• 検索結果がありません。

英仏穀価に関するツークの比較史的研究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "英仏穀価に関するツークの比較史的研究"

Copied!
19
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

英仏穀価に関するツークの比較史的研究 二〇

英仏穀価に関するツークの比較史的研究

      

 本稿において課題とするところはツークの物価史︵↓oo霧。・麟蓉。qo︷℃二8。。︶中の一四〇一一一七七〇年間の英仏小麦 価格の変動傾向とその変動原因︵とくに、後者︶に関して、その特殊性と共通性とを追考する点にある。ところで、小麦価

格の変動原因に関しては様々の原因がある。e 鋳貨価値の変更 国 両国の戦争と平和 日 対外的・対内的な穀物政

策上の相異 国 金銀の生産と外国貿易によるその世界的配分 ㈲ 季節の変化等が考えられるであろう。  かくして、以上の諸点に着目して、以下に、英仏小麦価格の変動傾向︵の特殊性と共通性︶したがって、その変動原因︵特 殊要因と共通要因︶とに関する彼の論考を考察することにする。  註 ↓8犀Φ︵蝉昌山 り臼Φ≦円口po同Oげ︶︾踏一ωδ蔓。粘℃ユ8の︵餌コ餓oh什げ①ωB什①oh浮①Ω﹃8一讐一〇コマ。ヨ霜88一。。ま︶<<oい.マ<H>   ピOロαO戸 一〇博Qo● ツークは英仏両国の小麦価格史の研究期間を、各期聞中に利用される資料の相異によって、つぎの三期聞に区分する。

(2)

第一期鵠一四〇.一−一五八○年 第二期 一五八一−一七七〇年 第三期﹂七七一−一八五五年  第一期に関しては年々の価格には何等、連続性なく、大戦が偶然的な時折りの価格に依拠しているが、彼は同期闘、英国に関して は、一七九七年に発行されたサi・ブレドリツク・イーデン︵ω一目 閃H㊦匹①困陣O吋 めαO昌︶の﹁貧民の状態﹂︵ω冨冨oh℃ooH︶の第四巻 に含まれた価格表を、他方、仏国に関しては、一八ニ三年にパリーにおいて発行されたスミス﹁国富論﹂の第二版・第二巻における マルキー.ガルニエ︵ζQお三ωO錠三霞︶による小麦価格の叙述を使用する。︵第六巻.三四七頁︶つぎに、第二期に関しては、英 国においては、一七四五年にフリートウード︵bd冨げ。噂閃一8薯。&︶によって発行された一六四六年に始まり、ついで、アダム・ス ミスによって︸五九五年まで逆及されたイートン表︵≦貯︹﹃鶏oH国δ昌日阻三Φ︶と︸八三〇年にプリントせられた小論で、 ロオイ ド氏︵二〇監︶によって発表された一五九五年に始まるオッグスフォード表︵○篠。二日鋤げ一①︶とを使用する。︵三四七頁︶  他方、仏国に関してはローゾワ︵菊。。。畠︶の領主ロノオートル・ダム︵Zo菖①U帥日①︶の僧団の記録所に保管されていたローゾワ ・ア・ブリ︵図。ω畠Φ昌切ユΦ︶の小さい町の記録よりデユ・プレ・ド・サン・モール︵∪口勺冨。。餓ΦGo陣冨鋤霞︶によって、一七四五 年−六年に﹁貨幣論﹂︵両。。ω臥。。霞一①ω蜜8⇒o冨ω︶中に編算せられた一五九五一六年に始まる価格を使用する。 かくして、つぎに、以上の各期閻に採用せられる資料の性格を検馴すれば 第一期 A イーデン表  彼はイーデンの﹁貧民の状態﹂︵第四巻・一七九一年発行︶中の一=一五−一六一九年半の商品と賃銀の蒐集を完全にして正確な編 集であると賞讃して使用する。︵なお、彼はマクファソン︵自国O℃ぴ①錺◎口︶の﹁商業年代記﹂︵︾§禽甥。帖Oo臼§角8︶を︸=一五 −一六三二年間の価絡の優れた蒐集として、多くの点で、イーデン表に劣らないものとして賞.讃する。︶  イーデンは、その序説において、一=一五−一六一〇年の期闘に間して.いう。  ﹁価絡表は数個の障害より全ぐ自由でなかった⋮︵ときとして︶それらの価格は一般に高価と飢鐘とにおける価絡であり、あるい 英仏穀価に関するツークの比較史的研究 一二

(3)

   英仏二二に関するツークの比較更的研究       ニニ は、特別.の安価な年における価格であるにすぎない。それゆえに、平均・普通価格の正確な基準ではない、使用される基準の容量を 確定し、また、価格がとられる場所を指摘することは、しばしば、不可能である。  ﹁一二世紀より一五世紀まで英国の混乱の状態において、島国の異なる部分聞における交易は阻止され、,良い道路の欠如・無思慮 な農業制度・対敵する貴族の荒廃的な襲撃等は、しばしば、穀物の不足する王国の一部に、他の地方の豊饒な生産物を供給すること を妨げた。  ﹁穀物の価格が市場で売られる価絡か、古代において小作が現物地代の代りに彼等の領主に支払った額−それは、常に、市場価絡 以下であったが一かを区別することは困難である。﹂︵三四八一九頁︶  ところで、ツークはイーデンの価格表はその取引の当時の貨幣によって表示されたものであり、彼は、それを、一七九七年当時の 鋳貨基準に換算しなかった。しかし、一五五三年以来、英国銀鋳貨は金属の数量と品位とに関して、その内在価櫨において均一であ り、それ以後修正の必要はないという。︵三四九一五〇頁︶ B ガルニエ表  三論のごとく、それは、一八二二年パリーにおいて発行せられたスミス﹁国富論﹂のガルニエのフランス版︵第二巻.一八三頁︶中 ﹁=ニー一八世紀間のパリー容量の小麦のサテイエ︵ω①島ΦH︶の価格の表﹂として、その相場は﹁現実の貨幣で評価された価格﹂と してのべられている。ガル当切は一二〇二年より 七八五年まで、この表を経続するが、ッークは一七七〇年まで、この表を使用す る。  ガルニエはいう  ﹁フランスにおいて、若干の穀物価絡表を発表した。最も最近のものは、尊敬すべき﹁商業差額論﹂︵一①ゆ巴碧8匹①Ooヨ日①零①︶ の著者︵故︶アルヌー氏︵諺30巳︶によって与えられ、彼がメザース︵ζΦ。・。・き8︶の表を模写したというものである。しかし、 一六七四−一七六三年の期聞が経過したと解せないメザースの表はパリーの市場で売られた︵比較的︶良質の小麦の価格表であり、 この市場の価絡は、とに角、季節の作用と商業の自由な作用の自然の結果ではなかった。大高価の年には、政府は1権力の介入の 中に起った価格H非常に安い相場へ首都の市場の内部の穀物の価格を維持するために特別の方策を使用した︵ということを知ってい る︶﹂として、一例を挙げ、一六九四年置大高価の年における﹁これらの大都市の各々の市場の価格の低下は候乏の重荷を緩和せんが ために、そうして、彼等の被統治者を一層、耐え忍べるようにせんがために、それらの都市の長官によってなされた特別の消費の結

