私 と 民 事 訴 訟 法 研 究
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(2) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 一八. 学を定年で退職致します︒いつも何かの仕事に追われておりましたので︑つい最近まで︑自分のこととして古稀だ. とか定年退職ということを考えていませんでした︒古稀だとか定年退職というと大先生︑つまり外岡先生︑大浜先. 生のような老大家のことという印象が強く︑私にとってはまだずっと先のことだと思っておりました︒しかしいつ. の間にか私も年をとり︑最近になりますと眼鏡がないと六法全書の字が読めないようになり︑七十才︑定年退職と. いうのは︑誰が考えたのか分かりませんが︑かなり合理的な制度だと思うようになりました︒. 七十才というのが︑私の早稲田大学での研究生活の一つの区切りだとしますと︑これまでにやってきたこと︑そ. れについて総決算すべき時期であると思います︒そこで今日は︑私がこれまでどのような研究をしてきたのか︑そ れを振り返ってみて︑それについて皆さんにお話しようかと思っております︒. 中村の民事訴訟法というと︑きっと皆さんはローマ法・ゲルマン法を思い出されると思いますが︑私が何時︑何. 処でローマ法・ゲルマン法と出会ったのか︑またローマ法・ゲルマン法は︑今どの様な意味をもっているのか︑そ のようなことについてお話したいと思います︒. しかしその前に︑私がどうして大学で研究者の道を歩むようになったのか︑そこら辺からお話しすることにしま しよ・つ︒. 私が第二早稲田高等学院に入学したのは一九四二︵昭和一七︶年のことでした︒既に太平洋戦争が始まってお. り︑翌年には徴兵年令の引き下げ︑徴兵延期の廃止などがあり︑多くの同級生が学園を離れ兵役につきました︒私. は年令が若かったので学院に残り︑一九四四︵昭和一九︶年一〇月には法学部に入学しましたが︑一年生の授業は.
(3) 三か月だけ︑すぐ学年末の試験があり︑翌年二月からは名古屋の愛知航空機という飛行機製造工場に勤労動員され. ることになっておりました︒しかし一月にはこの地方に大地震があり︑引き続き空襲があって工場が壊滅してしま. い︑行くところがないまま︑大学で研究室の図書の疎開の手伝い等をしておりました︒また︑五月二五日には東京. に大規模な空襲があり︑今の七号館の所にあった赤煉瓦の恩賜館︑大隈会館︵旧大隈邸︶が全焼し︑また法学部︑. 商学部の事務所に火が入る等︑大学は大変大きな被害をうけましたので︑私達はその焼け跡の片づけ等の手伝いを. しておりました︒しかし︑そうこうする中に八月一五日となり︑戦争は終わったという次第です︒. 戦争が終わりますと世の中ががらっと変わりました︒特に憲法をはじめ︑民法の親族法・相続法︑刑事訴訟法等. は全面的に改正され︑そこではこれまで正しいとされていた考え方が否定され︑新しい原理原則が説かれるように. なりました︒例えば憲法では︑これまでの天皇主権の考え方は誤りであり︑これからは国民主権であるとか︑また. 民法の親族法・相続法での家族を中心として考えるのは封建的であり︑これからの民主主義の下では個人を中心と. して考えなければならないとされ︑また︑刑事訴訟法では︑これまで国が犯罪人を取り調べて刑罰を与えた糺問主. 義が行われたがこれは誤りであり︑これからは検察官と被告人の争いを裁判所が裁判する当事者主義でなければな. らないということになりました︒これは当時の当該科目の専門家にとつては︑革命のようなものであったと言うこ. とができるでしょう︒当時︑民法の親族法・相続法を担当しておられたのは外岡先生でしたが︑この先生は大変素. 晴しい先生で旧民法の親族法・相続法の条文を全部暗記しておられました︒授業中︑よく学生に﹁何条をあけてご. らん﹂と言われ︑ご自分は六法全書も見ないで︑これこれと書いてあるだろうと条文を読まれました︒しかし法律. 一九. が変われば先生も学生と同じように六法全書を開けて条文を見なければなりません︒この意味でその道の大家の先 私と民事訴訟法研究.
(4) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 生も新しいスタートラインにつかれたわけです︒. 二〇. 私が特に興味をもったのは刑事訴訟法でした︒刑事訴訟法の改正作業は一九四六︵昭和二一︶年︑憲法の改正作. 業が終わってから直ぐ始まったと思います︒これも憲法と同じで原案はGHQ︑占領軍総司令部が作成し︑法務省. はそれを逐条的に翻訳し委員会にかけてこの法律を作成したという経緯であります︒早稲田大学からは斉藤金作先. 生がその委員会にお出ましになっておられました︒私の父宗雄は︑長年早稲田で民事訴訟法の講義を担当しており. ましたが︑斉藤金作先生の先生でもあり︑そんな関係で斉藤金作先生は︑毎週︑法務省の委員会が終わると父の研. 究室に立ち寄られ︑いろいろ相談をしておられました︒その話などを聞いておりますと︑糺問主義を捨て当事者主. 義によって構成される新しい刑事訴訟法の下では︑これまでの刑事訴訟法学者の考えなかった色々な間題があるこ. と︑そして当事者主義の立場で構成される刑事訴訟法の下では︑民事訴訟法の理論が良く当てはまるということが. 分かってきました︒私は﹁門前の小僧習わぬ経読む﹂式に︑何時とはなしに民事訴訟法はある程度勉強しておりま. したので︑民事訴訟の理論で刑事訴訟の問題を考えてみると大変面白いのですね︒そこで生意気にも︑私でも刑事. 訴訟法の研究者になることが出来るのではないか︑と︑そんな不遜な考えを起こすようになったのです︒. 大学の卒業が近づいた頃︑斉藤先生から研究室に呼ばれまして﹁卒業したら君は一体どうするつもりだ﹂と聞か. れましたので︑﹁大学に残って刑事訴訟法の勉強をしたい﹂と答えましたところ︑﹁それでは国家試験を受けてこ. い︒早稲田大学法学部は国家試験に合格しない者は助手に採用しない﹂と申し渡されました︒戦時中停止されてい. た国家試験が丁度その頃再び行われる様になった時でした︒大学を卒業してこれからは試験がなくなるとひそかに. 喜んでいたのですが︑それではということで︑試験勉強を始め︑幸いにして第一回の司法試験に合格した︑それか.
(5) 刑事訴訟法研究から民事訴訟法研究に. ら助手に採用していただいた︑とこういうような次第です︒. 二. 助手になって最初に書いた論文は︑刑事訴訟法の﹁訴因について﹂︵螺禰糎壕呼一血稚加︑一一肺︶という論文でした︒. ﹁訴因﹂という概念は戦前の刑事訴訟法にはありませんでした︒戦後改正された刑事訴訟法になって初めて用いら. れるようになった概念で︑英語の原文にある8琶叶という語を翻訳したものです︒この考え方は英米法にはあり. ますが大陸法にはありません︒そこで︑今までの刑事訴訟法の学者も実務家も︑これをどのように理解すべきか見 解が分かれていた︑という状況の下にありました︒. 私は︑父の影響で民事訴訟法はある程度勉強しておりましたので︑民事訴訟の訴訟対象論︑これを手本にして︑. 刑事訴訟法の訴因の問題に取り組んだという次第です︒これは助手の論文としてはまあまあの出来だったと思って. おります︒しかしその時考えましたことは︑刑事訴訟法の訴訟対象を研究するには︑もっと民事訴訟法における訴. 訟対象の問題を勉強しなければならない︑ということでした︒ところで民事訴訟法について私の父宗雄は常にこう. いうことを言っておりました︒﹁訴訟制度というのは歴史の所産である︒だから歴史を知らなければ現在の制度を. 正しく理解することは出来ない﹂︒私も確かにそうだと思いました︒そこで︑民事訴訟の訴訟対象論を研究するに あたり︑まずこの問題を歴史に遡って研究するということから始めたという次第です︒. 二一. 日本の民事訴訟法はドイツ民事訴訟法を模範として出来上がったものです︒そこで民事訴訟法の訴訟対象論の歴 私と民事訴訟法研究.
