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裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』 : 「西洋種 」・探偵・裁判劇

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裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』 : 「西洋種

」・探偵・裁判劇

その他のタイトル Otojiro Kawakami and his Court‑Scenes

著者 若林 雅哉

雑誌名 関西大学哲学

巻 25

ページ 63‑87

発行年 2005‑10‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/11931

(2)

裁判劇の系譜と川上音二郎﹃又意外﹄

「西洋種」・探偵•裁判劇

本論は︑川上音二郎が明治期に制作した翻案劇︵西洋演劇の翻案︑新聞小説の翻案など︶をとりあげ︑それらが

当時の受容環境との間に如何なる相互交流をもっていたのか︑そのダイナミズムを考察するものである︒本論にお

いては︑新聞紙上に見られる論評や興行上の成功︑もう少し詳しくいえば受容環境との適応を強調するが︑それは

決して︵一方通行の︶反映論を目指すものではない︒そうではなく︑観客に受けいれられた制作が重ねられること

で観客のあたらしい関心が導かれ︑そうしてととのえられた新しい受容環境が︑次なる世代の制作を左右していく

という相互関係・ダイナミズムを明らかにしようと企てるのである︒本論に限らず翻案を主題として目指されるこ

の点を明らかにするために︑主題に入る前に︑まず︑翻案にたいするわたしの立場を簡単に述べておきたい︒

翻案とは︑何らかの作品を︑新しい状況︵受容環境や制作環境など︶に相応しいように適応をはかる行為︑ある

いはその制作である︒しかし︑これはしばしば二通りに貶められている︒まず︑われわれが前提する有機的身体と

しての作品概念がある︒アリストテレス﹃詩学﹄の説く﹁全体﹂に淵源を持ち︑近代において強化されたこの作品 概念によるときには、必要不可欠な要素に加えられた適応行為は、冗長な付加•修飾ということになる。そしても

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』—ー l 「西洋種」・探偵•裁判劇

' .

/¥   

(3)

明治二十四年二月五日︑堺・卯の日座での﹃板垣君遭難実記﹄および﹃経国美談﹄により旗揚げした川上音二郎

一座は︑つづいて六月二十日には︑東京・中村座でこの﹃遭難実記﹂を興行している︒しかしその興行は︑乱闘シー 探偵劇から裁判劇ヘ ●受容環境への適応としての 裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』—·~「西洋種」・探偵•裁判劇

﹃ 意

外 ﹄

う一っ︑後の時代を収束点とする目的論的な整理による︑不十分な過渡的段階としての評価である︒たとえば川上

音二郎の西洋演劇翻案にしても︑後の時代の新劇︵西洋演劇の翻訳劇︶から見るときには︑不十分な前哨というこ

とになる︒ほとんどの翻案はわずかの間しか適応を保てず︑環境の変化とともに忘れ去られていく︑そしてそうあ

るべきことは否定できない︒しかし︑刹那的であれ︑そのつど環境との交流において達成された適応のありようを

閑却してもよいというわけにはならない︒なお翻案が長い命を保つとすれば︑それは翻案としての性質を忘却され

て作品へと正典化・列聖される時である︵エウリピデス﹃ヒッポリュトス﹄の翻案であった︑ラシーヌ﹃フェード

ル﹄のように︶︒そのような処遇を受けない場合︑翻案は︑︵のちの時代から見て︶不十分であったというよりも︑

次世代の環境形成のための適応を終えた︵あるいは失敗した︶というべきであろう︒本論に即していえば︑川上の

﹃又意外﹄は︑裁判劇への興味という次世代の受容環境を形成し︑そのための制作に大きく影響した︒そして裁判

劇への関心という受容環境が過去のものとなったとき︑﹃又意外﹄は受容環境とのダイナミックな関係を失うという

ことなのである︒本論では︑﹃又意外﹄において成立する裁判劇の系譜を辿りながら︑川上の新演劇が次の時代を確

実に用意していく様を考察する︒

六四

(4)

ンやルポルタージュ性によって成功を博したものの︑いまだ演劇的には見るところは少ない︒明治二十五年五月十

日に︑熊本神風連の乱を題材にとった﹃ダンナハイケナイワタシハテキズ﹄を上演しているが︑岡本綺堂﹃明治劇

談ランプの下にて﹄も︑台本面でも演技面でも﹁全くイケナイ﹂ものだと酷評していた

( 1

) 0

さて明治二十六年︑神戸港より渡仏した川上は︑四ヶ月あまりの後に帰国し︑翌二十七年一月︑問題の﹃意外﹄

︵岩崎舜花作︶を上演する

( 2

︒この﹃意外﹄については︑川上が壮士芝居を脱皮し演劇的な実質を得た喘矢であっ )

たと︑先行研究

( 3

によっても評価されてはいる︒しかしながら︑粗筋以上の舞台内容についての記述はほとんど見 )

られない︒これまでの﹃意外﹄についての言及は︑総合日本戯曲事典︵平凡社︑昭和三十九年︶の﹁又意外﹂の項

︵秋庭太郎執筆︶が触れる次の記述にほぼ尽きている︒﹁フランスの演劇視察から帰った川上音二郎は藤澤浅二郎・

高田実らと共に明治二七年正月浅草座で︑当時世間を騒がせたにせ判事の殺人強盗事件を劇化した探偵劇﹁意外﹂

を上演したが︑洋行帰りの新知識を応用して暗転で道具を変えたり︑客席を暗くし照明器を用いて舞台を明る<す

るなどの画期的な試みが成功し︑三枚続きの錦絵まで売り出されるほどの評判をとった﹂

( p p . 5 2 3

4

) ︒以上は︑おそ

らくは萬朝報・明治二十七年一月二十四日の記事によっていると思われる

( 4

) 0

﹁探偵劇﹁意外﹂﹂という記述に留意

しつつ︑ここではまず︑他の新聞記事を参照しつつ若干の再構成を試みたい︒少ない資料がかろうじて伝えてくれ

るその情報は︑少ないがゆえにかえって︑なぜ﹃意外﹄が成功したのかを︑その受容層の典味への﹃意外﹄の適応

を 浮 き 彫 り に し て く れ る だ ろ う

まず時事新報・明治二十七年一月二日が︑いちはやく﹁京浜一月狂言対照便覧﹂として場割と役割を伝えた︵﹁楠

木正成﹂と絢交ぜに列挙されている︶︒﹁場割篠田銀行頭取宅の場︑新橋尾花屋の場︑市ヶ谷監獄官邸の場︑同裏

手越獄の場︑杉浦豫審判事宅の場︑大坂中ノ嶋公園の場︑北区警察門前の場︑鈴村道斎閑居の場︑同奥座敷訣別の

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ー「西洋種」・探偵•裁判劇

六 五

(5)

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ーー_「西洋種」・探偵•裁判劇 場︑大詰小樽中教院説教の場︑中幕湊川在家の場︑桜井駅訣別の場︒役割鈴村市太郎︑豫審判事杉浦倉三︑僧

