駒澤大學佛教學 部研 究 紀要第46 號
昭 和
63
年3
月 (1
)『
維
摩 経
』
批
判
資 料
*袴
谷
憲
昭
+ 本 稿は 昭和62
年6
月6
日に大 谷大 学で 行わ れた 日本 印 度学 仏 教学 会 学 術 大 会に おけ る私の 発 表 「r
維 摩 経』批 判」に伴 っ て配 布さ れ た資料に 基づ き, そ れ に か な りの補 足 説明を付け 加 えて 掲 載せ ん と す るもので ある。 資料 番 号は配布時と同 じもの を使用 して い るの で, 上記の 口頭発表原稿を文語に 改め て 公表した 『印度 学仏 教学研究』第36
巻第1
号の 拙稿とセ ッ トに し て 相互に 参照 さ れた い 。(
1
)ratna −
traya
−nirde6anantaramyasmin
saty evalauika
・lokottara
−viSuddhi −
yoni
−ratna −trayam
utpadyatetad
adhikrtyaSlokah1
(E
.H
.JohnstQn
ed .,
The
Ratnagotravibha
−
ga
Maha
−ya−nottaratantras ’distra.Patna
1950
, P .21
,11
.1
−2
)〔拙訳〕 三 宝 を説示 し た直後に , あ る もの がある と き だ け (yasmin saty eva ), 世 間
的及び出 世間的 な清 浄の 生 処 として の 三 宝 が 生 じ る よ うな , そ のある もの (tad)) を 主 題とし て 頌 がある。
これ に対 し, 従来の 訳文に は , どの よ うな不備が あ っ た か とい う問 題 点の
詳
細 につ い て は , 別 な拙 稿 「
『宝 性 論 』に お ける信の 構 造批 判 」(成田山仏 教 研究所 紀要 特別 号r
仏 教思 想 史論 集』, 昭 和63
年4
月刊行予定) に て論及 した の で , それに譲
るこ とにす るが, 上 掲サ ン ス ク リ ッ ト原 文 箇 所に相 当す
る従来
の 訳文
の み は 以下
に 示 して お きた い 。a ) 〔
Obermiller
訳〕After
thedescription
of the3
Jewels
wehave
a verse concerning those (elements )the existence Qf which conditions the originationof the said
Jewels
, since they represent the source of all thepurifying
qua
−1ities
, the mundane , and the transcendental . (E
.
Oberrniller
, ‘ ‘
The
Sublime
Science
of theGreat
Vehicle
toSalvation
,
being
aManual
ofBuddhist
Mo
.nism .
The
Work
ofArya
Maitreya
with aCommentary
by
Aryasanga
.” ,
Acta
Orientalia
,VoL
9
,1931
, p .148
)b
)〔宇 井訳 〕 三 宝 を説い たに 引続いて , 何が あ る と きに, 世 間 と出世 間 と の 純浄 の 生処が三 宝を 生ずるか とい ふ その こ とにつ い て 頌が あ る。 (宇 井伯 寿
r
宝 性 論 研 究』,〈
2
) 『維 摩 経』批 判 資 料 (袴谷) 昭 和34
年, 岩 波 書店,512
頁)c ) 〔高崎訳〕
Immediately
after the explanation ofthe
Three
Jewels
, the .re
is
oneliloha
with reference to the question ,in
what circumstances arethere
born
the ThreeJewels
, what
is
thebirth
−place of purity , mundane and supermundane . (Jikido
Takasaki
,A
Study
onthe
Ratnagotravibha
−
ga (
Utta
・ratantra ),
being
aTreatise
onthe
Tathdigatagarbha
Theory
of ル血 肱丿伽 αBtt
−
ddhism
,Roma
1966
, p .186
)d
) 〔中村訳〕 三 宝 の教示に次い で, 何がある こ とに於て, 世 間出 世間の 清 浄 の 生 処 とし て の 三 宝 が生 ずるの で あ るか 。 そ れにつ い て偈 がある。 (中村 瑞 隆 『蔵 和対訳 究 竟 一乗宝性論 研 究』, 昭和42 年, 鈴木学術 財団,40
頁 )以 上の
4
訳 中, 最初期のObermiller
訳 は , ま だ刊 行 さ れ て い ない サ ン ス ク リ ッ ト原 文を 当 然 参 照 し て は い なか っ た が , に もか か わ らず, こ の 訳が 最 もよ く, そ れ 以降に 提示 さ れ た 訳は , 後に なれ ば な る ほ ど悪 く な っ て い く とい う皮 肉な 結 果す ら示 して い る。 始 め に 掲げた サ ン ス ク リ ッ ト原文箇
所 の 最 も重要なポ イ ソ ト は ,「
ある もの があ
る ときだ け (yasmin saty eva )」を受 け る「
そ の あ る もの(tad)」が ,
能
生か つ 所依 と して ,所 生か つ 能 依で あ る 厂三 宝」を限定 し て い る 点にある。 前 者が 後 者を ‘ ‘ condition ” す る とい うObermiller
訳は 明確に その 点を示 し て い る が, そ れ 以 降の 訳 で は , そ の 点が次 第に薄
め られ て い っ て い るの で ある。 し か し, こ の能
生かつ所
依であ
る 「その ある もの (tad)」こ そ 『宝性論
』 に お け る根 幹的 な テーマ で あ る 「界 (dhatu
)」 で あ り 厂性 (gotra
)」に ほ か な ら な い の で あるか ら, こ の 点を有
耶無
耶に す るこ とは許
され ない であろ う。 そ れ ゆ え,VairocariarakSita
も, こ の箇
所を註 釈 して 次の よ うに 述べ て い る。ratna −traya −njrde ≦
anantaram
ity
−adin
巨dhatur
ucyate !samalety −adi −jina
−kriy6
