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ファシズムの比較史序説(ー)

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〈 論 説 〉

ファシズムの比較史序説

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お き 1一一『奈良法学会雑誌』第12巻1号 (1999年6月) ファシズムにおいて独自なものとは何か。この間いにたいする回答、すなわちファシズム概念の樹立への取り組み は、この問題をめぐりこれまで多大な研究時間と労力とが投入され、また膨大な量にのぽる著作が執筆されてきたの にもかかわらず、依然として未解決のままに残されている課題なのである。 一九七一年に歴史家アラ

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ダイスは フ アシズム論に関するアンソロジ

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を 編 纂 し 、 その序文において﹁歴史家たちはファシズムをどう定義するかに関して ( 1 ) 意見の一致を見ていないが、﹃ファシズム﹂という用語を使うことには同意している﹂と書き記した。この指摘はフア シズムという言葉だけが先に確立して一人歩きをしているが、それにもかかわらずその内容については、何んらの見 解の一致もうみだされていないという逆説的な研究の現状を適確に突いた総括とみなしてよい。その数年後にフラン ス・ファシズムの研究者スターンヘルが、﹁ファシズムに正確な照準をあてることは、依然として容易なことではない。 すべての人ぴとに受け入れられるか、もしくは普遍妥当性をもっと承認されるファシズムの定義は、今のところ見当

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第12巻1号一一2 ( 2 ) らない﹂とのべたのも、 ア ラ

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ダイスと同じ研究の状況をふまえた発言といえる。 一 九 八

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年代においても、 一般的ファシズム概念樹立の困難性を説く主張にはこと欠かない。先述のスターンヘル は、﹁ファシズムという言葉ほど多用されてきた政治的語葉はなく、またそれにもかかわらずこれほど変り易く、かつ ( 3 ) 誤った定義がなされている政治的概念もない﹂と記して、再度、 一般的ファシズム概念樹立をめぐる混迷状態を指摘 つぎのような主張が見い { 4 ) だされる││﹁研究者の聞で:::これほど衝突する解釈をうみだした﹃イズム﹄ぽ

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はほかに見当らない﹂と。 し た 。 一九九二年という時点においても、ある若手の歴史家のファシズム研究の論稿には、 そればかりではなく、 一 九 一 九 l 四五年間にヨーロッパ諸国に出現したファシズム運動(体制)につき、個別に研究 を進めれば進めるほど、 かえってその相互間の個性的な相違が目立つようになり、 ファシズム一般が分らなくなると ファシズム研 いう嘆きの声も聞かれる。従って、 ファシズムを研究する歴史家たちの総括から浮ぴ上ってくるのは、 究が明快な回答を提示したというよりも、逆に疑問のほうをより多く引きだしてしまったという印象である。しかも 一般的ファシズム概念や類的ファシズム

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の概念の樹立に努める研究のかたわらには、 念の成立を否定する研究の潮流が早くから登場して、今日にまでいたっている。 そのような概 一九九八年に執筆された、ある若手 の歴史家の論説には つぎのような指摘が見いだされる││﹁依然としてファシズムの研究は、 一方において類的フ アシズムが在ると思う人びとと、他方において:::類似よりも差異のほうを重要と思う傾向の人ぴと、この両者聞の ( 5 ) 戦場なのである﹂と。 本稿は、この二つの立場のうち前者の方向を選択し、両大戦間期のヨーロッパ諸国に登場したファシズム(ないしフ アシズムらしい)運動や体制の比較という手続きをふまえて、 一般的ファシズム概念の樹立をめざすことを課題として い る 。 つぎの第一章では一般的ファシズム概念の否定論の動向を考察することから記述を始めてみたいが、 それは論

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述 の 進 行 の 中 で 否 定 論 の 根 拠 を 批 判 し 、 そ れ を 通 じ て 比 較 史 的 方 法 を 、 よ り 一 層 、 具 体 化 し 、 精 密 化 し て ゆ き た い と 考 え て い る か ら で あ る 。 3一一ファシズムの比較史序説(ー) ( 1 ) の 己 ず 巾 ユ ﹀ 口 出 E M N 円 巾 ( 巾 門 凶 ) . 、 H d 巾 沼 山 口 巾 。 同 司 出 印 口 町 H H 山 口 開 己 叶 C H 巾 出 口 出 回 目 件 。 ミ ( Z 9 司 ﹄ 巾 叶 印 SJZ 一 戸 ) ・ H ) E 品 ・ ( 2 ) N 巾 ︿ ∞ 門 巾 吋 吾 巾 -y m , g n -2 E g -c 岡 山 ﹀ 山 口 一 項 白 - Z 門 戸 E Z 2 ﹃

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第12巻 1号一一 4 第一章 一般的ファシズム概念否定論の登場 それでは一般的ファシズム概念を否定する主張を、ドイツの歴史家マイネッケが第二次世界大戦の終了の翌年に公 刊した著作から聞いてみることにしよう。 ( l ) 彼は国民社会主義

