フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚 と社会 : 祝婚品としてのカッソーネから見る
著者 萩原 愛美
雑誌名 文化學年報
号 66
ページ 113‑139
発行年 2017‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027580
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚 と社会 : 祝婚品としてのカッソーネから見る
著者 萩原,愛美
雑誌名 文化學年報
号 66
ページ 113‑139
発行年 2017‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027580
フ ィ レ ン ツ ェ
・ ル ネ サ ン ス に お け る 上 層 市 民 の 結 婚 と 社 会
│
│ 祝 婚品 と し ての カ ッ ソー ネ か ら見 る
│
萩
│原 愛 美
は じ め に 本論
では カッ ソー ネに つい て論 じる
︒カ ッソ ーネ
cassone
︵ 長持
︶と は 主 に一 五 世 紀 のフ ィ レ ンツ ェ の 上層 市 民 が 使 って いた 装飾 的な 木製 長持 のこ とで あ る︵ 図1
︶︒ 高 さ 一メ ー ト ル︑ 幅二 メ ー ト ル程 の 大 きな 長 持 は︑ 嫁入 り 道 具 と して
︑通 常は ペア で花 嫁に 贈ら れた
︒婚 礼に 長持 を使 う文 化は 各地 に存 在し たが
︑一 五世 紀イ タリ アの カッ ソー ネ は 表面 に精 巧な 物語 画が 付い てい る点 で特 徴的 であ る︒ クロ ーゼ ット やタ ンス が登 場す る以 前に 普及 して いた
︑い わ ゆ る長 持全 般を 指す
﹁カ ッソ ーネ
﹂は
︑一 六世 紀以 降も 作ら れ続 けた が︑ 物語 画が 付い てい る﹁ カッ ソー ネ﹂ の制 作 は
︑一 四世 紀後 半か ら一 五世 紀に 限ら れ︑ 一六 世紀 以降 の作 品は 確認 でき なか った
︒財 産目 録や 覚書 など には 一六 世 紀 半ば でも 彩色 され た長 持は 登場 する が︑
﹁ ヴェ ッキ
vecchi
︵ 古い
︶﹂ など と︑ 年季 の入 った もの であ るこ とが 注 記 さ れ て い る⑴
︒ 実 際︑ 早 く も 一 六 世 紀 に︑ ヴ ァ ザ ー リ
Giorgio V asari
︵一 五 一 一│ 一 五 七 四︶ が﹃ 画 家・ 彫 刻 家・ 建 築
― 113 ―
家 列 伝
﹄
Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori
︵ 一 五 六 八 年 第 二版
︑通 称
﹃列 伝
﹄
Vite
︶ 第 三 章 の デ ッ ロ・ デ ッ リ
Dello di Nic-
colò Delli
︵ 一 四
〇 三│ 一 四 七
〇 頃
︶伝 に お い て
︑カ ッ ソ ー ネ に つ い て 最 初 の 学 術 的 な 言 及 を し て い る が
︑結 婚 式 で 長 持 を 贈 る 風 習 は︑ 彼 が
﹃列 伝﹄ を執 筆 し た頃 に は すで に 廃 れ てお り
︑ヴ ァ ザー リ 自 身も こ れ ら の 長 持 やそ れ に 分類 し た 家 具を
︑結 婚 と 明 白 に 関 連 付 け て は い な い⑵
︒ 先 行研 究で は︑ 単に 他の どの 芸術 品に も見 られ る流 行の 移ろ いや
︑ス パ ッ リエ ーラ 画の 台頭 によ るも の と し て解 釈 さ れて き た⑶
︒ そ もそ も カ ッ ソ ー ネ 制作 が 発 展 し︑ き ら び や か な 装 飾 や 精 巧 な 物 語 絵 が 発 展 し た の は
︑他 の家 庭内 装飾 品と 同様 に︑ 物質 文化 の発 展や
︑誇 示的 消費 とい わ れ る︑ 一五 世紀 のフ ィレ ンツ ェの 上層 市民 の贅 沢な 消費 欲が 大き く影 響 し てい る⑷
︒ しか し︑ カッ ソー ネは 結婚 式に 使わ れる 嫁入 り道 具と して 発展 し た も ので あ る こと
︑そ し て 現存 す る 最 古 の婚 礼用 カッ ソー ネが 一四 世紀 半ば に制 作さ れた もの で︑ 物語 画が 付け られ るよ うに なっ たの がお そら く一 三七
〇 年 代頃 とい う事 実か ら︑ 当時 フィ レン ツェ のみ なら ず︑ ヨー ロッ パ中 で大 流行 した ペス トと の関 係が ない とは 思え な い
︒死 病が 猛威 を振 るう 中︑ あら ゆる 家族 の生 残を 支え たの が︑ 結婚 と出 産を 通し た家 系の 存続 であ る︒ 特に 上層 市 民 にと って
︑結 婚は 由緒 正し い血 統と 莫大 な財 産を 残す ため の唯 一無 二の 方法 であ った
︒そ のた め結 婚や 出産 とい っ た イベ ント はル ネサ ンス 期の 上層 市民 がよ く気 にか けて いる こと であ り︑ それ に関 連す る品 物は ペス トの 時代 の家 庭 生 活に 関す る極 めて 重要 な情 報を 有し てい る︒ それ にも かか わら ず︑ ペス トと カッ ソー ネの 関係 は深 く言 及さ れて い
図1 アポッローニオ・ディ・ジョヴァンニ、《ト レビゾンド攻略》のカッソーネ、フィレンツ ェ、1461年頃。メトロポリタン美術館、ニュ ーヨーク。
出典:美術館HP,〈http : //www.metmuseum.org/Col- lections/search-the-collections/192693〉(2016 / 12/18)
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 114 ―
な い︒ 本論 の目 的は
︑ペ スト の時 代に 生き たフ ィレ ンツ ェ人 に結 婚祝 い品 とし ての カッ ソー ネが 果た した 役割 を明 ら か にす るこ とで ある
︒な ぜ嫁 入り 道具 とし て発 展し たの か︑ なぜ 絵が 描か れる よう にな った のか に注 目し
︑他 の結 婚 や 出産 祝い の家 庭内 工芸 品と 関連 付け て論 じる
︒ 第一
章 都市 貴 族 社会 に お ける 結 婚 一
│一
︑結 婚と ステ ータ ス 家族 が社 会生 活の 基本 的な 核を なし たル ネサ ンス 期フ ィレ ンツ ェに おい て︑ 結婚 は同 じ党 派︑ 派閥 に属 する 家同 士 が
︑様 々な 経済 的︑ 政治 的︑ 社会 的必 要性 を考 慮し て結 ぶ︑ 家と 家の 同盟 関係 であ った
︒男 子は 成人 する と父 権か ら 解 放さ れ︑ 法律 上は 第三 者と 自由 に契 約を 結べ るよ うに なる もの の︑ 実際 に父 親か ら独 立で きる わけ では なく
︑通 常 結 婚相 手は 父親 によ って 決め られ た⑸
︒ 家系 と財 産を 継が せる 息子 の花 嫁は 自 家 と 同格 の 家 の者 に 限 られ
︑一 族 全 体 で 話し 合い
︑慎 重に 選定 すべ きも ので あっ た︒ 娘を 結婚 させ よう とす る場 合も
︑家 長は
︑花 婿を 選ぶ にあ たり 決ま っ て 親族 と相 談し た︒ 娘を 良家 に嫁 がせ るこ とに よっ て︑ 将来 にわ たり よき 友人 を確 保し
︑家 のさ らな る発 展へ とつ な げ るた めで あ る⑹
︒こ う いっ た 政 治的 要 素 の強 い 上 層 市民 の 結 婚に お い て︑ 結婚 契 約 書 は非 常 に 重要 な 証 書 であ り
︑ 何 より もそ れは 重 要 な金 銭 取 引で あ っ た︒ 当 時の イ タ リア で は︑ 結 婚時 に 花 嫁 の親 か 後 見人 が ド ロー
ナ
dorona
︵ 嫁 資
︶と いう 持参 金を 花嫁 に付 けて 結婚 させ るの が慣 習と なっ てい た⑺
︒ 男子 のあ い だ で の分 割 相 続が 原 則 とな っ て い た この 地域 で︑ 嫁資 は元 来︑ 娘の 相続 分に 相当 する もの であ った
︒嫁 資は 金銭 と衣 装類 から なり
︑結 婚の 契約 の際 に そ れら の金 額が 記さ れる のが 普通 であ った ため
︑契 約者 同士 の経 済状 態の 指標 とな り︑ 娘を 嫁に 出す 父親 の名 誉を か
― 115 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
け た畢 生の 大事 業と なっ た⑻
