• 検索結果がありません。

密教文化 Vol. 1954 No. 26 002高田 仁覚「阿毘達磨大乗経について P20-37」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "密教文化 Vol. 1954 No. 26 002高田 仁覚「阿毘達磨大乗経について P20-37」"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

密 教 丈 化

序 言 ( 一 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 実 態 と 摂 大 乗 論 と の 関 係。 ( 二 ) 摂 大 乗 論 の 著 者 と 阿 毘 達 磨 大 乗 経。 ( 三 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 断 片 に つ い て。 ( 四 ) 諺 茸 冨 路 麟 巳 に 見 ら れ る 阿 毘 達 磨 経。 結 語 序 言 一 般 的 に 言 つ て、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と 密 接 不 可 分 な 関 係 に あ る 論 書 は、 無 著 の 摂 大 乗 論 で あ る。 こ の 摂 大 乗 論 に 就 て は、 こ れ ま で に 佐 々 木 月 樵 著 ﹃ 漢 訳 四 本 対 照 摂 大 乗 論 ﹄ を 始 め と し て、 フ ラ ン ス の ラ モ ー ト 氏 に よ る

﹃La Somme du Grand

Vehicule﹄ 及 び 宇 井 伯 寿 著 ﹃ 摂 大 乗 論 研 究 ﹄ が あ つ て、 夫 々 そ の 中 に 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 問 題 が 論 述 せ ら れ て い る。 ま た、 ﹃ 荻 原 雲 来 文 集 ﹄、 結 城 令 聞 著 ﹃ 心 意 識 論 よ り 見 た る 唯 識 思 想 史 ﹄ 及 び 宮 本 正 尊 著 ﹃ 根 本 中 と 空 ﹄ 等 の 諸 労 作 の 中 に も、 端 的 に 此 の 問 題 が 取 扱 わ れ て い る。 こ の 外、 先 年 龍 谷 大 学 に 於 て、 京 都 大 学 の 長 尾 先 生 の 研 究 発 表 さ れ た も の も あ る。 然 し な が ら、 こ れ ま で の 研 究 で は、 い つ れ も、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が 何 等 か 一 定 の 形 を も つ て、 摂 大 乗 論 以 前 に 存 在 し て い た と す る 前 提 の 下 に 探 究 せ ら れ て 居 勢、 而 も そ れ が 纏 ま つ た 形 を 以 て 発 見 さ れ な い 為 に、 研 究 は 一 応 行 詰 つ た 状 態 に あ る と 言 う こ と が 出 来 る で あ ろ う。 事 実、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と い う 経 典 は 摂 大 乗 論 以 外 に は 殆 ど 断 片 さ え 見 出 さ れ な い ま ま で あ る か ら、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と 摂 大 乗 論 と の 関 係 も ま た 憶 側 の 域 を 出 て い な い の で あ る。 こ の よ う に、 研 究 の 進 ま な い 原 因 は 主 と し て 資 料 の 不 足 に あ る が、 ま た 限 ら れ た 資 料 に 各 種 の 異 訳 が あ つ て、 相 互 間 に か な り の 異 同 が 存 す る こ と も お ざ わ い し て い る。 即 ち、 摂 大 乗 論 本 論 に は 漢 訳 が 四 種、 蔵 訳 が 一 種 で 合 計 五 種 あ り、 註 釈 に は 世 親 の も の が 漢 訳 二 種 ・ 蔵 訳 一 種 で 合 計 三 種、 無 性 の も の が 漢 訳 ・ 蔵 訳 各 一 種 で 合 計 二 種、 そ れ に こ こ で 紹 介 し よ う と す る ﹃ 秘 義 分 別 摂 疏 ﹄ の 蔵 訳 を 入 れ れ ば 六 種 あ る こ と に な

(2)

-20-る。 そ こ で、 従 来 の 研 究 を 一 歩 進 め る た め に、 ど う し て も 新 し い 資 料 に 依 つ て、 古 い 資 料 の 再 発 見 に 努 め る こ と が 望 ま し い の で あ る。 (1) こ の よ う な 意 味 か ら、 注 目 す べ き 資, 料 は 秘 義 分 別 摂 疏 (vivritti guhyartha-pinda-vyakhya) と 言 わ れ る 作 者 不 詳 の 註 訳 で あ ろ う。 而 も、 こ の 註 訳 は そ の 表 題 が 示 し て い る 如 く、 秘 せ ら れ た 意 義 を 開 示 す る も の で あ る か ら、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 問 題 に 就 て も、 何 等 か 解 決 を 与 え て く れ る か も 知 れ な い。 私 は 先 年 来、 恩 師 野 沢 離 証 先 生 の 御 指 導 の 下 に、 困 雜 な こ の 資 料 の 解 読 に 努 め て 来 た。 そ し て ま た、 大 谷 大 学 の 研 究 科 に 籍 を 置 い て い た 頃、 山 口 益 先 生 や 京 都 大 学 の 長 尾 雅 人 先 生 等 に も 御 示 教 を 仰 い で こ の 問 題 と 取 組 ん で 見 た の で あ る。 以 下 は そ の 中 間 報 告 と し て、 御 批 判 を 仰 こ う と 思 う 次 第 で あ る。 ( 注 )(1)、 頁、 デ ル ゲ 版、 東 北 目 録、 四 〇 五 二、 二 九 六 頁 ( 一 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 実 態 と 摂 大 乗 論 と の 関 係。 こ れ ま で の 学 者 の 認 む る 所 で は、 摂 大 乗 論 は 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 中 の 摂 大 乗 品 を 略 釈 し た も の で あ る と せ ら れ て い る。 こ れ は 玄 装 訳 等 の 摂 大 乗 論 末 尾 に 典 拠 を 置 く 見 解 で あ る が、 宇 井 先 生 の ﹃ 摂 大 乗 論 研 究 ﹄ に よ つ て、 こ れ に は 幾 多 の 矛 盾 あ る こ と が 明 ら か に せ ら れ た。 宇 井 先 生 は 全 く 漢 訳 資 料 の み に よ つ て 批 判 せ ら れ た の で あ る が、 こ れ を 準 原 典 視 さ れ て い る 西 蔵 訳 に 照 し て 見 て も、 同 様 の 結 果 が 得 ら れ る。 今 そ の 西 蔵 訳 摂 大 乗 論 末 尾 を 見 る に、 ﹁ 阿 閣 梨 耶 無 著 所 造 の 摂 大 乗 ( 論 ) は 了 つ た ﹂ と あ る の み で、 玄 漢 訳 等 に 相 当 す る 語 句 は な い。 従 つ て、 依 用 し た 原 典 テ キ ス ト に 全 く の 相 異 が な い 限 り、 玄 婁 訳 等 の み を 根 拠 と し て、 摂 大 乗 論 は 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 中 の 摂 大 乗 晶 を 略 訳 し た も の と 理 解 す る の は、 少 し 早 計 に 過 ぎ る の で あ り、 宇 井 先 生 の 見 解 に 同 調 せ ざ る を 得 な い。 然 し、 我 々 は 更 に 一 歩 を 進 め て、 こ の 問 題 を よ り 根 本 的 に 検 討 し た い と 思 う。 さ て、 摂 大 乗 論 の 壁 刀 頭 と 末 尾 の 文 を 各 異 訳 に 就 て 示 せ ば、 次 の 通 り で あ る。 ( 壁 頭 ) 1 ( 佛 ) 大 乗 阿 毘 曇 経 中。 2 ( 真 ) 摂 大 乗 論 即 是 阿 毘 達 磨 教 及 大 乗 修 多 羅。 3 ( 笈 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 修 多 羅 中。 4 ( 玄 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中。 5 ( 蔵

) chos mnon pa theg pa

( 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中。 ) ( 末 尾 ) 1 ( 佛 ) な し。 2 ( 真 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 蔵 経 中 名 二 摂 大 乗 哺此 正 説 究 寛 刈 3 ( 笈 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 修 多 羅 中 摂 大 乗 品 解 釈 寛、 阿 閣 梨 阿 僧 伽 造。 4 ( 玄 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 摂 大 乗 品、 我 阿 僧 伽 略 釈 究 寛。 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に つ い て

(3)

密 教 文 化 5 ( 蔵

) theg pa chen po bsdus pa slod dpon chen po

thogs med kyis mdsad pa rdsogs so

( 阿 閣 梨 耶 無 著 所 造 の 摂 大 乗 は 了 つ た。 ) 右 に よ つ て 明 か な る 如 く、 壁 頭 で は、 殆 ど 大 多 数 の 訳 が 摂 大 乗 論 と 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と の 関 係 を、 ﹁ 中 し と い う 語 で 示 し て い る の に、 た だ 真 諦 訳 の み は、 ﹁ 即 是 ﹂ の 関 係 と し て 表 わ し て い る の が 注 目 さ れ る。 又、 末 尾 で は、 西 蔵 訳 の み が 単 に 摂 大 乗 論 を 説 き 了 つ た 旨 を 記 し て い る の に 馬 真 諦 訳 は 阿 毘 達 磨 大 乗 蔵 経 中 摂 犬 乗 と 名 ず ぐ る 正 説 を 了 つ た と し て、 同 訳 の 壁 頭 と ば 異 つ た 訳 出 を し て 居 り、 玄 婁 訳 と 笈 多 訳 と は、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 中 の 摂 大 乗 晶 を 概 説 し 了 つ た か の 如 く に 訳し て い る 点 が 異 つ て い る。 然 し、 こ の よ う な 相 異 が 見 ら れ る とし て も、 西 蔵 訳 と 玄 奨 訳 と は、 そ の 他 の 大 部 分 に 於 て 相 一 致 し て い る こ と か ら 判 断 し て、 そ の 原 典 に 就 て 特 に こ の 部 分 の み が 相 異 し て い た と も 考 え ら れ な い。 然 ら ば、 か か る 相 異 の 由 つ て 来 る 所 以 は 何 か と 言 え ば、 各 訳 者 の 麟 訳 技 術 の 相 異 に あ る と 思 わ れ る。 逆 に 言 え ば、 一 は ﹁ 中 ﹂ と 訳 し、 他 は ﹁ 即 是 ﹂ と し た の は、 ニ ユ ア ン ス の 開 き に よ る と 見 な け れ ば な ら な い で あ ろ う。 然 し、 従 来 の 漢 訳 資 料 で は 此 れ を 立 証 す る 方 法 は な い の で あ る。 そ れ は と も か く、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と 摂 大 乗 論 と の 関 係 は、 以 上 の 比 較 対 照 に 依 つ て 湘 ( 1 ) 摂 大 乗 論 が 何 等 か の 意 味 で 阿 毘 達 磨 大 乗 経 で あ る の か、 ( 2 ) 固 有 の 経 典 と し て の 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が お つ て、 そ の 中 に 摂 大 乗 品 な る 一 品 が あ り、 そ れ を 概 説 し た も の が 摂 大 乗 論 で あ る の か、 ( 3 ) 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と 言 わ れ る よ う な 一 群 の 経 典 類 が あ っ て、 摂 大 乗 論 は そ れ 等 の 説 く 所 を 纏 め た も の で あ る の か、 い つ れ か で あ る と い う こ ど に 帰 着 す る と 思 わ れ る。 秘 義 分 別 摂 疏 に は、(1) こ れ に関 し abhi-mahy-sutre と い う 合 成 語 の 於 格 に 就 て 注 目 す べ き 解 釈 を 示 し て い (1) る。 即 ち、 ( 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 に ど い う こ れ に よ り て 十 語 義 が 阿 含 (、 聖 教 ) と 相 応 す る こ と を 示 す の で あ つ て、 ( 中 と ば ) 同 格 の 関 係 を 有 す る と い う 第 七 所 依 ( 於 ) 格 で あ る。 ) と。 こ こ で、gshi mthus pa と い わ れ る 西 蔵 語 は、Chand Das の 蔵 英 辞 典 に 依 れ ば、 梵 語 の。samarana で あ る。 而 し て、 原 文 に は、 次 に nid の 語 が あ る か ら、 正 し く は samanahhikaarana 或 は samana で あ る と 考 え て よ い。 こ の 語 の 意 味 は Apte の 辞 典 に 依 れ ば、 同 格 ・ 同 類 又 は 同 地 位