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を、﹁ヨーロッパ社会の道徳の墜落の過程﹂が生みだした産物ととらえる立 場から考察をはじめる。彼の説くところによれば、フランス革命とイギリス産業革命とは、﹁到達しがたい人間的幸福 を得ょうとする大衆の誤った努力﹂を生みだし、 ( 2 ) 努力へと転化した﹂。そしてこの二つの革命は、 そのような努力は﹁営利心や権力欲や裕福な暮らしのための一般的 一九世紀を貫く二大潮流、すなわち﹁国民運動﹂と﹁社会主義運動﹂ という大浪をゆりおこし、 しかもこの二つの潮流は相互に対立しあったが、やがて両者を融合さす試みがあらわれる ようになったという。 マイネッケは、国民社会主義をその最後の試みとみなしている。 しかし問題は ヨーロッパに広く見られた、この二つの潮流がとくにドイツでは他の諸国の場合におけるよりも、 いっそう鋭く交差し、互いに相手を激しく攻撃したところにあった。そのため、この二大潮流は﹁戦闘的な諸々の性 ( 3 ) 格を発展させた﹂というのである。すなわちドイツにおいては、国民運動はプロイセン軍国主義の伝統と結びつき、 ﹁ 無 分 別 な 国 民 的 エ ゴ イ ズ ム 、 政治的手段を選ぶ際の無思慮、 ヨーロッパ的共同生活の諸要求に対する無関心﹂を生 みだし、むきだしの﹁権力国家的!マキャベリ的思考﹂という不道徳な方向へと随していった。マイネッケは、このよ ( 4 ) うな過程の中に﹁ドイツの人間性の退化の歴史﹂を読みとっている。 他方で社会主義の潮流は、﹁個体に優越する全体の権利﹂という思考を育くみ、またこの潮流に内包された﹁憎悪と ( 5 ) 憤怒﹂は﹁旧来の歴史的権威一般に対する感受性を破壊し﹂、対立者を踏みにじる﹁革命的粗暴さ﹂に火をともした。

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国民社会主義とは、この二つの退化の過程を地盤とし、 それらを継承したものにはかならない。 しかしマイネッケの指摘によれば、これらの﹁あしき酵母﹂のすべてを寄せ集めてみても、それだけでは﹁ヒトラ ( 6 )

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精神を生み出す﹂には不十分であったという。ここでわれわれは、彼が﹁国民社会主義﹂と﹁ヒトラー主義﹂とい マイネッケがこの二つの概念を併用した う二つの概念を慎重に使い分けていることに注意を払わなければならない。 ( 7 ) のは、彼により﹁魔力的な自我﹂﹁謎のような深み﹂とみなされた、ヒトラーという独特な個性がこの時点のドイツに たまたま居合わせて、この国の進路に決定的な影響をあたえた、 その一回的な﹁偶然﹂を重視したからである。 一宇 イ ネッケの考えによれば、まさしく﹁国民社会主義﹂は、 ヒトラーというデーモンに由来する常軌を逸した思考と行動 により、歴史上において、あのすさまじい内容と形態をはじめて帯びるにいたったというのである。換言するならば、 ﹁ヒトラー主義﹂によって、﹁国民社会主義﹂は目をおおうばかりの現実となって歴史の中に姿をあらわし、ドイツを 深淵へと導いた。﹁ヒトラー主義﹂とは、﹁国民社会主義﹂の実際上での、 しかも歴史上における一回限りの具現化で 5一一ファシズムの比較史序説(ー) あった。彼はのべている││﹁ヒトラー運動は、歴史的生活において人格が││ここでは全く悪魔的な人格が││独 ( 8 ) 特の予測しがたい力をもつことを示す、重大な一例である﹂と。 デ ー モ ン マイネッケは第三帝国をドイツ史上の必然的帰結とは考えない。彼はヒトラーという﹁偶然の鬼神﹂のも ( 9 ) つ決定的な働きとならんで、彼の権力獲得を助けた﹁偶然的な諸原因の連結﹂をも重視している。このような偶然の ( 印 ) 事態の出会いの結果、ドイツ民族は﹁一回的な重い伝染に罷った﹂のであった。それ故、 従って マイネッケの見解によれば 第三帝国は﹁ヒトラー主義﹂によってヨーロッパに普遍的に見られた発展から逸脱したばかりではなく、ドイツ史上 における逸脱をもあらわしているものであった。 ただし いうまでもなくマイネッケのこの著作は 一般的ファシズム概念の否定を念頭において執筆されたもので

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第12巻l号一-6 一九四六年という時点におけるドイツの歴史家には、 そのような問題意識からナチズムを究明する余裕など は な い 。 はあたえられてはいなかった。 マイネッケにとってはドイツを深淵に引きずり込んだ悲劇の根源や責任を問うことこ そが、主要な関心事であったのである。しかしながらナチズムにおいて﹁ヒトラー主義﹂が演じた役割を強調する主 ( 日 ) ヒトラーという個性がもっ、他と置きかえることのできぬ一回性の意義の重視へとつながってゆく。もし一九 張 は 、 四六年という時点で マイネッケに向いナチズムを一般的ファシズム概念の中へ包摂し、これをドイツ・ファシズム と規定することの是非をたずねてみたならば、彼はそのような発想を即座に否定したに相違ない。ヒトラーの独特な 個性に着目して、ナチズムを﹁ヒトラー主義﹂ へと個人化してとらえる、この歴史主義の巨匠マイネッケの見解は、 類概念としてのファシズムをいち早く否認するという意義をもち、 のちの一般的ファシズム概念否定論の軌道を設定 したものと学説史上に位置づけることができる。 マイネッケの書物が刊行された翌年には、同じくドイツの破局の根源を究明しようと試みた、ドイツ歴史学界の長 ( ロ ) 老リッターの著作が刊行される。この書の主張によれば、﹁権力のデーモン﹂とは、 一切の倫理的規制の拘束を受けな ぃ、しかも最高の我欲と結合した熱情的な権力 l 闘争意志の具現であるが、このようなデーモンを政治思想の自覚的な ( 日 ) 近代ヨーロッパの﹁大陸的政治学の原型をつくった﹂のは、 原理にまで高め、 マキャヴェリなのであった。 この大陸的原理は、 ( U ) その後、悪性な展開を見せ、これを極限にまで押し進めたのが﹁第二次世界大戦のデーモン﹂ ヒトラーであったのであり、彼の支配のもとで﹁大陸的イデオロギー﹂(マキャヴェリズム}は、そのもっとも尖鋭化さ れた内実を一不すにいたったというのである。従って、 リッターの主張によれば、ナチズムとは近代ヨーロッパの﹁大 陸的政治原理﹂(これと対立するのが、権力闘争を人道主義と法的手続きとによって抑制することを理想とする﹁イギリス﹃島 国 的 ﹄ 政 治 思 想 ﹂ ︹ そ の 代 表 者 は ト l マス・モア引用者︺なのであるが)の産物であり、ナチズムは、そういう近代ヨ

