要 旨 三 十 年 前、 「 私 」 た ち の 前 に 現 れ た 男( 自 称・ 力 道 山 の 弟 ) は 詐 欺師であり、 「私」はだまされて、インチキ薬〈力動粉末〉を飲み、 腹 痛 に 苦 し む。 知 人 の 喜 代 は 彼 と 関 係 を 持 ち、 妊 娠 す る。 父 は 怒 り、 乱 暴 を 働 く。 そ の 後、 喜 代 は 悦 子 を 生 み、 父 は 悦 子 を 可 愛 が る。 そ れ ら の 回 想 は、 「 私 」 た ち の〈 原 風 景 〉 と し て あ り、 過 去 を 鮮やかに甦らせる力を持っている。
キーワード
〈力動粉末〉の袋
力道山の弟 喜代の妊娠と出産 父と悦子 一
は
じ め に
「 力 道 山 の 弟 」( 「 小 説 新 潮 」 1 9 8 9 ・
(喜代の子)の回想である。 や、喜代や父たちの騒動などが描かれる。最後の四章は、父と悦子 品の中心となる三章は、三十年前の力道山の弟(自称)との出会い 袋の回想であり、二章は喜代と「私」の家族の説明が、そして、作 章 ) の 一 章 は、 「 私 」 に よ る 喜 代 や 父、 お よ び〈 力 動 粉 末 〉 の 空 き が 三 十 年 前 に 遭 遇 し た 出 来 事 を 回 想 す る 物 語 で あ る。 作 品( 全 四 3 ) は、 語 り 手 の「 私 」 作品は、昭和三十年代の尼崎を舞台としており、日々を精一杯生 きる人々が登場して、彼らを語る「私」の目は概ね温かい。文庫本 の 解 説 者・ 饗 庭 孝 氏 は、 こ の 作 品 を、 「 転 変 き わ ま り の な い 庶 民 の 生活のニュアンスを精細微妙にかきわけ、作者は何気ない言葉に比 重 を の せ て 鮮 や か に 作 品 の ポ イ ン ト を き め て ゆ く 」 と 評 価 し て い て、例えば、詐欺師である力道山の弟とサクラの老人の言動は生彩 があり、彼らが引き起こす事件や、それに対する「私」や父たちの
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一 安田女子大学大学院紀要 第
宮本 輝「力道山の弟」論 日本語学日本文学専攻 26 集
藤 村 猛
藤 村 猛
ろ使っていた手文庫の底に埋もれてい」て、 「とりわけ大事そうに、 折った半紙に挟み込まれるようにして」しまわれていた。
出す。 「 私 」 は、 そ れ を 見 た と き、 当 時( 昭 和 三 十 三 年 ) の こ と を 思 い 私は、その薄っぺらな袋を目にしたとき、思わず、あれっ? と声をあげた。私の心に、十一月の終わりの寒風の吹きまくる 駅前広場がひろがった。その〈力動粉末〉なる怪しげな薬を買 って帰ってひどい目に遭ったのは、小学校五年生だった他なら ぬ私自身で、昭和三十三年のことである。 (
583 )
小学生五年生の「私」にとって、その事件は衝撃的なものであっ た。 そ し て、 袋 を 大 事 に 取 っ て お い て く れ た 父 へ の 思 い も あ っ て、 袋 を 捨 て る に 忍 び ず、 「 一 冊 の 詩 集 に 挟 み 込 ん だ ま ま、 二 十 年 間、 本棚の隅に保存してきた」 (
584 )のである。
だ が、 二 十 年 間 の 時 間 的 経 過 と 明 日 の 悦 子 の 結 婚 式 を 前 に し て、 「私は、どうでもいいような過去を抹消するために」 、袋を焼却しよ うとする。だが、彼は「あの日の、父のあらぶる心と悲哀」を想い な が ら、 あ ら た め て、 「 ど う し て 父 は、 こ の 一 枚 の 袋 を 捨 て ず に、 大 切 に 取 っ て お い た り し た の だ ろ う ……。 」(
(この疑問と答の追求が作品を底流している。 ) 584 ) と の 疑 問 を 持 つ。
作 品 の 二 章 以 降 に、 〈 力 動 粉 末 〉 を め ぐ る 三 十 年 前( 昭 和 三 十 三 年)の事件と、その「証拠」を大切に取っておいた父への思いが展 開していく。 描写も印象的である。 同 時 に、 こ の 作 品 で は、 「 私 」 の 父 に 対 す る 心 情 も 注 目 さ れ る。 「 私 」 の 父 は 乱 暴 者 で、 作 っ た 会 社 を 倒 産 さ せ た り、 麻 雀 屋 に 入 り 浸っているが、同時期の他の作品( 「真夏の犬」や「階段」 )に描か れた父親たちと比べれば、情のある、他人のために働く人物として 描かれている。 饗庭氏は、父を「情にもろい・一本気の性格」であり、その「巧 み な 表 現 」 に よ り「 し み じ み と し た 味 わ い 」 を 醸 し て い る と す る。 安 藤 始 氏 も、 「 私 」 に と っ て「 尼 崎 が『 原 風 景 み た い な も の 』 で あ ると同時に、 「父の存在が心の『ふるさと』となっ て」いると言う。
