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坂本 旬

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坂本

はじめに 一学校の現実と社会の現実一 1.戦後日本型能力主義分析の視点  (1)企業社会における「能力主義」概念  (2)戦後経済の発展と能力主義

(3}日本型能力主義の土台としての日本型フォーディズム  (4)労働力養成から見た4っの時期区分

2.高度成長期における「日本型フォーディズム」の形成  (1)一元的能力主義論の提起するもの

 (2)フォーディズムの要求する労働力像  (3}日本型フt一ディズムの概念とその諸特徴  (4) 「日本的経営」と旧本型能力主義」の形成

3.低成長期と日本型能力主義秩序体制の確立  (1)低成長期における日本型能力主義の形成  (2)日本型能力主義の教育社会への影響  (3)二っの能力主義競争の連関

はじめに 一学校の現実と社会の現実一

 近年の日本の産業構造の変貌が学校教育にいかなる影 響を与えるのか、教育社会の能力主義はどのように変化 するのかという問題は、学校教育のみに内在化したので は解くことは難しい。学校教育のイデオロギーは産業社 会のイデオロギーと同じではなく相対的に自律したもの である。しかし、最終的には前者は後者の従属変数であ ろう。っまり、能力主義を論じるためには総体としての 能力主義(教育社会の能力主義と企業社会の能力主義)

を論じなければ十分ではないということになる。

 しかしながら、企業社会における能力主義の変容過程 の社会科学的考察は教育学の領域からもこれまでほとん どなされてこなかった。その能力主義批判のありかはた はもっぱら能力主義「理念」の批判のレベルにとどまる ものであったといってもよいだろう。その中でも、後に 検討するように、乾彰夫や渡辺治らの論稿は教育社会の 能力主義を企業社会の論理の分析を通して把握しようと

したものであり、注目に値する。

 本論は彼らの問題設定をふまえた上で、企業社会の能 力主義の変容の過程と構造に焦点をあてて分析し、さら に教育社会との関係を検討する。具体的には、戦後の経

済発展を支えた企業社会の要求する労働力像とその労働 力需給システムとしての学校制度との関係を明らかにす る。この作業に当たっては、フォーディズムの概念の利 用を試みたい。

1 戦後日本型能力主義分析の視点

(1)企業社会における「能力主義」概念

 一般に、産業社会の原理としての「能力主義」とは近 代社会の身分秩序の原理である「業績原理」のことであ り、封建社会の身分秩序の原理である身分制(estate)=

「属性原理」のアンチテーゼをなすものであった。近代 社会は固定化された身分による社会の秩序をこわし、そ れに代えて機能優先の合理主義・効率主義を社会構成の 柱とした。身分制の破壊によって職業間の流動性が高ま り、次第に労働市場が形成されるようになったのである。

いうまでもなく、このような近代社会を形成させたのは 産業革命を基点とする社会の「産業化」である。 「産業 化」は社会秩序を「属性原理」から「業績原理」に転換

させる原動力であり、産業化が進めば進むほど、学校教 育が普及し、本人の能力や学歴が社会的身分を決定する ようになり、その結果社会階層の流動化が進むと考えら れている。これがいわゆる「産業化テーゼ」である*1。

 しかし、実際には能力主義といってもその内容が統一 的に把握されているわけではない。実際、教育社会内部 で能力主義という用語が使われる場合は、それは試験の 点数や偏差値といった単一の学力基準による生徒の序列 化を意味しているが、企業社会では年功序列主義に対す るアンチテーゼとしての能力や業績に応じた処遇原理を 意味する。ところが、表面的には教育社会では能力主義 競争の形態としての受験競争の弊害が問題にされるが、

一方、企業社会では80年代以降、もっぱら能力主義的な 競争原理よりも年功序列や終身雇用、集団主義などの

「日本的経営」あるいは「日本的雇用」の特長が強調さ れてきたのである。なぜ、一方では「能力主義」が強調 され、他方では「日本的経営」が持ち上げられるのか。

相互に密接な関連性があるのだろうか。

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 ここで問題になるのは一般的な概念としての「能力主 義」を土台とした、日本の企業社会に固有な能力主義の 内容である。っまり、 「日本的経営」や「日本的雇用」

といった日本の企業社会の特質にマッチする日本的な能 力主義=日本型能力主義というものが考えられるのでは ないだろうか。そしてその日本型能力主義の特質と成立 の社会的基盤を明らかにすることによってその変容の構 造も明らかになると考えられるのである。

② 戦後経済の発展と能力主義

 企業社会の能力主義を分析するためには、まず、日本 の産業構造そのものがいかなる労働力像を要求したのか を実証的に分析する必要があるだろう。そもそも生産現 場には能力主義が存在するのか、それとも、日本的経営 論でよく言われているように、むしろ「年功序列」主義 が支配的なのだろうか。この研究のたあには、戦前の産 業社会と学校教育に遡って検討する必要がある。しかし、

本稿ではそこまで検討するゆとりはないので、別の機会 に検討することにしたい。本稿では、とりあえず戦後に 焦点を当てることにしよう。

 戦後の生産現場が要求する労働力像を検討するために、

第一一にいろいろな政策文書に現われる経済界の教育要求 を検討する方法があろう。それはそれで有効な方法であ るが、しかし、この方法ではその要求が何にもとついて 提出されるのか、分析することはできない。その結果、

これからその教育要求がどのように変化しているのかを 分析することもむつかしいであろう。より重要なことは、

生産現場そのものに目を向けることである。どんな労働 力が要求されたのか、その論理を現実の生産過程の分析 の中で検討することである。

 次に、こうした生産様式や産業構造が要求する労働力 要求と学校教育の関連の分析へとすすむことにしよう。

産業社会の能力主義原理と学校教育内部での能力主義は 同じ質のものなのか、それとも別のものなのか、これは 次の課題である。

(3)日本型能力主義の土台としての       日本型フォーディズム

 1960年の「国民所得倍増計画」以降、70年代半ばのオ イルショック、円高不況にいたるまで、重化学工業が日 本の基幹産業となった時期は、その産業の労働力需要に 対応する学校教育制度が確立された時代でもあった。日 本の経済と学校教育制度の関係を論じるにあたって、こ

の時代こそ要にあたるといってよいだろう。この時代の 経済と教育の関係をどういう理論的枠組みでとらえれば よいのだろうか。

 その一っの手がかりになるのがレギュラシオン(調 整)理論である。レギュラシオン理論は、資本の再生産 というマルクス経済学のテーマを個々の具体的な歴史や 社会分析の中で行うための分析装置を提供している。レ ギュラシオン理論の創始者M・アグリエッタはレギュラ