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ツパに普遍的に見られた道徳的欠陥が権力のデーモン l ヒトラーの働きによって極端にまで悪性化させられた逸脱的 な現象なのであった。 なるほどリッターの場合、 ヒトラー主義という概念は用いられてはいない。だが彼の発想の根底には、 ヒトラーの 独特な魔神的個性(﹁デーモン﹂)がドイツのあのすさまじい破局をもたらしたという考えがよこたわっているとみて差 し支えない。またリッターにもマイネッケの場合と同様に、ナチズムが一般的ファシズム概念の中に包摂されうるの 一般に歴史学における認識の進展の経過として、 ( 日 ) 因論、構造論という規則的な三段階の歩み﹂をあげており、ヤスパ!はナチズム研究の中にも、 ( 日 ) られることを指摘しているが、リッターの著作は、 か否かという問いかけは欠如していた。 ハインベルは﹁罪責論、原 そのような歩みの見 ハインペルのいう第一段階の関心に立っていたということができ る。彼にとっても、ナチズムとは一般的ファシズム概念などには到底、包摂されない、 一回限りの独特な﹁デーモン﹂ ヒトラーによる、 そのような概念の突破をあらわしているものであった。 同じくゴ

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ロ ・ マ ン は 、 ヒトラーの個性重視の立場から、実質的には一般的ファシズム概念の否定へとゆきつく。 7一一ファシズムの比較史序説(ー) 彼も国民社会主義の登場以前のドイツに、悪しき要素が出揃っていたことを認めている l│l ﹁国民社会主義が操作し た個々の思想や感情、すなわち大ドイツ的ナショナリズム、帝国主義、カエサルへの憧れ、 ( 口 ) ドイツ人の心の中にうごめいていたものである﹂と。だが彼は、このような主張にただちに制限 ユダヤ人憎悪は、もちろ んずっと以前から、 を加、える。彼の見解によれば、﹁このような傾向だけでは、歴史において有効に働くカを生みだしはしなかった。われ われが全ドイツ連盟のある種のスローガンの中に早くもヒトラーの声を聞いたように思うにしても、後期ビスマルク ル

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デンドルフ派、祖国党、自由義勇軍団、これらのものすべてを一緒に合わせても、 ( 凶 ) では、まだ国民社会主義にはならない﹂というのである。 派、全ドイツ連盟、 それだけ

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第12巻1号一-8 それでは国民社会主義を登場させるにあたっては、どのような要因が働かねばならなかったのであろうか。ゴ

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ロ ・ マ ン の 著 作 に は 、 ヒトラー主義という概念は見いだされない。しかし実質的にはその概念を使用しているのであり、 そのことは彼のつぎのような説明からも明らかである│'﹁国民社会主義が興隆するにあたっては、 ほかにごつのこ と、すなわち経済危機とあの比較を絶した個人とが必要であった。・::・もしその人物が居なかったならば、何がおこ ( 日 ) ったかは分からない。だがわれわれが体験したような、あの国民社会主義はおこらなかったであろう﹂。﹁その人物﹂ と は いうまでもなくヒトラーである。従って、 マイネッケと同様に、国民社会主 ゴ

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ロ・マンの場合においても、 義はヒトラーという比較を絶したデーモンの働きによって歴史に登場し、あのすさまじい悲劇をもたらしたと考えら れているのである。ゴ

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ロ・マンはヒトラーっき、 つぎのように語っている││﹁彼は完全に理性を失い、彼自身も 知らなかった彼の魂の悪魔的な諸力がつき破るように表にあらわれた。ドイツ史の新しい一章の始まりと思われたも のが、ドイツに、 ( 初 ) な っ た ﹂ と 。 そしてドイツを通じて世界のかなりの部分に、自己の意士山を押しつけた一人の悪人の冒険の舞台と またゴ

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ロ・マンは マイネッケと同様に歴史主義の立場にたっていた。そのことは、国民社会主義の一回的な性 つぎのような彼の主張からも裏づけられる。すなわち﹁国民社会主義とは、何であったのか。それは個人 ( 幻 ) と短い時間とに結びつけられた歴史上で一回限りのものであり、決して再来することはない﹂と。しかも彼の強調す 、

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ヒトラーはやはり偶然なのであった。﹁彼はたまたま居合わせたのである﹂と(傍点は原文)。 格を説く るところによれば、 このようなゴ

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ロ・マンの考えでは、 ヒトラーという比較を絶した独特な個性が偶然、 その時点のドイツに居合わ せ、その個性の働きによってまさしく出現した国民社会主義の現実は、類概念としてのファシズムの中には包摂され ( 幻 ) ないということになるであろう。歴史主義の立場は、類的概念の否定へとゆきつく。ゴ