杉村形雲共に実は鈴村市太郎︑楠木正成︵川上音二郎︶︑藝妓梅次︑囚徒甲山櫂三︑楠木正季︵藤澤浅二郎︶︑篠田

三左衛門︑囚徒乙川仙太︑検事山本厳正︑菊池武朝︵岩尾慶三郎︶︑探偵隼三五郎︑車夫三五郎実は隼︵小織桂一郎︶︑

鈴村道斎︑囚徒丙田勘五郎︑医師矢田泰節︵水野好美︶︑警部遠藤守武︑脇屋義助︵高田実︶︑巡査市川谷蔵︑書生

寺本半一︑婆々□口□︵佐藤幾之助︶︑俳優嵐角三郎︑牛乳配夫久吉︑橋本正員︵伊井蓉峰︶︑鈴村妻浅子︵岩崎信

夫︶﹂︒一月十六日には︑都新聞に﹁川上演劇意外評﹂がでる

( 5 ) o

これは各俳優ごとの演技の様と見せ場を簡潔に︑

また気が利いたつもりか﹁意外﹂々々と傍点付きで列挙するものである︵俳優名は括弧付きで表示される︒﹁楠木正

成﹂での役柄と併記・比較する書き方も時事新報と同様︶︒しかし︑俳優への典味が中心ではありながらも︑各場の

具体的なありようを伝えていて興味深い︒まずは興行の大人気と新機軸が列挙されている︒﹁何にしても開場初日よ

り日々爪も立たぬ大入りにて売切れの好況は興行主も一座員も実に意外ならんが是此の一座の妓藝優れたるにあら

ず川上に人気あるが故なり︒今度の狂言一番目﹁意外﹂は一座の脚色に掛るものにて意外に新しき事を見するより

も意外の評判にて意外に面白し︒電話を使って見せ中幕湊川の戦ひに刀と刀で火を出して見せ殺しの場で見物の方

を闇にし舞台に電気の月明り用ふる慮など人々の意外に感ずる虞ならん﹂︒これによれば︑従来の川上一座に比べて

格段の進歩を見たというわけではなく︑大入りはなによりも西洋帰りの川上人気に負っていた︒しかしながら︑西

洋由来か新機軸もみられ︵電気の月明かり︑電話︑又後述のピストルなどの使用︑また探偵に足形をとらせるといっ

た推理小説・探偵小説風の演出など︶観客を感心させたというところであろう︒俳優の演技に関しては︑たとえば

わ ざ

﹁︵小織︶の探偵︑検視の場で態と半紙を落として見込んだ豫審判事に踏ませ足跡を比べるなどは意外に細かく本職

も銑足ならん︒︵藤澤︶の藝妓梅次︑何処までも薄情女で居り強請の場など意外のお手際︒正季兄正成の所存を聞く

・ . .   , .  

/¥  . , . . , ̲ ̲ .  

/¥ 

(6)

し つ か

慮など確りとして是が藝妓梅治︵ママ︶をした役者かと見物は意外に思ふ程なり︒︵川上︶の鈴村房太郎︵ママ︶銀

行頭取より金を奪い取り是は玩弄のピストルぢや貴様に遣る︒未だ真実のが懐に五挺も六挺もあるなど滅法によし︒

豫審判事殺しの場も検視の場も凄いものなり﹂といった記述があり︑科白の一端までが示されている︒ここでは︑

探偵の活躍に言及していることに注意しておきたい︒また読売新聞・一月十七日の︑芋兵衛署名﹁初芝居巡覧評判

︵ 其

五 ︶

﹂ ︵

6 ︶は︑極めて簡単ながら粗筋を挙げていて興味深い︒つまり﹁妥に鈴村と呼べる若き銀行手代あり︒強盗

に均しき不埒を働き懲役になり︑脱獄し大坂に走り法官に化け人を殺し出家に変じ北海道へ遁げ説教場にて捕はる﹂

という︒これ以降の記述は都新聞同様に俳優ごとの演技を列挙していくものである︒両紙を参照しながら舞台の進

行を再構成するとき︑次のように想像できるだろう︒

I 鈴村という若い銀行員︵川上︶が︑篠田銀行頭取︵岩尾︶を玩具のピストルを使って強盗同然に金を奪う︒

ここでは︑玩具のピストルを渡しておいて本物のピストルの存在を匂わせるという︑まさしく芝居じみた"ハッ

タリが用いられている︵篠田銀行頭取宅の場︶︒つづいて藝妓梅次︵藤澤︶とその間夫・俳優嵐角三郎︵伊井︶の逢 瀬が描かれる。主人公•鈴村とのからみは不明だが、嵐が戸棚隠れとの記述が読売にあるため、大金を手にした鈴

村が現場に踏み込んで来たかもしれない︵新橋尾花屋の場︶︒やがて事が顕れて鈴村は懲役につくことになる︒ここ

で︑その囚人仲間たちの茶番があり︵読売﹁囚徒仙太で水野の脇茶番もお慰みながら妥皆々のくすくすは止して欲

し﹂︶観客の微笑を誘ったようだ︵市ヶ谷監獄官邸の場︶︒やがて鈴村は濡縄を用いて脱獄を果たす︵同裏手越獄の

場︶︒鈴村はこの後︑杉浦というニセ判事に身を婁す︒﹁豫審判事殺しの場﹂という記述が都新聞にみられることか

ら︑ここで真実の判事を殺害しなりすますということだろうか︒しかし︑殺されるべき豫審判事を演じた俳優は役

割に見られない︵杉浦豫審判事宅の場︶︒ともあれ鈴村変じて杉浦ニセ判事は大坂へ逃げることになる︒ここにおい

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』—ー'「西洋種」・探偵•裁判劇

六 七

(7)

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ー|_「西洋種」・探偵•裁判劇

て︑今やすっかり落ちぶれた梅次と再会することになる︒この場の梅次は︑読売の記事によれば﹁色気なしに思ひ

ぉちぶれすがた 切った零落姿で杉浦のゆすりもよけれど︑殊に中の島の場では土間桟敷の電燈を残らず消して真の闇とし只だ舞台

ぼんやり をのみ朦朧と月明かりにしたる橋の袂で杉浦に殺される﹂という︒零落した梅次は︑正体を知る杉浦

I I 鈴村を強請

るが︑かえって殺されてしまうわけである︒ここでの﹁一場の真暗闇﹂が︑各紙に特筆された電気の効果である︵大

坂中ノ嶋公園の場︶︒この後の三場︵北区警察門前の場︑鈴村道斎閑居の場︑同奥座敷訣別の場︶については︑新聞

記事からは不明である︒おそらくは梅次殺しを経た北区警察門前の場に︑そうでなければ遡って豫審判事宅の場に︑

両紙ともに特筆する医師︵水野︶が傷口を詳細にあらためるシーン︵読売﹁検視場の医者傷口の調べ厘毛強弱の細

かさ﹂︶︑また杉浦に疑いを抱いた探偵︵小織︶が半紙を落として杉浦の足形をとるシーン︵読売﹁小織の探偵三五

郎︑杉浦に目を注け其の足形をとるところ気味悪し﹂︶があったのではないかと思われるこ︒結局︑梅次殺しを経た

鈴村 II 杉浦は僧•杉村になりすまし北海道へと逃走する。しかしながら僧に宴しながらも追いつめられ、「門跡の聖

僧が懐鉄砲を放つ﹂︵読売︶などの立ち回りを見せるが︑結局は小樽の寺院で逮捕されてしまう︵大詰小樽中教院説

教 の

場 ︶

ここで注巨すべきは二点︒第一点はなにより︑後の川上演劇の紹介に比べるとき﹃意外﹄についての新聞記事が

極めて不親切なことである︒乱闘シーンとルポルタージュ性たよりの一座の内容からすれば︑明治二十七年当時の

その扱いももっともと思われる︒それゆえ印象的なシーンこそ取りあげられてはいるが︑部分の記述にとどまり全

体像を提供してはくれていない︒しかしこれは︑かえって当時の観客の興味の在処を的確に示している︒すなわち

西洋帰りを強く印象づけた﹁照明のエ夫﹂︑そこでの﹁殺し﹂︑そして﹁探偵の活躍﹂が強い印象を与えたことであ

る︒これが第二点である︒洋行帰りが大きな宣伝効果を持った当時︑従来の歌舞伎にはなかった照明の工夫と暗闇

六 八

(8)

での梅次殺しは観客を驚かせた︒この殺しの場面は︑改良運動の美名の下に失われつつあった歌舞伎の殺しの美

学の穴を埋め︑観客の満足を誘ったことだろう︒明治新政府は︑明治五年以降たびたび通達をだし︑演劇からの

卑猥残酷の追放を求めていた︒政府は︑歌舞伎のもっとも魅力的な特質II﹁殺し﹂を︑歌舞伎しか知らない当時の

受容層から奪ってしまっていた︒川上の﹃意外﹄はその渇きを潤したことによって成功したのである︒また探偵の

活躍は︑当時の探偵小説の大流行という土壌にうまく適応した趣向であったといえよう︒明治二十年代の観客が探

偵の活躍に親しんでいたこと

( 8

は︑実際︑新聞連載の賂しい探偵小説からも窺うことができる︒都新聞の芝居評の )

