犬の脳疾患に対する磁気共鳴スペクトロスコピー(
MRS
) の有用性に関する研究日本大学大学院獣医学研究科獣医学専攻 博士課程
小野かおり
2013
目次
頁
序
1
第
1
章 健常犬の脳におけるMRS
の基礎的検討15
1.
緒言16
2.
対象および方法18
3.
結果24
4.
考察29
5.
小括37
第
2
章 脳腫瘍罹患犬におけるMRS
の有用性の検討39
1.
緒言40
2.
対象および方法43
3.
結果46
4.
考察53
5.
小括59
第
3
章 脳炎罹患犬におけるMRS
の有用性の検討61
1.
緒言62
2.
対象および方法64
3.
結果67
4.
考察73
5.
小括76
総括
78
謝辞
88
引用文献
89
1
序
2
近年、磁気共鳴画像法(
MRI
)やコンピュータ断層像(CT
)といった診断機器の開発および普及により、様々な疾患の診断が可能となっている。特に
MRI
は中枢神経系における病変の検出に優れており、人および動物の脳疾患の診断に
用いられている。さらに、
MRI
の原理を応用して様々な特殊検査法が開発されている。
MRI
を用いた特殊検査には、神経線維の走行を描出して病変との位置関係を示すことができる磁気共鳴トラクトグラフィー、組織内の振動の伝搬を 計測することで組織の弾性を調べることができる磁気共鳴エラストグラフィー、
造影剤を投与せずに血管の走行や異常の有無を観察できる磁気共鳴血管画像法、
非侵襲的に組織内の代謝物質を測定することができる磁気共鳴スペクトロスコ ピーなどがある。磁気共鳴トラクトグラフィー、磁気共鳴エラストグラフィーお よび磁気共鳴血管画像法が器質的異常を検出するのに対し、磁気共鳴スペクト ロスコピーは代謝的異常を検出する検査法である。脳疾患の病変部では、神経細 胞由来の代謝物質の減少、嫌気的解糖による乳酸の増加といった代謝物質組成 の変化が起こることが知られている。本研究では、このような変化を描出するこ
とにより脳疾患を診断できる可能性を持つ磁気共鳴スペクトロスコピー(
MRS
)に注目した。
現在、脳疾患の診断は単純
MRI
検査におけるT1
強調像、T2
強調像、Fluid
attenuated inversion recovery
(FLAIR
)画像および造影T1
強調像の撮像ならびに3
脳脊髄液検査を用いて下される場合が多い。しかし、これらの検査では判別が困 難なもの(例:グリオーマと脳炎)、異常所見が認められないもの(例:ライソ ゾーム病などの代謝性疾患)も存在する。このような疾患を診断するためには組 織生検を実施する必要があるが、外科手術が必要であり侵襲が大きいため多く の症例に適用することは難しい。
MRS
は、原子核の歳差運動(こまのような回転運動)の回転数の違いを利用して代謝物質を測定する画像技術である。測定結果は横軸を周波数、縦軸を信号
強度とした
MR
スペクトルとして表され、共鳴線の周波数から代謝物質を同定し、非侵襲的に生体内組織の代謝物質を測定でき、人において様々な組織の病変 を検出するために用いられている。特に中枢神経系における様々な疾患、例えば 梗塞、炎症、浮腫、腫瘍などの病変を検出するのに有用であると報告されている
(
Gujar et al., 2005
)。代謝物質の情報は様々な核種から得ることが可能であり、プロトン(1
H
)、リン(31P
)、炭素(13C
)およびナトリウム(23Na
)などが使用されている。人においては、これらの核種の中でも生体組織内に最も多く存在し
ている1
H
を用いたMRS
の研究および臨床応用が進んでおり、本研究においてもこの1
H
を用いたMRS
に注目した。MRS
検査により様々な代謝物質が測定できるが、臨床応用のため測定されている物質は
N-
アセチルアスパラギン酸(NAA
)、クレアチン(Cr
)、コリン(Cho
)、4
乳酸(
Lac
)、アラニン(Ala
)および脂質(Lip
)である。NAA
は神経細胞にのみ存在するアミノ酸であり、神経細胞密度の指標とされている。この物質は神経細 胞のミトコンドリアで生成されており、神経細胞における脂質合成に必要なア セチル群の供給源、タンパク合成の制御および浸透圧調節に関与していると考
えられている(
Barker et al., 2010
)。NAA
はスペクトル上の2.02 ppm
付近にピークが出現し(図
1
)、神経細胞の機能障害もしくは喪失により低下する。Cr
は細胞におけるエネルギー貯蔵の指標であり、スペクトル上では
3.03 ppm
付近にピークが出現する。他の代謝物質と比較して、脳疾患が存在していても比較的安定
しているため、しばしば代謝物質測定における内部基準として用いられる。
Cho
は細胞膜の構成要素であることから細胞密度の指標と考えられており、
3.20 ppm
付近にピークが出現する。
Cho
は、細胞増殖による細胞膜の生成および破壊サイクルの亢進、細胞膜の崩壊により上昇する。
Lac
は、正常脳ではほとんど検出されず低酸素による嫌気的解糖の発生、組織壊死が存在する場合に
1.30 ppm
付近に検出される。
Ala
も正常ではほとんど検出されず、髄膜腫や脳膿瘍といった独特のアミノ基転移経路を持つ病変において産生される。スペクトル上では
