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酒井泰弘著 リスクの経済思想

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Academic year: 2021

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酒井泰弘著 リスクの経済思想

⎜ ミネルヴァ書房,2010年4月,はしがき,目次10頁+本文260頁+

索引10頁 ⎜

現代は リスクの時代 といわれる。しかし,太古の昔から,人間生活は リスクにさらされてきたのであり,何も今出現したものではない。日常生活 に関わるリスクは,不安を与える一方で,人生に刺激や享楽を与えることで ある。経済活動には,リスクがつきものであり,ビジネスにおける利益は,

リスクをとる事の見返りと理解できる。現代社会が発展していく中で,リス クに対してどう対処すべきかは,現代社会における最大の課題である。

17世紀に,確率論(=偶然の理論)が確立されて以降,人々は,全くの偶 然と考えられてきた事象(=リスク)に一定の法則性を見つけ出し,リスク を縮小しまた損害を最小化するための最も合理的な方法を探り出そうとして きた。まさにリスクへの挑戦を繰り返しながら,人々は,経済社会を発展さ せてきた。

経済学は,科学性を極めるべく完璧な理論体系として一般均衡理論に到達 したが,そこでは,リスクや不確実性のない世界が前提であった。それは,

明らかに現実から乖離した非現実的世界でもあった。現実の経済メカニズム を解明するためには,不確実性やリスクの存在を前提とした考察が不可欠で あるが,その重要性は古くから認識されつつも,本格的研究が行われるよう になったのは,まだ100年足らず前からなのである。

著者は,近年ますます重要な関心を集めている リスク・不確実性の経済 学 の分野について,50年の長きにわたり精力的研究を続けて,多くの先駆 的業績を残されてきた。本書は,その学説史的・思想史的系譜を辿りつつ,

過去・現在・未来の時間軸の中で,その発展可能性を展望しようとした研究 261

【書 評】

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書であり,知的好奇心を高めてくれる啓蒙書でもある。

本書の構成ならびに概要は,以下のとおりである。第1章 社会のあり方 とリスク観の変化 では,リスク・不確実性・情報の経済学という新しい領 域が開かれた20世紀から21世紀にかけての1世紀の時代背景を概観する。と くに,日本人とアメリカ人とのリスク観の違いが興味深く示される。効率性 と経済性の追求だけでなく,安全性や公平性が十分に確保されず,社会はむ しろ不安定な状態にあるとする。 吾,唯足るを知る という知足精神が大 切であり,予期せざるリスクに備える最善策は,人間の心の持ち方である。

第2章 リスクの経済学の過去・現在・未来 では,リスク経済学の系譜 を,未明期(ヤミの時代),始動期(アベの時代),発展期(ノモの時代),

成熟期(アスの時代),再生期(ミチの時代),の5つの時代に区分をして,

それぞれの時代背景とともに描写されている。

第3章 リスクの経済学の二人の先駆者 では, アベの時代 ,すなわち ダニエル・ベルヌーイとアダム・スミスの18世紀の二人の経済学者を中心に,

リスクの経済学の 両親 として,新しい経済学の萌芽を辿っている。経済 学の始祖とされるスミスは,この当時から,リスクや保険に高い関心を持っ ていて,とくに, 人間はある場合にはリスクを過大に評価し,他の場合に はリスクを過小に評価する という観察は,現在,注目を浴びている行動経 済学に通ずるものである。ただ,経済モデルの対象とする段階には至ってい なかった。

次に,第4章 サイコロの賭けと確率論的思考 では,リスク分析にとっ て重要である確率論を確立させたブレーズ・パスカルのリスク観が考察され る。数学者であり,哲学者でもあったパスカルは,リスクの経済学にとって さまざまな重要な業績を残している。確率論という学問は,ギャンブルの享 楽から誕生したのであるが,知識や科学の水準を高める上で,大きな貢献を 果たした。