語り手「私」の心情や行動を読み、力道山の弟や父たちに対する 思いを明らかにして、作品の特徴や良さを考える。
二
〈力動粉末〉の紙袋―一章―
作品は、次の文章から始まる。
私の手元に〈力動粉末〉と ゴ ム印を捺された小さな紙袋があ る。薄いハトロン紙で作った縦十センチ、横五センチのその袋 に は、 〈 力 動 粉 末 〉 と い う 名 の 薬 が 入 っ て い た の だ が、 中 身 は とうに捨てられ、茶色くにじんだ袋のへりはすりきれて、あち こちが破れかけている。 (
583 )
今 か ら 二 十 年 前 に 父 が 死 ん で、 「 私 」 は「 何 か 金 目 の も の は な か ろうかと、あさましい魂胆で、物色したとき」 、「父の遺品の中に混 じ っ て い た 」〈 力 動 粉 末 〉 の 袋 を 見 つ け る。 そ の 袋 は、 父 が「 日 ご
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ろ使っていた手文庫の底に埋もれてい」て、 「とりわけ大事そうに、 折った半紙に挟み込まれるようにして」しまわれていた。 出す。 「 私 」 は、 そ れ を 見 た と き、 当 時( 昭 和 三 十 三 年 ) の こ と を 思 い 私は、その薄っぺらな袋を目にしたとき、思わず、あれっ? と声をあげた。私の心に、十一月の終わりの寒風の吹きまくる 駅前広場がひろがった。その〈力動粉末〉なる怪しげな薬を買 って帰ってひどい目に遭ったのは、小学校五年生だった他なら ぬ私自身で、昭和三十三年のことである。 (
583 )
小学生五年生の「私」にとって、その事件は衝撃的なものであっ た。 そ し て、 袋 を 大 事 に 取 っ て お い て く れ た 父 へ の 思 い も あ っ て、 袋 を 捨 て る に 忍 び ず、 「 一 冊 の 詩 集 に 挟 み 込 ん だ ま ま、 二 十 年 間、 本棚の隅に保存してきた」 (
584 )のである。
だ が、 二 十 年 間 の 時 間 的 経 過 と 明 日 の 悦 子 の 結 婚 式 を 前 に し て、 「私は、どうでもいいような過去を抹消するために」 、袋を焼却しよ うとする。だが、彼は「あの日の、父のあらぶる心と悲哀」を想い な が ら、 あ ら た め て、 「 ど う し て 父 は、 こ の 一 枚 の 袋 を 捨 て ず に、 大 切 に 取 っ て お い た り し た の だ ろ う ……。 」(
(この疑問と答の追求が作品を底流している。 ) 584 ) と の 疑 問 を 持 つ。
作 品 の 二 章 以 降 に、 〈 力 動 粉 末 〉 を め ぐ る 三 十 年 前( 昭 和 三 十 三 年)の事件と、その「証拠」を大切に取っておいた父への思いが展 開していく。 描写も印象的である。 同 時 に、 こ の 作 品 で は、 「 私 」 の 父 に 対 す る 心 情 も 注 目 さ れ る。 「 私 」 の 父 は 乱 暴 者 で、 作 っ た 会 社 を 倒 産 さ せ た り、 麻 雀 屋 に 入 り 浸っているが、同時期の他の作品( 「真夏の犬」や「階段」 )に描か れた父親たちと比べれば、情のある、他人のために働く人物として 描かれている。 饗庭氏は、父を「情にもろい・一本気の性格」であり、その「巧 み な 表 現 」 に よ り「 し み じ み と し た 味 わ い 」 を 醸 し て い る と す る。 安 藤 始 氏 も、 「 私 」 に と っ て「 尼 崎 が『 原 風 景 み た い な も の 』 で あ ると同時に、 「父の存在が心の『ふるさと』となっ て」いると言う。
語り手「私」の心情や行動を読み、力道山の弟や父たちに対する 思いを明らかにして、作品の特徴や良さを考える。
二
〈力動粉末〉の紙袋―一章―
作品は、次の文章から始まる。
