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されたいてだが他方において︑指摘に値するのは︑このコッカが﹁﹃日常史的﹄ジンテーゼは考えられないし︑またありえな
い﹂﹁経験史的な形で総合的記述を行いうるなどと期待することは︑まったくできない﹂(同
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・﹃歴史と啓蒙﹄︑五四ページ)と主張して︑日常史だけに専念して研究を進めることに強い批判的な態度を表明していたことである︒いま
本稿の課題である類的ファシズム概念の形成という観点から日常史Hミクロ史の効用を考えてみる場合︑コッカが歓迎したよ
うに︑日常史は︑とりわけ﹁普通の人ぴと﹂の体験に着目することによって︑これまで︑放置ないし看過されてきた歴史の個
別の空白領域に光をあて︑歴史研究の成果を豊かにすると期待できる(例えばヴアイマlル共和政末期にナチス支持へと傾く
第12巻1号一一40
中小農民や労働者の個々の動きを内面からとらえるようなナチズム研究の取り組みてだが日常史H体験史は︑ナチズムの実態
の究明に大きく貢献できるとしても︑果たしてそれ自身でファシズム概念の形成を行いうるかどうかに関しては甚だ疑問であ
る(このことに関連して遺憾に思うのは︑日常史の推進者リュトケとゲルステンベルガ!の両氏が国民社会主義を︹類的︺フ
ァシズムないしドイツ・ファシズムとみなしうるためには︑次元の異なる論証を必要とするにもかかわらず︑国民社会主義と
ファシズムを自明の理として無媒介に等置して論を進めていることである︹匡
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∞叶)︺)︒何故なら︑例えばヒトラーの運動︑イギリスのモ│ズリの運動︑フ
ランスのドリオの運動に参加した人びとの日常的体験・意識を明らかにできても︑そのような自己理解的な体験史にもとづく
だけでは︑それらの運動をファシズムに属するものと断定することは不可能と考えられるからである︒それらの運動をファシ
ズムという概念に包括するためには運動参加者の記憶・回想のみに密着するのではなく︑体験を越えたモデル的概念化的アプ
ローチが必要となるのではないか︒同じ危倶の念は︑わが国における現代ドイツ日常史研究の第一人者である山本秀行氏の著
作﹃ナチズムの記憶ll日常生活からみた第三帝国ll﹂(山川出版社・一九九五年)にもあてはまるのであって︑なるほど山
本氏によって試みられた﹁普通の人ぴと﹂の日常生活の体験をめぐる取り組みは︑ナチ体制の実態を大きく明るみにだしてく
れている︒だがナチ体制を究明することと︑その体制をファシスト体制と規定することとは︑論証の次元を異にする問題であ
る︒何故なら︑歴史主義の立場にたつ歴史家であるならば︑ナチ体制をヒトラー主義の実現とみなす主張をうちだすこともで
きるからである︒その当時の人ぴとの回想や記憶︑もしくは﹁自の高さ﹂からの観察の重視は︑ナチ体制を内側から理解でき
ても︑その理解だけでは一般的ファシズム概念の樹立へとつながっていかない︒類的ファシズム論へと到達できるためには︑
事態への理論的1概念化的取り組みが要請されるところである︒今しがた経験史的な形での総合的記述は期待できないという
コッカの主張を引用しておいたが︑この指摘は山本氏の著作における次のような氏自身の結論にたいしても妥当するのではな
いであろうか│l﹁ごく平凡で︑普通の人ぴとが︑おおくのばあいナチズムとは距離をおきながらも︑ナチスの政策を支持した
り︑ナチ体制に統合されていった﹂(三二四ページ)︒つまりこのような総括につながる個別研究をドイツの各地域にわたウて
積み重ねても︑そのことは一般的ファシズム概念形成の基礎となりうるナチズムの体系的総合的記述(例えばナチ体制におい
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lラlて支配していたのは総統なのか︑党なのか︑それとも大資本であったのかという聞いへの回答︑またナチズムの起源︑究極目標︑社会的基盤︑社会的機能の探究)には至らないと思われる︒さらにこの総括の中の﹁ナチズム﹂﹁ナチス﹂という言葉を
他のそれに置きかえてみると︑氏の総括は︑どのような体制(スターリン体制をも含めて)にもあてはまる主張ではないであろうか︒個別のナチ体制と類としてのファシスト体制との架橋のイニシャティヴは日常的体験史への専念からはでてこないの
であって︑類的ファシズム概念の構築にあたっては︑やはり理論をふまえた体験と構造との結合︑﹁目の高さ﹂とパl
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との結合が必要となるであろう︒なおここでフランスのアナlル学派につき言及しておくならば︑二宮宏之氏の前掲書﹃歴史学再考││生活世界から権力秩序へ││﹄ならびに句
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I│﹄大津真作訳(岩波書底・一九九二年)を読了して得られるのは︑アナlル学派の現段階の関心や方法では一般的ファシズム概念の樹立に到達できず︑その意味でこの学派の射程距離には大きな限界がとりつくという印象である︒
第三章
﹁ フ ァ シ ス ト
・ ミ ニ マ ム
﹂ テ ー ゼ と
﹁ 反
﹂ テ ー ゼ の 批 判 それでは一般的ファシズム概念に到達するにあたっては︑具体的にどのような手続きから出発したらよいのであろ
41一一ファシズムの比較史序説(ー)
うか︒このような設問を行うとき︑リンスとぺインがファシズム概念の樹立のために
(1 )
は︑多次元的な接近をとることの重要性を強調していたことである︒すなわちリンスによる﹁多次元的類型的定義﹂
( 2)
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母出包位︒ロの確立と︑ぺインによる﹁多形態的仮説的カテゴリー﹂自己在同O
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の樹立︑このそれぞれの提唱である︒ ただちに想起されてくるのは︑
この両者の主張は︑なるほどファシズム現象のもつ複雑で多様な相貌を把握するためには︑単次元的接近方法では︑
その解明に到達できないことを説いたきわめて適切なテ
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ゼといえる︒だがこのように多次元的手法のメリットを十
分に認めながらも︑他方ではその﹁多﹂
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己庄は︑やはりなるべく少数であることが望ましい︒このような観点にたっ第12巻1号一一42
て研究史を回顧するとき︑ただちに念頭に浮かぴあがってくるのは︑その現象をファシズムと名づけることが可能と
なるためには︑最低限︑どれだけの要素が備わっでなければならないかという設聞から﹁ファシストの最低条件﹂(す
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