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近代日本と民俗芸能 Modern Japan and Folk Performing Arts

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Academic year: 2022

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 本研究は民俗芸能の実践に関する民俗学的研究である。

現代の民俗芸能を歴史的所産としてみると、その実践は民 俗学や歴史学・演劇学など多角的に考察されるべき問題を はらんでいると考えられる。

 序章では我が国における民俗芸能研究の展開を通観し、

その成果と課題について述べた。民俗芸能が組織体系的に 調査研究の対象とされたのは「民俗藝術の会」を嚆矢とす る。組織的な資料の収集と比較研究という方法は、戦後の 文化財行政主導の調査・研究に引き継がれ、民俗芸能のデー タベース化が進んだといえる。また、行動経済成長期を転 機として、都市祭礼研究の影響を受け、民俗芸能が演じら れる「場」や当事者間のコンフリクト・観光資源利用の問 題、民俗芸能の行為者の身体をめぐる学習や近代社会との 関係を記述する方法が模索された。こうした成果を受け、

本研究では次の3点を課題とした。第一にデータベース化 された資料を再び地域的文脈に戻し、再び列島単位として の芸能史に位置づける芸能史的課題。第二に資源化の民俗 芸能の資源化という問題を歴史研究のなかで再検討する。

第三に集団間および集団内における文化的・構造的対立が どのような形をとって現われるかを、実践レベルで解読す る。「見る/見られる」という従来の視点に加え、「見させ る」という極を設定した。すなわち、文化財制度や観光化・

社会意識といった外的要因と当事者の関係を立体的に把握 する方法を用いた。

 第1章では東日本に広く分布する「三匹獅子舞」につい て、フィールドワークと絵画・文書資料を用いて、その伝 播・伝承・展開のプロセスと、それに関わる主体の差異に ついて論じた。まず、長野県・東京都・埼玉県・栃木県・

福島県・秋田県におけるフィールドワークから、その芸態 の特徴を抽出した。長野県・東京都・埼玉県においては、

華やかな花の造り物が強調されるのに対し、栃木県以北に おいては花・ササラの減少および獅子の機能の強化ともい うべき現象を記述した。さらに、歴史的展開と風流踊とし て共通する唄と形態が民俗化する際どのような要因が介在 していたかを、唄と文書を通して分析した。そこには宗教 者の介在は認められるものの、文書に書かれた宗教的知識 と実際の芸態が著しく異なるため、知識は知識として伝播・

共有され、身体的実践とは異なる次元で行われたと考えた。

そこには芸能を伝える者、芸能を引き継ぎ内在化する者、

評価し変化の契機を作る者という伝播・伝承・展開のモデ ルが浮かび上がった。つまり、歴史的・文化的規制のなか で「伝承知」と「実践知」の2つの伝播・伝承・展開が行 われ、それぞれの主体が異なるといえる。そして、「三匹獅 子舞」にみられる近世の宗教的知識それ自体もまた、評価 の対象として近代的認識や制度でもって再評価されると結 論付けた。

 第2章は明治から帝国主義下における文化政策を通し て、民俗芸能の評価の構造および国家の芸能観について述 べた。明治初期の演劇政策と地方芸能政策にみえる統制が、

西洋を理想とした「国家に益なき遊芸」という芸能観、あ るいは日本を「未開」とみなす社会進化論に基づいて行わ れていたことを確認した。こうした都市の演劇が、伊藤博 文内閣の発足を契機として、規制の対象から文化利用の対 象としてなるが、その政策転換する過程を通観した。一方、

新聞記事や文書を通して、盆踊りや芝居のような一般の手 によって行われていた芸能は、自らの身体を資本にして生 計を立てていた者と比較して、実態としての政治的影響力 は小さかったことを明らかにした。日光市小林に伝わった 関白流獅子舞に関する古文書「秘密許之事」から、因習視 されてきた芸能が、じつは地方では都市ほど規制されるこ とはなかったといえる。地方の芸能は逸脱しない限り問題 視されるものではなかった推測され、外国と都市の「未開」

という関係は、都市と地方という関係のなかで分節化して 展開していたと考えられる。こうした芸能・演劇観が転換 するのは、1930年代以降だろう。昭和恐慌以降、農村問題 が深刻化し、郷土に関心が集まった。これによって、地方 の芸能も注目されることとなった。その代表的な事例とし て、郷土舞踊と民謡の会を取りあげ、舞台化と政治性を論 じた。国家的プロジェクトのなかで成功を収めたこの芸能 大会はまさに「国家が芸能を見る」というもので、その背 景には、民俗芸能を評価する民俗芸能研究者らの存在が大 きいとした。さらに、こうした文化政策の思想的支柱となっ た民力涵養運動とその具体的展開として、国立劇場の建設 について論じ、民俗芸能が国民教化・国民統合としての機 能を求められていたことを明らかにした。内務省社会局の

「民力涵養実行資料」では、それまで規制の対象とされた地 方の民俗芸能が、農村生活の貴重な娯楽として位置付けら れていた。こうした芸能観は帝国主義下においても継承さ

近代日本と民俗芸能

Modern Japan and Folk Performing Arts

伊藤 純(Jun Ito)  指導:蔵持 不三也

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人間科学研究 Vol.28, No.1(2015)

博士論文要旨

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れ、また『国体の本義』では、「皇国国民を育成するために 郷土を理想化」するものとして民俗芸能の精神性が強調さ れていた。近代演劇政策においては、民俗芸能の娯楽性・

