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合理的ゆえに我信ず『宗教の経済学 信仰は経済を発展させるのか』ロバート・J・バロー,レイチェル・M・マックリアリー(著)

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書評:合理的ゆえに我信ず

『宗教の経済学 信仰は経済を発展させるのか』

ロバート・J・バロー,レイチェル・M・マックリアリー(著) 田中健彦(訳)大垣昌夫(解説) 慶應義塾大学出版会,2021 年 3 月

川越 敏司

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本書の要点

本書の原題はThe Wealth of Religions: The Political Economy of Believing and Belonging「宗教の富:信じる ことと所属することの政治経済学」であるが,ここから本 書の内容の重要なポイントを読み取ることができる.

ま ず,メ イ ン・タ イ ト ル で あ る The Wealth of Reli-gions は,アダム・スミスの The Wealth of Nations『国 富論』のもじりであることは明らかであろう.実際,本書 では宗教の経済分析の先駆者の 1 人としてスミスが紹介 されており,イングランド国教会のような国教という「独 占企業」は,宗教という「財やサービス」の品質を下げる ものであり,宗教「市場」における宗派間の「競争」こそ が宗教サービスの価値を高めるものだとスミスは考えてい た,ということが指摘されている.

また,サブタイトルにある Believing and Belonging と は,宗教上の教義を信じることと(信仰心),宗教上の活 動(礼拝や儀式等)に参加すること(宗派への所属)とを それぞれ表しているが,本書での分析によって提示されて いるのは,経済成長に寄与するのは信仰心の方であって宗 派への所属ではないということである.というのは,宗教 上の活動に参加するためには,宗教という非生産的な事業 に時間や労力というコストを費やさざるを得ないため経済 成長に対してマイナスに働くのに対し,天国や地獄といっ た宗教上の教義を信じることは,勤勉や節制といった労働 や貯蓄にプラスに働く個人の属性を強化し,それを通じて 経済成長が促進されると期待されるためである.特に後者 は,マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫 理と資本主義の精神』において述べた,プロテスタントの 勤勉(天職に励む)・禁欲というエトス(倫理)が資本主 義の発展をもたらしたという主張を,現代経済学の手法に よってより精緻に再確認したものだといえるだろう. このように,本書の原題を見るだけでも,著者が本書を 通じて伝えようとしている主張内容の大枠を知ることがで きる.また,上記の要点整理からもわかるように,本書に おける著者のアプローチは,合理的選択理論をベースにし た伝統的な経済理論である. 例えば,宗教団体には,ときに厳格すぎるように見える 戒律や規定(スティグマ)が存在したり,修行や供物につ いて信者に過剰な自己犠牲を要求したりするものがある. こうしたスティグマや自己犠牲は,入信希望者の加入をた めらわせるという意味で,信者を増やしたい宗教団体に とって「不合理」な制度のように見えるが,実はあまり熱 心ではない信者が宗教サービスにフリーライドすることを 防止するという意味で「合理的」なのである,といった具 合である. 上記のような議論は,家族や犯罪行為といった,従来経 済学とは無縁と思われた領域に経済分析のメスを入れ,不 合理と考えられた行動や習慣に合理的な説明を提供した ノーベル経済学賞受賞者ゲーリー・ベッカーの業績を基 に,宗教をクラブ財とみなして分析を行ったローレンス・ イアナコーンのモデルがベースにある.本書ではこのモデ ルが,イスラム過激派集団の分析などにも応用されてい る.このように,宗教という「不合理」な現象に対して合 理的な解釈を施していくのが本書のアプローチである. a 公立はこだて未来大学

