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臨床宗教師研修 に関する一考察 森 田 敬 史

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谷大学における

臨床宗教師研修 に関する一考察 森 田 敬 史

はじめに

筆者は,2018年度より 谷大学に着任し, 谷大学大学院実践真宗学研究科 が主催する 臨床宗教師研修(1) に携わっている。 臨床宗教師 という言葉が 入った初めての研修は,東日本大震災を契機に,東北大学大学院文学研究科実 践宗教学寄附講座が2012年度に主催したことに端を発する。当時,東北大学大 学院文学研究科に在籍していた筆者も,初回の研修より帯同し,研修のプログ ラムや位置づけが変容していくこと,またブラッシュアップが重ねていかれる ことを目の当たりにしてきた。2012年度実施の東北大学を皮切りに, 谷大学,

高野山大学,武蔵野大学,種智院大学,愛知学院大学,大正大学,上智大学等,

高等教育機関である各大学,ならびに NPO法人日本スピリチュアルケアワー カー協会で研修が実施されている。それぞれの教育プログラムは,東北大学を ベースに考案されたカリキュラムや,それぞれの大学や協会の持ち味を取り入 れ独自のスタイルを確立しながら研修を実施している。

本稿では,筆者が 谷大学における 臨床宗教師研修 に一年間携わる中で,

臨床現場で宗教者として従事した経験,さらに東北大学の教育プログラムにも 触れてきた経験より, 教育プログラム として認定されている視点を織り交 ぜながら,実状に関する考察と,そこから浮かび上がってくる課題について言 及することを目的とする。

1. 臨床宗教師研修 を主催する研究科の概要

谷大学大学院実践真宗研究科(Graduate School of Practical Shin Bud- dhist Studies)は,2009年4月,文部科学省の認可を受けて設置された。

研究科の概要(2)としては,その後の 教育の目的 とともに以下のように記さ

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れている。

現代には,伝道活動,宗教儀礼,情報メディア,生命倫理,ビハーラ活動,

共生論などに関する諸問題が山積しており,また心の教育の必要性等が叫 ばれています。

親鸞聖人の教えを建学の精神とする 谷大学大学院実践真宗学研究科は,

そうした社会的要請に実践的・具体的に対応しうる宗教者のあり方につい て教育・研究するとともに,求められる宗教的実践者にふさわしい高度か つ専門的な素養をもつスペシャリストを育成していきます。

教育の目的

実践真宗学研究科は,教理・教義の研究を中心とする既存の文学研究科真 宗学専攻が担ってきた教育・研究を基礎として,複雑化・多様化する現代 の問題に,実践的・具体的に対応しうる宗教者のあり方について教育・研 究するとともに,社会に求められる宗教的実践者にふさわしい高度な専門 的素養の修得を図ることを目的とします。

宗教的実践者 という文言が掲げられ,研究科の名が示す通り, 実践 を重視していることを表している。教育の特色として, 理論研究と臨床実習 に十分な学修時間を確保するため に既存の文学研究科とは異なり,修業年限 を3年としている。その特色に続いて,研究科自体がどういった大学院生を育 てていくかということが以下のように, 人材育成 として挙げられている。

人材育成

仏教的人間観・世界観を基盤とし,世界的視野に立って広く相互に理解し 合い,人間存在の意味を見出し,生きる力を育んでいくことができる宗教 的実践者,そして,日本全国の各地域における宗教組織・施設等が,地域 社会活性化の一拠点として総合的に有効に機能し,地域社会活性化の一翼 を担うことができるようにするために,幅広い活動能力を備えてリーダー シップを発揮することができる宗教的実践者の養成を目指します。

この部分でも 宗教的実践者 の文言が強調され,上述した研究科で目指さ れている人材は,多くの側面で 臨床宗教師 に通じるものがある。 臨床宗

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教師研修 主任である鍋島直樹研究科長は, 臨床宗教師研修 の構想として,

宗教者の実践を以下のように述懐(3)している。

自己の行為が大悲なのでない。自らの行為の不徹底さを自覚しつつ,如来 の大悲に支えられて,自らの覚悟で精一杯できることをする,そこに常行 大悲の姿勢があるだろう。災害や事故で突然に愛する人を失くした時など,

どれほど相手を想っても思い通りに助けることができない。ただ手を合わ せ,自らの行為や気持ちをふりかえる。その有限な自己を如来の限りなき 大悲は常に照護する。至らない自分がそのまま大悲に抱かれている。亡き 人から受けた愛情や優しさが死別した後も自分自身の心に生きている。こ うした大悲のぬくもりと自己を支えるものとのつながりが自己を突き動か し,限界を知りつつも,なお相手を想う姿勢が生まれてくる。そこに如来 の大悲に抱かれた愚者の実践があるだろう。

それに加えて,ビハーラ活動や臨床宗教師に関する論考の中で,以下のよう にも言及(4)している。

宗教者が相手を尊重できるのは,自己の支えが確かであるからである。一 人ではあっても常に如来と共にあるという覚悟があるからである。親鸞浄 土教を基軸とし,心のケアを実践する宗教者の依りどころには,いかなる 境遇にあっても,一切衆生が仏に願われているという阿弥陀仏の本願があ る。生死を超えて浄土に往生し,必ずまた心の故郷,浄土で会えるという 死生観がある。こうした大悲のぬくもりと自己を支えるものとのつながり が自己を突き動かし,葛藤や無力感に心揺れながらも,なお相手を慈しむ 姿勢が生まれてくる。微力ではあるが無力ではない。その意味で,親鸞教 義を基盤とする社会的実践とは,如来の大悲にいだかれて,わが身をふり かえり,自他の安穏のために尽くす愚者の実践であるといえるだろう。

共通して見られるのは, 愚者 という概念である。詳細は別稿に譲るとし て,自分の 愚かさ あるいは 無知 を知った上で,すなわち, 自分 を 自覚 した上で,実践を積み重ねていく大切さが示されているのではないだ ろうか。 まかせられる 存在を自分の依りどころとして感じ,それが力強さ に繫がることが,こんな 愚かな 私でも人と向き合っていけるのではないか

(4)

というスタンスを確立できると読み取れる。

2. 臨床宗教師研修( 谷大学)

谷大学大学院実践真宗学研究科主催の 臨床宗教師研修 が開催される経 緯については,当時, 臨床宗教師 の認証を一大学で独占することがないよ うにするために全国で養成してほしいという志願に応える形で進められること となった

(5)

。参考までに, 2019年度 臨床宗教師研修 教育プログラム

(6)

