社会化論的道徳教育論の課題と可能性
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(2) 社会化論的道徳教育論の諜確と可能性. 社会的な側面と個人的な(主体的な)側面の両. 例えば、封建的イデオロギーが社会の全体を 統合していた伝統的社会には、このような唆昧. 面を持ちながら機能しているにもかかわらず、. さは存在していただろうか。そこでは個人と社. わたしたちが両側面の統一を自覚的に把握する. 会は融合しており、つまり両者が基本的に対立. ことが困難であることを意味するように思われ. をはらむことが少なく、道徳も倫理もある程度. る。そしてこの困難さは教育の困難さを規定し. 明確であり、人々は唆味なイメージを持っこと. ているようにも思われる。 以下では、ドイツの社会哲学者-ーバーマス. はあまりなかったのではなかろうか。 それに対して、わたしたちが生きる、いわゆ. (J血rgen Habermas)の「コミュニケーション. る近代社会は個人を基盤にする社会であるとい. 的行為の理論」に基づきながら、社会化論的道. われるが、その背景には伝統的社会に存在して. 徳教育論の視座から道徳が持っこれら両側面を. いた、社会全体を統合するもの、例えば、神や. 統合する可能性を探る。. それに準じる統一的理念(創造者たる神と披造. Ⅱ.社会規範としての道徳. 物たる人間、君主と臣下、主人と、使用人、親 と子を区別する伝統的理念等)がもはや明確に. (1)内的なものとしての道徳法則. は存在しないということがある。確かに、世界. 道徳を理解する上でのこの国難さは、道徳や. にはさまざまな宗教が存在し、人々はそれぞれ. 倫理についての学である倫理学の問題でもある。. の宗教に固有の神仏を信仰し、社会やそのなか. したがって、近代の倫理学は、巨視的に見るな. での自らのあり方を見っめている。しかし、産. ら、はじめから二つの考え方の対立の可能性を. 業の上で農業を基握にしていた伝統的社会が閉. はらみながら発展せざるをえなかった。すでに. 鎖性をその特質としていたのに対して、工業を. 述べたように近代社会は伝統的社会の崩壊によっ. 基鍵にする近代社会は、開放的であることを特. て新たな社会として始まった。しかし、その社. 質としている。産業の形態が余儀なくする近代. 会は明確な社会として生じたのではない。むし. における交通の発展は、かつてキリスト教世界. ろすでにあったある明確な秩序の崩壊という形. の人々がキリスト教の神を唯一の神とみなし、. で生じたのであり、 「秩序の再建」をまず大き. その神のもとで統一的に捉えられる世界を普遍. な課題としていた。ところが境実はすでにかっ. 的世界と考えたような事態をもはや不可能にし. て存在した明確な秩序のよりどころ(神、統一. たのである。また、政治や経済のあり方の変化. 的理念)を失っており、個々人によって展開さ. は、同じ神を信仰する人々の問にも多様な考え. れる政治的・経済的な諸活動は拡大の一途を遂. 方を生み出すこととなる。そこでは少なくとも. げていた。そこでは「秩序の再建」は個々人を. 社会の秩序を打ち立てる原理と個々人の行為原. 制約する伝統的なものの復興としてではなく、. 則とは、必ずしも融合しなくなる。. むしろ個々人の活動を支えながら、そこに-1一定. このように考えてみると、今日道徳や倫理に. の秩序を可能にする方向として求められたので. ついてわたしたちが抱くイメージの唆昧さは、. ある。この方向は人間の内から外的世界へ向か. わたしたちが生活している近代社会の根本的な. う方向であった。伝統的社会では統一的理念に. 特質から生じてくるものだということが明らか. よって打ち立てられた外的なものが人間の内Si. となる。それは道徳や倫理が日常、基本的には、. を制約していたのに対して、近代では外的なよ. -4-.
