奘 於 興 聖 寺 首 座。 即 小 参 次 、 請 秉 払 。 初 任 首 座、 即 興 聖 寺 最 初 首 座 也 。 小 参 云 、 宗 門 ノ 仏 法 伝 来 ノ 事。 初 祖 西 来 シ テ 少 林 二 居 シ テ、 機 ヲ マ チ 時 ヲ 期 シ テ 面 壁 シ テ 坐 セ シ ニ 、 其 年 ノ 窮 臘 二 神 光 来 参 シ キ 。 初 祖、 最 上 乗 ノ 器 ナ リ ト 知 テ 接 得 ス . 衣 法 ト モ ニ 相 承 伝 来 シ テ 、 児 孫 天 下 二 流 布 シ、 正 法 今 日 二 弘 通 ス。 初 テ 首 座 ヲ 請 シ、 今 日 初 テ 秉 払 ヲ オ コ ナ ハ シ ム。 衆 ノ ス ク ナ キ ニ バ バ カ ル コ ト 莫、 身 初 心 ナ ル ヲ 顧 コ ト ナ カ レ。 … … ( 『 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』 巻 五 、 『 道 元 禅 師 全集
』 下、 四 六 九 頁、 以 下 『 正 法 眼 蔵 』 以 外 の 道 元 禅 師 関 係 文 献 か ら の 引 用 は 『 同 書 』 下 に よ り 頁 数 の み 記 す ) こ の 『 伝 光 録 』 の 「 や や 三 年 を す ぐ る に 」 の 記 述 は、 文 暦 元 年 ( 一 二一 二 四 ) に 懐 奘 が 山 城 深 草 に 道 元 禅 師 に 参 じ て か ち 三 年 と い う こ と で あ り、 こ れ は 文 暦 元 年 を ふ く め て 三 年 と い う こ と で、 そ れ は 嘉 禎 二 年 ( 一 二 三 六 ) に あ た る の で あ ろ う。 そ れ は、 『 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』巻 五 の、 嘉 禎 二 年 十 二 月 二 十 九 日 に 道 元 禅 師 が 懐 奘 を 興 聖 寺 の 首 座 に 充 て 秉 払 さ せ た と い う 記 録 と 重 な る が、 懐 奘 の 脱 落 の 話 は 、 こ の 嘉 禎 二 年 の こ と と 考 え て よ い と 思 わ れ る 。 と す れ ば、 懐 奘 の 文 暦 二 年 ( 一 二 三 五 ) 八 月 十 五 日 の 伝 受 仏 祖 正 伝 戒 法 ( 『 行 状 記 』 ) は 懐 奘 の 身 心 脱 落 以 前 の こ と と な る 。 そ れ で は、 義 介 に つ い て は ど う で あ ろ う。 こ れ に 関 す る
義
介 の 行 実 を 挙 げ れ ば 次 の よ う で あ る 。 建 長 三 年 ( 一 二 五 】 ) 辛 亥 春、 監 公 以 覚 晏 上 人 所 得 之 仏 照 禅 師 下 嗣 書 付 授 。 … … 並 授、 兀 和 尚 所 伝 菩 薩 戒 儀 式 。 ( 『 行 状 記 』 ) 建 長 六 年 二 二 五 四 ) 一 二 月 二士
二 日、 於 方 丈、 見 聞 嗣書
・ 伝 法 事 記 録 … … 建 長 七 年 ( 一 二 五 五 ) 正 月 二 日 、 義 介 初 拝 第 二 世 堂 頭 和 尚 … … 同 三 日、 堂 頭 和 尚、 嗣 書 並 伝 袈 裟 事、 示 委 細 言、 … 露 命 不 定 故 示 之 … … 同 六 日、 夜 参 有 二 談 之 次、 義 介 諮 問 云 、 … … 同 十 三 日、 初 夜 後、 於 御 影 前 拝 見 書 事、 … … 同 七 日、 巳 時 坐 禅 中、 先 師 大 悟 因 縁、 依 身 心 脱 落 聊 得 力。 坐 禅 罷、 参 方 丈 拝 云 、 義 介 今 日、 先 師 道 依 身 心 脱 落 聊 有 省。 … … 二 月 二 日、 参 次 雑 談 次、 義 介 云 、 … … 先 師 仏 法 者、 真 実 如 是。 爾 己 如 是 者、 不 疑 先 師 仏 法。 古 人 云、 今 日 已 後、 不 疑 著 天 下 人 舌 頭 。 爾 亦 如 是。 伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) 同 十 三 日、 〈 伝 法 の 儀 式 〉 ( 以 上 『 御 遺 言 記 録 』 、 五 〇 〇 〜 五 〇 六 頁 )義
介 に お い て も、 懐 鑑 よ り 道 元 禅 師 所 伝 の 菩 薩 戒 儀 式 を 授 か っ た の は 建 長 三 年 ( 一 二 五 一 ) 春 の こ と で あ り、 そ の 後 、 建 長 ⊥ ハ 年 ( 一 二 五 四 ) 一 二 月 二 十 三 日 に は、 「 於 方 丈、 見 聞 嗣 書・ 伝 法 事 記 録 … … 」 ( 『 御 遣 言 記 録 』 ) の 記 録 が 見 ら れ る が、 い ず れ も 建 長 七 年 ( 一 二 五 五 ) 正 月 か ら 二 月 に か け て の 一 連 の 伝 法 に 関 わ る 商 量 ・ 儀 式 以 前 の こ と で あ る。 こ れ ら、 道 元 禅 師 門 下 の 伝 法 の 様 子 か ら 推 察 す る に、 道 元禅