1.50
ppm
付近にピークが出現する。Lac
およびAla
のピークは、撮影条件によりベースラインの下側に反転した状態で出現する。
Lip
は正常ではほとんど検出されず細胞障害により検出される。スペクトルでは
Lac
とほぼ同じである1.30 ppm
付5
近にピークが出現する。スペクトルにおける代謝物質のピークは、実際の濃度値 を示すものではなく、ボクセル内の代謝物質の量を相対的に評価するものであ
る。このため、代謝物質の簡便な評価方法として、一般的に
Cr
を基準とした代謝物質比(代謝物質
/Cr
比)が用いられている(MacKay et al., 1996
、Broom et al.,
2007
、Chernov et al., 2009
)。代謝物質比は、スペクトルにおける各代謝物質のピーク下面積値から算出される。
MRS
は、脳内における代謝物質の微細な変化を描出するため、細かな条件設定が必要であり、また麻酔や撮影機器の種類などの外的要因により測定値が変
化することが知られている(
Lee et al., 2010
、Martin-Vaquero et al., 2012
)。最も一般的に用いられている
MRS
の手法は、シングルボクセル法およびマルチボクセル法である。ボクセルとは測定対象領域を意味し、矢状断、横断および水平断の
単純
MRI
画像を用いて位置を決定する。シングルボクセル法は1
か所の領域を測定対象としているのに対し、マルチボクセル法は格子状のボクセルを設置し
て複数の領域を同時に評価する方法である(図
2
)。また、MRS
撮影を行う上で、いくつかの撮影条件項目がある。エコー時間(
TE
)やパルス系列は測定結果に大きな影響を及ぼすため、異なる条件において測定した結果を直接比較するこ とはできない。従って、
MRS
により測定した代謝物質濃度を比較する際にはこれらの条件を統一する必要がある。撮影条件の
1
つであるTE
は、long TE
(135-
6
270 ms
)とshort TE
(20-35 ms
)の2
種類があり、目的とする代謝物質によって選択される。
long TE
では、上述したNAA
、Cho
、Cr
、Lac
、Ala
およびLip
を検出できる。これらに加え神経伝達物質であるグルタミン酸およびその前駆物質 のグルタミン、細胞の浸透圧調節を担うミオイノシトールといった緩和時間が
短い代謝物質を測定する場合は
short TE
を選択する(Majós et al., 2004
)。また、long TE
の条件下のスペクトルにおいてLac
およびAla
のピークがベースライン下に反転して現れるのに対し、ほぼ同じ場所に現れる
Lip
は上向きのピークを形成するため、
long TE
条件のMRS
ではこれらの代謝物質を区別することができる(図
3
)。撮影パルス系列には主にSTEAM
法とPRESS
法がある。STEAM
法は得られる信号が少なく感度が低いが、
TE
を短くすることができるためshort
TE
での測定に用いられることが多い。PRESS
法は得られる信号が多く感度が高いが、
STEAM
法と比較してTE
を短くできないため緩和時間が短い代謝物質のピークを捉えられない場合がある。これらパルス系列も、目的とする代謝物質を
考慮して選択される。本研究では、脳の部位による撮影分け、
Lac
およびAla
とLip
の区別が容易であることから、シングルボクセル法(PRESS
法、long TE
)を選択した。
また、
MRS
にはいくつか制限がある。代謝物質を検出するためには均一な静磁場を必要とするため、正確なデータを得るために磁場の均一化(シミング)を
7
行なう必要がある。磁場の均一度の目安として水の半値幅があり、本研究ではこ
の値が
0.20 ppm
未満のときに測定可能とした。しかし、骨、脂肪および空気(例:前頭洞)などの脳以外の組織は磁化率が異なるため、これら構造物の近接部位で はシミングを行なっても磁場の均一化が不十分である場合がある。このような
場合はアーチファクトの発生により正確な測定ができない(図
4
)。このため、測定する際にはボクセルを脳以外の構造物から離す必要がある。また、脳脊髄液
は脳組織と比較して
NAA
、Cho
をほとんど含まない一方で、脳組織よりもLac
を多く含有しているため
MRS
の結果に影響する可能性がある(Nagae-Poetscher
et al., 2004
、Stoop et al., 2010
)。このため、ボクセル内に脳室が含まれないようにする必要がある。よって、信頼性のあるスペクトルを描出するため、
MRS
撮影時にボクセル内に脳以外の組織が含まれていないこと、信号ノイズ比(信号強度
の平均値とノイズの標準偏差の比率)が
70%
以上であること、水の半値幅が0.20
ppm
以下であること、スペクトルのベースラインの乱れが無いことを確認して測定を行なうことが重要である。
人において、アルツハイマー型認知症などの変性性疾患や肝性脳症などの代
謝性疾患のように
MRI
単独では診断が困難である疾患に対して、MRS
を組み合わせることにより診断できる場合があり、