載る紙面には︑一月の﹃意外﹄公演中には﹃極悪探偵中川吉之助︵探偵叢話

2 2 )

﹄︵明治二十六年十月一日号より明

治二十七年一月二十一日号まで︑都合九十回連載︶が︑また続けて﹃国事探偵︵探偵叢話

2 3 ﹄︵明治二十七年一月二

十三日号から五月十一日号まで︑都合八十七回連載︶が︑連載されている︒もちろん後者は︑二月の﹃又意外﹂公

演中をはさんでいた︒この探偵ものの大人気は︑明治二十六年ごろより始まり︑新講談にとってかわられる明治三

十五年ごろまで続いている

( 9

︒スリラー趣味あるいは探偵の活躍は︑このように新聞読者の興味の的であったので )

ある︒また劇評と連載探偵小説が同一紙面で扱われていることが示唆するように︑この嗜好が演劇受容層の関心を

大きく左右していたのである︒もちろん︑川上が以上の三要素を意図したかどうかは今となっては分からない︒あ

つじむらくらた るいは当時知らぬもののなかった辻村庫太の事跡

( 1 0 )

を︑それこそ﹃遭難実記﹄や﹃ダンナハイケナイ﹄同様に演劇

化・潤色したにすぎないのかもしれない︒反面︑もちろん川上ひとりが世間の探偵熱を免れていたとも思えない︒

ここで明らかなことは︑新聞記事からうかがう限り観客の関心が︑﹁殺し﹂と﹁探偵の活躍﹂にあったということで

ある︒このとき﹃意外﹄は︑観客の嗜好に良く適応した制作といってよい︒

探偵劇﹃意外﹄はいまだ裁判劇ではない︒とりあげた新聞記事からは裁判自体が舞台にのぼったかどうかは分か

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ー|'「西洋種」・探偵•裁判劇 六九

(9)

﹃意外﹄の大成功により︑さっそく二月七日より浅草座にて﹃又意外﹄が上演されることになる︒﹃意外﹄と同じ

<脚本は岩崎舜花が担当している︒もちろん探偵を登場させるこの作品は︑前作に倍する大景気を博した g ︒しか

し川上は︑前作とは異なりフランス劇作品の翻案という西洋路線を強く打ち出す︒このとき観客の注意を引くこと

になるのが裁判モチーフだったのである︒従来︑川上の壮士演劇に冷淡であった続続歌舞伎年代記も︑川上演劇に

論評の筆を執るようになるが︑ここにも﹁西洋種﹂が特筆されている︒﹁ O 二月七日より浅草座︻又意外︼にて川上

一座出勤︵秋本欽一久世重美を川上勤む︶ 0 川上の立案に依り岩崎舜花筆を執りたる裁判ものにて西洋種を無造作

に嵌めたる事ゆゑ不条理不自然の廉多かりしも場面に斬新の所も少なからず迎非常に喝采を博したり﹂

( 1 2 ) o

い わ

る﹁西洋種﹂とは︑公演期日の延長を伝える読売新聞・ニ月十八日によれば︑﹁佛国滞在中に得たる﹁三人兄弟﹂の

演劇﹂のことである︒この劇作品と︑当時大疑獄事件として知られていた相馬子爵家のお家騒動を絢い交ぜにして 人情を押し殺す判事~ 裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』·~「西洋種」・探偵•裁判劇

らない︒鈴村の懲役や記事にはあらわれなかった判事や検事などの役割からは︑あるいは裁判の様子が演じられた

かもしれない︒しかし︑いずれにせよ観客の興味が向かう先は︑この段階では裁判とは別の所にあった︒むしろこ

の﹃意外﹄の大成功によって︑その続編である﹃又意外﹄への関心をよび︑続く川上の諸作が主題とする裁判モチー

フを受容する環境が観客・評論家の中に醸成されていくのである︒意識的であれ無意識的であれ︑川上は受容環境

I I

探偵熱への適応をまず果たした︒次は川上が次世代の受容環境を整え︑次世代の適応を準備していくはずである︒

﹃ 又 意 外

にみる﹁西洋種﹂と裁判劇の系譜の成立

七 〇

(10)

﹃又意外﹄はつくられている︒前掲の日本戯曲事典﹁又意外﹂の項目︵秋庭太郎︶が︑簡潔にあらすじを記してい

るので︑初演時の役者名を括弧で補いながら引用しておく︒﹁久世子爵︵役名ご久世重美︑俳優:川上音二郎︶の妹

田鶴子︵藤澤浅二郎︶は兄の財産を横領しようと悪家令阿部︵高田実︶と共謀︑子爵を毒殺︑子爵家の相続人たる

幼児をも殺そうとする︒キリスト教信者の子爵は臨終の際に牧師︵役名芦牧山正人︑俳優盆右尾慶一︱一郎︶を呼んで

他言しない誓いの上で妹や家令の陰謀を告白する︒牧師は他言しないという誓言があるために真実を伝え得ないで

苦しむ︒嫌疑は子爵未亡人︵役名:久世みさ子︑俳優:石田信夫︶にかかり法廷で死刑を宣告される︒結局幼児を 救った屑屋の活動で事件の黒白が明らかにされる。田鶴子は自分の情人であった判事(役名芦秋~本欽一、俳優盆川

上音二郎︒なお情人であるかどうかは後述︶にその罪を裁かれて失神し︑悪家令阿部は探偵︵役名は仲経慮分の探

偵︑俳優二藤澤浅二郎︑川上音二郎︶に踏み込まれる夢をみて悶死する﹂︒

新聞評も︑従来の壮士芝居から面目を一新した川上演劇を歓迎している︒特筆されたのは︑夢の場︵六幕目︑北

海道湯川村旅宿の場同返し同奥座敷神経慮分の場︶の雪を踏むシーン︑そして二場にわたる裁判︵七幕目︑重罪公

判廷返し同門前の場︒および大詰︑宣教師居間返し公判集結の場︶の写実性であった︒たとえば都新聞・ニ月二十

七日は﹁今度の狂言の如き探偵小説から採りしか川上自ら佛国にて見て来たものか知らねど徹頭徹尾目新しく真に

迫りて事実に適ひ︑二幕目の毒殺の所︑三幕目裏長屋の高利貸執達吏の無慈悲酷薄なる六幕目の北海道夢の場の雪

の道具など目覚しく殊に裁判所公判の場などは理屈ッポク連中の寄合とて本職も三舎を避くる位﹂と伝えている︒

川上は一貫して写実を重んじ︑後の﹃オセロ﹄でも台湾︵原作でのキプロス︶の写実のために台湾を訪問するが︑

ここでも北海道の雪のシーンのために藤澤浅二郎を伴い北海道を旅行し︑﹁雪中に使用すべき器具及土人着用衣類其

他今度の演劇の使用の目論見にて同道産の犬二匹を買い求め﹂ている︵中央新聞・ニ月二日︶︒ここでいう﹁神経慮

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ー「西洋種」・探偵•裁判劇

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裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』||'「西洋種」・探偵•裁判劇

分の場﹂とは︑円朝﹃真景累ケ渕﹄同様の妄想︵神経︶を意味し︑悪家令阿部が夢の中で妄想の﹁神経慮分の探偵﹂

に踏み込まれて立ちまわりの後に悶死する場面のことである︒既に引用の都新聞記事が明確に述べているように︑

探偵小説がここでも意識されている︒また︑法廷についても同様の取材が行われていた︒萬朝報・ニ月二十二日に

よれば﹁今回の狂言には法廷の模様を写さんとする趣向もあるより一昨日平沼専蔵の偽証裁判の傍聴に出かけ大い

に発明する所もありしに付﹂︑初日を一日遅らせたという︒そうして工夫を重ねて写実を狙った裁判のシーン︑特に

大詰めでは︑序幕では書生であった秋本欽一が出世して裁判長となっている︒この裁判長が田鶴子を吟味するのだ が、最後に田鶴子とその妹との二人が彼の実の姉妹であったことが明らかになる。伊原青々園の評(都新聞•明治

