平成19年度 学位論文 博士前期課程
EUコンディショナリティーと紛争解決機能
∼キプロス問題を素材として∼
東北大学大学院法学研究科博士前期課程 法政理論研究専攻A甜1001岩館真衣
目次 イントロダクション l Ⅰ国際紛争とEU A 共通外交・安全保障政策の発展 B 紛争解決とEU加盟 ⅠI EU■コンディショナリティーの性質と紛争解決機能 A EUコンディショナリティーの法的・政治的性質 1欧州連合条約第49条に基づく手続きと要件 a 手続き も 3つの要件 ① 国家であること ② 「欧州の」国家であること ③ 第6条1の諸原則を遵守すること 2 冷戦終結後の手続きと要件 a 手続き b 要件 ① コペンハーゲン基準 ② 近隣諸国との良好な関係 3 制度としてのEUコンディショナリティーの性質 a 法的性質 ① 拘束性(血hga也on) ② 明確性(pm血血m) ③ 第三者の権限(dele脚tbn) b 政治的性質 B EUコンディショナリティーと紛争解決機能 51 5 8 0 0 0 9 一 l l l 12 12 14 17 20 21 24 24 30 31 31 32 3 4 6 8 3 3 3 3 ⅠⅢ 具体的検討 キプロス問題を素材として A 事実関係 B 他の紛争解決機関とEU l 国際連合 2 欧州人権裁判所 C EUコンディショナリティーの遵守 1トルコの加盟申請から1999年ヘルシンキ欧州理事会まで 塑394 040414343
2 トルコのEU加盟の展望と国益の間のジレンマ 3 トルコと「北キプロストルコ共和国」の温度差 4 アナンプランに対する北キプロスの賛成と南キプロスの反対 D EUコンディショナリティーの紛争解決機能の限界 狸____FUコ㌢ディ㌢ヲナサティーと国際紛争解決 A EUコンディショナリティーの遵守の範囲 B 紛争解決機能の限界 45亜4 74 7 些495 0 後に
イントロダクション 「国際機構は、複数の国家が、共通の目的を実現するために、基本文書となる条約を締 結することによって設立される。」1その設立の経緯は、より一般的には先立つ機構なしに新 設するもの、またGATTからWTOのように法的根拠のない政治的合意による団体から機 構へと発展するもの、更に国連総会の補助機関から専門機関に発展した国連工業開発機関 のように既存の国際機関から分離独立するものなど、様々である。2同様に、各国際機関の 設立の目的も様々である。最上敏樹は『国際機構論』において、この目的意識を5つのタ イプに分類している。3①技術的・機能的な共通利益達成のため、②世界管理または治安維 持のため、③覇権国が追従国を糾合するため、④他組織に対抗するため、⑤弱者連帯のた めである。中でも覇権糾合型・他組織対抗型・弱者連帯型においては全ての国家に開放さ れている普遍的国際機構ではその目的が達成されにくく、むしろ加盟国を限定する加盟国 限定的国際機構4が設立されることになると最上は指摘する。 加盟国を限定する枠組みとして最近注目されるのが、地域主義という概念である。ガリ は地域主義を以下のように定義した。「地理的に一定範囲内にある複数の国が、地理的近接 性や利益の共通性や相互の親近感を基盤として、その地域における平和と安全の維持のた め、または経済・社会・文化面での協力を進めるために連合をつくることで、かつ、究極 目標として独自の政体形成をめざすこと。」5ここから読み取れることは一種の地域的均質性 が各国の行動の予測可能性を高め、共通の目的達成のための政策をスムーズになるという ことであろう。よって加盟国を地理的な基準によって制限することで、効率性が保たれる のである。特に欧州は、地域主義のもと欧州の問題は欧州の地域的組織で解決してきたと いう伝統を持っている。6 欧州の地域的機関として現在最も研究されている欧州連合(以下EU)でも、欧州統合の きっかけとなった欧州経済共同体(EEC)設立条約(ローマ条約、1957年調印)の中で「欧 州のすべての国はEECの加盟国となることができる」という地理的条件を定めていた。(第 237条)欧州という地理的枠組みの中、EUは域内市場から外交・安全保障、司法・内務協 力に及ぶ幅広い分野において政策を共通化させてきた。これらの組織としての「深化」と 同時に、EUは組織の「拡大」も図ってきた。EECはイタリア、フランス、西ドイツ、ベ 1横田洋三編著『新版 国際機構論』国際書院(2002)、57頁。 2同上、58・62頁。 3最上敏樹『国際機構論』東京大学出版会(1996)、60・70頁。 4学問上、加盟が全ての国家に開かれている普遍的国際機構に対して、加盟国が限定されて いるものを一般に地域的国際機構と呼ぶ。しかし必ずしも地域的属性のみが限定の要件で はないので、ここではこちらの呼称を使用する。 5最上・前掲註3・180頁。 6これらの例として、近隣諸国の間で締結された関税同盟、1815年ウィーン会議の議定書 に起源をもつ「ライン川航行のための中央委員会」、さらに第二次世界大戦後に次々と発足 した地域的機関欧州経済協力機構、欧州審議会、西欧同盟が挙げられる。
ルギ一、オランダ、ルクセンブルグの計6カ国で始まり、その後1965年欧州3共同体(ECSC、 EEC、Euratom)の諸機関のEC(EuropeanCommunities)7への統合を経て、第二次拡 大としてイギリス、デンマーク、アイルランドが1973年に加盟、第三次拡大としてギリシ ャが1981年に、スペインおよびポルトガルが1986年に加盟、第四次拡大としてフィンラ ンド、スウェーデン、オーストリアが1995年に加盟し、15カ国にまで膨らんだ。 第二次拡大においてはイギリスの加盟に対するフランスの拒否権発動が問題となり、 1961年の加盟申請から加盟承認まで12年かかった。8第三次拡大においては、ギリシャ、 スペイン、ポルトガルに対して権威主義体制から民主主義体制への移行9と、共同体法を履 行するために必要な経済的、行政的ベースを安定させること10が要求された。民主主義への 移行は1978年4月に、コペンハーゲンで行われた欧州理事会で採択された宣言に基づくも のである。この宣言は欧州議会議員の直接選挙の導入に関して出されたものであるが、そ の最終パラグラフで「各加盟国における代表民主制と人権の尊重と維持はEC(European Communities)帰属のための必要不可欠な要素である」と宣言されている。11なお、EC法 の適用自体は加盟後行われた。第四次拡大においては、1992年に提出された委員会レポー トにある諸条件(共同体既得事項(acquiscommunautaire)の適用と欧州のアイデンティ ティー、民主主義、人権の尊重)を満たすことを要求されたが、フィンランド、スウェー デン、オーストリアはほぼ問題なくクリアし、1993年に加盟交渉が開始され1995年に揃 って加盟した。 やや遡るが、EC(EuropeanCommunities)は1989年11月9日の「ベルリンの壁」崩 壊を契機に、再編へと向かっていった。大きな動きとしては2つ挙げられる。第1に1989 71965年ブリュッセル条約において欧州3共同体、つまり欧州石炭鉄鋼共同体(Eur叩ean CoalandSteelCommunity;ECSC)、EEC、欧州原子力共同体(EuropeanAtomicEnergy Community;EAECまたはEUMOM)がEC(EuropeanCommunities:欧州諸共同体) と呼ばれるようになった。後に1992年マーストリヒト条約G条においてEECが単独で EC(EuropeanCommunity)と単数形で呼ばれるようになった。複数形のECが3つの組 織の集合であるのに対して、単数形のECは前ECCのみを指す。なお、ECSCの設立条約 (1951年)は同条約97条の規定に従い2002年7月に失効し、現在でものEURATOM法 的存在を巡ってEUMOM設立条約(1957年)を破棄するか否か議論されている。これ らの組織の法的な位置づけが曖昧であるので、本論文ではこれら3つの組織の法をEC法 と呼ぶことにする。なお、マーストリヒト条約以降の政治的協力に関する法とEC法を合わ せたものをEU法と呼ぶことにする。植木俊哉「『地域統合の法』の構造と特質」『岩波講 座現代の法・第2巻、国際社会と法』岩波書店(1997)、239・261頁参照。 8BinoOlivi,L勤王叩e腸あfiliohistoi代(2001),Pp.101・217. 9横田正顕「現代ポルトガル政治における『ヨーロッパ化』のジレンマ−ガヴァナンスの 変容とデモクラシーの『二重の赤字』」『EUのなかの国民国家』日本比較政治学会編(1998)、 48頁。
10KarenE.Smith,meET70血tihDaBd励血ofEU触beLQCbL2dttibLZDa拗
inMariseCremonaed.,TheEnlargementoftheEuropeanUnion,0ⅩfordUmiversity Press(2003),pp.110. 11EurqpeanCouncilofCopenhagen,‘DeclarationonDemocracy’,Buh血of’tbe風肌pe8月伽皿的1978,m0.3,pp.6..
