第二次ニューディールと黒人女性メアリー・マクロ ード・ベシューン : 教育者として、女性運動家と して、連邦政府行政官として
著者 太田 美幸
URL http://hdl.handle.net/10236/11589
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論 文 内 容 の 要 旨
太田美幸氏の学位請求論文である「第二次ニューディールと黒人女性メアリー・マクロード・ベシューン
―教育者として、女性運動家として、連邦政府行政官として―」は、第二次ニューディール期に、全国青年 局の黒人部門で黒人青年の救済に尽力した連邦行政官メアリー・マクロード・ベシューンの足跡をたどるこ とによって、ベシューン研究を充実させるのみならず、ニューディール期社会史研究、黒人史研究にも新た な一石を投じようとするものである。
メアリー・マクロード・ベシューンは、ベシューン・クックマン大学を創設して黒人青年の教育に勤しむ とともに、全国黒人女性会議を率いて黒人女性の権利獲得に尽力していた女性運動家で、第二次ニューディー ル期の1936年に黒人女性で初めて連邦政府行政官に任命された。本論文は、この連邦政府行政官となった彼 女を研究対象とするものであるが、彼女は連邦政府の伝達者としての側面を持ちながらも、救済と自立の両 面を意図した一連の政策を実行したと指摘する。ニューディールの救済政策を通して、自立のための大学教 育を拡充させ、黒人男性のみならず黒人女性指導者を育成し、彼ら彼女らをベシューンに続く連邦政府行政 官として登用したという側面を強調し、これは、ベシューンが教育者としてあるいは女性活動家として培っ てきた方法を連邦政府に広げて、連邦政府での黒人の指導者層の連携と勢力拡大を意図したものであるとす る。また、ベシューンのこうした自立政策を下から支援したものが、ベシューンが組織したベシューン・クッ クマン大学卒業生によるベシューン・クラブであったことも強調される。これはベシューンが育てた卒業生 たちが、フロリダ州から始めて全州へと拡大させた黒人女性の社交ネットワークであり、末端のコミュニティ 組織及び一般の黒人組織を連携させるのに有効であったとされる。
1980年以後、黒人史の研究は目覚ましい進展を遂げており、黒人女性運動の指導者たちについての研究も 多くなった。ベシューンも、ローズヴェルト夫妻の支援を受けながら連邦行政府高官として、黒人とりわけ 黒人青年の救済・支援プログラムに積極的に取り組み、黒人の行政官としての登用に務めた先進的黒人女性 と評価されるようになった。しかし、同時に、彼女は、連邦政府の意思を実行し、少なくとも結果的には黒 人を民主党へ誘うことで国家に組み入れる政策を実施したとする批判的な研究も少なくない。
本論文は、そうした黒人に向けた連邦政府の代弁者という役割を担いながらも、ベシューンが黒人による 自立のためのネットワークの拡充に尽力したことを論証しようとするものである。すなわち、ベシューン が、連邦政府行政官から黒人市民運動家、コミュニティ組織と、さらには一般の黒人に至る双方向的な黒人
氏 名
学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目
論 文 審 査 委 員 (主査)
(副査)
太 田 美 幸
第二次ニューディールと黒人女性メアリー・マクロード・ベシューン ―教育者として、女性運動家として、連邦政府行政官として―
博 士(歴史学)
甲文第127号(文部科学省への報告番号甲第443号)
学位規則第4条第1項該当 2012年9月5日
田 中 きく代 阿 河 雄二郎
横 山 良
(甲南大学教授)教 授 教 授
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指導者ネットワークを作り上げたことが論じられる。ベシューンの活動が、連邦政府行政官としての制約を 持ちつつも、むしろそれを利用し、デュボイスの自立路線を継承してニューディール期の黒人の自立を促進 し、公民権運動への先駆けとなったことが指摘されている。
本論文は、研究目的や研究史を述べた序章、第Ⅰ部「連邦及び州の黒人市民指導者との連携による黒人青 年への教育支援」(第1章から第3章)と、第Ⅱ部「フロリダ州の実践と全国的展開」(第4章から第6章)
から構成されている。
第Ⅰ部は、ベシューンが、黒人部局長に就任するや、自立した黒人部局運営をめざし、連邦政府内の黒人 勢力を集結すべく、連邦政府行政官たちからなるブラック・キャビネットを結成したことが詳述される。ま た、このブラック・キャビネットと黒人市民指導者を繋げるために、三大全国黒人組織を中心とする1937年 黒人全体会議を開催したこと、さらに、この黒人全国会議に出席した黒人市民指導者を集めて、各州での教 育支援プログラムの実施のための連邦会議を開催したことが述べられている。それらの教育支援プログラム としては、都市同盟との連携で失業青年への労働プログラム、全国黒人向上協会との連携で学生教育支援プ ログラム、そして全国黒人女性会議との連携で経済支援のパートタイム労働プログラムなどが立ち上げられ たことが例示されている。
