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「 刑 事 訴 訟 に お け る 実 体 形 成 ・

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(1)刑事訴訟法上の理論・学説の難解さ. 手続形成の理論﹂に関連して. ﹁刑事訴訟における実体形成・. 一. 川. 敏. ︵客員. 教. 琶雄. 本問に対する実務家の関心・理解の程度. なか思い浮ばないことが多い︒. 二. ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して. 三九. して特に顕著であるといえよう︒この種の理論については︑これが実際に適用される具体的場面は︑実務家にもなか. 題になるのか容易に理解できないからである︒この点は︑表題︵以下本問ともいう︶のような刑訴法上の根本理論に関. 法などの分野である程度克服された﹁概念法学﹂的方法を用いている︶によっては︑法規の解釈が実際にどのような場合に問. のは︑実務についての知識がないと︑同法に関する諸学説︵刑訴法全体の論理的.体系的解明に甘んじ︑今なお︑民法︑商. 刑事訴訟法︵以下刑訴法または法という︶は︑これを学ぶものにとっては︑かなり難解な学科と思われる︒という. 横.

(2) 早法百周年記念号. 四〇. 私は︑実務にたずさわっている間は︑この種の理論にあまり興味がもてず︑﹁折りをみて勉強してみよう︒﹂という. 気にさえならなかった︒実務そのものの運営になお検討を要する点が少なくないと思っていたうえ︑裁判官の判断の. 客観性は︑抽象的な理論の一貫性によって必ずしも担保されるものでないと信じていたからである︒. 私が在官中この種の理論の効用らしいものを感じたのは︑若い人達相手に刑事裁判や刑事訴訟の話を︑軽いウイッ トをまじえながらしたとぎくらいである︒. ﹁裁判長は︑訴訟の手続面でも公正を疑われるようなことがあってはならない︒たとえば︑公判の準備など手続プ. ロパーの問題についても︑検察官とだけ話すようなことは避けるべきである︒﹂とか︑﹁手続形成をするについても︑. そのめざす実体形成ができるだけ合理的・能率的に行なわれるように︑自らその段取りを考えるとともに︑実体形成. の機を失しないことが大切である︒裁判長のなかには手続形成にばかり熱心なものがある︒﹂とか︑﹁訴訟手続は︑動. したがって不当・違法な訴訟行為も︑﹃異義の申立﹄︵法三〇九条︶がないと︑原則としてその鍛疵は治癒される︒﹂と. 的・発展的なものとして多数の訴訟行為から成り立っており︑後の行為は︑前の行為の有効なことを前提にする︒. か︑﹁公判手続の更新は︑実体形成をやり直すためのものであるから︑これに関係のない手続形成行為はそのまま残. る︒﹂とか等︒私の当時のこの方面の知識は︑この程度であり︑またこれで事足りたのである︒大多数の実務家も︑. 本問 を 取 り あ げ た 理 由. ほぽ同様の状況にあるといえよう︒. 三. 三〇年近く刑訴法上の基本問題に関してペンを取ったことのない私が本問について論ずる気になったのは︑これが. 学生にも実務家にも最も難しいと思われたこと︑ほとんど総てのテキストで触れられている間題に言及しないのは︑.

(3) 刑訴法の担当教授として怠慢のそしりをまぬかれないと思われたこと︑ 問題の取りあげ方・掘りさげ方によっては実. 本問に関する二つの代表的な学説とこれに対する素朴な疑問. 務家の興昧をひきその参考にもなると思われたこと等の理由による︒. 四. 団藤重光博士と平野竜一博士とは︑刑訴法学界における代表的存在としてはなばなしく対峙し︑本問についてもそ の理論的立場は鋭く対立している︵引用は正確を期するため原文そのものの抜き書きとした︶︒. 団藤説. 団藤博士は︑﹁訴訟の進行は︑その形式的方面では手続の発展であり︑その内容的方面では実体の形. 1 対立する二つの学説. イ. 成である︒﹂﹁訴訟手続においては︑手続の発展に伴って実体形成が行なわれる︒訴訟手続は︑もともとかような実体. 形成を含む不可分な全体として存在するものであるが︑しばらくその実体形成の面を捨象して純手続的な面だけを考. えることがでぎる︒ここに手続形成とはこれをいうのである︒﹂﹁手続は単に発展・推移するというだけのものではな. い︒そこには形成的な作用がある︒ひとつの手続は一定の法律関係ー法律状態を含めてーを形成し︑次に行なわれる. 手続の基礎となる︒﹂﹁手続形成は訴訟行為によって行なわれる︒しかし逆に︑訴訟行為の効果がすべて手続形成だけ. に向けられるものではない︒﹂﹁実体形成行為は直接に実体形成に向けられるものである︒いな︑実は手続形成の全部. が間接的には実体形成を目的とするものにほかならない︒しかし手続形成行為はもとより︑実体形成行為もまた︑そ. れじたいとしてひとつの手続である︒﹂﹁かように︑手続形成によって直接・間接に実体形成が行なわれるのであるが︑. 実体形成もまた手続面に種々の影響をあたえる⁝︒﹂﹁実体形成が裁判官の胸裡に秘めて行なわれていた旧法における. 四一. とはちがって︑現行法のような当事者主義のもとでは︑当事者の攻撃防禦の焦点が手続の上にも明確に示されなけれ ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(4) 早法百周年記念号. 四二. ばならない︒それが訴因の制度である︒訴因は形式的性質においては検察官の主張であるが︑実質的機能においては︑. 実体形成の手続面への表現・反映であり︑逆に︑現実的な審判の範囲を限定するものとして実体形成を規制する︒﹂. ﹁全体としての訴訟における実体面・手続面の区別に対応して︑訴訟行為についてもこれに関連させて考えることが. でぎる︒すなわち手続面と実体面とが異った特色を有するように︑訴訟行為においてもまた︑直接に実体形成に奉仕. するもの︵たとえぽ証拠調・証人の供述・当事者の弁論等︶と手続形成の効力を生じるもの︵たとえば公訴の提起.証拠調の. 講求等︶とは異った原理に支配される︒前者を実体形成行為︑後者を手続形成行為と称することができるであろう︒. 前者の中主要なものは裁判官の心証︵広義における︶を形成する行為であって︑これをとくに心証形成行為と称するこ. 平野博士は︑﹁訴訟関係における当事者の行為︑すなわち訴訟行為には︑大別して三種のものがある︒﹂. とにしたい︒﹂と説く︵団藤﹁新刑事訴訟法綱要﹂七訂版一六六頁以下︒なお同一四二︑一九八頁参照︶︒. ロ 平野説. ﹁その一は︑︵広義の︶訴訟追行行為である︒これは︑裁判所に対して判断を求める行為であって︑さらに︑申立.主. 張・立証に分けられる︒﹂﹁その二は︑手続行為である︒これは︑⁝右のような訴訟追行行為が行われるための手段. として行われるのであり︑訴訟追行行為に対する裁判所の判断に影響を及ぼす一つの要素として︑訴訟法上意味を持. つ︒﹂﹁その三は︑裁判である︒これは︑訴訟追行行為に対して︑裁判所が意思または判断を表示する行為である︒﹂. ﹁訴訟追行行為は︑⁝基本的な︵狭義の︶訴訟追行行為と︑従属的な訴訟追行行為に分けることがでぎる︒基本的な訴. 訟追行行為は︑公訴とその立証とである︒それ以外のものは︑従属的な訴訟追行行為である︒従属的な訴訟追行行為. は︑基本的訴訟追行行為の有効要件または理由要件の一要素を構成する︒この区別に対応して︑裁判にも︑基本的な. もの︵公判の裁判︶と従属的なものとがある︒﹂と説いたのち︑﹁有効な公訴に対して実体審理が行われるが︑その審理. の過程は︑これを三個の過程に分析することができる︒﹂﹁第一は︑訴訟追行過程である︒起訴状に掲げられた訴因は︑.