年12月のストラスブール欧州理事会において、それまでの冷戦の西側陣営としての結束と いう目的ではなく、ヨーロッパ大陸全体の安定を維持する新欧州秩序の中心的役割を担う 目的で、より一層の統合の強化を図ることを確認したことである。121992年のマーストリ ヒト条約では、ECからより政治的分野を拡大したEUへと発展させ統合を強化した。具体 的にはローマ条約から発展してきた超国家的共同体であるECを第1の柱とし13、共通外 交・安全保障政策(CommonForeignandSecurityPolicy;CFSP)を第2の柱、司法内務 協力を第3の柱とする「神殿構造」のEUへと変化した。特に第2の柱は1970年以降形式 的にECとは別の枠組みで発展してきた欧州政治協力(EuropeanPoliticalCooperation; EPC)が、EUという傘の下ECと並んで法典化されたものとして位置づけられる。14政府間 協力という方法を取りながらも、構成国が「一つの声」で「共通の」外交政策や安全保障 政策を樹立させる共通外交・安全保障政策(CFSP)という新しい枠組みへと変化した。 第2に更なる「拡大」への動きである。冷戦終結後、前述の第四次拡大の3カ国に加え、 トルコ、キプロス、マルタ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、スロバキア、ラトビ ア、エストニア、リトアニア、ブルガリア、チェコ、スロベニアの13カ国が加盟を希望し た。もともとEUは冷戦終結後の東方拡大には消極的であった。しかし、ポーランド、ハ ンガリーが中心となり「欧州への回帰」を強く求めた結果、EC侶U側は拡大に乗り切るこ とになった。15EU加盟の将来的可能性を明記した協定を次々と東欧諸国が結び、発行に順 じて加盟申請も提出した。16第四次拡大の参加国を除き、他の13カ国には1993年に採択 された「コペンハーゲン基準」という条約には記載されていない新たな政治的、経済的、 司法的加盟要件が課され、コンディショナリティーを通じてEUに監祝されることになっ 12島野卓爾、岡村秦、田中俊郎編著『EU入門 誕生から、政治・法律・経済まで』有斐 閣(2004)、152頁。 13マーストリヒト条約G条では「欧州経済共同体設立条約は、欧州共同体を設立するため に、本条の規定に従って改正する。」とされ、呼称の変更だけでなく、EU設立条約の条項 も改正された。 14Ⅰ・A参照。 151980年代後半から中・東欧諸国はECと協力関係を開始し、1990年12月にはEC側が 連合協定の締結で協力関係を制度化することを提案した。この協定文書の中で中・東欧諸 国側はECへの将来的加盟について言及することを要求したが、ECは初め余り乗り気では なかった。しかし、その交渉で中・東欧諸国が強く主張し続け、1991年12月にECとの 間で妥協が成立し、1992年マーストリヒト条約におけるECからEUへの発展を経て、 1994∼1999年の間にEUとの間で連合協定が発効、順次に加盟申請へと至った。広瀬佳一 「中・東欧国際関係の再編−MO、EUの拡大と地域協力の展開」植田・前掲書15・123・129 頁参照。なお、キプロスは1973年連合協定締結、1990年加盟申請、マルタは1970年連合 協定締結、1998年加盟申請と、他の中・東欧諸国とは違うステップを踏んでいる。 16加盟申請は、1987年トルコ、1990年キプロス、1994年ハンガリー、ポーランド、1995 年ルーマニア、スロバキア、ラトビア、エストニア、リトアニア、ブルガリア、1996年チ ェコ、スロベニア、1998年マルタ。
た。17これら3つの条件に加え、第4の基準として近隣諸国との良好な関係(bonvoisinage) が加えられた。18EU側からこれらの条件を満たしたとされた、トルコを除く12カ国は2004 年の第五次拡大と2007年の第六次拡大で既に加盟を果たしている。現在では2005年10 月にようやく加盟交渉が開始されたトルコとクロアチア、そして2005年12月に加盟候補 国として認められたマケドニア旧ユーゴスラビア共和国が正式な加盟候補国である。 このように条件を明文化して適用するようになったのは第五次拡大以降のことである。 その理由は1992年に委員会の提出したレポートに記されている。 ‘7払e〟野点Cf鵡血躇e通卿e如0月班e叩a卸Or班ecOm皿M卸わ由血 (お血β皿誠由」娘eエロdgf(盟邦血J戚払e血8月deI切血a血九m肋「ェPe皿ムeJ等 卿ケお力血ムe戯け紺地eα皿皿的∬β伽C正作/班eα皿皿びゆふβ触感相 方ecaび館元義郎edおおe飽C〟帽/わ卿edわ朗血御e〟f血a呵ア肝血走丘 ∫℃血βeg血e飽eぬeβg仰山打方ea月em 血班epe呼e劇作ガ軸e上略8月dpa血仏あゆOfb肋dつりdr∬ 皿e皿ムa喝班e卿eβ血血eぷ脚血相凸かeガe鮎卸二血ⅣわeかぶMや班銘肝拗 8月血α℃月館d月丑皿jkr(ぱ血e皿ムe喝虎e月eⅣ肋血Ⅶ躇月血刀血由極点αPMf dr虚e点d地点古曲叩祀威肋肝甜お卸地点〟虎の館ば蕗e伽皿吻 8月d地点舌頭e即等お皿血細り0〃由p血路血。壱月血ぬ聯ye柑皿e〟由ノ朋血理.血 地点fpe呼ee〟喝血WC虔月Wやeββびre地点fbore′あぶ 月Of血dわ′血′7,19 つまり、EUの拡大がEUの効率性を犠牲にしてはならないということであり、これは前 述の地域主義の原則に立ち返るものである。特に冷戦終結後、旧共産主義国であり現加盟 国とのGDPの差が大きい中・東欧諸国の加盟申請を受け、明文化したコンディショナリテ ィーによる加盟前の均質化が必要になった。20加盟候補国の立場からすると、EU加盟のた めには現在の政策を変更するコストが伴うことになる。しかし少なくとも第五次、第六次 拡大において加盟を果たした12カ国は、EU加盟の展望のもと国内的または国際的政策の方 向転換を行ってきた。そこで、コストを負ってでも遵守されるという実効性はコンディシ ョナリティーのいかなる性質に基づくのか、遵守の範囲はどこまでなのか、遵守は加盟以 外の二次的効果を持つのかという疑問が出てくる。 よって本論文では、コンディショナリティーの性質、効果、限界について考察していく。 17EuropeanCounCilinCopenhagen,21and22June1993,‘ConclusionsofPresidency’,
B助血oftbeBhLYPeaB伽munitibq1993,nO.6,aVailableat
http:〟ue.eu.int/ueDocs/cms Data/docs旬ressdatahn/ec/72921.pdf.(2008年1月5日確認) 18EuropeanCommission,‘Agenda2000:ForaStrongerandWiderUmion’,W」軌亜血軸血e扉5伯7,pp.40・41,
19EuropeanCommission,‘EuropeandtheChallengeofEnlargement’,WBzLLktizZ 風脚血那加3/92,pp.14. 20八谷まち子「EUの拡大と対トルコ政策一混迷の構図−」『法制研究』第70巻1号、61 頁。その中でも3つのコペンハーゲン基準の次に課された「近隣諸国との良好な関係」を主に 取り上げる。この研究の意義として、第1に共通外交・安全保障政策の中でEUの安全保 障の強化を強調していることが挙げられる(第11条)。21EUの政策の一環として、「近隣 諸国との良好な関係」を保つというコンディショナリティーがどう位置づけられるのだろ うか。第2に、今回紛争の事例として取り上げるキプロス問題やバルカン半島の安定化で は、加盟交渉が紛争解決を導くという国際社会からの期待が寄せられている。22そして第3 に、EU自身も加盟交渉と紛争解決が連動しうることを指摘している。23 以上のような問題意識から、本論文ではEUコンディショナリティーの性質とその紛争 解決への効果を検討していく。以下、加盟手続きと安全保障政策が結び付けられるように なった背景は何か(Ⅰ)、コンディショナリティーはどのように形成され、どのような性質を 持つのか(ⅠⅠ)、キプロス問題でコンディショナリティーはどう機能したのか(ⅠⅠⅠ)、以上 の考察から得られることは何か(Ⅳ)を順を追って検証していく。 Ⅰ国際紛争とEU まずⅠでは加盟手続きと紛争解決という2つの異なったものがどのような背景で結び付け られるようになったのかについて検討する。AではEUが共通外交・安全保障政策がいか にして発展しその目的がEUの枠組み内外での国際平和・国際協力の推進につながった背 景、BではEUの拡大がより不安定な国家に及ぶようになり、欧州の安定化機能とEUの 拡大が重なるようになった背景について詳しく述べる。 A 共通外交・安全保障政策の発展 EC(EuropeanCommunities)は経済的共同体として創設され発展してきた。しかし、 1992年マーストリヒト条約で新たに政治的協力についての条項が挿入される以前から、政 治的協力への試みと実行があった。最初の試みとして1950年初頭に西ドイツの再軍備を警 戒し、欧州という枠組みに西ドイツ軍を融合させるため欧州防衛共同体(EuropeanDefense Community;EDC)と欧州政治共同体(EurqpeanPoliticalCommunity;EPC)という 構想が浮かんだ。最終的には提案者であったフランスが西ドイツの再軍備や自国の権限へ の侵害を恐れて批准に至らなかったため、失敗に終わった。24次に、1961年にフランス外 相フーシェの提案したフーシェ・プランが挙げられる。25このプランは、当時のフランス大 統領シャルル・ド・ゴールが、EEC委員会の本部が置かれたブリュッセルで、欧州官僚が 2lK.E.Smith,SipmnotelO,PP.112. 22例えば日本外務省もこのような立場を示している。HP参照。aVailableat http:〝www.mO払.go.jp/mo鮎hLreahypruS/data.htmi.(2008年1月5日確認) 23EUの見解としてばEumpeandtheChallengeofEnlargement’,S叩mnOte17,Para. 30. 24島野・前掲註12・140・141頁。 25CharlesZorgheibe,励imiゐhの。StTZLCtibnezmpdbnne;PUF(1993),PP.71−75.