(4)

果であった。小麦の価格がメザースの表に示めされた金額以上に非常に上昇したということは、か\る時期の記念物のすべてによっ て証朋せられる。ラマール︵い印旨旨崇①︶は、彼の﹁警察論﹂︵日出蝕3山①一①℃9一。⑦︶︵第五巻第四節第=心胆︶申、パリーへ小麦を到 着せしめる仕事のために、とられた手荒な方策−農民と商人の家を捜索せしめ、消費必要以上の食糧の貯をもっているのが発見され たすべての人を嘗め、調べる責任をもたされた吏員の派遣をのべている。﹂また、同様の方策は一六九八年にも採用せられた。﹁か、る事 柄が価値の自然の法廷より全く独立した事情によって明白に引き起されだ過度の高価な年は取り去られた。それは、 一七八八年まで 経続した。たんに食糧の現実の稀小によって生じなかった一七八九年の有名な高価・一七九〇年のアッシニア紙幣︵︾。・。。凶αqコ象︶が価 値の名目的な報告につづいて投げ入れた混乱、また、食糧の価格が市民の困窮と1一八世紀の残りのすべてのあいだ王国を荒廃させ た一対外戦争とのか\る長い連続の聞に受けた急激な急騰する変化とは、歴史に所属し、政治経濱に関する冷静な瞑想に所属しない 大事件である﹂と。︵ガル二二編・国富論・第二巻・一七九頁・第二版・一八二ご年︶︵三五〇i一頁︶  ところで、ツークはガルニエの表に関して、資料、とくにその初期の部分の資料を獲得した源泉に関して、何等、詳紬な叙述を与 えていないと、彼を批判するが、他方において、彼の表はパリーのサティエの古い容量でのべられているが、古代の価格が近代のフ ランスの貨幣︵ヰき。。。・8艮㎝︶に、すべて、換算せられているという長所をもつとして−古代の価絡の正確性と鋳貨の換算とを受け 容れでいる。︵三五二頁︶ 第二期  第二期の英.国に干しては、ツークはイートン表︵芝言口。。o吐。吐国8馬取筈①︶とオックスフォード表︵O篠。巳↓鋤窪①︶とを使用す る。 A イートン表  イーデンはイートン表の構成方法に関して、つぎのごとき説明を与えている。         ﹁ウインドア︵妻言儀。。自︶の価格はデデイデイ︵∪芝露匙畠−通告節一三月二十五B︶とミカエルマス︵ζざ冨巴8霧ーミカエル 祭一九月二十九日︶とより構成せられ合計せられ二分の一がその年の通常価格にとられる。租税は麦芽の価格より差し引かれる。  ﹁⋮⋮それらは最良質の小麦や麦芽であり、ウインドアのブッシェルは九ガロンを含むがゆえに、これらは決して、穀物の平均あ るいは中位の価格の真の状態を与えるものではない⋮⋮  ﹁︵それは︶標準容量を超すブッシェルの差等の九分の一だけ、そして、残余より九分の一以上を差し引くことによって正確に、そ 英仏紙価に闘するッークの比較史的研究 二三

(5)

英仏穀価に関するツークの比較史的研究 二四 れより見出され得る。即ち、パンに適する凡ゆる小麦の価値は、もし、混合すれば、最良質の小麦め価値の九分の八となる.であろう し、同じ割合は裸麦にも想定されるかも知れないというこどが明白となる。﹂︵ω880h℃oo唇一く・勺■算×︶︵三五ニー三頁︶  すなわち、一五九五一一六四五年の価格はアダム・スミスより得られるが、イーデンは八ブッシェルクオーター当りのウインドア 価格より、通常・平均質の小麦の価格に到着するために、なお、九分の一だけ差し引くべ・きであるという。︵三五四頁︶  かくして、ツーク.はイートン・カレヂ︵国8ロO鋤=濃①︶の記録係エドワード・ブラウン氏︵国鮎芝鷲鳥bd﹃o薯口︶によって.穀物に関 する一八一四年の議会に提出せられた表を使用し、一五八OI一七七〇年間の全基準をウィンチェスター八ブッシェルの基準に注意 潔く換算した。︵三五四頁︶ B オックスフォード表  オックスフォード表は一五.八三一一七七〇年までの期間を含む。 ℃託。①。。o貼Oo触目貯O臥。雪雲昏①び£言切昌αqo国母①=昏O①雪白q一節コ自巴6・oヰ08島①団①錠8c。08跨Φ胃①ωΦ葺口日①︸び同 国①<・ぐ∫国い一〇団Fζ.︾.ωε山Φ昌。幽Oびユ簿○ず二面orO改oa一。。こρρ  ツークはロオイド員によって、毎年のデデイデイとミカエルマスとの両日の価格の平均を使用するとして、広い考察範囲を含むも のとして、オックスフォード価絡はイートン価格よりも一層権威のあるものであるということは全く確実であるという。 ︵三五五 頁︶  なお、両短絡表はエリザベスの一八年法律第六号︵一五七六年︶に依拠して大学学寮の地代を調整するために構成されだものであ る。︵三五四−五頁︶ C pーゾワ衰  サン・モール︵ω汁竃弩同︶のpーゾワ表は﹁一五九六年以来、現在まで、即ち、一七四五年まで、pーゾワ・ド・ブリ︵図。ωo団偶Φ bd?@︶で販売せられた最上質の小麦とカラスムギのサティエ︵ω¢臨興︶の価格である。︵三五五頁︶  ﹁サン・モールのFfゾワ表は各年の四ケ日、即ち、一月・四月・七月・十月の最初の市場日の相場の平均であるが、それはサン・ モールによって、もとの貨幣価格で与えられている。したがって、pーゾワ表の︵ウィンチェスター八ブッシエルクオター当り︶英 国の.等価物を示す点で、英仏両国の鋳貨の相対価値に関する一五九六年と一七四五年との聞における変化に適切な改正を与えるこ とが必要となるが、ポークトン︵勺9仁08=︶は彼の﹁度量衡学﹂︵.一竃①#oδσq一〇、、︶︵八九七一九〇.三頁︶申、一千重要−一七二六年聞

(6)

第一表

英仏小麦価格変動表(1401−1770年)

間︶

 期

 一

 第

期︵

年年年年年

00000

12∩04占5 44▲444乙 一一一= 年年年年年

O1234^

44,44.4轟 イングランド(イーデン表)ウィンチェスター .クオーター当り小麦価格

十ケ年

平均価格  +一+﹁    ラララ

S576115

 一一一一一

d76114

  ︵︵︵︵ 期  間 平均価格

 s d

7一 1 1451年一1460年 1461年一1470年 147]年一1480年 1481年一1490年 ’491年一1500年(r)6−4

m

  2   一   6   ︶ 1ート.く一1

0304.