シオン理論の方法論的特徴を次のように述べる。

   純粋経済を基礎づける普遍的な原理によって経済   学の領域を確定することはできない。この確定はも   っぱら、社会諸関係の領域を方法論的に分割するこ   とによっておこなわれる。この分割は、分析の展開   につれてたえず見直され、変更される。したがって   資本主義の調整の研究は、抽象的な経済法則の探求   ではありえない。それは経済的であると同時に非経   済的な新たな諸形態を生みだす社会諸関係、諸構造   のうちに編成されっっ規定的な一構造を再生産して   いくような諸形態を生みだす社会諸関係、っまりは   生産様式がどう変容していくかについての研究であ   る。*2

 レギュラシオン理論は、近代経済学が純理論的、普遍 的な原理として想定する一般均衡理論に対立する。そし て、それに代えて、自らを構造として再生産するような 経済的・非経済的領域における社会的諸関係に焦点を当 てるのである。それゆえに、抽象的な数値や数式のモデ ルではなく、具体的な社会的諸関係の分析から資本主義 の発展モデルを構築するのである。

 その分析のための概念は「労働編成モデル」、 「蓄積 体制」および「調整様式」の三つである。A・リピエッ ツによるとこれらの用語の意味は次のようなものである。

まず、労働編成モデルは「フォーディズム」という概念 に代表されるように、その社会に有力な企業内の労働編 成の形態である。 「蓄積体制」とは「長期における生産 諸条件(労働生産性、機械化の程度、相異なる産業諸部 門の相対的重要性)と生産物を社会的に利用するうえで の諸条件(家計の消費、投資、政府支出、外国貿易)と が、長期にわたって連動して変化することを表現する論 理」である。フォーディズムの蓄積体制は基本的に大量 生産・大量消費である。また、 「調整様式」とは「諸個 人の相互に矛盾した対立的な諸個人を蓄積体制の全体的 原理に適合させるように作用するさまざまなメカニズム の組合わせ」であると定義される*3。

 こうして、資本主義の歴史的変化は特定の「調整様

式」と「蓄積体制」の組み合わせによって叙述される。

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大雑把に言えば、19世紀後半に始まった自由主義的な資 本主義は「競争的調整様式」と「外延的蓄積体制」との 組み合わせとして描かれるし、戦後に先進資本主義国に 広がったフォーディズムの場合は、 「独占的調整様式」

と「内包的蓄積体制」の組み合わせとして描かれる。

 近代経済学を成立させるキーワードである「均衡」と いう概念に対してアルチュセールが提起した概念は「再 生産」であった。学校教育もまた、この概念に触発され た教育社会学者によって再検討されることとなった。

「再生産」は「均衡」よりははるかに社会の変化を動的 に捉えるものの、 「再生産」そのものを固定化されたも のと考えるかぎり、現実に変化しっつある多様な社会現 象をとらえきることはできない。

 一方、レギュラシオン理論が提起する「調整」概念は、

市場原理よりもむしろ企業組織内部の賃労働関係に主要 な焦点を当てるのである。労使の対立と妥協は一つの

「制度」であり、生産技術の発展がもたらす生産諸関係 の危機を回避し、経済的・社会的・文化的な矛盾や対立 を調節する機能をもつ。この賃労働関係こそ、労働力の 使用と再生産のあり方を規定する主要な条件を形成して

いる。

 このことを教育の観点から見れば、ミクロな側面から は賃労働関係内部の労働力の評価と統制のあり方の問題 として、マクロな側面からは労働力の生産・再生産の制 度としての教育機関と経済制度の関係のあり方それ自体 を一っの「調整」と見なすことによって、企業組織と学 校教育との関係をトータルに見る視点をもたらす。

 これまでレギュラシオン理論はもっぱら経済の側面の みに焦点を当ててきたが、レギュラシオン理論が市場の みならず賃労働関係をより主要な分析の対象とするなら ば、労働力の生産・再生産の場としての学校教育制度も また分析の対象とすべきであろう。いわゆる再生産論が 学校教育を生産諸関係の再生産の場と見るならば、レ ギュラシオン理論の問題意識は学校教育と生産現場との ズレ(矛盾)の発現と教育政策や教育実践を通してのそ のズレ(矛盾)の調整の場としてみることができるので

ある*4。

 このレギュラシオン理論の問題意識にもとついて本論 の課題を具体化するならば次のようになる。まず第一に 戦後日本に支配的であった労働編成モデル、すなわち日 本型フォーディズム(あるいはトヨティズム)と呼ばれ るモデルとはいかなるものであり、それに特有な労働力 供給様式がどのようなものであったかということである。

第二に、日本型フォーディズムの重要な要素としての日 本型能力主義を析出し、そして第三に、それらの国家の

教育政策が作りだした学校の教育様式および今日、内包 的蓄積体制への移行として特徴付けられるような消費社 会の変容との相互の連接やズレ、そしてその変化のメカ ニズムを明らかにすることである。

 以上の三点を分析の視点として、戦後の企業社会と教 育社会の能力主義を分析してみることにしよう。

(4)労働力養成から見た4つの時期区分

 戦後の能力主義の変容構造を分析するためには、まず、

日本の経済発展と労働力形成の関係を見ていく必要があ る。一つの分析作業のための理論的仮説として、戦後の 労働力養成があざしてきたものは何かという視点から戦 後の労働力供給様式の質の違いに着目し、戦後を四っの 時期に分けてみた。

 まず、労働力養成(職業訓練)の現場では、その養成 する労働力の質をどのように変えてきたのであろうか。

ある官庁の出した刊行物の中で、ある大手のメーカーの 職業訓練校長は職業訓練の目標の推移を次のように述べ ている。

   当時、60年代から70年代にかけての産業社会の特   徴を端的に表現すれば、生産の拡大とマスプロによ   るコストダウンの実現が最大課題であり、そのため   に専用機や自動機械などの設備面の拡充と改善を推   し進め、いかに生産体制を整備していくかが最大の   課題であった。そしてこの時期は、いわば物的価値   が先行して生産が促進された時代で、機能第一主義   の考えが支配し、商品に対しては、要求される機能   を満たすものであれば、能率よく、廉価に、速く生   産されることが望まれていた。そして極言すれば、

  技能は機能を生み出すことが主目的とされ、技能者   は規格商品を高い生産性をもって造り出すことに従   事してきたともいえよう。

   当訓練校においても、この時期の訓練目標は、特   定職種の熟練技能者の大量養成にあったということ   ができる。

   しかし時代は、やがて高度成長から安定成長へと   移行し、生産の合理化と省力化が叫ばれ出し、企業   活動も減量経営が常態化してくる中で、商品も次第   に多機能で、高品質のものが望まれるようになり、