︒ 結婚 はま た︑ 家の 社会 的ス テー タス を判 断す る指 標と して 最も 重要 なも ので あっ た︒ フィ レン ツェ は比 較的 小さ な 都 市で あっ たた め︑ 結婚 の情 報は 嫁資 の額 まで 公に 知ら れ︑ それ によ って 家が 安定 して いる か傾 いて いる かも 露わ と な った
︒卓 越し た手 腕で 富を 集め た商 人の 中に は︑ 名門 家系 と姻 戚関 係を 結ぶ こと で都 市貴 族の 地位 に成 り上 がっ た 者 もい た⑼
︒ しか し︑ 富と 政治 権力 は︑ 不安 定な フィ レン ツェ 社会 にお いて は 絶 え ず変 動 し てい た の で︑ どの 家 の 立 場 も安 全で 確実 とい うこ とは なか った
︒事 業に 失敗 した り︑ 不運 に見 舞わ れた りし て資 金力 が不 足す ると
︑た いて い の 場合 それ に続 いて 政治 的影 響力 を失 うこ とに なり
︑し かる べき 結婚 がで きな くな った ため
︑経 済的 没落 は社 会階 層 に おけ る家 族の 転落 への 引き 金と なっ た︒ 特に 支配 層の 家族 と敵 対す るこ とは
︑公 職追 放に よる 社会 的排 斥と 差別 的 課 税に よる 家計 逼迫 とい う二 重の 損失 を招 いた ため 最も 危険 なこ とで あっ た︒ 都市 で最 も傑 出し た家 門の 一つ であ っ た スト ロッ ツィ 家は
︑反 メデ ィチ 派に 与し たた め︑ 一四 三四 年に メデ ィチ 家が 権力 の座 に着 いた とき
︑そ の影 響力 と ス テー タス を失 った
︒ス トロ ッツ ィ家 は男 性陣 が公 職か ら排 除さ れ︑ 国外 へ追 放さ れる だけ でな く︑ 税務 署か ら嫌 が ら せと もい える 露骨 な徴 税に 苦し めら れた
⑽
︒一 族に 対す るこ の容 赦の ない 処 遇 は︑ 由 緒正 し い 家柄 と の 縁組 を 阻 む だ け で なく
︑上 層 市 民間 の 結 婚 に不 可 欠 な︑ 高額 な 嫁 資の 支 払 い をも 困 難 にし て し まっ た
︒夫 が 追 放 先 で 病 死 し た 後
︑女 手一 つで 子供 を 育 て家 を 支 えた 寡 婦 アレ ッ サ ン ドラ
・ス ト ロ ッツ ィ
Alessandra S trozzi
︵一 四
〇 六│ 一 四七 一
︶ は
︑平 民 出 身だ が 潤 沢な 資 金 を 持っ て い たマ ル コ・ パ レン テ ィ
Marco P arenti
︵ 一四 二 八
│一 四 九 七︶ と い う 若 い 絹 織 物業 者を
︑娘 カテ リー ナ
Caterina Strozzi
︵ 一四 三一
│一 四八 一︶ の結 婚相 手に 選択 した
︒こ の縁 組は パ レン テ ィ 家 の 上昇 を示 して いる が︑ 同時 にス トロ ッツ ィ家 の家 運の 衰退 を物 語っ てい る︒ 互い のス テー タス がは っき りと 意識 さ れ
︑そ の家 系か ら正 義の 旗手 やプ リオ ーレ を何 人輩 出し たか とい った こと が高 貴さ の証 拠と され た上 流階 級の 人間 に
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 116 ―
と っ て︑ 社 会的 ス テ ータ ス の 低 い家 系 と の結 婚 は 最も 容 認 し がた い も ので あ っ た︒ アレ ッ サ ン ドラ は 亡 命 中 の 息 子 に
︑先 祖 が 一介 の 職 人に 過 ぎ な い中 流 の 家系 と の 縁 組 に つ い て
︑か す か な 皮 肉 を 込 め た 手 紙 を 送 っ て い る⑾
︒ し か し
︑名 家の 誇り より も実 利を 優先 した この 決断 の結 果︑ 当時 一︑ 四〇
〇か ら一
︑五
〇〇 フィ オリ ーノ が相 場で あっ た 嫁 資を 一︑
〇〇
〇フ ィオ リー ノに 抑え るこ とが でき
⑿
︑さ らに 数年 後に は
︑こ の 娘 婿の 惜 し みな い 援 助も あ っ て︑ 家 運 を盛 り返 すこ とに 成功 した
︒ス トロ ッツ ィ家 の復 興は
︑名 を捨 てて 実を 取っ たア レッ サン ドラ によ る賢 明な 判断 の 賜 物と いえ よう
︒ 一
│二
︑結 婚と 美術 一五 世紀 の上 層市 民の 結婚 には
︑嫁 資を 含め
︑巨 額の 資産 が投 じら れた
︒彼 らが 人生 で最 も多 大な 出費 をす るの は 結 婚式 の前 後に かけ てで あり
︑高 価な 衣装 や宝 飾品 を用 意し
︑盛 大な パレ ード と祝 宴を 催し
︑花 嫁を 迎え る部 屋に 必 要 な家 具を 用意 した
︒ 例え ばア レッ サン ドラ
・ス トロ ッツ ィは
︑カ テリ ーナ の嫁 資の 一部 で衣 服や アク セサ リー を調 達し た︒ 一四 四八 年 一 月一 二日 に査 定さ れた この 嫁入 り道 具は 一六 五フ ィオ リー ノ︑ 嫁資 総額 の一 六・ 五% に相 当す る価 値が あり
︑種 類 も 豪華 さも 標準 的な 上層 市民 の嫁 入り 道具 であ った
⒀
︒そ の内 訳 は
︑外 套 三枚
︑ガ ウ ン 二枚
︑布 一 七 枚︑ 刺繍 入 り シ ー ツ一 七枚
︑ヴ ェー ル四 二枚
︑ハ ンカ チ三
〇枚
︑紋 章入 りの 揃い の水 盤と 水差 し︑ 時祷 書︑ サン ゴの ビー ズの アク セ サ リ ー︑ 銀 の 柄 の ナ イ フ 二 本︑ 銀 の 留 め 具 付 の 帯
︑絹 の 帽 子 六 枚
︑針 箱 三 つ で あ る⒁
︒ こ の 大 量 の﹁ 嫁 資﹂ に 対 し て
︑マ ルコ はカ テ リ ー ナに 五 六
〇フ ィ オ リー ノ も か けて 衣 装 やア ク セ サリ ー な ど で返 礼 を した
⒂
︒こ の 返 礼 品に は
︑ ク ジャ クの 羽で 作っ た揃 いの ドレ スと 被り 物や
︑二 四枚 以上 の布 を合 わせ
︑刺 繍と 毛皮 で飾 り︑ 赤い 絹で 裏打 ちし た
― 117 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
ビ ロー ドの ドレ スが 含ま れて いた
︒ク ジャ クは ロー マ神 話に おけ る女 性の 結婚 生 活 を守 護す る女 神ユ ノの 聖鳥 であ り
︑そ れ ゆ え結 婚 を 象徴 し た⒃
︒ 視 覚的 に も ク ジ ャク の羽 は華 やか で輝 くば かり に美 しく
︑そ れを 何百 本も 合わ せて 作る 技巧 を 凝 らし た頭 飾り は︑ 都市 の富 裕層 の間 でか なり の需 要が あっ たら しく
︑祝 祭の 様 子 を描 いた カッ ソー ネ画 にも しば しば 登場 する
︒例 えば
︑長 らく 婚礼 の場 面を 描 い たも のと 考え られ てい た﹁ アデ ィマ ーリ 家の カッ ソー ネ﹂ とし て知 られ る︑ 弟 ロ
・ス ケッ ジャ
Lo Scheggia
︵本 名
Giovanni
ジ ョヴ ァ ン ニ・ ディ
・セ ル
・ジ ョ ヴ ァ ンニ
Giovanni di Ser G iovanni, 1406-86
︶ によ る祝 祭の 場面 を描 いた カッ ソ ー ネ 画
︵図 2︶ には
︑男 性に エス コー トさ れ歩 く︑ 頭に 大き なク ジャ クの ギル ラン ダ
girlanda
︵花 冠
︶を 載 せた 女 性 が描 か れ て いる
︒ま た
︑マ ル コは 結 婚 式の 四 か 月 ほ ど 前 の 一 四 四 七 年 九 月 二 日 に
︑今 日 で は ド メ ニ コ
・ヴ ェ ネ ツ ィ ア ー ノ
Do-
menico Veneziano
と し て 知 ら れ る マ エ ス ト ロ・ ド メ ニ コ
・ダ
・ヴ ィ ネ ー ジ ャ
Maestro D omenico da V inegia
︵一 四 一
〇
│一 四 六 一
︶に
︑五
〇 フ ィ オ リ ー ノ で
︑ カ ッソ ーネ のペ アを 注文 した
⒄
︒残 念な が ら ド メニ コ
・ヴ ェ ネツ ィ ア ーノ は 式 当 日 まで に作 品を 仕上 げる こと が出 来ず
︑カ テリ ーナ の嫁 入り 道具 は︑ 豪華 さに 劣 る 他の 入れ 物で 夫の 家へ 運ば なけ れば なら なか った
︒こ の邸 宅も 新妻 と暮 らす た め にマ ルコ が新 しく 建て たも ので
︑室 内に は︑ 紋章 入り のク ルミ 材の レト ゥッ チ ョ や︑ 寝台 とそ の周 囲に 置く 長持
︑そ して 将来 子供 が生 まれ るこ とを 見越 し︑ 別
図2 ロ・スケッジャ、《祝祭の踊り》、フィレンツェ、1450頃。アッカデミア美術館、
フィレンツェ。
出典:Musacchio, 2008, p.36.
