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長 島 優

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Academic year: 2022

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(1)疑経 について. ﹁老 子 化 胡 経 ﹂ に つ い て. 第 一章. 一︑ 疑 経 の 成 立. 後漢 の明帝 の永平十 年 ( AD六七)頃中国 に仏教が. 長. 島. 二七 八. 優. り ︑ 翻 訳 さ れ た 経 典 も多 数 にな った た め に ︑ 訳 経 者 と. そ の年 代 を 明 ら か に す る 必 要 が あ る と し て ︑ 中 国 仏 教. に お け る 最 初 の経 典 目 録 と し て の ﹃綜 理 衆 経 目 録 ﹄ を. (四 四 五 〜 五 一八) が 編 纂 し. 編 纂 した ︒ 道安 の目録 そ のも のはす で に散佚 し てし ま って いる が ︑ 梁 の僧 祐. 外国僧法 学皆脆 而 口受同師所受若 十 二十転 以授後学. た ﹃出 三蔵 記 集 ﹄ の中 に 引 用 さ れ て お り ︑ ﹃綜 理 衆 経. 教義が漢 民族に理解され るに は︑経 典類 は漢 語に翻訳. 若有 一字 異者共相推校 得便擯之僧 法無縦也経 至晋土. 伝 わ った と 言 わ れ て い る ︒ 当 時 ︑儒 教 な ど 固有 の思 想. さ れ ね ば な ら な か った ︒ 中 国 仏 教 の初 期 に は安 世 高 ・. 其年未遠 而憙事者 以沙標金斌斌如 也而無括 正何以別. 目 録 ﹄ の内 容 を 窺 い知 る こと が で き る ︒ こ の ﹃綜 理衆. 竺 法 護 な ど が い て︑ 多 く の経 典 を 漢 語 に 翻 訳 し て いる. 真偽乎農 者禾草倶在 后稜為之嘆息 金匱 玉石同緘卞和. を 持 つ誇 り高 い漢 民族 の 中 に︑ 異 国 の宗 教 で あ る 仏 教. が ︑ そ の翻 訳 に あ た って は 達 意 的 な も のが 多 く あ った. 為之懐恥 安敢預学次 見浬清雑流龍 蛇並進豈 不恥之今. 経 目 録 ﹄ で道 安 は こ のよ う に 述 べ て いる ︒. こと は 当 然 で あ ろ う ︒. 列意謂非 仏経者如左 以示将来学 士共知 鄙信 焉. が 受 容 さ れ る のは た や す い こと で は な か った ︒ 仏 教 の. 東 晋 の道 安 (三 一二 〜 三 八 五 ) は ︑ 仏 教 が 中 国 に 伝 わ.

(2) (﹃出 三蔵 記 集 ﹄ 巻 五 "大 " と 省 略 ) 五 五巻. ﹁大 正 新 脩 大 蔵 経 ﹂ (以 下 三八頁b). こ の中 で道 安 は中 国 に仏 教 が 入 ってか ら 三 百 年 近 く経. 費長房. 挙げ る︒ 隋. 魏世衆 経目録. ﹃ 歴代 三宝紀集﹄. a 永 煕中舎人李廓 撰. 非真論 四部. 非真経 六十 二部. 齊 世衆経 目録. ち ︑ 漢 訳 経 典 も 類 似 の漢 人 撰 述 の経 典 も 相 当 の数 量 に. 法経等. 大乗衆 経疑惑. 八十部 一九 六巻. 二十 一部 三十巻. ﹃ 衆経 目録﹂ 巻 七. 衆経抄 録 一二七部 一三七巻. 人作録 五十 一部 一〇六巻. 武 平中沙門統 法上撰. 全非経 愚人妄稱 経十 一部. 隋. b. のぼ り ︑ 混 乱 し て いる 現 状 を 見 て ︑ これ ら を 整 理 し ︑ 真 経 ・疑 経 の 区 別を 判 然 と し ︑ 自 ら 仏 経 に あ ら ず と し た も のを 列 挙 し て い る ︒ こ こで 言 う 真 経 と は も ち ろ ん 漢 語 に 訳 さ れ た 仏 経 で あ り ︑疑 経 と は 中 国 人 が 撰 述 し た 経 典 を 指 す も の であ る ︒. 四) よ り ︑ 東 晋 の興 寧 二年 (三 六 四) ま で の約 二 百 年. 衆経偽 妄. 二十九部 三十 一巻. 経. の 間 に ︑ 仏 経 に 非 ず と し て 挙 げ た 疑 経 は ﹃昆 羅 三 昧. 小乗衆 経疑惑. 五十三部九 十 三巻. (一七 八 〜 一八. 経 ﹄・﹃善 王皇 帝 経 ﹄ な ど 二 十 六 部 三 十 巻 に 及 ん で る ︒. 衆経 偽妄. 道安 が ︑後 漢 の霊帝 の頃光 和年 間. 僧 祐 は ︑ さ ら に 二十部 二十 六巻 の疑 経 を 挙 げ ︑ 合 計 四. 一部 二巻. 中 国 仏 教 の最 盛 期 ︑ 玄 宗 の開 元十 八 年 ( 七 三〇)に︑. 律 大乗衆律偽妄. 二部 三巻. 二部十 一巻. 十 六 部 五十 六巻 の疑 経 のあ った こと を 確 認 し て いる ︒. 小乗衆律疑惑. 衆律 偽妄. 三部 三巻. 智 昇 に よ って 編 纂 さ れ た ﹃開 元 釈 教 録 ﹄ で ︑ ﹁ 疑妄 乱. 衆 律偽妄 論. 二七九. 真 ﹂ と し て挙 げ ら れ た 疑 経 は 三九 二部 一〇 七 四巻 に の ぼ る ︒ し かも これ ら は そ の 名 称 を 記 す る の み で あ る ︒. ﹂について. こ の外 にも 多 く 経 典 目 録 に 記 載 さ れ て いる の で 以 下 に. ﹁ 老 子 化胡 経.

(3) 衆 論偽妄. 小乗衆論疑惑. 衆 論偽妄. 大乗衆論疑惑. 二部十巻. 一部 一巻. 一部 一巻. 一部 一巻. ﹃ 衆経 目録﹄巻 一 二〇九部 九十巻. 静 泰等 ﹃ 大唐内 典録﹄巻 十. 二〇八部 四九 六巻. 衆経 目録巻 一. 合八 一〇部 一二八八巻. 疑偽. 唐. 偽妄乱 真. 三 九 二部 一〇 五 五巻. 二八 〇. 計 四 〇 六 部 一〇 七 四巻. 十 四部 十 九 巻. ﹃貞 元釈 教 目 録 ﹄ 巻 二十 八 疑惑再 詳. 三九 三 部 一四九 一巻. 圓照. 偽妄乱真. こ のよ う に大 量 の疑 経 が 隋 ・唐 の時 代 に 存 在 し て いる. のは ︑ 中 国 に お け る仏 教 受 容 の 手 段 と し て疑 経 が 製 作. さ れ た の は何 ら か の 別 の意 味 を 持 って いた の で あ ろ う か︒. 仏 教 は イ ンド あ る いは 西 戎 の宗 教 であ り ︑ そ の経 典. て の権 威 を 得 る が ︑ 中 国 人 が 撰 述 し た 経 典 は ︑ 仏 説 で. は 漢 語 に 訳 す る こ と に よ って 仏 説 と し ︑ ﹁ 真 経﹂ とし. 国 の経 典 目録 編 纂 者 の 共 通 の意 識 で あ った ︒ 一般 的 に. 一八 三部 三 三四巻 二 二 一部 二六三巻. 知 ら れ て い る よ う に ︑ イ ンド で の仏 教 は 仏 説 の名 に ふ. は な く 真 に乖 く も の で あ る と す る の が ︑ 道 安 以 来 の中. 大乗 別生経. 三四 一部 三四六巻. 誤 り 伝 え ら れ ︑ 仏 陀 の真 義 を 誤 解 す る も のが 多 く ︑ 弟. さ わ し い経 典 は 存 在 せ ず ︑ 口か ら 口 への誦 受 に よ って. 二 二八部 四 一九巻. ﹃ 大 周刊定衆経 目録﹄巻 十五. 偽経目録. さ れた︒. を 正 し ︑ 教 団 の統 一を 維 持 す る た め の結 集 が 数 回 実 施. 子 た ち が それ ぞ れ 誤 って聞 き 伝 え た 教 え を 整 理 し 異 説. 十四部十九巻. ﹃ 開 元釈教録﹄巻 十 八. 二 二部 二九巻. 智昇. 三階教籍. 明 ・等. 小乗 別生経. 歴代諸経支流 血陳化. 歴代所出疑偽 経論. 道宣. 別生. 疑経. 彦 ・等. 総計 一九六部 三八 二巻 隋. 唐 唐. 唐. 唐. 疑惑再詳.

