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第十七第十人
第十九
第二十s /
第二十︸ ! XJT" "≪ X.上 !ljノ楠公父子・訣別の圖
足利義満席仁の軋
室町時代の風俗
上杉謙信 織田信長
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叫中樹の鵬
桶狭間合戦の繭
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第二十二第二十三
第二十五第二十六 大乙名登城の舞
蕩丿絵ふ喝
西南の
役
今帝こ の國 世議 會
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第二十七 歴世沿革の大要
第二十八 同
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第二十九 同 ﹂/⁝⁝ヽj︑jt⁝⁝ヽ .り︑ y︐ ゛゛http://www.11.4. ﹈傀ブノグ
第三十∇ 同
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國小吏︵甲読︶雅之二 上 一帯
⁝⁝⁝へゝ ぉ 第十三 平清盛 乎重盛一
源氏と平巍と啖武士がしらとなりて朝廷に 一 つかへだがひに其勢盛ん4:りき︒八幡太郎義
家の孫の時代に榎G河天皇と申すが遍はしま
しき︒乾咳崇拙天皇腿御譲位ありて王皇と串
し奉りけるが後白河天皇と御中あしく互に兵
士をあつめて戦はせ給ふ︒其時王皇は縦家の
孫諮蔵其子擢麟八麟昌個等を召さ赳叉天皇げ
嘩 皆
帝 國
史
一式 懸 削
乎清盛及び諮物の兄義物等をBされて面でしく
戦はしめ綸ひIに天皇の軍勝ちければ王皇は
讃岐に巡され給ひ錨義は殺され錨物は伊豆の
大高に誼され岩盛義物等昿重き賞をかうむり・
けり︒世に之を保元の既といふ︒
これよ気清盛の勢次第に強く次りて源氏賦
平宗におさへらスてに至りしかば義物心平ら
か痙あず延に兵を挙げて胤を趨しけるが忽ち
倍盛に打ち破られて︑殺されたり︒世に之を平
珍
ふ︒此二胤を合せて保革の胤渚ど
yも稽ふる.次呪氷雪爪判言ズ?ム榴好一 一 s4 ︐ −4S−
▽此後はギ氏と勢を學ふものなかりしかば沓
盛の勢賦飛ぶ鳥も藩つるばかりに盛んになり
て趣に其身は太政大臣となり︒其子弟親鯛皆高
き官位に昇りぼ水六十鈴州の牛分賦大か九平
家の領地となりはてたり︒
清盛高位高官に昇るにし九がひ我が座で益︑
増轟じて︒少しにても其心にそ右くものあれ吠
小
イ
譲彼の耕なく或は殺し城ば浚すにい九る︒甚
だしきは高倉天皇の時に彼白河上皇をれしこ
め奉らんとさへし九りし溺清盛の長子に重盛
とて生れつき温順に才智すぐれたる人ありて
い穴く之を諌め九れば漸く思ひ必7まりけり︒
北京盛腿君に忠に父母に孝なる人にて優世
までもほめらスでこと多I︒其上武勇も人に
すぐれしか腿年十六の賤一方の大将となりて︑
武勇古今にかくれ次盛鍵西八郎の巨にむかひ
ぐ t
I!︑
史
一
て戦ひズ其位談靭を征伐せ一時に賦義判の子
惑源太義平とて天下に敵なき勇士とも戦ひた
ることあり︒
重盛賦父の行ひの親が座T投石を詣く憂ひ八
て延に病気となり飯盛に光ちて死せIかば皆
時これを借まぬ人なかりき︒重盛死せし後賦
清盛の我がざて愈づのりけるが問屯なく重き
熱病にかょりて死せり︒是より平家の勢次第
にれとろ/へ丈建に源氏の翁めに亡ぼ・されたり︒
△第ナ四源頼相源義穏
頼靭は測義物の三男'M−り︒父義朝の戦にま