(5) 一つの観念形象として︑あるいは中途で変更されながらも︑訴訟が終結するまで存続する︒他方︑これを証明するた. めに提出された証拠も︑公判の進行に伴って集積される︒この両者は︑対応しつつ発展する過程である︒これを訴訟. その存否の判断は︑多かれ少かれ蓋然的なものであり︑訴訟の進行に伴って変化し発展する︒これを実体過程と呼ぶ. 追行過程と呼ぶ︒﹂﹁第二は︑実体過程である︒右の訴因に証拠をあてはめて︑訴因たる事実の存否の判断がなされる︒. ことがでぎる︒﹂﹁第三は︑手続過程である︒これは︑訴訟追行のために行われる諸種の行為をいう︒これらの行為の. なかには︑公訴以外の広義の訴訟追行行為と手続行為とがある︒﹂﹁このように訴訟を三個の過程に分ける見解に対し︑. 訴訟を実体面と手続面との二個に分ける見解がある︒この見解によれば︑実体面とは︑嫌疑が発展してゆく過程であ. る︒起訴状すなわち訴因は︑手続面に属するものであって︑実体面を手続に反映させたものであるにすぎない︒訴因. の変更や命令も︑単に手続上のものになってしまう︒このような見解は︑嫌疑が審判の対象であるとする︑職権主義. 的な訴訟の分析としては適当であるかも知れない︒しかし︑訴因を主張と解することによって︑はじめて︑裁判所と. 検察官とは遮断され︑当事者主義的な︑予断に基かない裁判が期待できる︒そのためには︑訴因の過程を︑実体の過. 程と切り離された︑しかも単なる手続でない︑一つの過程として取りあげる必要がある︒﹂﹁実体面と手続面との区別. は︑専ら理論的な区別であって︑当事者主義であるか︑職権主義であるかによって︑この区別自体が変化するもので. はなく︑実体面も手続面もあるいは当事者主義的であり︑あるいは職権主義的でありうる︑と主張される︒しかし︑. 訴訟が当事者主義化することによって︑訴訟の理論的な構造が変化したときは︑それに応ずる理論的な区別がなされ. なければならない︒のみならず手続面は︑すべて均一に当事者主義に支配れさるわけではなく︑訴訟追行過程︵訴因の. 変更と︵形式的︶挙証責任︶が︑当事者主義と職権主義との衝突する最も重要な面であるから︑この点を他の手続と区. 四三. 別しておくことが︑訴訟の構造的理解にとって必要なのである︒﹂と説く︵平野﹁刑事訴訟法﹂法律学全集︑二四頁以下︶︒ ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(6) 2. 早法百周年記念号. 二つの学説に対する実務感覚にもとづく疑問. 四四. この機会に一言しておきたいことは︑本間は︑訴因︑公訴事実︑両者の関係などについての自己の立場があいまいでは右のよう. な疑間の提起さえ困難であるということである︒さらに私は︑本稿のペンを走らせるうちに感じた︒﹁当事者主義と職権主義︑実体. 的真実主義と法の適正手続など刑訴法の基礎理論について学者の説くところがまちまちな現状では︑これらの面についても自己の. 立場をはっきりさせないと実りのある疑問は提起でぎない︒﹂と︒しかし私は︑現在これらの問題を掘りさげ検討中で︑いまだ構想. は十分熟していない︒そこでここでは︑訴因・公訴事実について漠然と考えていることを基礎に素朴な疑問を提起したわけである︒. 私の構想の出発点になっている問題意識は︑O審判の対象は訴因か公訴事実かというこれまでの発想に疑間はないか︑⇔訴因は公. 訴事実を表象する事実として両者を表裏一体とみることはできないか︑日かような訴因・公訴事実を検察官の主張と解する余地は. ないか︑㈱裁判官が最も苦労する﹁事実認定﹂の核心は︑検察官の主張するような事実が現実の社会的事実として生起したかどう. 団藤説は︑捜査の過程もふくむ広い意味の訴訟手続︵以下単に訴訟という︶を実体形成・手. かを証拠によって判断する点にあるのではないか等の諸点である︒. イ 団藤説に対する疑問. 証拠の裏づけをもった場合に行なわれる︒﹂とか︑﹁訴因として記載された事実は︑まさに客観化された嫌疑にほかな. 続形成という一貫した理論で統一的に説明しようとしたものであるが︑﹁公訴の提起は︑捜査の当初における嫌疑が. らない︒﹂とか︑ぎわめて現実的な︑ある意昧では常識的な考察を基礎にしている︵団藤前掲一九八頁︶︒博士の説が今. なお通説的立場を占め︑実務家の中に信奉者を見出すのは︑決して偶然とは思われない︒. しかし︑新旧両刑訴の運用を共に経験した私の実務感覚に照らすと︑博士の説は︑﹁旧刑訴のもとでは妥当するが︑. 新刑訴のもとで妥当するかどうかは疑わしい︒﹂という感じである︵というのは︑旧刑訴のもとでは︑裁判所は︑公訴の提. 起を受けると同時に︑検察官から一切の捜査書類を引きつぎ︑これを精査したうえで公判にのぞみ︑被告人訊問を中心に審理を進.

