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茨 不

剪︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑四 九四 番︒ 古今 事文 類聚

︵四 庫全 書︶

︑続 集巻 五︑ 堯土 階︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 古今 事文 類聚

﹄﹁ 釆│ 采﹂

"

!

﹂︒

﹇ 訳﹈

菖蒲 草 茅 葺屋 根の 昔の 住処 を忘 れな けれ ば︑ 寝こ ろび なが ら軒 の菖 蒲も 根が 付い たま ま見 られ るだ ろう

― 161 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 下

︶・ 夏 部

事 文類 聚続 集︒ 堯が 天下 に王 であ った とき は︑ 建物 で︑ 高さ が三 尺あ るい ちい

︵の 木の 材の

︶の 垂木 にか んな

も かけ ず︑ 茅葺 屋根 の端 も切 りそ ろえ なか った

﹇ 考察

﹈端 午の 節句 には

︑邪 気を 払う ため に菖 蒲 や 蓬を 軒 に 挿す 風 習 があ る

︒ま た︑ 歌 合 のよ う に 左右 に 分 かれ

︑菖 蒲 の 根 の 長短 を 競 う﹁ 根合

﹂と い う 遊戯 も 行 な わ れ る︒ 当 歌 の 第 四 句 の

﹁ね な か ら

﹂は

﹁寝 ね が ら

﹂と

﹁根 な が ら

﹂の 掛詞

﹇ 参 考﹈

﹃古 今 事 文 類 聚﹄ は 宋 の 祝 穆 編︑ 古 今 の 群 書 の 要 語

・事 実

・詩 文 を 集 め 分 類 し た 中 国 の 類 書

︒﹃ 韓 非 子

﹄の

﹁五 蠹第 四十 九﹂ にも

︑﹁ 堯之 王

天 下

也︑ 茅茨 不

︑采 椽不

!

﹂の 記述 が見 られ る︒

︵植 田彩 郁︶ 夏歌 中 100声 をな をい かに か忍 ふほ とゝ きす 血の なみ たに もな くと こそ きけ 格 物 論 曰︑ 杜

鵑︑ 一名

杜 宇︑ 一名

子 規︒ 三

四月

間 夜

鳴達 且

︒其

声 哀

而 吻

︑漬

一ヲ

︒初

︑則 有

之 苦

︒ 唯︑ 田

家 俟

農 事

︒ 其

音︑ 不如 帰云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 一九

〇番

︒円 機活 法︑ 巻二 四︑ 子規

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹁ 夜鳴 達且

│夜 啼達 旦﹂

﹁初 聞人

│初 聞﹂

﹁ 唯│ 惟﹂

﹁農 事│ 農事 或以 為啼 苦則 自懸 於樹 自 呼謝 豹思 帰楽

﹂﹁ 不 如帰 云云

│不 如帰 去﹂

﹇ 訳﹈

夏歌 の中 ま だ声 をど のよ うに ひそ めて 鳴い てい るの だろ うか

︑ほ とと ぎす よ︒ 血の 涙を 流し て鳴 くと も聞 くが

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 下

︶・ 夏 部

― 162 ―

格 物論 によ ると

︑杜 鵑は

︑別 名を 杜宇

︑子 規と 言う

︒三 月と 四月 の間

︑夜 中に 鳴き

︑朝 まで 続く

︒そ の声 は憂

い を帯 びて おり

︑吻 には 血が つい てお り︑ 血で 草木 をひ たす

︒初 めて 杜鵑 の声 を聞 く人 は︑ 離別 の苦 しみ があ る と感 じる

︒た だ︑ 田舎 では 杜鵑 が鳴 くの を待 って 農事 を始 める

︒そ の音 は︑ 不如 帰と 云々

﹇ 考察

﹈当 歌は

︑ほ とと ぎす の離 別の 苦し みが 感じ られ る 鳴 き声 や 血 がつ い て いる か の よ うな 口 ば しを 踏 ま え︑ 声を ひ そめ て鳴 くほ とと ぎす に思 いを 馳せ てい る︒