・ty −antena catur −vidham gotram uktalp . (中 村 瑞 隆 「
Mahayanottaratantra
・甜 s−tra −
tipparpi
by
Vairocanarak
§ita
」r
平川 彰 博士古稀 記 念論 集 ・仏教 思 想の諸 問題 』,昭和
60
年, 春 秋 社, p .838
) 「三宝を説示 し た 直後に」な ど とい うこ とに よっ て 界 (dhatu
)が述べ ら れ る 。 (その 後 に 示 さ れ る本頌第4
中の) 「有 垢 (真如)」 とい うに始 まっ て 「勝 者の所 作」 とい う に 終 る 〔語 句 〕に よっ て , 四種の 性 (gotra )が述べ られて い る。こ の 「
界」
と「
性 」が 『宝性
論 』の 究 極 的 関心事であ るこ とに つ い て は 何 人 も 異 存は な い で あ ろ うが, か か る 「界」や 「性 」が, 実は 「三 宝 」 を踏み躪 る もの で ある とい うこ と こ そ, 仏 教 徒 な ら虚
心に 反省
すべ き点なの であ
る。 「バ ウ ッ ダ』(昭 和62
年, 小 学 館)の 著 者の 一人である 三枝 充 悳 教 授 は , 「三宝」
以外
に , そ 一297
一r
維摩経』 批 判資料 (袴谷 )(
3
) の 所 依に し て 能 生で ある よ う な 第四 の よ り大 き な 円 を根 基 に据
え た 「三 宝標
」を 表 紙 等の装丁 に 選び, そ の お書 きにな っ て い る もの もこ の「
三宝 標 」 と ぴ っ た り 一 致 して い るが , 極 最 近, 創 刊に なっ た ばか り の 季 刊 「仏 教 』 (第1
号, 昭 和62
年10
月, 法蔵 館)とい う雑 誌に 「ブ ッ ダの 根 本 義 と大乗 諸 仏の 出現 」を 発 表 さ れ, 「三宝 」に お い て必 ず 「仏 (宝)」
が初 出され る意 味の 重 大 さに注 目 された。 しか し, 「三宝 」 列 挙 順に おけ る 「仏 (宝)」
に い くら形態 的に注 目し た とこ ろ で , 根 本 的な見 解に お い て, 次の 「法 (宝)」を「
界 」や 「性」
と見紛
うよ うな永遠
不変
の 真 理 と解
釈 して い る限 り,「
仏 」は「
法 」に 従 属 して い る と見 做 され て い る と考
えな い わ けに は い か ない の で ある。(
2
) 略 詮 信心,有
四 種。 云 何 爲 四。 一者 信根
本 。所
謂,樂 念眞
如 法 故。 二 者, 信 佛 有 無 量 功 徳。 常 念 親 近 供 養 恭 敬, 發 起善
根 願 求 一 切 智 故。 三 者,信法 有
大 利 盆。 常 念 修 行 諸 波 羅 蜜 故。 四者, 信僣 能正修 行 自利利 他。 常樂 親 近諸菩 薩 衆, 求學
如實
行 故。 (r
大 乗 起信 論 』, 大 正 蔵 , 第32
卷,581
頁 下 :4
川 彰訳 註r
大 乗起信 論 』, 仏 典講座22
,339
頁)『大 乗 起 信 論 』の 上 引の 箇 所は , 『宝 性論』に お い て 「三 宝」の 所依 に し て 能 生 とされ て い た
「
界 」や「
性 」に 相 当 する 「真如
法」が更 に徹底
さ れ , そ れ が 「根
本」 とし て 「三 宝 」に先 立 っ て 初出 され るに 至 っ た こ とを非 常に よ く示 し て い る。 こ の 点に つ い て は , 現 在も なお未 刊 で あ るが , 昭 和59
年8
月6
ロ脱 稿の 拙稿 「
「大 乗 起 信 論 』に 関 す る 批 判 的 覚え書
」(r
大 乗 起信 論の 研 究 (仮 称)』, 春秋社, 刊行予定, 所 収) に お い て触れた の で , そ れ に 譲 りた い が, 現 時 点で は, 私の 問題意
識 もか な り展開 して きた と思わ れ るの で , こ こ で は , そ の 観 点か ら, 上 記 拙 稿 の 欠を補 うべ く簡 単に 必要
な 問題
点に 触れ て お きた い 。「大乗 起 信 論 』が, 「三 宝」 よ りも, 上述の ご とき 「真 如 法 」を
優
先 さ せ て い る こ とは , 冒 頭 の 帰 敬1
曷 (大 正蔵, 同 上,575
頁 中 :平川 前 掲 書, 36 頁)に お い て も, 通 例 に に 倣っ て 「三 宝」へ の 帰 命を表わ しな が ら, 「法性真 如 海」 な どの 語 を 格 別 重視 して い る こ とか らも 分る の で ある が , か か る 「真如海 」
や 「真 如法
」 とい う永 遠不変 の 真 理を根本
に据
えて , それを「
信ず
る」 とい う よ うな場 合の , その 「信 」 とは 一体
どの よ うな 性格の もの な の で あろ うか 。 前 掲の 拙 稿 「「宝 性 論』 にお ける信の
構
造 批 判 」で も触 れた よ うに , 私は,「
真
理 (Wahrheit
, truth , verit6 )」の
解
釈に つ い て は , そ れ を「
正 し さ (orthot ∈s )」 とみ る か 「隠れ な さ (aletheia )」とみ る か とい う二 者択 一的二 方 向が ある と 思 うの で
あ
る が, そ の後
,更に 時 を 経 一296
一(
4
) 『維摩 経』 批判資料 (袴谷) て , 拙稿
「「
和 」
の 反仏教
性 と仏 教の 反戦
性」 (『東洋学術研究』, 第26
巻第2
号, 昭和62
年11
月)の「
追 記 」 (同,128
頁) に補
足 し た よ うに, そ の 二方 向の 前 者を 「信 ず る」とい う場 合の 「信 」は9raddha
,後
者を「
信 ずる」とい う場 合 の 「信 」は adhimukti を指 すの で は な い か と 考え るに至 っ た。 それは, 『宝性 論 』に おけ る 「信」が重 要な箇 所で は 例 外な く adhimukti を使
用 し て い る とい う知見に支 え られた もの で あっ たが , 最 近,竹
村 牧 男 氏は,「
『大 乗起信
論』 の 信に つ い て 一 信 解 大 乗の 展開 」 (r
高 崎 直道 博士還 暦記 念論 集 ・イソ ド学 仏教 学論 集』, 昭 和62
年10
月, 春 秋社 )に お い て, その 私の 知 見と 一致 す る事
例を更に 『大 乗 起 信 論 』に ま で敷
衍 して , 『大 乗 起 信 論 』に お ける 「信 」は adhimukti に 相当
する もの と結 論 づ け られ た。 事 実 認 識 とし て は , 私は その 結 論に 双手を挙げ