(3) 生徒指導研究第9号1998. りどころはすでに崩壊し、統一的理念の可能性. トの道徳原理は「統一のための倒錯した試み」. は人間にしか残されていなかったのである。. であると批判する。 「義務の命令はなるほど主. 倫理学においてそのような方向を確立したの. 体的であり、人間自身の定める法則であるが、. が、カント(Immanuel Kant)であった。彼. それは人間自身の内に現存している他の部分. は、善悪を、意志を直接規定するものとして捉. (一衝動、傾向性、情動的な愛、総じて特性-). えるそれまでの考え方に対抗して、意志を直接. と矛盾する法則であり、支配する立法である。. 規定する根拠としての道徳法則を主張し、道徳. それはただ命令するだけである」 4)と述べる.. 法則が意志を規定し、その意志の是認と否認の. なるほどカントの道徳は普遍性のもとに構想さ. 対象として善悪を捉えた。例えば、 「汝の格率. れているが、それは理性による感性の支配的統. が普遍的法則となることを汝が同時にその格率. 一に過ぎないとされるのである。わたしたちが. によって意志しうる場合にのみ、その格率に従っ. 道徳という言葉に対して抱いてしまう固いイメー. て行為せよ」 (定言命法)がそれである3) 0. ジや冷たさのイメージは、このようなカントの. それまでの考え方では、道徳は、統一的理念の. 考え方を主流としながらわたしたちの内に築か. 崩壊の結果、感覚的な快・不快の原則に規定さ. れてきた道徳観(感)に由来しているのかもし. れてしまうのに対して、カントの考え方では、. れない。. 意志と対象との関係を逆にすることによって、 人間と社会の不確かな現実に道徳的行為をゆだ. (2)社会規範としての道徳. ねるのではなく、人間の普遍的な理性のみをよ. わたしたちはたとえ統一的な理念を欠いた世. りどころとし、理性によって要求される普遍的. 界に生きているとはいえ、必ずしもでたらめな. な原則に道徳的行為や判断を従わせようとして. そして個々人として自分勝手な生活を送ってい. いるのである。これによって通徳性(Morali. るだけではない。日常生活にはわたしたちがい. tat)の自律性が確保されることとなり、道徳. ちいち意識してはいないが、さまざまな社会的. が混乱のなかにある慣習・習俗(Sitte)に対. な規則が存在し、わたしたちは他の人々と共に. して優位に位置づけられることとなる。. それらに従いながらさまざまな活動を行ってい. このようなカントの道徳の考え方は、人間の. る。また社会それ自体もさまざまな問題を含み. 主体性によって道徳を打ち立て、混乱した社会. ながらも、現実に存在し営まれている。当然そ. の内に人間性の実現を図るという点で、人間解. こには一定の社会的規則が存在し、無益な衝突. 放の時代ともいわれる近代社会にふさわしいも. が生じないよう人々はそれらの規則に共に従っ. のであるといえよう。そのためにこのカントの. ている。一般にこの社会的規則は「社会規範」. 道徳についての考え方は、それ以後現代に至る. と呼ばれるが、わたしたちの生活は数多くの社. まで大きな影響力を持っこととなったのである。. 会規範に則して営まれ、それらの規範によって. しかし、現実の社会に視点を置きながらこのカ. 一定の秩序を保ちながら社会が成立していると. ントの考え方を見ていくと、そこにさまざまな. いうことができる。すると、カントの考え方は. 問題があることも事実であった。それに対して、. 人間の内面において意志を規定する普遍的な道. フランクフルト時代の若き哲学徒ヘーゲル. 徳法則を主張するあまり、日常のさまざまな規. (Georg Wilhelm Friedrich Hegel)は、カン. 則とその規則に共同で従うことの意義を軽視し. -51.
(4) 社会化論的道徳教育論の課題と可能性. ていたのではないかという疑問が生じてくるこ. 道徳は人間が作り出したものには違いないとし. ととなる。. ても、個人の内面にのみ包摂されるものではな く、むしろ彼には社会の成立の基盤になくては. この道徳の社会的・実定的側面に注目し、事 実として成立している社会から道徳を考え直そ. ならないものと捉えられるべきなのである。こ. うとしたのが、 19世紀後半に活躍した社会学者. のようなデュルケームの考え方によれば、道徳. デュルケーム(Emile Durkheim)であった。. はまず個人のものというよりもむしろ社会規範. 彼は社会現象を人間の心理的現象とはまったく. として社会の成立と維持の基盤に存在し、個人. 異なる別物と考えた。そのような社会現象には. はその社会に生まれ、育っなかでその社会固有. 固有の学問が打ち立てられなくてはならないと. の社会規範を獲得するこ,とによって自己の道徳. 考え、 「社会についての科学」 (社会学)の樹. 的あり方を作り出すことができるのである。. 立を目指すこととなる。彼が社会を捉えるとき に特徴的なことは、社会が個々人の集合として. Ⅱ.社会化論的道徳教育論. のみ成立しているとは考えないということであっ. (1)社会化としての教育. た。彼の処女作であり、また学位論文でもある. このように道徳を社会規範と捉えるデュルケー. 『社会的分業論』 (1893)のなかで、彼は次の. ムの社会学的な視点からすると、教育は単に個々. ような基本的な問題設定を行っている。社会に. 人の道徳的意識を形成する行為とは捉えられな. おいて「個人はなぜいよいよ個人的になると同. い。むしろ彼にとっては、教育とは、 「個人及. 時にますます連帯的になりうるのか」 5) 。