==

医JrD86・ ︶︶︶︶、 一+十一 ︵︵︵︵, 1501年一1510年 1511年一1520年 0/8 rOQノ ︶︶ 一+ ︵︵

1865年

等  価

 s d

14一 O 10一 O 同表上の

欠年数

13年 14年

A誌1螺;淵lll澗F㍊

16年 同表上の平均 価格超過年数 9年 9年

雛一1羅il詔=ll1

1551年一1560年 P(一)14一 7i

B論客灘]闘∴il二;1;二l

1571年一1580年1(+)22−0         1 17年 3年 lI年 (第二期) 1581年一1590年 1591年一1600年 16e1年一1610年 1600年一1620年 1621年一1630年 1631年一1640年 1641年一1650年 。 X・一一’’’””’””’””  1651年一1660年 1661年一1670年 1671年一1680年 1681年一1690年 1691年一1700年 1701年一1710年 1711年一i720年 172]年一1730年 1731年一1740年 1741年一1750年 1751年一1760年 DX一・一・..”..””..”.  1761年一1770年 イングランド・ウィンチェスタークオーター当り 小麦価格 ス表 クド ツー オオ 表 ン ト [ イ

s 91掴

43一 21(十’)31−11    L (一)33一 8 (+)36一 7 (+)40−2 (+)48一 8 (一)29一 6 (十)34−10 (+)37一 5 (十)42−Il イートン.表 期間平均価格

  s d

43一 2 (一)35一 2 (+)44−5

    E

(十)60一 2[(十)46一 7 (一)43一 71(一)38一 9 (十)51−10 (+)44一@2P(一1一)41一 3i(一)43LIO (一一)43一 sl(+)40一 61 〈m)33−i.ol〈一)32一 ol (+)49]+)47一 Oi(一)4卜7 一均 フ平 ス間 ク期 ノ表格 オド価 d S 26一 7 (+)32一 2 (+)30一 2  価 フ均数 ス平年 ク四過 ツ表超 オド格

・年齢95

(2年欠年)  1608. 12 5年3.4.7.

 年

  1622. 3 5年30.1.   7年       1647. 8 U4’jlil’”EiiB撃??堰^/・gP6,i     1 .     1      コ      = 1661.2.      5年74.89 (一)40−10m=’”犀””’ (.)39_615年}ll聾 EBgg:,?IE.一),g?: gli,一)3g一 o g一?37一 4g一)36一 2i/ 1二l19二,8il二llliii Zi(.)33−6     r ”’ ’[ (一)36一 5 (一)32一 O

    1   1

(+)38−ll!(一       )27−IO       ____._..___L_._.__  1708. 9. 6年10.11.3

 5年

 ]725. 8. 5年9。36.40

 年

         il”JIII’’’”14 (+)42−7 v(+)42−nl(+)40−4(+)40一r 6年1757.8.     1 ””””””’”堰f・・65. 7. s...       70年 フランス(ガルニエ表)小麦の平均価格

灘雨露烏山

d64203

 二一=

S12716278

         [++︻   ︵︵︵︵ Francs

 7二79

 4−58

 10−17  16−84

 5−16

期  間. 平均価格

 s d

12一 3

098rDl

==一

74只︶9rD ︶︶︶︶︶ 一一+十一 ︵︵︵︵︵   F 4−311 3一 o1 3−551(一) 6一 7 5−871 5−6g)

E±3g:a g:gz

    l,

同表上

の欠年数 27年 17年 (+)15一 9 (+)19−1 (一)15一 2 10−38 11−94 9−56 (一ト)13− 3   13年 17一 3 31一王 37一 1 13−82 Sg:37,i    l (+)28一 6 3年 同表上の平均 価格超過年数 9年 13年 21年 11年

フランス小麦の平均価格

全フランス  (ガルニエ)

  s d

  33一 4 (+)71−3 (+)29一 3 (一一)29一 2 (+)38一 2 (+)39−8 (+)46一 O (+)46一 2 (十)47一 5 i(一)34−10 i(一)33一 4 (+)52一 8 (一)39一 9

L

(一)34一 1 ローゾワ表  全フランス (サンeモール) 期間平均貿格

s d

46一 4

s d

52一 3 (一)30一 1 (一)29一 7 (+)40一 7 (+)43一 8 (+)45一 O (+)46一 2 (+)47一 2 (一)35一 O (一)29一 2 (+)39−0 (+)46−0 ローゾワ表 期間平均疲格

std

46一 4 (一)29−10 (+’)42一 2 (+)45一 7 価格 ス価 ン均数 ラ平年 フ中過 全格超  1591. 2. 6年5,6.7.8

 年

(5年欠年) (一)33一 6 (+)46−3 (一)39一 5 (一)36一 1

購ヨ襯≡1

k+)26一、

i

I(+)29一 1 ii ・年鷹年  162 6. 7 4年31.32

 年

1643. 4. 7年9.50.1.  2.60年 (一)41一 21 (+)43一 O (一)36一 6 (一)41一 1 (一)39−10 (一)37一 8 (一)28一 4 (+)32一 6 (一)27一 7  1661.2. 5年3.4.79

 年

 1685.93 6年4.8.9.  1700年  1701. 9. 5年10.3.4

 年

 1724. 5. 5年39.40.1

 年

 1752. 4年68.9.

 70年

Tookes’ History of Prices, VOL. V・1. P. 396 PP.397−399. P.404.  註1 (十)(一)(∼)は,各々,上昇,下落,不変を意味する.  註1[.A. B. C. D線は価格変動線を示す. PP.414−5. PP.422−436

(7)

  のフランスの鋳貨の変化に関する叙述とともに、ローゾワ表を利用し、彼が著作した一七八○年当時の貨幣に相当する価格にサン・   モールによって与えられた価格を換算するのみ努力した。︵三五六頁︶