(7) めていたのに対し︑新刑訴のもとでは裁判所は︑起訴状をみただけ︑つまり何らの偏見・予断をもたないで法廷にのぞまなければ. ならなくなったからである︒法二五六条六項︶︒平野博士が︑﹁団藤説によっては︑公判手続の捜査手続からの完全な遮断. は実現されない︒﹂旨断じておられるのは︑まさにポイントを突いたものと考えられる︒もっとも団藤説も︑訴因が. ﹁検察官の主張﹂であることは認めている︒そして﹁かような実体形成︵﹁客観化された嫌疑﹂をさす︶は︑旧刑訴にお. けるとはちがって︑裁判所に引ぎつがれるものでないことはもちろん⁝⁝﹂といっている︵団藤前掲一九八頁︶︒した. がって博士も︑﹁起訴状一本主義﹂のことや﹁公判手続の捜査手続からの遮断﹂ということは十分念頭において説か. れていると思われる︒しかし︑私の実務感覚に照らすと︑訴因を﹁検察官の主張﹂と認めるのなら︑﹁実質的・事実. 的にみると﹂︑﹁訴因は客観化された嫌疑﹂とか︑﹁公訴の提起は︑捜査の当初における嫌疑が証拠の裏づけをもった. ばあいに﹂とかいわない方がよいように思われる︒というのは︑裁判官は︑﹁起訴状に記載されているような事実は果. たしてあったのか︒﹂という︑ただそれだけの気持で公判に臨み︑﹁起訴されている以上あるいはこの被告人がこの罪 ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. を⁝⁝﹂などと︑かりにも意識しないよう自ら深く戒めるのが常であること︑博士が﹁実質的・事実的にみると﹂と. いって指摘されているようなことは︑ほとんど総てのものが知っており︑いわば︑いわずもがなのことであること︑. それをわざわざいうことは︑新刑訴施行直後に有力だった一部の議論︑たとえば︑﹁専門の裁判官が裁判する制度のも. とでは︑証拠法の規定など厳格に解釈する必要がない︒﹂という趣旨の﹁起訴状一本主義﹂にも水を差しかねない議論. を思い起こさせること︑裁判官に︑﹁起訴されている以上あるいはこの被告人が⁝⁝﹂というような意識があると︑こ. れが敏感に被告人側に反映し︑その信頼を傷つける虞れがあること︑一方的な観点から糺問的・権力的に行なわれる. 捜査官の心証形成と︑公開の法廷で当事者主義的・論争主義的に行なわれる裁判官の心証形成とは全く異質のもので︑. 四五. 両者を同じ﹁実体形成﹂という言葉で包括し︑両者の間に連続性を認めるのは相当でないこと︑この点を明確に自覚 ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(8) 早法百周年記念号. 四六. し︑白紙の状態で公判にのぞむのが︑起訴状一本主義の精神であるといえること︑以上の事情に照らすと︑新刑訴は︑. 平野説に対する疑問. 私は︑平野説が訴因を検察官の主張と解し︑公判手続の捜査手続からの完全な遮断を意. 裁判官の意識の変革を要求するものといってもいいすぎでないこと等の事情を慮らなければならないからである︒. 口. 図している点には全面的に賛成である︒ただ平野説中﹁訴因は一つの観念形象として︑あるいは途中で変更されなが. らも︑訴訟が終結するまで存在する︒他方︑これを証明するために提出された証拠も︑公判の進行に伴って集積され. る︒﹂という点および﹁訴因に証拠をあてはめて︑訴因たる事実の存否の判断がなされる︒その存否の判断は︑多かれ. 少なかれ蓋然的なものであり︑訴訟の進行に伴って変化し発展する︒﹂という点には︑実務的感覚から多少抵抗をおぼ. える︒博士の訴因論全体については一層その感が深いが︑ここでは紙面の都合上︑右の点だけを取り上げることとし. たい︒博士の考えによると︑裁判官が一番苦労する﹁事実の認定﹂も︑結局検察官が﹁訴因﹂として主張する事実が. 証拠上認められるかどうかの問題に帰着するのであって︑﹁現実にそのような社会的事実があったかどうかは考慮す. る必要がない︒﹂とされているように思われる︒博士は︑ここまで明言されていないが︑博士の訴因論︑団藤説批判な. どから︑そのように解される︵もしこれが私の誤解なら︑つぎに述べることは︑私の実務的感覚の一端を本問に関連して吐露した. にすぎないと理解していただきたい︶︒博士の右の所説に対し︑大多数の実務家は︑﹁理論的には理解できるが︑実務的に ヤ ヤ ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. は⁝⁝﹂と首をひねるにちがいない︒なぜなら彼らは︑起訴状に記載されているような事実が果たして実際にあった ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. のか︑あったとすればそれは起訴状記載のような罪を構成し︑実際にこれを被告人が犯したとみられるのか等︑問題. をぎわめて常識的に処理してきて別に不都合を感じていないからである︒こういったからといって︑﹁事実の認定﹂. は︑その性質上︑⁝の事実が﹁実際にあったらしい﹂という高度の蓋然性に満足するほかないこと︑通説・判例の説. くとおりである︒ここにみられる実務家の発想は︑すこぶる常識的・人間的なものであるが︑これなしには裁判所や.

(9) 法廷は︑一般の人達に一層親しみにくいものとなるであろう︒. 私の裁判長としての体験を振りかえると︑私達が﹁争われている事件﹂について﹁有罪の断﹂を下す場合には︑訴. 因・公訴事実︵ないし﹁検察官の証拠調に関する冒頭陳述﹂法二九六条︶で明らかにされた事実が︑単にコ証拠上証明され. た﹂というにとどまらず︑そのような事実が﹁証拠上現実の社会に存在したと認められる﹂と判断し︑この観点から. 証拠説明もしたものである︒裁判所は︑被告人に刑を科する以上︑﹁実際はともかく証拠上⁝⁝﹂というような気持で. 間題を片付けることはできない︵ただし無罪の場合には︑単に証拠上認められないとすれぽ+分であると考えられる︶︒これは︑. 一部の学者のいう︑実体的真実主義的・必罰主義的発想にもとづくものでは断じてない︒むしろ一個の人格に多大の. 犠牲を強いることの重みを実感してのことである︒被告人やその家族︑いな一般の人達も︑多少異なる方向からでは あるが︑同じような感想をもつのではないか︒. では︑検察官の主張する事実が﹁証拠によって証明される﹂ということと︑﹁証拠によって︑現実に存在した社会. 的事実と認められる﹂ということは︑どのように異なるのであろうか︒その相違は︑単なる感覚的気分的なものでは. なく︑後の考え方の中には︑証拠の評価に関連し一層合理的なものがあるというのが私の結論である︒. 正しい﹁事実認定﹂をするためには︑個々の証拠の証明力を正しく評価するとともに︑その全体を正しく評価しな. ければならない︒たとえば︑自動車事故による業務上過失傷害︵刑法二二条前段︶事件で︑事故を目撃したという検. 察側の証人甲︑乙と弁護側の証人丙との供述が根本的にくい違い︑前者が被告人に不利な︑後者が被告人に有利な供. 述をしているような場合に︑いずれの供述がより信用できるかを判断するためには︑現場の状況︑各目撃者の位置︑. 目撃した時刻︑目撃後の行動などを仔細に検討する必要があるが︑さらに検証のため犯行現場にのぞみ︑ほぼ犯行時. 四七. 刻ごろに被告人︑証人らに現場に集ってもらって犯行状況を再現すること︑つまり被告人には当時の自動車︵破損して ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(10) 早法百周年記念号. 四八. いれば同型のもの︶を弁解どおりの識ース・スピードで運転してもらい︑被害者を発見しブレーキをかけた位置︑停車. した場所などを指示してもらうこと︑そしてこれに関連して実況見分調書てんぷの写真にうつっているスリップ痕な. どを白墨で路上に記すこと等︑各証人をそれぞれその目撃したという場所に立たせ︑その供述したような状況が果し. て目撃できたかなどを確認するのである︒このように証拠の評価にあたっては種々の点に意を用いなければならない が︑実際には︑これ以上に細かく気をくばらなければならないことが多いのである︒. 結局私がここでいいたかったことは︑証拠の証明力の判断は﹁現実にそういう社会的事実があったかなかったか﹂. という観点をはなれては︑きわめて困難であるということである︒少なくとも右の観点からする方が容易であるとい. うことである︒そうだとすると︑かような観点からの理論構成を考えてもよいのではないか︑というのが私の現在の 気持である︒. 五 本問に関連し最小限度心得ておいてほしい点. 最後に本問に関連し︑刑訴法を学ぶもの︵実務家をふくむ︶に是非心得ておいてほしいと思われる点を︑私流にわか. 実務上間題になる﹁刑事訴訟﹂とは︑起訴された具体的事件について︑まず検察官が主張・立証し︑これに対し. りやすく解説してみよう︒. ︻. 被告人・弁護人が反対の立場から主張・立証するという形︑つまり当事者間の攻撃・防禦という形をとって進展する. 右の過程は︑種々の訴訟行為の順序正しい積み重ねから成る訴訟手続とみられるが︑そのうち︑事件についての. 過程といえる︒. 二. 陳述・供述︑証拠調に関する冒頭陳述︑各種の証拠の取調︑論告・弁論などは︑客観的には︑事件の実体の顕現︑主.

