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『宗教研究』季刊第3年第1輯(*107号)

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(1)

――目次――

1,

平安時代の弥陀本願思想に関する研究,硲慈弘,Jikō HAZAMA,pp.1-28.

2,

本質上より見たる神社の特性,加藤玄智,Genchi KATŌ,pp.29-32.

3,

中世教派修験道の形成とその特性,和歌森太郎,Tarō WAKAMORI,pp.33-54.

4,

仏教における基層教理としての無我,佐藤密雄,Mitsuo SATŌ,pp.55-82.

5,

禅宗の「心」について,上田大助,Daisuke UEDA,pp.83-114.

6,

仏教の禁殺戒律が宋代の民衆生活に及せる影響について,鈴木中正,Nakamasa SUZUKI,pp.115-141.

7,

宗教儀礼の衝動性,竹中信常,Shinzyō TAKENAKA,pp.142-156.

8,

双子の崇拝とタブー,中西定雄,Sadao NAKANISHI,pp.157-180.

書評

9,

古野清人氏著『宗教心理の研究』,小口偉一,Iichi OGUCHI,pp.181-189.

10,

堀一郎氏著『日本仏教史論』,梶芳光運,Kōun KAJIYOSHI,pp.189-193.

Posted in 1941

(昭和16)年

(2)

いはゆる〓里専念獅陀名蛇主薬む唱道し・専修念仰の新京養むひらいた法然上人に於ては、もちろん乃至十念

の念仰で、よし如何なるものも・皆往生せしめんと願じた節十八顧む願力の主髄とし∵﹂れむ正しく衆生生因の

本願と見たてゝ、四十八顆の中には特に玉木疇であるとせられ㌔もちろん法然上人によれば、何十八願はみな

悉く禰陀因位の選摺にかゝるもので・未だその盲してゆめおろそかなるはないのみか.また所謂る永由樹立の

根本精油よりこれむいへば、その仝顧みな櫛衆生のためならざるはないのであり、みな衆生救折の本脚に非ざる

はないのでぁるノ然しそれと同情にまた、いはゆる衆生救済の慈念が全麒に流れ、それが正仁四十八大願空茶

する生命であり−摘受衆生が即ちこれ本願樹立の根本精紳である限りに於て、守⊥切の機軸む櫛し、よし如何 なるものも皆絶特牛等に・且つ必ずこれむ杜生せしめんが︺、八めに、彿自ら選んで劣む去って勝むとり.また難む すて易む取りて但柄名念件の義む楷み、これむ以て正しく衆生の行と定め.一切衆生件生の唯︼道と立てられ 平安時代の棚陀≠願思想に桐す乙析究

平安時代の輔陀本願思想に隣すろ研究

(3)

平安時代の棚陀本願思想に翻する研究

た第十八願は・由十八願の中にはこの璧もす嘉﹂といはねばならぬ。否この本願力によつてこそ∴かに

邪悪生死の凡夫と雉も、みな直に欄佗の報身報土に生るゝことができる.されば我等は、絹く禰陀の彿意に随順 して偏に渾土往生む求め.而して一切の諸行む地って、たゞ専ら栴名念仰の一報たよらねばならぬといふ。

けだし斯の如きは∵主より第十八願の﹁乃車十念﹂た、直に十聾構彿のことゝ僻して柄名正囲の曹建立し・

眼∵∬酌 而して﹁弘誓多門にして川十八頗あれども、偏に念僻む燻して最も劫となす﹂といはれた善導大師によるはいふ

進もないが、とにかく禰陀選揺の璽息に榊し、而して第十八僻む正しく生因本願と見さだめて.これに絶封的僧 侶と語末と嘉仙めた法然上人は.﹁四十八願にあるひは嬢三悪趣とたて、あるひは不更意趣とゝき、あるひは悉 ︵二︶ 借金色ともいふはみな第十八噺のためなり﹂と了鴨し.また﹁凡そE十八郎みな本願なりと雉も、殊に念俳むも へM︶ ︵と って往生の規となす﹂と説かるゝのみならす、さらに﹁木断念彿には猫りノだちむせさせて助さゝぬ﹂といつてー いはゆる本願念彿の猫立む強調し、きはめて鮮かな念彿救済の読むうち立てられて.わが将士教史上に萬丈の東

伯を吐かれたのであつた。

さて然らば法然上人以前に於て、殊に近くはーmが平安時代の爛陀信仰者に於ては・いはゆる本断に射して如何 なる見解む拍き、就中その何れに心むよせ.レ、づれに重きむ措いたであらうかどうか。けだし我が渾士教養展の あとむ間明し.特に同じく栴して滞土教とはいふも.しかも法然上人とそれ以前とに於て、その資質内容に、ど れだけの達ひがあるかどうかを明瞭ならしむる上に於て、この〓甲また甚だ重畢の課題たるを失はないであらう︶ されば今しばらくこれむ主題とし、以下試みに.わが平安時代に於ける本願思想の一般大勢をながめる。 リ

(4)

凡そ爛陀滞土の一致存するところには、また自ら本願殊勝の信仰あり′、本願力にたよるの思想信仰あるはいふ

までもないのであって、持に禰陀信仰膨辟として盛なるわが平安時代に至っては、もとよりその見るべきもの敢

て少くない。蕃二般的にも、既に﹁有漏のこの身むすてうてゝ、無漏の身近こそならむーずれ.阿爛陀はとけの背 ︵こ

あれば・弼陀に近づきぬるぞかし﹂とい、㌫みか、また殊に﹁阿摘陀ほとけ

0誓願ぞ、返す′トもたのもしき、

壷びみな品ゝ完ば、僻になるとぞ説い喜ぶい﹁摘陀の書芸たのもしき、十慧逆の人なれど・壷びみ

︵三︶ 名む構ふれば.舜迎引嘩っノたがは・ごといつて、ひろく禰陀誓願のたのもしさむ讃へ、瑚陀の賓ひ忙乗じて相方

滞土に迎へらるゝむ輯みとしたが、また早くは比叡山の大修正良源が∵ての作九晶往生義に於て四十八噺を澤し、

滞信また六八弘断.健禰陀閂十八願文などの諸謹む作ごーいひ、⊥‡藤照・尾瀬等みな四十八願繹む製するとい

∴ぱかりでない。よし然らざる喪でもま一尺或は弘賓決定㍗説いて、たゞ草ら爛陀他年の弘誓によるべきことむ致

へ・或は随順本願故必得往生と頻調するものもあつた■∪勿論その多くは早くに散伏し去って、現在やうやく良源

の九品往生筆筒照の四十八街繹む俸ふるに過ぎないのは甚だ遺憾であるが.いまとにかく此等によつて、以下 謹 ︵一︶、︵≡ 三部総経っ ︵二︶ 法事焚巻上。 ︵凹︶ 選接木朗念仰集。 ︵五ノ 志雄間仙骨櫨. 平安時代の輔陀本願思想に関する研究

(5)

その説くところのあらましむ聞き及ぶであらう。 まづ第一に良源の九品往生鶉に於ては、はじめ総論として﹁言ふ所の囲十八願は、かの法蔵書薩が過去世無数 劫に、世白衣王悌のみまへに是の如き大尉む著したまふ。然るに大賀碩捉.無筆詩経には同じく四十八大願む説 き、大阿禰陀経、掃揮発艇には同じく二十四大噺むいふレ此等の妊は同本異縄にして.而もその巻噺にむいて多 少の輿あhリ。弘決に判じて云/\願数の不同は部異に見別なり。これむ和食すべからす﹂といつて.いはゆる四 十八大願の興起と.及び諸鮭に於ける新教の不同とに封して一言む加へ、ついで榔兄蹴無筆詩経によりて四十八願 の一々む説くが.その中第一に注意むひくのは、もちろん第十八・十九二一十の三願分別であるレ けだし円十八願そのもの1糖饅論.特にこれが分類総説に於て.宮森内外の諸説甚お虜端にれ太るはいふ迄も ないと同時に、また正しく衆生律生の因む願ぜる十八・十九二‡の三願に封する分別も、若し法然上人の門流 ︵円︶ に至っては.﹁人々の料簡まちまちに﹂分れて.諸説互にその実を兢ふところがあつた。即ち近くは三ケ願事の 如きに於ては、いはゆる小坂義.長聖寺義、九品寺蓑、小松谷蓑、筑紫襲の草溌の別がかぞへらるゝし然しこれ む若し昔に翻るに於ては、三願分別の事例むしろ乏しいのであつて、外にけ新羅の憬興.ヰ差内﹁一あつては恐ら くわが良源に士づ指む絹ナべ阜や忙聞二抄ろ 与れげこぅ意味に於て∵具湘?一一朋分別は甚ね住産着べキ主ムろ 而して五逆と誹誘正江のものとた瞭く自給一切の凡夫も.若し願へげ必す徒生せしめんと拙ぜろはこれ第十八 が、しかも今正しくその説く斯によれぼ、まづ第十八願む聞名信焚十念定生断といひ、第十九断はこれむ行者命 終現前導生断と名け、また第二十を呼んで聞我係念修善定生桝といふ。 平安時代の瑚陀本願思想に関する軒先 J

(6)

断である。然しかの人の善根なほ探妙ならざるが故に.こゝには未だ現前輿衆迎摘の一専む説かざるに封して、 かれすでに菩提心む聾し.諸の善根功徳む修す。故に大衆とゝもに現前し、必ずこれむ引接せんことむ願ぜるは 即ち第十九願である。然るに唯これのみにては、若し姿婆に於て、決定業あらんものはよし彼の閉む念ずと雉も.