(apposition; same

ic-ament ) で あ る と す る か ら、 萄 又 は 甘 帥 旨 と い う 後 接 字 が 加 わ ると、 同 格 の 状 態、 同 類 た る こ と 又 は 同 地 位 で あ る こ と

(4)

-22-と い う 意 味 に な る。 更 に、 此 の 語 を 翻 訳 名 義 大 集4732 に 依 つ て 見 れ ば、 語 典 慣 用 語 の 一 つ と し て、 ( 蔵 )gshi mthun pa ( 梵 ) samanadhikaranah ( 漢 ) 順 本、 ( 和 ) 同 格 の、 (2) 同 一 格 の 関 係 を 有 す る、 と 示 さ れ て あ る。 そ こ で、 こ れ 等 の 解 義 に 依 れ ば、 摂 大 乗 論 は 陶 毘 達 磨 大 乗 経 と 同 格 の 関 係 を 有 す る、 或 は 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に 順 ず る 十 語 義 が 説 か れ る と い う よ う に、 辟 刀 頭 の 部 分 を 理 解 し な け れ ば な ら ぬ。 又 こ こ の 於 格 の 意 義 は 一 般 的 な 於 格 と 異 る か ら、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と い う 或 る 経 典 の 中 に、 摂 大 乗 論 を 構 成 し て い る 十 語 義 が 何 等 か の 形 に 於 て 説 か れ て あ る と 見 ら れ る よ う な 関 係 で は な い。 従 つ て、 玄 婁 訳 の ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 ﹂ の ﹁ 中 ﹂ と い う 訳 語 も、 ﹁ の 中 に ﹂ の 意 味 と 見 る べ き で は な く、 ﹁ と 同 格 に 於 て ﹂、 又 は ﹁ に 順 じ て ﹂ と 理 解 す べ き で あ ろ う。 ﹁ 中 ﹂ は こ の 場 合、 そ の よ う な ニ ユ ア ン ズ を 有 つ て い る の で あ る。 真 諦 訳 が ﹁ 即 是 ﹂ と 訳 し た の は、 正 し く こ の 同 格 の 意 味 で 意 訳 し た も の と 言 わ ね ば な ら な い。 さ て、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 於 格 が 同 格 を 現 わ す と し て も、 同 格 に は 種 々 の 用 法 が あ る。 即 ち、 ( イ ) 二 者 が 同 一 物 て あ る と い う 真 の 同 格 も あ れ ば、 ( ロ ) 主 た る 名 詞 の 性 質 ・ 身 分 ・ 資 格 等 を 示 す 形 容 詞 的 役 割 を す る 場 合 も あ る。 又 ( ハ ) ﹁ ⋮ ⋮ に 属 す る ﹂ と か、 ﹁ ⋮⋮の 一 部 で あ る ﹂ と い う 意 味 と 解 し て よ い 属 格 的 同 格 の 場 合 も あ る。 更 に、 ( ニ ) 主 た る 名 詞 の 別 名 を 示 し た り、 或 は 説 明 し た り す る も の も あ る こ と は、 梵 語 と 同 じ く 印 欧 語 族 で あ る 英 ・ 佛 語 の 現 代 文 法 学 が 教 え る 所 (3) で あ る。 而 し て、 今 こ の 場 合 は 如 何 な る 用 法 に 相 当 す る か を 考 え る に、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と 同 格 の 関 係 を 有 す る ど い う こ れ に よ り て、 摂 大 乗 論 所 説 の 十 語 義 が 聖 教 と 相 応 す る こ と を 示 す と す る の で あ る か ら、 主 た る 名 詞 の 性 質 を 現 わ す 形 容 詞 的 役 割 を も つ た 同 格 に 外 な ら な い わ け で あ る。 そ こ で、 之 を 平 た く 言 え ば、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 あ る 摂 大 乗 論 が 説 か れ た と い う こ と に な る。 然 ら ば、 こ の 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 あ る と い う こ と が、 更 に、 派 生 的 に 摂 大 乗 論 を 如 何 に 形 容 し、 限 定 す る こ と に な る か に 就 て、 し ば ら く 秘 義 分 別 摂 疏 を 通 し て 検 討 し よ う。 (2)同 疏 の 第 二 の 見 解 に 依 れ ば、 ﹁ 謂 く pravacana 中 に 於 て、 sutra が 佛 言 性 で あ り、abhidharma が 所 言 の 義 を 顕 示 す る も の で あ る こ と が 周 知 せ ら れ て い る。 ﹁ 若 し、 是 の 如 く な ら ば、 た だsutra ︹ の 性 質 あ る ︺ と い う の み に て 充 分 な ら ず や と 言 え ば、 そ う で は な い。 諸 のsutra は そ の 意 味 が な お 決 定 せ ら る べ き も の で あ る か ら、 八 不 了 義 経 ) で あ る。 十 語 義 も 亦 同 様 に 決 定 す る こ と に よ り て、 (gdul an gis) ︹ 始 め て ︺ 意 趣 あ る 義 を 顕 わ す に 過 ぎ な い か ら、 そ の 意 味 が な お 決 定 せ ら る べ き も の (=不 了 義 ) で あ る と 理 解 さ れ る で あ ろ う。 ︹ そ れ 故、sutra の 外 に、 ま た、abhidharma が 言 わ れ ね ば 充 分 で な い ︺。abhi-dharma は 所 言 の 義 を 顕 示 す る に 専 ら な る 故 に、 そ の 意 味 決 定 せ る も の (=了 義 ) で あ る。 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に つ い て

(5)

密 教 文 化 若 し 是 の 如 く な ら ば、abhi-dharma と い う の み に て 充 分 な ら ず や と 言 え ば、 そ う で は な い。 ︹sutra と い う 語 が な い 之、 摂 大 乗 論 の 所 説 が ︺ 発 智 論 等 の 如 く、 聖 教 で な い と い う 過 失 に 陥 入 る こ と に な る か ら で あ る。﹂ と。 之 に 依 れ ば、 ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 ﹂ と い う 語 は、 摂 大 乗 論 の 聖 教 性 あ る こ と を 限 定 し な が ら、 而 も そ の 佛 所 言 の 義 に 就 て、 尚 決 定 せ ら る べ き 点 を 解 説 し た も の で あ る こ と を 併 せ て 示 す 役 割 と 意 味 を も つ て い る こ と に な る。 (3) 次 に 同 疏 が 示 す 第 三 の 見 解 に 依 れ ば、 ﹁ 或 は 又、 阿 毘 達 (4) 磨 は 無 漏 智 で あ る か ら、 阿 毘 達 磨 は 共 相 に 由 り て 開 顕 さ れ る ゆ 無 漏 智 の 境 は 真 理 に し て 共 相 で あ る か ら で あ る。 自 相 に 由 り て 開 顕 さ れ る も の は 経 で あ る。 決 定 す る こ と に よ り て、 不 共 で あ つ て も 主 な る も の に 就 て 説 く か ら で あ る。 か く し て、 阿 毘 達 磨 犬 乗 経 は こ の 二 つ の 相 に 由 つ て 開 顕 さ れ、 そ れ と ︹ 同 性 質 で あ る と ) 関 係 す る 故 に、 ︹ 摂 大 乗 ︺ 論 は 二 つ の 性 質 を 有 す る (atmaka) と 説 く の で あ る ﹂ と せ ら れ て い る。 こ こ で は、 さ き に 聖 教 性 の 外 に、 了 義 と 不 了 義 の あ る こ と を 示 す と せ ら れ た 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が、 更 に 説 相 の 立 場 か ら、 経 と 阿 毘 達 磨 の 二 つ の 性 質 あ る こ と を も 規 定 す る も の と し て い る。 (4) 次 に、 同 疏 に は 第 四 の 見 解 が 述 べ ら れ ゐ。 即 ち、 続 挙 て ﹁ 或 は 又、 阿 毘 達 磨 は よ く 決 択 す る か ら、 増 上 慧 学 が 開 顕 さ れ る。 ま た 増 上 慧 学 は 主 と し て 浬 桀 に 導 く け れ ど も、 他 の 二 学 は 主 と し て 浬 葉 に 導 く の で は な い。 経 は 三 学 な が ら が 開 顕 さ れ る。 決 定 す る こ と に 由 つ て、 三 ︹ 学 ︺ な が ら が 説 か れ る か ら で あ る。 さ て、 此 れ ︹ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 ) は 暮 ぼ 魯 胃 簿 餌 とsutra と い う 二 語 に 由 つ て 言 説 呼 称 ざ れ る け れ ど も、 vinaya と い う 語 に 由 つ て は ︹ 呼 称 さ れ ︺ な い。vinaya は、 増 上 戒 学 と 増 上 心 学 が 一 向 に 開 顕 せ ら れ る か ら で あ る。 即 ち、 戒 を 自 ら の 所 有 物 と し て も つ と き、 定 を 果 と し て も つ こ と に な る け れ ど も、 障 碍 あ る 故 に 慧 は あ り 得 な い。 そ れ 故 に、 こ の 論 ( 摂 大 乗 ) は 阿 毘 達 磨 と い う 経 ︹ 蔵 ︺ と ︹ 同 性 質 で あ る と ︺ 関 係 す る け れ ど も、 律 蔵 と ︹ 同 性 質 で あ る と ) 関 係 す る の で は な い ﹂ と。 こ こ で は、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が 全 く 三 蔵 と し て の 機 能 の 上 か ら 考 え ら れ、 摂 大 乗 論 が 論 的 経 蔵 の 性 格 あ る こ と を 規 定 す る も の と 解 し て い る。 以 上、 こ の 註 釈 の 示 す 四 種 の 見 解 で は、 摂 大 乗 論 が そ の 本 質 と 内 容 と 説 相 及 び 機 能 の 四 つ の 面 か ら、 夫 々 阿 毘 達 磨 大 乗 経 で あ る こ と を 示 し て い る が、 然 し 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と い う あ る 一 つ の 固 有 の 経 典、 又 は あ る 一 群 の 経 典 類 が 外 に 存 在 し た と 見 ら れ る よ う な 説 明 は 何 も な い の で あ る。 然 ら ば、 世 親 釈 及 び 無 性 釈 は、 こ の 問 題 点 を 如 何 に 解 釈 し て い る か。 我 々 は 西 蔵 訳 及 び 漢 訳 全 体 に 亘 つ て 再 検 討 七 よ う と 思 う が、 そ の た め に は 便 宜 上 秘 義 分 別 摂 疏 の 四 種 の 見 解 を 中 心 に、 比 較 対 照 す る よ う に 努 め、 同 じ 釈 に し て 異 訳 あ る も