を見 ていくことにする。2014年度から 臨床宗教師研修 が始められたので,現在,

5期生まで社会へ輩出していることになる。 臨床宗教師 の捉え方としては,

東北大学に準じる形で以下のように記されている。

臨床宗教師(interfaith chaplain) という言葉は,欧米の聖職者チャ プレンに相応する日本語として,岡部健医師が2012年に提唱した。 臨床 宗教師 は,布教・宗教勧誘を目的とせずに,相手の価値観,人生観,信 仰を尊重しながら,苦悩や悲嘆を抱える人々に寄り添い,生きる力を育む 宗教者である。臨床宗教師は,医療福祉機関等の専門職とチームを組み,

宗教者として全存在をかけて,人々の苦悩や悲嘆に向きあい,かけがえの ない物語をあるがまま受けとめ,そこから感じ取られるケア対象者の宗教 性を尊重し, スピリチュアルケア と 宗教的ケア を行う。臨床宗教 師は,宗教宗派を超えた協力関係(interfaith partnership)を結ぶ。宗 教者間の調和によって,宗教にまつわる 信者獲得 や 対立 というイ メージも払拭される。

スピリチュアルケア や 宗教的ケア を中心に据えること,また宗教宗 派に偏ることなく協力関係を大切にすることで,独占することなく,また自身 の利益に繫げるための動きではないことが明記されている。それは, 臨床宗 教師研修・教育プログラムの目標 にも確認することができる。

臨床宗教師研修 は,宗教者として全存在をかけて人々の苦悩や悲嘆に 向き合い,そこから感じ取られるケア対象者の宗教性を尊重し,病院,社 会福祉施設,地域社会,被災地などの公共空間で実践可能な スピリチュ アルケア と 宗教的ケア を,理論と臨床実習,実習指導を通して学ぶ ことを目的とする。

(5)

研修については,理論と臨床実習,そして実習指導が三本柱となっているこ とが窺える。これらの三本柱によって,目指すべき宗教者に近づけられるよう に研鑽を促すことになる。

この研修の具体的な目標(7)については,以下のように六項目が記されている。

東北大学大学院に準拠して,実践真宗学研究科の臨床宗教師研修は,六つ の具体的目標を掲げる。

(1) 傾聴 と スピリチュアルケア の能力向上 (2) 宗教間対話 宗教協力 の能力向上 (3) 自らの死生観と人生観を養う

(4) 宗教者以外の諸機関との連携方法を学ぶ (5) 宗教的ケア の姿勢と提供方法を学ぶ (6) 理論と臨床との統合

東北大学の 臨床宗教師研修のねらい として,① 傾聴 と スピリチュ アルケア の能力向上,② 宗教間対話 宗教協力 の能力向上,③宗教者 以外の諸機関との連携方法を学ぶ,④幅広い 宗教的ケア の提供方法を学ぶ,

の四点が挙げられている。それに対して, 谷大学では,上記四点に準拠しな がらも(3)自らの死生観と人生観を養う,(6)理論と臨床との統合,の二点が加 えられている。(3)については, 病者を看取ることは自己を看取ることであ る と, 増壱阿含経 にて釈尊が説かれた言葉を引き合いに出し,自分のこ とのように相手を見守る姿勢の大切さを記し,相手に寄り添うためには,依り どころとなる宗教的死生観を培う必要性を述べている。また,(6)については,

理論と臨床とを統合するために,ロールプレイ,グループワーク,スーパー ビジョン,会話記録検討会を行う。反省を通して,自らの課題を知る時,前に 向って前進できるからである。 と,説明が添えられている。

死生観や人生観を養うことは,宗教者としての感性,人としての感覚を涵養 していかなければならないことに通じる。これが,ある意味で, 宗教的ケア と スピリチュアルケア に連動していくものと考えられる。これらを具体的 に目標とするために,理論武装に陥らないように 理論と臨床の統合 が掲げ られるべきであり,省察しながら自らの課題を設定し真摯に取り組むことが望 まれることが示されている。

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3. 臨床宗教師研修 における履修カリキュラム,スタッフ,修了後の資格 本研修における 教育プログラム としての履修カリキュラム(8)は,2年間と いう時間で,①必修科目と②選択必修科目が設定されている。大別すると,一 年目に座学中心の講義を受講し,二年目に臨床実習を実施したり特別講義を聴 講したりすることで,より専門的なスキルを身につけるようにプログラムが練 られている。それに関連するように,応募要項の【出願資格】として, 谷大 学大学院実践真宗学研究科に在籍する者(2年生以上)が挙げられている。あ わせて, 谷大学大学院実践真宗学研究科を修了した者(特別専攻生・修了 生),大学卒業者で大学院生と同等の資質があると実践真宗学研究科が認める 者(社会人)にも門戸が開かれている。

臨床実習は,全体実習と特別実習で構成され,被災地,病院,社会福祉施設,

そしてビハーラ関連施設に赴き,研修教員,医療福祉機関等の専門職の指導に 従って実習を積む。東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座と連携をと る特別講義やシンポジウムに参加し,学内外の有識者の経験と知見に学ぶ。事 前に,初期研修と題して,実習事前研修を受けたり,資料図書・論文による課 題学習を各自行ったりする。その間,実習先において個々に,あるいは全体会 として,事後研修・臨床スーパービジョン(個人)・全体ふりかえりが行われ る。学んだ知見や課題を大学院指定 実習日誌 にまとめ,この記録をもとに 自己理解と課題を見つめる。緩和ケア病棟や社会福祉施設等の臨床実習の現場 では,専門職とグループワークやスーパービジョンを行い,他者理解と自己理 解を深める。実習先での関わりを自らの会話記録としてまとめ,それを提示し グループワークで自己の課題を見つめる会話記録検討会が実施される。研修の 最終段階として,東北大学の谷山洋三先生を講師に迎え,新春シンポジウム

臨床宗教師の挑戦 にて成果報告会が実施される。

研修スタッフや研修協力者(9)については, 谷大学の教員以外に,東北大学の 高橋原先生,谷山洋三先生をはじめ大学院協力者,さらにあそかビハーラ病院 院長・大嶋健三郎先生をはじめとする医療福祉機関協力者,そして日本臨床宗 教師会関係者と連携をとって研修を進めていることが明らかにされている。

谷大学大学院実践真宗学研究科・臨床宗教師研修プログラムは,日本スピ リチュアルケア学会認定 人材養成教育課程 として,2017年9月9日に認め られた。これを受けて,研修終了後に,諸手続を進められれば, スピリチュ アルケア師(認定) の資格が授与される。また,同プログラムは,2018年3 月5日,日本臨床宗教師会 臨床宗教師養成研修プログラム として認められ

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たため,研修修了後に,フォローアップ研修受講と,必要書類を整えて資格申 請すれば, 認定臨床宗教師 の資格が授与されることになる。すなわち,同 機関の研修を修了しただけでは, 認定臨床宗教師 と公式に名のることがで きないことは,他の教育プログラムと同様である。

4.現行の教育プログラム(2018年度)