師 に お い て も、 同 様 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 師 よ り 菩 薩 戒 を 授 か る 前 に 身 心 脱 落 し て し ま う こ と が な い こ と は な か ろ う が、 授 菩薩
戒 ( 後 出 「 授 道 元 式 」 ) が 身 心 脱 落 以 後 で な け れ ば な ら な い 理 由 な ど な に も な い の で あ る 。 か え っ て そ れ は 身 心 脱 落 以 前 で あ る こ と が 通常
で あ る は ず で あ る 。 道 元 禅 師 の 身 心 脱 落 は 宝 慶 元 年 九 月 十 八 日 の 伝 授 菩 薩 戒作
法 以 後 の こ と と み る の が 妥 当 で あ る 。 著 者 は、 伝 法 を 許 さ れ た も の に の み 菩 薩 戒 作 法 が 授 け ら れ る と い う こ と に 対 し て、 義 介 の 場 合 は 伝 戒 の 方 が 先 で は な い か と の 反 論 も あ ろ う。 確 か に義
介 は 懐 鑑 よ り 菩 薩 戒 作 法 を 伝 授 さ れ て い る 。 ま た 懐 鑑 も 道 元 禅 師 よ り 菩 薩 戒 作 法 を 伝 授 さ れ て い る の で あ る ( 『 御 遺 言 記 録 』 道 全 下・ 四 九 六 頁 ) 。 即 ち 道 元 ー 懐 鑑 ー義
介 へ と 菩 薩 戒 作 法 は 伝 授 さ れ て い る。 懐 鑑 も 義 介 も、 道 元 禅 師 よ り の 伝 法 を 望 み な が ら も 許 さ れ な か っ た 人 物 で あ る 。 そ の 彼 ら が、 伝 法 以 前 に 菩 薩 戒 作 法 を 受 け て い る と い う こ と は、 伝 法 よ り も 伝 戒 が 先 で あ る と も 考 え ら れ る が そ う で は な い 。 彼 ら は、 道 元 禅 師 か ら 洞 下 の 伝 法 は 許 さ れ な か っ た が、 大 日 能 忍 − 覚 晏 − 懐 四 九伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) 鑑 −
義
介 と、 既 に 済 下 の 法 を 伝 え て い る の で あ る か ら、 菩 薩 戒 作 法 の 伝 授 を 許 し た の で あ る 。 ( 一 二 五 頁 ) と い う。 こ の 反 論 は 筆者
の そ れ を 指 す の か も 知 れ な い が、 義 介 の 場 合 は そ う で あ る に し て も、 懐 奘 の 場 合 は ど う な の で あ ろ う。 懐 奘 は、 先 の 如 く、 文 暦 元 年 ( 一 二一 二 四 ) 冬、 山 城 深 草 に 道 元 禅 師 に 参 じ ( 『 行 状 記 』 ) 、 文 暦 二 年 ( 一 二一 二 五 ) 八 月 十 五 日、 仏 祖 正 伝 戒 法 を 伝 受 し て い る 〔 『 行 状 記 』 )。 懐 鑑 か ら で は な く 道 元 禅 師 か ら の 伝 授 で あ ろ う。 『 伝 光 録 』 の 記 述 か ら、 伝 法 は 嘉 禎 二 年 ( 一 二 三 六 ) の こ と と 考 え ら れ る か ら 、 懐 奘 の 「 伝 受 仏 祖 正 伝 戒 法 」 は 伝 法 以 前 の こ と で あ る 。 と こ ろ で、 こ の 「 伝 受 仏 祖 正 伝 戒 法 」 と は 何 を 指 す の で あ ろ う 。 『 御 遺 言 記 録 』 に、 道 元 禅 師 の 言 葉 と し て、 先 師 常 示 日、 ( 中 略 ) 唯 有 秘 事 口 訣、 未 為 他 之 説 者、 所 謂 住 持 心 術、 寺 院 作 法、 乃 至 嗣 書 相 伝 次 第、 授 菩 薩 戒 作 法、 如 是 等 事 也、 是 等 非 伝 法 人 輒 不 伝 云 云 。 然 如 是 等 事、 懐 奘 某 甲 一 人 伝 之 。 ( 『 御 遺 言 記 録 』 、 五 〇 二 頁 ) と あ る。 「 授 菩 薩 戒 作 法 」 は 「 伝 法 の 人 に あ ら ざ れ ば、 た や す く 伝 え ず 」 と い う。 と す れ ば、 懐 奘 に と っ て 「 授 菩 薩 戒 作 法 」 は、 伝 法 以 後 の こ と で あ っ た は ず で あ る 。 と す れ ば、 文 暦 二 年 の 「 伝 受 仏 祖 正 伝 戒 法 」 と こ の 「 授 菩 薩 戒 作 法 」 は 異 な っ た も の で あ る と 考 え ざ る を 得 な い 。筆
