博士(文学)学位請求論文審査報告要旨
論文提出者氏名 毛塚 実江子
論 文 題 目 レオンの『九六〇年聖書』の対観表研究 審査要旨
スペイン北部の旧都レオンのサン・イシドーロ王立参事会聖堂に所蔵される(Cod.2)、960 年の年記と作者名 を持つ聖書写本、通称『九六〇年聖書』は、旧約聖書中に施された 100 点余りの豊かな挿絵の存在ゆえに、西 欧初期中世キリスト教美術においても傑出した遺例である。本論文は、新約聖書冒頭の「対観表」(四福音書の 共通事項のコンコーダンス、全17ページ)に着目し、一覧表に並ぶ章句番号に相当するキリスト伝の内容を手 がかりとして、福音書記者像の表現や周囲の装飾の意味を具体的に解明しようとする先例のない意欲的な試み である。
第一章では同写本の来歴と先行研究、現存する周辺の対観表作例を紹介し、第二章では、先行する対観表 研究に再検討を加えながらより広範な作例比較を行った。その結果、 『九六〇年聖書』の対観表の構成(mn 型)は、六世紀のローマに遡ること、そのページ構成はカロリング朝のトゥール派と一部共有するとはいえ、「獣頭 人間型」の福音書記者像が登場する八世紀の島嶼写本の作例に着目するならば、そこにメロヴィング朝写本の 影響が残存している可能性を指摘している。本論文の美術史的な成果は第三章にある。以下に具体的に列挙 してみよう。
『九六〇年聖書』の対観表の建築を模したアーチ内部に描かれた福音書記者像は、マタイ=人、マルコ=獅 子、ルカ=牡牛、ヨハネ=鷲の象徴像(「獣のシンボル」)と、身体が人間で頭部が獣のシンボルという「獣頭人 間型」とが混在し、伝統的な二者対面の「会話表現」を逸脱した、活気あふれる特異な身振りで描かれている。
先行研究でそれらの表現は、作者のヴァリエーションと看過されてきたが、本論文では、対観表の章句番号との 対応関係を検討しながら、これらの意味解釈を試みていく。その結果、章句全体を反映していると思われる図像 が二点(ff.397v,401)あり、七点に関して、それぞれ該当する具体的な章句を推定する。例えば、第二の対観表 (f.398)は、マタイ=人の説教をマルコ=獅子とルカ=牡牛が聴いている場面と解釈される。確かに、これは章句 場面に説教が多く見られるほか、伝播系統の近い『一一六二年聖書』の同対観表(サン・イシドーロ王立参事会 聖堂、Cod.3,f.65)により具体的な身振り表現が見られることからも推定できる。しかも、第二の対観表(f.398v)
は、犠牲のシンボルの牡牛を中心に福音書記者像が配置されていることからも、キリストの生涯の最後の部分と
「受難」の描写とが関連付けられる。
第三の対観表では、多く引用されるルカ福音書の章句(119番)に対応してルカ=牡牛の描写が際だつとす る(f.399)。第四の対観表(f.399v)は、マルコ=獅子の前足にヨハネ=鷲が身をかがめ、嘴を触れている描写で あり、「キリストが香油を注がれる」場面と、それを見守るマタイが、パウロの肖像と同様の杖を持っていることか ら、これらの香油注ぎを目撃する場面と解釈する(マタ:26:12-13、マコ 14:8-9、ヨハ 12:1-8)。さらに第五の対観 表(f.400v)の、マタイ=人がルカ=牡牛の頭部に細長い棒を向け、「闘牛」の場面にも見える描写に関しては、
キリストの「受難」および「体を殺しても」と解釈する。さらに第五の対観表(f.400)のアーチの装飾には、章句に直 接つながる銘文(XP・XP… et emanuel(sic) nobiscom d(eu)s キリスト・キリスト…そしてインマヌエル、神はわれ らとともにおられる)を初めて見出した。これは、同対観表の冒頭、「マリアの受胎をヨセフが知る場面(マタ 1:18-19)」に連続するがゆえに、これらの図像表現が、対観表に示された章句に相当する福音書本文に配慮し ていることの証拠となるであろう。
第六の対観表(f.401v.)で、十字のついたニンブスを持つマタイは、関連写本との比較からも、聖書を掲げる キリスト、後ろ足で立つマルコの獅子は、聖書の言葉で退けられる「悪魔」と解釈する。これは、荒野での試みの 最後に、キリストが聖書の言葉によって悪魔を退ける場面(マタ 4:11、マコ 1:13)の章句に対応すると考える。以 上の考察にくわえ、『九六〇年聖書』の対観表においては、写本を開いて左右のページを比較した場合、
氏名 毛塚実江子