2018年度は,4月17日(水)を皮切りに,実習を中心とした研修が進められて いった。自己紹介や研修目的の共有,オリエンテーション,そして 実習日 誌・会話記録の取り方 の講義が実施された。ほとんどの研修生は臨床場面に 身を置くことが初めてであるため,一様に真剣な表情で,これから進められる 研修に際し,それぞれに思いを抱いていたものと思われる。

これより各全体実習において,参与観察を通した所感を交えて,プログラム について論じていく。

4−1.あそかビハーラ病院・ビハーラ本願寺

4月26日(木),あそかビハーラ病院緩和ケア病棟(京都府城陽市),続けて 4月27日(金)に,特別養護老人ホームビハーラ本願寺(京都府城陽市)にて臨 床実習が実施された。施設見学から始まり,医療カンファレンス参加や勤行参 加,専門職の講義やグループワークが進められた。

大嶋健三郎院長から 患者は死ぬために来たのではない。緩和ケア病棟は,

患者が人生最後の一日を生きる場所である。医師は生きるためのお手伝いをす る。逃げられない患者から逃げたら,患者は孤独になる。緩和ケアチームの姿 勢は, 向き合うこと である。 という言葉を頂いた。

この病院では,カンファレンスに,医師,看護師,薬剤師,栄養士だけでは なく,認定臨床宗教師であるビハーラ僧も加わる。その一人,花岡尚樹院長補 佐から 自分の無力さを知ることが本当の宗教者。自力無功の私が阿弥陀如来 に願われている。, 大悲の中にいる私が他力に全託したからだを患者さんの 所にもっていく。問いによって人生を深める。揺れながら折れない樹のような 存在でありたい。 という言葉を頂く。研修生が目指す存在として,筆者も同 感しながら, 無力 という言葉に頷く。

吉田厚子看護課長から, ひとは苦しみの中にある時,大きな存在に迎えら れる。そのお手伝いをさせていただきたい。 と顕著な姿勢を学び,細見陽子 管理栄養士から, 食はいのちをつないでくれる。その人にとって何が一番大

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切なのかを考える。食べる意味のある世界を作りたい。 と, 食 の大切を学 ぶ。

まさに,あそかビハーラ病院の基本理念に示されている通り, 願われたい のちを共に生きるひとときに,仏の慈悲に照らされている 事を前提として,

ぬくもり と おかげさま の心で,安らぎの医療を実践 することが目 指されている。

この全体実習においては,患者や家族との関わりはなく,その後,研修生そ れぞれが特別実習の中で関わりをもちながら,臨床個人実習5日間(40時間)

に取り組む。

続いて,特別養護老人ホームビハーラ本願寺において全体実習が行われた。

施設見学を皮切りにして,講義と勤行参加,利用者との関わりを体験する。伊 藤 平施設統括部長の講義より ケア理念は,1.傾聴 2.共考 3.挑戦。あ なたの笑顔を支え,豊かな生活を過ごせるように,諦めず挑戦します。 とい う理念,そして当該施設における利用者との関わりを紹介して頂く。この施設 において,昼食時と勤行の際に利用者と関わることができた。緊張感を抱きな がらの研修生の関わりに対して,利用者から 構え として受け止められたり,

穏やかに 流して くださったりしていた。

あそかビハーラ病院やビハーラ本願寺には,同一視できる僧侶(ロールモデ ル)がスタッフとして勤務しているという現状があり,モデリングによる学習 効果は高いと考えられる。

4−2.東北実習

5月22日(火)から四日間,仙台市,南三陸町,気仙沼市という北上ルートを 辿る東日本大震災被災地での臨床実習が実施された。震災後すぐに立ちあがっ た,復興支援を目的とした 東北教区災害ボランティアセンター が境内地に ある仙台別院を拠点として,前半二日間は,仙台市内において震災遺構である 仙台市立荒浜小学校 や 閖上の記憶 を訪れ,フィールドワークや追悼儀 礼が執り行われた。また, 臨床宗教師研修 を先導する,東北大学の谷山洋 三先生をはじめ,被災地において Cafe de Monk のマスターとして実践にそ の身を置く金田諦應老師等から講義の機会を頂く。谷山先生は 臨床宗教師 について, 臨床宗教師は,ケア対象者から何かを引き出そうとするのではな く,拾うことを心がける。 や 自分自身から逃げず,肚をすえる。スピリチ ュアルケアとは,ケア対象者の支えとなるものとのつながりを再発見して,生

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きる力を取り戻す援助,またはセルフケアのことである。 と強調され,スピ リチュアルケアについても教授して頂く。また,金田老師から, 宗教者には 物語を展開していく 場 の創造,その 場 に留まり続ける 耐性 ,そし て個々の人生に添って創造される物語を受け止めるレンジの広さが要求され た という言葉を頂き, 心を聴く と題して,18条から構成される人物像が 挙げられた。そのうちの 他者が語る物語に虚心に耳を傾けられる人 に対し て,個人的には印象に残る。

公的機関である南三陸町庁舎では,多くの同僚を津波で亡くしたことを受け て,副町長の語りには, 町は復興してきたが,人々の悲しみは消えない。災 害直後から宗教者の継続的な訪問に感謝します。 と,継続的に関わりをもつ ことに対する感謝の言葉があった。南三陸さんさん商店街内における追悼儀礼 後,2017年6月に開庁した南三陸町歌津総合支所に訪れる。大学院生を中心と した音楽実演伝道プロジェクト LIFE SONGS の演奏会で和んだ後,地域 の方々と関わる場(お茶っこ)がもたれた。その他,地震で倒壊した寺院を復 興させた曹洞宗寺院や被災者講話という形で,現地の方々との関わりをもった。

最終日は,大津波で家族を亡くした菅原文子さんからご遺族としての話をう かがい,その後,気仙沼の街を追悼巡礼した。菅原さんは 愛する人はみ仏 となって手を合わす心の中に還ってくる そう教えて頂きました。酒屋の女将 として,気仙沼で支え合っていきます。 と,すがとよ酒店の女将として語っ てくださった。最後は,金光教気仙沼教会の奥原幹雄副教会長との宗教間交流 をもって締めくくられた。

四日間の全体実習の中で,やはり同一視できる宗教者(ロールモデル)の存 在が大きく,特に 臨床宗教師研修 に携わる先生方からの重い言葉は,その 場が東北地方ということもあろうが,研修生たちの心を震わせていた。

4−3.常清の里

6月21日(木)には,大阪府茨木市にある特別養護老人ホーム 常清の里 を 訪れる。この施設では,礼拝の時間があり,利用者は勤行と法話に触れること ができる。特徴的なことは,まるで自宅のように職員がお年寄りを歓迎するこ とである。研修生は,勤行を利用者と共にした後,相談員として従事する浄土 真宗本願寺派僧侶から施設の概要や利用者との関わりについて教授して頂く。