け九る時腿年あづかに十三なりし迦虜となり・
て伊豆に貌され九り・︒叉其弟に奉戴乙若繋若
の三人ありギ家は之を剋掟へんとせしかば毎
の常磐賦三人をつれてびそみかくれたり︒さ
ればギ家は常磐加母を捕へて炭しく其行方を
せんぎせしか吠常磐は之を聞亀母の身を救は
んためにばら訴へ出でたり︒さすが無道の清
小 史
四
盛亀常磐が孝行に戚にて一二人の子を赦し泰若
乙若をば曾とし年若は殊に幼年なれ吠京都の
鞍馬寺にれくりて皆の弟子としけり︒
頼朝賦伊豆に流されて後二心に平家を亡ぼ
して交の仇にむくい源氏の世と指さんと志良
妻の父北條時欧を始め逼麟の武士ど包を味方
にして延に兵を伊豆に和じぬ︒
先組八幡太耶づ一の頃より東国政源氏の恩を受
0.1土地なれ腿我も我もと頼朝につき従ふも
の日に多く其勢忽ち盛
んになりぬ︒
かくて駿麹賦大軍を
引きつれて駿河昔で攻
め上りける賤弟義経も
奥州より来り會へり・丿
義鰹とはがの鞍馬寺一
にれくられt牛若の事 こ
なり︒牛若肋き昨よりご
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鸚づ
謳助、−・・‑‑ ゛'
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!︒;/・4
自 1
﹄にL畔−にげし煕柚戸L所⁚同一ペー一 五 ﹃Jjふ圈ドL潭卜
志するどく僣とき﹄るを舒まざりしかば干蚤取
の時雨を逃げ出Iで奥州に下り奢を九耶義綴
と改め固守藤原秀衡の世錨になりて居たりI
ガ兄絹物の兵を尨し九石を開放急ぎ志を合せ
んとて菖ひ東り卜・なり︒其時年二十ばかり投
.Ssき︒ ﹂
絹梱は諧を流1て︑弟の求り1を喜びずぐに
義経を大将と七で西国に向はしめば﹈は鎌倉にご
居て東国を治め九り︒︱︲ <
上北﹂賤源政一の↓人にボ曾義仲といへる人あり︑
久典を趨して平家を攻めやぶり逝みて京都に
入りぬ丿然るに遊什ばギ家に色恋さるほどの
既婚をは穴らきしかば剖廷賦義経に命にて乏
を討穴しめ﹂給へ&y.義仲も名高き勇聘痙りし
かど遊佐には碧あが九くして延に戦に打ち負
け近江︵り粟津原にて討死せり︒
平家賤義仲に旱ち破られて都を洛げ出でた
る鏡損津の一の谷に城をかまべて守り穴り︒
iI!191−1−−−Lノ︑︒− 1︒J 眉 小 史 か偕Jノヅー
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ぺ七ぞヨ糾こi==゛7゛`÷・
ヴ・ _、 へ
諮/ 淵り 芸肌
其鳩繭は海に向ひて樋
にはけはしき由を負ひ︒
中々攻め難き所なりし
絹義脛ば鱒趙とてぼは
しき中の員もけはしき
山路受麟にてとびこえ︒
不意に城のう・しろより
攻め入りしか吠忽ちに
攻め藩され九hり
る手柄を立てけれども價に岑あづかり得ずし てづひに奥州に逃げくぢるに至れhうこれ鴎
兄の頼朝疑ひ深き人にて︑義経のすぐれI手柄
を立て火るを妬み粳さんと〜九るが故なり︑
非常なる難難にあひ天なる手柄を立でぐ︑却て
兄の手に殺されんとするば誠ふあはれなるこ
とていふペe
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U■^lAi %.≫*S11"盲乃 第十五 北條時宗 元寇
北條時宗賦時政より六代目の孫なり︒時政
は頼靭が妻の父にて絹朝を助けしこと大摩る
を以て崖く用ひられぞれより子孫引きつござ
て孵軍の執権とはなれー・︒執権一とは孵軍の下
にあり・て政事を取り扱ふ役を云ふなり︒
時宗賦武勇尤も世にすぐれたる人なa人 此
時支那の北方に蒙古といへる國ありむが屁︵固
ざりき︒⁝