酒井泰弘著 リスクの経済思想

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第5章 不確実性とアニマル・スピリッツ では,20世紀前半の経済学の 泰斗であるナイト,ケインズ,ロビンソンの3人を取り上げ,彼らを貫く不 確実性に対する捉え方の共通性を取り上げる。ナイトは,利潤の存在根拠は リスクではなくて,測定不可能な不確実性であって,利潤とは,真の不確実 性に対する支払いであるとする。保険業者が扱うのは,真の意味での不確実 性ではなく,測定可能なリスクである。ナイトの最大の功績は,市場経済に おける保険業の存在意義をリスクとの関係性において,明確に理論構築をし たことであろう。

第6章 同盟と抗争の時代とゲーム論的思考 では,20世紀初頭における ノモの時代 ,すなわちフォン・ノイマンとモルゲンジュテルンによって確 立されたゲーム理論の時代背景が取り上げられる。リスクの経済学において,

いまやゲームの理論は不可欠な存在である。さらに,ここでは,推理小説家 コナン・ドイルの推理手法が,まさにゲーム理論が捉えようとしている事実 であることが興味深く論述されている。

さらに,第7章 異才フォン・ノイマンとゼロ和ゲーム では,ゲーム理 論の 聖典 とも言うべき ゲーム理論と経済行動 を中心として,基本ゲ ームとしてコイン合わせとジャンケンの構造を分析しながら,不確実性の世 界の本質を捉えている。

終章である第8章 非対称情報と市場経済のワーキング では,いま一度,

リスクの経済学の5つの時代区分を振り返りつつ,とくに,最近30年間にお いて目覚しい発展を遂げたリスクと不確実性の経済学の状況を描写している。

アスの時代 を作った,アロー,アカロフ,スペンス,スティグリッツの 4人のノーベル経済学賞学者の輝かしい功績をたたえる。そして,21世紀に 入って,新世紀にふさわしいリスク経済学の発展を目指して, 経済人 か ら 生活者 に向けて,発想の転換が必要であることを強調する。

本書は,随筆風な記述を盛り込みながら,リスクの経済学の流れを著者独

保険学雑誌 第 612号

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自の時代区分を通じて概括し,不確実性を加味した経済分析と時代背景を考 察し,新しい経済学の方向を模索する。巧みな文章力に惹きつけられて,興 味深く読むことができるだけでなく,この分野の理解を深める上で,本書は,

多くの示唆を与えてくれる内容となっている。

本書の特徴をまとめてみると,次の3点に集約できるように思う。第1に,

類書のないリスク経済学における学説史・思想史の研究書であることである。

これまで経済学史・経済思想史についての書物は多数あるが,本書のように リスク経済学に絞った思想史研究は,非常に貴重な存在である。第2に,リ スクに関する思想や学説が誕生し発展してきた要因を,文化的ならびに歴史 的背景を交えて,説得的に論じていることである。第3に,リスク経済学の 系譜をまとめながら,一方で,著者自身の研究の足跡を自ら振り返えろうと いうものである。それは,著者が,この分野に興味を持つに至った経緯や,

どのような思考過程をめぐらしながら研究に取り組んできたかを読者に示し てくれている。今後,本書は,この分野を志そうとする若い後進研究者に対 するメッセージであり,道標となるものである。

経済学は,複雑系経済学,実験経済学,行動経済学,ゲーム理論など,他 分野との連携が一段と進んで,経済学の領域を拡大させて,それぞれ目覚し い成果を見せている。これに対して,新しく登場してきたリスク学研究は,

経済学のみならず,社会学,哲学などの社会科学と,数学,工学,心理学,

医学などの自然科学との協働を必要とする学際的領域である。リスクの本質 を追究するためには,あらゆる学問の成果を取り込んだ連携的かつ体系的な アプローチが必要となろう。

リスクなければ保険なし 。まさに保険学は,正面からリスクと向き合う 学問である。新しいリスクの経済学という学問の発展に,保険学が貢献しう る可能性は大きい。著者が期待するような新世紀にふさわしい 新しい経済 学 を樹立するために,保険学の一層の発展が求められている。

(評者:慶應義塾大学教授 堀田一吉) 264

酒井泰弘著 リスクの経済思想

参照

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