つ. びその利害をその唯一の、もしくは主要目的と. まり、社会は個人の集合によって成立している. するのではなく、それは何よりもまず社会が恒. にもかかわらず、社会が進展すると個々人が明. 久的に自己固有の存在条件を更新する手段であ. 確になるだけでなく、個々人のつながり(連帯). る。社会はその成員間に充分な同質性が存在す. も-一層強くなっていくのはなぜかと問うている. ることによってのみ存続しうる」 。それゆえ、. のである。社会においては個々人の集合がひと. 教育は、 「子どもの精神に集合生活が予想する. つの統一を生み出す。その統一の基盤にある. 本質的な類似性を固定させることによって、こ. 「個人と社会的連帯との関係」を追求しようと. の同質性を恒久化し、強固にする」ことなので. しているのである。そしてその秘密を道徳の内. ある。しかし他方では、次のようにも述べてい. に見出しながら、 「道徳とは、連帯の源泉であ. る。 「一定の多様性なくしては、すべての協力. るものすべて、人間をして他者を尊重すべきこ. は不可能である。教育はそれ自体を多様化させ、. とを強制するものすべて・ ・ ・である」 6)と. 専門化することによってこの必要な多様性の存. 主張する。これは彼が社会を単に機能的に捉え. 続を確実にするのである」 79 ( 「教育学と社会. ているのではなく、ひとっの有機体としてあた. 学」 『教育と社会学』 ) 0. かも個人がその行為原則としての道徳を持っよ. このようなデュルケームの教育の考え方は、. うに、社会もそれ固有の道徳を有しているとも. 教育を「若い世代の組織的な社会化」と捉える. みなしていることを示している。その上で道徳. ものであり、それまで有力であった、そして今. の決定的本質は、社会と個人とをっなぐ役割の. 日においても依然として根強い位置を保ってい. 内にあると考えているのである。したがって、. る個人主義的な教育観に対立するものである。 -6-.
(5) 生徒指導研究第9号1998. に、従来の教育観の基盤には、個々人の内には. (2) 「社会化された個人」の形成としての 道徳教育. 理性の萌芽(可能性)がすでに存在しており、. このようにデュルケームにとって、教育は社. カントの道徳思想に典型的に示されているよう. その萌芽を真の理性にまでもたらすことが教育. 会化であると端的に捉えられ、社会化としての. の課題であるという考え方が存在していたので. 教育は、分化機能と統合機能を持っのであるが、. ある。しかし、このような考え方は、人類一般. 道徳教育は特に教育の統合機能を果たすものと. にすでに本質的属性のようなものが内在してい. して重要な意義を持っこととなる。この統合機. ることを前提にしており、デュルケ-ムにとっ. 能としての道徳教育を考える上で重要な考え方. ては実際にはそのようなものは事実として確認. は、彼が社会を有機体として捉えていることで. できないものであるO現実にあるのは一つ一つ. ある。その有様体と個人とが緊密につながって. の国や社会に固有の異体的な社会生活であり、. いるという認識である。近代社会はさまざまな. その社会生活のなかではじめて個人は人間とし. 病理を抱えている。さまざまな精神的病、さま. て形成されるに過ぎない。. ざまな犯罪そして自殺等々。わたしたちはやや. その際、教育は社会の現実に対応して二つの. もすればこれらの諸問題を個人の問題としての. 課題において捉えられなければならない。一面. み捉え、その個人の問題の根底にあるものを見. では、社会はその成員の分業によって成り立っ. ようとしないO個人の基磐に社会的連帯が存し. ている。世の中にはさまざまな職業があり、そ. ていることは、普通余り自覚できない。しかし、. れらが全体としての社会を存続させている。ま. 個人が危機的状況に陥ったときはじめてわたし. た社会はつねに同一の状態にあるのではなく、. たちを支えるものがあることに気づく。例えば、. 恒常的に分化・発展していく。それに対応して. 家庭における連帯の幹の崩壊は、しばしば家族. その社会の発展と再生産を可能にするには社会. の構成員の内にさまざまな不安を引き起こし、. の分化・多様性に対応した多様な専門・分化し. 子どもの非行や犯罪そして家庭内暴力を引き起. た教育が必要となる。従来の教育において見落. こすことが知られている。今日経済的な発展は. とされていたのは、この観点である.しかしな. 社会の構成員の内に物質的な豊かさを生じさせ. がら、他面では、教育の分化・専門化は、それ. たが、反面人々を競争や物質的欲求の充足へ駆. だけでは社会の現実への対応とはならない。な. り立てることとなっている。そのために家族内. ぜならどの民族や社会も分化・多様化と同時に. の集合感情はますます弱体化し、学校や職場に. その民族・社会固有の構造を持ち、その構造に. おいてアノミー(無規制・無秩序)的状況を生. 対応した共通の特質を個々人が体現しており、. み出し、さまざまな問題行動を生み出している。. この共通部分を形成する教育がなければ民族や. 一般にこのような諸問題が生じると個々人の道. 社会は存続することはできないからである。教. 徳的意識の衰弱が問題にされ、家庭や学校にお. 育のこのような機能を統合機能と呼ぶなら、教. ける道徳教育の強化が叫ばれる。しかし、デュ. 育は分化機能と統合機能という二つの機能を持. ルケームの考え方によれば、問題なのは個々人. つということができる。. の道徳意識ではなく、むしろその基盤にある社 会的連帯の問題であり、その連帯を構成してい る道徳及び道徳性ということになる8) 0 17-.