(11) 観的には︑裁判所の心証の形成に役立つものとして実体形成行為と呼ばれ︑それ以外のもの︑たとえば︑公判期日の. 指定︑黙秘権の告知︑証拠調の請求・決定などは︑手続形成行為と呼ばれる︒被告人のための起訴状謄本の送達︑国. 選弁護人の選任などの公判準備的な行為も︑手続形成行為にふくませて考えてよいであろう︒. の標目及び法令の適用を示さなければならない︒﹂︵法⁝二五条一項︶が︑これは実体形成が一応完了し︑その結果を外. 三 かような過程を経て裁判所は︑その訴因で被告人が有罪であると決断した場合には︑﹁罪となるべき事実︑証拠. 部に発表する手続形成の段階とみられる︒結局訴訟には︑実体形成の行なわれる実体面と︑これを捨象した場合に考. 要するに︑刑事訴訟は︑起訴された具体的事件について両当事者が攻撃・防禦をくりかえすという形で進められる. えられる面︑すなわち手続形成面があるということになるであろう︒. ので︑動的・発展的性格を有するといわれる︒この性格は︑実体形成行為と手続形成行為とが目的と手段あるいは内 容と形式という表裏一体の関係にある事情に照らし︑いずれの面にも︑ほぽ妥当する︒. つぎに説くところについては︑本項末尾の小活字の私の実施した﹁集中審理﹂に関する叙述を参照することによって︑一層理解 しやすくなるであろう︒. 諸学者の示唆するところによれば︑実体形成の過程は︑心証形成の過程と解してよさそうである︒ここに心証形成. とは︑一般に裁判所の心証形成をさしているように思われる︒しかし︑突っこんで考えると︑裁判長も︑二人の陪席. 裁判官も︑それぞれ独立の人格として自主的に心証形成をするほかないこと︑したがって各裁判官の心証は︑1最後. には︑裁判所の心証として一本化されるとはいえ︑ー常に同一であるとは限らないこと︑一審公判のように公開の法. 廷で審理が進められる場合にほ︑当事者はもちろん︑傍聴人も一種の心証を形成しているといえること︑当事者は︑. 四九. 効果的な主張・立証をしようと思えば︑裁判長の釈明︑裁判所の決定などを手がかりに裁判所の心証形成の動きを察 ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(12) 早法百周年記念号. 五〇. 知する必要があるが︑他方裁判所も適正・迅速に訴訟を進めるため︑当事者の心証形成に注意していなければならな. いこと等の事情が認められるであろう︒このように公明に︑ある程度外部の人達からも察知できる形で裁判所の心証. が形成されてゆく点に︑当事者のやり甲斐も︑裁判所に対する信頼の基礎もあるといえるのではないか︒また心証形. 成の過程は︑複雑微妙な事実の存否・態様にかかわることとして一本調子のものでなく︑時に一進一退︑時にジグザ. グなコースをたどるのが普通である︒これまでに明らかにした状況は︑客観的には︑訴因・公訴事実として主張され. たことが︑判決における﹁罪となるべき事実﹂︵の成否︶へと一歩一歩現実化され︑かようなものとして浮上してゆく ダイナミックなプ偉セスとも考えられるであろう︒. これに対し︑手続の形成は︑一定の訴訟行為の合目的な︑順序正しい積み重ねによって行なわれるので︑原則とし. て後の行為は︑前の行為の有効なことを前提にし︑後の行為と無関係に前の行為だけを取り消し︑あるいは無効にす. ることはできない︵手続維持の原則︶︒ただ手続形成行為は︑つぎのそれがされない間はもちろん︑実体形成が行なわ. れないうちは取り消しうるものと解される︒たとえば︑証拠の取調請求をしても︑これに対する決定がない間はもち. ろん︑決定があっても証拠調されないうちは徹回ないし取り消すことができるのである︒実務家の中には︑この点の. 理解が十分でなく︑すでにした手続形成行為にこだわってよりよい実体形成への志向を忘れるものがあるのは遺憾で. ある︒実体形成に関連して注目すべきことは︑たとえば︑被告人が公判の冒頭手続で公訴事実を認めて保釈になった. って︑前後いずれの供述を信用するかは裁判所の自由であるということである︒実体形成そのものについては原則と. のち︑以後の公判で否認しつづけたとしても︑前の供述︵自白︶とその効果はそのまま残っているということ︑したが. して取消とか無効とかいうことは考えられないが︑例外的に実体形成が無効とされることもある︒たとえば︑公判手 続の更新︵塗三五条︑同条の二︶︑証拠の排除決定︵規二〇七条︶の場合などがそれである︒.