者 に は、 「 伝 受 仏 祖 正 伝 戒 法 」 は い わ ゆ る 授 戒 で あ り 「 授 菩 薩 戒 作 法 」 は ( 室 中 に お け る ) 伝 戒 で あ る と 思 わ れ る が、 既 に 健 保 六 年 ( 一 二 一 八 ) に 菩 薩 戒 を 受 け て い る 懐 奘 が 、 再 び 文 暦 二 年 ( 一 二一 二 五 ) に 道 元 禅 師 の も と で 「 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 」 を 受 け て い る と は 考 え に く い 。 し か し、 そ れ は あ り 得 な い こ と な の で あ ろ う か 。 こ の こ と は 道 元 禅 師 の 場 合 に も 考 え ら れ る。 『 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 作 五 〇 法 』 の 奥 書 に は、 右 大 宋 宝 慶 元 年 九 月 十 八 日、 前 住 天 童 景 徳 寺 堂 頭 和 尚、 授 道 元 式 如 是 。 祖 日 侍 者 〈 時 焼 香 侍 者 〉 宗 端 知 客 ・広
平 侍 者 等、 周 旋 行 此 戒 儀。 大 宋 宝 慶 中 伝 之。 ( 『 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 作 法 』 二 七 〇 頁 ) と あ る が、 冒 頭 に お い て 「 大 宋 宝 慶 元 年 九 月 十 八 日 」 と 明 記 し て お き な が ら、 末 尾 に 「 大 宋 宝 慶 中 伝 之 」 と 再 び 書 き 添 え て あ る の は 、 一 見 不 可 解 に 思 わ れ る 。 し か し、 後 者 に は こ れ が 記 さ れ た 意 味 が あ る は ず で あ る。 筆 者 は、 後 者 を 前 者 と は 別 の 時 期 、 別 の こ と と 考 え る . す な わ ち、 伝 授 菩 薩 戒 の 「 儀 式 」 は 宝 慶 元 年 の 九 月 十 入 日 に 行 な わ れ た の で あ る が、 そ の 後、 そ の作
法 ・ 次 第 の 詳 細 が 伝 授 さ れ た、 つ ま り 道 元 禅 師 自 身 が 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 を 弟 子 に 「 授 与 」 す る こ と が 許 さ れ 『 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 作 法 』 の 「 書 写 」 が 許 さ れ た の は、 そ れ よ り 後 の 「 宝 慶 中 」 で あ る と 解 釈 す る の で あ る 。 ま た、 こ の 奧 書 で は 「 道 元 に 授 く る の 式 」 と 言 っ て い る。 「 道 元 禅 師 に 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 を 授 け た 儀 式 」 と い う こ と で あ る。 そ し て、 祖 日 侍 者 〈 時 焼 香 侍 者 〉 や 宗 端 知 客 ・ 広 平 侍 者 等 が 、 周 旋 し て こ の 戒 儀 を 行 っ た 、 と い う の で あ る 。 こ れ を、 室 中 に お け る 「 授 菩 薩 戒 作 法 」 (作
法 の 伝 授 ) と 受 け 取 る こ と が で き る の で あ ろ う か 。 既 に 叡 山 に お い て 菩 薩 戒 を 授 か っ て い る 道 元 禅 師 が、 如 浄 の も と で 再 び 「 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 」 を 授 か る と い う こ と は 考 え に く い が、 筆者
に は 、 「 大 宋 宝 慶 中 伝 之 」 を 除 く こ の奥
書 の 記 録 は 、 伝 法 以 後 の 室 中 に お け る 「 授 菩 薩 戒 作 法 」 の こ と と は 受 け 取 れ な い の で あ る 。 さ て、 先 の 「 宝 慶 中 」 と は 何 時 で あ る の か。 「 伝 之 」 と は、 こ れ を 日 本 国 に 伝 承 し た こ と と も も ち ろ ん 解 さ れ 得 る が、 筆 者 は そ れ を 伝 法 の 時、 す な わ ち 如 浄 か ら の 嗣 書 相 承 の 時 と 考 え る 。例 え ば 「 嗣
書
」 に つ い て 述 べ れ ば、 『 正 法 眼 蔵 』 「 嗣 書 」 に、 こ の 仏 道、 か な ら ず 嗣 法 す る と き、 さ だ め て 嗣 書 あ り。 も し 嗣 法 な き は 天 然 外 道 な り。 仏 道 も し 嗣 法 を 決 定 す る に あ ら よ り は、 い か で か 今 日 に い た ら ん 。 こ れ に よ り て、 仏 仏 な る に は 、 さ だ め て 仏 嗣 仏 の 嗣書
あ る な り、 仏 嗣 仏 の 嗣書
を う る な り 。 ( 大 久 保 道 舟 編 『 道 元 禅師
全集