(6) 社会化論的道徳教育論の課題と可能性. デュルケームにとって、道徳とは、人々の行. そこに「意志の自律性」が獲得される。問題な. 為をあらかじめ規定している社会規範という規. のは受動的な服従であり、規則を理解していな. 則体系であることはすでに述べたが、この規則. いことなのである。ここには道徳を合理的に捉. に対する心性が道徳性である。そしてその道徳. えようとするデュルケ-ムの基本的な立場が示. 性は三つの要因によって構成される。 ① 「規律. されている。道徳は主観の問題にとどまっては. の精神」 、 ② 「社会集団-の愛着」 、 ③ 「意志. ならないのであり、むしろ知性によって明噺に. の自律性」がそれである9) 0. 知ることによって「意志の自律性」が達成され. ① 「規律の精神」. るのである。これは従来彼の道徳教育論が誤解. 道徳的行為は「一定の基準に従って行動する. され、単なる規則の押しつけと捉えられていた ことの誤りを示した重要な点である。. こと、つまり義務を履行すること」である。主 観的・窓意的に行動することではなく、規則性. 以上の三つの道徳性を育成すべく組織化され. に従うことが、道徳的行為と考えられる。この. た活動が、道徳教育ということができる。道徳. 道徳的行為を導くものが「規律の精神」である。. 教育の場には家庭と学校が上げられるが、家庭. そしてこの「規律の精神」は「規則性の感覚」. は子どもを保護する情緒的な場であり、道徳性. と「権威の感覚」からなり、二つの感覚があっ. の育成には必ずしも適切とはいえないと、デュ. てはじめて規律に従った行為を行うことができ. ルケ-ムは考える。学校においてはじめて子ど. る。この「規律の精神」は「第-の基本心性」. もは規則を学び、義務を果たすことを学ぶ。そ. と呼ばれる。. して社会性や社会集団への愛着を学ぶことがで. ② 「社会集団-の愛着」. きる。学校においてそれを行うためには教師に. 人間は社会的存在であり、 「社会に愛着する. 「力」が必要とされる。教師の権威は「学級の. ことによってしか自分自身となり、その本性を. 外面的な秩序の条件であるだけでなく、学級の. 十分に実現することができない」 。社会や他者. 道徳的生活を支える柱」である。しかし、それ. を否定することはむしろ「架空の抽象」とされ. は罰や報酬を意味しない。彼はそれらを否定し、. る。人間は社会のはたらきかけに応じることに. 体罰を厳禁する。なぜなら、それらは人間とし. よって充実し、道徳的に高まることが可能なの. ての尊厳を傷っけるからである。権威の源泉は. である。その第一歩がこの「社会集団への愛着」. 「教師自身が愛着し、生徒にも愛着させようと. である。. 努めている道徳的理念」である。教師の内面に. ③ 「意志の自律性」. ある規則への信念こそ教師の権威となりうるの. カントの自律性に対して、デュJt/ケ-ムは理. である。したがって、問題なのは教師のあり方. 性は自律性だけを持っのではなく、理性もむし. ということになろう。. ろ社会から限定され、抑制されているとみなす。 理性は世界の法則に従属しているのであり、デ3.. Ⅳ.社会化論的道徳教育論の意義と課題. ルケームはむしろ現実の社会を基軌こしながら 考える。人間ははじめ規則に受動的であるが、. (1)デュルケームの社会化諭的道徳教育論の 意義と問題点. それを理解し、自発的に求めるようになること. デュルケ-ムの社会化論的道徳教育論を概観 してきたが、彼の道徳教育論はカント以後やや. でその受動性を能動性に転化することができ、 -8-.