(13) 実体形成︑手続形成などという言葉をあまり使わないで︑問題を訴訟の現実に即し︑もっと具体的にわかりやすく. 説明することはできないものか︒もしこれができるならぽ︑初学者は︑いっそう刑訴法に親しみをおぽえて勉強する. 気になるであろうし︑実務家は︑自らの訴訟活動について反省の資を提供されることになるであろう︒そこで︑つぎ. のような公訴事実を想定し︑これが全面的に争われると︑訴訟はどのような様相を呈するかを実際にありそうな形で 説いてゆくこととしたい︒. ここに﹁実際にありそうな形﹂とは︑﹁理想的な集中審理方式のもとでは﹂というほうがわかりやすいかも知れない︒なぜならそ. れは︑私が約二〇年前東京地裁の裁判長として志を同じくする裁判長とともに︑理想と現実の統一をめざし︑徹底的な集中審理方式. を実施していた時代の体験を基礎にするもので︑今目必ずしも一般的に行なわれていることとはいえないからである︒くわしくいう. ては︑朗読ないし要旨の告知︵要旨の告知も朗読に代わるものとしてそれに準ずる相当くわしいものでなければならないと解され. と︑私達が実施していた審理方式のもとでは︑裁判官が法廷で実際に心証を形成することができるように︑証拠書類の取調につい. る︒法三〇五条︑規二〇三条の二︶をおろそかにせず︑証人の尋問については︑明確にされた争点に尋問・反対尋問を集中させる. ︵規一九九条の二以下︶など真に充実した審理が行なわれていた︒このような法廷では︑裁判官はもちろん当事者も法廷で心証を. 形成することができた︒いな傍聴人さえある程度の心証を形成することが可能であった︵裁判官が法廷で心証を形成するというこ. とは法廷外で記録をよまないということではない︒主任裁判官は必ずよみ︑他の裁判官も必要に応じてよむのが普通である︒ただ. かして確めたわけである︒しかし︑私の経験した限りでは︑そんな必要を感じたことはほとんどない︶︒ただそのような審理を可能. 法廷で得た印象と記録をよんで得た印象とが著しく異なるときは︑もう一度その点を被告人に質問するとか︑証人を再尋問すると. にするためには︑両当事者の協力を得て事前準備の徹底︵規一七八条から同条の一一まで︶︑準備手続の活用︵規一九四条から同条. の七まで︶︑争点の整理︑ベストエヴィデソスの採用などを基礎に︑どうすれぽ審理を真に適正・迅速に進めることができるか︑あ. 五一. らゆる工夫をこらさなければならない︒私が工夫し試みた一︑二の例を紹介しよう︒私は︑裁判官が法廷で心証を形成することがで ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(14) 早法百周年記念 号. 五二. きない理由は︑争点が明確にされないまま︑供述調書などの証拠書類については︑−要旨の告知が十分に行なわれない点︑証人につい. ては︑尋問が本人の供述調書の内容を再現しようと漫然と行なわれる点にあると思ったが︑結局これは︑取調べる調書の数が多す. ぎること及び証人尋問の準備が足りないことに帰因すると考えた︒そこでこの原因を除去するため︑つぎのような方法を講じた︒. O警察・検察双方の調書があっても︑取調はいずれか一方に限ること︒口窃盗など訴因多数の事件で︑事実に争いがない場合でも︑. 被告人の警察におけるぼう大な自白調書の取調が請求されるのが普通であるが︑これをやめさせ︑その代りに検察官が調書を検討. した結果にもとづき︑事件のポイソト︑たとえぽ各犯行に共通な手口︵忍びこみか︑空巣か︑置き引きか等︶︑被害品の種類と額︑. 実際に入手した利得とその用途などを被告人に質問し︑弁護人が反対の立場からさらに質間をするとしたこと︵この方法なら二︑. 三〇分ですむことが︑調書の取調となると︑その数倍の時間を要し︑しかもわかりにくいものとなる︶︒日事件によっては在廷証人. だけで立証すること︵この種の事件は︑﹁指定事件﹂と呼ばれ︑故岸判事の部で行なわれて︑かなりの成果をあげていた︶︒㈲収賄な. ど複雑な事件について微妙な争いがある場合で︑被告人に相当の学歴・教養があるようなときは︑被告人調書︵一部自白︶の取調お. 一か月ほどの猶予を与えるから︑その間に自. よび被告人質問に先だち︑両当事者の参集を求めてその意見をきいたうえ︑つぎのような方針を決定し実行したこと等︒. ﹁君︵被告人をさす︶なら︑謄写ずみの自分の調書をよく読み検討できるはずだ︒. 旨で述べたのに︑こんなふうに書かれてしまった︒﹄︑﹃事の真相はこうである︒﹄等︑記憶にしたがって︑できるだけ簡潔・卒直に. 分の警察・検察庁における調書を精読し︑﹃このように述べたのは︑取調官にこういわれたからだ︒﹄︑﹃ここのところ︑こういう趣. 書いた陳述書を作成し︑これを期限内に検察官のほうに提出してほしい︒公判期日はその一〇日後とするから︑それまでに検察官. も弁護人も十分内容を検討しておかれたい︒そして当日︑まず被告人にその陳述書の内容を述べさせたあと︵これについては︑公. 判調書の記載を簡素化するため︑弁護人が陳述書の取調を請求︑検察官が﹁証拠とすることに同意﹂して取り調べるという形式を. とった︶︑これについて検察官︑弁護人︑裁判長という順序で被告人質間をすること︑その代り被告人調書の取調請求はしないこと. とされたい︒﹂この事件は︑普通の方法なら証人の尋問が終った後︑なお十数回の開廷を要すると思われたが︑陳述書の取調および.

(15) 被告人質問でわずか三回廷ですみ︑裁判官は︑法廷外でぽう大な記録を読む労をまぬかれた︒. このような方法をとると︑被告人側の証拠申請が少なくなり︑判決の確定する率が高くなるが︑これは︑被告人はもちろん︑法. 廷で傍聴したその親戚や知人も審理の内容経過を如実に知ることがでぎ︑﹁そんなに証拠があるのなら−⁝﹂とか︑﹁これだけ被告. 実際にあった事件を多少モディファイし︑それを基礎に問題の解明へ. 人の弁解をきいてくれれば⁝⁝﹂とか感ずるからであろう︒. 六 起訴状︵勾留中︶. 工員. 石. 誠 ︵二〇歳︶. 原. 秋田県仙北郡大田町二五一. 実. 本籍. 事. 東京都江戸川区西小岩二の二五山田ふみ方. 訴. 住居. 公. 被告人は︑昭和三七年七月二六日午後一一時二〇分ころ都内江戸川区西小岩二の一一三バー﹁みつこ﹂において他. の客が帰り閉店の看板を出したあと店内の長椅子にマダムの篠原光子︵四〇歳︶と並んで腰かけビールを飲みながら話. すうち︑劣情を催して同女を姦淫しようと企て︑逃げまわる同女のあとを追い︑追いつくや長椅子のうえに押し倒し. 五三. 強いて姦淫しようとしたが︑この騒ぎで二階に寝ていた同女の夫篠原武が眼をさまし降りてぎたため姦淫の目的を遂. 刑法一七七条前段一七九条. 強姦未遂. げなかったものである︒. 罪名. 罰条. ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(16) 早法百周年記念号. ︵本件は︑今日ほど性が開放的でなく︑バ!なども上品だった時代の事件である︶. 五四. 以下︑本件についてどのような手続形成および実体形成が行なわれたか︑つまりどのような順序・手続でどのよう. な証拠が取り調べられたかを略説しつつ︑その間裁判官らの心証がどのように形成されていったかを明らかにするこ. 公判期日の指定︵法二七三条︑規一七八条の一〇︶. ととしよう︒. 一. 第一回公判期日に行なうこととして. 一〇時を第二回︑同月一二目午前一〇時を第三回公判期目と指定し︑. 一目全部をあてるときはその旨告げる︒また時. 間を限るときは午前一〇時から一一時まで午後一時から三時までというように明示する︒以下同じ︶を第一回︑翌九月五目午前. 目正午まで︑OO日午後一時と指定したときはその日の午後四時半までを意味し︑. 記官立会のうえ︑公判期日などの打合せを行ない︑同月二九日午前一〇時︵普通は○○日午前一〇時と指定したときは同. 裁判長は︑起訴の日から約四週間後の昭和三七年八月二二日裁判所に両当事者を呼んで︑陪席裁判官とともに︑書. (. 被告人の公訴事実に対する陳述. 第一回公判期日における審理状況. 第二回公判の具体的予定は第一回公判終了後に︑第三回公判の具体的予定は︑第二回公判終了後に立てるご星・げた︒. 弁護人の証拠調の請求とこれに対する裁判所の決定をあげ︑. 検察官の証拠調の請求︵法二九八条一項︑規一八九条一項︶とこれに対する裁判所の決定︵規一九〇条︶. 検察官の証拠調に関する冒頭陳述︵法二九六条︶. 被告人の公訴事実に対する陳述︵法二九一条二項︶. 1(二)2ニハロイ1.

