高
野
山
の
開
創
と
そ
の
意
義
-弘
法
大
師
の
生
涯
に
お
け
る
弘
仁
六
・
七
年-武
内
孝
善
一 は じ め に 高 野 山 は、 弘 法 大 師 空 海 ( 以 下、 大 師 と 称 す) が 弘 仁 七 年 ( 八 一 六) 六 月 十 九 日 付 上 表 文 で 嵯 峨 天 皇 に 高 野 山 の 下 賜 を 奏 請 し、 同 年 七 月 八 日 付 の 紀 伊 国 司 宛 太 政 官 符 に よ っ て 勅 許 さ れ、 開 創 さ れ る に 至 っ た こ と は 周 知 の こ と で あ る。 こ (1) れ ま で、 大 師 が 高 野 山 の 地 を 知 り、 そ の 下 賜 を 奏 請 す る に 至 っ た 径 路 と し て、 つ ぎ の 三 説 が 考 え ら れ て き た。 す な わ ち、 第 一 の 説 は、 大 師 が 少 年 の こ ろ 好 ん で 山 林 を 渉 覧 し て い た 時、 訪 れ た こ と が あ る 旧 知 の 山 で あ り、 そ の (2) こ ろ か ら す で に こ の 地 に 着 目 し て い た と す る 説。 第 二 は 大 師 の 十 大 弟 子 の 一 人 円 明 の 父 良 豊 田 丸 が、 大 師 が 伽 藍 建 立 (3) に 相 応 し い 霊 地 を 探 し 求 め て い る こ と を 聞 き、 高 野 山 の 所 在 を 進 言 し た と す る 説。 第 三 は、 弘 仁 七 年 四 月 伽 藍 建 立 の 地 を 探 し 求 め て い た 時、 大 和 国 宇 智 郡 で 一 人 の 猟 師 ( 犬 飼) に 出 逢 い、 こ の 犬 飼 に 導 か れ て 高 野 山 に 至 り、 こ の 地 を (4 譲 ら れ た と す る 説 の 三 つ で あ る。 こ の う ち、 第 一 説 は 史 料 的 に も っ と も 信 慧 性 の 高 い 説 で あ り、 第 二 は 史 料 的 に は 必 (5) ず し も 信 頼 で き な い 説 と い わ れ、 第 三 は 伝 説 の 域 を 出 な い 説 で あ る。 上 に み た 大 師 が 高 野 山 を 知 る に 至 っ た 径 路 を は じ め、 高 野 山 の 奏 請 ・ 勅 許、 開 創 の 目 的、 堂 塔 の 建 立 の 経 緯 な ど に つ い て は、 先 学 に よ っ て 少 な か ら ず 論 じ ら れ て き 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義密 教 文 化 (6) た。 し か し、 高 野 山 の 開 創 が 大 師 の 生 涯 の 中 で い か な る 位 置 を し め る の か、 ま た 開 創 の 意 義 と い っ た こ と に つ い て は、 こ れ ま で あ ま り 考 え ら れ て こ な か っ た よ う に 思 わ れ る。 そ こ で、 本 稿 で は 弘 仁 七 年 六 月 十 九 日 付 上 表 文 の 分 析 を と お し て、 い ま 一 度、 高 野 山 開 創 の 目 的、 高 野 山 が 伽 藍 建 立 地 に 選 ば れ た 理 由 な ど を 整 理 し、 あ わ せ て 大 師 の 生 涯 に お け る 高 野 山 開 創 の 位 置、 開 創 の 意 義 を 検 討 し て み た い。 二 弘 仁 七 年 六 月 十 九 日 付 上 表 文 さ き に 述 べ た ご と く、 高 野 山 の 歴 史 は 弘 仁 七 年 六 月 十 九 日 付 上 表 文 で、 大 師 が 嵯 峨 天 皇 に 修 禅 の 道 場 を 建 立 す る た め に、 こ の 地 を 請 わ れ た こ と に は じ ま る。 そ の 上 表 文 と は つ ぎ の ご と き も の で あ る。 あ と に 述 べ る 個 所 と も 関 連 す る の で、 煩 を い と わ ず 全 文 を あ げ る こ と に す る。 紀 伊 の 国 伊 都 の 郡 高 野 の 峰 に お い て、 入 定 の 所 を 請 け 乞 ふ の 表 ギ ジ ヤ 沙 門 空 海 言 す。 空 海 聞 く、 山 高 き と き は 雲 雨 物 を 潤 し、 水 積 る と き は 魚 龍 産 化 す。 是 の 故 に 嗜 闊 の 峻 嶺 に は 能 仁 シ カ の 休 ま ず。 孤 軍 の 奇 峰 に は 観 世 の 躍 相 続 ぐ。 其 の 所 由 を 尋 ぬ る に、 地 勢 自 ら 爾 な り。 ま た 墓 嶺 の 五 寺 に は 禅 客 ハ シ 肩 を 比 べ、 天 山 の 一 院 に は 定 侶 挟 を 連 る こ と 有 り。 是 れ 則 ち、 国 の 宝、 民 の 梁 な り。 ナ ラ 伏 し て 惟 れ ば、 我 が 朝 歴 代 の 皇 帝、 心 を 佛 法 に 留 め た ま へ り。 金 刹 銀 毫 櫛 の ご と く に 朝 野 に 比 び、 義 を 談 ず る の 龍 象、 寺 ご と に 林 を 成 す。 法 の 興 隆 是 に お い て 足 ん ぬ。 但 だ 恨 む ら く は、 高 山 深 嶺 に 四 禅 の 客 乏 し く、 幽 藪 窮 巌 に 入 定 の 賓 希 な り。 実 に 是 れ 禅 教 未 だ 伝 わ ら ず、 住 慮 相 応 せ ざ る が 致 す 所 な り。 今 禅 経 の 説 に 准 ず る に、 深 山 の
平 地 尤 も 修 禅 に 宜 し。 空 海 少 年 の 日、 好 ん で 山 水 を 渉 覧 せ し に、 吉 野 従 り 南 に 行 く こ と 一 日、 更 に 西 に 向 っ て 去 る こ と 両 日 程 に し て、 ニ ン シ ヨ ウ ミ チ 平 原 の 幽 地 有 り。 名 づ け て 高 野 と 日 ふ。 計 る に 紀 伊 の 国 伊 都 の 郡 の 南 に 当 れ り。 四 面 高 嶺 に し て 人 躍 践 絶 え た り。 カ タ イ ラ 今 思 わ く、 上 は 国 家 の 奉 為 に、 下 は 諸 の 修 行 者 の 為 に、 荒 藪 を 菱 り 夷 げ て、 柳 か 修 禅 の 一 院 を 建 立 せ ん。 経 の 中 に 誠 有 り。 ﹁ 山 河 地 水 は 悉 く 是 れ 国 王 の 有 な り、 若 し 比 丘 他 の 許 さ ざ る 物 を 受 用 す れ ば、 即 ち 盗 罪 を 犯 す ﹂ て へ り。 シ カ ノ ミ ナ ラ 加 以 ず、 法 の 興 廃 は 悉 く 天 心 に 繋 れ り。 若 し は 大、 若 し は 小、 敢 え て 自 由 な ら ず。 望 み 請 う ら く は、 彼 の 空 地 を 賜 わ る こ と を 蒙 っ て、 早 く 小 願 を 遂 げ ん。 然 れ ば 則 ち、 四 時 に 勤 念 し て 以 て 雨 露 の 施 を 答 し た て ま つ ら ん。 若 し カ ル ガ ル シ ン イ ケ ガ シ ヤ ウ エ ツ 天 恩 允 許 せ ば、 請 ふ 所 司 に 宣 付 し た ま へ。 軽 し く 震 晟 を 塵 し て 伏 し て 深 く 棟 越 す。 沙 門 空 海、 誠 憧 誠 恐、 謹 ん で 言 す。 ( 7) 弘 仁 七 年 六 月 十 九 日 沙 門 空 海 上 表 す。 ( 原 漢 文) こ の 上 表 文 に 対 し て、 嵯 峨 天 皇 は 同 年 七 月 入 日、 ス 太 政 官 符 紀 伊 国 司 内 印 十 七 所 リ ノ ニ フ ト 空 地 壼 庭 在 二 伊 都 郡 以 南 深 山 中 一 日 三 筒 野 一 (8) 四 至 四 方 高 山 ル ニ ノ ヲ ク ノ ニ ノ ニ ハ マ ノ ニ バ ク ル ニ ヲ ラ リ 右 得 二 僧 綱 牒 一侮。 十 禅 師 空 海 牒 云。 書 闇 峻 嶺 能 仁 之 不 レ休。 孤 岸 奇 峯 観 世 之 躍 相 続。 尋 二其 所 由 一地 勢 自 爾。 ニ ハ ノ メ ヲ ニ ノ 如 ニ ヒ ニ ノ ニ ス ヲ テ ニ ヌ シ ニ バ ク ノ 聖 朝 歴 代 皇 王 留 二 心 仏 法 一金 刹 銀 毫 櫛 比 二 朝 野。 談 義 龍 象 毎 レ 寺 成 レ 林。 法 之 興 隆 於 レ 此 足 突。 但 深 峯 乏 二 四 禅 客。 ニ ハ レ ナ リ ノ ニ レ タ ( マ へ) ル カ セ ス ス ル ニ ノ ニ ノ モ シ ニ バ ク ハ ニ ノ 窮 巌 希 二 入 定 賓。 実 是 禅 教 未 レ 儒 住 慮 不 二 相 応 一 之 所 レ 致 也。 准 二 禅 経 説 殉 件 地 尤 宜 二 修 禅。 今 思 上 奉 二 為 国 家。 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
-35-密 教 文 化 ハ ニ ノ ノ カ リ タ イ ラ ゲ テ ヲ セ ン ノ ヲ ノ ニ リ マ バ ク レ ノ シ ス レ ハ ノ ル サ ヲ 下 為 二 諸 修 行 者。 菱 二 夷 荒 藪 囲 建 二 立 修 禅 一 院。 経 中 有 レ 試。 山 河 地 水 悉 是 国 主 有 也。 若 比 丘 受 二 用 他 不 レ 許 物。 チ ス ヲ ヘ リ ス ハ ク レ リ ニ ハ ハ テ ナ ラ ミ ウ ラ ク ハ リ テ フ コ ト ヲ ヲ ク ン ニ ヘ リ ス 即 犯 二 盗 罪 一者。 加 以 法 之 興 廃 悉 繋 二 天 心 鱒 若 大 若 少 不 二 敢 自 由。 望 請 蒙 レ 賜 二 彼 地 一早 答 二 国 恩一 者。 右 大 臣 宣。 ル ニ ヲ レ ル ニ ク ス テ ニ フ ヲ ラ バ セ ヨ 奉 レ 勅 依 レ 請。 国 宜 二 承 知。 依 レ 宣 賜 レ 之。 符 到 奉 行。 ペ シ (行イ) 参 議 従 三 位 左 大 辮 秋 篠 朝 臣 安 人 左 少 史 正 七 位 上 上 村 主 豊 田 麿 弘 仁 七 年 七 月 入 日(9) (10) な る 太 政 官 符 を 紀 伊 国 司 に 下 し、 高 野 山 の 地 を 大 師 に 下 賜 し た。 右 の 上 表 文 に よ る と、 当 時 の 高 野 山 は 吉 野 か ら 南 へ 一 日、 そ こ か ら 西 に 向 っ て 二 日 の 行 程 で た ど り つ け る と こ ろ で、 ま わ り を 高 い 峯 々 に 囲 ま れ、 ま れ に し か 人 の 訪 れ る こ と の な い 幽 玄 閑 寂 な 沢 地 で あ っ て、 紀 伊 国 伊 都 郡 の 南 に 位 置 し て い た。 道 路 事 情 な ど が よ く な っ た 今 日 に お い て さ え、 な お 交 通 の 便 が よ い と は い え な い 高 野 山 で あ る。 ま し て や、 原 生 林 に お お わ れ、 人 工 の 手 が ほ と ん ど 加 え ら れ て い な か っ た で あ ろ う 約 一 一 七 〇 年 前 の 高 野 山 を 想 う と、 第 一 に 奇 異 に 感 ず る の は、 な ぜ 大 師 は こ の よ う に 都 か ら 遠 く は な れ た 不 便 な 山 中 に、 伽 藍 を 建 立 し よ う と な さ れ た の で あ ろ う か、 と い う こ と で あ ろ う。 そ こ で ま ず、 ど の よ う な 目 的 で 高 野 山 は 開 創 さ れ た の か、 と い う こ と に つ い て 見 て お こ う。 三 高 野 山 開 創 の 目 的 高 野 山 開 創 の 目 的 は、 一 つ の 小 願 を 成 し 遂 げ る た め で あ る、 と 大 師 は 述 べ て お ら れ る。 す な わ ち、 上 に あ げ た 上 表 文 中 に、 カ タ イ ラ 今 思 わ く、 上 は 国 家 の 奉 為 に、 下 は 諸 の 修 行 者 の 為 に、 荒 藪 を 菱 り 夷 げ て、 柳 か 修 禅 の 一 院 を 建 立 せ ん。 (中 略)