三十一年八月二十四日︑二十五日︑二十七日︶は︑明治三十一年八月の川上等による再演に際してのものだが︑こ

はらから

こに大詰めの様子をうかがうことが出来るだろう︒﹁最後にたつ子姉妹を自分の同朋と知りての驚き嘆き︑父が名誉

の戦死を遂げし事を語りてたつ子の非道を罵りながら流石恩愛の涙忍び兼ぬるを忍びて﹁巡査︑その女を踏縛れ﹂

と大喝一声の幕切れ﹂︵二十七日︶︵

この意外の血縁関係が︑西洋劇﹁三人兄弟﹂の眼目であったのであろう︒判 1 3 ︶ o

事と田鶴子の関係について︑前掲の秋庭は﹁情人﹂としているが︑すくなくとも初演のプロダクションにかんする

新聞記事には︑そのような記述は見あたらない︒︵後年まで川上の手を離れても再演を繰り返した︶﹃又意外﹄の度

重なる上演の中で︑次作﹃又々意外﹄︵ソポクレス﹃オイデイプス王﹄翻案︶︵

︶が採った近親相姦モチーフが﹃又意 1 4

外﹄にも採用されることになったのかもしれない︒これに関しては更なる調査が必要だろう︒あるいは︑当時の新

聞記事では﹁情人﹂関係に言及しなかった伊原青々園

I I 敏郎が︑昭和八年に至って﹃明治演劇史﹄︵早稲田大学出版

部︶において﹁田鶴子は自分の情人であった判事に其の罪をさばかれて絶倒する﹂

( p . 6 6 7 ) と記述するようになるこ

とが示唆するように︑当時は未だ裁判劇のトポスになっていなかった﹁情人によって罪におとされる被告﹂という

(12)

モ チ

ー フ

が ︑

それを用いた新演劇﹃瀧の白糸﹄の展開によって︑後に脚光を浴びるようになったと想像するとした

ら穿ちすぎであろうか︒ともあれ︑この人情を押し殺して義務を果たす判事をもつ裁判シーンこそが︑初演時より

各紙が強調するように観客に強い印象を与え︑ここに裁判劇の系譜が出発することになった︒長年恋いこがれた肉

親に再会を果たし︑情愛の強さに負けそうになりながら正義を遂行する川上の裁判長・秋本はもとより︑検事・弁

護士などの弁舌のさわやかさが特筆されている︒これは同じく検事や判事の登場する﹃意外﹄についての新聞記事

と比較するとき︑旧作においてはほとんど彼らの役割について言及がなかったことと対照的である︒五年後の再演

をみる伊原の論評も︑初演時に比べるときには相馬事件に頼った際物であって既に飽きてきたとしながらも︑裁判

シーンの弁舌には﹁壮士芝居の独特︑団十郎でも菊五郎でも真似の出来ぬ仕事﹂と賞讃を惜しまない︒この新機軸・

裁判シーンヘの観客の期待とそれに応えようとする川上●制作は︑﹃誤判録﹄︵明治二十八年七月︶︵

1 5

︑ 川

上 版

﹃ 瀧

の白糸﹄︵明治二十八年十二月︶へと継承されていくだろう︒誤判と冤罪死をあつかう﹃誤判録﹄の新聞評でも︑﹃又

意外﹄同様に︑裁判の写実性についての言及がみられ︑また弁舌のさわやかさについても繰り返し言及される︒す

なわち︑弁舌の点で際だっていた藤澤浅二郎こそ判事であるべきであったとの意見が述べられているのである︵読 売新聞•明治二十八年七月二十三、四、五日「歌舞伎座評判」、(鈴木)芋兵衛署名)。

観客の中にそのような裁判劇への関心︑判事のよどみない弁舌への期待があったからこそ︑︵次回の洋行中の偶然

による選択ではあったが︶明治三十六年﹃マアチャント︑オフ︑ヱニス﹄に際して︑︵評論家の酷評とはうらはらに︶

一般の観客は大絶賛をもって応えたのであろう︒喧伝されたのは未知なる﹁西洋仕込み﹂ではあったが︑すでに馴

染みの﹁弁舌﹂は楽しむことができたわけである︒この明治二十七年の翻案劇﹃又意外﹄にいたって︑もはや川上

の翻案劇は受容層の期待の反映にはとどまらない︒その期待を受けとめた上で︑新しい潮流・裁判劇ブームを形作

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』||'「西洋種」・探偵•裁判劇

(13)

‑ =  ‑ 裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』|_—「西洋種」・探偵•裁判劇

り次世代の受容環境へと働きかけ︑川上演劇ばかりでなく多方面の次世代の制作の呼び水となっていくのである︒

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六 年

︶ ︵

︶に至っても裁判愛好は看て取ることができるであ 1 6

ろうし︑また泉鏡花﹃義血侠血﹄︵明治二十七年連載︶︑そしてその演劇化である﹃瀧の白糸﹄︵川上版︵明治二十八

年︶・成美団版︵明治二十九年以降︶とも︶をもその系譜に挙げることができる︒とりわけ﹃義血侠血﹄/﹃瀧の白

糸﹂の主人公ー│土自生時代に受けた学資の援助という恩義と情愛を振り切って恩人白糸に死刑を求刑する検事・村

越欣弥には︑人情を押し殺し正義を遂行する秋本判事の面影をみることが出来るだろう︒

裁判劇の継承と黄昏盆川上版﹃瀧の白糸﹄・﹃是又意外﹄としての

﹃ 瀧

の 白

糸 ﹄

周知の通り︑川上の裁判劇﹃瀧の白糸﹄︑また川上作を批判して喜多村緑郎らにより定式化され現在に至る新派﹃瀧

の白糸﹄は︑泉鏡花﹃義血侠血﹄︵読売新聞連載︑明治二十七年十一月一日より三十日まで︑﹁なにがし﹂署名︶に

基づいて制作されている︒しかし︑この小説には失われた別のヴァージョンがあった︒鏡花の自筆年譜が﹁︵紅葉︶

先生の大斧鉱のたまもの﹂と記すように︑現行の﹃義血侠血﹄は尾崎紅葉の徹底的な改訂によるものであり︑慶應

義塾図書館所蔵の自筆草稿

( A

稿 B 稿とも︶は︑現行作と興味深い異同

( 1 7 )

を示している︒一点だけ指摘しておきた

い︒村越検事および水島友︵白糸本名︶は︑草稿では埴︻植︼生判事および水嶋玉であった︒そしてこの埴︻植︼

生裁判長は︑白糸が罪を着せようとしている出刃打の弁護士によって﹁玉と私交上の関係がある﹂ことから忌避さ

れ︑他の裁判長と交代させられそうになるとき︑証拠物件の出刃包丁を自らの目に突き刺し﹁コヤ何と謂ふ︑知己

七 四

(14)

の裁判は出来ぬとな︑本官の眼中には知己も親属も何にもない﹂と宣言し︑失明して後にヒロインに死刑を宣告す

るのである︒草稿は︑この点で川上の﹃又意外﹄の親族を断罪する判事︑また﹃又々意外﹄︵注

参照︶が拠ったソ 1 4

ポクレス﹃オイデイプス王﹄での主人公の失明と不思議に符合するのである︒不思議というのも︑鏡花は父を喪い

明治二十七年一月には帰郷しているため︑両作の上演には接していないからである︒もっとも︑岩波版全集の作品

解題︵村松定孝︑別巻

p .

