近代英米法思想の展開(一) : クック、ホッブズ、
ヘイル
著者 戒能 通弘
雑誌名 同志社法學
巻 61
号 1
ページ 55‑126
発行年 2009‑05‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011728
近代英米法思想の展開(一)五五同志社法学 六一巻一号
近代英米法思想の展開(一) ―クック、ホッブズ、ヘイル―
戒 能 通 弘
(五五)
一、はじめに、二、クックの法思想
(一)伝統と革新の法思想 (tifnsoeal riaicar二(性理的術技)) 想三思法のズブッホ、 (三記の法と論推的法)述 (一)クック批判 (二)権威による法思想 想、思法のルイヘ四 (三論量裁法司)
近代英米法思想の展開(一)五六同志社法学 六一巻一号
(一)技術的理性の擁護 (二)ヘイルにおける法実証主義 括五小、 (ン・ロ三と共同体モコ)ー
一、はじめに、
周知の枠組みではあるが、法システムを大陸法系、英米法系と分けた場合に、大陸法系においては、まず、議会にお
ける立法、あるいは法典といった体系的な法体系を創出することによって社会の要求に応えようとするのに対し、英米法系においては、個々の紛争において当事者の権利や利益を確定する過程で一般的な法規範を形成し、それによって社
会の要求に応答することを試みているとの定式化、対比がなされている (
けら、がたきてれじ九論く広もていつ一九と法おに革改度制司〇のらか半後代年にこ系を大陸法の影響強く受けている 、国がわ。てしそ法の程システム、司法過が、 1)
る弁護士の定員増などの司法アクセスの拡大、裁判員制度の導入等、より社会応答的な裁判を目指す動きなどに見られるように、﹁法の支配の理念が、法規上や理論上だけでなく、個人や企業や行政に関わる日常的な業務や争いの処理の
レベルでも貫徹されるようになること (
。か近づいているのではいなとさるいてのれなも張主 ろに系法米英し﹂がが求められている結果、わ国むの法システム、司法過程は、 2)
本稿は、右のような変化を念頭に置きながら、近代以降の英米の法思想の展開を跡付けることによって、司法制度改
(五六)
近代英米法思想の展開(一)五七同志社法学 六一巻一号 革後のわが国の裁判官の役割のあるべき姿についての示唆を探求することを目指している。すなわち、本稿は、おもに、法実証主義的な立法中心の法観念かコモン・ロー的思考か、ルールか救済か、権威か理性か、命令か共同体かなどの対
立軸によって、近代以降の英米法思想の展開を跡付けることによって、英米法圏において、裁判官の役割がどのように思想的に基礎づけられてきたか、あるいは、現代において基礎づけられているかを明らかにすることを第一義的な目標
としている (
のーオ③、ムサンベ、ドルィスフスンマ、ンートスクーテラ、ドンウパ、ンリェウルズィムーホ④、ンイメ、ンッブ② 。こるす眼着に性様多の思想法米英、際のそ、おなと留にク、ルイヘ、ズブッホ、ッ意ク①、は稿本。いたし 3)
法思想を、時系列的な影響関係、社会的な状況も念頭に置きながら、右記の対立軸に基づきそれぞれ対比的に検討することによって、英米法思想の多様な伝統を明らかにし、さらに、そのような思想史的研究から浮かび上がる多様性に基
づき、⑤フラー、ハート、ドゥオーキン、ラズらの現代英米における司法裁量論を再検討することによって、わが国の司法裁量の理論への示唆を探りながら、法思想史的研究を進めていきたい。
ところで、わが国の法実務に対する影響力という観点から英米の法理論を見渡してみると、やはりドゥオーキンの法理論を代表的なものとして挙げることができるだろう。実定法に内在する原理に着目し、﹁切り札としての権利﹂を主
張したドゥオーキンの法理論は、公害訴訟などで、公共の福祉論、利益衡量論が批判され、個人の権利、人権を重視し
た法解釈理論が必要とされていたこともあり、一九七○年以降、法哲学者のみならず、実定法学者にも注目されている (
の的開かれた構造から、司法立法法、裁判官の法創造機能の、の部ドゥオーキンの法理論出こ発点は、ルールの周辺の 。 4)
不可避性を説いたハートの﹃法の概念(
T he C on ce pt o f L aw
)﹄(一九六一年)に対する批判であったが、本稿の視点からすれば、ドゥオーキン、ハートは、それぞれ、英米法理論におけるコモン・ロー的伝統と法実証主義的伝統の現代における体現者として捉えることも可能であろう。そして、コモン・ローを、裁判官によって同定・説明される、政治道
(五七)
近代英米法思想の展開(一)五八同志社法学 六一巻一号
徳の根本的な原理に依拠する規範の一貫した体系として捉えるドゥオーキンと、ルールの体系として法を捉えるハート
の法実証主義的な法概念との対照は、わが国でも幅広く認識されている。
しかしながら、現代の英米の法理論においては、わが国の法哲学界ではあまり触れられていないものであるが、コモ
ン・ローの性質を捉える概念として、ドゥオーキン、ハート以外のものも提示されている。
例えば、J・ゴールズワーシィーによると、B・シンプソンによって主張されているような専門職の慣習(
pr of es sio na l cu st om
)としてコモン・ローを捉える立場もある。コモン・ローとは、法律家によって遵守されている実践、受け入れられている観念であり、紛争の合理的な解決の際の指針を提供するものとして、用いられているものとする立場である。また、特に憲法の分野に関して、コモン・ローを共同体一般、あるいは政府の公務員の慣習、コンヴェンションとして概念化するものもあるとしている。憲法ということに限らなければ、ポステマやアイゼンバーグなどはここに分類
されるだろう。さらに、ドゥオーキン、ハートのものも含めた以上の四つの立場のもののうち、二つ、あるいはそれ以上のものを組み合わせた混成タイプのもの(
hy br id
)も可能であるとしている (。 5)
歴史を遡るとコモン・ロー思想の多様性はより明白なものになってくる。再び、ゴールズワーシィーに依拠すると、コモン・ローの伝統においては、﹁コモン・ローの性質とは何か(
w ha t is th e na tu re o f th e co m m on la w ?
