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て検証する。

A 事実関係

ギリシャ系とトルコ系の住人がいるキプロスは、ギリシャ統合派とトルコ統合派の対立 が続いていた。1914年に正式にイギリスの占領下に置かれたが、ギリシャ系とトルコ系の 両方からイギリスによる統治への反発が起き、2つの社会の共存を原則とする憲法の下(キ プロス共和国憲法第185条)1960年に独立した。211しかし、両者の対立は絶えず1963年 にはギリシャ系大統領のマカリオス(Makarios)の憲法修正の提案により事態が悪化し、

12月には武力衝突が発生した。2121974年にはギリシャとの統合を目指す武装力がギリシャ 本国の軍事政権の支援を受けてクーデターを起こし、トルコ側はトルコ系住民の保護のた

めという名目で軍事介入を行った。213同年のトルコによる2度目の侵攻を境にキプロスは 南北に分断し、トルコ系が北に、ギリシャ系が南へと住み分けられた。214そして国内難民 がそれぞれ南北に移動した。北キプロスは1983年11月に「北キプロストルコ共和国」と

して独立を宣言したが、トルコ以外の国家からは承認が得られていない。

EUがキプロス問題に着手するようになったのは、トルコとキプロスが第五次拡大に向け て加盟申請を行ってからであった。トルコは1987年に加盟申請を行い、ギリシャ系が政府 を占めるキプロス共和国は1990年にEUへの加盟申請を行った。EUは長い間キプロス問 題に関与してこなかったが、トルコとキプロスの加盟申請、ギリシャとトルコ政府の間の 緊張関係、更に冷戦終結後国際社会の中で紛争解決機関としての新たなアイデンティティ ーを築くことを目標として設定したことを受け、同紛争の解決に積極的に関わることにな った。215

B 他の紛争解決機関とEU

キプロス問題には、複数の国際組織が関わっており、EUの立場にも大きく影響を与えて いる。キプロス問題については国連と欧州人権裁判所の決定がEU加盟に影響している。

211励e,NiyaziKizilytirek,肋(ね画人btibLZa血andtbe軸ecdv甜Ofbqp血t 物inCahierd EtudessurlaM6diterran6eOrientaleetleMondenIrCO・Iranien,nO.

34(2002),pp.211・230.

212キプロスにおいてギリシャ系キプロス人は人口の8割近くと多数を占める。しかしキプ ロス共和国が1つの国家として独立し分裂を防ぐため、憲法で公の機関において両民族が 平等になるような規定が置かれていた。マカリオスはこの規制をなくし、民主主義に基づ いたほうが効率性が上がるとして、意法改正を提案した。CarlosdeCueto,LaThzquibet l助tmatibDaLkatibLZduconiUtetbiD如ueゐα由喝inP6leSud,nO.23(2005),PP.98.

213トルコは、1960年のTreatyofguaranteeにおいて、キプロス内部の問題に対してイギ リス、ギリシャ、トルコが「国家の再建という目的の下のみで」個別に行動を取る権利を 保持していることを理由としている。

214トルコは北4割を占領している。八谷まち子「トルコのEU加盟と分断キプロス問題」

『論説』第70巻4号(2004)、157・172頁参照。

215deCueto,Stpmnote212,PP.100.

1 国際連合

EUは共通外交・安全保障政策の目標として、「国連憲章の諸原則…に従い、平和を維持 し、かつ、国際の安全を強化すること。」を掲げている(欧州連合条約第11条)。よって、

EUがキプロス問題の解決を促す際も、国連の立場に従うことになる。国連のキプロス問題 への対処として3つの動きが挙げられる。国連安保理決議186の採択、国連安保理決議541 の採択、キプロス問題の解決策の提示である。

まず安保理決議186(1964年3月4日)は、1963年の武力衝突が国際の平和および安全

への脅威であるとして、PKO(UnitedNationsPeacekeepingForceInCypruS;UNFICYP)

の派遣を決定したものである。216UNFICYPの任務にはカナダ軍が3月13日に着手し、現 在ではオーストリア、デンマーク、フィンランド、アイルランド、スウェーデン、イギリ