(6)

の は、 西 蔵 資 料 を 基 準 に 考 察 す る の が、 混 乱 を さ け る 上 に 望 ま し い と 思 わ れ る。 世 親 釈(1)先 ず、 西 蔵 訳に 依 れ ば、 ﹁ 阿 毘 達 磨 ︹ 大 乗 経 ︺ な る 語 が 言 わ れ な い な ら ば、 此 の 論 ( 摂 大 乗 ) は 聖 教 性 あ る も の で あ る と い う こ と が 知 ら れ な い 為、 又 経 名 を 顕 わ さ ん 為、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と 顕 わ す の で あ る。 讐 え ば、 十 地 経 の 如 く、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と 顕 わ す の で あ る。 ﹂ と い う。 此 の 一 段 に 就 て、 漢 訳 各 異 訳 相 互 間 に 相 異 す る 所 は 見 当 ら な い け れ ど も、 こ こ に 十 地 経 の 如 く、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と い う 経 名 を 顕 わ す と あ る の で、 十 地 経 の 如 く 固 有 の 画 経 典 と し て 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が 考 え ら れ て い る の で は な い か と い う 疑 開 が 生 ず る。 然 し、 こ れ に 就 て は、 秘 義 分 別 摂 疏 に 於 け る 第 二 の 見 解 に よ つ て 明 か な る 如 く、 た だ 経 と い う の み で 充 分 で な い か と 考 え ら れ る 程 の も の で あ る か ら、 固 有 の 経 典 と い う 意 味 を 含 ま な い も の と 見 る べ き で あ る。 従 つ て、 今 の 場 合、 十 地 経 と い う 讐 喩 は 単 な る 経 名 の 一 例 を 示 し た に 過 ぎ な い。 而 し て、 こ の 世 親 の 第 一 の 見 解 は、 秘 義 分 別 摂 疏 の 第 一 の 見 解 と 同 じ で あ る。 (2) 世 親 釈 の 第 二 の 見 解 に 就 て、 画 蔵 訳 一を 見 れ ば、 ﹁ ︹ こ の 論 は ) 聖 教 で あ る こ と を 知 ら し め ん 為 に、 阿 毘 達 磨 ︹ 大 乗 経 ︺ と 言 う。 今 此 の 経 を 造 る 目 的 は、 諸 無 知 者 を し て 開 暁 せ し め ん 為 で あ り、 阿 毘 達 磨 ︹ 大 乗 経 ︺ と 言 う は、 こ れ に よ り て 法 門 を 顕 わ さ ん 為 と、 経 名 を 顕 わ さ ん 為 と で あ る。 ま た、 大 乗 と 言 う は、 声 聞 八 乗 ) の 阿 毘 達 磨 と 差 別 せ ん 為 で あ る。 何 と な れ ば、 阿 毘 達 磨 は す べ て 聖 教 で な い と 邪 し ま に 分 別 す る か ら で あ る。 ま た、 そ れ を 或 る 者 は 自 己 の 分 別 の 慧 に よ つ て 阿 毘 達 磨 は 佛 説 で あ る と 主 張 し、 或 る 者 は 声 聞 の 所 説 で あ る と 言 い、 又 賢 者 の 所 説 で あ る と 認 め て い る。 ﹂ と い う。 こ の 一 段 に 就 て、 漢 訳 の 各 異 訳 を 対 照 す る に、 一玄 婁 訳 一で は、 (イ ) ﹁ 復 た 余 儀 あ り。 彼 の 経 は こ れ 聖 教 な る こ と を 顕 わ さ ん 為 の 故 に、 初 め に 是 の 如 く、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と い う 言 を 説 く、 今 ( ロ ) 此 の 論 を 造 る に 所 用 (=目 的 ) あ り、 無 知 者 を 開 暁 せ ん と 欲 す る 為 の 故 な り。 法 門 め 別 名 を 顕 わ ざ ん 為 の 故 に、 阿 昆 達 磨 ( ハ ) を 挙 げ、 ︹ 法 門 の ) 通 名 を 顕 わ さ ん 為 の 故 に、 経 の 言 を 挙 ぐ。 声 聞 の 阿 毘 達 磨 と 簡 ば ん 為 に、 復 た 大 乗 を 挙 ぐ。 今 亦 た、 非 聖 ︹ 者 ︺ の 所 説 の 阿 毘 達 磨 あ る に 由 る。 現 に あ る 人 は、 自 ら の 尋 思 の 慧 に よ つ て、 ﹃ 阿 毘 達 磨 は 是 れ 佛 説 な り。 ﹄ と、 或 は ﹃ 声 聞 の 説 な り ﹄ と、 或 は ﹃ 世 の 智 ︹ 者 ) の 造 な り ﹄ と 謂 う が 如 し。 ﹂ と し て い る。 こ の 中、 ( イ ) と ( ロ ) の 部 分 は 西 蔵 訳 と 逆 に な つ て い る。 然 し、 こ れ は 麟 訳 の 便 宜 上、 入 れ 換 え ら れ た も の と 見 る べ き で、 内 容 上 の 相 違 は な い。 何 と な れ ば、 秘 義 分 別 摂 疏 に 言 わ れ る 同 格 の 意 味 か ら し て、 摂 大 乗 論 を 造 る こ と は、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 を 造 る こ と に な る か ら で あ る。 又、 ( ハ ) の 部 分 は、 西 蔵 訳 で は、 ﹁ 経 名 を 顕 わ さ ん 為 ﹂ と あ る が、 こ れ も 両 者 の 問 に 内 容 上 の 相 違 が あ る わ け は な い。 之 皇 真 諦 訳 一に 見 れ ば、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に つ い て

(7)

密 教 文 化 ﹁ 復 た 次 に、 此 の 論 を 説 い て 阿 毘 達 磨 大 乗 修 多 羅 と 名 つ く と (イ) は、 如 来 の 法 門 の 別 類 及 び 此 の 論 の 別 名 を 顕 わ さ ん と 欲 す る ( ロ) な り。 何 故 に 説 い て 但 だ 阿 毘 達 磨 と 名 づ け、 復 た 説 い て 修 多 羅 と 名 づ け ざ る か と い わ ば、 あ る 阿 毘 達 磨 は 是 れ 聖 教 に 非 ざ れ ば な り。 ﹂ と 訳 し て い る。 右 の 中、 ( イ) の 部 分 は、 西 蔵 訳 に、 ﹁ 経 の 名 を 顕 わ す ﹂ と し、 玄 癸 訳 に ﹁ ( 法 門) の 通 名 を 顕 わ す ﹂ と し て い る 所 に 相 当 す る。 今 こ れ が ﹁ 此 の 論 の 別 名 を 顕 わ す ﹂ と せ ら れ た の は、 同 格 の 意 味 か ら で あ る。 然 し、 そ の 同 格 の 意 味 が ﹁AはBな り ﹂ と い う よ う に、 両 者 が 全 く 同 一 で あ る と い う の と は 異 る か ら、 別 名 と 言 つ て も 誤 解 の な い よ う に し な け れ ば な ら ぬ。 又、 ( 買) の 部 分 は、 同 じ く 世 親 釈 で あ り な が ら、 西 蔵 訳 に も、 玄 癸 訳 に も な い 所 で あ る が、 こ れ と 全 く 同 じ 註 釈 の 仕 方 が 秘 義 分 別 摂 疏 に 見 ら れ る。 こ の こ と は 同 疏 と 真 諦 訳 世 親 釈 が 其 の 他 の 点 で も よ く 似 て い る こ と と 共 に、 真 諦 が 同 疏 を 参 照 し つ つ 礫 訳 し た こ と を 思 わ し め る。 而 も、 西 蔵 々 経、 論 部 の ( デ ル ゲ 版、 東 北 目 録、 四 〇 四 八、 四 四五B) 中 に、 ﹁ 秘 義 分 別 摂 疏 の 作 者 は、 目 録 に よ れ ば、 伝 世 親 造 と な つ て い る が、 そ う ら し く も な い し と い う 主 旨 の こ と を 述 べ て い る の と 考 え 併 せ ば、 何 等 か 関 係 が あ り そ う で あ る。(5) そ れ は と も か く、 こ の 世 親 の 第 二 の 解 釈 に つ い て、 三 訳 を 比 較 し て 見 る と、 異 訳 相 互 の 間 に は、 表 現 の 上 で は 多 少 の 異 同 は あ る が、 内 容 に 於 て は、 秘 義 分 別 摂 疏 の 第 二 の 見 解 を 媒 介 に し て 考 え れ ば、 全 く 一 致 し て い る こ と が 知 ら れ る。 (3) 次 に、 世 親 釈 の 第 三 の 見 解 に 就 て 見 れ ば、西 蔵 訳 に は、 ﹁ 大 乗 経 と い う こ れ に よ り て、 声 聞 の ︹ 経 ︺ よ り 殊 勝 で あ る こ と を 説 く の で あ る。 又 阿 毘 達 磨 と い う の は、 菩 薩 蔵 に 摂 せ ら れ る こ と を ︹ 説 く の で あ る。 ︺ 又、 菩 薩 蔵 に 摂 せ ら れ る と は、 自 ら の 大 乗 に 於 て 自 ら の 煩 悩 を 滅 す る こ と を 顕 わ す。 大 乗 に 於 け る 諸 菩 薩 の 煩 悩 は、 分 別 こ そ 煩 悩 で あ る か ら、 菩 薩 の 阿 毘 達 磨 は 広 大 甚 深 の 相 あ る も の で あ る。 ﹂ と い う。 之 を 玄 婁 訳 に 億、 ﹁ 又 大 乗 素 恒 縄 と 言 う は、 声 聞 等 の と 異 る こ と を 顕 示 せ ん と 欲 す る な り。 菩 薩 蔵 の 摂 な る こ と を 顕 示 せ ん と 欲 す る 為 の 故 に、 ま た 其 の 阿 毘 達 磨 を 挙 ぐ な り。 又 蔵 の 摂 と は、 自 宗 の (イ) ( ロ) 素 恒 縄 蔵 に 入 り て、 自 ら の 惑 を 滅 す る こ と を 現 わ す。 毘 奈 耶 、 蔵 即 ち、 大 乗 中 の 菩 薩 の 煩 悩 は、 諸 菩 薩 の 種 々 の 分 別 を 以 て ( ハ) 煩 悩 と な す 故 に、 最 勝 阿 毘 達 磨 に 違 わ ず、 広 大 甚 深 を 其、 の 相 と な す 故 に。 ﹂ と し て い る。 こ の 中、 ( イ) ( ロ) ( ハ) は い ず れ も 西 蔵 訳 に な い 所 で あ り、 原 典 に あ つ た か ど う か 疑 わ し く、 意 味 も 明 瞭 で な い が、 其 の 他 は 酋 蔵 訳 と 同 じ で あ る。 之 を 一真 諦 麹 に 見 れ ば、 ﹁ 復 た 次 に、 説 い て 阿 毘 達 應 と 名 つ く る は、 此 の 論 是 れ 菩 薩 蔵 な り と 顕 わ す な り。 次 に 蔵 と 立 つ る は 何 の 所 為 を 欲 す る や。 自 ら の 惑 を 大 乗 中 に 於 て 滅 せ ん 為 な り。 是 れ 菩 薩 の 煩 悩 な り。 何 を 以 て の 故 に。 諸 菩 薩 は 分 別 を 以 て 煩 悩 と な せ ば な