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本書の第 1 章では,こうした著者の基本的な考え方が 述べられている.第 2 章では,市場が発展すると非生産 的な宗教活動へ時間や労力を割くことの機会損失が高まる ことから,経済発展に伴い宗教活動への参加率が下がって いくという「世俗化」の問題が取り扱われている.第 3 章 では,国際的な世界観調査データを用いて天国や地獄の存 在を信じるといった「信仰心」が高いほど,勤勉や節制と いった個人の倫理が向上し,それが経済成長につながるこ とが示されている.また,ルターの宗教改革により信者が 普段から聖書を読むという習慣を身に着けたことから識字 率が上がり,そうした人的資本の蓄積もまた経済成長にプ ラスに働いたことなどが指摘されている.第 4 章では,イ スラム教国においては宗教が経済活動に対してマイナスと なるような法制度を生み出してきたことや,ラマダン(断 食)が経済発展を阻害する要因になっていることなどが指 摘されている.第 5 章ではどのような国が国教をもつこ とになるかが分析され,ある宗教に帰依する人口が多いほ どその宗教が国教になる傾向があることが示されている が,国教を持っているかどうかと経済成長との関連性はな いことも示されている.第 6 章では,イアナコーンの宗 教をクラブ財と見るモデルがイスラム過激派やチベット仏 教というやや特異な宗教的活動・状況に応用されている. 第 7 章ではカトリックによる聖人の列聖がプロテスタン トとの競争が激しい時ほど増加しており,カトリックの信 者獲得戦略の一環であることが明らかにされている.最後 に,第 8 章では,これまでの議論が要約されると共に,聖 地からの距離と信者数が逆相関する(聖地に近いほど信者 が多い)といった関係をラテンアメリカにおけるイスラム 教の拡大に当てはめる現在進行中の研究を紹介した上で, 実証的科学による研究が宗教を啓発する可能性を指摘して 終わっている.

社会科学と宗教

社会科学における数理的・数量的分析手法を宗教の分析 に応用した研究は,バローとマックリアリーによる本書が 最初のものではないし,また最後のものではないだろう. 事実,マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズム の倫理と資本主義の精神』以来,宗教が経済発展に影響を 与えるかどうかについては,特に欧米では経済学の研究 テーマとして真剣にとらえられている.最近でも,フィリ ピンの貧しい家計相手に実施されたランダム化比較試験に 関する研究が著名な学術誌に発表されている (Bryan et al. 2021). 社会学者のスターク (Stark 1997) はその著書において, 発生当時まだユダヤ教における小さなセクトに過ぎなかっ たキリスト教が,なぜその後ローマ帝国の国教になるまで 成長したのかという疑問に対して,数量的な分析手法を用 いた回答を提示している.基本的には,劇的な回心といっ たイベントがなくても,指数的な成長方程式を当てはめれ ば,初期には少数者であったキリスト教徒がローマ帝国内 で過半数を超えた信者を獲得することを示すことができる ということである.また,スタークは,本書でも引用され ているイアナコーンの研究に基づき,キリスト教という 「クラブ=社会的ネットワーク」に属することで,愛情の ある人間関係や食事,医療・看護といった公共財からの便 益を受けられることが,疫病の蔓延した時代にはキリスト 教徒の生存率や出生率を維持し,キリスト教の成長を支え たのだという見解をも示している. バローとマックリアリーによる本書では,ウェーバーや スタークのような社会学的な手法ではなく,現在のマクロ 計量経済学の手法を用いて問題の分析を行った点に特色が ある.もちろん,本書に結実した研究については,当然異 論もある.実際,こうした宗教と経済発展との関連性につ いてのデ・ジョンによるサーベイ (de Jong 2008) によれ ば,肯定・否定の両方の結果が存在すると指摘されてい る.デ・ジョンは,こうした結果のばらつきが見られる理 由として,問題を考えていく上で統一的な理論的フレーム ワークが存在しないためだと指摘している.言い換えれ ば,バローとマックリアリーらが依拠しているのが,ミク ロ的基礎付けのはっきりしないマクロ的分析であるという ことであろう.