)﹂という問 いに対して、以下のような多様な解答がなされてきたとされている。すなわち、(一)、超記憶的な、変化のない、あるいは漸進的に変化する共同体の慣習とするもの、(二)、コモン・ロー裁判官団、弁護士団(be nc h an d ba r
)の共通の博識、学問的伝統とするもの、(三)、その同定、説明、適用が本質的に道徳的な推論や判断を伴う基本的な格率(
m ax im
)や原理(pr in cip le
)に依拠する規範の体系としてコモン・ローを捉えるもの、(四)過去の事件において裁判所によって規定された裁判官によって創られたルールの体系とするもの、(五)これら四つのもののいくつかが組み合わさった
(五八)
近代英米法思想の展開(一)五九同志社法学 六一巻一号 もので、例えば、理性と合致する限りにおける共同体の慣習とするものや、コモン・ロー裁判所に認識され、適用される限りにおける共同体の慣習とするものなどである (
的て念概るれさ表代にトーハ、もいおに統伝的義主証実法、たま。 6)
な(
co nc ep tu al
)法実証主義と、コモン・ローに基づく法体系の廃止まで求めたベンサムなどの政治的な(po lit ic al
)法実証主義とは区別されなくてはならない (。 7)
このような多様性を持つコモン・ロー的伝統においては、当然、本稿での対抗軸としてすでに取り上げた、法実証主義的な立法中心の法観念かコモン・ロー的思考か、ルールか救済か、権威か理性か、命令か共同体かなどの対立軸につ
いても、それぞれの法思想の間で多様なスタンスが取られていることを看取することは、比較的容易である。例えば、同じコモン・ロー的思考と言っても、ドゥオーキンのものと、コモン・ロー思想の定式化をおこなっている現代の代表
的な理論家であるポステマ、あるいはアイゼンバーグのものには大きな隔たりがあるし、ルールを重視したマンスフィールドと救済として法を捉えていたクックの違いも明白である。さらに、クックは、先例の持つ権威に関して、ヘイル
などとは異なった思想を持っており、コモン・ローと共同体の関係についてもヘイルとはスタンスの違いがある。
ところで、英米の法思想史を整理する際に用いる右の対立軸は、﹁裁判官にはどこまでルールを創る権限が与えられ
ているのか、また、それはいかに基礎づけられうるのか﹂という問題に還元できるのではないか。それは、﹁法的原理
の性質と一貫性を説明する完全な法理学の企図、それを法の基礎の理論に関連づけること (
えた最も重要なテーマの一つであっ。て以下においては、その問いに応、い、の問いはお近代以降英米法思想の展開に でと再定式化﹂きるが、その 8)
る際の、コモン・ロー思想、あるいは法実証主義的な伝統を含めた英米法思想の多様性を提示することで、最終的には、われわれの問題でもある、﹁裁判官の役割﹂について、思想史的検討に基づいた考察を試みたいと思う。
(五九)
近代英米法思想の展開(一)六〇同志社法学 六一巻一号
二、クックの法思想
(一)伝統と革新の法思想
英米の法思想史、あるいはコモン・ロー思想の歴史的展開において、一七世紀が重要な画期を形成したと指摘しているG・ポステマによれば、一七世紀までには、コモン・ローの実務は成熟し、漸進的かつ断続的で、時々政治的な形態 ではあったが、自らの実践する法について規定しようとする反省的な(
re fle ct iv e
)コモン・ロー法律家も登場してきたとされている。そして、彼らは哲学者ではなく、法律家、裁判官、国王の助言者、あるいは議会の法律家であったため、完全な哲学的な法理論が論じられることはなかったが、法に関する哲学的考察で、現代においても中心的な問題である法や法的推論の性質、法の規範的権威などの問題について独自の見解を展開したとされている (
。 9)
ここでは、その一七世紀前後のイングランドを代表する法律家であるクック(
Sir E dw ar d C ok e, 15 52 - 16 34
)の法思想をまず取り上げたい (ッ名ウルマンなどの著なィ歴史家によって、ク=ヴばレ・ルイスによれ、。ホールズワースやJ 10)
クの法思想は、中世と近代の境界線上に位置づけられている (
とに主の彼、てし対の的るれわいとたい観なっ代たっかなはで的近自は観性理びよお由ても客義意な的代近はに的観を 三ク、は・幸井石、たクッカの﹁マグナ。ルタの註釈がま 11)
いえるだろう (
こンうよるいてべ述がドウ、パ、ちわなす。るあでに現かをす出見に作著のクック観代概の点争のてべすの法ら場立る
el m od
し本ずまをクックで稿、て指取摘だた。るいげるり)え捉を代近てしと(上型範の代現、はの﹂と 12)とが可能であるし (
るるの問題を考慮す際ンのインスピレー法じョク、実際に、クッの生著作は、﹁繰り返しシ 13)(
井る裁量論を思想史的に検討す本司稿の立場からは、右記の石法るれけるものとして捉えらている。さらに、英米にお ﹂え与を 14)
の指摘とは異なるであろうが、クックの理性、すなわち技術的理性を中心とする法思想は、現代のドゥオーキンにも連
(六〇)
近代英米法思想の展開(一)六一同志社法学 六一巻一号 なるような英米法思想における一大潮流の基点となっているため (
いとるあもとこうい ( るなきでがとこすて、限を程射のそ、定しと的代近前 15)
つ究す関に辺周のそやクック、るあつ研に。近年、英米おりいて盛んになる 16)(
も、そのような本稿の 17)
立場と無縁ではないであろう。
さて、クックの法思想について検討する本章の構成であるが、すでに触れているクックの理性観、すなわち技術的理
性についての考察が中心を占めることになる。その際、まず、第一節において、クックの技術的理性の観念が、その歴史性によりコモン・ローの優位を論じるコモン・ローの古来性の議論を発展させたものであることを確認する。次に、
第二節においては、コンテクスト主義に基づく近年の英米の研究を手掛かりとして、クックの技術的理性の観念の特性を、同時代のイングランドの理性観念との比較から浮かび上がらせることを試みたい。また、これまで、わが国の研究
史においてもあまり明確にされているとは言えないクックの技術的理性の具体的なあり方を、彼の﹃判例集(
Reports
)﹄における議論から明らかにしたい。さらに、第三節においては、第二章で検討するホッブズのクック批判の意図を十全 に理解する準備として、彼のもう一つの主著である﹃イングランド法提要(Institutes of the laws of England
)﹄についても検討したい。クックは矛盾の法律家であるとされている。アメリカの法制史家の
J