(11) 望 み 請 う ら く は、 彼 の 空 地 を 賜 わ る こ と を 蒙 っ て、 早 く 小 願 を 遂 げ ん。 と あ る。 こ の 二 つ の 文 を 一 つ に す る と、 ﹁ 私 の お 願 い い た し た き こ と は 彼 の 空 地 ( 高 野 の 地) を 賜 わ り ま し て、 上 は 国 家 の ( 鎮 護 国 家 を 祈 念 す る) た め に、 下 は 多 く の 仏 道 修 行 者 が 修 行 す る た め に、 小 さ な 修 禅 の 一 院 を 建 立 し て、 早 く 小 願 を 成 し 遂 げ た い こ と で あ り ま す ﹂ と い っ た 内 容 と な ろ う。 で は、 こ こ に い う 高 野 山 開 創 の 端 緒 と な っ た 小 願 は、 い つ 立 て ら れ た の で あ ろ う か。 そ れ は 大 同 元 年 ( 八 〇 六) 八 月 の 入 唐 帰 朝 の 際 の 船 上 ま で 遡 る こ と に な る。 こ こ で、 大 師 の 入 唐 か ら 帰 朝 ま で の 足 跡 を ふ り か え っ て み る こ と に し ょ う。 (12) 延 暦 二 十 三 年 ( 八 〇 四) 七 月 六 日、 大 師 は 第 十 六 次 遣 唐 使 の 留 学 僧 と し て、 遣 唐 大 使 藤 原 朝 臣 葛 野 麻 呂 の 乗 る 第 一 船 に 乗 っ て 肥 前 国 田 浦 を 出 発 し た。 第 二 船 に は 遣 唐 副 使 石 川 朝 臣 道 益 と と も に 還 学 僧 最 澄 が 乗 っ て い た。 途 中 暴 風 雨 に 遭 っ た 第 一 船 は 同 年 八 月 十 日 福 州 長 渓 県 赤 岸 鎮 以 南 の 海 口 に 漂 着 し、 十 月 三 日 福 州 に 回 航 ・ 上 陸 し た。 そ の 年 の 十 二 月 二 十 三 日 長 安 に 到 着 し た 空 海 は、 翌 年 二 月 十 一 日 西 明 寺 の 永 忠 の 故 院 に 留 住 し、 諸 寺 に 学 匠 を た ず ね て 本 格 的 な 密 教 の 研 鑛 に そ な え た。 醒 泉 寺 に 住 し て い た 閥 賓 国 ( カ シ ミ ー ル) 出 身 の 般 若 三 蔵、 北 イ ン ド 出 身 の 牟 尼 室 利 三 蔵 か ら サ (13) ン ス ク リ ッ ト 語 ・ イ ン ド の 諸 宗 教 に つ い て 教 え ら れ た の も、 こ の こ ろ の こ と で あ っ た。 お そ ら く 五 月 の 末 こ ろ で あ ろ う、 三 朝 の 国 師 と 仰 が れ て い た 青 龍 寺 東 塔 院 に 住 む 恵 果 阿 闊 梨 に 出 逢 っ た。 入 門 し た ば か り の 大 師 は、 恵 果 か ら や つ ぎ ば や に 六 月 大 悲 胎 蔵 生 ・ 七 月 金 剛 界 ・ 八 月 伝 法 阿 闊 梨 位 の 灌 頂 を 授 け ら れ、 金 剛 智 -不 空-恵 果 と 相 承 さ れ た ﹃ 大 日 (14) 経 ﹄ ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ に 基 づ く 正 統 な 密 教 の 大 法 を 余 す と こ ろ な く 受 法 し た。 大 師 は 二 十 年 間 滞 在 す る 予 定 で あ っ た が、 師 の 恵 果 は 付 法 の 終 る の を 待 っ て い た か の よ う に、 同 年 十 二 月 十 五 日 示 寂 し た。 師 は 示 寂 に 先 だ っ て、 大 師 に つ ぎ の 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 遺 講 を 残 し た。 チ ヨ ウ シ ン マ ミ ミ 吾、 昔 髪 齪 の 時 に、 初 め て 三 蔵 に 見 ゆ。 三 蔵 一 た び 目 て の 後 に、 偏 に 憐 れ む こ と 子 の 如 し。 内 に 入 り、 寺 に 帰 る ソ ト メ ヨ ヤ に も、 影 の 如 く に し て 離 れ ず。 霧 か に こ れ に 告 げ て い わ く ﹁ 汝 密 教 の 器 あ り、 努 力、 努 力 ﹂ と。 両 部 の 大 法、 秘 密 の 印 契、 是 れ に 因 っ て 学 び 得 た り。 自 余 の 弟 子、 も し は 道、 も し は 俗、 或 い は 一 部 の 大 法 を 学 び、 或 い は 一 尊 ガ ク ト ウ コ ウ テ ン 一 契 を 得 て、 兼 貫 す る こ と を 得 ず。 岳 漬 を 報 ぜ ん と 欲 す る に、 昊 天 極 ま り な し。 今 此 の 土 の 縁 尽 き ぬ。 久 し く 住 す る こ と 能 わ じ。 宜 し く こ の 両 部 大 曼 茶 羅、 一 百 余 部 の 金 剛 乗 の 法、 及 び 三 蔵 転 付 の 物、 並 び に 供 養 の 具 等、 請 ワ ズ う、 本 郷 に 帰 り て 海 内 に 流 伝 す べ し。 綾 か に 汝 が 来 れ る を 見 て、 命 の 足 ら ざ る こ と を 恐 れ ぬ。 今 則 ち 授 法 の 在 る 有 り。 経 像 の 功 畢 ん ぬ。 早 く 郷 国 に 帰 り、 も っ て 国 家 に 奉 り、 天 下 に 流 布 し て 蒼 生 の 福 を 増 せ。 然 れ ば 四 海 泰 く 万 人 楽 し ま ん。 是 れ 則 ち 仏 恩 を 報 じ、 師 の 徳 を 報 ず る な り。 国 の 為 に は 忠、 家 に 於 て は 孝 な り。 義 明 供 奉 は 此 処 (15) に し て 伝 え ん。 汝 は そ れ 行 き て、 こ れ を 東 国 に 伝 え よ。 努 力。 努 力。 ( 原 漢 文 ・ 棒 線 筆 者) こ の な か、 特 に 棒 線 部 の 早 く 日 本 に 帰 り、 こ の 教 え ( 密 教) を 国 家 ( 天 皇) に 奉 呈 し、 天 下 に あ ま ね く 広 め る こ と に よ っ て、 人 び と の 幸 せ が 増 す よ う に つ と め な さ い。 そ う す れ ば 国 内 は 平 和 と な り、 す べ て の 人 が 平 安 に 暮 せ る で し ょ う。 こ の よ う な 社 会 に な る こ と が 仏 の 恩 に、 ま た 師 の 恩 に 報 い る 道 で あ り、 国 に 対 し て は 忠、 家 に 対 し て は 孝 で あ る。 と の こ と ば は、 そ の 後 の 大 師 の 宗 教 的 ・ 社 会 的 活 動 の 指 針 と な っ た。 そ れ は さ て お き、 大 同 元 年 ( 八 〇 六) 八 月 遣 唐 判 官 高 階 真 人 遠 成 の 好 便 を え て 帰 国 す る こ と に な っ た 大 師 は、 嵐 に 遭 (16) っ て 漂 蕩 す る 船 上 で 一 つ の 小 願 を 発 し た。 そ の 時 の 様 子 が、 主 殿 寮 の 助 布 勢 海 に 宛 て た 書 状 に つ ぎ の ご と く 記 さ れ て
い る。 コ ノ ゴ ロ シ バ 比、 消 息 を 承 わ ら ず。 馳 渇 の 惟 い 深 し。 陰 熱 こ れ 温 か な り。 動 止 如 何。 空 海、 大 唐 よ り 還 る と き 数 々 漂 蕩 に 遇 い て、 聯 か 一 の 少 願 を 発 す。 帰 朝 の 日、 必 ず 諸 天 の 威 光 を 増 益 し、 国 界 を 擁 護 し、 衆 生 を 利 済 せ ん が た め に 一 の 禅 院 を 建 ク ラ 立 し、 法 に よ っ て 修 行 せ ん。 願 わ く は、 善 神 護 念 し て 早 く 本 岸 に 達 せ し め よ と。 神 明 昧 か ら ず、 平 か に 本 朝 に 帰 ア ザ ム る。 日 月 流 る る が ご と く に し て 忽 ち 一 紀 を 経 た り。 も し こ の 願 を 遂 げ ず ん ば、 恐 ら く は 神 祇 を 誼 か ん。 貧 道、 少 年 の 日、 修 渉 の 次 に、 吉 野 山 を 見 て 南 に 行 く こ と 一 日、 さ ら に 西 に 向 っ て 去 る こ と 二 日 程 に し て、 一 バ カ リ ミ ハ ル カ の 平 原 あ り。 名 づ け て 高 野 と い う。 計 る に 紀 伊 国 伊 都 郡 の 南 に 当 れ り。 四 面 高 山 に し て 人 隻 に 絶 え た り。 か の 地、 修 禅 の 院 を 置 く に 宜 し。 今 思 わ く、 本 誓 を 遂 げ ん が た め に、 柳 か 一 の 草 堂 を 造 っ て、 禅 法 を 学 習 す る 弟 子 等 を し て、 法 に よ っ て 修 行 せ し め ん。 た だ し 恐 る る は、 山 河 土 地 は 国 主 の 有 な り。 も し 天 許 を 蒙 ら ず ん ば、 本 戒 に 違 犯 せ ん こ と を。 伏 し て 乞 う。 こ の 望 を 以 聞 し て、 彼 の 空 地 を 賜 う こ と を 蒙 ら ん。 も し 天 恩 允 許 せ ば、 一 の 官 符 を 紀 伊 国 司 に 賜 わ ら ん こ と を 欲 す。 委 曲 は 表 中 に あ り。 謹 ん で 状 を 奉 る。 不 具。 