私の手元に〈力動粉末〉と ゴ ム印を捺された小さな紙袋があ る。薄いハトロン紙で作った縦十センチ、横五センチのその袋 に は、 〈 力 動 粉 末 〉 と い う 名 の 薬 が 入 っ て い た の だ が、 中 身 は とうに捨てられ、茶色くにじんだ袋のへりはすりきれて、あち こちが破れかけている。 (
583 )
今 か ら 二 十 年 前 に 父 が 死 ん で、 「 私 」 は「 何 か 金 目 の も の は な か ろうかと、あさましい魂胆で、物色したとき」 、「父の遺品の中に混 じ っ て い た 」〈 力 動 粉 末 〉 の 袋 を 見 つ け る。 そ の 袋 は、 父 が「 日 ご
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二
た め の 奔 走 」(
した。 584 ) も あ り、 尼 崎 の 玉 江 橋 の 近 く に、 麻 雀 屋 を 開 店 父は喜代に、中国に行ったきりになった高万寿を諦め、再婚する ようにと言っていた。が、彼女は、 (「私」の母いわく) 、「言い寄っ て く る 男 は 山 ほ ど 」 い た が、 「 い っ ぺ ん で も、 ふ ら ふ ら っ と そ の 気 に な っ た こ と も な か っ た 」(
て行」 ( ちゃんの店の二階で寝起きしたあと、鼻唄まじりで、胸を張って出 情などなく、尼崎駅の「広場に姿をあらわした日から三日間、喜代 売 っ て る、 薄 汚 い 男 」) を 受 け て い た。 事 実、 男 に 喜 代 へ の 深 い 愛 評価(父からは「力道山の弟やなんて言うて、わけのわからん粉を し た 」 と か、 「 気 が 狂 う た 」 と か 言 わ れ る ほ ど、 香 具 師 の 男 は 悪 い る香具師と関係し、妊娠してしまう。 「私」の父母からは、 「魔がさ 597 )。 そ れ が、 〈 力 動 山 の 弟 〉 と 詐 称 す 知らなかったのかもしれないが。 ) 597 )き、二度と彼女の前には現れなかった。 (彼女の妊娠を 喜代の妊娠を怒った父は、麻雀屋で暴れる。
彼女は、 〈力道山の弟〉との関係が一度限りのものだった、即ち、 彼とはそんな関係だったことよりも、自分の妊娠に荒れ狂う父の姿 に衝撃を受けたのではないか。店を父に壊されても、彼女は「無抵 抗 な ま ま 泣 い て 」(
悦子を生む。 罪悪感があったのだろう。その後、彼女はシングル ・ マザーとして、 598 ) い た の で あ る。 彼 女 の 中 に は、 父 に 対 す る
次節において、香具師(自称・力道山の弟)の詐欺ぶりを見てい く。 三
喜代と父―二章―
二 章 で 紹 介 さ れ る 喜 代 は、 「 父 の 友 人 で あ っ た 高 万 寿 の 妻 」 で あ った。高万寿について、次のように説明される。
高万寿は、中国の福建省出身の商人で、日中戦争が始まる直 前まで、神戸に事務所を持っていた。戦前、対中国貿易で財を 成した父とは親友で、日本人女性と結婚したのだが、日中戦争 勃発の数日前、妻を残して中国へ帰り、それきり消息は絶えた のである。 (
584 )
引用文中の日本に残された妻というのが、喜代である。彼女は幼 少 期 に 両 親 と 死 別 し、 「 い ろ ん な と こ ろ で い ろ ん な 苦 労 」 し た 後、 神 戸 の 料 亭 で 仲 居 を し て い た と き、 高 万 寿 と 知 り 合 う。 高 万 寿 は 「純で一途な、前途洋々たる中国人」 (
けに、籍は移さず」 ( 懸 け で 好 き に な っ た 女 」 が 喜 代 で あ っ た。 し か し、 「 時 局 が 時 局 だ 598 )であり、そんな彼が「命 585 )、喜代は高の内縁の妻となる。
と こ ろ が、 高 は、 「 日 中 戦 争 勃 発 の 数 日 前、 妻 を 残 し て 中 国 へ 帰 り、 そ れ き り 消 息 は 絶 え 」(
ばかりの花みたい」 ( 584 ) る。 ( 当 時 の 喜 代 は、 「 い ま 咲 い た 598 )だったと、父は回想する。 ) 戦 後 の 喜 代 は 独 り 身 で、 「 い つ も 化 粧 気 の な い 小 作 り の 顔 の 中 に そ ば か す が 散 っ た、 無 口 な 人 」(
見ていた。彼女は苦労の末、昭和三十年に「父の裁量や資金作りの なところでいろんな苦労をして大きくなった人なのだという目」で ていた「私は、幼少のころから、彼女を喜代ちゃんと呼び、いろん 584 ) で あ っ た。 家 族 づ き あ い を し