クるわ関に学理法のッ・ク、ばれよにズブタ多 くのテーマについて、﹁それについての研究は、彼が意味したであろうものの範囲を狭めることはできるが、彼の言語は大変豊富で曖昧であり、かつ、彼の著述はほとんど体系化されていないので、彼は正確には把握されえない (﹂と述べ 18)
ている。コモン・ロー思想における法発展の原理という本稿の主題の観点からは、クックの最も重要な矛盾は、クックにおける﹁法の﹃不変性﹄と﹃歴史的改変﹄の矛盾 (
調は強を性変不のーロ・ンモコ、﹁クック、ちわなす。うろあで﹂ 19)
しつつも、(中略)同時に、過去の幾多の経験と叡智によって繰り返し洗練されてきたのだと説明している (
﹂[()内 20)
(六一)
近代英米法思想の展開(一)六二同志社法学 六一巻一号
は引用者]のである。政治思想史を専門とする土井美徳は、﹁コモン・ローは個々の﹃素材(
m at er ia l
)﹄という次元では、 時代的変遷のなかでその時々の叡智と経験によって繰り返し修正され、改変されてはいても、少なくとも﹁理性﹂が結晶した法の基本的・原則的な要点は継承されているのだと捉える (、すがるいてみ試をとこる決解を盾矛のこ、でとこ﹂ 21)
ここでは、クックのテキストを丹念に読み込んでいるタブスの研究に基づいて、クックの法思想における﹁伝統と革新﹂について考えたい。
クックの法思想の伝統的、保守的な側面は、コモン・ローの正当化と深く関わっている。例えば、﹃判例集﹄の第五巻の﹁序文﹂において、クックは、﹁イングランドの最も古く優越した法は、この国の臣民が持つ最も古く、しかも最 良の遺産であり、それらによって彼は、彼の相続財産や所有物を平和と安静のうちに享受できるだけでなく、彼の生活と、そして彼にとって最も大切な国土を安全のうちに享有できる (
﹄よ集例判﹃くじ同、ばれにクック。るいてべ述と﹂ 22)
の第六巻の﹁序文﹂において述べているように、イングランドの土地は、ブリテン人、ローマ人、サクソン人などによって支配されてきたが、﹁それにもかかわらず、これらの国家、あるいは国王のすべての時代において、現在この領土
が統治されている同じ慣習によって統治されて (
、を人マーロたし断判てそべすのり残で法のがう自らはか人何の王国のれでこ、にうよたっあ身ら、ばれけなでのもい彼 そのたっあでこな要重がとすた。れなわち、﹁﹂らの慣習が正しく良き 23)
正義、あるいは理性か愛情に突き動かされてそれらを変えてしまうか、あるいは完全に廃止してしまったであろう。同様に、先に触れたほかの王たちも、剣によってのみイングランドの領土を統治していたのであるが、同じようにして、
その力や権威によってその法そのものを廃止していたかもしれないが (
。クさが証明されているとッのクは論じているのである良ーロ・ン のうではないため、そ古﹂、来性によってコモそ 24)
さらに、クックは、﹃判例集﹄の第四巻の﹁序文﹂において、﹁古来のコモン・ローと国土の慣習の基本的な点につい
(六二)
近代英米法思想の展開(一)六三同志社法学 六一巻一号 ては、そのいかなる部分の変更も危険であるということが、政策おける格率であり、経験によって試されている (
c w nt om m on la cie an
・ンモコのー来ロサ(、)は、アングロ古ばをれて、法の﹁不変性﹂強調している。クックによ ﹂しと 25)クソンの時代から、あるいはローマの支配以前からブリテンにおいては法体系として存在していたのであり、そこからの離反は、退行的なもの(
de ge ne ra tiv e
)として捉えられていたのであった (序例﹁の巻四第の﹄集判、﹃くじ、同ばえ例。 26)
文﹂においては、コモン・ローの基本的なルールに反し、限嗣不動産権(
es ta te in t ail
)が導入され、不動産権を自由に処分できる単純不動産権(fe e sim ple
)とは異なる権利が導入されたことが批判されている。また、ユース(us e
)についても、その導入後において、﹁一定の最近の発明や、ユースを制限することによって土地を保証する工夫は、コモン・ローによって知られていなかった突然かつ粗野な但し書きや制限によって、非常に多くのトラブル、疑問、訴訟、
困難を生み出した (
﹂とされている。 27)
このように、﹃判例集﹄においては、コモン・ローの良さは、その古来性と結び付けられており、法の﹁不変性﹂も 強調されている。しかしながら、一六○○年代初頭に執筆された右記の﹃判例集﹄とは異なり、一六二八年に出版された﹃イングランド法提要﹄の第一巻においては、﹁コモン・ローの賢明さについての概念(
co nc ep tio n of t he w isd om of t he c om m on la w
(例ス、先に触れたタブにわよると、﹁クックの判ちなたす、より洗練されも)﹂のになってくる。は 28)
集の﹃序文﹄やカルヴィン事件の報告におけるコモン・ローの古来性の議論と、彼の後の﹃提要﹄における議論を比べて見ると、法の古来性についてのクックの見解が、時を経て、かなり発展しているという印象が容易に得られる (
﹂ので 29)
あり、コモン・ローが、その古さによって最良であり、かつ最も賢明であるとの議論から、法の革新的要素を多分に含んだ﹁法の技術的理性(
ar tif ic ia l r ea so n of la w
)﹂に軸足が移っていくのであった。(六三)
近代英米法思想の展開(一)六四同志社法学 六一巻一号
(二)技術的理性(
ar tif ic ia l r ea so n
) クックの技術的理性についての典型的な記述は、﹃イングランド法提要﹄の第一巻において示されている。﹁理性に反する法は、法ではない。なぜなら、法の生命は理性なのであって、コモン・ローそれ自体も理性に他ならないからである。そして、その理性というのは、すべての人の自然的理性ではなく、長年の研究、観察、経験によって得られる技術的理性の完成体として理解される。なぜなら、誰も技術者としては生まれないからである。最高の理性である、そして、
数多くの頭の中に散在する理性を一つに統合しても、その人物は、イングランド法を形成することはできない。なぜなら、イングランド法は、何世代にも渡って、数え切れないほどの威厳があり、学識のある人々によって洗練かつ精錬さ
れてきたのであり、法より賢明な人はいないという古いルールが正当に実証されるほど、この国土の政府にとっては完
璧なものである。彼自身の自然的理性から成るどんな人間も、理性の完成体である法より賢明であることはない (
。用として、度々引さ要れるものである諦の記想うクックの述は、彼の法思 ﹂いと 30)