  また同時に、性能、信頼性、コストなどの追求もま   すますシビアーなものとなって、技能者も技術的に   高度な商品を造るため、技術技能工あるいは多能工   として活躍することが要求されるようになってきた。

  そしてこの時期における訓練目標は、多能工を育成

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  することにあったともいうことができよう。

   その後さらに時代が移って、最近のように価値観   が多様化し、知識価値がますます重要視される時代   においては、商品価値はもはや機能のみで決められ   るのではなく、多様化した個々の商品に、どれほど   高度な技能が注入されているかが重視されることに   なり、技能者のもつスキルも、製品の中にバランス   のとれた豊かさを実現し、その価値を高めることに   大きな期待が寄せられるようになってきた。 5  この職業訓練校校長の指摘は生産技術の質が生産され

る商品の性格を規定し、さらに生産に携わる労働力の質 をも規定するものであることを明確に示したものである。

その意味で、この職業訓練の背後にある労働編成モデル の変遷を浮かび上がらせているといってよいだろう。文 中から考えると、フォーディズムの特徴をもっとも明確 に示しているのは60〜70年代だと考えてよいだろう。

 このことから、日本の戦後経済発展の変遷を労働力養 成の視点から推測して時期区分すると、おおまかたいっ て、戦後の産業の復興期(1945〜1950年代)、高度経済 成長期とそれに対応する熟練労働力の大量供給期(1960

〜1970年代初め)、オイルショック以後の安定成長下に おける多能労働力養成期(1970半ば〜1980年代初)、お よび情報化社会形成下の付加価値創造能力を持った労働 者の養成期(1980年代半ば以降)の4つに分けられる。

(表1参照)

 このうち、日本の教育制度の確立にもっとも大きな影 響を及ぼしたのは、いうまでもなく第1期の終盤から∬

期の初頭にかけてであり、国民所得倍増計画の浮上とと もに、経済界が積極的に経済成長のために教育政策を提 言したのもこの時期であった。しかし、前述したように 経済界の意向による能力主義的な教育政策が学校教育を 支配し始めたのはU期の1960年代以降の高度成長期であ

る。

 本論文の前編では日本型フォーディズムが形成された と考えられるll期と皿期に焦点を当てて、日本型能力主 義の実像に迫りたい。そして、後編ではIV期の日本型

表1 戦後労働力養成の4つの時期区分

1945−50年代 1960−

@19τ0年代初

1970半ば〜

@ 80年代初

1980年代半ば〜

経 済 1(復興期) H(高度成長期) 皿(安定成長期) w(多様化期)

生 産 国家主導の o済再建

大工業による 蝸ハ生産

技術革新による Rストダウン

付加価値重視の ス種少量生産

労働力 農村からの J働力供給

熟練労働力の 蝸ハ供給

多能型労働力 フ養成

創造性をもった J働力の重視

フォーディズムの変容過程と変貌しつつある新しい能力 主義を検討することにする。

2 高度成長期における

      「日本型フォーディズム」の形成

(1)一元的能力主義論の提起するもの

 戦後1960〜70年代の高度経済成長期下の能力主義を

「一元的能力主義」として特徴づけ、その背後に企業社 会の原理があると指摘したのは乾彰夫であった。まず、

本稿の先行研究ともいえるこの乾の議論を検討してみる ことにしよう。

 60年代の教育体制は1963年の経済審の答申が提起した 多元的能力主義像と現実の企業社会の展開との間に矛盾 があり、大勢としては企業社会の展開に引き込まれて いったというのが乾の主張である*6。そして、学力偏差 値に代表される学校教育制度内部の一元的能力主義を社 会経済構造的視点から分析した結果、次のような結論を 導くのである。

 ①1960年代後半以降の学校教育を覆う一元的能力主義 を成立させた社会経済的要因は終身制・年功制的な雇用 制度・慣習であり、能力評価においては「一般的抽象的 能力」 (潜在能力)を重視した。

 ②①の状況は国家の教育政策というよりむしろ「企業 を中心とした社会経済過程」が雇用・採用を通して教育 に影響を及ぼした。

 ③①の一元的能力主義は歴史的社会的制約の下に成立 したのだから今後も変容せざるをえない。 T

 この議論の第一一のキーポイントは、60〜70年代の職能 給制を基本原理とする企業社会の能力主義体制と学力偏 差値基準を重視した学校の能力主義体制を対応させ、そ の類似性を指摘したこと、およびその類似の内容として

「一般的抽象的能力」を抽出したことであろう。この方 法はボウルズとギンタスのrアメリカ資本主義と学校教 育』の中で行った分析方法に近い。ただし、ボウルズと ギンタスが抽出したのは「一般的抽象的能力」ではなく、

「人格特性」であった。その視点の違いは、乾が能力主 義の問題をあくまで個々人のうちに実体化されている

「能力」の問題としてとらえたのに対して、ボウルズと ギンタスが能力主義という名前で再生産されるものとは

「生産の社会関係」に他ならないことを問おうとした点

に求められる。ボウルズとギンタスの結論は「一見客観

的で、能力主義的なアメリカにおける教育の選抜・評価

制度は、効率性や合理性、公平性という抽象的概念に対

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応したものではなく、経済不平等の正当化と不平等な労 働役割への人員配置の円滑化とに対応したもの」*8だと いうものであった。このように彼らの問題意識は能力主 義そのものではなく、平等な能力主義のもとで再生産さ れる不平等な社会的諸関係にあったのである。

 一方、乾は企業や学校で評価の対象となる「抽象的能 力」を「潜在的一一般的可能性」をもっ労働力の内容とし てとらえる。彼は次のようにいう。

   「日本的雇用」 「日本的経営]は終身雇用制に代   表される長期的雇用関係を基本的枠組とする。その   中で労働力管理は、ジョブ・ローテーションなどに   よる恒常的な配置転換と、それを通しての漸進的な   昇進を中心に行なわれ、またそれらを通してジェネ   ラリスト的な労働力養成がはかられる。そのため、

  個々の職務に即した能力(「実力」)とともに、潜在   的な一般的可能性としての抽象的能力が重視される   こととなる。

   ・…採用が、未分化な潜在的一般的能力可能性と   しての抽象的能力という一元的基準によってなされ   るためには、新規学卒労働力全体が、その基準に   よって一元的に序列化されている必要がある*9。

 さらに乾は、 「日本的雇用」に見合った労働能力であ る「潜在的な一般的可能性としての抽象的能力」を企業 が求めることが「学力偏差値的格差」による学校間格差 を生む原因であるという。はたして、この見解は十分説 得的だといえるだろうか。