沙 門 空 海 状 上 (17) 布 助 執 事 謹 空 ( 原 漢 文 ・ 棒 線 筆 者) こ の 書 状 は 日 付 け を 欠 く が、 後 半 部 分 に さ き に あ げ た 上 表 文 と 同 一 内 容 を 有 す る 個 所 が 見 ら れ る こ と か ら、 高 野 山 の (18) 下 賜 を 奏 請 す る に あ た り、 天 皇 の お そ ば 近 く つ か え る 布 勢 海 に 側 面 か ら の 助 力 を こ わ れ た 私 信 と 考 え ら れ て お り、 ま た 末 尾 の ﹁ 委 曲 は 表 中 に あ り ﹂ の 表 は 上 表 文 を さ す と み な さ れ る こ と か ら、 弘 仁 七 年 六 月 十 九 日 付 の 上 表 文 と 前 後 し て 書 か れ た も の と 考 え ら れ る。 そ の な か、 船 上 で 立 て ら れ た 一 の 小 願 と は、 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 も し 無 事 帰 朝 で き た な ら ば、 必 ず も ろ も ろ の 天 神 地 祇 の 威 光 を 増 益 し、 鎮 護 国 家 と 済 世 利 民 の た め に、 一 の 禅 院 を 建 立 し、 法 に の っ と っ て 修 禅 観 法 を 行 い た い。 願 わ く は 善 神 わ れ を 護 り た ま い、 早 く 本 国 に 達 せ し め よ。 ( 前 掲 書 状 の 棒 線 部) と い う も の で、 そ の 結 果 無 事 日 本 に 帰 り 着 く こ と が で き た。 こ こ で わ れ わ れ は、 こ の 背 後 に、 民 衆 が 平 安 に 暮 す た め に は 国 家 が 泰 平 で な け れ ば な ら な い、 そ れ を 祈 る の が 修 禅 者 で あ り、 祈 る 場 所 と し て 修 禅 の 道 場 が 必 要 で あ る、 と の (19) 解 釈 が 可 能 で あ る 師 恵 果 の 遺 誰 が あ り、 そ れ を 具 現 化 し よ う と さ れ た 大 師 の 意 志 を 読 み と る こ と が で き よ う。 こ の 小 願 は 帰 朝 後 十 年 を 経 た 弘 仁 七 年 に 至 っ て、 実 現 す る 運 び と な っ た。 四 高 野 山 が 選 ば れ た 理 由 で は、 な ぜ 高 野 山 が 修 禅 の 道 場 の 建 立 地 と し て 選 ば れ た の で あ ろ う か。 大 師 は 上 表 文 に 高 野 山 を 選 ん だ 理 由 を (20) 今 禅 経 の 説 に 准 ず る に、 深 山 の 平 地 尤 も 修 禅 に 宜 し。 と 記 し て い る。 こ こ に い う ﹁ 禅 経 ﹂ と は ﹃ 大 日 経 ﹄ ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ を は じ め と す る 密 教 経 論 を さ す こ と は 間 違 い な い。 す な わ ち、 密 教 の 修 行 に も っ と も 相 応 し い 場 所 と し て、 ﹃ 大 日 経 ﹄ 巻 第 一 入 漫 茶 羅 具 縁 真 言 品 第 二 之 一 に は 行 者 悲 念 の 心 を し て ( 中 略) 当 に 為 に 平 地 を 択 ぶ べ し。 山 林 に 華 果 多 く、 悦 意 の 諸 の 清 泉 は 諸 仏 の 称 嘆 し た ま う (21) 所 な り。 応 に 円 壇 の 事 を 作 す べ し。 ( 原 漢 文) と 説 き、 金 剛 智 訳 ﹃ 金 剛 頂 喩 伽 中 略 出 念 諦 経 ﹄ 巻 第 一 に は、 諸 山 は 花 果 を 具 す る も の、 清 浄 悦 意 の 池 沼 ・ 河 辺 は 一 切 諸 仏 の 称 讃 す る 所、 或 は 寺 内 に 在 し、 或 は 阿 蘭 若、 或 は
カ イ ト ウ 山 泉 の 間 に 於 て、 或 は あ る 寂 静 迫 庭、 浄 洗 浴 慮、 諸 難 を 離 る る 庭、 諸 の 音 聲 憤 閾 を 離 る る 慮、 或 は 意 所 楽 の 庭、 (22) か れ に 於 て 応 に 念 調 す べ し。 ( 原 漢 文) と 記 さ れ て い る。 こ の こ と か ら も わ か る よ う に、 高 野 山 が 修 禅 の 道 場 の 建 立 地 と し て 選 ば れ た 第 一 の 理 由 は、 修 禅 観 法 の 地 と し て も っ と も 相 応 し い の は 深 山 幽 谷 の 平 地 で あ る、 と 説 く ﹃ 大 日 経 ﹄ な ど の 密 教 経 論 の 教 説 に 一 番 適 し た と こ ろ で あ っ た こ と に よ る。 さ ら に、 高 野 山 の よ う な 山 中 に 伽 藍 を 建 立 す る 前 提 と な っ た の は、 当 時 の わ が 国 の 仏 教 界 に 対 す る 批 判 的 な 見 方 で あ っ た。 上 表 文 の 前 半 に つ ぎ の ご と く 記 さ れ て い る。 す な わ ち、 イ ン ド の 嗜 闊 堀 山 の 峻 嶺 に は 釈 迦 牟 尼 世 尊 垂 の 奇 瑞 が や ま ず、 補 陀 落 山 に は 観 音 菩 薩 応 現 の 霊 跡 が 相 つ い で あ ら わ れ て い る。 そ の 所 由 を 尋 ね る と、 高 山 峻 嶺 の 地 勢 が 自 然 に し か ら し め る と こ ろ で あ る。 ま た 唐 で は、 五 台 山 ・ 天 台 山 と い っ た 山 岳 に 寺 院 が 建 て ら れ、 そ こ に は 禅 観 を 修 す る 老 が 多 く、 そ れ ら の 修 禅 者 は 国 の 宝、 民 の 梁 ( 人 々 の 大 き な さ さ え) と な っ て い る。 一 方、 わ が 国 で は 歴 代 の 天 皇 は 仏 教 を 尊 崇 し た ま い、 荘 麗 な 寺 院 が 数 多 く 建 て ら れ、 そ こ に は 高 徳 の 僧 が た く さ ん お り、 仏 法 の 興 隆 と い う こ と か ら す れ ば こ れ で 十 分 で あ ろ う。 し か し 残 念 な こ と は、 高 山 深 嶺 に 入 っ て 禅 観 を 修 す る 人 は ま れ で あ る。 そ れ は 修 禅 観 法 を 説 く 経 典 が 伝 わ っ て お ら ず、 修 禅 に ふ さ わ し い 場 所 も な い か ら で あ る、 と き び し く 批 判 し て い る。 こ の 背 後 に は、 弘 仁 七 年 当 時、 年 分 度 者 を 得 て い わ ば 独 立 の 教 団 と し て 公 認 さ れ て い た 華 厳 ・ 天 台 ・ 律 ・ 三 論 ・ 法 (23) 相 等 の 諸 宗 に 対 す る 密 教 の 優 位 性 と、 正 統 な 密 教 を 請 来 し て き た と い う 大 師 の 自 負 と が う か が え る。 五 大 師 に と っ て の 高 野 山 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 弘 仁 七 年 当 時 の 大 師 に と っ て、 高 野 山 は 上 表 文 に ﹁ 空 海 少 年 の 日、 好 ん で 山 水 を 渉 覧 せ し に ⋮⋮﹂と 記 さ れ て い る ご と く、 少 年 の こ ろ 山 野 を 践 渉 し て い た と き、 吉 野 か ら 大 峯 山 麓 を ま わ る コ ー ス を た ど っ て 踏 破 し た 旧 知 の 山 で あ っ た。 上 表 文 に い う ﹁ 少 年 の 日 ﹂ が、 い つ の こ ろ の こ と か を 明 確 に す る こ と は で き な い。 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に ょ る と、 大 師 オ ジ は 十 五 歳 の こ ろ 伊 予 親 王 の 侍 講 で あ っ た 舅 の 阿 刀 宿 禰 大 足 に 伴 わ れ て 上 京 し、 十 八 歳 で 大 学 明 経 科 に 入 学 す る が、 あ る と き 一 人 の 沙 門 に 出 逢 い ﹁ 虚 空 蔵 求 聞 持 法 ﹂ を 授 け ら れ、 期 す る と こ ろ あ っ て 大 学 を 中 退 し て 山 林 修 行 者 の 集 団 に (24) 身 を 投 じ た。 以 来、 延 暦 二 十 三 年 ( 八 〇 四) 七 月、 三 十 一 歳 で 入 唐 す る ま で の 大 師 の 足 跡 は、 同 十 六 年 十 二 月 ハ ニ 十 四 (25) 歳 で ﹃ 聾 薯 指 帰 ﹄ を 撰 述 し た こ と 以 外、 確 実 視 さ れ る 事 跡 は 知 ら れ て い な い。 お そ ら く、 優 婆 塞 と し て 阿 波 の 大 瀧 イ シ ツ チ ノ タ ケ カ ネ ノ タ ケ 岳、 土 佐 の 室 戸 崎、 石 峯 ( 石 槌 山) 金 巌 ( 金 峯 山) な ど、 四 国 ・ 近 畿 一 円 の 山 岳 霊 場 を 料 撒 し、 セ イ パ ク コ ウ ク ワ ウ ヲ カ ト チ ト 青 幕、 天 に 張 っ て 房 屋 を 労 せ ず、 縞 幌、 嶽 に 懸 っ て 緯 帳 を 営 ま ず。 ( 中 略) 橡 の 飯 ・ 茶 の 菜 一 旬 を 給 が ず。 紙 の キ ヌ コ ロ モ (26) 抱 ・ 葛 の 福 二 の 肩 を 蔽 さ ず。 一 枝 に 遣 遙 し 半 粒 自 ら 得 た り。 と い っ た き び し い 修 行 を 続 け ら れ、 そ れ と と も に 平 城 京 の 寺 々 で 仏 典 の 研 究 に 寧 日 な き 日 々 を 送 っ て お ら れ た こ と が 推 側 さ れ る。 上 表 文 に い う ﹁ 少 年 の 日 ﹂ と ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 記 述 を 考 え 合 せ る な ら ば、 大 師 が は じ め て 高 野 の 地 を 踏 ん (27) だ の は 二 十 歳 以 前 の こ と で あ り、 そ れ は 大 学 入 学 後 あ ま り 時 を 隔 て な い 時 期 で は な か っ た か と 考 え る。 一 方、 大 師 に よ っ て 開 創 さ れ る 以 前 の 高 野 山 で あ る が、 高 野 山 内 の 西 に 位 置 す る 弁 天 岳 は 紀 ノ 川 筋 か ら 遠 望 で き る 高 峯 で、 紀 ノ 川 筋 の 人 び と か ら 神 奈 備 の 山、 つ ま り 山 麓 山 中 の 人 び と の 霊 が と ど ま り 籠 る 山 と し て 信 仰 さ れ て い た と (28) い わ れ る。 ま た、 高 野 山 は 奈 良 時 代 か ら 山 林 修 行 者 の 料 撤 コ ー ス に 組 み 入 れ ら れ た 山 岳 霊 場 の 一 つ で あ っ た と い わ (29) れ、 さ き に 見 た ご と く 大 師 も 優 婆 塞 の 時 代 に 踏 査 さ れ た 山 で あ っ た。