(6) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 二二. 史を研究するということは︑ドイツ民事訴訟法における訴訟対象論の歴史を研究するということになるわけです︒. ところで日本が模範とした一八七七年のドイツ民事訴訟法はどのようなものかと申しますと︑その主流となったの. はドイッ普通法です︒ドイッ普通法とは何か︒これは後でお話し致しますがローマ法だと言ってよいでしょう︒し. かし︑ドイツには昔からゲルマン法というものがありました︒それが中世におけるローマ法継受の結果片隅に追い. やられ︑ローマ法が主流になった︑とこのような経緯です︒そこで訴訟対象論の歴史を研究をしておりますと︑そ. こにローマ法とゲルマン法の相克というのが見えてくるわけです︒私がローマ法・ゲルマン法に出会ったのはその 時でした︒. 民事訴訟法の歴史については︑エンゲルマンの﹁民事訴訟法﹂という三巻からなる大部の著作がありまして︑そ. のうちの第二巻が歴史に当てられております︒その第二巻によリローマ法・ゲルマン法の上に築かれたドイツ民事. 訴訟法の歴史を学びました︒しかし︑その当時︑私にはローマ法・ゲルマン法について充分な予備知識がありませ. んでしたので︑船田亨二の﹁羅馬法﹂など日本語の文献でローマ法・ゲルマン法を勉強しながらエンゲルマンを読. むというようなことをしておりました︒エンゲルマンの著作はかなり難しく︑殊に︑文章の中にラテン語などが出. てまいりますので大変苦労致しました︒それで︑多分一年以上二年近くかかったのではないかと思いますが︑訴訟. 対象について重要と思われるところを読み︑それをとりまとめて一九五五︵昭和三〇︶年﹁訴訟の目的︵訴訟対象︶ 概念の生成過程﹂︵埠諦田彗一一陀権凡ル篇︶という論文を書きました︒.
(7) 三. ドイツ法研究. この頃の研究を思い出しますと︑何も分からず無我夢中に勉強していたという感じです︒この過程で︑私にとっ. てまことに幸いでありましたことは︑一九五二︵昭和二七︶年︑講師に嘱任されました折︑第二法学部︵夜間の法. 学部︶の二年のドイツ法の授業の担当を命じられたことでした︒このドイツ法の講義をもったということが︑今お. 話ししたドイツ法の歴史︑ローマ法とゲルマン法の二つの流れの上にドイツ法が築かれた過程を理解するのに大変 役立ちました︒. 当時︑私はドイツ語は何とか読めましたけれども︑ドイツ法を知っているかというと︑これについての知識は殆. ど無いというような状態でした︒しかし斉藤金作先生が︑﹁勉強しながらやればよろしい︒分からないことがあっ. たら俺のところに聞きに来い︑何でも教えてやる﹂ということで独法の授業をもったという次第です︒その頃の独. 法の授業というのは︑現在の独書講読と殆ど変わらないものでした︒例えば斉藤先生が独法を担当されますとリス. トの刑法の教科書を読むとか︑和田小次郎先生が担当するとラレンツの国家哲学に関する文献を読むというような. ことをしておりました︒ですから︑一通りドイッ語が読めれば独法の教師が勤まると︑少々乱暴な言い方をすると そんな時代であったのです︒. 早稲田大学の法学部では︑それまで度々ω器借ヨ讐δ魯Φ菊9窪ω≦一ω器参3津という本を独法の教材として使って. 私と民事訴訟法研究. 二三. いたようでした︒この本はシュタムラーとかゾーム︑リストといった二〇世紀初頭のドイツにおける民法︑刑法等.
(8) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 二四. の一流の学者が︑それぞれの専門分野を要領よく解説しているものでして︑日本でいうと﹁法学﹂に該当するもの. ということができるでしょう︒なかなか良くできた本だと思います︒私は斉藤先生からドイツ法の歴史を勉強する. にはこれがよいということで︑そのうちのゾームの民法を読むことになりました︒ゾームは民法学者なんですけれ. ども法制史の学者でもある方です︒その民法の最初のところにドイツ民法の歴史が書かれておりますが︑これは大. 変要領よくドイツ法の歴史を示しており︑これを読むことは私にとって大変勉強になりました︒. ドイツ法の授業を担当するということは︑ただドイツ法の文献を読めばよいというものではありません︒当然の. ことながらドイツ法についての幅ひろい︑また掘り下げた知識が要求されるわけで︑そのためにはかなりの勉強が. 必要でした︒その頃は今と違いまして︑そういうものをまとめて解説した文献が殆どありませんでしたので︑法制. 史の文献を見たり︑また関連した別の論文を読んだり︑ということでかなり苦労を致しました︒しかし︑そのよう. な勉強をしているうちにようやくドイツ法の歴史︑構造が分かってきたという次第です︒この勉強は当然のことで. ローマ法とゲルマン法. すが︑前にお話ししたエンゲルマンの民事訴訟法の歴史の理解に大変役立ちました︒. 四. ドイツ法の歴史については︑私の民事訴訟法の教科書に出ておりますこの図をご覧になって下さい︒ドイツには. 昔からゲルマン法が行われていました︒しかし中世になりますと︑ドイツ法の歴史に一時期を画する︑例のドイツ. におけるローマ法継受の時代がやってくるわけです︒何故︑どの様にしてローマ法がドイツに入ってくるのか︑こ.
(9) こら辺のところはドイツ法の授業の中でも山場をなす大変面白いところですが︑今日は時間もありません︒そこま. で立ち入ることはできません︒ただその当時ドイツの経済圏が拡大して︑ドイッ全域で行われる共通の法律を必要. としたこと︑ドイツの皇帝はロ〜マ法王に忠勤を励んで神聖ローマ皇帝という称号をもらい︑従ってローマ法が神. 聖ローマ帝国︑つまりドイツの法として行われても一向おかしくない精神的な背景は既に整っていた︑ということ. だけを挙げておきましょう︒このようにしてローマ法はドイツ帝国の普通法︑一般共通法となり︑ドイツ法の主流 になった︑という次第です︒. 宇姦窺甕嚢・箋婆蓬. ゲルマン法. 民族大移動. 渓 罵 イ. 粥. ドイ ツ 法. 剃. ス. 法. ノルマン人侵入 ノルマン王朝成立. コモン・〒. ゲルマン法. イ. ア メ リカ法. ︵事実出発型・不文法主義︶. 激潔鶏. 私と民事訴訟法研究. 日 本 法. 二五. ﹁民法におけるローマ思想とゲルマン思想﹂という本があ. この関係を論じた日本語の文献としては︑平野義太郎の. るという関係が随所に見出されるという次第です︒. ツ法の中に︑ローマ法とゲルマン法の考え方が相克してい. ツに根づよく残っておりました︒そのようなわけで︑ドイ. ている地方もあり︑ゲルマン法の考え方は依然としてドイ. って︑昔から行われたゲルマン法をしっかりと後世に伝え. にザクセン・シュピーゲルという紙に書かれた法律書があ. が不明になりました︒しかし︑例えばザクセン地方のよう. で︑そのためローマ法が入ってきてからは次第にその存在. しかしゲルマン法が全く消えてしまった訳ではありません︒ゲルマン法は一般的には口伝えで伝えられた不文法. 大. 陸法. 英米法.