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 118 ―
の 寝台 を購 入し た︒ また
︑聖 母の 浮き 彫り 細 工 や︑ 炉の 薪載 せ台
︑呼 び鈴
︑か んぬ きと い っ た実 用品 もそ ろえ た⒅
︒ 一五 世紀 後半 にな ると
︑婚 礼は ます ます 華 美 にな って いっ た︒ その 最た る例 は︑ 名門 ト ル ナブ オー ニ家 の御 曹司 ロレ ンツ ォ・ トル ナ ブ オ ー ニ
Lorenzo T ornabuoni
︵ 一 四 六 五│ 一 四 九七
︶と ジョ ヴァ ンナ
・デ リ・ アル ビッ ツ ィ
Giovanna degli A lbizzi
︵ 一四 六 八│ 一 四 八 八
︶の 結婚 式で ある
︒一 四八 六年 に結 婚し た 若 い二 人の 式典 は三 日間 に及 び︑ 婚礼 行列 に は 多く の着 飾っ た若 者が 従っ た︒ トル ナブ オ ー ニ宮 での 結婚 の祝 宴は フィ レン ツェ 滞在 中 の スペ イン 大使 を特 別ゲ スト とし て︑ 有り 余 る 料理 と飲 み物 が振 舞わ れた
︒こ の祝 宴に 続 い て︑ 聖堂 前の 広場 で若 者た ちを 中心 とす る 祝 宴が 開か れ︑ 近所 の人 々も 招か れて
︑平 和 を 享 受 し て 多 く の 市 民 が 祭 り 気 分 を 味 わ っ
図3 ピアージョ・ダントニオ、《トロイの木馬》、フィレンツェ、1490-1495年。フィ ッツウィリアム博物館、ケンブリッジ。
出典:美術館HP,〈http : //webapps.fitzmuseum.cam.ac.uk/explorer/index.php?qu=cassone&
oid=134〉(2016/12/18)
図4 ピアージョ・ダントニオ、《ヘクトールの死》、フィレンツェ、1490-1495年。フ ィッツウィリアム博物館、ケンブリッジ。
出典:美術館HP,〈http : //webapps.fitzmuseum.cam.ac.uk/explorer/index.php?qu=cassone&
oid=132〉(2016/12/18)
― 119 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
た⒆
︒最 終日 の九 月五 日に は︑ 花嫁 の父 マー ゾ・ デリ
・ア ルビ ッツ ィ主 催で 馬 上 槍 試合 が 行 われ
︑勝 者 に 栄誉 が 与 え ら れた
︒ま た夕 方に は松 明の 下で 模擬 戦が 行わ れた
⒇
︒ 二人 の結 婚を 記念 する 品と して は︑ 美し い写 本が 残り
︑両 家の 紋章 が入 っ た 金 の小 箱 も 伝え ら れ てい
る
︒カ ッ ソ ー ネも 一部 残っ てお り︑ 正面 パネ ルが ペア で フ ィッ ツ ウ ィリ ア ム 美 術館
︵ケ ン ブ リッ ジ
︶に 所 蔵さ れ て い る︵ 図3
︑ 4
︶︒ ま た︑ 一般 にヴ ィッ ラ・ レン ミの 壁画 とし て知 られ る
︑ル ー ヴル 美 術 館所 蔵 の ボ ッテ ィ チ ェッ リ に よる フ レ ス コ 画は
︑元 はト ルナ ブオ ーニ 家が 所有 して いた ヴィ ッラ にあ った もの であ るこ とか ら︑ トル ナブ オー ニ家 の成 員が 結 婚 した 際に 制作 され たと 考え られ てい る
︒ この フレ スコ 画は 連作 であ り︑ 一方 に は 学 芸を 表 す 女性 た ち の前 に 立 つ 一 人の 青年 が︑ もう 一方 には 三美 神に 付き 添わ れた ヴィ ーナ スか ら花 を手 渡さ れる 女性 が描 かれ てい る︒ この 男女 が ロ レン ツォ とジ ョヴ ァン ナで ある とは 断定 でき ない が︑ おそ らく 若い 夫婦 であ り︑ 夫を 知の 世界 へ︑ 妻を 愛の 世界 へ と 誘う もの だと いう こと がで きる
︒知 と愛 こそ が真 の人 間性 と夫 婦の 調和
︑そ して 家の 繫栄 をも たら すこ とを この 壁 画 は若 い夫 婦に 伝え てい る
︒ 古今 東西 を問 わず 婚礼 と美 術は 深く 結び つい てい るが
︑フ ィレ ンツ ェの 場合
︑実 際に 作ら れた 数と 比べ たら ほん の 一 握り であ るも のの
︑実 に様 々な 祝婚 品や 婚礼 家具 が残 って おり
︑し かも それ らの 多く が実 用的 であ るだ けで なく 美 術 的に も優 れて いる 点で 異彩 を放 って いる
︒な かで もカ ッソ ーネ は高 価な 財産 であ り︑ 寝室 で大 切に 保管 され
︑夫 婦 生 活が 終わ りを 迎え ると
︑子 や孫 へと 受け 継が れる こと もあ った こと から
︑最 も重 要な 家具 だっ たと いえ る︒
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 120 ―
第二 章 カッ ソ ー ネ 二
│一
︑カ ッソ ーネ とは 本来
︑婚 礼と 関連 のあ るチ ェス トは
︑二 つの メイ ン・ イベ ント を記 念す るた めに 二種 類存 在し た︒ 一つ は︑ 婚約 が 締 結さ れた とき に︑ 新郎 側が 未来 の花 嫁に 贈る
︑帯 や宝 石や 裁縫 道具 など
︑家 で使 う道 具や 小さ な土 産を 入れ たフ ォ ル ツェ リー ノ
forzerino
︵ 棺型 小箱
︶と いう 装飾 的 な 小箱 で あ る︵ 図5
︶︒ そ の 後︑ 結婚 式 の 当日 に
︑花 嫁 が実 家 か ら 新 郎 の 家 へ 移 る 際 に
︑カ ッ ソ ー ネ あ る い は フ ォ ル ツ ィ エ ー レ
forziere
︵ 貴 重 品 箱︶ と 呼 ば れ た 長 持 が 新 居 へ 運 ば れ た︒
﹁ 貴 重 品 箱
﹂と いう 名称 の通 り︑ この 特別 な長 持に は︑ 花嫁 の家 族が 用意 し た 高価 な衣 装︑ 宝石
︑髪 飾り
︑そ して 新婚 生活 で必 要な 細々 した 品 物 が 入 っ て い た︒ 大 き い 方 の 長 持 は 嫁 資 の 一 部 と し て の 価 値 が あ り
︑す でに 一三 五六 年の 奢侈 条例 で﹁ 結婚 する 女性 が夫 のも とへ 行 く とき に持 参す るも の
﹂と し て 引用 さ れ てい
た
︒こ の 記述 は こ の 二 種類 の長 持が
︑上 層市 民の 婚礼 の過 程で 一般 的に 用い られ てい た こ とを 示唆 する
︒そ の価 格は どれ くら いだ った のか とい うと
︑例 え ば 一六 六組 のカ ッソ ーネ の売 り上 げ記 録が 残っ てい るア ポッ ロー ニ オ
・デ ィ
・ジ ョ ヴ ァ ン ニ
Apollonio di G iovanni
︵ 一 四 一 六 頃│ 一 四
図5 作者不詳、フォルツェリー ノ(貴 重 品 箱)、
フィレンツェ、1400年頃。ヴィクトリア・ア ンド・アルバート博物館、ロンドン。
出典:博物館HP,〈http : //collections.vam.ac.uk/item/
O101060/onesta-e-bella-coffret-unknown/〉