中心となって欧州統合が進んでいくのを懸念したために出されたものである。具体的には 経済的分野のみでなく政治・外交・軍事・防衛・文化などの広い分野について協議する政 府間会議の定例化を提案したものであった。しかし、ベネルクス3国が大国中心のフォー ラムに危機感を抱き、拒否権を発動したためこれも失敗に終わった。26 共通外交・安全保障政策の発展に直接寄与したのは、1970年からの加盟国間の外交政策 の調整を目的とした欧州政治協力(EPC;EuropeanPoliticalCooperation)である。1969 年ハーグ首脳会議では将来的によりいっそう欧州の統合を図ることを確認し、翌年1970年 にその一環として提案されたものである。27EPCはEC(EuropeanCommunities)の国家間 で共通の利益のある外交政策について「政府間で」協議するための枠組みとして設立され た。将来的な統合のためという目的に加えて、この時期にEPCが必要になったのは共通通 商政策の始動により対外的な影響力が増すと考えられたためであった。28しかしながら、加 盟国の間には「明確で(explicit)フォーマルで見えやすい(visible)もの」を避けたいと いう希望があり、EC法上の制度とは明確に区別された形でスタートした。291973年にも、 コペンハーゲン委員会報告では、政治問題を扱うEPCは経済問題を扱うECと峻別され、 構成国の政府間協議の場でしかないとされた。しかし70年代半ばには政経機構間の峻別が 次第に困難になり30、ECとEPCの一貫性を保つため外交政策についてECと共通の機関(欧 州理事会31、外相理事会)でも協議できるようになった。これらの慣行を条約化したものが、 1986年の単一欧州議定書である。32それまで外相会議による合意の集積でしかなかった EPCに初めて法的根拠が付与されたのである。しかしながらこの時点でもEPCは共同体の 中に組み込まれなかった。たとえば単一欧州議定書のEPCについての第30条では「加盟 国(MemberStates)」ではなく「締約国(HighContractingParties)」という言葉が使わ 26島野・前掲註12・143−144頁。 27「ECの拡大・強化・発展」をテーマにした1969年ハーグ首脳会議で、欧州統合建設に 向けいかなる方法を取っていくかの検討をEC諮問外相に指示した。翌年1970年にルクセ ンブルク報告において「まず外交政策の調整に努力を傾注すべき」とされた。辰巳浅嗣「欧 州政治協力伍PC)の二十年」『国際政治』第94号(1990)、128・129頁。 28島野・前掲註12・238−240貢参照。 29MichaelE.Smith,‘DiplomacybyDecree:TheLegalizationofEUForelgnPolicy’,in JournalofCommonMarketStudies,VOl.39,No.1(2001),PP.86. 30きっかけとなったのが、1973年10月の第1次オイル・ショックである。「経済危機は政 治危機」という状態に陥り、それまでのECとEPCという二分法が必ずしも機能しないこ とが証明された。ここで辰巳・前掲註27・131頁参照。 31ECとEPCの間の一貫性が求められるようになり、1974年に従来の首脳会議が欧州理 事会として制度化され、その調整役の任務を負うことになった。 32これらの慣習は単一欧州議定書として条約化される以前に、1976年の時点 で’’Coutumie〆’という文書にまとめられていた。M.E.SmithはEPCは条約化される前か らソフトローとして存在していたと主張する。励qM.E.Smith,Sipmnote29,PP.83・84. 単一欧州議定書の締結の経緯、目的、構造などはEUホームページ参照。,TheSingle EuropeanAct’,aVailableathttp;堰uropa.eTl/?Cadplus/treatiQS/$ingleact」印.ht押印QP. (2008年1月5日確認)
れている。 冷戦の終結を迎え、ECは政治的統合のための欧州連合条約締結に向かって動き出した。 1992年マーストリヒト条約でEC(EuropeanCommunities)はEUという更に大きな機構 に編入され、EUはECCから改名されたEC(EuropeanCommunity)と並んで共通外交・ 安全保障政策に乗り出すことになる(欧州連合条約第5編)。33EPCとの違いは大きく分 けて2つあるといえる。第1に共通外交・安全保障政策がEUの下EC(European Community)との制度的一体性が明確にされたことである。前述の「締約国(High ContractingParties)」という呼称も「加盟国(MemberStates)」に置き換えられ、EC (EuropeanCommunities)の既存の枠組みとの一致が読み取られる。34第2に共通外交・ 安全保障政策においては、加盟国に対してより一層のコミットメントが要求されている。 特に第14条3項では「共同行動は、加盟国が採択した立場およびその行動について、加盟 国を拘束する」と明確に拘束力について言及している。35 以上のような歴史を経て共通外交・安全保障政策は条約上の義務として課されるように なった。しかし、そもそもEPCが共通外交・安全保障政策というより緊密な協力を求めら れるものになった理由は、冷戦終結によりそれまでの西側陣営のクラブとしての性格と違 った形で国際社会に主体性を示すためである(マーストリヒト条約B条、現欧州連合条約 第2条)。36第11条では(マーストリヒト条約J・1条)、共通外交・安全保障政策における 目標を以下の5つとしている。①共通の価値、基本的利益、連合の独立と領土保全を、国 際連合憲章の諸原則に従って守ること。②あらゆる形態における連合の安全保障を強化す ること。③国際連合憲章の諸原則、ヘルシンキ最終議定書の諸原則およびパリ憲章の目的 (対外国境に関する原則を含む。)に従い、平和を維持し、かつ、国際の安全を強化するこ と。④国際協力を促進すること。⑤民主主義と法の支配および人権と基本的自由の尊重を 発展させ、かつ、強化すること、とされている。これらの目的では「国連ベースの」国際 平和・国際協力の推進が強調されている。以上から分かるようにEUの対外政策は、国連 の主導、原則の下でEU内部の対外政策を調整すると共に、国際社会における安全保障政 策で独自の役割を果たすということである。37 33前掲註7参照。 34M.E.Smith,Stpmnote29,at96. 35EPCにおいては、議題によって拘束力が異なっていた。具体的には、1つ目に各国が主 権の下自由に決定を下す場合、2つ目はEPCの枠組みでの協議を考慮しつつ、ECC条約旧 224条(現欧州共同体設立条約第297条、国内外の危険が共通市場の運営に影響を及ぼす ことを避けるため協議を行うことが記されている。)に基づいて加盟国が意思決定を行う場 合、3つ目にECC共通通商政策としてEEC条約旧113条(現欧州共同体設立条約第133 条、共通通商政策を実施するにあたり理事会では特別多数決が採用され、委員会はECを代 表して対外的交渉に当たることとしている。)が適用される場合があった。前掲註27・辰巳・ 136頁参照。 36植田隆子「欧州連合をめぐる安全保障問題」『国際問題』409号(1994)、20頁。 37同上、29頁。
B 紛争解決とEU加盟 それでは共通外交・安全保障政策はいかにして加盟交渉と繋がるようになったのであろ うか。共通外交・安全保障政策の領域で実施される政策は、共通の立場(欧州連合条約第 15条)、共同行動(同条約第14条)、宣言、政治対話のいずれかの形態をとることになって いる。38これら1つ1つの概念が唆味だったため、条約締結の後に検討が必要とされたが、 共同行動については1993年10月のブリュッセル臨時欧州理事会にて検討された。そこで 5分野挙げられた共同行動の大枠のうちの第1が「欧州の安定と平和の増進」であった。39 欧州の安定化というスローガンのもと、EUはその過程にEU加盟候補国を巻き込んでいっ た。 まずは少数民族間題の解決と国境不可侵の強化を目指す「欧州安定化協定構想」をその 主要な手段の1つとした。同構想は1993年6月のコペンハーゲン欧州理事会において、フ ランスの提案した安定化協定(Pact on stability)構想をより具体化したものであった。 亜1993年12月のブリュッセル欧州理事会では、EUが欧州安定化条約構想を推進する理由 として、①安定強化の緊密な必要性があること、②EU加盟候補国に努力を促すこと、③共 通外交・安全保障政策を促すことの3つが挙げられている。41「欧州の安定化」が上述の共 通外交・安全保障政策の対象であると共に、加盟候補国との交渉の対象にもなるというこ とである。よって、もともとEU加盟を促す道具としての機能があるコンディショナリテ ィーは、同時にコンディショナリティーを共通外交・安全保障政策を実現する道具として も機能するということになる。安定化協定構想に基づいた会議が1994年5月と1995年4 月にパリで行われた。この時期には安定化協定の締結には繋がらなかったが、ハンガリー とスロバキアの間でハンガリー人マイノリティーの処遇について合意が結ばれ、中・東欧 安定化のための対話の場として実績を残した。また、この会議を通じて加盟には近隣諸国 との安定的な関係の維持が不可欠であることが確認されたのである。42協定は南東欧安定化 を目的として安定化協定が1999年にケルンで締結された。 更に、1997年のルクセンプルグ欧州理事会ではEU加盟国とトルコを含むEUへの加盟 を望む国々43の対話の場として、欧州会議(EuropeanConference)を開催することが決定 した。44欧州会議設立の目的は、参加国が平和、安全保障、近隣諸国との良好な関係、他国 38島野・前掲註12・233頁。 39第2は中東、第3はアフリカ、第4は旧ユーゴ、第5はロシアとされている。 亜欧州理事会はフランスの提案を受け、外相理事会によりいっそうの検討を促した。励ち
軸n2nOte17,Pp.16・17.