MRS
の有用性が報告されている(
Westman et al., 2011
、McPhail et al., 2010
)。さらに、MRS
の結果は疾患の治療8
により変化することから、長期にわたる治療効果の判定にも用いることができ
る可能性がある(
Grover et al., 2006
)。犬においても人と同様の疾患が存在している ため 、
MRS
がこれら疾患の補助的診断法になることが期待され てい る(
Rothuizen, 2009
、Insua et al., 2010
、)。しかしながら、獣医学領域では診断基準の検討がなされていないため未だ研究段階である。犬の脳に対し
MRS
を実施した後に脳組織を摘出して代謝物質の定量を行なった研究では、
in vivo
とin vitro
間において代謝物質濃度に相関が認められた(
Barker et al., 1994
)。また、犬の脳疾患モデル(グリオーマ、脳梗塞)を作成して
MRS
を実施し、正常脳との違いを調査した研究では、
NAA
の低下およびLac
の上昇が報告されている(Barker
et al., 1993
、Kang et al., 2009
)。しかしこれらの研究はin vivo
とin vitro
の比較、正常脳と各脳疾患を比較しているものであり、我々の知る限り、現在までに健常 犬の脳における基礎的検討および脳疾患の鑑別における有用性の評価を行なっ た研究報告はない。
犬における
MRI
およびMRS
検査には、人と異なり全身麻酔が必要である。動物を用いた
MRS
研究では麻酔薬の違いにより代謝物質濃度が変化することが報告されている(
Lee et al., 2010
、Makaryus et al., 2011
)。例えばラットの脳における
MRS
研究では、麻酔維持薬をイソフルラン群とプロポフォール群に分類したところ、イソフルラン群では
Lac
がプロポフォール群と比較して有意に高か9
ったと報告している(
Makaryus et al., 2011
)。 このため、犬の脳におけるMRS
では麻酔薬による影響が存在する可能性があり、麻酔の影響を考慮した
MRS
の解釈が必要となる。
MRS
は、撮影機器の性能による違いも知られている。最近の研究では、犬の脳に対し
3.0Tesla
(T
)および7.0T
のMRI
装置によるMRS
を実施しており、犬の脳において
7.0T
では水の信号抑制が不十分なため3.0T
装置の方が適していると報告されている(
Martin-Vaquero et al., 2012
)。しかしながら、近年の小動物診療施設において
3.0T
装置を備えている病院は少なく、1.5T
装置が主流である。従って、犬の脳における
1.5T
のMRI
装置によるMRS
の代謝物質データは現在の獣医学に貢献できると考えられる。
以上のように
MRS
は、代謝物質を描出する性質上、撮影条件の設定や外的要因によって測定結果に影響を及ぼす。医学領域では、この影響を考慮したうえで
MRS
を脳疾患の鑑別診断に利用しており、その有用性は高い。犬においても、各種脳疾患の鑑別診断に有用となることが予想される。しかし、獣医学領域では
MRS
の基礎的検討が行なわれていないため、いまだ研究段階にとどまっている。本研究では獣医学領域の臨床現場における
MRS
の有用性を検討することを目的とし、以下の検討を行なった。まず、第
1
章では健常犬の脳における年齢および部位による代謝物質の違いを調査し、第
2
章および第3
章では実際に脳疾患を10
有する犬における診断および鑑別に
MRS
が有用であるかを検討した。本研究で得られた成果は、従来の診断方法では鑑別が困難とされていた犬の脳疾患にお ける有用な知見を提供するとともに、今後
MRS
が補助的鑑別診断法の1
つとなり得る可能性を見出したものである。
11
(ppm)
4 3 2 1
図
1:健常な人の脳から得られたスペクトル
NAA、Cr
およびCho
が検出されており、Lac、Ala
およびLip
は認められない 参照:Gujar et al 2005NAA
Cho Cr
12
(ppm)
A
B
図
2:健常な人の脳におけるシングルボクセル法およびマルチボクセル法
のボクセル設定および得られたスペクトル
(A)
シングルボクセル法:測定領域は1
か所である(B)
マルチボクセル法:複数の領域からスペクトルを得る 提供:東芝メディカルシステムズ13
A B
図
3:健常な人の脳において異なる TE
により得られたスペクトル(A) long TE(136 ms)
:Lacピークはベースライン下に反転している(B) short TE(25 ms)
:Lacピークは上向きになっている提供:東芝メディカルシステムズ
Lac
Lac
(ppm)
14
A B
図
4:健常な人の脳の異なる部位から得られたスペクトル
(A)
鼻腔付近に設置したボクセル:ベースラインが乱れている(B)
海馬に設置したボクセル:ベースラインの乱れが少なく、代謝物質のピークが明瞭である 提供:東芝メディカルシステムズ
(ppm)
15
第
1
章健常犬の脳における
MRS
の基礎的検討16
1.