(2016/12/18)
― 121 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
六 五︶ の工 房に おい て︑ 新品 のペ アは 最高 額一 一九 フィ オ リー ノ か ら最 低 額 一五 フ ィ オ リー ノ と 価格 の 幅 は 広い が
︑ 平 均三 四フ ィオ リー ノも した
︒こ れは 非熟 練工 の年 収と 同額 であ り
︑ 庶民 には 手が 届か な いも の だ っ た︒ しか し
︑ 確 かに カッ ソー ネは 高 価 だが 希 少 品 とい う わ けで は な く︑ すで に 一 四 世紀 の 半 ばに は
︑ボ ッ カッ チ ョ
Giovanni Boc-
caccio
︵一 三 一三
│一 三 七 五︶ の﹃ デカ メ ロ ン﹄
Decameron
︵一 三 五〇 年 代︶ の よう な 大 衆 に好 ま れ た 文 学 作 品 の 中 で 描写 され る程 度に は
︑あ り ふ れた も の だっ
た
︒﹃ デ カメ ロ ン
﹄の 二 つの 話 の 中で そ れ ぞれ 長 持 を 表す ア ル カ
arca
︵櫃
︶︑ カッ
サ
cassa
︵箱
︶と いう 単語 は︑ 特に 結婚 に関 連し た長 持を 意 味す る わ け では な い が︑ もし カ ッ ソー ネ が 女 性 との 関連 を示 すな ら︑ 嫁入 り道 具と 考え るの が最 も合 理的 であ る︒ 長持 と結 婚は フィ レン ツェ の生 活の まさ に一 部 で あ っ たた め
︑ボ ッ カッ チ ョ の 読者 は 婚 礼用 長 持 を思 い 浮 か べ︑ それ に よ って こ の 不貞 な 物 語 のユ ー モ ア が 強 ま っ た
︒﹃ 家 族 論﹄ にも
︑カ ッ ソ ーネ が 夫 婦 にと っ て 重要 な 家 具で あ っ た こと を 示 す訓 話 が ある
︒登 場 人 物 のジ ャ ン ノ ッ ツォ は︑ 結婚 した ばか りの 若い 妻に 新妻 教育 する が︑ それ はカ ッソ ーネ を 前 に して 行 わ れる
︒男 性 が 外で 仕 事 に 専 念す る一 方で
︑女 性は 家の 管理 に専 念し た︒ 家庭 内の 隅々 にま で目 を光 らせ
︑物 の収 納場 所を 把握 し︑ 日用 品の 調 達 と整 理を し︑ 家族 が最 も快 適に 過ご せる 状態 を維 持す るこ とが 女性 の妻 とし ての 義務 だっ た︒ 正し く無 駄の ない 家 の 財産 の管 理を 理解 させ るた めに カッ ソー ネを 用い るこ の話 から
︑カ ッソ ーネ は女 性の 所有 物で あり
︑女 性が 日常 で 使 う 収 納箱 と し て一 般 的 に 認識 さ れ てお り
︑な お かつ
︑妻 の 家 政 の義 務 を 象徴 す る もの で あ っ たこ と と が う か が え る
︒ カッ ソー ネが 注文 され ると いう こと は︑ 縁談 がま とま り結 婚式 への 準備 が始 まっ たと いう サイ ンで あっ た︒ 婚約 が 済 むと
︑花 嫁の 家族 は持 参金 や嫁 入り 道具 の︑ 花婿 の家 族は
︑新 居の 建築 と持 参金 の返 礼の 準備 に取 りか かる
︒彼 ら が 用意 する もの の中 には
︑カ ッソ ーネ も含 まれ てい た︒ 婚約 交渉 が完 了し た証 のフ ォル ツェ リー ノは もっ ぱら 花婿 と
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 122 ―
な る男 性や その 家族 が購 入し たの に対 し︑ カッ ソー ネは
︑一 四世 紀後 半か ら一 五世 紀半 ばま では
︑花 嫁の 実家 が購 入 す るの が一 般的 だっ たよ うだ
︒し かし 一五 世紀 半ば にな ると
︑自 らの 花嫁 の為 に カ ッ ソー ネ を 購入 す る 花婿 た ち が 登 場 す る︒ その 明 ら か な 例 は
︑一 四 四 八 年 の マ ル コ・ パ レ ン テ ィ と︑ 一 四 七 二 年 の ロ レ ン ツ ォ
・モ レ ッ
リ
Lorenzo
Morelli
で ある
︒夫 とな る男 性は 寝室 に家 具を 揃え る責 任が あり
︑中 でも カッ ソー ネは 最も 高価 な 家具 で あ っ たこ と
︑ 一 五世 紀を 通じ て家 具や 調度 品が 質量 とも に増 加し たこ とを 考え ると
︑彼 らの 行動 は合 理的 であ る︒ ただ し︑ マル コ の 場合
︑花 嫁の 父親 が亡 く︑ 男兄 弟は 追放 され
︑残 され た家 族は 財産 没収 や徴 税に 苦し んで いた とい う特 殊な 事情 が あ った
︒潤 沢な 資産 があ るが 平民 階級 であ り︑ 由緒 ある 家系 との 確か な同 盟関 係を 切望 して いた マル コは
︑そ れが ま だ 珍し いこ とだ った とし ても
︑結 婚式 に必 要な もの は何 でも 気前 よく 調達 した のか もし れな い︒ 一方
︑一 四六
〇年 に パ オロ
・ニ ッコ リー ニ
Paolo N iccolini
が
︑娘 ジネ ブ ラ の嫁 入 り 道具 を
﹁︵ 花 婿 が︶ 長持 を 贈 って く れ ず︑ 私も 用 意 し な かっ たの で︑ 二つ のバ スケ ット の中 に入 れて
︵花 婿の 家へ
︶送 った
﹂と いう よう に︑ 花婿 側が 用意 する こと を期 待 し てい たよ うな 記録 もあ る
︒ とは いえ
︑花 婿側 が用 意す る習 慣は 普遍 的 で は なく
︑一 五 世 紀後 半 で も︑ 花嫁 の 実 家 が カッ ソー ネを 購入 した 例は 多く 存在 する
︒ カッ ソー ネが 最初 に使 用さ れる のは
︑花 嫁の 輿入 れに おい てで ある
︒立 会人 と公 証人 の前 での 握手 およ びア ネッ ラ メ ント
anellamento
︵指 輪贈 呈︶ の 後︑ 新婚 夫婦 は結 婚の 行 列 によ っ て 大勢 の 群 集 の前 に 顔 を見 せ た︒ 中 に嫁 入 り 道 具 を入 れた 豪華 なカ ッソ ーネ も︑ この 時荷 物運 搬人 によ って 運ば れた
︒当 時の 結婚 にお いて
︑婚 礼行 列は 地域 社会 全 体 に両 家の 権力 と財 力を アピ ール する こと を狙 うパ フォ ーマ ンス であ った ため
︑簡 素な 式典 に比 べ非 常に 壮麗 なも の で あ っ た︒ カッ ソ ー ネの 本 来 の 機能 は
︑奢 侈 禁止 令 に 従い 贅 沢 な 嫁入 り 道 具を 人 に 見せ な い よ うに す る こ と だ っ た が
︑豪 華に 着飾 った 花嫁 や従 者と とも に︑ カッ ソー ネも 大勢 の見 物人 たち の目 に晒 され るた め︑ その 装飾 やデ ザイ ン
― 123 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
は 公 的 儀礼 に ふ さわ し い も ので あ る べき と さ れた
︒こ の 行 列 は︑ 富と 権 力 を見 せ つ けな が ら
︑﹁ 捕 えた
﹂花 嫁 を 花 婿 の 家 へと エ ス コー ト す る 凱 旋 式 で あ っ た