︵植 田彩 郁︶ 市郭 公 101さ はき たつ 市を やを のか 忍ひ 音の かく れ家 に鳴 山ほ とゝ きす 高 士伝 曰︑ 毛公 薛公 遭

之 乱

︒ 二人 倶

処 士

︑隠

於 邯

︒ 毛 公隠 為

︑薛 公

於 売 膠

云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 三五 番︒ 古今 事文 類聚

︑続 集︑ 巻三

︑関 市︑ 隠於 市︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ を のか

│お のが

﹂︒

﹃ 古今 事文 類聚

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

市の 郭公 山 ほと とぎ すは

︵毛 公と 薛公 のよ うに

︶騒 がし い市 場を

︑自 分の 人目 を忍 ぶ隠 れ家 にし て︑ 声を ひそ めて 鳴い てい る のだ ろう か︒ 高 士伝 によ ると

︑毛 公と 薛公 は戦 国の 乱世 に遭 遇し た︒ ふた りは とも に教 養が あり なが ら官 に仕 えな い者 であ り

︑趙 の首 都で ある 邯鄲 の市 の中 に身 を隠 して いた

︒毛 公は 博徒 の中 に隠 れ︑ 薛公 は膠 売り の中 に隠 れて いた

― 163 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 下

︶・ 夏 部

云 云︒

﹇ 考察

﹈右 の漢 文は

﹃高 士伝

﹄に は見 当た ら な い︒ しか し

﹃史 記﹄ 巻 七七 魏 公 子列 伝 の な かで

︑魏 の 信 陵君 と い う人 物 が大 変明 敏で 慈悲 深く

︑徳 の高 い人 物で あっ たこ とを 表す 逸話 のひ とつ に︑ 市の 中に 隠れ てい た毛 公や 薛公 など の 在 野 の 賢人 た ち に信 陵 君 が自 ら 会 い に行 き

︑身 分 を問 わ ず 交際 を 持 っ たと あ る︒ 当 歌は 市 の 中に 身 を 隠 す 賢 者 に

︑ひ っそ りと 初音 を告 げる ほと とぎ す を 重 ねた も の︒

﹁ 忍び 音

﹂の 意 味は

︑人 知 れ ず 声を お さ えて 泣 く こと

︑ま た

︑ほ とと ぎす がま だ声 をひ そめ るよ うに して 鳴く 初音 のこ と︒

﹇ 参考

﹈右 の漢 文と 本文 が完 全に 一致 する の は︑ 管 見の 及 ぶ 限り で は﹃ 古 今事 文 類 聚﹄ だ けな の で︑ 底 本が 寛 文 六年

︵一 六六 六︶ 刊行 の訓 点付 和刻 本で ある

﹃新 編古 今事 文類 聚﹄ を出 典に 挙げ た︒

︵ 吉岡 真由 美︶ 郭公 声老 102ほ とゝ きす かへ る山 路の いま はと や声 も老 木の 雲う つむ 空 三 躰詩

︒香

子規

︒雲 埋

︑彷 彿千 声 一

度飛

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 三七 番︒ 三躰 詩︵ 国訳 漢文 大成

︶︑ 竇常

︑香 山館 聴子 規︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 老 木│ 老樹

﹂︒

﹃ 三躰 詩﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

郭公 の声

︑老 いる ほ とと ぎす が帰 って いく 山道 に︑

﹁ 今は

︵も うこ れで お別 れだ

︶﹂ と鳴 く声 も老 いて

︑老 木が 雲に 埋も れた 空に 響く な

あ︒ ﹃

三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 下

︶・ 夏 部

― 164 ―

三 躰詩

︒香 山館 でほ とと ぎす の声 を聴 く詩

︒う っそ うと 茂る 古木 が雲 につ つま れて いる 人気 のな い山 にこ だま し て︑ さな がら

︑数 知れ ぬ鳴 き声 が一 時に 飛び たつ かの よう だ︒

﹇ 考察

﹈ほ とと ぎす は蜀 魂の 故事 を踏 ま え て︑ 死出 の 山 から 来 て なく 鳥 と も 称さ れ た︒ 当 歌の

﹁声 も 老 木﹂ に﹁ 声も 老 い﹂ と﹁ 老い 木﹂ を掛 ける

︵ 吉岡 真由 美︶ 暁 月郭 公

103雲 にあ ふ暁 月の ほと ゝき すあ らぬ 光を そふ る声 かな 古 今序 の詞

︒春 の部 に見 えた り︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑四 七三 番︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 暁月 郭公

│暁 月聞 郭公

﹂﹁ そ ふる 声か な│ わぶ る声 かな

﹂︒

﹇ 訳﹈

暁月 の郭 公 夜 明け 前の 月は 雲に 覆わ れた が︑ ほと とぎ すの 鳴き 声は

︵雲 に覆 われ て︶ ある はず もな い月 の光 を添 えて くれ るな あ 古 ︒ 今集 の仮 名序 の詞

︒春 の部 にす でに 見え る︒

︵ 57番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈古 今集 序は 喜撰 の歌 風の 曖昧 さを

︑い つの 間に か暁 の雲 に覆 われ た秋 の月 に例 えた 一節 であ る︒

﹇ 参考

﹈当 歌は 結句 の本 文に 異同 があ る

︒﹁ わ ぶ る声 か な﹂ の 場合

︑現 代 語 訳は

︑﹁ 夜 明 け 前の 月 が 雲に 覆 わ れ︑ 月の 光 も消 えて しま い︑ 心細 く思 って 鳴く ほと とぎ すの 声だ なあ

︒﹂ と なる

︵ 吉岡 真由 美︶

― 165 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 下

︶・ 夏 部

五月 雨 104は れま なき 心の 中の 八重 葎軒 をあ らそ ふさ みた れの 頃 蓬 生の 巻︒ 浅茅 は庭 の面 も見 えす 茂り

︑蓬 は軒 をあ らそ ひて

︑お ひの ほる

︒葎 は︑ 西ひ んか しの みか とを

︑と ち こめ たる は︑ たの もし けれ と云 々︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 五〇 七番