(8)

-96-り。 阿 毘 達 磨 は 甚 深 広 大 な る 法 性 を 相 と な す。 ﹂ と 訳 し て い る。 要 す る に 等、 世 親 の 第 三 の 解 釈 に つ い て 以 上 三 訳 を 対 照 す る に、 内 容 の 点 で 矛 盾 す る 所 は な い。 而 し て、 こ れ は 摂 大 乗 論 が 無 分 別 の 相 で 説 か れ る か ら、 声 聞 の よ り 勝 れ た 甚 深 広 大 の 説 相 あ る こ と を 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が 示 す と し て い る の で あ る。 こ れ を 秘 義 分 別 摂 疏 に 対 照 す れ ば、 阿 毘 達 磨 は 無 漏 智 で あ る と す る 第 三 説 に 相 当 す る と 思 わ れ る が、 そ こ に 言 わ れ て い る よ う な 共 相 及 び 自 相 と い う こ と が 問 題 に せ ら れ て い な い 点 は 一 致 し な い。 (6) (4) 次 に、 世 親 釈 の 第 四 の 見 解 に 就 て、 その 西 蔵 訳 を 見 れ ば、 ﹁ こ の 中、 三 蔵 と は 経 律 論 で あ る。 こ れ 等 三 は 小 乗 と 大 乗 の 差 別 に よ り て 二 と な る。 即 ち、 声 聞 蔵 と 菩 薩 蔵 と で あ る。 又、 こ れ 等 は 二 で あ つ て も、 三 で あ つ て も、 何 故 に 蔵 で あ る か と い え ば、 一 切 の 所 知 の 義 を 摂 す る か ら で あ る。 何 故 に 三 で あ る か と い え ば、 九 因 に よ り て で あ る。 ( 中 略 ) 又、 三 学 を 説 く 故 に 経 で あ り、 増 上 戒 学 と 増 上 心 学 を よ く 成 就 す る 故 に 律 で あ る。 戒 を 具 足 す る も の は、 無 悔 に よ り て、 漸 次 に 三 摩 地 を 得 る か ら で あ る。 増 上 慧 学 を 成 就 す る に よ ゆ て、 阿 毘 達 磨 で あ る。 不 転 倒 の 義 を 決 択 す る か ら で あ る。 ( 中 略 ) こ れ 等 九 因 に よ り て 三 蔵 で あ る と 認 め ら れ る。 又、 こ れ 等 は 生 死 よ り 解 脱 せ し め る 為 に ︹ 三 蔵 ) で あ る。 又、 要 略 す れ ば、 経 律 論 は 各 々 四 種 の 義 あ り と 認 め ら れ る 云 云。 ﹂ と い う。 之 を 玄 奨 訳 及 び 真 諦 訳 に 対 照 し て も、 殆 ど 相 異 す る 所 は な い。 さ て、 世 親 の こ の 見 解 は 全 く 三 蔵 に 就 て の 説 明 で あ る。 而 し て、 こ の 詳 細 な 註 釈 が 従 来 何 の 為 に な さ れ て い る の か 明 か で な か つ た の で あ る が、 我 々 は 今、 秘 義 分 別 摂 疏 の 中 の こ れ と 同 じ 内 容 に 就 て 説 明 す る 部 分 と 対 照 す る こ と に よ つ て、 こ れ が や は り 阿 毘 達 磨 大 乗 経 を 明 か し、 同 時 に 摂 大 乗 論 の 性 質 を 示 す も の で あ る こ と を 知 る の で あ る。 即 ち、 こ こ の 世 親 の 説 明 は 秘 義 分 別 摂 疏 の 第 四 の 見 解 と 同 じ く、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が 論 蔵 及 び 経 蔵 を 意 味 し た 呼 称 で あ り、 こ れ に よ つ て 限 定 さ れ る 摂 大 乗 論 も、 論 的 経 蔵 の 性 質 あ る も の に し て、 律 蔵 に は 関 係 し な い こ と を、 言 外 に 含 ま せ て い る と 理 解 し な け れ ば な ら な い。 以 上、 要 す る に 世 親 釈 の 第 一、 第 二、 第 三 及 び 第 四 の 見 解 は、 秘 義 分 別 摂 疏 の 四 種 の 見 解 と 大 体 に 於 て 一 致 し て い る の み な ら ず、 前 者 は 後 者 と 照 合 す る こ と に よ つ て、 そ の 真 意 が よ り 明 か に な る と 言 つ て よ い で あ ろ う。 無 性 釈 次 に は 無 性 釈 に 就 て、 第 一 の 見 解 を 質 し て 見 よ う。 そ の 西 蔵 訳 に 依 れ ば、 ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 と い う の は、 法 を よ く 決 択 す る 因 で あ る か ら、 或 は 共 に 了 知 す る か ら 阿 毘 達 磨 と い う 名 を 立 て、 ︹ 小 乗 と ︺ 殊 別 あ る よ り 大 乗 経 と 言 わ れ る。 ﹂ と せ ら れ る。 右 の 中、 法 を よ く 決 択 す る 因 で あ る か ら 阿 毘 達 磨 で あ る と は、 世 親 釈 及 び 秘 義 分 別 摂 疏 の 第 四 の 見 解、 即 ち、 論 蔵 の 説 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に つ い て

(9)

密 教 丈 化 明 と 同 じ こ と を 言 つ て い る 解 釈 で あ る。 又、 共 に 了 知 す る か ら 阿 毘 達 磨 で あ る と は、 秘 義 分 別 摂 疏 の 第 三 の 見 解 に 於 て、 阿 毘 達 磨 は 共 相 を 以 て 開 顕 ざ れ る と い う 説 明 と 同 じ で あ る。 又、 殊 別 あ る よ り 大 乗 経 で あ る と す る 解 釈 は、 い つ れ の 釈 に も 言 わ れ て い る こ と で あ る。 こ の 無 性 釈 の 一 段 を、 玄 婁 訳 に 見 れ ば、 ﹁ 十 義 を 以 て 大 乗 の 所 有 る 要 義 を 総 摂 せ ん と 欲 す。 彼 の 義 は 能 く 此 の 論 の 体 性 を 顕 わ す。 是 れ 聖 教 の 故 に。 此 れ ︹ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 ︺ を 用 い て 門 と な し て 言 を 開 発 す。 阿 毘 達 磨 大 乗 経 等 と は、 法 を 択 ぶ 因 な る 故 に、 或 は 共 に 了 す (7) る 故 に 阿 毘 達 磨 な り。 想 う に 標 幟 と な す な ら ん。 大 乗 経 と 言 う は、 余 処 と 簡 別 す る た め な り。 ﹂ と 訳 さ れ て い る が、 傍 線 の 部 分 は 西 蔵 訳 に な い か ら、 恐 ら く 玄 婁 自 身 の 補 足 で あ ろ う。 然 し、 こ れ が あ る た め に、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 意 義 が よ り 明 瞭 に な う て 来 る の で あ る。 (2) 次 に、 無 性 釈 の 第 二 の 見 解 を 見 る に、 そ の 西 蔵 訳 に 依 れ ば、 ﹁乗 で も あ り、 大 で も あ る か ら、 或 は、 諸 の 大 な る も の の 乗 で あ る か ら 大 乗 で あ る。 因 と 果 が 大 で あ る か ら、 又 作 業 と 運 行 と を 成 就 す る 場 所 で あ る か ら で あ る。 略 釈 し て 言 え ば、 十 地 の 菩 薩 の 果 を 有 し て い る か ら、 広 釈 し て 言 え ば、 七 種 の 大 (8) と 相 応 す る か ら で あ る。 即 ち、 菩 提 分、 随 順、 波 羅 蜜、 学、 持、 相 等 が 大 乗 で あ る。 そ の ︹ 大 乗 の ︺ 経 と は ︹ そ れ を ︺ 説 (9) ぐ か ら で あ つ て、 散 文 (gadyam) と 韻 文(padyam) の 声 と (10) し て 顕 現 す る も の は、 所 許 の 義 の 相 に 随 つ て 起 つ た 聞 ︹ 者 ︺ の 了 別 句 (vijnapta) で あ る﹂。 と い う。 こ れ は、 大 体 に 於 て 秘 義 分 別 摂 疏 及 び 世 親 釈 の 第二の 解 釈 に 等 し い。 今 之 を等 癸 訳 (イ) に 見 る に、﹁( 前 略) 此 の 中、 即 ち 是 れ に 随 ッ て 随 入 す る 時、 ( ロ) 聞 者 の 識 の 上 に 直 ・ 非 直 の 説 あ り、 聚 集 顕 現 以 て 体 性 と す。 ﹂ と し て い る。 こ の 中、 ( イ) の 部 分 の 是 れ に 随 う と い う の は、 西 蔵 訳 で は 所 許 の 義 の 相 に 随 入 す る と い う の に 相 当 す る。 即 ち、 大 乗 に 随 う の 意 味 と 思 わ れ る。 又 漢 訳 に ( 大 正、 三 一、 三 八〇) ﹁堕 八 ﹂ と あ る は、 ﹁ 随 入 ﹂ の 誤 り で あ ろ う。 ( ロ) の 直。 非 直 の 説 誌 は、 西 蔵 訳 に 依 れ ば、 讃 文 ・ 散 文 喩 あ る が、 こ れ は 十 語 と 長 行 と を 指 す こ と は 明 ら か で あ る。 更 に、 無 性 釈 の 第 三 の 見 解 を 西 蔵 訳 に 依 つ て 見 ポ ば、 ﹁ 若 し 以 上 の 如 ぐ で あ る と す れ ば、 か の ︹ 己 に 能 く 善 く 大 乗 に 悟 入 せ る ︺ 菩 薩 は、 そ れ を 如 何 に し て 説 く こ と に な る の か。 聞 ︹ 者 ︺ の 了 別 は、 彼 ︹ 菩 薩 ︺ に よ り て は 説 か れ な い の で あ る と 言 え ば、 ハ 次 の よ う に 答 え ら れ る。 ︺ 彼 ︹ 菩 薩 ︺ の 増 上 力 に よ り て、 ︹ 聞 者 の 上 に 了 別 が) 生 じ た の で あ る。 讐 え ば、 天 等 の 増 上 力 に よ つ て、 夢 中 に 論。 究 等 が 得 ら れ る が 如 く で あ る。 然 ら ざ れ ば、 語 を 了 別 す る も、 如 何 に し て 佛 ・ 菩 薩 に よ り て ︹ 諸 契 経 の 句 が) 説 か れ る で あ ろ う か。 且 ら く、 語 の 自 性 は 経 た り 得 な い。 一 一 の 字 が、 義 を 顕 わ す こ と は 理 に 合 し