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兵を出だして壹岐對馬の鏝をさあ
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小
史
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競
J4ノ 愈︷ ︸誉眼
は大府を萌り殺し或は船に火をかけて蟻き繋
ちなどせIほどにぎし参の敵兵亀攻めあぐみ
漸く逃げ去らんとの色を見せたり︒ ︒
をりしも大風俄に吹き趨りて︒山のやうなる
夫浪石くが如くに荒れ立ちIか吠敵の軍艦賦
︲︲︲ ︑大か穴撹へされて溺れ死するもの数を知らず︒
我が軍は之を見て小舟にとりのり砥ひ撃ちし
″ 一 ゛″︹か吠敵の兵はぶなご・ろしの目にあ双本國に生
﹃きて這りしもみ賦饉に三人たW了←し云ぶこ
\
節 防 小 奥目r回Tノノ 祚︒ 十一 一 1ノ ぼにL嘲ド
第十六 楠正成 楠正行 ︑
北條九代目の執権を高時といへり︒民を苦
め朝廷を侮りて悪事をのみ行ひIか啖後醍醐
天皇は崖く憤らせ給ひ北條氏を滅ぼして政権
を刳廷にとりかへさんと思召し九マ赳武勇の
名高き武士を一し集め給へり︒
楠正成は河内の人にて忠義の心深く武勇の
名高かり1かば天皇之を翁じて︒北條氏を滅ぼ
謀をいだして敵をくるしめ九り︒
史
︐ −凶4.JべJ哨ノ愉鰐一︒りし北條氏亀忽にして亡︲びたり︒
其後足利奪氏謀反せしかば︼正成は義 ゴ用
さを打ち破りぬ︒雅氏九州ににげ下り再ぴ大
軍を引きつれて攻め上一ると聞えけれ吠正成善
き謀を立てぃけれども幼ぐる人ありて朝廷啖不
幸にも之を用ひ給はざりきノ
され腿正凧今は是までた石yと心をさだめて︑
擬銀の授井騨に到呪其子正行に告ぐるや久百
﹂死して後賦天下は尊氏のものとなるべし︒一さ
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帝 國 小 史上︒黙読/一ノ 6 十三 一 一がy t祚︷︒ ︷n4.
れど亀汝命を惜みて敵に降彦するが如きこと
萬々あるべからず二族のもの二人にても生き
のこらん限り・賦必ず忠義の旗をあげよを一が九
y y I I sく誠めて河内砂我が家に燈り還せり︒正行其
時年十一なりき︒ i ︐ l
て自害せhy︒・!■ ■・‑.^ ‑.≫.ioJ%卜嘩E
げIがな.八.ド︑f
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是よ一ぺり尊氏の勢次第に盛んにと今はるか朝
敵といばれざらん鴛め別に我が方に天皇豪立
て≒之を戴亀自ら欧事の損を握れ呪 故に此
後数十年の間は親が麟に二人の天皇ありて官
軍方をば南朝遡云ひ奪氏方をば北朝と申し九
國
小
炭
四
ツy e同一︒ j翔
一て常に子供同士題び麟かえでに亀自ら大游と
どりて琢氏を斬る奏學言こせり︒かくて年二
浪に及びて忠義の兵をれこしだびノ゛・敵を確
りはるか逞に河内の四條服に戦ひて討死せり︒ %viI♂・武勇にして忠義の心腹きこ硯北父子の如きは
古今に稀なり︒誠に我が国民の鑑といふベー︒
柳戸ふある湊川紳畦は屁楠氏の一族を祀れる
た習気 上
\j集十七\幕別麟鵬 し
足利尊氏其子麟麟相つぎて将軍となり火れ
ど︒外には南北の戦争あり舛にば父子呪弟閲ぎ
あひて争胤常に栢えざりし迦孫の義浦将軍と
なるに及びて細川幅之執事となり心をか九む
けてf之をたすけしか吠政事梢蜃ひ矢下唇︑定ま
る記至れりノ此賤南靭は後鍛山天皇北朝は後
小松天皇なりき︒義涵使を吉野につかはTて︒
|│.