で は、 大 師 の 中 で 高 野 山 が 伽 藍 建 立 の 地 と し て 明 確 に 意 識 さ れ る よ う に な っ た の は い つ の こ ろ で あ っ た ろ う か。 二 十 四 歳 の と き 撰 述 さ れ た ﹃ 聾 薯 指 帰 ﹄ ( ﹃ 三 教 指 帰 ﹄) に は、 求 聞 持 法 を 修 し た と こ ろ と し て 大 瀧 岳 ・ 室 戸 崎、 山 林 修 行 を 行 な っ た 山 と し て 金 巌 ( 金 峯 山) ・ 石 峯 ( 石 槌 山) の 名 が 記 さ れ て い る が 高 野 山 の 名 は 見 ら れ な い。 上 表 文 の 書 か れ た 弘 仁 七 年 六 月 ま で に 書 か れ た も の に も、 高 野 山 は 一 度 も 出 て こ な い。 こ の よ う に、 大 師 の 書 き 残 さ れ た も の か ら 見 る か ぎ り、 大 師 の 中 で 高 野 山 が 伽 藍 の 建 立 地 と し て 明 確 に 意 識 さ れ る よ う に な っ た の は、 弘 仁 七 年 か ら そ れ 程 遠 い 日 で (30) は な か っ た の で は な い か と 考 え る。 以 上 の よ う に、 大 師 の 著 述 か ら み る と、 高 野 山 は 帰 朝 の 際 の 誓 願 に 基 づ き、 鎮 護 国 家 と 人 び と の 幸 福 で 平 安 な 生 活 を 祈 念 し、 諸 の 修 行 者 の た め の 修 禅 の 道 場 と し て 開 創 さ れ た こ と が 知 ら れ る。 し た が っ て、 こ こ に は 丹 生 津 比 売 命 ・ (31) 高 野 明 神 か ら 高 野 山 の 地 を 譲 ら れ た と い っ た 開 創 を 神 秘 化 す る 伝 説 の 入 り こ む 余 地 は ま っ た く な か っ た と い え る。 六 大 師 の 入 唐 帰 朝 か ら 弘 仁 六 年 ま で の 足 跡 そ れ で は、 高 野 山 の 地 を 奏 請 さ れ た 弘 仁 七 年 と は、 空 海 の 生 涯 の な か で ど の よ う な 時 期 だ っ た の で あ ろ う か。 入 唐 帰 朝 か ら 弘 仁 七 年 に 至 る 問 の 大 師 の 動 静 を 通 し て み て み よ う。 ま ず、 大 師 が 帰 朝 し た 大 同 元 年 と は ど の よ う な 年 だ っ た か を み て お き た い。 伝 教 大 師 最 澄 は 延 暦 二 十 三 年 七 月 六 日、 遣 唐 副 使 石 川 朝 臣 道 益 の 乗 っ た 第 二 船 で 肥 前 田 浦 を 出 帆 し、 同 年 八 月 明 州 (32) に 着 岸 し た。 石 川 朝 臣 道 益 は こ の 地 で 病 没 し、 の こ さ れ た 判 官 菅 原 朝 臣 清 公 ら 二 十 七 人 は 同 年 九 月 一 日 長 安 に 向 け て 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 出 発 し た。 病 気 の た め 静 養 し て い た 最 澄 は、 九 月 十 五 日 明 州 を た っ て 天 台 山 に 向 い、 九 月 二 十 六 日 台 州 に 到 っ た。 翌 年 三 月 下 旬 ま で こ の 地 に 滞 在 し、 こ の 間、 龍 興 寺 の 道 遽 か ら 天 台 の 付 法 と 円 頓 大 戒 を、 天 台 山 国 清 寺 の 行 満 か ら 天 台 (33) の 法 門 を 受 学 し、 禅 林 寺 の 傷 然 に は 牛 頭 禅 を 学 ん だ。 翌 年 四 月 十 一 日、 台 州 よ り 明 州 を 経 て 越 州 龍 興 寺 に 到 り 順 暁 阿 (34) 闇 梨 に 師 事 し、 同 十 八 日 三 部 三 昧 耶 の 付 法 を 授 け ら れ る な ど 密 教 を 学 ん だ。 同 年 五 月 十 八 日 大 使 藤 原 朝 臣 葛 野 麻 呂 ・ (35) 最 澄 ら を 乗 せ て 明 州 を 出 発 し た 遣 唐 使 第 一 船 は、 六 月 五 日 対 馬 島 下 県 郡 に 帰 着 し た。 最 澄 は 七 月 十 五 日 に ﹁ 進 官 録 ﹂ (36) を 上 表 し、 あ わ せ て ﹃ 将 来 目 録 ﹄ ・ 金 字 の 経 な ど を 献 上 し た。 た だ ち に 桓 武 天 皇 の 寵 を 受 け、 八 月 九 日 殿 上 に め さ れ (37) (38) て 悔 過 読 経 し、 九 月 一 日 に は 勅 命 に よ っ て わ が 国 で 最 初 の 灌 頂 を 高 雄 山 寺 に お い て 開 麺 し、 九 月 十 七 日 に は 殿 上 に お (39) い て 毘 盧 遮 那 法 を 修 し て い る。 翌 大 同 元 年 ( 八 〇 六) 正 月 二 十 六 日 に は、 同 日 付 の 太 政 官 符 に 太 政 官 符 応 レ 分二-定 年 新 度 者 数 井 学 業 一事 華 厳 業 二 人 並 令 レ 読二 五 教 指 帰 綱 耳 天 台 業 二 人 一 入 令 レ 読 二 大 砒 盧 舎 那 経 一 一 人 令 レ 読 一摩 詞 止 観 一 律 業 二 人 並 令 レ 読 二 梵 網 経 若 喩 伽 声 聞 地 一 三 論 業 三 人 二 人 令 レ 読 三 二 訟 塑 一 人 令 レ 読 二 成 実 論 一 法 相 業 三 人 二 人 令 レ 読 二 唯 識 論 一 一 人 令 レ 読 二 倶 舎 論 一 ( 40 ) (以 下 略 ) と あ る ご と く 、 華 厳 ・ 律 ・ 三 論 ・ 法 相 の 南 都 諸 宗 と な ら ん で 天 台 業 二 人 の 年 分 度 者 が 勅 許 さ れ 、 天 台 宗 は 独 立 の 教 団 と し て 公 認 さ れ る と こ ろ と な っ た 。 し か も 年 分 度 者 二 人 の う ち 、 一 人 は ﹃ 大 砒 盧 遮 那 経 ﹄ す な わ ち 密 教 を 学 習 す る 遮
那 業、 一 人 は ﹃ 摩 詞 止 観 ﹄ つ ま り 天 台 を 学 習 す る 止 観 業 と 定 め ら れ、 こ こ に い た っ て 最 澄 が 受 法 し て き た 密 教 は、 大 師 の そ れ に 比 べ て 不 十 分 な も の で は あ っ た が、 異 常 な ま で の 関 心 を 呼 ん で い た。 大 師 が 帰 朝 し た 大 同 元 年 は、 ち ょ う ど こ の よ う な 時 期 で あ っ た。 イ ン ド 伝 来 の 正 統 な 密 教 を 受 法 し て 帰 国 し た 大 師 で あ っ た の で、 す ぐ に も 京 に 入 る こ と が 許 さ れ て も 不 思 議 で は な い と 考 え ら れ る の に、 ど う し た 訳 か 入 京 を 許 さ れ た の は 帰 朝 後 三 年 を 経 た 大 同 四 年 七 月 の こ と で あ っ た。 そ の 時 の 太 政 官 符 と 称 さ れ る も の が 伝 わ っ て い る の で あ げ て み る と、 つ ぎ の ご と く で あ る。 ス 太 政 官 符 和 泉 国 司 僧 空 海 ル ニ ノ ヲ ク シ テ ノ ヲ メ ヨ セ ニ ヘ リ ク ス テ ニ セ シ メ ヨ ラ バ セ ヨ 右 被 二 右 大 臣 宣 一侮、 請 二 件 僧 一令 レ 住 レ 京 者、 国 宜 二 承 知 一、 依 レ 宣 入 京、 符 到 奉 行、 ペ シ 春 宮 亮 従 五 位 下 兼 守 右 少 耕 小 野 朝 臣 零 守 従 七 位 下 守 左 少 史 勲 七 等 佐 ( 太) 忌 寸 豊 長 (41) 大 同 四 年 七 月 十 六 日 (﹃ 公 卿 補 任 ﹄ に よ り 謬 守 を ﹁ 右 少 辮 ﹂ と し、 ﹃ 日 本 後 紀 ﹄ に よ り ﹁ 左 少 史 ﹂ ﹁ 佐 ( 太) 忌 寸 豊 長 ﹂ と し た) (42) 嵯 岬天 皇 は、 同 年 十 月 四 日 入 京 ま も な い 大 師 に、 屏 風 二 帖 に ﹃ 世 説 ﹄ の 一 文 を 揮 毫 す る よ う 請 わ れ た。 そ の 後、 弘 仁 五 年 ( 八 一 四) ま で に、 (43) 弘 仁 二 ( 八一一) 6・27に よ り ﹃ 劉 希 夷 集 ﹄ 四 巻 等 を 書 写 し、 実 恵 を 遣 わ し て 進 献 す。 (44) 8・唐 徳 宗、 欧 陽 詞 等 の 雑 書 迩 十 部 を 進 献 す。 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 (45) こ の 年 重 ね て ﹃ 劉 廷 芝 集 ﹄ 四 巻 を 書 写 し、 三 上 部 信 満 を 遣 わ し て 進 献 す。 (46) 〃 三 ( 八 一 二) 7・29勅 に よ り ﹃ 急 就 章 ﹄ ﹃ 王 昌 齢 集 ﹄ 等 十 巻 を 進 献 す。 (47) 〃 五 ( 八 一 四) 閏7・8﹃ 梵 字 悉 曇 字 母 井 釈 義 ﹄ ﹃ 古 今 筆 隷 文 体 ﹄ 等 十 巻 を 進 献 す。 (48) こ の 年 天 皇 よ り 綿 百 屯 お よ び 御 製 の 詩 一 篇 を 賜 う。 空 海、 和 韻 の 詩 を 進 献 し 奉 謝 す。 (49) と 前 後 六 回 に わ た り、 勅 命 を 受 け た り し て 古 人 の 真 筆、 詩 書、 法 帖、 梵 字 悉 曇 書、 お よ び 狸 毛 筆 な ど を 献 上 さ れ た。 こ れ ら の こ と は、 こ の 当 時 の 大 師 の 立 場 を 象 徴 す る も の と い っ て よ く、 正 統 な 密 教 を 伝 え た 法 匠 と し て よ り も、 む し ろ 優 れ た 書 ・ 詩 文 の 才 能 を も っ て 評 価 さ れ て い た こ と が 知 ら れ る。 入 京 後、 高 雄 山 寺 に 住 し た 大 師 は、 弘 仁 元 年 ( 八 一 〇) 九 月 に 勃 発 し た 薬 子 の 乱 が 平 定 さ れ る と、 同 年 十 月 上 表 し (50) て 鎮 護 国 家 の た め に 新 た に 請 来 し た ﹃ 仁 王 経 ﹄ ﹃ 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 ﹄ な ど の 護 国 経 典 を 用 い て 修 法 し た い と 願 わ れ、 (51) 密 教 の 存 在 を 天 下 に 知 ら し め よ う と さ れ た。 同 二 年 十 月 乙 訓 寺 の 別 当 に 任 ぜ ら れ た が、 健 康 上 と 付 法 の た め か、 三 年 十 月 そ の 職 を 辞 し て 高 雄 山 寺 に 帰 っ た。 同 年 十 一 月 か ら 翌 四 年 三 月 に か け て 三 回 に わ た り、 日 本 で 最 初 の 正 統 な 密 教 に よ る 灌 頂 壇 を 高 雄 山 寺 に お い て 開 錘 し た。 十 一 月 十 五 日 は 金 剛 界 の 結 縁 灌 頂 を 最 澄 ・ 和 気 真 綱 ・ 同 仲 世 ・ 三 濃 種 人 の 四 名 に、 十 二 月 十 四 日 は 胎 蔵 法 の そ れ を 最 澄 と そ の 門 弟、 南 都 諸 大 寺 の 学 匠、 沙 弥、 近 事、 童 子 な ど 計一 九 四 名 (52) に 伝 授 し、 翌 年 三 月 六 日 に は 金 剛 界 の 結 縁 灌 頂 を 泰 範 ・ 円 澄 な ど 十 九 名 に 授 け た。 こ れ ら は、 大 師 み ず か ら の 健 康 上 の 理 由 と 最 澄 の 要 請 に よ っ て 実 現 し た も の で あ っ た。 こ の 三 度 の 灌 頂 と そ の 規 模 の 大 き さ、 最 澄 の 受 法 な ど に よ っ て 大 師 の 密 教 は 朝 野 に 注 目 さ れ る と こ ろ と な っ た で あ ろ う こ と は 想 像 さ れ る。 し か し、 ま だ 一 宗 の 独 立 が 認 め ら れ る ま (53) で に は 至 ら な か っ た。