クックの技術的理性についての記述は、彼の死後の一六五六年に出版された﹃判例集﹄の第十二巻においても展開されている。すなわち、﹁国王は、法は理性に基づいており、裁判官たちと同様、彼や他のものも理性を持っていると考
えていると述べられた。それに対して、私は、国王が、神によって卓越した知識と偉大な性質を与えられているのは事実であるが、国王は、法や、臣民の生命、相続不動産、動産、財産に関する根拠を習得されている訳ではない。それら
は、自然的理性ではなく、その認識に達成するためには、長い研究と経験が要求される法の技術的理性と判断が要求される(中略)と答えた (
、にに、﹁国王は人の下あのるべきではないが後記述]﹂[()内は引用者との記述である。この 31)
神と法の下にあるべきである (
ンらこるあも用引のトかクッラブういと﹂と 32)(
かのるあでマーテ稿判本、はでここ、裁官る関点観ういと係のの体同共と成形法があ論で関連でじられることが多いの 技のク配ックの的術と理性は、法の支、のこ 33)
(六四)
近代英米法思想の展開(一)六五同志社法学 六一巻一号 ら分析を加えたい。
クロマティによると、コモン・ローに代表される慣習法の性質を検討する際に、ベンサム以前のコモン・ロー的思考
の興味深い点は、﹁法律家が何をしているか、すなわち、訓練された専門家を構成すると言われるであろう思考、行動のパターンについてのコモン・ロー的思考の説明と、彼らの秘儀的な実践や原理を、より広い範囲の人々によって生ぜ
しめられたと見なすコモン・ロー的思考の試みの間の緊張関係にある (
定で判裁、くなはのがもな的治政、は官共権、規を法の体同共り同あで者表代の体威・、性ては裁判官の法形成の正当 古。る理いてれさ的典論コモン・ロー﹂においと 34)
する(
st at e
)ことによって与えられていたという見方もあるが (。に、共同体との関係をどのよう捉際えるかは多様なものであったにるすを成形法が マがィテてロク、指際はい摘し、るように、裁判官実 35)
まず十二世紀において、グランヴィルやブラックトンといったコモン・ローの萌芽期の法律家たちは、ローマ法学の影響を受けて、コモン・ローの正当性を国王の承認に求めている。十四世紀までには、ほとんどのローマ法学者は、慣
習の法的拘束力をその直接的要因として皇帝の権力に、その遠因として人々の慣行に求めていたのであるが、グランヴィルやブラックトンは、コモン・ローの正当化根拠として、一般的同意の理論は参考にせず、国王の権威を提示したの
であった (
d io Ye ar B oo k P er
時代(、ク)においては、例えばのッ六ブた、十三世紀から十世。紀にかけてのイヤー・ま 36)十五世紀のフォーテスキューのように、コモン・ローの知恵や卓越性を賞賛しつつも、その権威の正当化の必要は認識されていなかった (
。 37)
ところで、判例集(
Ye ar B oo k
)を仔細に検討しているタブスは、クックの時代でもある十六世紀以降の判例集においては、コモン・ローを国土の慣習として捉えるよりも、専門職のエリートの共通の学識として捉える議論が顕著になってくると論じている。一方で、J・デイヴィスのように、コモン・ローは、国土の共通の慣習であって、イングラン
(六五)
近代英米法思想の展開(一)六六同志社法学 六一巻一号
ドの市民の慣行や実践によって創られており、人々の記憶の中に記録されていると論じる法律家もいた (
。一六一七年の 38)
﹃アイリッシュ・レポート(
Irish Report
)﹄で示されていたように、コモン・ローの知恵は、一般市民の経験によって保証されると考えられていたのである (モし人々の慣行とてー捉える見方とコをロお・ックの時代にい。ては、コモンク 39)
ン・ロー裁判所の慣行と捉える見方が並存していたのであるが、すでに見たように、クック自身の法思想においても、コモン・ローを一般的な慣習として捉え、イングランドの人々が、超記憶時代(
tim e im m em or ia l
)からその慣習にし たがってきたことによってコモン・ローの正当性を論じて、コモン・ローと共同体の結びつきを強調する立場から、本節で検討する、裁判官の慣行として法を捉える、法の技術的理性を強調する立場への変遷を見出すことができる (。すな 40)
わち、クックの法思想の焦点は、より洗練されるにしたがって、何が法かという問いよりも法律家や裁判官が何をするかという問いに移り、コモン・ローの理性は裁判官の理性であること、また、コモン・ローは慣習を反映するが、それ
は裁判官によって解決される慣習であることがより強調されるようになり、さらには、コモン・ローの卓越性は、一般的慣習の普及や実践性への信念だけではなく、訓練や技術によって洗練される、裁判官団(
ba r
)の集合的・専門的な 知識を反映すると考えられるようになったのである (。 41)
クックの法思想における一般的慣習の位置づけであるが、
M
う詳のーロ・ンモコ、によ・るいてし摘指がンーバロ細ではなく、その基礎が一般的な慣習によって与えられていたと捉えることもできるだろう。例えば、憲法の構造や財産に関する基本的なルールなどの基礎である。クックによれば、コモン・ローの基礎的な原理は、幾世代にもわたって確
認されてきた超記憶的な慣習から導かれるものだったのであり、マグナ・カルタ、森林法、マートン法、ウェストミンスター第一・第二法律、再婚法、グロースタ法、ウェストミンスター第二法律、憲章追加条令、聖職者条例、ヨーク法、
国王大権法といった諸制定法、民訴裁判所の令状登録集に収められた訴訟開始令状などによって、コモン・ローの基礎
(六六)
近代英米法思想の展開(一)六七同志社法学 六一巻一号 は形成されているのであった (
。 42)
しかしながら、技術的理性の議論に見られるように、クックにとって、コモン・ローの本質は、裁判官の実践におい て、すなわち、法的推論の過程において見出されるべきものであった。裁判官の集合的な知恵(
co lle ct iv e w isd om
)に基づいて司法的実践がおこなわれることにおいて技術的理性は見出されるのであり、さらに、その集合的な知恵は、つ ねに再検討の対象とされていたため、クックの技術的理性は、法発展の原動力ともなったのであるが (。りの技術的理性の内実をよ明、確にすることを試みたい彼でがたクックとわっ関判す例るこ討検を 、、はていおに下以 43)
ここではまず、シェリィ事件(
Sh ell y’s C as e, 15 81
年)について扱いたい。シェリィ事件とは、ある人に生涯権(lif e es ta te
)が与えられ、彼の相続人に残余権(re m in de r
)が設定された場合、その生涯権と残余権は統合され、その生涯 権を持つ人は絶対的単純不動産権(fe e sim ple a bs olu te