(10)

な い か ら。 又、 次 第 し て 生 じ、 一 時 に 住 し な い も の は、 聚 集 せ る も の た り 得 な い か ら で あ る。 是 の 如 く に し て、 体 の 得 ら れ な い 語 が、 名 を 生 ず る こ と は 不 合 理 で あ る。 又、 字 の 体 の な い 声 を 発 し て も 名 を 顕 わ す こ と に は 少 し も な ら な い。 是 の 如 く に し て、 名 の 自 性 も ま た 経 た り 得 な い。 然 ら ば、 如 何 様 に 説 か れ た も の が 経 と し て 相 応 し い の で あ る か ︹ と 言 え ば、 ︺ 此 の 阿 毘 達 磨 と い う 大 乗 経 ( の 性 質 あ る も の と し て 説 か れ た も の が 経 た る 理 に 合 す る の で あ る。 ︺ ﹂ と 解 釈 し て い る。 こ れ は、 秘 義 分 別 摂 疏 及 び 世 親 釈 の 第 一 の 見 解、 即 ち 聖 教 性 を 示 す 為 に、 ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に 於 て ﹂ と 言 わ れ た と い う に 等 し い。 又 之 の 蕨 婁 訳 一を 見 る に、 只 前 略) 若 し 識 を 雜 る れ ば、 佛 は 云 何 が 諸 の 契 経 の 句 を 説 か ん や。 語 は ︹ 経 の ︺ 自 性 あ る こ と 且 ら く 理 に 応 ぜ ず。 一 々 の 字 に 由 つ て、 能 く 義 を 詮 顕 す る こ と は 理 に 応 ぜ ざ る 故 に。 次 第 し て 生 じ、 倶 時 に 住 せ ざ る も の は、 聚 集 無 き 故 に。 是 の 如 く、 彼 の 自 性 を 得 ざ る 語 は、 転 あ る こ と 無 き 故 に 理 に 応 ぜ ず。 又、 字 無 き ︹ 声 ︺ の 転 は、 少 し も 名 を 能 く 詮 わ す こ と 有 る に 非 ず。 故 に 諸 契 経 は 名 を 自 性 と な す こ と 亦 た 理 に 応 ぜ ざ る な り。 是 の 故 に 決 定 し て 如 何 に 説 か る る 経 が、 ︹ 経 の ︺ 自 性 と し て 理 に 応 ず る や。 ︹ そ れ は ︺ 此 の 所 説 の 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 に 於 て な り。 ﹂ と あ っ て、 傍 線 の 部 分 を 除 け ば 西 蔵 訳 と 一 致 し て い る。 然 し、 そ の 傍 線 の 部 分 も、 前 後 の 関 係 か ら 見 れ ば、 原 典 は 恐 ら く 西 蔵 訳 の 如 く な つ て い た で あ ろ う。 さ て、 以 上 の 如 く閣圏と閣異園 と を 照 合 し た 所 に 依 れ ば、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 実 態 と 摂 大 乗 論 と の 関 係 は、 要 す る に 秘 義 分 別 摂 疏 に い う 内 容 に 帰 着 す る。 従 つ て ま た、 摂 大 乗 論 本 文 が 如 何 に 訳 さ れ て あ つ て も、 真 の 意 味 に 於 て 相 互 に 相 違 が あ る 筈 が な い。 そ こ で 今、 玄 婁 訳 本 論 壁 頭 の 一 節 を 意 訳 す れ ば、 ﹁ 阿 毘 達 磨 と い う 大 乗 経 の 性 質 を も つ も の と し て、 己 に 能 く 善 く 大 乗 に 悟 入 せ る 菩 薩 は、 大 乗 の 勝 れ た 功 徳 を 顕 わ さ ん 為 に、 大 乗 の 教 説 に 依 止 し て、 次 の よ う に 説 く、 即 ち、 (11) ﹃ 諸 佛 世 尊 に 十 相 殊 勝 殊 勝 語 が あ る ﹄ ﹂ と い う こ と に な る。 又、 本 論 末 尾 の ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 摂 大 乗 品 我 阿 僧 伽 略 釈 究 寛。 ﹂ と い う 玄 癸 訳 は、 ﹁ 阿 毘 達 磨 と い う 大 乗 経 の 性 質 あ る 摂 大 乗 論 を 我 が 無 著 は 要 略 し て 説 き 了 つ た。 し 意 味 と 見 な け れ ば な ら な い。 同 様 に し て、 真 諦 が、 ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 蔵 経 中 名 摂 大 乗 此 正 説 究 寛。 ﹂ と い う の は、 ﹁ 阿 毘 達 磨 と い う 大 乗 を 蔵 す る 経 の 性 質 あ る 所 の、 摂 大 乗 論 と 名 つ く 此 の 正 説 を 説 き 了 つ た。 し と 解 し て よ い で あ ろ う。 (1) デ ル ゲ 版、 東 北 目 録、 四 〇 五 一、 二 九七、b。 北 京 版、 第 五 十 六 函、 三 五八a (2) 梵 語 に 於 て、 於 格 を ﹁ 関 係 す る ﹂ 意 昧 に 用 う の は ホ イ ヅ トニ イ の 文 法 書 (§303,a) に 示 す 如 く、 地 位 (sphere) 状 態 (condition) を 現 わ す 於 格 の 用 法 の 中 の 一 つ で あ る。 (3) 折 竹 錫 著 ﹁ ふ ら ん す 新 丈 典 ﹂ 五 二 頁。 市 河 三 喜 著 ﹁ 英 語 学 辞 典 ﹂ 九〇-九 二 頁 (4) デ ル ゲ 版 で

はphyihi mtshan mid

と あ る が、 今 は 北 京 版 に 艇 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に つ い て

(11)

密 教 文 化 つ た。 (5) デ ル ゲ 版、 東 北 目 録、 四 〇 四 八、 四 四五b。 こ の 一 事 か ら 考 え れ ば、 伝 世 親 造 と い う の は、 事 実 か も 知 れ な い。 若 し そ う な ら ば、 世 親 は 二 つ の 釈 を 造 つ た こ と に な る。 そ し て、 そ の 場 合、 ど ち ら か と 言 え ば、 穆 義 分 別 摂 疏 を 先 に 造 つ た と 見 な け れ ば な ら な い で あ ろ う。 (6) 大 乗 荘 厳 経 論、 第 十 一 品 の 最 初 に、 梵 丈 が あ る。 (7) 繧 幟 と な す と は、 西 蔵 訳 の び 範 霧 冨 で あ る か らupara ( 名 を 立 て る)、 と い う 意 味 と 同 じ で あ る。 (8) こ こ の 七 種 の 穴 の 徳 目 は、 大 乗 荘 厳 経 論 功 徳 品 第 五 十 九、 六 十 偶 と 内 容 は 等 し い と 思 わ れ る が、 そ の 用 語 が 異 つ て い る。 両 者 を 対 照 す れ ば、 菩 提 分 (=駈 縁) 随 順 (録 行) 波 羅 蜜 (H 智) 学 (=精 進) 持 (=方 便) 相 (桂 得) ? (=業) で あ る。 (9) 翻 訳 名 義 大 集 一 四 六 一、 一 四 六 二。 玄 奨 訳 で は、 直 ( 韻 交) 非 直 (散 文) と な つ て い る。 (10) 所 許 の 義 の 相 と は、 既 に 述 べ ら れ た 義 の 相 と い う こ と で、 直 前 の 大 乗 の 義 を 指 す も の と 思 わ れ る。 (11) 大 正 蔵 経 第 八 十 五 巻 古 逸 部、 摂 穴 乗 論 章 巻 一 に 於 て ﹁摂 大 乗 論 が 一 に は 一 経 所 説 に 似 て 居 り、 ご に は 多 経 多 論 の 所 説 に 似 て い る。 此 の 義 は 深 懸 で あ り、 理 を よ ろ し く 推 究 す べ し ﹂ と 言 つ て い る 所 か ら し て、 梵 語 の 於 格 を 以 て 示 さ れ る 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と 摂 大 乗 論 と の 関 係 を 適 確 に 伝 え る こ と は 困 難 で あ つ た も の と 見 え る。 ( 二) 摂 大 乗 論 の 著 者 と 阿 毘 達 磨 大 乗 経。 無 著 の 作 で あ る 摂 大 乗 論 が、 上 述 の よ う に 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 あ る も の に し て 嘱 聖 教 性 を 具 備 し て い る と す る な ら ば、 必 然 的 に そ の 著 者 が 問 題 と な る で あ ろ う。 何 と な れ ば、 摂 大 乗 論 の 著 者 が 無 著 で あ る こ と は 疑 う 余 地 が な い の に、 そ れ が 佛 説 た る 権 威 を 有 し、 又 そ の 為 に こ そ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 あ る も の と せ ら れ る か ら で あ る。 今、 摂 大 乗 論 本 文 壁 頭 の 一 段 を 見 る に、 摂 大 乗 論 の 骨 子 で あ る 仏 世 尊 の 十 相 殊 勝 殊 勝 語 あ り と 説 く の は、 実 に 薄 伽 梵 (1) の 眼 前 に 住 す る ﹁ 己 能 善 入 大 乗 菩 薩 ﹂ で あ る か ら、 文 字 通 り に は、 摂 大 乗 論 の 説 述 者 は 此 の 佛 の 証 明 に よ つて 語 る 菩 薩 で な け れ ば な ら な い。 又 そ れ 故 に こ そ 仏 説 と 見 ら れ る 筈 で あ る。 然 ら ば、 こ の 菩 薩 と 無 著 は 具 体 的 に 如 何 な る 関 係 に あ る と す る の で あ ろ う か。 こ の こ と に 就 て 手 が か り と な る の は 無 性、 釈 で あ る。 即 ち、 ﹁ 彼 ( 菩 薩) め 増 上 力 に よ り て、 ︹ 聞 者 無 著 の 上 に 了 別 が) 生 じ た の で あ る。 讐 え ば、 天 等 の 増 上 力 に よ つ て 夢 中 に 論 兄 等 が 得 ら れ る 如 く で あ る、 ﹂ と す る の で あ る。 又 ﹁ 韻 文 及 び 散 文 と し て 顕 現 せ る も の は、 所 許 の 義 の 相 に 随 つ て 起, り た 聞 ︹ 者) の 了 別 句 で あ る。 ﹂ と 説 明 せ ら れ て い る こ と に よ り て、 そ の 間 の 事 情 が よ く 知 ら れ る。 こ れ に 依 り て 考 え れ ば、 摂 大 乗 論 の 最 初 作 者 は、 そ の 本 文 の 示 す 通 り。 佛 或 は 佛 に 等し い 己 に 能 く 善 く 大 乗 に 入 れ る 菩 薩 で あ る が、 然 し、 言 語 を 以 て す る 現 実 の 説 述 者 は 無 著 そ の 入 で あ る と い う こ と に な る。 そ こ で 魂, 両 者 の 関 係 は、 著 者 性 と 著 者 と 言 つ て よ い。 こ こ に、 己 に 能 く 善 く 大 乗 に 入 れ る 菩 薩 と は、 秘 義 分 別 摂 疏 に 依 れ ば、 第 十 地 の 菩 薩 で お る と (2) し、 又 之 を 世 親 は 仏 菩 薩 と い う よ う に 示 し て い る か ら、 こ の 菩 薩 は 佛 の 代 弁 者 と い う よ り、 将 来 佛 と し て の 菩 薩 で あ る。 更 に 摂 大 乗 論 を 形 成 す る 具 体 的 な 論 述 内 容 が 大 乗 荘 厳 経 論 や