41植田・前掲註36・28・33頁。 42フランスの外交参事官も「近隣諸国との安定化のために条約を締結した国々はEU加盟 により近づくことになるであろう。」と述べた。Lemonde,le19mars1995. 43原文でぽ’theEuropeanStatesaspiringtoaccedetoit’’となっており、当時まだ正式な 加盟候補国として認められていなかったトルコを含むことを暗に意味している。 44EuropeanCouncilinLuxembourg,12and13December1997,℃onclusionsof Presidency’,Buh血0(tbe」訊l叩朗BthZibLl,No.12,POintI.6.の主権の尊重、EUの諸原則、境界線の不可侵、国際法の諸原則、領土問題の平和的解決(特 にICJ)に対して共通のコミットメントを行うことであり、これらの原則に同意する国のみ 参加することが出来るとしている。会議への参加資格として列挙されたこれらの基準は、 後にヘルシンキ欧州理事会で改めて加盟候補国へのコンディショナリティーとして確認さ れることになる。よって欧州会議も欧州の安定化という目的の実現にEU加盟への過程が 巻き込まれたものであるということが出来る。しかし、ルクセンブルグ欧州理事会でキプ ロスの加盟交渉が決定し、それを不服としたトルコは1998年の会議を欠席した。1999年 の会議もトルコのボイコットにより行われなかった。45実際に欧州会議が機能するようにな ったのは、1999年のヘルシンキ欧州理事会でトルコの加盟候補国としての地位が正式に認 められてトルコが参加するようになってからである。 以上のような過程を経て、加盟候補国には「欧州の安定化」へのコミットメントが求め られるようになり、コンディショナリティーとして明確に求められるようになったのであ る。例えば、早い段階では欧州安定化協定について協議された翌年の1994年のエッセン欧 州理事会では、「近隣諸国との良好な関係(bonvoisinage)」を築くことが加盟候補国に求 められることが明確にされた。46更に1997年に委員会から提出された将来的東方拡大にお ける戦略を示したAgenda200047や、前述の1999年ヘルシンキ欧州理事会の報告書48の中 で、加盟候補国の抱える国際紛争の解決は国際連合の諸原則に則り、当事者間もしくは第 三者を介しての解決を図る努力をすべきであり、それが不可能な場合はICJに付託されな ければならないとされている。また同Agenda200049、2000年12月ニース欧州理事会の 委員会報告書50では,EU加盟の将来的展望が加盟候補国にインセンティブを与え、国際紛 争の解決に導くという旨の記述があった。以上のような過程を経て、コンディショナリテ ィーと紛争解決が結び付けられるようになったのである。 H EUコンディショナリティーの性質と紛争解決機能 Ⅰでは紛争解決とEU加盟の繋がりについて説明したが、実際に2つの間の関係を知るた めには、まずEU加盟というインセンティブがいかに国家の行動に影響を与えるのかの検 45MarcMaresceau,伽TaαeSSibn,inMariseCremonaed.,TheEnlargementofthe EuropeanUnion,0ⅩfordUniversityPreSS(2003),PP.29. 46EuropeanCouncilinEssen,9and19December1994,℃oncluSionsofpreSidency’,XII Intra・reglOnalcooperationandpromotionof‘Ebonvoisinage’’,aVailableat
htt:〟www.consilium.euro a.eu/ueDocs/cms Data/docs/ressData/en/ec/00300−1.EN4.h
圭塾.(2008年1月5日確認)
47物nob17,pp.67−68.
48EuropeanCouncilinHelsinki,10andllDecember1999,‘Conclusion80fPresidency,, PP.51,aVailableat
htt:〟www.consilium.euro a.eu/ueDocs/cms Data/docs/ressData/en/ec/ACFA4C.htm.
(2008年1月5日確認)
49Stpmnote17,PP.67・68.