(54) こ こ で、 弘 仁 四 年 か ら 同 六 年 は じ め に か け て の 大 師 に 関 す る 事 跡 を 年 表 風 に 列 挙 す る と、 つ ぎ の ご と く な る。 弘 仁 四 年 1・3永 忠 の た め に ﹁ 永 忠 和 尚 辞 少 僧 都 表 ﹂ を 草 す ( 後 紀 二 二 ・ 性 霊 集 九) ( 八一三) 1・18 最 澄、 弟 子 円 澄、 泰 範、 光 定 等 を 空 海 の 許 に 遣 わ し て 真 言 法 を 受 学 せ し む ( 消 息 ・ 仁 和 録) 2 ・ 高 雄 山 寺 に お い て、 光 定 に 法 華 儀 軌 一 尊 法 を 授 く ( 戒 文 上) 3・6 高 雄 山 寺 に お い て、 金 剛 界 結 縁 潅 頂 壇 を 開 く ( 灌 頂 歴 名) 10・25 藤 原 葛 野 麻 呂 の 遣 唐 使 宿 願 達 成 を 奉 謝 す る た め、 ﹃ 金 剛 般 若 経 ﹄ を 書 写 し 供 養 す ( 性 霊 集 六) 10・ み ず か ら の 四 十 歳 を 祝 し て ﹁ 中 寿 感 興 詩 ﹂ を 賦 し、 ﹃ 文 殊 讃 法 身 礼 方 円 図 ﹄ お よ び ﹃ 義 註 ﹄ を 撰 す ( 性 霊 集 三) 11・25 最 澄、 泰 範 に 書 状 を 送 り、 空 海 の 賀 寿 詩 に 和 韻 の 詩 を 作 ら ん が た め ﹃ 文 殊 讃 法 身 礼 方 円 図 ﹄ ﹃ 義 註 ﹄ の 借 覧 を 請 う ( 消 息 ・ 仁 和 録) 12・16 最 澄 に 書 状 を 送 り、 和 韻 の 詩 を 謝 す ( 施 福 寺 文 書) 12・ 真 円 律 師 の た め に ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 秘 密 伽 陀 ﹄ を 撰 す (同 伽 陀) 弘 仁 五 年 2・8 最 澄、 空 海 の 催 促 に よ り、 借 覧 せ る 法 文 三 部 を 返 還 す (消 息) ( 八 一 四) 閏 7・8﹃ 梵 字 悉 曇 字 母 井 釈 義 ﹄ ﹃ 古 今 象 隷 文 体 ﹄ 等 十 巻 を 進 献 す ( 性 霊 集 四) 閏 7・26 上 表 し て 元 興 寺 僧 中 環 の 罪 を 赦 さ れ ん こ と を 請 う ( 性 霊 集 四) 8・30 伊 博 士 の 依 頼 に よ り 沙 門 勝 道 の た め に ﹁沙 門 勝 道 歴 山 水 螢 玄 珠 碑 井 序 ﹂ を 撰 す ( 性 霊 集 二) こ の 年 天 皇 よ り 綿 一 百 屯、 お よ び 御 製 の 詩 一 篇 を 賜 う。 空 海、 和 韻 の 詩 を 進 献 し、 奉 謝 す (性 霊 集 三) 弘 仁 六 年 1・19 渤 海 国 大 使 王 孝 廉 よ り 書 状 お よ び 新 詩 一 章 を 贈 ら れ、 答 書 を 呈 す ( 雑 筆 集 下) ( 八 一 五) 右 に は 具 体 的 に あ ら わ れ て は い な い が、 こ の 間 に お け る 重 要 な で き ご と と し て 記 憶 さ れ な け れ ば な ら な い の は、 最 澄 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 と の 訣 別 で あ る。 そ れ は、 訣 別 を バ ネ と し て 両 者 は 独 自 の 道 を 歩 み は じ め る の で あ っ て、 大 師 に と っ て そ の 第 一 歩 が 密 教 経 論 の 書 写 依 頼 と 高 野 山 の 開 創 で あ っ た と 考 え る か ら で あ る。 よ っ て こ こ に、 大 師 と 最 澄 と の 間 で 取 り 交 さ れ た 書 簡 等 を 手 懸 り と し て、 両 者 の 出 逢 い か ら 訣 別 に い た る 過 程 を 略 述 し、 訣 別 の 理 由 に つ い て も み て お く こ と に す る。 (55) 二 人 の 出 逢 い は、 ﹃ 天 台 霞 標 ﹄ に よ る と、 大 同 四 年 ( 八 〇 九) 二 月 三 日、 大 師 が 最 澄 に 名 書 を 差 し 出 し た こ と に は じ ま (56) る と い わ れ る が、 真 言 宗 で は 否 定 的 な 見 方 が 多 い。 い ず れ に し ろ、 二 人 の 交 友 は 大 同 四 年 に 入 っ て か ら は じ ま っ た よ う で、 最 澄 は 同 年 八 月 二 十 四 日 弟 子 経 珍 を 遣 わ し て ﹃ 大 日 経 略 摂 念 諦 随 行 法 ﹄ 一 巻、 ﹃ 梵 字 悉 曇 章 ﹄ 一 巻、 ﹃ 花 厳 経 ﹄ (57) 一 部 四 十 巻 な ど 十 二 部 五 十 五 巻 の 借 覧 を 申 し 出 て お り、 ま た 弘 仁 二 年 ( 八一一) 二 月 十 四 日 に は、 真 言 法 門 の 伝 授 を 請 (58) (59) わ れ、 同 三 年 ( 八 一 二) 十 月 二 十 六 日 に は ﹃ 金 剛 頂 真 実 大 教 王 経 ﹄ 一 部 三 巻 の 借 覧 を 請 わ れ て い る。 同 三 年 十 月 二 十 七 日 興 福 寺 維 摩 会 か ら の 帰 途、 弟 子 光 定 と と も に 乙 訓 寺 に 大 師 を 訪 ね、 談 合 一 泊 す る と と も に 高 雄 山 寺 で の 灌 頂 伝 授 の (60) (61) 約 諾 を 得、 同 年 十 一 月 十 五 日、 十 二 月 十 四 日 に そ れ ぞ れ 金 剛 界 ・ 胎 蔵 の 結 縁 潅 頂 を 受 け た。 さ ら に、 翌 四 年 ( 八 一 三) 正 月 十 八 日 に は 弟 子 の 円 澄 ・ 泰 範 ・ 光 定 な ど を 大 師 の 許 に 送 っ て 密 教 の 学 習 ・ 習 得 に つ と (62) (63) め、 同 三 年 十 二 月 十 八 日 に は ﹃ 守 護 国 界 主 経 ﹄ ﹃ 金 剛 薩 唾 五 秘 密 念 諦 儀 軌 ﹄ な ど 七 部 十 一 巻、 同 四 年 十 一 月 二 十 三 日 (64) に は 泰 範 を 通 じ て ﹁ 文 殊 讃 法 身 礼 方 円 図 ﹄ 並 に ﹃ 義 註 ﹄ な ど 三 部 三 巻、 と い っ た 経 論 の 借 覧 を 求 め て い る。 こ れ に 対 し て 大 師 も、 あ な た と 室 山 と 三 人 で 一 処 に 会 し て 新 し い 仏 教 を 興 隆 さ せ る た め に 奔 走 し よ う と 意 気 投 合 し た 書 簡 を 出 (65) し た こ と も あ っ た が、 両 者 の 親 密 な 交 際 は そ う 長 く は 続 か な か っ た よ う で あ る。 す な わ ち、 二 人 の 交 友 は、 弘 仁 三 年 末 の 二 度 の 灌 頂 伝 授、 同 四 年 は じ め の 弟 子 円 澄 等 の 密 教 学 習 を 頂 点 と し て 次 第
に 疎 遠 と な り、 同 四 年 末 に ﹁ 中 寿 感 興 詩 ﹂ 並 に 和 韻 詩 を 交 換 し て か ら 以 後 は、 最 澄 が 借 覧 経 論 を 返 還 し た 時 の 弘 仁 五 (66) (67) 年 ( 八 一 四) 二 月 八 日、 同 七 年 ( 八 一 六) 二 月 十 日 付 の 書 簡 お よ び、 大 師 の ﹁ 叡 山 の 澄 法 師 の 理 趣 釈 経 を 求 む る に 答 す る (68) 書 ﹂ の ほ か、 両 老 の 直 接 の 交 渉 を 示 す も の は 見 当 ら な い。 従 来、 二 人 が 歓 を 別 つ に 至 っ た 原 因 と し て の 泰 範 の 帰 山 拒 否 の 問 題、 の ﹃ 理 趣 釈 経 ﹄ 貸 与 拒 否 の 問 題、 な ど が 考 え ら れ て き た。 し か し、 根 本 的 な 要 因 は 二 人 の 密 教 観 ・ 密 教 受 法 の 方 法 に 対 す る 見 解 の 相 違 に あ っ た の で あ る。 す な わ (69) ち、 最 澄 の 密 教 観 は 天 台 法 門 と 真 言 法 門 と の 問 に 優 劣 を 認 め な い 円 密 一 致 の 立 場 で あ り、 密 教 受 法 の 方 法 に つ い て は (70) 筆 授 に よ っ て も 可 能 で あ る と し た。 こ れ に 対 し て、 大 師 は 仏 法 に 顕 密 二 教 の 別 あ り と し て、 真 言 ひ と り を 密 教 と し、 (71) 天 台 を 顕 教 の 一 つ と み な し た。 ま た、 密 教 受 法 の 方 法 に つ い て も 面 授 の 立 場 を 強 く 主 張 さ れ た。 う が っ た 見 方 か も 知 れ な い が、 弘 仁 四 年 十 一 月 最 澄 が 大 師 の ﹁ 中 寿 感 興 詩 ﹂ に 対 し て 和 韻 の 詩 を 贈 っ て い る が、 こ れ は、 態 度 を 硬 化 さ せ つ つ あ っ た 大 師 が、 心 を 改 め て く れ る こ と に 一 縷 の 望 み を 託 し た 最 澄 の 大 芝 居 で は な か っ た か と も 考 え ら れ る。 