て賛
意を表 す る もの で あ る が , しか し, その 意義
評価に 関 し て は , 私は 恐ら く同氏 とは真
向か ら対 立せ ざるを え まい 。 以 上の よ うに , 『宝 性 論』
と 『大 乗 起 信 論 』 とに 共 通 して い る と 見 做し うる adhimukti と し ての 「信 」は , 仏の 言葉
を信 じて な に が 正 しい 仏教 か を 正邪を決して 知 らん とす るSraddha
とし て の「
信 」 とは 全 く対立 する もの で あっ て , 仏の 背 後に 言 葉に もな らない 永 遠 不 変の真
理 を想定
し, そのあ
るがま ま の 「隠れ な さ (aletheia )」を黙っ て 承認 し許 容 し ろ とい うの が adhimukti の 正 体なの で あ る が , 私とは異 な り, 恐 ら く竹 村氏は , そ の 好い 加減な正体を認め ない に違
い ない 。 否,竹村
氏は, む し ろSraddha
よ りも adhimukti の方
を高
く評 価 し て次の よ うに言 っ て さ えい る の で ある。その 大 乗 法へ の信解は , 大乗の経 典 等へ の 信解で ある と同時に , おの ずか らそれを説
く当の論 書へ の信 解で もある とい う構 造を もつ 。 そ うし た教 法へ の 信 解は, 当然, 教法 の 説 く内容= 義へ の信解へ と進ま ざるを え ない 。 そ れ は
9Unyata
, paramita な どで あ り, tattvartha ,tathata
な どで も あっ た。 (中略 )そ れは従 来の6raddha
の 内 容を, adhimukti に と りこむ もの で あ っ た。 ま た mahayana−
dharma
のdharma
が,
de
−
Sana
−dharma
か ら adhigama ・dharma
(中 略)へ と深化し た こ と を意味 し よ う。 (同上,
555
−556
頁)なる ほ ど.仏 教 史が 「教 法へ の 信
解
」か ら 「義
へ の 信 解 」へ進
んだ こ とは 歴史
的 事 実か も しれ な い が , そ の 事実 は, 「深 化」 どこ ろ か 堕 落 し か 意 味 し ない こ と に つ い て は , 別 稿 「四依 (catuS ・pratisararpa )批 判 考 序 説 」(r
高崎直道 博士還暦 記 念論 集 ・イ ソ ド学 仏 教 学 論集』, 前擾) に おい て 明 らか に し え た と 思 うの で こ こ で は触
れない が,今
は , 竹 村 氏の 言 及 する adh 量gama
とい う語
の み につ い て 言え ば, 一295
一『維摩 経』 批判 資料 (袴谷 )
(
5
)こ の 語は, 仏や
教
えの背後
に, 永 遠 の 理法
や義
が「あ
る」
と想
定 して, それ に 近づ き (adhi ・
GAM
−), そ れ と 出交 す (adhi −GAM
−) こ とを 意 味 する用 語なの であ っ て, 知 性 的で ある よ りは む しろ体
験 的な語 感を 色濃 くと どめ た言 葉 なの で ある。 体験 が 知 性 よ りも深い な ど と言 うだ けの こ とならば銘
銘の 勝 手か もしれ ない が, 論 文に お い て な ら論 証が 必 要 で あろ う。 私 自身は , 上記の 諸 論 文に お い て , 散 在 的で は あるが,9raddha
を adhimukti に 対 峙 させ て , 前 者の 知 性 的 な面 を 強 調 した の で あっ た が, 迂 濶に も, その時
点で は, 原実
教 授に その 関連
論 文の ある こ と を 知 らず,後
に 金沢篤氏 よ りそ の こ と を注 意 され, し か も同 氏は , 原教授
の ‘‘Note
on
Two
Sanskrit
Religious
Terms
:B
乃α肋 andS
γ認4
肋 ” (∬ndo −Iranian
/ournal ,Vol
.7
,
No
.2
/3
, 1964, pp .124
−145
), 及 び‘‘
SraddhaviveSa
”(
ln
・dologica
Taurinensia
,VoL
7
,1979
, pp .261
−273
)の コ ピ ーを 送付
して 下された (昭 和62
年12
月12
日受領)の で , そ の 特に 前 者 (see , esp . p .142
)に ょ っ て,
Sraddha
が , 情 緒 的 (emotiona1 )な
bhakti
に 対 し て , 知 性 的 (inte11ectual) で あ る と 結 論づけられて い るこ とを 知 りえた 。 な お, こ れ と相 前後
して , 立 正 大 学 大 学 院 の 望月海
慧氏 よ り, 御尊
父望月海
淑教 授の 『法 華 経に お け る 信 の 研 究 序 説』 (昭 和55
年 5 月, 山喜房 仏書林)を 拝 受 し, 本書
に おけ る言及を 通 じ て , 原 教 授の 邦 文 の 論文 「Bhakti
研究 」 (r
日 本仏 教学会 年報』, 第28
号, 昭和38
年3
月 ) の 存 在 も知 っ た が, 「信」
に つ い て は , これ らの関連
諸 論 文や著書
も検討
し て 再度 機会
があ れば 論 及 し直し て み た い と思 っ て い る。 また , 論 述上 必 ず し も必要不可欠 な もの で は ない が, 前 掲 拙稿
「四依 (catu §・pratisararpa) 批 判考 序 説 」に 関 連 し て 言 え ば, こ れ また金 沢 篤 氏に よっ て , こ の 拙論
と同 一 テ ーマ を扱
っ た向
井 亮 氏の 「〈四依〉 の 教 説 とその 背 景 」(r
印度哲 学 仏教学 』,第2
号, 昭和62
年10
月)な る論 文のある こ と を御教 示 頂 き (昭 和62
年12
月3
日付 私 信 ),そ の コ ピ ー まで 賜わ っ た (同 12 月12 日 受領)。 一読
する に , 文献
に 対 す る見 通 しは ほ ぼ 同様
なれ ど も, その 問題
設 定や文
献 理解
は 全 く逆である こ と が判明 し た 。 即ち , 「四依」の 登場を , 私 は , 批 判 精神
が脆 弱 に な っ て きた 証 拠と見做 すの に 対 して , 向 井 氏は同 じこ とを 「批 判 的精 神
を 示す もの 」 と解 す るの で あるが, その 批判
は後
日折
を見
て 果 したい と考
えてい る。さ て , 上 記の 諸論を踏 ま えた 今 後の 詳 細な