討が必要になる。それには加盟交渉の段階でいかなる要件が課されるのか、どのような基 準で評価されるのか、いかなる手続きを踏むのかなどの疑問に答えなければならない。次 に、国家の行動への影響と紛争解決の効果を区別し、この2つがいかなる相関関係を持つ のかを検討しなければならない。よってⅠⅠではEUコンディショナリティーの概要、法的 または政治的性質、これまでの主な紛争解決への効果を検討していく。 A EUコンディショナリティーの法的・政治的性質 ここではEU加盟交渉の流れを概観し、そこからコンディショナリティーについていか なる性質が導き出されるのかを検討していく。まずは1では欧州連合条約第49条で規定さ れている手続きと要件を、2では冷戦終結後により強化された加盟手続きと明確化されたコ ンディショナリティーを、適用の歴史や他機関との比較を通じて検討していく。そして3 で1と2の考察から、コンディショナリティーについていかなる性質が導き出されるかを 見ていく。 1 欧州連合条約第49条に基づく手続きと要件 ここでは欧州連合条約第49条で規定されている手続きと要件について、その中身と冷戦 終結前までの例を中心に検討していく。 a 手練き 欧州連合条約第49条の後半では加盟手続きについて以下のように規定されている。 虜胡桑 ‥腰職者寮会八二対tて行=い、屠裏会ぼ、委葺合に鹿野t、かつ、 廓朝詳会の彪鰍よる願を得度炭に、全会一身によっ儲する。 必好条件およ棚によって必者となる虜倉の鮎条約についての厨 鮎、加盟野と.勿野中磨厨との/野の倉家の卓潜とする。この倉爵ば、す べrぎ寄留によって各棚上の用件に好い、彪1衝に付される。 またマーストリヒト条約が締結されるまでは、EC(EuropeanCommunities)への加盟 はローマ条約第237条に基づいて行われており、原文では以下のように規定されていた。 A血ゐガ7Aqr」軌〟We8月β由お皿qr卿ケわあe皿かeβ皿e皿ムer dr班e 伽皿的〟点丘皮〟β血相血励血Ⅶお出e(わMdろ祓適 度占丘〟 gef 丑かβ血0打点か 月蝕 0加お血如 頭e 呼血血刀 Or班e 触感由血か. 7鮎の畑地gOra肋Ⅶβ〟d地ea伽血刀eβおお地由独伊 月eα威ね由d虎e躇砂丘鮎〟ムe蕗eβびむむ才腕〟昭℃e皿eかよ鮎か作e〟 地e地方er馳由β及〟d助β励月f鋤ぬ‰研em甜f点烏皮〟 ムe紺地〟由d伽躇肋血Ⅶ砂丘〟班eαⅦぬぐ物βね由β血 細別ぬ朗川地軸施山岡卿血吼肌感触血朋血町政相聞血
両条約の前半にあるように、加盟申請の受理は理事会の全会一致による。よって加盟交 渉の開始はまず加盟国間でのコンセンサスが前提条件となる。51各加盟国は拒否権を持ち、 全ての加盟国が賛成票を出さない限り加盟は認められないことになる。例えば1963年と 1967年にイギリスはEECへの加盟申請を行ったが、どちらもフランスの拒否権発動によ り実現されなかった。しかしドゴールの退陣によりECは政策の転換を図り、1969年のハ ーグ首脳会議で「深化」「拡大」などを新たな目標として設定し、イギリスの加盟を認める という合意に至った。52 次の段階としてEC侶U対加盟候補国政府の二者間で交渉が始まる。53交渉の内容は冷 戦終結前と冷戦終結後で異なっている。ECC設立から冷戦終結前(第三次拡大まで)は共 同体既得事項(AcquisCommunautaire、以下アキ)54の適用が加盟以降に行われていたた め、交渉には長い時間を要さなかった。交渉の内容は加盟後いかにアキを適用するか、移 行期間はどれくらいか、いかなる調整が必要かなど決めて加盟条約で規定することで、実 行されるのは正式な加盟後であった。55なお加盟条約は国家間の合意であり、共同体の行為 ではないので欧州司法裁判所は加盟条約の解釈をすることは出来るが条約の有効性につい ては判断できないとしている。56冷戦終結後はPre・aCCeSSionの段階が強化され、加盟申請 の受理の前の段階、更に加盟交渉の段階で様々な要件や手続きを課されることとなった。57 ローマ条約と欧州連合条約の違いは欧州議会による同意の有無だが、欧州連合条約下で 実際に議会が多数決を取るのは加盟条約が作成された後である。つまり、加盟申請につい 51Jeand’Haussonviue,ムepmαSSuSdAdbゐ血LZイおt戯画皿eLZt励tTHk肋LLX A命月館血がノ馳血血ゐ7℃毎五Ⅶ書hPouvo吐no.106(2003),pp.22. 52島野・前掲註12・146・147頁。 53Jeand’Haussonvilleはlecaract占rebilat6raldelan6gotiationという表現を用いてこ の交渉過程を説明している。EUが共通の立場を取った後の交渉はEUと加盟国政府の1対 1で行われるものであり、EU対加盟候補国グループでも各加盟国対各加盟候補国でもない ことを説明している。ヘルシンキ欧州理事会においてもcon鎧renees intergouvernementalesbilat6ralesという表現が使われていることを例に挙げている。 糾アキの詳細については2・b参照。 55イギリスの加盟に際して、イギリスが自国の農業を保護する目的から農業政策における 例外的措置を設けることを願い出たため、イギリスの交渉は難航した。なお、加盟後もイ ギリスは数量制限を設けて保護的な政策を取ろうとしたが、欧州司法裁判所はEC法適用の ための移行期間を過ぎたら例外的措置は認められないとした。励e,JudgmentoftheCourt Of29March1979,CaSe231/78,α血皿血Or班e風〟Weβ〟(わ皿皿M元由βⅤ〃出払d 戯画0(伽dtBTiia血βBdA加法em血血Dd,aVailableat http:〟eurlex.europa.eu/smartaPi/cgi/sga doc?smartapi!celexplus!prod!CELEXnumdoc &1g撃n&numdoc=61978JO231.(2008年1月5日確認) 563udgmentoftheCourtof28April1988,joinedcase831and35/86,Le帽n血aAg2iAn 血血g出血ノぷ4(乙4彪射8月dC打軸β血ぷ4Ⅸ(わMdOr蕗e風〟甲朗〟dmび血毎 avanableat http:〟eur・lex.europa.eu/smartapi/cgi/sga doc?smartapi!cele草plus!prod!CELEXnumdoc &短=℃n&numdoc=61986JOO31.(2008年1月5日確認) 572・a参照。
ての意見というよりも加盟条約の内容について問われるということになる。58 それでは以上のような手続きのもと、いかなる要件が課されるのであろうか。 b 3つの要件 欧州連合条約第49条の前半では加盟要件について以下のように規定されている。 虜妻夕条 ノ夢β桑了に虜窟する者原財を遵守するいかなる靡卿の野あ、虜倉の尉 犀となることを覇者することができる。… 以上から大きく分けて3つの要件があることが分かる。1つ目は「国家であること」、2つ 目は「『欧州の』国家であること」、3つ目は「第6条の諸原則を遵守すること」である。以 上3つの要件は「加盟申請するための資格」であり、これらを満たして初めて加盟候補国 として認められ、加盟交渉が始められるものと考えられる。以下、それぞれの要件を歴史 的事実の確認や他機関との比較を通じて、EUがいかなる基準を用いて要件の遵守を判断し ているのかを検討する。 ① 国家であること 国家であるという基準は欧州経済共同体設立条約の第237条でも加盟要件としても課さ れていた。現在まで加盟候補国が国家ではないという理由で排除されたことはない。欧州 委員会は1997年3月21日のワロン地方対委員会の決定で「加盟国の概念は共同体の加盟 国の唯一の政府当局のみを対象とし、認められた権限の範囲がいかなるものであろうとも 地方政府や自治体にまでは及ばない」という見解を示し59、正統な国家以外の集団の加盟は 認められないということが再確認された。冷戦終結までの拡大では、国家という資格につ いて議論されたことはなかったため、ここでは冷戦終結後の例を用いることにする。例え ば、南北分断問題を抱えたまま加盟を果たしたキプロス共和国や、またセルビアからの独 立が確定しないまま加盟交渉に向けた動きが進行しているコソボは、「国家としての地位」 に議論の余地のある例ということが出来る。 まずキプロス共和国に関しては60、1990年6月に加盟申請をした段階で欧州の国家であ ること、そして将来的に加盟国たる資格を有することが確認された。61トルコ系キプロス人 とギリシャ系キプロス人から構成されるキプロス島は、1974年以降島の北部3割をトルコ 軍により違法に占領されていた。北部は1983年に「北キプロストルコ共和国」として独立 宣言をしたが、トルコを除く国際社会からは承認を得られなかった。独立宣言直後に出さ 58JeanPaulJacqu6,助成hstitutibnneLh1℃肋BbnpdbnBqDalloz(2004),PP. 106・107.
590rdonnancedu21mars1997,御地eaLtbLZ2皿血如a払ireC・95/97,reC.