︒ 実 際︑ カ ッ ソ ー ネ 画 に は
︑古 代 の 英 雄
︑あ る い は ペ ト ラ ル カ の﹃ 凱 旋
﹄
Trionfi
︵一 三五 二︶ にお ける 寓意 の凱 旋の 場面 が多 数存 在す る︒ 奢侈 と女 性を 見せ びら かす この 慣 行 をキ リ ス ト 教 的理 想に 反す るも のと して 批判 する 者も いた が︑ 行列 は大 衆に 婚姻 の成 立 を 強 く印 象 付 けた
︒行 列 が 終わ り 婚 家 に 到 着 した 後
︑カ ッ ソー ネ は 夫 婦の 寝 室 に配 置 さ れた
︒当 時 の 寝 室は 貴 重 品を 保 管 し書 斎 や 応 接間 と し て も 使 わ れ た
︑よ り開 放的 な空 間だ った ため
︑カ ッソ ーネ は訪 問客 に家 の贅 沢を 誇示 する 美術 品と して も機 能し た
︒ 二
│二
︑カ ッソ ーネ の主 題 カッ ソー ネの 形状 や装 飾は 一四 世紀 中盤 から 一五
〇〇 年頃 まで の約 一世 紀半 の間 に変 化し てい った が︑ 今日 最も 多 く 残っ てい るの は︑ 正面 パネ ル全 体に 一枚 絵が 描 か れた 石 棺 型の カ ッ ソ ーネ で あ り︵ 図1
︶︑ 一 五世 紀 の 婚礼 用 長 持 と して 最も 一般 的な タイ プだ った と考 えら れる
︒こ の種 のカ ッソ ーネ にど の よ う な絵 が 描 かれ て い るの か は
︑財 産 目 録な どの 文書 では
﹁草 花や 動物 模様
﹂﹁ あ る小 話﹂ 程度 に し か言 及 さ れて お ら ず︑ 明 確に 主 題 に言 及 し てい る 例 は わ ずか 七つ しか ない
︒財 産目 録に は通 常品 物の 価値 にと って 重要 なこ とし か 詳 述 され ず
︑カ ッ ソー ネ の 絵の 内 容 に つ いて の言 及が ない とい うこ とは
︑人 々の 関心 が薄 かっ たと いう より は︑ どの よう な主 題で あれ 金銭 的価 値に は影 響 が なか った から だと 思わ れる
︒ 最も 多い 主題 の一 つは
︑古 代ギ リシ ア・ ロー マの 戦争 や凱 旋行 列な どを 描い たも ので ある
︒こ うい った テー マは 花 嫁 道具 を運 び︑ 保管 する ため に若 い花 嫁に 与え られ た品 には 不向 きに 見え るが
︑ル ネサ ンス のフ ィレ ンツ ェ人
︑少 な く とも 花嫁 へそ のカ ッソ ーネ を購 入し た男 性は
︑古 典古 代と いう 過去 を 非 常 に尊 敬 し︑ 魅 力に 感 じ てい
た
︒古 代 の
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 124 ―
テ キス トが 翻訳 され
︑写 本や 版画 によ って 普及 した 当時
︑古 代ロ ーマ は実 際非 常に 身近 な存 在で
︑そ の歴 史的 出来 事 は 重要 な模 範と して 役立 つと され た︒ 男性 的な 勇敢 さを 表し たカ ッソ ーネ 画で 強調 され てい たの は高 潔な ロー マ人 で あ り︑ 購入 者や 鑑賞 者に とっ ての 理想 的な 男性 像だ った
︒ さら に︑ 男性 の英 雄的 行為 を描 いた カッ ソ ーネ 画 の 中で も 最 も多 い
︑︽ サ ビ ニの 女 の 掠奪
︾は
︑男 性 だ けで な く 女 性 にも 模範 とな るモ デル を提 示し た︒ これ も複 数の 古代 の文 献で 語ら れて い る ロ ーマ 草 創 期の 伝 説 であ
る
︒現 存 す る この 主題 正面 パネ ル一 一点 のう ち︑ 五点 が略 奪 の後 の
︑戦 争 と和 解 の 場面 を 描 い てい る こ とか ら
︑一 五 世 紀に は
︑ サ ビニ を略 奪す る場 面と 同じ くら い︑ その 後戦 争へ 突入 した ロー マと サビ ニが 女性 たち の仲 裁に よっ て和 解し て︑ サ ビ ニ人 がロ ーマ 社会 へ同 化す るま での 物語 も重 視さ れた てい たと 考え られ る︒ この 主題 では
︑男 性的 な勇 敢さ とと も に
︑繁 栄︑ 多産
︑文 明の 発展 にお ける 女性 の役 割が 象徴 され てい る︒ 出産 の強 調は 特に
︑度 重な るペ スト の流 行に よ る 人口 問題 を抱 えて いた フィ レン ツェ にお いて 強い 反響 があ った
︒サ ビニ の 女 の 掠奪 は
︑古 代 の歴 史 家 によ っ て 都 市 の将 来を 確保 する ため に必 要な 行為 であ った と認 識さ れた が︑ 同様 に人 口増 加へ のプ レッ シャ ーを 抱え てい たフ ィ レ ンツ ェで もそ のよ うに 受け 取ら れ︑ 古代 ロー マ人 は略 奪と いう
﹁英 雄的 行為
﹂と
︑自 国の 未来 への 関心 の高 さゆ え 賞 賛さ れ︑ 一方 でサ ビニ の女 性は 夫と 都市 の必 要に 応じ て服 従し たこ とを 称え られ た︒ サビ ニの 女の 一連 の物 語は 家 庭 内美 術の 定番 の主 題で あっ たが
︑フ ィレ ンツ ェの 花嫁 はサ ビニ の女 性の よう に子 供を 生む こと を家 族か らも 都市 か ら も強 く期 待さ れて いた こと が︑ この 主題 の人 気か ら分 かる
︒サ ビニ の女 以外 にも
︑女 性が 主役 とし て登 場す るカ ッ ソ ーネ 画は
︑側 面パ ネル も合 わせ ると 合計 一〇
〇枚 以上 存在 す る
︒そ の ほと ん ど が︑ 美し く
︑信 心 深く
︑献 身 的 で 貞 淑な
︑模 範と すべ き女 性の 訓話 であ る
︒ 一方
︑側 面の パネ ルに は︑ 家の 紋章 や︑ 正面 パネ ルの 主題 に関 連す る物 語画
︑あ るい は登 場す るキ ャラ クタ ーが 描
― 125 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
か れ た が︑ 最 も 作 例 が 多 い の は︑ デ ス コ・ ダ・ パ ル ト
desco da
parto
︵ 出産 盆
︶ の 裏 面 にも し ば し ば描 か れ た 有 翼 の 童 子︑ プ ッ ト ー で あ る︵ 図6
︶︒ プ ッ ト ー の モ チ ー フ に 一 貫 し て い る の は
︑ 裸体 であ るこ とと
︑常 に男 児で ある とい う点 だ︒ 財産 を継 承し 家 名 を 残 す と い う 点 で
︑当 時 は 男 児 の 誕 生 が 望 ま れ た こ と に 照 ら し︑ 男児 の表 象は 単な る装 飾で はな く︑ 健や かな 男児 の出 産を 促 す呪 術力 がそ こに 込め ら れ て いた と 考 えら れ て いる
︒母 親 が 妊 娠中 に見 たも のが
︑子 供に 影響 を与 える とい う俗 信は
︑古 代の 文 献や 旧約 聖書 を典 拠と して ルネ サン ス期 には 教養 層に も深 く浸 透 し︑ 美し いも のを 見れ ば器 量の 良い 子が 生ま れ︑ 反対 に何 らか の 不 適切 なも のを 見れ ば醜 い子 が生 まれ ると 信じ られ てい た︒ 健や かで 美し い男 児を 生む ため には