 ボウルズとギンタスの場合は、乾と違って逆に能力の 側面をあまりにも軽視したのだが、しかしこの社会的諸 関係の再生産という指摘は、乾には不十分であるだけに 重要である。乾にとって、社会的諸関係の再生産という 観点の不十分さは国家の学校教育に対する役割の過小評 価につながっている。というのも狭い意味での国家(政 府と官僚機構)を考えた場合でさえ、カリキュラムや道 徳教育、教員統制を通じた学校教育の画一的統制が子ど もたちの人格特性に影響を及ぼしていることは容易に考 えられることである。

 それゆえに、学校教育における一元的能力主義が企業 の求める「一般的抽象的能力」を重視したものだとみな すだけでは不十分であろう。分析すべきは、一般的抽象 的能力の形成を通じて再生産しようとしたものが何で あったのかを明らかにすることである。それは私見によ れば、生産現場の労働編成モデル(日本型フォーディズ ム)に対応した生産の社会的諸関係の再生産であり、そ れを規定しているのは産業における技術的基礎なのである。

 第二のキーポイントは、一元的能力主義に影響をもた

らしている「企業を中心とした社会経済過程」とは何か という問題である。また、そのこととかかわって、能力 主義の変容の構造をどうとらえるのかという問題がある。

この点について乾は「労働市場の構成や雇用制度・慣行 の変動に大きく左右される」だろうと述べている判゜。

 では、この「労働市場の構成や雇用制度・慣行の変 動」は何によってもたらされるのだろうか。乾の分析は 労働市場の分析と雇用制度の分析に焦点をあてる。そし て彼は、日本的雇用制度の成立の要因を労働市場の観点 から検討した結果、 「労働力の定着化」のためであった と結論づけている*11。

 しかし、この見解だと今日のように労働力が不足して いるにも関わらず、労働市場は逆に横断的に広がりつつ あるという現象を十分に説明できなくなる。労働市場論 から日本的雇用制度の成立要因を分析するだけでは「変 容構造」を十分に明らかにすることはできないだろう。

 乾の分析では、労働力の定着化のために日本的雇用制 度の採用を必然化させた物質的要因は何かいう別の問題 を浮かび上がらせる。問題はこの日本的雇用制度の背後 の生産現場を貫くより深層の物質的な構造であり、その 構造が要求する労働力の質の変化の問題である。その分 析抜きには能力主義の変容の構造を見極めることは難し

いのではないだろうか。

 この問題を分析する装置として、次に前章で紹介した レギュラシオン理論の諸概念、とりわけフォーディズム の概念をとりあげ、これによってこの問題を検討するこ

とにする。

② フォーディズムの要求する労働力像

 国家の経済政策・教育政策は後に検討するようないわ ゆる「日本型」フォーディズムに直接対応していたわけ ではない。日本の経済界の要求する労働力像が最初に明 らかにされたのは1963年の経済審r経済発展における人 的能力の課題と対策』であり、ここではハイタレントの 養成と労働者の一般的能力の形成、および経営の近代合 理化が大きな主眼となった 「2。これはむしろ欧米型の

フォーディズムに対応するものであった。

 この文書のいう数%のハイタレントと大多数の良質で

従順な労働者の形成は、大量生産的学校様式を通じて行

うことがめざされた。乾は前掲著の中で、この答申がめ

ざしたのは職務給体系に照応する多元的能力主義秩序だ

としている。このことが意味するのは、そこでモデルに

なっているのはアメリカ・ヨーロッパ型の近代合理主義

的経営秩序体制であるということである。っまり、西欧

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に追いっくことがこの答申の目的であったのである。

 この答申の主眼は以上の観点からの「国民全般の一般 的能力の向上」であり、経済発展をリードする「ハイタ レント」の養成である。この答申が要求した労働力像は、

高度成長期にさしかかる前の当時の生産現場の現実に大 きく規定されていることを考えれば、ここで要求される 2っの労働力像(大量の最小限の教養を持った労働者と ハイタレントとしての専門技術者)であろう。このこと をより明確にするためには、 「政策」のレベルではなく、

産業の現場のレベルでいかなる労働力(能力)が要求さ れていたのかを検討しなければならない。

 中岡哲郎はその著書r工場の哲学一組織と人間一 一』の中で、1960年代の大工場の工程を分析することを 通して労働者の熟練の質の変化を明らかにしている。

 まず、18世紀後半からイギリスで始まった第一次産業 革命による古典的大量生産様式は単純な筋肉労働の機械 への置き換えを特徴とする。これを中岡は「特殊的諸過 程の孤立化」とよぶ。それに対して、1920年代頃の フォードの自動車工場に始まり、急速な技術革新ととも に戦後の日本の工業化を支えた新しい大量生産様式では

「特殊化した工程の自動制御化と、工程と工程との間の 製品移動の自動化」、つまり「特殊的諸過程の自動化」

がその特徴である 13。これがフォーディズムを構成す る要素の一っなのである。

 彼は、オートメーション化された工場での労働につい て次のように述べる。

   …・古典的労働で一人の熟練工によってになわれ   ていた労働が多くの機能に分解されて機能的分業に   おきかえられ、その多くの部分は技術者の手に移る。

  労働の領域から、はっきり個人に所属していること   が確実な具体的な能力が機械にうっり、代わって抽   象的な集団的な能力があらわれる。その中での個人   の寄与は直感しにくい。そして集団的な求心力は技   術者がリードする。*14

 さらに、J・ディボルドのrオートメーション』(中 央経済社)の言葉を引用しながら、労働力の質の変化に っいて次のように指摘している。

   ・…私のみちびいた新しい労働の分業は、まさし   く技師、設計者、生産計画者、整備の熟練工、組織   者、経営者が生産労働の中心的部分を手中にしてゆ   く過程として描きあげることも可能であろう。だが   それは労働者が技術者・管理者になることとしては   あらわれなかったのである。リリーやディボルドの   予想した労働の高級化も、知的要求の増大も、労働   者への知的要求の増大としてではなく、工程におけ

  る技術者の役割の増大、つまり技術者と作業者の機   能的分業の拡大としてあらわれ、単純労働は必ずし   もへらずむしろ拡大したのである 15。

 中岡の指摘によれば、工場のオートメーション化が労 働者の分業化を押し進め、それは技術者の役割増大と非 熟練化された単純労働をになう大量の労働者を要求する ということである。しかし、このことはただ単に労働者 に要求する労働力の質の低下を意味するのではない。質 の内容が変化したのである。