(12)

中 辺 分 別 論 を 多 く 採 り 入 れ て い る こ と と 併 せ 考 え れ ば、 こ の 菩 薩 は 具 体 的 に は 弥 勒 を 指 す も の と 見 て よ い で あ ろ う。 因 に、 最 初 作 者 に 関 し て は、 既 に 野 沢 先 生 の 御 研 究 が あ (3) る。 そ れ に 依 れ ば、 智 吉 祥 造 ﹃ 荘 厳 経 論 総 義 ﹄ に 於 て、 説 法 の 分 別 と い う こ と が 語 ら れ て い る。 即 ち、 菩 薩 に 阿 含 ・ 証 得 ・ 自 在 に よ る 三 説 法 が あ る。 そ の 中、 ﹁ 如 来 ・ 善 知 識 よ り 正 法 を 聞 き 己 つ て、 所 聞 の 如 く に 他 に 説 法 す る の が 阿 含 に よ る 説 法 ﹂ で あ り、 ﹁ 初 地 よ り 第 七 地 ま で に 於 て、 法 界 を 悟 了 せ る 威 力 に よ り て 説 法 す る の が 証 得 に よ る 説 法 で あ り、 ﹁ 第 八 地 ・ 第 九 地 ・ 第 十 地 の 時 に、 無 分 別 智 と 自 然 神 通 と を 得 て 説 法 す る の が、 自 在 に よ る 説 法 ﹂ で あ る と せ ら れ る。 然 る に、 (4) 他 方、 最 勝 子 の 喩 伽 師 地 論 釈 に 伝 え る 所 で は、 ﹁ 無 著 菩 薩 は 位 初 地 に 登 り て、 法 光 定 を 証 し、 大 神 通 を 得、 大 慈 尊 ( 弥 勒 菩 薩) に 事 え て 喩 伽 師 地 論 を 説 か ん こ と を 請 う た。 ﹂ と 言 わ れ て い る。 し て 見 れ ば、 こ の 摂 大 乗 論 も 初 地 の 位 に あ つ た 無 著 の 説 い た も の と な る か ら、 証 得 に よ る 説 法 で あ る と 見 て よ い で あ ろ う。 そ れ は、 即 ち、 未 だ 初 地 の 位 に 入 つ て い な い 菩 薩 が あ る 経 典 に (=阿含 に) 典 拠 を 求 め て、 そ の 中 に 摂 大 乗 品 の 如 き 所 説 が あ つ て、 こ れ を 紹 介 す る と い う よ う な 阿 含 に よ る 説 法 で も な く、 又 第 八 地 以 上 の 菩 薩 の 如 く、 自 在 に よ る 説 法 で も あ り 得 な い。 而 し て、 此 の 証 得 に よ る 説 法 は、 阿 含 に よ る 説 法 以 上 に 聖 教 性 あ る こ と は 言 う ま で も な い か ら、 そ の 聖 教 性 を 示 す 為 に、 何 等 か の 方 法 を 用 い ね ば な ら な い わ け で あ る。 そ こ で、 こ の よ う な 必 要 か ら ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 あ る ﹂ と い う 手 段 が 無 著 に よ つ て 採 ら れ る に 至 つ た も の と 思 わ れ る。 世 親 釈、 西 蔵 釈 に ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 に と い う こ れ が 言 わ れ な い な ら ば、 摂 大 乗 論 の 聖 教 性 あ る こ と が 知 ら れ な い。 ﹂ と し て い る の は、 正 し く こ の 事 情 を 語 う た も の で あ ろ う。 即 ち、 無 著 は 一 方 で は 大 乗 に 能 く 善 く 悟 入 せ る 菩 薩 が 説 く と 言 つ て、 無 著 を し て 証 得 せ し め た 菩 薩 名 を 挙 げ て 造 論 の 縁 起 を 示 し、 他 方 で は 阿 毘 達 磨 大 乗 経 め 性 質 あ る と し て、 聖 教 と 相 応 す る こ と を 表 示 し、 両 方 か ら 自 ら の 説 述 に 過 失 の な い こ と を 顕 わ し た も の と 察 せ ら れ る。 (1) デ ル ゲ 版、 東 北 目 録 四 〇 四 八、 一 a。 西 蔵 訳 本 丈 に 依 れ ば、 摂 大 乗 論 の 最 初 に お る 語 は、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 と い う 語 で は な く て、 こ の ﹁ 己 に 能 く 善 く 大 乗 に 入 れ る 菩 薩 ﹂ と い う 語 で あ る。 恐 ら く 梵 本 も そ う で あ つ た と 思 わ れ る。 (2) デ ル ゲ 版、 東 北 目 録 四 〇 五 一、 一 九 一、 a。 (3) 仏 教 研 究、 第 二 巻、 第 二 畢。 ﹁ 智 吉 祥 造 ﹃ 荘 厳 経 論 総 義 ﹄ に つ い て ﹂ 一 〇 七 頁。 (4) 望 月 信 了 編、 仏 教 大 辞 典、 四 八 四 〇 頁。 無 著 の 項 参 照。 ( 三) 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 断 片 に つ い て。 こ れ ま で 述 べ て 来 た こ と は、 摂 大 乗 論 全 体 と 阿 毘 達 磨 大 象 経 と の 関 連 に 就 て で あ つ た。 然 し、 こ め 経 は た だ 摂 大 乗 論 全 体 と の 関 連 に 於 て の み 見 出 さ れ る も の で な い か ら、 そ れ に 就 て、 更 に 検 討 を 加 え る 必 要 が あ る。 先 づ、 我 々 は 摂 大 乗 論 本 文 中 の あ る 繍 部 の 偶、 或 は、 長 行 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に つ い て

(13)

密 教 丈 化 釈 の 一 節 が、 ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 ﹂ と い う 名 の 下 に 引 用 せ ら れ て い る 場 合 が あ る こ と を 知 つ て い る。 又、 同 じ く 摂 大 乗 論 本 文 で 憶 あ る が、 そ こ で は 何 等 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 の も の と 言 わ れ て い な い の に、 註 釈 家 や 後 の 論 師 に よ つ て 他 所 に 引 用 さ れ る 時、 摂 大 乗 論 中 の も の と し な い で、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 の も の と し て 取 扱 わ れ て い る 偶 や 長 行 が あ る。 更 に、 同 じ く 無 著 造 の 大 乗 阿 毘 達 磨 集 論 に 於 て 価 摂 大 乗 論 と 全 く 無 関 係 な 長 行 が 同 じ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 の も の と し て 説 か れ て 居 り、 又 同 雜 集 論 に は、 安 慧 が そ れ を 同 じ 阿 毘 達 磨 擁大 乗 経 と の 関 連 に 於 て 解 説 し て い る の を 認 め る。 こ の よ う に、 種 々 な る 形 態 を 有 す る 各 種 の 断 片 は 一 応 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 あ る も の と し て も、 必 ず し も す べ て 摂 大 乗 論 全 体 と の 関 連 に 於 て 認 め ら れ た よ う な 複 雜 な 意 味 で、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 と 呼 ば れ る と 考 え る こ と は 無 理 で あ る。 そ れ 故、 ど う し て も 第 一 次 的 な 狭 義 の 意 味、 即 ち、 聖 教 性 あ る と い う 意 味 で の み 用 い ら れ た も の と 解 す べ き で あ る。 而 し て、 そ れ 等 が ﹁ 解 深 密 経 中 ﹂ 等 と い う 引 用 と は 全 く 意 味 が 異 る こ と は 言 う ま で も な い。 (1) さ て、 宇 井 伯 寿 著 ﹃ 摂 大 乗 論 研 究 ﹄ に は、 こ れ 等 断 片 の 十 種 が 列 挙 さ れ、 其 後 結 城 令 聞 著 ﹁ 心 意 識 よ り 見 た る 唯 識 思 想 史 ﹂ に よ つ て 更 に 一 種 が 加 え ら れ た。 然 し、 私 が 葱 に 新 に 加 え よ う と す る も の を 併 せ る な ら ば、 十 二 と 其 の 他 と い う こ と に な る の で あ る。 今 こ れ 等 を 大 別 す る と、 ( イ) 摂 大 乗 論 の 本 文 に 於 て、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 と し て 示 さ れ た 偏 或 は 長 行。 ( ロ) 摂 大 乗 論 の 本 文 の 一 節 又 は 偏 に し て、 摂 大 乗 論 以 外 に 引 用 さ れ る と き、 始 め て 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 と し て 取 扱 わ れ て い る も の。 ( ハ) 摂 大 乗 論 に 関 係 な し に 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 と せ ら れ る 偶 或 は 長 行。 ( 二) 其 の 他。 の 四 つ に 分 類 出 来 る。 こ の 中、 ( イ) に 属 す る と 見 ら れ る 断 片 は、 所 卿 依 分 に 説 か れ る 所 の 噸 i 無 始 時 来 界 云 云 の 伽 陀、 ( 玄 装 訳) ii 由 摂 蔵 諸 法 云 云 の 類 iii 諸 法 於 識 蔵 云 云 の 伽 陀 iv 薄 伽 梵 説 法 有 三 種 云 云 の 長 行 で あ る。 さ て、 こ れ 等 の 断 片 に 就 て 考 察 す る に、 摂 大 乗 論 が 全 体 的 に 既 に 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 が あ る と し た な ら ば、 そ の 一、 部 に 就 て、 重 ね て 阿 毘 達 磨 経 中 と 表 示 す る こ と は、 不 合 理 の よ う に 思 わ れ る。 然 し、 こ れ は、 こ れ 等 の 偶 或 は 長 行 は 摂 大 乗 論 中 で も、 最 も 重 要 な 部 分 で あ る か ら、 そ れ の 聖 教 性 あ る こ と を 特 に 強 調 す る 必 要 上 か ら、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 名 を 以 て 世 尊 が 説 か れ た も の と 言 う よ う に 説 述 し た の で あ る 之 理 解 す べ き で あ ろ う。 事 実、 こ れ 等 の 偏 或 は 長 行 は、 無 著 以 後 の 唯 識 教 学 に 画 期 的 な 影 響 を 与 え た も の で あ る。 就 中、iとiiは 阿 頼

(14)