(10) 早法七一巻四号︵一九九六︶. ります︒これからは大変色々なことを教えられました︒. 二六. 一八七一年︑普仏戦争でドイツがフランスに勝ってドイツ帝国が成立し︑この新しい帝国の下で民法︑刑法︑訴. 訟法と全ての分野で大規模な立法事業が始まります︒各ラントから委員が選出されて法律の草案が作成されます. が︑各ラントに共通なのはローマ法ですから︑そこに出てくる草案は当然ローマ法を基調としたものになります︒. 一八八八年にドイツ民法の第一草案が発表されます︒これは日本民法が模範としたもので︑当時の立法としては大. 変優れたものでしたが︑それは全くローマ法に依存したものでした︒この第一草案に対し︑ギールケ等のいわゆる. ゲルマニステンと呼ばれるゲルマン法学者達が︑第一草案にはドイツ固有のゲルマン法の考え方が入っていないで. はないか︑ということで第一草案を批判するわけです︒この批判をうけて一八九〇年には再び委員会が設置され︑. 改正の審議をした上︑ゲルマン法の考え方も取り入れたドイツ民法第二草案が公表されることになるのですが︑平. 野さんの本には︑このギ〜ルケの批判等をとおして︑民法におけるローマ法思想とゲルマン法思想の相剋がよく描 写されております︒. 五 民事訴訟におけるローマ法理とゲルマン法理. 以上と同じような対立関係が︑民事訴訟法の領域にもあるというのは当然考えられることです︒ 1訴−訟対象. 私は︑民事訴訟法の研究を始めました時︑前にお話しましたように︑訴訟対象という概念が一体どのようにして.
(11) 成立したのか︑それをローマ法・ゲルマン法に遡って研究することから始めました︒その頃は︑そもそもローマ. 法・ゲルマン法というものを良く知りませんでしたので︑それがどの様なものかを理解することから始めなければ. なりませんでした︒ローマ法については日本でも相当研究が進んでおり︑船田享二の﹁羅馬法﹂︑その他割合多数. の文献がありましたので︑まずはそれらを手掛かりとして理解を進めていきました︒ゲルマン法については日本語. の文献は殆どなく︑ドイツの法制史の本などで勉強しました︒その上でエンゲルマンの民事訴訟法の歴史を論じた. 第二巻により︑ローマ法・ゲルマン法から一八七七年のドイツ民事訴訟法が成立する迄の︑訴訟対象概念の移り変. わりを追ったわけです︒そこで明らかになったことは︑ローマ法にはアクチオ制︵法規︶があってこれが訴訟対象. の範囲を決めている︒これに対しゲルマン法では生じた事件そのものを訴訟対象と捉えており︑両者は全然違った 考え方をしているということでした︒この問題についてはまた後でお話しましょう︒. 2共同訴訟. 次に私が興味をもったのは︑共同訴訟の問題でした︒一つの事件に数人の者が関係しているというような事件は. 沢山ありますが︑このような事件が裁判所に持ち出されたとき︑複数当事者の訴訟を認めるのか︑それとも複数の. 訴訟に分けて審理するのか︑それをどの様に扱うかということについては色々な考え方があります︒実はローマ法. の時代には︑数人の者を共同訴訟人として一緒に審理し裁判するのが便利な場合には︑数人の者が共同原告とな. り︑あるいは数人の者を共同被告として訴訟することを認めておりました︒しかしどういう場合に複数当事者訴訟. を認め︑またどういう場合にそれを認めないのか︑という点についての客観的な基準はありませんでした︒裁判所. 二七. が適当と認めればそれを許し︑裁判所が駄目だといえばそれは駄目︑という具合でした︒しかしこれはローマ帝国 私と民事訴訟法研究.
(12) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 二八. という巨大な国家権力を背景として︑裁判所の権力が強大であったために出来たことでして︑国家権力が衰退致し. ますと︑このようなやり方は通用しなくなります︒ローマ法はその後イタリーに入り︑いわゆるローマ・カノン法. の時代になりますが︑この時代には裁判所の権力が後退致しますので︑裁判所の都合で︑あの場合は多数当事者訴. 訟を認めるが︑この場合は駄目だということでは収まりがつかなくなります︒当事者の方から見ますと︑どの場合. には多数当事者訴訟を認め︑どの場合にはそれを認めないのか︑それについて客観的に明確な基準を示してもらい. たいわけです︒しかしそのような基準はありません︒そこで裁判所は一体どうしたか︑と申しますと︑それではも. ういっそのこと当事者が多数になるような訴訟は一切これを認めない︑ということになり︑ここに﹁主体︵観︶的 訴え併合禁止﹂という原則が成立したという次第です︒. ドイツは中世においてローマ・カノン法を継受致しますが︑それとともにこの﹁主体的訴え併合禁止の原則﹂が. ドイツに入ってくるわけです︒しかし︑ドイツにはゲルマン法というドイツ固有の考え方があり︑どうしてもこの ﹁主体的訴え併合禁止の原則﹂を貫くことは出来ませんでした︒. ローマ法とゲルマン法はいろいろな点で対踪的に異なっておりますが︑その一つとして︑ローマ法は個人主義の. 法制︑それに対しゲルマン法は団体主義の法制であるということが挙げられております︒例えば数人の者が土地を. 所有するという関係を見てみますと︑ローマの個人主義の法制の下では︑これを数人の者がそれぞれ分数的な所有. 権︵持分権︶をもつ関係として捉えます︒それに対し団体主義のゲルマン法では︑数人によって構成される団体が. 一個の所有権をもつ関係としてこれを把握します︒ドイツには昔からジッペ︵ω6冨︶と呼ばれる共同体があり︑. その共同体が土地をもつという関係があちらこちらにあるわけです︒そして︑この土地を巡って争いが生じた場合.
(13) は一体どうなるのか︑と申しますと︑これはどうしても︑共同体を構成する数人の者が共同当事者として訴訟に現. われざるを得ない︑ということになります︒そこで﹁主体的訴え併合﹂︵ω昌冨耳一話困謎①昌普脇琶ひq︶は認めないけ. れども︑共同体が権利義務の主体である場合には︑例外として複数当事者の訴訟を認める︑ということになったわ. けです︒共同体︑これをO窪o器窪零冨坤と呼んでおりますが︑その頭にω嘗魯という語を加えてω實Φ一薦90ω−. ω窪鶉9津という言葉を作り︑﹁主体的訴え併合﹂は禁止だが︑ω霞簿鴨ま器窪零冨津は例外だとしたわけです︒日. 本ではω賃虫茜窪o器窪零訂津を﹁共同訴訟﹂と訳して用いておりますが︑これが共同訴訟︑つまり多数当事者訴 訟の始まりです︒. ところで一つの事件に数人が関係している場合︑これを一緒に審理するのは大変便利です︒例えば連帯債務者に. 対して貸金の返還を請求するような事件は︑ローマ法の主体的訴え併合禁止の原則の下では︑債務者の数だけの訴. えを起こさなければなりませんでした︒しかし︑連帯債務者の間には○窪oωω窪胃匿津の関係があるというような. 理屈をつけて︑ここにも共同訴訟の成立を認め︑例外であった共同訴訟の関係を次第に広く認めるようになってき. ました︒そして︸八七七年のドイツ民事訴訟法が成立しました時には︑全ての場合に共同訴訟の成立を認め︑原. 則・例外の関係はなくなりました︒このようにして︑現在︑多数当事者訴訟のことを﹁主体︵観︶的訴え併合﹂と. 呼び︑あるいはまた﹁共同訴訟﹂ともいい︑両者は同じに使われています︒しかし︑元来︑前者はローマ法の概念. 二九. で後者はゲルマン法の概念であったのです︒このようなところにもローマ法とゲルマン法の相剋がよく現われてい る︑と言えるでしょう︒たいへん面白い関係ですね︒. 3訴えの変更 私と民事訴訟法研究.