(17) 被告人は︑起訴状朗読後の陳述の機会に﹁自分は︑マダムの誘惑にまけてあのような行為に出たので罪にならない と思っている︒﹂と弁明し︑裁判長の釈明にこたえて次のように述べた︒. ﹁起訴状記載の日時場所でほぼあのようなことがあったのは事実です︒しかし私は︑マダムに誘惑されたのです︒. 彼女は︑私にしなだれかかって頬をすりょせ︑こんどどこかで二人だけで飲みましょうといいました︒そして私が煙. 草をすおうとすると︑二本いっしょに火をつけ︑口紅のついた一本をくわえさせてくれました︒こんな状況から私は︑. マダムは私に気がある︑無理にキスすれば︑あとは情交にも応じてくれると思ったのです︒私は︑数か月前に成人式. を迎えたばかりで女遊びの経験など全くなく︑マダムの色っぽい態度に参ってしまったのです︒キスしようとしたと きはもう夢中で︑あとのことはよくおぼえていません︒﹂. 弁護人は︑被告人の右の陳述を援用しながら︑つぎのように主張した︒. ﹁本件は︑年若い純真な被告人がマダムの挑発にのってした行為なので和姦未遂ともいうべきものである︒かりに. マ. そのように認められないとしても︑被告人は︑マダムが姦淫を承諾したと信じ︑そう信ずるについて相当の理由があ. 検察官の証拠調に関する冒頭陳述. った︒したがって︑いずれにしても無罪とするのが相当である︒﹂. 2. 検察官は︑﹁証拠により証明すべき事実﹂として﹁本件バーは︑安くて親切であると近所でも評判がよかった︒. ダムには︑会社勤めの夫があり︑これまで浮いた噂一つなかった︒マダムは︑初めての若い客をあたたかくもてなそ. うと︑気をつかい多少サービスしたにすぎない︒被告人は︑明らかにこれを自己に有利に誇張歪曲しているのである.. 五五. 本件について和姦とか︑犯意がなかったとかいう余地は全くない︒そのことは︑マダムが逃げまわり︑テーブルや椅 子がひっくりかえっていた状況からも証明される︒﹂ ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(18) 早法百周年記念号. 五六. ︵この陳述にひきつづいて行なわれた手続︶︵検察官は︑適法な告訴があったことを立証するため告訴状︑本件犯行の状況を立証す. るため被害者篠原光子およびその夫の篠原武の取調並びに実況見分調書の取調と現場の検証を請求し︑これに対し︑裁判所は︑弁護. 人の意見をきいてくただし︑実況見分調書については法三二六条による同意を得てV書証の取調と証人の尋問を第二回公判期日に行. 三. 告訴状の取調︵検察官が展示・朗読した︒法三〇七条︶︒告訴状には︑起訴状記載の日時場所で同状記載のような方. 第二回公判期日における証拠調の状況. なう旨および第三回公判と同じ日の午前一〇時に現場の検証を行ない︑そのあと午後一時三〇分から第三回公判を開く旨告げた︶︒. イ. 被害者篠原光 子 ︵ 四 〇 歳 ︶ の 証 言. 訪ねてぎたという︒ビールの杯を傾けるうち︑次第に最初の固さがとれて気楽に話すようになり︑しきりに下宿生活. か月前に成人式を迎えたばかりとのことだった︒何でも三年前に上京して近くに下宿しているが︑店の評判をきいて. いらしく︑おどおどしていたので︑傍らにゆき︑やさしい言葉をかけながら一緒にビールを飲んだ︒年をきくと︑数. うにみえたし︑きたのがおそかったので閉店後も暫く飲んでゆくようにすすめた︒こんな場所に出入りしたことがな. は︑安くて明るく感じがよいというので︑近所の若い人達の間で人気があった︒被告人は︑初めての客でおとなしそ. イトレスかが客の傍らにいって酒をすすめたり冗談をいったりするが︑それ以上のことは絶対にしない︒うちのバー. 店には︑私のほかに若いウエイトレスが一人いるが︑たいてい夜の九時半ごろにはかえしていた︒店では︑私かウエ. ﹁自分は︑十数年あそこでバーを営んでいるが︑これまでに︑あの夜のようなことを経験したことは一度もない︒. 被害者は証人として尋問され︑つぎのように述べた︒. 口. は︑その署名押印があった︒. 法で強姦されかけた状況と被告人の厳罰を望む旨とが記載されていた︒告訴したのは︑被害者の篠原光子で告訴状に. (.

(19) の昧気なさや淋しさを訴えていた︒また郷里は秋田で両親は百姓をしているが遠くてなかなか帰れないとこぼしてい. た︒私は多少可愛そうになり.この被告人なら万が一にもいたずらなどすることはあるまいと考え︑肩に手をまわし. て頬を寄せられてもそのままにしていた︒そのうち彼が﹃こんど二人だけで外で会えないかな︒ゆっくり飲みながら. 話したいんだけど︒﹂というので︑﹃そんなことをしていいの︒嬉しいわ︒﹄とお世辞をいった︒また彼が煙草をすお. うとしたとき︑ちょうど私もすいたかったので︑二本いっぺんに火をつけ︑一本彼に渡してやった︒このように私が. 彼にいろいろ気をつかい︑やさしくしてやったのは事実である︒しかし︑私の方から︑﹃今度そとで飲みましょう﹂. などと誘ったおぼえは全くない︒したがって被告人が突然キスしようとして抱きついてきたときには︑びっくりして. 立ちあがり彼を押しのけて逃げた︒すると彼は直ぐ追っかけてきて﹃誰もいないんだからいいじゃないか︒一度くら. いいいだろう︒﹂などと叫んだ︒そのときの彼の形相は別人のように恐ろしかったので︑私は﹃助けてえ!﹄と悲鳴を. あげながら︑夢中で椅子やテーブルの間を逃げまわった︒彼はしつっこく追いかけてきて何度か私の背中や腰に手を. 触れた︒その都度はねのけていたが︑とうとうつかまり長椅子の上に押し倒された︒その間テーブルや椅子がひっく. りかえり︑ビールびんやコップがあたり一面に散乱してこわれた︒この騒ぎで二階に寝ていた主人が眼をさまし降り てきて︑私のうえに乗りかかっていた被告人をなぐり︑警察に突き出してくれた︒﹂. この証人尋間の過程で面白いことがあった︒それは︑若い弁護人が被告人の弁明をそのまま信用し︑何とかして無. 罪にしようと張り切りすぎたためか︑被告人本人が法廷で弁解する以上のオーバーな表現で﹁あなたの方から被告人. の手をにぎり肩を抱いて頬ずりなどしたのではないんですか︒﹂とか︑﹁あなたが被告人の耳元に口を寄せ﹃こんど外. で二人で会って一緒に飲みませんか﹄と誘ったのではありませんか︒﹂とか︑﹁あなたは︑煙草二本に火をつけ︑﹁特. 五七. 別よ﹄といって口紅のついた一本を被告人に渡したのではありませんか︒﹂とか︑﹁その夜はあなたもかなり酔ってい ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(20) 早法百周年記念号. 五八. てあなたの方から被告人にしなだれかかったのではないですか︒﹂とか︑しつこく尋間するので︑遂に証人が怒り出. し︑﹁でたらめもいい加減にして下さい︒さんざん他人に迷惑をかけながら謝りにもこないで失礼じゃないですか︒﹂ と逆襲する場面があったことである︒. ︵この証言が終ったあと︑﹁被告人は何かいうことはないか﹂ときくと︑被告人は︑﹁先にいったとおりです﹂とだけ答えた︶︒. ハ 被害者の夫篠原武︵四五歳︶の証言. コ一階で寝ていたところ︑階下でびんがこわれるような音がし︑﹃助けて!﹄という悲鳴がきこえたので︑眼がさ. め枕元においてあった木刀をもって降りてゆくと︑若い男が妻を長椅子の上に押し倒しその上に乗りかかろうとして. いた︒そこで私は︑いきなり木刀で男の背中をなぐりつけ︑﹃何をする﹄と一喝した︒すると男は直ぐとびのき︑私の. 方にむかって﹁すみません﹄といいながら頭をさげた︒テーブルがひっくりかえり︑妻が必死に抵抗していた様子か. らみて男は妻を強姦しようとしていたと思われたので︑直ぐ警察に連絡して逮捕してもらった︒妻には浮いた噂一っ. なく︑店は評判がよくかなり繁盛していた︒被告人は前途ある青年だから︑十分反省の情を示せば厳罰は望まない︒﹂. ︵この証言に対しては︑被告人は﹁何もいうことはありません﹂﹁マダムは独身と思っていました﹂と力なく答えただけだった︶︒. 二 実況見分調書の取調︵検察官が調書てんぷのカラー写真や図面を提示︑調書の内容を朗読した︒法三〇七条︶︒. ︵第二回公判終了後行なわれた手続︶︵裁判長は︑公判が終了するや部屋に検察官と弁護人とを呼び︑陪席裁判官とともに︑書記官. 立会のうえ︑﹁有罪無罪はともかく︑相手に迷惑をかけたのは事実なのだから謝りにくらいいったらどうか︒﹂といった︒すると弁護. 人は﹁御希望にこたえ示談するつもりですが︑もしこれができたら次回の公判で示談書を取り調べられたい︒﹂と述べた︒検察官が異. 公判期日外における現場の検証. 論のない旨答えたので︑裁判長は︑弁護人の希望どおり取りはからうといい︑そのあとに被告人質問の機会を設けたいと告げた︶︒. 四 (.