/
御かへりありて混種の御器をt朝に傅へ給ヘ
リ︒後醍醐天皇吉野に幸七給ひしよりどゝに
至るまで凡そ五十鈴年なり︒
義涵賦傲慢の人なれども甫北の両朝を合一
して藪十年来の戦争を止め︒武士の膿儀作法を
定めIが如きは瓦功夫なりづされどれごりは
殊に甚だIき人にて廣大なる屋敷を京郡の室
町に入建て恙花の御所と名づ︑け九肛是より足利
侭
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奎佐 `
△l r乖4 4
小
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z﹁1 一べ 一 一アy Sβ﹇ 2m却
は纒涵の作りたる別荘なり︒
第八代将軍義政亀亦れごりを極めし人にて︑
ま穴東山に銀閣寺を建て種々み珍器古物を集
め鎧園をつくり茶の湯痛し花などの鍼流の驚
ぴにのみ月日を逡りしかば沓ぼりものなどの
名人多く出で美術工藪の類賦大に進歩I穴れ
ど亀足利氏の威勢は次第に衰へて超より戦争 組ゆる時虚し︒其夫たIるものを嘩仁の胤とい
ふ︒崔仁の胤と賦細川勝元と山名鍬金との戦
一戦/一一崩9 −一一爪
第十人 上杉謙信 川中庭の敬 ・ X 戦国の世に班も強かりし大名は越後の上杉︼
甲斐の武田尾張の織田面島の毛利等なりき︒
鳶晦代に賦はげしき戦も多かり1が王杉武田
の戦啖中にも名高きものなり・︒
上杉謙信心武田信玄と鴎二人なが石武勇世
にすぐれて︑兵法に明かなりIが互に信濃を取
らんとて兵を川中島に隋だして戦ひけり︒い
づれも劣Eやぬ名聘なれば互に謀をめぐ石Qカ
を査して戦ふこと数年に至りけれども勝負は
決せさりき︒ 十
川中島の戦に謙信賦自ら信玄と斬り合ひ勝
負を決せんとて馬に乗り一太刀をふるひて摺り
敵陣にかけ入h腐信玄はいづくに在るy﹄と呼は
り穴り﹃︒死時信玄床几に腰打ち掛けて居ける
w之を聞きて﹃何者ぞ﹄妓のぅしりながら立ちあ
炉ちんとするところを謙信急にかけ来りて混
刀まで斬り込みたり︒信玄刀を緯くひま痙く︒
Jダ
帝 國 小 史一 競二Z/ φ ﹄ 十八 `参ノ ぜJr` こl列
軍陛麟麟庖て防ぎしにぞれも切られて既に危
ふかりしところに︒甲斐の兵馳せ来り畜一ぶて謙
信の馬をつきしか啖信玄は其ひまに逃げ出で
たり︒
かくて王杉武田の戦賦十三年の久しき間rfe
あ穴りけるが價玄の一死するに汲Siて麺めて止
みぬ︒ yヽ
入 ⁝⁝⁝⁝−〜1 1PF
︿ 第肪九 織田信長一 ∇こ ご :
鶴田信長はギ重盛の後なりノ叉の代まで腿
尾張の一部を領せ一が信長の世に至り諸国を
討ち従︒へて逡に足利氏に代れり・︒
ド \
三 信長は幼き時より・常人に異なりきドその頃︑
子供の題びに五月五日には叫地打とて植俳の
いくさごとに類礼東西に立ちあかれて石瓦な
ど投げあひて勝負を争ふことありきノ信長詣
く北並びを好みて唖五十人もあり豺る手饗肩
帝 國 小 史・一喝甲≪11t.A︑″一 十九一 ︷ ¥ t`` Lru
帝 國 小 史観F 銃Xi\ I <C ≪ I^jfJ 一 1 ‑・%≫≫5^j^‑.