(4) いず れ も ﹁ 仏 説 ﹂ と し て受 容 した の であ る ︒ 漢 民 族 の. 典 を ︑ イ ンド仏 教 の歴 史 的 発 展 と は 関 係 な く 捏 造 し ︑. た の であ る︑ 漢 訳 仏 典 は 中 国 への伝 道 者 が 信 奉 す る 経. イ ンド で は時 代 の変 遷 に つれ て新 し い経 典 が 生 ま れ. し た も の︑(4 特)定 の教 義 信 仰 を 鼓 吹 し た も の︑(5 現) 存. 批 判 し た も の ︑(3 中) 国伝統 思想と の調和や優劣を考慮. (1 主) 権 者 の意 に 副 お う と し た も の︑(2 主)権 者 の施 政 を. 脚 点 や 時 代 的 変 化 に よ って 一概 に は規 定 し 得 な い が ︑. こ の分 類 に よ れ ば 一般 的 に よ く 知 ら れ て いる ﹃父 母. した 特 定 の個 人 の名 を 標 し た も の︑(6 療)病 迎 福 な ど の. 恩 重 経 ﹄ ﹃善 悪 因 果 経 ﹄ な ど は(3 の) ﹁中 国 伝 統 思 想 と. 仏 教 思 想 家 の中 に は ︑ 自 説 を 主 張 し た いた め に 自 己 の. う と した ︒ これ が ﹁教 相 判 釈 ﹂ ﹁ 教判 ﹂ ﹁ 判 教 ﹂ と よば. の 調和 や 優 劣 を 考 慮 した も の﹂ に分 類 でき よう ︒ し か. た め の単 な る 迷 信 ・現 世 利 益 を 説 いた も の ︑ の 以 上 の. れ る も の であ る ︒ こ のよ う な 立 場 か ら ︑ 漢 語 に翻 訳さ. し︑ 疑 経 の中 に は 道 教 的 要 素 を 持 った も の があ る の で︑. 拠 る 経 典 を 中 心と し て︑ 他 の経 典 を そ の系 列 下 に置 こ. れた経典 が ﹁ 真 経 ﹂ と し て尊 重 さ れ た の に 対 し て ︑ 疑. 六 種 に分 類 で き よ う ︒﹂. 経 は中 国 人 に仏 教 を 理解 さ せ よ う と し て 生 ま れ た ︒ も. し い であ ろ う ︒. 牧 田諦 亮 氏 が 分 類 し て いる 方 法 で は 分 類 す る こ と は 難. う す る動 き が あ り ︑ そ れ によ って自 説 の権 威 を 高 め よ. これ を演 繹 し敷 術 し て作 製 さ れ た の であ る ︑ 保 守 的 な. と いう の が あ る ︒ こ の ﹃提 謂 波 利 経 ﹄ は ︑仏 陀 が 成 道. 在 家 信 者 のた め に 撰 述 さ れ た 疑 経 に ﹃提 謂波 利 経 ﹄. ち ろ ん 従 来 の漢 語 に翻 訳 さ れ た 経 典 を 拠 り ど こ ろ と し ︑. 仏 教 経 典 目録 編 纂 者 に は卑 下さ れ ︑ 排 除 さ れ て き た の であ る ︒. さ れ て か ら 七 日目 に ︑ 提 謂 と 波 利 と いう 二 人 の商 人 が. 五 百 人 の隊 商 を ひ き つれ て 釈 尊 に 食 を 捧 げ ︑ 釈 尊 が. も っと も 容 易 に︑ 二 人 に 三帰 五戒 を 授 け て清 信 士 と し. た イ ンド の経 典 の説 に 基 づ い て ︑ 在 家 信 者 の経 典 と し. 二︑ 仏教 の 道 教 的 要 素 の 受 容 こ のよ うな 多 く の疑 経 類 を 牧 田諦 亮 氏 は 六 つに 分 類. 二八 一. て 撰述 さ れ た の であ る ︒ こ の経 典 は今 日 で は 散 佚 し て. ﹂ に つい て. し て いる ︒ ﹁これ ら の数 多 く の疑 経 は ︑ そ の撰 述 の立. ﹁ 老 子 化 胡経.

(5) 経典 から内容を窺 い知る ことが できる︒ この ﹃ 提謂波. しま ったが︑ いく つか の経典 に引 用され ており︑そ の. を 整 え る 符 ﹂ な ど 多 岐 に 渡 って お り ︑ 仏 教 よ り 一層 現. 関 係 を 円 満 に 保 つ符 ﹂ や ﹁ 不安定 な精神 を癒し︑体 調. で はな く ︑ 例 え ば ﹁人 と の交 際 を ス ム ーズ に し ︑ 人 間. 二八二. 利経 ﹄を引用し て いる ﹃ 法華玄義 ﹄ のな かに このよう. 持 った 疑 経 は 牧 田諦 亮 氏 の分 類 の(3 と) (6 を)合 わ せ 持 つ. 世 利 益 的 色 彩 が 濃 く な って い る ︒ こ の道 教 的 要 素 を. 若言提謂説五戒 十善者彼経但 明五戒 不明十善唯是. よ う な 内 容 であ る と 言 え よ う ︒ だ か ら こ そ ︑ 私 は 牧 田. な記載 がある︒. 人教即非 天教縦 以此為人 天教 者諸経皆 明戒善亦応. ま た こ の疑 経 か ら ︑ 年 三 長 ︑ 月 齊 日な ど ︑ 当 時 の社. 諦 亮 氏 の 分 類 の七 番 目 に ﹁(道 7教 )的 要 素 を 持 って い る. 会 で行 な わ れ て いた 道 教 的 迷 信 や 法 会 の盛 行 な ど も 見. 是人天教耶 又彼経 云五戒為諸 仏之母欲求 仏道読是. 服不死之薬持長楽 之印長生符者 即 三乗法 是長楽印. も の﹂ を 付 け 加 え る べ き であ ろう と 考 え る ︒. 者 即泥垣道是 云何 独言是人 天教 耶 又云五戒 天地之. る こと が で き る ︒ 同 時 代 の昭 玄 統 雲 曜 が こ の疑 経 を 禁. 経 欲求阿羅漢読 是経又 云欲得 不死地当 侃長生之符. 根衆 霊之源天持 之和陰陽地持 之万物生 万物 之母 万. 止 す る ど こ ろ か ︑ む しろ 黙 認 し︑ これ を 帝 都 に お け る. る 疑 経 を 製 作 す る こと は仏 教 側 に と って は 不 本 意 で は. 仏 教 復 興 の 一方 法 と した ︒ す な わ ち ︑ 道 教 的 要 素 のあ. 神 之父大道之 元泥垣之本 ( ﹃ 法 華玄義﹄巻 十上 八〇 三 c〜 八〇四 a). あ る が も っと も 有 効 な 手 段 と し て 認 め て いた の であ る ︒. 大 三三. この中 で︑仏教 ではあ まり使われな い ﹁ 長生 之符 ﹂や. に 普 及 す るた め に 利 用 した の であ る ︒. 道 教 的 要 素 を 取 り 入 れ る こ と に よ って仏 教 を 中 国 全 土. ﹁ 不死之薬 ﹂ ﹁ 長楽 之印﹂ が出 てく るが︑ これら は道 教 の方術 で︑道教経典 の中 ではよく使 われる ことば で ある︒ こ の中で使われ ている ﹁ 符﹂ は仏教 でいう お札 と同様 に現世利益的色彩 の濃 いも のであるが︑た だ仏 教と違う のは道教 の符 は家 内安全や 無病息災な どだけ.

(6) 第 二章. ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ に つ い て. 一︑ 化 胡 説 に つ い て ﹁化 胡 ﹂ と いう のは 老 子 が イ ン ド に行 って 釈 尊 と な. こ の ﹃魏 略 ﹄ の ﹁ 西 戎 伝 ﹂ は 現 存 史 料 のな か で老 子 化. ( 衲六. 四 八 三). 襄 楷 伝 の中 に ︑. 胡 説 を 記 す 最 古 の資 料 で あ る ︒ これ に つ い で 范 曄 の ﹃後 漢 書 ﹄ 列 伝 第 二十 下 老子入夷 秋為浮屠. とあり︑唐 の章懐太 子 の注 に. 或聞言 当時言也老 子西入夷秋始為浮 屠之化. とあ る ︒ま た ﹃三国志 ﹄魏 書 ﹁ 烏丸 鮮卑 東 夷伝 巻 三. り道 教 を イ ン ド に 広 め た と いう 意 味 であ る︒ 老 子 が 西 域 へ行 った と いう 記 載 は 古 く は 司 馬 遷 の ﹃史 記 ﹄ 列 伝. 有 二十 九不能詳載故 略之如此. と記載さ れ ている︒. ( 衲八. 四 二六 頁 ). 以為老 子西出関過 西域之 天竺教胡浮 屠属弟子別號 合. 十﹂ の斐 松之 ( 三七二〜 四五 二) の注 に は 彊為我著書. 第 一巻 老 子伝 に. 関令 サ喜 日子将隠. 廼著 書上 下篇 言道 徳 之意 五千餘 言而去莫. 周之衰 廼遂去 至関 於是老 子 知其所終 (﹃百 衲 本 二十 四史 ﹄ (以 下 "柄 " と 省 略 ). と 西 の方 へ行 って し ま った と 思 わ れ て いた が ︑ ﹃後 漢. 以上 か ら 司 馬 遷 の いた 前 漢 の こ ろ は 老 子 はた だ 漠 然. と あ る︒ 司馬 遷 の時 代 で は ︑ 老 子 は 西 域 へ行 った と し. 書 ﹄ や 斐 松 之 が ﹃三 国 志 ﹄ の注 を 書 いた 当 時 に は 老 子. 七 二 一頁 ). か 思 わ れ て いな か った の で あ る ︒ で は い つ頃 か ら こ の. は 西域 に 行 き イ ンド に 入 って仏 とな った と 考 え ら れ て. 二. よ う な ﹁老 子 化 胡 ﹂ 説 が 生 ま れ た ので あ ろ う か ︒ 老 子. 二 八三. こ の ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ は いく つか の経 典 目録 に 名 前 だ. ﹁化 胡 ﹂ 説 と な った の は後 漢 か ら 宋 の間 と考 え ら れ る ︒. いた ︒ つま り 老 子 が 西 域 へ行 った と いう 考 え は 後 漢 以. 老 子西出. 化胡説 は ﹃ 魏 略 ﹄ の ﹁西戎 伝 ﹂ で ︑ 次 のよ う に述 べら. 蓋以為. 前 に す で に あ った も のだ が ︑ これ が 仏 教 と 結 び つき. ﹂ に つい て. 過西域之 天竺教 胡. 與中 国老子経相出 入. れ て いる ︒. 関. 浮 屠所載. ﹁ 老 子 化 胡経.