第Ⅱ部では、第Ⅰ部で説明された連邦レベルで立ち上げられた黒人部局の諸プログラムの州レベルでの具 体的な実施状況を分析することによって、ベシューンの歴史的評価を試みようとする。まず、フロリダ州の ベシューン・クックマン大学における教育プログラムの詳細な分析がなされている。ベシューンは、連邦行 政官になることは、連邦支援枠を拡大するチャンスだと受けとめ、より多くの学生に教育の機会を与え、優 れた人材として育てるために、教育の充実、奨学金の拡充、アルバイト制など、状況に合わせた多彩なプロ グラム作りを実行した。また、これらのプログラムによって育成された人材を指導者として黒人部局の様々 な地位に就任させたことが明らかにされている。ことに、教育支援プログラムや労働プログラムは、4年制 のベシューン・クックマン大学の設立以前から、ベシューンが希望し、すでに部分的に実行していたもので あることが指摘されている。
次に、こうした教育プログラムは、その後、フロリダ州をはじめとして南部で、やがては全国的に展開さ れていったが、その実施のために先述のベシューン・クラブが全国的に組織化されていったことも指摘され ている。つまり、様々なレベルの黒人指導者のネットワークを一般の黒人の人々と繋げ、また草の根の教育 ファンドで下支えをしたベシューン・クラブを検証することによって、ベシューンの目的が、単に連邦政府 の意向を受けて黒人票をまとめることだけではなく、黒人を自立させ、連帯させていくことにあったと主張 している。
論 文 審 査 結 果 の 要 旨
本稿はフランクリン・D・ローズヴェルト政権が「ナンバー・ワン・プロブレム」として捉えた南部の貧 困問題、とりわけ南部黒人の貧困問題の解決に自らあたった連邦全国青年局黒人部局長メアリー・M・ベ シューンの活動を連邦政府行政官としてだけでなく、教育者として、黒人女性活動家としての側面を包括的 に検討することによって、1950年代に開花する公民権運動の前史あるいは基盤形成史の解明に寄与しようと する意欲的研究である。
従来、ベシューンはローズヴェルト夫妻の支援を受けながら、連邦行政府高官として、黒人とりわけ黒人 青年の救済・支援プログラムに積極的に取り組み、黒人の行政官としての登用に務めた先進的黒人女性と評 価されてきた。本稿では、第Ⅰ部において、連邦政府の活動と黒人全体会議、全国黒人市民組織など民間の 活動との連結の試み、連邦行政府内におけるブラック・キャビネットの形成と拡大の努力など、ベシューン
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の連邦行政官としての活動の軌跡をたどることによって、そのような評価を再確認している。こうした意味 では、第Ⅰ部には研究史上さほどの新味があるとは言えない。だが、従来それぞれ個別に語られがちであっ たベシューンの足跡を、ベシューンが執筆した『ピッツバーク・クーリエ』紙のコラムをはじめ、全国黒人 市民組織の機関紙などに投稿された論説、ブラック・キャビネットの議事録などを丹念に読み直し、整理・
統合したことは、有益な成果であると評価できる。
第Ⅱ部は、ベシューンが、行政官としての活動を、大学教育者という彼女本来の活動ならびに社会活動家 としての活動と結びつけて、連邦政府から全国の草の根にまでわたる黒人指導者のネットワークを構築しよ うとした軌跡が、Mary McLeod Bethune Papersなどの一次史料の分析によって実証されている。なかでもベ シューン・クラブを軸にした運動の展開を扱った部分は本稿の白眉ともいえるものであり、ベシューン研究 のみならず、ニューディール期社会史研究、黒人史研究に新たな知見を加えるものである。ベシューンのベ シューン・クックマン大学運営の活動を扱った部分とともに高く評価できる。
もっとも、本論文にはいくつか課題がないわけではない。まず第1に、ニューディール期という時代を背 景とした黒人運動一般の流れと、ベシューンの活動がどのように交差したのか。ベシューンが試みた諸々の プログラムは、恐慌下の財政苦境のなかでどこまで実現できたのかが問われなければならない。
第2に、ベシューンはどのようなプロセスを経て、ワシントンの協調路線から離れ、デュボイスの自立路 線に共鳴するに至ったのか。また、ベシューンの「現実主義」は、デュボイスの思想や運動と、どこに共通 性があり、どこに相違がみられるのか。彼女が黒人女性であったことは、彼女の理念や政策に独自性を与え ているのかといった点も解明されるべきである。
第3に、本稿は、超人的な黒人女性としての、ベシューンの光の部分のみを強調しすぎている面が否めない。
その点で、研究にふくらみを欠き、やや平板な印象を与える。黒人運動内部での摩擦や対立、南部白人勢力 や反ニューディール勢力からの反発といったいわば影の部分への目配りをすることも、今後の課題であろう。
第4に、ベシューンが組織したブラック・キャビネットのメンバーや、州レベルで活動した黒人部局指導 者らを繋いだ絆はその後の黒人の公民権運動に継承されたのかといったことも解明されるべき課題であろう。
さらに、日本語の表現にもなお未熟さがみられる。この点での改善も望まれる。
以上のような問題点に関しては、2012年7月26日に実施された、公開審査会での質問に対する応答で、満 足のいく回答が得られたものも多くあるが、なお改善が求められる点も残る。もっとも、それらの克服は、
今後太田美幸氏が研究者としてさらに発展していくうえでの課題となろう。本論文は、わが国で初めて黒人 運動史上のべシューンの位置や役割を正面から論じたものであり、ニューディール期黒人史研究に原史料の 分析をもって切り込み、新たな知見を提示し得たことは高く評価できる。本論文審査委員3名は、論文の審 査ならびに公開審査会での口頭試問の結果により、太田美幸氏が本論文によって博士(歴史学)の学位を受 けるに値すると判断し、ここに報告する。