輩を呼び集め勝負をさせては見物L母より・も
ちひたる米銭筆墨紙など威く掬だ〜・て勝ち九
るものに典づへけり.︿其ふるまひ︑子供ながら孵
に着九石徳を備へ九りと云ふ丿十六歳の時淑
をつ既程なく尾張仝國を討ち乎らげて我が領
其叫今川義元といへる武勇の人あ仇三河延
江駿河の三國を領Iて巽勢最も盛んなり亀
尾張の国を攻め落︱.て膜が領分となG京都に
ーー ー 〜I ︱ −
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帝
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た
し蔀時武田信玄王移謙信は既に死して︒其領地
亀大か九信長に従ひしがJ甲國にはだ低従はざ
るもの多かりし﹂かば剥柴秀吉をつかはして討
ち乎らげしな 上
かくで中鯛も大方串らぎし剛長門の毛利輝
能寺を夜討じけれ吠信長防ぐ能はずじて遼に 弑せらる︒時に年四十九なり丿荒世に至り朝
廷よ牡瓦畦に建動脚毅の競を賜はり・て京都に 祭らIめ給へり︒
ドー芦︲しげに芦︱卜tげしに岬卜し 二汁に卜図レー4圃卜に濁卜
第二十 豊臣秀吉ご ゜
秀吉賦尾張國愛知郡中村の百姓の子にて功
き時の名を日吉丸といへりIe其家甚だ貧︱か
りければ千二三の頃より他人の家に奉公せち︒
身の火付短く其顔猿に似九りけれ賦人皆猿冠
者と呼べり︒成長の鏡自ら木下面六部と名乗
仇織田信長に奉公・・ぶt草履取を勤めたり︒
J−Is♂%%♂♂%吉報為事にかしこく!てズ甚昶正直なりt
ば大に信長に愛せられ次第に立身とて遼に
÷か・籐
方の大将に取り文てらxてに至れ気<
万
其後處々にて大なる軍功を立て麺を羽柴と
改め肩柴筑前守秀吉と稽せり︒中國征伐の途
中にて價長の殺されたるを聞亀取るものも取
りあへず急ぎ鋤り来て明智光秀を一戦に打ち
︿破吃之を詠Iてr主君の仇を報いたり︒
︽かくて覆更に諸國を攻め取りて優の英雄をI
悉く廳け従へ藪十年束胤れたる日本國をI統
じて端に天下の檀を握り璽匝秀吉と﹄霜し爾白
帝 匿 小 史 w甲/&^ Alii 二十菖 1.1 tHil XLJ
史
太政大臣の尊き職にのぼれり︒
きれど亀秀吉日水一國を以て猶ほ足れりと
せず支那輔齢を征伐して我が領分にせんと思
ふこと深かりければ延に浮田秀家加腸管凪小
西行長等を大将として朝鮮を伐九1めたり︒
加藤管正賦少き時より秀吉に従ひI人にて︒
勇力武藪天下に敵なし︒朝鮮に攻め入り・てゴ
王子を檎にし︒向ふ﹂所の敵軍を打ち破らずとい
ふこととし︒されば朝鮮の人曳皆済正を鬼将
と呼びて榎の世まで底畏れしとぞ︒
かくて翁正行長等はだほむきひ!く戦ひて︑ ↓
加鮮の兵を破り︑支那までも攻め入らん勢なり
yしに恋しいか左秀吉は︑其大志を逞ぐる能はず
して︒いくさ中ばに病死せり・︒故に111むことを
得ずして巍正等は二先づ朝鮮を引き上げ九り・︒
﹈舞吉死せし時年六十二なhッき︒ ゛
秀吉早・しき民より起りて趣に天下の政三権を
執り威名を支那個鮮までもかふやかし太るは﹃
/
第二こ 癒川家康 ①
豊臣秀吉の後をつぎて︒天下の政権を握り〜≪l>>k.