 以上において、彼が使用する価格表の源泉と性格とを考察したが、彼は一四〇一−一五八0年間の期汚血、価格を示さ

ない年数は重大な困難を示す程大ぎいものではないとして、価格の存在する年数を計算するが、一八○年間に英国は一三

四年、即ち四分の三、仏国は一二〇年、即、三分の二の価格が存在することとなる。 ︵三九六頁︶かくして、いま、ここ に彼の一四〇一一一七七〇年間における小麦価格の変動傾向を示す表を引用し加工すれば、第一表のごとくである。    とくに、ツークはローゾワ表は古い容量、即ち、パリー容量︵ω①一一①同 α① ℃餌目一ω︶で、また、本来の貨幣で与えられているがゆえ   に、二つの搬算 e、パリー容量をウィンチェスター八ブッシエルクオターに換算し 口、本来のフランス貨幣︵い守HΦω日。口巨9伊   ω。すUΦ三霞¢︶を現在のスタリング基準、とくに、一五六〇年に英国において制定せられたと同じスタリング基準に換算すること   が必要であるという。 ︵四一四頁︶    かくして、フランスの小麦価格に関しては、︼八二二年の英工匠基準への換算がなされているが、他方、イングランドの小麦価格   申、一四〇一i一五五〇年間におけるそれは、前者に換算せられていないがゆえに、こ∼に、当時の価格の現在における等価を示せ   ば、第一表記載のごとくである。︵同期間におけるフランスの小麦価格と対比せられよ。︶  かくして、いま、両国における小麦価格の変動傾向を考察すれば、以下のごとくである。   〇 一四〇一−一五八○年間       ね  た  へ  ぬ  へ  り  ぬ  も  も  も  う  も  も  も  で  ヤ  も  も  ゆ  セ  へ  も  も  あ  あ  も  ろ  た    ,﹁一般的に⋮⋮英国における小麦の価格は一四〇一年より一五一〇年まで下落し、一五一〇年より一五六〇年まで、当時の鋳貨の       ね   も   セ  ミ   ヤ  も   た   ヤ  も   も   も  ヤ   も   も  も   る  カ   た   も  ヤ   も      ミ   も   し   る      も   も   ヤ  も   ヤ   も  も   も   状態によって証明が著しく損われ、決定的な上昇の第一の表明は一五七一一八○年、あるいは、一五六一−七〇年であり、当時、生   じつ∼あった価格の真実の上昇傾向は直接に、それに先行する期間の価格を一〇〇%も超過したということを知る﹂と。︵四〇一頁︶    他方、フランスにおいても、価格の過程はイングランドにおけると実質的に同一であった。    カ   ヤ   し  ヘ   ヤ   も  し   で   も   ヤ   ぬ  ヘ   へ   う   へ   も  へ   ね  へ   も   へ   ね   も  る   も  へ    一四〇一年より一五〇〇年まで一〇〇年聞、漸次的な下落があった。一五〇一年より一五六〇年まで漸騰一そして、フランスにお        も   ら   も   へ   ぬ  ぬ  も   へ   ぬ  カ   し  た   へ   ぬ  も   も   も  も   カ   へ   も   も   いては、イングランドにおけると同様に、価格の、繁一の決定的な上昇は一五七一i八箇年闘に起った。一四〇一年と一五〇〇年との 英仏穀価に写するツークの比較史的研究 二五 〆

(8)

   英仏七堂に関するツークの比較史的研究       二六 間における漸次的な下落の中断は一四二一年と一四五〇年の三〇年間であった。これらの十ケ年の第一において、価格はフランスに おいては二倍となり、これに反して、イングランドでは同一・面体的にとどまった。一四三一年と一四四〇年との聞において価格は、 また、殆んど、フランスで二倍になった。しかし、一四四〇年と一四五〇年との問に殆んど七〇%下落した。︵四〇二頁︶  かくして、彼は同期間における両国の価格の傾向を比較していう。

 二二的帰結として、両国の価格には各々に関して、一見して、その正確性に疑いをいだく程、大ぎな、また、時間上

の遅れの相異はない。反対に、二組の結果には合理的で充分な一致がある﹂と。 ︵四〇二頁︶   ロ 一五八一i一七七〇年聞       、    し  も       ヘ  へ   も   も   ら  ら   も  も   も   も   ヤ   ら  も   し   へ      し  も   も   う    英国においては、オックスフォード表とイートン表は小麦の価格が約一六四〇年頃まで、漸次上昇したということを示している。   即ち、一六四〇年に、それは一五六〇年の改鋳鋳貨で当時表明せられた一五六一1七〇年の相場以上に二〇〇%も高い価格に達し        ヘ   カ   ヘ   カ   へ   ぬ   も   む   し   し   も      ね   し   カ   ヘ   へ   も   た。両立は、また、一六四〇1一七五〇年聞、小麦の価格が、ζれらの初期に起った相場の約二〇%方下落したということをともに        で   し  も   ミ   カ   さ   も      る   し  も   も   カ   し   ぬ   ヤ   示している。一五八一−九〇年以後の最低の一〇年平均は一七四一−五〇年であり、一七五〇年以後、価格は急激に上昇した。︵四〇   二頁︶       も  ヘ  ヘ  ヘ    フランスにおいても、戸ーゾワ表と一般表とは英国と同じ蘭書申にのべられた結果と同じである。即ち、フランスにおいては最        ヘ   ミ   た   ぬ   あ   ヘ   ヘ   へ   も   ぬ   ぬ   も   も   も   へ   う   も   う   し   ぬ   高価格は英国よりも約二〇年高の一六七〇年まで到達せられなかった。しかし、一六七一−八○年より一七四一−五〇年まで、英国        ヘ   ヘ   へ   し   ね   へ   も   ミ   へ   おけると同様、フランスにおいて漸次的な価格の下落があった。しかし、フランスにおいては、一七一ニー五〇年間における平均価   格は英国におけるよりも著しく低かった。︵四〇三頁︶   ところで、ツークは﹁貨幣価値測定方法﹂︵︾器]≦⑩些。匹Φ℃o岳日臨信二二すく巴①弩匙①一、︾蹟Φ耳︶という一八五六年五月の﹁経済  掌雑誌﹂Q自窪目匹①ω国80日巨①ω︶中のラバソール︵︻㌧①<鋤のQゆΦ口同︶の論文を引用し、再審の︵一月・四月・七月・十月︶四つの相場  を提供する1一五二〇1一六三〇年間のパリーの市場︵団9。=Φ︶における最上質の小麦の価格の表を掲げ︵第二表参照︶   表中、一五〇〇一二〇年間は銀鋳貨の一九八八サーテイグラム︵O①罧凶αq轟ヨ日8餌①一.︾周σq①三月冒︶ であるが、それは二〇ケ年中  唯、一〇ケ年の価絡平均である。これに対して、一八四六1五五年は一五、三六一サーテイグラムである。ツークは以上の表より価格  の上昇は一五六〇一六九年目で決.定的に現われず、価格は一六三〇年までに、最高点に達し、一五二〇年より一六三〇年までの上昇は

(9)