(14) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 三〇. 多数当事者訴訟の次に手懸けましたのは訴えの変更の問題でした︒ここにもローマ法とゲルマン法の考え方の違. いがよく現われています︒ローマ法もゲルマン法も訴えの変更を禁止しているのですが︑その禁止する理由が違う. のです︒ローマ法には訴訟以前に法がありアクチオ制が行われておりました︒そこで︑ある人があるアクチオに基. づき訴えを起こしますと︑それによってアクチオは消耗し︑もはや他のアクチオを用いて訴訟をすることは出来な. い︒被告の方から申しますと︑初めに提起されたアクチオについてだけ応訴の義務があり︑その他について応訴の. 義務はない︑というのです︒一方︑ゲルマン法では訴訟を闘争の場と考えておりました︒そこで︑訴えの変更は相. 手の防御を困難ならしめる︑だから訴えの変更は認めない︑とまあそのように考えていたわけです︒. 4まとめ. 訴訟制度は歴史の所産である︒だから歴史を知らなければその制度を正しく理解することは出来ない︑というの. は中村宗雄がよく口にしていた言葉ですが︑私も確かにそうだと思いました︒そこで最初︑訴訟対象について︑こ. の概念は一体どの様にして出来上がったものかこれを歴史に遡って研究しました︒また︑それから共同訴訟︑訴え. の変更等についてもそれを歴史的に研究したのですが︑その様な研究をしてまいりますと︑どこでもローマ法とゲ. ルマン法の対立関係が顔を出してきます︒平野さんは民法の分野でのローマ思想とゲルマン思想の相剋を描き出し. ていますが︑民事訴訟法の領域にもローマ法の考え方とゲルマン法的な物の見方の対立があるわけです︒しかも民. 事訴訟法の本質にかかわるような基本的な問題の背後には︑常にローマ法・ゲルマン法がぶつかりあいがある︒逆. に申しますと︑ローマ法とゲルマン法がぷつかりあっているところに問題が生じている︑そういう見方をするよう. になったわけです︒例えば︑訴訟制度の目的は何かという問題︑これについては当事者の権利を保護するためにあ.
(15) るとか︑国家の法秩序を維持するためにあるとか︑はたまた紛争を解決するためにある等と論争されていますが︑. このような問題︒あるいは生じた事件そのものが訴訟対象になるのか︑それとも実体法の構成要件によって評価さ. れた法的な事実が審判の対象になるのかという訴訟対象の問題︒あるいは判決の既判力はどの範囲に及ぶのかとい. う既判力の問題など︑これらは民事訴訟の基本問題として争われておりますけれど︑これはいずれも見方によって. ローマ法的な物の見方︑そしてゲルマン法的な物の見方の相克である︑こういうふうに見ることが出来るわけで. す︒このような考え方を取りまとめたものが︑先ほど佐藤学部長がご紹介下さいました﹁民事訴訟におけるローマ. ゲルマン法と英米法. 法理とゲルマン法理﹂︵鈍声躯苺罫薦箋穐︶という論文です︒. 六. これまで研究してまいりましたのは︑ドイツ法の中でのローマ法とゲルマン法の対立ということでした︒ところ. でこのような研究をしておりまして︼つ気が付いたことがありました︒それはゲルマン法と英米法の関係です︒. 戦後︑日本はアメリカ法の影響を受けて憲法や刑事訴訟法が全面的に改正されました︒民事訴訟法は部分的な改. 正だけで余り大きな変更はありませんでしたが︑しかしアメリカ法の文献やアメリカ法の考え方が日本に紹介さ. れ︑またアメリカとの経済取引が盛んに行われるようになれば︑当然紛争も生じ︑アメリカの裁判の模様なども紹. 三一. 介されるようになります︒そのようなものを見ていますと︑英米法とゲルマン法の間に大変近い関係があるのでは ないかと思うようになりました︒ 私と民事訴訟法研究.
(16) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 三二. 英米法︑特にイギリス法とゲルマン法とは同じではないかと考えるようになった一つのきっかけは︑イギリスの. ロードチャンセラー︵8巳9き8一一R大法官︶という制度でした︒ロードチャンセラーは貴族院の議長であり︑か. つ最高裁判所の長官︑そして国務大臣であるということは︑ずっと昔︑多分学生時代に何かの本で読み︑近代国家. は三権分立なのにこれは随分おかしな制度だと思っておりました︒しかし︑ある時中世ゲルマンの社会構造を調べ. ておりましたとき︑共同体の首長と大法官とは同じ性質のものだということに気付きました︒ゲルマンの社会には. 成文法はありません︒法制史家は︑ゲルマンの中世国家を法の支配による法治国家だと言います︒ここでいう法は. ノモス︑つまり最高の道義︑道徳あるいは正義のことを指していますが︑中世の国家はこのノモスによって規律さ. れていた︑全ての国家の問題はこのノモスの発見によって処理されていたと言うのです︒具体的には共同体の法を. 定めること︵立法︶︑生じた事件について裁判すること︵司法︶︑あるいは︑現在いうところの行政︑いずれも正義. を発見することによって行われていたのです︒正義を発見する方法は時代により異なりますが︑例えばフンデルト. シャフト︵=琶αΦ昌ω9駄?百人会︶にかけて決めたのです︒そうしますとフンデルトシャフトの首長は︑現代国家. における立法︑司法︑行政三権の長であり︑この在り方はイギリスのロードチャンセラーと全く同じです︒私は法. 制史家ではありませんので︑それ以上この両者の関係を探究するということはしませんでしたが︑イギリス法とい うのは︑ゲルマン法から来ているのではないかという疑いを一層深く致しました︒. しかし︑イギリス法はゲルマン法の流れを汲んでいる︑イギリス法とゲルマン法は同じだということは︑私位の. 年齢の者にはちょっと考え難いことなのです︒私が中学生になった頃︑日独伊防共協定が締結され︑日本はドイ. ツ︑イタリアと手を組んで世界大戦への道を歩み始めました︒高等学院︑大学生の時代は戦争中で︑新聞︑ラジオ.