(7) る に ﹃歴 代 三 宝 紀 ﹄ な ど の経 録 で は ﹃菩 薩 逝 経 ﹄ ﹃菩. 二八 四. け は 記 載 さ れ て いる が ︑ 経 典 自 体 の存 在 は 確 認さ れ て. の訳 経 を 行 って い るが これ ら を す べ て吊 遠 の 訳 出 と す. 薩 修 行 経 ﹄ ﹃仏 般 泥 垣 経 ﹄ ﹃賢 者 五福 経 ﹄ 以 下 二十 余 部. る こと は 無 理 であ ろ う ︒ ち な み に こ こに あ げ た 五 つの. いな か った ︒ と ころ が 一九 〇 七 年 に ア ジ ア探 検 に行 っ. の 中 の漢 訳仏 典 の中 に断 片 で は あ る が ﹃老 子 化 胡経 ﹄. 経 に つい て は ︑ 現 在 で は 大 藏 経 の中 で は 帛 遠 訳 と さ れ. た ペ リ オ 博 士 が 敦 煌 で多 数 の文 献 を 発 見 し て お り ︑ そ. が含 ま れ て いた ︒ こ の お かげ で断 片 的 で は あ る が ﹃老. て いる ︒. 昔. 又見. 死而更蘇 云見祖 法師在閻. 王講首楞嚴 経云. 姓李名 通. 公次被鎖械. 講竟應 往切利 天. 羅王處為. 一云道士基. 乃作老. 孫綽道. 三 二九b). 殃有所帰故 死方思悔. 求祖 俄悔. 祭酒王浮. 浮屡 屈既瞋 不自 忍 子化胡経 以誣謗仏法. 祖平素之與 浮毎争邪 正. 後少時有 一人. 梁 の慧皎 の ﹃ 高僧伝﹄巻 二の帛遠伝 に. b︑ 王浮 に ついて. 子 化 胡 経 ﹄ の内 容 を 窺 い知 る こと が で き る ︒ こ の経 典 は 現在 西 晋 の 王浮 に よ って作 ら れ た と いう こ. 河南省 沁. とはよく知ら れると ころである︒ ところが︑制作者 の 名 前 は 一切 記載 さ れ て いな い︒. 二︑ 帛 遠 と 王 浮 に つい て a︑ 帛 遠 に つ い て 帛 遠 の字 は法 祖 ︑ 姓 は萬 氏 ︑ 河 内 (現 在. ( 大 五十 とある︒. 賢論 以法 祖匹稽康. 逮 ﹄ ﹃弟 子 本 ﹄ ﹃五 部 僧 ﹄ な ど の 三部 の 経 典 を 訳 し ︑さ. また︑ この帛 遠伝 に ついて興味深 い資 料があ る︒. 陽 県 ) の 人 で あ った ︒ 帛 遠 は 胡 漢 の 言 語 に 通 じ て ﹃惟. ら に ﹃首 榜 嚴 経 ﹄ を 注 釈 し ︑ そ の 他 に 数 部 の 小 経 が. 又. 見祖法師在. 後少時. 王講首楞嚴 経 云 講竟 應往切利 天. 死 而更蘇 云. あ った と いう が ︑ は っき り し な い︒ 道 安 の ﹃綜 理衆 経. 閻羅王處為. 有 一人姓李名 通. 目 録 ﹄ に は そ の名 を 出 し て いな い︒ 僧 祐 は ﹃惟 逮 菩 薩. 二云道士基 公. 求祖 懺悔. 見祭酒 王浮. 次被鎖 械 経 ﹄ 一部 を あ げ て︑ 恵 帝 の代 の訳 出 と し て い る ︒ し か.

(8) 乃作 老 子 化 胡 經 以 誣 謗 仏 法. 昔祖 平素 之日與浮毎争 邪正 殃有 所帰. 浮 屡屈. 以 法 祖 疋稽 康. 既 意 不自 忍 故 死方 思 悔. く 理解 し て いた も の で あ る ︒ そ の経 典 を 地 獄 に お い て. 講 義 し て お り 講 じ 終 わ れば 三 十 三天 の 一つであ る仞 利. 天 に 上 る のだ と いう ︒ こ の奇 怪 な 蘇 生 し た 李 通 の 伝 え. こ の資 料 は ︑ 僧 祐 の ﹃出 三 蔵 記 集 ﹄ 巻 十 五 の法 祖 法 師. を つかさ ど る 長 官 の呼 称 で あ り ︑ 漢 代 に は博 士 祭 酒 が. 王 浮 は 一名 道 士 基 公 と も 言 った ら し い︒ 祭 酒 と は 学 制. 語 って いる ︒ こ で祭 酒 と し て の王 浮 の名 が あ ら わ れ る ︒. 孫綽道 賢論. 伝 であ る ︒ 梁 の慧 皎 の ﹃高 僧 伝 ﹄ 巻 一の ﹁ 帛遠伝﹂ は︑. あ り ︑ 晋 代 に は 国 子 祭 酒 が 置 か れ た ︒ 祭 酒 と いう 名 称. た 話 を の せ た 後 で ︑ 王 浮 の ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ の製 作 を. ﹃高 僧 伝 ﹄ よ り も 古 い僧 祐 の ﹃出 三 蔵 記 集 ﹄ の法 祖 法. 一〇 七 b 〜 c). 師 伝 を 踏 襲 し て い る と い え よ う ︒ ﹃出 三 蔵 記 集 ﹄ も そ. は 当 時 の 官 名 で あ った が ︑ 道 教 に お い て は 五 斗 米 道. ( 大 五五. れ を う け た ﹃高 僧 伝 ﹄ も 帛 遠 伝 の な か で道 士 の 王浮 が. ﹃謗 じ 終 わ れ ば ︑ 切 利 天 に 往 く で あ ろ う ﹄ と ︒﹂ と. に ﹃首 楞 嚴 経 ﹄ を 講 じ る のを 見 た ︒ 祖 法 師 は言 った ︒. る や ﹁祖 法 師 ( 帛 遠 ) は 閻 羅 王 の処 に いた ︒ 王 の た め. 通 と いう 人 は 一旦 死 ん だ が ふ た た び 蘇 生 した ︒ 蘇 生 す. 事 の後 に李 通と いう 人 の奇 怪 な 物 語 を 伝 え て い る ︒李. 斬 ら れ ︑ 帛 遠 を讒 言 した 管 蕃 も 死 ん で い った と いう 記. 帛 遠 が 張 輔 に よ って殺 害 さ れ ︑ さ ら に つづ い て張 輔 も. 要な 役 割 を し め て いた こと に はか わ り な い︒李 通 が 地. 酒 で あ った と し ても ︑ そ れ は 初 期 の道 教 教 団 の 中 で重. 明 ら か であ る ︒ こ の 王浮 が 都 講 祭 酒 で はな く 単 な る 祭. う に ︑ 祭 酒 と いう 名 称 は 重 要 な 役 割 を 果 た した こと は. さ せ た 祭 酒 は 別 に都 講 祭 酒 と いう 名 称 が 用 いら れ た よ. 的 役 割 を 担 った も の であ る ︒ 祭 酒 の中 で 五千 文 を 都 習. の鬼 卒 ︑ 鬼 民 ︑ 鬼 使 な ど を 監 督 し指 導 す る教 団 の中 心. い始 め た の で は な い か と いわ れ て いる ︒ 祭 酒 は初 心 者. ( 現 在 の天 師 道 ) の 三 張 の 一人 ︑ 張 衡 が こ の呼 称 を 用. 人 々 に 語 った の であ った ︒ 帛 遠 は 地 獄 の 王 であ る 閻魔. り と縛 ら れ た ま ま ︑ 帛 遠 に 対 し て罪 を 懺 悔 し て いる 姿. 獄 で 見 た 光 景 は ︑ こ の 祭 酒 王 浮 が 鎖 械 で 手脚 を し っか. ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ を 製 作 し た 因 縁 を 述 べ て いる ︒ それ は ︑. 王 に ﹃首 楞 嚴 経 ﹄ を 講 じ て いた と いう の で あ る ︒ ﹃首. 二 八五. 楞 嚴 経 ﹄ は帛 遠 が 注 し た 経 典 で あ り ︑ 彼 が も っと も よ. ﹁老 子化 胡 経 ﹂ に つ いて.

(9) が れ て刑 罰 に 服 し て いる の であ った と いう ︒ 禍 の報 い. し た 王 浮 は そ の禍 を 死 ん だ 後 に受 け た た め 鎖 械 に つな. ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ を 作 って仏 教 を 誹 謗 し た ︒ 仏 教 を 誹 謗. 服 さ せ ら れ て いた ︒ そ こ で つい に 我 慢 でき な く な り ︑. 道 教 と の 邪 正 を 争 い︑ 王 浮 は しば し ば 議 論 に お い て 屈. な ら な か った のか ︑ そ れ は 帛 遠 と 王 浮 と は常 に 仏 教 と. で あ った ︒ な ぜ ︑ 王浮 が 帛 遠 に 対 し て懺 悔 し な け れ ば. 沙 門 と いえ ど も 殺 さ れ る の はや む を 得 な いが ︑ 還 俗 を. 国 家 権 力 に 反 抗 した と か ︑ 謀 反 を 企 てた と いう な ら ば. 承 諾 しな か った 程 度 で 沙 門 を 殺 害 す る の で あ ろ う か ︒. し な か った と いう 理由 で殺 さ れ て いる ︒ 一体 ︑ 還 俗 を. 秦 州 刺 史 張 輔 に ︑ 帛 法 祚 は梁 州刺 史 張 光 に 還 俗 を 承 諾. 帛 遠 と 帛 法 祚 の 兄弟 の 死 に方 は 異 常 であ る ︒ 帛 遠 は. 生 存 中 の事 件 と し て 記 載 した に ち が いな いか ら であ る ︒. 李 通 な る 人 物 が 地 獄 で 見 た 状 況 と し て記 す は ず が な く ︑. 二 八六. を 受 け た 王 浮 は 死 ん で か ら 帛 遠 の件 に つい て 後 悔 した. れ る ︒ 帛 遠 は 閻 羅 王 に ﹃首 楞 嚴 經 ﹄ を 講 じ ︑切 利 天 に. を 恨 み︑ つ いに 張 輔 に 讒 言 し た 人 であ る ︒ 帛 遠 は 管 蕃. 象 と した 管 蕃 の こ と で あ る ︒ 管 蕃 は 論 争 に 負 け て これ. こ こ で問 題 と な る のは 帛 遠 が 生 前 ︑ し ば しば 論争 の対. 応 じ な いた め に殺 さ れ た と は ど う いう こ と で あ ろ う か ︒. 上 る こと が でき た の に 対 し て ︑論 争 者 であ った 道 士 の. と も 王浮 と も議 論 を し た こと に な る ︒ 一体 そ れ は 何 を. こ の李 通 が 冥 界 で 見 た と いう 説 話 は 興 味 深 く 感 じら. と いう の であ る︒. 王 浮 は鎖 械 で縛 ら れ ︑ 地 獄 の苦 し み を 受 け ︑帛 遠 に対. 議 論 した の か ︒ お そ ら く は宗 教 上 の信 仰 や ︑ 教 理 の内. 祚 の 兄弟 は純 粋 な 仏 教 徒 であ った のに 対 し て︑ 王 浮 は. し て罪 を 懺 悔 した ︒ そ の罪 と は仏 教 を 誹 謗 し た ﹃老 子. 王 浮 が ﹃老 子化 胡 経 ﹄ を 製 作 した と いう 資 料 は 仏 教. 道 士 であ り ︑管 蕃 も ま た 道 教 の 信 奉 者 であ った の で は. 容 に つ いて議 論 を し た の で はな か ろ う か ︒ 帛 遠 と 帛 法. 側 の文 献 に の みあ り ︑道 教 側 の資 料 に は全 く 記 載 す る. な か ろう か ︒ つま り ︑ 帛 遠 や 帛 法 祚 が 殺 害 さ れ た の は. 化 胡 経 ﹄ を 製 作 した も の であ ると いう ︒. と ころ が な い︒ 王浮 と いう 道 士 が存 在 した か ど う か も. 道 士 の讒 言 に よ った も の で はな い であ ろ う か ︒. ﹃出 三 蔵 記 集 ﹄ や ﹃高 僧 伝 ﹄ が 何 故 に管 蕃 の こと や ︑. は っき り し な い︒ 帛 遠 と 王 浮 が論 争 し た と いう 帛 遠 伝 の記 事 も 事 実 で はな いと 思 わ れ る ︒ も し事 実 で あ れ ば.