しかも如何がしてか忽ち往生することむ得んやといふ疑ひがあらうじさればこの疑ひむ繹かんがために第二十の

誓願あ=ノ、またその故に第二十の願には﹁欲生我囲.不具途考不取正党﹂といふし即ちこの世界に於て、所謂 る決定菜摘すべからざる一顆の従あり、而して順次にわが囲土に生することなしと雑も.しかも順複葉により七、

また定んで往生することた碍しめんと願じたものが、即ち第二十の願であるとするのがこれ良源の見解で、その

本文正しく次のごとくにいふ。

此上三願、有何差別し鐸日.除追五逆、誹誘正法者.自紋凡夫.若布願新、必令得年足第十八り彼人善根. 非探妙故、不説現前典衆迎播J第十九廟者.彼肇韮‖提心.修諸功徳、故明大東園遭.現非人前橋J是琴一願之 差別也若於凄婆.有決定業者、疑念彼囲、如何忽件生 焉繹此疑故.有第二十新 出此故、云欲生我囲、不 果逢着、不取正撃此意期云.着駅此鼎.有決定業.不可抽署.雉無帽次代我用土.両令順接業.走得生乗 ろて然らば大悟正良源は.法然上人の王本願と唱∵上第十八和む如何に佃し、特にいはゆろ乃至十念む指して. いかに二れむ解するで・わりつかどうかー▲けだし十念とは即ち十字王攣っの榊、専ら中名む栴・で?む以て正に十念 七し、而して六丹十づ名撃仁稲・∵つ出㍗着けて一念とJ・圧す⊥一説いて、ラ㌧につ〆の念んハに、補助所問紋所説の慈等の

十念を具するといふ蓑寂の疎む引く。若し然らば良源に於ては、いはゆる乃至十念の内容またはその行僅忙就く

平安時代の弼陀本願思想に翻する研究 王こ ∫

(7)

ときは.即ちこれ構名なりとするは碇ひないのであつて.この一事に閥する眠りは.法然上人の所説と札そ嘩ぶ 桝がないが.然し念とは堪ろ呵情む意味し.十念亡以て限極とTること亦凝りい㌔いのでれつて、こゝに至へては 上韮二彬下至十奪一博の念僻も.みな悉′\往生すると説/\法然上人の主張と大に異なる 況やさらに三郎分別の意手点てするときは.良源に於ては唯十念の構名ばかりが本願の行ではな′1して.諸行 もまた本斬に撃転九圭生用の行/じあるのみJ与・づJいノ.また若し諸Hと栴ケツ吉相劃すろときは.溝名は向これ洩行 であ=ノ、諸行は甚た探妙であろとすること明瞭てある一何とJはれば乃至十念の捕名は、即ち第十八跡に薬tて往 生し・而してその行なほ探妙ならざるが故に.未だ聖衆の舜迎にあづからすとなすに劃して、若しさらに深妙の 菩提心む肇し、諸の善根功徳む修するに於ては∵即ち第十九郁に乗じて赦しく引接にあづかるとするからで.こ ︵止︶ ゝに及では法然上人と全く正反封である︶況やま忽旨て九品寺の発明が、良源は十念む解して科名とはするも 然しなほ賓積紅の所有善根の文む引きて、以て第十八軒の意む補助し.乃至とい、ふは即ち諸行より念俳に害っの

意なりとし、而して願中忙諸行文口せしめたといつたが、滞貨まさに然るが如く了解せらるゝ。一されば良源の意

中あくまでも菩提心を肇し.諸の善根功徳む修す・つこと灯傾伯と意我とむ認めて.いはゆる深妙の諸行む甚だ尊 ぶと同時に.また勿論第十八願よりも.むしろ第十九願む主眼としこれに傾倦む認めて、専ら探妙の菩提心む竪 し・諸の妙行む修してこの誓願に乗じ.以て聖衆の郊迎にあづかるむ無上の頼みとなしたといはわばならぬ。 然らば良源とほゞ同時存生とみなさるゝ人で.特に四十八噺樺の一書む作るとい、\⋮静照のみる斯どうであつた か。けだし静燃その人については未だ甚だ詳かでないが.いまもし勅撰作者部類によるときは、もと従三位高階 平安時代抄棚陀本願思想に関する研究 l.■ ′ ヽ 〟

(8)

成忠の子息であつたとせられ.而して恰綱補任に維\言きは、長保五年の正月八日むもつて入滅したことた侍へ、 ヰ亮これよりさき長保二年の五月には.説経の賞たよりて法橋上人位に赦せられたといふが.これが恐らく今い ふ朗の静照であらう■否さら∵寂昭入来せんとするに営って母公のために、山崎寛寺に八講む修して締照墓相じ. ︵六︶︵七︺ 以てその講師となすといはるゝ静照も、その他大江匡衡が、長徳閏年十二月作るとい声熱田宮祭文に於ける静照 も.また繚古事談つ、たふる所の静昭も、みな年代その他の鮎から考へて、恐くみな同人とみなさるべきかに鳳へ る︶勿論あるものは称照と名け、また或るものは静昭と俸へてその名一定せぬ.釦ち本朝往生幡・朝野離栽など はみな前者に作り、愴網補任や繰言尊談のそれらはみな後者に属するが、しかし恐らくはこれ静照と静昭と、い はゆる同音罵誤に基く典侍と認めてよいであらう。 若し然らば今いふ静照は、正しくこれ良源・押信等と同時の人であるのみたらす.また長徳元年の四月采の源 清が、比叡山延暦寺に五部の新芽を追って批評む乞、ふたに封して、やがて抑信・覚遥等の碩撃とゝもに朝命む奉 ︵八︶ じ.特に悌圃荘厳論批評の任に常った静照が即ちこの人で.常時の比叡山に於ける有数の撃徳であつたこと襲ひ ない。けだし長西鋳に無量詩提十窮疏僻記一巻.無筆薄鍾円十八噺繹一巻の作者とせらるゝ称照は、恐らくこの 人であらうと同時に、またいま魂在静照の名に於て、世に僻、でや四十八願樺の二苛また恐らくは右の二常に相常 するのであらう。 而して若しこれが今いふ静照のそれに廃すとするならば、その序文に於て、﹁庚第の歳の秋河落に掩留するこ と時己に久し、談論を絶って速に阿十八願の揮わ作る﹂といひ.而してまた前記のごとく、長保五年むもつて静 平安時代の湖陀本願思想K関する研究 七 7

(9)

照まさに滅すとせらるゝ斯からいつて、恐らくこ如正暦元年の製作と推定されねばならぬ。乃ち常行堂念僻む中 心として、阿禰陀彿の信仰まさに膨群として興り、艮抑・源信・覚過等あひついでこれむ鼓吹せる冊に伍して. 櫛照また筆む走せたのが即ちこの∵欝であらうし否自らいつて、﹁僕は極欒む願架する人常にその必然ならざる む恐る.故に懇親の範む畢督して念彿の人に結線す﹂といふ所む以てせば、この叫#もとより村営の準備と抱負 む以てできたに逮ひないと思へるじ さて四十八廊繹の一群は.具さにはこれむ阿爛陀如舜四十八願繹と名け、その内容まさに絶論別繹の二段む分 っ。即ち絶とは始終む諭すといつて.弼陀嶺願の田地などむ繹し、輯じて四十八願の∵々む別樺せられてあるが、 今また前に準じて.しばらノ\第十八願以下の三願に閲すろ意見牢ぎく。けだし静照法橋は、第十八願はこれむ念 併任生顆と名け、第十九新む臨終現前斯または聖衆舜迎の願といひ、第二十はこれむ欲生果途の鱒李︶尺は係念定 生願と名け、而して凡そ次のごとくに僻する一 節十八念彿往生勧、鮭日設我彷彿.十方衆生、至心信紫.欲生我拘.乃至十念、若木生新、不取正覚.唯除五 逆.誹諦正法︺繹H.雉云栴名.語猫杏隠し軍記膵分−今知決定云云し懲諸衆生.不多植善根、行願難成.菩 薩自修.法累畢寛、無諸鹿事、以輿衆生、而鞍此願云云、観鉦説五逆徒生、引〓甲佐生.以翻共心−此説決定. 誓願不取不定者。 節十九臨終堅剛新竹・某殊迎。乃ヤ粁自、蛙閻折名.曽門徒生 然命終帖、心多紆倒 弘誓大悲.不得嬰然一級 輿大衆、規共人前云云。懸譜衆生、臨終掛倒し菩薩自修、悲一切病死悶絶、焉投身命.以異衆生.而張此噺云 平安時代の湖陀本願忠恕に附する研究 ノし ぶ