』 下、 三 三 八 〜 三 三 九 頁、 以 下 『 正 法 眼 蔵 』 の 引 用 は 同 書 ) と あ る が、 こ れ に よ れ ば 嗣 法 す る と き は 必 ず 嗣 書 が 付 さ れ る の で な け れ ば な ら な い 。 嗣 法 す る と き に 嗣 書 が あ る の で あ り、 こ の 嗣 書 相 承 の 時 を も っ て 伝 法 嗣 法 の 時 と す べ き な の で あ る 。 「 嗣 書 」 の 相 承 は 嗣 法 に あ た っ て う け ら れ た も の で あ る は ず で あ る 。 永 平 寺 に、 道 元禅
師 の 「 嗣 書 」 が 伝 わ っ て い る 。 円 相 型 に 列 記 し た 仏 祖 名 の 下 段 に は、 如 浄 禅 師 の 手 筆 と 伝 称 さ れ る 「 仏 祖 命 脈 證 契 即 通 道 元 即 通 大 宋 宝 慶 丁 亥 住 天 童 如 浄 」 の 表 證 文 と 捺 印 が あ る 。 親 筆 で あ る か ど う か は 、 今 後 の 厳 密 な 鑑 定 ・ 研 究 を 俟 た な け れ ば な ら な い と さ れ る が 、 現 段 階 で は 後 代 の も の と す る 根 拠 は 何 も な い 。 宝 慶 丁 亥 は、 宝 慶 三 年 に あ た る。 こ の 嗣 書 の 存 在 が 、 身 心 脱 落 の 宝 慶 三 年 説 を と る 第 一 の 根 拠 で あ る 。 宝 慶 元 年 説 に よ れ ば、 何 故 そ の 後、 宝 慶 三 年 に 至 る ま で 嗣 書 が 付 さ れ な か っ た の か 、 ま た 身 心 脱 落 し 嗣 法 し て 以 後、 何 故 一 刻 も は や く 帰 朝 し よ う と せ ず 天 童 山 に 留 ま ら れ た の か、 悟 後 の 修 行 と い う 説 も あ る が 、 そ れ な ら ば 何 故、 如 浄 禅 師 の 示 寂 を 遠 か ら ぬ こ と と 思 い な が ら 宝 慶 三 年、 如 浄 の 示 寂 直 前 に 道 元禅
師 は 帰 朝 さ れ た の か、 こ れ ら が 説 明 で き な い の で あ る 。 著 者 は、 伝 法 が 宝 慶 元 年 七 月 二 日 以 前 の 夏 安 居 中 で あ る と す る と、 何 故、 伊 藤 秀 憲 著 『 道 元禅
研 究 』 ( 角 田 ) 道 元 禅 師 が 如 浄 よ り 直 授 さ れ た 『 嗣 書 』 に ] 大 宋 宝 慶 丁 亥 L ( 宝 慶 丁 亥 は 宝 慶 三 年 。 道 全 下 ・ 二 入 七 頁 ) と あ る の か と い う こ と に な る。 宝 慶 元 年 五 月 一 日 は、 伝 法 を 前 提 と し て の 師 と 資 の 関 係 が 成 立 し た 日 で あ っ て、 嗣 書 の 相 伝 は、 『 嗣 書 』 に 記 さ れ て い る よ う に 宝 慶 三 年 で あ っ た こ と も 考 え ら れ る 。 ( 一 二 六 頁 ) と し て い る。 し か し、 『 行 状 記 』 に は、 先 の 「 叱 咤 時 脱 落 」 の 話 の 後 に、 遂 以 洞 上 宗 旨 付 嘱 。 授 曩 祖 仏 戒。 遺 嘱 日。 汝 早 帰 本 国 。 弘 通 祖 道 。 ( 『 行 状 記 』 、 一 六 二 頁 上 段) と あ る 。 如 浄 は 道 元 禅 師 が 身 心 脱 落 し た 後 す み や か に 帰 国 す る こ と を す す め て い る 。 身 心 脱 落 の 時 期 を 宝 慶 元 年 と す れ ば、 道 元 禅 師 は 如 浄 の 遺 嘱 を 聞 き 入 れ な か っ た こ と に な る 。 身 心 脱 落 の 時 期 を 宝 慶 三 年 と す れ ば 、 こ の 記 述 に も 合 致 す る の で あ る 。 こ こ に あ る 「 授 曩 祖 仏 戒 」 と は、 先 に 述 べ た よ う に 「 儀 式 」 が あ っ た の で は な く 「 授 与 」 が あ っ た の で あ る。 先 の 「 宝 慶 年 中 」 と は こ の 日 の こ と で は な い の か。 ま た、 『 宝 慶 寺 由 緒記
』 に は 、 大 宋 宝 慶 三 年、 日 本安
貞 元 丁 亥 年、 道 元 禅 師 帰 朝 之 時、 寂 円禅
師 同 行、 明 州 之 津 迄 見 送、 巳 同 船 欲 来朝
道 元 禅 師 云 、 吾 師 及 老 極 、 遷 化 不 遠、 汝 従 此 帰 天 童、 可 随 侍 如 浄 禅 師、 遷 化 後、 早 相 待 来 朝 云 々、 道 元禅
師 帰 朝 之 後 者、 寂 円 禅 師 帰 天 童、 随 侍 如 浄 禅 師、安