全体実習から利用者と関わる機会があり,その後に始まる臨床個人実習3日間

(18時間)に取り組む特別実習に向けて的確な導入になっていた。

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こちらでもスタッフとして僧侶(ロールモデル)が従事しているため,モデ リングによる学習効果は高いと考えられる。

4−4.橘保育園・橘デイサービスセンター

9月11日(火)から四日間の日程で,社会福祉法人光輪会の施設である橘保育 園・橘デイサービスセンター(宮崎市)での臨床実習が始まった。1階と2階 が保育園であり,3階がデイサービスセンターの統合型社会福祉施設である。

食事の調理が困難な方に対し,栄養のバランスのとれた食事を調理し,定期的 に訪問配食をして当該利用者の安否確認および健康状態等の確認を目的とした

配食サービスたちばな も運営事業として展開している。

弘中信厚園長は 本物はつづく,つづけると本物になる という東井義男 さんの言葉を大切にしています。本物とは何か。それを追い求めつづけるとこ ろに本物がある。 と,運営事業について語ってくださる。弘中直子副園長は,

園児の書いた仏さまは,じっとしていない。はたらいてくださっています。

仏さまはニコニコして私を輝かせてくれる方なのです。, デイ利用者は,広 告紙で兜を作り,園児にプレゼントします。 と語り,子どもはお年寄りに元 気を与え,お年寄りは子どもに安らぎを届けると教えてくださる。主任保育士 たちは,子どもたちとの関わりについて, 子どもの発する言葉に意味づけを する。けんかも大事。仲直りするチャンス。葛藤をもちながら,相手を認める。

子どもの声を拾う。認められて言葉を浴びると,子どもはキラキラ輝く。 と,

そして自分たちの立ち位置については スタッフもつねに迷いの中。意識のず れが生じたら,(保育目標である) 感謝・和合・奉仕 の原点に戻って,自分 を問いつづけたい。 と語ってくださる。

この施設実習の中で,子どもたちとお年寄りに関わる機会があり,その間,

垣間見える両者の触れ合いから,統合施設としてのメリットを痛感しながら,

関わりを通して,どちらも人である以上,各々の発達段階で抱える課題を味わ うことができた。隣接する関連寺院において,勤行の機会はあったが,同一視 できる存在は居なかった。

4−5.真宗大谷派寺院・広島平和記念公園

10月5日(金),JR 広島駅からほど近い真宗大谷派寺院にて追悼のお勤めを すませ, 谷大学の 臨床宗教師研修 を修了された和田隆彦住職より, 門 徒の被爆と復興 について講話を頂く。その後,広島平和記念公園内にある

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原爆の子の像 前で追悼法要を執り行う。そして,広島平和記念資料館にて 各自平和学習を行い,中学校2年生だった14歳の時,動員先から自宅へ帰るた め広島市内に入り被爆した葉佐井博已さんが,子どもには言えない悲惨な実相 を宗教者である研修生に教えてくださる。

和田住職より語られた 寺院での僧侶の役割 の中で, 臨床宗教師研修 での学びが役立っていることをうかがい,この面は学習効果が高いと考えられ る。改めて 戦争 ということに目を向ける広島平和記念公園では,生死の問 題,人間の欲求,国家間の問題等,他の全体実習と同じ追悼法要という機会を もちながらも,様々な考えが想起してしまう。

4−6.NCC 宗教研究所による宗教間対話

実践真宗学研究科の葛野洋明教授主導の下,11月27日(火)に,留学生7名を 交えて,NCC(National Christian Council in Japan:日本キリスト教協議 会)宗教研究所による 日本の諸宗教 研修と対話プログラム の一環として,

キリスト教文化に育ったドイツ等からの留学生と交流し,いかにして他宗教の 方と対話をすることができるかを,実践的に宗教間対話を実習する事を目的と して実施された。

こちらは特別実習として任意参加であった。それでも諸外国のチャプレン

(chaplain)や宗教者との触れ合いにより,国や民族が違っていても同じ方向 性をもつことで共有できた事柄は多かった。

4−7.きょうのモンク

11月25日(日),文化パルク城陽(京都府城陽市)を会場にして城陽福祉ふれ あいまつりが開催され,その一端で京都府健康福祉部福祉・援護課の連携事業 として きょうのモンク が開かれた。こちらも,特別実習という位置づけで 任意の参加となるプログラムである。同スペースには司法書士や臨床心理士も 同席して,総合相談会として専門職に繫ぐこともできるようになっていた。司 法書士や臨床心理士という専門職に加えて,府職員や地域の代表と, 臨床宗 教師 が協力体制をもち,人々との関わりをもった。

行政との関わりをもつということが注目に値する。まさに,公共空間におけ る宗教者の立ち位置を学ぶには適した機会であった。実際に市民との関わりが あり,他の専門職と一緒にお迎えする中で, 宗教者だから話すことができる と,ニーズを表現されながら相談する市民の姿が散見された。

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4−8.人と防災未来センター・神戸赤十字病院

12月7日(金),展示物を見て鑑賞する学習に加えて,インタラクティヴな教 材を通じて実体験ができる施設である 阪神・淡路大震災記念 人と防災未来 センター において,各自研修をした後,神戸赤十字病院を訪れる。村上典子 心療内科部長より,心療内科医としての歩みとして,災害時における遺族への 心のケア,そして災害死亡者家族支援チーム(DMORT)に関する講義を進 めて頂く。 人はあまりに大きな心の傷を受けた場合,自分自身を守るために 心に蓋をする時がある。そんなときは,無理に感情を表出させない。, 自己 の限界を知って,そこにいる。自信のないくらいの謙虚さをもった宗教者こそ そばにいてほしい。 等,励ましの言葉を頂く。災害時の遺族支援における DMORT の位置づけとして,今まで分断されていた,急性期災害医療と長期 的遺族支援(グリーフケア)の架け橋になるからと,その長期的なグリーフケ アの一員に,宗教家を挙げてくださった。同席された増尾佐緒里臨床心理士よ り, 寄り添うとは,まず呼吸を整えてから,患者のニーズを頭で把握する。

そして言語化していく。一緒に見つめる。それがこころのより添いとなる。

と教授して頂く。

阪神・淡路大震災は,宗教者に対して多くの課題を与えることになった機会 であり,多くの失われたものを確認しながら,当時に思いを馳せることになっ た。災害時におけるケアは,東日本大震災直後からも大きく取り上げられるよ うになったことであるが,医師や臨床心理士からの臨床経験に基づく言葉はど れも肝に銘じなければならないことであった。他職種から宗教者への期待を感 じられる嬉しい機会であったが,同時にその期待に応えられるような宗教者と はどのような存在を想定されているのかを考える機会でもあった。