緒言人の脳は、生まれる時点で脳の成長が完了しておらず、生後も発達を続けるこ とがわかっており、軸索の髄鞘化やシナプスの新生が起こっている。特に髄鞘化
は胎生後期から始まり
20
歳前後まで継続することがわかっている。さらに加齢により軸索の脱落、不溶性の繊維状タンパクであるβアミロイドタンパクの沈 着、グリア細胞の増加が起こる。また、脳には白質と灰白質があり、白質には軸 索が多く、灰白質には神経細胞体が多く存在している。さらに、ドーパミン作動
性神経細胞が存在する中脳の黒質、大型のγ
-
アミノ酪酸作動性神経細胞であるプルキンエ細胞が層を形成する小脳皮質、左右の半球を結合する線維から成る 脳梁というように、部位によって細胞組成が異なっている。医学領域ではこれら を考慮して古くから健常な人の脳における基礎的研究が行なわれており、被験 者の年齢もしくは脳の測定部位により代謝物質濃度が異なることが知られてい
る(
Kadota et al., 2001
、Angelie et al., 2001
、Degaonkar et al., 2005
)。例えば、乳児期から成人期にみられる脳の成長に伴う神経細胞増加による
NAA
の上昇、髄鞘の形成(髄鞘化)による
Cho
の上昇(Kadota et al., 2001
、Angelie et al., 2001
)、さらに老年期にみられる脳の神経細胞密度の減少もしくは機能障害による
NAA
の減少、細胞膜の崩壊による
Cho
の上昇といった変化が起こることが報告がされている(
Angelie et al., 2001
)。一方、同研究では部位による差も存在し、海馬17
では他の部位と比較して
NAA
濃度の低値およびCho
濃度の高値が認められ、これは神経細胞およびグリア細胞の密度と関連していたと報告している。脳疾患
の診断において
MRS
を実施するにあたり、これら年齢、部位に関連した代謝物質の変化を知ることは重要であると考えられる(
Michaelis et al., 1993
、Kadota et
al., 2001
、Angelie et al., 2001
、Degaonkar et al., 2005
、Raininko et al., 2010
)。しかし獣医領域では、犬の脳に対し
MRS
および脳内代謝物質の定量を行なった研究報告や症例報告があるものの、健常犬における年齢もしくは測定部位の違いに
よる代謝物質の変化については検討されていない(
Barker et al., 1993
、Barker et
al.,1994
、Martin-Vaquero et al., 2012
)。犬の脳疾患を診断するうえでMRS
を適切に用いるために健常犬での検討が必要である。
本章では、健常犬の脳における
MRS
の基礎的データを得ることを目的とし、年齢および部位による代謝物質の違いの有無を調べた。
18
2.
対象および方法1)
動物日本大学生物資源科学部にて飼育され、血液検査、神経学的検査および頭部単
純
MRI
検査によって異常を認めなかった健常なビーグル犬15
頭を用いた。年齢に関連した代謝物質の変化を調査するために若齢犬群(雄
1
頭、雌4
頭、全頭2
か月齢、体重2.45 – 3.44 kg
;平均3.12 kg
)、成犬群(雄1
頭、雌4
頭、年齢3
– 5
歳齢;平均年齢4.5
歳齢、体重10.35 – 12.4 kg
;平均10.57 kg
)、老齢犬群(雄3
頭、雌2
頭、全頭12
歳齢、体重13.28 kg
)を5
頭ずつの3
群に分類した。また、本研究は日本大学生物資源科学部動物実験内規に従い行なった(承認番号
:
NUVM225
)。2)
麻酔麻酔の前投与として、アトロピン(
0.04
㎎/
㎏SC
)、ミダゾラム(0.1
㎎/
㎏IV
)、ブトルファノール(
0.1
㎎/
㎏IV
)を投与した。プロポフォール(4
㎎/
㎏IV
)により導入した後、気管内挿管を行ない、人工呼吸下にてイソフルラン
-
酸素の吸入麻酔で維持した。撮影中は
2.6 %
グルコース加乳酸リンゲル液を3 ml/kg/
時で静脈内投与した。犬を腹臥位にして、頭部が撮影コイルの中心部となるように保
19
定した。撮影終了後、イソフルランの投与を中止し全頭覚醒させた。
3)
撮影プロトコルMRI
1.5 T
のMRI
装置(EXELART Vantage,
東芝メディカルシステムズ,
東京)を使用し、コイルは
Quadrature knee coil
を用いた。単純MRI
撮影としてSpin echo
法による
T1
強調像(繰り返し時間[TR] = 600 ms,
エコー時間[TE] = 15 ms
)、fast spin echo
法によるT2
強調像(TR = 4500 ms, TE = 105 ms
)およびFLAIR
像(
TR = 10000 ms, TE = 108 ms
)の矢状断像、横断像および水平断像を撮影し、脳に異常が無いことを確認した。
MRS
MRS
(MRS-PRO/SX,
東芝メディカルシステムズ,
東京)はPRESS
法の1
つである
spin echo
法を用いた(表1
)。撮影条件はTE = 136 ms
、TR = 2,000 ms
、積算回数
256
回とし、測定領域であるボクセルのサイズは1.5 × 1.5 × 1.5 cm
に設定した。
MRI
検査から得られた3
方向のT2
強調画像を用いて前頭葉、後頭葉および小脳にボクセルを設置した。ボクセルを設置する際には、頭蓋骨および脳 室からの干渉がないように注意を払った。前頭葉は前十字溝より吻側の脳実質
20
正中に、後頭葉は小脳テント直上の脳実質正中に、小脳は可能な限り第
4
脳室を避けて中心部にボクセルを設置した(図
1
)。磁場を均一化するための前処理として
image-based shimming
法によるプロトンのグローバルシミングおよびローカルシミング、および水抑制の最適化を行なった。撮影時間は
1
箇所につき8
分
32
秒であった。得られたスペクトルの信頼性は、上述したボクセル位置、信号ノイズ比の予測値(
70%
以上)、水の半値幅(< 0.20 ppm