貞 元 年 七 月 十 七 日 、 如 浄 禅 師 示 寂、 ( 『 曹 洞 宗 古 文 書 』 下 巻、 六 一 七 〜 六 一 八 頁 ) と あ る 。 道 元 禅 師 帰 国 の 際 に、 寂 円 が 明 州 の 港 ま で 見 送 っ て 来 て 同 一 五 一伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 〔 角 田 ) 行 を 求 め た が、 道 元 禅 師 は、 「 如 浄 禅 師 は ず い ぶ ん 老 衰 さ れ て 遷 化 は も う 遠 い こ と で は な い 。 あ な た は 天 童 山 に 帰 っ て 如 浄 禅 師 の お 側 に お 仕 え し、 遷 化 の 後、 す み や か に 来 朝 さ れ た ら よ い 」 と 言 っ て 寂 円 を と ど め て い る の で あ る。 何 故、 道 元 禅 師 は も う し ば ら く 如 浄 禅 師 の も と に と ど ま ら な か っ た の か。 そ れ は、 先 の 『 行 状 記 』 に 示 さ れ る よ う な 「 汝 早 帰 本 国 。 弘 通 祖 道 」 と い う 遺 嘱 が あ っ た か ら で あ る 。 も し、 宝 慶 元 年 に 伝 法 が あ り、 そ の 後、 如 浄 の 遺 誡 に 反 し て 悟 後 の 修 行 を 続 け て い た と す る な ら、 道 元 禅 師 は 如 浄 の 遷 化 ま で 如 浄 の 下 に お ら れ た と 考 え る の が 常 で あ ろ う 。 し か し 、 道 元 禅 師 は 如 浄 の 示 寂 の 近 き を 知 り な が ら 帰 国 し て い る 。 『 行 業 記 』 や 『 行 状 記 』 、 あ る い は 『 宝 慶 寺 由 緒 記 』 の 記 述 の 信 憑 性 を 認 め る な ら ば、 宝 慶 三 年 伝 法 説 こ そ 最 も こ れ ら と 辻 褄 が 合 う の で あ る。 次 に、 『 宝 慶 記 』 の 内 容 か ら 見 て、 こ の 『 宝 慶 記 』 を 身 心 脱 落 以 後 の 記 録 と 考 え ら れ る で あ ろ う か 。 筆 者 は、 道 元 禅 師 の 身 心 脱 落 と は 「 参 禅 は 身 心 脱 落 な り 」 と い う 信 決 定 で あ る と 考 え る 。 つ ま り、 「 坐 禅 こ そ 身 心 脱 落 で あ る 」 と い う こ と が、 全 身 心 を 挙 げ て ( 身 心 ) 徹 底 的 に わ か っ た ( 脱 落 ) と い う こ と が 「 身 心 脱 落 」 で あ る と す る 。 で あ る な ら ば、 身 心 脱 落 に あ っ て は、 「 坐 禅 」 の 何 た る か が 信 受 さ れ 確 立 さ れ て い な け れ ば な ら な い 。 そ う で な い 身 心 脱 落 が あ っ た と す れ ば、 そ の 身 心 脱 落 は 転 迷 開 悟 の 特 別 な る 神 秘 的 体 験 と い う こ と に な ら ざ る を 得 な い だ ろ う と 思 う 。 と こ ろ で 『 宝 慶 記 』 の 記 述 が、 お お よ そ 年 月 日 順 に 並 べ ら れ て い る こ と は、 著 者 の 指 摘 の と お り で あ ろ う と 賛 同 す る。 そ れ を 前 提 に 以 下 を 述 べ る が、 そ れ な ら ば、 『 宝 慶 記 』 の 記 述 は、 そ の よ う な 身 心 一 五 二 脱 落 の 後 の 問 答 か と い え ば、 私 に は 到 底 そ の よ う に は 考 え ら れ な い 。 『 宝 慶 記 』 第 十 段 に、 次 の よ う に あ る 。 和 尚 或 時 召 示 日、 怺 是 雖 後 生 頗 有 古 貌。 直 須 居 深 山 幽 谷、 長 養 仏 祖 聖 胎、 必 至 古 徳 之 証 処 也 。 于 時 道 元、 起 而 設 拝 和 尚 足 下 。 和 尚 唱 云、 能 札 所 礼 性 空 寂、 感 応 道 交 難 思 議 。 于 時 和 尚、 広 説 西 天 東 地 仏 祖 之 行 履。 于 時 道 元 、 感 涙 沾 襟 。 ( 『 宝 慶 記 』 三 七 六 頁 ) 著 者 は、 こ の 段 は 『 正 法 眼 蔵 』 「 仏 祖 」 と の 関 係 か ら、 宝 慶 元 年 の 夏
安
居 中 の 記 録 で あ る と 推 定 し、 次 の よ う に 述 べ て い る 。 臨 終 ま で 師 承 を 明 か さ な か っ た と 言 わ れ る 如 浄 が、 道 元 禅師
に 仏 祖 の 巻 に 記 さ れ る よ う な 過 去 七 仏 か ら 如 浄 ま で の 系 譜 を 示 し た と い う こ と は、 ま さ に 伝 法 を 許 し た と い う こ と で あ る 。 す な わ ち 伝 法 は 、 『 伝 光 録 』 が 言 う よ う に、 宝 慶 元 年 の、 し か も 夏 安 居 中 の こ と で あ っ た の で あ ろ う。 そ し て こ の 第 一 〇 段 は、 伝 法 を 許 し て よ り そ れ ほ ど 過 ぎ な い あ る 時 で あ ろう