(10) ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ を 作 った道 士 王 浮 の こと を こ の帛 遠 伝. を せ ま った の は ︑ 夷 秋 の教 え であ る 仏 教 を 捨 てさ せ ︑. の道 教 の信 奉 者 であ った か も 知 れ な い ︒ 帛 法 祚 に 還 俗. 帛 遠 伝 の中 で 道 士 王浮 が ﹃老 子化 胡 経 ﹄ を 作 って 仏. に 載 せ た のか ︑ そ れ は こ のよ う に考 え る な ら ば ご く 自. の関 係 が ま った く か え り み ら れ な か った ︒ ど う し ても. 教 を 誹 謗 した 罪 を 懺 悔 し た と いう 冥 界 の説 話 は ︑ じ つ. 中 華 の宗教 であ る道 教 に帰 せ しめ るた めだ け ではな. 王 浮 の ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ の製 作 を こ の帛 遠 伝 に 収 載 す る. は 歴 史 的 事 実 と し て存 在 し た の で は な い であ ろ う か ︒. 然 に 理 解 で き よ う ︒ 従 来 は た だ 王浮 が ﹃老 子 化 胡 経 ﹄. 必 要 が あ った の であ る ︒ あ え て推 察 を 加 え れ ば ︑ 帛 遠. も ち ろ ん 道 士 王 浮 が 実 在 の 人物 であ った と し て で あ る ︒. か った の で はな か ろ う か ︒. を 殺 した 張 輔 ︑ 兄 の帛 法 祚 を 殺 し た 張 光 は道 教 に 対 し. 帛 遠 や 帛 法 祚 が 活 躍 し て いた 西晋 末 に は ︑ 道 教 の勢 力. を 製 作 し た と いう 記 事 のみ 着 目 し︑ 具 体 的 に帛 遠 伝 と. て好 意 を 抱 い て いた の では な か ろ う か ︒ 張 光 は 漢 中 を. 時. ﹃三 洞珠 嚢 ﹄ 巻 九 の ﹁ 老 子 化 西 胡 品 ﹂ のな か に 収 録 さ. き な いが ︑ 吉 岡義 豊 氏 に よ れ ば ︑ 唐 の道 士 ︑ 王 懸 河 の. 王浮 が 作 った ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ の内 容 を 知 る こと は で. 経 ﹄ な る も のを 捏 造 し た の で は な い であ ろう か ︒. ら 流 布 し て いた 老 子 化 胡 説 を 取 り 立 て て ﹃老 子 化 胡. が 急 速 に発 展 し︑ 仏 教 に 対 峙 す る勢 力 にな って いた ︒. 声 絶 而卒. 不能翦除冠賊. 佐吏 及百姓咸勧. 征 圧 し よ う と し た が ︑ か え って賊 に か こま れ て死 ん だ. 憤激 成疾. そ こ で︑ 隴 西 ・関 中 の地 域 で は ︑ 一般 社 会 に後 漢 代 か. 自 夏迄冬. の であ る ︒ そ の時 ︑ 剣 を 撫 で な が ら ︑ 光 嬰城固守. 吾受国厚恩 何 得退蛙還也. 光 按剣 日. 列伝第 二十七張光伝. 遠 近傷 惜 之. 便 如登仙. 光 退拠魏興 今 得自 死 年 五 十 百姓 悲 泣 (﹃晋 書 ﹄ 巻 五 十 七. れ て い る 二種 の ﹃化 胡 経 ﹄︑ す な わ ち ﹃鬼 谷 先 生 撰 文. 始 先 生 尤 上 真 人 関 令 内 伝 ﹄ (﹃文 始 内 伝 ﹄) お よ び ﹃三. 四 一六 頁 ). と 言 い終 わ るや ︑ 声 絶 え て没 した の で あ った ︒ こ の 張. 洞珠 嚢 ﹄ に 記載 さ れ て いる ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ の内 容 か ら. 衲九. 光 の遺 言 のな か に ﹁ 便 ち 登 仙 す るが 如 し ﹂ と あ る の は. 二八七. そ の原 型 を 推 定 す る こ と が 可 能 であ る と いう ︒. ﹂ に つい て. 神 仙 にな る こ と であ り ︑ 張 光 は神 仙道 か あ る いは 初 期. ﹁ 老 子 化 胡経.

(11) の ﹁ 老 子銘 ﹂ に お い て老 子 の神 化 や 得 道 が 説 かれ ︑ つ. ﹃史 記 ﹄ の老 子 伝 に発 す る 老 子化 胡 説 の成 立 は 辺 韶. が よ いが ︑ 王 浮 の ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ は 仏 教 を 誹謗 す る 内. 老 子 化 胡 説 は 仏 教 徒 に と って も 仏 教 宣 布 の た め に 都 合. 張 す るた め に ﹃老 子化 胡 経 ﹄ を製 作 す る に いた った ︒. 二八八. い に襄 楷 の上 疏 の中 に お い て ︑ ﹁老 子 が 夷 狄 に 入 って. 容 を 持 って いた の であ る ︒ だ か ら こそ 帛 遠 伝 の冥 界 の. 教 胡王為浮図 以矯俗乎. 比則. 五 二 二b ) 老子 五 三 四 c). 桑門図経. ( 大 五五 並日 大 五五. ﹃老 子化 胡 経 ﹄ は︑ 一般 的 に は ︑ 西 晋 の時 代 に 道 士. 三︑ ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ の成 立 年 代 に つ い て. た の であ る︒. 説 話 のよ う に 王 浮 が 帛 遠 に 懺 悔 し な け れ ば な ら な か っ. 浮 屠 と な った ﹂ と い う 老 子 化 胡 説 が 成 立 し ︑ さ ら に. 老 子出関 入天竺国. ﹃辮 正論 ﹄ に 引 用 さ れ た 皇 甫 謐 の ﹃高 士 伝 ﹄ に お い て︑ 皇甫謐 云. 皇甫誼高 士伝. 何為 浪談前後. 魏書 外国伝 (﹃辮 正論 ﹄ 巻 六. 老 之 與 仏 二時 人 也. 所作. 化 図 ﹄ の第 四 十 化 の図 に 老 子 が 釈 尊 に な った と ころ を. 老 子 化 胡 説 に つい て は清 時 代 に作 ら れ た ﹃老 子 八 十 一. 王 浮 が 偽 作 し た も の であ り ︑ 元 の 時 代 にな って禁 断 に. 老 子 化 胡 説 は仏 教 が 中 国 に 流 入す る た め に は非 常 に. あ ら わ し て いる こと か ら も ︑ 清 朝 時 代 ま で 老 子 化 胡 説. と 発 展 し (二 八 〇 年 頃 )︑ こ の老 子 化 胡 説 に も と づ い. 都 合 のよ い説 で あ り ︑ ﹁ 仏 教 の教 え は も と を さ か のぼ. が 残 って いた と 思 わ れ る ︒ さ て ︑ こ の ﹃老 子 化 胡 経 ﹄. 遭 って そ の迹 を 全 く 世 か ら 絶 った と いわ れ て いる が ︑. れ ば ︑ 中 国 の老 子 に 発 す る のだ ﹂ と いう こと にな れ ば ︑. を め ぐ る論 難 は ︑ 六 朝 末 か ら 唐 初 に か け て僧 徒 の間 に. て 王浮 の ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ が 成 立 した と 考 え ら れ る ︒. 仏 教 を 中 国 人 に宣 布 す る の に 有 利 と な る た め 初 期 の仏. は 頻 繁 に 見ら れ る よう で ︑ 北 周 の ﹃笑 道 論 ﹄ に は 特 に. 著 し い ︒唐 初 の ﹃破 邪論 ﹄ や ﹃辮 正 論 ﹄ を 初 め と し て︑. し か し 王 浮 の ﹃老 子 化 胡 經 ﹄ で は︑ 老 子 化 胡 説 に 説 か れ た 老 子 が 天竺 に 入 って 浮 屠 と な った と いう 説 を 老 子. 道 宣 の ﹃集 古 今 仏 道 論 衡 ﹄ が そ れ であ り ︑ ﹃甄 正 論 ﹄. 教 徒 が これ に 同 調 し た こ と は 十 分 あ り 得 る こと で あ る ︒. が 仏 陀 よ り も 優 位 性 にあ る と 解 釈 し ︑ 道 教 の優 位 を 主.