5.仏教チャプレンから日本版チャプレンへ

臨床宗教師研修 を考察する上で,ロールモデルの一つとして,筆者の医 療現場における仏教者としての経験知を参照しておく。

長岡西病院

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ビハーラ

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病棟

(12)

(一宗一派に偏らない超宗派)において,常勤ビハ ーラ僧(仏教チャプレン)として勤務していた筆者は,地元の仏教者の有志で あるボランティアビハーラ僧とともに,病棟スタッフの一員であった。もちろ ん,開設当初からの信頼関係によって, 医療現場における僧侶 という一般 的に抱かれやすい違和感や構えから自然な関わりを実現されつつあったが,そ れでも 長岡西病院だから ということで完全に払拭できるまでではなかった。

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それほど 僧侶 に対する眼差しが多くの要素を含んでいることを意味する。

それは何も患者や家族のみではなく,病院スタッフサイドにも同様の視点があ ることを意味している。病棟スタッフの感覚の中には, 宗教者が関わる 効 果に着目する場合が多分にあることを含意している。これは,ソーシャル・ム ーブメント

(13)

として少しずつ 有名 になっている 臨床宗教師 の存在にも同 様のことが言える。もっとも 臨床宗教師 の方は 有名 になるほど,その 効果がさらに期待される可能性を秘めている。それは,メディアを通して,専 門的な学びをしているという点で,誇張して紹介されている感が否めないから である。

だが,実際の場面では,その期待に応えられるだけの 改善した ,すなわ ち患者や家族から即効性を確認できるのは, 結果としての ほんの一部であ る。では,宗教者として 何のために そこに居て,どのような働きが でき ている ことになるのか。経験則(14)から導き出した結論は,苦悩を抱えられてい る患者や家族に対して,そんなに簡単に様々な苦悩が軽減できるものでは な い ということである。ただ,何ができるかということを探っていった結果,

ふらふらと病棟内を動き回り,何気ない様々な身の回りのお世話を通じて,関 係性を構築し,全ての人々が違う 心に響くポイント にアクセスできるかど うかを 探る ことは少しばかり許されたと思われる。もちろん,宗教者とし ての働きである勤行や各種仏教行事,死亡退院時のお別れ会等を執り行うこと は欠かさず,その仏縁でぐっと近くなる関係性が存在することも体験した。

また,地元の僧侶であるボランティアビハーラ僧の役割の中で,患者が檀家 の場合のケースから学ぶことがあった。それは,病室訪問の頻度が増加したり,

自身の死亡後に執り行われる葬儀や法事等の段取りについて話し合いがもたれ たりする場合があり,その時に,常勤として勤務している宗教者としての限界 を感じたことがある。仏教チャプレンとの新たに構築する関係性より,寺檀関 係という,長年にわたり積み上げられてきた関係性には,現代社会においても ある程度の効力があることを見せつけられたこともあった。逆にこれらに反す るように,患者や家族から 仏教 を捉えると, 宗派<仏教者(宗教者) と いう見方が存在することもまた体験した事実であった。

要するに,仏教の中で紐解かれている対機説法のように,一人一人に応じた 距離の取り方や関わり方があるということである。あくまでも,宗教者を 資 源 として活かすのは,患者や家族にとっての選択肢の一つとして認識するこ とが重要である。

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結果的に, 宗教 がもっている力というものをはっきりさせなくても,そ の目に見えない何とも言えない雰囲気を醸し出せるのもまた宗教者であるため,

病棟に僧侶がとけこんでいる ことが大切となる。人の限界を知らしめる生 死の問題については,人の関わりには限界がある。そのための神仏等の超越的 存在であったり,その存在と人を結ぶ仲介者として意識されたりするところに 宗教者の特性があると考えられる。臨床宗教師を提唱した岡部健医師が 道し るべ として表現されたことは,そのような特性を持ち合わせながら,宗教者 自身の依りどころとして死生観を涵養し堅持できているところに強みがあると 判断したからこそ,その必要性を宗教者に問うた結果ではないかと考える。

臨床現場に勤務する医師や看護師等の病棟スタッフのデジタル的アプローチ に対して,そのような即効性が期待できない苦悩の現場における働きとして,

アナログ的アプローチが有用であると感じた。流動的な立場をとり,患者や家 族の方でその時々に応じて関わり方を選択できるような環境を作り出すには,

宗教者として すきま産業 というアプローチが喜ばれるという確信を持つこ とができた。

その すきま として,生ききることに一所懸命な方に心を寄せて,基本的 には心の整理役に徹するのが 仏教者屑籠論(15) であり,必要とされている場面 に駆けつけることが求められるわけである。これらの基盤になるのは,磨かれ た感性と自己の拘りからの解放である。それは,自己の拘りが生じる場合,た びたび できない を できる という考えや行為に移行させてしまいたいも のだからである。苦悩の現場(死の臨床)において,そんなに能力重視,すな わち援助 できる ことばかりが存在しないことを勘案すると, できない ことも含めた その人らしさ を認めて関わることが優先されなければならな い。そして,援助者が援助 できない(無力) ということでは,是とされな い風潮がある中で, 良い人 と思われたい援助者自身を振り切り,目の前の 相手の あるがまま を捉えていくことに邁進することが最も根幹に据えなけ ればならない。そのためには,何のフィルターも通さない 裸の自分(16) であっ たり,自らの関わりの限界を堪え忍ぶ力(Negative Capability

(17)

)であったり を念頭に置きながら関わりをもつことが望まれるのである。

以上が,筆者の限られた臨床経験から考究した 宗教者の目指すべき姿 で あるが,前提として宗教者の立ち位置がある程度確立された 場 における見 解であることを断っておく必要があろう。

(15)

6.改めて 臨床宗教師 を問う

今一度, 臨床宗教師 という概念や存在をどう位置づけていくかを考えて いかねばならない。臨床現場における実践経験から見えてきたことは,あくま でも 臨床宗教師 という看板は,札所で通過可能にする 通行手形 に過ぎ ないということである。社会的に認知されていけば,この 通行手形 の効力 は増していくと思われ,そうなると宗教者が公共空間に出現しやすくなる。一 方で,その 通行手形 を,万能な特殊能力を持ち合わせた存在が所持できる ものと期待される面が出てくる。それがデジタル的アプローチを得意とする職 種には,魅力として感じ取られ,宗教者の特性を誇張した形で把握するように なる。だが,そもそも目の前に現れる苦悩を抱えた相手が 臨床宗教師 か否 かを判断するかどうかも疑わしい。ましてや,判断の必要性についても懐疑的 にならざるを得ない。 臨床宗教師は,同一の信仰を基盤とする教団の一員と してのアイデンティティと,宗旨超越型の宗教者というアイデンティティの二 つのアイデンティティを自らの中に抱え込み,宗教的葛藤を生じさせる恐れが ある。 との指摘(18)があることからも,そのあたりを自分の中にきちんと落とし 込まないと,周囲に翻弄されかねないと危惧してしまう。