耶 識 説 の 根 拠 と な つ て い る こ と は 周 知 の 通り で あ る。 而 し て、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 は 固 有 の 経 典 で な い し、 ﹁ 中 ﹂ な る 語 も、 凸 の 中 に ﹂ と い う 意 味 で な く て、 ﹁ の 性 質 あ る ﹂ と い う 同 格 用 法 で あ る と す れ ば、 阿 頼 耶 識 説 は 既 述 せ る 所 に よ つ て、 第 十 地 の 菩 薩 の 増 上 力 に よ る 無 著 菩 薩 の 証 得 に よ つ て 初 め て 建 立 さ れ た 説 で あ る と い う こ と に な る。 (4) 又ivは 宇 井 博 士 に よ つ て 指 摘 さ れ て い る よ う に、 経 的 部 分 と 論 的 部 分 ( 又 は 附 加 的 解 釈 文) と か ら 成 立 し て 居 り、 こ れ が す べ て 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の も の と し て は 不 合 理 で あ る よ う に 見 え る の で あ る が、 上 来 明 か に し て 来 た 阿 昆 達 磨 大 乗 経 の 内 容 か ら す れ ば、 む し ろ こ の よ う な 形 態 を 具 え る も の こ そ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 名 に 相 応 し い の で あ る。 次 に ( ロ) に 属 す る 断 片 は、 所 知 依 分 の i 此 中 頒 日、 若 不 共 無 明 及 与 五 同 法 云 云 の 類 と、 所 知 相 分 の ii 如 世 尊 言、 若 諸 菩 薩 成 就 四 法 能 随 悟 入 云 云 の 長 行。 iii 餓 鬼 畜 生 人、 諸 天 等 如 応 云 云 の 頒。 iv 此 中 有 二 頒、 幻 等 説 欲 生、 説 無 計 所 執 云 云 の 頒 以 上 四 つ で あ る。iは 秘 義 分 別 摂 疏 の 中 に 阿 毘 達 磨 経 中 偶 と し て 指 摘 さ れ て お り、 私 の 知 る 限 り で は、 未 だ 紹 介 せ ら れ て い な い 所 の も の で あ る。 此 の 偶 順 は、 之 に 先 立 つ 摂 大 乗 論 本 文 の 長 行 に 於 て 述 べ た 所 を 再 び 纏 め て 示 し た に 過 ぎ な い こ と が 一 見 し て 知 ら れ る。 そ し て、 秘 義 分 別 摂 疏 に も そ の こ と が 裏 書 さ れ て い る の で あ る が、 本 文 に は た だ ﹁ 此 中 顛 日 ﹂ と し て 紹 介 せ ら れ て い る の み で あ る。 之 と 同 じ 形 式 を 採 つ て い る も の に、ivの 偶 が あ る。 宇 井 先 生 は こ の 後 者 の 偏 に 就 て、 ﹁摂 大 乗 論 ど し て は 単 に 重 説 の 偶 で 何 れ か ら の 引 用 と も 見 え な い の が 明 に 阿 毘 達 磨 経 の 偶 で あ つ て 見 れ ば、 摂 大 乗 論 全 体 の 偏 の 中 の、 他 書 の 引 用 た る こ と を 示 さ な い も の は、 或 は 実 は 阿 毘 達 磨 経 の 偏. で あ る と も 想 像 せ し め ら る る。 ﹂ と 推 定 し て い ら れ る が、 前 例 に よ れ ば、 こ れ が 事 実 で あ る と い う こ と に な る。 而 し て、 こ れ 等 は た だ 前 述 の ( イ) に 属 す る 断 片 程 に は 思 想 的 重 要 さ が な い か ら、 無 著 は 自 ら 本 文 に 於 て 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 願 日 と し な か つ た の で あ り、 そ れ を 後 の 人 が 偶 々 明 か に し た も の と 思 わ れ る の で あ る。 蓋 し、 摂 大 乗 論 は 全 体 的 に ﹁ 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 あ る も の ﹂ で あ る か ら、 い つ れ の 部 分 に し て も、 後 世 の 人 に よ つ て 引 用 さ れ る 場 合 に は、 そ れ が 典 拠 あ る 為 の と し て 扱 わ れ る 以 上、 た だ 摂 大 乗 論 に 説 く と す る よ り も、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 名 の 下 に そ れ を 紹 介 す る 方 が、 聖 教 性 を 示 す 本 旨 に か な う こ と に な る わ け で あ る。 尚、iiの 如 く、 ﹁ 世 如 尊 言 ﹂ と し て、 本 文 に 述 べ ら れ る 長 行 が、 成 唯 識 論 巻 七 に 於 て は 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 名 の 下 に 引 用 せ ら れ て い る の も、 同 様 に 理 解 し て 差 支 え な い で あ ろ う。 更 に、 此 のivの 偶 は 摂 大 乗 論 本 文 に よ れ ば 碑 佛 略 経 の 中 に あ る も の の 如 く で あ る。 こ れ に 就 て、 宇 井 先 生 ば、 ﹁ 鞍 佛 略 経 は 方 広 経 の 意 味 で あ る か ら、 大 乗 一 般 の 経 を 指 す と も い え 阿 毘 達 磨 大 鞠 経 に つ い て

(15)

密 教 文 化 る が 淋 然 し 引 用 か ら 見 れ ば 特 殊 の 一 経 で あ る。 大 乗 阿 毘 達 磨 経 を 単 に 大 乗 の 靱 佛 略 経 と い う こ と もな い ら し い 云 云 ﹂ と 述 べ て 居 ら れ る が、 こ の よ う な 疑 問 は 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 実 態 を 知 る こ と に よ つ て 自 ら 解 消 す る 筈 で あ る。 次 に ( ハ) に 属 す る 断 片 は i 如 下 薄 伽 梵 於 二 大 乗 阿 毘 達 磨 経 中 個説 申 如 レ 是 言 上。 ﹁ 若 諸 菩 薩 欲三 勤 精 進 修 藷 善 品 一 云 云 ⋮⋮﹂ ( 大 乗 阿 毘 達 磨 集 論 末 羅) ii (A) 遍 所 集 者、 謂 遍 畢 二 切 大 乗 阿 毘 達 磨 経 中 諸 思 択 処 哺名 二 遍 所 集 一。 ( 同 雜 集 論) (B)慈 恩 の 雜 集 論 述 記 ( 巻 一) の 引 用 は、 ﹁ 摂 二 大 乗 阿 毘 達 磨 経 中 諸 思 択 処 一⋮﹂ と し て コ、 切 ﹂ の 二 字 が 欠 け て い る。 iii 無 下 有 二 眼 等 識 剛 不 レ 縁 二 実 境 一起 上。 ハ 云 云 ( 唯 識 二 十 論 述 記) iv 如 レ 是 染 汚 意 是 識 之 所 依 云 云 ( 玄 契 記、 漢 訳 無 性 釈 及 び 成 唯 識 論 述 記) 以 上 の 四 つ で あ る。 此 の 中、iに 就 て 宇 井 先 生 は 同 じ 阿 毘 達 磨 経 の も の の 中 で 一 種 異 る も の で あ る か ら、 之 を 含 む 他 の (3) 品 が あ つ た の で は な か ろ う か ど 言 わ れ て い る。 事 実、 そ の 如 く、 此 の 一 文 は 一 種 特 別 の も の の よ う 忙 見 え る。 然 し、 そ の 反 対 に、 他 の 断 片 が 非 常 に よ く 纏 つ て い て、 同 種 類 の も の と 考 え ら れ る か ど う か は 疑 問 で あ ろ う。 夫 々 は 独 立 的 で あ つ て、 直 接 に は つ な が り が な い と 言 い 得 な い こ と も な い よ う で あ る。 そ れ は と も か く、 こ の よ う な 問 題 は、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が 一 つ の 個 有 な る 経 典 で あ る と い う 前 提 の 下 に 考 え ち れ る ご と で あ る か ら、 今 は 問 題 と な ら な い と 思 う。 又、iiに 就 て も、 大 乗 阿 毘 達 磨 集 論 が 遍 ね く 一 切 大 乗 阿 毘 達 磨 経 中 諸 思 択 処 を 摂 し た も の と い う の は、 聖 教 性 あ る 諸 の 思 択 を 遍 ね く 集 め て 論 じ た も の と い う 程 の 意 味 で あ る こ と は 明 ら か で あ り、 そ の 場 合、 ﹁ 一 切 ﹂ の 字 は あ ま り 重 要 な 意 味 を も た な い か ら、 慈 恩 が 雜 集 論 述 記 に 引 用 す る 際、 省 略 し た の か も 知 れ な い。 更 に、ivに 就 て は、 西 蔵 訳 に は な い 偶 で あ り、 梵 文 原 典 に 果 し て 有 つ た も の か ど う か、 又iiiの 偶 と 同 じ く、 何 処 か ら 引 用 し た も の か 不 明 で あ る。 ( 二) 其 の 他。 以 上 の 外 に、 摂 大 乗 論 の 一 般 的 な 本 文 を 構 成 し て、 特 に 阿 毘 達 磨 大 乗 経 中 と せ ら れ な い 多 く の 偶 や 長 行 の 大 部 分 が あ る。 尤 も、 そ の 中 に は、 解 深 密 経 や 大 乗 荘 厳 経 論 よ り 引 用 せ ら れ た こ と が 明 記 さ れ、 て い る 部 分 も あ る。 例 え ば、 解 深 密 経 中 に と い う 一 節 等 は、 正 し く そ こ か ら の 引 用 文 で あ る。 然 し、 こ れ 等 は 摂 大 乗 論 全 体 と の 関 連 か ら 言 え ば、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 性 質 あ る も の で あ つ て、 両 者 の 間 に 矛 盾 す る 処 は な い 筈 で あ る。 た だ 解 深 密 経 中 に と 指 定 さ れ た も の は、 証 得 に よ ら ず、 何 含 に よ つ て 示 さ れ た と い う に 過 ぎ な い。 又 摂 大 乗 論 本 文 中

(16)