)、およびスペクトルにおけるベースラインの乱れが無いことから判断した、信号ノイズ比の予測値 はスペクトルの質の大まかな指標であり、本研究では最適な信号ノイズ比を得 るためにメーカーが推奨する上述の撮影プロトコルを用いた。
4)
解析測定した
6
つの代謝物質のスペクトル上におけるピーク位置は以下の範囲に設定した:
NAA 2.02 ppm
、Cho 3.20 ppm
、Cr 3.03 ppm
、Lac
・Ala
およびLip 1.55-
1.15 ppm
。本研究で用いた1.5T
のMRI
装置では、近接してピークが出現するLac
と
Ala
を分離することができなかったため、Lac
・Ala
として取り扱った。また、Lac
・Ala
がベースライン下に反転してピークを形成するのに対し、Lip
は同じ部分のベースライン上にピークを形成することから、上向きのピークを認めた場 合は
Lip
、下向きのピークを認めた場合はLac
・Ala
とした。本研究において、測21
定時に表示される値は代謝物質濃度の絶対値ではなく、測定ごとに変化する信
号強度を示すものである。そのため、前述した代謝物質比(
NAA/Cr
比、Cho/Cr
比、
Lac
・Ala/Cr
比およびLip/Cr
比)を測定値とした。NAA
は神経細胞密度の指標であり、
Cho
は細胞の種類によらず細胞密度の指標であることから、測定領域における神経細胞の割合の指標として
NAA/Cho
比も同時に評価した。測定値の統計処理のため、ステップワイズ法による重回帰分析を用いた。従属変数を代謝 物質比、独立変数を年齢および部位とし、
P < 0.05
のときに有意差ありとした。統計処理には
SPSS Statistics, version 17.0
(IBM Corp, Armonk, NY
)を用いた。MRS
測定部位の灰白質と白質における代謝物質の違いを考慮するため、ワークステーション(
Virtual Place Advance PLUS, version 2.03, AZE, Tokyo, Japan
)を利用してボクセルを設定した
MRI
画像の灰白質/
白質の比率を測定した。22
表
1:MRS
の取得条件設定 シーケンス
double spin echo
法シミング
image-based shimming
法(
グローバルシミング、ローカルシミング)
TE 2,000 ms
TR 136 ms
積算回数
256
回ボクセルサイズ
1.5 × 1.5 × 1.5 cm
(約3.4 cm
3) 撮像時間8
分32
秒/1
か所測定項目(ピーク位置)
NAA (2.02 ppm)
、Cr (3.03 ppm)
、Cho (3.20 ppm)
、Lac
・Ala (1.55-1.15 ppm
:下向きピーク)
、Lip (1.55-1.15 ppm
:上向きピーク)
評価項目NAA/Cr
比、Cho/Cr
比、NAA/Cho
比、Lac
・Ala/Cr
比、Lip/Cr
比23
図
1:健常な成犬(A-C)および若齢犬(D-E)の脳から得られた T2
強調画像およびボクセルの位置
(A)および(D)矢状断像、前頭葉(FL)、後頭葉(OL)および小脳(CE)
のボクセル位置を示す
(B)、(E)、(C)および(F)水平断像、B および
E
は前頭葉および後 頭葉、CおよびF
は小脳のボクセル位置を示す※( )内はスライスレベルを示す
24
3
.結果各群(若齢犬群、成犬群および老齢犬群)の各部位より得られたスペクトルを
図
2
に示した。各群において部位ごとに算出された代謝物質比を表2
に示した。重回帰分析により、代謝物質比と年齢および部位の間に有意な関連性が認めら
れた(表
3
)。相関行列表を評価したところ、互いに相関している変数は無かったため(
|r| > 0.9
)、全変数を解析に含めた。非標準化および標準化係数を求め、非標準化係数の
P
値を示した。1)
年齢による違い若齢犬群では、他群と比較して
Cho/Cr
比の有意な高値を示した(P < 0.001
、非標準化係数
= 0.16
)(表3
)。また、若齢犬群および老齢犬群では成犬群と比較して
NAA/Cho
比の有意な低値を示した(若齢犬群:P < 0.001
、非標準化係数=
-0.33
、老齢犬群:P = 0.04
、 非標準化係数= -0.12
)。NAA/Cr
比に有意差は認められなかった。
Lac
・Ala
は数頭で微量に検出されたものの、年齢群間において有意差は認められなかった。全頭において
Lip
は検出されなかった。2)
部位による違い小脳では、他の部位と比較して
NAA/Cr
比が有意な低値を示した(P = 0.02
、25
非標準化係数
= -0.07
)(表3
)。前頭葉では、他の部位と比較してCho/Cr
比の有意な高値(
P < 0.001
、非標準化係数= 0.16
)およびNAA/Cho
比の有意な低値(P
< 0.001
、非標準化係数= -0.31
)が認められた。部位間においてLac
・Ala/Cr
比に有意差は認められなかった。
若齢犬群の小脳に設置したボクセルは他と比較して灰白質を多く含む傾向が みられた(若齢犬群:
2.24 ± 0.13
、成犬群:1.42 ± 0.15
、老齢犬群:1.31 ± 0.15
)。26
老齢犬 成犬
小脳後頭葉
若齢犬
前頭葉
図
2:各年齢群の脳における 3
つの部位から得られたスペクトルX
軸は周波数、Y軸は信号強度を表すNAA:N-アセチルアスパラギン酸 Cr:クレアチン
Cho:コリン
27
NAA
:N-
アセチルアスパラギン酸Cr
:クレアチンCho
:コリンLac
・Ala
:乳酸およびアラニンLip
:脂質N.D.
:検出なし表
2
:代謝物質比(平均値 ±
SD
)NAA/Cr Cho/Cr NAA/Cho Lac
・Ala/Cr Lip/Cr
若齢犬群前頭葉
1.52 ± 0.25 2.39 ± 0.53 0.64 ± 0.07 1.41 ± 1.41 N.D.
後頭葉
2.11 ± 0.34 2.35 ± 0.35 0.91 ± 0.15 N.D. N.D.
小脳
1.37 ± 0.14 1.70 ± 0.33 0.81 ± 0.10 N.D. N.D.