は徳川家康な句︒家巌賦三河の人にて叔父の
代に麺めて岡崎の城主となり今川義元に易し
たり︒ △
︑家康幼き時は人質となり今川氏に在り・てぎ
ま7ぐIの困難にあへり︒其後岡崎に賠りて淑︲
をつぎ學問武藪を學びたり︒
小
I
一
〜 ‑ J 1
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史
jljベブー
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・ . . ミ . ●
﹈ペノ 廊﹃ 2箇作七秀吉と戦ひた勺︒秀吉大軍をさIむけたれ
ど亀家康の兵に旦勝つこと能ばざりしか斌遂
﹁に和睦を講へり・︒家康も無益の戦に人を苦む
ふを好まず叉秀吉の天下にすぐれし英雄なる
を知り・九れば遼に和睦せり・︒
是より・秀吉に従ぴて天下を平らげしか吠其
功により刄関八州を領しボ城を江芦に築けり︒
関入州と賦精根の開より車の三ハケ麟をいふな
hノ 秀吉死して︒其子舞疆幼少た石了しか喊篆康之﹂
を聊けて政事を執りけるに舞鯛の家来石田三
成等雨康が勢のぼましに盛んなるをそねみ十
二高の兵を趨して家廳をのぞかんと企て九り︒
越に於て家康賦七萬節の兵をひきゐて石田等
巻大軍と美濃み関ケ原に戦ひて天に之を核矢
ご二釘等を軟1ぬ︒是より天下撒く京畿に従ひ
國
J4ノ 1陥 ゴ摺印
芸談芳翰の家宗賦芳翰にすょのて高を大阪
城に集め禦廳を亡ぼさんと1けれ吠家雄之を
攻めて延に豊臣家をほろぼし九り︒
是より徳川氏の世となり・て干五代二百六十
節年の泰平を来すべき基を開けり・︒家康年七
十五にて死Iける別後に東照宮とうやまひ祭
られて今も處力に其祗多じ︒下野の日光山に
為る宏大美麗痙る宮殿賦即ち此家康の廟なり︒
一 第二十二松川家光一 京畿の孫家光腿生れつき剛毅にして智勇あ
一気三代の将軍と4:る︒徳川氏の時賦天下の大
名大小二百諦藩ありて細川氏と同じく趨り九
るものを外様大名といひズ徳川欝来の家来を
譜第大名とい⁝⁝へり︒外縁大名は禰客分の取扱
ひにIて巽大名の江芦比廳るときは将軍白石
出でゝ紐ふるを例とせし絹宏光に至り套取扱
麟と同にからず鹸比合より御身等を家来同様
に取扱ふべし︒若し心に快からず思は右翼﹃國
帝 國第二十三 徳川時代の學者
浄
家康天下を平らげてより支學を興すことに
心を用ひしか吠學菖次第に振ひ趨ちて謳くの
學瀞続々と世に出でたり︒今其最も名高き数 人を左にしろさん︒
徳川氏の始めに名高かり・し暁林邁春なり︒
邁春暁文學の才最もすぐれ九芯人にじて巽入
歳の賤或る人の傍にて太平記を讃むを聞亀一
九びにして忽に八九枚を査く賭誦せ1とぞ︒
鐘一麟原惺嵩征従びて學べ双惺窪は瓦頃の大
學有なり︒゛推参二十三の時雨康に1し出され
てぞれより幕府の儒者となる︒學問鱒くして︑
殆ど読まざる書は痙かりしといふ︒
・︑風大に學問の逍に力心豚ぐしは細川光︲圀なり︒
光圀砿水戸の藩主にて原廳の孫左り︒學問を
好み個廷を雅び説が圃に完金の歴史なきこと
1 ・
しI.−
斎
池司︒︱べ
= ● 参 織 W ⇒
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tPKT
心 ㎞ ・ ぷ 為
帝 國
史
読XJ\‑ I ‑^ i I
四 z 鳴 7 . 4
1︒ノ繭後三度に及びしか吠自ら戯れに大島三左衛
門と名乖りじ之ぞ︒ <
其後維新の際に天功を奏じて随軍大将に任
ぜらる︒隆盛其志大にして朝鮮をも征伐せん
とぬ七けるに政府の大防に一一一い多くは隆盛の諭を聞
き入れぎりしか腿隆盛賦大に怒りて薩摩に鯨
れり︒ノ一 こ づ
大姉を大晦として胤を趨せり︒ 1 14 かくて隆盛大兵を率ゐて攻め上りければ政
ぬにて亀亦兵を出Iて之を征伐せられ鱒木城︑