三
藤 村 猛
私は乞食ではない。乞食以下なのだ。日本の英雄である兄の 名に汚名をきせ、五尺七寸二分のこの身でもって、自分だけで はなく、日本国民が誰ひとり知らぬ者のない兄の生き恥をもさ らしている。来なさい。こっちへ来て、しばし、ひとりの人間 の、哀しい生き恥とつきあってみたまえ(
588 )
当 時 の ス ー パ ー ス タ ー の 力 道 山 と 似 て い る だ け で も す ご い の に、 力道山の弟だと言うのである。当然、人々は不思議がる。彼は、次 のように言い泣く。
私はプロレスの厳しい練習に耐えられず、兄のもとから逃げ だして、こうやって大道芸に身をやつした(
588 ) 彼 は 兄 に「 縁 を 切 ら れ 」、 各 地 を 二 年 間、 流 浪 し て い る と 言 う。 人々はざわめき、小学五年生の「私」は興奮する。彼のパーフォマ ンスは続く。五寸釘を持ち、両方の指で曲げる。しかし、それらを 見せることが彼の目的ではない。彼の目的は、インチキ薬〈力動粉 末〉を売ることである。続いて、自分のことをより信じさせるため に、 「サクラ」を登場させる。
男 の 演 説 に 対 し て、 見 物 客 の 一 人 の 痩 せ た 老 人 が「 ア ホ ク サ!」 と怒鳴る。老人は、 「難波球場近くのホルモン焼き屋」 (
て、男は即座に、老人が「福助」という店の主人だと言い、 弟 の 話 を 聞 い た こ と も、 弟 を 見 た こ と も な い と 言 う。 そ れ に 対 し レスラーになって以来の友だち」であると言う。老人は力道山から で あ り、 店 に よ く 来 る 力 道 山 と は 親 し く し て い て、 「 あ の 人 が プ ロ 589 )の主人
私は、弟として、ずっと縁の下の仕事をしてきた。私と兄と が、あまりにも似ているため、あえて私は、兄と行動をともに 四
力道山の弟―三章―
昭和三十三年の冬、阪神電鉄の尼崎駅前の広場では高架工事が始 ま り、 「 仕 事 に あ ぶ れ た 日 雇 い 労 務 者 」 や 朝 鮮 人 の 老 婆、 そ し て、 学校帰りの中学生たちが行き来していた。
そこに、京都大学工学部の学生と自称する若者が現れ、人々に巧 み な 会 話 で、 一 冊 百 円 の 本( イ ン チ キ 本 ) を 売 る。 こ こ に 見 物 の 「 私 」 が い て、 学 生 の 商 売 に 利 用 さ れ る が、 そ れ は そ ん な に ひ ど い 詐 欺 で は な い。 少 な く と も、 〈 力 動 粉 末 〉 の よ う な 害 の あ る も の で はない。
続いて、力道山にそっくりの男が登場する。
パ ー マ を か け た 短 い 頭 髪 を 後 ろ に な で つ け た 色 の 浅 黒 い 男 は、黒いタイツ一枚になり、隆起した筋肉を誇示して、腕を廻 したあと、鞄から煉瓦や五寸釘や出刃包丁を出し、行き過ぎよ うとしている人間を呼び停めた。 (
587 )
そして、彼は次のように言う。
ひとりの男が、衆人の前で身をさらし、恥をしのんできょう 一日の糧を得ようとしているのを、きみは黙殺して、自分だけ の人生に生きようとしている。きみはそれでも血の通った人間 か。 (
587 )
気の弱い人間であれば、これだけでも男の話を聞かなければと思 うだろう。しかも、男は力道山に「生き写し」なのである。彼は続 けて言う。 四
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五 〈力動粉末〉と「私」
香 具 師 の 男 は、 聴 衆 に 自 分 が 力 道 山 の 弟 だ と 信 じ 込 ま せ、 「 商 売 を始め」る。
額で石を割り、五寸釘を何本も折り、そして、私に目をやる と、
「坊や。青びょうたんのようだな」と言った。
(中略)
「これを
服
のみたまえ」
力 道 山 の 弟 は、 鞄 か ら 小 さ な 紙 袋 を 出 し た。 〈 力 動 粉 末 〉 と ゴ ム 印 が 捺 さ れ て い る。 力 道 山 の 弟 は、 〈 力 動 粉 末 〉 こ そ、 じ つは兄である力道山が、台湾の漢方医に特別に作らせた秘薬で あると説明し、スプーンで袋の中の褐色の粉をすくって、私に 口をあけろと命じた。
私は、多くの人間たちの中から選ばれたことが嬉しくて、精 一杯口をあけ、力道山の弟がスプーンで入れてくれた苦い粉薬 を服んだ。 (