︑ま さに その よう な 男 児の イメ ージ が最 もふ さわ しか った ので ある
︒ま た︑ 現存 作例 は少 ない が︑ 蓋裏 面に も絵 が描 かれ てい た︒ 蓋裏 の 絵 は︑ 大き く分 けて 三種 類存 在す るこ とが すで に先 行研 究で 言及 され て い る
︒ こ のう ち 三 つ目 の
︑横 た わる 等 身 大 の 裸体 画が おそ らく 最も 多く 残っ てい る︵ 図7
︶︒ 蓋 裏に 隠 さ れる よ う に描 か れ る こと で
︑婚 礼 行列 の 際 に大 衆 の 目 に 晒さ れた り︑ 寝室 に入 って きた 子供 たち の目 に入 った りす るこ とを 防い でい る︒ たと え表 面パ ネル の物 語画 が来 客 の 気を 引い たと して も︑ 長持 の内 側は カッ ソー ネの 持ち 主で 使用 者で ある 女性 しか 目に する こと がで きな い極 めて 私 的 な空 間で あっ たた め︑ この よう な直 接的 な表 現が 許容 され たと 考え られ る︒ つま りカ ッソ ーネ の内 部に 描か れた 官 能 的な イメ ージ は︑ 女性 の想 像力 を刺 激し
︑最 終的 に妊 娠を 促す ため のも のだ った ので ある
︒
図6 アポッローニオ・ディ・ジョヴァン ニ、《音楽を奏でるプットー》、フィ レンツェ、1450-1475年。ヴィクトリ ア・アンド・アルバート博物館、ロ ンドン。
出典:Musacchio, 2008, p.125.
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 126 ―
一五 世紀 後半 まで に︑ カッ ソー ネの 表面 パネ ルに 絵を 描く 習慣 は徐 々に 衰退 し始 めた
︒制 作や 利用 依然 とし て続 い て いた が︑ カッ ソー ネは
︑床 に置 かれ るた め見 にく く︑ 傷つ きや すい とい う欠 点が あっ た︒ その ため
︑一 五世 紀後 半 に なる と︑ 物語 画は カッ ソー ネよ りも 高い 位置 にあ るス パッ リエ ーラ に 描 かれ る よ うに な っ た
︒﹁ ス パ ッ リ エー ラ
﹂ と いう のは
︑ス パッ ラ︵ 肩︶ から 派生 した 言葉 で︑ 肩の 高さ
︑あ るい はそ れ以 上の 高さ の所 を飾 るも のと いう 意味 だ と され
︑椅 子や 寝台 の背 板や 部屋 の羽 目板
︑あ るい は臨 時に 椅子 の背 後を 飾 る 織 物や タ ペ スト リ ー を指 し た
︒背 板 や 羽目 板部 分に 絵画 をは め込 んだ スパ ッリ エー ラは
︑カ ッソ ーネ がも つ欠 点を 解消 し︑ さら に連 作が 多く
︑表 面積 自
図7 ロ・ス ケ ッ ジ ャ、カ ッ ソ ー ネ、フ ィ レ ン ツ ェ、
1450-75年。コペンハーゲン国立美術館、コペン
ハーゲン。
出典:美術館HP,〈http : //www.smk.dk/en/explore-the-art /search-smk/#/detail/KMS4785〉(2016/12/18)
図8 ビアージョ・ダントニオ、ザノビ・ディ
・ドメニコ、スパッリエーラ付カッソー ネ、フィレンツェ、1472年。コートール ド・ギャラリー、ロンドン。
出典:Musacchio, 2008, p.144.
― 127 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
体 も拡 大し たこ とで
︑よ り精 密な 物語 画を 描け るよ うに なっ た︒ カッ ソー ネや レト ゥッ チョ と一 緒に 注文 され るこ と も あっ たが
︑最 終的 にス パッ リエ ーラ 画は それ らの 家具 から 外さ れ独 立し た絵 画と なっ た︒ 現存 する スパ ッリ エー ラ 画 の中 で︑ セッ トで 購入 され たカ ッソ ーネ も完 全な 状態 で残 って いる のは
︑コ ート ール ド・ ギャ ラリ ー所 蔵の
︑一 四 七 二年 のモ レッ リ家 とネ ルリ 家の 結婚 に際 して 作 ら れた ペ ア がお そ ら く 唯一 の も ので あ る︵ 図8
︶︒ そ れ 以外 の 一 五 世 紀の スパ ッリ エー ラ画 につ いて は︑ カッ ソー ネに 付随 して 作ら れた のか
︑最 初か ら単 独の 作品 とし て作 られ たの か を 判断 する のは 困難 であ る︒ 結婚 祝い 品と して のカ ッソ ーネ が衰 退し て以 降も スパ ッリ エー ラ画 は制 作さ れ続 けて い る ので
︑後 者が 圧倒 的に 多い と思 われ る︒ しか し︑ たと え単 独で 作ら れた スパ ッリ エー ラ画 でも 主題 はカ ッソ ーネ 画 と 同 様 であ り
︑夫 婦 の寝 室 に 飾 られ て い たこ と か ら︑ こち ら も 祝 婚画 と し ての メ ッ セー ジ を 含 んで い た と 考 え ら れ る
︒か の有 名な ボッ ティ チェ ッリ の︽ プリ マヴ ェー ラ︾ も︑ 元来 はフ ィレ ンツ ェの パラ ッツ ォ︵ 旧メ ディ チ宮
︶の 新 婚 夫婦 の部 屋の レト ゥッ チョ に合 わせ て描 かれ たス パッ リエ ーラ 画だ った 可能 性が 高い
︒ 第三
章 カッ ソ ー ネの 発 展 とペ ス ト の影 響 三
│一
︑主 題に 込め られ た美 徳と 一五 世紀 の人 口危 機 カッ ソー ネ画 は通 常︑ 描か れた 物語 やキ ャラ クタ ーに 象徴 され る美 徳を 強調 して いる
︒例 えば 英雄 や戦 争と いっ た 主 題は
︑ス キピ オ・ アフ リカ ヌス の寛 容の 精神 や︑ ゴリ アテ を倒 した ダビ デの 勇敢 さ︑ マル クス
・ク ルテ ィウ スの 国 家 への 献身 など であ る︒ 一方 で︑ ルク レツ ィア やス ザン ナの 物語 は貞 節︑ パリ スの 審判 は美 しさ
︑サ ビニ の女 の掠 奪 は 子孫 の繁 栄つ まり 多産
︑﹃ デ カメ ロン
﹄に 登場 する グリ ゼ ル ダは 家 政 や夫 へ の 服 従を 象 徴 して い る が︑ これ ら は 当
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 128 ―
時 の理 想的 な女 性の 資質 であ る︒ 特に
︑子 孫の 繁栄 と家 系の 存続 のた めに 不可 欠で あっ た多 産と 貞節 は︑ フィ レン ツ ェ の上 流家 庭に おい て最 も重 要視 され た美 徳だ った
︒そ の証 拠に
︑数 多く の主 題が ある 中で も︑
︽ サビ ニの 女の 掠奪
︾ と ルク レツ ィア の伝 説は 比較 的多 く残 って いる
︒ど ちら も当 時特 に人 気が あっ た主 題だ った に違 いな いが
︑そ れは ロ ー マ人 の子 孫を 残す ため に服 従し たサ ビニ の女 と︑ 命と 引 き換 え に 貞操 を 守 った ル ク レ ツィ ア の よう に あ る こと を
︑ 当 時の 社会 が結 婚す る女 性に 対し て望 んで いた こと の表 れだ ろう