日原坂等に於てばげしき戦あり計七鎖隆盛の
兵は延に敗れて薩摩にひきかへし︑隆盛賦城山
に於て白殺せり︒是は明治十年の事なり︒世
に之を西南の役といふ︒
﹈刳廷にて
史
一哺JノI I I
四 回 吃 一
﹈4ノ sq 苗阻
暁甚恕軽んぃ卑められ九り・︒今暁全國の人民︒
皆二十歳より徴兵に出でt國を守ることき
りしか暁士族もれごるまにくギ鼠も強き心を
振ふに至れ吠
叉昔暁學校といふもの暁極めて少く僅に寺
子屋七て威み書きを教ふる處あるに過ぎざり
じか吠學問すt︷7︸一︒とは甚だ難か︑りきド今の世
暁如何なる處にも︒小學校のあらざ羞土地なく︒
山中海港に生れし者と雖亀文字を知らざる・も
第二十七 劃一1﹂ぺ一 ︲
● w ● s 4
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歴世沿革の大要 一 11y f一叫一路雌
古蒙昧の世に啖請叫に強暴猛悪蚕るものあ
りて菌良の人民一を苦右吊こと甚だしかり亀 赴時紳武天皇は肩國におはせし迦萬民を博く
麟し九まふ叡慮より崖く其有様を憂ひ給ひ痴
自ら師を賛じて本州に渡りがの従似ざるもの
間SH<下無事なりじが耀十二代景行天皇の時
比東国西國の悪徒ども甑を起・して朝廷の命に
従はざりじか啖皇子日本武尊どれを征伐し給
︿ひてどれより仝国平定せり︒後凡芒八十年を
経て帥功皇后三韓を征俄七て親が鳩目とし給
へり︒死時まで我安固に旦學問の逍開けざり
しに脈ぽり卸F臨陣刄駐り降磁りて左降lり・
ぷ哺Jノ`一一ブノ 崩﹃ 苗垠
は仁拙天皇なるが人民をあはれみ綸ひしこと
響ふるにものなじ︒其後凡そ百五十年を経て
欽明天皇の時に部教三韓より傅来せり︒蘇我
氏及び聖徳太子殖も深く之を信にて諸國に寺
隣を建てなどして義民を導きIか賦日に月に
盛んに行はれゆきぬ︒
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上 土 ︑︿ ∇ ︒ ∇
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四
︷椚ノ 測F ︸`m輝
永く定まりたる都の地とて無かりも迦天皇奈
良に都し給ひしより禰代毎に移らざることA。
なれり︒さればどれより七代七十節年の間引
きつyきて奈良に都I給こひしなり乏を奈良の
個といふ︒此時ば朝廷の法魔も備はりて︑天下
泰平なりIか栢徐天皇の御代に痘鍵といぺる
悪僣ありて悪れ多くも天位に志を寄せ九玖
きれど瓶和気営庭の忠義によりて瓦企やぷれ
け社フ 上 こ
﹄げL戸−しゆ 史廳黙競/一ノー ;し ー 四十二I ・j︒ノ 1C︑ 如用f
構花火轍かり1か吠天皇道億孤力をかりてど
れを抑へんと1給ひけれど亀其事或らずして︒
道具腿罪なきに遠流せられたり︒其後以藤原
玖の勢ます/ヽj盛んになりて説が鐙の行ひ増
長せしか啖之を惜みてぶ﹂乎をいだく者多く両
の御代朱雀天皇の時にギ諮問⁚膳原純友胤を起
せh千其饒は笹ま九無事にして學藪いよyX
開けヤ條天皇の御代には女にして才學のずぐ
れたるものさへ多く出でけ軽紫式部沓少納言
V矢卜 −−・141帝 國 小 史観FL饌メン ごrL 十三一 一︱J″ fー` こunqに仮元の胤ありゴ條天皇の時に平治の胤あり︒ともに平清盛戦功ありて滅氏︲ は愈ふ放ペーJか吠
是より平鼠の勢猫り強く天下の政権悉く其掌
に蹄するに至れり︒
︲4らI♂sら
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L囲國 小 匯﹄鉛F銃jづ上が・ド 四十酉 一j x一︱几隋ド
十北條氏面積を執りてより訓話に對して無腰
の振舞多かりしか吠後鳥刺天息賦い九く憤り
給ひてどれを征伐せんと謀今綸ひIに卸て北