考
察は ともか くと し て , adhimukti が, 知 性 的なSraddha
とは 全 く異な っ て, 言葉
に よっ て は表 現不可 能 な 永 遠の 理 法を想 定 し た 上で , それ と合 一する 「証
得(adhigama )」
を強
調 する体
験 重 視の神秘
主義
を志 向
し て い るこ とは ,竹村
氏 も暗
に認め る ご と く, まず 確 実 なこ とで 一294
一(
6
)r
維摩経』批 判資料 (袴谷) あ ろ う。 し か し, 大 事 なこ とは , か か る神 秘主 義は 決して 奥 深い もの で はあ りえ ず , 単 に 「真理 は あ る」 とい う通 念に 迎 合 した 俗説で し か あ り え ない とい うこ と なの で ある。 しか も中 国に お い て , こ の 「信 解 (adhimukti )」 重 視の 俗 説を 仏 教 で ある と言 い 包め る こ とに 成功 し た論書
こ そ 『大乗 起
信 論 』に ほ か な らない と見
做 さなけれ ば な ら ない の だ。こ の 点を, 武
帝
の 『神
明成仏義
』に まで 遡っ て 論証
し た の が,伊
藤隆
寿 氏の「
梁
武帝
『神
明成 仏義
』の考 察
一 ・神
不滅
論か ら起 信 論 へ の 一視点
一」
(r
駒沢大 学 仏教 学 部 研究紀 要』, 第44
号,昭和61
年3
月)なの で あるが, 竹 村 氏は前 掲 論 文の 補い に お い て , 伊 藤氏 の こ の 論 文に 触れ なが らそ れ を 正 し く評 価 し て い ない の が気に なる。 それ ゆえ, こ こ で は , 敢 えて ,伊 藤氏
の 分節
に よる 『神
明成 仏義
』の第
二 段に関 す る同 氏の コ メ ン トを再 録し て お きた い 。 第二段の主旨は, 信解の依拠すべ き根本は, 人は必ず 成仏で きる とい うこ と と, 成仏 の根 拠は, 神 明に あ り, と言 うに ある。 武帝の神不滅の 立場を明示し た ところで , 神の 不滅なる こ とが, 成仏の前 提と さ れ る 点 で, 従来の 考え方を 継 承 す る。た だ, 神の概念 は , 特に 「神 明」と言わ れ る ご とく, 霊 魂的 意 味は稀 薄 と な り, 「心」の 意 味が 強 調 さ れて い る。 し か もそ れ が, 妙果 (仏果 )に帰 する点で , 仏に なる素因 ・ 内在因 的 な意味 が考え られて い よ う。 (前掲論文,236
頁) こ こ に指 摘 さ れた こ とが , 竹 村 氏 もい う 「信 解 (adhimukti )」 の 正体なの で あ る。 こ の よ うに , 「信 解 」の 根 拠に , 仏 も仏 教 で も な い 中 国 古 来 の 「神明」や 「心」が前 提 さ れて い た の で は , そ れは もはや仏 教で は な く単 なる俗説
に過
ぎな い の だ が, そ こ は 巧 妙に 隠され たの で あ り, それが 『大 乗 起 信 論 』 の 出現へ と繋
が っ た と見 な けれ ば なるまい 。 従 っ て , 伊藤
氏 も私 も 『大乗起
信 論 』を 中 国撰述
と見做
し て い るの で あり, 私 な どは , そ れ は北か らの 亡命
僧に よっ て 武 帝を取 り 巻 くサ ロ ソ で捏 ち 上 げられた の だ とすら公 言して 憚 ら なか っ た が, 極 最 近に な っ て40
余
年 も前
に , そ うい う見解
を 明瞭
に提 起 し て お られた方の あ っ た こ とを 知 り えた。私
が大 学 院の 時に親
し くして 頂い た先輩
の林茂 樹氏
の御
祖 父,林 彦
明 師が そ の 方で あ る。 そ れを知 り え た発 端は専 ら岡部 和 雄 先 生 に 依 る もの であ っ て, 本年
の12
月8
日 に 行われた 成 道 会の 記 念 講 演の 折に , 講 演者
の 安 居 香山大正大 学学 長 が 岡 部 先 生に 献 じた 自著 『み仏 と ともに 』の 中に , い ち早 く林 彦 明 師の 重 要 な 引 用 文のある こ とに 気 ずかれ, それを私に示 し て 下 された の で ある。 勿 論,私
ど もは , その 引用が な された 原 本を見た い と望ん だ が, そ の 出版は昭和20
年で , し 一 293 一「維摩経』批 判 資 料 (袴谷) (
7
) か も私 家版 の よ うな こ とも書
い てある の で, 入 手は とて も 困難な よ うに 思 われた の で あ っ た。 し か るに , そ の 後, た ま た まある 会合 で 先 輩の 林 茂 樹 氏に お 会い す る こ とが で き, その 件 を 伺 うと, わずか な が らまだ残 部がある とお っ しゃ るの で , 所望
し た とこ ろ , 早 速に, 残 部の 大 半 と思わ れる10
部 を も送 付 し て下 され たの で あ る。 こ こ に , そ の 原 本 『起信 論の 新 研究 其 一』の 入 手 の 経緯
を述べ , お世 話に なっ た岡部
先生
と林茂 樹氏
に感謝
の意
を奉げ
, そ の仏縁
を深
く喜
びた い 。本
書 を 踏 ま え た更に詳 細な研 究は伊 藤 隆 寿 氏に俟
ち た い とこ ろで あ り, こ こ で は ,安
居 学 長が 注 口し た の と同 文 の 問 題の 箇所 , 及 び最 末尾 の 箇所 を, 直 接原 本 よ り引用 し て 示すに止 め る。 起 信論が北地 人 師の 僞 作に成つ た と 云ふ唐 恵 均の読に は余は元 よ り同意で ある。 然る にそ れ が如何な る動 機で僞 造さ れた か , 目的が何處に ある か に就て は 余は世の學 者と考 を異にする。余は 以爲へ ら く, 梁 陳の 頃武周の 法難 を 南方に 避け た る北地 の學匠が攝論 等を學び新 らし き學説に觸る X の時, 偶ま梁武帝の神魂不滅論に 蜀する欽定に警醒 刺激 さ れ,そ れに 共 鳴 附 和せ ん が 爲に 捏 造 した る一種の禪 魂不滅論が此の起 信 論であ る と余 は信ずる。 (同書 , 2 頁) 誠に 起信論を その 心持で讀み行 く時は前に 擧 け た る如 く寶藏 論 同樣老莊思想が深 く潜 在 されて あつ て北地 の十 地論 と南梁の 攝論とが混 和さ れ老 莊思想の土臺の 上に造 り上 げ られた るが起 信論で ある と うな つか れる。 それで 起 信論實際に 於て は或は 曇邏 等の作で なか つ た とす る と も寶 藏 論の 如 き老 佛 混 和の著 作を捏造 した る もの な らん と信 ず。 (同 書,19