(10)

云。 第二十欲生臭途願怖念定年乃至繹日.錐復聞臨終現前.而未知係念必意別り既云十念往生.知不必兼修云云︰− 懲諸衆生.行願不達.苦薩自修.不慮仙茨.焉典衆生.而詣此噺ギ雪 と、すなはち第卜八願は.但念彿亡もつて衆生往生の本購上し.御仁九願は塞迎引接亡願じ.而して第二十はト一 ゞ聞名係念によつて、また必ず往生せしめんことむ願ずとするのがこれ静照の見附であらう。勿論その文選だ簡 にして、虞意なは捕捉しがたいものもあるのみならす、特に第十八噸躍については.古雅の党報見るところ必ず ︵九︶ しもみな〓足せぬ、すなはち発明房長酉によれば、桝謂る﹁栴名JJい∴と雉も譜なは訴撃■昔∴描く涯分む説 く べし、今知んぬ決定云云﹂と1く静照の言む引きて.﹁足則以十櫻数馬定業也﹂と牌し.﹁その意十念足生の読む 立てゝ一念不定菜を除/\故に一念む取らす﹂といつて、特に臨終十念説む立つる諸師と伺苅にこれむ撤し.若 ︵一〇︶ し了票によるときは、むしろ全く然らざるが如くにい、ふ㌧ 蓋しこの両説果していづれが首るや否や、これむ決判すること甚だ困難である。何となれば長酉いふ如く、﹁柄 名といふと錐も語なほ脊隠なり、絹く涯分む説くべし.今知んぬ決定云云﹂といひ、また特に﹁槻経には五邁往 挙定説いて、一類の往生を引いて以てその心む軌む.今こゝには決定む説く、誓願不定の者む取らす﹂といふに ︵一一︶ 室ては.あたかもこれ往生要集に、感経下々品には五越非を迫るものも.休む十合するに由つて往生む待とい ふ﹂。﹁若し謝らば.云何ぞ双観経に十念往生む説いて、唯除五逆誹誘正法といふや﹂と間難し.而して諸師の桝 繹む引きゝたり一、さらに樽じて﹁飲鹿には遍く往生の種難む糾はし、本願には唯定生の人をあぐ。故に繭らすん 平安時代の潮陀本頃思想に関する研究 ノL リ

(11)

一〇 平安時代の軸陀本願思想に馳する研究 ば正餐む取らすとい声し鉄人の十念は定んで往生む得.逆者の叫念は定んで生ずること能は・ず。逆十飴青草﹂ 川 れ不定なるが故に、願には唯飴人の十念むあぐ云云﹂といふのと相勤して、その文意ほゞ一同とすべく.従って また静服解する朗は.わが社生宴集のそれと凡そ同意であつて、正に長西いぶところ常るが如く息へる︶況やま た第二十の願に封する繹文に於て ﹁眈に十念往生といふ.知んぬ必すしも修む兼ねざることむ﹂と説くが如き も、また恐らくはこれ第十八願む指すに遥ひないので.愈ミ以てわが称恨は.所謂る十念定生説む搾るかに考へ しむる。 然しながらまた一面よりこれむいへば.すでに第十八願そのものむ.唯名けて念彿往生廟とし.未だ大僧正良 源のごとく十念定生願といはす、また虞源等Qごとく十合従生新とも呼ばす。況や第十九願の輌繹に至っても. なほ且つ ﹁碑名皆往生む得るむ聞くとは雄も∵然も命路のときに臨んでは心多く掛倒する.故に弘誓の大悲卓然 たることむ得す。即ち菩薩自ら修して、ために身命む投じて誓願む嶺し.以て大衆とゝもにその人の前に現す﹂ といふし即ち第十九願は、正にこれ舜迎引接む願ずとなすと同暗に.また第卜八願は.恐らく但念彿疎生む願ナ となすやに解せらるゝではないかし されば長再見るところ果してその意む得たるや否や.なは一抹の疑念なき能 はぎるものが存するし されば第十八願そのものについて、静照説くところの虞意何れ忙ありや不や、今にはかにこれむ速断し難いの であつて、なほ十分の思捧む要する∪然し願支のいはゆる乃至十念む種名念悌とし.而して大悟正良淋の如く念 とは時間む意味すとせす.また必すしも諸行むこれに人口せしむるに非す▼特に名けて念彿往生願とたすに至って

(12)

は、法然上人説くところと甚だ近きむ覚ゆるではないか。否従前の峯者往々いふ朗に従へば.凡そ第十八願む名

けて念併任生願とすることは、正に法然上人より初まるとせらるゝけれども、然し奇貨は決して然るに非す、早

くもわが静照渡橋これむいふのみならす、またこの一義恐らくは.却て法然上人への影響絶無としがたい鮎から

いって、わが揮土教蟄展の史上甚だ重要の地位と意義とむ含むといはねばならぬ︺

勿論前秀明かなるがどとく.わが静照にては﹁此の誓願不定の者た取らす﹂といって.善悪一切の衆械みな沸 せざるたいふと同時に.また唯念俳ばかりが生田の行ではなくLて、諸行もまた本願に誓はれた生田の行である とし.所謂る諸行本願義に立つことに於て.法然上人の朗立と大に異なるしすなはち静照によれば.第十九願は 恐らく臨終現前を願の正旨とし.而して蟄菩提心修諸功徳によつて、正にその企む得べしとするむ尿意となすか

に息へるのみたらす、特に第二十の誓願に至っては、これむ説いて﹁また臨終現前すときくと堆も、而も未だ係

念必す音別なるむ知らず。既に十念往生といふ、知んぬ必ずしも修む簸れざることむ﹂といって.その聞自ら節 十八・十九の柄顕と異なるむ示し.特にその後半句に於て、第十八願は但栴名念傲ム二行む本輝とし、その飴の 諸行む併せ願ぜざるむい\∵三岡暗に.また直に第二十の鞘の興起む説いて、﹁諸の衆生打頗とけぎ・り人二とむ艶 んで.菩薩自ら修して他求むして虚しからしめす∵パめにまた此の一僻む賛す﹂士い、十∴即ち解二十の婁廟は、 たゞ聞名係念し諸の徳ホむ植へて、亦必ず往生せしめんことむ閲すとなすは明瞭で.とにかく諸行本聖楽に立つ

は疑ひないであらう

況やまた静照によれば、すでに第十八郎は念彿往生を願すとし.然もこれによつて皆往生む得るとは雉も、な 平安時代の棚陀本願思想に閑する研究 //

(13)

平安時代の棚陀本願思想に翻する研究 一二 ほ命路のときに臨んでは心多く顧倒する。故笠屋什二切の病死悶範すると懲んで.さら忙また臨終現前の僻む 〃 嶺すとい∴∵ さればその意中自ら念梯の外に.また蔑菩婚心修詣功徳一一㌧加÷だト㍑於ては .命格の士き正にせ柿と Lて往生すべしとするの義妹む零し.従つて第十九鵬は、これを念彿諸行合願とすろ︸已寧ろ値義とたすやに了解 いは せらるゝが、またよし然らすと†るも賛際問題として.その願望むしろ第十八郎よりも第十九棚にかゝり. 砂る聖衆の舜迎にわづか0て、臨終正念にして往生せんこと一己切削すろは疑ぃたいの′ごめつて.その揮澄 もとよ り全伺ではないが.然し第十九願に騙すろの事賓に於ては.犬恰正良源とはゞ伺⋮の結媒に入るといはねばなら ぬ、−否いはゆろ聖教弗迎の誓ひた噸みとし、燕にこれむ尊ぶはたゞ良源や赫順芯みではJ.払い..或は禎等と師弟の 問にあり∵或はまた恐らく同‖であつたに達ひない源信恰都に於ては、なほ二倍これむ強調した. もちろん源信愴都に於ては.良源や静照等に於けるが如く、帽十八願そのものについて.今日直にまとまつた 意見む徴すつことができす.たゞ往生姿集その他によつて、穿寅としてこれむ窺ふに過ぎぬ︺すなはち強てこれ むいへば.まづ第十八願い、ふ所の乃垂十念は、これ菅たゞ異なる播名念彿とはせすして、寧ろ概念相好にこれむ 屡せしめ.また所謂る十念定生む認くと解するヤに思へる=何となれば往生要集には﹁問ふ叫切の善業は.各利 益あつて各社生む得.何が故にか唯合体の〓りを励むるや。答ふ只これ男女貴餞行住坐臥む簡ばす、時廃語線む 論ぜすして.これむ修するに難からす。乃至臨終に往生む願求するも.その便宜を得ること念彿に如かず﹂とい 、 ひ進んで諸聖教の中には.多く念彿む以て往生の業とす。いま略して十文む出ださんとて占察む初めとし.ま た双翫・観綻・鋼陀・般舟・孝晋琴及び往生論の讃丈とゝもに第十八願文むかぞへ、而して﹁此の中靭経下々

(14)