成犬群
前頭葉
1.82 ± 0.66 2.07 ± 0.95 0.90 ± 0.10 0.05 ± 0.03 N.D.
後頭葉
1.50 ± 0.18 1.21 ± 0.06 1.23 ± 0.11 0.05 ± 0.05 N.D.
小脳
1.40 ± 0.21 1.18 ± 0.23 1.21 ± 0.24 N.D. N.D.
老齢犬群
前頭葉
1.43 ± 0.11 2.00 ± 0.25 0.74 ± 0.06 N.D. N.D.
後頭葉
1.42 ± 0.11 1.34 ± 0.07 1.08 ± 0.11 N.D. N.D.
小脳
1.40 ± 0.21 1.30 ± 0.13 1.17 ± 0.08 0.12 ± 0.05 N.D.
28
注:ステップワイズ法により、代謝物質比の変化と 有意な関連性が認められた項目のみ示している 従属変数:代謝物質比
独立変数:年齢および部位
R
^*2:調整済みR
2係数NAA
:N-
アセチルアスパラギン酸Cr
:クレアチンCho
:コリン表
3
:重回帰分析結果下 限 上 限 年齢群
Cho/Cr 0.44
若齢犬群
0.16 0.523 0.00 0.09 0.22
NAA/Cho 0.61
若齢犬群
-0.33 -0.057 0.00 -0.44 -0.21
老齢犬群
-0.12 -0.057 0.04 -0.24 -0.01
部位
NAA/Cr 0.16
小脳
-0.07 -0.34 0.02 -0.12 -0.01
Cho/Cr 0.44
前頭葉
0.16 0.513 0.00 0.09 0.22
NAA/Cho 0.61
前頭葉
-0.31 -0.049 0.00 -0.40 -0.20
R^*2
偏回帰係数(B)
標準偏回帰係数 有意確率(p ) B
の95%
信頼区間29
4.
考察1
)年齢による違い本研究では若齢犬群(
2
か月齢)、成犬群(3-5
歳齢、平均4.5
歳齢)および老齢犬群(
12
歳齢)の間にNAA/Cr
比の有意差は認められなかった。これは評価した年齢群のすべてにおいて神経細胞の数に差が無かったことによるものと考 えられる。犬における生後の脳発達では、神経細胞密度の増加よりも髄鞘形成が 主体であるため、本研究で用いた若齢犬の脳では成犬と同等の神経細胞数に達
していたと予想される(
Stiles et al., 2010
、Gross et al., 2010
)。人および動物の脳における正常な加齢の過程では、明らかな神経細胞の喪失 は起こらない。しかしながら、髄鞘の変性および脱落、グリオーシス(グリア細
胞の増殖および線維化が起こった状態)が起こることが知られている(
Shimada
et al., 1992
、Mouton et al., 1994
、Nichols, 1999
、Insua et al., 2010
、Pannese, 2011
、Chambers et al., 2012
)。さらに、認知機能障害を示す老齢犬の脳では若齢犬と比較してノルアドレナリン作動性神経細胞の数が減少する一方で、健常な老齢犬
の脳では明らかな神経細胞の喪失は観察されなかったと報告されている(
Insua
et al., 2010
)。この研究では立体的解析を行なっており、認知機能障害を示す老齢犬の脳における神経細胞数が、障害を示さない老齢犬よりも
23%
減少していたとしている。本研究で用いた老齢犬は健常であり昼夜逆転、徘徊などの認知機能
30
障害を示していなかったため、神経細胞の喪失は起こっていなかったと予想さ
れる。認知機能障害を示す犬の脳では
NAA/Cr
比の低値(人と同様)が予測され、
MRS
が補助的診断法として使用できる可能性が考えられる(Westman et al.,
2011
)。若齢犬群において他の群と比較して
Cho/Cr
比が有意に高値であった理由として、
Cho
の上昇が考えられる。2
か月齢の犬の脳では、生後発達として軸索の髄鞘化が起こっており、細胞膜生成が亢進している。これに伴い細胞膜生成に必要
である
Cho
が産生され、細胞内の濃度が上昇する。よって、若齢犬群において認められた
NAA/Cho
比の有意な低値も、同様に脳の発達に関連していると考えられる。老齢犬群において認められた
NAA/Cho
比の有意な低値は、髄鞘の脱落のような加齢性変化に関連していると考えられる(
Gujar et al., 2005
、Chambers et
al., 2012
)。これは細胞膜が崩壊することにより、細胞膜構成要素であるCho
が放出され
Cho
濃度が上昇するためである。さらに、星状膠細胞は高濃度のCho
を含有していることから、老齢犬の
NAA/Cho
比にグリオーシスが影響している可能性がある(
Urenjak et al., 1993
)。2)
部位による違い小脳では他の部位と比較して有意な
NAA/Cr
比の低値を示した。最近の研究31
では、人およびラットの小脳において他の部位と比較して
Cr
濃度が高いことを示しており、他の代謝物質
/Cr
比を過小評価する可能性があると報告している(
Mayer et al., 2007
、Zahr et al., 2013
)。小脳における高濃度のCr
は、他の部位と比較してエネルギー要求が大きいことを示唆している(
Zahr et al., 2013
)。本研究においても、局所的な
Cr
濃度の高値が小脳におけるNAA/Cr
比の低値に寄与していると考えられる。また、小脳の
Cho/Cr
比について、後頭葉と有意差は認められないものの同様に影響を受けている可能性がある。従って、小脳において
対
Cr
比を用いて代謝物質を評価する場合には、過小評価している可能性を考慮する必要がある。
健常な成人において、前頭葉領域の
Cho
濃度が他の部位と比較して高いことが報告されている(
Degaonkar et al., 2005
)。この理由は明確に解明されていないが、おそらく脳の領域ごとにおける細胞組成の違いを反映していると考えられ
ている。例えば、グリア細胞は神経細胞よりも高濃度の
Cho
を含有しているため、各領域のグリア細胞と神経細胞の比率の違いが
Cho
の量に影響を及ぼしていると考えられる(
Urenjak et al., 1993
)。本研究において、他の部位と比較して前頭葉で有意な
Cho/Cr
比の高値を認めており、この領域におけるCho
濃度が関与していると考えられる。また、前頭葉において他の部位と比較したときに
NAA/Cr
比に有意差が認められないことから、NAA/Cho