頁)こ の
直後
に ,「
昭和
二 十年
二 月五 日蘇州
に於
て無何有郷
子未定稿」
と認
め ら れ て , こ の 論 及は 閉 じられ , 帰 国 後の 同 年9
月9
日の 師の 遷 化に よ り, 永 久 に 書 き継が れ るこ とは な くな っ て し まっ た の だ が, こ の 鋭い 批 判 的な問 題 提 起が, そ の後
の 『大乗起 信論
』研
究 者た ち か ら忘 れ 去 られて しまっ たか に 見え るの は, 誠 に 惜 し みて 余 りある こ と と言 わ ねぽ な る ま い 。 柏木
弘雄氏 の 『大 乗 起 信 論の 研 究大 乗 起 信
論
の 成立 に関
する資料
論 的 研究
一 』 (昭和56
年 2 月, 春秋社)を紐解
けぽ, その 「起 信 論関
係文
献 目録 」 中に (同書,501
頁 ) わずか に 本書
の存在
が 記 録 されて は い る が, 同氏の 研 究に深い 影 響を もっ た とい う痕 跡は 全 く認め られ ない 。 それは,本
書が , 名の み知 られ, 一 般に 広 く流布
し なか っ た こ とに 由 来 す るの か もしれない が, そ こ に は,40
余 年に 及ぶ研
究 者の 無 批判
な怠 慢
が横
た わ っ てい た こ と もまた 事 実 と して 否め ない で あろ う。 こ こ に , 本 書入手に 因んで 私 の気 持
を 書 き記し,今
後に , 林 彦明師の 問 題 提 起 を 生か した批判 的研
究の 継続
され 一292
一(
8
)r
維 摩経』批 判 資料 (袴 谷) ん こ とを 切 望 して お きた い 。なお, 唐 突な
感
を与
えて し ま うか も しれ な い が , 前 掲の 拙 稿 「『宝 性 論』 に お け る信の構
造 批 判」
に お い て, 「真理」の解
釈に関し, それを 「正 し さ (orthotes )」
とみ る か 「隠れ な さ (aletheia )」 とみ るか とい う二 老 択一的二 方 向がある と述べ た 際に , かか る考え が単に 西 欧の み な らず 東 洋に お い て も 同様で ある こ とを 証 す ピ る格
好の 資 料 を 提 示 し て お くの を うっ か り失 念
して し まっ た の で , この 場 を借 り て, そ れを 補 っ て お きた い。 以 下に 引 くの は , 『唯識
三十
頌 』の第
25
頌 中
の 「真如
」に関
する 『成 唯 識 論 』 巻 九の説 明で ある。眞
謂厦宜
, 顯韭處妄
。麺
謂如 常, 表無攣 易。 謂此眞
實
, 於 一切 位 ,堂処
其性, 故 日眞
如。 即是湛然, 不 虚 妄 義。 (大 正 藏, 第31
卷,48
頁上 :新導 本,393
頁) 「真 如 」を 「真 」 と 「如 」 とに 分 っ て 説 明し, 点 下 線で 示 し た 「真 実 」 「非 虚 妄 」「
真
実 」 「不 虚 妄 」 とい う前 者の系 列が 「正 し さ(orthotes )」に 相当し, 実下線
で 示 し た 「如
常」
「無変
易 」 「常如
」 「湛 然 」 とい う後 者の 系 列が「
隠
れ な さ(alethe −ia
)」
に相当す
る。 こ の解釈
は ,tathata
(真如) とい う分 割不 可 能 な 一語 の サ ン ス ク リッ トを二 つ に 分っ た ため に非サ ン ス ク リ ッ ト的 語 釈の よ うに 見え る か もしれ ない が, 前 者の 系 列に お い て ,tathata
の 語 源に 関 す る形 容 詞 (tatha ,「正 し い1
) 由 来説を ,後 者の系
列に お い て, 同語 源に 関 す る 副詞 (tatha ,「その ま まに1
)由 来 説を盛 り込 も う と し た こ とは 明 らか で あろ う。 もっ とも, 上 引の 『成 唯 識 論 』 は 双方の い ずれか を選
択 し よ う とは せ ず, 双方の 折衷 に よっ て 「真
如 」を 説 明 して い る わ けだ が, 折 衷説で ある限 り, 両 説を 並 記 し よ うが後 者に 就い た も 同然なの で ある。(
3
)sangs rgyas
dang
/
chosdang
!
dge
’dun
zhesbya
ba
de
ni
gnyis
te
!
sangs rgyaskyi
rangbzhin
ni
chos
so〃 chos
kyi
rang
bzhin
ni
dge
’dun
te
!de
dag
thams
cadkyang
’
dus
mabyas
pa
’o〃
’dus
mabyas
ni nam mkha ’o〃
chosthams
cadkyi
tshul
ni nam mkha ’dang
mthungs
pa
ste!
gang
de
ltar
rjes su ’gro
ba
de
nignyis
su medpar
’jug
pa
’o〃 (r
維 摩経 』,チ ベ ッ ト訳 , 北 京 版,No
.843
,Bu
,228a3
−5
:大 鹿 実 秋 校 訂 「チ ペ ッ ト文 維摩経テ キス ト」r
イ ン ド古 典研 究』1
, 昭 和45
年, p .74
,IL5
−8
;羅 什 訳 , 大 正 蔵, 第14
巻,551
頁 中, 11 −13行 ;長 尾雅人 和 訳 「維 摩経 」r
大乗仏典』7
(昭和 49 年, 中央 公論 社 ),130
頁 ) 〔拙訳〕 仏 とか 法 とか僧 とか い う, その こ と が二 (gnyis ,dvaya
)なの で あっ て, 仏 一 291 一『維 摩 経』批 判 資料 (袴 谷) (9)
の 本性は 法で あ り, 法の本 性は 僧で あ り, そ れ ら全て は ま た 無為 ( ’
dus
ma
byas
pa,asamskrta ) なので あっ て , 無為 とは 虚空 (nam mkha
’
, aka6a )で あ り,
一切法 の あ り方は虚 空に等 しい ので ある が, お よそ なん で あれ, こ の よ うに 追 従 する こ と (rjes
su ’
gro
ba
> anu −GAM
−) が無二 (gnyis
su med pa, advaya )に 入 る こ と で ある。
こ の
文章
は , 通常
の 「三宝」に 言及し なが ら, もは や 仏な どは ど うで もよい と い うこ とを 明 白に表わ し て い る 。 敢えて こ こ で後
代の 用 語を使 うな ら ば, 仏 は 法 に よ っ て遍
充され (vyapta >,法
は僧
に よ っ て 遍充
され, こ の よ うに し て 一切
