『三玉挑事抄』注釈 春部(下)・夏部
著者 岩坪 健
雑誌名 人文學
号 194
ページ 127‑194
発行年 2014‑11‑30
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014097
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶ ・ 夏 部
岩 坪
健
本 稿は
﹃三 玉挑 事 抄﹄ 春 部︵ 59〜 92番
︶と 夏 部︵ 93〜 137番
︶を 掲 載 する
︒担 当 者 はす べ て 本 学博 士 課 程在 学 者 で︑ 以下 の通 りで ある
︒な お各 項目 末尾 の︵
︶ 内に は︑ 担当 者の 氏名 を示 した
︒ 森あ かね
・大 八木 宏枝
・風 岡む つみ
・城 阪早 紀・ 植田 彩郁
・吉 岡真 由美
・牛 窓愛 子・ 松井 佑生 凡例
一︑ 翻刻 は原 文の まま を原 則と して
︑誤 字・ 脱字
・濁 点・ 当て 字・ 仮名 遣い 等も 底本 の通 りに した が︑ 読解 や印 刷の 便 宜を 考慮 して 次の 操作 を行 った
︒ 1 句 読点 を付 け︑ 会話 文な どは
﹁
﹂で 括り
︑底 本の 旧漢 字・ 異体 字・ 略体 は通 常の 字体 に改 めた
︒ 2 誤 写か と思 われ る箇 所に は︑ 右側 行間 に︵ ママ
︶と 記し た︒ 3 和 歌の 上に
︑通 し番 号︵ 59〜 137︶ を付 けた
︒ 一︑
﹇ 出典
﹈の 欄に は︑ 和歌 と注 釈本 文の 典 拠 を示 す
︒和 歌 には
﹃新 編 国 歌大 観
﹄の 歌 番 号︵ 万葉 集 は 旧番 号 の み示
― 127 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
す
︶を 記 す が︑ 無 い 場 合 は﹁ 該 当 歌 な し﹂ と 表 記 し
︑﹃ 三 玉 和 歌 集 類 題﹄ に あ れ ば 部 立 な ど を 示 す
︒注 釈 本 文 が
﹃新 編日 本古 典文 学全 集﹄
︵ 小学 館
︒略 称
﹃新 編 全集
﹄︶
︑ ま たは
﹃新 釈 漢 文大 系
﹄︵ 明 治 書院
︶に 収 め られ て い る場 合 は︑ その ペー ジ数 も記 載す る︒ ただ し﹃ 新釈 漢文 大系
﹄の 白氏 文集 で未 刊の 巻は
︑続 国訳 漢文 大成
﹃白 楽天 全詩 集
﹄に よる
︒ 一︑
﹇ 異同
﹈の 欄に は︑ 翻刻 本文 との 異同 を 列 挙す る
︒た だ し︑ 濁点 や 送 り仮 名 の 有 無︑ 漢字 と 仮 名の 相 違︑ 仮 名遣 の 相違 は取 りあ げな い︒ 和歌 の本 文は
﹃新 編国 歌大 観﹄ と︑ 注釈 本文 は原 則と して 版本 と︑ それ ぞれ 比較 する
︒異 同 がな い場 合は
﹁ナ シ﹂ と記 し︑ ある 場合 は﹃ 三玉 挑事 抄﹄ の本 文│ 異文 の順 に列 挙す る︒ 複数 の作 品す べて に異 同 がな い場 合は
︑書 名を まと めて 列挙 して
︑末 尾に
﹁ナ シ﹂ と記 す︒
○ 源氏 物語 は︑ 絵入 り承 応版 本
︵略 称﹃ 承 応﹄
︒ 国文 学 研 究資 料 館 のホ ー ム ペ ージ に 公 開︶ と︑ 北村 季 吟﹃ 源 氏物 語湖 月抄
﹄︵ 略 称﹃ 湖月 抄﹄
︒﹃ 北 村季 吟古 註釈 集成
﹄新 典社 を使 用︶ によ る︒
○ 伊勢 物語
・大 和物 語・ 枕草 子・ 古今 集序
・八 代集
・和 漢朗 詠集 は︑
﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄
︵新 典社
︶に よる
︒
○ 竹取 物語 は絵 入り 版本
︵無 刊記 版︒ 同志 社大 学所 蔵︶ によ る︒
○ うつ ほ物 語は 文化 三年
︵一 八〇 六年
︶補 刻本
︑狭 衣物 語は 承応 三年
︵一 六五 四年
︶版 本に より
︑い ずれ も三 谷栄 一﹃ 平安 朝物 語板 本叢 書﹄ 有精 堂を 使用 する
︒
○ 漢籍 も同 志社 大学 に版 本が ある 場合 は︑ それ を用 いる
︒な い場 合は
﹃新 釈漢 文大 系﹄ など によ る︒ 一︑
﹇ 訳﹈ の欄 には 翻刻 本文 の現 代語 訳︑
﹇考 察
﹈の 欄 に は和 歌 と 典拠 と の 関係 な ど︑
﹇ 参 考﹈ の欄 に は 参考 資 料 など を 記す
︒ ﹃三
玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 128 ―
一︑ 歌題 が同 じで ある 和歌 が連 続す る場 合︑ 底本 では 二首 めか らの 歌題 は省 略し てい るが
︑本 稿で は﹇ 訳﹈ に限 りす べ ての 歌に 題を 示し た︒ ただ し補 足し た歌 題に は︵
︶ を付 けて
︑底 本に はな いこ とを 示す
︒ 谷蕨
59ひ かり なき 谷に はな へて 草木 にも わき て物 うき 初わ らひ かな 朗 詠集
︒野 相公
︒紫︱ 塵ノ
嬾ウ キ
︱
蕨人 挙ル レ
手ヲ
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 七八 番︒ 和漢 朗詠 集︑ 上︑ 春︑ 早春
︑一 二番
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 和漢 朗詠 集﹄
﹁挙
│拳
﹂︒
﹇ 訳﹈
谷蕨 春 の光 が届 かな い谷 では
︑お しな べて 草木 の中 でも
︑と りわ けも の憂 げな 初わ らび であ るな あ︒ 和 漢朗 詠集
︒小 野篁
︒春 にな って いか にも 物憂 げに 芽を もた げは じめ た蕨 は︑ その 紫色 の綿 毛の 穂が
︑あ たか も 人が 拳を 握っ たよ うに 見え る︒
﹇ 考察
﹈漢 詩の
﹁嬾 蕨﹂ を和 歌に 詠み こむ
︒蕨 は早 春︑ 先 端 が拳 状 に 巻い た 新 葉を 出 し︑ そ の 様が 頭 を 垂れ て い るよ う に見 える ので
﹁物 うき
﹂と 表現 され た︒
﹇ 参考
﹈﹁ 光な き谷 には 春も よそ なれ ば咲 きて とく 散る 物思 ひも なし
﹂︵ 古 今集
︑巻 一八
︑雑 下︑ 九六 七︑ 清原 深養 父︶
︵ 大八 木宏 枝︶ 呼子 鳥
― 129 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
60の とか なる 春を しら せて 万代 の声 をも 山の よふ こ鳥 かな 漢 書武 帝紀 曰︑ 元封 元年 行│ 二
幸 緱氏
ニ 一
詔シ テ
曰
︑朕 用事 華山 至二
于中︱ 嶽一
獲二
駮
!