(12) た いす る ︒ 一方 ︑ ﹃老 子 化 胡 經 ﹄ の禁 断 も 化 胡 説 の 内. 五 十 四巻 や 下 って は 元 の 詳 遇 の ﹃辮 偽 録 ﹄ が 注 目 に あ. も ほぼ 同 様 であ る ︒ ま た 南 宋 の志 磐 の ﹃仏 祖 統 紀 ﹄ 巻. 二宗 門 ⁝摩 尼 之 後. 摩尼. 玉界蘇隣国中降誕 王室. 百五十余年. 号末. 飛 入西那. 捨家 入道. 乃 至 三際 及. 仁祠. 我法当 盛. 同帰於我. 金気将 興. 三教 混 斎. 一二六 七 b ). こ の中 で ﹁ 襄 王之 時 ﹂ と ﹁四 百 五 十 余 年 ﹂ と あ る のは ︑. (﹃老 子 化 胡 経 ﹄ 大 五 四. 接 棟 連 甍 ⁝ 是 名 総 掻 二切 法 門. 黄白 気合. 年垂五 九. 定 慧等法. 示為 太子. 我乗自 然光明道気 従真寂境. 容 を 多 分 にも って い る他 の道 典 と 土ハに いろ い ろ と 行 な. ⁝当此之時. 説経誡律. わ れ てお り ︑ 唐 に 入 って は 特 に著 し い︒ 総 章 元 年 ( 六. 転大法輪. 六 八 ) の焼 却 や ︑ 神 龍 元 年 ( 七 〇 五) の厳 禁 な ど であ. 精舎. る ︒ も し ﹃仏 道 論 衡 ﹄ に 見 え る静 泰 の言 葉 を 信 じ れ ば ︑ ﹁貞 観 之 際 ﹂ に 早く も焼 却 さ れ て いた よ う で あ る ︒. 国 に 入 った と いう こと から 推 測 す る と ︑ それ は 晋 の武. 羅 氏 に よれ ば ﹁ 漢 の高 后 の 二 年 乙亥 の こと であ る ﹂ と. 帝 の 泰 始 元 年 乙 酉 の こ と で あ り ︑ し た が って マ ニ教 は. ﹃老 子化 胡 経 ﹄ は ヽ ペ リ オ 博 士 の手 に よ る敦 煌 発 掘. は知 ら れ て いる ︒ こ の いわ ゆ る敦 煌 の残 巻 に つい て は ︑. 確 か に 司 馬 の世 ︑ す な わ ち 晋 の時 代 に 伝 わ って いる ︑. いう のであ る ︒ そ し て︑ ﹁四百 五 十 余 年 ﹂ (こ の数 字 は. 宣 統 の初 年 に 書 か れ た ﹃老 子化 胡 孜 ﹄ が あ り ︑ そ れ に. と いう 論 に ま で発 展 す る ︒ 一方 ︑ ﹃化 胡 経 補 攷 ﹄ に お. の書 の中 に ︑全 十巻 の中 の第 一巻 ・第 十 巻 の 首 尾 両 巻. 対 す る 羅 振 玉 の ﹃補 攷 ﹄ が あ る ︒ 共 に 敦 煌 遺 書 に 収. いて は ︑ 元 代 の禁 断 の 化 胡 経 は ︑ そ の名 を ﹃老 子 化 胡. ﹁ 年 垂 五 九 ﹂ を 指 す の であ ろ う ) に し て︑ こ の教 が 中. ま って いる ︒蒋 繊 氏 は 同 じ敦 煌 遺 書 に収 め てあ る 摩 尼. 成 仏 経 ﹄ と い って い る と ころ か ら 考 え る と ︑ 現 在 の敦. が 見出 さ れ る に 至 って︑ 敦 煌 遺 書 の名 の 下 に そ の片 鱗. 一に つ い て論 及 し て いる ︒ そ こに 見 る こと の でき る 次. 経 の跋 を 使 って︑ 現 存 の ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ 残巻 の序 説 第. 教 化天人 ⁝後経 四. 二 八九. こ の残 巻 に つい て は 常盤 大 定 博 士 の研 究 が あ る ︒ 博. ﹃化 胡 経 ﹄ では な い ので あ ろ う と いう の で あ る ︒. 煌 の 残 巻 と は 別 の も の であ り ︑ す な わ ち 後 世 禁 断 の. 我 還中国. の思 想 は ︑ マ ニ教 伝 来 以 後 の も の でな く ては な ら な い︑. 其 歳 乙酉. と推 定 し て いる ︒ 襄 王之時. ﹁ 老 子 化胡 経 ﹂ に つい て.

(13) 士は ﹁ 序 説 第 一の中 に 見 え る 拘. 那 掲 羅 王︑ 室 羅 伐 王 ︑. 二九 〇. いる も のが あ り ︑ それ は ︑ や が て ま た ︑ 問 題 の マ ニ教. ﹃老 子化 胡経 ﹄ が 一巻 であ った ら し い理 由 は ︑ 北 宋 の. 唐 代 に は ﹃明威 化 胡 経 ﹄ と も 呼 ば れ た と 考 え ら れ る ︒. ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ は最 初 は 一巻 で あ った の であ ろ う ︒. 四︑ 王 浮 の ﹃老 子 化胡 経 ﹄ に つ い て. 伝 来 以 後 の も の であ る こと を 示 し て いる ︑ と いう のが. 三 摩 咀叱 王 な ど の名 は ︑ 玄 漿 渡 天 以 後 の資 料 を 採 って. そ の主 旨 で あ る ︒ 唐 代 以 前 のも の で無 い︑ と す る な ら. 文 有 一巻. (大 五 二. 五 八 三b ). 神 智 従 義 の ﹃三大 部 補 注 ﹄巻 十 三巻 止 観 補 行 の部 に︑ 化胡経. ば ︑ 今 の残 巻 の由 来 を 考 え て見 る 必 要 が あ り ︑ ま た ︑ マ ニ教 思 想 が ︑ 何 故 に道 教 の経 典 の中 に 入 り 込 ん で い. 後 人 添 成 十 二巻. 晋時道士王符 所撰. る か ︑ も 同 時 に検 討 す べき で あ ろ う ︒ ( 常盤 大定博 士. な る と ︑ そ こに は ﹁西 昇 ﹂ の 二字 は 見 え な い︒ 巻 末 に. 昇 化 胡 経 序 説 第 一﹂ と な って い る の で あ る ︒ 第 十巻 に. ﹁老 子化 胡 経 ﹂ と 題 しな が ら ︑ そ の内 題 に は ﹁老 子 西. 肯 し 難 いと ころ が 見 え る よ う であ る ︒ す な わ ち 巻 首 に. 敦 煌 の残 巻 は ︑ 元来 ︑ 外 形 の上 から 考 え ても 甚 だ 首. い た と 思 わ れ る (そ の完 本 が 晋 代 の 旧 本 そ の も の であ. 代 に 破 却 さ れ た が ︑ 宋 代 に は ま だ そ の完 本 が存 在 し て. 当 で は 無 い よ う であ る ︒ し か し ︑ ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ は 元. た これ ら の 記載 を 以 て晋 代 の こと を 推 考 す る のは ︑ 順. 補 注 に お いて も 見 出 さ れ る ︒ 一般 的 に ︑ 宋 代 に 書 か れ. 山 録 ﹄ 巻 二 の慧 寳 の 注 に も ︑ ﹃仏 祖 統 紀 ﹄ 巻 三十 六 の. な ど と 見 え ︑ 王 符 は いう ま でも な く 王 浮 であ り ︑ 通 用. も ま た 単 に ﹁老 子 化 胡 経 巻 第 十 ﹂ で終 わ って い る こと. る か ど う か は ︑ 問 題 であ る ) が ︑ 上 記 の神 智 従 義 の記. は ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ を 道 教 経 典 であ る と 考 え て いる )﹂. も ま こと に解 し 難 い︒ ﹃老 子 西 昇 經 ﹄ と いう ﹃西 昇 化. 載 は ︑ 当 時 の完 本 を 見 て それ を 伝 え て いる も の で あ る. さ れ た も の で あ ろ う ︒ こ れ に 類 似 し て い る 説 は ︑ ﹃北. 胡 経 ﹄ に酷 似 し て い る名 の別 の偽 経 が ︑ 古 く 東 晋 の頃. と い い得 る︒ し か し ヽ 隋 唐 の際 に お け る ﹃化 胡 経 ﹄ は. と 言 ってお ら れ る ︒. か ら 存 在 し て いる こと も考 え ら れ る ︒. 二 巻 であ るら し い︒ も し そう な ら ば ︑ 王 浮 の ﹃老 子 化.

(14) 胡 経 ﹄ は ︑ 当 初 は 一巻 であ り ︑ 六 朝 末 に は 二巻 にな っ た の で あ ろ う と 考 え ら れ る ︒ 王 浮 の ﹃化 胡経 ﹄ は 元来 一巻 も の であ り ︑ 六朝 の末 に は 二巻 も の も あ った はず な の に も 拘 わ ら ず ︑ 現在 残 って い る ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ の. 第 三章 ﹃老 子 化胡 経 ﹄ に お け る マ ニ教 的 要 素. 一︑ ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ と マ ニ教 に つ い て. が 見 ら れ る ︒ した が って︑ 唐 に マ ニ教 が 伝 来 した 後 の. ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 序 説 第 一﹄ に は ︑ マ ニ教 的 な 思 想. ペ リ オ 本 の ﹃老 子化 胡經 ﹄ の巻 首 に は ﹁老 子 西昇 化 胡. 造 作 であ る と 考 え ら れ る ︒ ﹃仏 祖 統 紀 ﹄ 巻 三 十 九 に よ. 残 巻 は 十 巻 本 な の であ る ︒ ま た ︑ 題 名 が相 違 し て お り ︑. 経 序 説 第 一﹂ と な ってお り︑ そ し て断 片 が 次 に続 き ︑. る と ︑ 武 后 の 延載 元 年 ( 六 九 四 ) に ︑ ペ ルシ ア 人 の仏 多誕が︑. 三 七 〇 a). ﹁老 子 化 胡 経 玄 □巻 第 一﹂ と な り ︑最 後 に ﹁ 老 子化胡 経 巻 十 ﹂ と 見 え る ︒ こ の ﹃老 子 化 胡経 ﹄ の断 片 に 見 え. ( 大 四九. と いう 記 事 が 見 え て い る︒ そ し て︑ 開 元 年 中 に は そ の. 持 二宗 經 偽 教 来 朝. 教 徒 は 頻 繁 に 来 た よ う で ︑ ﹃通 典 ﹄ 巻 四 十 所 引 の開 元. る 経 名 の相 違 は 特 に 注 目 に値 す る も ので あ る ︒ ま た ︑ 王 浮 本 は ︑唐 代 に は ﹃明 威 化 胡 経 ﹄ と 呼 ば れ て いた ら. 宣嚴加 禁. 不須科罪. 誑惑黎 元. 当身自行. 妄稱仏 教. し いが ︑ 残巻 に は ﹁ 老 子 西 昇 化 胡 経 序 説 第 一﹂ と あ っ. 本是邪見. 二十 年 (七 三 二) 七 月 の勅 に は ︑ 末摩 尼. て︑ ﹁ 明 威 ﹂ の 二字 は無 い の で あ る ︒ 王 浮 の ﹃明威 化 胡 経 ﹄ が ﹃西 昇 化 胡 経 ﹄ と 呼ば れ た 証 拠 は無 いよ う で ︑. 断. な ど と 見 え て いる ︒ 当 時 の マ ニ教 は仏 説 に いわ ば 假 託. 以其 西 胡 等 既 是 郷 法. 西 昇 経 を 以 て ﹃化 胡 経 ﹄ と 見 る わ け に は い かな い︒ な お ︑ ﹃甄 正 論 ﹄ 巻 中 に は ﹃西 昇 經 ﹄ に つ い て論 じ て ︑. あ る ﹃摩 尼 光 仏 教 法 儀 略 ﹄ 一巻 に お い ても 容 易 に 観 取. し て伝 道 し て いた よ う で ︑ こ の事 実 は 現在 敦 煌 遺 書 に. 老子西昇. 五六 三 b 〜 c). 聞道竺乾. 首章 云. (大 五 二. せら れ る で あ ろ う ︒ そ れ は 開 元十 九年. ( 七 三 一) の仏. と 引 い て いる が ︑ ﹃老 子 化 胡 経 序 説 巻 一﹄ に は こ の引. 二九 一. 多 誕 の奉 詔 譯 な の であ る ︒ ま た ︑ ﹃仏 祖 統 紀 ﹄ の巻 四. ﹂ に つい て. 用 文 が無 い の であ る︒. ﹁ 老 子 化 胡経.