法 は無
為もし くは 虚 空 に よっ て 遍 充 さ れて い る とい うこ とに なるの で ある。 従 っ て, 一 切 法が虚 空に等
しい とい うの も , もとよ り両 者が文 字どお り同 一 だ と い う こ とを意
味 し てい るわ けで はな く, 単に前 者が後 者を本 質 と し (atmaka )後 者が前 老の 本質
(atman ) で ある とい う同質 関 係 (tadatmya )を 意 味 して い るに 過 ぎ な い 。 更に , こ の 場 合の 前老が 「二 (dvaya
)」, 後 者が 「無二 (advaya )」を 意 味 す るが, その 両 者の 関 係を 図 示 し た もの が , 拙 稿 「『維 摩経 』批判 」 中に 示 し た 第 三 図で ある。 こ の 図中
に おける「
三 宝」の位
置につ い て は , 同稿
, 註10
を 参 照 さ れ た い 。 さて , こ の よ うに , 一 切 法 の 背 後に , その 本 質 (atrnan )であ る 「無 為 」や 「虚 空 」 を 想 定し, そ こ に 一 切を 帰着
せ し め ん とする の が, 『維摩
経 』の根
本的
立 場 なの で あるが, そ うなっ て し まえ ば, 仏や 仏の 教え な どは もは や ど うで もよい外
道 の 立 場に堕 し て し まっ た も同然なの で ある。 だ か ら, 『維 摩経 』 に お い て は , 仏の 教 えの 「正し さ」を 「信 ずる (9rad
−DHA
−)」
こ と な どは全 く無 用の こ と なの で あ っ て ,後
は た だ , 仏 を さ え飲み込んで し ま う 「無 為」や 「虚 空」 の 永 遠の真
理 の 「隠 れ なさ」を黙 っ て 「許 容 する (adhi −MUC
−)」ほ か は ない の だ と言 えるの か も しれ ない 。 上 の 拙訳 に お い て 「追 従 する (anu ・GAM
・)」 と 訳 し た語 は, こ の 「許 容 す る (adhi −MUC
−)」
とい う語
と ニ ユ ア ン ス を共有
し うる し , 先 の 本資料
(2
} で 触 れた体 験 重 視の adhi −GAM
・ とは 語 義上 も相 適 う範
囲が大 きい の で あ る が, そ れ とい うの も, これ らの 語の 対象
が 言葉を拒 絶 する「
永 遠の 真理 」 と し ての イ メ ー ジと結びつ い て い るこ とに よ る と思われ るの で ある。さて, 仏, 延い て は
「
三宝 」の 軽 視の結
果とし て,「
三宝 」 よ りも 「三 宝 を 産み 出す根 拠 として の 性 (rigs , gotra )」 が 重 視さ れ , こ の 「性 (rigs ,
gotra
)」 という語が, 後 代に おい て 「永遠の真理」 と しての 機 能を担 うよ うに なる が, その 崩
(
10
)『維 摩経』批 判資料 (袴谷)
芽 的 形態が 『維
摩
経 』に は認
め られる の で , 以 下 に, そ の 箇 所を諸訳 を 対 照 し な が ら示 して お きた い 。a )
dkon
mchog gsum gyi rigs (tri−ratna −gotra )rgyun mi ’chad
par
byed
pa
(北 京 版, 同上,180b1
:大 鹿 校 訂 本, p .9
,11
.21
−22 ;長 尾 和 訳,8
頁):支 謙 訳, 興 隆三 寶, 能 使不絶 (大正蔵, 同上,519
頁 上 ):羅 什訳, 紹隆三 寶, 能使不絶 (同537 頁上 ):玄 奘訳,紹三 暫 種, 能 使不絶 (同,557
頁下 )
b
)dkon
mchoggsum
gyi
rigs (tri・ratna ・gotra ) rgyun mi ,chad parbya
ba
(北 京 版,同 上,191a5
−6
:大 鹿校 訂本, P .24,1
.31
;長尾 和訳,36
頁 )1 支 謙 訳,不斷三寳 (大正蔵, 同上,
522
頁上 ):羅 什訳, 不絶三寶 (同,540
頁上 ):玄奘訳, 三智 種永不斷 絶 (同,561
頁 下 ) 以 上の 二 例 中, 古い 支 謙 訳 と羅 什訳 に は い ず れ も 「種 (rigs , gotra )」 とい う語 が付されてい ない の に, 新 しい 玄奘
訳 とチ ベ ッ ト訳 に は い ずれ も 同語が付
され て い るの で, 経 典の 増 広展開の 過 程で付 加 された語
と考えるの が自
然であろ う。 こ の 語 の 付加 に 伴う, 思 想 史的な変質
やそ の 意 味に つ い て は , 前掲 の 拙 稿 「「宝性 論』に お ける信の 構 造 批 判 」に お い て論及 し た の で , こ こ で は 省 略 し た い 。(
4
)Sraddadhadhvam
meSariputra
pattiyatavakalpayata
!
nahi
Sari
−putra
tathagatanar
ロ mr §a
−vadah sa !pvidyate !
ekam ev 合darp
Sariputra
.yana
耳1yad
idam
buddha
−yanam
〃
(H
.Kern
andB
.Nanjio
ed .,Saddharma
−−pupdarika
,Bibliotheca
Buddhica
X
, p .44
,IL
3
−
4
) 〔拙訳〕 シ ャ ー リ プ ト ラ よ, お まえた ち は, 私 (= 仏) を信 じ (Sraddadhadhvam
) 信 頼し信 服 する が よい。 とい うの も,シ ャ ーリ プ ト ラ よ, 如 来た ちに は 虚言 (mrsa −va −da
)とい うもの がな い か らで ある。シ ャ ー リプ ト ラ よ, こ の 乗は 一つ だ けで あ っ て , 即 ち そ れが 仏乗 (buddha
−yana
>で ある。 (松濤誠 廉 等共訳 「法華経」1
,r
大乗仏典』 4 (昭 和50
年, 中央 公 論社),57頁参照 ) 〔羅什訳〕 舍利 弗。 汝 等當 一心 信 解 受持 佛 語 。 諸 佛 如 來言 , 無 虚妄。 無有餘 乘, 唯 一 佛 乘。 (大正蔵, 第9
巻,7
頁 下 )なお , 『法 華 経 』の こ の 一節に 関 連 す る問題に つ い て は , 前 掲
拙稿 「
『宝性
論 』 に おけ る信の 構造批 判 」の 最 終 (第4
)節を参照 さ れ た い 。avakalpayadhvam me
kuraputra
abhi6raddadhadhvamtathagatasya
bhatam
vacarp vyaharatab!