ヲ一
見二
夏后 啓母 石一
︒翌︱
日親 登二
嵩 高一
御︱ 史 乗︱
属在
二
廟ノ
旁一
吏︱
卒咸
︱
聞 呼フ 二
万︱
歳ト 一
者 三云 云︒ 註︒ 荀悦 曰︑ 万︱
歳ハ
山︱
神称
レ
之ヲ
也︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 六〇 番︒
﹃漢 書﹄ 本紀 巻六
︒﹇ 異 同﹈
﹃新 編国 歌大 観﹄
﹃ 和刻 本正 史 漢書
︵一
︶﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
呼子 鳥 の どか な春 を知 らせ て︑ 万代 の声 をも 呼ぶ とい う︑ 山の 呼子 鳥で ある なあ
︒ 漢 書武 帝紀 によ ると
︑元 封元 年︑ 緱氏 に行 幸し 詔を 下し て言 った
︒朕 は華 山を 祀り
︑つ いで 中嶽 に来 て駮
!
を 得︑夏 后啓 の母 石を 見た
︒翌 日︑ 親ら 嵩高 山に 登っ た︒ 御史 の乗 曹二 人が 廟の かた わら にい て︑ 吏卒 たち は皆
︵山 神が
︶万 歳を 三唱 した のを 聞い た云 々︒ 荀悦 の注 によ ると
︑万 歳は 山神 がこ れを 称し たも ので ある
︒
﹇ 考察
﹈武 帝が 嵩高 山に 登っ た時 に︑ 山神 が万 歳を 三唱 した こと を踏 まえ て︑ 当歌 では 万代 の初 めで ある 春を 知ら せ︑ 万 代を 三唱 する 声も 呼ぶ もの とし て︑ 山の 呼子 鳥を 持ち 出す
︒
︵ 大八 木宏 枝︶ 野雲 雀 61な
く雲 雀猶 床し めよ 雲に 入鳥 を恨 の春 の末 野に 朗 詠集
︒花
ハ
︱
落チ
隨レ
風ニ
鳥ハ
入レ
雲ニ
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 五八 番︒ 和漢 朗詠 集︑ 上︑ 春︑ 三月 尽︑ 五五 番︒
﹇異 同﹈
﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 和漢 朗詠 集﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
野の 雲雀
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 130 ―
鳴 く雲 雀よ
︑そ れで もや はり 寝床 を確 保し てお くれ
︒雲 の彼 方に 姿を 消し てし まう 鳥を 恨む 晩春 の野 の果 てに
︒ 和 漢朗 詠集
︒花 は風 のま にま に落 ち尽 くし
︑鳥 は雲 の彼 方に 姿を 消し て鳴 き声 も聞 こえ なく なる
︒
﹇ 考察
﹈漢 詩は
︑過 ぎゆ く春 を引 き留 める には 関城 の 固 め は役 に 立 たず
︑花 鳥 は 姿を 消 し て しま う こ とを 歌 う︵ 91番 歌
︑参 照
︶︒ 当 歌 はそ れ を 踏ま え
︑他 の 鳥は 飛 び 立 って も 雲 雀に は 行 かな い で 欲 しい と い う 思 い を 詠 む︒
﹁春 の 末 野
﹂に
﹁春 の末
﹂︵ 三 月の 末︶ と﹁ 末野
﹂︵ 野原 の果 て︶ を掛 ける
︒
︵ 大八 木宏 枝︶ 簾外 燕
柏 玉
62ふ るす 有と つは めや 来つ るか はほ りの それ たに あら すこ すの まき れに 大 和物 語云
︑む 月十 日の 程な りけ り︒ すの うち より
︑し とね さし 出た り︒ ひき よせ てゐ る︒ すた れも
︑へ りは か はほ りに くは れて
︑所
! "
なし
︒内 のし つら ひ見 いる れは
︑む かし おほ えて
︑ゑ なと よか りけ れと
︑く ちお し くな りに けり
︒
﹇ 出典
﹈三 玉和 歌集 類題
︑春
︑簾 外燕
︒大 和物 語︑ 一七 三段
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄ ナシ
︒﹃ 大 和物 語
﹄﹁ ひ き よせ て ゐ る│ ひき よ せ てゐ ぬ
﹂﹁ ゑ な とよ か り けれ と
│た た みな と よか りけ れと
﹂︒
﹇ 訳﹈
簾外 の燕 古 巣が ある と勘 違い して 燕は 来た のだ ろう か︒ 蝙蝠 の古 巣す らな いの に︑ 蝙蝠 に食 われ た簾 を古 巣と 見間 違え て︒ 大 和物 語に よる と︑ 正月 十日 のこ ろだ っ た︒ 御 簾 の中 か ら 敷物 を 差 し出 し た︒
︵ 男 はそ れ を︶ 引 き寄 せ て 座っ
― 131 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
へり
て いる
︒簾 も縁 は蝙 蝠に 食わ れて
︑と ころ どこ ろな い︒ 家の 中の 調度 や飾 りつ けを のぞ いて みる と︑ 栄え た昔 の様 子 が偲 ばれ て︑ 絵な ど立 派だ った こと が分 かる のだ が︑ 今は みす ぼら しく なっ てし まっ た︒
﹇ 考察
﹈﹃ 大 和 物 語﹄ 一七 三 段 は︑ 五条 あ た りで 雨 に 降 られ た 良 岑の 宗 貞 の少 将 が
︑貧 し い女 の 家 で 雨 宿 り を す る 場
こ す
面
︒当 歌は 蝙蝠 に食 われ た﹁ 小簾
﹂︵ 御 簾の 意︶ を︑ 燕が 古巣 と勘 違い して 寄っ てく る様 を詠 んだ もの
︒
︵植 田彩 郁︶ 石清 水臨 時祭 63ち
らし かし 藤山 吹も 石清 水け ふの かさ しは 神の まに
! "
花 鳥余 情曰
︑臨︱ 時ノ
祭︑ 挿︱
頭
︑使
ハ
藤︑ 舞︱
人ハ
桜︑ 陪︱
従ハ
山吹 云云
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 二六 一番
︒花 鳥余 情︑ 第二
〇︑ 若菜 下︵ 源氏 物語 古註 釈叢 刊︑ 二七 二頁
︑武 蔵野 書院
︶︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 花 鳥余 情﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
石清 水臨 時祭 藤 も山 吹も 石清 水八 幡の 臨時 の祭 で散 るこ とは ない だろ うよ
︒今 日の 挿頭 は神 の思 し召 しの まま なの だか ら︒ 花 鳥余 情に よる と︑ 臨時 の祭 で︑ 挿頭 とし て使 者は 藤︑ 舞人 は桜
︑陪 従は 山吹
︵を それ ぞれ 冠に 飾る
︶云 云︒
﹇ 考察
﹈石 清水 臨時 祭は
︑石 清水 八幡 宮で 毎年 旧三 月の 午の 日に 行う 祭︒
﹃花 鳥余 情﹄ の注 釈は
﹃源 氏物 語﹄ 若菜 下の 巻
︵一 七一 頁︶ で︑ 光源 氏が 紫の 上や 明石 の女 御た ちを 伴な い︑ 住吉 神社 に盛 大な 願果 たし の参 詣を する 場面 にお
か ざ し
い て︑
﹁ かざ しの 花の 色
!