品・阿弼陀紅・聖H壷粧は.佃名睨む念﹂†るむ以て往生の菜と†い何に況や相好功徳た観念せんむや﹂とい、ぢ ︵∵一︶ はないか▲し即ち第十八願の乃室十念は.正しくはこれむ観念相好に展せしむるは富む保たぬと同時に・また若し

贋く前後の文王程合し埜っ√哀・ては、むしろ胡偶二詭ともに八′〓ましむ士いひ椙・ヤ

︵一■■︶ 香元兼濾信檀都に於て・は、社賃浄土の行菜には念梯康も肪るとし.或は在隻之業念俳烏本﹂とゝ嵩へ、或は ︵一円︶ ﹁諸行の中に於て.唯念備ゎ行のみ修し易く上位亡讃す−知んぬこれ境勝の行なることきと縫讃するが、然し 念彿の語の用例必ずしも一準ならす.寧ろ多くは観念・稲名ともに名けて念彿とする∪勿論あくまでも観念々彿 は勝れ.たゞ侶なる柄念は劣るといふ思慮に立脚し.その主とし拗むる朗常に観念理観にあつたがー然し但信稗 念必ずしもまー花渡するに非す。むしろ観念々傭に堪へざらん者は、卸ち或は鐘命想−引接想・往生想等によりて 一心に稀念すべしといひ.また若し懲重の心念は、定散の念俳ともに往生す。されば﹁功徳の勝劣真鯛で書と むせすして、事理の念彿棋に往生すぃつこと一定いはゞ、只頭然む救ふが如くにすべし.敢て飴の言事む致すことな ︵一五︶ かれ﹂と誠むる。乃ちこれ念彿の讃接をあぐるに於ても.観念稀名ともに同列にあぐる所以であると同時に・ま たときに﹁十念とは多繹ありと妹も.然し“心に十通商無阿弼陀悌と捕念する、これむ十念﹂といふとの一襲む ︵〓へ︶ 存する。けだし蒐明虜長酉むして.第十八街の乃至十念についても.また﹁源信僧都の養は観桝を含む﹂といひ、

念併に除行む擁すといはしむる所以こゝにあつたに達ひないであらう。

而してまた往生要集問答料簡の〓早.特にその第五臨終の念想む明す斯によれば、漑艦下乍品の所謂る﹁五逆

罪を造るものも、僻む十念するに由りて往生む得﹂とするむ引きて、以下まさにその然る所以む繹し、攻でもし

平安時代の欄陀本朝忠恕に繭する研究 7J

(15)

一凹 平安時代の弼陀本願思想に関する研究 爾らば双観経には十念往生む説いて、唯除五逆誹誘正法といふは如何と難じ.而してヰろ諸帥の僻輝む掲げ.さ 〃 らに自説む加へて. 今試加輝.鈴鹿過即.往生種難︶本願唯寒.定吐之人∵敢云.不爾不取正兇︺飴人十念.定碍往生∪逆索二念. 定不能生∪逆十餃⋮.皆是不定故.願唯聾飲人十念J酔虞乗取.逆十飴叫云云 といふ。即ちこれ乃至十念の義む解しては、正に十念定生の養む説いて.以て逆十飴二の不定む除くとするは疑 ︵一七︶ ひないのであつて.既に十念生本願の語む用、告蒜完よるも、また凡そ共恵むあらはすかに思へる。けだし決定 往生縁起の一書もし親作となさば.源信恰都に於ては第十八願む.恐らく名けて十念往生願となすと解せらるゝ が、とにかくその見解以上の如くんば.法然上人の囲立と和去ること速いといはねばならぬし ︵一八︶ 況やまた﹁極楽む求むるもの必ずしも念僻む専らとせす、描く飴行た明して各の繁欲に任すべし﹂といひ、ま ︵J九︶ た﹁一目の羅は鳥む得ること能はす。萬術を以て、観念む助けて往生の大事む成せよ﹂ともいつて、特に菩捉心 や持戒む含んだ伶都に於ては、またやがて諸行本願襲に立つは寧ろ富然であらう。否もし往生要集別時念彿の一 章、特に臨終勧念む明して十革む説くなかに.﹁凡そ彼の開に往生せんことむ欲せば.嫡くその業む求むべし﹂ とて第十九・二十の補願むかぞへ、而して各、、次の如くにい、、∵﹂岡崎に、また乱心略要集によれば∵第十九蘭は 聖衆奔迎願と名け、第二十はこれむ係念定生願といつたに達ひないし 凡欲往生彼開者.絹求英美し如彼彿本願云∪設我得体.十方衆生.聞我名批、係念我閥.植諸標本、至心廻向、 欲生我囲.不粟速者.不取正党し仲子一生之㈹、偏修西方業.桝修業畔多.所期唯極楽し今絹豊栄集.三際一

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切善根、塞弛向極楽.應作是念.願由我所有一切善根力、今日決定往生極楽南無阿軸陀俳。 叉木願云、設我得体.十方衆生.蟄菩碓心.修諸功徳、至心懲願▲欲互我閥.臨詩経暗、椴令不興.大衆廟抵. 硯英人前者.不取正覚し僻チ久己.巻菩提心.及諸善根、廻向極楽︺今媒克蟄菩提心、念彼柳.應作是念.賦 我焉利嬰二切衆生.今日決定往生極楽南無阿棚陀沸し けだし此等の諸文た概観しきたるに於ては、恐らく第十九願は聖衆兼迎.第二十は係念定生む願じ、而して滋菩 提心修諸功徳によつて型衆舜迎、植諸徳本によつて亦決定往生の益が得らるとし.且つ第二十の誓願は、これむ 順次往生の願とするに達ひないと思へるノ 勿論かくの如きは凡そ可能の範園に於て、私に弧てこれた穿草するに過ぎないのであつて、源信僧都自らは、 未だ直接にこれら諸嗣の意趣む説かす.如何にこれむ僻するかむ明誼せぬのであるから、果して常む得たるや否 や、これむ保し難きは言むまたないし然し上兼みきたるが如くんば.少くとも双徽経説く囲の節十八願に関する 限り、乃至十念む解して恐らくは鶴柄共にふくむとし.且つ十念先生む説くと解すると同時に、ヰ差更に諸行本 願養に立つは疑ひないであらう−若し然らば抑信恰都は.すでに細密の教法.事理の業閃は甚だ難しといつて浄 土の一門に鮨伏し.いとも高らかに厭欣の殊瞞む摘け、而して特に往化之菜念彿境木と唱へたのみならす、ま∴ その所説はやがて法然上人忙封して、甚だ大なる影響感化む山∵∵つ桝あつたが、然しその教養の資質に於ては麟 る相隔たるU 特にわが源信恰都に於ては、いふ所の十念も特に臨終の十念む尊ぶ、︶否臨終の心力は衆も強く、その一念よく 平安時代の棚陀本願忠恕に関する研究 /∫

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平安時代の瓶陀本願虚想に簡する研究

一六

百年の業にもまさり.八十億劫生死の衆罪と滅す。況や臨終の十念即侍従生すといつて∵﹂れを勧説すること甚 だ丁重むきはめ、然る斯また兜明虜長帽むして∵第十八瑚の乃至十念についても.源信檜都は十念先化の兼三止 ︵一.い︶ てゝ一念不定業む除く、故にヤ念む取らザとい、㌫みならす、またその意﹁臨終に約するが故に一形た埠つ﹂と もいはしめた︺勿論この批評正しく常るや否や問題ではあるが、然しとにかノ\頼信僧都に於ては.臨終㍗重刷す ること頗る厚く、従ってヰ差その行儀た尊重し.聖衆兼迎の誓ひた憧憬し.且っ盛にこれむ強調讃歎し、禰演す

るところがあつた。

すなはち往生要集によれば、いはゆる欣求浮土の〓ヰに、摘陀洋上の功徳無量きった讃へて十柴とかぞへ、そ

の努粥第古筆衆舜迎の欒亡丸子るのみならす、真た正修職記の叫ぶに於ては、﹁舜迎引接の誓願は濁り爛陀に

あり、十方博士の荘贋悉く極楽に集まる﹂と絶潰し∵また舜迎和讃む作り迎講た修して、これむ讃蔽亮演するこ

と殆ど到らざるは⊥.拭かった︺況ゃもし決定往生縁起の㌫農作⊥二等薩、﹁凡夫の往生は必す菩捷心の行と、阿 爛陀仰の願とに依るべし▼喩へば申の二輪の如く、け輪厭け一山れば地亡規すろの能なし.乃至行朋相異して往生 すべし、断とは世自在草加舛の所に法戯比丘とおはしま十ときに、川十・八獅た準1巾0来迎引接の廊五り﹂とい って、爛陀の本願即ち舜迎引接厩とし.これむ庵ふこと恰も法然上人の、第トー八勒に於けるが如き態度をボナ㌧ 而してかくの如く聖衆奔迎む憧憬し、これむ年休これむ期待すろ二とは.勿論控につけば勅控む真とし、観綻に 頻を主とする思想の蔑許とせねばならぬので、源信愴都に於ても.また四十八願の中には、特に第十九願に心を 基く思想信仰なるはいふまでもないが、然し上碑準∼が如▲\若し獅陀の何十八断に約すれば、勿論みな第十九 /げ