(7) 生徒指導研究第9号1998. もすれば個人主義的な道徳理解に基づいた道徳. は社会的連帯、あるいは他者との幹(集合感情. 教育の考え方に陥りがちであったそれまでの道. あるいは愛着)の弱体化という意味での変化は、. 徳教育論や学校教育のあり方に対してはっきり. 社会の統一性の弱体化として指摘される.そこ. とその問題点を明らかにしたという意味で、そ. では社会や個人の発展は、社会的連帯の強化と. の意義は大きい。わたしたちが道徳に関して個. 捉えられる。しかし、その連帯や秤は情緒的な. 人的なものと社会的なものとの間で唆味な理解. 側面を持っにとどまらず、個々人の認知的側面. にとどまっていること自体問是酌こされなくては. を含んでいるはずである。その観点が明確でな. ならない。また、噴昧さを前提に行われる道徳. い。それゆえ、道徳教育は情緒的なものの強調. 教育が、不十分さを避けられないのも当然のこ. にとどまりやすいという問題点が生じる。また、. とである。道徳や倫理という言葉の語義が示す. 「規律の精神」が道徳性の内でもっとも重要な. ように、道徳はもともと社会的なものから始ま. ものと位置づけられるのであるが、それが「規. り、その社会的なものとの対応のもとに個人的. 則性の感覚」と「権威の感覚」によって構成さ. な性状に結びついたのである。両者は本来緊密. れるとみなすことも、問題を含んでいる。規則. な対応関係をなしているのである。それが歴史. 性は単に感覚の次元にとどまるのではなく、理. 的展開のなかで主体的な側面に片寄った捉え方. 性的認識の問題でもある。また権威が常にわた. になったのである。しかし、デュルケームが連. したちの「規律の精神」を規定するとは限らず、. 帯という概念で述べるように、社会の成立それ. むしろそれはある一定の発達段階に固有のもの. 自体に道徳は決定的な役割を果たしているので. ではないか。その段階を過ぎるとむしろ権威と. あり、人間という個々の主体もその社会的連帯. は異質のものがわたしたちの「規律の精神」を. と無関係には考えられないだけでなく、そもそ. 構成すると考えるべきではないか。さらに「意. も現実的な存在として成り立ちえないのである。. 志の自律性」が受動的な規則の受容から能動的. 道徳を一面的に捉えることは、へ-ゲルがいう. な規則の受容への変化のなかで獲得されるとい. ように「倒錯した」考え方といわざるをえない。. うが、受動的と能動的とを区別するものが明ら. わたしたちに課題となるのは、道徳をその二面. かではない。そのためにこれを現実化する学校. 性を踏まえながら考えていくことのできる場. における道徳教育は、結局児童・生徒への規則. (トポス)が何なのかということであろう。そ. の一方的押しつけとならざるをえないように思. れは個人の内面ではなく、また単に社会規範の. われる。. 集合の束でもないであろう。それは他者との生. このような問題点の基盤には、 「個人と社会. 活の場であり、わたしたちの社会的諸関係が営. の関係」そして「大人と子どもの関係」のなか. まれる場を置いて他にはないであろう。それが. で道徳を捉えていくことの限界もまた存在して. デュルケ-ムがいう社会的連帯の場なのである。. いるのではなかろうか。かつて心理学者のピア. 反面、デュルケ-ムの道徳教育論には重大な. ジェ(Jean Piaget)は、デュルケームの道徳. 問題点もあるように恩われる。社会の成立の基. 教育論を批判して、子どもの道徳性の発達にお. 盤に道徳を捉える視点は、大きな意義を持つと. ける子どもたちの活動の意義を考慮せず、大人. しても、その社会の発展・変化が持っ質的な変. と子どもの関係のなかでのみ道徳を捉えようと. 容という観点が欠如している。デュルケームで. しているに過ぎない<-- 11毒した10)確かに、. -9-.