"
は
﹂と いう 箇所 に付 けら れた もの
︒﹁ 挿頭
﹂は 舞楽 の人 々が 冠に 飾る 造花
︵ ︒ 植 田彩 郁︶
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 132 ―
桃花 曝錦
柏 玉
64あ ひお もふ にし きと もみ る色 なれ や物 いは ぬ桃 の花 のう へを も 朗 詠集
︒公 乗億
︒織
ル レ
錦ヲ
機︱
ノ
中ニ ハ
己ニ
弁フ 二
相︱
思ノ
之字
ヲ 一
︒ 漢 書︑ 李広 伝賛
︒諺
ニ
曰︑ 桃︱
李不
レ
言
︑下 自ラ
成ス レ
蹊ヲ
︒
﹇ 出典
﹈三 玉和 歌集 類題
︑春
︑桃 花曝 錦︒ 和漢 朗詠 集︑ 上︑ 秋︑ 十五 夜付 月︑ 二四 一番
︒漢 書︵ 和刻 本正 史︶
︑評 林巻 五 四︑ 李広 蘇建 伝第 二四
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄
﹃ 漢書
﹄ナ シ︒
﹃和 漢朗 詠集
﹄﹁ 己
│已
﹂︒
﹇ 訳﹈
桃花
︑錦 を曝 す 互 いに 思い 合う 情を 織り 込ん だ錦 とも 見え る色 であ るな あ︒ もの を言 わな い桃 の花 のあ たり まで も︒ 和 漢朗 詠集
︒公 乗億
︒十 五夜 の月 光が あま りに も明 るい ので
︑妻 が夫 のた め錦 に織 り込 んだ 相思 の情 をう たう 文 字も
︑機 の中 では っき りと 読み 取れ るこ とだ ろう
︒ 漢 書︑ 李廣 伝賛
︒諺 によ ると
︑桃 やす もも の樹 はも のを 言わ ない が︑ その 木の 下は 自然 と人 に踏 まれ て小 道が で きる
︵よ うに
︑実 践が あれ ば名 声も それ に伴 なう もの だ︶
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 和漢 朗詠 集﹄ の漢 詩は
︑東 晋の 竇滔 の妻
︑蘇 蕙が
︑流 沙に 左遷 され た夫 のた めに 錦に 回文 の詩 を織 り込 んで 贈 った 故事 に基 づき
︑遠 別 の夫 を 恋 う 妻の 気 持 ちを 述 べ たも の
︒﹁ 桃 李 不言
︑下 自 成 蹊﹂ は︑
﹃史 記
﹄一 一︵ 列 伝︶
﹁李 将軍 列伝
﹂第 四九 にも 収録
︒当 歌は
︑桃 園の 美 し さを 錦 を 広げ た よ うだ と 例 え て︑ もの を 言 わな い 桃 花と
︑相 思 の情 が織 り込 まれ た錦 を対 比し たも の︒
― 133 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
︵植 田彩 郁︶
碧 玉
65う すく こき 三千 世の 花の から にし きき てか へら はや あか ぬ木 陰を
﹇ 出典
﹈三 玉和 歌集 類題
︑春
︑桃 花曝 錦︒
﹇異 同﹈
﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄
﹁木 陰を
│木 陰に
﹂︒
﹇ 訳﹈
︵ 桃花
︑錦 を曝 す︶ 濃 淡 の あ る美 し い 桃の 花 々 は︑ 三千 年 に 一 度だ け 花 を咲 か せ︑ 実 を結 ぶ と い う西 王 母 の桃 の 花 の よ う だ
︒出 世 し て
︑こ の花 々の よう に美 しい 錦を 着て 帰り たい もの だ︒ 名残 惜し い故 郷へ と︒
﹇ 考察
﹈﹁ 木陰
﹂は 華や かな 都に 対し て︑ 故郷 を 比 喩 的に 表 現 した も の︒
﹁ 錦を 着 て 帰 る﹂ とは
︑立 身 出 世を し て 故郷 へ 帰る こと
︒出 典は 67番 歌に 同じ
︒
し み づ
﹇ 参考
﹈﹁ 立ち よら ん木 陰ま れな る都 にも 清水 はあ りて 汲む ぞ涼 しき
﹂︵ 草 根集
︑二 九五 六︶
︒
︵ 吉岡 真由 美︶ 桃
同
66三 千と せの 花の うへ にも 咲て ちる なら ひは かは る春 やな から む
﹇ 出典
﹈三 玉和 歌集 類題
︑春
︑桃
︒﹇ 異同
﹈﹃ 三 玉和 歌集 類題
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
桃 三 千年 に一 度し か咲 かな いと いう 西王 母の 桃の 花で さえ も︑ 花が 咲け ば散 ると いう 定め がな くな る春 はな いだ ろう な あ︒
﹇ 考察
﹈出 典は 67番 歌に 同じ
︒﹁ 三千 とせ の花
﹂は 65︑ 番歌 の﹁ 三千 世の 花﹂ と同 じ︒ 当歌 は︑ 西王 母の 桃の 花で さえ
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 134 ―
散 る運 命に ある のだ から
︑ど の花 も散 るこ とを 惜し む情 を詠 む︒
︵ 吉岡 真由 美︶ 67匂
へな を花 にさ く名 も百 年の 十つ ゝみ つの 春を かさ ねて 事 文類 聚曰
︑西 王母 以二
七 月七 日一
降二
帝宮
一
︑命
シ テ 二
侍︱ 女ニ 一
索レ
桃ヲ
︒須︱
臾ニ シ テ
至︒ 盤 盛二
桃 七︱
枚ヲ 一
︑ 母自
ラ
噉レ
二ヲ
以二
五 枚ヲ 一
与フ レ
帝ニ
︒々 留レ
核ヲ
著レ
前ニ
︒母
カ
曰
︑﹁ 用 此何 為﹂
︒上
ノ
曰︑
﹁欲
ス レ
種ン ト レ
之ヲ
﹂︒ 母 笑テ
曰︑
﹁ 此桃 三︱
千︱
年ニ シ テ
而 著ク レ
子ヲ
︒非
ス 二
下︱ 土ノ
所一 レ
植ル
﹂︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 五三 番︒ 古今 事文 類聚
︑後 集︑ 巻二 五︑ 桃実
︑方 朔竊 桃︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 和刻 古今 事文 類聚 後 集﹄
﹁須 臾至
│須 臾已 至﹂
﹁ 々留 核│ 帝留 枚﹂
﹁三 千年 而著 子│ 三 千年 一著 子﹂
︒
﹇ 訳﹈
︵ 桃︶ な おも この 芳香 を漂 わせ てく れ︒ 三千 年の 春を 重ね て︵ 一度 だけ
︶花 が咲 く︵ とい う西 王母 の︶ 評判 のよ うに
︒ 事 文類 聚に よる と︑ 西王 母は 七月 七日 に︵ 崑崙 山か ら︶ 漢の 武帝 の住 む宮 殿へ 降り てき て︑ 侍女 に命 じて 桃を 探 させ た︒ 侍女 はあ っと いう 間に 桃を 探し て戻 って きた
︒平 たく まる い大 皿に 桃を 七つ 盛り
︑西 王母 みず から が 二つ を食 べ︑ 残り の五 つを 帝王 に与 えた
︒帝 王は 桃の 種を 残し て自 分の 目の 前に 置い たま まに して いた
︒そ れ を見 て西 王母 は︑
﹁ それ を用 いて 何を しよ うと いう ので すか
﹂と 帝王 に尋 ねた
︒帝 王は
︑﹁ この 桃の 種を 植え よ うと 思う ので す﹂ と答 えた
︒す ると 西王 母は 笑 い な がら
︑﹁ こ の 桃は 実 を つけ る の に 三千 年 の 歳月 を 要 しま す
︒人 の住 む世 界に 植え るも ので はあ りま せん
﹂と 言っ た︒
― 135 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
﹇ 考察