。 礼 拝 す る 道 元 と、 礼 拝 さ れ る 如 浄 と は、 「 感 応 道 交 」 し た の で あ り、 そ れ は ま さ に 禅 師 と 西 天 東 地 の 仏 祖 と の 「 感 応 道 交 」 で あ っ た と 言 っ て よ い で あ ろ う。 そ れ 故、 道 元 禅 師 は 感 涙 に 襟 を 沾 さ れ た の で あ る。 ( 伊 藤 秀 憲 「 『 宝 慶 記 』 の 問 と 答 − 道 元 禅 師 の 他 の 著 作 へ の 影 響I
」 、 『 鎌 田 茂 雄 博 士 還 暦 記 念 論 文 集 − 中 国 の 仏 教 と 文 化 』 、 一 九 八 八 年 一 二 月、 所 収、 八 一 九 頁 ) 『 伝 光 録 』 が 「 宝 慶 元 年 乙 酉、 日 本 嘉 禄 元 年、 タ チ マ チ ニ 五 十 一 世 ノ 祖 位 二 列 ス 」 ( 『 曹 洞 宗 全 書 』 宗 源 下・ 三 九 三 頁 上 ) と し て い る の は、 ま さ に 著 作 の 言 う よ う に 『 正 法 眼 蔵 』 「 仏 祖 」 巻 を う け て い る の で あ る . し か し 必 ず し も 塋 山 禅 師 は 身 心 脱 落 が 宝 慶 元 年 夏 安 居 時 に あ っ た と 言 わ れ て い る の で は な い 。 も し そ う で あ っ た と し て も 塋 山禅 師 の 多 子 塔 前 付 法 説 が そ の 背 景 に あ る の で あ る 。 そ れ は 『 伝 光 録 』 首 章 に お い て 示 さ れ る と こ ろ で あ る が 、 塋 山 禅 師 は 迦 葉 尊 者 が 多 子 塔 前 に お い て は じ め て 釈 尊 に 相 見 し た と き 正 法 眼 蔵 の 付 嘱 〈 伝 法 〉 が 行 わ れ た と す る ( こ れ に 対 し て、 釈 尊 が 王 舎 城 外 の 霊 鷲 山 に お い て 迦 葉 尊 者 に 付 法 し た と す る 説 を 霊 山 付 法 説 と 言 う ) 。 こ の 説 を と る 塋 山 禅 師 に と っ て は 思 想 的 に は 初 相 見 時 の 付 法 を 主 張 さ れ る は ず で あ る か ち、 む し ろ そ の よ う な 視 点 か ら こ の 説 示 は 示 さ れ た も の と 受 け 取 る べ き で あ ろ う。 ま た、 こ の 第 十 段 で の 「 感 応 道 交 」 は 伝 法 に 関 わ る よ う な 感 応 道 交 で は な く、 こ れ は 偈 文 と し て の そ れ で あ ろ う 。 そ れ は 、 こ の 「 礼 拝 偈 」 が 第 十 九 段 に お い て も 如 浄 に よ っ て 普 説 の 時 に 大 衆 に 対 し て 示 さ れ ( あ る い は 唱 え ら れ ) て い る こ と、 そ し て 道 元 禅 師 は こ の 言 葉 の 意 味 に つ い て 熟 知 し て お ら ず、 こ の 第 十 九 段 で 如 浄 に 尋 ね て い る こ と か ら も 推 測 で き る 。 と こ ろ で、 付 法 説 に つ い て さ ら に 述 べ れ ば、 如 浄 と 塋 山 禅 師 は 多 子 塔 前 付 法 説 を と り、 道 元 禅 師 は 霊 鷲 山 で の 付 法 を 示 し て い る ( 『 正 法 眼 蔵 』 「 面 授 」 巻 ) 。 道 元 禅 師 は 「 面 授 」 巻 の 冒 頭 に お い て 霊 鷲 山 で の 付 法 の 因 縁 を あ げ、 そ の 直 後 に、 い わ ゆ る 「 面 授 時 脱 落 」 の 話 を あ げ て い る が、 両 者 を 関 連 さ せ て 述 べ れ ば、 「 面 授 時 脱 落 」 の 話 は 初 相 見 の 時 の こ と で は な い こ と に な る。 し か し、 そ れ で も 五 月 一 日 は 初 相 見 の 日 で よ い の で あ っ て 、 こ の 矛 盾 に 重 要 な 意 味 が あ る と も い え る 。 つ ま り、 伝 法 ( 身 心 脱 落 ) は あ く ま で も 霊 鷲 山 で あ る こ と を 示 し た 上 で、 初 相 見 の 日 に そ れ が 行 わ れ た と も 言 え る 道 理 を 示 さ れ た と 考 え た い。 だ か ち こ そ、 思 想 的 に は 道 元 禅 師 は 如 浄 や 瑩 山 禅 師 伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) と 同 じ 多 子 塔 前 付 法 説 を と っ て い た と も 言 え る の で あ り、 そ れ は 『 正 法 眼 蔵 』 の 随 所 に 示 さ れ る 考 え 方 で も あ る の で あ る 。 