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よせ、これに辟するはも早や説くを要せぬか忙覚ゆるし 注 ︵一︶、三︶、︵≡ 梁塵秘抄巻二。 ︵四︶ 廣疑瑞決妓藤一。 ︵五︶、︵九︶、︵一六︶、︵二〇︶ 念彿本願義。 ︵六︶ 納本朝狂曳伸。 ︵七︶ 朝野郡粥巻三。 ス︶ 日本紀略後篇十、法華玄義私記巻七等。 ︵一〇︶ 無先番綽鉢巻三。 ︵一一︶、二二︶、︵一凹︶、︵一七︶ 仕拒要集客下未. ︵一三、︵一九︶ 往生吏集客中本。 ︵一五︶ 椒心略婁集。 二八︶ 往生要集客下本。

以上きはめて概略ながら大悟正良源、櫛照法権.及び源信檜都仁ついて、禰陀の四十八剛に射する見解、特に

その主とする仰いづれにあるかむ眺めたが、然し彼等はみな叡山俳故に展する人キである︺然るに平安時代に於

ては−なほこの外に繹林寺の永軌とはじめ.また重聾・珍海・昌海・鷺範等のごとき、奈良件数系統に展する︰ 群の人々もあつて、宮代挿土敢史上の一大分野雲仙すのであるから.彼等についても亦常然その意見をきかねば 平安時代の弼陀本願思想に関する研究 77

(19)

ならぬ。 勿論叡山系統の中にもなは大修正良源・源信等よ‖ソやゝ遅れ.て尾瀬あり、また特に囲十八願樺む作るといふの であるから、これ亦逸すべからざるは言た保た㌔いが.然しこの一書また早くに散伏し去って、いま淋く苔兼め 諸塵引く斯によつてこけ一定窺ふに過ぎぬ㌧況やもし俸、でつが如/\んば∵虞源また第十八願計十念往生願とし、第 十九僻む聖衆舜迎、第二十た係念定生断と名け、まセ第十八願の乃至十念む僻して碑名とし、‖ハ十念む限るとな ︵一︶ すと同時に、また第二十を順後往生願とたすといふから.概してこれむいはゞ、大修正良源の所説と甚だ押する かに息へる′︺ されば今且らくこれた非聾することなさしおいて、以下直に南都の人々に就くであらう。 然しながらまた甚だ遺憾なことには、山東奈良系統の詔師に於ては、未だ柑十八願そのものについて、何等ま とまつた意見む徴すべきものゝないことである。勿論早くは智北これを関越とし.下ってはまた木幡の娘心.生 馬の良過等みなこれに梱るゝ所があつた。然し正しく平安時代に展する講師に於ては、未だこの種の見解む吐漏 するもの殆とない一︶けだし凝然の浄土源流渾い、︸如く、窄宜朝浄土教史上の名匠として昌海あり.また良淋・源 信あり、乃華氷観・重替・珍海・肪範・賓範等あり一。而してこれむ大別するところ自ら北嶺・南都の二大系統む 分ち、また若し宗につくときは、勿論天台・三論の補講これが主流む形成すろ。然るに欄陀の叩十八願む解説し、 これに封する見解た説くと説かざるとに於て、この哺系また賀に著しき封憫た示す。釦ち古雅の樽ふるところに ょれば、正しく四十八軒と難読し、特にこれむ取扱ふもの忙至ては.凡そ次の如くみな天ム日系紙の人々にのみ囁 ︵二︶ する。 平安時代の雅陀本願思想に補す号研究 /ぶ

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勿論これらに就ては、なほ多少の考詳論議む要するものもあれば、またこの中いま現存するものは静照・聖餐

隆寛等のそれであり、さらにまた澄憲・聖餐・隆寛等に室ては、寧ろこれむ鎌倉時代に展せしめて好いであらう▲. 然し鏑且つ比叡山の艮源・源信・静照・屁濾等あひ攻でこれた問題とし.みな早くにこれむ解説討究せるに封し て、奈良系統に於ては・智北以席末竺人としてこれむ説かで比叡山のそれに匹敵すべき製作が.平安時代に 於て全く無いのは不思議に感ヰる二む同じ′\平安朝藩士敢史上に於て、共に壷大なる地位む分つ北嶺・南都の桶

系あひ封して・正にかくの如き封照むなすは果して何によるのであるか一またこれ一個の問題む投すと僻してよ

いのであるが、とにかく南都系薄土致そのものは.この鮎甚だ寂蓼の憾みむ嬢すといはねばならぬ′. 川十八願稽一巻 祀禰陀四十八願文一巻 六八弘掴一雀 阿禰陀如舜四十八園澤一巻 四十八願繹∵智 無量暮経四十八願繹一雀 無量義経輿悲輩経阿欄陀四十八願抄一巻 四十八願繹五巻 弼陀本嚇養四森 平安時代の軸陀本願思想に関する研究 良源 r﹂卜一言コ ヽ、ノーイ 闇黒 眞源 澄憲 深意 聖覚 降魔 Jリ

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平安時代の湖陀本朝思想に補する晰究

二〇

もとより永観律師のごときは、﹁幸にいま禰陀の額に備へ=ノ、渡りに胎む得たるが如く、民の王む得たるが如 しJ互石も舟に麗きぬjtば大おむ島屋によぎり一、蚊虻も鳳に附すれば蒼天む九窄に翔ける。況や行者誠む致して ︵二︶ 本願に相應せんむや﹂といつて、阿禰陀俳の本願に値へるを喜び、本即に翔應せんことむ勧むるのみならす.特

に十囚の第十には二心稲念阿摘陀悌、随順本願故必得往生﹂とゝなへて、まさ吃第十八願文む掲什てこれむ樺

し.而して﹁誠に弼陀の願け少繚の悲願に非す、大悲に肪へすして不可得の願主止つ。被の築帥の如きは.得苦

捉時と立てゝ不取正覚と誓はす。また千手の如きは、不取正党と誓へども独未だ菩提む詳得せすじ而るにわが法

戚比丘は.恐くは不取正覚と誓って、しかも成彿よりこのかた今に於て十劫なり一。随って十方より綬閥に生する

者なほ駄間の如し、不可得願と雉も今すで忙満足したまへりしこれ幾許の修行の功ぞや、これ幾許の大悲の力ぞ

や。誠に以て不可思議なり不可思議なり﹂と絶讃する。

況や﹁叫心栴食阿弼陀悌.随順本願故必待往生﹂とて第十八街文む摘け、輯じてこの本願に随順するの相を説

いて、﹁善導和鏑の云く行に二踵あり㌧ ︼には一心に禰陀の名睨む専念すご﹂れむ正定業と名く、彼の件の本願

に順するが故に。若し蔭諦等によるた如ち助糞と名く、此の二行む除いては、自飴の請書む悉く難行と布くとJ この故に行者は.念た悲新に係けて至心に稀念すべし一不至心の挙行除くは本願に順ぜぎるが故なり﹂と説くの

みならす、また仰叫柄名娠の功相隣大なるト∴つて∵身の搾不搾こ軒ば†心の専不専£州ぜす、稲名純へざ九

ば必す往生を待とし、而して或は﹁侍聞す、型あつて念休む発とし専ら寸分た怯む︶若し人死って白地の要苺を いはゞ、聖人似べてHく.今火急の・事あつて既に日衰に逼れりといひ、耳む塞いで念沸し、経つて往生む得たりー 20

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としこの故に済殊にも栴念して片時も解らざれ無間修、六時に餞敬して四俄に背かざれ恭敬修、念僻む宗として 飲薬む雑へざれ無飴修、終に返輯なくして畢命む斯とせよ長時修し念彿の一行既に四修む具す、往生の業何事か ︵M︶ これに如かA﹂といふ=−けだしこれらむ〓試し雑るに於ては.特に第十八瑚最も防るとしてこれむ揮び.これに ょって専修念僻む唱へた法然上人の域にせまり・、もはや殆どその塾む磨するむ感するではないかし香わが永観の 往生十困と.法然上人の避授集とに於ては、その文の綱格気脈あひ通するもの少くなく.所者甚だ密接の間灯あ るは疑ふべくもないが、特にいま指摘する斯の如きは、正に法然上人の先縦として、まことに由々しきものがあ るかに思へる﹂ ︵五︶ されど永敬神師に於ては、なは第十八願む名けて十念往生断とし、而して十念の蓑については曇梵の説をひき ︵六︶ きたり、﹁余この詳に遇ふこと喜びなり・と牲も.口授む俸へぎるはこれ恨みなり﹂といふし さればその依るとこ ろ勿論十念の念−〃山憶念の蓑とし.若しは彿の総桐.若しは別鼎ご離縁するに於ても.また但名披む柄、・で勺に於て も一心に他想なくして一心に弼陀む憶念し、この憶念む十過相検するむ以て十念とするし況やまた前述の如く. いに相宿名睨の功徳贋大なるむいひ、所謂ろ葦の念僻た説︿こと亦悍しと妊も、なは且つ定心析名必得往生.散 心肺怖不祥往生とい払.まキ特に往生浮土の業には縦地の法に如くものあろことなしとて、元興寺の頼光・智光 の逸事むひき蘇り、而して ﹁十囚の興るは書この凶に在りノ、身命た要せ・ずして仰三昧㍗怯め一若し賓地た愛せば. rし︺ 必ず挿土に生す一⊥痕むろに至っては、法然上人の朗立とまた甚だ異なる′ 況やまた更に永軌律師に於ては.すでに菩推心た尊び.掛合理軌むはけみ、また陀羅尼を許して往生浄土のた 〃 平安畔代の瑚陀本願忠恕に翻、T乙研究