8 1

5 )

によれば草稿 A は書体や表記から二十七年よりも遡ることから︑鏡花が帰国した川上

やその周辺

( 1 8 )

から劇作の様子や粉本の情報を得ていた微かな可能性もないわけではない︒この問題については今後

の検討課題としたい︒

さて︑新演劇﹃瀧の白糸﹄はいかなる状況で制作され︑受容されたのか︒明治二十七年﹃又意外﹂︵二月︶の大成

功の後︑川上は続いて﹃又々意外﹄︵七月︶を手がけるが︑八月に宣戦布告された日清戦争の開始とともに劇界は戦

争劇一色となった︒もちろん川上も﹃又々意外﹄を切り上げ︑﹃壮絶快絶日清戦争﹄︵八月︑東京・浅草座︶︑﹃戦地

見聞日記﹄︵十二月︑東京・市村座︶︑﹃威海衛陥落﹄︵明治二十八年五月︑東京・歌舞伎座︶を制作し興行上の成功

を続けていく︒しかし︑これは演劇的には後退であって︑かつてのルポルタージュ演劇をもって観客に迎合したに

過ぎないとみる点で︑諸研究は一致している︒河竹繁俊がいうように︑﹁これらの成功は時事脚色のニュース映画性

の強みであり︑それが一般の最大関心と見事に合致したことによるものであった︒演劇芸術としての勝利ではなかっ

た︒有識者からはむしろ戦争劇は︑﹁意外﹂三部作よりも退歩であるといわれたほどで︑この成功の功罪はにわかに

断じがたいのである﹂︵河竹

( 1

9 5

8 )

﹃ 日

本 演

劇 全

史 ﹄

︑ 岩

波 書

店 ︑

p .

1 0

0 7

︒これについては︑本論も︵留保付きなが )

( 1 9 )

︶同意したい︒川上版﹃瀧の白糸﹄は︑そのような状況のなかで︑明治二十八年十二月四日︑東京・浅草座で

初日を迎える︒しかし︑これが裁判劇﹃又意外﹄の系譜の上で受容されていることを見逃してはならない︒都新聞・

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』—|'「西洋種」・探偵•裁判劇

七 五

(15)

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ー「西洋種」・探偵•裁判劇

明治二十八年十一月二十八日の﹁川上演劇浅草座新狂言瀧の白糸﹂では︑﹁新狂言﹁瀧白糸﹂は又意外の様な虞もあ

りて﹂と断り書きをしてから筋を紹介している︒ここからは︑戦争劇ではもちろんない︑﹁又意外の様な﹂ひさびさ

の裁判劇としての期待が︑この上演へとかろうじて寄せられていることが分かる︒もちろん︑川上自身も︑人情を

押し殺し正義を遂行する点で︑﹃又意外﹄の秋本判事を連想させる﹃義血侠血﹂の検事・村越欣弥の造形を︑自らの

裁判劇の系譜の上に採用したことに間違いはないだろう︒また︑この上演には︑もうひとつ﹃又意外﹄同様のイメー

ジ︑﹁西洋種﹂が託されていた︒川上が鏡花に無断で上演した不手際にたいする尾崎紅葉の抗議と紛糾︵川上による

謝罪広告掲載にまで至った︶に隠されがちであるが︑﹃瀧の白糸﹂上演当初は︑﹁なにがし﹂名義の﹃義血侠血﹄自 体がロシアの小説を翻案したものであると(誤って)喧伝されていたのである。都新聞•明治二十八年十一月七日

には﹁狂言は根本凌波氏提出に係はる読売新聞所載の魯国小説﹂とある︒この﹃瀧の白糸﹄は︑﹃又意外﹄による裁

判劇の系譜の上にあり︑且つそのように認められ︑しかも︵紅葉との紛争が知れわたるまでは︶﹁西洋種﹂という付

帯状況も︑﹃又意外﹄の如くに受けとめられていたのである︒

その上演内容は︑おなじく鏡花﹃豫備兵﹄の内容︵主人公の妹の存在︶が絢い交ぜとなっていることや︑白糸の

興行先や凶行現場が浅草に変更されているなど︑﹃義血侠血﹄とは異なる設定が多く用いられているが︑︵金沢地方

裁判所ならぬ︶束京地方裁判所でのラストシーンは鏡花作にほぼ従っており︑またこの裁判シーンが見所の一っと

なっていることは動かない︒白糸は︑欣弥に送るはずの百円を見世物師に奪われた後︑そのとき残された出刃包丁

をもって茫然と歩くうちにとある住居に至り︑成りゆきから老夫婦を殺害して金を奪う︵演劇﹃瀧の白糸﹄では︑

川上以来︑実はこの老夫婦が主人公の妹を虐待した養父母であったこととなり︑意外の人物関係が構成されている︶︒

凶器の出刃包丁からまず持ち主の見世物師が逮捕されるが︑その供述から白糸もまた逮捕される︒こうして公判を

七 六

(16)

迎えるのである︒白糸は百円を奪われたことを頑なに否定する︒強盗が認められなければ白糸に包丁がわたること

もなく︑そのときには老夫婦殺害の罪は包丁の持ち主・見世物師に着せられることとなるのである︒﹃義血侠血﹂で

は裁判は次のように描写されている︒衰弱した白糸との無言の再会を果たした欣弥は﹁不覚憐慇を催して︑胸も張

裂くばかり﹂だが︑﹁私を以て公に代へがたし﹂と厳しく遇する︒欣弥は︑もし白糸のその不誠実な虚偽の申し立て

を聞いたら贔履筋であっても見捨てることであろうと︑名代の芸人・白糸のプライドに訴えかける︵しかし︑検事

の声音の異常によって傍聴一般は何事かを悟るとしている︶︒ここにいたり白糸は自白をはじめ︑殺人さえも無造作

に認めてしまう︒こうして死刑が求刑され︑死刑宣告の日に検事・欣弥も自殺する︒川上版もこれをほぼ忠実に受

けつぐが︑白糸︵藤澤浅二郎︶が舌を咽み公判中に自殺すること︑そして︵妹の身代金として百円を欣弥が無心し

たことになっているため︶兄妹ともに恩人である白糸の最期に︑欣弥︵川上︶も義を以て自殺するという変更がな

されている︒しかし奇妙なことに︑欣弥は自殺に際して﹁手品に仮託︑元の駆者の姿になって人々を驚﹂せたとい う(都新聞•明治二十八年十二月十四日)。この点については、欣弥の来歴(立身出世するまで、彼は乗合馬車の駆

者であった︶を描くとしても気が利いていない︑こんなもので喝采をおくる観客はどうかしている︑と新聞記事も

さすがに厳しい︒﹃誤判録﹄以降︑わずかながら見えはじめた空席も目立つようになり︑川上自身この﹃瀧の白糸﹄

を再演していない︒もちろん︑観客が演劇一般から離れていったこともあった︒日清戦争後の圧勝気分は三国干渉

により吹き飛び︑臥薪嘗胆のスローガンの下︑明治の日本は耐乏生活にはいっていたのである︒そして川上の殺し

文句﹁西洋種﹂が機能していないこともあった︒しかし︑それ以上に︑裁判劇のブームの終焉がうかがわれるので

ある︒伊原青々園が﹃又意外﹄再演︵明治一︱‑+︱年︶の記事︵前掲︶で記すことになるとおり︑明治二十八年末に

は︑既に裁判劇への観客の熱狂は過去の物になりつつあったのである︒適応の天オ・川上も︑ここでは時代を読み

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』||'「西洋種」・探偵•裁判劇

七 七

(17)