︒源 氏物 語︑ 蓬生

︑三 二九 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 承応

﹄﹁ 茂り

│し げき

﹂﹁ と ちこ めた るは

│と ちこ めた るぞ

﹂︒

﹃ 湖月 抄﹄

﹁と ちこ めた る は│ とち こめ たる ぞ﹂

﹇ 訳﹈

五月 雨 晴 れ間 のな い心 の中 は︑ 八重 葎が 軒と 争う まで 高く 生え あが る五 月雨 の頃 のよ う︵ に陰 鬱︶ であ るな あ︒ 蓬 生の 巻︒ 浅茅 は庭 の面 も見 えぬ くら いに 生い 茂り

︑繁 茂す る蓬 は軒 と争 うま で高 く生 えあ がる

︒葎 が西 と東 の 御門 を閉 じ込 めて いる のは

︑心 丈夫 であ るけ れど も云 々︒

﹇ 考察

﹈蓬 生の 巻は

︑末 摘花 の邸 宅の 荒廃 ぶり を述 べ た 場面

︒伸 び 放 題の 葎 が 門を 閉 ざ す こと は

︑和 歌 にも よ く 詠ま れ る︒ 当歌 はそ れを 踏ま え︑ 心が 晴れ ず泣 き暮 らし てい るさ まを

︑梅 雨が 降り 続き 晴れ る間 がな く︑ 生い 茂る 葎で 閉 ざさ れた 状況 に例 えた もの

︵ 大八 木宏 枝︶ 砌橘 105ほ とゝ きす をの かと こよ の木 末そ とう へし はし るや 庭の 橘

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 下

︶・ 夏 部

― 166 ―

日 本紀

︑垂 仁天 皇︒ 九十 年春 二月 庚子 朔︑ 天皇 命

田 道

間守

常世 国

︑ 令

非 時香 菓

︒今 謂橘 是也

︒九 十 九年 秋七 月戊 午朔

︑天 皇崩

於 纒 向宮

︒時 年 百四 十 歳︒ 冬 十二 月 癸 卯朔 壬 子

︑葬

於菅 原

伏見 陵

︒ 明 年春

三 月辛 未朔 壬午

︑田 道間 守至

常世 国

︒ 則賚 物也

︑非 時香 菓八 竿八 縵焉

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 四五 番︒ 日本 書紀

︑巻 第六

︑垂 仁天 皇︑ 三三 四頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 日本 書紀

﹄﹁ 非時 香菓

│非 時香 菓

﹂﹁ 賚

│齎

﹂︒

﹇ 訳﹈

軒下 の橘 ほ とと ぎす は︑ 庭に 植え た木 の梢 を自 分の 寝床 にし てい るが

︑そ れは 常世 の国 から 伝わ った 橘で ある こと を知 って い るだ ろう か︒

日 本書 紀︑ 垂仁 天皇

︒九 十年 春二 月の 庚子 朔︵ 一日

︶に

︑天 皇は 田道 間守 に命 じら れ︑ 常世 国に 派遣 して

︑非 時 香菓 を求 めさ せら れた

︒今

︑橘 とい うの はこ れで ある

︒九 十九 年秋 七月 の戊 午朔

︵一 日︶ に︑ 天皇 は纒 向宮 で 崩 御 さ れた

︒時 に 御 年︑ 百四 十 で あっ た

︒冬 十 二 月の 癸 卯 朔 の 壬 子

︵十 日

︶に

︑菅 原 伏 見 陵 に 葬 り ま つ っ た

︒翌 年春 三月 の辛 未朔 の壬 午︵ 十二 日︶ に︑ 田道 間守 は常 世国 から 帰っ て来 た︒ その 時︑ 持ち 帰っ て来 た物 は

︑八 竿八 縵の 非時 香菓 であ った

﹇ 考察

﹈田 道間 守が 常世 国か ら持 ち帰 った

﹁非 時香 菓﹂ は橘 の実 であ り︑

﹁八 竿八 縵﹂ の﹁ 竿﹂ は串 刺し にし た物 の助 数 詞︑

﹁ 縵﹂ は葉 のつ いた まま の物 の助 数詞

︒和 歌 の 世 界で は

︑ほ と とぎ す は 橘に 宿 る と され た

︒﹁ を のが と こ よ﹂

﹁己 が 床﹂ と﹁ 常 世﹂ を 掛け る

︒﹁ 賚 物﹂ に﹁ モ チ マ テ モ

﹂と い う 訓 が 付 け ら れ て い る が

︑意 味 不 明︒

﹃日 本 書 紀

﹄の ある 伝本

︵寛 永九 年版 など

︶に は︑

﹁ モチ マテ イタ ルモ ノ﹂ とあ り︑ それ が一 部欠 落し たか と考 えら れる

― 167 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 下

︶・ 夏 部

ドキュメント内 『三玉挑事抄』注釈 春部(下)・夏部 (ページ 36-69)

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