Ⅰ・1787. 60詳細はⅠⅠⅠで触れるが、ここでは「国家であること」という条件の範囲で検討する。 61EuropeDocuments,3July1993;AE,lJuly1993.れた国連安保理決議54162においてもその正統性は否定され、EUも同様の立場を取ってき た。よってギリシャ系キプロス政府が唯一の正統な政府として見なされていたため、同政 府による加盟申請は「正統な国家」による申請として受け入れられた。ギリシャ系キプロ ス政府はキプロス島全体を代表するものとして申請を行ったが、63北部3割は同政府の実効 的支配の及ぶ範囲ではなく64国家としての一体性は侵されていた。65最終的に2004年5月 に実質上は南北が分断したままだったが、形式的にキプロス共和国は島全体としてEUに 加盟することになった。つまりEUは国際社会の認識に則り、「北キプロストルコ共和国」 を正統な国家として認めない以上、たとえ違法に国土の一部が占領されていても、キプロ ス共和国は正統な国家として加盟の権利を与えられるという立場を通したのである。 他方でコソボに関しては、少し異なる見解を持っているようである。コソボでは1998年 以来独立を望むアルメニア人とそれに反対するセルビア政府との衝突が続いており鵬、コソ ボは1999年の国連安保理決議1244でUNMIK(国連コソボ暫定行政ミッション)の統治 下に置かれることになった。67では独立を推進することに言及された。UNMIKは治安の回 復、人道的支援などの他にコソボの将来的地位を確立することも挙げられていたが鎚、独立 に関しては遅々として進まなかった。2004年にアルバニア人住人が地位の不安定さに不満 を抱き暴動を起こしたため、国際社会はコソボの独立を急ぐ流れへと向かった。しかしロ シアやセルビアによる抵抗から、国連の手続きを解しての独立は可能性が低く、その動き は停滞している。他方、EUはコソボへの一番の援助組織である上、コソボ独立を強く推進 するアクターの1つである。69EUはコソボに対しても南東欧安定化のプログラム70の適用 62‘Resolution541(1983),,aVailableat http://daccessdds.un.orgfdocfRESOLUTION/GEN/NRO/453/99/IMG/NRO45399.pdf?Qpe nElement.(2008年1月5日確認) 63NeillNugent,‘EUEnlargementand‘theCypruSProblem”,inJournalofCommon MarketStudies,VOl.38,nO.1(2000),PP.136 鋸欧州人権裁判所のL心kidou対トルコ事件で、北キプロスを実効的に支配しているのはキ プロス共和国ではなくトルコ軍であるとされている。CaseofLoizidouvT恥rkey;1996−VI EunCt.H.R.2216,【hereina氏er]hi2:idou,Para8.53・56. 66FrankSchimmelfemig,Ste払nEngert,HeikoXnobel,himatbLZalSbcibhtibLZiD 風〝Wej弘叩朗月α苫凝血血昂肋ノ伽触感妙8月d肋∽血αβ聯 PalgraveMacmillan(2006),PP.200. 鋪コソボ問題の事実関係についてはMOのホームページ参照。Avanableat, http:〟www.nato.intfkosovofhistorylhtm.(2008年1月5日確認) 67‘Resolution1244(1999),,aVaihbleat http:〟daccessdds.un.org/doc/UNDOC/GEN/N99/172/89/PDF/N9917289.pdf?OpenEleme j堕.(2008年1月5日確認) 68UNMIKのホームページ参照。‘AboutUNMIK,aVailableat http:〟www.unmikonline.org/intro.htm.(2008年1月5日確認) 69EUとコソボの関係についてはEUホームページ参照。’EUKosovoRelations,,aVailable athttp:〟ec.europa.euhnla曙ement/serbia耽osovo/eu kosovo relations en.htm.(2008年
1月5日確認)
で、暫定自治諸機構(ProvisionalInstitutionsofSelfGovernment;PISG)71とのEuropean partnership72の確立を行ってきた。また国連安保理決議1244を実行するための1999年か ら2006年の支援プログラムCARDS73に代わって、2007年からはPre・aCCeSSionAssistance を開始している。74これはEU側から将来的加盟の展望を示されたものと解することが出来 る。つまり、現段階では、コソボに関しては国連内部の議論を反映するよりも、EU自身の 立場を優先したということである。しかしコソボに関しては独立の議論とEU加盟の進度 の関係について今後の動向にも注目する必要がある。 以上の2つの例からEUの「国家であること」の判断基準は飽くまでEUの判断基準を 用いていることが分かる。キプロス問題では国連安保理決議を尊重する一方、コソボの例 を取ってみると、いまだ国家としての地位を国際社会に認められていなくても「将来的に なるであろうという EUの見解」に沿って加盟に向けた動きを取っているといえる。よっ てその判断基準は外的な要因を一応参照するものの、最終的にはEU内部の基準を用いて いる。 ② 「欧州の」国家であること 上述の「国家であること」という条件に加え、欧州経済共同体設立条約第237条は「欧 州の」という条件も加えており、欧州連合条約でもそれを継承している。しかし欧州の範 展望を通じてバルカン半島の国々に安定をもたらすものである。バルカン半島の国々全て が加盟候補国であるとしている。2000年フェイラ欧州理事会にて提案された。“乃e 凪げ甲ea月(わび即〟血β地点古曲0煉劇作∫巳皿8血β班e血瓜拶fp㈱仏ゐ血蜘血Ⅶ(が 蕗e(好打月ぬdr蕗e昭凸か血お盆ep血8月deの〟血皿凰由β触皿dln〝甲e 地肌廓祀料馳血肋細血朗止血鍬血肋町肌雌野郎必衰血払物叩誹鮎血触感Ⅶガ 如(お点月dα)甲e招血Ⅶ血血β触8月d肋eA触A〟班eα)丑。出血βα即eエロeda∫℃ 卯ぬ戯曲ノ躇月血ね女将点灯g〝劇emム軸.7加地祀β御伽甘地e馳肋血8月d A卿虚血叫卯職域凋加喝か奴血血払紺山仰郎皿如闇血如彫.7鮎αⅦ血Aag a血相か卿由dp此p脱点わ班e(わび月dわざ血管a皿血e8月daα血お頭e叩血∫野 点r成撼び躇e皿edf。bβぷ由由月館8月d班eeaゆe血由ぬめ卿e無血扉血血な由Jaガイ agZitzLkzLLdお箸(おbe〟eGistotbe肋D馳teA’’EuropeanCouncilinSantaMariade Feira,19and20June2000,‘ConclusionsofPresidency’,Para.46,aVailableat http:〝ww.europarl.europa.eu/summits/feilen.htm#Ⅴ.(2008年1月5日確認) 712001年5月にUNMKが公布した法的枠組みに沿って、アルバニア系とセルビア系の 両住人が投票で議会議員を連出し、議会から大統領と首相が選出される。 72EUと将来的な加盟の可能性を持つ国家(potentialcandidatecountriy)が締結する協 定。 73CommunityAssistanceforReconstruCtion,DevelopmentandStabilisation。国連決議 安保理決議1244の下で行われたEUからバルカン半島の国々(アルバニア、ボスニア・ヘ ルツェゴビナ、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、コソボ)への支援プログラムで、 コソボに対する1999年からの寄付金は総額11億ユーロとされている。主な目的はインフ ラ整備、民主主義の安定化、法的整備など。 74Pre・aCCeSSionAssistanceは加盟候補国が加盟要件(コペンハーゲン基準)を満たすため にEUがする援助のことであり、EUと加盟候補国が締結するAcceSSionPartnershipによ って決定される。
園は条約上明確に限定されてはいない。欧州に含まれないという理由で加盟出来なかった 例として、モロッコが挙げられる。モロッコは1963年からEUに働きかけ、1969年に通 商協定を結び、また1976年には通商協定のみならずEUからモロッコへの財政支援を含む 新しい協定を結ぶなど、徐々にEUとの関係を緊密にしていった。75しかしながら、1987 年にモロッコが正式に加盟申請をすると、EUはモロッコが欧州の国家ではないという理由 で受理しなかった。76一方で同様に1963年に経済的協定から協力関係が結ばれてきたトル コに関しては、この条件を持ち出して申請を拒否されるということはなかった。771999年 ヘルシンキ欧州理事会にて正式に加盟候補国として認められたが78、交渉の開始までそして 交渉の過程でも、EUのトルコ加盟への抵抗が見られる。そこでトルコが本当に欧州である のか、欧州とは何かを再度検討されるようになったのである。しかしながら、トルコの加 盟の議論と並行して作成された欧州憲法条約(2004年調印、未発効)第Ⅰ−58条では、欧州 連合条約第49条の「欧州の国家」という文言が議論を経ることなくそのまま採用された。 「欧州の」国家とは何かという疑問への答えの手がかりとなるものとして、EU加盟国の 多くが参加する欧州審議会の加盟条件が考えられる。欧州審議会においても欧州の国家で あることが条件として定められている(欧州審議会規定第4条)。80EUで欧州の範囲が争 われるきっかけとなったトルコは、欧州審議会においては1949年に13番目の加盟国とし て加盟を果たしている。81トルコについて議論が行われなかった欧州審議会の地理的基準は、 冷戦終結後に東欧諸国の加盟による拡大の時点で明らかになった。まず1992年6月16日 議員総会レッデマン報告において、当該国が欧州大陸に一部でも位置していれば欧州国家 とみなされるとされた上で、「大西洋からウラルまで」というかつてのフランス大統領シャ ルル・ド・ゴールのスローガンを採用した。82結局1994年10月4日、議員総会本会議に 75EUとモロッコの関係については、駐モロッコ欧州委員会代表部ホームページ参 照。’UUnionEurpp6enneetleMaroc’,aVailableat http:〟ⅣWW.delmarleC.eurOPa.eu瓜/ue marockooperation.htm.(2008年1月5日確認) 76Jacqu6,Sipmnote58,PP.105. 77EUとトルコの関係については、EUのホームページ参照。,EUJnlrkeyRelations,,