(15) 十 二や 巻 五十 四に よる と︑ 五代 梁 の貞 明 六年 ( 九二. 引 経中所謂 白仏言世尊取 金剛経 一仏 二仏 三四五仏以. 為 首者紫帽寛 杉婦 人黒冠白服称為 明教 会所事仏 衣白. 二九 二. 〇)に︑陳 州 の マニ教徒 は︑母 乙な る者 を立 てて天子. 為 第 五仏 又名末摩 尼採 化胡経乗自然 光明道気 飛入西. 我乃上上乗 ﹂ ( 大 四九. 三九 一a・. とし︑ ﹁ 仏 止大乗. 嘉泰 二年 余杭南山白雲庵道 民沈智 元乞 賜勅額 臣寮 言. ゆる白雲菜教 徒に ついて の記述 から知 る ことが できる︒. そ の確 証 は︑﹃仏祖 統紀﹄巻 四十八 に見え る宋 のいわ. マニ教 は︑道 教 に假託 し てそ の伝道 に努め ていた ︒. 黎 志釋 子好 斎名以此 八句 表於経首其 修持者 正午 一食. 二宗陳寂黙 五仏継光 明日月為資敬乾 坤認所生若 論斎. 毫 州明道宮 復假称白楽 天詩云静覧蘇 鄰伝摩 尼道 可驚. 在 也大中祥 符興道藏富 人林世長賂主者 使編 入藏 安於. 證其経名 二宗三際 二宗者 明與暗也 三際者過去未 来現. 那玉界蘇鄰 国中降誕 王宮 為太 子出家 称末摩 尼以自表. 道民者遊 墜不逞喫菜事魔 所謂姦 民者 也自黨與 十百為. 裸 屍以葬 以七時作禮蓋黄 巾遺習也. 四七 四 c) と称したとも伝 えられ て いる︒. 翠挟持 妖教聾 瞽愚或 以修 路建橋為名或 效誦経焚香為. 十万衆 同日竊 発漢室遂微今 此曹若 不防閑何所 不至欲. 斗米道者始 託黄老分遺弟 子周遊 四方 転相誑誘其 後数. 揮 折除今智 元又敢妄 叩天閻玩侮朝 廷若此為甚昔伝 五. 張杓師京 之日屡與鄰寺 互論巳判道 人私庵 合照前降 指. 為 通逃淵藪智 元偽 民之魁 左道惑衆揆之 国法罪 不勝誅. 井力厚啖 習吏志 在 必勝假 名興造自豊襄嚢 創置 私庵 以. 録 ﹄巻 三十や銭 大所 の ﹃ 十駕 斎養新録 ﹄巻 八など にも. 年 要録 な どが そ れ で︑ 下 って は清 の顧 炎武 の ﹃日知. る︒例えば︑方勺 の泊宅編巻 下や李 心伝 の建炎 以来 繁. 当時 もしく は後世 のいろ いろな文献 にも記載され て い. 盛 ん であ った と伝え て いる︒また︑喫菜 事魔 の事件 は. 信 州 の龍虎 山と臨江軍 の閣皀 山 のこと)にお いて最 も. 喫菜 事魔 は︑ いわゆる 三山 ( 江寧府句容 縣 の三茅 山と. 四三〇 c). 不臨安府 将智 元等重行編 鼠籍其物業 以為伝習魔 法玩. 見え ている︒道 教に対す る マニ教 の混交 は︑南宋 ・黄. ( 大 四九. 視聴典憲者 之戒寄居勢家 認為 己産蓋 庇執占者臺諫 指. 震 の黄氏 日抄 の記 八十 六 に見え る景 定 五年 (一二六. 会 夜聚暁散男 女無 別所 至各 有渠魁相統 遇有諍訟合謀. 名以上奏 制可述 日嘗考 夷堅夷志 云喫 菜事魔 三山尤熾.

(16) 窮 之思也然吾儒 與仏老 固氷炭仏與 老 又自 氷炭今謂老. 其法尚存庶幾 記之自警 ⁝余読之 日噎此有 識之言亦無. 奉 魔尼香 火以其本老 子也摩尼之法厳 雖久 巳莫能行而. 戒行尤厳 日唯 一食斎居 不出戸 ⁝吾 所居初 名道 院正以. 余 記之且 日吾 師老子之 入西域也嘗 化為魔 尼仏其法於. 今 住持之祖張安 国以草 聖聞⁝安 国之法嗣 日張希声屬. い記載があ るので︑次 にそ の要点を抄 録 し てお こう︒. 四) の作と いう 四明崇壽宮 記な るも のに︑ 更に興味深. いた こと が わ か る ︒ そ し て ︑ 仏 老 は も と よ り 相 容 れ ず ︑. て︑ さ れ ば こ そ ︑ 黄 震 は こ の崇 壽 宮 を 以 て道 観 と し て. 殿や嶽祠︑法堂 ︑藏 ( 経 ) 殿 な ど建 て て いる の であ っ. よ る と ︑ 道 士 は こ の崇 壽 宮 に ︑ 道 観 と 同 じ 名 称 の 三清. 発 し て い る から であ る と いう の で あ る ︒ これ ら の文 に. ず る 理 由 は ︑ 道 教 と 同 じ く マ ニ教 は そ の根 本 を 老 子 に. いる マ ニ教 の寺 であ る こ と が 知 ら れ る ︒ そ の香 火 を 奉. 道 教 の寺 で はあ る が ︑ 正 し く は ﹁ 摩 尼香火﹂を奉 じて. 義 が あ ろ う ︒ さ て︑ 上 文 に よ る と ︑ 崇 壽 宮 は︑ 外 見 は. を 求 め る の で あ ろ う か道 院 の主 で あ る 張 希 声 に詰 問 し. 為仏而 又屬 記於学儒者 ⁝因書詰 之則報 日吾説豈無據. 如此釋氏古法華 経巻 之八九正與 化胡経 所載合⁝白楽. て いる わ け な の であ る︒ そ れ に 対 し て張 希 声 が ﹁ 吾説. ど う し て儒 教 の徒 であ る黄 震 自 ら こ のよ う に寺 廟 の記. 天晩年酷嗜内 典至其 題摩尼経亦有 五仏継 光明之句 ⁝. 豈 無據者. 儒 教 も ま た 仏 老 と は相 容 れ な い も のな のに も 拘 ら ず ︑. 則釋氏之據如 此唐憲 宗元和 元年 ⁝同鶻 入貢始以摩 尼. 天. 為太子捨家 入道 號末魔 尼説戒律定 恵等法 則道 経之據. 借来置寺 処之其事載 於温公之 通鑑 ⁝則儒 書之據 又如. に 値 す る も の が あ る︒ こ れ は ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 序 説 第. 者 老子化胡経 明言吾乗 自然光明道気 飛 入西那玉界降. 此⁝其文尤悉 余始復 書謂之 日信 矣是 可信也 ⁝老子再. 一﹄ の末 に 見 え る マ ニ教 に 関 係 を も って いる から であ. 二九 三. マ ニ教 は ︑唐 代 に お い てす で に 長 江 の 下流 から ︑ い. 記 述 と も 照 応 し て い る か ら であ る ︒. 晩 年 酷 嗜 内 典 ﹂ な ど と い って いる の は︑ 正 に注 目. 我 乗 自 然 光 明 道 気 ⁝白 楽. 化為摩 尼而説法獨嚴 於自律如師 所 云⁝因録其 往復之. ろ う ︒ ま た ﹃仏 祖 統 紀 ﹄ に み え る 喫 菜 事 魔 に つい て の. 老 子化胡経 明言. 詳如此是為 記景定 五年五月記 す なわち マニ教 の伝来 を︑ 元和 元年 ( 八〇六)とす る この ﹃ 資治 通鑑 ﹄ の説は︑上来 の徴證 から推 し ても疑. ﹁老 子 化胡 経 ﹂ に つい て.