ゲーム理論による分析

そこで,宗教と経済発展との間の関係を分析するに当 たってミクロ的基礎付けがないという問題に関して,以下 で本書では言及されていない研究をいくつか紹介しよう. まず,レヴィとラジン (Levy and Razin 2012) は,囚人 のジレンマ・ゲームを題材として,人々の宗教的活動(儀 式や礼拝への参加)が協力行動に与える影響について分析 を行っている.こうした宗教的活動は,一般にコストのか かるもので,かつ外部の人から観察可能な行動であると仮 定されている. 各プレーヤーは,囚人のジレンマ・ゲームをプレーして 得る利得の他に,ゲームの結果とは独立に,ある確率でラ ンダムに発生する正または負の利得(追加的利得)を受け 取る.これは,宝くじに当たるといった思いがけない報酬 を得ること,あるいは交通事故にあうといった予期せぬ災 難に出くわすことを表している. 宗教的でない世俗的なプレーヤーは,囚人のジレンマ・ ゲームで得られる利得とこの追加的利得は独立の現象であ ると信じているが,宗教的なプレーヤーはこの 2 つの間 に何らかの相関があるものと信じていると仮定される.つ まり,宗教的なプレーヤーは,正の追加的利得の発生は, 信仰深い行動の結果であり,負の追加的利得の発生は,不

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信仰の結果だと考える傾向があるということである.こう した 2 種類の人々がランダムに出会っては囚人のジレン マ・ゲームをプレーする. この場合,パラメータに応じて様々な結果になるが,そ の中には,次のような均衡が存在する.宗教的なプレー ヤーは,たとえ相手に裏切られて金銭的には損失を受ける としても,スピリチュアルな利益(正の追加的利得)があ るために,相手が宗教的であろうとなかろうと,囚人のジ レンマ・ゲームにおいては協力するようになるというもの である. こうして,宗教的な人々が存在する社会においては,全 く世俗的な人々しかいない社会よりも効率的な結果が得ら れる可能性があることが示されている.さらに,こうした 人々が長期的に関係をもつ動学的な環境においては,宗教 的であることで何らかの損害を受ける「苦難の時代」を経 験するとしても,長期的には社会全体が宗教的になるよう な定常状態が存在することも示されている.

タブーに関するモデル

先ほどは,観察可能な宗教的行為(儀式や礼拝への参加 など)が経済行動に与える影響についてのモデルを紹介し たが,それとは明確に区別されるタイプの研究もある.そ れはタブー(禁忌)に関する研究である. 典型的なタブーには,人肉徒食や近親相姦などがある. ユダヤ教やイスラム教,ヒンドゥー教の食物規定などもま たタブーとみなせる.こうしたタブーは,歴史的には衛生 上の理由や遺伝学上の理由で危険な行為が禁止されてきた ことに背景があるのかもしれない.一方,臓器売買などの 場合は,危険性というよりは人間の尊厳を侵害するものと の意識が働いているものと考えられる.神聖で何らかの至 高価値のあるものに価格を付けるようなこうした行為もま た,タブーとして考えられることが多い. こうしたタブーに共通している特徴は,そうした禁忌規 定に触れる「行為」が禁じられているだけでなく,タブー に違反することを「考える」ことでさえも忌避されている という点である.これが,先ほど考察した観察可能な宗教 的行為とは異なるところである. こうしたタブー理解に基づいて,ベナブーとティロール (Benabou and Tirole 2012) は,タブーを思考のレベルに おいて忌避されるものとしてモデル化している. このモデルでは,プレーヤーは(タブーを共有する人々 との)社会的関係を一種の資産と考え,そうした関係資本 への投資が(タブーの順守といった)社会的に好ましい行 動への便益を生み出すものと考える.そして,こうした関 係資本の蓄積が多いほど,便益も大きくなる.この便益の 値,つまり,自分がどのようなタイプであるか(向社会的 か,利己的か)については確率的に決まるものとする.プ レーヤーは後の時点で,一定の確率で自分がどちらのタイ プであったかを忘れてしまうと仮定されている.そこで, 自分のアイデンティティを維持するために関係資本への投 資を継続する必要が生じてくる. さて,こうした設定の下で,プレーヤーは関係資本の一 部を売却することによる利益(価格)を提示される.これ は,例えば臓器売買のタブーを破って闇市場で取引する機 会が与えられるようなことを意味する.このとき,関係資 本へ投資を行うということは,タブーを維持し,そうした 闇市場に近づかないようにするということを意味する.言 い換えれば,臓器に価格を付けることなど考えもせず,そ うした闇市場の存在自体を脳裏から追い払うということで ある.こうしたタブーが維持されるか否かは,便益の値の (事前の)期待値によって特徴づけられることが示されて いる. ファーシュトマンら (Ferstman et al. 2011) もまた,こ うしたタブーに関する経済モデルを構築し,それが動学的 に安定的に維持される条件を探求している. 彼らのモデルでは,1 つの社会において内生的に決まる タブーによる抑制の強さ T に対して,タブーに違反する 行為を実際に選ぶ場合のコスト D と,そうした違反を心 に描くコスト C とを区別する.その上で,タブーに違反 することによる便益 b(例えば,飢餓の際に食物規定に反 するものを口にするといったこと)とこれらのコストとの 関係で,実際の行動が決まるものと考える. 与えられたタブーによる抑制の強さ T に対して,タブー から実際に逸脱することによる便益 b とそうすることの コスト D との差の期待値が,タブーへの逸脱を考えるコ スト C を上回る時,実際にそうした逸脱をするとする. また,タブーによる抑制の強さ T は,タブーに違反しな い(+違反することを考えない)人の割合によって内生的 に決まる.したがって,T の値によってタブーに違反する (+違反することを考える)人の割合が変化し,それが T 自体を変えていくことになる.しかし,与えられた T* の 下で,タブーに違反する(+違反することを考える)人の 割合が変化しても,再び T* に回復するとき,タブー T* は安定と呼ばれる. こうした設定の下で,彼らは複数の文化圏が共存する社 会において,それぞれの文化が異なるタブーを有してい て,各プレーヤーが自分自身の所属すべき文化(アイデン ティティ)を選択できるとしたとき(例えば,移民の子孫 が故郷の文化を忠実に守るのか,移民先の文化に溶け込む のかといった選択ができるとき)何が生じるかを分析して いる.