availableathttp伽叫relatioI粗re町ht鱒.(2008
年1月5日確認) 78Stpmnote48,Para.12. 79MarianneDony;EmmanueueBribosiaeds.,肋eDimiゐhαMStitutibn(お mh2ibnBbnpd血喝Institutd’EtudesEurop6ennes(2005),pP.100. 80欧州審議会規定の原文については、欧州審議会のホームページ参照。Availableat http:〟conventions.coe.int爪eatv/enPIteaties/Html/001.htm.(2008年1月5日確認) 81欧州審議会とトルコの関係については、欧州審議会のホームページ参照。,Thrkeyandthe CouncilofEurope’,AvailableatMtp:糎vw瑚坤.(2008年1
月5日確認) 82庄司克宏「欧州審議会一旧東欧、ソ連諸国への拡大と『民主主義の安全保障』」植田・ 前掲書15・102頁。おける勧告1247で、欧州の東側境界はアルメニア、アゼルバイジャン、グルジアの3カ国 を含める形で引かれたが、旧ソ連諸国のうち中央アジア5カ国(カザフスタン、キルギス、 タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)は欧州志向がないとして欧州から除 外されることになった。83よって、欧州審議会における地理的条件は①国土の一部が欧州大 陸に属すること、②欧州志向があること、という 2つの条件であるといえる。トルコの国 土がボスポラス海峡以西にも伸びていること、トルコが第一次大戦以降ケマリズムのもと で欧州化政策を実施してきたことから、トルコは欧州審議会の地理的条件を満たしている といえる。トルコの地位について地理的条件から議論が行われてこなかったことを鑑みる と、EUよりも欧州審議会のほうが地理的条件を緩やかに設定していることが分かる。84 それでは、欧州連合条約第49条の「欧州の国家」とは何を示すのであろうか。ここでJean PaulJacqu6は、欧州の範囲を定義する場合に政治的側面を重んじるか、もしくは地理的・ 文化的側面を重んじるかが重要になると主張する。85前者の立場は更に2つに分けられる。 第1にトルコがMO内でその軍事力を以て大きな貢献をしていることや欧州審議会に属 することといった、他の欧州の地域的機構への加盟を基準とする立場が考えられる。第2 には自由、民主主義、人権および基本的自由の尊重といった第6条1の価値を共有してい るか否かという、政治制度を基準とする立場も考えられる。86トルコは第6条1に近づくべ く努力をしておりEUも一定の評価を下してきたが、残る課題も多い。87この立場に沿うと、 国家がいかにこれらの価値に適応するかによって欧州の範囲が変わるということになるが、 EUが地域的国際機構である限り更なる地理的制限が必要になることは明らかである。他方、 地理的文化的に欧州を定義する場合、判断はより曖昧になる。トルコに関しては地理的に も文化的にも完全に欧州であると肯定することも全く欧州ではないと否定することも出来 ないからである。88しかし市民の間ではトルコの加盟に対しての抵抗は強い。欧州の国家の 83‘Recommendation1247(1994)ontheEnlargementoftheCouncilofEurqpe,,aVailable athttp:〝www.coe.am/docs旬ace/recommendation1247.pdf.(2008年1月5日確認) 鋸但し、欧州審議会規定第3条の民主主義・法の支配・人権尊重という実質的要件について は厳格に審査しているといえる。③参照。 85軸mnote33,PP.105.また、EdwigeTbcnyは欧州を定義する基準を①地理的基準② 文化的基準③経済的基準④政治的基準の4つを挙げている。励e,EdwigenICny; 上物臓だpe〟古曲ノ℃肋的eed月ea昆gp卵塔d物eαⅦ加わef肋血ゐ血 ewdttibLZ朋戯軌ね肋和昭uHarmattan(2000),PP.39・41. 郎例えば、mOmaSM.J.M6ners,乃e肋d塩町血戯け巧〉朗月血吻血Ⅶ血鹿a此通or aBhnp朗月蝕加わNovaSciencePublishers(2003),PP.38・40.この基準に対して、外部 への価値観の普及はEU設立の最も重要な目的というわけではないという批判がある。励q SylvieGodard,αⅦ血管ノ助地(お血蝕叩はね血刀β77カ戒Ⅶ戯け巧Jee8月eム℃肋
的ゐ刀月eゐ臓物hPouvohno.115(2005),pp.146.
87ZiyaOn毎,肋郎血月物血ぬma血朋ノ伽ga。αa瓜叫卵お盆e馳おご7均せU鹿血tibLZS血tbepdgt地軸inAliGarkoglu,BarryRubineds.,
TurkeyandtheEuropeanUnionDomesticPoliticS,EconomicIntegrationand InternationalDynamics,FrankCaSS(2003),PP.14・16. 軸地理的にも欧州大陸に一部属しており、文化的にもアルファベットの使用を初めとする具体的基準を明確にしないのは、トルコの持つ地政学上の重要性89と政治的基準、または地 理的・文化的基準による抵抗の間のジレンマの表れとも言える。欧州審議会やMOがト ルコを「欧州の国家」として加盟国たる地位を認めてきたのに対して、EUでは正式に加盟 候補国たる地位を確立された現段階でもまだ議論が残っているという点ではEUはこの基 準においても独自の判断基準を模索しているといえる。 ③ 第6条1の諸原則を遵守すること この3つ目の条件は欧州連合条約第6条に明記されており、全ての加盟国に共通する根 本的な価値である。そうである以上、EU側はこの条件がきちんと満たされていることを 加盟候補国になる前に確認する必要がある。90この諸原則とは、「自由、民主主義、人権、 および基本的自由の尊重ならびに法の支配の原則」である。しかし、1992年のマーストリ ヒト条約ではこれらの諸原則は加盟要件に含まれておらず、上述の2つの要件のみをECC 条約第237条から継承しただけであった。91よって1999年のアムステルダム条約第F条パ ラグラフ1で初めて条文として挿入された。よって第四次拡大までの9カ国は、形式的に は現6条1の要件を課されずに加盟を果たしてきたことになる。アムステルダム条約はポ スト共産主義国の第五次、第六次東方拡大を意識しての改正だが、これらの国家のEU加 盟に際しての実質的要件、いわゆる「コペンハーゲン基準」は1993年の欧州理事会で既に 示されていた。92コペンハーゲン基準の政治的基準では第6条1の諸原則に加えてマイノリ ティーの保護も含まれるが、それについては2・bで詳しく述べ、ここでは第6条1の諸原 則がいかに形成され、条約に規定されるまでは加盟候補国にどう影響を及ぼしてきたのか について説明する。 これらの原則が最初に示されたのは、権威主義体制下にあった南欧諸国に対する実質的 加盟条件としてであった。具体的には1962年欧州議会におけるビルケルバッハレポートで、 民主主義と人権と基本的自由を尊重する国家のみが共同体に加盟出来るとされた。また、 1973年12月14日のコペンハーゲン首脳会議では「欧州のアイデンティティーに関する宣 欧州志向が見られる。鹿qR6miBrague,WesLacoste,Jean・ChristopheⅥctor;Ren6
R6mond,Salom6Zourabichvili,HannoSoans,Ll軌叩ちqZL血触触?
Culturefrance(2006). 891999年3月から6月にかけて行われたMOのコソヴオ空爆でトルコが大きな役割を 果たし、欧州の地域安定化にトルコが貢献してきた実績がある。八谷・前掲註20・74頁。 励ea励DiderBullion,ム拶AtouLg(おh叫zLeEktdtjbuLtHおhThzquibinPouvoir; no.115(2005),pp.113・128. 90Jacqu6,Sipmnote58,pP.105. 91/J、畑郁「EU東方拡大過程における人権・民主主義コンディショナリティ」『法政論集』 202号(2004)、85頁。ちなみにマーストリヒト条約では前文でこれらの原則について触 れられている。’’・・・CONFIRMINGtheirattachmenttotheprinciplesofliberty;democracy andrespectforhumanrightsandfundamentalfreedomsandoftheruleoflaw;…’,92軸mnote17,POintI.13,PP.13.