精神性・統合性が見出され、その実用性が求められ、社会・

国民教化として一定程度実践され、盆踊りに至っては慰安 芸能として流行していたことを明らかにした。芸能が内在 的に備えていた「民俗美」や「超歴史性」が高く評価する こうした芸能観は、戦後の芸能=文化財政策に引き継がれ ていった。

 第3章では民俗芸能を利用可能な文化として利用する際 の評価者の芸能観について言及した。具体的には民俗芸能 研究を調査・研究のレベルで牽引してきた本田安次をとり あげた。相対化するため、民俗学から民俗芸能研究が独自 の分野として確立する1930年代に注目された花祭研究につ いて、早川孝太郎・折口信夫の花祭論を参照点とした。早 川は芸能的要素のみならず、その背景となる祭祀・社会構 造に着目して、モノグラフという方法を用いて花祭を歴史 的にも位置づけていた。また、折口は演繹法的に概念・資 料操作し、現実社会のなかに歴史を求めていた。両者に共 通する点は、民俗芸能の芸能性のみならず、そのコンテキ ストに注目した点であろう。彼らに対し本田は、全国的な フィールドワークによって、列島規模で資料操作をおこ なっており、そこには均質的な文化観に基づき、地域性や 民俗、生活意を捨象してしまうという方法論的課題を明ら かにした。言い換えるならば、民俗芸能の芸能性に注目し、

身体を個別に取り出すことが可能であるという芸能観であ る。この芸能観は、本田という一研究者のみならず、戦後 の文化財行政(無形の文化財)の思想的基盤であったこと を、文化財保護委員会の資料から明らかにした。文化財保 護法における無形の文化財が保護と舞台化と伝承がセット をとして策定されている。実際に、1960(昭和35)年に設 立され、1962(昭和37)年には当時の文部省の補助金を受 けた国際芸術家センターは、民俗芸能を調査するなかで、

日舞・洋舞・バレーダンサーなどに習得させて、公演をつ くっていった。民俗芸能は日本の民族芸能として置き換え られていき、世界に発信された。このような、地域的文脈 や当事者の生活意識を超えて、芸術化・芸能化・作品化で きるとする芸能観を演劇学的芸能観として、疑問を呈した。

 第4章では歴史的に構築された芸能観が現代社会におい てどのように機能しているかをみていった。具体的には、

三宅島の牛頭天王祭(テンノウサマ)という祭で叩かれる 太鼓を対象にした。村落祭祀としてのテンノウサマは、旧 島役人を出自とする壬生家と禰宜ないし宮守を中心によっ て祭祀が営まれており、いわば血縁関係を事実上重視して いる。一方、娯楽としてのテンノウサマは青年団や地区の 人々を中心とした地縁の原理によって行われている。太鼓 や神輿は係長制がひかれ、自治会によって認められた係長

が、その役割を取りまとめる。こうしたなか、離島振興に よる観光化・島外の和太鼓ブームにより、テンノウサマで たたかれる太鼓は文化財化・観光資源化・舞台化される。

直接的には、観光ホテルによる舞台経験による自文化を再 認識し、1970年に結成された神着郷土芸能保存会の発足の 影響が大きい。もう一方で、結成時期が曖昧な芸能同志会 の活動にも着目した。同志会の太鼓は、専門的な和太鼓集 団である鼓童によって取り入れられて全国的に知られるよ うになったが、神着太鼓の正統な後継者を自認する保存と のあいだに島の民俗慣行を巡っての軋轢が生じるように なった。同志会は島外に活動の場をもとめ、テンノウサマ においては保存会が伝承に重要な役割を担うようになって いく。制度上は係長と保存会は併設される形でテンノウサ マが行われているが、保存会は島外の舞台や活動を通じて、

芸能ネットワークともいうべき、役縁的なネットワークを 独自に形成していく。2000年の噴火による全島避難が解除 された2005年以降、テンノウサマの太鼓には、保存会を通 じて島外の参加者が参加するようになる。テンノウサマの 実践は血縁・地縁・約縁の原理が入り乱れるように複雑化 する。芸能の実践者の語りのなかで、民俗の論理と芸能の 論理で揺れ動いていく過程を、地域のガバナンスを超えた 芸能的論理と民俗的論理の二重性に注目して分析した。社 会的なつながりが後退し、芸能ネットワークが構築される なかで民俗芸能が作品化され、際限なく拡散し、それが再 び民俗の問題として戻っていく様をフィールドスタディと して提出した。祭のなかの一部として担われていた芸能が、

地域社会と切り離され、資源化される問題を祭芸分離とし てとらえた。

 以上、本研究では現在みられる民俗芸能を、それをめぐ る「実践」の展開と衝突・葛藤の所産として捉えた。具体 的には「見る/見られる/見させる」という位相における 絶えることのない身体評価の歴史でもある。それを資源化 という言葉で表現すると、演劇芸能観にもとづき、身体は 操作可能なモノとして他者へと発信される歴史であり、伝 承の多極化という現象をもたらした。伝承の多極化という 現象は、芸能による新たなネットワーク構築や新しい芸能 文化・芸術文化を創造する可能性を秘めている。しかしな がら、技術や芸能に内在する娯楽性で繋がるネットワーク は、社会と乖離した芸能を基調とする結合原理に基づく。

そこには当事者の自律性が、知らず知らずに他律的になる 危険性をはらんでいる。日本の文化政策が民俗芸能の維持・

発展に寄与していることは認められるが、それが民俗芸能 自体の選別システムにもなっている。そして、この選別か ら漏れた夥しい数の芸能が、今日後継者不足などさまざま な問題を抱えている実情を省みると、文化資源化の過程を より注意深く検討する必要があるだろう。

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人間科学研究 Vol.28, No.1(2015)

参照

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