みずもり
静 岡 ・水 守 遺 跡
1 所 在地 静 県岡 藤 枝市 水守 2 調査 期 間 一九 九 二年
7︵平
︶
〇一 月
︱二
〇〇
〇年 九 月 3 発 掘機 関 藤枝 市教 育委 員会 4 調査 当担 者 八木 勝行
︒鈴 木隆 夫
・磯 部武 男
︒池 将田 男
︒ 岩木 智絵 5 遺 跡 の種 類 官 衛関 連 お よび 集 落 跡 6 遺 跡 の年 代 五世 紀
︱ 一〇 世紀 7 遺 跡及 木び 簡 出土 遺構 の概 要 水守 遺跡 は藤 枝 市内
の東 部︑ 葉 梨 川と 瀬 戸川 よに
てつ 成形 さ たれ 沖積 微 高 地上 にあ る大 規模 な集 落 跡 で︑ 土 地区 画整 理 事 業 に伴 う 調査 を 一九 九 六 年 から 実施 し て いる 遺︒ 構 は︑ 五O O mほ 離ど たれ 二 地点
︵水守 I
・Ⅱ 遺跡
︶に ま 配
まと
てっ 分布 し て いる 遺︒ 静
跡 の南 側 には 益 頭 郡行 の所 在 地 と推 定 さ るれ 郡遺 跡 が
1999年出上 の木簡
隣接 す る︒ 水 守 I遺 跡 は古 墳 時代 及 奈び 良
︒平 安 時 代 の集 遺落 跡 で︑ 調査 地 の東 側 で古 墳 代時
の竪 穴式 住居
・掘 立 柱建 物
・河
・溝 など が検 出 さ れ︑ 河跡 から は︑ 祭 祀遺 物 と大 量 の土 師 な器 ど が出 土 し て るい ︒ 一 方
︑ 西側 の区 域 中を 心 に︑ 奈良 代時 後 半
︱平 安 代時 前半 の二 七棟 の 掘 立柱 物建 群 が︑ およ そ四
〇 m× 六
〇 mの 範 囲 にま と ま てっ 発見 さ れ て いる 全︒ 体的 土に 等器 の遺 物 は少 な いが 墨︑ 書土 器 令益 少領
﹂ を含 む︶
・石 帯 な がど 出 土 し て いる
︒ 水 守 H遺 跡 は奈 良
︱平 安時 代 の官 衛 関連 の集 落 跡 で︑ 五〇 基 の井 戸遺 構 掘︑ 立 柱建 物 群 に伴 う遺 構 や︑ 区画 す る溝 状遺 構 検が 出 され て いる 特︒ 遺に 跡 の中 心 部と みら れ る 一画 では 溝︑ で区 画 さ れた お よそ 六
〇 m× 七
〇 mの 範 囲 に︑ 方向 性 と規 格 性 をも
たっ 掘立 柱建 物 群
︵倉 庫群 か? し が集 中 し︑ 柱 穴 の重 複 の状 況 から 平安 時 代 中 期 を 中心 に数 回 の建 て替 え 認が めら れ る︒ 土器 類︑ 礎板
・柱 根 祭︑ 祀遺 物 な ど のほ か︑ 墨 書 土 器 銅︒ 製帯 金 具
︵巡 方▼ 円 面 硯
・板 絵 馬 な ど 出が 土 し て いる 奈︒ 良 代時 を 中心 とし た郡 遺 跡 より も年 代 は やや 下が るが 益︑ 頭郡 衛跡 と関 連す る遺 構 群 と考 え ら れ︑ 注 目さ れ る遺 跡 であ る︒ 簡木 水は 守 I遺 跡 から 三点 出が 土 し て いる 木︒ 簡 ω② は溝 状 なに たっ 奈 良 時 代末 期 の低 地 か ら︑ 木 簡 0 掘は 立 柱 建 物
︵S B 一五
︶ の 柱穴
の埋 土 から 出土 し た︒ こ のS B 一五 は︑ 約 四 m× 五 m︑ 二間
×
四 間 の建 物 あで る︒ 8 木 簡 の釈 文
︒内 容 奈良 時代 自然 堆積 層
︹能 学什 一カ
︺
ω 自 今 日 口
□
□ 口 日 日 日
日 日 回 □
□ 奉 移 之
︵
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掘立 柱建 物S B 一五 柱穴
⑤ 日 H H H H H 日 日 日
□
□
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﹂
︵醤 y e W 釦 Φ毬 側は 二次 的 四に 片 切に り折 り され た文 書 風 の木 簡 であ るが 墨︑ 痕 は明 瞭 でな く 文︑ 意 はと らえ ら なれ い︒
②は 上 部 切に り込 みを 持 つ小 型 の付 札 で完 形 だ が︑ 物品 名 は読 み と れな い︒
① は下 端を 尖 らせ た串 状 の木 簡 で︑ 表 面 に 一二 字 分 ほど の墨 痕 が 認 めら れ る︒ 建物 柱 穴底 から 検 出 さ れ てお り︑ 呪 符
︵地鎮
︶と も み られ るが 内︑ 容 不は 明 であ る︒ 9 係関 文献 藤枝 市教 育 委 員会
﹃藤 枝 市文 化 財年 報
﹄ 平成 八年 度
︒九 年度
・一 年〇 度 盆 九九 八年
︒一 九九 九年
︒二
〇〇
〇年
︶
︵八木 勝行
・岩 智木 絵︶