(
ibid
.,
p
.315
,11
.2
−
3
)〔拙訳 〕 善 男子 ら よ, お ま え た ち は私 ‘= 仏 )を信 服 するが よい 。 真実の 言葉を語る
如来を信 ずるが よい (abhi ≦raddadhadhvam )。 (松 濤等共 訳 「法華経」
ll
, 『大 乗仏 典↓
r
維摩経』 批判 資料 (袴 谷) (11)5
(昭 和51
年, 中央公論社,104
頁 )〔羅 什 訳 〕
諸 善 男子。 汝 等當信解 如來誠諦之 語。 (大正 蔵 , 同,
42
頁 中)また, 『
法 華経
』に対 す る解 釈の 相 違に関 し て は , 拙稿
「『維 摩 経 』 批 判 」の 註5
で 指 摘 した 『仏 教の 実 践』
の松本 史
朗 氏 執筆 箇所
や拙 稿
,更
に 現 時 点で は ,前
掲 拙 稿 「「和 」 の 反仏 教 性 と仏 教の 反 戦性」の 特に120
一工21
頁を合わせ て参照 し て 頂 きた い 。(
5
)tapac
chedac ca nika $at
suvar ロarniva
parp
(#
itaih
!parik
$ya
bhik
$avogr
巨hyalp
mad −vaco natu
gauravat
〃
〔拙 訳 〕 あた か も, 金 が燃 焼や切断 や研磨に よ りて 〔確か め られ る〕よ うに, 比丘 た ちよ, 学 識 者たち は, 吟 味 検 討した結 果, 私 ( = 仏 )の 言葉を受 け取るべ きで あ っ て , 決して崇 拝に よ るべ ぎで は ない 。 (なお, こ の 資料 (
5
)に つ い て は , 脱 稿 直 後に 補足 した 〔追加〕欄を必 ず 以下の記述と 合わ せ て 参照 して 頂 ぎたい 。) こ の 頌は , ツ ォ ン カバ (
Tsong
kha
paBlo
bzang
gra ・gs
pa
,1375
−1419
) の 『善
説心髄 』 (Legs
bshad
snyingpo
) の序
文の最未
尾 (Bkra
shis
lhun
po 版 全 集,
Vol
.21
,p
.482
=
f
.Pha
, 3a2)に も引
用 さ れ , そ の 英 訳で あるRobert
A
.F
.Thurman
,Tsong
Khapa
’sSpeech
ofGold
in
the
Essence
ofTrue
Eloquence
∫ .Reason
andEnlightenment
in
the
Central
PhilosoPhy
ofTibet
(New
Jersey
1984)p
.190
, n .
12
で は , シ ャータ ラ ク シ タ
(
Santarak
§ita
)の丁
真 理綱
要 』 (Tattvasamgraha
),第
3587
頌 (Varanasi
版,Bauddhabharati
Series
)に よっ てサ ン ス ク リ ッ ト原文が 回収 され る か た わ ら(ただ し誤 植が多い), こ の 頌が パ ー リ聖 典に も見 出せ る よ うなこ と を記 しなが ら, そ れ を 明 記 しない ため に, そ の 正確な所 在は知 られ な い 。 有名な 頌 に もか か わ らず , 従来は誰 も, パ ー リ中に そ の 所
在
を 指 摘 し た人は い ない の で , 単な るThurman
教 授の 思い 違い か も し .れ ない と思 うが, 万 一 そ うで ない とすれ ば御
教 示 願い た い 。し か る に, 上 引の 頌 に 関 する以下の 確 実で
詳
細 な情 報は, すべ て 木 村 誠司氏に よ っ て私に与
え られ た もの で ある。 こ こに 記し て 深 謝の 意を表し た い 。まず, 上 引の 頌は, デ ィ グナ
ーガ (
Dignaga
)の 『集 量 論 』(Prama
’n. asamuccaya )の 帰敬 頌に 関連 して ,
M
.Hattori
,1
)ig
・ η49 α,On
Perception
, (HarvardOrien
− talSeries
,Cambridge
1968
),P
.73
で 言 及され , そ こで は更に, 以下のTh
.St
− cherbatsky , .
Berddhist
Logic
,1
, (Bibliotheca
BuddhicaXXVI
, Leningrad 1930)pp
.76
−77
, 及 びS
.Mookerjee
,The
Bud4hist
P
履 05砂々ア (ゾ
Universal
(
12
) 『維摩 経』批 判 資 料 (袴谷)Flux
(Calcutta
1935
) ,P
. x1 が参 照されて い る。 こ の うち, 前 者の 記 述に よっ て , 我々 は , チ ベ ツ ト に お い て , 上引
の 頌中
の「
燃焼
(tapa)」
と「
研 磨 (nika §a)」 と 「切 断 (cheda )」 とが, そ れ ぞ れ 「現 見 (pratyakSa
, mngon sum )」
と 「非
現 見(parokSa ,
Ikog
pa
,lkog
gyur )」 と 「一
向 非 現 見 (atyanta ・parok §a , shin tu
lkog
pa
, shin tulkog
gyur )」 とい う三 つ の対 象
の吟 味
に 擬え られて い た こ とを 知 る こと がで きる の で あ る。 なお , 木村 氏か らは, 上 引の 頌に言 及する 二 つ の チ ベ ツ ト 撰 述 文 献, 即ち , タ ル
マ リ ン チ
ェ ン (rGyal tshab
Dar
ma rin chen ,1364
−
1432
}の 『
密 意解
明』(dGongs
pa
rabgsal
), 東北 .
No
。5453
,Ja
,4b4
−6
, 及び ケ ー ド
ゥ プ ジェ (mKhas grub rje
dGe
legs
dpal
bzeng
po,1385
−
1438
) の 『量 七部 荘 厳 』 (Tshad
〃ma sdebdun
gyi rgyan ), 東 北,
No
,5501
,Tha
,4b2
−6
を御 教示頂い た が, 前者
の 記述
は,Stcherbatsky
に よ っ て紹
介 された , 上述の ご とき, 三 つ そ れ ぞ れの 対応
を踏
まえた もの とな っ て い る。 さて , 以上 に よ っ て知 られた 文 献や論及 を 歴 史的 展開に 即 し て 辿 っ て み る と, 大 略, 以 下の よ うな脈 絡を得
るこ とがで きる。 デ ィ グナ ー ガ の 『集
量 論 』 帰 敬 頌 は, 仏が 量 (pramarpa , tshad ma )で ある こ と を証 明するため に その 論を 作っ た こ と を述べ る1
頌で あるが , 周知の ご とく, ダル マ キ ール テ ィ は , こ の た っ た1
頌
に対
して , 更に詳細
に仏の 量た るこ とを証
明せ んが ため に286
頌か らな る註 釈 を 『量 評釈』 (P7
@ 卿 4プ齷 々の の 「量 成 就 」 (Pramana
・siddhi )章 と して著
述し た の で あ る が,後
に は , か か る意味で の 論 理 重 視 の 系 譜を継承 す る人 々 の 中で , 例 えば, 『真 理 綱要
』, 第3587
頌に お ける シ ャ ー ン タ ラ ク シ タや , 或は 『正理 一滴
前主張 要 約』 (
RigS
Pa
’i
tshigSPa
’i
PhyogS
snga ma mdorbsdUS
Pa
,*物 の α伽 一dupdirvapaksasamksipti
), 北京 版,No
.5731
,We
,114a8
に お ける カ マ ラ シ ー ラ (KamalaSila
)の ご とき人が, その 典 拠は今の とこ ろ,Thurman
教 授が言 うよ う に は 簡 単に パ ー リ聖典 中や古
い 経 典 中に は 求め うべ く も ない が, そ の 問 題の1