資格認定制度が本格的に始まりだした昨今,この認定制度自体を覆すわけに はいかず,その制度の下,また 教育プログラム として認可を受けている以 上,その制度のルールに則って,認定基準に準拠することもまた求められてい るわけである。一つは 日本臨床宗教師会 の 認定臨床宗教師 として,も う一つは 日本スピリチュアルケア学会 の スピリチュアルケア師 が具体 的な基準設定として挙げられる。前者の 認定臨床宗教師 については,最近 の動向より,同時進行的に資格認定基準が定められている,あるいは更新に備 えて基準を設けられているという感が拭えず,明確な基準が定められていると は断言できない。後者の スピリチュアルケア師 については,2014年5月27 日理事会改定の 日本スピリチュアルケア学会資格認定方針

(19)

を参照してみる と,学会認定の資格は, 日本スピリチュアルケア学会スピリチュアルケア師

(指導), 日本スピリチュアルケア学会スピリチュアルケア師(専門), 日 本スピリチュアルケア学会スピリチュアルケア師(認定) の3種類とされて いる。その 資格認定の目的 には, 次の二つの能力を共に有する者を学会 が資格認定し,学会会則2条の目的達成を目指す。 とされ, 医療・福祉・教 育・産業を始めとする諸分野で,他職種との連携(ケアチーム)の中で,責任 をもってスピリチュアルケア領域の専門性を担う能力 , 援助者が自らのスピ

(16)

リチュアリティの涵養を通して, 限界ある人間による人間へのケア の力動 と相互性を理解し,臨床的状況で必要とされる援助関係を構築する能力 が挙 げられている。

特に,2018年4月16日付けの産経新聞において, 臨床宗教師 資格制度開 始の報が流れ,その中で, 宗教者にも信用される資格が必要との判断で設け られた わけであるが, 布教や勧誘を目的とせず,確固とした死生観で相手 の話を受け止めることが求められるだけに,高い倫理観や継続した研鑽が欠か せないという事情もある との記事が掲載されている。そこには,上智大学グ リーフケア研究所の髙木慶子特任所長の言葉として, 根本的に宗教者として 磨きをかける教育が必要。宗教 師 として認めていいかどうかは,厳しい基 準で問われるべきだ と指摘されたことを紹介している。その上で, 臨床宗 教師を名乗る以上は生涯,宗教者であることを自覚し,寺院や教会の外に出て 現代人の求めに応じなければならない と強調されていた。

そもそも 臨床宗教師 を提唱した岡部健医師の思いは, 死の暗闇に降り ていく道しるべ としての存在を, お迎え 現象等を通して,患者や家族か らの要望に応えるべく宗教者の力添えを期待したところがルーツとなる。当時,

研修を主導していた東北大学の実践宗教学寄附講座が 資格認定を行う予定は ありません という主張(20)が物語っているように,専門職の資格化というより人 材育成の色合いが強かったように感じる。

月日が流れ, 臨床宗教師 は大きな岐路に立たされている。それまでの人 材養成の色合いがありながらも, ライセンス を取得するためのプロセスが しっかりと決められてしまったためである。このプロセスにおいて, ライセ ンス のためのポイント稼ぎが中心に据えられると,苦悩を抱える相手から見 抜かれてしまいかねない。あくまでも,苦悩を抱える 主役 がどのように感 じるかが中心に据えられなければならない。 主役 にこちらのためのジャッ ジを願うことはできず,そうであるなら, 第三者

(21)

となる存在が資質を判断 し ライセンス 取得を進めることも検討の余地があるのではないだろうか。

そのようなプロセスの一つが, 認定臨床宗教師 として認定されるために受 講する 臨床宗教師研修 ということになる。

7. 臨床宗教師研修( 谷大学) に対する考察

人材育成として見れば,拙稿(22)でも触れたように, 臨床宗教師研修 とは,

ある意味で きっかけ にすぎない。これまで問われてはいたが,活かしきれ

(17)

なかった宗教者ならではの役割を遂行する点において, 大きな学びや気づき が得られる機会 と表現できる 研鑽の機会 であった。だが, 認定臨床宗 教師 の資格化の波が押し寄せると,その 研鑽の機会 後に, ライセンス 継続のためのノルマが課せられるようになった。

現時点(2018年度末)で, 谷大学の 臨床宗教師研修 修了者は50名

(23)

であ る。 認定臨床宗教師 として正式に名乗ることができるのはそのうち10名で あり,これは全修了者の20%に過ぎない。この数値を大きく見るか,小さく見 るかはさておき, 認定 を受けていない,研修を修了した大学院生を中心と して,社会との関わりを持とうとする動きもある。LIFE SONGS やグチコレ,

ジッセンジャー等である。そのうち,グチコレはこれからの時代の新しい形の 傾聴スタイルと捉えられる一面(24)もある。このような実践を通して,社会からの 要請に応えていくことは,宗教者としてのこれからの立場を考えていく上で,

重要となっていくことだろう。あえて ライセンス に拘らなくとも, 臨床 宗教師研修 が全くの無駄になっているとは考えにくく,それらの実践活動に 何らかの影響を及ぼすことになったに違いない。

ここで, 谷大学における 臨床宗教師研修 に目を向けると,多岐にわた る現場実習において,机上で学ぶことより自分自身が肌で感じることができる 点で,大変有意義なものである。震災遺構や戦争の爪痕,そして実践を重ねる 寺院等の 場 であったり,患者や家族,被災者,そして実践を重ねている宗 教者や他の専門職等の 人 であったりが 先生 になる。それぞれから教授 されたものをどう自分自身の中で咀嚼していくことができるかが, 教育プロ グラム の 実習 の中では核とされなければならない。だが,現場での空気 を自分の中に取り込み,自分の感性や感覚に繫げていく過程があまり整備され ておらず,現行プログラムにおいて脆弱な部分と捉えることができる。それを 補完するためには,グループワークによる自己と他者のダイナミクスを捉え,

それを自分の省察に繫げる過程をシームレスに組み込むことが必要となる。な ぜなら,対人援助の側面を強調する 臨床宗教師研修 においては,ケア対象 者とケア提供者との間に一定のダイナミクスが生じ,それこそが上下関係に走 らせず,心を寄せる専門職としての有り様に帰結するからである。

それでも2016年度よりあそかビハーラ病院での個別実習にあたる特別実習が 開始された。また,現時点では,常清の里においても特別実習が継続している。

全体実習として現場に足を踏み入れることが,単なる 見学 となってしまわ ないように肝に銘ずることはもちろん,個別実習としてその 場 に感性を磨

(18)