第二表パリ・一市場に二おける最良質 小麦の価格   (1520一 : Levasseur) 価格 価格}期聞 期聞

期聞1価絡

22, 775 12, 215 13, 587 19, 400 信器年

綿年

1610    年 1619 悟ll年 9, 116 11,474 12, 446 揖ll年

鷲年

翻意

越年ill川2

5, 053 5, 495 5, 555 6, 073

脇田

罵卜

書年

選士

5, 536

羅年

註パ11一・ナテイエ当り純銀貨のナーテイグラムの価   格Tooke’s History of Prices.VOL. VI.P.394  以上において一四〇一−一七七〇年間の英仏小麦価格の変動傾向に関して、 で、いま、こ玉に、その特殊性を再確認すれば、 以後一七五〇︵1六〇︶年まで下落するに対して、 るという相異が見られる。然らば、それは如何なる原因によるものであろうか。 の変動原因︵その特殊性と一般性︶を、第一に、アダム・スミスの所論に関してツークが考察するところを論考することに

する。       −

 約二〇〇%であったという。︵三九三i四頁︶

かくして、いま、両期における英仏両国の小麦価格の一般傾向を要約

すれば   e =二五〇年以前を基準として   口 =二五ニー一五二〇年間価格著しく低下。低位。        .  日 一五二〇1一五六〇年間価格不規則。︵但しOに比して高位︶  國 一五七〇年両国の価格の最初の上昇起点。  ㈹ 一五七〇i一六四〇︵一五〇︶年聞。価格急謄。︵仏国では一六七〇年ま   で︶   内 一六四〇︵一五〇︶−一七五〇︵1六〇︶年聞。一月漸低  ㈲ 一七五〇︵1六〇︶年以後。価格上昇︵以上は四〇一頁。なお、第﹁一表   を参考。︶       .        その特殊性と共通性とを考察した。ところ 一五七〇年頃を起点として英国では一六四〇︵一五〇︶年まで上昇し、

仏国では︸六七〇年まで上昇し、以後︸七五〇︵1六〇︶年まで下落す

      かくしてハつぎに、英仏両国の小麦価格 二 アダム ・スミスは﹁国富論﹂第一巻、第十一下中﹁一三五〇一一七五〇年間、四世紀における銀価値の変動に関する余  英仏穀価に関するツークの比較塑的研究       二七

(10)

英仏穀価に関するツークの比較史的研究 二八 論﹂において、その四世紀を三個の不当の期間に区別して、小麦価格の変動を論じている。

日(⇒e

第第第

期期期

 ところで、       一五九五年 以後はイートン表であった。  ﹁フリートウードが蒐雄した価絡は主として異常な高価と安価という点で著しいものであったように思われる。    ある結論 が、それより引き出され得るということを妨げない。  ﹁しかし、ブリートウード彼自身は大低の他の著作者とともに、これら凡ての期聞中︵二二五〇1一五五〇年間︶に、鉱山の豊度の 増加の結果として銀の価値が電着的に減少したと信んじたように思われる。即ち、彼自身無病した穀物の価格は確かに、この主張と 合致しない。しかし、価格はデュ・プレ・ド・サン・モール ︵Uβ勺3。・侮①ω叶竃鋤霞︶や私が努めて説明せんとする価格と完全に合 致する⋮⋮⋮彼等の意見は非常に異っているとはいえ、彼等の事実、即ち穀物の価格に関する限り、少くとも、非常に正確に合致す るということは奇妙なことである。﹂︵竃O ︵︶β一一〇〇﹃ω堕 国匹開け一〇口 O︷ 一cQ口cQ ℃・cDα︶  スミスはサン・モール︵ωδ.ζ鋤霞︶の論文に何等関係しないが、後者はいう。  ﹁︵彼は一七四五年に著作しつ・あったが︶︵パリー容量の︶小麦のサティエ︵Qo①江曾︶は平均価格をとれば、鋳造銀貨のマール︵旨霞。︶ 一一①筥霞。仙.︾茜①葺愉隔日op8器1を産み出したこの三分の一に常に価いした。 ︵一口ニ三年に死亡した︶ブイリップ大帝 ︵℃ぼ一首℃雫︾⊆αq員ω8︶以降、一五二〇年頃まで、サティエ︵Go①島興︶は純銀貨幣マールの価値の九分の一と一般に均合うといってよ い。﹂ ︵︸田ωoD①一 ℃⊂oα︶ ︵三八Ol一頁︶      、  ついで、サン・モールは後期︵一六〇〇一一七四五年︶に関していう。  ﹁穀物の現実の価格を一〇〇年あるいは一五〇年前に彼等が軽いした価格と比較すると一世紀以後、彼等の価絡の約三分の一に、 彼等が英国において実際に減少したのを我々は知る。そして、フランスにおいては彼等は一五〇年以来全く貨幣価値の増大に向はな かった。もし我々が一五九五年まで、そして、それを含めてさかのぼり、我々がこれら全年の価格を混合するならば、それは五二年 一三五〇﹄一五七〇年聞、一五〇〇∼一五七〇年まで価格低下 一五七〇一一六四〇年間、小麦価格上昇−銀価値低下による。 一七〇〇1一七五〇年間、小麦価絡上昇︵三七八−九頁︶ スミスが利用し得た唯一の価格表はプリトウード︵閏一①①件薯OO飢︶のものi=一〇ニー一五九七年1であり、        この点に関してスミスはいう。       しかし、

(11)

  以来一般に三分目一、即ち、一二分の四以上に価いしない、これは、小麦が我々の問で下落したという同じことを証明するものであ   る。﹂と。 ︵国。・ω鉱勺匿ひ。⊃︶ ︵三八一頁︶    〆アダム・スミスは銀が一六三六年より一七七五年まで、一四〇年間、より高価になったと考え、それに関して三箇の理由を示して   いる。即ち    e ヨーロッパの国々において一層、人口過剰となり、その必要と生産の範囲に経続的な増加を加え、−その貿易を新しい広い範囲   に拡大した。    ロ アメリカにおける人口と企業の増大はヨ∼pッパにおけるより・も一層急激であった。    ⇔ 銀の年々の増加量は印度と支那よりの輸入に対して支払われるために必要とせられた。︵三八五頁︶        註    とくに、アダム・スミスが=二五〇−一七五〇年間、銀の価値一物価の上、昇・下落に関して到与した結論は既論のごとくであり、   ただ、こ∼では㈱の点に関して附言すれば    四 銀の価値における下落は一六四〇年頃に絶え、一四六〇一一七五〇年の期聞には銀に対する需要が増加した結果、銀が価値に   おいて上昇し︵物価が下落し︶始めたと信んずべき強力な理由がある。即ち、銀に対する需要増加の原因は人口の増加・生産的事業・   交易等であると。︵三八六頁︶    註 滋賀大学経済学実題悪水三十五年記念論文集﹁ツークの一五・一六世紀英国穀価史﹂参照。︵ッークのスミス批判は後論︶