590 )
当時、力道山はスーパーヒーローであり、力道山の弟がこんな場 所で薬を売りつけるのは、よく考えればおかしいのだが、間近に見 る 彼 は、 「 胸 の 筋 肉 も、 や や 太 鼓 腹 の 胴 体 も、 何 も か も が テ レ ビ で 観 る 本 物 の 力 道 山 と そ っ く り 」 な の で あ る。 し か も、 口 が う ま く、 彼を保証する人間(丹波文造)もいるのだから、大半の人は信じた のである。
高架工事の杭打ち機の音がやみ、勤め帰りの人々で、群衆は す る の を 避 け た の で す。 あ な た の こ と は 兄 か ら 聞 い て い ま す。 難波球場の特設リングで試合をするときは、必ず花輪を届けて 下さる福助のご主人は、丹波文造さんだ。 (
589 )
老 人 は そ れ を 聞 き、 「 茫 然 と し た 表 情 で、 力 道 山 の 弟 を 見 て い た が、やがて顔を歪め、目に涙を溜め」 、自分が丹波文造だと認める。 男は「どうか、兄には黙っていて下さい」と言い、老人は「本当に 泣いていた」 (
590 )。 (もちろん、この老人は「サクラ」である。 )
その涙は、聴衆の幾人かにも伝わって、目頭を指でぬぐう人 たちを私は見た。老人は、足早に去り、その老人に深く頭を下 げ つ づ け る 力 道 山 の 弟 の 肩 が、 寒 空 の 下 で 艶 や か に 光 っ て い た。 (
590 )
これらのことが本当のことであれば、感動的な場面である。しか し、 三 章 の 後 半 で 明 か さ れ る よ う に、 男 と 老 人 は 詐 欺 仲 間 で あ り、 聴衆を騙そうとしていた。だが、男と老人のやり取りは迫力がある し、表情もセリフも真に迫っている。どこかおかしいと思っていて も、大半の人は信じるのではないだろうか。
これが現代であれば、情報伝達の手段も多く、力道山の秘密の弟 などで騙される人はいないだろう。しかし、昭和三十三年ころと言 えば、まだ、 (現在に比べれば) 、人々は他人を疑わず、また、様々 な事情で、近親者と別れた人々も多くいた。例えば、戦争によって 離ればなれになった人たちも多かっ た。力道山の弟に何らかの理由 があると、聴衆は思ったのではないか。
(5)
五
藤 村 猛
六
麻
雀 屋 に て
喜代の麻雀屋に着いた「私」は、中に入って、父を探す。父は、一 番奥の席にいた。
私に気づいた喜代ちゃんが、よく通る細い声で、
いてはるから」と私に笑顔で言った。 ( 「 き ょ う は、 お 父 ち ゃ ん は な か な か 帰 ら れ へ ん わ。 え ら い つ
593 )
店 で や っ て い る 麻 雀 は、 「 一 局 終 わ る た び に、 店 が 発 行 す る 券 で 支払い、それを帰るとき帳場で金に換える」システムであった。父 は 二 千 円 以 上 勝 っ て い た。 ( 券 は、 煙 草 の「 い こ い 」 の 券 で 四 十 枚 以 上 あ っ た。 当 時、 「 い こ い 」 は 五 十 円 程 度 で あ っ た。 ) と こ ろ が、 「私」が父と麻雀している男を見ると、力道山の弟だった。
私は男を見て、あっと声をあげた。 (中略)
山の弟も、 「 力 道 山 の 弟 や 」 と 私 は 叫 ん だ。 客 た ち は み ん な 笑 い、 力 道 「おっ、お前、さっきの青びょうたんじゃねェか」と言った。
「お父ちゃん、この人、力道山の弟やで」
私が父の上着を引っ張りながら言うと、父は、
った。 ( ほ んまの力道山になりすましよるかもわからんな」と言って笑 「 わ し に は、 力 道 山 の 隠 し 子 や て 言 い よ っ た ぞ。 そ の う ち、
594 )
力道山の偽弟が、父たちと麻雀しているのである。しかも、彼が 負 け て 代 わ っ た 男 が、 あ の 老 人( 丹 波 文 造 ) で あ っ た。 「 私 」 は さらに数を増した。私は力道山の弟から五寸釘を渡され、それ を指で曲げてみろと言われた。 (
591 )
当然のことながら、力のない「私」が五寸釘を曲げられるはずは な い。 と こ ろ が、 「 五 寸 釘 は 難 な く 真 ん 中 か ら く の 字 に 曲 が 」 る。 冷静に考えれば、あり得ないことであり、この釘には、細 工があっ たのである。