(17) 旨 を 伝 え て いる ︒ 即 ち 宋 代 の道 典 に は ︑唐 に お い て破. 二九 四. わ ゆ る 呉会 の方 向 に か け て そ の教 勢 を 張 った よ う であ. わ け で ︑ こ の事 実 はや が て︑ 上 述 の喫 菜 事 魔 の事 件 や. 却 さ れ た マ ニ教 の経 典 が 混 入 し て いた こ と は 蔽 い難 い. ( 七 六 八 ) の敕 に. 崇 壽 宮 記 の内 容 に も繋 が り を も って い る と いえ よ う ︒. る ︒ そ れ は ︑ ﹃仏 祖 統 紀 ﹄ 巻 五 十 四 に 見 え る 大 歴 三年. 同 維 及荊 楊 等 州 奉 末 尼 各 建 大 雲 光 明 寺. と あ り ︑ そ こに は か の 光 明 寺 が建 立 さ れ て い る こと か. う ︒﹂ と 福 井 康 順 博 士 は ﹃ 道 教 の基 礎 的 研 究 ﹄ で 述 べ. ニ教 が 混 入 し て い る 道 経 の 一 つで あ る と 推 定 で き よ. ﹁﹃老 子 西昇 化 胡 経 序 説 ﹄ 第 一は 実 に此 の よ う な マ. ら も 想 像 で き よ う ︒ と ころ が ︑喫 菜 事 魔 の 徒 は ﹁ 夜聚. て お ら れ る ︒ いず れ に し ても ︑ こ の ﹃老 子 西 昇 化 胡. 六 年 同紘 請 荊 楊 洪 越 等 州 置 摩 尼 寺 其 徒 白 衣 白 冠. 男女 無 別 ﹂ と いう の で あ る ︒ 先 に 一言 し て来 た. 在 す べ き 頃 に 存 在 し て いた も のと い い得 る ︒ 南 宋 の道. 係 か ら 考 え て︑ ま さ に 発 生 す べき と ころ に 発 生 し ︑ 存. 菜 の事 件 も 崇 壽 宮 のよ う な 存 在 も ︑ こう し た 地 理 的 関. て いた よ う であ る と 考 え ら れ る ︒ 考 え て み れ ば ︑ 白 雲. れ は住 々 に し て︑ 或 いは 仏 教 に ︑ 或 い は道 教 に 託 さ れ. 秘 密 裡 に 呉会 の地 方 な ど に行 な わ れ て いた よ う で︑ そ. こう し て見 て み る と ︑ 結 局 ︑唐 宋 時 代 の マ ニ教 は ︑. と 伝 え ら れ て い る の と 正 に 同 じ 事 態 であ る と いえ よ う ︒. 陳 州 に お け る マ ニ教 の妖 賊 が ︑ ﹁ 揉雑 淫穢. 垂 五九. て 一つは ︑ ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ の中 に あ る ﹁ 摩 尼之 後. であ る ︑ と 見 ら れ る ︒﹂ と 言 って い る ︒ そ の 理 由 と し. う ま で も無 く ︑ 古 来 の ﹃老 子化 胡 経 ﹄ に 假 託 し た も の. マ ニ教 徒 に よ って造 作 さ れ た と ころ の偽 経 であ り ︑ 言. 元 年 中 の作 であ る︑ と 推 考 せ ら れ る ︒ し か も そ れ は︑. ﹁﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ は ︑ 唐 の 中 期 頃 ︑ 恐 ら く は ︑ 開. の では な い こと がわ か る ︒福 井 康 順 博 士 は︑ ま た. う ︒ つま り ︑ 敦 煌 の 残 巻 の ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ は 晋 代 の も. 経 ﹄ は唐 に マ ニ教 が 伝 来 し た 後 の道 典 であ る と いえ よ. 暁散. 教 は マ ニ教 が 混 交 し てお り ︑ 北 宋 の ﹃雲 笈 七 籤 ﹄ の序. 訳 と いう ﹃摩 尼 光 仏 教 法 儀 略 ﹄ に よ れ ば ︑ こ のよ う に. 宵聚畫散 ﹂. に よ る と ︑ いわ ゆ る ﹃大 宋 天宮 寳 藏 ﹄ を 編 纂 す る 際 ︑. 考 え ら れ る ︒ つま り ﹁年 垂 五 九 ﹂ と は 四 百 五 十 年 にな. 我 法 当 盛 ﹂ と あ り ︑ そ れ は 開 元 十 九 年 の奉 詔. 年. 南 方 の複 州 と 温 州 か ら は マ ニ教 的 な 道 書 が 献 上 さ れ た.

(18) の仏 は建 安 十 三 年 (二〇 八 ) に 生 ま れ て いる ︒ と ころ. いう の であ る ︒ さ て︑ こ の ﹃摩 尼 光 仏 教 法 儀 略 ﹄ に よ. り ︑ それ は 晋 の太 始 二年 (二六 六 ) か ら 起 算 さ れ た と. つ目 であ る ︒. 徒 に よ って造 作 さ れ た 偽 経 で あ ろ う と 見 れ る 理 由 の 二. 表 わ し て い る と い え る ︒ ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ が マ ニ教. 経 が マ ニ教 宣 揚 のた め に化 胡 説 に 假 託 し て いる 内 実 を. 三︑ ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ の 成 立 年 代 に つ い て. る と ︑ こ の年 は ﹁摩 尼 光 仏 ﹂ の死 去 の年 であ っ て︑ こ. で ︑太 始 二年 か ら 四百 五 十 年 を 数 え る と ︑ そ れ は ま さ に 開 元 四年 (七 一六 ) に あ た り ︑ ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ の いう ﹁我 法 当 盛 ﹂ は ︑ こ の頃 を 暗 示 し て いる こと に. て いた わ け であ って︑ ﹃摩 尼 光 仏 教 法 儀 略 ﹄ が ︑ 開 元. いる ︒ つま り ︑ 当 時 マ ニ教 は 厳 禁 さ れ る ほ ど に 流 布 し. 出 場擅美 問道流 日老子化胡 成仏老 子為作 漢語化為作. 諸高位龍 象抗禦黄 冠翻覆末 安 ・兀難定 明初不預其選. 適遇詔僧道 定奪化胡成 仏経真 偽時盛集内 殿百官侍聴. ﹃ 宋高僧伝 ﹄巻十七 の法明伝 によると︑. 二十 年 の直 前 に出 て いる こと も重 要 な こと であ る ︒ だ. 胡 語化若漢 語化 胡胡即 不解 若胡語化此 経到此土便 須. な る だ ろ う ︒ 開 元 二十 年 に マ ニ教 は 厳 重 に 禁 断 さ れ て. 黄白. 翻 訳未審此経是何 年何月朝 代何人 誦胡語何人筆受時. か ら こ そ ︑ ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ に は ﹁当 此 之 時. 道 流絶救無 対明由此公 卿歎賞則神龍 元年也其年 九月. 同 帰 於 我 ﹂ と 言 っ てお り ︑ こ の 黄 白. 気全. 十 四日 下勅 日仰 所在官吏 廃此偽経. 三教 混 斎. の 二字 は いわ ゆ る 神 仙 黄 白 之 術 で は 無 く ︑ た ぶ ん 五 行. 教 ﹂ と 同 じ意 味 であ った ろ う と 考 え ら れ る ︒ ま た ︑. 禁 断 に遭 っていた こと がわ かる︒ ﹃三洞珠嚢 ﹄ は︑神. とあ り︑ ﹃ 老 子西昇化 胡経 ﹄ は神龍 元年 ( 七〇五) に. 八 一 三b). ﹁ 帰 於 我 ﹂ の我 は こ の 上 文 に ﹁ 我 乗 自 然 光 明 道 気 ⁝降. 龍 元年 よ り以前 の撰な のではあ るが︑ ﹃三洞珠嚢 ﹄ に. ( 大 五十. 思 想 の上 から し て ︑ 中 国 の内 外 を 指 し て い る の だ ろ う ︒. 號 末 摩 尼 ﹂ な ど と あ る よ う に︑ い. も し そ う な ら ば ︑ そ れ は 内 容 的 に は 下 文 に 続 く ﹁三. 誕 王室 ⁝捨 家 入道. は ﹃ 老 子西昇化胡経﹄ のような道 典が存在 して いるよ. 二九 五. わ ゆ る 摩 尼 光 仏 に 当 る わ け にな ろ う ︒ す な わ ち ︑ こ の. ﹁ 老 子 化 胡経 ﹂ に つい て.

(19) う な 記 述 が ま った く 見 え な い︒ 例 え ば ︑ 巻 九 の ﹁老 子. 説 の上 で は古 く か ら 知 ら れ て い る 一挿 話 であ り ︑ 後 世. と も い って いる ︒ こ の青 羊 緯 にお け る 再 会 は ︑ 老 子 伝. 二九 六. 化 西胡 品 ﹂ が それ であ る ︒ も っと も ︑ 現 在 の ﹃三 洞 珠. の詩 文 な ど に も よ く 見 え て いる ︒ 道 典 ﹃二教 論 ﹄ 所 引. 一太 上 道 君造 立 天 地 初 記 称 老 子 以 周 幽 王 徳 衰 欲 西 度. 嚢 ﹄ は 完 本 で はな いら し い のだ が ︑ 現 在 あ る 部 分 のみ. ﹁ 老 子 化 西 胡 経 品 ﹂ は 完 結 し て お り ︑ 且 つ化 胡 説 に つ. 関與尹喜期 三年後於長 安市青羊 肝中相見老 子乃生皇. の ﹃造 立 天地 経 ﹄ に見 え る ︒. い て は重 要 な 一篇 な の であ る ︒ そ こ に は ﹃老 子 西 昇 化. 后 腹 中 至期 喜 見 有 買 青 羊 肝 者. を 通 し て こ の よう に 見 る こ と は ︑ や や 早 計 で はあ る が. 胡 経 ﹄ に み え る よ う な 字 句 は 全 く 見 え な い︒ 当 時 ︑ 今. に は ︑ 少 し でも そ の面 影 が 見 出 さ れ る は ず な のだ が ︑. 化 西胡 経 品 ﹂ に引 用 さ れ て いる ﹁ 老 子 化 胡 云 ﹂ の内 容. あ る︒ この ﹁ 青 羊 宮 ﹂ に つい て は ︑唐 の楽 朋龜 の ﹃西. そ こ では いわ ゆ る ﹁ 青 羊 宮 ﹂ の名 が 出 てき て いる の で. は ︑ 関 令 サ 喜 内 伝 の主 な 部 分 と な って いる ︒ そ し て︑. 一四 四 b ). (﹃廣 弘 明 集 ﹄ 巻 九. と ころが︑それ は全く見出さ れな いのである︒ むしろ. 川青 羊 宮 碑 記 ﹄ が 恰 好 な 資 料 であ る ︒ 僖 宗 の中 和 四年. 大五 二. の ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ が あ った と す る な ら ば ︑ ﹁ 老子. 反 対 に ︑ 全 く 相 違 し た 表 現や 構 想 な ど のあ る こと が わ. にお いて ( ﹃笑 道 論 ﹄ 所 引 も ほぼ 同 じ であ る が )︑ 老 子. す な わ ち ︑ ﹃三 洞 珠 嚢 ﹄ 所 引 の ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄. ま ま で見 て い る よ う に物 語 性 を 全 く も って は いな い こ. であ ろ う ︒ さ て︑ 問 題 は こ の ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ が い. る ﹁本 紀 ﹂ な る も の は尹 文 操 の ﹃樓観 先 生 本 行 内 伝 ﹄. (一〇 四七 ) の作 と いう こと か ら す れ ば ︑ そ こ に 見 え. は 幽 王 の時 ︑ 西方 の 王 の 下 に赴 く た め に 函 谷 関 に行 き ︑. と で あ る ︒ ま た ︑ 化 胡 説 の 構 想 が ︑ か な り 相 違 し ても. か る︒. 尹 喜 の求 め に 応 じ て ﹃道 徳 経 ﹄ を 説 いた の であ る ︒ そ. 会 成 都 市 青 羊肆. 索 我 則 可得 也 ﹂. 函 谷 関 あ た り の事 情 も かな り 相 違 し て いる よう で︑ そ. ( 伝 本 に よ っ ては 照 王) と な って いる の であ る ︒ ま た ︑. い る こと であ る ︒ す な わ ち こ の経 に お い て幽 王 は 昭 王. 三日 三夜. 為作 五千文 ﹂と い っ. こ で は ︑ ﹁入 舎 共 語. 却後 三年. て いる ︒ そ し て ︑ 訣 別 に 際 し て は ︑ ﹁子 勤 読 五 千 文 上 下 二経.