﹈西 王母 は西 方の 崑崙 山に 住む 神女 で︑ 古く は半 人 半 獣と し て 描か れ た が次 第 に 美 化さ れ
︑漢 代 には 女 神 とし て 広く 信仰 され た︒ 当歌 は西 王母 の桃 の評 判が 長い 歳月 の間 絶え なか った よう に︑ 今こ こに 漂う 桃の 花の 芳香 もず っ とあ り続 けて ほし いと いう 願い を詠 んだ もの
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 和刻 古今 事文 類聚
﹄は
︑寛 文六 年︵ 一六 六六
︶刊 行の 訓点 付き 和刻 本︒ 構成 は前 集六
〇巻
︑後 集五
〇巻
︑続 集 二八 巻︑ 別集 三二 巻︵ 以上
︑宋 の祝 穆撰
︶︑ 新 集一 五巻
︑外 集一 五巻
︵以 上︑ 元の 富大 用撰
︶︑ 遺集 一五 巻︵ 元の 祝 淵撰
︶よ り成 る︒
︵ 吉岡 真由 美︶ 桃花 68を
のつ から 道有 けり な山 賤の その ふも 桃の 花を しる へに 李 広伝
︑見 右︒ 文 選註
︒済 曰︑ 人皆 好二
桃︱
李ノ
之 邑一ヲ
︑ 遊二
其ノ
下一ニ
故ニ
成ス レ
蹊ヲ
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 二六 六番
︒文 選︑ 第三
○巻
︑雑 詩下
︑謝 玄暉
︑和
二
徐 都曹
一
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 和刻 本 文選
﹄﹁ 桃李 之邑
│桃 李之 色﹂
︒
﹇ 訳﹈
桃の 花 自 然と 道が ある のだ なあ
︒身 分の 低い 者の 家の 庭に も桃 の花 をし るべ にし て︒ 李 広伝 は右 の通 りで ある
︒︵ 64 番歌
︑参 照︶ 文 選註
︒呂 延済 によ ると
︑人 々は 皆︑ 桃李 の園 を好 むの で︑ その 木の 下で 遊び
︑そ のた めに 小道 がで きる
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 136 ―
﹇ 考察
﹈﹁ 文選 註﹂ は︑ 謝玄 暉 の 漢 詩﹁ 和二
徐 都 曹一
﹂の 一 節﹁ 桃 李成
二
蹊 逕一
﹂に
︑呂 延 済 が 注を 付 け たも の
︒当 歌 は︑ 徳 の 高 い 人に は 自 然に 人 が 集ま る と い う諺 に 対 して
︑身 分 の 低い 者 で も 桃の 花 が あれ ば
︑自 然 に人 が 集 ま る と 詠 む
︒
︵ 風岡 むつ み︶ 三月 三日 69空
かけ て色 も匂 ひも 三千 とせ に咲 てふ 桃の 花か つら せり 万 葉集
︑十 九︒ 三月 三日 宴歌
︑大 伴家 持︒
新 古 今入
か ら人 も船 をう かへ てあ そふ てふ 今日 そわ かせ こ花 かつ らせ る
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 五一 番︒ 万葉 集︑ 巻一 九︑ 四一 五三 番︒ 新古 今和 歌集
︑巻 二︑ 春下
︑一 五一 番︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 万葉 集﹄
﹁花 かつ らせ る│ 花か つら せよ
﹂︒
﹃ 新古 今集
﹄﹁ か ら人 も│ から 人の
﹂﹁ 花か つ らせ る│ 花か つら せよ
﹂︒
﹇ 訳﹈
三月 三日 空 一面 に花 の色 も香 りも 満ち あふ れ︑ 三千 年に 一度 咲く とい うあ の桃 の花 で︑ 花か ずら を飾 って 遊ん だこ とよ
︒ 万 葉集
︑巻 第十 九︒ 三月 三日 宴の 歌︑ 大伴 家持
︒ 唐 土の 人も 船を 浮か べて 遊ぶ とい う今 日︑ わが 友は 皆︑ 花か ずら を飾 って 遊ん でい るよ
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 万葉 集﹄ は大 伴家 持が 三月 三日 に自 邸で 行っ た︑ 曲水 の宴 の際 に詠 んだ 歌︒ 三千 年に 一度 咲く 桃花 につ いて
み ち
は 65︑ 67〜 番歌 参照
︒﹁ 三 千と せ﹂ の﹁ みち
﹂に
﹁満 ち﹂ を掛 ける
︒
― 137 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
︵ 風岡 むつ み︶ 70あ
ひに あひ て空 も花 にや 酔の うち の光 さし そふ 春の さか つき 本 朝文 粋︒ 三月 三日 詩序
︒菅 贈大 相国
︒春
ノ
之暮︱
月︑
月ノ
之 三︱
朝︑ 天酔
リ 二
于 花ニ 一
︒ 桃︱
李ノ
盛ナ ル 也
也 云云
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑七 四七 八番
︒本 朝文 粋︑ 巻第 一○
︑二 九五 番︒
本
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 空 も花 にや
│空 の花 にや
﹂︒
﹃ 本朝 文粋
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
︵ 三月 三日
︶
︵三 月三 日と いう
︶折 に合 って
︑空 も桃 李の 花に 酔っ て い るの だ ろ うか
︒夕 暮 の 月の 光 が 射 し加 わ る 春の 盃 で ある よ 本 ︒ 朝文 粋︒ 三月 三日 詩序
︒菅 原道 真︒ 春の 終り の三 月︑ それ も三 日と いう 日︑ 天が 一面 に花 に酔 った よう に紅 に 染ま る︒ それ は桃 李が 満開 であ るか らだ
︒
﹇ 考察
﹈出 典は 宇多 天皇 が催 した 三月 三 日 の曲 水 の 宴で
︑菅 原 道 真が 詠 ん だ 詩﹁ 花時 天 似 酔﹂ の序
︒当 歌 は﹁ 酔 のう ち
﹂に
﹁宵 のう ち﹂
︑﹁ さ かつ き﹂
︵ 盃︶ に﹁ 月﹂ を掛 ける
︒
﹇ 参考
﹈菅 原道 真の 詩 は﹃ 菅家 文 草﹄ 巻 五や
﹃和 漢 朗 詠集
﹄︵ 上
︑春
︑三 月 三 日付 桃
︑ 三九 番
︶に も 収め ら れ︑ 本 文異 同 は見 られ ない
︒
︵ 風岡 むつ み︶ 71色
も香 もあ かぬ 春か な鳥 の跡 をう つす なか れの 花の さか つき 淮 南子 曰︑ 昔シ
蒼︱
頡 作レ
書ヲ
而 天雨
レ
粟ヲ
鬼夜
ル
哭ス
︒許 慎カ
曰︑ 蒼︱
頡始
テ
視テ 二
鳥︱
跡ノ
之文
ヲ 一
造二
書︱
契ヲ 一
︒則 詐︱
偽萌︱ 生ス
云
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 138 ―
云
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 五二 番︒ 淮南 子︑ 巻八
︑本 経訓
︑三 六九 頁︒ 淮南 鴻烈 解︑ 巻八
︑本 経訓
︑五 丁裏
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 淮南 子﹄
﹁昔 蒼 頡│ 昔 者 蒼頡
﹂﹁ 許 慎 曰蒼 頡 始 視鳥 跡 之 文 造書 契 則 詐偽 萌 生 云云
│ナ シ
﹂︒
﹃ 淮南 鴻烈 解﹄
﹁ 昔蒼 頡│ 昔者 蒼頡
﹂﹁ 許慎 曰│ ナシ
﹂︒
﹇ 訳﹈
︵ 三月 三日