(17) にはいつもヒットラーが出てきました︒そしてヒットラーはどういうことを言っていたのかと申しますと︑ゲルマ. ン民族の優秀性であるとか︑ゲルマン民族の血の純潔だとか︑ヒットラーが口を開くと常にゲルマンという言葉が. 出てきたのです︒ですから︑敵であるイギリスとゲルマンの間に何か密接な関係があるということは想像し難いこ とで︑イギリスとゲルマンは全然別だと︑そう思い込んでおりました︒. ところがあるときパウンドの書物を読んでおりましたところ︑そこに﹁イギリス法はドイツ法よりもゲルマン的. である﹂という一節が出ておりまして︑それで私はイギリス法とゲルマン法の間には密接な関係がある︑つまり民. 族大移動でゲルマン法がイギリスに入り︑それが生成・発展して現在のイギリス法になったのではないか︑そうい う考え方に確信をもったわけです︒. ところで︑これまでゲルマン法を研究しようとする場合︑いつもドイッ語で書かれたドイツの文献を参照してき. ました︒しかしドイツの文献は︑ドイツのなかでのゲルマン法を扱っていますが︑それが国外に出てどのように展. 開したかについては触れていません︒そのため︑私などはイギリス法とゲルマン法の関係に気が付かなかったので. す︒しかし︑今度はイギリスの法制史の方からこの関係を調べてみますと︑ゲルマン法とイギリス法の関係は一目 瞭然でした︒. 民族大移動に際し︑ゲルマン民族のアングル︑ジュート︑サクソン人のいわゆるアングロサクソン族はイギリス. に侵入し︑先ずこの地にゲルマン法を伝えました︒その後一〇五一年にノルマンディ公ウイリアムがイギリスに入. りノルマン王朝を建設しましたが︑ノルマン族もゲルマン民族であり︑この王朝の下では当然のことながらゲルマ. 三三. ン法が王朝の法になったという次第です︒具体的には︑王朝の下では巡回裁判所を創って︑イギリスにおいて適用 私と民事訴訟法研究.
(18) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 三四. すべき法とそうでない法とを区別した︒ノルマン王朝︑これはゲルマン族の王朝ですから︑ゲルマン法だけを取り. 上げて︑それまであった土着法︑これを排除した︑そうなるとどうでしょうか︑結局イギリスのコモンロー︑これ はゲルマン法以外の何者でもない︑ということになるわけです︒. 私は︑今お話したような次第で︑イギリス法はゲルマン法である︑ということに気が付きました︒しかし︑私と. 同じようにヒットラーを知っている年代の人はそうは考え難いのです︒例えば︑三ヶ月さんなどは︑近代法の淵源. は三つある︑それはローマ法とゲルマン法とイギリス法だ︑というのです︒つまり︑イギリス法とゲルマン法は異. なるものとして捉えており︑そして﹁ゲルマン法的な伝統を最も忠実に伝えていたのは︑ドイツである﹂︵声赫胡. ローマ法系︵規範出発型︶民事訴訟とゲルマン法系︵事実出発型︶民事訴訟. 凝酷無酬阻㍊肺駅駄群蕪九︶と書いております︒しかしこれは大変な間違いです︒. 七. イギリス法が︑実はゲルマン法であるということが分かってきますと︑それと一緒にいろいろな問題がはっきり. 分かってきました︒図をご覧になってください︒ドイツ・日本等の大陸法はローマ法の系統に属します︒イギリス. 法・アメリカ法︵英米法︶︑これはゲルマン法です︒そして大陸法系の民事訴訟と︑英米法系の民事訴訟はそれぞ. れローマ法︑ゲルマン法の考え方をそのまま現代に引きずっているのです︵騨楚観轟葬齢霧馨訟翻聾系︶︒. ローマの民事訴訟の特色︑これはアクチオ制だと言ってよいでしょう︒ローマの民事訴訟法といっても︑いくつ. もの時代がありますので一概にお話しすることは出来ません︒しかし︑一番最初の﹁法律訴訟﹂の時代がローマの.
(19) 民事訴訟の特色をよく示しています︒この時代には何か事件が起きるとその全てを裁判所に持ち出し︑そこで裁判. 出来たというわけではありません︒ローマ市民法にはアクチオという規範が定められており︑生じた事件がアクチ. オに該当する場合にだけ︑裁判所は事件を取り上げました︒つまり原告は︑この事件について自分にはこういうア. クチオがある︑それを認めてくれということで裁判所に訴える︒裁判所は何をするのか︒裁判所は原告の主張する. ようなアクチオ︑権利があるのか無いのかを判断する︒これがローマの民事訴訟の基本的考え方であるということ. が出来ます︒そしてドイツ・日本の民事訴訟はこの規範から出発して訴訟を考える考え方をそのまま承継している. のです︒日本・ドイツには︑訴訟以前に民法・商法といった実体法があります︒実体法の規定によって︑売買をす. ると売買代金支払請求権という権利が発生するわけです︒相手が払わない︒そうしますと︑その権利の存在を主張. して裁判所に訴えを起こします︒裁判所は何をするか︒裁判所は原告の主張するような権利があるのか無いのか︑. それについて裁判する︒これが日本・ドイツの民事訴訟の基本構造になっているわけです︒. 一方︑ゲルマンの民事訴訟︑これはどういうことになるのか︑この図をご覧になって下さい︒. 三五. ら出発して訴訟を捉えております︒それではゲルマン法はどうかと申しますと︑ゲル. ことが良く分かるでしょう︒そしてローマの民事訴訟は今お話したように﹁規範﹂か. いかは別として︑訴訟・裁判には﹁事実﹂と﹁規範﹂︑この二つの要素があるという. いて法を適用することである﹂というような答えが返ってきす︒この答えが良いか悪. 裁判とは何かと問われると﹁裁判とは当事者間に争いのある事実を認定し︑それにつ. 授業で何度も話したことですけれども︑訴訟・裁判には﹁事実﹂と﹁規範﹂という二つの要素がある︒例えば︑ 独・日法. 英・米法 私と民事訴訟法研究.
(20) 早法七一巻四号︵一九九六︶. マン法は﹁事実﹂から出発して訴訟を捉えているのです︒. 三六. ゲルマンの社会には実体法というものはありません︒しかし︑﹁社会あるところ法あり﹂︑ということで︑そこに. は不文の規範︑最高の道義︑道徳というものがありました︒これを後世の人はノモスの主権などと呼んでおりま. す︒そして︑このノモスの主権︑社会の秩序が破られるとそこに事件が発生するということになります︒例えば︑. 物を貸した︑返してくれない︑これはノモスの主権が破られたことになります︒そこで当事者が裁判所に訴えを提. 起する︒ノモスの主権が破られたということを主張するわけです︒﹁訴え﹂というのはドイツ語で困謎oと申しま. すけれども︑困謎①というのは︑別の意味では﹁嘆き悲しむ﹂という意味です︒要するにノモスの主権が侵害され. た︑それを裁判所に持ち出し嘆き悲しむ︒裁判所は何をするか︑その事件について行われるべき法を発見する︑つ. まりノモスの主権の回復をはかる︑これが裁判所の役割です︒ドイツ語で刃①o窪終巳窪という言葉があります︒. ﹁法の発見﹂という意味ですが︑同時に﹁裁判﹂を意味しているのです︒ドイツ語には内一囲①だとか園o魯富ゆ且9. だとかその当時の考え方が︑今でもそういう形で伝わっているわけです︒そして︑イギリス法はどうなのかと申し. ますと︑イギリス法も不文法です︒判例法というのがありますが︑これは裁判をするときの基準という意味しかあ. りません︒事件が起きた︑これを裁判所に持ち出す︑そうしますと裁判所はその事件について行われるべき法を発 見する︑これが英米法における裁判の基本をなしている︑と言うことが出来ます︒. ローマ法系の民事訴訟は規範から出発して訴訟を捉え︵規範出発型民事訴訟︶︑ゲルマン法系の民事訴訟は事実か. ら出発して訴訟を捉えている︵事実出発型民事訴訟︶︒ここにドイツ・日本の民事訴訟とイギリス・アメリカの民事. 訴訟の基本的な違いがあるのです︒そしてこのように日本・ドイツの民事訴訟を規範出発型︑英米法系の民事訴訟.