(20) よ り も 後 のも の で あ る こと が う か が え る ︒ す な わ ち こ. 上 か ら ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 序 説 ﹄ 巻 一が ︑ ﹃三 洞 珠 嚢 ﹄. 便 即 西 遇 過 函 谷 関 授 (尹) 喜 道 徳 五千 章 句 井 説 妙 真. れ は ﹃老 子 西昇 化 胡 経 ﹄ が ︑ 開 元 年 中 の偽 作 であ ろ う. こには. 西 昇 等 経 乃 至 太 清 上 法 三 洞 真 文 ⁝等 法 使 其 教 授 ⁝便. もう 一つの傍 証 は ︑ こ の経 と ﹃ 議 化 胡 経 状 ﹄ と の間 に. と さ れ る 解 釈 を 補 う も の であ る が ︑ これ に 対 し て 更 に. な ど と あ る ︒ 青 羊肆 の物 語 な ど は全 く 見 え な い の で あ. 見出 さ れ る 次 の点 であ る︒ そ れ は ︑ こ の経 に は ﹁経 歴. 即 西度 経 歴 流 沙 至 干闊 国 昆 摩 城 所. る ︒ ま た ﹃三洞 珠 嚢 ﹄ の ﹃老 子化 胡 経 ﹄ に は ︑ か く て. 流沙. 三年 ﹂ 胡 王 の出獵 に遭 遇 し て︑ 遂 に は 三 十 六 国 を 教 化. に ケ イ ヒ ン国 に 至 り ︑ ﹁乃 入 山 中 巌 居 穴處. 録 ﹄ と し て いる こと で あ る ︒ こ の昆 摩 城 に つ い て の話. 胡 経 八 状 ﹄ に お い て は ︑ こ の伝 承 の典據 を ﹃皇 朝 実. 胡 成 仏 した 場 所 と 書 い て いる ので あ る が ︑ 一方 ﹃議 化. 至 干閣 国 昆 摩 城 所 ﹂ と あ り ︑ 昆 摩 城 を 老 子 が 化. 三年 の後 ︑ 老 君 と 歩喜 と は 青 羊肆 に お い て再 会 し ︑ 共. す る と いう 機 縁 を そ こに 生 む よう にな って い る の で あ. は ︑ 後 世 に お い て は 有 名 な こ と で ︑ ﹃雲 笈 七籤 ﹄ 巻 十. 共修道 法. る ︒ 翻 って ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ に は こう し た 点 に お い. 四 十 な ど に 見 え ︑ ﹃辮 偽 録 ﹄ 巻 二所 引 の ﹃仏胡 成 仏 経 ﹄. 二を 始 め と し て︑ ﹃混 元聖 紀 ﹄ 巻 五 や ﹃仏 祖 統 記 ﹄ 巻 招諸. て も か な り の相 違 が 見 出 さ れ る ︒ す な わ ち ︑ そ こ に は 老 君が ﹁ 干 閣 国 昆摩 城 所 ﹂ に 至 って ﹁挙 如 来 節. ﹃議 化 胡 経 状 ﹄ の書 か れ て いる 萬 歳 通 天 元年 の際 にお. の第 六 十 六 化 等 に も 出 て い る も の で あ る が ︑ 翻 って. 元始 天 王 ⁝ 飛 天神 王. い て ︑ ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ が す で に あ った と し た ら ︑. 有 赤松 子. 中黄 丈人. 浮空 而至﹂と いう神変が現れ る︒その時老. 此 の よ う な 奏 状 は書 か れ る は ず はな い と考 え ら れ る︒. 従 人 ﹂ と いう 教 化 に 出 る と ︑ ﹁條 忽 之 問. 乗雲駕龍. 坐七寳座 ﹂とある︒そ して︑神力を. 言 い か え れ ば ︑ ﹃議 化 胡 経 状 ﹄ を 書 い て い る 彼 等 の前. 十余 万 衆. 君 は ﹁處干 玉 帳. に︑ も し 当 面 の ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ があ った と す るな. 仙人玉女. 以 て諸 胡 王 を 召 し て いる の であ る ︒ こ の 場 合 ︑ 胡 王 の. ら ば ︑ そ の場 合 ︑ ど う し て こ の経 を 引 き合 いに 出 す の. 二九 七. 数 は 八 十 余 力 で あ る が ︑ これ は 明 ら か に ﹃老 子 化 胡. ﹂について. 経 ﹄ に 見 え る 三 十 六 と は相 違 し て いる わ け で あ る ︒ 以. ﹁ 老 子 化胡 経.

(21) 二九 八. 経 ﹄ と いう よ う な 別 個 の題 名 を も って い る か ら であ る︒. 容 を も って いる か ら であ る ︒ 既 に 論 及 した と ころ の白. を 忘 れ て ︑ こ のよ う な 伝 承 の典 撮 を 他 に 求 め る こと が. こう し て見 てく る と ︑ これ ら の こと は ﹃老 子 西 昇 化. 雲 菜 の 場 合 に お い て も ︑ 崇 壽 宮 の場 合 に お い ても マ ニ. ま た ︑ こ の 一巻 だ け で も ︑ 一応 ︑ 首 尾 完 結 し て い る内. 胡 経 ﹄ が ﹃議 化 胡 経 状 ﹄ の書 か れ た 後 に 生 ま れ た 経 で. 教 徒 の引 い て いる ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ の字 句 が ︑常 に こ の. あ ろう か ︒. あ る旨 を 示 唆 し て いる こと にな ろ う ︒ そ し て ︑ そ れ は. 序 説 第 一の中 のそ れ ら に 限 ら れ て いる ︒ こ の事 実 は︑. 単 な る 偶 然 では な い のだ ろ う ︒ す な わ ち こ の ﹃老 子 西. や が て こ の ﹃老 子 西 昇 化 胡 経 ﹄ が ︑ 開 元 年 中 の作 であ. さ て ︑ こ の序 説 が こ のよ う な 性 質 の偽 経 で あ る な ら. 昇 化 胡 経 ﹄ は 元 来 マ ニ教 徒 が こ の よ う な 場合 な ど にお. 反 面︑ こ の憶 測 を 補 う よ う な も の で︑ こう し た 一致 は︑. ば ︑ そ の後 に 続 く ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ 全 体 も ま た マ ニ教 宣. い て引 証 し てそ の教 化 に 努 め よ う と し て︑ 密 か に 道 典. る ︑ と 見 ら れ る 理 由 の傍 証 に も な る ︒. 揚 の偽 経 に な る の で は な か ろう か ︑ と いう こ と で あ る ︒. え ら れ る ので あ る ︒ 或 いは 進 ん で憶 測 す る な ら ば ︑ こ. 胡 経 ﹄ 全 部 の内 害 を 制約 し て い る わ け では 無 い ︑ と 考. 説 第 一が ︑ 一見 ︑ 直 ち に そ れ に続 く と ころ の ﹃老 子 化. た 内 容 は無 いと い い得 る ︒ それ な ら ば ︑ 今 の残 巻 の序. でき る ︒ し た が って ︑ これ ら に は 必 ず し も 首 尾 一貫 し. 化 胡 経 ﹄ は ︑ 漸 次 に巻 数 が 増 加 し て行 った よ う に 推 定. 言 わ れ な か った 化 胡 説 が ︑ 永 平 十 年. 遷 の時 代 ま で は ︑ 老 子 は中 国 の 西 の方 へ行 った と し か. いま ま で述 べた と お り に ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ は後 漢 の司 馬. よ う と 造 作 さ れ た のだ と いわ れ て いた が ︑ わ た し は ︑. 国 内 でだ いぶ 力 を 持 って き た 仏 教 の力 を 借 り て布 教 し. のた め に造 作 さ れ た のだ と いわ れ た り ︑ 道 教 側 が 中 国. よく ﹁ 老 子化胡経﹂ は︑仏教側 が中国 における布教. に 擬 し て造 作 し た も の であ ろ う ︒. の序 説 は 当 初 か ら し て︑ マ ニ教 徒 に よ って作 ら れ た 独. し てき た 仏 教 の思 想 を 取 り 入 れ ︑ 西 へ行 った と し か な. そ こ で ︑ こ の問 題 に つい て検 討 す る と ︑ 元来 ﹃老 子. 立 の偽 経 で は な いだ ろ う か と いう こと であ る ︒ た だ し ︑. か った も の が ﹁イ ンド へ﹂ と 限 定 的 に な り ︑釋 尊 の前. ( 六七)ご ろ伝来. 後 の巻 と は 相 違 し て ︑ こ の第 一のみ が ﹃老 子 西 昇 化 胡.

(22) 世が老子とな り︑ この化胡説 は晋代に中国に伝来 して き た マ ニ教 が 影 響 し ︑ 現 在 の こ って いる ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ と な った も のと 考 え ら れ る ︒ 馬 本 田氏 の ﹃ 中 国道教 諸神﹄ に 有 意 思 的 是 ︽老 子 化 胡 経 ︾ 本 来 仏 道 之 争 的 産 物 仏 道 二教 対 此 争 奈 不 亦 楽 乎 不 料 后 来 別 一外 来 宗 教 ‑ 摩 尼 教 也 惨 和 了進 来 と あ り︑ ま た ﹃中 華 道 教 大 辞 典 ﹄ には ︑ 宣 揚 仏 教 道 教 及 摩 尼 教 "三 教 混 同 斉 帰 " と あ る︒ つま り ︑ 中 国 の道 教 学 会 でも 私 の考 え と 同 じ よ う に ︑ 現 存 す る ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ は マ ニ教 が 従 来 あ っ た ﹃老 子 化 胡 経 ﹄ (現 在 は 紛 失 ) に 手 を 加 え 布 教 に利. 二 三五 頁. 四四 一頁. ﹁ 老 子化 胡 経 ﹂ に つい て. ﹃ 中 国 仏 教史 ﹄ 一. てい る︒. ﹃上清 霊 宝 大法 ﹄ や ﹃ 上 清 大 洞真 経 ﹄な ど に多 く 記載 さ れ. ﹃日本 文 学と 仏 教 ﹄ 六. 用 した の だ と 考 え て いる の で あ る ︒ ( 佛教文化学会会 員). (2) (1) 注 (3). (8) (7) (6) (5) (4). ﹃ 世 界 宗 教 史叢 書 ﹄ 九. 三 二四 図. 所収. 三 二六 頁. 二八 頁. ﹃ 藏 外 道 書 ﹄第 二十 巻. ﹃ 藏外道書﹄第 二十巻所収 ﹃ 中 国 道 教 諸神 ﹄ ﹃ 中 華 道 教 大辞 典 ﹄. 二九九.

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参照

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