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ー—'「西洋種」・探偵•裁判劇

誤っている︒これは三十一年の再演の失敗で決定的となった︒川上は経営の失敗と選挙の失敗を重ね︑明治一︱︱十二

年四月︑追われるように一一回目の欧米視察に出かけることになるだろう︒

しかし︑裁判劇﹃瀧の白糸﹄は︑川上の手を離れた後も受けつがれていた︒﹃誤判録﹄に続いて向かった巡業先・

信州で︵つまり川上版﹁瀧の白糸﹄の前に︶川上一座を離脱していた︑高田実︑小織桂一郎︑岩尾慶三郎らによる︑

明治二十九年十二月︑大阪・角座での上演である︒彼ら成美団は北海道巡業の後︑まず明治二十九年十月に大阪・

角座で﹃又意外﹄を上演する︒小織と喜多村緑郎の対話録によれば︑旅先で離脱した彼らには稽古の時間もなけれ

ば作者もいなかったので︑﹃意外﹄︑﹃又意外﹄など川上のあたり狂言を上演せざるを得なかったという︒そして﹃瀧

の白糸﹄をとりあげるが︑川上の所へ﹁表向借りに行くのも一寸困ったんで︑高田君と︵小織とで︶芝居を観にいっ

て二人でノートして来たもの﹂を台本としていた

( 2 0 )

︒事実︑成美団も川上の制作を多く踏襲し︑後の時代まで受け

つがれるように︑白糸には法廷内で舌を噛ませている︒また﹃義血侠血﹄にはない﹁欣弥住居の場﹂の設定も︑川

上に批判的であった喜多村の定式化を生き残り受けつがれてい

v g

︒しかし︑この上演が典味深いのは︑それが﹃又

意外﹄以来の裁判劇の系譜にあるということを︑成美団が意識していた点である︒彼らの﹃義血侠血﹄翻案劇は︑

﹃是又意外﹄という外題で t 油されていた︒つまり彼らは︑﹃瀧の白糸﹄を﹃又意外﹄の継承として制作していたの である。大阪朝日新聞•明治二十九年十一月二十六日記事「角座次興行」は次のように伝えている。「同座第三回興

行︵注︑﹁又意外﹄のこと︶は非常の大入りにて紅白の千間織を出し八日間大入札を掛通したる上景気なりしを以て

此の図を外さず︑第四回興行として来月一日より開場の狂言は﹁判事の逮捕︑検事の自殺﹂と割書して︽是又意外︾

と外題を据えたる裁判物なりといふ﹂︒つまり彼らは︑白糸と欣弥の物語を︑裁判劇の系譜の上に意識的に置いて上

演し︑大阪での大好評を獲得するのである︒劇団の乱立で新演劇自体が観客の関心をよびにくくなった東京とは異

七 八

(18)

おわりに なり︑この時期の大阪では︑まだ裁判劇は現役であった︒実際︑大阪ではこの後も︑﹃誤判録﹄が福井一派により明 治三十一年三月に朝日座で︑また﹃是又意外﹄も喜多村らによって同年八月三十一日に角座で再演されるのである︒ しかし︑裁判劇はもはや最先端の趣向とは言えなくなっている︒既にのべたように同年八月十三日には︑川上一座 と成美団は﹁日本新演劇俳優一同﹂と称して﹃又意外﹄の合同興行を行うが︑客足は伸びなかった︒﹃又意外﹄が初 演当時の観客の期待に応え、そして創りあげた裁判劇という趣向は、完全に過去の物となった。フランス土産•西 洋種を裁判劇という趣向を中心に翻案した﹃又意外﹄は︑こうして︑その適応のダイナミズムを失ったのである︒

﹃ マ ア チ ャ ン ト ︑

オ フ へ

ヱ ニ

ス ﹄

明治一二十二年四月に数々の失敗とスキャンダルを残して日本を離れ︑アメリカ︑イギリス︑万博のパリを訪れ視

察および公演を行った川上音二郎とその一行は︑三十四年正月に帰国する︒外国での苦難を劇に仕立てた﹃洋行中

の悲劇﹄︵二月︑東京・市村座︶を上演した後︑四月には再びヨーロッパに渡っている︒そしてヨーロッパ巡業のの

ち︑翌︱︱十五年八月に婦国した川上は新機軸を打ちだした︒すなわち本格的な西洋演劇︵シェイクスピア︶の移植

と︑そのための﹁正劇﹂︵音曲なしのストレート・プレイ様式︶のスローガンである︒もはや﹁裁判劇﹂への意識は 川上にはない。その新しい路線で矢継ぎ早に上演されたのが、翻案劇『オセロ』(三十六年二月、東京•明治座、江

見水蔭翻案︶︑翻訳劇﹃マアチャント︑オフ︑ヱニス﹄︵同年六月︑明治座︑土肥春曙翻訳︶︑翻案劇﹃ハムレット﹄ (同年十一月、東京•本郷座、土肥春曙•山岸荷葉翻案)であった。これらは西洋帰りと正劇の二枚看板が功を奏

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』||'「西洋種」・探偵•裁判劇 と裁判劇の系譜

七 九

(19)

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』||'「西洋種」・探偵•裁判劇

して大盛況となった︒しかしながら︑その大当たりにもかかわらず︑のちの新劇︵翻訳劇︶陣営は︑川上の西洋演

劇移植を不十分なもの・否定的媒材として貶めるようになるだろう︒だが︑それは次世代の展開を収束点とする目

的論的整理の結果であって︑そのつどの適応であるため短命が運命づけられている翻案そのもののアクテュアリ ティーは、次世代の受容環境•制作環境をいかに産み出したかによって測られるべきであろう。坪内逍遥ら当時の

知識人は︑川上による翻案劇﹁オセロ﹄ではなく︑シェイクスピア原作の上演としての川上の不手際を批判してい た。とりわけ逍遥は、伊屋剛蔵•靭音などの翻案での役名を全く無視して、イヤーゴー・デズデモナの演技を論っ

ていた g ︒彼らは︑川上の翻案を通り越して︑シェイクスピアを見ているのである︒しかし︑この川上翻案という

不十分な西洋演劇受容の後に新劇︵翻訳劇︶があるのではなく︑川上の成功ゆえに新劇は一般に受けいれられたと

みるべきであろう︒むしろ興味深いことは︑川上の興行上の成功が狙いすまして得られたものではなかったことで

ある︒たとえば洋行中の﹃ヴェニスの商人﹄にしても︑川上の意図︵名優アーヴィングに倣った西洋演劇の継承︶

と大評判︵西洋人のオリエンタリズム・歌舞伎としての受容︶には罰飴があり︑また帰国後の翻案劇﹃オセロ﹄に

ついても︑﹁正劇・洋装のオセロ﹂という宣伝と︑実際の大当たり︵日本化された翻案劇の受容︶にも食い違いがあっ

( 2 3

︒翻訳劇﹃マアチャント︑オフ︑ヱニス﹄についても︑このことはあてはまるだろう︒あまりにも時期尚早の )

この翻訳劇は︑例によって逍遥らの攻撃を受けることとなった g ︒川上の西洋演劇移植の目論見は真っ向から否定

されてしまう︒しかし︑観客は喝采を送った︒なぜか︒すでに川上自身は放棄した﹁裁判劇﹂の系譜が︑観客の受

容を育んでいたからである︒﹁法廷の場﹂が採用されたこと自体はアーヴィングに接した偶然による選択ではあった︒ だが、判事ポーシャ(貞奴)のよどみない弁舌が、ー—'あまりにも「暗誦的にスラスラ云ふ」(都新聞•明治三十六

年六月十日︶とまで評された裁判官の弁舌があったからこそ︑観客は居心地よく翻訳劇に接したのである︒もし川

八 〇

(20)

註 ( 1 )

﹁熊本神風連騒動の﹁ダンナハイケナイワタシハテキズ﹂を上演した頃には︑その評判がいよいよ高くなって︑日ごろ彼らを外道

視している好劇家も︑それほど評判のものならば一度はどんなものか覗いてみようというようになって︑毎興行大入りであった︒わ

たしは五月なかばの雨の日に市村座へ出かけて﹁ダンナハイケナイ﹂の劇を見物したが︑それは全くイケナイものであった︒狂言と

いい演技といい︑俗受け専門︑場当たり専門︑実にお話しにもならないもので︑わたしは苦々しいのを通り越して腹立たしくなった︒﹂

岩 波

文 庫

版 ︑

1 8 4 頁 ︒ ( 2 )