-34-に は、 大 乗 荘 厳 経 論 の 中 に と し て 掲 げ る 順 の 外 に、 佐 々 木 月 樵 著 ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ ( 二四-二 五 頁) に 示 す よ う に、 出 所 を 明 か さ な い け れ ど も、 事 実 上 は 大 乗 荘 厳 経 論 の 煩 そ の ま ま を 持 ち 込 ん で 述 べ て い る 多 く の 部 分 も 認 め ら れ る。 こ れ は 摂 大 乗 論 と 大 乗 荘 厳 経 論 と の 著 者 性 及 び 著 者 が 同 じ で あ る こ と か ら す れ ば、 そ れ を 殊 更、 大 乗 荘 厳 経 論 中 と 明 記 し て 引 用 し て も、 明 記 せ ず し て 引 用 し て も、 殆 ど 差 別 は な い と 見 て よ い で あ ろ (4) う。 (1) 宇 井 伯 寿 著 ﹃ 摂 大 乗 論 研 究 ﹄ 三 九 頁。 (2) 同、 四 五 頁。 (3) 同、 四 七 頁。 (4) 古 来、 大 乗 荘 厳 経 論 の 本 願 が 弥 勒 の 作 で あ る と す る 説 と、 無 著 の 作 で あ る と す る 説 と が あ る。 此 の 両 説 は、 相 矛 盾 す る 如 く で あ る け れ ど も、 摂 大 乗 論 に 於 け る 著 者 性 と 著 者、 即 ち ﹁ 己 に 能 く 善 く 大 乗 に 入 れ る 菩 薩 ﹂ の 増 上 力 に よ り て、 無 著 が 了 別 し た 事 情 と 同 一 に 理 解 す る な ら ば、 問 題 は な く な る で あ ろ う。 ( 四) Atthasalini に 見 ら れ る 阿 毘 達 磨 経。 さ て、 第 十 地 の 菩 薩 の 増 上 力 に よ つ て 無 著 が 証 得 し、 説 述 し た 摂 大 乗 論 や そ の 中 の 断 片 の あ る も の が、 或 は 無 著 自 身 に よ つ て、 或 は 後 の 人 に よ つ て 阿 毘 達 磨 大 乗 経 た る 性 質 を も つ も の と し て、 そ の 名 の 下 に 扱 わ れ る と い う こ と は、 無 著 以 前 に は 全 く 見 な か つ た こ と で 噛 特 殊 な 事 例 に 違 い な い が、 無 著 ( 約A. D. 310-390) よ り 梢 々 後 に、 南 方 上 座 部 の 佛 音 ( Buddha-ghosa 約A. D. 415-450) に よ つ て 作 ら れ た と (1) 言 わ れ て い る Atthasalini に は、 摂 大 乗 論 に 於 け る 阿 毘 達 し 磨 大 乗 経 と 似 た 阿 毘 達 磨 経 の 用 例 が 見 ら れ る。 そ れ は 阿 毘 達 磨 を 結 集 し た 次 第 を 述 べ る 次 の 如 き 問 答 に 於 て、 一 度 だ け 現 (2) わ れ る も の で あ る。 即 ち、 初 め 一 入 の 比 丘 が 総 て の 会 衆 の 真 中 に 坐 し、 阿 毘 達 磨 か ら 経 を 引 い て 法 を 語 る。 A ﹁ 色 纏 は 無 記。 四 纏 は 善 有 り、 不 善 有 り、 無 記 有 り。 十 処 は 無 記。 二 処 は 善 有 り、 不 善 有 り、 無 記 有 り。 十 六 界 は 無 記。 二 界 は 善 有 り、 不 善 有 り、 無 記 有 り。 集 諦 は 不 善。 道 諦 は 善。 滅 諦 は 無 記。 苦 諦 は 善 有 り、 不 善 有 り、 無 記 有 り。 十 根 は 無 記。 憂 根 は 不 善。 未 知 当 知 根 は 善。 四 根 は 不 善 有 り、 無 記 有 り。 六 根 は 善 有 り、 不 善 有 り、 無 記 有 り。 ﹂ と 法 の 話 を 語 る。 そ の 場 所 で、 一 人 の 比 丘 が 坐 り な が ら、 B ﹁ 法 治 者 よ、 汝 は 須 弥 山 を 取 り 巻 く が 如 く、 長 い 経 を 引 い た。 こ れ は 何 と い う 経 で あ る か ﹂ と 尋 ね る。 A ﹁ 友 よ、 阿 毘 達 磨 と い う 経 で あ る ﹂ と 答 え る。 B ﹁阿 毘 達 磨 経 を 何 故 引 い た か。 何 故、 他 の 佛 説 の 経 を 引 か な い の で あ る か ﹂。 A ﹁阿 毘 達 磨 は 誰 に よ り て 説 か れ た も の で あ る ︹ と 思 う ︺ か ﹂。 B ﹁ こ れ は 佛 陀 の 所 説 で は な い と 思 う ﹂。 A ﹁ 友 よ、 汝 は 律 蔵 を 読 ん だ か ﹂。 B ﹁友 よ、 学 ば な い ﹂。 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に つ い て

(17)

-35-密 教 文 化 A ﹁ 私 が 考 え る に、 汝 は 律 蔵 を 学 ば な い か ら 知 ら な い で、 こ の よ う に 言 う の で あ る ﹂ ( 中 略) と。 こ う い う 具 合 に 異 論 者 は 非 難 せ ら れ る。 (3) 右 のAtthasalini の 一 節 に 依 れ ば、 阿 毘 達 磨 か ら 引 い た 経 が 阿 毘 達 磨 経 で あ る。 こ の 場 合、 前 後 の 関 係 か ら し て、 経 の (4) 意 味 は 聖 教 或 は 佛 言 と い う こ と に. 関 係 な く、 貫 穿 縫 綴 と い う 意 味 と 見 ら れ る。 而 し て、 原 則 的 に 仏 説 で あ る 阿 毘 達 磨 の 中 の 此 の よ う な 部 分 が、 一 人 の 比 丘 に よ り て、 偶 々 阿 毘 達 磨 経 ま と 名 づ け ら れ た の で あ る。 こ の 佛 音 に よ る 阿 毘 達 磨 経 の 用 例 は、 無 著 の 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の そ れ と 意 義 が 全 く 同 じ で は な い け れ ど も、 固 有 の 経 典 で な い 阿 毘 達 磨 経 と い う 用 例 が そ こ に 見 出 さ れ る こ と だ け は 注 意 せ ら れ て よ い で あ ろ う。 (1)P・T・S版、 二 八頁-二 九 頁。 (2)こ の 和 訳 は 大 谷 大 学 佐 々 木 現 順 助 教 授 よ り 御 指 導 を 得 た も の で あ る。 ( 原 文 省 略) (3)こ こ で 阿 毘 達 磨 は 佛 説 で あ る と い う の は、 必 ず し も 文 字 通 り に 佛 陀 の 直 説 で あ る と の 意 味 で は な く、 競 い て 説 明 し て い る よ う に、 阿 毘 達 磨 者 で あ る 法 話 者、 換 言 す れ ば、 法 を 混 乱 す る こ と な く 伝 え 得 る 者、 例 え ば 十 大 弟 子 の 一、 人 で あ る 大 目 蓮 の 語 る 所 は、 実 に 佛 陀 の 教 外 で は な い と い う 意 昧 で 其 の 所 説 た る 阿 毘 達 磨 も 佛 説 な の で あ る。 そ れ 故、 丁 度 無 著 の 摂 大 乗 論 が 阿 毘 達 磨 大 乗 経 で あ る と す る の と 同 じ に こ と に な る。 (4)Atthasalini に は 経 に 就 て 次 の よう に い う。 ﹃ 利 益 を 示 す こ と よ り、 よ く 説 か れ て い る こ と よ り、 生 ず る こ と よ り、 作 る こ と よ り、 よ き 庇 護 た り。 糸 の 同 文 よ り、 こ の 掻 は 経 と 説 か れ た り。 ( 中 ・略) 糸 の 同 分 と は 次 の 様 で あ る。 丁 慶、 大 工 に と つ て、 糸 が 尺 度 で あ る 様 に、 そ れ も ま た、 識 者 の 糸 で あ り、 又 糸 で 貫 き 結 ば れ て い る 花 が、 ば ら ば ら に な ら ず、 害 わ れ な い よ う に、 こ れ に よ つ て 義 が 貫 き 結 ば れ て い る。 (P・T・S版 に 拠 る。 こ の 項 大 谷 大 学 佐 々 木 現 順 助 教 授 よ り 御 指 導 を 得 た。) 結 語 以 上 は 秘 義 分 別 掻 疏 を 中 心 に、 世 親 釈、 無 性 釈 其 の 他 の 資 料 に 依 つ て、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 問 題 を 出 来 る 限 り 考 究 し て 来 た の で あ る が、 要 す る に、 こ の 経 が 従 来 考 え ら れ て い る よ う に、 一 つ の 固 有 の 経 典、 或 は 一 群 の 経 典 と い う よ う な 一 定 の 具 体 的 な 形 に 於 て、 存 在 す る も の で な か つ た こ と は 明 瞭 で あ る。 即 ち、 此 の 経 は、 あ く ま で も 無 著 が 第 十 地 の 菩 薩 の 増 上 力 に よ り て 自 ら 証 し、 了 別 し て 説 い た 摂 大 乗 論、 或 は 一 偏、 更 に は 摂 大 乗 論 以 外 の 断 片 に 就 て、 そ れ が 聖 教 た る 性 質 あ る こ と を 表 示 し た 単 な る 呼 び 名 で あ る。 そ し て こ れ は ま た、 派 生 的 に 三 種 の 解 釈 に よ つ て 摂 大 乗 論 の 説 明 に も な る と せ ら れ て い る。 さ て、 こ こ に 唯 識 教 学 史 上、 画 期 的 な 思 想 体 系 を 形 成 し た 阿 頼 耶 識 説 の 根 拠 と 見 ら れ る 阿 毘 達 磨 大 乗 経 が 既 に し て こ の よ う な 経 で あ る と す れ ば、 我 々 は 認 識 を 新 に し な け れ ば な ら な い で あ ろ う。 即 ち、 阿 毘 達 磨 大 乗 経 は 佛。 菩 薩 の 増 上 力 を 前 提 と す る か ら、 阿 頼 耶 識 説 の 起 源 は、 本 質 的 に は 言 う ま で も な く 佛 世 尊 で あ り、 又 第 十 地 の 菩 薩 に 違 い な い が、 然 し、 そ れ を 最 初 に 阿 頼 耶 識 と い う 名 の 下 に ま と め、 唯 識 教 学 を 之

(18)

-36-に 由 つ て 集 大 成 し た の は 無 著 そ の 人 で あ る と 知 ら ね ば な ら な い。 而 し て、 無 著 は そ の 阿 頼 耶 識 説 の 中 に、 更 に 如 来 蔵 思 想 や 小 乗 の 教 学 ま で も 包 含 し て 行 こ う と す る 所 が 見 え る の で あ (1) る が、 こ れ は 実 に、 法 光 定 を 修 得 し、 菩 薩 初 地 に 悟 入 し、 弥 勒 の 指 導 を 受 け た と 言 わ れ る 無 著 に 於 て こ そ、 可 能 な 事 で あ。 つ て、 覧 阿 毘 達 磨 大 乗 経 の 名 を 無 著 以 前 に 見 ず、 無 著 以 後 に も 彼 に 直 接 間 接 に 関 係 な し に は、 見 る こ と の 出 来 な い 所 以 が こ の 辺 に あ る よ う で あ る。 ( 昭 二 七、 四、 一) (1) 拙 稿 ﹁ 摂 大 乗 論 に 於 け る 阿 頼 耶 識 設 定 の 密 意 ﹂ ( 密 教 文 化 第 二 十 一 暑) を 参 照 せ よ。 阿 毘 達 磨 大 乗 経 に つ い て

参照

関連したドキュメント

54. The items with the highest average values   were:  understanding  of  the  patient's  values,  and  decision-making  support  for  the  place  of 

長野県飯田OIDE長 長野県 公立 長野県教育委員会 姫高等学校 岐阜県 公立 岐阜県教育委員会.. 岡山県 公立

視覚障がいの総数は 2007 年に 164 万人、高齢化社会を反映して 2030 年には 200

部位名 経年劣化事象 健全性評価結果 現状保全

妥当性・信頼性のある実強度を設定するにあたって,①

5月 こどもの発達について 臨床心理士 6月 ことばの発達について 言語聴覚士 6月 遊びや学習について 作業療法士 7月 体の使い方について 理学療法士