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ロ・マンは﹁歴史家が何を

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取り組みの対象にするにせよ:::歴史家は常に一回限りのものを取り扱う。そして一回限りのものは、常に﹃一回的 ( M ) である﹂という形式で描かれる﹂とのべている。彼の主張は、歴史主義の伝統にたって、国民社会主義の独自な一回 的性格を力説し、 そのことによって一般的ファシズム概念樹立の可能性を否認する結果へとつながってゆく。彼にお い て は 、 ヒトラーという独特な個性のいない国民社会主義などは、到底、考えられもしない事態なのであった。 このような認識を同じく歴史主義の立場にたって、より一一層、自覚的に前面に押しだした歴史家がヒルデプラント であった。彼の主張によれば、 ナチ・レジームのもっとも重要な局面は、 対外的拡大の追求と人種主義的支配の樹立 への尽力にあるのであって、これらの政策の背後にある決定的な推進要因は、 ( お ) 外交政策と人種政策の面での目標設定(綱領)であった。第三帝国において特徴的であったのは、これらの政策の実現 一 九 二

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年代以降におけるヒトラーの にあたり、まさしくヒトラーが強い支配者として、その大枠を自ら自身で自主的に設定し、内政は外交に従属しなが ( お ) デ ュ ナ ミ l ク ら展開したことである。しかもヒトラーの外交政策は、社会の構造に規定された力学の産物といったものではな ( 幻 ) そこからナチ・レジームの力学それ自体が生まれたのであった。 く、高度の自立性を帯びており、 9一一ファシズムの比較史序説(ー) 従 っ て 、 ヒルデプラントの見解によれば、第三帝国の歴史は、 ヒトラーという個人および彼の世界観(目標・綱領) と切り離しては、到底、把握できない。﹁ナチ・レジームの歴史において、もっとも重要な契機である人種ドクトリン ( お ) の存在は、ヒトラーの存在と分ちがたく結合していた﹂﹁歴史上に見られた国民社会主義の動きは、ヒトラーの個性 ( 刊 日 ) と政策に密接に結びついていた﹂というのである。それ故、ヒルデプラントは﹁実際の歴史にあらわれた現象として ( 却 ) ( 氾 ) の国民社会主義は、:::ヒトラーなしでは考えられない﹂﹁第三帝国の歴史はヒトラー抜きでは考えられない﹂こと を強調する。しかも彼の説くところによれば、 ロッパ史上においても、新しい、 ヒトラーの外交政策と人種政策は、ドイツ史上においても、またヨ! (MM) かつ一回限りのものであったというのである。

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第12巻1号一一 10 このようにヒトラーの個性と世界観に力点をおくヒルデプラントは、 ( お ) 使い分けたマイネッケに着目する。そしてヒルデプラントは、 ヒトラー主義と国民社会主義という両概念を マイネッケから示唆を受けて、第三帝国の歴史を理解 ヒトラー主義という概念を使用することのほうが適切なのではあるまいかという提言を行う││ ( 鈍 } ﹁ヒトラー主義という概念は、国民社会主義概念を精密化するように思われる﹂と。しかもこの﹁ヒトラー主義﹂と するにあたっては、 は、歴史上で比較を絶した新奇で、 ただ一回限りの独自な現象なのであった。またヒルデプラントは、 H 1 U ・ ヴ ェ

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ラーに代表される﹁歴史社会科学﹂目印吉宮宮

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巴の方法を批判したさい、﹁一般的理論から個別へ 一般的ファシズムの理論から導きだされるドイツ・ファシズム ( お ) という概念によっては、﹁ヒトラー主義﹂という個別の意義は適確に把握できないと主張した。従って、ナチズムを一 といたる道はない﹂というランケの言葉を引用して、 般的ファシズム概念に照らして考察することは許されない。彼はナチズムを、ドイツ・ファシズムというカテゴリー の中へ入れることに強い反対の態度をとるのである。 ヒルデプラントは自らの立論を締めくくるにあたって 一般的ファシズム概念の樹立に努める社会科学者を批判し ながら つぎのように提言する││﹁社会科学者にとっては、 ファシズム概念は事実発見的な質をもつのかもしれな ぃ。だが歴史家がニ

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世紀の両大戦間期の歴史を考察するさい、個性化的概念形成のほうを優先させることが、何よ ( お ) りもまず要請されてしかるべきであろう﹂と。このようにヒルデプラントは、 ( 幻 ) アプローチの優先をとなえるのである。 一般化的アプローチにたいし個性化的 以上のようなヒルデプラントの主張を いま少し敷街していってみるならば、ナチズムとはドイツ・ファシズムと いったものではなく、歴史上 一回限りで他と置きかえることのできない国民社会主義なのであり、またイタリアの ファシズムとは類的ファシズムのイタリア版ではなく、同じく一回的な現象としてイタリアにのみ独自な個性をもっ

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であったということになるであろう。 これまで取り扱ってきたマイネッケからヒルデプラントまでの歴史家は、 いずれも個性を重視する歴史主義の立場 にたって、ナチズムを一回的な独自な現象ととらえ、結果的には一般的ファシズム概念を否定する見解へとゆきつい たが、つぎにあげる歴史政治学者ブラッハ!は、全体主義論

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巴 庁 丘 団

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ュゅの立場からナチズムをフアシズ ム概念の中へ包摂することに反対をとなえる。 彼の主張によれば、第三帝国には一枚岩的な支配統制ではなく、逆に権限をめぐって対立・競合を繰りひろげる多 数の諸機関の乱立が見られ、無政府状態ともいえる一種の多頭制が出現した。しかし、それにもかかわらずヒトラー は、この権限のカオスを意識的、 かつ巧妙に操作することによって、ナチ・レジームにおける﹁最高の仲裁者﹂﹁最終 ( お ) の審級﹂となって、﹁全能の地位﹂を確保し、中心的な支配者の役割を演ずることができたという。しかもヒトラーは、 このような権力の絶項にただ一人たつことを通じて、自らの世界観上の目標(生存圏の拡大、 ユ ダ ヤ 人 の 迫 害 ・ 絶 滅 、 強 大な人種による支配)を容赦なく、かつ首尾一貫して実現することに全精力を傾けた。ブラッハ