な ぜ な ら、 大 師 に 和 韻 の 詩 を 贈 っ て い る こ と は 一 見 二 人 の 交 友 が う ま く 行 っ て い る か に 見 受 ら れ る け れ ど も、 最 澄 は 正 月 十 八 日 付 の 大 師 宛 書 状 に 但 し 最 澄 の 意 趣、 御 書 等 を 写 す べ し。 目 録 に 依 っ て 皆 悉 く 写 し 取 り 了 ぬ れ ば、 即 ち 持 し て 彼 院 に 向 ひ、 一 度 聴 学 せ ん。 此 院 に て 写 し 取 る こ と 穏 便 あ り。 彼 院 に 上 食 せ ん こ と 太 だ 難 く、 写 し 取 る に 由 無 し。 伏 し て 乞 ふ ら く は 吾 大 師、 粁 心 を 用 い て 盗 で 御 書 を 写 し 取 り、 慢 心 を 発 す と 疑 ふ こ と 莫 れ。 泰 範 仏 子 に 随 っ て 意 を 申 ぶ。 写 す 所 の 本、 (72) 好 便 借 与 せ よ。 小 弟 子、 越 三 昧 の 心 を 発 せ ず。 委 曲 の 志、 具 に 泰 範 仏 子 に 知 ら し む。 と 記 し て い る。 こ こ で 最 澄 は ﹁ 私 は 決 し て よ こ し ま な 心 を も っ て 経 典 を 借 覧 し、 書 写 し て い る の で は あ り ま せ ん。 ま 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 ず、 叡 山 に 経 典 を 借 覧 し、 目 録 に し た が っ て す べ て の 経 典 の 書 写 を 終 え ま し た あ か つ き に は、 必 ず そ れ ら 写 し お え た 経 典 を 高 雄 山 寺 に 持 参 し、 親 し く お 教 え い た だ き た く 存 じ ま す。 第 一、 食 事 を す る こ と も ま ま な ら な い あ な た 様 の と こ ろ で、 私 が こ れ ら 経 典 の 書 写 を 行 な う こ と は、 は た は だ 難 し い こ と で ご ざ い ま す。 し た が っ て、 ど う ぞ 今 の よ う な 形 で の 経 典 の 借 覧 ・ 書 写 を お 認 め い た だ き た い。﹂ と 訴 え て い る。 こ の 書 簡 に は 年 次 を 欠 く が 弘 仁 四 年 の も の と 考 え ら れ て お り、 こ れ よ り、 空 海 が 態 度 を 硬 化 さ せ は じ め た の は お そ ら く 弘 仁 三 年 末 か ら 弘 仁 四 年 の は じ め と 考 え ら れ る か (73) ら で あ る。 二 人 が と り 交 し た 手 紙 は、 大 同 四 年 最 澄 ← 空 海 三 通 弘 仁 元 年 〃 五 通 〃 二 年 〃 三 通 空 海→最 澄 二 通 〃 三 年 〃 五 通 〃 一 通 〃 四 年 〃 七 通 〃 一 通 〃 五 年 〃 一 通 (74) 〃 七 年 〃 一 通 〃 二 通 と、 弘 仁 五 年 以 降 極 端 に 少 な く な っ て い る。 こ の こ と か ら、 弘 仁 四 年 の は じ め こ ろ か ら 徐 々 に 悪 く な っ て い っ た 二 人 の 交 友 関 係 は、 お そ ら く 一 年 も し な い う ち に、 完 全 に 冷 え 切 っ て し ま っ た と 考 え て よ い で あ ろ う。 こ の よ う に 二 人 の 交 友 は 悲 惨 な 結 末 と な っ た が、 訣 別 を バ ネ に、 両 者 は 弘 仁 五 年 以 後 独 自 の 道 を 歩 み は じ め る の で あ っ た。
七 大 師 の 生 涯 に お け る 弘 仁 六 ・ 七 年 と 高 野 山 開 創 の 意 義 弘 仁 六 年 ( 八 一 五) 四 月 一 日、 大 師 は. 諸 の 有 縁 の 衆 を 勧 め て 秘 密 蔵 の 法 を 写 し 奉 る べ き 文﹂ ( 以 下、﹁ 勧 縁 疏﹂ と 称 す) を 著 わ し て、 秘 密 法 門 の 流 伝 を 図 ら れ た。 こ の﹁ 勧 縁 疏﹂ は、 大 師 の 生 涯 に お い て も、 ま た 大 師 の 思 想、 特 に 顕 密 二 教 の 教 判 思 想 ・ 十 住 心 思 想 ・ 即 身 成 仏 思 想 ・ 法 身 説 法 思 想 な ど を 考 え る 場 合 に も 重 要 な 文 章 で あ る と 考 え ら れ る の で、 煩 を い と わ ず 全 文 を 挙 げ る こ と に す る。 諸 の 有 縁 の 衆 を 勧 め て 秘 密 蔵 の 法 を 写 し 奉 る べ き 文 諸 の 有 縁 の 衆 を 勧 め 奉 っ て 秘 密 の 法 蔵 合 わ せ て 三 十 五 巻 を 写 し 奉 る べ し。 < 具 な る 目、 別 紙 に 載 せ た り > ツ ツ 夫 れ 教 は 衆 色 に 冥 ひ、 法 は 一 心 に 輻 め り。 迷 悟 機 殊 に し て 感 応 一 に 非 ず。 是 の 故 に 応 身 化 身 影 を 分 っ て 類 に 随 い、 理 仏 智 仏 秘 宮 に し て 楽 を 受 く。 一 乗 三 乗 錬 を 分 っ て 生 を 駈 る。 顕 教 密 教 機 に 逗 っ て 滅 を 証 す。 所 謂 顕 教 と は 報 応 化 身 の 経、 是 な り。 密 蔵 と は 法 身 如 来 の 説、 是 な り。 顕 は 則 ち 因 果 六 度 を 以 っ て 宗 と 為 す。 是 れ 則 ち 菩 薩 の 行、 随 他 語 の 方 便 門 な り。 密 は 則 ち 本 有 の 三 密 を 以 て 教 と 為 す。 具 に 自 証 の 理 を 説 く 如 義 語 真 実 の 説 な る 者 な り。 故 に ﹃ 携 伽 経 ﹄ に 具 に 四 種 の 仏 の 説 法 の 相 を 列 ね て 云 く、 ﹁ 虚 妄 の 体 相 を 分 別 す る、 是 を 報 仏 説 法 の 相 と 名 つ く。 応 化 仏 は 化 衆 生 の 事 を 作 す こ と、 真 実 の 説 法 に 異 な り、 内 所 証 の 法、 聖 智 の 境 界 を 説 か ず。 法 仏 と は 内 証 聖 行 の 境 界 を 説 く ﹂ と。 華 厳 の ﹃ 地 論 ﹄ に は 果 分 不 可 説 と 述 べ、 法 華 の ﹃ 止 観 ﹄ に は 秘 教 不 能 伝 と 談 ず。 ﹃ 空 論 ﹄ に は 則 ち 第 一 義 の 中 に 言 説 無 し と 述 べ、 有 宗 に は 則 ち 真 締 の 廃 詮 談 旨 を 顕 わ す。 上、 応 化 の 経 従 り、 下、 論 章 疏 に 至 る ま 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 で、 自 証 を 軽 ん で 説 か ず、 他 病 に 随 っ て 以 っ て 訓 を 垂 る。 希 有 甚 深 な り と 云 ふ と 錐 ど も、 而 も 是 れ 権 に し て 実 に ユ エ 非 ず。 伝 法 の 聖 者 秘 を 知 ら ず し て 顕 を 伝 ふ る に 非 ず。 知 っ て 相 譲 る、 良 に 以 有 り。 末 学 此 の 趣 を 知 ら ず。 人 々 自 学 を 以 っ て 是 と し、 家 々 未 だ 知 ら ざ る を 以 っ て 非 と す。 教 は 是 れ 迷 方 の 示 南 な り。 衆 生 の 迷 衙 を 開 示 す。 仏 智 を 証 せ ん と 欲 は ば 局 執 す べ か ら ず。 一 歩 し て 即 ち 憩 は ば 誰 か 宝 城 を 見 ん。 グ ロ ウ 貧 道 愚 随 な り と 錐 ど も 訓 を 先 師 に 承 け た り。 貧 道 遠 く 大 唐 に 遊 ん で 深 法 を 求 め 訪 う。 幸 に 故 の 大 広 智 三 蔵 の 付 法 の 弟 子、 青 龍 寺 の 法 の 誰 恵 果 阿 闇 梨 に 遇 ひ た て ま つ る こ と を 得 て、 此 の 秘 密 神 通 最 上 金 剛 乗 教 を 受 学 す。 和 尚 告 げ て 曰 は く、 ﹁ 若 し 自 心 を 知 る は 即 ち 仏 心 を 知 る な り。 仏 心 を 知 る は 即 ち 衆 生 の 心 を 知 る な り。 三 心 平 等 な り と 知 る を 即 ち 大 覚 と 名 つ く。 大 覚 を 得 ん と 欲 は ば、 当 に 諸 仏 自 証 の 教 を 学 す べ し。 自 証 の 教 と は 所 謂 金 剛 頂 十 万 偶 及 び 大 砒 盧 遮 那 十 万 偶 の 経、 是 な り。 此 の 経 は 則 ち 浄 妙 法 身 大 砒 盧 遮 那 仏、 自 春 属 の 法 仏 と 与 に 法 界 秘 密 心 殿 の 中 に 住 し て、 常 恒 に 演 説 し た ま う 所 の 自 受 法 楽 の 教 な り。 故 に ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ に 説 か く ﹁ 自 受 法 楽 の 故 に 此 の 理 趣 を 説 く。 応 化 仏 の 所 説 に は 同 じ か ら ず ﹂ と。 又、 龍 猛 菩 薩 の 云 は く、 ﹁ 自 証 の 三 摩 地 の 法 は 諸 教 の 中 に 闘 し て 書 せ ず ﹂ と。 言 ふ こ こ ろ は 但 此 の 秘 密 の 経 論 の 中 に の み 説 け り。 自 外 の 顕 の 経 論 の 中 に は 説 か ざ る な り。 法 身 如 来 よ イ タ り 我 が 大 広 智 三 蔵 和 尚 に 畳 る ま で、 師 々 伝 受 し て 今 に 六 葉 な り。 仏 法 の 深 妙 ま た 此 の 教 に 在 り。 菩 提 を 証 せ ん と 欲 は ば、 斯 の 法 最 妙 な り。 汝 当 に 受 学 し て 自 ら 覚 り、 他 を 覚 ら し む べ し﹂ て へ り。 貧 道 謹 ん で 教 命 を 承 け て 服 勤 し、 学 習 し て 以 っ て 弘 揚 を 誓 ふ。 貧 道 帰 朝 し て 多 年 を 歴 と 錐 ど も、 時 機 未 だ 感 ぜ ト ウ ず。 広 く 流 布 す る こ と 能 は ず。 水 月 別 れ 易 く、 幻 電 駐 ま り 難 し。 元 よ り 弘 伝 を 誓 ふ。 何 ぞ 敢 へ て 翰 黙 せ ん。 今、 機 縁 の 衆 の 為 に 読 講 宣 揚 し て 仏 恩 を 報 じ 奉 ら ん と 欲 う。 然 れ ど も 猶 其 の 本 多 か ら ず、 法 流 塞 滞 す。 是 を 以 っ て 弟