これらの福音書記者は、左ページに獣、右ページに有翼で聖書を持つ獣頭人間型、という傾向に注目するなら ば、当時の『ベアトゥスによるヨハネ黙示録註解写本』(「ベアトゥス本」)の見開きページ構成と共通するという。左 右のシンボリズムは、左の無翼の獣が地上的なイメージ、右の有翼の獣が天上的なイメージとして展開している のである。ベアトゥス本の場合、有翼で聖書を持つ獣頭人間型で表現された福音書記者のシンボルが「黙示録 の四つの生き物」と重ねられている。こうして福音書記者像が黙示録の生き物として様々な役割を担うという変化 は、共通する身振りの指摘や、見開き構成の類似点からも、『九六〇年聖書』の対観表の多様なイメージの形成 に影響を与えた可能性の高いことを推定している。
第四章では、新約聖書のテキスト研究においても、ほとんど扱われていない対観表の章句番号を、『九六〇年 聖書』を中心に関連写本のファクシミリを分析した結果、同写本の章句番号の配置は、影響関係が指摘されるカ ロリング朝を中心とした同時代の聖書写本群とは異なり、十世紀ビザンティンのいわゆるコイネー型写本を基盤 とする配置に多く合致することを突き止めた。この配置は、ビザンティン写本との影響関係を示唆するもので、先 行研究で指摘されてきたような、カロリング朝の一方的な強い影響関係にあったことに疑問を呈する見解であ る。とはいえ、ビザンティン写本の対観表には福音書記者表現が見られないこと、『九六〇年聖書』のテキストが ウルガタ訳よりも古い古ラテン語訳を部分的に含むことから、より古い起源の章句番号の配置の可能性をも考え なければならないとする。とくにシリア語写本を代表する『ラブーラ福音書』(ラウレンツィアーナ図書館 Cod.
Plut.I, 56)とは、キリスト伝の場面や福音書記者像を対観表の周囲に配置するほか、柱や柱礎の形体の類似が 指摘されてはいても、第八の対観表の章句の配置(f.10)が共通する点も無視出来ないと考える。
第五章では、冒頭挿絵「マイエスタス・ドミニ」の解釈において対観表の福音書記者像への考察を敷衍させ、新 たな解釈の可能をも導きだしている。すなわち、独特の配置だと解釈された「マイエスタス・ドミニ」における「獣の シンボル」の福音書記者を、牡牛と獅子を左側に、有翼の人と鷲を右側に置くという対観表と同様の傾向によっ て説明可能だとしている。また、中央の「冊子本と巻物」を持ち「白髪」で描かれる、特徴的なキリストの表現は、
同時代のベアトゥス本に描かれる「日の老いたる者」のイメージと重なるもので、身体に描かれた「金の帯」は、ベ アトゥスの解釈に従って、旧約、新約の統一が象徴されていると解釈できるという。これらのことから、本来は福音 書や新約聖書の冒頭に置かれるはずの「マイエスタス・ドミニ」の図像が、なぜ旧約聖書の冒頭に置かれたの か、という理由と、キリストの表現、とりわけ二冊の聖書の意味を明らかにしたのである。
さらに『九六〇年聖書』の装飾パターンを分析し、とくに建築表現において、メロヴィング朝に遡る単純なモティ ーフの繰り返しが多いことを明らかにした。これは『九六〇年聖書』の伝統の古さを示すものだという。他にも『九 六〇年聖書』の作者の一人に名を残すフロレンティウスによる 945 年の『大グレゴリウスによるヨブ記註解』(マドリ ッド、国立図書館 cod.80)のオメガ(f.501)と『九六〇年聖書』の作例(f.514)を比較し、人体表現は、『九六〇年 聖書』の対観表に対して『ヨブ記註解』の面影が濃いことを指摘している。その点では、『九六〇年聖書』がフロレ ンティウスの弟子、サンクトゥスの手になる、とされる先行研究があるなか、対観表においては、主にフロレンティ ウスが関与していた可能性が濃厚であると分析した。こうして筆者は、同時代において、すでに革新的な挿絵を 多く制作していたフロレンティウスこそが同写本の斬新な対観表装飾をも生み出し得た画師ではないかという重 要な仮説を最後に提示した。
以上に記したとおり、本論文はこれまで顧みられることのなかった『九六〇年聖書』の対観表装飾について、図 像と章句(その内容)の双方からアプローチし、いくつもの新知見と新たな解釈を提起することに成功しており、
博士号の資格を授与するのに十分な成果を挙げた秀逸な論考であると結論された。
公開審査会開催日 2009 年 7 月 4 日
審査委員資格 所属機関名称・資格 博士学位名称 氏 名
主任審査委員 早稲田大学文学学術院 教授 大髙 保二郎
審査委員 早稲田大学文学学術院 教授 Ph.D.(テサロニキ大学) 益田 朋幸
審査委員 東北芸術工科大学 准教授 安發 和彰