 以上において、明白なごとく、スミスは、英仏両国の小麦価格の変動原因一その共通原因として銀生産−銀価値−銀貨

価値の変動という局面を重視している。ところで、新世界における銀生産とその世界的配分は如何なる過程を経て行われ

たか。

 かくして、ツークは、小麦価格変動原因として新世界における金銀の生産とその世界的配分、即ち﹁一四九二年のアメ

リカ発見の結果として、ヨーロッパへの金銀の流入と結合する事柄の一般的順序﹂を論考する。即ち、彼は一六〇〇年以

前の期間を四期分に区分し、新世界の金・銀鉱山の平均年生産量・平均年消耗量・金銀の全存在量をヤコブ︵冒8げ︶に依       謹      . 遅して考察する。しかし、この点は既に論考した点であるので、省略し、唯、一表を附し︵第三表参照︶貴金属の価値にお       英仏穀価に関するッークの比較史的研究       二九

(12)

英仏穀価に関するツークの比較奥的研究 三〇

ける下落、即ち、一六四〇年頃の物価の上昇を阻止した原因としてツークが指示する点を考察すれば

金銀の生産と消費

表 三 第 一 二 三 四 他の目的に使用 される年闘量 アジアの生産物に対する麦田として、印度と東洋への金・銀、・王として銀の輸出 使用と装飾目的での金・銀の使用 人口と生産の増大一以前の価絡水準を維持するために不断に鋳貨を必要とする新領域への商業h貿易の拡大 大量の金・銀の使用の結果としての磨滅等による年々の損耗等は商品に比較して.彼等の価値の下落傾向を相殺する程、 全ストッ クへの% e/o = 2. 25 一 1. 87 −1.27 =O. 90 =O. 37 年間:量 ミリオ’ン● スタリング  1,8 2, 9 2, 8 6,3 3, O 平均年間消耗更新 供  給必要年忘 全スト ソク 聞 期 ミリオン。 スタリング  O. 2 O. 4 O. 5 1.7 2.0 ミリオンの スタリンク  2. 0  3.3  3.3  8.0  5. 0 ミリオン● スタリング    80   155   220   700   800 546年一1600年 600年一1640年 641年一1700年 701年一1809年 809年一1830年 Tookes’ History of Prices VOL, VI,P・ 412 (cf・PP一 367−8)        貴金属 の平均年問供給と平均年間需要との聞の正確な均衡を維持するのに充分強力であった。︵三六 九一三七〇頁︶  註 前掲拙稿参照  かくして、ツークは、銀の価値変動に関して一六四〇年以後︵一七五〇年頃まで︶銀価値 が上昇し、一七五〇一七〇年期に、アメリカ鉱山の生産量が増加するに及んで、銀の価値下 落1物価上昇を来たしたというスミス説に対して、その作用は極めて緩慢であり、殆んど、 感知せられず、さらに、一七七五年以後までヨーロッパの物価に大きく作用しなかったと説 く。︵第一巻六二頁︶  また、彼は英国においては一八世紀の最初の六十五年聞、小麦価格の下落と低位とが銀価 値の滅値に対応する価格上昇を阻止したのみならず、反対の方向への主動を引起したとい ・り。︵同、 五六頁︶  以上において、ツークにしたがって、 一般的・間接的に新大陸における金銀の

生産とヨーロッパの物価への影響について考察した。然らば、具体的・直接的に

それらの金・銀は如何なる過程を経て、両国に流入したか、また、イングランド

とフランスでは、それは、如何に、物価に反映して現われるか。かくして、かN

る観点より、つぎに、小麦価格の変動原因として、一五五〇1七〇年期における

(13)

英仏の外国貿易に関して考察を進めることとする。    この点に関してば、外国貿易一般、とくに、イン羅ランドの外国貿易については既論のごとくであるか、こ∼では省略すること   にする。    註 前掲拙稿参照      .    マックファソン︵竃碧嘗費ωo目︶は、ネーザーーヲンドに関する記述より、アメリカよりの金・銀の配分に関して、当時、積極的に   作用した要因に解明を与えているが、ツークは一五六〇年におけるアントワープ貿易に関する説明を引用している。︵ζ毬℃ゲ興ω8δ   弩き一。・︶    いま、アントワープとスペイン・フランス間の貿易に関して考察すれば、アントワqプはスペインより大量の金・銀その他多種の   熱帯の産物を受けとり、スペインに対してアントワープ.は多種の商品1﹁著者︵αq三。9葭象三︶がいうスペインの貧しい国民の大嫌   いなもの、即ち、入間の勤勉と黒八とによって生産せられた凡ゆる物を送った﹂︵四〇七頁︶

 以上において明白なごとく、一五七〇年に先行する二〇1三〇年間における航海と商業の発展、就申、アントワープの

中継貿易を媒介として、スペインが新大陸より獲得した銀は、ここに、英仏両国に流入することとなった。したがって、

既望、一五七〇年頃を起点とする英仏両国における小麦価格の同時的上昇は、かかる新大陸の産繭−外国貿易によるその

世界的配分の結果であり、後者は両国における小麦価格変動の共通原因であったといえよう。しかし、両国の小麦価格の

変動傾向には共通性と同時に、画論のごとき特殊性がある。かくして、変動傾向という点より、つぎに、その変動め特殊

原因まず、両国における鋳貨基準の変更について考察しよう。    ポークストン︵勺窪08口︶は、その著﹁度量衡学﹂の十三章において、鋳貨の基準と通貨の中に起った殆んど無限の変化を論じて   いるが、その著作の終りにおいて彼は一二二六−一七二六年預に千以上の勅令を列挙している。︵三七四頁︶彼はいう。﹁君主政治の年   代言、貨幣のしばしば起る変更によってフランスの蒙った損失を知り得る。蓋し、国王は下劣な口実のもとに、増大した鋳造税以外   に、流通している貨幣と彼等が以前に鋳造税をとった貨幣の品位を低下するというように、彼等が欲する時に、貨幣を変更すること   が樹来た。彼等は同じ鋳造税をとって新しい貨幣をつくり、か㌧る方法で、彼等はなしうるどきに、人民に課税した。﹂︵六七五頁︶︵三      英仏穀価に関するツークの比較史的研究       コニ

(14)