ま た、 如 浄 が 初 相 見 ( 五 月 一 日 ) の 時 に 「 仏 仏 祖 祖 面 授 の 法 門 現 成 せ り 」 の み で な く、 そ れ に 続 く 「 こ れ す な は ち 霊 山 の 拈 華 な り、 嵩 山 の 得 髄 な り 。 黄 梅 の 伝 衣 な り、 洞 山 の 面 授 な り 。 こ れ は 仏 祖 の 面 授 な り。 吾 屋 裏 の み あ り 、 余 人 は 夢 也 未 見 在 な り 」 も、 言 っ た と し て も、 多 子 塔 前 付 法 説 を と っ て い た 如 浄 ( 『 宝 慶 記 』 第 二 八 段 く 三 八 一 頁 V 参 照 の こ と ) が そ の よ う に 示 し た と し て も 、 そ れ は 当 然 の こ と で あ っ て、 こ の と き に 身 心 脱 落 が あ っ て 付 法 し た と 受 け 取 ら な け れ ば な ら な い こ と は な い の で あ る 。 ま た 、 第 一 〇 段 に お い て 道 元 禅 師 が 「 感 涙 沾 襟 」 し た の は、 如 浄 か ら 「 必 至 古 徳 之 証 処 」 と い う 授 記 を 得 た か ら で あ る。 如 浄 は そ の 後 も、 第 三 四 段 に お い て 「 我 天 童 老 僧、 許 休 有 眼 」 ( 三 八 五 頁 ) と 言 い、 第 三 八 段 で も 、 熱 心 に 坐 禅 弁 道 す る 道 元 禅 師 に 対 し て 吉 瑞 の あ る こ と を 予 言 し て い る 。 こ れ ら の 授 記 も 、 身 心 脱 落 以 後 の こ と と は 考 え ら れ な い 。 ま し て や、 そ れ ( 第 十 段 ) 以 後 の 問 答 で あ る と 考 え ら れ る 第 十 五 段 に お い て、 堂 頭 和 尚 示 日、 参 禅 者 身 心 脱 落 也、 不 用 焼 香 ・ 礼 拝 ・ 念 仏 ・ 修 懺 ・ 看 経、 祗 管 打 坐 而 已。 拝 問、 身 心 脱 落 者 何。 堂 頭 和 尚 示 日、 身 心 脱 落 者、 坐 禅 也 。 祗 管 坐 禅 時、 離 五 欲、 除 五 蓋 也。 ( 「 宝 慶 記 』 三 七 七 頁 ) と、 「 身 心 脱 落 」 の 意 味 を 問 う よ う な こ と が あ ろ う か。 さ ら に は 第 三 八 段 に お い て 「 堂 頭 和 尚 慈 誨 云、 吾 見 休 在 僧 堂 被 位、 一 五 三
伊 藤 秀 憲 著 『 道 元 禅 研 究 』 ( 角 田 ) 昼 夜 不 眠 坐 禅、 得 甚 好 L ( 『 宝 慶 記 』 三 八 六 頁 ) と い う 記 述 が 見 ら れ る が、 こ の 三 口 葉 が 脳 裏 に 焼 き 付 い て い た 道 元 禅 師 に し て、 こ の 後 に 、 先 の い わ ゆ る 身 心 脱 落 の 話 が あ っ た と 考 え れ ば、 話 の 筋 道 は よ く 通 る の で あ る 、 ま た、 如 浄 は 先 の 第 十 五 段 を は じ め、 五 蓋 ・ 六 蓋 を 除 く べ き こ と の 重 要 性 を 説 く が、 第 三 十 段 に お い て 道 元 禅 師 が そ の 秘 術 を 尋 ね た の に 対 し 「 侮 向 来 功 夫、 作 甚 麼 。 這 箇 便 是 離 六 蓋 之 法 也 」 と 答 え 「 祗 管 打 坐 作 功 夫 、 身 心 脱 落 来、 乃 離 五 蓋・ 五 欲 等 之 術 也 」 ( 『 宝 慶 記 』 三 八 三 頁 ) と 答 え て い る 。 「 向 来 功 夫 」 と は 坐 禅 の こ と で あ る 。 坐 禅 が そ れ で あ る こ と を、 こ の 時 道 元
禅
師 は ま だ 領 得 し て い な い の で あ る。 こ れ が は た し て 身 心 脱 落 の 後 の 問 答 と、 言 え る の で あ ろ う か 。 ま た、 『 宝 慶 記 』 の 末 尾 ( 第 三 六 段 か ら 四 三 段 ) に は 如 浄 の 坐 禅 に 関 す る 示 誨 が 集 中 し て い る。 こ の こ と は、 道 元 禅 師 に と っ て 正 伝 の 坐 禅 の 解 明 が 】 大 事 で あ り、 そ の よ う な 道 元 禅 師 の 態 度 に 応 え る か の よ う に 如 浄 の 親 切 な 示 誨 が 頻 繁 に 行 わ れ た こ と を 意 味 す る 。 こ こ に お い て 道 元 禅 師 の 疑 問 は 次 第 に 氷 解 し て ゆ く の で あ る 。 即 ち 「 参 禅 は 身 心 脱 落 な り 」 と 確 信 す る に い た る の で あ る 。 『 宝 慶 記 』 の 記 述 は そ の 過 程 を 思 わ せ る。 思 う に 、 道 元 禅 師 の、 弟 子 と し て の 入 室 問 法 間 道 の 参 学 は、身