︶ 色も 香も 飽き るこ との ない 春で ある こと よ︒ 鳥の 跡を 写し て漢 字が 作ら れた が︑ その 漢字 を写 して 漢詩 を詠 む曲 水の 流れ に︑ 花の 宴の 美し い杯 が流 れて くる よ︒ 淮 南子 によ ると
︑昔
︑蒼 頡が 始め て文 字を 作る と︑ 天は 粟の 雨を 降ら せ︑ 鬼は 夜泣 きし た︒ 許慎 によ ると
︑蒼 頡 が初 めて 鳥の 足跡 の文 様を 見て 文字 を作 った
︒そ れに より
︑人 々に 偽り の心 が起 こり はじ まっ た云 々︒
﹇ 考察
﹈当 歌は
︑三 月三 日に 行な われ た曲 水の 宴の 様子 を 詠 んだ も の︒ 参 会者 は 庭 園の 曲 水 の 流れ に 沿 って 所 々 に座 り
︑上 流か ら流 され る杯 が自 分の 前を 通り 過ぎ ない うち に詩 歌を 詠じ て杯 を取 り上 げ酒 を飲 む︒
﹇ 参考
﹈許 慎は 後漢 の人
︒彼 の著 書で 中国 最古 の 文 字学 書
﹃説 文 解字
﹄の 序 に も︑ 黄帝 の 臣 で あっ た 蒼 頡が 鳥 跡 を見 て 文字 を創 作し たこ とは 書か れて いる が
︑﹁ 許 慎 曰﹂ 以下 の 本 文は 見 当 たら な い︒ そ の 本文 は 高 誘注 の
﹃淮 南 鴻烈 解
﹄に 見ら れ︑ 寛文 四年
︵一 六六 四︶ 年版 の高 誘注 茅坤 批評
﹃淮 南鴻 烈解
﹄に よる
︒﹁ 鳥の 跡を うつ す﹂ に︑ 鳥の 跡 を写 して 漢字 が出 来た こと と︑ 曲水 の宴 で漢 字を 紙に 写す こと を掛 ける
︒
︵城 阪早 紀︶ 春神 祇
― 139 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
柏 玉
72石 清水 その 神わ さの その かみ に今 たに かへ す袖 の春 風 公 事根 源云
︑石 清水 臨時 祭︑ まつ 二月 の頃 より
︑奉 行の 蔵人
︑使
︑舞 人を 申さ たむ
︒中 の辰 の日
︑試 楽の 事有 云 々
︒中
︒略
竹 台 の 下 に て
︑竹 の 枝 を 折 て か さ し に さ す︒ 仁 寿 殿 の 廊 の 下 よ り す ゝ み て
︑御 前 に つ ら な り た つ
︒陪 従︑ 近衛 の召 人︑ 求子 うた ひ︑ 笛︑ 篳篥 の音 をあ はす
︒舞 人ま ひお はり て︑ 大比 礼か へし うた ひて
︑舞 た えす して まか りい つ云 々︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 八七 七番
︒公 事根 源︑ 五五
︑石 清水 臨時 祭︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新 編 国 歌 大 観
﹄﹁ か へ す│ か へ せ
﹂﹁ 春 風│ は つ か ぜ﹂
︒﹃ 公 事 根 源﹄
﹁求 子 う た ひ
︑笛
│求 子 う た ひ︑ こ と︑ 笛
﹂︒
﹇ 訳﹈
春の 神祇 石 清水 八幡 宮は その 昔︑ あの 神業 を成 し遂 げた 神に
︑今 でも なお 舞人 が袖 をひ るが えし て舞 い︑ その 袖が 春風 にひ る がえ って いる なあ
︒ 公 事根 源に よる と︑ 石清 水臨 時祭 は︑ まず 二月 の頃 より 奉行 の蔵 人・ 祭使
・舞 人を 定め る︒ 中の 辰の 日に
︑祭
う て な
当 日に 社頭 にて 行う 舞楽 を︑ 主上 の御 前で 試 み る云 々
︒中 略
︒ 清涼 殿 の 東庭 に あ る 竹を 植 え た台 の 下 で︑ 竹の 枝 を折 り舞 人の 冠に 刺す
︒仁 寿殿 の廊 のも と よ り 進み
︑御 前 に 列と な り 立つ
︒︵ 舞 人 に 従い 歌 を 歌っ た り 笛を 吹 いた り琴 を弾 く︶ 陪従 や︑ 近衛 司の 将曹 府生 で音 楽に 堪能 な者 たち が︑ 東遊 の﹁ 求子
﹂を 歌い
︑笛
・篳 篥の 音 を合 わせ て奏 でる
︒舞 人が 舞い 終わ ると
︑東 遊の 終わ りに 歌う
﹁大 比礼 かへ し﹂ を歌 って 舞い なが ら退 出す る 云々
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 140 ―
﹇ 考察
﹈石 清水 臨時 祭は
︑朱 雀天 皇の 天慶 五年
︵九 四二
︶︑ 承平
・天 慶の 乱平 定の 報賽 のた めに 臨時 に行 われ たの が始 ま りで
︑の ち恒 例と なる
︒東 遊は
︑東 国の 風俗 歌に 合わ せて 舞う もの であ った が︑ 平安 時代 には 宮廷 に取 り入 れら れ 貴族 や神 社の 間で も行 われ るよ うに なっ た︒
﹇ 参考
﹈﹃ 公事 根源
﹄の 本文 は︑ 関根 正直
﹃修 正公 事根 源新 釈﹄
︵ 六合 館︑ 一九 二五 年︶ によ る︒
︵城 阪早 紀︶ 春居 処 73花
あれ はよ るも 入来 てと さし せぬ 世を 光な る春 の家
! "
白 氏詩
︒遥
ニ
見テ 二
人︱
家ヲ 一
花ア レ ハ
便チ
︱
入ル
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑六 三二 番︒ 白氏 文集
︵白 楽天 全詩 集4
︶︑ 巻一 四︑ 又題 一絶
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 白 氏文 集﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
春の 居る とこ ろ 花 が咲 いて いれ ば︑ 夜で も入 って 来ら れる よう に戸 を閉 ざす こと もし ない
︑平 和な 世で ある ので
︑春 の夜 が更 けて も
︑ど の家 にも 明か りが 灯っ てい るよ
︒ 白 氏文 集︒ 遙か に人 の家 を見 て花 が咲 いて いれ ば︑ すぐ に入 る︒
﹇ 考察
﹈漢 詩の 全文 は︑
﹁貌 随年 老欲 如何
︑興 遇 春 牽 尚有 余
︑遙 見 人家 花 便 入︑ 不論 貴 賤 与 親疎
﹂︵ 容 貌 は一 年 増 しに 老 衰し てど うに もし 難い が︑ 春に なる と余 りあ るほ ど の 感 興に 引 か れる
︒遙 か に 人の 家 を 見 て花 が 咲 いて い れ ば︑ 貴 賤親 疎に 関わ ら ず 入り こ ん で見 る
︶で あ る︒ 第 三・ 四句 は
︑﹃ 和 漢朗 詠 集﹄
︵ 上︑ 春︑ 花付
落花
︑一 一 五 番︶ にも
― 141 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
採 録︒
︵城 阪早 紀︶ 春海 74と
こよ にも ゆか はや ゆか ん水 の江 のう らゝ なる 日の あま の釣 舟 日 本紀
︒大
︱
泊︱
瀬 幼︱
武ノ
天 皇 二 十二 年
︑秋 七 月︑ 丹 後ノ
国 余 社ノ
郡 管 川ノ
人
︑水
︱
江ノ
浦嶋 子
︑乗
レ
舟而 釣
︑遂 得二
大 亀ヲ 一
︒便
チ
化シ テ
為レ リ レ
女ト
︒於
レ
是 浦嶋 子︑ 感シ テ
︱
以為
レ
婦︑ 相︱
逐テ
入レ
海ニ
到二
蓬莱 山一
歴二
覩 仙衆
一
︒ 語ハ
在二
別︱ 巻ニ 一
云 云︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 一九 四番
︒日 本書 紀︑ 巻第 一四