(21) 検証開始後︑当時の写真などを基礎に︑犯行直後の状況を再現したが︑店は写真で想像していたよりも狭く︑また テーブルや椅子が倒れビールびんなどが散乱している状況は想像以上にひどかった︒. 五 第三回公判における審理状況. 1. 被告人の雇い主である鉄工業田中勇次︵五〇歳︶と仲間の工員竹下三夫︵二三歳︶の証言. 取り調べられた証拠. ︵審理開始前に行なわれた手続︶︵弁護人申請の情状証人二人および示談書を取り調べる旨の決定がされた︶︒. イ ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ﹁被告人は︑これまで酒もあまり飲まず︑たまに仲間に誘われてビヤホールに行く程度だった︒女遊びの経験はな. く︑真面目すぎるほどのかたぶつで本件のようなことが起こるとは︑夢にも思わなかった︒小説などよく読んでおり︑. ︵被告人はこれらの証言については何もいうことはないと答えた︒そのさい裁判長の質間に対し︑小・中学時代には作文が得. 将来はできたら雑誌記者か︑ルポライターかになりたいといっていた︒﹂. 示談書の取調︵弁護人が朗読︑法三〇五条︶︒. 意で︑これで賞を得たこともあると答えた︶︒. 口. 示談書には︑﹁被告人が被害者に対し多大の迷惑をかけたことを深くわび︑謝罪のしるしに︑現金三万円を差し出. すこと︑被害者は︑被告人側の誠意を認めて金を受けとるが︑被告人に二度とかような過誤のないように望むととも. 検証調書の取調︵法三〇三条︶書記官によって証拠書類として朗読され︑検証の結果︵混乱の状況︑想像以上にひど. に前途ある被告人の寛大な処分を希望すること﹂等が記されていた︒ ハ. く感じられたこと等︶が明らかにされた︒. 五九. 2 被告人の供述︵これは被告人が証拠調のあとの被告人質間の機会に述べたことであるが︑他の機会に述べたこととかなり重 ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(22) 早法百周年記念号. 複している︒しかし︑かようなことは実務上よくあることなので︑そのままにしておいた︶︒. 六〇. マダムが﹁閉店の看板を出しましたから二人でゆっくり飲みましよう︒﹂と︑私. ﹁私は︑あの夜一〇時半ごろバー﹃みつこ﹂にいった︒一一時ころになると︑客はみな帰り︑あとはマダムと私だ けになった︒私が帰ろうとすると︑. の傍らにきてビールをついでくれた︒私は︑数か月前成年になったばかりで︑バーなどに出入りをしたことはなく︑. この店にぎたのも初めてだった︒赤いラソプのついたところで︑きれいな色っぽいマダムにサービスしてもらうのは. いい気分だったが︑なれないことなので馬鹿に固くなり︑ろくに口もきけなかった︒すると︑マダムにやさしく話し. かけられ︑郷里のことや東京での生活のことなど尋ねられたので︑ありのまま答えた︒そのうち︑アルコールがまわ. ってきてだんだん落ちついてきたが︑それにつれてマダムがいよいよ色っぽくみえ妙な気分になった︒そこでマダム. の肩を抱きかかえたりしたが︑マダムはさけるどころか︑かえって私にもたれかかるようにし︑私が煙草をすおうと. すると︑二本取って火をつけ︑口紅のついた一本を渡してくれ︑﹃特別よ︒﹂といった︒そのときまでに二人でビール. を三︑四本あけ私はだいぶ酔っていたが︑マダムもかなり酔っているようだった︒そのうちマダムが私の耳もとに口. を寄せ︑﹃坊や︑こんどどこかで一緒に飲まない〜﹄とささやいた︒私が喜こんで﹃嬉しい︒いつどこで︒﹄というと︑. マダムは﹃困るわ︑坊やは直ぐに本気になるんだから︒﹄とか︑﹁私がもう少し教育してあげないと駄目ね︒﹄とかい. って笑った︒その仕草は︑いかにも色っぽく︑私に多少気があるように思われた︒私は︑まだ女遊びの経験はなかっ. たが︑仲間の話などぎいて自分もそのうち経験したいと思っていたので︑マダムの様子がいかにも挑発的に感じられ︑. このひとなら一押しすれば応じてくれるのではないかという気になった︒それでいきなリマダムに抱ぎついてキスし. ようとした︒するとマダムは︑﹃今はいや︑ここでは駄目︒﹄といって逃げ出した︒しかしそのとき私は︑もう興奮し. ていて夢中だったので細かいことは︑ほとんどおぼえていない︒最後にマダムに追いつき長椅子のうえに押し倒した.

(23) ところを︑いきなり御主人に木刀で背中をなぐられ一喝された︒このことははっきりおぼえている︒私としては︑マ. ダムが独り身で私に誘いかけ私との姦淫を承諾しているようにみえた結果ああいう行動に出たのであるから︑やり方. はまずかったけれど罪にはならないと思っている︒しかし︑今はマダムに御主人があることを知り︑ほんとうに申訳. 論告・弁論. けないことをしたと思っている︒﹂. 3. 検察官は︑﹁本件が強姦未遂になることは︑被害者の証言︑現場の状況などに照らし疑問の余地がない︒被告人は︑. 自分に都合のいい部分だけを誇張して述べているにすぎない︒犯情にかんがみ懲役三年が相当である︒﹂と論告・求 刑した︒否認事件としては︑比較的簡単な論告であった︒. これに対し︑弁護人は︑被告人の弁明・供述を基礎に︑被告人は犯意がなく無罪であると論じたが︑被害者の証人. 尋間のあとは多少考えが変わったらしく︑無罪論には前ほどの熱意はなく︑情状論に主眼をおいているようにみえ. た︒すなわち︑被告人が年若く︑これまで真面目に生活してきていて非行歴一つないこと︑被害者の方にも誤解を受. けるような多少軽率な行為があったこと︑被害老との間に示談ができ被害者も寛大な処分を望んでいること︑被告人. が深い悔俊の情を示し︑二度とかような過誤をおかすおそれがないこと等の事情を述べ︑被告人に対しては情状酌量. 判決︵同年九月二四日午前一〇時︶. のうえ刑の執行を猶予されたいと述べた︒ 六. 審理の経過と心証の形成. もの︵刑法二五条一項︶であった︒. 七. ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して. 六一. 判決は︑被告人を強姦未遂罪︵刑法一七七条前段一七九条︶で懲役二年に処し︑三年間その刑の執行を猶予するという. ( (.