比の有意な低値は、高32
い
Cho
濃度に起因すると考えられる。3) Cho/Cr
比の高値本研究における
Cho/Cr
比(1.18 – 2.39
)は過去に報告されている健常成人(0.26
– 0.50
)よりも高値であった(Gruber et al., 2008
)。この違いの理由として、動物種の差が考えられる。しかしながら、過去に報告されている犬の脳における
MRS
の研究では、
Cho/Cr
比が0.22
であり、健常成人の数値に近い結果であった(Barker
et al., 1994
)。MRS
は麻酔プロトコルの影響を受けるということが報告されているが、
Cho
濃度の絶対値もしくは推定値に影響するとの記載はない(Zhang et al.,
2009
、Lee et al., 2010
、Makaryus et al., 2011
)。しかしながら、本研究において麻酔プロトコルの影響は除外できていない。さらに、異なる
MRI
装置を用いたことによる影響も考えられるが、本研究における
Cho/Cr
比の高値の理由は不明である。
4) Lac
・Ala
の検出Lac
は嫌気的解糖の終産物であり、梗塞による低酸素状態、腫瘍、炎症性脳疾患、乳酸アシドーシス、心停止からの回復、新生児低酸素症といった様々な脳疾 患の存在により検出される(
Byrd et al., 1996
、Gujar et al., 2005
、Soares et al., 2009
、33
Barker et al., 2010
)。Ala
はしばしば髄膜腫および脳膿瘍の特異的な指標として考えられており、これらの病変が持つ独特のアミノ基転移経路により上昇する(
Lai
et al., 2007
、Chernov et al., 2011
)。本研究で用いた1.5T
装置によるMRS
では、Lac
とAla
を分離することができなかった。この2
つの代謝物質が同時に存在していた場合、スペクトルでは約
1.5 – 1.3 ppm
にベースライン下に反転した三峰性のピークが出現する。本研究では
Lac
およびAla
として報告しており、いくつかの領域においてわずかに検出されていた。この理由として、ボクセル内に脳室 内の脳脊髄液が混入したことが考えられる。脳脊髄液には血清と平衡状態を保
った状態で微量の
Lac
が含まれているためである(Nagae-Poetscher et al., 2004
、Stoop et al., 2010
)。5)
技術的制限本研究で用いた
MRS
プロトコルにより、犬の前頭葉、後頭葉および小脳から代謝物質のスペクトルを得ることができた。犬の脳は人よりも小さいため、いく つかの領域ではボクセルを目的の部位の中心に設置しようとすると頭蓋骨、皮 下脂肪もしくは洞(例:前頭洞)といった脳以外の組織を含む可能性がある。こ れらを含んだ場合、信号が乱れてノイズが起こるためスペクトルの質が低下す る(
Byrd et al., 1996
、Gujar et al., 2005
、Soares et al., 2009
、Barker et al., 2010
)。こ34
のためボクセルは目的とする部位の中心からやや動かさなければならない。し かしながら、大きく動かすと目的外の脳組織を含んでしまい、測定結果の正確性 が低下する。本研究において、このような場合は脳と脳以外の組織(例:前頭洞 内板)の境界付近にボクセルを設置することでこれらの現象を防ぐことができ た。
本研究において、脳以外の組織の含有および目的とする部位からの逸脱を防 ぐため、先述した方法でボクセルを設置した。若齢犬は成犬と比較して脳が小さ
いため、
MRS
を実施する場合は注意が必要である(図1
)。本研究で用いたボクセルは約
3.4 cm
3であり、これは若齢犬群の脳において各部位を測定できる最大の大きさである。これよりもボクセルを小さくした場合、良質なスペクトルを得 るために積算回数を増加する必要があり、結果として測定時間が延長するため
臨床現場において妥当でないと考えられる。例えば、ボクセルを
1.7 cm
3に縮小すると撮影時間は
1
か所につき17
分に延長する。また、犬の脳において、大きさは大型犬と小型犬でもあまり変わらないが、長頭種と短頭種では形に違いが あることがわかっており、犬種により測定できる部位が限られる可能性がある
(
Roberts et al., 2010
)。本研究において測定は細心の注意を払って行なった(ボクセルの位置、信号ノイズ比の予測値、水の半値幅およびスペクトルの乱れの有 無)。
35
もう
1
つの制限として、本研究では実際の代謝物質濃度ではなくCr
を基準とした代謝物質比を解析していることが挙げられる。脳の
Cr
濃度は比較的安定していると考えられており、代謝物質
/Cr
比は多くの研究において評価法として用いられている(
MacKay et al., 1996
、Rudkin et al., 1999
、Broom et al., 2007
、Chernov
et al., 2009
)。しかしながら、統計学的に有意差を評価できていないものの、今回の
MRS
の結果は、各年齢群(若齢犬、成犬および老齢犬群)の小脳においてCr
濃度が高いことを示唆している。この結果は小児、成人および高齢者に対し
MRS
を行なった過去の報告と同じである(
Costa et al., 2002
、Baker et al., 2008
、Zahr et
al., 2013
)。最近の研究では、健常な人の脳において灰白質が白質と比較してより高濃度の
Cr
を含有していることが示されている(Degaonkar et al., 2005
)。この違いは灰白質におけるエネルギー要求および神経細胞のミトコンドリア密度が
高いことによると考えられている(
Degaonkar et al., 2005
)。犬においても同じであると予測されるが、本研究で用いた
1.5T
のMRI
装置では灰白質と白質を分けて測定することが不可能であり、これを調べるにはより高磁場の装置が必要で ある。若齢犬群における小脳のボクセルは他群と比較して灰白質を多く含む傾 向がみられたため、若齢犬群における小脳の結果はボクセル内の灰白質が多い ことによる
Cr
濃度の違いから影響を受けている可能性がある。しかしながら、成犬および老齢犬群の小脳においても
Cr
濃度が高いことが示唆されているため、36
小脳でみられた
Cr
濃度の有意差はエネルギー要求の差によるものと考えられる。37
5.