︒ま た︑ 多産 に関 係す るカ ッソ ーネ 画は
︑一 四三
〇 年 代以 降の フィ レン ツェ に集 中し てい る︒ これ は一 五世 紀前 半の フィ レン ツェ で︑ ペス トの 流行 によ る人 口危 機の 問 題 が深 刻化 して いた こと が関 係し てい る︒ ここ でフ ィレ ンツ ェの 市壁 内の 人口 動態 につ いて 再度 確認 する
︒商 業と 毛織 物産 業で 栄え たフ ィレ ンツ ェで は︑ 全 盛 期の 一三 三〇 年代 には 一二 万人 もの 人口 を誇 った が︑ 一三 四〇 年代 にな ると 経済 不況 や飢 饉に より
︑ペ スト に先 立 っ て繁 栄に 陰り が見 え始 めた
︒そ れで も流 行前 年の 一四 四七 年に は九 万二 千 人 も 存在 し た 市壁 内 人 口は
︑翌 年 の 最 初 のペ スト 流行 で約 六割 減少 し︑ 三万 七二 五〇 人に まで 激減 した
︒そ の後 ペ ス ト は一
〇 年 おき に 到 来し
︑一 回 の 流 行 で極 めて 破壊 的な 被害 を与 えた が︑ 一四
〇〇 年に 襲っ た六 回目 のペ スト はそ の最 たる もの だっ た︒ それ まで にフ ィ レ ンツ ェ政 府は 人口 回復 措置 とし て農 村か ら大 量の 農民 等を 招き
︑人 口を 六万 人に まで 回復 させ てい たの に︑ この ペ ス トに よっ て人 口の 二〇 パー セン ト︵ 一万 二千 人︶ が亡 くな り︑ 一四
〇一 年 に は 四万 八 千 人に ま で 落ち 込 ん だ
︒ こ の 一四 世紀 最後 のペ スト はピ ーク 時に 一日 で二
〇〇
〜二 五〇 人も の死 者を 出す ほど 大規 模な もの で︑ これ から 結婚 し て 子供 をも うけ るは ずの 若い 世代 が大 量に 失わ れた ため
︑そ れ以 降の ペス トの 多く はピ ーク 時で 一日 二〇
〜三
〇名 程 度 の
﹁小 規 模 ペ ス ト﹂ で あ っ た に も か か わ ら ず︑ 一 五 世 紀 半 ば ま で 尾 を 引 く 人 口 の マ イ ナ ス 要 因 と な っ て し ま っ た
︒
― 129 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
フィ レン ツェ 当局 は︑ 結婚 を奨 励し 人口 増加 を 推進 す べ く数 々 の 施策 を 実 施 して い る︒ 例 えば
︑一 四 二 五 年に は
︑ 将 来 娘 を結 婚 さ せる た め に 嫁資 を 準 備し な け れば な ら な い父 親 や 親族 の 負 担を 軽 減 す るた め に︑ 嫁 資基 金 を 設 立 し た
︒嫁 資を つく る必 要が ある 者は
︑一 定の 頭金 をこ の嫁 資基 金に 納め れば
︑七 年 半 あ るい は 一 五年 の 期 間が 満 了 し た 時に
︑頭 金と 高い 利息 が嫁 資と して 引き 出せ る仕 組み にな って い た
︒ま た︑ 同 じ頃 か ら︑ ソ ドミ ー の 本格 的 な 取 り 締ま りが 始ま った
︒す でに フィ レン ツェ では
︑一 三二 五年 の時 点で この 悪徳 に関 する 最初 の法 令が つく られ てい た が
︑過 酷な 刑罰 とは 裏腹 に︑ 実際 に有 罪宣 告を 受け た者 の数 は非 常に 少 な か った
︒と こ ろ が一 五 世 紀に 入 る と︑ 人 口 減少 への 危機 感か ら︑ ソド ミー は若 者の 晩婚 化や 結婚 忌避 を助 長し
︑家 庭生 活を 崩壊 させ る犯 罪と 考え られ るよ う に なり
︑政 府は より 日常 的で 効果 的な 取り 締ま りを めざ すよ うに なる
︒こ うし て一 四三 二年 にソ ドミ ーを 検挙 し取 り 締 まる
﹁夜 の役 人﹂
Ufficiali di Notte
が創 設さ れた
︒都 市の アン ダー グラ ウン ドに おい ては もう 一つ
︑売 春に 対す る 取 り締 まり 政策 が転 換さ れ︑ 一四
〇三 年に フィ レン ツェ 政府 は︑ 娼婦 を保 護し 統制 する ため の役 所を 設置 し︑ この 役 所 に登 録し た娼 婦を 公権 力の 保護 下に 置く こと によ って
︑彼 女た ちの 仕事 を 保 障 した
︒こ れ は 売春 を 奨 励す る こ と に よっ て男 性の 目を 少年 から 女性 に向 け︑ ひい ては 彼ら を結 婚へ と導 き︑ 次世 代の 人口 を増 やそ うと する 政策 が模 索 さ れて いた から であ る︒ さら に︑ 嫁資 の高 騰化 への 直接 的な 措置 とし て︑ 一四 三四 年に 女性 の出 費を 抑え るた めの 奢 侈 禁止 令を 制定 した
︒ 三
│二
︑出 産と 育児 の奨 励 政府 がと った 一連 の政 策は どれ も最 終的 に出 産の 機会 を増 やす こと につ なが るが
︑こ れは 女性 が担 う妊 娠と 出産 の サ イク ルが
︑ペ スト によ る荒 廃か ら回 復す る唯 一の 確実 な方 法だ った ため であ る︒ つま り当 時の 結婚 の第 一の 目的 は
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 130 ―
子 供を 増や すこ とだ った
︒特 に上 層市 民の 女性 の場 合︑ その 家系 を継 続さ せ︑ 遺産 を相 続で きる 男児 を生 むこ とが 期 待 され た︒ しか し子 供が 成人 期ま で生 存で きる 確率 は非 常に 低か った ため
︑結 婚生 活中 の女 性は 妊娠 と出 産の サイ ク ル を延 々繰 り返 し︑ もし 子供 を身 ごも れな かっ た場 合は
︑医 師が 推奨 する もの から まじ ない まで
︑あ らゆ る治 療を 試 み た︒ 中世 にお いて 男女 双方 にと って の愛 や結 婚の 贈り 物だ った 帯は
︑プ ラー ト大 聖堂 の﹁ 聖母 の聖 帯﹂ 崇拝 と結 び 付 き︑ 不妊 の治 療に も効 果が ある と信 じら れる よう にな った
︒例 えば 子ど もの いな いフ ラン チェ スコ
・ダ ティ ーニ の 妻 マル ゲリ ータ は︑ 親族 から この 種の 帯を 用い ての 治療 法を 教わ って い る
︒布 に 記さ れ た 祈り の 文 句は
︑唱 え ら れ る ため のも のと いう より も︑ 文字 その もの に呪 術的 効力 を認 める もの で︑ そこ には 肌と の接 触に よっ てそ の力 を授 か る とい う︑ 聖遺 物崇 拝に も似 た触 覚重 視の 考え があ る
︒ ちな みに
︑デ スコ と 同 じ く出 産 祝 い品 で
︑一 五 世紀 後 半 か ら 盛 ん に生 産 さ れ る よ う に な っ た マ ヨ リ カ 焼 の オ ン ガ レ ス カ
ongaresca
︵平 た い 器
︶の 底 面 に は︑ 時 に 妊 婦 の 名 前 や
︑﹁ マ スキ ョ﹂
maschio
︵ 男︶
︑﹁ ピ エー
ナ﹂
piena
︵懐 妊︶
︑ ある いは 妊婦 の名 前と い っ た文 字 が 刻ま れ て いる こ と が あ る