心 脱 落 に よ っ て 了 る の で あ る。 そ れ が 『 弁 道 話 』 に 示 す と こ ろ の 二 生 参 学 の 大 事 こ こ に お は り ぬ L ( 七 二 九 頁 ) に あ た る の で あ り、 『 宝 慶 記 』 の 記 録 は、 身 心 脱 落 以 前 の 参 学 の 様 子 と 考 え ら れ る の で あ る。 以 上 に よ り 私 は、 道 元 禅 師 の 身 心 脱 落 は、 宝 慶 三 年、 そ れ は 如 浄 禅 師 か ら の 嗣 書 伝 授 に 先 だ っ て の こ と と 主 張 し た い 。 そ の 消 息 が い わ ゆ る 身 心 脱 落 の 話 で あ る の か ど う か は 定 か で は な い 。 し か し、 そ 五 四 れ を 否 定 す べ き 有 力 な 論 拠 は 何 も な い と 私 に は 思 わ れ る 。 さ て、 身 心 脱 落 に 関 す る 私 見 が 長 く な っ て し ま っ た が、 容 紹 介 に 戻 り た い 。 本 書 の 内 「 遺 偈 と 鎌 倉 行 化 」 で は、 柳 田 聖 山 氏 の、 道 元禅
師 の 遺 偈 は 後 人 の 創 作 で あ り、 鎌 倉 行 化 は 行 わ れ な か っ た と す る 説 に 対 し て 、 反 論 資 料 を あ げ、 遺 偈 は 禅 師 の作
で あ り 、 鎌 倉 行 化 は 行 わ れ た こ と を 証 明 し て い る 。 次 ぎ に 書 誌 学 的 研 究 と し て、 道 元 禅 師 の 著 作 に つ い て 論 じ て い る 。 第 三 章 は 『 正 法 眼 蔵 』 、 第 四 章 は 『 永 平 広 録 』 そ の 他 の 文 献 に つ い て の 研 究 で あ る。 『 正 法 眼 蔵 』 の 書 誌 学 的 研 究 で は、 『 正 法 眼 蔵 』 の 撰 述 示 衆・ 書 写 の 年 時 処 や、 『 正 法 眼 蔵 』 の 示 衆 に 関 わ る 諸 問 題、 『 正 法 眼 蔵 』 の 編 集 に 関 わ る 問 題、 等 に つ い て 詳 細 に 論 じ て い る 。 こ れ ら の 研 究 に は、 永 久 岳 水 博 士 や 河 村 孝 道 博 士 に よ る 綿 密 な 研 究 が あ る 。 こ と に 河 村 博 士 に は 『 正 法 眼 蔵 の 成 立 史 的 研 究 』 ( 春 秋 社、 】 九 八 七 年 二 月 ) の 大 著 が あ り、 ま た、 河 村 博 士 は 多 く の 貴 重 な 写 本 を 蒐 集・ 発 見 し、 そ れ ら の 影 印 を ひ ろ く 世 に 出 し た 『 永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成 』 ( 全 二 五 巻 ・ 総 目 録、 続 輯 十 巻、 大 修 館 書 店 刊 ) の 刊 行 を 手 懸 け ら れ て い る 。 こ れ ら の 業 績 の 上 に 立 っ た 著 者 の 研 究 で あ る 。 著 者 は、 こ れ を 大 い に 活 用 し、 『 正 法 眼 蔵 』 の 撰 述 示 衆・ 書 写 の 年 時 処 の 研 究 を 行 っ て い る 。 著 者 は ま ず、 「 撰 述 示 衆・ 書 写 の 年 時 処 一 覧 」 を 作 製 し、 『 正 法 眼 蔵 』 四 十 五 本 の 写 本 等 の 奥 書 を す べ て 整 理 し て 一 覧 で き る よ う に し て いる。 今 後 、 こ の 分 野 の 研 究 を す る も の に と っ て、 大 い に 役 立 つ も の で あ る。 と こ ろ で、 こ れ ら 写 本 に は、 写 本 に よ っ て 撰 述 年 時 処 の 違 い が 見 ら れ る 。 著 者 は、 何 故 写 本 に よ っ て 違 い が 生 じ た の か に つ い て 疑 問 を 持 ち、 こ の 」 覧 L に も と つ い て、 資 料 批 判 を 交 え な が ら、 撰 述 示 衆 ・ 書 写 年 時 処 を 確 定 し て い る 。 実 に 綿 密 な 考 証 で あ る 。 こ と に、 内 田 正 男 編 著 『 日 本 暦 日 原 典 』 に よ っ て、 冬 至 の 日 を 決 定 し、 陽 暦 ( グ レ ゴ リ オ 暦 ) を 併 記 し て、 陰 暦 で 記 さ れ た 月 日 が、 現 在 の 何 月 何 日 に 相 当 し、 ど の よ う な 季 節 で あ っ た か を 知 る こ と に よ っ て、 そ の 内 容 と 対 照 さ せ て 年 時 処 の 確 定 に 役 立 て て い る 点 は 新 し い 。 こ の 方 法 は、 『 永 平 広 録 』 の 上 堂 年 月 日 の 確 定 等 に も 用 い ち れ て い る 。 さ て、 写 本 に よ る 年 時 や 場 所 の 相 違 で あ る が、 こ れ は 伝 記 研 究 に も と つ い て、 道 元 禅 師 の 行 実 と