きながら身を置くことはまさに 研鑽 となっていくであろう。ここで大きな ポイントになるのは,ロールモデルの存在であろう。特別実習の二施設には,

それぞれ常駐する宗教者の存在がある。現場における指導者である宗教者から の個人指導により,利用者との関わりを踏まえての個人スーパービジョンに繫 げられることはかなり有益である。

また,全ての実習において提出を求める実習日誌の変化にも着目する必要が ある。実習日誌には,実習内容はもちろん,自分の課題,実習所感,そしてそ れらを踏まえた新たな課題を記載し,実習先担当者等と担当教員がコメントで 応答する。不思議なことに,研修生それぞれが一年という時間が流れる中で,

どんどん実習日誌の内容が深められていることを確認できた。最初の頃は,何 を書いて良いかが分からず, ただ 思うことや感じたこと等が中心であった が,回を重ねるごとに,自分自身への内省であったり,他者との関係からの気 づきであったりが深化していることに気づかされた。当然,研修生同士のやり 取りの中で,お互いの記載内容の確認があったにせよ,やはり 自己を見つめ る という作業を抜きにしてこの変容は起こり得ないのではないだろうか。

なお,本願寺新報2月10日号には,2019年1月17日に開かれたシンポジウム 臨床宗教師の挑戦 世界の悲しみと共に に関する記事が掲載され,研修生 5名が修了したことと,そのうちの一人,栁原遊さんの言葉を紹介している。

寄り添う とは何かを学びたいと思い受講した。実習を重ねる中で,苦し む人の立場には決してなれない,何もできない自分だということを知らされた。

しかし,そのことが逆に,相手の思いに触れていくきっかけとなった。寄り添 うとは, ただ,そばにいさせてください ということだと思う という言葉 を,研修での学びとしていた。これは,研修修了がハッピーエンドではなく,

これから 苦 に心を寄せていく始まりの宣言として捉えることができるので はないだろうか。

ソーシャル・ムーブメントとしての動きを止めることはできず,社会の要請 や整備されたものには迎合することが求められる。 臨床宗教師 という存在 が徐々に認知されてきているのもまたそのソーシャル・ムーブメントのおかげ であることを忘れてはならない。それらを真摯に受け止めると,現時点では,

拙稿(25)で示した 臨床宗教師 的 宗教者を目指すために, 臨床宗教師研修 を契機に研鑽を積み重ねていくことが非常に大切であり,その積み重ねの結果 が, ライセンス に繫がっていくとみる構図が自然な形ではないだろうか。

もちろん ライセンス に拘らないという道を選択しても 宗教的実践者 に

(19)

変わりはない。奇しくも,実践真宗学研究科が掲げる 宗教的実践者 と 愚 者の実践 が, 臨床宗教師研修 を通して,その目指すべき道を示している ようである。

おわりに

本稿では, 谷大学における 臨床宗教師研修 について考察を深めること を目的とした。筆者は,臨床現場における宗教者としての実践経験と,東北大 学で始められた 臨床宗教師研修 に帯同している経験をもち,それを比較検 討の材料として,昨年度一年間,担当させて頂いた 谷大学における 臨床宗 教師研修 を,臨床宗教師養成の 教育プログラム として踏まえ考察を進め た。少なくとも東北大学の教育プログラムと比較して,多岐にわたる現場を肌 で感じられる特筆すべき点をもつ。他方で,その肌で感じられた感覚を,自分 の 糧 ,すなわち現場感覚や宗教者としての感性に繫げられるような個人ス ーパービジョンや,グループダイナミクスを自分の成長に繫げていこうとする グループワークの機会が少なく,あまり整備されていないという残念な点を指 摘した。今後の展望として,せっかくの貴重な臨床現場において,経験できた ことを単なる 見学 として脆弱なものにしておくのではなく,自分で反芻で きる機会を増やすこと,そのためには同じ志をもつグループメンバーからの刺 激と,スーパーバイザーからの促しがさらに必要になってくるのではないか。

これは,単にその研修によって, 臨床宗教師 なる存在を付与されるという だけで終わるのではなく,そのような学びや気づきによって,日々,宗教者と してのアイデンティティを省察したり, 愚者 としての自分自身を自覚した りしながら研鑽を積み上げていくことに繫げられることを意味している。それ こそが宗教的実践者を目指すための道筋と思われるからである。まさに 愚者 の実践 は, 臨床宗教師研修 から学ぶべき重要なことではないだろうか。

参考文献

花岡尚樹(2017) 医療現場における僧侶の役割 谷大学大学院実践真宗学研究 科紀要 5,69‑80.

田宮仁(2007) ビハーラ の提唱と展開 淑徳大学総合福祉学部研究叢書 学 文社.

谷山洋三(2016) 医療者と宗教者のためのスピリチュアルケア 臨床宗教師の視 点から 中外医学社.

打本弘祐(2017) ビハーラの展開と ビハーラ僧> 世界仏教文化研究センター

(20)

応用部門 2016年度研究活動報告書> ,198‑211.

(1) 大学院科目として挙げられる当該研修は, 臨床宗教師総合実習 という科 目名でカリキュラムの中に登録されている。

(2) https://www.ryukoku.ac.jp/faculty/graduate/practical shin/about/

introduction.html参照。

(3) 鍋島直樹(2015) 臨床宗教師研修の目的と特色:東北大学大学院の協力に よる実践真宗学研究科 臨床宗教師研修 構想 真宗学 132,1‑26.

(4) 鍋島直樹(2016) ビハーラ活動と臨床宗教師研修の歴史と意義⎜親鸞の死 生観を基盤にして⎜ 日本佛教學會年報 81,18‑48.

(5) 詳しくは,鍋島直樹,前掲 (4)を参照されたい。

(6) https://www.ryukoku.ac.jp/faculty/graduate/practical shin/curricu- lum/rinsho.html参照。

(7) 前掲 (6)参照。

(8) 前掲 (6)参照。

臨床宗教師研修 履修カリキュラム(2年間)

①必修科目:次の5科目16単位を修得すること。

・ 臨床宗教師研修 に特化した講義

臨床宗教師総合実習 通年集中8単位2年次配当 グリーフケア論研究 半期2単位2年次配当

ビハーラ・スピリチュアルケア論研究 半期2単位2年次配当

・ 臨床宗教師研修 の基盤となる講義 実践真宗学研究 半期2単位1年次配当 真宗人間論研究 半期2単位1年次配当

②選択必修科目(推奨科目):次の10科目を推奨科目とし,2科目4単位以上を修 得すること。

真宗教義学研究 半期2単位1年次配当

現代宗教論研究 (宗教者間対話)半期2単位1年次配当 宗教心理学研究 半期2単位1年次配当

宗教教育学研究 半期2単位1年次配当 生命倫理論研究 半期2単位1年次配当

人権・平和論研究 半期2単位1年次配当(隔年開講)