(8) 社会化論的道徳教育論の課題と可能性. デュルケームの道徳教育論では、社会規範の受. で、また子どもの成長や、社会的な地位の変化. 容が個人の道徳的形成につながると捉えられる。. のなかで大きく変化していく。そのなかで親子. そこでは個人による社会規範の受容が、個人と. 関係も情緒的な結びつきによる社会的関係から. 社会の関係の図式で捉えられているために、個. 精神的な幹や子どもの家庭の外での社会的役割. 人と個人、つまり子どもと子どもとの関係が抜. に関する客観的な認識による社会的関係へと変. け落ちてしまっている。子どもたちが家庭や教. 化していくこととなる。そこではもはや情緒的. 室で行う活動は、ひとりひとり孤立的に行われ. な関係が一面的に支配的とはいえない。それま. るのではない。ある活動を他の子どもたちと協. では子であることが絶対的な重みを持ち、親の. 同で行うのであり、家庭では子どもは親や兄弟. 権威への服従が彼のあり,方を規定していた。し. 姉妹とともに協同でさまざまな活動を行うので. かし、今や非対称的な相補性ではなく、対称的. ある。したがって、社会化はひとりで行われる. 相互性が支配的となるOそれに伴って親子の関. のではなく、他者との協同のなかで行われる。. 係の質自体が大きく変化していく。情緒的な幹. そうすると、子どもの社会化を社会規範の受容. をよりどころとする家庭から、家庭というひと. と捉えるのは、その過程を無視した単なる結果. つの共同体を維持する担い手としての構成員ど. 論とみなされるべきであろうO結果的にはそう. うしの関係を基盤にする家庭へと変化していく。. に違いないとしても、教育においては社会化の. このように家庭それ自身子どもの成長に伴って. 過程において子どもたちや子どもと大人との関. 質的に変化していくのである。 家庭の社会集団としての発展をその構成員の. 係のなかに生じる変化こそ重要なものなのであ. 関係枠組みの変容と捉えるなら、その変容は. る。 この議論で問題なのは、個人の社会化の背後. 「発達」という枠組みで捉えることができよう。. には個人が他者と行う活動とその活動の場(ト. すると集団の発達と個の発達とは対応している. ポス)としての他者との関係が存在していると. ということになる。問題は両者の関係である。. いうことである。そして個人の社会化が社会と. 換言すれば、両者の対応を規定している、つま. の関係における個人の内でのある変化であると. り両者を結合している要因は何かということで. すれば、その変化は他者との関係の変化のなか. ある。両者の関係を相互的なものと捉えるのが. で生じていると考えなければならないのではな. 現代の社会哲学者--バーマスである。彼は社. かろうか。. 会の進化を捉える上で、法、宗教、道徳が経済 的な生産様式の第二次的な表現に過ぎないとす. (2)社会化論的道徳教育論の課題. るマルクス主義の教説に反対し、文化、道徳、. 例えば、家庭における親子関係を考えてみよ. 集団としてのアイデンティティなどの「規範構. う。基本的には親子関係は一生の事柄であるが、. 造」が経済からの命令、すなわちシステム命令. 子どもの社会化に焦点を当ててみても、乳児か. に単純に従うのではなく、独自の論理によって. ら青年に至るまで親子関係はかなり長期にわた. 進化していくと考える11)そしてこの「規範. る時間のなかで営まれていく。その間に子ども. 構造」の発達が社会の進化を導いていくのだと. は乳児から幼児へ、幼児から少年へ、少年から. 主張する。これを上述の家庭の進化の問題に適. 青年へと発達していく。親も年齢を重ねるなか. 用すれば、家庭の進化を生み出すのは親と子が -10-.
(9) 生徒指導研究第9号1998. 共有化している文化・道徳・集団的アイデンティ. an. ティの基盤にある「規範構造」の進化というこ. Ⅴ.社会化論的道徳教育論の再考. ととなる。ハーバーマスはこのことを「コミュ. デンティティと集団のアイデンティティが同じ. (1) 「規範構造」の進化とコミュニケーショ ン的行為. 起癖に由来するものとして形成維持される」 12). この「規範構造」の進化という考え方は、わ. と述べる。その起源とはこの「規範構造」のこ. たしたちにデュルケ-ムの社会化論的道徳教育. とである。. 論の再考を促すとともに、道徳教育の新たな可. ニケーション的な人間形成過程では個人のアイ. この家庭の社会的関係の発展は、学校教育に. 能性を示唆しているように思われる。以下では、. おいては学級における社会的関係(「教室という. 概略ではあるがその基本的な要点について述べ. 社会」)に置き換えて考えることができる。学. てみたい。. 級も低学年や学年はじめの段階では情緒的一体. 「規範構造」の進化の員体化に向けてハーバー. 感による統合の性格を持っている。はじめはバ. マスが注目するのが、ピアジェの認知発達心. ラバラであったものが、学級の一体感がしだい. 理学であり、特にコールハーグ(Lawrence. に形成されてくる。それがやがて学年段階が上. Kohlberg)の道徳性の発達段階の理論である。. がったり、学期が進むにつれ、学級がひとっの. コールハーグはピアジェの発達理論を継承しな. 規則の下に運営され、集合的あり方(規則によっ. がら、道徳性の発達に関して新たな見解を示し. て統制されたあり方)へと変わっていく。しか. た13)彼は道徳性を道徳の「内容」ではなく. し、だからといって学級において問題が生じな. 「形式」において捉える。