頌 を , 仏 自身
が論理 的 吟味
を重ん じ た こ との 論 拠 として 引 用 する よ うに な り, そ れ が チ ベ ッ ト に 継 承 展開
さ れて , 上述
の ごとき三種
の 対象
の 吟味検
討に まで 明確に 適 用 され る こ とにな っ た と見 做 し うる。 か か る経 過の 中で, 「現 量 (pratyaksa )」 と 「比量 (anumarpa )」 とい う二 つ の 量の うち, 従 来と もす れば過 大に評 価 されが ち な傾 向に あ っ た 「現 量 」に 代 っ て 「比 量」
が尊
重される見方
が 次第
に確
立 され . そ れが, ツ ォ ン カ バ を 頂 点と して, ア ジ ア で は例外的
に , チ ベ ッ トに根 着 く
こ とに な っ た系 譜なの で はない か とい うの が, ヨ ー ロ ッ パ に お け る「
場 所の哲
学 一287
一『維 摩 経』批 判 資 料 (袴 谷 ) (13)
(topical
philQsophy
)」
と 「批 判の哲
学 (criticalphilosophy
)」
との 対立 との 類 推に お い て
私
が思 い 横い た鳥瞰
図 な の で ある。 これ につ い ては, 別稿
「批判
と して の 学問」
(隲句沢大 学 仏 教学 部 論 集』第18
号, 昭和62
年10
月 )に て多
少は詳 し く論
及 し た の で , そ れ を参 照 して頂 きたい が, チ ベ ッ ト の こ とに つ い て は , 木 村 誠 司 氏の 秀 れ た論 放 「チ ベ ッ ト仏 教に お ける論理 学の位
置付
け」
仙 口瑞鳳監修r
チ ベ ッ ト の 仏 教 と社 会』, 春秋社, 昭 和61
年)を 是 非 と も参
照 された い 。その 木 村氏 の 論攷は, 「論 理 学 を世 俗の 学 問 とみ な し,
解
脱を獲得
するた め の 理論 と実
践 を 説 く仏
教 学 とは認め ない 立場」
を「
論理非 仏教
学 説」
,「
論 理学
を 仏 教 学と認 め る立 場」 を 「論理 学 仏 教 学 説 」 と仮 りに 呼ん だ 上で, 後 者こ そ , ツ ォ ン カバ を 頂 点 とす るチ ベ ッ ト の 正 しい 仏 教に お い て継 承 され た もの と結 論づけた もの であ
る。 し か も, そ の成 果
に よれぽ, こ の「
論
理学仏教
学説」
こ そ が , 論 理 や 言葉
を 単 なる 「論 争の 道具 」 と見 做 す もの と真
向か ら対立する もの とされて い るが, こ の 点は, 次の デ カ ル ト の 言 葉 と も思い 合わ せ て 充 分心 に 止め て お くべ き こ とで あろ うか と思わ れ る。 なお, こ の 点 を「
信 」に絡
め て 言 え ば, ア ウ グス チ ヌ ス が 「知 らんが た め に 我は信 ず (credo utintelligam
)」 と言 っ た意味
で の 正 し い厂
知」 と「
信 」 との 関 係は,仏教
に おい て は , 木村
氏のい う とこ ろの 「論 理 学 仏 教 学説」の 系 譜をお い ては ほ か に あ りえ ない で あろ う。(
6
)Mais
, enles
examinant ,je
pris
garde
que
,pour
la
logique
, sessyllogismes et
la
plupart
de
ses autresinstructions
serventplut6t
a
expliquer
a
autruiles
chosesqu
’on sait ou m6me, comme
1
’
art
de
Lu
・lle
,a
parler
, sans
jugement
,de
cellesqu
’on
ignore
,qu
’
a
les
appren −dre
.Et
bien
qu
’elle contienne , en effet,
beaucoup
de
pr6ceptes
tr6s
vrais ettr
さsbons
,il
y
en atoutefois
tant
d
’
autres , m616s
parmi
,qui
sont ou nuisibles ou superflus ,
qu
’il
estpresque
aussi malais6de
les
en separer ,
que
de
tirer
uneDiane
ou uneMinerve
hors
d
’unbloc
de
marbre
qui
n ’estpoint
encore6bauch6
(Descartes
,Discours
de
la
me ’thode,
p .
17
:0Euvre
philosophiques
,TQme
I
,Garnier
6d
., p .585
)〔野 田訳 〕 し か しそれ ら (論 理学, 解 析, 代数の 三 , 袴 谷 註 )を吟 味 し て み る と, ま ず論理学に つ い て は, 次の こ と が気づ かれ た。 すな わ ち そ れ の示 す三 段論法や その他の 教えの 大部分は, ものを学ぶ ため よりはむ し ろ, すで に自分が学び知っ て い るこ とを他
人に 説明する ため に, 役 だつ の で あ り, あるい は また か の ル ルス の 術
(
柔
鯔
」
論
{
冨
み
義
(
14
) 『維摩経』 批判資料 (袴谷)凝惷
籍
彗
鋤
の よ うに, み ずか らの 知 ら ない こ と が らに つ い て , なんの 判 断 もせ ず に, た だしゃ べ る とい うた め に, 役立つ もの で ある と。 そ して 論理 学に は実際 きわ めて 真で き わ め て善な る多 くの規 則が ふ く ま れて い るが , 同時に そ れ と混 ざっ て, 有 害ない し無 用 な多 くの 他の 規 則が そこ に は あ り, そ れ らよ い ほ うの 規則を わ るい もの か ら 分離す る こ と は, まだ荒削 りもし て い ない 大 理 石 のか た ま りか ら デ イア ーナ の 像や ミネル ヴ ア の鰾 を刻み 出す こと とほ とん ど同じくらい むずか しい の で ある。 (野 田 又夫訳 「方法序説」, 世 界文 学 大 系13r
デカ ル ト ・パ ス カル 』, 筑摩書房, 昭和33
年,12
頁)仮 りに論理 学 (言葉) に通 暁 した か らとい っ て 必ず し も
自
分 で 考え る こ と に は な らない とい うこ とを, この デ カル ト の指 摘
に よっ て肝
に銘 じて おく
ぺ きであ
る。 しか るに , 論理 学 (言葉 ) を 「論 争の道 具」 と して用い る こ とに通 暁し た と自負
し てい る人ほ ど, 自分で 考 えて い る と自惚 れて い る もの だか ら注 意 を要
する。(
7
)Finally
, when we examinethese
two
traditions
,Centrism
andZen
,in
the
light
ofthe
abovetaxonomy
ofhermeneutical
strategies ,they
emerge as not at all ‘ ‘mystical ,”
as scholars
have
so commonlymisinterpreted
them
,but
as rationalistic, non −authoritarian , and expe
・ rientially
pragmatic
, whereasthe
varioustypes
of scripture −based
tra
−ditions
emerge as ‘‘mystical ”insofar
asthey
remaindogmatically
atta −ched
to
sacredauthority
in
the
final
analysis .(R
.Thurman
, op . cit ., p 。 128)