英仏穀価に関するッークの比較史的覇究 三二 七四−五頁︶    −       註  他に、サン.モールも同様のことをのべているが﹁在世と現在とにおける私的牧入の相対価値に関する論文﹂の著者ラーベエも同 様の見解を確認している。とくに、彼はリーブル・トウルノワ︵︻、四 一じ一く壇① ]りO口吋口O一ω︶とりーブル・パリーシイ︵い鋤い撒くωΦb母凶ω冨︶ との相異と評価とに関して、その区別はブイリイプ一世︵℃窯ξ℃Φ一霞︶の治世中に決まり、後者は前者に対して五対四の割合で流 通し、ルイ十四世の時代まで経続したという。︵論文二六一頁︶ ︵三七五頁︶  註 国ωω鉱ω霞一博︾℃胃Φoo一p。ユ。昌山。一p。閃。同師ロロ①勺比くひΦ小目]≦o︽Φp諺σq①℃鉾ζ.ρいΦげ醇●℃凶二。。讐。。<’二¢。鳶一〇ε=螢戴日一目  また、ラバソール︵一UΦ<pDooの①dF同︶は﹁経浩学者雑誌﹂︵一八五六年五月︶中の既論の論旨中、一六世紀聞におけるフランスの鋳貨の 変更に関してつぎのごとき一表を掲げている。︵第四表参照︶       ダ

フランスの鋳貨

(1497−1602 : Levasseur)

第四表

純銀重量

当りFra

nCSの現 重量の数 fr. c. 4. 94

鱗鰯姻鱗価“価罐読師鏑冊舗一概脳脳㎜

各 Livre 中の純銀 の数:量 centgr. 2225 1958 2225 1919 1958 1958 1847 1958 1748 1687 1631 1717 1717 1560 1439 1378 1288 1288 1208

銀marc

当りのLi

vreの数

Liv,s.d.

11一一

12 一一 11 一一 12 15 一 12 10 一 12 10 一 13 5− 12 10 一

14一一

14 10 一

15一一

14 5−

14 5−

15 15 一

17一一

17 15 一

19一一

19一一

20 5 4 月 年 1497年 4月7日

1513年4月6日

1515年  1月1日 1515年2月17日 1519年6月10日 1520年6月10日 1521年9月20日 1539年2月24日 1540年5月18日 1549年10月25日 1550年1月23日 1550年 4月30日 1560年4月30日 1561年8月30日 1573年 1月9日 1575年 5月31日 1580年10月17日 1600年10月17日 1602年9月 Tooke’s History of Prices. VOL・ VI・ P・376  同表に関してツークはいう。 一四九七一一 六〇二年聞、︼五〇年聞に一九回以上の鋳貨の 改鋳、即ち、平均して五年問に一つの変動をこ ㌧にもつ。これらの改鋳の一般的な方向は鋳貨 の内在価値を低下せしめることであった。しか し、追求せられた過程では決して均一でなかっ た。蓋し、二及至四つの場含に、そして、様々 の長さの期門中リーブル・トウルノワの真実価 値は、それが以前に減少せられた点以上に引上 げられた。しかし、最後の年︵一六〇二年︶と 最初の年︵一四九七年︶とを比較すれば、フラ ンスの鋳貨はその内在価値において半分近く減 価したのを知る。︵三七六−七頁︶ 、

(15)

  かくして、ツークは、最後に、英仏鋳貨価値の変動馬したがって、物価の変動に関して結論としていう。   ヘ   ヤ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヤ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ       へ  あ  ヘ  へ  た   一五二七年i一五六〇年の期間、イングランドに、 一四九七年−一六〇二年間、フランスに起ったごとく、鋳貨の真実  ヘ  ヘ  ヘ       ヘ  へ

価値の突然であり、暴力的であり、不規則な変更は貨幣価格・全量揚を不確実に、また、混乱させたに違いない。そして

鋳貨の変更が原則として、恒久的にその減価の方向にある限り、販売者の手配と器用さとが、彼等の商品の貨幣価格を出

来るだけ高く引上げるために向けられるということは、かなり確実である。また、イングランドとフランスとの両国の首

,都と地方との間の交易の便宜は問題の期荒中、非常に不完全であったということを知る。そして、非常に多くの変動のう ちで、同じ国の異なる部分の時価の目的での貨幣基準が同時に極めて異っていたということが生じたに違いない、と。  ︵三七七頁︶ 第五表 フランス鋳貨の変更    (1580−1746年) 1. starling Livres Tour. 聞 期 9. 6 12. 0 16.0 24. 0 1580年一1640年 1641年L1690年 1691年一1717年 1718年一1746年 Tooke’s History of price’s VOL・VI p 415   しかし、彼は、エリザベスの鋳貨改鋳の結果として、一五五三年以来、英国の銀鋳貨は  金属の数量と品位とに関して、その内在価値において殆んど均一的になった、即ち調整の  ための必要は実際に一五五三年を以て終る︵三四九i三五〇頁︶また、一五六〇年に英国  の鋳貨は実際に現在と同じ内在価値のものとなったという。︵三九五頁、同脚註︶          へ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ   あ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ミ   へ   も   へ  なお、ツークは一五八0一一七四六年間におけるフランスの鋳貨の変更︵減価︶ に関して表示するところがある。  ︵第五表参照︶  註 一六世紀前半における英国の鋳貨の財質と小麦価格への影響に関しては、前掲拙稿。  一六八○一一七=二年期の英国鋳貨価値の変動に関しては、拙稿﹁ツークの一七・一八世 紀英国穀価史﹂滋賀大学経堂学会編、彦根論叢、第四十二号参考。

既論のごとく、英国における小麦価格は一六四〇1︵五〇︶年期を境として以後、低下していくが、

    英仏穀価に関するツークの比較史的研究      三三 それは、丁度﹁銀

(16)

     英仏穀価に関するツークの比較史的研究       三四 の価値における下落が一六四〇年頃に絶えた﹂というヤコブ説︵三八六頁︶と対応するもののごとくである。然らば、何故

フランスにおける小麦価格は、それに対比して一六七〇年頃まで上昇を持続したか。この点に関しては、フランスにおけ

る鋳貨価値の低下が銀価値の上昇傾向よりも強力であったと解すべきではないか。︵既考、一五八Ol一七四六年聞における鋳        貨価殖の低下を見られよ一後論︶ 第六衷 英仏両国における戦争・平和と小麦価価格 国ニ  ル表 仏ガェ 国ト  ︻表 英イン

戦争と平和

三 期

s

31 56 37 29 30 41 22 d 2 3 4 3 0 7 3

Sd

446蓬

0    0 46

@ 44

35 31 33 37 48 46 50 10蓬 6量 11垂 1蓬 11垂 6垂 2雪 英仏戦争 和 平 スペイン継承戦争 アメリカ植民地における英 仏戦争 和 平 英西戦争・オーストリや継 承戦争・英仏植民地戦嶺 和 平 カナダにおける英仏植民地 戦争 和 平 アメリカ独立戦争 和 平 10ケ年 4ケ年 11ケ年 27ケ年 9ケ年 6ケ年 8ケ年 2ケ年 8ケ年 10ケ年 1688   年 1697

糟年

1702   年 1712 1713   年 1739 1740   年 1748

階年

隔年

照年

傷年

隔年

Tookes’ Histery of Prices・VQL・1・P97一 (cf・P・98) VOL・VI・PP−432−436 (但し 単位はウィンチェスター入ブツシエルクオター.佛価格は英礪貨に換算)