)を持つことになるというルールの起源となった有名な判例であるが (集にて得たのであり、さら、初彼の判例集の著者、編めをッ声の事件によって、クク、は、法律家としての名こ 44)
者としての評判も確立することとなった (
。 45)
このシェリィ事件は、譲渡の際の基本的な条件であった﹁
he irs is h nd a A A
(解の)﹂てとし対にちた人続相の彼釈が問題になった事件である。すなわち、エドワード・シェリィが、土地に関して彼自身に生涯権を設定し、彼の相続人
たちに残余権を設定したのだが、彼の長男の未亡人の息子であるヘンリーがその財産を相続しようとした際、エドワードの次男のリチャードが、﹁
A
しは件条ういと﹂て対とにちた人続相の彼、権らたっあでのたし張主を利自の (
as im f l o ds or w f p ur ch il e n o ds or w tio ta ita
(言文あ)で表るとして、示な者文)を得える内容表示与言)では(く、権利取fe e A
(に産動不嗣限と権産動不純単権。 46)
ヘンリー・シェリィの弁護人であったクックは、リチャード・シェリィは、相続によってのみ財産を取得できると主
(六七)
近代英米法思想の展開(一)六八同志社法学 六一巻一号
張したが、それは、中世において確立した法を追認したものであった。クック以前の数世紀にわたって、﹁
A
と彼の相 続人たちに対して﹂という条件は、自由土地不動産権(fre eh old e st at e
)を与えるものとされており、、考相続人がそれを保有するとえ彼られていた。相続人たちはの、産形いて単純不動後権のでにそれを所有し、そのお
A
涯生の彼、は直ちには何も受け取らないのであって、
建れ法の存既、で形る容追を張主のクック、を認所ら封、﹁がーヤイボ、がしなしかし。るいても判座王たっ扱を件裁
A
み得取を産財続のてしとる相のらすかとが事ィリェシ、だ考のたいてらえれ 制下においては、法、社会、政治の局面において法の言葉は共通であった。自由土地保有権は、それら異なった領域において、一つの意味を持っていたのだが、シェリィ事件を画期として、法は法律家の言葉になった (﹂と指摘しているよ 47)
うに、シェリィ事件においては、法律家による法の解釈に焦点が当てられており、それ以前のものとは、推論の形態に大きな違いがあった。クックの技術的理性とは、要するに、法律家層に特権を与えるものであり、用語の解釈において
も、法律家によって用いられていた意味が優先されていたのであるが、シェリィ事件以降も、法的用語は、裁判間団(
ba r
)において流通している私的、技術的な意味で解釈されるようになる。例えば、一八世紀のペリン対ブレイク事件において、マンスフィールドが、遺言者の意思を尊重するのは普遍的な真理であるとして、前述のシェリィ事件のルールに挑戦したが、ジョセフ・イェーツをはじめとして、裁判官たちは、たとえ何千人もの遺言者の意思が無視されると
しても、確立されたルールには従うべきだと論じている (
。けモン・ローを捉える立場とか離てれていることは明白であろうコしと づのような、技術的理性に基く。法的推論が、一般的な慣習こ 48)
次にスレイド事件(
Sla de ’s C as e, 15 97 - 16 02
年)について検討したい。この事件は、契約に関するものであったが、クックによる司法的立法、あるいはエリザベス女王期のコモン・ローの再規定の代表的な例として捉えられている。また、前述のシェリィ事件と同様、司法の経験、法専門職のコンセンサスに支えられているという点でも、クックの法思
(六八)
近代英米法思想の展開(一)六九同志社法学 六一巻一号 想の特徴が反映された事件と言えるだろう (
。 49)
一六世紀の半ばまでは、金銭的な損害は、金銭債務訴訟(
de bt
)によってのみ救済されていたが、雪冤宣誓(w ag er of la w
)が被告側には許されていた上に、複雑な訴答が要求されていた。よって、原告にとっては、陪審で審理されていた引受訴訟(as su m ps it
)がより望ましいものであったが、それは、被告が彼の債務を支払うと明確にした場合にのみ認められるものであった。このスレイド事件によって、債務の存在は支払いの約束を含意しており、それだけで引受訴訟を可能にすると判断され、コモン・ローが商業社会の発展に寄与することになったのだが、その際の原告であった
スレイドの訴訟代理人をクックは務めている (
。 50)
スレイド事件の焦点は、王座裁判所(
C ou rt of K in g’s B en ch
)と人民間訴訟裁判所(C ou rt of C om m on P le as
)の間の管轄権の競合にあった。伝統的に、中世のコモン・ローにおいては、債務あるいは契約の関わる訴訟は、人民間訴訟裁判所のみが審理できるものとされていたが、チューダー朝の初期において、王座裁判所は、明示の支払いの引受があ
れば、被告の約束違反について、引受訴訟を提起できるとの法理を発展させている。やがて、王座裁判所は、契約が成立した時点で黙示の支払い引受があったと構成するようになったため、スレイド事件以前においては、契約に関わる訴
訟の原告は、人民間訴訟裁判所に金銭債務訴訟で訴えるか、あるいは、王座裁判所に引受訴訟で訴えるかの二つの選択
肢を持つという状況であった (
をド審を訟訴受引るよにイすレス・ンョジ、で同理るがの乱混るじ生らか合競権際轄管なうよのこ、に共官判裁の所判 タ所判裁回巡のーてスクに、に年六九五エ、お官裁訟訴間民人と判い裁の所判裁座王。一 51)
回避するために、法務次長(
So lic ito r G en er al
)のポーハム卿(L or d P op ha m
)が王座裁判所の裁判官も含めた財務府会議室裁判所(E xc he qu er C ha m be r
)を開いたのだが、クックも、法務総裁(A tto rn ey G en er al
)としてそこに参加し、 王座裁判所の管轄権の正当性を主張し、反対の立場にあったベーコン(Sir F ra nc is B ac on , 15 61 - 16 26
)などに勝利した(六九)
近代英米法思想の展開(一)七〇同志社法学 六一巻一号
のであった (
。 52)
クックのここでの議論の特徴として、先例の扱いを挙げることができる。人民間訴訟裁判所は、ケース訴訟は、既存の令状では対応できない時にのみ認められるべきだと主張し、さらに、引受訴訟には、明示の支払いの引受という現実
の詐欺が必要であるという先例に従うべきだと論じていた。しかしながら、次節でも扱うが、クックにおいては、先例において重視されるべきは、その背後にある理由付けなのであり、法的安定性とは、その理由付けが健全であり、信頼