子 僧 康 守、 安 行 等 を 差 は し て 彼 の 方 に 発 赴 せ し む。 若 し 神 通 乗 の 機 の 善 男 善 女、 若 し は 維、 若 し は 素、 我 と 志 を 同 じ う せ ん 者 有 ら ば、 此 の 法 門 に 結 縁 し て 書 写 し 読 諦 し、 説 の 如 く 修 行 し、 理 の 如 く 思 惟 せ ば、 則 ち 三 僧 祇 を 経 ず し て 父 母 所 生 の 身 に 十 地 の 位 を 超 越 し、 速 や か に ケ ン ビ ゼ ン ド ウ ホ ガ 心 仏 に 証 入 せ ん。 六 道 四 生 は 皆 是 れ 父 母 な り。 蝦 飛 蠕 動 仏 性 あ ら ざ る こ と 無 し。 庶 く は 無 垢 の 眼 を 翻 ら か に し て 三 密 の 源 を 照 ら し、 有 執 の 縛 を 断 じ て 五 智 の 観 に 遊 ば し め ん。 今、 弘 法 利 人 の 至 願 に 任 へ ず。 敢 へ て 有 縁 の 衆 力 を 慧 り 煩 は す。 不 宣。 謹 ん で 疏 す。 マ ウ (75) 弘 仁 六 年 四 月 一 日 沙 門 空 海 疏 す。 内 容 を 整 理 す る と、 ま ず 顕 教-法 相 ・ 三 論 ・ 天 台 ・ 華 厳 1 と 密 教 と の 相 違 ・ 優 劣 を、 成 仏 の 遅 速 ・ 仏 身 論 ・ 果 分 可 説 な ど 四 つ の 点 か ら 明 ら か に し、 つ い で ﹁ 密 教 を 弘 揚 す る こ と を 誓 っ て 帰 朝 し、 多 年 を 経 た け れ ど も そ の 密 教 は ま だ 弘 く 流 布 し て い な い。 そ れ は 密 教 の 経 論 が 少 な い か ら で あ る。 そ こ で、 顕 教 に あ ら ゆ る 点 で 勝 る こ の 密 教 に 結 縁 し て、 密 教 経 論 三 十 五 巻 を 書 写 し て ほ し い ﹂ と 述 べ て、 有 縁 の 道 俗 に 密 教 経 論 の 書 写 を 請 わ れ て い る。 こ れ は、 恵 果 阿 闊 梨 の 遺 命 に 起 因 す る 密 教 の 教 え を 弘 通 し た い と の 誓 願 に 基 づ い て な さ れ た も の で、 そ の 依 頼 先 は 関 東 に い た 徳 一 菩 薩 ・ (76) 広 智 禅 師 を は じ め、 甲 州 の 藤 太 守 ・ 常 州 の 藤 使 君 な ど 広 い 範 囲 に 及 ん だ。 帰 朝 以 来、 密 教 宣 布 の 機 会 を う か が っ て い た 大 師 は、 機 縁 の 熟 す る の を 待 っ て、 こ こ に 具 体 的 な 宣 布 活 動 を は じ め ら れ た。 教 判 の 書 ﹃ 弁 顕 密 二 教 論 ﹄ を 著 わ し、 顕 密 二 教 の 相 違 と 密 教 の 特 質 を 表 明 さ れ た の も こ の こ ろ で あ っ た。 そ う し て、 弘 仁 七 年 六 月 十 九 日、 帰 朝 の 際 の 誓 願 に 基 づ い て 高 野 山 の 地 が 奏 請 さ れ た の で あ っ た。 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 こ の よ う に み て く る と、 高 野 山 の 開 創 は、 前 年 か ら は じ ま っ た 本 格 的 な 密 教 宣 布 活 動 の 一 環 と し て 捉 え る こ と が で き よ う。 す な わ ち、 密 教 経 論 の 書 写 依 頼 と 高 野 山 の 開 創 と は、 恵 果 阿 闊 梨 の 遺 命 を 具 現 化 す る た め の 活 動 で あ り、 前 者 は 密 教 経 論 そ の も の を 流 布 さ せ る こ と に よ っ て、 後 者 は そ の 密 教 経 論 に 基 づ い て 実 践 す る 修 禅 の 道 場 を 建 立 す る こ と に よ っ て、 わ が 国 へ の 真 言 密 教 の 弘 通 を 図 っ た も の で あ る と 考 え る。 こ の こ と は、 高 野 山 を 奏 請 し た 上 表 文 で、 わ が 国 に 深 山 幽 谷 の 地 で 修 禅 観 法 を 修 す る も の が 少 な い 理 由 を、 実 に 是 れ 禅 教 未 だ 伝 わ ら ず、 住 庭 相 応 せ ざ る が 致 す 所 な り。 と 記 し て い る こ と と、 ﹁ 勧 縁 疏 ﹂ で 今、 機 縁 の 衆 の 為 に 読 講 宣 揚 し て 仏 恩 を 報 じ 奉 ら ん と 欲 ふ。 然 れ ど も 猶 其 の 本 多 か ら ず。 と い っ て い る 点 に は、 相 通 じ る も の が う か が わ れ る こ と か ら も 首 肯 さ れ よ う。 最 後 に、 高 野 山 の 開 創 の 意 義 に つ い て 考 え る な ら ば、 私 は(一)真 言 密 教 を 実 践 す る 理 想 の 場 所 が 定 ま っ た こ と、(二)そ こ に 密 教 の 教 理 に 基 づ い た 日 本 で 最 初 の 本 格 的 な 密 教 寺 院 の 建 設 が 計 画 さ れ た こ と の 二 つ を あ げ た い。 そ れ は つ ぎ の ご と き 理 由 に よ る。 第一 の 点 は、 先 に 伽 藍 の 建 立 地 と し て 高 野 山 が 選 ば れ た 理 由 を 述 べ た 個 所 で み た ご と く、 ﹃ 大 目 経 ﹄ な ど の 教 説 に 一 番 適 し た と こ ろ で あ っ た こ と に よ る。 第 二 の 点 に つ い て は、 大 師 が 住 し 管 掌 さ れ た 寺 と し て、 (79) (80) (81) (82) 高 雄 山 寺 ( 神 護 寺) ・ 乙 訓 寺 ・ 高 野 山 金 剛 峯 寺 ・ 弘 福 寺 (川 原 寺) ・ 東 寺 な ど を 数 え 上 げ る こ と が で き る が、 こ の な か 大 師 み ず か ら の 手 で 建 立 さ れ た の は 高 野 山 金 剛 峯 寺 だ け で あ っ て、 し か も 高 野 山 の 伽 藍 配 置 は 南 面 し て 中 心 線 上 に 南 か ら 中 門 ・ 講 堂 ( 現 在 の 金 堂)、 僧 房 を 置 き、 講 堂 の 北 に 僧 房 を は さ ん で 真 言 密 教 の 根 本 経 典 で あ る ﹃ 大 日 経 ﹄ ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ の 世 界 を 象 徴 す る 二 基 の 塔、 す な わ ち 東 に 大 塔 ・ 西 に 西 塔 を 相 対 さ せ る 大 師 独 自 の 密 教 理 論 に 基 づ く 伽 藍 形 式 で
(83) あ っ た こ と に よ る。 以 上 の ご と く、 大 師 の 生 涯 に お け る 弘 仁 六 年 ・ 七 年 と は、 わ が 国 に 真 言 密 教 を 宣 布 し、 定 着 さ せ る た め の 活 動 が 本 格 的 に 開 始 さ れ た 時 期 で あ り、 高 野 山 の 開 創 も そ の 一 翼 を 担 う も の で あ っ た、 と 私 は 考 え る。 註 ( 1) 守 山 聖 真 編 ﹃ 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝 ﹄ 四 七 九-四 八 二 頁 ( 昭 和 六 年)、 和 多 秀 乗 ﹁ 弘 法 大 師 と 良 臣 に つ い て ﹂ (中 野 義 照 編 ﹃ 弘 法 大 師 研 究 ﹄ 一 六 三 -七 頁 昭 和 五 三 年) 参 照。 ( 2) 第 一 の 説 は あ と に 全 文 を 挙 げ る ﹃ 続 遍 照 発 揮 性 霊 集 補 閾 抄 ﹄( 以 下 ﹃ 性 霊 集 補 閾 抄 ﹄ と 略 称 す) 巻 第 九 所 収 の 弘 仁 七 年 六 月 十 九 日 付 上 表 文 に 基 づ く 説 で あ る。 ( 3) 第 二 の 説 は、 天 保 十 三 年 ( 一 八 四 二) に 刊 行 さ れ た 道 猷 撰 ﹃ 弘 法 大 師 弟 子 譜 ﹄ 巻 二 所 収 の 円 明 律 師 伝 ハ ノ ナ ラ ニ メ タ リ ニ 律 師 名 円 明。 其 系 不 レ詳。 性 峻 遭 韻 度 出 二 塵 表 一。 一 ニ ハ ハ ノ ノ ニノ 説 良 豊 田 丸 大 夫 紀 伊 国 人 即 師 之 父 也。 弘 仁 中 大 師 メ ン ト ヲ ノ タ ニ ノ 欲 レ 求 二秘 教 相 応 之 伽 藍 所 一而 未 レ得 焉。 時 大 夫 啓 レ 之 ク ノ ノ ニ リ シ ト 日。 州 之 伊 土 郡 以 南 有 二 深 山 一。 幽 贋 匠 レ 測。 大 師 乃 ニ ヒ ノ ヲ シ ム ノ ヲ メ ナ リ 大 喜 。 遣 二弟 子 信 叡 一相 二 其 地 一。 果 然 。 一 説 下 金 剛 峯 雑 文 ( ﹃ 弘 法 大 師 伝 全 集 ﹄ 第 十 附 録 九 九 頁 ) に 基 づ く 説 で あ る 。 こ の 道 猷 の 記 述 は 元 永 元 年 (一一 一 八 ) 聖 賢 が 撰 述 し た ﹃ 高 野 大 師 御 広 伝 ﹄ 上 弘 仁 七 年 条 の カ メ ヒ ル ニ ス ル ヲ ヲ ニニ リ 或 云 。 始 大 師 問 下 求 建 二 立 伽 藍 一 慮 上 。 時 有二 良 豊 田 丸 ト フ モ ノ ノ ノ レ ノ ス ニ 大 夫 一 。 紀 国 人 也 。 是 則 円 明 律 師 尊 父 也 。 以 二 聞 大 師 一 。 テ ノ ニ テ ニ リ ノ ノ 於 二 紀 伊 国 伊 土 郡 一 。 深 入 二 南 山 一有 二 幽 仙 地 一 。 其 内 広 博 ト テ ニ シ メ ヲ ト 無 量 也 。 於 レ 藪 大 和 尚 甚 以 感 悦 。 差 二 信 叡 法 師 一 為 レ 使 セ シ ム ノ ヲ チ リ テ ク ニ ル ニ ノ ヲ 臨 二 見 其 地 一 。 即 信 叡 法 師 還 来 云 。 実 見 二 其 地 一 広 大 ナ リ ノ ル ヲ モ テ ノ (マ へ) ヲ ニ ヲ 無 邊 。 其 中 可 レ 建 一一国 郡 一 。 重 差 二 大 範 実 恵 一 明 覧 二 地 形 一 ニ リ ヲ シ ム ヲ リ テ ク タ ノ ニ レ 井 取 レ 相 見 レ 地 。 両 僧 還 来 言 。 甚 有 二 吉 祥 相 一。 実 是 秘 ト ロ ス 密 教 相 応 之 地 也 。 大 師 歓 悦 。 ( ﹃ 弘 法 大 師 伝 全 集 ﹄ 第 一 二 四 七 頁 ) を 参 照 し て 書 か れ た と 見 な さ れ て い る ( 註 ( 1 ) に 同 じ ) 。 な お 、 第 二 の 説 の ﹁ 良 豊 田 丸 大 夫 ﹂ に つ い て は 、 註 ( 1 ) に 挙 げ た 和 多 秀 乗 論 文 に 詳 し く 論 じ ら れ て い る の で 参 照 さ れ た い 。 ( 4 ) 第 三 の 説 は 、 ﹁ 康 保 五 年 戊 辰 ( 九 六 八 ) 六 月 十 四 日 仁 海 記 ﹂ の 奥 書 を も つ ﹃ 金 剛 峯 寺 建 立 修 行 縁 起 ﹄ の 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義