︒ この 場合 も︑ 文字 は意 味を 伝達 する 記号 では なく
︑妊 婦が 皿を 持 つ と いう
﹁接 触
﹂に よ って 伝 播 する 呪 術 力 を 担う もの であ った
︒医 学的 効力 が期 待で きる 不妊 治療 の例 とし ては
︑湯 治が ある
︒イ タリ アで は一 三世 紀頃 から 温 泉 に行 く習 慣が 復活 し︑ 一四
︑一 五世 紀の イタ リア 都市 民の 間で 一種 の 流 行 にな っ て いた
︒フ ラ ン コ・ サッ ケ ッ テ ィ
Franco Sacchetti
﹃三 百話
﹄
Trecentonovelle
︵ 一三 九九
/一 四
〇〇
︶に は
︑子 供 の 欲し い 夫 婦が
︑子 作 り の秘 法 を 医 師 から 伝授 して もら い︑ シエ ナ南 方の ペト リウ ォー ロと いう 温泉 に出 かけ る と い う話 が あ る
︒ ペト リ ウ ォー ロ の 温 泉 は︑ すで に一 三世 紀中 頃に は︑ シエ ナの 都市 政府 の監 督の 下︑ 温泉 客に 宿坊 を賃 貸す る制 度が 整っ てお り︑ 不妊 や 神 経痛
︑胃 腸障 害︑ 皮膚 病な どで 悩む 市民 たち が医 師の 勧め で湯 治に 出か ける こと も珍 しく なか った
︒さ らに
︑一 五 世 紀前 半の 医師 ジョ ヴァ ンニ
・ミ ケー レ・ サヴ ォナ ロー ラ
Giovanni Michele S avonarola
︵ 一三 八四
/八 五│ 一四 六八
︶
― 131 ― フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会
に よる
︑不 妊の 治療 法︑ 男女 の産 み分 け方 法︑ 自ら 考 案し た お 産椅 子 な どを 載 せ た﹃ 妊 婦と 七 歳 まで の 子 供 の養 生
﹄
De regimine pregnantium et novite r natorum usque ad septennium
︵一 四五
〇 頃
︶と い う︑ 妊産 婦 と 産婆 の た めの 手 引 書 も 存在 した
︒ また
︑た だ産 むだ けで なく
︑女 性は 子供 を愛 情持 って 育て るこ とが 望ま しい とさ れた
︒実 際一 五世 紀に なる と人 文 主 義者 によ って
︑伝 統的 に忌 避さ れて いた 母親 の授 乳が 奨励 され るよ うに なる
︒さ らに
︑フ ィレ ンツ ェで は一 四五
〇
│ 一五 二〇 年に かけ ての 覚書 や目 録に
︑木 やテ ラコ ッタ 製の 等身 大の 人形 が頻 繁に 現れ るよ うに なる
︒こ れは 主に 母 親 が娘 に贈 った もの で︑ 少女 は人 形を 本当 の子 供の よう に世 話を する こと で 母 性 を育 ん だ
︒ こ の人 形 は 嫁入 り 道 具 と して しば しば カッ ソー ネの 中に 含ま れる こと があ るこ とか ら︑ 結婚 式の 慣例 とし て花 嫁に 帯同 する 本物 の男 児︑ あ る いは デス コや カッ ソー ネに 描か れた 裸の 男児 と同 様の 役割
︑つ まり その 存在 によ って
︑将 来得 る子 供の 予示 とな っ て いる と考 えら れる 結 ︒
論 カッ
ソー ネの 発展 が都 市の 人口 動態 と関 係し てい たこ とは
︑絵 入り のカ ッソ ーネ が一 五〇
〇年 頃か ら急 速に 衰退 し て いき
︑一 六世 紀半 ばに はす でに 骨董 品と なっ てい たと いう 事実 が物 語っ てい る︒ 単に 流行 らな くな った とも 考え ら れ るが
︑カ ッソ ーネ だけ でな く︑ 出産 祝い 品の 数も 一六 世紀 の間 に著 しく 減少 する ので
︑人 々の 好み や流 行の 問題 だ け では ない だろ う︒ 出産 前後 に女 性に 贈っ たデ スコ は︑ 一三 七〇 年代 から 作ら れ始 め︑ カッ ソー ネよ りも 安価 で手 軽 な ため より 幅広 い階 層に 利用 され たが
︑一 六世 紀に はほ とん ど作 られ なく なる
︒同 様に 出産 祝い 品と して 一五 世紀 か
フィレンツェ・ルネサンスにおける上層市民の結婚と社会 ― 132 ―
ら 普及 し始 めた マヨ リカ 焼の 食器 は︑ 一六 世紀 以降 も制 作さ れ続 ける が︑ 出産 に関 係す る絵
︑例 えば お産 の間 の場 面 や
︑ス ワッ ドリ ング され た赤 ん坊 や︑ プッ トー など は一 七世 紀に は描 かれ なく なり
︑安 産や 多産 とい った メッ セー ジ 性 のな いた だの 装飾 的な 食器 にな る︒ フィ レン ツェ の人 口は
︑一 五世 紀の 間低 迷し たが
︑一 六世 紀後 半頃 から 緩や か に 増加 し始 める
︒人 口が よう やく 回復 の兆 しを 見せ たこ とで
︑人 々の 出産 に 対 す る意 識 が 薄れ
︑多 産 の メッ セ ー ジ を 持つ 品物 に頼 らな くな って いっ たこ とが
︑カ ッソ ーネ やデ スコ の衰 退を 招い たと 考え られ る︒ カ ッソ ー ネ やデ ス コ が発 展 し た 一五 世 紀 とい う 時 代 は︑ ペス ト 以 前の 活 気 を取 り 戻 し て再 び 繁 栄を 享 受 す る た め に
︑人 口増 加が 叫ば れ︑ 女性 は一 人で も多 くの 子を 産む こと を期 待さ れた 時代 だっ た︒ それ まで 女性 の閉 ざさ れた 領 域 だっ た出 産に
︑男 性も 深く 関心 を示 すよ うに なっ たこ とで
︑結 婚を 促す ため の制 作が 次々 に打 ち出 され
︑家 庭内 の 女 性の ため の品 物制 作が 立派 な商 売と して 成立 する よう にな った
︒ち ょう どパ ラッ ツォ 建築 とそ の中 を飾 るも のの 収 集 熱が 高ま って いた 時代 でも あっ たの で︑ 家事 と出 産に 明け 暮れ て過 ごし た女 性の ため の品 物が 発達 し︑ その 一つ で あ るカ ッソ ーネ は︑ 単な る長 持か ら︑ 夫や 社会 が期 待す る女 性の 美徳 を象 徴的 に表 した 高価 な芸 術品 へと 変化 した と 考 え ら れる
︒そ こ に 精巧 な 物 語 画が 描 か れた の は︑ ペ スト に よ っ て荒 廃 し た社 会 に 適応 す る た めの 精 神 的 助 け と な る
︑理 想的 な夫 婦の 振る 舞い のモ デル が必 要だ った から だ︒ 家庭 生活 の手 本と なる モデ ルを 提供 する と同 時に
︑子 供 を 産み 育て
︑家 政を 取り 仕切 り︑ 献身 的に 夫を 支え るこ とで
︑都 市の 復興 に貢 献し てほ しい とい う市 民の 切な る願 い を 象徴 した もの がカ ッソ ーネ だっ たの であ る︒ 注
⑴
JacquelineM.Musacchio,Art,MarriageandFamilyintheFlorentineRenaissancePalace,NewHaven,2008,p.286.
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