言」(lad6clarationsurl’identit6europ6enne)が採択された。93この宣言では、加盟国が 各国の文化の多様性、代表民主制、法の支配、社会的正義、人権の尊重などの原則は欧州 のアイデンティティーの根幹を為し、これらを保護することを確認した。更に1978年4月 のコペンハーゲン欧州理事会では民主主義に関する宣言が採択された。この宣言は欧州議 会議員の直接選挙の導入に関して出されたものであるが、その最終パラグラフで「各加盟 国における代表民主制と人権の尊重と維持はEC(EuropeanCommunities)加盟のための 必要不可欠な要件である」と宣言されている。94同宣言の文言が直接アムステルダム条約第 6条1の規定の基礎になっている。95宣言自体はEC(EuropeanCommunitieS)の制度自 体が民主主義の原則の上に成り立っていることを確認するものであるが粥、その最終パラグ ラフは加盟国申請国内部での諸原則の遵守が要件とされている。実際に同様の表現がギリ シャやトルコの加盟申請への意見で用いられている。97 EC(EuropeanCommunities)はこれらの諸原則の下、ギリシャ、スペイン、ポルトガ ルの権威主義体制はECの価値観に合わないとして、3カ国の加盟交渉は進まなかった。例 えばギリシャは1962年からECと連合協定(AssociationAgreement)を締結していたが、 1967年の軍部によるクーデターを受けてEC側は協定を凍結した。98また、スペインは1962 年に加盟申請を行ったがフランコ政権下にあったため、門前払いを食らった。3カ国は民主 化への移行99と共に加盟交渉が進みかけたが、今度はEC(EuropeanCommunities)内部 との経済格差を埋めるため技術的・物質的支援を通じた構造改革を進めることとなった。 最終的にはギリシャ1981年に、スペインとポルトガルに加盟することとなった。以上から 第三次拡大の時点で既に第6条1の諸原則と同様の条件が求められていたといえる。しか し同時に①と②の要件に加え民主主義と人権の尊重が遵守されると当然に加盟国としての 地位が保証されるわけでもなかった。 前述のとおり「自由、民主主義、人権および基本的自由の尊重ならびに法の支配の原則」 という文言が条文として規定されるようになったのは1999年アムステルダム条約第F条に おいてであったが、それはポスト共産主義国の加盟要件としての意味合いが強かった。し 93‘D6clarationsurl−identit6europeenne’,BuLh?血(わざα皿皿ZLnautdgeuLYPeeWBe鼠 D6cembre1973,nO.12,PP.127・130.
94伽note17.
95BrunodeWitte,Tne如actofu瑠ⅧeDtmtbeα旭StitutibnoFtbe的eaB
LhZjbL2,inMariseCremonaed.,TheEnlargementoftheEuropeanUmion(2003),PP.229. 96EC/EUにおける欧州議会の役割と民主主義の赤字の議論については以下参照。PaulMagnette,血蜘ejも的ueゐnhjbnEbnpdbnBe,PressesdeSciencePo(2006),pp.
149−176. 97deWitte,Sipmnote95,PP.229. 98BasiliosTbingos,Lh2(ね廟肋ocmg:乃e」訊肌pea〟α皿muBjb,aBd伽eqin LaurenceWhteheaded・TheInternationalDimensionsofDemocratizationEuropeand theAmericas(1996),PP.317. 99ギリシャは1974年に軍事政権が崩壊、スペインは1969−75年の前段階を経て1975− 78年に民主主義への移行、ポルトガルは1976年憲法改正でECとの関係正常化し1986年 文民大統領の選出で安定化した。かし、それと同時に第6条1がEUの基本的価値を表現するものであり、加盟国も当然に 拘束する。その手続きがアムステルダム条約第Rl条の加盟国に対する制裁として規定され ていた。その内容は第F条パラグラフ1に掲げる諸原則の重大かつ一貫した侵害の存在を 全会一致により認定することができ、認定されれば一定の権利の停止を特別多数決によっ て決定することができるとされていた。ところが1999年にオーストリアで誕生した新政権 が人権侵害を引き起こす恐れがあるとして、オーストリアを除く14カ国は欧州連合とは別 の枠組みでオーストリアとの二国間関係で外交制裁措置を行った。100これを受けて2001年 ニース条約では新たに第7条1で「構成員の5分の4の多数決により、加盟国による第6 条1に掲げる諸原則の重大な侵害の明白な危険性を認定」できるとした。よって第6条1 の諸原則の遵守は加盟候補国のみならず加盟国も拘束する手続きが確保されていることが 分かる。更に欧州憲法条約では第1部第9編を「連合への帰属」と題して、連合への加盟 要件と手続き(第Ⅰ・58条)、加盟国の一定の権利の停止(第Ⅰ・59条)、自発的脱退(第Ⅰ・60 条)の3つの規定を含んでいる。これは連合の基本たる諸原則の遵守が加盟国の地位に関 わることを明記し、それらの実効性を高めるためである。101オーストリアの例や欧州憲法 条約での議論からすると第6条1の諸原則の遵守が加盟後であっても「加盟国であるため の条件」として求められている、もしくは将来的に求められるであろうとも言うことが出 来る。しかしながら、冷戦終結後の東方拡大で加盟候補国に課されるようになったコペン ハーゲン基準では、EU内部の実行との区別がないとは言い切れない。以上の点については 後述する。 ところで、欧州連合条約第6条1と対比されるのが、欧州審議会の加盟申請の条件であ る。欧州審議会規定第3条によれば、「法の支配、人権、基本的自由が国民によって享受さ れていること」が条件になっている。これらの価値を保護するべく、EC(European Communities)と同様にスペインおよびポルトガルの加盟は両国の権威体制主義が終わる まで認めなかった。102また、ギリシャは軍事政権のため1969年から74年まで欧州審議会 から脱退させられ、トルコもまた、軍事政権のため1981年から84年まで一定の資格を停 止された。103つまり欧州審議会は第3条にある諸原則の遵守については加盟候補国のみな らず加盟国に対しても厳格に審査しているといえる。それは逆に諸原則を遵守してさえい れば門戸を開くということであり、権威主義体制の終了から加盟までの時間が短いことか らも確認できよう。 100励ちMichaelMerlingen,CasMudde,UlrichSedelmeier;me御taBdtbe 御由0打βア風叩e8月触ら肋錯よお肋8月d虎e鹿部血ⅦβA押通βfAびβ血料h JournalofCommonMarketStudies,Vbl.39no.1(2001),PP.59・77. 101Donyetal.eds.,軸mnote79,PP.97・103.また同コマンテールでは、第1部第9編に 3つの規定が含まれてたことのもう1つの目的として、マーストリヒト条約の批准が難航し たのを受けて、条約に批准しないことと加盟国たる地位が奪われることを暗に結びつける ことも挙げられるとしている。 102スペインは1977年11月24日、ポルトガルは1976年9月22日加盟。 103庄司・前掲註82・94頁。
しかし、EUの民主主義、人権の尊重といった条件を課すのは腐敗の防止や司法府の正常 な機能といったEUアキの実施の制度の整備を促すためであり、欧州審議会のように生身 の個人の救済が本来の目的なのではない。104実際に1997年から2002年の間にEUが中・ 東欧諸国に指摘した問題点の数は、腐敗48件、司法府の機能45件、行政・公務員制度28 件であるのに対し、ロシア語話者少数者12件、孤児院または児童ケア5件と個人の権利侵 害を問題とした件数のほうが少ない。以上の点からも必ずしもEUと欧州審議会が同じ基 準を用い、同じタイミングで加盟を承認するわけではないことが分かる。 以上のようにEC(EuropeanCommunities)の慣行として、第6条1の諸原則の遵守は 条約で正式に規定される前から「欧州の」「国家である」という2つの要件と並んで加盟の ための必要条件であり、その判断基準は厳格なものであったといえる。しかし同時に、欧 州審議会のように加盟のまたは加盟国たる地位の十分条件にはなっていないことが分かる。 以上から、第49条の形式的要件について2つのことが言える。まず第1に、EUが他機 関、特に欧州審議会と国連の基準と一致したりそれら機関の決定を参照したりするが、最 終的にはEC/EU独自の立場で判断してきたということである。コソボを国家と同等に扱う ことや、トルコの欧州の国家たる地位について議論が起こることが典型的な例である。第2 に、条約上で明文化されていない基準も適用されてきたということである。「欧州の」「国 家である」という基準についてはローマ条約から規定されていたが、第6条1の諸原則に ついては南欧3カ国の加盟がかかった状態で初めて加盟要件になることが示された。さら にそれらが条約として明文化されるのはずっと先のことである。 欧州連合条約第49条の手続き、要件の概要と例から、遵守の判断や要件の追加はEC侶U の意向、もしくはいくつかの加盟国の意向で柔軟に行っていることが導き出される。つま り、EC侶Uの加盟交渉は「一応」条約の枠内の手続きや要件で進められるが、そうではな いより政治的で柔軟な側面が広いということである。以上のような特徴は冷戦終結後更に 強まることになる。 2 冷戦終結後の手続きと要件 冷戦終結後の東方拡大でEU加盟の手続きは条約に規定された以外の更に複雑な手続き、 要件から成るようになった。劇的な変化の理由は前述のとおり「深化」と「拡大」の両立 にあると言うことが出来る。共同体の価値をほとんど共有出来ていない国々を加盟させて、 今後更なる深化へと向かうために選ばれた手段が加盟の前段階(Pre−aCCeSSion)の強化で あった。第三次拡大までの相違点としては、第1に加盟以前にEC侶Uの政策を実行するよ うにされたこと105、第2に第1の点も含めて条約に記載されている条件以外の条件付けが 104小畑・前掲註91・90頁。 105励e,Maresceau,Sipmnote45,PP.9−10.