︑雄 略天 皇︑ 二〇 六頁
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 日本 書紀
﹄﹁ 丹後 国│ 丹波 国﹂
︒
﹇ 訳﹈
春の 海
︵海 の向 こう にあ ると いう
︶常 世の 国に も行 ける な ら ば行 こ う︒ 水 の江 の 入 江が の ど か な春 の 日 に︑ 漁師 の 小 さな 釣 り舟 で︒ 日 本書 紀︒ 大泊 瀬幼 武天 皇の 二十 二年
︑秋 の七 月に
︑丹 後国 余社 郡管 川の 人︑ 水江 浦嶋 子は
︑舟 に乗 って 釣り を して いて 大亀 を得 た︒ 大亀 はた ちま ち女 にな った
︒浦 嶋子 は心 ひか れて 妻に し︑ あと を追 って 海に 入り
︑蓬 莱 山に 着い て︑ 仙衆 を見 て廻 った
︒こ の話 は別 巻に ある 云云
︒
﹇ 考察
﹈﹁ 余社
﹂は
﹁与 謝﹂ に同 じ︒ もと 丹波 国の 管下 にあ った が︑ 和銅 六年 四月 に与 謝郡 を含 む五 郡と とも に分 かれ て 丹後 国と なる
︒
﹇ 参考
﹈神 仙郷 に渡 った とい う浦 嶋子 伝説 は︑
﹃万 葉集
﹄巻 九︵
﹁ 詠二
水江 浦嶋 子一
一 首并 短歌
﹂一 七四
〇番
︶と
︑﹃ 丹後
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 142 ―
国 風土 記﹄ に見 られ る︒
︵松 井佑 生︶ 春声
柏 玉
75花 に鳴 初う くひ すの 声は かり 我う ち出 ん言 のは そな き 古 今序
︒や まと 歌は 人の 心を たね とし て︑ よろ つの 言の はと そな れり ける
︒世 の中 に有 人︑ こと わさ しけ き物 な れは
︑心 に思 ふこ とを
︑み る物
︑き くも のに つけ て︑ いひ 出せ るな り︒ 花に なく うく ひす
︑水 に住 蛙の 声を き けは
︑い きと しい ける 物︑ いつ れか 歌を よま さり ける
︒
﹇ 出典
﹈三 玉和 歌集 類題
︑雑
︑春 声︒ 古今 集︑ 仮名 序︑ 一七 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄
﹁ 声│ 色﹂
︒﹃ 古 今集
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
春の 声 花 間に さえ ずり 春を 告げ るう ぐい すの 初声 に劣 らず
︑私 の口 から 出る よう な言 葉は ない なあ
︒ 古 今集 の仮 名序
︒や まと 歌と は︑ 人の 心を 種に たと える と︑ それ から 生じ て口 に出 て無 数の 葉と なっ たも ので あ る︒ この 世に 暮ら して いる 人々 は︑ さま ざま の事 にた えず 応接 して いる ので
︑心 に思 うこ とを 見た こと 聞い た こと に託 して 言い 表し たも のが 歌で ある
︒花 間に さえ ずる 鶯︑ 清流 にす む河 鹿の 声を 聞け ば︑ 自然 の間 に生 を 営む もの にし て︑ どれ が歌 を詠 まな いと 言え よう か︒
﹇ 考察
﹈﹃ 古今 集﹄ 仮名 序は
︑和 歌と は何 かに つい て述 べた 箇所 であ り︑ 鶯や 河鹿 など 生き てい るも ので 歌を 詠ま ない も のは ない と説 く︒ 当歌 は︑ 鶯の 初声 ほど 優 れ た 歌を 作 れ ない
︑と 詠 ん だも の
︒﹃ 古 今 和歌 集 序 聞書 三 流 抄﹄ など
― 143 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
中 世に 成立 した
﹃古 今集
﹄の 注釈 書に は︑ 鶯も 和歌 を詠 む例 とし て︑ 鳴き 声を 漢字 で写 すと 漢詩 にな り︑ それ を翻 訳 する と和 歌に なっ た︑ とあ る︒
︵松 井佑 生︶ 春祝 76春
の水 春の 風も やお さま れる 世の 声そ へて のと か成 らん 白 氏文 集︒ 春︱
風春︱ 水 一︱
時ニ
来︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 二三
〇番
︒白 氏文 集︵ 白楽 天全 詩集 4︶
︑巻 一〇
︑府 西池
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 白 氏文 集﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
春の 祝 春 の雪 解け の水 も春 風も 治ま った のだ ろう か︒
︵ 春の 訪れ を喜 ぶ︶ 世間 の声 も加 わり 穏や かに なっ たの だろ う︒ 白 氏文 集︒ 春の 風と 春の 雪解 けの 水は 同時 に来 る︒
﹇ 参考
﹈﹁ をさ まれ る世 の声
﹂で 始ま る和 歌が
︑﹃ 柏 玉集
﹄に 二首 ある
︵二 七・ 一九
〇四 番︶
︒
︵牛 窓愛 子︶ 春野 77名
のみ して とふ 火も 見え ず春 日野 や風 しつ か成 御代 の春 哉 続 日本 紀曰
︑元 明天 皇︑ 和銅 五年 正月
︑廃
シ テ 二
河 内国 高安
ノ
烽ヲ 一
始テ
置二
高 見烽 及大 和国 春︱
日ノ
烽ヲ 一
以テ
通二
平︱
城一
也︒ 史 記︑ 周本 紀曰
︑幽 王 為二
燧燧 太鼓
ヲ 一
有二
寇︱
至一
則 挙二
烽火
ヲ 一
︒諸︱
侯悉
︱ク
至ル
云云
︒正 義 曰︑ 昼︱ 日ニ ハ
燃レ
烽以 望二
火︱
煙ヲ 一
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 144 ―
夜ハ
挙テ レ
燧ヲ
以 望ム 二
火︱
光ヲ 一
也
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑六
〇〇 五番
︒続 日 本 紀︵ 新 訂増 補 国 史大 系
︶︑ 元 明天 皇
︑和 銅 五 年正 月
︒史 記︑ 周 本紀
︑一 九 九 頁︒ 史 記正 義︵ 四庫 全書
︶︑ 周 本紀
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 史 記正 義﹄ ナシ
︒﹃ 続日 本紀
﹄﹁ 大 和国
│大 倭国
﹂︒
﹃ 史記
﹄﹁ 燧燧
│燧 烽﹂
︒
﹇ 訳﹈
春の 野 名 前だ けで 狼煙 も見 えな い春 日野 であ るな あ︒ 風も 静か な天 皇の 治世 の春 であ るこ とよ
︒ 続 日本 紀に よる と︑ 元明 天皇 の和 銅五 年︵ 七一 二︶ 正月
︑河 内国 高安 の烽 を廃 止し て︑ 初め て高 見の 烽と 大和 国 春日 野の 烽を 置く こと で︑ 平城 京に 連絡 を通 じさ せた
︒ 史 記︑ 周本 紀に よる と︑ 幽王 は烽 火と 太鼓 を造 らせ て︑ 寇の 侵入 があ ると 烽火 を挙 げ︑ 諸侯 に連 絡す るよ うに し てお いた
︒正 義に よる と︑ 昼間 は烽 を燃 やす こと で煙 を望 見し
︑夜 間は 燧を 挙げ て火 の光 を望 見す る︒
﹇ 考察
﹈春 日野
︵奈 良市 春日 山の 裾野
︶に は﹁ 烽﹂ が置 か れ てい る が︑ そ れが 機 能 する こ と も ない 平 和 な時 代 を 詠ん だ もの
︒
︵牛 窓愛 子︶ 春獣 78鹿