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はヒトラーの行動の 1 1 -ファシズムの比較史序説(ー) 目標を徹底的に追求する不動の意志、イデオロギーや綱領へのあくことのない固執を見いだしており、ナチ・ ( ぬ ) レジームでは﹁イデオロギーの優位が最後まで︹事態︺を決定しつづけていた﹂と主張している。第三帝国期には、や ( 判 ) がて全体主義的テロル体制としての﹁親衛隊国家﹂

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えが登場するが、この国家のもとで実行に移された蛮行 中 に 、 は、ヒトラーの目標の仮借なき実現にほかならなかった。しかもブラッハ

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の強調するところによれば、ローマ帝国 という過去の帝国の再興をめざした、 その意味で伝統的であったイタリアのファシズムとは違って、未来の人種帝国 河川凶印印。口同日百江口ヨの建設に遁進するヒトラーの構想は、ヨーロッパと世界とに﹁革命的﹂ともいえる巨大で深甚な変化 ( H U ) をあとに残したというのである。

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第12巻l号一一12 このようにブラツハ 1 は、全体主義支配の項点にたったヒトラーの目標達成への固執を決定的に重視しており、こ の立場から一般的ファシズム概念の否定へとゆきつく。彼の指摘によれば、 いわゆるファシズムと呼ばれている諸現 治的伝統や社会 l 経済構造に由来しているのであるが、 それぞれの国の政 ( 必 ) ファシズム概念はこうした事態を軽視してしまっている。し 象の相互の聞には、その前提、出現形態、目標に基本的な相違が見いだされ、 し か も そ の 相 違 は 、 かしナチズムは、その人種主義的イデオロギー、世界全体への支配権確立のもくろみ、技術的効率の高い独裁、支配 絶滅政策の徹底性の面で、歴史上に比を見ぬ﹁唯一のもの﹂なのであって、これらの特徴はイタリアのファシズムや いわゆる﹁ファシズム﹂との聞には根本的な相違がよこたわっている。ブラッハ

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は﹁ヒ イタリア・モデルに近い、 一 九 三

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年代のドイツの歴史や第二次 トラ!という事例﹂に重要な意義をみとめ、﹁ヒトラーの活動の成果なしには、 {HH) 世界大戦は考えられはしない﹂と言い切っている。また彼の指摘によれば、ナチズムは、その支配 I 絶滅政策において ( 必 ) ﹁とてつもない唯一性﹂を帯びていたというのである。 ファシズム概念よりも全体主義概念を適用したほうが適切であると主張して ブラッハ

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はナチズムにたいしては、 ( 必 ) いる。それは、彼がヒトラーの全能の独裁者の地位と役割に着目していたからである。彼は﹁ムッソリ

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ニという事 ド ゥ l チ ェ 例﹂と﹁ヒトラーという事例﹂とを比較し、前者においては﹁統領の全体主義的役割は、決して完全には実現されな ヒ ュ l ラ ー かった﹂と説くのにたいし、後者にたいしては、つぎのような見解を披涯する││﹁総統にたいする党内の反抗││ ド ゥ l チ ェ 一九四三年に統領にたいして起ったような││の可能性は、まったく存在しなかった。国民社会主義とその支配体制 にとって基本的であったのは、支配体制が最初から最後の瞬間にいたるまで、この人物とともに、すなわち彼の決定、 彼のイデオロギーへの固執とともに、また彼の政治生活の様式、勝利かそれとも破局かという壮大な二者択一への彼 ( U ) そして崩壊したことである﹂と。 の欲求とともに存続し、

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﹂のような認識からブラツハ

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は 一見するとマイネッケやヒルデプラントと類似の見解へと到達する││﹁この 意味において、国民社会主義は、実際上、 またそれに止まっていた。この人物ならびにそ ( 絹 ) の意図と行動は、常に国民社会主義の歴史の中心にたちつづけることになるであろう﹂と。全体主義論にたつ彼の立 ヒトラー主義であったし、 場からすれば 一般的ファシズム概念は﹁ヒトラーという事例﹂﹁ヒトラー主義﹂の解明には、何ら役立たないばかり ではなく、また﹁ヒトラー主義の非人間的理念や、 その恐るべき実現をファシズムと同一のカテゴリーの中へ投げ込 ( 必 ) ヒトラー主義の過小評価﹂へとつながるというのである。 み、荒っぽくドイツ・ファシズムについて語ることは、 ナチズムはヒトラーの全体主義支配と世界観上の目標に関連づけられた徹頭徹尾、ドイツに のみ固有な現象であった。従って、彼はマイネッケがナチズムのもたらした悲劇の由来と実態を考察した著作に﹃ド イツの破局﹄(傍点は引用者)という題名をつけたのと同様に、ナチズムの生成から終需までを取り扱った自己の著作に ﹃ドイツの独裁﹄(傍点は引用者)という表題を付したのである。 ブラツハーによれば、 だがヒルデプラントやブラッハ