カウンセリング論研究 半期2単位2年次配当 地域・寺院活動論研究 半期2単位2年次配当 臨床心理学研究 半期2単位1年次配当(隔年開講)

精神保健学研究 半期2単位1年次配当(隔年開講)

社会実践特殊研究 C (臨床宗教師教育)半期2単位2年次配当

(21)

(9) https://www.ryukoku.ac.jp/faculty/graduate/practical shin/curricu- lum/rinsho.html参照。

臨床宗教師研修スタッフ・協力者について 研修スタッフ

鍋島直樹( 谷大学文学部教授,臨床宗教師研修主任 宗教実践実習・演習Ⅲ 等)

森田敬史( 谷大学文学部教授,臨床宗教師研修副主任 社会実践演習Ⅰ・Ⅱ 等)

打本弘祐( 谷大学文学部准教授,臨床宗教師研修副主任 社会実践特殊研究 C)

黒川雅代子( 谷大学短期大学部教授,グリーフケア論研究)

研修協力者

那須英勝( 谷大学文学部教授,宗教実践演習Ⅰ・Ⅱ)

杉岡孝紀( 谷大学農学部教授,臨床宗教師研修東北被災地実習協力)

殿内 恒( 谷大学文学部教授,実践真宗学総合演習Ⅰ・Ⅱ,宗教実践特殊研 究A)

田畑正久( 谷大学客員教授,医師)

寺本知生( 谷大学文学部非常勤講師,現代宗教論研究,宗教間対話と交流)

中平了悟( 谷大学大学院非常勤講師,関西臨床宗教師会事務局長)

金澤 豊( 谷大学大学院実践真宗学研究科実習助手)

大学院協力者(アドバイザリーボード)

島薗 進(東京大学名誉教授,上智大学グリーフケア研究所所長,日本臨床宗 教師会会長)

高橋 原(東北大学大学院文学研究科教授,実践宗教学)

谷山洋三(東北大学大学院文学研究科准教授,臨床死生学,日本臨床宗教師会 事務局長)

医療福祉機関協力者

沼口 諭(医療法人徳養会 沼口医院理事長・医師)

大嶋健三郎(あそかビハーラ病院院長・緩和ケア医)

吉田厚子(あそかビハーラ病院看護課長・緩和ケア認定看護師)

花岡尚樹(あそかビハーラ病院院長補佐・認定臨床宗教師)

高橋 了(あそかビハーラ病院・ビハーラ僧)

松永徳成(あそかビハーラ病院・認定臨床宗教師)

鶴田元治(特別養護老人ホーム 常清の里施設長)

弘中信厚(橘保育園園長・橘デイサービスセンター長)

日本臨床宗教師会

金田諦應(カフェ・デ・モンク主宰,北海道東北臨床宗教師会会長)

髙橋悦堂(岡部医院認定臨床宗教師,曹洞宗僧侶)

田中至道(沼口医院認定臨床宗教師,浄土真宗本願寺派僧侶)

(22)

堀 靖史(中国地方臨床宗教師会・元 谷大学大学院実践真宗学研究科実習助 手)他

(10) 新潟県中越地区に位置する,医療法人崇徳会が運営する中規模私立病院(病 床数:240床・http://www.sutokukai.or.jp/nagaokanishi-hp/)。

(11) ビハーラ(Vihara)とは,古代インドにおいて仏教経典の記録等に使用さ れたサンスクリット語であり, 休養の場所,気晴らしをすること,僧院または 寺院 等の意味をもつ言葉であり, 仏教ホスピス という表現に替わる, 仏教 を背景としたターミナルケア施設の呼称 として,1985年に田宮仁師が提唱され た。

(12) 1992年, ビハーラの三つの理念 を掲げ,仏教を基盤にした看取りの場と して,長岡西病院開設と同時に開棟される(開設当初:22床 2018年3月現在:

32床)。翌1993年に緩和ケア病棟として全国第9番目に認可を受ける。 ビハーラ の三つの理念 とは,以下の通りである。

・限りある生命の,その限りの短さを知らされた人が,静かに自身を見つめ,

また見守られる場である。

・利用者本人の願いを軸に看取りと医療が行われる場である。そのために十分 な医療行為が可能な医療機関に直結している必要がある。

・願われた生命の尊さに気づかされた人が集う,仏教を基礎とした小さな共同 体である(ただし利用者本人やそのご家族がいかなる信仰をもたれていても 自由である)。

これまでのビハーラ病棟の変遷については,田宮(2007)を参照されたい。

(13) 当時,東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座主任教授であった鈴木 岩弓が 臨床宗教師 の動きについて,このように表現していた。東日本大震災 直後からの宗教者の動きが 臨床宗教師 に繫がる論考として,以下に詳述され ているので,参照されたい。鈴木岩弓(2016) 臨床宗教師 の誕生⎜公共空間 における宗教者のあり方⎜ ,磯前順一・川村覚文編 他者論的転回 宗教と公 共空間 ナカニシヤ書店.

(14) 森田敬史(2010) ビハーラ僧の実際 人間福祉学研究 第3巻第1号,19

‑30.

(15) 田宮仁(2007) ビハーラ の提唱と展開 淑徳大学総合福祉学部研究叢書 学文社.

(16) Cassidy, S.(1988) Sharing the Darkness Darton, Longman & Todd Ltd,61‑63.を参照されたい。

(17) 神庭重信(2014) 私の,うつ病の初期面接 臨床精神医学 43,453‑461.

(18) 水谷浩志(2018) 臨床宗教師の存在と共生の理念 共生文化研究 3,pp.

97‑113.

(19) http://www.spiritualcare.jp/qualification/policy/参照。

(20) 東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座(2013) 東北大学実践宗教 学寄附講座ニュースレター 3,p. 1.

(23)

(21) 宮崎はどのようにして,臨床宗教師の資格認定に 客観性 をもたせるかと いう関心を持ちながら,資格認定に向けての提言を北海道東北臨床宗教師会理事 会に提出し, 第三者 の指摘を行った。詳しくは,以下を参照されたい。宮崎 正美(2018) 宗教的人間学の可能性に向けて⎜臨床宗教師の存在を契機とした 神学的考察⎜ 仙台白百合女子大学紀要 22,1‑13.

(22) 森田敬史(2016) 医療現場に布置された 臨床宗教師 〜仏教者を対象に した調査からみえてきたもの〜 東北宗教学 12,45‑68.

(23) 修了生の内訳は,2014年度11名,2015年度14名,2016年度7名,2017年度13 名,2018年度5名である。

(24) 櫻井義秀(2015) 傾聴する仏教 宗教と社会貢献 5,29‑53.

(25) 森田敬史,前掲 (22)

キーワード 臨床宗教師 教育プログラム 宗教的実践者 愚者

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