 流れ作業や職務の明確化やそれに応じた給与体系など といったテーラー主義的合理化、工場の機械化やオート メーション化などによる生産システムの大量生産化が労 働者に及ぼす影響は「実は単なる労働強化や単調感の増 大や、といった個別的な要素よりも、もっと全体的な意 識、いわば労働者の人間的実存にかかわる意識をおかし てくるもの」*16である。単調な労働を厭わず規律正し く働く人格こそがフォーディズム下で要求される労働者 像なのである。作り置きを前提としたオートメーション 工場での大量生産と分節化された単純労働の姿がここに ある。そして、この労働者の姿こそ、フォーディズムの 生成期に、フォーディズムの概念を創出し、それによっ てアメリカ社会の特質を分析しようとしたグラムシが見 たものであった*IT。

 そして、産業の発展とともに、さらに職務をこなすた めの最低限の基礎学力が要求されるようになったことも 忘れてはならない。田中博秀は日本における熟練変化の 分析の中で次のように述べている。

   また、ロウの分析の中で、とくに注目された「知   識」とか「教育」の重要性の問題はわが国において   も全く同様に、しだいに重要視されるようになって   きていた。その一例として、例えば、鉄鋼産業にお   けるブルーカラー労働者の採用条件の変化をあげる   ことができる。

   すなわち、鉄鋼産業においては、戦前から戦後の   二〇年代にかけて、ブルーカラー労働者の採用条件   として、重筋、高熱労働に耐えるために「米俵が担   げる」ことが重要視されていた。ところが昭和三〇   年代に入って新しい生産技術の導入が進むとともに、

  例えば、横文字が理解できるとか、あるいは電気・

  機械などにっいての基礎知識を有するとかといった    「知識」や「教育」が重視されるようになり、やが   て、それが新制高校卒業者の定期採用として定着し   てくることになる。*18

 このように職務を遂行するための単調な労働を厭わな

い自律的な人間性と最低限の一般的基礎学力の両方が労

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働者の要件として求められたのである。そして、もう一 方で要求されるのは高度な技術を持った技術者である。

この労働者像はまさに63年経済審の要求する労働者像に 対応する。この点で欧米のフォーディズムと日本の フォーディズムとの闇になんら違いはないのである。で は、日本型フォーディズムが欧米型フォーディズムと異 なるのはどこなのか、また、それはいっ成立し、どんな 特徴を持っといえるのだろうか。

(3)日本型フォーディズムの概念とその諸特徴

 R・ボワイエによると、日本型フォーディズム(ある いはトヨティズム)では「技術および組織についての諸 個人と諸集団の学習効果を最大限に発揮させるべく、企 業の長期的戦略に対する一体感」が賃労働者間に醸成さ れるという柵。っまり、日本の高度な経済成長をもた らした日本型フォーディズムの特徴は、まさに日本的な 集団主義であり、個人を企業に埋没させるイデオロギー であるということになる。この点にっいてはだれも異存 はないであろう。しかし、これだけならばこれまでの日 本的経営をめぐる論争の中で一般的にいわれてきたこと である。そこで問題なのは、日本型フォーディズムにお ける労働力供給様式にっいてのより具体的な検討である。

そして、何が特殊日本的であり、何が普遍的なのか、見 きわめなければならない。

 日本型フォーディズムの典型として、ボワイエのいう

「トヨティズム」の語源ともなったトヨタの場合を見て みよう。トヨタはいうまでもなく、オイルショック以降 の経済不況を独自の生産・経営システムによって乗りき り、日本の自動車産業を世界のトップの座にのしあげる ことに成功した企業である。そして、その経営システム は「日本的経営」の代表としてソニーや松下電器産業な どの大企業と肩を並べる。年功序列、終身雇用、労使協 調を特徴とするいわゆる「日本的経営」は大企業によく 見られる経営システムであり、大多数の中小企業には当 てはまらない場合も多いのだが、日本の基幹産業に固有 な経営システムであり、日本型フォーディズムの一側面 をいい表した用語だといえる。

 まず、表∬は日本の経営計画の発展とトヨタを比較し たものである。この表からトヨタは、高度経済成長下に TQC(全社的品質管理)を導入することによって経営 の近代化をはかったことが分かる。低成長期に入るとQ Cサークル活動、管理能力向上教育および管理体制の見 直しを、そして低成長期を乗り切った頃から海外への進 出を図り、世界戦略へと足を踏み込んでいる。

表ll 日本企業の経営計画の発展とトヨタとの対比

S40年代 S50年代前半 S50年代後半 S60年代前半

基本態度 現状肯定 i現状延長)

将来湾定、

サ状否定 i検討レペル)

将来肯定、

サ状否定 i本音レベル)

将来肯定、

サ状否定強化

2 鱒}・ スタツフ主導 gップ消極参加

サ業非参加

トンブ参加 Xタッフ支援 サ業消極参加

トップ消極参加 サ業参加 i建前レベル)

トップ、コミット

サ業主導 Xタツフ積極支

役 割 スタツフ支撮 援

ポトムアツプ トツブダウン トツブダウンと トップダウンと

参  加  と ミドルアップ (すり合わせ少 ミドル/ボトム ミドル/ボトム

3 すり合わせの (すり合わゼし ない) アップ(建前、 アップ(すり合

特    徴 ない) 本音レベルのす わせ強化)

り合わせ)

昼    的 定貴的目標 全社、事藁の定 全社ビジョン 全社ビジョン

(検討レベル) 性的目的(検討 (建前レベル) (本音レベル)

4

レベル} 事業の定性的目 +事彙の定性的

目    標 定量的目標 的(碇前レペル) 自的(本音レベ

(本音レベル) +定量的目撮 ル)+定量的目

(本音レベル) 標(本務レベル)

個別計画の意思 全社生存の構図 全社・事彙の生 全社.・事藁の生 5 計  画  観 決定のための指 づくり 存、成長のため 存、成長のため 針づくり (検討レベル) の構図づくり の構図づくり強化 6 考慮対象期問 3年〜5年 3年一5年 5隼一10年 5年一1眸

トツブと現業の 環境予測能力の 能力 全社的企業家

7

悶題点と課題 無関心 脇力

低下 組織開発

l事政策

糖神の醸成 嵭ェ経営(SBU)

格差戦略 TQC導入推進 qcサークル活 工販合併 ケンタソキー単 全杜社長監査制 動推進(品質主 GMと含弁会社 独進出 度導入 体から、保全、 殴立(NUMMI) カナダ単独進出 機能別管理採用 原価.安全へ) 国際人の育成 台湾含弁会社設 協力工場Tqc 管理能力向。と教 (海外派遣人材 立

捷案制度組織強 育(部謀長0∬) 登鐸制度) VWとの生産・

8 ト ヨ タ の 化 経営会議(企画、 外国人の社員採 販売提携

戦略経営 デミング賞実施 管理) 通信、光工学、

賞受賞 グローパルテン 住宅事集部独立 FAのハイテク 日本晶質管理賞 構想 電子事業部設立 分野資本参加 受賞 TQA(胴査一

佐宅部門進出 販発サービス)