(21) を事実出発型というように捉えて問題を見ますと︑色々なことが分かってくると思うのです︒これも授業では何度. も話したことですが︑もう一度︑個別の問題について規範出発型民事訴訟と事実出発型民事訴訟︑どこがどういう 様に違うのか︑それを見てみましょう︵勤調額導噸業翻鮒坐巧ゆ理瞳砒薇鰭︶︒. 1訴訟制度の目的. まず民事訴訟制度の目的という問題を考えてみましょう︒規範出発型の民事訴訟の行われるところでは︑訴訟以. 前に実体法の規定があり︑それが社会規範として行われていると言えるでしょう︒そして実体法によって認められ. た権利が実現されないとき︑人はその権利の実現を求めて裁判所に訴えを提起する︒民事訴訟制度の目的は何か︑. それは当然︑当事者の権利保護だとういうことになります︒それでは︑事実出発型の民事訴訟の下での訴訟制度の. 目的は何かと申しますと︑そこには訴訟以前に行われる実体法はありません︒ゲルマン法流にいえばノモスの主権. が支配しており︑その主権︑つまり社会の正義が侵害されるとそこに事件が発生する︒裁判所の役割は︑事件の中. からそこに行われるべき法を発見することであり︑別の言い方をすれば︑紛争解決が訴訟制度の目的ということに なります︒. 2訴訟対象の問題. 訴訟対象についてはどうだろうか︒この問題も︑規範出発型と事実出発型では大きく変わってきます︒請求権競. 合の場合を考えてください︒債務不履行と不法行為に該当する事件がありますと︑規範出発型民事訴訟法の下で. は︑適用される規範の方から訴訟対象を考えます︒ですから︑具体的には一個の事件であったとしてもそこには二. 三七. 個の訴訟対象︑二個の事件があると考えることになります︒事実出発型の民事訴訟法の下では︑事実の方から訴訟 私と民事訴訟法研究.
(22) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 三八. 対象を捉えますから︑この場合は訴訟対象は一個︑事件は一個ということになるわけです︒日本の民事訴訟制度は. 規範出発型です︒従って訴訟対象は二個と考えていました︒しかし戦後︑三ヶ月さん等はそれでは具体的に一個の. 事件が数個に分断されてしまう︑それはおかしいのではないか︑ということで事実出発型の訴訟対象論を主張し た︒この論争がいわゆる訴訟物論争です︒. 訴訟対象をめぐっては︑まだその他の問題もあります︒コ部請求﹂の問題などもそれです︒例えば一〇〇〇万. 円の貸金債権がある︑そのうちの一部︑五〇〇万円について支払を求める訴えは許されるかという問題です︒日. 本・ドイツではこのような訴えを認めています︒しかしアメリカではこのような一部請求を認めません︒なぜ日. 本・ドイツでは一部請求を認め︑アメリカでは認めないのか︒要するにこれも規範出発型民事訴訟と事実出発型の. 民事訴訟の違いです︒日本・ドイツでは︑原告の主張するような権利があるのか無いのか︑それを判断するのが裁. 判所の役割です︒だから原告が五〇〇万円の支払いを求めたときは︑裁判所は五〇〇万円の債権の存否について裁. 判する︒しかしアメリカは事実出発型です︒一〇〇〇万円の金を貸した借りたというその事実関係が審判の対象と. なる︒だから︑原告が例え五〇〇万円支払えという訴えを起こしたとしても︑裁判所が調べてみて︑そこに一〇〇. 〇万円の債権があるということが分かれば︑裁判所は﹁被告は原告に対し一〇〇〇万円支払え﹂との判決を言い渡 すことになります︒. 同じような問題で︑アメリカ法にはあるがドイツ・日本法にはない﹁強制的反訴﹂︵8旨℃三ω○蔓8琶けRo蛋ヨω︶. という問題があります︒例えば︑原告が買った品物の引渡を求めて訴えを起こしました︒原告はしかしまだ代金を. 払っていない︒この場合︑被告は代金の支払請求を︑当該訴訟の反訴として主張してもよいが︑また別訴で主張し.
(23) てもよろしい︒これが日本・ドイッ法の下での考え方です︒日本・ドイツは規範出発型の民事訴訟です︒ここでは︑. 原告の主張した買った品物の引渡請求権の存否だけが審判の対象となる︒ところが事実出発型の民事訴訟の下で. は︑ある品物について売買契約が締結された︑売主はまだ品物を引き渡していない︑買主はまだ代金を払っていな. い︑という事件全体が訴訟の対象となる︒だとすると︑まだ代金を払ってもらっていないのであれば︑その事実も. 反訴として裁判所に提出しておかなければならない︒もし提出しないとこの事実については裁判してもらえなくな る︒このようなわけで︑アメリカ法には﹁強制的反訴﹂という制度があるわけです︒. 3訴訟当事者. 訴訟当事者にも規範出発型訴訟と事実出発型訴訟の違いがよく現れてきます︒数人の者が事件に関係している場. 合︑規範出発型訴訟の下では︑権利を主張する者︵原告︶とその者が被告と指定した者だけが訴訟当事者となり︑. それ以外の者は訴訟当事者とはなりません︒しかし事実出発型訴訟の下では︑事件に関係する者全員が訴訟当事者. となります︒例えば︑ある土地の所有権をめぐりABC三名の者が争っている場合︑規範出発型訴訟の下ではAが. Bを被告として訴えを提起すれば︑訴訟はA・B間に係属し︑Cは訴訟に関係しません︒しかし事実出発型訴訟の. 下では︑Cは訴訟に参加することが出来ますし︑また強制的に訴訟に引き込まれることもあります︒. また︑規範出発型訴訟の下では実体法上の権利者・義務者が訴訟当事者です︒そして実体法は法律関係をすべて. 権利義務の関係で規定していますから︑ここでは必ず二当事者主義です︒しかし事実出発型訴訟では︑事件に関係. 三九. している者が当事者となる︑だから二当事者とは限らない︑三当事者訴訟とういうのも出てくる︑ということにな るわけです︒. 私と民事訴訟法研究.
(24) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 4立証責任. 四〇. 立証責任の問題もあります︒日本・ドイツでは規範出発型ですから︑構成要件を基準にして立証責任の所在を明. らかにします︒しかし事実出発型︑ということになるとどうでしょうか︒これはかなり複雑になってきます︒証拠. に近い者が証拠を出すべきだ︑証拠に近いところにいながら︑証拠が出せないのだとすると︑その者の不利益にな. るという様な考え方が出てきます︒要するに︑事件に即し原告・被告の利益衡量の上に立証責任の所在が決められ. ることになります︒これは判例法で扱われますが︑日本・ドイツの立証責任論とはかなり違った形で行われていま す︒. 5既判力. 既判力の問題︑判決の既判力はどこまで及ぶのか︑規範出発型訴訟の場合は簡単です︒原告がある実体法上の権. 利を主張して訴えを起こし︑裁判所がそれについて裁判しますと︑その判決の既判力はその権利の範囲において生. じるということになります︒しかし事実出発型訴訟の場合はどうでしょうか︒事件は無限の連鎖ですから︑一つの. 事象をとらえ︑これが訴訟対象となった事件で︑これについて既判力が生じるのだと特定することは大変難しいわ. けです︒そこで英米法での基本的な考え方は︑裁判所に持ち出された事件につき︑当事者が充分攻撃防御の方法を. 提出して議論をつくし︑裁判所が調べてくれた範囲で既判力が生じる︑と考えることになります︒そこでアメリカ 法では﹁手続保障﹂ということがやかましく論ぜられるわけですね︒. 既判力の主体的範囲の問題でも︑規範出発型訴訟と事実出発型訴訟の違いがはっきりと現われます︒規範出発型. 訴訟の場合には︑裁判所に持ち出され︑裁判の対象となった法律関係の権利者・義務者についてだけ判決の既判力.