(23)

二二

平安時代の湖陀本願日義に翻■する研究

めに賛し.いはゆる諸行往生思想による。殊に﹁将士に往かんと欲せば.必す道心む蟄すべし﹂。﹁道心はこれ葦 に長夜の明珠.持土の玄軌J−仕り.一とて第十九融の交た摘け.而して三の故に終焉の蕃に敬て、禰陀の引接に鞘 ︵へ︶ らんと欲せば、各堅固の道心た嶺して菩提心を謂歎し.阿陀禰陀彿を相加すべし﹂とい∴、けだし了悉たよると きは−前記の如く二心構念阿禰陀傭﹂随順春樹故必得往生﹂とて第十八刺文王摘け、さらに順榔の柵む説いて.

善導大師の正定業の宰王引く三溝を以て、永聞律師は﹁唯念僻む以て本願の行とし、月舘の諸行は本桝に非す

︵九︶

と存す﹂とい、㌧蒜れども、しか

︵∵︺︶ 而してま美東髄律師は﹁善悪〇二道に趣くこと只臨終の∵芯にあり﹂といひ、阜八﹁臨終の心は極めて紘利の ︵一一︶

故に、十念よく多用の非と減す﹂といつて、臨終の大事周心む説

・′トこ上越た丁度なるのみJ▲はらす.また期謂る十 念往生の本願は.輿へてこれは謂はゞ、まさに尋常と臨終とに通ヰと繹するが、特に﹁臨終の十念は謂く決定に Ⅶ亡だn弛 あり﹂とて∵﹂れむ尊ぶこと頗る惇/\経てまた聖衆舜迎の功徳む讃歎し.これむ悼憬するもの甚だ切なるもの があつた︶否その生前四方に馳求し、菩薩の装束二十具むとゝのへて、いはゆる迎接講む興行せる二濁のごとき へ∵J またその臨終に於て、往生講む修せしめ舜迎讃む唱へしめたとい、・霜き.如何に望衆の奔迎む憤慨し.これむ切

願したかを讃して散りありといはねばならぬ

永観律師の教養と信仰とにつレ、ては、この外になほ多少論﹂すべき囲もあるが.然し今且らく縛じて珍溝己講に つくじけだし珍海によれば.いはゆる決定往生の読む説いて依報法牢正巣決牢昇道決牢種子決定、修困決 ︵一川︶ 定、除障決定.事終決牢弘誓決定 梼取決牢鳳搬決定の十門む開き、特に弘誓決定章にはその琴錦第十八願

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文む掲げて﹁是の如く反確瀾如才ること分明・声り、故に決定と名く。また榔力に由りて、諸の衆生たして先んで 将士に生ぜしむ。故に決定と名くし 乃至下劣の凡愚三障重しと雉も、若し願力に来すれば速に生死む渡るし此れ 即ち信む以て、彿視む櫛念するむ名けて乗となす﹂とも説けば、また﹁願力大なる故に、よく一念十合及び狐凝 の者む接し、永く流楯む出して不退の虚に撞く。若し唯自力のみならば.何ぞよく此く如′、ならん﹂といふばか りでない。ま止だ吏に修囚決定草には往生の正業む説いて、善導大師のいはゆる正定業の文むひき、而して﹁今い はく、碑名は貨にこれ正中の正なり﹂とも説かるゝ。鋸ちいまこれらむ二讃し舜るところ、あたかもこれ、休職説 く斯の第十因と甚だ新し、経てまな法然上人の蓑と甚だ近き・を覚ゆる。 けれども猶その一面に於て、総じては大小・定散・専理悉く滞土の因なりと教へ、また﹁念僻むもはらにせよ といは、念僻むむねとして異行をこれによせよとなり■︺帝の宰といふに石官みな従ふが如し。念僻む君として. ︵一円︶ 脛むよみても念僻む進め助け、祁施持減むも念件の道に入れよと也﹂ともいひ、殊に﹁相澤土に生ぜんことむ求 むれば、便ち往生む得るとやせんJ要す菩提心む聾すべしとやせん︶符へていはノ\要寸書接心む著して方に極 ︵一六︶ ︵一九︶ 欒に生す﹂といつ・て、正に書経心むもつて業主正凶とし、更にまた﹁購念むまさしき念彿とい、ごとも説く一し 二七︶ 況や﹁若しこれ∵鱒は伯よく閲とはなるも、而も末女定業仁は非す。若し十念む具せば乃ち定業となる﹂とも いひ、また硯生の十念.臨終の十念ともに決定業となすといふ如き、大鰐これ永槻律師とその傾向む同じうし. 経て法然上人とは湘々あひ隔たるし而して殊に前述のごとく、往生の正業そのものむ説いて.善導大師の正定業 の文むひくけれども∵然し所謂る順被併願故の文については.殊更に第二十の願文むひきて、﹁本願に順すとは 平安時代の瑚陀本願思想に関する研究 ヱメ

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︵一八︶ 四十八街の中に云く、聞我名睨係念我閲云云と︶今云く、碑名は箕にこれ正中の正なり﹂と詮くが如きは、甚だ 以て異様に感する︶否もし強て青む過しうする時は、なほ四十八願に封する簡持粗なるのみならす、これに封す る信仰極めて滴漫なるやに覚ゆると同時に.また﹁安心む決定往生に欲して、快く終焉の雑迎た期せん﹂ことむ ︵一九︶ 求め、﹁但よく往昔の悲願むたのみとなして、まさにその非迎む待つべし﹂と説くむ以てする時は.途にその願 ふ斯また舜迎引接にあり.聖衆舜迎の誓ひを悼みとするは疑ひないと考へる。 否もし前郊いふが如くんば.永翫も珍海も、共に第十八街の功徳大なるむ讃じ.柄名念彿によりて必す往生む 待といふけれども.然しな便且つこれむ十念往生願として、或は薬事成耕するまで憶念む相練すべしとし.或は 十念具するむ正に定糞となすと説くのみならす、また所謂る諸行本鞘の養に立ち、特に道心はこれ渾土の玄軌な りとてこれむ正因とし、必す菩揺心む聾して方に極禁に生すといひ、更に臨終を尊び、聖衆の碑迎む悼むの念頗 る切なるものがあつた。されば彼等は第十八願によりて必す往生することむいひつゝも.な咋驚際的には埠ろそ の噺望第十九願に移り、遂に第十九断に最も心むよせたとすべきでないであらうかどうかU 往 ︵二 如⋮党葬総紗雀三。 三︶ 上品姦、無県寄緑井小誓二、数珠志析銭管し 二二︶︰汗水十固隼。 ︵門︶ 徒坐十附帯二り。 ︵末︶、二ハ︶、︵一つ︶、︵一一︶、︵一二︶ 往生十関節十草。 平安時代の湖陀木蝋思想に閣する研究 2.J

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︵七︶ 往生十国策八草っ ︵八︶ 往生諸式。 ︵九︶ 往生十囚私記巻下。 ︵二一︶ 拾遺往生停笹下。 ︵一四︶、︵一六︶ ‖菩提心張番上. ︵一五︶、︵一七︶、︵一八︶、三〇︶ 抽定往也鎌谷†。 二九︶ 決定往生集巻上。 臼 さて上舜はなはだ雑駁ではあろが、然しわが平安朝薄土敦史上の名匠境達について、一社その帽十八噺に封す る意見むたづね、特にその般も心むよせ、主としてその現する斯いづれにあるかむ間ふた。勿論々じて伺及ばざ るものも少くなく.またその観察考究の途上に於て或は漏らし、或はまた誤るもの全くなきむ保し難きのみなら ▼ず、殊に南都に於ては、漸くにして永敬・珍海の輌師む尋ぬるに過ぎす、また彼等にづいても.なほ詳細なるむ 得ざるは甚だ遺憾に堪へないむ然し前にもいふ如く、南都の諸師には正しく四十八僻む繹し、特にこれに封する 意見む吐露するもの全くないのみJはらナ、諸家の撰述また多くは微減に郎して.今樽はらないのであるから如何 ともし難い。 されば硝多くの不満と不備とむ残しっ1も、これが補正たな便今後の械禽忙期して、今しばらくこれで一往結 末を告ぐるけれども、然しなほ上舜みきたるが如くんば、勿論その輝義必すしもみな一同ではないが︰然しかが 平安時代の爛陀本願思想に閲する併究 J∫