密 教 文 化 つ ぎ の 記 録 が も っ と も 古 い も の と 考 え ら れ る。 テ ヲ テ ニ シ モ フ ノ 以 二 弘 仁 七 年 孟 夏 之 比 一。 出 二 城 外 一経 歴。 大 和 国 宇 ノ ニ テ モ フ ノ ニ ノ ニ メ ケ リ キ ノ 知 郡 逢 一二 人 猟 者 一。 其 形 深 赤。 長 八 尺 計。 着 こ 小 袖 ヲ ク ク リ ヲ シ ニ ス ニニ 青 衣 一。 骨 高 筋 太。 以 二弓 箭 一帯 レ 身。 大 小 犬 随 二 従 之 一。 テ ノ ヲ フ ヲ ノ フ ヲ ノ 則 見 二 和 尚 過 通 一 問 二 不 審 一。 和 尚 蜘 踊 問 二 訊 子 細 一。 猟 者 ク ハ レ ノ ナ リ ノ ル ノ ニ リ 云。 我 是 南 山 犬 飼。 所 レ 知 山 地 萬 許 町。 於 二 其 中 一 有 ニ カ ナ ル テ シ シ ヘ ラ テ セ ン ト 幽 平 原 一。 霊 瑞 至 多。 和 尚 来 臨 住。 自 以 助 成 。 ヒ テ ヲ ル ラ セ ヌ シ ニ ト メ モ ヒ 追 二 放 犬 一令 レ 走 之 間 即 失 云 云。 大 師 案 二内 心 一黙 然 而 過。 ン テ ノ ノ ノ ニ テ ニ リ ノ ス ル 臨 二 紀 伊 国 堺 大 河 邊 一而 宿。 於 レ 是 有 二 一 人 山 民 一。 談 ニ ヲ ニ メ ク リ ニ タ ル ニ テ 子 細 一之 庭 申 云。 従 レ 此 南 方 有 二平 平 原 沢 凶。 三 面 山 連 ニ ケ タ リ ニ レ テ ル ニ ハ ニ へ 而 山 門 辰 巳 開 也。 萬 水 東 流 末 流 聚 二 一 水 一。 書 常 讐 ニ ハ ス ヲ ス ル ニ レ リ ノ ノ ノ ニ 奇 雲 一。 夜 現 二霊 光 一。 推 察 當 二紀 伊 国 伊 都 郡 正 南 一 ノ メ ニ ル ノ ニ ル 云 云。 則 明 旦 件 山 人 随 身。 腿 尺 之 間 至 二 件 原 沢 一。 見 巡 ニ シ ス テ ノ ニ テ ニ ク ハ レ 之 間 建 可 レ 建 二 立 伽 藍 一。 次 件 山 人 密 語 二 大 師 一 云。 吾 是 ノ メ ノ ヲ チ ン ヲ レ テ ニ メ テ 此 山 之 王 也。 則 献 二 之 領 地 一増 二 威 福 一。 吾 押 一一 山 水 一 極 オ ロ ソ カ ナ リ ニ ヒ ヌ ニ カ レ リ ノ ニ フ 麓 二 人 気 一。 幸 逢 二 菩 薩 一吾 徳 至 也 云 云。 則 次 日 出 二 伊 ノ ニ モ フ ノ ヲ シ ニ ヌ 都 郡 一。 大 師 思 惟。 輪 王 即 位 時 以 二 水 楊 一 施 二 仙 人 一 了。 モ ト モ ン ハ ユ ル ナ レ リ ト カ ニ テ ヲ メ 錐 レ 然 一 針 一 草 不 レ 允 有 レ 過。 故 以 二 六 月 中 旬 一表 請。 ノ ヲ ル ノ ヲ モ ト ニ 織 二 入 定 之 庭 一作 一二 両 草 蕎 一。 萬 事 雛 レ 無 レ 達 毎 レ 年 一 ク ノ ニ リ ノ ノ 往。 彼 登 山 路 邊 有 二 十 許 町 沢 一。 山 王 丹 生 大 明 神 社 也。 フ ノ ト 今 云 二 天 野 宮 一是 也。 ( ﹃ 弘 法 大 師 伝 全 集 ﹄ 第 一 五 三 頁) こ の ほ か、 古 い 記 録 と し て は 十 二 世 紀 前 半 に 成 立 し メ テ た と み な さ れ る ﹃ 今 昔 物 語 ﹄ 巻 第 十 一 ﹁ 弘 法 大 師、 始 テ タ ル ヲ 建 二 高 野 山 一語 第 廿 五 ﹂ に も、 略 同 じ 記 述 が 見 ら れ る。 ( 5) 和 多 秀 乗 前 掲 論 文 参 照。 ( 6) 高 野 山 の 開 創 ・ 堂 塔 の 建 立 の 経 緯 な ど に つ い て の 主 な 論 考 に、 つ ぎ の ご と き も の が あ る。 6守 山 聖 真 編 ﹃ 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝 ﹄ 四 七 九-五 一 八 頁 (豊 山 派 弘 法 大 師 一 千 百 年 御 遠 忌 事 務 局 昭 和 六 年) (二)蓮 生 観 善 編 ﹃ 弘 法 大 師 伝 ﹄ 五 九 一-六 三 七 頁 ( 弘 法 大 師 御 入 定 一 千 百 年 御 遠 忌 大 法 会 事 務 局 昭 和 六 年) (三)朝 日 道 雄 ﹁ 高 野 山 に 於 け る 伽 藍 建 立 の 経 緯 ﹂ (﹃ 密 教 研 究 ﹄ 六 七 一 三 二-一 六 〇 頁 昭 和一 二 年) 四 佐 和 隆 研 ﹁ 金 剛 峯 寺 伽 藍 の 草 創 に 就 い て ﹂ ( ﹃ 密 教 研 究 ﹄ 八 九 一-二 〇 頁 昭 和 一 九 年)。 の ち に 同 著 ﹃ 密 教 の 寺 そ の 歴 史 と 美 術 ﹄ に 収 載 ( 法 蔵 館 昭 和 四 九 年 一 七-三 四 頁) 面 宮 坂 宥 勝 ﹃高 野 山 史 ﹄ 一-一 二 頁 (高 野 山 文 化 研 究 会 昭 和 三 七 年) (六)渡 辺 照 宏 ・ 宮 坂 宥 勝 ﹃ 沙 門 空 海 ﹄ 一 三 七-一 五 五 頁 (筑 摩 書 房 昭 和 四 二 年) (七)和 多 秀 乗(1)﹁ 高 野 山 の 歴 史 ﹂ ( ﹃ 秘 宝 高 野 山 ﹄ 二-四 頁 講 談 社 昭 和 四 三 年)(2)﹁ 高 野 山 の 歴 史 ﹂ (﹃ 高 野 山 ﹄ 二 二 八-二 三 二 頁 毎 日 新 聞 社 昭 和 五 五 年)(3)﹁ 高 野 山 の 歴 史 と 信 仰 ﹂ (古 寺 巡 礼 西 国 国 ﹃ 高 野 山 金 剛 峯 寺 ﹄ 八 五-九 四 頁 淡 交 社 昭 和 五 六 年) (4)﹁ 高 野 山 の 歴 史 と 信 仰 ﹂ (﹃ 高 野 山-そ
の 歴 史 と 文 化 1 ﹄ 一 六 一-一 七 〇 頁 法 蔵 館 昭 和 五 九 年) 囚 佐 和 隆 研 ﹃ 空 海 の 軌 跡 ﹄一六 四-一 八 一 頁 (毎 日 新 聞 社 昭 和 四 八 年) (九) 田 村 隆 照 ﹁ 高 野 山 の 開 創 と 平 安 期 美 術 の 周 辺 ﹂ ( ﹃ 仏 教 芸 術 ﹄ 九 二 六 六 -八 三 頁 昭 和 四 八 年) (十)拙 稿 ﹁高 野 山 の 開 創 と そ の 規 模 ﹂ (﹃ 石 塔 工 芸 ﹄ 第 一 巻 第 六 号 一 二-七 頁 昭 和 五 十 六 年)。(十一)中 川 善 教 ﹃ 高 野 山 伽 藍 草 創 の 構 想 と 理 念 ﹄ (高 野 山 大 学 仏 教 学 研 究 室 昭 和 五 八 年) ( 7)﹃ 性 霊 集 補 閾 抄 ﹄ 巻 第 九 (﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯 五 二 三 -四 頁)。 ( 8)﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 二 輯 お よ び ﹃ 弘 法 大 師 伝 全 集 ﹄ 第 一 所 収 の ﹃ 太 政 官 符 案 井 遺 告 ﹄ に 収 載 さ れ て い る 太 政 官 符 で は ﹁ 四 至 四 方 高 山 ﹂ の 個 所 が つ ぎ の ご と く な っ て い る。 四 至 東 西 南 北 高 山 ル ル ノ ノ 東 限 丹 生 川 上 峯 南 限 當 川 南 長 峯 西 限 応 神 谷 北 限 紀 伊 川 ( 9)﹃ 御 手 印 縁 起 ﹄ (﹃ 弘 法 大 師 伝 全 集 ﹄ 第 一 一 頁)。 ( 10)和 多 秀 乗 先 生 は、 前 掲(七)(4)の ﹁高 野 山 の 歴 史 と 信 仰 ﹂ の な か で、 こ の 官 符 の 空 地 一 所 と い う 表 現、 伝 領 の 事 実 の 記 載 が 重 要 か つ 必 要 で あ る に も か か わ ら ず ﹁ 山 河 地 水 は 悉 く 国 主 の 有 な り ﹂ と あ る だ け で あ る と い っ た 理 由 で、 こ の 官 符 は 全 面 的 に は 信 用 で き な い も の で あ る と い わ れ る ( 松 長 有 慶 ・ 高 木 訥 元 ・ 和 多 秀 乗 ・ 田 村 隆 照 ﹃ 高 野 山 1 そ の 歴 史 と 文 化-﹄ 一 六 三-四 頁)。 ( 11)﹃性 霊 集 補 闘 抄 ﹄ 巻 第 九 (﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯 五 二 三 -四 頁)、 ﹃ 高 野 雑 筆 集 ﹄ 巻 上 ( ﹃ 同 上 ﹄ 第 三 輯 五 七 三 -四 頁)。 ( 12) 遣 唐 使 の 行 程 に つ い て は ﹃ 日 本 後 紀 ﹄ 巻 十 二 延 暦 二 十 四 年 六 月 乙 巳 ( 八 日) 条 ( ﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 ﹄ 第 三 巻 四 一-三 頁) 参 照。 ( 13)﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ (﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 一 輯 八 四 ・ 一 〇 一 頁)、 ﹃ 秘 密 漫 茶 羅 教 付 法 伝 ﹄ ( ﹃ 同 上 ﹄ 第 一 輯 九-一 〇 頁) 参 照。 ( 14)﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ ( ﹃ 右 同 ﹄ 第 一 輯 九 八 -一 〇 一 頁) 参 照。 ( 15)﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ ( ﹃ 右 同 ﹄ 第 一 輯 一 〇 〇-一 頁)。 ( 16) 主 殿 寮 と は、 殿 舎 お よ び 行 幸 の 際 の 諸 の 施 設 の 維 持 管 理 を 担 当 す る 役 所 を い う ( 日 本 思 想 大 系 3 ﹃ 律 令 ﹄ 一 八 ○頁 昭 和 五 一 年)。 ( 17)﹃ 高 野 雑 筆 集 ﹄ 巻 上 (﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 三 輯 五 七 四-五 頁)。 ( 18) 三 浦 章 夫 編 ﹃ 増 補 再 版 弘 法 大 師 伝 記 集 覧 ﹄ 弘 仁 七 年 七 月 八 日 条 ( ﹃ 増 補 再 版 弘 法 大 師 伝 記 集 覧 ﹄ 三 六 九-三 八 五 頁) 参 照。 高 野 山 の 開 創 と そ の 意 義