にいたる晶質保旺 新製品開発体制

       (資料出所) rトヨタの人材戦略」p.11  いわゆるジャスト・イン・タイム生産をめざすトヨタ 生産方式が始まったのは1950年頃で、62年に全社内に、

そして65年には外注部品に「かんばん」方式が採用され ることによって完成にいたった。これはちょうどトヨタ がTQCに取り組んだ頃である。

 今日では「かんばん方式1という名前でも国際的によ く知られるこのトヨタ生産方式とはどういうものだろう か。トヨタ生産方式でいうところのジャスト・イン・タ イムとは「必要な部品が、必要なときに、必要な量だけ、

最終組立工程の各ライン・サイドに到着すること」‡2°

である。っまり、無駄の徹底排除がトヨタ生産方式であ り、少種大量生産をめざすフォード式生産方式とは根底 において考え方が異なるのである。

 この生産方式は後で見るように高度成長から低成長時 代に入るやいなや大きくクローズアップされることに なった。トヨタは低成長時代でも収益を上げ続け、日本 を自動車大国にのしあげたからである。このような徹底 したコストダウンの実現をめざす生産方式は、日本がオ イルショック以後の世界的な低成長経済を乗り切り、経 済大国にした原動力であり、日本経済の土台であった。

 日本型フォーディズムとは、このような徹底したコス

トダウンをあざす生産方式に固有な労働編成モデルであ

(8)

り、高度成長期の外延的蓄積体制(生産物の輸出に依存 する蓄積体制)を円高不況の低成長期にはこれを内包的 蓄積体制(国内の大量消費を伴う蓄積体制)に転換させ

た立て役者なのである。

 では、日本型フォーディズムにおける労働力供給様式 および企業の内部組織などの労務管理の特徴を検討しよ

う。これについては、次の三つが挙げられるだろう。

a)硬直的な労働力供給方式

 基幹企業における学校指定制や後期中等・高等教育に おける進路・就職指導は、横断的な外部労働市場の発達 を抑制し、代わって企業内労働市場を発達させた。労働 力供給様式の硬直性とはこのような学校と企業との直接 的な接合性を意味している。この基礎にあるのは終身雇 用・年功序列制といわれるシステムであるが、実際にこ の制度の恩恵を受けている労働者は1980年頃でも約4000 万人のうちの900万人程度にすぎず、むしろこの制度は 中途入社が企業内競争に不利となったり、臨時工・臨時 社員やパートが本工・本社員と大きな格差付をされるよ

うな事態を意味している。

b)柔軟な企業内人事システムと職能給制度

 一方、企業内では、外部労働市場の未発達という外的 制約から、企業内労働移動を活発化させる結果を生む。

とりわけ、日本では下請け会社を傘下に治めている系列 企業内の派遣社員や社外工も含めた多層的な準企業内労 働市場が存在していることが指摘できる。そして同時に 企業内労働移動を支える企業の柔軟な人事システムを確 立させるために、労働者の給与は職務によって管理する のではなく、年功と職能(職務遂行能力)を基礎にする 給与体系が普及した。1969年の日経連r能力主義管理一 一その理論と実践』はこのような日本型経営の積極的見 直しと職能給体系にもとつく能力主義管理を積極的に評 価した文書である。また、職能給制度に応じたOJTに よる企業内教育が職業教育の主要な柱となった。さらに、

この企業内労働市場は終身雇用制の土台でもある。

c)集団主義的企業文化と労使協調的労働組合

 硬直的な労働力供給様式と柔軟な企業内人事システム を支えているのが、日本の企業の集団主義的な企業文化 である。そして、企業内における階級闘争の激化を回避 し、企業としての集団性の確保を優先する企業別労働組

合の存在である。すなわち、企業一体文化と組織が存在 していた。

 これは企業間競争に勝ち抜くための装置として理解で きる。図1はトヨタの「労使相互信頼のメカニズム」を 図式化したものである。この図で分かるように、パイの 生産過程では労使が一致して企業間競争に勝ってパイを 少しでも大きくする。そして、パイの分配過程では、労 働者側が「世間水準」の相場を確保するという関係が形 成されたということである。この関係は、しばしば労働 組合の有力幹部と経営者の癒着を生みだしたのである。

図1 トヨタにおける労使相互信頼のメカニズム

瑚/4

〔ll〕

分濫渉 @

し、僧義織実に、

一発回答 労働協約の遵守と 好ましい労使慣行

 (資料幽所)森野辺栄次郎rトヨタの人材戦略1ダイヤモンド社、1989年、p.128

 以上のような日本型フォーディズムの諸特徴企業内労 働編成の柔軟性、労使協調、集団意識の形成は飛躍的な 生産性の向上をもたらすことに成功した。それだけでは ない。さらに、生産技術の発展とともに、大量少種生産 から少量多種生産への移行に伴う生産組織編制への柔軟 な対応を可能にしたのである。

(4)「日本的経営」と「日本型能力主義」の形成

 日本の産業はテーラー主義的な労務管理システムを全

面的に採用したのではなく、前節で述べたような3っの

(9)

性格を持った労務管理の方式を採用した。その理由は日 本の戦後経済の出発点に存在していたと考えられる。

 その理由とは、戦後経済復興期の労働力市場が十分に 存在せず、必要な労働力を農村から供給する必要があっ たが、彼らはもともと近代合理主義的思考のための教育 を受けておらず、そのかわりに戦前戦中の学校教育に よって集団主義的意識が形成されていたということであ る。日本の産業にとって、オートメーション工場で忠実 に単純な職務をこなす労働者を得るには、とりわけ特別 な道具建ては必要がなかった。国家主義的な学校教育制 度は結果的に近代的な工場で働く労働者の大量供給に役 だったのである。

 これは戦前の学校教育の「成果」である。戦前の学校 教育は集団への忠誠心を生徒にたたき込んだ。その彼ら が良質の労働力として戦後に作られた工場に入っていっ たのである。ファシズムの教育が戦後の高度経済成長の 土台を作ったのだといってよい。そこで足りないのは63 年経済審答申が述べているように、新しい機械を扱い、

事務をこなすための一般的基礎学力とハイタレントとし ての専門技術者の養成システムであった。

 一方、欧米のフォーディズムを可能にさせたのは、機 会均等原則と近代合理主義を前提とした業績主義として の能力主義イデオロギーそのものである。そしてこの能 力主義は「平等原則」の一つの形態として教育社会にそ のまま浸透した。その前提として自由競争原理に基づく 労働市場が存在する。ボウルズとギンタスが分析したの は、能力主義原則が民主的価値として承認されているよ うな社会であった。職務を工程によって分割し、それを 等級化して能力給として支払うという職務給制度はこの 能力主義の社会的形態の一つの姿である。能力主義とは 企業社会の身分秩序そして資本主義国家体制の秩序を正 統化するたあのイデオロギーなのである。