できるものであることを意味していたが (
ののを性頼信、性全健法すなうよのそ、はと害るうク逆が性理、﹁はクッ、もにらさ。たれさとのこ扱しと訟訴受引て 訴一をのもの定るの訟訴銭す関に約金訟債以、をのもの外れ務そ、てしと、契 53)
ことを欲しているとしても、(中略)一般的な慣行が法を作る (
ク形を訟訴受引、でうっいと受引のい払扱ての意。るいてけ向を注きに行慣ういとた支示い座おても、王裁判所が、黙
m im ax
)イ(率格うい用をドいて、スレ﹂事件以前にと 54)ックにおいては、法は、裁判官の技術的理性であり、裁判官のコンセンサスや共通の知恵の中に存在するのであるが、新しいコンセンサスが形成されるならば、コモン・ローも変化すると考えられたのであった (
。 55)
以上、本節においては、若干の判例の検討を通じて、コモン・ローを裁判官の共通の学識、あるいは変化の可能性が内在するコンセンサスと捉えたクックの技術的理性の性格を明確することを試みた。クックにおいて、コモン・ローを
一般的慣習、超記憶的な不変の慣習と捉える見方と、裁判官の慣習と捉える見方の矛盾については、すでに見たように、クック自身の見解の変遷と見るタブスの解釈や、法の基本的な部分については不変なものとしてクックが捉えていたと
いった見方がこれまで示されてきた。さらに、政治思想史の観点からは、古来の国制(
A nc ie nt C on st itu tio n
)の議論に典型的に表れているように、国王大権に対して超越的な権威を主張するものとしてクックの一般的、超越的な慣習が 捉えられているが (ブ関本稿のテーマとより連いする見方として、タうと裁性思想、あるいは、判、官の法形成の正当法 56)
(七〇)
近代英米法思想の展開(一)七一同志社法学 六一巻一号 スの見解を、簡単ではあるが、さらに紹介したい。
タブスは、クックの議論の多くが、一般的な慣習ではなく、裁判官の共通の学識としてコモン・ローを捉えているに
も関わらず、﹃判例集﹄などにおいて、コモン・ロー=一般的慣習としていることを、別の角度からも検討している。そして、その要因として、一般的慣習ではなく、法専門職や裁判官の蓄積された学識や受容された理性によってのみコ
モン・ローを捉えるならば、法の権威、あるいは正当性について説明できなかったであろうことを挙げている。司法による法形成を正当化する理論のモデルとなるようなものはなく、それを一から作り上げる必要があったが、慣習が法源
であったことは、当時のヨーロッパでは認められていたため、実務とは大きくかけ離れていたにも関わらず、クックは、コモン・ローを一般的慣習として説明したという解釈である (
し・関に分部な的本基のーロンモコ、がクック、はれこ。 57)
てのみ、超記憶的な一般的慣習として捉えていたというロバーンなどの見方を、違う角度から捉えなおしたものとも言えるが、いずれにせよ、コモン・ローを裁判官のコンセンサスとするクックの技術的理性の観念は、後のホッブズなど
によって批判されることになる。
(三)法的推論と法の記述
ここでは、クックの技術的理性の内実をさらに明確にするために、彼の法的推論と、﹃判例集﹄、﹃イングランド法提要﹄において示された法の記述の特徴について検討したい。
前節において検討したように、クックの技術的理性は、裁判官のコンセンサス、あるいは共通の学識として捉えられるものであるが、それは、法的推論の過程において見出されるものであり、本質的には、弁論の行使(
fo re ns tic ex er cis e
)に基づくものであった (、信み達成されるとじてていたのでありのじ理通ックは、物事の解。は、論争や議論をク 58)
(七一)
近代英米法思想の展開(一)七二同志社法学 六一巻一号
そこからも、一人の法律家の意見よりも、集団の知恵の方が優れており、完全でより信頼できると考えていたのであっ
た (
なれ理審、が明説の由理るらすい用でこそや討検の係関、な事、に分十てっよに官判裁てわ経を程過の論議、論弁ち実 、官の裁るあに後背のそ、もたもっあで要重ていおに例判の。りのるれさ頼信がれそ、あ議でのたっあで程過の論先 59)
されたと考えられるからであった (
B ar
ぞるくなはで形ういと制す開抑を由理てしそ、れかーれそていおに)(バに、ずま、で廷法た、ちの黙暗でろこう のモ偉のーロ・ンれコ、﹁ばなよにクッ大一名事とい暗、が例諸誉な難困、はつ。ク 60)れの当事者について精通している弁護士による、(中略)そして次に、判事席(
be nc h
)の裁判官による厳粛かつ荘重な議論に基づいて裁定され、解決されてきたことにあった (﹂。 61)
クックにとって、あるいは同時代のコモン・ロー法律家たちにとっては、法的推論において重要なことは、できるかぎり多くの理由を示すことで、説得力のある議論を提示することであった。例えば、有名なボナム事件(
B oh na m ’s C as e
)において、クックは、医師協会(C oll eg e of P hy sic ia ns
)が免許のない医者を収監する権利がないことを示す五つの根拠を挙げている。そして、その根拠、あるいは理由の中で最も説得力を持つとされていたのが格率(m ax im
)であった。ボナム事件においも、﹁誰も彼自身の訴訟事件において裁判官になることができない (
た適のもでれさ示明は用まされることはないに ( の定特、は項条般一﹁﹂、 62)
安め不の々元、は葉言たれさ加付にたすらたもを性定安]に文法﹁[﹂、 63)
定な言葉に立ち戻って解釈されなくてはならない (
っ諸るな何如の習慣と本ーロ・ンモコ諸の基的のはいと﹂るあで険危更な変のそ、れあで点古国はに﹄集例判﹃の、﹁ のげいてれらた挙が率格がっいる他、格率﹂の例としては、クックと 64)
たものがある (
e ot m re pr ox im at e
お法は、﹁(因遠、は民い事事件に、はて急で)果緊﹁﹂、る見を係関因コの)(接近くなはンーベる 格七ていおに期初の紀世の一代時同のクック、た、率。説れさとたし示提を明たにれさ練洗も最ていつま 65)避難(
ne ce ss ity
)と脅迫(du re ss
)に関して、行為が強制的なもので自発的なものでなく、同意がなく、選択したも(七二)
近代英米法思想の展開(一)七三同志社法学 六一巻一号 のでなければ責任はない﹂、﹁民事事件においては、法は、不法行為者の悪意ではなく、被害者の損害を見る﹂といったものを挙げている (
。 66)