(25) が及びます︒同じ事件に数人の関係者がいても︑原告・被告とならなかった者にその判決の効力は及びません︒し. かし︑事実出発型訴訟の場合は︑事件から出発して問題を考えますから︑事件に関係のある者が全て当事者となり. ます︒そしてこの当事者は︑裁判所では十分攻撃防御の方法を提出することが出来ますので︵手続保障︶︑その上 でなされた判決の既判力は事件の関係人全てに及ぶということになるわけです︒. 例をあげれば切りがありませんけれども︑そんなふうに規範出発型訴訟と事実出発型訴訟では違っているので す︒. 6日本における事実出発型理論の意義. 日本の民事訴訟法は規範出発型ですから︑実体法を基準とする考え方が支配的見解として行われてきました︒し. かし︑戦後になりますと︑アメリカ法の影響をうけ事実出発型の理論が盛んに説かれるようになりました︒何故そ んなに流行ったのだろうか︒. 理由は二つあると思います︒一つは日本の民事訴訟法はドイツ法を継受した規範出発型のものです︒そしてこれ. については︑ヘルウイック以来精緻な理論の体系が築かれてまいりました︒しかしその中には具合の悪いところが. ある︒例えば先程挙げました訴訟対象論の問題などもその一つの例です︒伝統的な理論︑﹁規範﹂から出発して考. える理論ですと︑具体的には一個の事件であっても実体法の構成要件ごとに複数の事件として取り扱うことにな. る︑債務不履行で裁判しても︑まだ不法行為が残っている︑これはおかしいのではないか︑というわけです︒この. 四一. ような問題は︑しかし﹁事実﹂から出発して考えると簡単に解決できる︑そこで事実出発型理論が勢いづいてく る︑ということになるわけです︒ 私と民事訴訟法研究.
(26) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 四二. もう一つの理由は︑民事訴訟事件の中に︑貸した金を返せというような︑昔からある︑いわば古典的な事件のほ. か︑近頃では︑いわゆる現代型訴訟と呼ばれる昔はなかったような事件が増えてきているということです︒古典的. な事件というのは︑実体法の規定により訴訟以前に権利義務の関係がはっきり分かっているような事件です︒この. ような事件では︑原告が自分にはこれこれの権利があるのだと主張・立証し︑裁判所にその権利の存在を認めても. らうということになります︒ところが現代型訴訟︑例えば環境権をめぐる訴訟とか︑医療過誤訴訟だとか︑そうい. う問題になってまいりますと︑一体権利があるのか無いのか︑それがはっきり分からない︑裁判所の審理で原告・. 被告が論争する︑その過程においてはじめて権利の存否が分かるということになります︒このような事件の審理で. は事件の中から法を発見するアメリカ型の審理が適している︒事実出発型理論が具合がよいということになりま す︒. ところで︑私はドイツ・日本の民事訴訟を規範出発型︑イギリス・アメリカの民事訴訟を事実出発型というよう. に分けて説明してきましたが︑この﹁規範出発型﹂︑﹁事実出発型﹂という分け方は︑私独自の理論で他の学者︑日. 本の学者はもとよりドイツの学者もこのような分け方を知りません︒勿論︑人々はドイツ・日本の民事訴訟法とイ. ギリス・アメリカの民事訴訟法が︑手続の面でいろいろ違っていることは知っています︒しかし一番大切な訴訟を. どのように捉えるのか︑その本質的な違いを理解していません︒そのため多くの人はアメリカの民事訴訟法も︑ド. イツ・日本の民事訴訟法も同じ民事訴訟法なんだから︑アメリカで行われる理論が日本で行われても一向おかしく. ない︑そういうふうに考えているのです︒そこで︑日本にはこれまでなかったアメリカの理論︑日本人にとっては. 目新しい︑新鮮な理論を次々と日本に持ち込んできて︑それで問題の解明をはかろうとするわけです︒例えば立証.
(27) 責任の問題なんかでも︑実体法の規定を基準とする考え方では具合の悪いところがあります︒それをアメリカの利. 益較量型の理論で考えるとうまく解決出来るということもある︒そこでアメリカ理論を説く︒その辺まではよく分. かるのですが︑今度はそれに勢いを得て︑今までの日本の理論は駄目で︑これからはアメリカ流の立証責任論がい. いのだ︑アメリカ流の立証責任論でもう一度理論を再構成しなければならない︑というような主張も出てきている. のです︒これについて︑私はこの授業でも何度も話しましたが︑これはちょっと待ってくれと︑言わざるを得ない. のです︒人々は︑民事訴訟に規範出発型の民事訴訟と事実出発型の民事訴訟と二つあるという認識をしていませ. ん︒そこで︑アメリカで通用する理論であれば日本でも行われて然るべきだと簡単に考えてしまうのです︒しか. し︑私は多くの人にこう言いたいのです︒民事訴訟には規範出発型と事実出発型の二つの型がある︑そしてこの二. つは性質が全く違うのだということをまず認識してもらいたい︒その違いを認識した上でアメリカの理論を日本の. 理論に持ち込む︑これは大変結構なことです︒私もアメリカ法の考え方は全然駄目だと言っているわけではありま. せん︒アメリカ法の考え方︑これにも確かに良いところがあります︒しかし︑一部の論者のように︑無差別にアメ. リカの理論を日本の民事訴訟理論に持ち込もうという考えにはとても賛成できないのです︒理想の民事訴訟制度︑. 理想の民事訴訟理論は︑規範出発型・事実出発型の中間にあると言えるでしょう︒とりあえずのところは︑どの問. 題について︑どの程度アメリカ理論を持ち込めるか︑それを探究することが当面の民事訴訟法学の課題であると︑ そんなふうに私は考えております︒. 四三. アメリカで行われているのだから︑日本でもできない筈はないという議論︑これはいろいろな問題についてあり ますが︑それが良いのか悪いのか︑分かりやすい例を一つお話ししましょう︒ 私と民事訴訟法研究.