條義時が鵬めに敗られて王御門頌籐の二帝と
輿に延國に巡され給ヘりノ賓に古今に稀なる
事鯉と云ふぺくし︑承久の餓・とは是なりプ是より・
梱織賦ます/4擬はずなりにき︒義時の子泰
賤曾孫時報賦政治に心を寄せて下を憲みじ︸の
I ︐ lみ&らず時報の乙子時宗は武︒勇世に優れて︑元よ
● − 4 , − ● I り
足別館氏筒勤王の典を趨して趣にt條氏を滅
ぼ1けれ吠天皇都に還り給ひてXLく武家に
奪はれたる政権握ぴ朝廷にかぺれりドこれを
嶮武の中興といふ︒後幾程もなくして︑足利館
卜yjLFIy4?t 首星︒ ︱ −
・氏謀反を起八訟外のれ将軍となりて政権を握ら
んと金て別に北朝の天子を立づ︒是よ靫天下
は⊇つに分れて南北南朝の孚ひ之なり喊胤五
十鈴年み亙りけるに奪氏の孫義浦の賤和睦と
よりひ両個二つに痙りて政権以蚕く足利氏に
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︲−j−−︱並び趨hぷ趾yひに領地を孚ひ額學暫しも止む
時な1.常時豪傑の中にて短竜戦に巧みにし
て笹の人の恐れしは武田僣玄王杉謙信屯利元
就等なり︒其後織田信長出でと天下を平らげ
んとしぃけるか志未だ成らずして家臣明智光秀
に弑せらるで豊臣秀吉良亦信長の家臣痙りけ
るが直・ちにt刄秀を詠しで天下を平らげ王は刳﹄
廷を尊恥下ぱ人民を救へ・り︒是に於︒て庶仁以﹂
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士第三十 歴世沿革の大要﹂四
徳川家畿賦文武を兼ね備へ九る人たIIし
賦天下は武力のみにて治畝べきにあらず最
大切なるは文學なりと思惟し天に學問を聊
法度を定めIかばどれより世の秩序も正し
痙りて感轟w次第に開けゆきぬ@ `
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小
史
£哨﹂ぺ一 一七丿 頂R−
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藩朝命に従はざりもか吠官軍討ちてこれを平
らげ延に維新の大業を奏せり︒是に於て源轜
朝以来七百諦年砂間武家にうつりt政権ば舗
めて朝廷に鯨したり︒これを王政復古といふ︒
賞に開問以来未曾有の二大治革なりき︒ノー
王欧復古の後昭治元年に都を江戸にうつし
之を東京と改めらる︒其後 今上天皇賤官制
兵制等を九て晋のあしき事をぱ悉く改革し賭
學枝を建てと文蒔を勧め給ふこと大方ならず︒
胤を九卿にねとしたれ吠官軍これを征伐I
^tnr 1^1!づノ 窃一﹁ Xm曜借 口 小 恵二麟
昇るが如し︒かくて191治二十二年に憲法を麟
市し二十三年に帝国議會を開きどれより毎年
仝国人鼠の総代を東京に集めて︑法律租税等を
議せりめらる4ことこご一一れり︒北年十月︒ま大
畿か 天皇陛下賤盆赦育の這を開かんとの思
薦を以て︑左の勅語を下し給へ呪我等が朝夕日
夜有りが大く押誦するものこれ虚気
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七孝八孝
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明治廿五年六月二十日印刷同 廿五年六月廿一日出版
明治廿五年八月 五日印刷同 ゛廿五年八月 八日出版 小史浬読一︑二
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下北豊島郡上駒込
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東京市日本橋孤本町四丁
文 學 毅
東京市日本橋喊本町四丁目十六番地