劇団新派編

( 1 9 7

年︶﹃新派年表﹄︑大手町出版による︒続続歌舞伎年代によれば一月一日より公演とされている︒﹁一月一日より浅 8

草座︻意外︼中幕︻楠木正成︼にて川上一座出勤﹂︵田村成義編

( 1 9 2 2 )

﹃続続歌舞伎年代記﹄巻の弐拾七︒鳳出版版︑ 657

頁 ︶ ︒

( 3 )

秋庭太郎

( 1 9 5 5 )

﹃ 日

本 新

劇 史

﹄ 上

巻 ︑

理 想

社 ︑

p . 2 7

5 ︑

p . 2 8

1 ︒河竹繁俊

( 1 9 5 9 )

﹃ 日

本 演

劇 全

史 ﹂

︑ 岩

波 書

店 ︑

p p . 1 0 0 5 ‑

7 ︒大笹吉雄

( 1 9 8 5 )

﹃日本現代演劇史﹄明治・大正篇︑白水社︑

p p . 5 2 ‑

︒また大笹吉雄 3

( 1 9 9 6 )

﹁川上一座の新演劇﹂︵中央大学人文科学研究所

編﹃演劇の﹁近代﹄︑近代劇の成立と展開﹂

p p . 4 5 5

‑ 4 7 9

) ︑

p . 4 6

7 ︒山口玲子

( 1 9 8 2 )

﹃ 女

優 貞

奴 ﹄

︑ 新

潮 社

p .

5 9 ︒

( 4 )

白川宣力編

( 1 9 8 5 )

﹃川上音二郎・貞奴ー新聞にみる人物像ー﹄︑雄松堂︒

p . 1 4 5 に

転 載

︒ ( 5 )

川上夫妻についての重要な新聞資料を集めた前掲の白川宣力編著にも︑この記事は転載されていない︒従来ひととおりにしか扱わ

れない﹃意外﹄を知る重要資料であるので︑句読点を補い︑傍点及び難読と思われるところのみルビを残して︑ここに挙げておく︵以 下、同様)。都新聞•明治二十七年一月十六日「川上演劇意外評」口川上一座は東京にては壮士芝居の元祖なり。座長川上帰朝後川上

演伎場を新築せんと計り既に大劇場の認可を得て新築するの運びに至り居れり︒落成の上は彼は座主兼小屋主なり︒座頭たれば我が

小屋落成までは他座に興行せざるこそ川上の川上たる慮なるに意外にも浅草座に再挙の旗を翻したるは我々の意外に思う虞なり︒去

か ん ゆ も だ た ち い た

れど贔展連の勧翰黙止し難き場合に D 至りしものならんか︒何にしても開場初日より日々爪も立たぬ大入りにて売切れの好況は興行

主も一座員も実に意外ならんが是此の一座の妓藝優れたるにあらず川上に人気あるが故なり︒今度の狂言一番目﹁意外﹂は一座の脚色

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ー「西洋種」・探偵•裁判劇 上の裁判劇が一世を風靡しなかったならば︑

新劇の成立はまた別のものとなったかもしれない︒

(21)

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ーー'「西洋種」・探偵•裁判劇

に掛るものにて意外に新しき事を見するよりも意外の評判にて意外に面白し︒電話を使って見せ中幕湊川の戦ひに刀と刀で火を出し て見せ殺しの場で見物の方を闇にし舞台に電気の月明り用ふる虞など人々の意外に感ずる虞ならん︒︵佐藤︶の巡査︑書生︑田舎婆と

も何れも端役ながら愛嬌沢山にて意外に落をとり︑︵石田︶は壮士役者中︱二の女形と聞き居たる丈あって鈴村妻浅子は意外に能く仕

打され往々は此一座の立女形となる人ならんが︑此人舞台では少しも分らざれど吃とは実に意外︒︵中野︶の手代川田謙助正師とも難

なく︑︵伊井︶の俳優嵐角三郎は打て付け︒牛乳配達は意外にドットさせ正員も意外に大きく出来されたり︒︵水野︶の囚徒勘五郎︑ 柴田︵か︶と鞘当ての台詞は見物を喜ばせ︑検視の医師は意外に真面目に演られ︑鈴村道斎は先難なし︒頭は仮髪でなく毎日々々染

めるのだとは意外の手数をかけたものだ︒︵柴田︶の囚徒幸次︑話の受具合調子よく相手を引立たせたは意外のお手柄︒帯間蔓助のス

テテコの旨さ︑イヨ茅場町ー︒宇佐見河内守は餘り強過ぎて少しも手負らしく見えぬは遺憾︒︵高田︶の宇都宮公綱︑成る程強さうな り︒警部は意外の儲け役︒︵岩尾︶の銀行頭取篠田は写し得て妙︒菊池七郎先づ可なり︒検事は申分なくお手に入ったもの︒︵小織︶

わ ざ の探偵︑検視の場で態と半紙を落として見込んだ豫審判事に踏ませ足跡を比べるなどは意外に細かく本職も銑足ならん︒︵藤澤︶の藝

しつか 妓梅次︑何処までも薄情女で居り強請の場など意外のお手際︒正季兄正成の所存を聞く慮など確りとして是が藝妓梅治︵ママ︶をし

おもちゃ た役者かと見物は意外に思ふ程なり︒︵川上︶の鈴村房太郎︵ママ︶銀行頭取より金を奪い取り是は玩弄のピストルぢや貴様に遣る︒

ほんとう 未だ真実のが懐に五挺も六挺もあるなど滅法によし︒豫審判事殺しの場も検視の場も凄いものなり︒正成はおたみと云ふ十オの女子

を正行に使っての教訓︑見物をホロリとさせ陣幕の内より顔を出して木なしの幕は凄いと云へば云ふものの︑意外に呆気なし︒なに

しろ川上が一幕ごとに顔を出し︑一同車輪になっての興行︑日々の売切れも尤も々々︒興行主は意外の当たりで意外に抜け意外の思 ひで居るならん︑目出たし々々︒ (6) この記事も、前掲の白川宣力編著には転載されていない。読売新聞・一月十七日「初芝居巡覧評判(其五)」芋兵衛署名~「浅草座

は川上一連の興行なり︒優は書生芝居の元祖オッペケの隊長として一時都人を聾にするの騒ぎ大人気の最中俄に欧州漫遊と琥して跡

を東京に絶ちしより昨年帰朝してまづ故郷福岡邊にて興行すと風の便りに聞きし迄にて︑今度久々の顔出なれば定めて土産には珍々

変毛の悔り狂言もあらんと待ちに待ちし虞︑果たせるかなその題名さへ﹁意外﹂と出られてアッとばかり謄は抜かれながらドッコイ

そう脆くはと気を取り直して能<其の筋立を見てあれば︑妥に鈴村と呼べる若き銀行手代あり︒強盗に均しき不埒を働き懲役になり︑

脱獄し大坂に走り法官に化け人を殺し出家に変じ北海道へ遁げ説教場にて捕はるなど︑何慮でか例もお目に掛かった様な書生流に先 ずは落ち着いて気絶するほどの事もなし︒且中幕へ楠木正成といふお馴染ものさへ加はりたると見れば優も嘗て名を佐治兵衛とは呼

ばれず四国と巡り猿とも成らざれば︑西洋に飛んで目の色も替わらず矢張り元の音様よ嬉しいねへ︑とは紅裾一般の歓言︒加之なら

(22)

ず一座の壮輩が腕瘤怒らしての大勉強に沸き返るばかりの景気とはお仕合︒まず役者には︑よき大構へ︑囚徒仙太で水野の脇茶番も

お慰みながら妥皆々のくすくすは止して欲し︒別けて山本検事の服装から検視の模様大出来︑菊池七郎の手負い利かざれど敵に切倒 され後味方と差違へての死は上なき実際︑伊井の俳優角太郎︑芸者梅次の間夫となり戸棚隠れの苦しみは好い男に生まれた報い︑何