をさ して 馬と もけ にそ 夕霞 三笠 の野 への 遠き よそ めは 史 記 曰︑ 趙︱
高 欲ス レ
為ン ト レ
乱ヲ
︒恐
二
群︱
臣不
一レ
聴
︑乃 先ツ
設レ
験ヲ
持レ
鹿ヲ
献シ テ 二
於 二︱
世ニ 一
曰︑
﹁馬 也
﹂︒ 二︱
世 笑テ
曰︑
﹁ 丞︱
相 誤カ
邪︑ 謂テ レ
鹿ヲ
為レ
馬
﹂︒ 問二
左︱ 右ニ 一
︑左︱
右或
ハ
黙シ
︑或
ハ
言テ レ
馬ト
︑ 以テ
阿二
│
順ス
趙︱ 高ニ 一
云云
︒
― 145 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑六
〇〇 九番
︒史 記︵ 本紀 上
︶一
︑秦 始皇 本紀 第六
︑三 八一 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 史記
﹄﹁ 於二 世│ 于二 世﹂
︒
﹇ 訳﹈
春の 獣 鹿 を指 して 馬と 言っ たの も︑ なる ほど だな あ︒ 夕方
︑霞 に覆 われ た三 笠の 野を 遠い とこ ろか ら見 ると
︵鹿 が馬 に見 え るな あ︶
︒ 史 記に よる と︑ 趙高 は反 乱を 起こ そう と思 った
︒群 臣が 自分 の意 見を 聴き 入れ ない ので はな いか と心 配し
︑ま ず 試し てみ よう とし て︑ 鹿を 二 世に 献 じ て︑
﹁ これ は 馬 です
︒﹂ と 言 った
︒二 世 は 笑 って
︑﹁ 丞 相 は間 違 っ たの で はな いか
︒鹿 を馬 だと いっ て﹂ と言 った
︒左 右の 臣下 たち に問 うと
︑左 右の 臣下 たち の或 るも のは 沈黙 した ま まで あり
︑或 るも のは 馬だ とい って 趙高 にへ つら い従 った 云々
︒
﹇ 考察
﹈趙 高は 秦の 宦官 で︑ 始皇 帝の 死後
︑丞 相の 李斯 と 共 に始 皇 帝 の長 子 扶 蘇を 殺 し︑ 次 子 の胡 亥 を 二世 皇 帝 とし た
︒当 歌は
︑趙 高が 馬を 鹿だ と無 理に 言っ て
︑そ の 反 応か ら 敵 味方 を 判 別し よ う と した
﹃史 記
﹄の 一 節を 踏 ま え︑ 遠 目 で 見 ると 三 笠 の 野
︵春 日 山 の 西 峰 で あ る 三 笠 山 の 裾 野
︶に い る 鹿 も 馬 に 見 え る こ と を 詠 む︒
﹁げ に ぞ 夕
﹂の
﹁夕
﹂に
﹁ゆ ふ﹂
︵言 ふ︶ を掛 ける
︒
︵植 田彩 郁︶ 春 歌中
住 吉法 楽云 々
79百 千と りさ こそ はあ まの さへ つり も春 のう みへ のう らゝ なる 空の す まの 巻︒ あま とも あさ りし て︑ かい つ物 もて まゐ れる を︑ めし 出て 御ら んす
︒浦 にと しふ るさ まな と︑ とは
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 146 ―
せ たま ふに
︑さ ま
!
"
や すけ なき 身の うれ へを 申す
︒そ こは かと なく さへ つる も云 々︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑七 一七 五番
︒源 氏物 語︑ 須磨 巻︑ 二一 四頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃湖 月抄
﹄﹃ 承 応﹄ ナシ
︒
うん ぬ ん
﹇ 訳﹈
春歌 の中 住 吉法 楽云 々 百 千鳥 が天 でさ えず る声 は︑ さぞ かし 海人 が何 やら 分か らぬ こと を喋 って いる よう だ︒ 春の 海辺 のの どか な空 のも と で︒ 須 磨の 巻︒ 海人 たち が漁 をし て︑ 貝の 類を 持参 する のを
︑︵ 源 氏の
︶御 前に お呼 び出 しに なっ てご らん にな る︒ 海 辺で 長い 年月 暮ら して いる 様子 など を︵ 源氏 が︶ 尋ね させ なさ ると
︑い ろい ろと 苦労 の多 い身 の上 のつ らさ を 申し あげ る︒ 何や ら分 から ぬこ とを とり とめ もな く喋 って いる 云々
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 源氏 物語
﹄は
︑須 磨に いる 光源 氏を 頭中 将が 訪問 し︑ 光源 氏が 料理 に使 う貝 の類 を持 参し た海 人た ちに 暮ら し の様 子を 尋ね る場 面︒
﹁ あま
﹂は
﹁天
﹂と
﹁海 人﹂ の掛 詞︒
﹁百 千鳥
﹂は 古今 伝授 の中 の三 鳥の 一つ で︑ 和歌 の神 を 祭っ た住 吉大 社に ふさ わし い︒
︵植 田彩 郁︶ 宇春
津 山 80あ
ふ人 も夢 路は かり のう つの 山わ か入 みち はく らき 霞に い せ物 語云
︑行
! "
て︑ する かの 国に いた りぬ
︒宇 津の 山に いた りて
︑わ かい らん とす る道 は︑ いと くら ふ細 き に︑ 蔦楓 は茂 り︑ 物こ ゝろ ほそ く云 々︒
ふ か イ
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五
〇七 五番
︒伊 勢物 語︑ 九段
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹁く らき
│く らき
﹂︒
﹃ 伊勢 物語
﹄ナ シ︒
― 147 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
﹇ 訳﹈
春の 宇津 の山 あ の人 に会 える のも 夢の 中だ けで
︑こ れか ら自 分が 入ろ うと する 宇津 の山 辺の 道は 暗い 霞に 覆わ れて いて
︒ 伊 勢物 語に よる と︑ 一行 は旅 をつ づけ て駿 河の 国に 着い た︒ 宇津 の山 に来 てみ ると
︑こ れか ら自 分が 入ろ うと す る道 はひ どく 暗く 心細 いう えに
︑蔦 や楓 は茂 り︑ なん とな く心 細く 云々
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 伊勢 物語
﹄は
︑我 が身 を無 用の もの と思 いこ み東 国へ 旅に 出た 男が
︑駿 河の 国に 着き 宇津 の山 を越 えよ うと す る場 面︒ その とき 男が 詠ん だ和 歌﹁ 駿河 なる うつ の山 辺の うつ つに も夢 にも 人に 会は ぬな りけ り﹂ も︑ 当歌 は踏 ま えて いる
︒
︵植 田彩 郁︶ 款冬 81花
の中 にひ とへ に菊 のた くひ とや 咲く 山吹 に春 もく れけ り 元 稹詩
︒不
二
是レ
花ノ
︱
中ニ
偏ニ
愛ス ル ニ 一レ
菊ヲ
︑此
︱
花 開テ
︱
後更
ニ
無ケ レ ハ也 レ
花
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 八八 八番
︒和 漢朗 詠集
︑上
︑秋
︑菊
︑二 六七 番︒
﹇異 同﹈
﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 和漢 朗詠 集﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
款冬
︵山 吹 は︶ 花 の中 で は まっ た く 菊と 同 類 で あろ う か︒