 63年経済審答申はこのイデオロギーを日本の中に持ち 込もうとした。しかし、それは乾の指摘のように、職務 給制度に対応する「多元的能力主義jという形で現実の 企業社会にそのまま受け入れられたわけではなかった。

そもそもテーラー主義はフォーディズムにおける一つの 労務管理の形態であって、もともとフォーディズム体制 下の生産現場で要求される労働力の質そのものに欧米と 日本での違いはない。多元的か、一元的かという問題は 要求する能力の質よりはむしろ、労働者に対するイデオ ロギー支配のあり方の問題であり、日本では近代的合理 主義よりも国家主義や集団主義によって企業社会の身分 秩序を合理化したのである。

 こうして日本の産業はそのようなイデオロギー支配様

式としての企業文化を基礎に、徹底した生産の合理化と 効率化を追求することを可能にした。その典型がジャス ト・イン・タイムをキーワードとするトヨタの生産・経 営システムなのである。そして、この徹底した合理化・

効率化を可能にし、それによって経済競争に勝ち抜くた めの生産の社会関係・制度労働者と経営者の妥協のため の調整様式の中に我々が検討すべき日本型能力主義が埋 め込まれていると考えられるのである。この妥協を正統 化するイデオロギー・システムこそ日本型能力主義であ

る。

 では、そもそもここでいうところの日本型能力主義の 中身は何であろうか。また、それはいつごろ日本の産業 界に定着したのだろうか。

 鍵山整充は「職能資格制度」を解説した著書の中で日 経連の報告を引用しながらこの日本型能力主義の定着過 程と定義を行っている。やや長いのだが、ここに引用し

よう。

   日経連の昭和四十三年末調査の「人事諸制度調   査」によれば、 r従業員秩序体系は、欧米的な職階   制は今回も引きっづき減少し(一八%→一六%)日   本的な資格制が増加した。資格制のなかでも、年功   的資格制(学歴の高さ、勤続年数の長さを主たる基   準として格付けられ、昇格されるもの)の減少(三   八%→三三%)、能力主義的資格制(学歴、年数も   ある程度参考とされるが、格付け、昇格は、主とし   てふだんの業績から類推した職務遂行能力、技能検   定、社内試験などを主たる基準として行なわれるも   の)の増加(三〇%→四五%)が注目される。能力   的資格制度は今日では、日本的能力主義管理の一っ   の制度的柱として重視されるようになったが、それ   は四十三年末にはほぼその地位を確定していたこと   をこの調査は示している。』 (同報告書11頁)すな   わち「能力主義資格制度」は、昭和四十年代の半ば    (一九七〇年頃)には日本的人事制度の主流として   定着しっっあったのであるが、その後の「低成長」

  時代には、ますます広く普及定着したのであった。

   われわれは、前述のごとき要件をそなえた資格制   度が、終身雇用制を前提としながら、しかも、先進   国化のなかで年功序列制を徐々に止揚し、高賃金、

  高能率の経営を可能にするたくましい制度であると   考える。それは横断的労働市場を前提とした職務給   高能率にたいして、断固として競争しようとする日   本的高能率主義である。その意味で、われわれは、

  これを「日本的能力主義」と称するのである。*2z

 職能資格制度の導入については表皿を参照していただ

(10)

きたい。この表は資格制度導入時期の累計を示したもの である。この表からも分かるように、大企業の場合、19 60年頃には40%ほどだったものが1975年ごろには90%を 越すにいたる。競争の激しい中小企業ではもっと変化は 大きい。

 これらのことから、企業社会における日本型能力主義 とは、職能資格制度の視点から見る限り、集団主義的な 要素を持っ年功序列制を基礎としながら、職能を尺度と する、より高能率をめざす企業内競争原理であり、高度 経済成長期に始まり、低成長期に確立を見たといってよ いだろう。

表皿 資格制度導入時期の累計

(%}

企業規模 1954年

@以前 55−64

@年

65〜69

@年

了0〜74 75〜79

@    年

1980年

@以降 不 明

5000人以上 P000〜4999人

R00〜999人

17.3 P0.5 S.2

40.8 Q7.6 P3.6

58.1 S8.9 Q8.9

75.2 U9.3 T2.9

95.0 W7.9 ケ8.6

97.5 X8.7

X8.了

2.5

P.5 P.4

(資料出所) 雇用促進事業団顧用職業総合研究所

    「資格制度に関する調査報告書」 (1984年)p.18の表より作成

 一方、1971年の中教審答申は教育の多様化を一っの柱 としたが、それにもかかわらず、一元的能力主義原理は 1970年代以降も「教育社会」を支配しっづけた。それは、

企業社会では「多元的能力主義」が必要でなかったこと の現れである。企業社会を支配してきたのはこのような 多元的な能力主義ではなく、企業という枠組みの中での 職務遂行能力という評価尺度による一元的な能力主義で あった。

 その結果、学校教育は、企業によっては職務に対応し た職業教育を要求されなかったのである。企業が求めた のは最小限の「基礎的学力」と「職務遂行能力」という 従順さや謙虚さといった人格特性と密接に絡まった抽象 的な諸能力である。企業が高学歴・銘柄大学の学生を求 めるのは、その職務にっいての能力そのものではなく、

困難な受験競争に打ち勝っ人間性であり訓練可能性なの である。

3 低成長期と日本型能力主義秩序体制の確立

(1)低成長期における日本型能力主義の形成

 日本型フォーディズムが大きな力を発揮したのは、19 70年代半ばから80年代半ばにかけての低成長期において である。高度経済成長から低成長経済に変化する時期を 確認しよう。

 63年版r労働白書』によると、1965年から75年にかけ

ては高度経済成長の結果、大幅な実質賃金の向上と労働 生産性の上昇が続いている。しかし、75年から80年にか けては総実労働時間が増加に転じたにもかかわらず、実 質賃金も生産性も急激に低下した。労働分配率もまた、

この両期間の間に上昇から減少へと転じたのである*22。

これが表1の第皿期にあたる時期である。

 このように日本の経済が高度経済成長から低成長経済 へと変化した原因は、1973年のオイルショックと80年代 に入ってからの円高不況であった。この低成長時代は80 年代半ばまで続き、それ以降は今日にいたるまでの再び 新たな成長期にはいる。つまり、企業社会はこの不況を 乗り切りったのである。