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以上に、もっと詳細に一般的ファシズム概念の否定論をとなえたのがアラ!ダイ 13一一一ファシズムの比較史序説(ー) スであった。彼は三つの論点にわたって、類としてのファシズム概念が成りたたないことを主張する。 まず第一に、イタリアドイツ・モデルに立脚した包括的なファシズム概念は設定できないという。アラーダイスの 認識によれば、﹁われわれがファシストと呼んでいる集団は、いたるところで自ら自身をその国民の歴史、伝統、象徴 と同一視している。これらの集団に外在的なモデルを押しつけることは、彼ら自身が強調しようと企てているものを、 ( 印 ) 無理矢理に押しつぶしてしまうことになる﹂というのである。 またイタリアドイツ・モデルはイタリアとドイツそれ自体に適用できない。近代化論によるファシズム解釈の示す ( 日 ) そのことの好例である。さらに彼の見解によれば、ヒトラー・レジームはあまりにも常軌を逸した特異 食 い 違 い が 、

(14)

第12巻1号一一 14 ( 臼 ) な問題を合んでいるので、他の諸国民の運動を解釈するための推論を提供できないという。イタリア!ドイツ・モデル に取って替わる国際的比較モデルの提示も、問題の解決にはつながらない。そのようなモデルでは、 ファシズム運動 そのうえファシズムと呼ばれた運動のさまざまな個性的要素が、 必ずモデルの 限 の 界 数 を が 突 際 破 限 し な て く し 増 ま 加 う す こ る と だ に げ な で る日あ O~ り 第二に、イデオロギー面においても一般的ファシズム概念は成立しえない。何故なら、統一的なファシスト・イデ オロギーなどは何ら存在しないからであり、この面でもナチズムとイタリア・ファシズムとの間には、独特な相違が みとめられる。またファシズムは、経験をとりまとめる知的な鍵、歴史観、未来への理想をもたず、ある特定の社会 階級、経済的利益、社会組織の立場を代表しているものでもなかった。 ( 日 ) でも思想体系でもなかった。 そもそもイデオロギー つまりファシズムは 第三一に、人格構造からみても ( 日 ) ファシストに共通する類型などは見いだされない。 以上にのべた理由から、 アラ

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ダイスは一般的ファシズム概念が成立しえないことを力説するのであるが、彼はこ のような判断をくだす以前に、あらかじめ結論を先回りして、 つぎのようにのべていた l l i ﹁われわれがファシスト と呼ぶ実際の人物や運動についての理解は、類的概念によって高められてはこなかった。逆に一般的定義は、これら の人びとや運動の個性的正体を、多分、暖昧にしてしまった。ファシズム︹ファシズムと呼ばれてきた運動とするのが正 確な表現と思われる││引用者︺の多様性を認識することは、 ( 日 ) る ﹂ と 。 それを概念の専制から解放することをみとめることであ さきにわれわれは、 ヒルデプラントが両大戦間期の歴史を考察するにあたっては、 一般的ファシズム概念から離れ て﹁個性化的概念形成﹂を優先さすべきことを説き、 また第二章の注(訂)においてマルティンが日独伊三国のレジ

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(15)

ムを研究するさいには、﹁使い古されたファシズム概念﹂を放棄する必要をとなえているのを見てきた。いまアラ

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ダ 一般的ファシズム概念の否定は、﹁概念の専制からの解放﹂という、いささか挑発的な主張へとゆき ( 幻 ) つくことになるのである。 イスにおいては 以上の記述において、 われわれはマイネッケからアラーダイスにいたる歴史家の一般的ファシズム概念否定の論拠 をみてきた。しかし他方では国際ファシズムないし比較ファシズムの視野から、 一般的ファシズム概念の樹立を試み る一連の研究成果が公表されてきている。この章で取りあげた一般的ファシズム概念否定の論拠については、行論の (四川) 過程の中で適宜、論評を加えてゆくことにし、次章においては、比較ファシズム研究の動向を取り扱ってみることに ー レ ト 品 、 7 。 15 ファシズムの比較史序説(ー) ( 1 ) 甲 山 巾

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(16)

第12巻I号一一 16 ルリン大学において聴講したドロイゼンの講義から触発されたものであり、この講義を通じてマイ、不ツケは、﹁人格の秘密が一 切の歴史的行為のもとになっている﹂ことを学びとった(岸田達也﹃ドイツ史学思想史研究﹄︹ミネルヴア書房・一九七六年︺、 三四 l 四三ページ)。このような歴史思想の継受は、西村貞二氏によっても着目されており、氏は﹁ドロイゼンによって触発さ れた人格個性思想が今後かれの史学論の核心となってゆくであろう﹂(同﹃マイネッケ﹄︹清水書院・一九八一年︺、二一ペー ジ)と指摘している。だが﹁人格 l 個性思想﹂にもとづくマイネッケの史学思想は、のちに論ずることになるが、ヒトラーに 直面することによって破綻をきたすことになるのである。 ( ロ ) の REE 担苦アロ昂巴白 5 8 5 己 qv 向 担 任 け い 回 2 5 n z c 口 問 2 5 -R の g n F W Z 巾 E a 当 2 8 己 目 的 臣 、 向 山 岳 仲 買 o E 巾 目 的 宮 古 O E m n F B り g Z ロ 門 同 R Z E N 巾 山 同 ( 冨 g n F 巾