要するに、クックの時代のコモン・ローにおけるルールは、実定的な、あるいは歴史的な基礎、法源があってそこから導かれるというわけではなく、法専門職の弁論の結果生じてくるのであり、そこにおいて中心的な役割を果たしてい たのが格率であった。格率は、﹁具体的事件を解決する上でのその解決方向を指し示す (
秩ンであるが、この格率は、ベーコにももはいるあ、のたおし定確もていのるおとなれ推論の道具、い性質から導かう て割を果たしあいたのでる。﹂役 67)
序づけうるものではなく、その用い方は、それを使う人々の裁量に委ねられていたこと (
てさが競合している際に、法を発展せれたし言付をとこいるてっ持を割役らそが例るは権威的な先、がい際、あるいな 最た、本節の検後にも討す、ま 68)
おきたい。
次に、クックにおける法の記述の特徴を、﹃判例集﹄、﹃イングランド法提要﹄の構成に焦点を当てて検討したい。 クックの時代においては、法のスポークスマンが裁判官であったこと、その主要な法源が書かれたテキストではなくて、不文の先例であったこと、その言語がロー・フレンチであったことなどから、それが論争の的であり、権威につい
ても疑問が持たれることもあり、コモン・ローが安定した基礎を有していないとの認識が広まりつつあった。そして、
一六世紀の後半においては、ローマ法の
In st itu te
に基づき、コモン・ローを体系化しようとする試みがイングランドでも広まりつつあった (的しては、クックに関ておも、﹁黙示的かつ限定いにお究して、わが国にけ。る代表的な先行研そ 69)
にせよ、ローマ法的な一般的原理の発想に立ってコモン・ローの編纂を行っている側面があることは否定できない (
述点しながら、そのような観かしら、クックにおける法の記か。法るクックに対するローマの影響の指摘がなされてい ﹂、と 70)
を捉えることは、クックにおける技術的理性、あるいはその法思想全体の企図を歪めて捉えることになるであろう。
(七三)
近代英米法思想の展開(一)七四同志社法学 六一巻一号
クックの法的記述の特徴は、まず、一七世紀における刑法のダイジェストに対する応答に見ることができるだろう。 ベーコン、あるいは、ジェームズ一世によって、刑法分野において制定法の統合が進められたことに対しては反対していなかったが (
とよン・ローまでもそのうコな改革の対象になるこモ、こずックが恐れていたと、は、制定法のみならク 71)
であった。﹁全能の神が、モーゼを通じて彼の法を教えた時に、諸例(
ex am ple s
)によって教えたように、特定の諸事例や諸例を報告することが最も明快な教え方である (そ・、にねつ、はトスクテのーロンモコ、は明言のクックういと﹂ 72)
して未来永劫に書かれえないものであり、判例集は、その注釈、あるいは解釈に過ぎないという前提に基づいている。すでに述べたところとも重なるが、コモン・ロー=不文法は、裁判官、法律家集団の集合的記憶の中にのみ存在してい
るのであり、ローマ法学の方法に基づく、ダイジェスト、摘要(
ab rid gm en t
)、再配列(re ar ra ng em en t
)は、そもそも、そのようなコモン・ローの本質と相容れないものと考えられていたのである。一六二八年にクックによって執筆された﹃イングランド法提要﹄に関しては、その原題(
Institute of the Laws of England
)が示しているように、ローマ法の影響を指摘しうるものであるし、クックの同時代のベーコン、フィンチ、 カウエルなどのものと同様、イングランドのコモン・ローの包括的な入門書のように捉えられることもある。しかしながら、﹃イングランド法提要﹄で実際に試みられていたのは、﹁ユスティニアヌスの方法とは異なるIn st itu tio n
の方法であり、追従者たちからすると一切の方法を伴っていないようなものであった (
てじ、で所るいて論率を続相の間戚格の、りじ論を代地、た定いてれさなが義親にがるきな欠陥あと指摘しているよう クトスてッランー大が、方法におい﹂。ブ 73)
いる箇所で陪審制について論じられていたり、鋤奉仕保有(
so ca ge
)の下で国王大権が論じられていてたり、あるいは、騎士奉仕(kn gh t’s s er vic e
)を論じている途中でマグナカルタが論じられていたりする (。クック自身もこの点について 74)
は認識しており、﹁学生にとって容易にするために、これらの提要に対して、表(
a ta ble
)を作ることを一度は考えた (﹂ 75)
(七四)
近代英米法思想の展開(一)七五同志社法学 六一巻一号 と述べている。しかしながら、クックは、同時に、むしろそのような﹁表や摘要は、それを作る人にとって最も有益であるため、私は、その仕事をすべての勤勉な読者に委ねた﹂とも述べている。クックによれば、コモン・ローの技術的 理性とされているものは、経験があり、よく訓練された法律家の頭の中にあるのであって、法の知識も、あたかも井戸のようなものであって、それぞれの理解の強さによって導かれるものと考えられていたのである (
。 76)
このように、クックの技術的理性とは、格率を中心とした法的推論のあり方であり、熟錬した裁判官の集合的記憶にのみ存在するものであったが、その裁判官の法的推論を導く実質的な指針として考えられていたのが、コモン・ロー自
体の一貫性、調和であった。
クックの判例集の目的の一つとして、コモン・ローにおける矛盾を解決するということがあった。当然、それは、そ
の詳細についても熟知している法律家によってなされるべきなのだが、クック自身も、﹃判例集﹄において、コモン・ローの一貫性、調和といった観点から、いくつかの先例を熟慮不足であるとして、その効力を否定している。さらに、
そのような一貫性は、コモン・ローにおける矛盾を発見するだけでなく、法を発展させるためにも必要とされていた (
、はの経験から導かれた格率、過法を新しい状況に適用し去の用ーの際は、先述の格率がいられており、コモン・ロそ 。 77)
発展させる際に重要な役割を果たしたのであった (
。 78)
クックは、コモン・ローにおいて、答えがない法的な問題、あるいは裁判官の裁量が必要になってくるような問題はないと考えていた。本稿でも触れた従来の有力な先例に反するスレイド事件におけるルールや、違憲審査性を確立した 画期的な判決とも捉えられているボナム事件での法理なども、﹁法の発明ではなく、過去の長い期間にわたる尊敬すべき裁判官や賢人たちの判決や意見の復元 (
自彼い裁判官は、の。﹁気まぐれや彼良るけ﹂でのたいてれらあづ置位てしと 79)
身の意思の示唆によっては何事もなさず、制定法と法にしたがって宣言する (
例て先な確明、がるいべ述はクックもと﹂ 80)
(七五)
近代英米法思想の展開(一)七六同志社法学 六一巻一号