個々の道徳的内容は. いわけではない.そこで生じる問題は一体感を. 相対的なものであるのに対して、それらの内容. 強調することではもはや解決されない。それら. に関して行われる道徳的判断の形式は普遍的で. の問題が単に情緒的なものに由来するとは限ら. あると考える。それぞれの判断は「正しさ」. ないからである。自分たちが従っている「規範. (正義)を志向するものであり、その正しさの. 構造」 (例えば、規則の絶対視)の見直しを不. 基準は一様ではなく、個々人の社会化の進展に. 可欠とする。ここに「自律的道徳性」への発展. 伴って変化するものとみなす。いわゆる「三レ. が展望されることとなる。. ベル6段階」論がそれである。. これを今日の学校における「いじめ」や「不. 三レベルとは、 「前慣習的レベル」 、 「慣習. 登校」といった学級の諸問題とっなげて考えれ. 的レベル」そして「脱慣習的な原理に導かれる. ば、もうすでに明らかなように、諸問題を生徒. レベル」である。第一一のレベルは「懲罰と服従. 個々人の「心」や「心情」の問題としてのみ捉. の段階」と「個人的道具的目的と交換の段階」. えることは問題の一面を捉えているに過ぎない. に区分され、第二のレベルは「共同の間-人格. こととなろう。これらの問題は、社会における. 的期待、関係そして同調の段階」と「社会シス. 個人の変容過程に対応する諸個人が織りなす社. テムと良心の保持の段階」に分けられる。第三. 会的関係の問題でもあるのである。それにもか. のレベルは「優先的権利と社会契約ないし効用. かわらず、集団の心情的一体感のみを追求する. の段階」と「普遍的倫理の原理の段階」に区分. 教育活動は、問題をこじらせることになりかね. される。第一のレベルを二つに分かつものは相 !川il-.
(10) 社会化論的道徳教育論の課題と可能性. 互性の違いである。前段は非対称的であり、後. 「理想的な役割取得」に基づいた規範の決定の. 段は対称的である。共に行為の結果に規定され. 手続きのパースペクティヴを持っ。. ている点では共通である。第二のレベルを二つ. ハーバーマスのこの相互行為の発達段階論は、. に分かっものは役割を規定するものの違いであ. それぞれの社会のあり方の変等(進化)を生み. る。前段は他者の期待であり、後段は社会シス. 出す相互主体的行為をも明らかにしている。そ. テムである。第三のレベルを二つに分かっもの. れはこういうことである。つまり、社会を構成. は普遍性を規定するものである。前段は「契約」. する「規範構造」が、その社会を構成している. あるいは「効用」であり、後段は「公正の原理」. 諸主体の相互行為の段階に依存しているという. である。. ことであり、その社会を構成する諸主体の相互. --バーマスは、コールハーグのこの道徳性. 承認に依存しているということである。そして、. の発達段階が個人の内面の枠内で捉えられてい. その相互承認は言語的なコミュニケーションに. るために持っ個人主義的な限界を克服するため. おける妥当性要求(ある現範が正しいことの根. に、デュルケ-ムの指摘する社会的な環境やシ. 拠の主張)に対する了解によって行われる。し. ステムと個々人の道徳性との相互性という観点. たがって、 「規範構造」の変化っまり社会的関. を導き入れることによって、相互行為(社会的. 係の変化は、コミュニケーションにおける妥当. 行為としての言語的コミュニケーション行為). 性要求への異議の申し立てによって展開する。. の発達段階として読み替えていく14)第--の. そこでは「規範構造」の正当性が疑問に付され、. 相互行為のレベルでは、言語使用における第一. 正当性を有する新たな規範の相互承認が行われ. 人称と第二人称が行為の関係に適用され、相互. るのである。それによって新たな規範に基づく. 行為を自己と他者のパースペクティヴ(視点). 新たな社会的関係が成立することとなる。そし. から捉える。前段は非対称の関係のなかで権威. て同時に個々人の発達が達成されるのである。. に左右され、後段は対称の関係のなかで利害に 左右される。第二の相互行為のレベルでは、新 たに第三人称のパースペクテイヴが生じ、当事. (2)社会化論的道徳教育論の可能性 -まとめに代えて-. 者の相互性を観察者の観点から捉えることがで. 従来の道徳教育は個々の児童・生徒の主観的. きる。前段は具体的集団のパースペクティヴか. 心情のレベルにとどまるか、それとも社会規範. ら役割行為として社会的行為を捉え実践するこ. の伝達にとどまるかのいずれかであったように. とができ、後段は社会全体のパースペクティブ. 思われる。そこでは集閲と諸個人との的係が十. から社会全体の維持という観点から社会規範に. 分に明らかにされていなかった。まず個人があっ. 導かれた相互行為を取ることができる。第三の. てその集合として集団が位置づけられるか、集. 相互行為のレベルでは、話者のパースペクテイ. 団があってそこへ参加するものとして個人が位. ヴと世界のパースペクティヴが統合され、現存. 置づけられるかのどちらか二者択一的状況にあっ. する社会規範や社会的秩序そのものを対象化し、. たのではなかろうか。これらは極めて個人主義. 現実の世界や社会をありうるひとっのケースと. 的考え方であり、また適応主義的な考え方であ. して捉えることができる。前段は規範の正当性. る。後者はデュルケ-ムに由来する社会化論の. を評価する原理に基づいて討議ができ、後段は. 問題点でもある。このような捉え方に基づいた. -12-.