釘の体験によって、 「私」はいつになく強く、母に頼み続ける。 な判断なのだが、力道山の弟や老人を実見し、かつ、曲がった五寸 て、えらいことになるわ」と言い、聞き入れない。母の方がまとも 商売をしてる人間が売ってるような薬なんか服んだら、お腹こわし 家 に 急 い で 帰 り、 母 に「 二 百 円 ほ し い と ね だ 」 る。 母 は、 「 駅 前 で 「 私 」 は、 五 寸 釘 を 曲 げ ら れ た の は、 〈 力 動 粉 末 〉 の 力 だ と 思 う。
私は母の背中を突いたり、尻を殴ったり、最後は台所に正座 して頭を下げて頼んだが駄目だった。ふてくされて表に出、絶 対に不良になってやると私は思った。 (
592 )
「私」は路地の壁に凭れて、母の呼ぶ声に知らん顔をしていたが、
「 喜 代 ち ゃ ん と こ で、 麻 雀 を や っ て は る 」 父 を 呼 ん で く る よ う に と 言われる。父は手形を落とすために、金策に走り回って、その手形 が昨夜落ち、今日の昼過ぎから麻雀をやっていたのである。
母 の 拒 絶 に よ っ て、 〈 力 動 粉 末 〉 を 手 に 入 れ な か っ た「 私 」 は、 不満であるが、母の言いつけに従う。
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(
7)
六
85
夜 中 の 二 時 に、 「 私 」 が「 食 べ た 物 を 吐 き 始 め た 」 の で、 母 と 病 院に行こうとしていたとき、父が帰ってきた。そして、
「盗みをはたらいた罰や」
父は言って、私の頭を平手で殴った。 (中略)
「アホめ!」と怒鳴って、枕や茶碗を壁に投げつけた。
(
597 )
「私」は父が自分に怒っていると思ったが、
「父の異常な怒りの対 象は、私ではなく喜代ちゃんだった」のである。
七
喜代の妊娠と父の怒り 喜代は力道山の弟と肉体関係を結び、それを知った父が怒ったの で あ る。 腹 痛 の 余 り 一 睡 も 出 来 な か っ た「 私 」 は、 「 父 と 母 の ひ そ ひそ話」を聞いた。
た。 んな魔がさしたようなことはせえへんやろにねェ」と母が言っ 「 高 さ ん と の あ い だ に 子 供 で も い て た ら、 喜 代 ち ゃ ん も、 そ 男と所帯を持たなんだんや。 (以下略) 」 と……そんなに男のチンポが恋しかったら、なんで俺の勧めた の弟やなんて言うて、わけのわからん粉を売ってる、薄汚い男 ……。女はアホか。俺には、気が狂うたとしか思えん。力道山 「 よ り に よ っ て、 あ の ど こ の 馬 の 骨 や ら わ か ら ん 香 具 師 と
へんわ。言い寄ってくる男は山 ほ どおったんやで。いっぺんで ……。喜代ちゃんが、そんな男と……。私、どうにも信じられ 「 力 道 山 の 弟 ……。 そ う 言 う て 日 本 中 を 転 々 と し て る 香 具 師 まだ「私」は信じている。男が便所に行くのを見て、 二人がぐるであったことに気づく。しかし、 〈力動粉末〉の効果を、 「 交 代 し た 男 を い つ ま で も ぽ か ん と 見 つ め つ づ け た 」 が、 や が て、
私は、牌をかきまぜている父の目を盗んで、いこいの券を四 枚、そっとポケットにしまった。そして、便所に行った。 (
595 )
便所で「上半身をタオルでぬぐっていた」男に、
私 は、 父 か ら 盗 ん だ 二 百 円 分 の い こ い の 券 を 出 し、 〈 力 動 粉 末〉を売ってくれと頼んだ。 (
595 )
のいこいの券をひったく」る。 言いながらも、 「上着の内ポケットから、 〈力動粉末〉を出し、四枚 こ れ、 ち ゃ ん と 親 父 に 貰 っ た の か?」 と 聞 き、 「 泥 棒 は い か ん 」 と 「 私 」 は ま だ、 五 寸 釘 の イ ン チ キ を 悟 っ て い な い。 男 は、 「 お 前、
「私」は、袋から粉薬を出し、口に入れた。それは、
「広場で飲ん だ も の よ り も 数 倍 苦 」 い も の で あ り、 「 吐 き 出 し そ う に な っ た が、 水と一緒に服み下」す。その効果は、数時間後の「猛烈な下痢」と な る。 夜 の 十 時 す ぎ、 寝 よ う と し て い る と、 ひ ど い 腹 痛 が 始 ま っ た。
私は便所に走り、蒲団に戻るたびにひどい腹痛で体を丸めて 転げまわった。 (
596 )