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平安時代の輔陀本麒思想に観する研牝 二六 平安時代に於ては、第十八街は多くこれむ十念往生願とし、而してそ?乃至十念の内容む目しては、また多くこ れむ碑名念悌と解するけれとち、然し概してはみな日ハ十念む限るといひ、また栴名念伸ばかりが本鞘の行ではな く.諸行もまた本願に誓はれヤ基因の行であるとて、いはゆる諸行本願義に立つばかりでないい一また第十八晰説 くところの念悌は淫行であり.謂行け更に深妙であるともすれば.また但構念より・は奉ろ勘合理軌の念俳貼ろと 、

はノ1、さらに

た自ら券苦提心修謂 し.殊に菩提心む尊ぶ ると

に至って甚だ厚何れもみな臨終む費祀し然ころま

功徳によつて、死迎引接せんことむ願じた第卜九顧に恵むよせ.途に稗これに射するの大勢にあつたといひ得る と同時に、また若し四十八噺に約し.今いはゆる本願思想につく鴨は.正にこれ軍十九断の仲代てあつたと和し てよいであらう。 勿論然るなかにも永観律師の往生十凶に、﹁叫心柄念阿禰陀彿.随順本願故必得往生﹂とて第十八鞘支㍗摘け、 而してこの本願に随順するの相む説いて、善導大師の正定業の丈む引く前後叫段の如き、すでに法然上人、の桝立 む努弼たらしむるものが存するし況やまた第十八断む名けて濁り合体往生断とし.而して稲名みな紅仕㍗柑七説 く静服法橋の朗立の如き.またこれ法然上人の兜縦として甚だ注意た要する∵否な元木法然⊥人に於ては、慈眠 ﹁︶ 虜敵軍より早くに凧・減と往佳要集とむ相倦し.以弗﹁悪心党彼のす∼めに任せて解ネ念仰㍗つとめ﹂、﹁往生夏渠 ︵.− . 教義の拳展む説くに於ては、みな寄らこの系統⋮途む辿ろの風あるのみならす、そわはまた常然の常道でもあろ は言む保たたい、けかども第十八断と特に合体往生桝とし、これによつて本鞘念仰の大莱㌃唱へた法然上人の党 ノ/i

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縦として、静照・永親等の所説また断じてこれむ逸すべからざるのみか、寧ろきはめて重且つ大なるもの牢含む といはねばならぬし 然し概してこれむいはゞ、わが平安時代に於ては、未だ法然上人の如く第十八願に重むおかず、また勿論法然 上人の如くこれむ了傭せず、よしこれによつて必・ず往生を得るといひつゝも、侍これのみにては心もとなしとす るのか否や.とにかく賀際的にはみな第十九願に心たよせl第十九御中心の浄土教た形成し、而して専ら聖楽の 舜迎むたのみ、舞迎引接に預からんことむ切断し.経てまたこの風潮怖々として世の上下む競ふた﹂否もし常代 ︹二︶ 各種の往生條によれば.すでに﹁五色の麻た以て彿手にかけ、これむ取って念価﹂し、﹁枕前に哺陀の専像む奉 ︵囲︶ 安し.赫む以て怖手にかけ.我が手に結著し﹂て往生たとぐるの事例甚だ多きに上り、また迎接虜の名乗りむす ら用ふるものゝあつたに徴して.この思想信仰の如何に盛であつたかが知らるゝのであつて、未だ全くこの時代 ︵正︶ 以来の思想む脱却せざるまでも、なほ﹁念僻む信ぜん人は.臨終の沙汰むあながちにすべき様なし﹂と敦へ.進 で﹁本噺寺聖人仰云、死迎は諸行往生にあり.自力の行者なるがゆへにし臨終まつこと舛迎たのむことは.諸行 往生のひとにいふべし⊥革質信心の行人は.横取不捕のゆへに正定衆に任すし正光衆に任するがゆへにかならす 滅度にいたる、かるがゆへに臨終まつことなし、非迎たのむことなし、これすなはち第十八願のこゝろなり一し臨 ︵穴︶ 経たまち舜迎むたのむことは.諸行往生のちかひまします第十九噺のこゝろたり﹂といはれた法然上人以東の揮 土致そのもの七、まことに著しい封照むみすと同時に、然′つ囲また・H●し郊迎文化の時代む班別したし すなはち入宋恰寂昭作るといひ.また建穏門院大原隠避朗の障子にも、色紙にこれむ記してかくるとい、ふ﹁草 平安時代の棚陀本断思想に翻する研究 ヱ7

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平安時代抄湖陀本願川心恕に翻する研究 二八 ︹七︶ 奄無人扶杖宰番場有火向西根.笠歌遥東胡雲上、豊泉舜迎腐且別﹂の一詩﹂軋はじめ.その他各種の牒迎讃欣 . 郊避和讃の製作と受訴との寧?つごとき、また迎接堂すなはち元庭疲東毒どとき一或はまた各便0東通兵術の制 作のごとき、その他渾信・永倣等が興すとい∴迎接講または迎講の盛J、止いつ如き.いま︼々これむ詳説せざーつまで も、とにかく文撃、建築.美術.行事その他にわたって.平安時代はヰ∵メこ十雅迎文化の時代/じあつ︺■八と粥してよ l r︶ し▼ 勿論かくの如きは前にもいふ如′\、若し綻に就くとき腰部ち親柱により、概挫九・﹂州往佳の説に基く桝であつて、 この時代に真J.八甚た盛なる九品薄土○周出.九綬彿○道立と同盲心想の嶺露によるとすべきであらが、然しもし 川十八願に約し、これに封する教義信仰につくときは、畢軍こ餌第十九願む主 とし.概して第十九願に騙する常 代将土敦特典の思想の開展であつたとーいはねばならぬ二 謹 ︵一︶ 法然上人行状雀園六。 ︵二︶ 浄土提聞紀仙空一。 ︵三︶ 拾遺往生樽谷中。 ︵四︶ 日本任地柚柴記。 ︵五︶ 和溺⋮燈錬巻二。 ︵六︶ 執持紗。末燈抄参照。 ︵七︶ 納本朝往生悌、平家物語等。 .’ぶ

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神社む蟄連史的に、共起原に就いて考察すれば、或は森から山梨したものだとか・或は塞から始ったものだと

か、或は太古の住宅?延長たとか、色々の見方が出てくるのであるが、今はさう云、霊叩祉の巻返妃的研準じ苧1

その本質上から見た場合にどう云、違質特色がそこに存するかと云ふことむ考察して見たいと思ふ。

紳道即ち惟紳道の本質紳備は何腐に在る・筈云へぼ、それは卑見む以てすると・畢軍天皇に紳む挿する所の

明津紳信仰.硯人紳信仰に、紳道の精輩たるその本質・神髄が能J去れてきてむると思ふ∪是れ則ち我が国偶の 眞原本質であつて∵世に所謂囲餞細道とはこれである︺7てれは則ち仲皇信仰・紳皇井戯と云\言とに存するJ斯 の鮎から見れば、天皇即ち紳皇む御祭神としJ蒜祀が忘能く紳遣即ち惟細道の特色を蟄推してをると云ふこと

は言む保たないのである﹂それは宗教塾連史的に見れば・自然数斯から文明教斯に通じて、天皇む御祭り申し上

げた神社は本質上.紳道の第壷諦た表はしてむるので・此の両社紳道は神道の精髄たる組醍神道と表裏補面又 は表両面の関係む成してむるのである。天皇と御祭神とした神政む・私は仮に第表型の紳杜と名づけるJ之 本質上より見た早紳軋¢睦性

本質上より見たる紳敢の特性

n‖l一 木乍 ブタ

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れに繕いでは.偉人忠臣む祭った紳杜で.身む挺して紳皇奉仕に精励し.或は紳皇御統治の紳開日本の馬めに、 誠忠む擢んで.偉功む櫨てた偉人忠臣た御祭神とした紳祀が、紳皇奉仕.紳皇非戴から.浪々として湧ぎ出で. 自然教期と文明教柳とを間はす.宗教史上に於て、それは明津油信仰の木椀と.叫肱相通する支流支族と見るこ とが出奔るから.明津紳信仰む淵源とし.又はそれに締着する忠臣偉人が.御祭紳になってむる紳杜は.之を第 二類型の神社と呼び.是れ叉細道の本質の指標とすることが出発ると恩ふ■︺それは天皇む御祭り申し上けた第一 類型の紳杜程直裁克明に.神道の本質的表示でないとしても.第一類型の紳祉が直接に神道の本質的な表示であ るのと聯関して.間接には紳道の本質む能く表はしてむる紳祀たと恩、lかし故に第二類型の神社も本質上から見て 細道の機能む能く表したものであると息、ふし今賞例としては.之れは明治帥宵と揃囲紳杜の関係む心に思ひ浮べ れば.直に了解出凍る都賀であると息、・で之れと同様に鵜原神宮、平安紳宮など.天皇む御祭紳として衝き祀る 紳杜と楠木正成公む祀る津川紳祀.和気清麻呂公む祀る護王紳祉などむ心に浮べて.此第一及第二の顆型の紳杜 が、神道の本質む.第一次第二次の差異はあつても.能く表徴して十ナることが想見されるのでめら この節u類 型の紳虹は天皇崇拝又は踊皇黒井の紬祀であり、第二邦型の帥虹は忠n位人㍑押の如拙であつて∴・爪敢饗し﹂から は之む人間崇井として一括して考∵ることが出奔るし 発し人間崇雅とけ.人、聞む通じて、紳の光む見、人肌に現はかた紳㍗押すうH升形式む云∴のでふ.つ 之に次 いで.神社の御祭紳には始めには白然帥む御祀‖∴甲しJ、′㌻Uのと見・hれる、ものがま︶l上布す㌧つり之む私は第二短型の 神政と名づけるl此第三箱型の神政に於て、その淵抑に遡って考へてみると.n然伸の窄祀に始った七見えるも 本質上より見たる紳軋の特性 J()