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品 吋 ) ﹃ 権 力 思 想 史 │ 1 近世の政治的思惟における権力問題の歴史および本質に関する考察 11﹄西村貞二訳(みすず書房・一九五三年)。 (日)同、四二ページ。 ( U ) 同 、 三 ハ 一 ペ ー ジ 。 ( 日 ) 国 司 自 由 ロ ロ 出 色 H H H ℃ 巾 ? の 巾 印 門 医 円 F H 巾 己 ロ 己 の 巾 m n E n F 広 場 町 田 印 B 印 門 町 田 町 グ 5 ・ ︿ 戸 市 丘 町 ロ 白 F E F え 丹 市 宮 門 N 巾 日 夜 巾 印 n F R E Z ・ 日 ﹄ 問 w 呂 町 ア ω ・ ∞ ( 日 山 ) 。 。 3EEE 印 官 三 国 間 ・ ) ・ ︿ 。 ロ ヨ aBREE 己 巾 吋 ( E Z 2 白 -L 2 5 ・ ω ・ = ( 口 ) c o -o p 向 田 口 口 ・ 巴 E g n F 巾 の 巾 凹 円 E n y Z 5 5 1 5 品 目 ( 明 司 白 口 広 口 円 円 ¥ 冨 -S E e -∞ - H H 吋l 口 ∞ 二 門 戸 ・ 02 仲 田 門 ﹃ 巾 の 巾 m n E n v g a g s -ロ -ロ 円 山 N C ﹄ 白 ﹃ ﹃ 百 一 旦 巾 叶 門 的 ( 司 自 民 ロ ユ ¥ 冨 ・

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印 ∞ ) ﹃ 近 代 ド イ ツ 史 2 ﹄上原和夫訳(みすず書房・一九七七年)、二一五ページ。 ( 国 ) E -U E g n v の 巾 印 円 E n F S 5 5 5 仏 印 ‘ ∞ - H H 叶 戸 ∞ ・ 前 掲 訳 書 、 二 一 五 ペ ー ジ 。 ( 凶 ) g E 目 同 、 二 一 五 ペ ー ジ 。 ( 初 ) H E P -ω H N C ・ 同 、 二 一 七 ペ ー ジ 。 ( れ ) H E P -ω ・5 ﹁同、二五四ページ。 ( 幻

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・ 口 ∞ ・ 岡 、 二 一 五 ペ ー ジ 。 (幻)なお歴史主義については、つぎのようなすぐれた定式化が参考となる。﹁歴史主義は一方において自然主義に対立するととも に他方では合理主義に対立する。それは概念や法則や抽象に対して、法則にまで抽象し得ざるもの、概念によって現わし得ざ

(17)

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(18)

第12巻l号一一18 ひきつけて言い直してみれば、﹁一般的ファシズム論の図式の中では個性は滅びる﹂ということになるであろう。なおヒルデプ ラントの主張を一九七 0 年代末と八 0 年代当初の旧西ドイツ歴史学界における第三帝国の政策をめぐる論争の中に位置づけて 考察した論稿に、佐藤健生﹁ナチズム l ヒトラー主義 l ドイツ・ファシズム il 最近の西ドイツにおける公開討論から 11 ﹂ ﹃ 紀 尾井史学﹄二号ご九八二年)がある。またヒルデプラント自身がナチズムと第三帝国をめぐる欧米の研究動向を整理した著 作を公刊している(戸田庄司可

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・山口定・高橋進訳(岩波書庖・一九七五年)三八五ページ。広--u

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・ ω 0 ・ナチズムに見られる人種主義イデオロギーの仮借なき実践は、類概念としてのファシズムを肯定する歴史家に たいしても、深い困惑をあたえた。われわれはその端的な例を、 R ・シュミットの見解に見ることができる。彼はナチズムの あまりにも極端な人種主義イデオロギーと絶滅政策に驚悔し、ユダヤ人の大虐殺がナチズム以外のファシズムにおいても見ら

(19)

19一一ファシズムの比較史序説(ー) れる反ユダヤ主義を徹底的に凌駕する﹁新しい質﹂を帯ぴていたと考え、つぎのような主張をとなえる││﹁国民社会主義は、 なるほどドイツ・ファシズムではある。だが:::国民社会主義はそれ以上のものでもある。:::国民社会主義はファシズムの 諸特徴を備えてはいるけれども、またそれらを突破している﹂と(同耐え白ロ仏

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。またスターンヘルもナチズムの極端な人種主義への 注目から、これを類概念としてのファシズムの中へ包摂することを拒否する││﹁ナチズムをファシズムの単なる一変種として 取り扱うことはできない。ナチズムによる生物学的決定論の強調は、ナチズムをファシズムの一変種として処理する努力を排 除 す る も の で あ る 。 ﹂

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とのべて、やはりナチズムの極端さがファシズムの特徴を突破していると考えている。また彼は、国民社会主義の 標識となるのは﹁生物学的決定論﹂であり、﹁ナチズムの基礎は、そのもっとも極端な意味における人種主義である﹂とのべて、 ナチズムをファシズムとは同一視できないと主張している

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第12巻I号一一20 (日)近代化論によるファシズム解釈が露呈する矛盾につき、アラ l ダイスがとくに関心を払うのはタ l ナ!とグレ l ゴアとの間 に見られる見解の対立である。すなわちタ l ナ l は、近代化過程(工業化、都市化、世俗化、合理化)にたいし、ナチ指導者 たちがどのような態度を取ったのかを問い、彼らが近代化過程に逆行しようとする意図をいだいていたと主張する。つまりナ チ指導者たちは、近代化の中で失われた過去の世界(過去がかつてもっていたと想像された調和、共同体、簡素、秩序の保た れた世界)へ回帰することを目標としたというのである。従って、タ l ナ 1 は彼らの意図を﹁反近代主義のユートピア的形態﹂ と呼んでいる(出

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岨 匂 同巳弘司)、また﹁類的ファシズムを執均に悩ます問題は、二 O 世紀のファシズムの中でもっとも印象的なそれである国民社会主