小括犬の脳における
MRS
に関していくつか報告はあるものの、年齢および撮影部位による代謝物質の違いの検討は行なわれていない。そこで、本章では
MRS
を犬の脳において適切に使用するために、臨床的に健常なビーグル犬
15
頭を用いて代謝物質の変化を評価した。犬は
5
頭ずつ若齢犬群、成犬群および老齢犬群の
3
群に分類し、測定部位は前頭葉、後頭葉および小脳の3
か所とした。一般身体検査、神経学的検査および
MRI
検査にて脳に異常が無い事を確認したのち、MRS
の測定領域であるボクセルをそれぞれ設置した。ボクセルの位置を決定する際は、脳以外の構造物(頭蓋骨、皮下脂肪もしくは洞)や目的とする部位以外 の脳組織を含まないように注意を払った。
全ての年齢群および脳の部位において
MRS
は実施可能であり、それぞれの変化を示すことができた。若齢犬群において、他群と比較して
Cho/Cr
比の有意な高値および
NAA/Cho
比の有意な低値が認められた。生後の脳発達に伴う髄鞘の形成により細胞膜の生成および破壊サイクルの亢進が起こることから、高い
Cho
濃度に起因すると考えられる。一方老齢犬群において、他群と比較して
NAA/Cho
比の有意な低値が認められた。加齢性変化に伴う髄鞘の脱落、星状膠細胞(
Cho
を多く含有する)が増殖するグリオーシスが起こることから、
Cho
濃度が上昇していたためと考えられる。前頭葉において、他の部位と比較して
Cho/Cr
比の有38
意な高値および
NAA/Cho
比の有意な低値が認められた。これは前頭葉の高いCho
濃度に起因し、他の部位との細胞組成の違いを反映しているものと考えられる。また、小脳において、他の部位と比較して
NAA/Cr
比の有意な低値が認められた。小脳は他の部位よりもエネルギー要求量が高いため
Cr
濃度が高かったと考えられる。
Lac
およびAla
は数頭で検出されたが、有意差は認められなかった。全頭において
Lip
は検出されなかった。本研究では犬の脳における健常データを得ることができ、これを各脳疾患と 比較検討することで犬の脳疾患診断における
MRS
の有用性を検討できると考えられた。
39
第
2
章脳腫瘍罹患犬における
MRS
の有用性の検討40
1.
緒言北米における報告によると、犬の脳腫瘍の発生は
10
万頭に14.5
頭であり、全腫瘍の約
3%
を占めると報告されている(Zaki, 1977
、Snyder et al., 2006
)。犬の原発性脳腫瘍のうち、髄膜腫がもっとも一般的(約
45%
)であり、次いでグリオーマが多い(約
20%
)(Priester et al., 1971
、Kraft et al., 1997
、Bagley et al.,
1999
)。髄膜腫はクモ膜由来の腫瘍であり、WHO
分類では9
つの組織学的サブタイプに分類される。
MRI
検査では脳の辺縁に境界明瞭な腫瘤性病変を認め、造影
T1
強調画像にて腫瘍に接する髄膜が造影剤により増強され、髄質と比較して高信号を示す所見(デュラルテールサイン)を呈することが多い(
Graham
et al., 1998
、Wisner et al., 2011
)。このような所見から、髄膜腫は比較的MRI
検査により診断しやすいが、中にはデュラルテールサインを伴わないもの、脳へ
の浸潤のため境界不明瞭なものが存在する(
Graham et al., 1998
、Sturges et al.,
2008
、Wisner et al., 2011
)。また、デュラルテールサインは髄膜腫に特異的な所見ではなく、硬膜に近接して発生した腫瘍や炎症によっても認められる
(
Mellema et al., 2002
、Tamura et al., 2009
、Palus et al., 2012
)。そのため、いくつかの髄膜腫症例では
MRI
検査単独による診断が困難な場合がある。グリオーマはグリア系細胞(星状膠細胞、希突起膠細胞など)由来の腫瘍で ある。