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のも少くないとしても、それ仕神道の覆達史上、自然数勧に於てはさうであつても、文明乾期になると、その日

然紳は次第に人榊紳に代はられ.又は融合し.第三押型の和紀は.報告第二斯型の紳紅としての尊信む博してむ ると云ふ事饗む看過することは‖非ない、此に卯三脚型の紳祉も.文節二新型に移入して、共神社の生命む文明

教期に持律してむるのである。

今左に﹁二の貧例む以て之む説明しょう。極めて近い例む塞げるが.隔間断浮朋郡長野の水紳祀の如きは. それであるし抑々この水紳祀は、筑後河畔に建ってむる紳祀で.その初穂川氏の寛文三年に此地方の水利が悪く 草魅の時.召穀稔らす、人民の苦痛甚しかった。そこで身命む賭して百姓の救済に懲らんとした鮨志の献身的熱 誠に富んだ五人の庄屋︵栗林攻兵衛.山下助左街門、木枕平右街門.重富平左衛門.猪山作之丞︶が藩主に懇願 して、御用金む借り、筑後川の水利事業に志樺した︶それは墜道や支流開通む以て筑後川の本流む利用し.濯漑

に便せんとしたのである∪奇岩し成らなければ切腹して藩公に謝罪すると云ふ大決心む以て事む始めたのである∪

幸にその計劃は成功して、今日迄人民は五庄屋の恩恵む蒙ってむるのであるが、五庄屋が此水利専業の着手む始

めた時、発づ筑後川の水紳弼豆波能賓紳む祀って.その成功む祈ったのである∪それが今日云、ふ幅岡願浮羽郡長 野の水紳杜で.今日では解祀になつてむる紳祀である、︺故に此水紳祀はその勧請の常軌に於ては、第三類型の紳 敢である一︶然るに五圧屋の献身的努力その功む奏して庶民その堵に安んすることが出発た。物換り星移り、英批 首む回せば苧は軸仙で、英複明治十五年に至り.人民は此の五庄屋仁一筑後川の水油禰宜波能膏紳に配祀して.長 野の水紬杜として御祭りした︰然るに大正元年に至ってその配祀が公認されて.長野の水紳軋は禰豆波能賓紬と 〃 本質上より見たる紳粧の特性

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三二 本質上よ竺見たる紳軋む特性 五庄屋とむ合祀した紳敢と云ふことになり、而て之に垂井する者の貿際意識としては、長野の水紳祀と云へぼ、 直に祭紳五庄屋たと云ふことになり.禰宜波東沖に由つて未はした筑後川の河紳たるその日然紳はその意識中よ り逸脱してむる。斯くして第三類型の神社は第二類型の神社として.今日にその徒命む券種し、日然敦嘲の信仰 むあとにして、文明敦期の信仰として、宗教撃的には倫理的加rj的のハーバ教として、その存在之保持し.こゝにその 紳杜の生命−定止揚し乗ってたる︺斯くして長野の水油杜は事篭第二類型の紳祀として両道又は両社の本質む能く 樽崎してをるのである。 之れと同様の事例が、愛知僻安城町の明治川紳祀の御祭油大水上御祀帥、水分紳、高麗仰の三水榊と都築禰高 大人との合同に就いても見ることが出奔るのであるが、その詳細は紙面の都合上.之む省くこととする。 人若し仰豆の下田に遊び、菅田枚陰大人と米艦との関係む以て有名な同恕柿崎の耕天島に在る舛天仲仕の御祭 神を尋ねると云∴と.今日では市井島姫神と吉田松陰及その伺止心金子重棚の三枝であるが、恐くその適いく背 の淵源に遡れば.此舞大輔軋はあの突しい鳥そのものの地方的信仰に始?たものであらう︺それと迩に幕末囲家 の為に身む殺して仁む焉した吉田枚陰と共同志金十重仰の二大人、二囲士む合如して、島そのものの自然紳崇邦 を止揚し、以て文明教期の偉人崇邦伽ち人榊崇拝に代へ、此にその第三斯弛の帥祀は節二箱型の紳祉となつて今 日一般の尊信む博してむるのである。今紙面の無い矯め.此鋸と以上の三岡む以て説明する外に途がないのむ遺 憾とするし.叉その第一類型や第二新型の帥祀関係に就いても、もう少し詳細に述べなくては不十分だと且工け れども.それ等は凡て略することむ敏儀なくされてをるから一党づ此に箪む掴き以て他日の磯む待たう。 J2

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序 数派成立の前景

嘗て詳論せる如J、、所謂山臥らしき山臥の猫自な即規は鎌倉初頭からであるが、︼般に中壮前期の山臥達は大

略修行む契機として多少衆結的に敢闘的組織む成し得る状態には在っても、吾々に馴染み深い修験道教派本山派

常山準定成すには到らす.たゞ山臥配合一般がありそれむ支持する理念的教説が後の修験道教養の萌芽として存 在したとい、遠度であつた︵腰細謂打州髭酢警鵬‰甜凱㍍小掴酬輌軌ぷ郁欄蟻競軋師諾“管︶蒜倉時代 山臥界の降盛に作って山臥の敷が樹すに比し.佗行の呼不道域の範域の方は既に怖々一定してしまつてわる関係

上被ら相互り接偶が多くなり、延いて山臥衆の腫脹合流が進められ山臥祀唐に充溢した︺現春﹁山伏帳﹂は熊野関

係山臥の記錐帳であるが、そこに﹁加入山伏﹂として建久四年の覚探壷心以下應永骨相年宗酢まで六十名む額げ

てゐる。これは時々熊野杜撰の山臥連に合流してきた諸魔の山臥む列馨したものである。斯様な成員の増加は質

中世故紙修験道〟形成とそ打特性

中世教派修験道の形成とその特性

太 郎

和 歌 森

ヲ.7

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各々聯絡融通し得る可能性宕つて聖毒弘安十完正月五日付熊野惣公女而良過の富状や︵ 臥達・金峰根撼川臥蓮は夫々仲冊の重大頚件に開†る場合.熊野側は熊野山臥む金峰側は金峰山臥む中心として 的たらしめ山臥の脚牒意油む軸やたのであるが.斯様な圃程意識・同胞感に従って.各地に散在†■ Q熊野根撼山 の多様化た伴ひ衆内各自に修行の深浅豆封する内兜た促し相互の差別感た徹底せしめる故.その結警′益々故博 興つたが、兎も角宮崎の山臥牲は恰も同期の渾帆宝饗場に所謂﹁金峰側む金剛三昧耶形・熊野側む胎戚二転耶 形﹂となす如き差別観む縁故として、夫々共通の同類意識に基く二大山臥衆群に分たれてゐた以上に更に積極的 結束性むもつ二大結合鰭と化してゐた。少くも結合鰻化し指るとの自信が各衆群にあつたtU然らば足ら衆群から 結合饅化への貿際の推移は如何にして促されるかといへぼ、各衆群構成要素の何磨かに.各月む精紳的に塞引す る客観的拘束力が成長すべき必要がある.伽ち山臥個人からみれば何磨かに権威的中心が成長する頚であるJ乃 ち右の推移いはゞ山臥教派化の推移む追求する事は、熊野・金峰各衆群中の山臥達に権威的だったものに主眼む 注いでその間連の動きを閻察する尊となるのである。 − 本 山 派 の 形 成 尊盲以凍熊野は聖日の将士た含むとされたので法華経む介してこの山が天台宗徒に関係しやすい事情にあつ・先 八ノ四囲五 三及賢簡捷≠ 元二年二月石走村公文藤原信食言上案・石走村公文藤原氏女訴状・天料癒嘉辰雲上妾等︵鮎㌶㌶ぷ珊瑚 中世教派修験道軋形成とそ仇特性 ︶に見え皐如く鎌倉元よりの傾向で一望。さ権益通聯絡には山臥の抑拗豪性格に薫く使者的活躍が

成粟生文塵 講第百骨九

文︶乾 J

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〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」