ス、オーストラリア、オーストリア、デンマーク、ニュージーランド、スウェーデンの軍 隊が行っている。217

次に安保理決議541(1983年11月18日)では、「北キプロストルコ共和国」の独立宣 言を受け、国連加盟国にキプロス共和国以外のキプロス国家を承認しないように要請した。

218これを受けてEUや欧州人権裁判所でもキプロス共和国のみが唯一の正統な国家として 認識している。「北キプロストルコ共和国」を国家として承認しているのはトルコのみであ る。よって国際社会ではギリシャ系キプロス人から構成される政府が唯一の正統な政府と して見なされている。

第3に解決策、特に2002年と2003年に出されたアナンプランの提示である。1964年の 決議採択と同時期に特使を派遣し、対話の機会の提供や解決策の提示を行ってきた。219し かし、武力紛争に基づく分離主義を国連は承認せず、1つの国家としての再建を求める国連 の立場は当事者(ギリシャ、ギリシャ系キプロス、トルコ、トルコ系キプロス)に拒否さ れ続けた。2002年11月、当時のアナン事務総長は新たにスイスの統治形態をモデルとし た連合国家の設立を提案した。つまり、ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人でそ れぞれ独立した州を形成し、外交関係、欧州の統合、通貨政策、移民政策のみを扱う弱い 中央政府を持つことを提案したのである。220更に2003年にはその改訂版が示された。同プ ランはそれまでの再統合のプランの中で最も現実的であると言われた。EUも2002年以降

216 Rresolution186(1964),,aVailableat

htt:〟daccessdds.un.or/doc/RESOLUTION/GEN/NRO/211/44/IMG/NRO21144.df?O e

nElement.(2008年1月5日確認)

217UNFICYPホームページ参照。Availableat,http:〝www.unficyp.org/.(2008年1月5 日確認)

218原文でぽ 偽脇呼¢βa〟βおおβ加古お花函月旦ア伽血fgねお0班紺地8月班e 郎〟肋Orqpmg となっている。軸摺nOte62.

219JamesKerLindsay;EUAαeSmiaLZd〃Ⅳ触把かa毎血伽ms;Palgrave Maem山an(2005),pp.11・22.

220deCueto,Sipmnote212,pP.102.

はキプロス問題の解決をアナンプランの実現として捉えていたようである。

以上のような国連の動きがEUの対キプロス政策を左右してきた。

2 欧州人権裁判所

前述の通り、EUから出される人権・民主主義コンディショナリティーの内容は、生身の 個人の救済が本来の目的なのではなく腐敗の防止や司法府の正常な機能といったEUアキ の実施の制度の整備が目的とされている。221欧州連合条約第49条およびコペンハーゲン基 準における人権・民主主義コンディショナリティーは人権の尊重そのものが目的というよ りも、加盟候補国内がそれらを保障出来るような「よき統治」を促すことが目的である。

しかし、個人の権利の保護といったEUのコンディショナリティーの直接的な目的ではな い案件でも、その解決が「よき統治」につながるであろう個別の問題222である場合にはEU 自らが基準や手段を持たない場合に欧州人権条約ならびに欧州人権裁判所の決定を参考に している。

欧州人権裁判所にはキプロス紛争における人権侵害の事案が付託されてきた。加盟交渉 において言及されてきたのはLoizidou対トルコ223、キプロス対トルコ224、ⅩenidesArestis 対トルコ225である。以上の3件ではいずれも北部キプロスにおけるギリシャ系キプロス人 の財産権が問題になっている。特に1989年に付託され、1998年に判決の出されたbizidou 対トルコでは、その後の2つの案件やEUとの加盟交渉に影響するいくつかの決定を下し た。

まず北キプロスのみの独立は認められないとして国連安保理決議541に従い、「北キプ ロストルコ共和国」の憲法に則って行った正当な財産の没収であるというトルコ側の主張 を退けた。226更に北キプロスにおける欧州人権条約上の権利の保護は、キプロス共和国に

よる実行の確保が困難であることとトルコ軍が実質的支配を行っていることから、トルコ が責任を負うことを確認した。227これらの立場はトルコ、キプロスの両国がECへの加盟 申請を行った時点からECが取ってきた立場と共通するものである。

更に、I,Oizidou事件ではトルコ側に賠償命令が下された。EUはトルコが賠償に応じるか 否かを監祝し、トルコのキプロス問題解決への姿勢と国内の問題と同様に人権保護への姿

221小畑・前掲註91・90頁。

222人権の尊重や法による統治といった基本的価値を共有することが政治的安定につなが り、国境や人権の紛争もそれに従い取り除かれてきたとされる。鹿ちLStrategypaper2002,,

PP.6,aVailableat

http:/kturlex.europa.euAexUriServ/site/enhom/2002/eom20020700enOl.pdf.(2008年 1月5日確認)

223Loizidou,蜘note64.