(11) 生徒指導研究第9号1998. 道徳教育は、個々人の成長と個々人が織りなす. りなす関係の変容、集団の質的な変容を目標に. 社会的関係の変容を結びつけて捉えることがで. 置いた道徳教育を考慮すべきである。そこでは. きない。そのために学級におけるさまざまな集. 話し合い活動は、内容的にはいかなる問題を扱. 団活動が個人を抑圧することもあるということ. おうとも、常に学級がその基盤の上に存在して. を考慮することができない。そのために不適応. いる「規範構造」の正当性の点検を、個々人の. を逆に生じさせることとなる。また、道徳教育. 意見が掲げている妥当性要求の吟味を通して行. の基本的な方法としての話し合い活動を適切に. うことである。換言すれば、話し合いのなかで、. 捉えることができない。話し合いのなかで何が. 内容の主張とその内容の正しさの根拠の主張と. 生じるのか、どうして個々人の道徳的成長が生. を区別し、正しさの根拠こそ重視すべきなので. じ、学級内の問題の解決につながるのかを説明. ある。この正しさの根拠が、社会的関係の基盤. できないのである。個々人の考え方の違いや同. となっている「規範構造」なのである。話し合. 一性を確認することがどうして問題の解決にな. いのなかでこの正しさの根拠が変わることで、. るのだろうか。結局は個人の視点にとどまった. 関係自体も変わらざるをえない。そして新たな. り、逆にそれを全体の視点で置き換えることで. 「規範構造」に基づいた関係による学級が承認. しかないのではなかろうか。. され、それに参加する当事者としての個々人の. そうならないためには、 --バーマスのコミュ. 成長が生み出されるのである。. ニケーション的行為理論に基づいて個々人が織. 【注〕 1 )金子武蔵編『新倫理学事典』弘文望、 1970、 P.P.360-361。 2)同上。 3)カント、野田又夫訳『人倫の形而上学の基礎づけ』 (世界の名著32)中央公論社、 1972、 P.265。 4)小熊勢記・川島秀一・深谷昭三編『西洋倫理思想の形成I』晃洋書房、 1985、 P.205。 5)デュルケ-ム、田原音和訳『社会的分業論』青木書店、 1971、 P.37。 6)同上、 P.382。 7)デュルケ-ム、佐々木交賢訳『教育と社会学』誠信書房、 1976、 P.127。 8)アノミーに関しては、デュルケーム、宮島喬訳『自殺論』中公文障、 1985参照。 9)デュルケーム、麻生誠・山村健訳『道徳教育論1 ・ 2』明治図書、 1964、 及び麻生誠・原田彰・宮島喬『デュルケム道徳教育論入門』有斐閣新書、 1978参照。 10)ピアジェ、大伴茂訳『児童道徳判断の発達』同文書院、 1957。 ll) --バーマス、清水多吉・木前利秋訳「史的唯物論の再構成にむけて」 『思想』 No.695、岩波 書店、 1982、及びビュージ、山本啓訳『ユルゲン・-ーハマス』岩波書店、 1993、 P.P.55-68参照。 12)河上倫逸・フープリヒト編著『法制化とコミュニケイション的行為』未来社、 1987、 P.27。 13)コールハーグ、永野垂史監訳『道徳性の発達』新曜社、 1987参照。 14)バーハマス、三島憲一・中野敏男・木前利秋訳『道徳意識とコミュニケイション行為』岩波書店、 1991参照。. -13-.
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