男 が、 薬 の 調 合 に 失 敗 し た の か も し れ な い が、 薬 の 値 段( 二 百 円 ) よ り も、 腹 痛 の 方 が 罪 深 い。 ( こ こ ま で の 害 を、 イ ン チ キ 薬 を 買 っ た 人 に 与 え た と す る と、 警 察 沙 汰 に な る 可 能 性 が あ る。 「 私 」 のような腹痛(猛烈な下痢)になった人は、他にはいなかったのか もしれない。 )
七
藤 村 猛
師の男(力道山の弟)と年齢的に近い。そして、妊娠したとき、彼 女 は 三 十 歳 代 後 半 ― 四 十 歳 に 近 い ― で あ る。 子 供 を 産 む と し た ら、 ラストチャンスだったのだろう。男の魅力と、喜代の「女」として の情が、行きずりの男と肉体関係を結び、妊娠・出産となったのか も し れ な い。 ( こ の 後、 喜 代 が 子 宮 癌 で 死 ぬ の は、 娘 の 悦 子 が 九 歳 の時である。 )
八
喜代の娘・悦子
父 の 会 社 が、 翌 年 の 二 月 に 倒 産 し、 「 私 」 た ち は 古 い 知 人 を 頼 っ て、岡山に逃げ、そこで五年間すごした。岡山に住んで一年後、喜 代に娘(悦子)が生まれる。四年後、
私たちが大阪に舞い戻ってすぐに、喜代ちゃんは幼い娘の手 を引いて訪ねてきた。けれども、父は二人に逢おうとはしなか った。 (
599 )
仕 方 な く、 母 が 彼 女 に 会 い、 近 況 を 父 に 知 ら せ た。 喜 代 は、 「 子 供の父親は、あれっきり、姿を見せへんけど、自分にはその ほ うが あ り が た い ……。 」 と 言 い、 麻 雀 店 は「 よ う 繁 盛 し て る 」 と の こ と で あ っ た。 生 活 苦 も あ っ て、 そ の 後、 三 年 近 く「 母 は 父 に 内 緒 で、 喜 代 ち ゃ ん に 金 を 工 面 し て も ら っ て い た。 」 金 の 受 け 取 り は「 私 」 の 役 目 で、 「 そ の た び に、 私 は 悦 子 を 駅 前 の 広 場 に 連 れ て 行 っ て 遊 んで」やる。新しくなった広場にはすでに、大道芸人などいなかっ た。
悦 子 は「 よ く 喋 り、 細 か い こ と に よ く 気 が つ く 子 だ っ た。 」(
600 ) 母はどうにも信じかねるといった口ぶりで言った。 ( ……」 も、ふらふらっとその気になったこともなかった喜代ちゃんが
597 )
そ の 後、 喜 代 の 妊 娠 が 分 か る。 そ れ を 知 っ た 父 は、 「 店 の 麻 雀 台 を 叩 き つ ぶ し、 麻 雀 牌 を 喜 代 ち ゃ ん の 体 に、 つ ぶ て の よ う に ぶ つ け、 長 椅 子 を 持 ち あ げ て、 入 口 の 扉 や 壁 や 帳 場 を こ わ 」 す。 「 私 」 は、 「 阪 神 国 道 を 挟 ん だ 向 か い 側 の 電 柱 に 隠 れ て、 父 が 暴 れ て い る 姿と、無抵抗なまま泣いている喜代ちゃんを見ていた。 」(
598 )
や が て、 「 通 り か か っ た 人 の し ら せ で 警 官 が 駆 け つ け、 父 は 連 れ て行かれた」 。
夜 ふ け に 帰 っ て 来 た 父 は、 「 私 」 に「 力 道 粉 末 の 味 は ど う や っ た?」 と 言 い、 微 笑 ん だ。 そ し て、 「 力 道 山 の 弟 」 な ど い な い と 「 私 に 噛 ん で 含 め る よ う に 言 い 聞 か せ 」、 「 喜 代 は、 子 供 を 堕 ろ す 気 はないそうや。あの氏素性のわからん、ゆきずりの男の子供を、な ん と 本 気 で 産 む つ も り や 」 と 言 い、 「 ふ い に、 獣 み た い な 吠 え 声 を あげると、畳を何度も力まかせに拳で叩き、それをやめさせようと む し ゃ ぶ り つ い た 母 を 殴 」(
あり、何の関係もない妻を殴るのもそうである。 る。元々、暴力的な人間だったとしても、店を壊すのは行きすぎで 分かるにしても、喜代の不倫・妊娠への怒りは、いささか異常であ 599 ) る。 親 友 だ っ た 高 万 寿 へ の 思 い は
恐らく、父は喜代が好きだった。即ち、親友の妻に対する好意以 上の愛情があり、喜代の裏切りに耐えられなかったのだろう。
対して喜代は、若い香具師(力道山の弟)に惹かれた。高と別れ て二十年近く経っている。別れたときの高は二十八歳であり、香具 八