がなく、裁判官の裁量が必要になる場合でも、裁判官は、過去の偉大で学識のある裁判官にならって推論することが求
められていたのであり、そうすることによって、裁判官は、コモン・ロー=技術的理性に従っていると捉えられたのである。そして、そのような観点から、カルヴァン事件(
C alv in ’s C as e, 16 07
年)を論じる際に、自然法、あるいは自然 的理性に基づく裁量が批判されている (。 81)
ただ、現代の研究者からも、以上のようなクックの理論構成には疑問が呈されている。例えば、ソーンは、クックの
﹁判決は、次のことがコモン・ローの古来からの格率であるという言葉で始まり、見せかけのラテン語の格率が続くが、その格率は、どのような状況にも適合するように捏造できるものであり、古来からの権威を持つような雰囲気を与える
もので、それにより、新しい出発点(法創造)が導入される傾向があった (
。た最も苛烈な批判者であっホすッブズの法思想を検討するる対クック、はでに し︺)内は引用者てと指摘﹂︹いる。次章( 82)
三、ホッブズの法思想
(一)クック批判
本章では、ホッブズ(
T ho m as H ob be s, 15 88 - 16 79
)の法思想を扱う。まず、第一節において、前章で検討した、技術的理性を軸としたクックの法思想に対するホッブズの批判を、﹃イングランドのコモン・ローをめぐる哲学者と法学徒 との対話(A Dialogue between a Philosopher and a Student of the Common Law of England
)﹄における議論から検討したい。また、第二節においては、﹃リヴァイアサン(Leviathan
)﹄、﹃法学綱要(The Elements of Law
)﹄などから、クック批判の前提になっていたホッブズの法実証主義的法思想を素描する。﹁ホッブズの主権論、法命令説とそ
(七六)
近代英米法思想の展開(一)七七同志社法学 六一巻一号 れに連なる法実証主義的法思想はベンサムを経て近代法、法学の基礎理論を提供した (
的思論と対立する、英米における法想ーあ義主証実法るでの軸のつ一うも理ロらのか・、ホッブズは法想は、コモン思 おの指摘のとのり、本稿観点﹂と 83)
法思想の原点とも捉えられうるものではあるが、第三節において見るように、その司法裁量論はいくつもの問題点を孕むものであった。
ホッブズのクック批判が展開されている﹃イングランドのコモン・ローをめぐる哲学者と法学徒との対話﹄(以下においては、﹃対話﹄との略称を用いる)は、ホッブズの最晩年に書かれたものであった。それがいつホッブズによって
執筆されたかは明らかではないが、﹃対話﹄の最新の版(二○○五年)を編集している
らのが、一六七三年までには、一部人っ々の間では出回っており、おそたか死一のな後の一六八年ブまでは出版されズ
A
ッホ、ばれよにィテマロク・ く一六六○年代の半ばにホッブズによって執筆されたということが推定できるとされている (に先おも国がわ優れた行て研究が存在するがい ( 、はていつに﹄話対﹃のこ。 84)
新究最の﹄話対﹃たれ触にです、や研は、先のられそ、行ていおに下以 85)
版に基づいて、本稿のテーマである﹁裁判官にはどこまでルールを創る権限が与えられているのか、また、それはいかに基礎づけられうるのか﹂という観点に焦点をしぼって、ホッブズのクック批判を検討したい。
﹃
P r ye aw r he op os hil L
哲るから構成されてい。対ただ、タイトルに話の学)者(り通の知周、と)法律家(対は﹄話お いて﹁法学徒(a st ud en t of c om m on la w
)﹂と表記されているように、ホッブズにとっての法律家とは、法を創るのではなく、法に習熟することのみが義務であり、法の学生以上のものにはなり得ないと捉えられていたことに留意する必要があるだろう。すなわち、﹃対話﹄においては、彼ら自身の理性から発展させられると考えられていたコモン・ロー思想が、主権は君主に存在すると考えていたホッブズによって批判されており、コモン・ロー法律家の自立性を提唱す
る立場のスポークスマンとしてクックは捉えられていたのである (
。 86)
(七七)
近代英米法思想の展開(一)七八同志社法学 六一巻一号
さて、﹃対話﹄の第一章においては、﹁理性の法について(
O f th e L aw o f R ea so n
)﹂という題目のもと、技術的理性として法を捉えるクックの法思想が批判されている。ホッブズはまず、本稿の前章第二節で引用した﹃イングランド法提要﹄におけるクックによる技術的理性の定義を法律家に敷衍させている。すなわち、クックにおいて、法律とは、﹁多
年にわたって積み重ねられてきた研究や考察・実務経験によって獲得された、人為的な理性の完成品だと言うこと (
本性来備わっている自然理とには明らかに異なる、とこ間うしと法とは理性であるとた人際のクックの理性とは、﹁言 ( ﹂、 87)
﹂、 88)
﹁イングランドの法は、誠実実直かつ学識豊かな多くの人々によって、長い年月を経て純化され洗練された成果だから (
イれングランドの法にみらる、ような法律はできないろであしう﹁人それぞれが分有てろいる理性を統合したとこで ( ﹂、 89)
﹂ 90)
とクックが考えていたことが確認されている。
以上のように、技術的理性として捉えられたクックの理性に対して、ホッブズは、まず、哲学者に、﹁﹃理性こそが法 の生命である﹄、と言う場合、なぜその理性が、自然理性ではいけなくて、人為的理性でなければならないのか、そこのところが、よくわからない (
外、必要だと言うがそねのことは、法学以が重得み法律の知識を獲す﹂、るには研究の積﹁ 91)
の学問についても同じであって、そのさいには、人為的理性ではなく、通常は、自然理性にもとづいてなされるのではないか (
、﹁の律を作成するは威、知恵ではな法て権提﹂との疑問を示しさせている。そく 92)(
﹂である、﹁法律を作るのは、 93)
立法権を有する人物以外にはない (
判、で性理の高最がり性理の体全官あ、のるれが法律そのもそだと考えてい ( 裁たい的基に想思法な義い主証実法ういづて﹂性除を王国、や理、﹁の官判裁るあと 94)
一裁、﹁ていつに官判、し判批をクック﹂ 95)
人の人あるいは多数の人々がいかに賢明であろうとも、かれらの技術は法律ではないし、また一人のあるいは多数の技術者がいかに完全であろうと、かれらの作品が法律であるわけではない (
﹂と断じている。 96)
クロマティによれば、ホッブズの同時代のコモン・ローの捉え方には、三つの軸があったとされている。一つは、ホ
(七八)