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可丘町白印三回目・匂弘之というのである。このようにグレ l ゴアは、ナチズムを類 概念としてのファシズムの中へ組み入れることに大きな困惑を示しており、これは先述の R ・シュミットがホロコーストのあ まりにも極端な局面に着目して、ナチズムをファシズム一般の中へ解消することに臆践を感じたことと、根拠は異なるとして も、相似的な困惑といえるであろう。 ( 位

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(22)

第12巻 1号一一 22 立場を表明した。二・二六事件にたいしても、終始一貫、きぴしい態度をとり、これの鎮定を矢つぎ早やに催促した(問、二 二ページ)。さらに立憲体制も敗戦にいたるまで機能していた。立憲的手続きをもっとも厳格に守ったのは天皇であり、﹁独裁 者﹂といわれた東条英機といえども、﹁帝国軍人﹂として最後まで﹁憲法の枠﹂を越えてはいなかった。東条は立憲的手続きに よって首相に任命され、かつ退陣した(岡、二二ページ)。このような中村氏の主張は、形を変えたファシズム概念の返上論と い え る で あ ろ う 。 (白川)ただし、ここではマイネッケとリッターが採用していた歴史主義における認識方法論の限界を指摘することを通じて、彼ら によるヒトラー観を批判しておきたい。そのためにまず言及しておきたいのは、歴史主義の信奉者たちが歴史認識の方法とし て理解論︿句∞

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・なお歴史主義の感情移入的理解論に大きな影響を及ぼしたのはデイルタイであり、彼の理 解論については、当吾巴

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︺﹁解釈学の成立﹄久野昭訳︹以文社・一九七三 年 ︺ 、 一 0 1 一 五 、 四 五 1 四七ページを参照されたい。また理解論をさらに掘り下げたものとして参考になるのが、 C 2 0 司 吋 ・ 切

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白 岸 ︹ 呂 田 山 口 N -同 定 申 ︺ ﹃ 理 解 す る と い う こ と │ │ 精 神 諸科学の理論のための三つの論文 il ﹄小笠原道雄・田代尚弘訳︹以文社・一九八一年改訂版︺である)。すなわちマイネッケ によれば、﹁歴史的な生への魂の移入ということが歴史主義の最強の認識子段にほかならない﹂

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﹃歴史的感覚と歴史の意味﹄中山治一訳︹創文社・一九七二年︺、六三ペー ジ)のであるが、﹁もしわれわれが友人のもっとも個性的なものを理解しようと欲するならば、感覚と感性とが共働しなければ ならない。::・人聞の魂の全体がともに振動しなければならない﹂(岡、六一ページ)というのである。しかもマイネッケは、 これと同じことが﹁歴史上のもろもろの個性にも妥当する﹂とのべ、﹁ひとは、自分が愛するもの以外の何物をも知らないのだ﹂ というゲ l テの言葉を引用する(同右)。マイネッケは対象への、このような感情移入を﹁理解的愛﹂(同右)と呼ぴ、認識の ための前提として個性的なものへの﹁畏敬の念﹂(問、六二ページ)、﹁根源的な帰依﹂(問、一一七ページ)をあげている。だ がガイスが指摘したように、マイネッケの認識の限界は、まさしく、このような感情移入的 l 理解的方法にあったといわねば

(23)

23一一ファシズムの比較史序説(ー) ならない。何故なら、そのような理解論では、自分が魂を移入できる人物だけが認識の対象となるからである。ガイスは果た してマイネッケがロ l ザ・ルクセンブルクやカ l ル ・ リ l プクネヒトの魂に感情を移入できるのかと問うている 2 8 己 色

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・フンボルト、ボイエンなどドイツ精神史上の卓越した人物だけであった。だ がマイネッケはヒトラーを理解できなかったのではないか。彼には﹁魔力的な自我﹂をもっヒトラーなどは分らなかったので あり、自分が﹁理解﹂できない対象は﹁デーモン﹂として片づけ、その役割を絶大視する以外に道はなかったと考えられる。 同じことはリッターにもあてはまるのであり、彼が主として取り扱った人物は、ルタ l 、フリードリヒ大王、シュタイン、ビ スマルクなどであった。彼にとっても、ヒトラーはやはり分らなかったのであり、彼が分るのはヒトラーに抵抗したゲルデラ ーではなかったであろうか。ただし第二次世界大戦の終結時に、マイネッケよりも二五才ほど年下であったりッターには、歴 史主義の欠陥に立ち向かうだけの気力が残されていた。彼は一九四九年九月一二日に開催された大戦後はじめての歴史学大会 で開会講演を行い、従来のような個人化的な歴史の探究方法では現代の﹁大衆的人間﹂

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・ HUg-ω ・ロ)、﹁経済的基礎概念、とくに通貨問題や財政学、また社会学的方法に通暁していないような現代 史学は、深い認識価値をもたぬ単なる修辞にしかすぎない﹂(吉弘・・ ω-NHNN) と主張して、講演を締めくくった。この時点で のリッターには、歴史主義の限界が痛感されていたのである。なお、マイネッケとリッターの史学史的伝記については、 E -シ ュ l リ ン ﹁ マ イ ネ ッ ケ ﹂ 、 ド ル パ l レ ン ﹁ リ ッ タ ー ﹂ ( 出 血

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ロ︺﹃ドイツの歴史家﹄第三巻・第五巻所収・ドイツ現代史研究会訳︹未来社・一九八三年・一九八五年︺を参照されたい。 第二章

比較ファシズム研究の動向と方法

フ ァ シ ズ ム 研 究 を ド イ ツ な い し イ タ リ ア と い う 一 国 史 的 枠 組 の 中 で と ら え る 研 究 の か た わ ら に 、 こ れ を ヨ ー ロ ッ パ

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