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ま で も 楽 し そ う に 笑 っ た 」。 自 分 の 死 を 予 感 し て い た か ど う か は 分 からないが、以前とは違い、性格が丸くなり、過去が愛おしくなっ ていたのかもしれない。その証拠に、母が喜代から金を借りていた と 告 白 し た と き も、 ひ と こ と「 そ う か 」 と つ ぶ や い た だ け で あ っ た。そして、 〈力動粉末〉の袋を手文庫に大事にしまっていた。
力 道 山 の 弟 の 事 件 は 三 十 年 前、 父 の 死 は 二 十 年 前 で あ る が、 〈 力 動粉末〉は「私」に、時を越えて、過去を甦らせる。そして、それ は、 父 を 中 心 と す る 懐 か し い 人 間 模 様 を、 「 私 」 に も た ら す の で あ る。
この作品には、取り戻せない過去(人生)を再現・再体験させる 力 が あ る。 少 な か ら ぬ 年 配 の 読 者 た ち は、 「 私 」 と 似 た よ う な 体 験 をしていよう。確かに、 「私」の〈力動粉末〉をめぐる体験や「私」 の父は、いささか特殊かもしれないが、それらは子供時代の、そし て、 〈 父 親 〉 の「 原 風 景 」 と も 言 え、 共 感 や 懐 か し さ を 呼 ぶ の で は ないか。
「私」たちの原風景として、
〈尼崎〉や父は存在し、過去の人々を 鮮やかに甦らせる。宮本輝の回想形式の作品の魅力であり、力だと 言ってもいい。 「力道山の弟」は、そういった意味で評価できる。
(注)
( 1 )( 2 ) 『真夏の犬』 (文春文庫 1993 ・ 4 )の「解説」による。 ( 3 ) 引 用 は、 安 藤 始『 宿 命 と 永 遠 ― 宮 本 輝 の 物 語 ―』 ( お う ふ う 2003 ・ 10 )による。
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( が「 冬 の 日 に 照 ら さ れ て い る の を、 私 は 寂 し い 風 景 と し て 感 じ 」 麻 雀 店 で 暴 れ て い た と き、 「 ガ ス を 貯 蔵 す る 巨 大 な 円 形 」 の タ ン ク ク」が嫌いで、 「見てたら、寂しい」と言う。 (かつて、父が喜代の が 見 え な い の で 嬉 し い 」 と 言 う。 「 私 」 も「 あ の で っ か い 丸 い タ ン れ る 子 だ っ た。 ) そ ん な 悦 子 が「 広 場 に い る と、 ガ ス の 貯 蔵 タ ン ク (例えば、 「私」の学生服の ボ タンが取れかかっていると、繕ってく
598 )ていた。 )
う。 ) に は あ る の か も し れ な い。 ( 悦 子 も 感 受 性 の 鋭 い 子 だ っ た の だ ろ 存 在 だ っ た の に、 時 代 に 取 り 残 さ れ て い く と い う 寂 し さ が、 「 私 」 い時代の象徴である。父が嫌いというのではない。かつては巨大な だと受け取られていたのかもしれない。つまり、ガスタンクは新し 「 私 」 に と っ て、 ガ ス タ ン ク は 衰 え て い く「 父 」 と 対 照 的 な 存 在
喜代が子宮癌で死んだとき、悦子は九歳だった。 (ここから四章) 彼 女 は 父 の 紹 介 で、 「 子 供 の な い 」、 「 父 の 古 い 友 人 夫 婦 」 ―「 地 味 だが実直で堅実な生活をしている中年の夫婦」―の養女となる。そ の後、父は「私」たちには内緒で、悦子と会い、食事や映画に連れ て行ったりしていた。
父が亡くなる三ヶ月前、父は悦子を神戸の元町に連れて行き、食 事 を し た。 そ こ で、 高 万 寿 の 話( 「 頭 の い い、 誠 実 な、 男 前 の 素 晴 ら し い 男 だ っ た 」 云 々) を し て、 「 悦 子 の お 母 さ ん と も 仲 良 し や っ たんや」 (
作 ら れ て い る と ネ タ ば ら し て、 「 悦 子 が 気 味 悪 く 感 じ る ほ ど、 い つ を見せ、悦子に指で曲げさせる。父は、その五寸釘が「ハンダ」で 601 )と言う。そして、 〈力道山の弟〉が使っていた五寸釘
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