うやら実験も多さうな︒橋本八郎が戦ひ烈しく菊池との差違へ絶妙︒水野の囚徒勘五郎︑前年鎌倉右大臣を勤めた上品の裏が此のく

らゐ下品に捌けるとは是こそ意外︒検視場の医者傷口の調べ厘毛強弱の細かさ︒佐藤の取次書生と巡査︑優の道化も次第に酷味が抜

けて今は歯に触らず往なり見物の横腹目掛けるようになれり︒高田の警部︑検視の挙証は厳然として犯し難く見ゆれど杉浦の脅嚇は

何虜か間が抜け︑宇都宮の勇戦は其の屈せざること木の如し︒小織の探偵三五郎︑杉浦に目を注け其の足形をとるところ気味悪し︒ 藤澤の芸者梅次︑頬骨の同士討ちさへ起る様では辿も綺麗一方で押切ることは叶はずとのお覚悟か︒大坂へ流れた虞から色気なしに ぼんやり 思ひ切った零落姿で杉浦のゆすりもよけれど︑殊に中の島の場では土間桟敷の電燈を残らず消して真の闇とし只だ舞台をのみ朦朧

と月明かりにしたる橋の袂で杉浦に殺されるところ愛ばかりは西洋風かと見え優が死にざま常に十倍の凄味を添へたり︒楠木正季が

かけあひ 非と強ひて挙げるならば︑正成との応待宛から畳の上の談論に似て些と内端過る様なり︒成らば今一だん芝居と仕て彼の︑七生まで

は人間に生まれ出で︑の前後でからからと打笑ひ又大いに怒つて勇士の形ちを露わに仕たし︒川上の鈴村変名杉浦判事宴し僧形雲︑

おもちゃ 銀行頭取を脅かし金を奪ふにまづ玩弄のピストルを用ふること新しく︑電話機を使うこと新しく︑脱牢に濡縄の用新しく︑現行の検 事と見すること新しく︑一場を真暗闇にすること新しく︑真剣を戦わし切先より火花を散らすこと新しく︑門跡の聖僧が懐鉄砲を放

つ等の新しきには見物大いに驚き︑之を見るに至り学海先生の新劇説も初めて活きたり︒楠木正成は只普通の出来として満場を泣か

したるは却つて子形の正行勝てるが如し︒其は兎に角優は斯の流の創始ほどありて新機と把へ今の俗情を穿つに妙と得たる人と云ふ

べ し

︒ ( 7 )

乏しい資料からは︑もとより想像の域を超えないが︑すくなくとも探偵の足形取りは︑第二の殺人︵梅次殺し︶の後に推量するの が適当だと思われる︒両記事では︑医師の検分・探偵の捜査ともに︑強請と梅次殺しの前に記載されているが︑俳優ごとにまとめて

記述されているため劇の進行に並行しての記述と見ることはできない︒実際︑川上の演技については両紙とも最後に述べている︒こ

のとき︑杉浦豫審殺しの捜査段階で当の﹁杉浦の足形﹂をとるとは思えない︒

( 8 )

高山樗牛

(1 89 7)

﹁明治の小説﹂︵現代日本文学全集

5 9 巻

︑ 筑

摩 書

房 ︑

1958

年所収︶参照︒また小酒井不木

(1 92 7)

﹁明治の探偵小説

及 び

大 衆

物 ﹂

︵ ﹃

日 本

文 学

講 座

﹄ 第

7 巻

︑ 新

潮 社

1927

年︶も︑樗牛をひきつつ次のように総括する︒﹁明治の探偵小説は︑犯罪探偵を

取り扱ったものが︑その大多数を占めて居る︒それは︑探偵小説と共に︑いはゆる探偵実話なるものが大に読まれたのでもわかる︒

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ー「西洋種」・探偵•裁判劇

/¥ 

(23)

裁判劇の系譜と川上音二郎『又意外』ーー'「西洋種」・探偵•裁判劇

明治二十年代に於て︑探偵小説は全盛を極めたの 尤も探偵実話と称するもの A ︑その実︑虚実を織りまぜたものであるが︑兎に角︑

で あ

る ﹂

︒ ( 9 )

明治二十七年・ニ十八年だけでも︑都新聞には﹃国事探偵︵探偵叢話

2 3 )

﹄︵八十七回︶︑﹃山田実弦︵探偵叢話

2 4 )

﹄ ︵

七 十

回 ︶

︑ ﹃

客木曽冨五郎︵探偵叢話︶﹂︵九十三回︶︑﹃娘義太夫︵探偵実話︶﹄︵百八回︶︑﹃法衣屋お熊︵探偵実話︶﹄︵百四回︶と︑途切れずに連

載が続いている︒このうち︑﹃法衣屋お熊﹄が明治二十九年二月︵東京・市村座︑山ロ一派︶に︑また﹃都新聞娘義太夫﹄が︑明治二 十八年八月(東京・演伎座、山ロ一派)および明治二十九年五月(京都・南座、山口•津坂ら)に翻案上演されている。

( 1 0 )

萬朝報・一月十六日 (11) 都新聞•三月三日「一座の又意外は前狂言の意外にも倍する大景気にて日々午前の内に売切れとなり。尚ほ来る七日までは附込沢 山にて売切れとは盛んなこと︒又一座の興行は日数廿二日間にて何程大入なるも日数限りにて千秋楽とする定めなれば来る十五日ご

ろ 打

揚 :

1

( 1 2 )

田村成義編

( 1

9 2

2 )

巻の弐拾七︒鳳出版版︑ 6 5 8 ‑ 6 0 頁

( 1 3 )  

1 9

0 3 年に技師ガイズバーグによって録音された SP 盤に︑都古紫郎によって吹きこまれた台詞が記録されている︒但し解説書では︑

︵理由は分からないが︶役名を判事秋本欽一ではなく稲垣敏夫と表示している︵録音の中では明かではない︶︒しかし︑三人の血縁関

係から判断するとき﹃又意外 j 大詰めの台詞の内容と考えて差し支えないだろう︒再演を繰り返すうちに変更があったのかもしれな い︒﹁そりゃ︑ヤス︑ユキ︑そち達両人は女子に生まれて実に幸せ者じゃ︒この兄はのう︑男に生まれたばかりに︑実にロロ辛苦を祇

めてきたぞよ︒そう︑父親がご逝去されて以来︑母上には︑男の子は嫌いじゃと仰せられて︑その方達両人を引き連れて︑東京への

ご出発︒僕たったひとり九州に取り残されて︑みなしご同然の有様であったのじゃ︒それが主殿下の情けによって︑高麗家の養子と きようだい なって洋行まで︒今では裁判官となって︑斯く世の末席を稿す身の上とはなったがのう︒アア︑二人の幼いときに別れた姉妹は︑今

頃何をして暮らして居るであろう︑年老いた母上には︑いずちにお暮らしあそばすであろうと︑雨につけ風につけ思いださんとては 無かったのじゃ︒その再々に会いとう思うた兄妹三人が︑場所もあろうに︑この公判中に逢おうとは︑ホホウ︑実に意外の他は無い︒﹂

( C D

﹃全集・日本吹込み事始

1 9

0 3

年ガイズバーグ・レコーディングス﹄東芝

E M

I ︑

2 只

l

年 ︑

TOCF5906F71 所収

( 1 4 )

正式な外題は﹁諷俗写真又々意外﹂︒川上扮する﹁大月龍作が知らずして親殺し︑母子同会の大罪といふ意外の珍事に出逢﹂う︵読 売新聞•明治二十七年七月二十八日「川上一座の大勝利」芋兵衛署名)という、ソポクレス『オイディプス王』の翻案である。のち

の演芸画報・明治四十一年第十号には︑川上の︑﹃エヂップ︑ロアー﹄を持ち帰ったという回想が寄せられている︵﹁名家真相録︵其

八 四

参照

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