 かくして、こ≦に、英仏両国の戦

争と平和。対内外的な穀物政策の相

異と両国の小麦価格への作用を考察

すれば、 一六八八−一七六二年間の 英仏戦争中、英国の側面より見て ︵一六八九年以来の穀物輸出奨励金政策 と結合して︶戦争中よりも、平時にお いて、小麦価格が高価であるという 現象を見る。  ︵第六表参考・策一巻九六i八頁︶

 また、一七一五−六五年期におけ

る両国の小麦価格の低位は、英国で

は輸出奨励︵金︶政策の作用、他

方、フランスでは輸出阻止よりも偶

(17)

「        然的な輸入の奨励に、 一七六五∼七五年間の両国の小麦価格の上昇は、英国では、輸出の偶然的な禁止・輸入統制の中断

フランスでは、輸出許可によるものとせられた。しかしその根本的原因は、二期の期間における英仏、否、ヨーロッパ大

陸に共通の不利・有利な季節の作用によるものであった。︵同、心理ー三.六二頁︶    註 フランスでは小麦安価のため、一七六三年に、穀物の国内自由流通、一定の条件のもとでの輸出入の自由を認めるにいたった。     ︵同五三頁︶  かくして、最後に、英仏両国における季節の変化とその作用を考察することとする。彼は卒論のごとく、 一四〇一一一 五八○年間の英仏における小麦価格の変動を比較していう。

 二般的帰結として、各々に関して、一見して、その饗宴性に疑いを懐く程、それ程、大きな、時間上の遅れはない。

反対に、二組の結果には合理的で充分な一致があるしと。︵四〇二頁︶  勿論、彼がかく、仏両国の小麦価格の変動傾向を比較して、その共通性を認める理由は世界的な銀価値の変動以外に、 西欧圏における季節の作用の類似性を主張せんとする意図に出るものであることは明白である。    彼は一五・一六世紀の大部分を通じて、非常によい季節と悪い季節とを区別する唯一の方法は、特別の年間における異常な低・高   価格という方法によることであり、換言すれば、季節より価格を推論する代りに、価絡より季節を推論するということであるが、一   四〇一一一五八○年問においては、この方式を採用することが出来なかった。蓋し、資料中、小麦価絡の記載を欠く年度が存在する   ためであるという。 ︵三九六頁︶

 しかし、彼は、ついで、一五八一一一七七〇年の期間に関して、以上の方法に立脚して、両国の二〇ク年間の一般平均

価格を実質的に超過する価格の多い年を求める。即ち

    期    聞    英国  仏 国   一六四一一一六六〇年  八ケ年  七ケ年      英仏穀価に関するッークの比較更的研究       三五

(18)

     英仏穀価に関するツークの比較史的研究       三六   一六八一i一七〇〇年  五ケ年  六ケ年   一七〇一一一七二〇年  六ケ年  五ケ年

 かくして、彼は、唯小数の著しい例外を以て英国と仏国とにおける悪い年の循環は同じであり、あるいは、殆んど同じ

であるということを知るのは極めて奇妙である。 一七一=1五〇年の三〇年間、両国において、,その期聞の平均を越す五

ク年のみがある。そして、これは恐らく、すぐれて、西ヨーロッパにおける豊饒な季節の経続の結果として穀物の低価格

をあらゆる点において、その期間を含む凡ゆる他の説明を確認するという。︵四〇三−四頁︶  既論のごとく、彼は、 一六四〇︵!五〇︶一一七五〇年、就中、一七〇〇1一七五〇年立における両国の小麦価格の下落 傾向をのべたが、その傾向は銀の価格上昇によるものでなく、︵既論参考︶、まさに、豊饒な季節の作用によるものであり、 また、一七五〇年以後における小麦価格の上昇傾向は不利な季節と戦争の介入とによるものであった。 ︵四一〇頁︶

 したがって、既論の問題点﹁フランスにおける小麦価格の一六七〇年頃までの上昇持続﹂は季節の作用・銀価値の下落

傾向に比してより強力な鋳貨価値の下落の結果ではなかったであろうか。    この点に関しては、さらに、フランスにおける対内外的な一戦争と平和・穀物政策が問題となるであろう。 結  び  以上において、一四〇一一一七七〇年間の英仏両国における小麦価格の変動傾向とその変動原因に関して考察したが、

就中 e 両国における戦争と平和 口 両国分蔵内外的な穀物政策上の相異 日 鋳貨貨価値の変更等による両国の小

麦価格への作用は変動の特殊的・副次的要因であり、四 ︵初期における︶銀生産の変動とともに、国 季節の変化が、 その共通的・基本的要因であったということが明白となったであろう。

(19)

 ツークは、小麦価絡に対する穀物法と戦争の作用に関して、つぎのごとくいう。      ら  囲穀物法も、ある程度︵価格に︶作用しだに違いないが、その作用は、だとへ、不可能でないとしても、追求することは非常に困

難であろう・同時に・参慧綜念懲ホリ、忌獣賢℃凱ぶ憂世燈婁轡師霧橡魯襟轟轟・穀物法

が価格変動の他の原因に加重して作用したとはいえ、ある場合には補整として作用したと推定され得る。⋮⋮また、普通以上に、しば しば、生起する不足あるいは豊饒な季節の作用を評価する点で、穀物法より、あるいは、戦争状態より−国内法の不足のための輸入 あるいは、余響の輸出に障害があることによって、巨大な相異が価格に作用するということを受降すべきである。﹂と。︵第一巻、八 四頁脚註︶ 註一七九三年以前のこ世紀間をいう。 〆 や 英仏穀価に関するツークの比較史的研究 三七

参照

関連したドキュメント

以上,本研究で対象とする比較的空気を多く 含む湿り蒸気の熱・物質移動の促進において,こ

すなわち、独立当事者間取引に比肩すると評価される場合には、第三者機関の

他方、今後も政策要因が物価の上昇を抑制する。2022 年 10 月期の輸入小麦の政府売渡価格 は、物価高対策の一環として、2022 年 4 月期から価格が据え置かれることとなった。また岸田

LF/HF の変化である。本研究で はキャンプの日数が経過するほど 快眠度指数が上昇し、1日目と4 日目を比較すると 9.3 点の差があ った。

 同一条件のエコノミークラ ス普通運賃よ り安価である ことを 証明する

本稿で取り上げる関西社会経済研究所の自治 体評価では、 以上のような観点を踏まえて評価 を試みている。 関西社会経済研究所は、 年

 同一条件のエコノミークラ ス普通運賃よ り安価である ことを 証明する

一 六〇四 ・一五 CC( 第 三類の 非原産 材料を 使用す る場合 には、 当該 非原産 材料の それぞ