聖書のゲーム理論的解釈

バローとマックリアリーによる本書においても,上記の

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ようなゲーム理論による研究においても,基本的には宗教 「活動」の意義を合理的に解釈しようするアプローチであ るが,この他に,聖書のような聖典や教義に記された「内 容そのもの」を合理的に解釈しようとするような研究があ る. 古典的に有名なものでは,ユダヤ教の聖典タルムードに 記されていた破産に関する一見「奇妙」な規定に対して ゲーム理論による光を当てたオーマンとマシュラー(Au-mann and Maschler 1985) の研究がある.その規定では, ある男が遺産を残して亡くなったが,彼には複数の債権者 がいて,借金総額が遺産総額を上回っているとき,残され た遺産を各債権者にどのように配分すればよいか,という ことが問題になっている.この破産問題に対するラビによ る処方箋は,見たところ一貫性のない,矛盾だらけの代物 であるが,先祖から伝わる律法の解釈だとして,ユダヤ社 会では 2 千年近くも伝統的に用いられてきた.オーマン とマシュラーは,タルムードに記されたラビの処方箋が, 協力ゲーム理論における仁 (kernel) と呼ばれる解概念の 特殊ケースになっており,一定の合理性があることを示し たのである. ゲーム理論が聖書の解釈に新しい光を当てるという意味 では,ブラムス (Brahms 2002) はさらに徹底している. 旧約聖書における主要なエピソードに関してゲーム理論に よる分析を行い,一見不合理に見える聖書に記された神や 人間の行動が合理的に解釈可能であることが示されている のである. もちろん,聖書解釈においては,ヘブル語やギリシア語 の原義を調べたり,古代世界の文化や生活に関わる歴史研 究を行ったりする必要性がなくなることはないが,聖典や 教義の内容そのものの妥当性や合理性を経済理論やゲーム 理論によって分析するというこうした研究は,今後もさら に発展させられるべきだろう.