(28) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 四四. 最近問題になっている定数是正の問題です︒要するに議員の定数の定め方が不公平で︑選挙での一票の格差が大. きすぎる︑それは法の下の平等を定めた憲法に違反する︒このような主張は日本でもありますし︑アメリカでもあ. るわけです︒ところが︑日本とアメリカではこの問題の取り扱い方が大変違っております︒日本ではこの問題︑憲. 法違反になるかならないかそれについて裁判所の判断を求める︑という形で現われてきます︒まさに規範出発型訴. 訟ですね︒そのような訴えはこれまでにも何度も起こされてきました︒しかし︑違憲か否かの裁判を求める︑そこ. までです︒ところがアメリカはどうでしょうか︒憲法違反であるとの宣言を求めます︒そしてさらにアメリカで. は︑裁判所に定数を是正する判決を求めることが認められているのです︒何故そのような訴えが認められるのか︒. 大体お分かりになると思いますが︑アメリカの訴訟は事実出発型だからです︒事件について行われるべき法を発見. する︑これが裁判所の役割です︒だから︑もし一票の格差が大きすぎて正義に反するのだとしますと︑その事件に. ついて行われるべき法︑正義を発見する︑それが裁判所の役割です︒そこで裁判所は一票の格差を是正する判決︑. アメリカでは選挙区の区割を変更することでこの是正を行っていますが︑そのような判決を言い渡すことが出来る ということになるのです︒. 著名な英米法学者田中英夫さんは︑日本の憲法は︑戦後アメリカの憲法を模範として出来たもので︑日本の裁判. 所もアメリカの裁判所と同じ機能をもっている︒だから︑アメリカの裁判所で出来る事柄が日本の裁判所で出来な. い筈はない︑というように捉え日本の裁判所でも定数是正が出来るということを主張しておられます︵柚紳第碇騰掘紛. 祠酷瑚聴蛸卜加和コ鄭料灘硫知碍肱軒九︶︒しかしこれは賛成できない見解です︒日本の法制度は大陸法系に属しており︑訴. 訟以前に法があるのです︒裁判所の役割はこの法を実現するためにあるのであり︵規範出発型︶︑事件のうちから法.
(29) を発見するためのもの︵事実出発型︶ ではありません︒多くの人も︑結論としては私と同じことを考えており︑田. おわりに. 中説は少数説にとどまっています︒. 八. 今︑お話しましたのが︑私が研究生活を始めてから現在まで︑一貫してやってきた私の主たる研究の経過です︒. 初めは︑ドイツ法の中でのローマ法とゲルマン法の対立︑相克︑これを研究してまいりましたが︑その後はローマ. 法の系統をひくドイツ法と︑ゲルマン法の流れを汲む英米法を比較し︑それを総合的に考察しようという方向で研 究を進めております︒. その他にもいろいろなテーマについて研究をしてまいりました︒うまくいったというものもありますし︑中途半. 端な研究︑これもあります︒それから失敗したものもあります︒失敗した研究ということになりますと︑今日︑こ. こにも御列席いただいておりますが︑内田武吉先生︑鈴木重勝先生︑櫻井孝一先生などを巻き込んで始めた︑スウ. ェーデン訴訟法の研究ということになると思います︒一九五五年︑私はフライブルクのイェシェック教授の研究所. に留学しましたが︑そこにスウェーデンから来た研究者がいました︒その人からスウェーデンでは戦後新しく訴訟. 法典が制定されたこと︑それは民事訴訟法と刑事訴訟法とを分けないで︑両者を一つの法典の中に規定している世. 界でも一番新しい法典であるということを聞きました︒当時︑私は刑事訴訟法上の問題を民事訴訟法の理論で捉え. 四五. るというような研究をしており︑民事訴訟法と刑事訴訟法の架橋というようなことを考えておりましたので︑スウ 私と民事訴訟法研究.
(30) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 四六. エーデン訴訟法には大変興味を引かされました︒幸いにこの法律のドイッ語訳がありましたので︑先ずはこれを手. 懸かりとしてスウェーデン訴訟法の研究をしようと︑諸先生やその他︑当時の若手を引っ張り込んで研究会を始め. たわけです︒思い出してみますと︑夏休みに湯檜曽にあります大学の寮で合宿をしたこともありました︒しかし︑. この研究は残念ながらものになりませんでした︒私達は安易にドイツ語の翻訳からスウェーデン法を知ろうとし︑. スウェーデン語については勉強しておりませんでした︒それからスウェーデンの社会︑生活︑訴訟法以外の法制. 度︑これについての知識も大変乏しいものでした︒そうなりますと︑上っ面の研究はできても︑本格的な研究はで. きない︒新聞記事程度の解説は書けるけれど︑学術論文は書けないということになるのです︒諸先生の貴重な時間. をいただきながら︑研究成果を公表出来るまでに至らなかったのは大変申し訳ないと思っております︒. 以上のような次第で︑成功した研究もありますが︑うまくいかなかった研究もある︒うまくいかなかったもの. は︑これはやはり自分の力不足が原因と自覚しております︒しかし成功したと思われる研究︑これは私の力で出来. たのかというと︑実はそうでもないのです︒私は民事訴訟に﹁規範出発型の民事訴訟﹂と﹁事実出発型の民事訴. 訟﹂と二つの型があるということを主張し︑これを私の理論の特色としておりますが︑そもそも訴訟に﹁事実﹂と. ﹁規範﹂二つの要素がある︑ということは中村宗雄が度々論じていたところであり︑私の理論はそれにヒントを得. たものです︒また訴訟を規範から出発して考える︑あるいは事実から出発して考える︑という﹁思考の方向﹂とい. う考え方の問題も︑﹁思考のベクトル﹂ということで中村宗雄の著作に出ているところです︒私の考え︑私の理論. はそれらを基礎として出来たものです︒そして実は︑ただそういう考え方の問題だけではなく︑私は宗雄の長男と. して︑父の所蔵していた研究図書︑研究施設をそのまま承継しました︒私の父は︑丁度三十一年前に早稲田大学を.
(31) 定年で退職致しましたが︑その際︑それまでに収集した研究図書︑資料︑雑誌などを集めて︑昔︑住んでおりまし. た早稲田南町に﹁比較民事法研究所﹂という︑小さなものですが研究所を創りました︒私は︑この研究所を拠点と. して研究を続けてきたのです︒ですから私の研究などというものは︑父から与えられたようなものなのです︒それ. に︑私は長い間早稲田大学でお世話になりました︒そして大変良い︑優れた先輩︑同僚に恵まれました︒そのお蔭 でこれまで研究が出来た︑そのような次第です︒. 私は早稲田に生まれました︒今お話ししました早稲田南町に研究所がありますけれども︑そこで生まれたので. す︒そして早稲田中学︑第二早稲田高等学院︑早稲田大学を卒業し︑早稲田大学で研究生活を送らせていただきま. した︒そして退職後は早稲田南町の研究所で研究を続けようと思っております︒早稲田に生まれ︑早稲田に育ち︑ そして早稲田で研究生活を送れたことを︑私は大変嬉しく︑また誇りに思っています︒. ということで︑今お話しましたのが︑私の四十六年間の早稲田大学での研究生活の決算報告です︒大学は私に自. 由で寛大な研究の場を与えてくれました︒私は素晴らしい先輩︑同僚に恵まれ︑そのお蔭で大変幸せな研究生活を. 送ることが出来ました︒そのことを定年で退職することになった今︑振り返ってみて大変有り難く感謝しておりま す︒. 皆さんはこれからの方々です︒十分勉強をされ︑そして社会に出て思う存分活躍して下さい︒そしてまた私位の. 四七. 年齢になった時︑自分の人生を省みて良かったと思えるような生涯を送っていただきたい︒皆さんのこれからのご 活躍︑ご健康をお祈りして私の最終講義を終わりたいと思います︒ 私と民事訴訟法研究.
(32) 早法七一巻四号︵一九九六︶. 四八. 最終講義というと︑ちょっと告別式のような感じがして良くありませんが︑ 私はこれからもまだ勉強をするつも りです︒よろしくお願いします︒どうも有り難とうございました︒.
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