224CaseofCypruSVLThrkey(applicationno.25781/94)

225CaseofXenidesA陀Stisv.Turkey(applicationno.46347伯9).

226Lozidou,軸mnote64,Para.40.

227励,paraS.52・56.

勢が改善されたか否かを評価してきた。228

その後2つの案件においても欧州人権裁判所は北キプロスにおけるトルコの財産権侵害の 認定と、トルコへの賠償責任を命じた。トルコがいかに欧州人権裁判所に命じられた賠償

責任を果たしていくか、また賠償を通じてキプロス問題への解決に取り組むか、という視 点からEUは欧州人権裁判所の決定と実行に注目してきたということが出来る。229

C EUコンディショナリティーの遵守

以上紛争の背景と他機関の動向を受けて、EC侶Uはキプロス問題に対してどのように関 わってきたのだろうか。また、コンディショナリティーがどの段階で出され、いかなる状 況の下で最も効果を発挿したのだろうか。

1トルコの加盟申請から1999年ヘルシンキ欧州理事会まで

トルコは1987年に加盟申請を行ったが、当時はトルコ国内の政治的状況を理由にEC側 からのいい反応は得られなかった。230他方でキプロスは1990年に加盟申請を行い、委員会 は1993年にキプロスの加盟申請については前向きに検討していることを発表した。231しか し加盟国はキプロスが分断問題を抱えていることから抵抗を示したことも事実であった。

232よってEU●はキプロス問題解決の展望が明確になれば、キプロスとの加盟交渉を開始す ることを告げた。233この時点で、まずキプロスにとって分断問題の解決が加盟条件として 課されていたことになる。しかしその後ギリシャ系キプロス政府とトルコ系キプロス大統 領デンクタシュとの対話は続いていたが、全く合意には至らなかった。

その後紛争解決の交渉は平行線のままであったが、EUとキプロスは徐々に距離を縮めて

228e.gl, 2004ProgressReportofTurkey ,PP.12.

虎毎血We陀ぢ如才の〟似せ地点才物血β月Ofe群亡び由d皿β旦rカ吻e〟由Or班e 属℃協だ砂皿eaかgdr由β吻p叩eかよd仇gf朗よね晶血dr躇吻ゐd血β皿虚血 血皿如把。血胡Cだ孜伽ee調印虚血地eム血わび摺ぶち8g元血刀0町方搾.咋β理 由(㌍7丑e属℃班万化ゐddか鮎上かβ〟eェ,

2292007年の報告書においては、トルコが賠償責任を次第に果たすようになってきたこと

を指摘している。 2007ProgressReport ,pP.12

り作用劇物血β皿創お脚凸か班eJ笥肋血Ⅶdf血血相虚血ⅦaJムび皿8月∫融由 血g加me〟由8月dO〟虎eeズeCび血Ⅶd鳩℃とだ万力吻皿e〟奴

230トルコはギリシャの拒否権発動によって1989年に一度加盟を拒否されているが、1990 年以降ECはトルコとの協力関係を発展させる方向に向かった。励ら1998RegularReport

fromtheComissiononThrkey sprogresstowardaccesSion pp.5,aVailableat

htt:〟ec.euro a.eu/enlar ement/archives/dqke documents/1998/turke en.df.(2008

年1月5日確認)

231KerLindSay;Stpmnote219,PP.20.

232GillesBertrand,伽:thZ軸u肋蜘uepowh偽BdihtzLZVZhzquea

mhZjbLZ」訊〟Weeme,inCahierd EtudesSurlaM6diterran6eOrientaleetleMonde

恥rco・Ira空で,nO・36(2003),pp・166・

233 CommlSS10nOpinionontheApplicationbytheRepublicofCypruSforMembership,,

Document93/5,30June1993.

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