おわりに

バローとマックリアリーによる本書は,宗教という「不 合理」な現象に合理的選択理論による光を当てようとする ものだと聞いて,それが行動経済学となんの関係があるの かと疑問を持つ人もいるだろう. おそらくそうした人は,「行動経済学は人間の不合理性 を明らかにするもの」だという,通俗的な行動経済学理解 をもっているのではないだろうか.しかし,それは行動経 済学の研究スタイルを誤解していると思われる.実際に は,行動経済学はこれまで,世間では不合理だと言われて いる行動や現象を「合理的に説明する」理論を提供してき たのである. 例えば,時間選好に関わる研究における現在バイアスや 時間不整合性といった「不合理な選択」は,伝統的な指数 型割引を想定すれば不合理なものであるが,行動経済学で は双曲型割引を導入して,その前提の下ではそうした選択 が「合理的」であることを示してきたのである.そういう 意味では,行動経済学もまた,合理的選択理論なのである (川越 2019). 宗教という非生産的な活動に希少な時間や労力を割くと いうこともまた,世俗化が進んだ現代においては,世間的 に見れば「不合理」な選択に見えるであろう.しかし,バ ローとマックリアリーは本書を通じて,例えば,天国や地 獄を信じるという信仰は合理的なものであり,社会全体の 富を増大させる可能性があるということを,数々の証拠を 用いて示しているのである. 信仰の合理性を示すということでは,意思決定理論の先 駆者だと考えられているブレーズ・パスカルが,その遺著 『パンセ』に記したいわゆる「パスカルの賭け」が有名で ある.パスカルは,神を信じるか信じないか,そのどちら に賭けるかを読者に問いかけた上で,神を信じることと信 じないことによる帰結の期待利得をそれぞれ求め,神を信 じる場合の期待利得の方が高いことを「証明」している. もちろん,この「証明」に説得されて神を信じるように なる人はいないかもしれないが,神を信じることが合理的 である可能性を示した 1 つのモデルとして評価すること は可能であろう.バローとマックリアリーによる本書もま た,このパスカルのアプローチに連なるものである.まじ めな信者にとっては,宗教の経済分析など的外れであるば かりか,不敬でさえあると感じられるかもしれないが,「信 じることが合理的であるがゆえに信じる」という確信を形 成していく上で,本書が有益であることは間違いない.

参考文献

Aumann, R. J. and M. Maschler, 1985. Game theoretic analysis of a bankruptcy problem from the Talmud. Journal of Eco-nomic Theory 36, 195‒213.

Benabou, R. and J. Tirole, 2011. Identity, morals and taboos: Beliefs as assets. Quarterly Journal of Economics 126(2), 805‒855.

Brahms, S. J., 2002. Biblical Games: Game Theory and the He-brew Bible, The MIT Press.(ス テ ィ ー ブ ン・J・ブ ラ ム ス 著,川越敏司訳,2006. 旧約聖書のゲーム理論 ゲーム・プ レーヤーとしての神.東洋経済新報社 , 東京.)

Bryan, G., J. J. Choi, and D. Karlan, 2021. Randomizing reli-gion: The impact of Protestant evangelism on economic outcomes. Quarterly Journal of Economics 136, 293‒380. Ferstman, C., U. Gneezy, and M. Hoffman, 2011. Taboos and

identity: Considering the unthinkable. American Economic Journal: Microeconomics 3, 139‒164.

de Jong, E., 2008. Religious values and economic growth: A review and assessment of recent studies. NiCE Working Paper 08-111.

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酬支払法を中心とした考察∼.行動経済学 12, 15‒25. Levy, G. and R. Razin, 2012. Religious beliefs, religious

partici-pation, and cooperation. American Economic Journal: Mi-croeconomics 4(3), 121‒151.

Stark, R., 1997. The Rise of Christianity: How the Obscure,

Marginal Jesus Movement Became the Dominant Reli-gious Force in the Western World in a Few Centuries. Harper, San Francisco.(ロドニー・スターク著,穐田信子 訳,2014. キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝 国に広がった理由 . 新教出版社,東京.)

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