(24) 早法百周年記念号. 六二. 本件については︑徹底的な集中審理が行なわれたので︑法廷にあるものは総て事件の内容・争点・証拠調の結果を. 知り︑それぞれの立場で心証形成をすることができたと思われる︒その関係をとりまとめて説明することとしょう︒. 本件は︑否認事件とはいえ︑事実関係そのものには︑あまり争いがなかったので立証も心証形成も比較的容易であっ. た︒それでもなお︑審理に立ち会ったもの︑あるいはこれを傍聴したもの︵当事者︑傍聴人など︶の心証には︑相当な. 隔りがあり︑必ずしも一本調子のものでなかったと思われる︒たとえぽ︑被告人の弁解と弁護人の主張だけをぎいた. とぎと︑検察庁の﹁証拠調に関する冒頭陳述﹂まできいたときではだいぶ印象が違うであろうが︑この段階ではいず. れもまだ漢然としており︑心証といえるほどのものではない︒心証らしいものが形成されたのは被害者のマダムが証. 人として取り調べられ被告人と全く異なる供述をしたとき以後であろう︒この段階になると︑被告人の世間知らずの. マダムの美貌と落ちついた態度に好意を寄せ︑その語るところを真実と思うものもあったであろう︒しかし︑さらに. 純真そうな態度とマダムの世なれた態度を比較して被告人に同情し︑その言う方が本当だと思うものもあれば︑逆に. 審理が進むうちに心証の変るもの︑特に被告人に不利に変るもの︵つまり﹁動機には同情すべき点はあるが︑ああ乱暴に︑. しつこくやったのでは有罪はまぬかれまい︒﹂と考えるに至ったもの︶は少なくなかったと思われる︒. 世人の注目を集めた大事件については︑各公判の都度審理の状況が報道され︑これを基礎に一般の人達も︑それぞ. れに一種の心証らしいものを形成することがでぎ︑時にはこれが週間誌などに話題を提供することにもなるであろう︒. これに対し裁判官の場合には︑専門家としての自負と責任上︑心証の形成も︑他の人達より︑はるかに慎重.細心. に行なわれるのが普通である︒本件についての裁判所の心証形成の経過をみると︑パーなどに出入りしたことのない. 左陪席は︑最初被告人に同情し︑弁護人と同様無罪論に傾いていたようであるが︑多少その経験のある右陪席は無罪. は困難という意見のようであった︒これは︑第一回公判が終った直後の合議で判明したことであるが︑そのさい裁判.

(25) 長は︑﹁被告人の弁解どおりのことがあったとしても︑水商売の女があの程度のサービスをするのは当り前のように. 思われるが?﹂といい︑自他の経験談をユーモラスに二︑三紹介した︒こんなときも︑裁判長は自ら進んで多くを語. らず︑審理を適正に進めるには︑いろいろの見方・考え方のあるほうがよいと思っているようにみえた︒. かねて裁判長は︑﹁合議﹂については結審後の正式の合議以外に︑必要に応じて何回でも合議する方がよいと考えて. いたが︑合議のさいは︑他のものが意見を述べやすいように自分の意見はあまりいわないという方針であった︒また. ﹁審理﹂については︑﹁被告人の弁解には︑i一見どんなに不自然・不合理と思われる点があっても︑ー虚心に耳. を傾ける︒﹂という考えであり︑﹁争いのある事件の判決﹂については︑﹁有罪のときは弁護側の批判に︑無罪のときは. 検察側の批判にたえるように配慮する︒﹂という態度であった︒この裁判長の姿勢が本件でも貫かれたことはいうま. でもなく︑彼のさきの合議での発言は︑その方針にもとづくものであった︒ところが︑最初無罪論に傾いていた左陪. 席は︑裁判長の体験にもとづく一言に意外なほど動揺し︑マダムらを尋間したあとは︑ー犯意の点になお疑間を残. しつつも︑ーほぽ有罪説に同調するに至った︒裁判長が弁護人に対し示談の件をもち出したのは︑このような事情 を踏まえてのことである︒. なお裁判長は︑合議で被告人の犯意が問題にされたさいには︑マダム︑被告人いずれの供述がより真実に近いかを︑. 現場の状況︑各供述者の心理などに照らして細かく論議してもらったり︑﹁マダムが独身らしくよそおっていたとし. たら⁝⁝﹂とか﹁キスに応じていたら﹂とか仮定し︑これらと比較してもらったりした︒﹁総てでぎる限り被告人に 有利に︑しかし法常識に反しないように﹂という配慮から出たことといえよう︒. 六三. このように︑わが国の裁判官の事実認定にさいしての心構え・配慮には︑単に訴訟の公正な進行をはかれば足りる と考える︑陪審制下の裁判官には︑想像できない苦労がある︒ ﹁刑事訴訟における実体形成・手続形成の理論﹂に関連して.

(26) 早法百周年記念号. 六四. アメリカの州裁判所︵ω聾・9自一︶の判事︵﹂且αQ︒︶には︑事実認定は陪審の専権であって自分達の関知するところで. ないとする考えが強いが︑連邦裁判所︵ぼ量巴9糞︶の判事となると︑事実認定が正しく行なわれるように配慮す. るものも稀れでない︒これに対し︑イギリスの判事は陪審の事実認定をあやまらせないように︑自ら証拠調の経過に. ついてメモをとり︑それが終ったのち︑証拠の証明力についての自己の心証を﹁証拠の要約﹂︵ω仁ヨ旨漏后oぽξ密目︒︶. および﹁法の説示﹂︵募3畠80=睾︶という形で説明し︑陪審はおおむねそれに従うので︑イギリスの陪審は︑ア. メリカの陪審と異なり︑結論をあやまることはほとんどないといわれている︵拙著﹁刑事裁判﹂中の﹁刑事裁判と陪審制. 事実認定についての研究. の是非﹂︑﹁裁判と裁判官﹂中の﹁欧米の視察旅行から帰って﹂参照︶︒. 七. 周知のとおり欧米では︑裁判官が事実認定をあやまらないように︑あるいは事実の認定権者に正しい事実認定をさ. せるように︑さらにはまた︑それらに関連して証人に真実を語らせるために︑﹁証明の科学﹂とか︑﹁証言の心理学﹂. とか︑﹁裁判過程の分析﹂とか︑﹁証人尋問の技術﹂とか︑事実の合理的・科学的認定に役立つ研究が盛んであるが︑. わが国でも︑ー再審事件が相つぎ誤判問題が注目されている折柄︑ーもっとこの種の研究が行なわれる必要があ. ると思われる︒法曹︑とくに刑事裁判官がこれらの知識を身につけることが望ましいことはいうまでもなく︑この素. 養の有無は︑複雑・微妙な争いのある事件の判決における﹁証拠説明﹂ないし﹁争点についての判断﹂の面でその説 得力に大きな相違をもたらすであろう︒.

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