 渡辺治は、高度経済成長期に築き上げた企業秩序はむ しろこの不況期でいっそう強化され、確立にいたったの だと指摘する。企業内の個人競争は、パイが小さくなっ たため、ますます苛烈なものになったのだと述べる*23。

この企業秩序こそ日本型フォーディズムの特質そのもの であった。

 これまで述べてきたように、日本型フォーディズムは 高度成長下の蓄積体制の中で形成されてきたのであるが、

低成長期下ではその新たな蓄積体制に対して柔軟に調節 することができる特性を備えていたのである。

 では、具体的にはどのように変化したのであろうか。

前述したトヨタの例をあげれば、合理化・効率化の究極 の姿としての労働力それ自身の効率化である。すなわち、

人員の削減と少数の労働者の多能工化である*24。もと もとトヨタ生産方式は「人を中心にした生産方式」であ り、 「多能工化によって人間の技能のレベルアップを 図ったり、改善活動によって人間の問題解決能力を向上 させようと図る。一方で、人間も需要に即応して『必要 な時、必要な場所へ、必要な数だけ供給しよう』とする。

人間のフレキシブルな対応だという」。*25この結果、人 間の諸能力を生産ラインの需要に適応させるということ が求められるようになる。こうして、職制ローテーショ ンをはじめとするいわゆるジョブ・ローテーションが取 り入れられることになった。このようなトヨタ生産方式 に代表される労働力そのものの効率化は経済不況が深ま るにっれて、ますます流通産業を含むあらゆる産業に広 まったのである。

 当然のことながら、日本的経営を柱とする以上、労働

人員の削減を首切りによるよりは、むしろ企業内の労働

力の配置転換と新規採用の見直しによって行われること

になった。その結果、第3章の第4節で見たように、企

業内の身分秩序は年功序列主義的な原理からより日本型

能力主義的原理、すなわち「集団主義的な要素を持っ年

(11)

功序列制を基礎としながら、職能を尺度とするより高能 率をめざす企業内競争原理」へと次第に変化していった のである。企業は、企業の生き残りのために、労働者自 身の生き残りをかけた競争を激化させることになったの である。同時に、企業社会の少数精鋭主義は教育社会に

も陰に陽に影響をもたらすことになる。

始まった時期はほぼ重なっているといえる。

 企業と学校を舞台にした、これらの二っの社会現象は なんらかの因果関係を持っているのであろうか。経済の 停滞という社会の変化が教育の荒廃という現象を引き起

こすなんらかの原因になっているのであろうか。

(3)二つの能力主義競争の連関

(2)日本型能力主義の教育社会への影響

 国家の教育政策は戦後一貫して、一方で国家主義的な イデオロギーの注入を、他方で産業の要求に応えうる人 材の育成をめざして、学習指導要領を編纂してきた。そ のような国家の教育内容統制とともに、あるいはそれ以 上に、一元的能力主義原理の浸透が学校を「国家のイデ オロギー装置」として機能させた。1975年には高校進学 率が90%を超え、後期中等教育が大衆化・飽和化するに したがって、学校教育はますます閉塞的状況に追い込ま れることになった。

 平成元年版教育白書によると、主要刑法犯少年の人員 および人口比の推移は、65年から75年にかけては人員も 人口比も少年犯罪は減っているのに、75年から85年にか けては大幅に増加している。特に83年は人口比で1.8%

を越す戦後最大の増加率になっているのである。1980年 初めは中学校の校内暴力事件が頻発した時代でもあった。

1983年から84年にかけては年間1300〜1400校の中学校で 校内暴力事件が起こった。1985年以降は次第に減少して いったが、代わっていじあ事件や登校拒否児童が増加し はじあたのである。同白書によると、中学生は1982年頃 から、小学生が86年頃から次第に増加率を次第に増して いるのである。 (平成元年版『我が国の文教施策』pp.4

0−42.)

 このような教育の危機的現象は、教育社会内の受験競 争の激化と密接に結びついている。学習塾が全国に急速 に広まったのが70年代の後半であった。1985年度の文部 省による「児童・生徒の学校外学習活動に関する実態調 査」によると、1985年の段階で1971年から75年に設立さ れた塾が14.0%だったのに対して、76年から80年には倍 以上の32.3%、81年から85年では37.8%と70年代後半か

ら急激に増加したことが分かる。一方、通塾者は1976年 で小学生130万人(通塾率12%)、中学生で180万人

(同38.0%)だったのが、85年ではそれぞれ180万人

(16. 5%)、270万人(44.5%)と増加している(同書、

P.38.)。

 これらの数値の変化を重ね合わせると、経済の停滞が 始まった時期と学校の受験競争が激化し、教育の荒廃が

 70年代後半〜80年代の教育荒廃の原因を60年代の経済 審答申に代表されるような能力主義的教育政策に見る見 方は 一一般的なものである。しかし、能力主義的教育政策 が受験競争の激化を生み、それが教育荒廃の原因となっ たとするだけでは、いまだ図式的な思考の域をでていな いように思われる。高度経済成長期から低成長期にかけ て、学校制度内部の教育システムに大きな変化があった わけではない。問題は、なぜ70年代後半以降に受験競争 が激化し、偏差値を唯一一の尺度とするような一元的能力 主義が学校社会に浸透するようになったのかということ であろう。その理由にっいていくっか考えてみよう。

 第一に、学校的価値の普遍化としての高校進学率の上 昇である。先に述べたように高校進学率が90%を越えた のは1975年であった。これは、学校に進学することが生 活の向上をもたらすという高度経済成長期に作られた学 校の近代化イデオロギーの結果であった。

 これによって高校卒業という学歴の価値は急速に低下 する。ここには「学歴の機能低下と平行して学歴をもと めての進学競争が激化するというパラドックス」*26が 存在するのである。1960年代までは中学校卒業後、就職 することが一般的であったため、大学進学にまでいたる 受験競争は少数者の間で争われていたに過ぎなかったが、

皮肉なことに、高校進学率の上昇が、高校の学歴の価値 を低下させることによって、より高い学歴を獲得するた めの競争を生み出したのである。っまり、高校進学率の 持続的上昇を伴う外延的競争は、その進学率自身の飽和 によって内面化していったのである。

 学歴獲得競争の激化は、パイの増加に比べて競争の参 加者の増加が大きく上回ることによって引き起こされる。

だとするならば、高校進学率の上昇は、大学進学競争を 生み出しただけで、国民の学歴間格差はあまり変化して

いないのではないかと考えられる。

 実際はどうだったのか、今田高俊による1975年のSS M調査の分析をもとに検討してみよう。表IVは世代間教 育移動率と開放性の指数を10年ごとに見たものである。

ここでいう「事実移動率」は親子間で実際に学歴が変化

した率であり、 「強制移動率」は社会全体の高学歴化に

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