︵ 菊が 散 る と秋 が 暮 れ るよ う に︶ 山 吹が 咲 い て 春 も 暮 れ た な あ 元 ︒ 稹の 詩︒ 私は 多く の花 の中 でも
︑菊 だけ を愛 す る わ けで は な い︒ でも や は り菊 に 特 別 の思 い を 寄せ る の は︑ こ の花 の咲 いた 後に
︑来 年の 春ま でほ かに は花 らし い花 がな いか らだ
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 148 ―
﹇ 考察
﹈﹁ 花開 後﹂ の箇 所︑
﹃ 元氏 長慶 集﹄ には
﹁花 開尽
﹂と ある
︒こ の異 同に 関し て北 村季 吟﹃ 和漢 朗詠 集註
﹄に は︑
﹁或 記云 嵯峨 隠君 子ノ 琴ヲ ヒキ ケル ニ元 慎ガ 霊ノ アラ ハレ テ 云 ケル ハ 後 ノ字 ハ ア ヤマ リ ナ リ 此花 開 尽 トア ル ベ キナ リ ト云 シ云 云﹂ と引 用し てい る︒
︵ 大八 木宏 枝︶ 折款 冬 82雨
にき るみ のな しと てや 山吹 の露 にぬ るゝ は心 つか らを 後 拾遺 和歌 集云
︑小 倉の 家に 住侍 る頃
︑雨 のふ り侍 りけ る日
︑み のか る人 の侍 りけ れは
︑山 吹の 枝を 折て
︑と ら せて 侍り けり
︒心 もえ てま かり 過て
︑ま たの 日︑ 山吹 心え さる よし
︑い ひお こせ て侍 りけ るか へし に︑ いひ つ かは しけ る︒ 兼明 親王
︒ 七 重八 重は なは さけ とも 山吹 のみ のひ とつ たに なき そあ やし き
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 六六 六番
︒後 拾遺 集︑ 巻一 九︑ 雑五
︑一 一五 四番
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 後拾 遺集
﹄﹁ 住侍 る頃
│す み侍 ける 比﹂
﹁ ふり 侍け る日
│降 ける 日﹂
﹁山 吹心 えさ るよ し
│や ま吹 の心 もえ さり しよ し﹂
﹁ 兼明 親王
│中 務卿 兼明 親王
﹂︒
﹇ 訳﹈
款冬 を折 る
みの
雨 の時 に着 る蓑 がな いか らだ ろう か︒
︵ 実の ない
︶山 吹が 露に 濡れ てい るの は自 分の せい であ るよ
︒ 後 拾遺 和歌 集に よる と︑ 小倉 の家 に住 んで いま した 頃︑ 雨が 降っ てい まし た日 に︑ 蓑を 借り る人 がい まし たの で
︑山 吹の 枝を 折っ て持 たせ まし た︒ 山吹 の枝 を与 えた 意味 が理 解で きな いま ま去 りま して
︑ま たの 日に
︑山
― 149 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
吹 の枝 の意 味が 理解 でき ない 旨を 言い 寄越 して 来ま した 返し に詠 み送 った
︒兼 明親 王︒ 山 吹の 花は 七重 にも 八重 にも 咲く けれ ども
︑実 の一 つす ら付 かな いの は奇 妙な こと だ︒ 貸せ る蓑 が一 つも ない の はお かし なこ とだ
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 後拾 遺集
﹄の 和歌 は﹁ みの
﹂に 山吹 の﹁ 実の
﹂と
﹁蓑
﹂を 掛け
︑山 吹の 枝を 渡し たの は蓑 がな いか らだ と打 ち 明け たも の︒ 当歌 はそ れを 踏ま え︑ 山吹 が露 に濡 れる のは 実の ない 花︑ すな わち 蓑が ない 花だ から だと 詠む
︒
︵ 大八 木宏 枝︶ 春歌 中 83お
ろか なる 心の 水の かは つま て言 葉の 花は しる かと そ聞 古 今序
︒ま へに しる し侍 り︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 三六 九番
︒古 今集
︑仮 名序
︑一 七頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
春の 歌の 中 愚 かな 心の 持ち 主で ある 水に 住む 蛙の 声ま でも が︑ こと ばの 花で ある 和歌 を知 って いる かの よう に聞 こえ る︒ 古 今集 仮名 序︒ 前に 記し てお りま す︒
︵ 75番 歌︑ 参照
︶
﹇ 考察
﹈﹁ 言葉 の花
﹂に は︑ 修辞 を凝 らし た華 やか な言 葉と いう 意味 もあ るが
︑こ こで は和 歌を 指す
︒
︵ 吉岡 真由 美︶ 松藤 84雲
をし のく 松の うへ なる 藤の 花水 なき 空の 波か あら ぬか
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部
― 150 ―
李 白︒ 南軒 有二
孤 松一
︑柯 葉自 綿︱
冪ス
︒ 何当 凌雲 霄︑ 直上 数千 尺︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 八四 番︒ 李太 白詩
︵和 刻本 漢詩 集成 2︶
︑巻 二四
︑南 軒松
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 李 太白 詩﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
松と 藤 雲 を押 しの ける よう な立 派な 松の 上に 藤の 花が 咲い てい る︒ その 藤波 は水 がな い空 に波 があ るの か︑ と見 間違 える ほ どだ
︒ 李 白︒ 家の 南軒 の近 くに 一本 の松 があ り︑ その 枝葉 は稠 密に して 重な り合 うく らい であ る︒ いよ いよ 成長 して 直 立数 千尺 に及 べば
︑き っと 大空 をし のぐ ほど にな るだ ろう
︒
﹇ 考察
﹈﹁ 南軒 松﹂ は李 白が 孤松 を賞 賛 し て︑ そ の長 寿 を 祝し た 詩︒ 当 歌の 第 四 句﹁ 水 なき 空
﹂の 典 拠は
︑﹁ さ く ら花 ち りぬ る風 のな ごり には 水な き空 に波 ぞ立 ちけ る﹂
︵ 古今 集︑ 二︑ 春下
︑八 九︑ 紀貫 之︶
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 和刻 本漢 詩集 成﹄ 所収 本は
︑延 宝七 年︵ 一六 七九
︶覆 明刊 本︒
︵ 吉岡 真由 美︶ 惜春 不駐 85し
はし とて 入日 をま ねく 玉ほ この 道た にも なく くる ゝ春 かな 淮 南子 曰︑ 魯︱
陽︱
公与
レ
韓 搆レ
難ヲ
︑ 戦酣
ニ シ テ
日︱
暮
︒援
テ レ
戈ヲ
而揮
レ
之ヲ
︑日
︱
反ル コ ト
三︱
舎︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 九五 番︒ 淮南 子︑ 巻六
︑覧 冥訓
︑二 九二 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 淮南 子﹄
﹁援 戈而 揮之
│援 戈而 撝之
﹂﹁ 日 反三 舎│ 日為 反三 舎﹂
︒
― 151 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 春 部
︵ 下
︶・ 夏 部